はじめに
ベルギーのルテルム首相の辞任が内閣報道官により発表されたのは、2008 年12月19日(金曜)、現地時間で17時33分(日本時間では+8時間、翌20日 午前1時33分)のことであった。
ベルギー憲法の今現在の動き、特に国家改革、に関心を持っている筆者は、
インターネットでベルギーの政治関連報道に目を通すのを日課にしているの で、12月17日水曜以来の首相を取り巻く情勢の急速な悪化を知っていた。指 摘されている「事実」の重大さからしてもう持ち堪えられないのではないか と思えたので、19日の夜「第4回日本ベルギー学会」が始まる前に、出席の ベルギーの外交官に「首相は辞任することになるのだろうか?」と自分の判 断を確認し、同時に新しい情報を得るために質問した。事実が報道通りであ るなら、今後の見通しが厳しいということでは私達は意見が一致した。筆者 が首相辞任の事実を確認したのは、翌20日午前8時半のニュースでであった。
たった一日で事態は大きく動いていた。
ベルギー首相辞任の影響
―― 今何が起きているのか? ――
武 居 一 正*
* 福岡大学法学部教授
−219−
(1)
本稿は、我が国の報道では詳しい紹介・解説がされていない首相の辞任の 背景と原因を明らかにし、辞任のベルギー政治への影響を知ろうとするもの である。この作業によって、筆者の本来の関心事、「国家改革」=憲法改正の 取り組みへの影響を把握したいと考える。
第1章 ルテルム内閣の金融危機への取り組み
第1節 米国発の金融危機の欧州への波及
1929年の「大恐慌」以来「100年に一度か、50年に一度の事態」(米連邦準 備理事会〔FRB〕グリーンスパン前議長)と指摘される危機に世界は見舞 われている。07年8月の仏大手銀行 BNP パリバ(Paribas)による傘下ファ ンドの資産凍結で始まった信用収縮は、08年3月の米証券大手ベアー・ス ターンズの FRB による救済、7月の地銀大手のインディマック・バンコー プの破綻、9月の投資銀行(証券会社)リーマン・ブラザーズ経営破綻にま で発展した。他方で、米当局は保険大手のアメリカン・インターナショナ ル・グループ(AIG)を救済したが、当局の対応のぶれから不信感が増大し、
米金融機関が相次ぎ経営不安、危機に陥った。9月末には米国発の金融危機 が欧州に飛び火*1し、日本でも大和生命が破綻し、世界中に広がることになっ た*2。
各国は公的資金による資本注入など対策に動き、欧州ではユーロ圏15カ国 の緊急首脳会議が開かれ、金融市場の機能回復を目指す共同行動計画が策定 された*3。因みに、我が国でも公的資金の予備的注入を可能にする「金融機 能強化法」が改正され(12月16日)、金融危機対策が図られた。
第2節 ベルギー政府の対応:フォルティス救済
このような流れの中で、ベルギー政府は、9月28日、経営難に陥ったベル ギー・オランダ系金融グループでベルギー最大の「フォルティス(Fortis)」
−220−
(2)
を、オランダおよびルクセンブルグ政府と共同して112億ユーロ(約1兆 7000億円)を出資し(公的資金投入)、「部分的国有化」をすることにした*4。
このフォルティスとは、英ファイナンシャル・タイムズ社の評価では、
2008年度世界の銀行トップ22位にランクされている大手銀行である。07年10 月に英ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドおよびスペインのサンタン デール・セントラル・イスパノ銀行と共同でオランダの ABN アムロ銀行を 700億ユーロで買収した(フォルティスの負担は240億ユーロ。これが高い買 い物とされた。)*5ことに端を発した、同行の資金繰りの悪化などの流動性確 保に対する懸念および業績悪化から、欧州での信用危機のあおりを受け、株 価が急落し*6、経営危機に陥った*7。
ベルギー、オランダ、ルクセ ン ブ ル グ の3カ 国 政 府 は、欧 州 中 央 銀 行
(ECB)トリシェ総裁と協議の上で、3カ国の銀行・保険の市場で大きな シェアを持つフォルティスが破綻すれば影響は計り知れないので、公的資金 投入で救済し、危機回避を図った。3カ国政府は各国法人の株式49%を取得 することにした。こうして、ベルギー政府は47億ユーロ出資することになっ た。
