モダニスト久野豊彦と新興芸術派の研究
課題番号 17520105
平成17年度~19年度
科学研究費補助金 基盤研究( )C
研 究 成 果 報 告 書
平成20年3月
研究代表者 中 村 三 春
(NAKAMURA Miharu)
山形大学 人文学部教授
モダニスト久野豊彦と新興芸術派の研究 《概 要》
【本研究の趣旨】
久野豊彦(1896-1971)は一般に、昭和5年に活動した新興芸術派の代表的作家 の一人と目されており、復刻版や作品集の刊行などが行われ、わずかな論考も発 表されてはいるが、その研究は未だ緒についたばかりと言うほかにない。横光利 一以上の言語実験と、後年、新社会派文学を経て、経済学者に転向したほどの信 用経済学の知識などが、正しい評価を妨げてきたのかも知れない。本研究は、久 野の業績の検証を中心として、昭和初年代の新感覚派と、昭和10年前後の「文芸 復興期」との狭間にあって、現代文学研究のいわば空白地帯となっている新興芸 術派の作家と文芸スタイルについて、再検討を行おうとするものである。
【研究組織】
研究代表者 : 中 村 三 春 (山形大学人文学部教授)
【交付決定額】(配分額・単位:円)
【研究発表】
(1)雑誌論文
・中村三春、「モダニスト久野豊彦の様式 ―意味から強度へ―」、『山形大学 人文学部研究年報』第5号、2008年2月
(2)学会発表
・中村三春、「モダニスト久野豊彦の様式」、様式史研究会第49回研究発表会、
年 月、於・山形大学
2007 9
・中村三春、「久野豊彦とダグラス経済学」、日本比較文学会2007年度東北大会、
年 月、於・山形テルサ
2007 12
直接経費 間接経費 合 計 平成17年度 1,100,000 0 1,100,000 平成18年度 700,000 0 700,000 平成19年度 500,000 150,000 650,000 総 計 2,300,000 150,000 2,450,000
モダニスト久
野豊彦と
新 興 芸 術 派の 研究
*目
次*
………
モダニスト
久 野豊彦と新興芸術派
の 研究《概要》
(1)
………
第一 編 モダニスト
久 野豊 彦の様式
1
(増補・再録)
はじ めに―久
野豊彦
の 再 評 価
1
久野豊彦の文芸
理 論
(1
)未来派・構成派
( 2
) フ ォ ル マ リ ズ ム
2
久野豊彦とダグ
ラ シズム
3
久野豊彦のテ
クス ト
( 1
)フ ラグメン
ト―「セヴイ
ラの理髪師」
(2)物語
の 逸脱―「月
で 鶏が釣れたなら」
(3
)身 体の 記号化―「ブロツケン山の妖魔」
(4
)パ ロデ ィ と し て の 経 済 社 会―
「 ザ ン バ
!
