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『大乗法界無差別論疏』訳注研究(上)
島
村 大 J. ︑
三大乗法界無差別論二T31巻(以下二論⊃は、菩提心を詳説して大乗仏教最大の特徴であ る衆生即仏・無明即明・生死即浬葉;なる筆者のいう第一二真理命題(一島村L、島村dl附:
以下同)を中心に説いたものであり、「宝性論』(=5世紀前 トの成立一高崎H394)の著者 が、同書を著作した後に作成されたものであるとされている高崎25。これには、高崎直道博士 による優れた注釈・解説f寸きの書きドし・研究が、三新国訳大蔵経」⑲論集部1大蔵出版
(1999年)として出版されている。一方、今回現代語に翻訳した『法界無差別論疏』T44巻
(以下『疏』)は、「論」の漢訳事業に参画した法蔵(643〜712)が自から著した・「論』の注釈 書である。ご疏」は、如来蔵思想(=終経)の解説書である『論」の注釈書であるから別教一 乗については多くを語っていないが、大乗の悟り・真如を理解するには極めて重要なもの(特 に第六章第三節第三款第二項)である。難解である為、従来あまり研究されてはおらず、全文 の書き下しも無い。筆者は、早川道雄博1:から提供された・京都山城家文政堂藤井佐兵衛発行 の・読み下し記号のついた・『正徳元年(1711)・文墓屋太兵衛蔵版」によって読みドし、高崎 による『論」の先行研究によって理解を深めて、まがりなりにも現代語訳を完成することがで きた。本稿作成に当たっては、法蔵が「五教章」で『阿毘達磨大乗経論』に言及して、染浄二 分の依他性・如来蔵(二島村d、rに詳説)により「真如随縁」を説いた(=拙論「真如随縁 の意味1−「印仏研」2008大会)のと同様に、『疏」でも法蔵は、これに依って(第五章第三 節第二款第八項注(146))、現象界を理解していることを勘案して、原則的にこの観点から「疏」
全体を理解し、現代語に訳出した。現代語訳の提示は、取りも直さず、訳者による解稗の提示 でもあり、当然本稿とは異なる訳も可能であろうから、諸賢のご批判と解澤のご教示を頂き、
本稿の不備を補い、誤りを訂正致したい。
尚()は、意訳した原典・大正蔵第・▲4巻のIS;〔語、一一は乍者による補い、(= 1は筆者による説明 である AO、Al、a2、B等の記号については島村bを参照されたい 又、理解しやすくする為X、Y 等の記号を適宜併記した 論一及び各種経論からの引用文に関しては、原則その解説を施していないの で、夫々の1京典の参考文献を参照願いたい・又、記述に当たっては、小活宇を多用しているか、これは文 脈を見失わない為であって、むしろそこに函要な記述かあるから、読み飛はさないことが望ましい一 [本稿は、筆者の研究テーマである・大乗の悟り真如の内実 を解明した島村dL附・を戊lt礎にし て作成されている それは 経論の具体的記述を無ト見して先行的に 原理・理念.とても言うべきも
正6 法華文化研究(第31号1
のを恣意的に設定して、その一 原理・理念一を検討対象の資料に適用して経論を解鐸しようとするも の ではない=むしろこれとは逆に、多くの大乗経論を厳密に文献学的に精査して(二島村a、d、
1・ 等を参照)、 大乗の悟り真如の内実として経論が記述したもの と認められると考えられるものを、
幾つかの簡単な成句にまとあて、一公理・真理命題・定理一と呼称したものである 本稿でそれらに 言及する場合は、それらの 公理・真理命題・定理」と呼称した成句が大乗の悟り真如の内実を示す ものであること、の追加的・文献学的資料であることを再確認・補強しているのである 巻末のll付記
参照一
第一部 序 論
0序章
詳しく[説明]すると、そもそも(夫つ性海(=法性・法体 ・真如・染浄1分依他性)
[の浄分:は虚凝(=無自性・不動無変異一第二真理命題・島村d[附]以下同)であって、
[離言説]であるのに、週かに名言之表(=言語表現されたもの)に架[橋]し(=関係して おり 第四真理命題)、寂門(=浬繋への入口)に圓懸(=完全に対応)して、潜かに相1 用 (=現象界の個物の見え方と利他行の働き)の根本(源)を該(かねそな)えている(=
第四真理命題)。故に[悟り・真如の]根本原因(山)としての[性海の浄分としての在りか た]は、常にして湛(=静かに澄む=不動一第二真理命題)なる妙因であって、[而もその染 分は随縁して]濤浪(=現象界)[を生み出す]淵府(=深い静かな蔵・染浄二分の如来蔵一 島村d、r)とされる。縁[起]生せる幻(二迷妄なる俗世界)と[修行の;果.(=悟り・
真如)は、浬築の起(=悟り・真如)と滅(=迷妄)[という事態]に依[拠してい]るので あるが、[究極なる円教の、悟り・真如においては]出(=生・個物)と入(=滅・浬薬)は 冥會し(=真俗双運なる第四真理命題)、動(=俗)と静(=寂静・勝義)は相和している(=
一体としてある)。[そこでは]理は事に乖かず(=理事無擬)に、[本]性(=空・悟り・真 如)を轄ぜずして[利他行の為に、個]物[世界]を成立させる(=後得智の世界・第四真理 命題)。事は理に乖かず(=事理無擬)、[個]物を壊さずに本性と一体である(闘性=海印三 昧)。是れは則ち[個物の本]性は非自性(=無自性)なのであって、多門(=現象界)はそ れ所以に成立するのである。[現象界の個]物Xは他の[個]物Yではないのであって(=個 別性を保ち)、[それ故に一切は]一相である(=空の公理)所以が存するのである。乃ち[真 如は]太虚を含孕して而かも其の量を増さない(=第二真理命題)ことが理解される。[同時 に、真如が]繊芥に隠秘して而かも其の形を減じない(=第二真理命題)のは、宴れは唯、法 界が無差別であるから(=空の公理)である。[行者が凡情・の]智(=虚妄分別)を以って
[真如を]求むるようなことをすれば(將れば)、たちまち(即)、其の實(=真如)に乖いて
7人乗法界無差別、;命疏二訳注研究(上パ島村.