このような取り組みにも拘わらず、資産内容の悪化に歯止めがかからない ので、10月3日、オランダ政府はフォルティスを100%国有化することにし た*8。
残りのフォルティス事業の再編に向けた対応を迫られたベルギー政府は、
5日、47億ユーロ追加投入してフォルティスのベルギー法人への出資比率を 99.93%に引き上げた後、その75%を BNP パリバ銀行に売却することにし
た。具体的には、BNP パリバはフォルティスのベルギー銀行部門の75%と、
ベルギー保険事業の全てを取得する(加えてルクセンブルグ現地法人の株式 67%買収)。これに対しベルギー政府は、BNP パリバの82億5000万ユーロ
(約1兆2000億円)相当の新株を取得し(株式の11.7%に相当)、筆頭株主
−221−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(3)
になるというものである。この買収で BNP パリバは、預金量でユーロ圏最 大の銀行になることになった*9。
ベルギーのルテルム首相によれば、今回の対策は「預金者・利用者・銀行 員(破綻すればブリュッセル本店だけでも3000名が失業する)の利益および ベルギー経済の利益を守るため」であった*10。
第3節 訴訟の推移
欧州で深刻化する金融危機を受けて、ベルギー政府は、このように金融機 関への公的救済を果敢に推し進めて対応しようとしたが、売却決定に際し意 見表明する機会を与えられなかったことを理由に、売却に反対する約2100名 の小株主がフォルティスを相手に提訴したのである。
ここでは、訴訟の推移を簡潔に辿ることにしたい。
11月18日 第一審のブリュッセル商事裁判所は、急速審理を行い、原告の 請求を棄却する採決(ordonnance)を下した。すなわち、売却を停止せず、
株主総会開催要求も認めなかったが、価格が適切であるかどうかを検討する 専門家から成る委員会設置を命じたのである*11。
12月12日(金曜) 第二審のブリュッセル控訴院第18部は、急速審理を行 い、今度は反対に原告の請求を容認する判決を下した。すなわち、売却を凍 結し、遅くとも09年2月16日までに臨時株主総会を開催してフォルティスの 将来について株主の意見を聞くように命じたのである*12。原告の大勝利で あった。つまり、10月3日・5日にフォルティスによりなされた決定は全て 株主によって承認されなければならなくなったからである。結果として、危 機に即応しようとしたルテルム内閣は冷水を浴びせられた格好となった。
ところが、それだけに止まらなかったのである。
−222−
(4)
第2章 フォルティス事件 の発生
第1節 控訴院判決後の動き
12月13日(土曜) 控訴院の3人の裁判官のうち1人が判決に署名してい ないことについて、連邦投資公社(Socie´te´ fe´de´rale de participation et d in- vestissement,以下 SFPI)の弁護士が、それ故に判決は違法だとの情報を 流し、De Standaard 紙と Het Nieuwsblad 紙が報じた*13。
しかし、裁判官が病気や死亡、定年、退職などで署名できない場合は日常 的に生じているから、1人の署名がないというだけでは違法にはならないと 考えるのが大勢であった*14。
12月14日(日曜) 副首相・財務相・制度改革相の Didier Reynders(ディ ディエ・レンデルス)は、テレビで、判決の射程を狭めようとした。つまり、
BNP パリバへの売却そのものが正当化されなかった訳ではないとし、政府 は第三者異議(tierce opposition)の手続きを検討していると述べた*15。
12月15日(月曜) ルテルム首相が、SFPI による第三者異議の申し立て と、政府による上告(破棄申し立て)を公表した*16。
