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モダニスト久野豊彦と新興芸術派の研究

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(1)

モダニスト久野豊彦と新興芸術派の研究

課題番号 17520105

平成17年度~19年度

科学研究費補助金 基盤研究( )C

研 究 成 果 報 告 書

平成20年3月

研究代表者

NAKAMURA Miharu

山形大学 人文学部教授

(2)

モダニスト久野豊彦と新興芸術派の研究 《概 要》

【本研究の趣旨】

久野豊彦(1896-1971)は一般に、昭和5年に活動した新興芸術派の代表的作家 の一人と目されており、復刻版や作品集の刊行などが行われ、わずかな論考も発 表されてはいるが、その研究は未だ緒についたばかりと言うほかにない。横光利 一以上の言語実験と、後年、新社会派文学を経て、経済学者に転向したほどの信 用経済学の知識などが、正しい評価を妨げてきたのかも知れない。本研究は、久 野の業績の検証を中心として、昭和初年代の新感覚派と、昭和10年前後の「文芸 復興期」との狭間にあって、現代文学研究のいわば空白地帯となっている新興芸 術派の作家と文芸スタイルについて、再検討を行おうとするものである。

【研究組織】

研究代表者 : (山形大学人文学部教授)

【交付決定額】(配分額・単位:円)

【研究発表】

(1)雑誌論文

・中村三春、「モダニスト久野豊彦の様式 ―意味から強度へ―」、『山形大学 人文学部研究年報』第5号、20082

(2)学会発表

・中村三春、「モダニスト久野豊彦の様式」、様式史研究会第49回研究発表会、

月、於・山形大学

2007 9

・中村三春、「久野豊彦とダグラス経済学」、日本比較文学会2007年度東北大会、

月、於・山形テルサ

2007 12

直接経費 間接経費 合  計 平成17年度 1,100,000 0 1,100,000 平成18年度 700,000 0 700,000 平成19年度 500,000 150,000 650,000 総  計 2,300,000 150,000 2,450,000

(3)

モダニスト久

野豊彦と

派の 研究

*目

次*

………

モダニスト

野豊彦と新興芸術派

研究《概要》

(1)

………

第一 モダニスト

野豊 彦の様式

(増補・再録)

はじ めに―久

野豊彦

久野豊彦の文芸

(1

)未来派・構成派

久野豊彦とダグ

シズム

久野豊彦のテ

クス

)フ ラグメン

ト―「セヴイ

ラの理髪師」

(2)物語

逸脱―「月

鶏が釣れたなら」

(3

)身 体の 記号化―「ブロツケン山の妖魔」

(4

)パ ロデ 会―

(4)視聴

―「

転形期の労働者」

結論―意

ら強度へ

(4)

………………

第二 久野豊彦とダグラス経済学

41

めに―

ぜダ グラ ス経 済学

C・

(1

)ダグ

スとは誰か

(2)久野とダグラス経済

学との出

ダグ 経済 現代性

(1

)ダグ

論の 概要

(ⅰ

定理

(ⅱ)

銀行の提唱

(ⅲ)信用理

)ダ グラ ス経 済学

久野豊彦におけるダグ

ラシズム

(1

)マル

義との対決

(2)文芸理論への導入

(4)〝新社会派〟の内実

むすび―久

豊彦とダグ

ス経済

(5)

………………

第三編

久野豊彦資料

73

久野豊彦略年譜

久野豊彦主要著

久野豊彦雑誌所収作品一

(6)

(増補・再録)

第一編

モダニスト久野豊彦の様式

はじめに―久野豊彦の再評価

久野豊彦(

の・とよ

ひこ、一八九六~一九七一)は一般に、新

芸術派の代表的作

家の一人とされて いる。確かに久野は、龍

寺雄・吉行エイス

ケらと並

び、

三〇(昭和5)