しまう。情(一迷妄)を以って[真如を推し]測ろうとすれば(欲)、直ちに(即)其の真
[如]を失ってしまう。[釈迦]如來が[入]滅を示したために、弦の道(=仏道)は陵替して しまった(=下克上・乱・愚者が理解出来ない)のである。後の學者は、或るものは権(=仮 のもの)を守り實(=真理)に乖いてしまった。堅慧菩薩(=「論」の著者)が居られて、中 天[竺 ]に傑出して位は護實(=悟り)に登り、[その名]聲は五印(=インドの五地方・
全インドつに高まり、萬もの行いを光揚(=輝かし挙げる)し一乗を匡賛し(=正し讃え)
ようと思って(思欲)、己の所知を馨て、要約(略)して群品(=衆生)に示している。其の 論為るや、理は謂跡(=評論の跡)を超え、菩提心と浬築界を以って、因(=菩提心)と果(二 浬磐界)の1勝れた[境]地と為している。清浄の土と功徳の山とを縁性(=縁起せる個物の本 性・真如としてのあり方)の本(=根拠・清浄の土)と轍(=果・功徳の山)と為している。
善苗(=菩提心)は葉を擢 (=挙)げ(=生長)、即ち流〔転]から離脱(返)して、これ によって(以)、本(=悟り・真如)に合致(契)させている、白(一善)法は華(=結果)
を開き1、自からは:真如に]還源して極(二究極の悟り)に至(造)る。煩悩の海の全体 は(亘)、不思議(一染而不染1つにして[悟り・真如においては]一味(=無相平等の公理)
〔として実現している]。[その悟り・真如は]衆生界に満ちており、どうして、[個物世界とし ては]断常なのに而も[真如としては]萬[の個物]と殊なることがあろうか1/(=無相平 等の公理・「釈摩詞術論Eの「雑乱」・第一1真理命題系1)。虚空は、雲が在る[時でも]、それ によって(以)、其の蓼廓(=大空)が蔽われることは無く、摩尼[宝珠]の如きは垢に1対コ 庭しても、其の清明さが染せられることはない11。このことは、文[に表せば]簡略である が、その意味内容(義)は奥深い(玄)e[手]近かなもの(;虚空・摩尼)に喩えても意[味 内容]は[深]遠であって、夷路(=迷妄)を開く〔後得智としての用らきをもつ]。[真如は]
平等朗然にして不愛なのであって(=第二真理命題)、[その所説に向って]直(則)ちに勇進 する者は、真に乗って〔悟り・真如に]直入す。實相を解説(辮)すれば(以上T44−61a)、
縁起(=現象世界)としては紛然(=多様なる個物の出現)としているが、而かも[真如は1 不作(=凝然・無作用 第六定理)なのである。こうなると(則)、扇退する(=疲れ退く)
者は迷(=現象界)を知って、軽々しく(率に)[難解だとして屈]服してしまう.どうして 多くの異なった(衆異)妄見を踏剥(=ぬきあしさしあしして除き去ること)し苫労(煩)し て繰り返し(重)、其の心を娃(=もてあそぷ・鍛錬)するのか。[これらの扇退者をコ作者(;
如来または堅慧)へと導く(致)ことは、[世俗の学者である]顔子(=顔回)に庶幾だけで ある。一方、[一般の]大乗は、直ちに(即)小[乗]を簡異(=差異を選び出)し、所宗(=
旨とする所・主張)を虹別(=優劣をさだめる)する、[これに対してこの「論」]は、[真:
實を簡び取ったものであり、権(=仮)とは異なっていて、其(二真如)の玄奥を表(標)し ている。『[法界無差別:論」は解稗が精微であって、[それが僅か]一巻であることは、一:軸
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18 法華文ニイヒU}究 (第;34}膓)
無き(=他に類書がないこと)
[個]別に解説(辮)しよう。
ことを意味(言)している。鹸義は[以]下にこれから(當)、
[総説]
以下に(將)、此の『論』を[注]繹しよう。要約(略)すれば[次の]十章(門)となる。
第一は教起の所因。
第二は藏の所撮を明かす。
第三は教の分齊を顯かにす。
第四は教の所被の機。
第五は能詮の教禮。
第六は所詮の宗趣。
第七は『論』の題目を鐸す。
第八は造論の縁起。
第九は傳言睾の由来(由致)。
第十は文に随っての解稗。
第一章 教起の所因
1初の教起の所因には、先ず通(=総論)、後に別(=各論)がある。
1・1総論(通)とは、楡伽[師地論コの第六十四「巻に[次のように]云う通りである。
論[書]を著作(造)しようとする(欲)者は、要らず[次の一般的]六因を具備している。
:i法義を常に廣く流布せしめようと欲すること(故)である.
. .一つLの教え:に随って正法に2種種に.法義を:信解している有情を、1の理由から、L正しい一 人らせようと欲すること(故)である、
3種種の義門(二言語表現された教えの意味内容・概念理解)を失没せしめてから、再び(重ねて)
L止しい教えを:開顯せしめようと欲すること(故)である。
4要約した(略)[義1を顯わして廣散の義を[それに1撮めようと欲すること(故)である。
5甚深の義を顯わさんと欲すること(故)である。
6種種の美妙の言詞によって(以)、法義を解釈(荘嚴)し、[聞者に対して1浄信を生ぜしめようと 欲すること(故)である。
一大乗法界無差別論疏.訳注研究rヒ)r島村) 19
1・2[各論] 今ここに、各論として(別して)此の「論』を解説(辮)する[理由コには、
簡略に云えば、こ以下のコ十因が有る。
il能化の1佛を助け、[所一化Lの衆生]を[説法の対象として、摂り一揚げ、佛日を光り輝かし、
L仏一法を住せしめて、佛恩に報じようとする為である
2末世の鈍根.の者一が、佛の深経に於いて開悟不能の状態にあるのに対して、方便によって.経をl I解稗して、.仏一法を理解させる為である、
3外道の輩が佛法を、油誇するのを引導して、彼に対して浄信を起させる為である:/
4諸部の大一乗.を信じない・小乗の者に、巧みに大乗を示して信受させる爲である一
5大乗の中に於いて権教を守る者に対して、深旨を解稗して、彼に権を捨てさせて此の實(一・論.
の説く真如)に蹄せしむる爲である
6要約した(略)記述によって一、如來の廣大甚深な玄奥の義を撮らしめて、容易に[そこに 人ら せる爲である
7真實の大菩提心は、佛の根本の要妙の所依であることを顯かにして、彼の含識(=衆生)に行を起 こさせ求めさせる為である.
