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契沖の和歌──『詠富士山百首和歌』をめぐって──

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(1)

契沖の和歌(石田)八五   学者契沖と歌人契沖

  沖〔七〈四〈は、

(1)水戸彰考館の寄人として『万葉代匠記』の編纂に関わり、後に契沖の門人のひとりとなった為章は、その随筆『年山た「」(午〔五〈〉〕半部で、契沖が悉曇文字や漢籍に精通していたこと、日本紀をはじめとするあらゆる国書を読破していたこと、また「専好倭歌博探歌書」(日本随筆大成第二期

ている。為章は、計十三作に及ぶ契沖の著作【表 水戸光圀(源義公)からの依頼で『万葉代匠記』を執筆するに至った経緯を、後半部では、契沖の業績の総括を述べ

16

所収より)すなわち和歌に専心していたことを記し、中盤では、

1

参照】を挙げ、仏教関係の著作も若干存することを特筆する。総       

(2)

八六 表1  契沖の著作年譜   西  年齢       

寛文十一六七〇三一下河辺長流『林葉累塵集』

延宝二一六七四三五和泉国池田村万町の伏屋へ

   一六七八三九妙法寺住職となる    一六八一四二『漫吟集』(自撰漫吟集・契沖延宝集)四月下河辺長流『自撰晩花集』(長流延宝集)

天和三一六八三四四『万葉代匠記初稿本』起稿

  『詠富士山百首和歌』

妙法寺蔵

貞享二一六八五四六『妙法寺記』

   一六八六四七『源偶編』『正語仮字篇』長流、没。六三歳    一六八七四八『詞章正採抄』『万葉代匠記初稿本』成稿

元禄三一六九〇五一『万葉代匠記精撰本』成稿円珠庵に隠棲

   一六九一五二『和字正韻』『厚顔抄』

   一六九二五三『百人一首改観抄』『古今余材抄』『勢語臆断』

   一六九三五四『和字正濫鈔』成稿    一六九五五六『河社』『和字正濫鈔』刊行    一六九六五七』『』()『この頃『拾遺集考要』首書新撰菅家万葉集』刊行 似閑・若冲らに『万葉集』を講義    一六九七五八』『』『』「氏文集」を書写(九月)『延喜式取要』『延喜式密門宝鍵』

(3)

契沖の和歌(石田)八七 じて「契沖行実」は、僧侶としてまた古典学者としての契沖の偉業と人柄を讃える見方で一貫しているのだが、和歌は「乎。と、さ・方、

業。也。べ、の著述にあることを強調し、和歌はその余事であったという言でしめくくる。

  は、家・者・

(2)七(三〈に、て、し、記、今集余材集、百人一首ノ改観鈔、和字正濫、源中拾遺、川社、雑記、勢語臆談を始数部の書を著し、先達不勘の誤を正し、古人未発の義理を明にするに、旧文に徴を取、後学の亀鑑となす事多し。誠に千載の一人ならくのみ」とあるのが、早い時期の評として注目される。南嶺は、契沖の学問が革新的であったのは、語義・解釈を先行文献の事例を徹底的に博捜したうえで検証し正したことと、後学の模範となる点が多々あったことにあると述べ、徹底した博引考る。た『も、の才、時殊にして弟子とならざりし事くやむにいとまなし。日本開闢以来かゝる人まれにぞ。荻生先生、此人、和漢才、」(嶺『一・七(三〈

(3)   十一一六九八五九『和字正濫要略』

  十二一六九九六〇※若山棐刊行『富士百首』の原本末尾の文章執筆   十三一七〇〇六一萬葉集竟宴幷びに竟宴和歌   十四一七〇一六二正月二五日、寂。六十二歳

(出所) 右の年譜は、久松潜一『契沖』(一九六三年吉川弘文館)所収「略年譜」ならびに同『契沖伝』(一九六九年至文堂)所収「契沖年譜」をもとに作成した。

(4)