四月の新興芸術

倶楽部 結成に参加し

かし、久

それ以前に既に

なりの創作史を経てきて

り、基

的に久野の文芸様

、新興芸術派以前に確立

、それ

変容 を遂げて

ものと考えられる。また、実際のと

ころは、新 興芸術

なるものの統

一的な作風が何なの

、あるいはそのようなものが果たし

在するのかの評価が、

不明確なままに経過し

る現状もある。こ

れまで

久野およ

び新興芸術派の研究は、

とさらに文壇史

(7)

(1

)山崎

光「久野

豊彦に

ける一九

三〇年

後―『ナタアシア夫人

の銀煙管』

『人 急』―

(『

横光 一研 究』

〇六

・三)

アシ 銀煙 管」

三田 文学

』昭

7)

を克 明に分

した ほぼ 例外

山崎 には

、久 活動 を概 観し、

作年 付した

前衛 とし ての久

豊彦

(『大阪府立工業高等専門学校

研究紀

、二〇〇

六・七

もある。

40

芸思潮史に偏

式論 の視座が

ほとん

しない(

分野・

関する基

礎的研究において

小田切進は、次の

ように述べ

いる。

昭和四年

十二月、翌

術派の結

成の 前に、みず

藝術派の十字軍」を

乗る「

楽部」が結

成された。[…

ところ

、昭和

四月 十三日、この十三人倶楽部

胎とし

「新興芸 術派倶楽部」が結

成され

ので

郷の 燕楽 第一回総会

三十二名が 出席した。

早稲田―高橋

丈雄、保高徳

蔵、

八木東作 蝙蝠座―中村正常

今日出海、小野松二、坪田勝、西

晋一、舟橋聖一

―永井龍男、小林秀雄、吉村鐵太郎、

瑛、神西清、笠原健治郎、深

久彌、堀辰雄 近代生活

―嘉 村磯多、楢崎勤、吉行エイス

雄、飯島

佐佐木俊郎、久

豊彦 文藝都

―阿部知二、雅川滉、井伏鱒二、蔵原伸二郎、

澤安二郎 三田 文学―

司会者側―中

村武羅夫、加藤

反プロレ

タリア

モダ ニズム

作家 だけで

く、

小林や

ここ にとも

第一 モダニ

ト久野豊彦の様式(

N A K A M U R A M i h a r u

(8)

(2)小田切進「モダニズム

学の展開」

『昭 和文学

成立』、

一九六五・七、勁草書房)、

ペー

223 228

かく 一応

「大同団結

され たわ けで ある。し

かし く横 光も 参加して

いない。

また前

の理由[川

三人倶楽

批判したこ

]があっ

、尾崎

(一)や浅見、梶井

参加し

いない。

提唱者は龍膽寺雄と久野豊彦

浅原、吉行

『近代生活』系のグループが中村武羅夫をおした てて たの る。[…]

『近代生活』とほぼ同時に新潮社から創刊され

のち にこ の派 の最も有力な発表機

となった『文學 時代』は、もとも

と昭和四年四月号までで

刊された

『文章倶楽

後身だったため、最初から軽評 論とモダニズムの読み

中心に編集され、い

ば新興芸

の結成

がすような役割を

早くから てい た商業雑

ある。

…]

した風潮のな

興芸術派の中心的な作家た

すます「

と刺戟、衝

」を 求め、い よいよハイ・スピード

ざし、しだいに刹那的、享楽

傾向 を強めて、

ャー ナリズム

に煽られる ままにアクロバット

的な作

いった

小田切は

このように、新興芸術派倶楽部が芸術派の「大同

団結」

あり、

提唱者は龍膽

雄と久野豊

、それに浅原、吉行ら『

生活』系のグル

プが 中村武羅夫をおした

いた ある」と述

で、

た風 で新興

術派 の中 な作 ちは

、ま すま す『

と刺戟

衝動

め、い

ハイ・ス

ドを 目ざし、し

いに刹那

的、享楽

的な傾向

を強め

、ジャー

ナリズム

に煽ら れるままにアクロバット

的な作風に進ん

いった

と新興芸術派の様式

概括した(2)。しかし、久

(9)