8経中[に説かれる ・衆生心の内の如來藏の法を1解稗して、彼を、決定的に、此れ(一如来蔵)が :自心に1有ることを信ぜしむる為である、
9経中には、永く:乗一の教えは 無く、唯一・乗のみが有ることを解釈して、二この一乗が一究党で あるとなす為である・
lb佛果である法身と諸衆生の如來藏法とは、一性・無二にして因(=衆生)果(=仏)平等・唯一味 なること〔一空の公理・第IS {1理命題)を顯わそうとする為である(以上T44−61b)。
第二章 藏の所撮
2第二の藏の所撮には、[次の]二[種類]が有る。
2・1先ず三藏の[教え;『.の]観点から述べると、
lL三藏とは、ll契経藏(=経藏)、2調伏藏(=律藏)、3封法藏(二論藏)、を謂うが、.この=論. 1
は.此の三の中の、3封法藏に撮められるものである 2・2第二に[菩薩と声聞のコニ藏「の観点から述べると、
L二藏とは一 1菩薩藏と2聲聞藏とを1謂うのであるが、 二論一は:此の:つの中の、 ユ菩薩藏に描め
られるものてある・1「言命の1所依の経及ひ所稗の義は、皆悉く二乗(−2聲聞藏)の法ではないか iらである.、
2〔1 法華文化研究〔第3▲号)
第三章 教の分齊を顯かにす
3第三の「教の分齊を顯かにす」には[次の]二が有る。
3・1第一に諸説[とは如何なるものか]を述べれば、
1 戒賢と智光 が各々三教を立てたこと等であり、並びに華嚴の疏 の中に説いている通りである,
3・2第二に現[在の]宗[派]について述べると、現今の・[インドより]東に流れてきた 一 代聖教を謂うのであって、それら大小乗及諸の権實を通じて[述べれば]、線じて[次の]
四宗が有る。
.1 随相法執宗 阿含等の経と婆沙等の論を謂うz
2真空無相宗一 ・般若等の経と中.論.・百二言命二等の論を謂う 3唯識法相宗一[解:深密等の経と楡伽等の論を謂う,
1
:9一如來藏縁起宗一樗{カn密嚴等の経と起信・賓性等の論を謂う
3・3この四宗を解釈するには、略よそ以下の四義[の観点]が畢げられる。
3・3f=乗の観点から述べれば、
1初(=随相法執宗)は、唯だ小乗だけてある.
2と3次の:(一真空無相宗と唯元哉法相宗)は、二乗を兼ね備えている,Lそして一此の:乗の宗(=
主張・趣旨)は、定性である:乗は同じく不成佛である と認める(許)ことを謂う
4一最一後(一如來藏縁起宗)は、唯た一乗のみである 此の宗は、.自己の一入寂.のみを願う,
二乗も亦成佛することを認める(許)からである、智光.が述へる一三教.と、及び梁論(二 J t{大乗論□.巻一第八・は、此の説と1司じである,
3・3②識の観点から述べれば、
1と2初の:〔二随相法執宗と真空無相:知は、唯だ六識のみを説く.
3と4後の1 il一唯識法相宗と如4ミ藏縁起宗)は、詳しく〔具」八識を説く。その中で、初(一唯識 法相宗)は六識の有を説き、後i一如來藏縁起宗)は六識の空を説く=
後の:(二唯識法相宗と如來藏縁起宗)の中では、初(一唯識法相宗)は 八識は唯だ生滅・俗の み と説き、後〔=如來藏縁起宗)は 八識が如來藏(一染浄:分依他性一島村r)に通じ、生滅 (=世俗)と不生不滅(=勝義・真タu).の両者を]を具ずと説く.
3・3③法(=教義)の観点から述べれば、
1初{=随相法執宗)は唯だ有を説く.
2 L第一 :(・真空無相宗)は唯た空だけを説く、
3L第一 パ=唯識法相宗)は亦空亦ttを説く、此の宗は遍計所執の空と依他・圓成の有を認める
大乗法界無苫別1論疏「訳注研究(ヒ)(島村〕
1 (許).、
4.第:四(一如來藏縁起宗)は非空非有を説く,此の宗はL染浄1分よりなる:如來藏[の染分が:
随縁して、阿頼耶識と成ることを認める(許)即ち理は事に徹するのである=依他は縁起無性に して、Lその依他が、悟り・真如においては一同じく[真1如であると認める(許).即ち事は理に 徹するのである Lつまり f里事は交徹(二双運・無明即明なる第:真理命題)し、空と有は倶に 塑じて、讐つなから題(一・各leの独自性)を離するから、 Lこのように:云うのである..
以上(此)の四[種]についての・法の観点からの[記述]は、多分(=法が各種のあり方 としてあること)に関して説いたものである。
3・34[この四宗を説いた]人の観点から述べれば、
1初〔・随相法執宗〕は、小乗の諸師・達磨多累{f;.・等の所、t,1である 2 ・第一 :f 真空無ト彫1㍉は龍猛・聖人等の所、tノ:てある 3 .第一 :, [一唯識法W|;k ・)は無宮・世親等の所 t:である
4 .第.四1一如來藏縁起宗}は馬鳴( .起信論 の著二7i 1)・堅慧c _[・論 の著者〕等の所立で ある
その他の人(絵)については、その主張(宗)に随って、意味内容(義)が異なっている
(別)ことを、[以上に1準じて知るべきである,此の『論」は正に[1二記丁〜4の各四分類の:
第四の宗 に撮められているものに相當する(以上T44−61c)。
第四章 教の所被の機
4第四の教の所被の機1根の者]とは[以下の通り1.、[即ち]上述の四宗の中に於いて、
4・1初(=随相法執宗)[が対象とする機]は、
小乗宗.の機.である 一切衆生が、此の 宗の 為に.有るということ1ではない この宗の中 ては、絶じて1彦行者〔人〕が大菩提に向かうことか無いからである.
4・2及び4・3次に第:(=真空無相宗)と第二(=唯識法相宗)の宗に依[存]する[機
根の者;は、
・切衆生の内の ド分は この宗の.為めに・有って一、.残りの 半分は1この宗の一為めに 有る のでは一ない .これを第:・第:,の宗は以ドのように、謂う hl種性の中の、菩薩種性及不定1ダllは、
此の[宗の.為に1有って、残り確約の:,の定性1は、此の.宗の 為に1有る一のではない これらは各々 [成仏の 因が無いからである 、と
21
ウ1(ソ1
法華文化研究(第34号)
4・4第四の宗(=如來藏縁起宗)の中では、一切衆生は皆、此の[宗の]為に[有るという こと](所為)を[以下の二点で]明かにする。
4・4①[先ず、一切衆生はコ悉有佛性であり、全て[の衆生]は将来(並當)に[必ず]成 佛するのであるから[経論は次の如く説いている]。
1浬繋経の中に、一草木等の無心を非佛性と為すを除いて(=拙論一中国仏教における非情成仏説の 真意について」「密教学一第44号)、凡そ諸の有心(=衆生)は、悉く有佛性なり」1とLt
l2佛性論の中に一:二衆生の中の1−1部:分は無性なり と言うは不了義と為す・. 」と.