12月16日(火曜) 「事件」が起きた後、「数日前からフラマン語のメディ アが裁判官への圧力があったと報じている」と18日付ルモンド紙が伝えてい たが*17、「数日前」というだけでは、その噂がいつから存在するのかはっき りしなかった。調べてみると、17日付 RTBF が、第二審判決が下されたの は金曜日夜(20時15分)だが、「それ以来、ある人達が首相官房の側近と(首 相所属政党の)CD&V(オランダ語系キリスト教社会党)に近い裁判所のメ ンバーとの間の電話の存在に言及していた。」と報じていた*18。すると、判 決が下された「金曜以降」、噂は存在していたことになる。しかし、まだそ れは単なる噂ないし憶測の類であって、責任あるメディアが取り上げるまで には至らないものであった。
−223−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(5)
ところが、この日の朝、オランダ語の経済紙 De Tijd が、信頼できる情報 源によるものとして、 裁判への政府の圧力 についてとうとう報じたので ある*19。そして、これに他のフラマン・メディアが追随した。
この他に2つの情報があった。1つは、法相 Jo Vandeurzen(ヨー・ヴァ ンドゥルーゼン)が、控訴院の裁判官に対する調査を命じたとの情報である。
担当者が Pierre Morlet 裁判官とのことで、彼こそは控訴院で株主に対し否 定的な意見を述べた次席検事(avocat ge´ne´ral)であった*20。
もう1つの情報は、凍結を命じた控訴院裁判官3人のうちの1人、Chris- tine Schurmans(クリスティーヌ・シュールマンス)裁判官が、2人の同 僚 Guy Delvoie(ギー・デルヴォワ)控訴院主席院長と Paul Blondeel 裁判 長から「嫌がらせ(12月10日から病気で休みを取っていたので判決に署名し なかったところ、自宅まで押しかけ、また何度も電話をかけて、署名するよ う執拗に迫ったというもの)」を受けたと訴えをしたが、月曜日に破棄院は 法の規定するところを満たしていないので、受理しなかったというもので あった*21。
第2節 事件の発端
12月17日(水曜) La Libre Belgique 紙の報じるところによれば、この 日の「朝、ルテルム首相は、Het Laatste Nieuws 紙で彼の官房が Fortis 事 件で司法官(magistrat)に圧力行使したとの記事を読んで、むせた。そし て、彼の部下と司法官との間の連絡歴を持って来させた。」*22
「むせた」のは、「司法へ影響を与えようとした試みに関するプレスのし ている ほのめかし に 驚愕した 」からで、午前の限定閣議(Conseil des ministres restreint ou Comite´ ministe´riel restreint)の後、司法官との接触 が行われたのかどうか「昼に官房に尋ねた」のである*23。首相によれば、
こうして「事実」を知ったのである(だから、午後、下院で、首相は「官房 長(Chef de cabinet,Hans D Hondt ハンス・ドント)が Fortis 事件に関し
−224−
(6)
て司法官や司法官の近親者と接触を持ったことは、水曜の昼に初めて知っ た。」と述べた。*24)。
それから、ヴァンドゥルーゼン法相に彼が知ったことを「手紙」で報告し たのである*25。
報告を受けた法相は、この手紙を権限ある機関、すなわち、ブリュッセル 控訴院付主席検事および破棄院主席院長、に午後の間に伝達した。彼は、
「司法機関が適切な結論を引き出してくれると確信している」と述べた*26。 首相は、午後の下院の議事開始時に、「法相に宛てた手紙を議員に配布す ることで、事態を明確にすることが出来る」*27と考え、コピーを配布した。
1.ルテルム首相の手紙の内容
問題のルテルム首相の「手紙」は、およそ次のような内容であった。
①先ず、「Fortis 事件に関して、私自身と誰であろうと司法官との間に、
如何なる接触もなかった。」
②「商事裁判所裁判長の前に係属している事件に関し、私の戦略室(cel- lule strate´gique)は11月6日に財務相戦略室から、検事がこの事件で論告
(reque´rir)しようとしていると知った。この情報から、意見の方向が分 かった。」