」
(4)視聴
覚 テ ク ス ト
―「
或 る 転形期の労働者」
4
結論―意
味 か ら強度へ
………………
第二 編 久野豊彦とダグラス経済学
41
は じ めに―
な ぜダ グラ ス経 済学 か
1
C・
H
・ ダ グ ラ ス と 久 野 豊 彦
(1
)ダグ
ラ スとは誰か
(2)久野とダグラス経済
学との出
会 い
2
ダグ ラ ス 経済 学 の 現代性
(1
)ダグ
ラ ス 理 論の 概要
(ⅰ
) A
+ B 定理
(ⅱ)
生 産 者 銀行の提唱
(ⅲ)信用理
論
( 2
)ダ グラ ス経 済学 の 評 価
3
久野豊彦におけるダグ
ラシズム
(1
)マル
ク ス 主 義との対決
(2)文芸理論への導入
( 3
) 貨 幣 形 態 と 芸 術 形 態
(4)〝新社会派〟の内実
4
むすび―久
野 豊彦とダグ
ラ ス経済
学
………………
第三編
久野豊彦資料
73
1
久野豊彦略年譜
2
久野豊彦主要著
書 一 覧
3
久野豊彦雑誌所収作品一
覧
(増補・再録)
第一編
モダニスト久野豊彦の様式
中村三春
はじめに―久野豊彦の再評価
久野豊彦(
く の・とよ
ひこ、一八九六~一九七一)は一般に、新
興 芸術派の代表的作
家の一人とされて いる。確かに久野は、龍
胆 寺雄・吉行エイス
ケらと並
び、
一 九 三〇(昭和5)
年 四月の新興芸術
派 倶楽部 結成に参加し
た
。 し かし、久
野 は それ以前に既に
か なりの創作史を経てきて
お り、基
本 的に久野の文芸様 式 は
、新興芸術派以前に確立
し
、それ
が 変容 を遂げて
き た ものと考えられる。また、実際のと
ころは、新 興芸術
派 なるものの統
一的な作風が何なの
か
、あるいはそのようなものが果たし
て 存 在するのかの評価が、
不明確なままに経過し
て い る現状もある。こ
れまで
の 久野およ
び新興芸術派の研究は、
こ とさらに文壇史
モ ダ ニ ス ト 久 野 豊 彦 と 新 興 芸 術 派 の 研 究
( 中 村 三 春
)
(1
)山崎
義 光「久野
豊彦に
お ける一九
三〇年
前 後―『ナタアシア夫人
の銀煙管』
と
『人 生 特 急』―
」
(『
横光 利 一研 究』
4
、 二
〇
〇六
・三)
は
、
「 ナ タ アシ ア 夫 人 の 銀煙 管」
(
『 三田 文学
』昭 元
・ 7)
を克 明に分
析 した ほぼ 唯 一 の 例外 で あ る
。 山崎 には
、久 野 の 創 作 活動 を概 観し、
創 作年 表 を 付した
「 前衛 芸 術 作 家 とし ての久
野 豊彦
」
(『大阪府立工業高等専門学校
研究紀
要
』
、二〇〇
六・七
) もある。
40
や 文 芸思潮史に偏
っ て い て
、 テ ク ス ト 様 式論 か ら の視座が
ほとん
ど 存 在 しない(
1
)
。 こ の 分野・
時 代 に 関する基
礎的研究において
小田切進は、次の
ように述べ
て いる。
昭和四年
十二月、翌
年 の 新 興 芸 術派の結
成の 前に、みず
か ら
「 藝術派の十字軍」を
名 乗る「
十 三 人 倶 楽部」が結
成された。[…
] ところ
で
、昭和
五 年 四月 十三日、この十三人倶楽部
を 母 胎とし
て
「新興芸 術派倶楽部」が結
成され
た ので あ る
。 こ の 日
、 本 郷の 燕楽 軒 で 開 か れ た 第一回総会
に は 次 の 三十二名が 出席した。
早稲田―高橋
丈雄、保高徳
蔵、
八木東作 蝙蝠座―中村正常
、 今日出海、小野松二、坪田勝、西