(3

)嶋田厚「久野豊彦年譜

(『ブロッケン

山の 妖魔

二〇

作舎

)。

第一 モダニ

ト久野豊彦の様式(

N A K A M U R A M i h a r u

の様式に的確に妥当するのは

ある意味

「アクロバット

な作風」

も、「刹那的、享楽

傾向」

「ジャーナリズム」偏向につい

、その作

風か て割り

要がある

。本 稿

横光利一

を凌ぐ生粋のモダニス

ト・久野豊彦の様式

、概 な見取り図

もとに展望す

ある。

嶋田厚

よる年

に従 うと(3

)、小

家・経済

学者の久

野豊彦は、一八九六(明治

)年に名古屋

29 医師の家に生ま

、一九二三(大正

)年に慶應義塾大学を卒業後、

謙二らと同人誌『葡萄園』を

12 たのが最初の本格的な創作活動とな

った。一九二五(大正

)年には、

光利一

川端 康成 らの『文 14 芸時代』

号に「一九二

〇年代の人間紛失

発表、翌年、『三田文

学』四月号に「ある転形

の労働 者」、『

新潮』

〇月号に「桃色の象牙の塔」

するなど、新

の作家とし

注目 を集めた。その

『手帖

や『近代生

活』の同人となる

。一九二七(昭和2)年一二月に

、第一作品集

二の レエニ ン』(

)を 刊行し、

一九三〇年に新興

術派倶楽部に参加した時には、既

として

キャ リアを積ん

。同年一〇月に、『中央公論』に共同制作「一九

」を浅原六朗・龍膽寺雄との共 著と して 発表し、共

制作の方法

も推 めた。これと

並行して

・H

・ダ スの信

理論 に傾倒

九三一年か

刊行を開始した

ダグ 派経済[学

全集』(春陽

の第六、八

の翻訳 に携わ

た。

また 一九 三二(

六月から

一〇月ま

『時 事新報』に経

済小説

人生特急』を

て、一一月に千倉書房より刊行し

が、発禁処分

けた。浅原の出資

で「レッ

ド・ア

ド・ブルー クラブ」

に龍胆寺

、吉行

ともに参加

し、また浅原

との 共著『新社

派文 学』(厚生

同年七

に刊 行した。その

九三五年には日

大学 芸術学部

教授および参与、

一九四四年には日大を

辞し、知多半

(10)

大野町に疎

し、戦後は、一九五三年に名古

屋商 科大学教授に赴

、一九七〇年に停

年となり渡米、翌年 ロサンゼルス

豊彦には、三つの顔

ある。

つは前衛小

とし

、久野はもは

や「何々派」

を超えた、

日本近代文学史上、希有な作

と言わ

けれ ばならない。

強い 例の作家を

げる ならば

稲垣足穂、萩原

次郎、安

部公 房、筒井康隆

、高橋源

一郎 らとの

が考 えら れる

。第 二の顔

学者 とし

。C・H・ダグ

スの信用経済学を

研究し、その普

に努めるとと

もに、ダグ

理論を

芸理論にも適用し

ようとして

陣を 張った。久野が新興

術派以後にいわゆ

る新社会派

した理由の一

つはここ

にある。

の顔は、諜報理

論・ソ

動向論を含む、処世術・人

生論のエッセ

ト・

啓蒙家として

る。

戦前・戦

中期の久

野の活

は、まだまだ未

が大き

始めに

久野の文

芸理論

まとめ

みよう

久野豊彦の文芸理論

まず 初めに、久野の

文芸理論の概要で

。「小説構想

の断 想」(『虚

』大

・6

)という

初期 15 の評論は、その後の久野の文芸理

の展開を

予告す

重要 な論説で

ある

アンにお

いて に派手に突出す

ことの多い久野のテク

るが

、その理論は、むし

極め 理的でオ

ーソド ック スと さえ言えるもの

ある。新興芸術派の時代に

なっ 久野の発言は、時評的な要請

引きず られて

、集 中力 がやや

もある。

実際、

和初 年代の久

野の 発言 の大半は、

評か座談会

(11)