3[これを:賓性論等に、一誇大乗の因と為す.無量時に依るが故に、無と説く。佛性は、究童して 1清浄性無きと謂うに非ず:t」と、 l I
4樗伽の五性の中に、一無種性の人も亦當に得佛すべしz如來は諸衆生を捨てさるを以っての故に一 ^ と。
此等の文の如くで、詳しくは別に説く通りである。
4・4②定性の二乗でも入浬築してから後に、要ず皆、将来(當)に登菩提心することができ る(得)のである。[このことを経論は次の如く説いているコ。
i1法華第三に「滅度の想を生じて、浬磐に入る。而して彼の土に於いて佛の智慧を求む。是故、唯、
佛乗を以って滅を得るP等と。
12法華論に、一決定の聲聞は根未熟なるが故に、菩薩は授記して方便して褒心せしむ二等と.又云 う,一彼は諸輝三昧を以って浬繋と為す,本[来の:實の浬樂無し」 と、
3入樗伽1経の第二・第四・第.七: に、一三昧の酒に酢わさる」等と、乃至云う。 L三昧の1酒消 えて然る後に畳めて、佛の無上身を得」 と。
4密嚴第一頒に云う。「浬葉が若し滅壊せは、衆生に終蓋有り。衆生に若し終り有らば、是れ亦、初 際も有るべし。嵯に非生の法にして始めて衆生と作ること有るへし口と。これを解釈して云えば、
此れも亦、聖教なのであって、亦正理なのである。若し入寂した二乗が灰断永滅であるのなら、則 ち是れはその衆生が非衆生となったことである,若し衆生が非衆生にさせられれば、このことは則 ち、雁に非衆生(=寂した二乗)になって始めて「悟り・真如へ至ることが出来る」衆生となるこ とが有る、ということである,
5唯識論中に、一有漏は無漏を生ずる[のか口iと説く[意味]は、つまり(則)〈無漏法が還りて 有漏を生ずること勿しと難じている〉[記述]なのである。今亦、[この:例[を見ても一同じであ る。〈既に衆生が入滅すれば非衆生に同じ。非衆生の法にして還って衆生と作ること勿し。況んや 復、此れは聖言なるや〉というのは(彼)は非佛説である。
6又勝髪経・無ヒ依経・佛性論・寳性論は、皆同じ[事態を:説く。[分段生死の無い1・三界の外に、
大乗法界無差別論疏.,沢注研究〔1つ1島tわ 23
聲聞縁寛及大力菖:薩は、二種の愛易身.を受くると。
7又智論第九卜:に、法華第二を・Jlいて樺して云う.妙活ヒ有り(以上T44−62a)、三界を出過 す 阿羅漢は當に其の中に生ずへし一.と.是故、確定的に:次のことが1分かる、人滅した1乗 が錨の分段ノ1汐ヒ を滅することを人川繋と名付けるのである 一しかし一實のところ、Lそこには まだ一愛易L生死 は有る 苗ヒの中に在って、佛の教化を受け、菩薩道を行ずるのである・若し : そうでなけれは、未だ週心していないことになる 時既に無愛易.生死一となれは、迎心は巳に去
り、即ち是れは漸悟の菩薩にして、 二乗と名づけず 故に、二界の外で受ける愛易を、小乗は浬繋 としていることが分かる 大乗の深説では、實に是れは愛易にして、.かかる事態においは1本 来からして一川繋は無いのである
8勝鍾に云く 聲聞縁畳は、實に無川繋にして、唯だ如來のみ有卍盤の故なり二と=此論の下に 云う 懸に知るべし 唯た一・乗道のみ有り 若し爾からすんぱ、此れと異って座に酋の卍桀有る べきが故なり 同 法界に、岩:、ド劣の川繋と勝妙の氾繋イ∫らんや耶一 と
以上から(以此)、當に知るべきである。二乗の人は既に無浬磐(=浬磐に入ったきりであ ることはない)であると。皆、将来(當)に必ず菩提を得るからである。一切衆生は皆〈此の 宗の為に有るということ〉(所為)である。絵義は別に説いた通りである。
第五章 能詮の教膿
5第五の能詮の教酷には[以下の]五門が有る。:即ち]一随事門、二遍通門、三蹄識門、四 同性門、五無擬門である。
5・1初(=随事門)の中に[次の]四句が有る。
1第一に或る7tは唯、名・句・文〔一言語表現)のみを以って本体(性)とする.音聲だけが是1=
能詮・教体を詮わすもの)の所依なのであって、.それ以外の何かが1正酷であることは無いから である 唯識論に云う 一若し名等が聲と異ならないとすれば、法と詞は無擬にして、境は慮に無 別のものである・ジと一
2第:に或る者は唯、音聲のみを以って.能詮の教体の.本体(性)とする・名・句等は、聲の屈曲 iに依って假立したものにすぎず、無〔1性(無禮)であるからである、雑集論に云う,一成所引の聲
l
l は、謂く諸聖説なり㌧と 無性撮論第一 に云う。 弘誓願に依りて、菩提の聲を立つ:1.と、
3第:に或る者は、 1{二名・句・文と音声1)を具備しているものを1教体の一本体↓性)とす る=謂く、耳L識一と意二識.との雨識によって、聲庭・法庭の二境を認識対象として(縁じて)、
方に教えを理解〔聞解)することがてきるからである 浄名純に云う、一音聲・語言・文宇によっ て、佛事を作すことができるlUと、又} 地論に云う、.説者は:事を以って説き、聴者は一1 Yを
24 法華文化研究r第34号,
以って聞く.謂く音聲・名字等なり.ドと「
.4第四に或る者は、二両者は一倶に非聲名であって:それを(以)其(二教1相の本体(性)とする 事(=名・句・文と音声)は即ち空なであるからてある・文字の.自・性は離(一空一島村a 参照)なのだから と謂う、浄名経に云う, 夫れ説法者は無説・無示なり,其の聴法者は無聞・
無得なり一 と.十地論の中に、一文字は猶、虚空に彩遊するが如く、音聲は猶、空中の風相の如 し二.と=1両者は一倶に1その実体を認識できない(無所得)のてあって、如是の説法は、即 ち、不説の説なのである.