村 晋一、舟橋聖一 文 学
―永井龍男、小林秀雄、吉村鐵太郎、
宗 瑛、神西清、笠原健治郎、深
田 久彌、堀辰雄 近代生活
―嘉 村磯多、楢崎勤、吉行エイス
ケ
、 龍 膽 寺 雄、飯島
正
、 佐佐木俊郎、久
野 豊彦 文藝都
市
―阿部知二、雅川滉、井伏鱒二、蔵原伸二郎、
古 澤安二郎 三田 文学―
木 村 庄 三 郎 司会者側―中
村武羅夫、加藤
武 雄 反プロレ
タリア
文 学 の モダ ニズム
系 作家 だけで
な く、
小林や
堀 ら の 藝 術 派 ま で 加 わ っ て
、 ここ にとも
第一 編 モダニ
ス ト久野豊彦の様式(
N A K A M U R A M i h a r u
(2)小田切進「モダニズム
文 学の展開」
(
『昭 和文学
の 成立』、
一九六五・七、勁草書房)、
~
ペー ジ
。 223 228
モ ダ ニ ス ト 久 野 豊 彦 と 新 興 芸 術 派 の 研 究
( 中 村 三 春
)
かく 一応
「大同団結
」 が な され たわ けで ある。し
かし 川 端 だ け で な く横 光も 参加して
いない。
また前
述 の理由[川
端 が 十 三人倶楽
部 を 批判したこ
と
]があっ
て
、尾崎
(一)や浅見、梶井
も 参加し
て いない。
提唱者は龍膽寺雄と久野豊彦
で
、 そ れ に 浅原、吉行
ら
『近代生活』系のグループが中村武羅夫をおした てて 動 い たの で あ る。[…]
『近代生活』とほぼ同時に新潮社から創刊され
、 のち にこ の派 の最も有力な発表機
関 となった『文學 時代』は、もとも
と昭和四年四月号までで
廃 刊された
『文章倶楽
部
』 の 後身だったため、最初から軽評 論とモダニズムの読み
も の 中心に編集され、い
わ ば新興芸
術 派 の結成
を う な がすような役割を
早くから 果 し てい た商業雑
誌 で ある。
[
…]
こ う した風潮のな
か で 新 興芸術派の中心的な作家た
ち は
、 ま すます「
色 彩 と刺戟、衝
動
」を 求め、い よいよハイ・スピード
を 目 ざし、しだいに刹那的、享楽
的 な 傾向 を強めて、
ジ ャー ナリズム
に煽られる ままにアクロバット
的な作
風 に 進 ん で いった
。 小田切は
このように、新興芸術派倶楽部が芸術派の「大同
団結」
で あり、
「 提唱者は龍膽
寺 雄と久野豊 彦 で
、それに浅原、吉行ら『
近 代 生活』系のグル
ー プが 中村武羅夫をおした
て て 動 いた の で ある」と述
べ た 上 で、
「 こ う し た風 潮 の な か で新興
芸 術派 の中 心 的 な作 家 た ちは
、ま すま す『
色 彩 と刺戟
、 衝動
』 を 求 め、い
よ い よ ハイ・ス
ピ ー ドを 目ざし、し
だ いに刹那
的、享楽
的な傾向
を強め
て
、ジャー
ナリズム
に煽ら れるままにアクロバット
的な作風に進ん
で いった
」 と新興芸術派の様式
を 概括した(2)。しかし、久
野
(3
)嶋田厚「久野豊彦年譜
」
(『ブロッケン
山の 妖魔
』
、 二〇
〇 三
・ 三
、 工 作舎
)。
第一 編 モダニ
ス ト久野豊彦の様式(
N A K A M U R A M i h a r u
の様式に的確に妥当するのは
、 ある意味
で の
「アクロバット
的 な作風」
で あ っ て も、「刹那的、享楽
的 な 傾向」
や
「ジャーナリズム」偏向につい
て は
、その作
風か ら 見 て割り
引 い て 考 え る 必 要がある