③「短い接触が、情報を得るために首相戦略室の補佐官(Pim Vanwal- leghem ピム・ヴァンワルゲム)と検事代理(substitut du Procureur du Roi,Paul D Haeyer)ポール・ダイエとの間で12時22分になされた。この 電話は丁度1分30秒間であった。問題の代理が15時にその意見を述べるとい うことが分かった。これは判決の内容に関わるものではない。午後に審理が 行われ、代理が意見を述べた。」
④「官房長は、数日後法務相戦略室の補佐官から、問題の代理が彼が述べ た意見について喜んで説明すると知った。官房長は11月10日19時30分に問題 の代理を呼んだ。この会談は21分21秒続いた。官房長は話を聞くにとどめ
−225−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(7)
た。」
⑤「11月11日、ダイエ代理が私の戦略室の補佐官に自ら電話してきた。
(代理は首相に意見の内容を個人的に説明したいとのことであったが)この 提案は聞き入れられなかった。」
⑥「(以上から、)私の戦略室の長に関し影響力行使の問題は全くないと明 らかである。」と説明した。
⑦次に、「私の戦略室と事件を扱っている司法官との間に如何なる接触も なかった。」
⑧「12月10日、19時45分、Jan De Groof(ヤン・ドゥ・グルーフ)氏が官 房長のハンス・ドントに電話を掛けた。後者は電話には出なかったが、メー ルを送った。すなわち、 ヤン、今限定閣議中だ。後で電話する。 ドゥ・グ ルーフ氏は20時にこの返事の受信を確認した。同夜、21時44分に、ドゥ・グ ルーフ氏は官房長に 忙しいので、明日電話するから と断りを入れた。
この時点で、ハンス・ドントは事件の内容の如何なる情報も持っていな かったし、クリスティーヌ・シュールマンスがフォルティス事件を扱ってい る部に所属しているとは知らなかった。彼はメールで21時45分に OK と 応えた。」
⑨「12月11日09時01分に、ドゥ・グルーフ氏は連絡を取ってこないドント 氏に電話したが相手が出なかった。同日09時45分に、ハンス・ドントがヤン・
ドゥ・グルーフに電話したら、グルーフは、彼が聞いたところでは、突然の 変化がフォルティス事件に関する判決に関して起きるかも知れない、これに はクリスティーヌ・シュールマンスが同意していない、と語った。この時点 で、彼(ドント)は彼女(シュールマンス)が部を構成していて、何よりも 部の他のメンバーと明らかに対立状態にあると理解した。
この電話での会話の後、彼(ドント)はこれについての情報を持たない財 務相戦略室に連絡を入れた。」
−226−
(8)
⑩「12月11日10時52分、ドゥ・グルーフ氏はハンス・ドントにメールを 送って、クリスティーヌ・シュールマンスが 劇的な展開 について破棄院 の上層部(instances supe´rieurs)を説得できたとの彼にもたらされた情報 を伝えた。ドゥ・グルーフは取り敢えず何もしないよう頼み、会議が終わり 次第電話すると続けた。」
⑪首相は、「審理中の裁判所に影響を与えようとする何らの試みも意図も なかったので、問題にはならないと確認して欲しい。この情報からどんな結 論を出すことが出来るか検討して欲しい」と法相に頼んだ*28。
要するに、首相は、①で自らが接触を持ったことはないと断言したものの、
彼の部下が、②〜⑤にあるように第一審段階で、検事代理のポール・ダイエ、
CD&V の議会での元協力者(ancien collaborateur parlementaire du CD&
V)*29、に接触し、⑧〜⑩にあるように第二審段階では、事件担当裁判官の 夫である、CD&V の活発な党員と接触したと認めたのである。
こうして「フォルティス事件」が発生した。マスコミは Fortisgate と も呼んでいる。
2.様々な反応 a)国 会
下院では、フラマン系野党が早速首相の辞職を要求し、首相の立場は困難 なものになった。与党も首相の意図を計りかねるところがあり、「彼は御し がたい」とため息をつく者さえいた*30。閣僚も驚きを隠せなかった。「発表 をするとは思ったが、手紙を書くとはね…。自分なら議員の質問に答える方 を疑いなく選んだ。ただ、(どういう対応をするかは)これは性格の問題だ と思う。」と副首相・財務相・制度改革相のレンデルスは述べた*31。Open Vld(オランダ語系自由党)は、首相に対する信任を表明する前に事態の推 移を見守りたいとした*32。これが与党の平均的な考えであったであろう。