以上(此)の四句の中に、別出して前の三(i〜3)を取れば小乗に通じ、此の四句[の全 てコを具えるものは、唯だ大乗にのみに在る。又、此の四句は、合すれば(以上T44−62b)
一教と為る。[これと]異なる法は無いからである。にこに云う]有と無は、無擬(一空の公 理)であるからである。
5・2第二の遍通門とは、〈色等の六境及び除の一切法が皆、軌(=手本)として事物・事態 の理解(物解)を生ずることを可[能ならしめるもの] として、悉く教酷と為ることを〉謂
う。
或る者は:この事態を一獣然等に第∫淀理L.と説く一.i!舜名経.及び樗伽 等に説く通りであるが、
この意味は、これに準じて理解すべきてある=
5・3第三の爵識門とは、謂く、前の聲[・名句文]等の一切の教法は皆、悉く各々が、識の 所現であるから[識に闘すと云うの]である。是故、實の観点から言えば(就)、唯識でない
ものは無い。〈説者の識中の名言種子は現行を生起して、言説の事を成立させて、増上縁と為 り、聞者の識上に文義の相を現わして、方に教法と為る〉、と謂うことである。
撮論の1一識の中の言説識.のことである 純に云う。一我、説くに識の所縁は、唯、識の所現のみな るが故に1..と 起信論に云う 一若し心念を離すれは、則ち・切境界の相無ξし(一第…真理命題)一 と
[これらについては]すべて(並)[上記に]準じて理解すべきである。
5・4第四の同性門とは、〈則ち前門[に説いた]能愛が境となった識は、當に相が縁に從っ ているから(=十二縁起に従って識が相・境となっていること)、つまり(即)無自性なので あって、[これは]皆、一なる真如の性 :(=二無性一島村c)そのものであること〉を謂う。
起信論に云う一一唯、心のみに依拠して[現象界のf固物は1現じるが、本.来一、真如を離れてはいな い∫・と=又云う,「是故、 ・切法は、從本已來、言説相を離れ(=第1i定理)、名字相を離れ、心縁相 を離れている(二能所の滅なる第一真理命題) 畢克 ド等(二空の公理)なのであって、愛易が有るこ
二大乗法界無差別論疏.1沢注研究(上い島村,
とも無く、唯、是の一心(一染浄二分の如来蔵の浄分)を破壊することは不可能であるから、真如(=
1如来蔵)と名づける,一切の言説は、假名・無實なのであるから、[それは一但、妄念に随っているの
.であり、[言説に自性を:認識することは出来ない(不ロ∫得)からである」. と 之に準ずべしc
5・5第五の無確門とは、前の四門に於ては、心境・理事は、混融・無擬(=第二真理命題)
にして、同一の縁起である。存亡は自在にして、相い障擬しない。以って教酷と為している。
前の四門の所引の聖教は皆相違しないのであるから、義は相互に離れないのであるから、法艘 は無二であるから、である。〔上記に]準じてこれを理解すべきである。
第六章 所詮の宗趣
6第六 にの「論』によって]」詮わされている内容(所詮)である宗趣とは、[その]中で、
先ずは宗 (主張)、次(後)は、[宗の]趣∨[く所]である。
第一節 宗
宗の中に[それを表現している]名を尋ねれば、即ち「法界無差別二であって、その意味内 容(義)によって、宗をあらわす。此の義を区別すると、略せば一1門となる。第一は其の意味 内容(義)を定め、第二に開・合を解説(辮)する。
第一款 宗の義の確定
6・1初(=宗の義の確定)の中に[次の].三門が有る。第一は染浄門の観点、第二は権實門 の観点、第二は理事門の観点である。
6・11初(=染浄門)の中で、
1若し染門に関して述べれば(就かば)、
Lここでは衆生心= 染浄:分の法身 の染分 が:生死に随流して、真性に違背して lL衆生界になって 一しまうので、差別法界と名づける ド文に不増不減経を引いて云う |i!1・、ti,是の法躯桃と為す1!蹴㈱の所纏にして、從fl!91ths+tl、幌唖帥(、、生滅 :流樽するを説いて衆生界と名つく .等と.又、下文に、一煩惜と倶なるを空如來藏と名づ .け、惑染差別法界を顯成す一 ・と
2第1の浄門の観点から述べれば(以上T44−62c)、
迷妄に.反流して・出纏し、真性(一真如)に順ずるから、無差別法界と名つける:起信 論に云う..若し人が一切の善法を修行せは、白然に真如法に畠1}順するが故なりゴと、此
25
26 法華文化研究(第34}か
れはつまり(則)、萬行が真に契い、冥同一味なるL事態1(二第二真理命題)である、起
4
:信[論:は又、云う、始畳は即ち本覧に1司じゴ1と,是故、[かかる事態を:無差別法界と 1名づける。今は、此の論が正に此の義を解説(排)しているから、宗とするのである・
6・1②第二の権實門とは、浄法に関わるのであって、
1若しも三乗の内の権教が説く内容(所辮)の観点から云えば、
.定性の1乗は大一乗.に向かわないことを認めるから、是れはつまり(則)二乗L夫々一 |の因果に差別Lが有ることを述べたもの1である...従って1亦、差別法界と名づけるので ある、
2若しも一乗實教が説く内容(所説)の観点から云えば、
一切一二乗も皆な大菩提を二獲1得しないことは無いのであるから、是れはそのまま(則)
で、無差別法界と名づけられる一此の:法界無差別.論は止に此(二宗)の意味内容(義)
を顯わしているのである:tそれ故に1このこと一によって(以)、宗としているのである
此の二義(1権と2實)に依拠して、浬繋経第トに云う。「迦葉菩薩云く、我今始 めて知る。差別と無差別の義を。差別とは、聲聞は乳の如く、縁畳は酪の如く、菩薩 の人は生熟酉禾の如し」t t1と。如來の佛性は丁度(猶)、醍醐のようなものである。無 差別とは、聲聞濁畳が未來世に於いては、悉く其れは常(=真如・覚者)であること なのである。警えば、衆流は皆、海に婦するようなものである。是故、此の論は但、
彼の経の[説く]無差別法界を明かすのである。
6・1③第三の理事門の観点から述べれば、
此の一乗法界に関して、若し 随事(一俗諦)の行果\の観点から述べれば、縁起Lの1固物
l
lの法が各ts 1相異していること、及び理と事が非一なることである」故に[これを.差別法界 !