八八

荻生徂徠と並ぶ「日本開闢以来」の「和漢両論の才」と契沖を評し、傑出した学才を讃えている。

  他方、契沖の和歌研究については、「然るにたゞ万葉を以て主として、後世の歌を論ず。…(中略)…杜預に左伝のり。り。し。」(』)と、る。は「」(代に固有の興趣)を顧慮しないものであるとして、契沖は歌学の達人ではあるけれども歌道の達人ではないとの見方を示すのである。

  これらの評言からみてとれるのは、契沖の没後約五十年後の識者に、その学問の画期性が徹底した考証の方法にあと、た、は、る。

  ら、

(4) あし わけ

ぶね』(宝暦七〈一七五七〉年頃の執筆か)に記された次のような言も見逃すことができない。

  冲師ハ、ハジメテ一大明眼ヲ開キテ、此道ノ陰晦ヲナゲキ、古書ニヨツテ、近世ノ妄説ヲヤフリ、ハシメテ本来ノ面目ヲミツケエタリ…(中略)…予サヒハヒニ此人ノ書ヲミテ、サツソクニ目ガサメタルユヘニ、此道ノ味、ヲノツカラ心ニアキラカニナリテ、近世ノヤウノワロキ事ヲサトレリ、コレヒトヘニ冲師ノタマモノ也、

テ、ス、モ、タヽ万葉時分ノ本来ノ体ノミ也、オシキ事也、故ニ冲師ハ道ヲシラズト云人アレド、サニハアラズ、冲師ノ云ル事、〳〵ハ、也、テ、リ、 ツテ詠歌ハトヲク定家卿ヲ師トシテ、ソノオシヘニシタガヒ、ソノ風ヲシタフ、歌学ハチカク契冲師師ヲ師トシテ、ソノ説ニモトツキテ、ソノ趣キニシタカフモノ也(『本居宣長全集』第二巻所収・筑摩書房/傍線稿者)

(5)

契沖の和歌(石田)八九   宣長はここで、①契沖は、中世以来の古今伝授を重んじる歌学の「妄説」を考証によって糺すという大きな功績を残した先学であるが、②その注釈にあたっては訓詁にのみ重点が置かれ、歌の詠み方や風体などについては論究されない、③それゆえ自分としては、詠歌の道(歌道)は定家を師とし、和歌の本意を明らかにする道(歌学)は契沖をる、る。る。に、堀景山から借りたと思しい『百人一首改観抄』を読んで契沖学に開眼し、以後、宣長がその学問に深く傾倒した

(5)。『で、た。は、大きな影響を契沖から受けたということになる。契沖の学問に感化された宣長が憾みとするのは、歌の注釈において訓詁に重点が置かれるものの、歌の詠み方や歌風・情趣などには論及されず、自らの詠作も万葉風のものが多いという点であった。契沖の古典研究が画期的かつ傑出したものであるという認識を、宣長もまた共有する者のひとりであったにもかかわらず、その歌業についてはほとんど触れていない。  の、究(作(は、た。実、九〈た『』(』『』)

(6)補・た『

(7)は、ば、』『』『』『』『』『り、編『』『も、る。は、た。本『

(8)西行・で、と、後、も、て、は、し、とからん人は、これにおどろかざらめやは」と、和歌の真意を解する読者は、この家集から神来を得るであろうとの

(6)

九〇

見解が開陳されている。

  『万葉集』

『古今和歌集』をはじめ、古典和歌に関する学問的業績が夙くから高く評価されてきた半面、和歌実作者は、い。稿は、歌をとりあげ、その表現の特徴を検証することを通して、契沖の歌業の内実ならびに契沖の学問と和歌詠作との関係を考える糸口を探ってみたい。

  『詠富士山百首和歌』について

されていることがわかっている【表 ある。本作は『漫吟集類題』にも収められているが、契沖の生前に単独の著作としてまとめられ、没後たびたび刊行   『』(下『』)は、