。本 稿 は
、 横光利一
を凌ぐ生粋のモダニス
ト・久野豊彦の様式
を
、概 略 的 な見取り図
の もとに展望す
る も の で ある。
嶋田厚
に よる年
譜 に従 うと(3
)、小
説 家・経済
学者の久
野豊彦は、一八九六(明治
)年に名古屋
で 29 医師の家に生ま
れ
、一九二三(大正
)年に慶應義塾大学を卒業後、
守 屋 謙二らと同人誌『葡萄園』を
発 12 刊 し たのが最初の本格的な創作活動とな
った。一九二五(大正
)年には、
横 光利一
・ 川端 康成 らの『文 14 芸時代』
九 月 号に「一九二
〇年代の人間紛失
」 を 発表、翌年、『三田文
学』四月号に「ある転形
期 の労働 者」、『
新潮』
一
〇月号に「桃色の象牙の塔」
を 発 表 するなど、新
時 代 の作家とし
て 注目 を集めた。その 後
、
『手帖
』 や『近代生
活』の同人となる
。一九二七(昭和2)年一二月に
、第一作品集
『 第 二の レエニ ン』(
春 陽 堂
)を 刊行し、
一九三〇年に新興
芸 術派倶楽部に参加した時には、既
に 作 家 として
相 当 の キャ リアを積ん
で い た
。同年一〇月に、『中央公論』に共同制作「一九
三
〇 年
」を浅原六朗・龍膽寺雄との共 著と して 発表し、共
同 制作の方法
を も推 し 進 めた。これと
並行して
C
・H
・ダ グ ラ スの信
用 経 済 学 の 理論 に傾倒
し
、 一 九三一年か
ら 刊行を開始した
『 ダグ ラ ス 派経済[学
] 全集』(春陽
堂
) の第六、八
巻 の翻訳 に携わ
っ た。
また 一九 三二(
昭 和 7
) 年 六月から
一〇月ま
で
、
『時 事新報』に経
済小説
『 人生特急』を
連 載 し て、一一月に千倉書房より刊行し
た が、発禁処分
を 受 けた。浅原の出資
で「レッ
ド・ア
ン ド・ブルー クラブ」
に龍胆寺
、吉行
と ともに参加
し、また浅原
との 共著『新社
会 派文 学』(厚生
閣
) を 同年七
月 に刊 行した。その
後 一 九三五年には日
本 大学 芸術学部
教授および参与、
一九四四年には日大を
辞し、知多半
島
モ ダ ニ ス ト 久 野 豊 彦 と 新 興 芸 術 派 の 研 究
( 中 村 三 春
)
大野町に疎
開 し、戦後は、一九五三年に名古
屋商 科大学教授に赴
任
、一九七〇年に停
年となり渡米、翌年 ロサンゼルス
で 死 去 し て い る
。 久 野 豊彦には、三つの顔
が ある。
一 つは前衛小
説 作 家 とし て の 顔 で
、久野はもは
や「何々派」
を超えた、
日本近代文学史上、希有な作
家 と言わ
な けれ ばならない。
強い て 類 例の作家を
挙 げる ならば
、 横 光 利 一
、 稲垣足穂、萩原
恭 次郎、安
部公 房、筒井康隆
、高橋源
一郎 らとの
親 近 性 が考 えら れる
。第 二の顔
は
、 経 済 学者 とし て の 顔 で あ る
。C・H・ダグ
ラ スの信用経済学を
研究し、その普
及 に努めるとと
もに、ダグ
ラ ス 理論を
文 芸理論にも適用し
ようとして
論 陣を 張った。久野が新興
芸 術派以後にいわゆ
る新社会派
へ と 移 行 した理由の一
つはここ
にある。
第 三 の顔は、諜報理
論・ソ
連 動向論を含む、処世術・人
生論のエッセ
イ ス ト・
啓蒙家として
の 顔 で あ る。
戦前・戦
中期の久
野の活
動 は、まだまだ未
解 明 の 部 分 が大き
い
。 手 始めに