!と名づける=今、此の論は正に此の義を明かすから、Lこれを1宗とするのである。
第二款 開・合を明かす
6・2第二の明開合とは、先ず①開法界、次(後)は②合[顕]無差別である。
6・2①前(開法界=法と界の内容の分類)の中に亦、[次の]二が有る。第一は法であり、
第二は界である。法とは、依[処するものとしての]聖法を生ずることを謂うのであり、界と は本有なる真性を謂うのである。
1第一の法にも亦、[次の]二義が有る。第一は因位の行法であり、第二は果位なる徳法 である。
ノ\乗法界無差別論疏一、びミ注研究(上‥島村ト 2T
2第二の界にも亦、[次の]二義が有る。第一は因位であって、如來藏と名づけられ、第 二は果位で法身と名づけられる。
6・2②第二の合顯無差別(=法と界とを合して両者無差別なることを顕かすこと)にも亦、
[次の]四義が有る。
1第一に界の観点から述べれば、
i[染浄:分の 如來蔵(一因位)と法身(=果位)とは無1・無別なること(一第八1 flll)
.一 〒.、一.・・一一.・ t −ttS.. .∵t・t つ∫4t t s・= n t
を謂う,[両?ltの一無異性がその理由であるから.
2第二に法の観点から述べれば、
li因位の行法と果位の徳法とは無:・無別なることを謂う、因を轄じ果を成ずるも、|その両者 は1無異法(一第八定理)てあるから
3第三に法と界の観点から述べれぱ、
苗修生1一行者の修により悟り・真如が実現する事態)と本有(一衆生はイジk覚者であること 第:真理命題いも亦、無差別なることを謂う・法身(=染浄二分の如来蔵)と 利他行と しての・その染分の.随縁(一第四真理命題)とは、彼の法(;行法と、利他行なる徳法)と 同じであるから 修生が無性なることがそのまま(即)で、法身である1一第:真理命題)か
ら
iiv堕の]星三垣口.と足亡難.互?タ座些.も亦・そのようであ6・囎一一第二ξi理 1命題系1)ことを知るへきてある・
4第四に圓融の観点から述べれば、
前1述1の四義!i〜iv)を総.合.した事態を謂うのであって、 :なる法と界 とが無擬に して縁起と因果を混同 ・して通じさせたL事態である一=.両者は一自在にして、.ヒ述した・法 と界とは無差別であると云う意味〔義)であるからである.
第二節 趣
第二の趣(=悟り・真如の内実)とは、このような(此)法(=行法と、利他行なる徳法)
を顯説して(以上T44−63a)、衆生に対し上述の事態(此)を信受させ、[悟り・真如に対する 理]解を生ぜしめ[修]行を起こさせ、[終には]語契(=悟り・真如を実現)させて、[仏]
果を成じ、真法界に構い、無思(=第一真理命題一島村hに詳述)の大用(=仏の後得智によ る利他行・第四真理命題)を起こさせ、横に十方(=無空間なる第九定理)に遍じ、竪には三 際(=過末現、悟り・真如には時間は存在しない第七定理)を該ねそなえさせ、[かかる悟り・
真如の事態をコ無断無絶せしめる爲である。是れが其(=趣)の意[味]である。
28
第七章 『論』の題目を釈す
法華文化研究(第34号)
7第七 『論』の題目を繹すとは、[以下の通り]。
7・1総論
[題日の「大乗法界無差別論」の]「大乗」[の記述]とは其の宗を選びとっている(簡別)こ と、「法界」とは其の意味内容(義)を解明し(辮)・確定すること、「無差別」とは其の意趣 を顯わすこと、「論」とは[それが]詮かにしているものを分析(剖析)すること、である。
.つまり、大乗の中の法界無差別の義を[解一繹するから、.このような一名をつけた偽} ことを謂 1
うのてある .史に詳しく説けは一〇く) 大ニへとは、當饅を名前日Dと為し、包含. .されているも 1のを一意味内容(義)としているのである.一乗一とは、喩えの観点から(就)名と為したものであっ
!て、連載を一その一功(一後得智による用らき戊とする、禮(=大)と用(一乗)とを合せてL名前と して一畢げたのだから、 人乗一と云うのである,
7・2各論
7・2工「大」には[次の]三義が有る。
1第一・は酷大一一起信論・立義文一に1一真如平等不増減一と謂うから.
2第二は相大.洞一 具足無漏性功徳一と謂うから。
3第三は川大.。同一 能生一口川t間出iit[ ll|善因果一と謂うから:
此[の解釈]は起信論に依拠したものである。又[別の解釈に拠れば]七義丁.1が有る。荘 嚴論T1等[の記述の]通りである。
7・2②「乗」にも亦、三義[が有る]。
1第一は理性を所乗と為し、妙智を能乗と為し、佛果を乗が至る庭と為す 此れは佛性論・に依る
のである.、
:2第:は無分別(=第一真理命題)を以って所乗と為し、萬行を能乗と為し亦、佛果を所至と為 す.
3第三は理智・萬行を以って倶に是れが所乗であるとするもの,菩薩は暇者を以って能乗と為し、佛 位の人は法を乗の所至と為すのである.故に撮論に云う、 大性(一真性6g,gc}に乗るが故に、名 づけて大乗と為す・亦大・亦乗を大乗と名つく一 :と=此れは依主(二tat−1)Ul 5a 大性に(於格)
乗るが故に、名づけて大乗と為す一)と持業(二karma−dhAraya 大なる乗一)の:稗を通して理 解すへきである.
7・2C3:「法」には[次の]三義が有る。
1第・は・L保一持.の意味儀)である、自性が不改である^ と謂うから.
12第1は一軌L範_の意味(義)である, 軌範となって[貞理の理1解を生じさせる と謂うか ら.
一大乗法界無差別論疏二訳ii三研究(ヒ)(島村) 29
3第二は「意に封する」という意味(義)である、是れは意識の所知であるからである 7・2④「界」にも亦、[次の]三義[が有る]。
11第.・は 因hetu」の意味(義).是れは一W, dhAtu」の意味(義)のことである=・依[持・.1と して聖法を生[長 1させるから\ということを謂う.撮論に云う,一法界とは是れ一切浄法の因 と謂うが故に二 と、中邊論の意も亦、此の説と同じである
2第∵ は.性」(=悟り・真如Dの意味(義)が、界一1の意味(義)である,.法の實性一のこと を謂う 起信論に云う .心.真如とは、是れ一法界の大総相法門の饒なり一と .又云う、「法 性真如海一と㌔,故に二このように.云うのである,
i3第:は 分齊〔=範囲・領域)一の意味(義)が 界一の意味(義)である 諸法の 分齊一が各々、
相雑しないことを謂うのであるから、一界二と名づける.