2

参照】

下のとおりである。 本文の底本「西尾市立図書館岩瀬文庫蔵版本」ほか四つの写本・版本についての久松潜一氏による解説の概略は、以 」(か、る。 )・」()、」(西)、」()、 る。写本には、「富士百首」(貞享四年自筆・大阪円珠庵蔵)など五本があり、版本には、「天明二年版」(岩瀬文庫蔵   『』「は、て「首・歌・

二〈一七八二〉年一月十五日)

1

西本〈本・箋「に「」(

2

.妙法寺本/妙法寺蔵・写本・契沖自筆/天明二年版と歌順の違いはあるが、歌の出入りはない

3

.元禄九年奥書本〈一六九六年〉/伝平瀬露香旧蔵・自筆本・所在不明/天明二年版と歌順の違いはあるが、所

(7)

契沖の和歌(石田)九一 在不明のため歌の出入りについては確認できない/契沖による奥書あり

4

本〈じ。版。刊行に際しての安田躬弦の一文、来歴についての村田春海の一文が付されている

5

.寛政十二年版本〈一八〇〇年〉/契沖真蹟の模刻/契沖による奥書/天明二年版と歌順の違いはあるが、歌の出入りはない/若山棐による序、荒木田久老による跋が付されている

  こうした書誌的情報から写本の流布・版本の刊行を概観すると、『ふし百首』(岩瀬文庫本・天明二〈一七八二〉刊)以降、天明七〈一七八七〉の『漫吟集類題』刊行を経て、寛政年間から天保年間にかけての時期に本作が広い読者層を得る作品となったことが知られる。

二〈一八一九〉に刊行された『水無瀬殿冨士百首』のによる序の、次のような一文がある。(9) はまおみ  『が、降、て、

ちかき頃、歌人の家にもてさわぐ円珠庵阿闍梨の不二百首といふもの有けるにも、歌ごとにひとふしありて、詞巧にこゝろあたらしくよみ出られしものなれば、世のめでものにするもことわりぞかし。(国会図書館本より翻刻。なお原文の清濁を分かち、適宜句読点を付した)

て成立したものと推測している。 は此中納言の百首を本にて是にならひてよませしにや有けむ」と、契沖の『詠富士山』はこの氏成の百首歌にならっ ど、い。は、里( 的な富士山詠を踏まえた詠作ばかりでなく、たとえば写し絵の富士山と実景とを比す発想の一連や、富士山と桜花を 山詠百首をまとめたもので、これを目にする機会を得た浜臣によって刊行されることとなった。本百首歌には、伝統   『殿は、二〈元〈 うじなり

(8)

九二

 

2

契沖著作の刊行年次 年号西  没後刊行された著作(和歌に関するもの) 

  

  

元文四一七三九『和字正濫鈔』刊

延享五一七四八『百人一首改観抄』刊寛延元年

寛延三一七五〇※多田南嶺(義俊)『南嶺子』

宝暦三一七五三※多田南嶺(秋斎)『秋斎間語』

天明二一七八二①『ふし百首〈詠富士山百首和歌〉』(岩瀬文庫蔵本)刊 龍公美筆写校訂『漫吟集』(四冊)刊(岩瀬文庫蔵本・簗瀬一雄氏による翻刻が碧冲洞叢書第九十四輯に所収)

天明七一七八七『漫吟集類題』刊(二十巻四冊本。下河辺長流序・龍公美の校刻本をもとに再編集された『漫吟集』

寛政二一七九〇※伴蒿蹊『近世畸人伝』(五巻五冊)

   一七九二『勝地吐懐編〈勝地吐懐篇補註〉』刊伴蒿蹊補注    一七九七『河社』刊※中川昌房『契沖事蹟考』

十一一七九九②『詠富士山百首和歌〈契冲法師冨士百首〉』刊寛政十一年版刊  契沖真蹟の模刻

十二一八〇〇③『詠富士山百首和歌』刊

享和二一八〇二『勢語臆断』刊

文政八一八二五※大田南畝『仮名世説』

(9)