、 久野の文
芸理論
を まとめ
て みよう
。
1
久野豊彦の文芸理論
まず 初めに、久野の
文芸理論の概要で
あ る
。「小説構想
の断 想」(『虚
無 思 想
』大
・6
)という
初期 15 の評論は、その後の久野の文芸理
論 の展開を
予告す
る 重要 な論説で
ある
。 小 説 の シ ニ フ ィ アンにお
いて は 非 常 に派手に突出す
る ことの多い久野のテク
ス ト で あ るが
、その理論は、むし
ろ 極め て 論 理的でオ
ーソド ック スと さえ言えるもの
で ある。新興芸術派の時代に
なっ て か ら の 久野の発言は、時評的な要請
に 引きず られて
か
、集 中力 がやや
落 ち る も の もある。
実際、
昭 和初 年代の久
野の 発言 の大半は、
時 評か座談会
な ど
第一 編 モダニ
ス ト久野豊彦の様式(
N A K A M U R A M i h a r u
のものが多
い
。「小説構想の
断 想」は、論点がよ
く整理された評論
で あ り、無用
な 駆 け 引きがな
く
、 久野 の理論
を 展望するのに適し
て い る。
(1)未来派・構成派
第一は、アヴァンギ
ャ ル ド 文芸の理論
で ある
。いま
だ 形式 主義文
学 論争が起
こっ て い ない時期の評論
で あるが
、 その主題は内容と形式との関わり
を め ぐ っ て 展開する。ここ
で 久野はまず
、
「内容」と「表現形 式」との軽重を問題にし、「しかし、何れも馬鹿げ
た こと で は ないか
。 何故なら、素破しい内容は素的な
ママ
表 現 形式に依らなければ、第一、成立
し よう がないか
ら で ある」と述べ
て
、 両者の均衡
を 主張する。ただ し、「現代の芸術は、昔ながらの芸術の如く、しみつ
たれ た乳母で
は決して
あり 得な い。
最高の観念
的 情 緒的内容は、
高速 度の表現形式に
依 存する。
そして
、 明快に、一見
し、
一読すれば
、 そ の 芸術より享け
る 感 銘 は即 ち生 活現象と全
き 符 合 をな す こ と を 意識 する であらう」とも述べ、
次のように
主 張 す る
。 一個
の作品を
評価するにあた
り
、 A は 極 め て
、内 容を 偏愛する。B
はし ばしば
、 表現形
式 を 偏 重す る。
そして
、 A と Bとは、間断もな
く、
火花を
散 らす の で ある。し
かし、
何 れ も 馬鹿 げたこ
と で は な いか
。何故
な ら、素
破 しい内
容 は素的
な 表 現 形式 に依 らなければ、第一、成立
し よう がないか
らであ
ママ
る。形式
主義が、内容的たるこ
とを 拒 否 し、詩
、 それ自身さへ
も、
無 内 容たらんと
し
、言 葉は即ち
、 思想なるがために、単に、思想
や 音 の 連鎖 を 求 め、形
式
、音、色彩、
平 面
、容積の総和
を 以つ て
、 芸 術の 全量たらしめる
の は、畢竟、内容
を 架空化
せ んとする
がため
で ある。
チエーホフは云ふの
で ある。
モ ダ ニ ス ト 久 野 豊 彦 と 新 興 芸 術 派 の 研 究
( 中 村 三 春
)
「 現 今 の 芸 術 は 神 を 失 つ て ゐ る と
! 芸 中 は 何 を 教 ふ べ き か を 知 ら な い と
! 又
、 理 想 を 持 つ て は ゐ な いと!従つ
て
、 如 何に偉大なる技
術 家 で あらうと、
斯る条件の
もと にある、芸術家
は 芸術家で
はあり 得な い と
!