また、与党の求めでこの事件についての「議院調査委員会(commission
−227−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(9)
d enque^te parlemetaire)」が設置されることになった*33。 b)司 法
記者会見の席で、破棄院主席院長の Ghislain Londers(ロンダース)は、
「現在のところ、首相が裁判に影響力を行使し得たという観点に至る如何な る要素もない。」「(首相の)手紙を解釈するのは時期尚早である。と言うの は、首相が報告した情報を確認する如何なる手段も今現在持ち合わせないか らである。」この様な慎重な言い回しで院長は首相の手紙についての判断を 留保した。
これに反し、「フォルティスの売却を凍結する判決に署名しなかったシュー ルマンス裁判官が、判決の前日に、破棄院に連絡を取り、事件の 劇的な展 開 を知らせ、そして事件担当から外されるよう依頼したことはなかった。」 とロンダース院長は強調した。「シュールマンス裁判官やその他の者からそ のような依頼や情報が私の許に届けられることは決してなかったと私は正式 に断言する。」と彼は宣言した。
また、「シュールマンスの夫であるヤン・ドゥ・グルーフが、この事件に 関して首相官房長と何度も接触していることに驚いた。」と述べた。
その上で、この様なことは「稀」だが、シュールマンス裁判官に対する
「懲戒手続き」が開始されたことを伝えた。これは、彼女が確かに病気のせ いで控訴院の判決に署名できなかったのかどうかを決定するためのものであ る。
同席していたブリュッセル控訴院主席院長のギー・デルヴォワが、「現在 のところ彼女を非難するものではない。」と強調し、「全てが法の枠内で行わ れたことおよび署名不可能が本当の病気によるものであることを確認するこ とが専ら念頭に置かれている」と補足した。
破棄院主席院長は、「ベルギーの司法機関および全ての司法官は、この事 件で生じたことを深く遺憾に思うものである。出来事が司法機関への市民の
−228−
(10)
信頼を強化する性質のものではないことを自覚している。そして、三権分立 が尊重されなかったおよび執行権が司法の判決に影響を与えたとの印象を与 えてしまった。」と残念がり、「これは民主的な法治国家を傷付けるものであ る。」と付け加えた*34。
他方で、シュールマンス裁判官は、フォルティス事件の取り扱いと審理に おいて、何らかの政治的圧力を受けたことは全くないと、その弁護士の口を 借りて、否定した。弁護士は、「シュールマンスは、誰かにアプローチされ たことは絶対にない。その独立と公平性に注意し、圧力に屈したことは決し てない。」と述べた*35。
c)メディア
この日、De Tijd 紙のインターネット・サイト上には、「内閣官房長が、
部下に(第一審の)検事代理のポール・ダイエに電話するよう命じたことを ブリュッセルの検事に対し認めた。」との記事が載っていた。これによると、
①官房長は、ブリュッセル検事局から出向の首相補佐官に対し、彼の同僚
(ダイエ)に圧力をかけるよう指示した。
②電話をしたのは、ダイエが法廷で意見を述べ、Fortis の BNP パリバへ の売却は適式に(manie`re re´gulie`re)行われなかったと説明する(実は、
ダイエは政府の立場に好意的な意見を持っていた)、直前のことであった。
③補佐官は怒って、ダイエに「皆が君の意見をとても気に掛けている。本 当に自分の責任を分かっているのか?」と言った。
④電話でのやりとりはとても短かった。というのは、ダイエが激怒して直 ぐに電話を切ったからである。
⑤裁判でその意見を述べた後、ダイエは法相の官房で働く同僚に電話して、
以上の事実を話した。
⑥首相官房長が、その後電話してきて、ダイエに謝った。そして電話させ たのは自分だと認めた。