前のこ(−1「因」と2「性」)は皆、法の界 Hであるから、「法界」と名づける。後の一法
(二3「分齊」)は即ち一界」t1であるから、「法界1と名づけるのである。
7・2⑤「無差別」には、亦、[次の]三義が有る。
11第.・は ノCの境1位の観点から述べるもので、 凡夫は染位であり、菩薩は染・浮 位 てあり、
諸佛は極浄L位一であって、、これらの.二位はL俗諦では一殊なると難も、.これらの 法界の性 は實には(一勝義には)無差別なること.を謂う. 1
2第:は法の観点から述べるもので、i 種の無差別1tを謂い、1以 下(=第二部第5章)の文に説 くようなものである,
3第:はlfの観点から述へるものて(以上T44−63b)、因は唯、乗のみであって、果は唯、
昧のみてある ことを謂う 是故、囚と果の法界は各、無差別(一第八定理〕なのてある.
「論』は、深義を分析(剖析)して、佛の純を解稗している。其の妙理を、掌を指すよう に現前せしめて、本経を簡異(=義を区別して論ずる)するから、論と禰するのである。以 上(即)が[各種の]意味(義)を集めた:議]論である。
第八章 造論の縁起
第八の造論の縁起(=由来)は[以下の通りである]。[先ず著者のコ堅慧菩薩とは、梵名で娑 曙末底甑ramatゴー[と云う].娑曙saraとは、堅固の[意味]である(云)。末底matiは慧 の[意味]である(云)。菩薩とは、具しくは菩提薩塊と云う。諸論の通稗としては、其れに
[次の]三の意味(義)が有る。
1第一は境に從って名付けたもの(為)で、此の:法(二菩提と薩唾)は[その語が 指し示す{所 1縁)ものなる境によるからであって、.白:骨観等1の命名.と同じである 菩提は覧と云う1意
:30 法華文化研究〔第34号)
味である一、つまり(即)所求の佛果である.薩唾とは有情と名づけられる、つまり(即)所度の 1 衆生のことである 智と悲が内に起こることによって(以)、それ故に(是以)、外1部1に[次の一 1二境を縁ずる.第一・に云う菩提は、所求の佛果のことである):第:の.薩塊とは能求の行者のこ とであって、 菩提を求めるところの薩堰 とは即ち境(=仏果)と智(一行者)が和合して目づ けられていることを謂うのであるL
l2:第二は1、第一・に云う菩提とは前と同じで、薩堰とは勇猛のことを云う 有志・有能.の者を1 謂い、 大菩提を勇猛に求める〉からである。
3[第三は一、此の論i:(一堅慧)を謂い、理に稲って佛の堅固なるIll慧を求めるから、 L菩薩と:名
| づけられたのである. :藏に云うには、西域に相傳されている」比.の人は一、 初一地_以. 1:の菩 薩であって、佛滅後L百年の時にrl i天竺の大国(大刹)である利種 国 に出現して、聰叡なるこ i と抜群1逸群)て、備く俗典を窮めて、出家學道し、慧解は朋ttを輸え、人小乗の教えをすへて
:
, 修め学び(綜練)、但、菩薩行のみを行じ、心(意)を大乗に留めおいて、巳に所遊した(=観法 を修習した結果実現した)平等法界を(以)、衆生に傳示して、方に究党にして廣大なる饒益の為 に、それ故にこそ(是故)究童一乗賓性論及び法界無差別論笥:を著作(造)したのである。[これ らの著作は:皆、大乗に於ける権りのものを捨てて、實に鋪しており、實なる究莚の説を顯わして ミ いるのである、
第九章 翻訳の由来
第九の翻謹の由来(由致)は[以下の通り]。
干闇國の三藏法師提雲般若[即ち1天慧というL人が1此こにいた 其の人は、慧悟が人々(倫)
を超え、備く三藏を窮わめて、本國においては、掲歩の人であった 後に観化(=所化に示す)の 為にヒ京して、遂に梵本百絵部を齎たらした。衣を垂れて敬礼(垂撲)して、その年の内に[梵本を 1みやこ(神都)に届けるに至った。救がでて(有)、[梵本を:慰喩して入内させて供養し、魏國東寺
に安置して、大徳十人と共に経論を翻詳させたJ{」 iJち先ず華嚴を澤させた、余(;法es 「)は愚か 者(不敏)であるのに、狸りに呼び出されて(蒙徴召)、既に翻澤に預かって、賓聚(二諸梵本)を 観ることを得た、遂には、華嚴不思議境界分⇒嚴修慈分・大乗智炬陀羅尼経(以上T44−63c)・
諸佛集會陀羅尼経一巳ヒは各一9から成る一・造像功徳経二巻・法界無差別論一巻を翻得した。沙門慧 智等は謹語し、沙門法華は筆授し、沙門復禮は綴文し、沙門圓測・慧端・弘景等は讃義した。其の鹸 の経論は、全て(並)、未だ課する迄には及んでいない。三藏L法師提雲般若.は遂に遷化して、龍 門に埋葬(療)されたtコ日照三藏と同じ庭である。救して甚だ禮をあつく遇した(優)。道俗が欽慕 することは、亡き父母(考姓)を喪するのと同じであった。
一人乗法界無差別論疏二訳注研究(卜‥島村} 31
第二部 本 論(第十章 随文解釈)
[この第看章が「疏』の中心部分で、「疏』はここで、「論』の各文章を逐語的に注釈する。
『論』の原文は、各章毎にまとめては「疏」に引用記述されていないが、本稿では便宜の為に、
注釈の対象に該当する『論」の本文を各章のはじめに掲げることにする。尚、「論』の喜き下 しは、原則、高崎317以下によった。「疏』の構成では本稿第二部全体が第{章を構成するが、
本稿では記述の利便のためにこれを第二部とし、その中にあらためて各章を建てることとする。コ
第十の随文解稗については、此の論の中[の記述コは、分類すれば[次の] 1部(分)と為る。
[以下の序章第一に述べる]初めの一頒は、[内容を]標示するしるし(標)、[つまり]
主張内容(宗)の結論(致)であるところの「敬分」である。
[以Fの序章第二に述べる]第二の「菩提心 . は略説するに」從り[以]下は、主張
(宗)を開いて[解]鐸の内容(分)を演べて[その内容を]明かしている(=開宗演釈 分)。是の部分については、[『疏』が]略論であるため、[通常の論書には具わっている]
結説としての廻向分は無い。
序章第一 帰敬偏(=敬分)