[
」]
しか し、現代の芸
術は、昔ながらの芸
術 の如く
、 しみつたれ
た 乳母 では決し
てあり得ない
。最高の 観 念 的情 緒 的 内 容 は
、 高 速 度 の 表現 形 式 に 依 存 す る
。 そ し て
、 明快 に
、 一 見 し
、 一 読 す れ ば
、 そ の 芸 術より享ける感銘は即
ち 生 活現象と全き
符合を
な すこ と を 意識する
で あ ら う
。[…]
ペリ教授
は 短 篇 を し て
[
]
と 述 べ て ゐ る
。 し か し
、 現 代 の 新 興 芸
Notwithwholeowholebutfragments
術は、すくなくとも、
の 総 知[
和]にあらざれば、そ
の作品は成立
し得ない
もの である
。 何故
climax
ならば、現代のあらゆる現象は、すべて
力動 し力走
し、瞬間的に変化し
て
、直線になり
、忽 ち に し て
、 曲線化し、一切の現象は痙攣的跳躍をして、同時同存
するから
で あ る。二十世
紀 は力学的の世
紀で あ る。一個
の 局 面に、事件に、人間に、すべ
て
、運動の幻
影 が流れ
て ゐる。そ
れ故に、制作されたる、
芸術品は
分割し
た る
の 力 学的総和
で あ り、即ち
、 こ の 同時同存
する
は 幾 何 学 的 に
、 な い
climaxclimax
しは 代数 学的 に組 織化 せら れ、
こ こ に
、 全 き 作 品 の 結 構 を なす の で ある
。 表現形式を核と
し て 内 容との統一を図るとする基軸の
上に、「
の 総 和
」 と し て
「 現 代 の 新 興 芸
climax
術」
を 構 想する。ここで言われる「
」 と は
、 力 動
・ 力 走
・ 変 化
・ 跳 躍 を 伴 っ て
「 同 時 同 存
」 す る よ
climax
うな、個々
の 表 現 の 突出 で あ る
。
「二十世紀は力学
的の世紀で
あ る。一個の局面に、事件に、人間に、
す べ て
、 運 動の幻
影 が 流 れ て ゐる」とい
う 観測 は、未来派の
発想 を思 わせる。「幾何
学 的に、
な い し は代数 学 的 に 組 織 化 せ ら れ
」 と す る 行 文 に は
、 構 成 派 の 要 素 も認 め ら れる。速度・交通・機械・メカニズムを尊 崇した未来派の
様 式と、素材を人工的計算のも
と に構造化する構成派の主張とが、こ
の論説の基礎
を 成 す
(4
)前掲・山崎「久野豊彦
に お け る一九三〇年前後
」は
、
「 初期の『葡萄園
』 以降、『一九二〇年代の人間喪 失』『
ナ タアシ
ア 夫人の銀煙管』
『 化 粧 学校のファスシス
ト』をはじめ、作
中に
『未来派』の
言葉がみ
え
、
『化 粧 学校のファスシス
ト』に
は アポ リネールやマ
リネッティ
の 氏 の 詩の引
用 も見られる」
と指摘し
ている。ま
た
、嶋田 厚「久野
豊 彦 と新感覚
派」(『
文 学
』一九七
四・一
) は、未来
派美術の前衛
で あ った神
原 泰 や
、ドイ
ツ か ら 構成主 義を持ち帰
っ た村 山知義と久
野 との関
わ りにつ
い て論じ
て い る
。
第一 編 モダニ
ス ト久野豊彦の様式(
N A K A M U R A M i h a r u
(4)。また、そのような「現代の新興芸術
」には、それにふさわしい「新文章
法
」 が必要
で あ る と言う。
次に 起るべ
き 明瞭なる
事件は新文章法の
運 動 で あ るも久しき
に 亘り、かの
静 かなる美学は
、均 斉的 にして
、 無力なる、しかも、
あ まりに、
な が たらしき
複文、合成文の旧文章
法 を 具備して
ゐたので
あ るが、形
式の 激変と同
時に、こ
れま た、崩壊して
、 新 文章法の同
共 作業が開始され
た の で ある。最も
ママ
著名なるは文章の
機械 化、力動化、架
空 線化 で あ る。
また
、音楽化
で あ り
、 絵 画 化 で ある。
[
…
] 云 ふま で も なく
、 言 葉 は 確定 したる
或物 で あ る。音色
は唯物的根底
を持たない。
極め て、無
拘 束 な る も の で ある。アリス
トオトルは音
楽を以つ
て
、 それ自
身 以外の何
物 を も表現しないと
断 言し てゐる。し かして
、 独立せ
る 名詞 の自 由なる羅
列
。 動詞 より変形
ぜる 形 容 詞 の テ ノ オ ル
。 強 劇な る不 定動詞。
自
ママ
由語の
爆 音等、等!