第一 モダニ

ト久野豊彦の様式(

N A K A M U R A M i h a r u

のものが多

。「小説構想の

想」は、論点がよ

く整理された評論

り、無用

引きがな

久野 の理論

展望するのに適し

る。

(1)未来派・構成派

第一は、アヴァンギ

文芸の理論

ある

。いま

形式 主義文

論争が起

こっ ない時期の評論

あるが

その主題は内容と形式との関わり

展開する。ここ

久野はまず

「内容」と「表現形 式」との軽重を問題にし、「しかし、何れも馬鹿げ

こと ないか

何故なら、素破しい内容は素的な

ママ

形式に依らなければ、第一、成立

よう がないか

ある」と述べ

両者の均衡

主張する。ただ し、「現代の芸術は、昔ながらの芸術の如く、しみつ

たれ た乳母で

は決して

あり 得な い。

最高の観念

緒的内容は、

高速 度の表現形式に

存する。

そして

明快に、一見

し、

一読すれば

芸術より享け

は即 ち生 活現象と全

をな 意識 する であらう」とも述べ、

次のように

一個

の作品を

評価するにあた

、内 容を 偏愛する。B

はし ばしば

表現形

重す る。

そして

Bとは、間断もな

く、

火花を

らす ある。し

かし、

馬鹿 げたこ

いか

。何故

ら、素

しい内

は素的

形式 に依 らなければ、第一、成立

よう がないか

らであ

ママ

る。形式

主義が、内容的たるこ

とを し、詩

それ自身さへ

も、

容たらんと

、言 葉は即ち

思想なるがために、単に、思想

連鎖 め、形

、音、色彩、

、容積の総和

以つ

術の 全量たらしめる

は、畢竟、内容

架空化

んとする

がため

ある。

チエーホフは云ふの

ある。

(12)

いと!従つ

何に偉大なる技

あらうと、

斯る条件の

もと にある、芸術家

芸術家で

はあり 得な

」]

しか し、現代の芸

術は、昔ながらの芸

の如く

しみつたれ

乳母 では決し

てあり得ない

。最高の 的情

表現

明快

術より享ける感銘は即

活現象と全き

符合を

すこ 意識する

。[…]

ペリ教授

[

]

Notwithwholeowholebutfragments

術は、すくなくとも、

知[

和]にあらざれば、そ

の作品は成立

し得ない

もの である

何故

climax

ならば、現代のあらゆる現象は、すべて

力動 し力走

し、瞬間的に変化し

、直線になり

、忽

曲線化し、一切の現象は痙攣的跳躍をして、同時同存

するから

る。二十世

は力学的の世

紀で る。一個

面に、事件に、人間に、すべ

、運動の幻

が流れ

ゐる。そ

れ故に、制作されたる、

芸術品は

分割し

学的総和

り、即ち

同時同存

する

climaxclimax

しは 代数 学的 に組 織化 せら れ、

なす ある

表現形式を核と

容との統一を図るとする基軸の

上に、「

climax

術」

想する。ここで言われる「

climax

うな、個々

突出

「二十世紀は力学

的の世紀で

る。一個の局面に、事件に、人間に、

動の幻

ゐる」とい

観測 は、未来派の

発想 を思 わせる。「幾何

的に、

は代数

も認 れる。速度・交通・機械・メカニズムを尊 崇した未来派の

式と、素材を人工的計算のも

に構造化する構成派の主張とが、こ

の論説の基礎

(13)