〔偏文〕 菩提心に稽首す。 能く勝方便と為り、 生・老・死・病・;伺衣・過失とを 離るるを得しむればなり。 T31−892a
〔敬分〕初の一頒に関し(就)ては、次(其)の二つの意[味]が有る。
1第一に蹄敬二賓の意[味:である;
2第:に標宗・解稗の意[味1である。
第一節 1[先ず、第一の「蹄敬三實」の意[味]を述べれば、以下の通り]。
1初の中で、或る者は唯、法賓のみを敬う。1それを敬う理由は一菩提心が、.悟り・真如を1全体 ; (総)と.個一別Lとして分析した場合、その両者1のll本1膿なのてあって、一この・衆生を悟り
1
へと導く一}三体(能)が法寳二と云われるもの:であるから。
2第二に、或る者は亦、二偶文全体を一通ずるものとして佛實を敬う、1それを敬う理由は、行によっ て・得られるべき法身という果は、佛實であるから。
32 法華文化研究(第34号)
3第:に、或る者は三賓の全て(具)[を敬うJ.,L二賓の全ては一、菩提心が、正しく因位として在る 菩薩(二僧賓)が所有するものであるから、L行によって]得らるべき[果としての:法身は、佛 という果であるから,因(=法賓)と果(= 佛寳)の:庭には倶に、法(=真理)が有るから。
第二節 2第二の[偶文の]標[宗・解釈の内容について述べるコ。
第一項 総標(=「稽首菩提心」)
そこの下[文にある]「十二門(=以下の第一章〜第十二章)」の中の初め(=第一章)
は、「後述するように」果門であるから、[偏文の最初に]此の覧心(=菩提心)を畢げて、
[それが]能く彼の果を成[立]させる[ことを示してコ、是故、すなわち(便即)禮[拝]
を此の:菩提コ心に対してなす(致)のである。
第一目 そこ(中)での初めの一句(一 稽首菩提心一)は、全体として(総)敬二礼一をなすこ と(致敬)を標[示:している, 下の一三句(= 能為勝方便 得離生老死 病II苧依過失」)は L内容を区1別して勝れた能らきを述べ(辮)ている
第二目 前(=一稽首菩提心」)の中の「首一1とは 頭」のことである,一稽」とは「至る」こと である,頭を地に至らしめることであるから、 稽首」と名づけるr[その一姿(相)は唯、身業 1のみではあるが、この[致敬は1實は、L身LI意の :L業一全体に通ずる、
第三目 一菩提一とは 畳一のことを云う.佛果としての大畳を謂う 此の大畳(二菩提心)に 向かって心を起こして正しく求めるのである 境に従って心と1 iつけるのであるから、一菩提心一 と云うのてある、さらに解釈(又繹)すれは、一この 畳一は.、後述〔ド=第3章)の一自性浄 心.に準じて:述べれば:、則ち一性浄菩提一であるから、 菩提心一と云う、此れはつまり(乃)
菩提即心一であるから、二このように一云のてある
以上(此上)は全体(線)として、禮[拝コの対象を顯わしているのである。
第二項 勝能の解説(辮)
第一目 下の三句(=「能為勝方便 得離生老死 病苦依過失」)が、[内容を区]別して 勝れた能らきを顯らかにするのだが、その中で、初めの句(=「能為勝方便」)は 能成 (=悟り・真如を成じさせる主体)である勝れた因のことである。此れに[次の]二義が
有る。
1第.一は、殊勝の果法の與めに、方便としての因と為ることかてきるということで、此れが tn+べ
勝れた方便一:の意味である:,
2第1は、此の畳心aの當豊(=自性清浄心aに対する確信)が殊勝であるから、佛果の與め に方便としての因と為ることができるということで、此れが一勝れた方便一:の意味である,,t
二大乗法界無差別論疏』訳注研究(▲二)〔島村) 33
唯、此の§呈心(一菩提心a)一に対する確信一のみが此の用らきを為すことができるから、
; 一能為勝方便」と云うのである.
第二目 [その]下の二句(=「得離生老死 病苦依過失」)は[個]別に得らるべき果 を顯わす。その中で、法身の果が、六種の患(=生・老・死・病・苦依・過失)を離れて いることを顯わす。一無生、二無老、三無死、四無病、五無苦依、六無過失である。
1この中の初めの二(=無生・無老・無死)【ま(以上T44−64a)離業報一であり、
2次の:(一無病・無;苧依)は 離1障」である 後の一(=無過失)は.離誤失」である..
[これらは]すべて(並)以下に解釈される通りである。
序章第二 開宗演釈分 〔論体 十二義〕(=高崎の分類名、以下同)
菩提心は略説するに十二種の義有り。是れ此の論の騰なり。諸の聰慧の者は雁に次の如く 知るべし。所謂、1果の故、2因の故、豆自性の故、聖異名の故、5無差別の故、6分位 の故、ヱ無染の故、8常恒の故、9相慮の故、IIO不f乍義利の故、 f1作義利の故、⑫・性の 故なり。此の中、ゴ最初に菩提心の果を顯示して勝利を見せしむ。 2次に即ち彼の所起の 因を説き、③然る後に此の出生の相を安立す。④及び、名は異なれども、⑤而かも無差別 にして、石一切位に於いて、Z染著の有ること無し。8常に、9浄法と共に相礁し、 fo不 浄位中にては諸功用無きも、f1清浄位に於いて能く利益を作し、 IZ2 ・一性は浬繋なることを、
顕わすと鷹 1に知るべし。如是のトニ種の義を今、此の論中に次第に開圃せん。[何者を か名づけて菩提心の果とすか。 T31−892ab
第1の開宗演稗分の中に:次のコ四が有る。
1第一・は数を開いて継標する
12第:はL本文の一一所謂一のドて、数に依ってLl :門の一名を列ねる 3第一三は 此の中一のドて、口 二段の:生起の順番(;Jl(第)を明かしている一 4第四は 何者一の下で、 詳しくは以下の各一章に依って解稗する
第一節 1初めの[「敷を開いて総標するの」]中に[次の]三[が有る]。
i初めは略して標示するに、 後に詳述する十二の 数を畢げる 2第:は論鵠(=菩提心の1 :の意1味づを結成する .3第一三は人(物)に、磨に理解す(知る)べきことを勧める・
第一項④ 初の[1一二の敷を畢げる]中に略せば:種が有る。
1第一は要略である.
2第一1は省略である,