言 葉 は唯物的なる音色で
は なからうか。[…
]かくして、
新興の文字はいまや 聴覚、視覚の共同作用を要求し
だ した。文字、
別 し て
、 触覚的の漢字が
い かに、絵
画 的 で あるか!
文字の起源にさ
か のぼれば、何人も
に 直 面するで
あらう。平仮名が
またいかに、欧羅巴文
hieroglyph
字 の それに似たる、柔らか
き 感 覚を与へて
ゐ る こ とか!片仮名が、いかに、
平 民 的にし
て
、 メ タリツ クであるか
。 何故に日本のプロレタリア作家が
片 仮名 を尊重
し て使用
し ない の で あらう!
更に 数字的
(5)「彼はシンタ
ッ クスを乱暴に破壊し
て 話しだすだろ
う。
文を組
み 立 て るの に時間をむ
だ にす ること
は ない だ ろう。文章の彫
琢 や 微 妙なあやを
軽 視し、自分の視覚、聴
覚、嗅
覚 が と らえ た印象を、そのほとばしる流れ
の まま に、息を
きらし
な が ら 性急に諸君
の 神 経 にぶつけ
てくるだ
ろ う
」(フィリッ
ポ・
トマーゾ・マ
リネッ
テ ィ「無線想 像力と
自 由な状態のことば未来派宣言」、
『 未来派
1 9 0 9 1 9 4 4 』、一九
九 二
、東 京新 聞)
。
-
モ ダ ニ ス ト 久 野 豊 彦 と 新 興 芸 術 派 の 研 究
( 中 村 三 春
)
感覚に至つ
て は、特に、
日 本には二様の
異 な れる感覚を発見し得るの
で ある。
また、現
在、わ
れ われは、しばしば
、大小さまざ
ま な る活字の横転
上 下せ るを
、一 編の 小説 内に目 撃し、或はまたこ
れ を 自らも使役せんとし
て ゐる。[…]いま
や、印刷
術 の 素的なる発達と相呼応し て
、 文学 はいよいよ、共
同作 業の実を
あ げ ん と して ゐる。こ
れを
、絵 画の方面に於て
見 るに、絵
画が 文字を移植して
、 いかに、困難しながら効果あ
る 仕 事 を な して ゐる か!試みに、
の
、
KurtSchwitters
詩画 集よりその一例
を あげ てみよう
。
「新文章法」の趣意は、伝
統的な
冗 漫文体
に 対し て
、
「文章の機械化、力動化、
架 空 線化」
で あり、ま た
「 音楽化」「絵画化」にほかならない。ここにも一種の
未来派的な方法論
が横溢し
て い る
。 それは今日 の用語
に 置き 換えれば、エクリチュール、シ
ニフィアンの重視と
い う こ と で あろ う
。 言葉の「音
楽 化」は、
言 葉 を 言 語記 号と して 一旦
、 対 象 化 し
、 いわ ば 音 記 号 を も って 楽 曲 を 構 成す る音 楽 の よ う に、言
葉 を 要 素 とし て 人 為 的 に再 配 置 し た テク スト の形 成を 言 う の だ ろ う
。 そ して
、 そ れ が 記 号 学 的 再 配 置 で あ る 以 上 は
、 言語記
号 の使用方法は
、徹底的に自由
で 独 立 した用法とならざ
るを得ない。こ
の
「自 由語」という
用 語に も、「未来派
の 自 由語」の響きが
ある(5)。要
す るに 音楽記号と同
じだけの自由度
を
、言語記号にも与 えよ うとするの
で あ る
。そして
、具体的
に は、文字に「
聴覚、視覚の共同
作 用」を
求 め、
また
「触覚的の