(4

)前掲・山崎「久野豊彦

る一九三〇年前後

」は

初期の『葡萄園

以降、『一九二〇年代の人間喪 失』『

タアシ

夫人の銀煙管』

学校のファスシス

ト』をはじめ、作

中に

『未来派』の

言葉がみ

『化 学校のファスシス

ト』に

アポ リネールやマ

リネッティ

詩の引

も見られる」

と指摘し

ている。ま

、嶋田 厚「久野

と新感覚

派」(『

』一九七

四・一

は、未来

派美術の前衛

った神

、ドイ

構成主 義を持ち帰

た村 山知義と久

との関

りにつ

て論じ

第一 モダニ

ト久野豊彦の様式(

N A K A M U R A M i h a r u

(4)。また、そのような「現代の新興芸術

」には、それにふさわしい「新文章

が必要

と言う。

次に 起るべ

明瞭なる

事件は新文章法の

るも久しき

亘り、かの

かなる美学は

、均 斉的 にして

無力なる、しかも、

まりに、

たらしき

複文、合成文の旧文章

具備して

ゐたので

るが、形

式の 激変と同

時に、こ

れま た、崩壊して

文章法の同

作業が開始され

ある。最も

著名なるは文章の

機械 化、力動化、架

線化 る。

また

、音楽化

ある。

ふま なく

確定 したる

或物 る。音色

は唯物的根底

を持たない。

極め て、無

ある。アリス

トオトルは音

楽を以つ

それ自

以外の何

も表現しないと

言し てゐる。し かして

独立せ

名詞 の自 由なる羅

動詞 より変形

ぜる

劇な る不 定動詞。

ママ

由語の

音等、等!

は唯物的なる音色で

なからうか。[…

]かくして、

新興の文字はいまや 聴覚、視覚の共同作用を要求し

した。文字、

触覚的の漢字が

かに、絵

あるか!

文字の起源にさ

のぼれば、何人も

面するで

あらう。平仮名が

またいかに、欧羅巴文

hieroglyph

それに似たる、柔らか

覚を与へて

とか!片仮名が、いかに、

的にし

タリツ クであるか

何故に日本のプロレタリア作家が

仮名 を尊重

て使用

ない あらう!

更に 数字的

(14)

(5)「彼はシンタ

クスを乱暴に破壊し

話しだすだろ

う。

文を組

るの に時間をむ

にす ること

ない ろう。文章の彫

妙なあやを

視し、自分の視覚、聴

覚、嗅

らえ た印象を、そのほとばしる流れ

まま に、息を

きらし

性急に諸君

にぶつけ

てくるだ

」(フィリッ

ポ・

トマーゾ・マ

リネッ

ィ「無線想 像力と

由な状態のことば未来派宣言」、

未来派

1 9 0 9 1 9 4 4 』、一九

、東 京新 聞)

-

感覚に至つ

は、特に、

本には二様の

れる感覚を発見し得るの

ある。

また、現

在、わ

われは、しばしば

、大小さまざ

る活字の横転

下せ るを

、一 編の 小説 内に目 撃し、或はまたこ

自らも使役せんとし

ゐる。[…]いま

や、印刷

素的なる発達と相呼応し

文学 はいよいよ、共

同作 業の実を

して ゐる。こ

れを

、絵 画の方面に於て

るに、絵

画が 文字を移植して

いかに、困難しながら効果あ

して ゐる か!試みに、

KurtSchwitters

詩画 集よりその一例

あげ てみよう

「新文章法」の趣意は、伝

統的な

漫文体

対し

「文章の機械化、力動化、

線化」

あり、ま

音楽化」「絵画化」にほかならない。ここにも一種の

未来派的な方法論

が横溢し

それは今日 の用語

置き 換えれば、エクリチュール、シ

ニフィアンの重視と

あろ

言葉の「音

化」は、

語記 号と して 一旦

いわ って 成す る音 に、言

とし に再 テク スト の形 成を

して

言語記

の使用方法は

、徹底的に自由

した用法とならざ

るを得ない。こ

「自 由語」という

語に も、「未来派

由語」の響きが

ある(5)。要

るに 音楽記号と同

じだけの自由度

、言語記号にも与 えよ うとするの

。そして

、具体的

は、文字に「

聴覚、視覚の共同

用」を

め、

また

「触覚的の

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