契沖の和歌(石田)九三   は、れ、一〈は、 やす つる歴についての むら の文章が、寛政十二年版には、 わか やま ひさきによる序文と あら ひさ おゆによる跋文が付された。「歌のしらへのをゝしきも、鳥の跡のみやびたるも」(躬弦)、「よくいにしへ人の筆のこゝろをまねひ得たる」「歌もおのつ」()、 綿 わた がは のせ たづす、 おふし(は、を、る。は、二〈 こう ちょうである。

者、也。格調高下如何。已至如其書、則余所好…(中略)…余竊謂、昔王右軍為善書、所其徳、論者以為憾、如師之書、世亦唯称其学而識其佳手者少矣。甚可。是以余特為摹刻、以伝云

高昶は、中国の「 おう ぐん」( おう )に匹敵する書の「佳手」(名人)として契沖を称え、その筆跡を広く世に伝える 天保四一八三三④『詠富士山百首和歌〈冨士百首〉』刊

   一八三四『源註拾遺』刊    一八三六⑤『詠富士山百首和歌』刊

) は、一『』(年・の「に、巻(年・閲/大川茂雄・南茂樹共編・名著刊行会)を参照して作成した。

(10)

九四

に『る。弦・海・棐・

作の再版に繫がったと考えられる。 の国学者・歌人やその周辺に集った人々に本作が顧みられ、彼らによる歌人かつ能書家としての契沖の再評価が、本 つ、る。た、門( あがた 10

  の『は、ば、集『』(十〈に、し、  て『か、編『 うら たま末(二〈に、「ふじの歌の中に」として(  〕内は、『詠富士山』の重出歌の歌番号。以下同様)

ふじ川のたゆることなくゆきかへりみるともあかじ雪のたかねは(二〇八)〔八三〕雪の山人の国にもきこゆれどわがふじの根ぞ高くたふとき(二〇九)〔八五〕

の二首が収められていることなどからも、その一端を知ることができよう。

  た、元〈歌『

て読者の裾野をいっそう広げていた実態をうかがい知ることができる。 た「」(え、 」(や、」〔う『 花咲」(二十六ウ)、「登るより空にま近き富士の嶺は心にかくる雲のかけはし」〔一八〕を本歌とする「ふじさんに登 」〔る「 11は、の「

は、集『』(十〈   『を、も、い。

(11)

契沖の和歌(石田)九五 九(雑歌五)に、「ふしの哥あまた読ける中に」の題で収められた次の三首である。

富士のねに昔くたりし天をとめふりけむ袖や今の白雪(一二九七)〔四七〕ふしのねにをよひて高き山のへのあやしき哥も雪とふりつゝ(一二九八)〔一九〕やま人のすめる山とやとこしへに夏冬ゆきのふしにみゆらん(一二九九)〔五二〕(『近世和歌撰集集成』第一巻)

「ふしの山をよめる」という題で、 る。た『』(七〈も、 下歌人らとの交流の中で、『契沖延宝集』や『契沖法師富士百首(富士百首)』に収められるような歌々が詠出されて   『は、り、

都にてこゝろのなせるふしのねはふもとを見てもふもとなりけり〔五〕富士のねのしろきをみれはそめいろの山のみなみも東なりけり〔八〕(佐佐木信綱編『契沖全集附巻長流全集  上巻注釈及歌学』

り、四・が、九〈た『』(』)と、集『』(の、首(に、て、て見んとてよめる  契沖冨士百首、みつからかきける本もて、先に梓に行はるゝゆゑに、畧す」と記されることなどを併せ考えると、少なくとも長流没の貞享三〈一六八六〉年頃までには、契沖は、詠みためていた富士山詠を百首歌にまとめていたと推測される。

参照

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