−229−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(11)
⑦ダイエは議院調査委員会で証言する用意がある。という内容であった*36。 AFP は20時34分配信の記事にこの記事を引用した*37。
こうして、 よく考えろ と圧力を受けたとする「ダイエ検事代理の証言 と首相の手紙には矛盾がある」ことが明らかになった。
更に、フランドルのオランダ語のテレビ局 VTM(Vlaamse Televisie Maat- schappij)が次のような夜のニュースを流し、追い打ちを掛けた。すなわち、
「ブリュッセルの裁判所関係者によれば、フォルティス事件においてブ リュッセルの司法官であるポール・ダイエに対する圧力が確かにあった。」 と。
匿名の証言者は、「ルテルム首相官房は、訴訟の全ての段階で、一審でも 控訴審でも、司法官に圧力を加えようとした。」と告発し、「検事代理のポー ル・ダイエは、首相官房からの電話を確かに受けた。それは天気の話をする ためではなかった。」とテレビで語ったのである*38。
単なる噂などではなく、内部情報に通じた匿名の人物がカメラの前に現れ、
「首相官房が司法に圧力をかけた」と証言したことが、事件の性質を変えた。
思うに、 ルテルムの手紙が、関係者の口を開かせた のである。「自分は 何も知らず、潔白で、部下がしたことだ」と白を切ったが故に、藪蛇を突い てしまったのである。
司法に対する圧力が事実ならば、民主国家の大原則の一つ、「三権分立」、 をないがしろにし、民主的法治国家を愚弄する、有り得べからざる深刻な事 態である。それ故、この確度の高いニュースは波紋のように広がっていった。
通信社の BELGA がこのニュースを配信し、管見の限りでは20時過ぎに幾つ かの新聞が BELGA の配信を転載して「ルテルムの官房が圧力を掛けた」と 一斉に報道した*39。
テレビ局 RTL の夜のニュースで、ルテルム首相は、手紙公開の狙いは
「ほのめかしを終わらせる」ためであったことおよび彼自身は「司法官と如
−230−
(12)
何なる接触もなかった」ことを繰り返し、自分は、司法権と執行権の分立に は「とてもこだわり」を持っていると述べた。
3.評 価
これがどの時点のインタビューかが分からないが、世の中の動きが見えて いないのではないか。人々の気持ちや判断がどう動いているかを注意深く観 察していれば、たとえ墓穴を掘ったとしても、影響を最小化する相応の挽回 策を取り得たであろうし、それは何としても取らねばならなかった筈である
(ダメージ・コントロール)。夜になっても相変わらずでは、国民はがっか りさせられるだけである。
それはさておき、手紙の内容も問題だが、ここで ルテルム的手法 を少 し検討しておきたい。
手紙「公開の判断」に誤りはなかったであろうか? 首相としては、接触 があったとはいっても大したものではないから、説明すれば簡単に状況を改 善ないし沈静化できると考えたのであろう。換言すれば、「情報提供ないし 透明性の確保」という事だが、政治に関わる情報は原則は公開でも、やはり 時と場合と方法は考えねばならない。目的の正しさによってそれらは正当化 されないからである。
公開を決める際に「どういう決め方」をしたかも問題である。与党議員や 閣僚も驚いたように、ほとんど誰にも相談していなかったのではないか*40。
「独断専行」は厳に戒められるべきである。報告のあった部下の行為は大変 な問題を孕んでいたから、一つ間違えば大騒動になる可能性があったし、そ れは予測できた筈である。この部分を過小評価しまたは深く考えないで、問 題視された場合の手立てを考えていなかったことも理解に苦しむところであ る。最後に決断するのは自分でも、その前に少なくとも大臣達の意見には耳 を傾け、慎重に判断すべきであったと思われる。様々な観点からの指摘を受 けた筈で、それらの分析・検討を十分してからでも遅くはなかった。
−231−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(13)
翌日、質問をした大臣に対し、「この配布が津波を引き起こすことが分 かっていても、同じ事をするだろう」と応えたそうである*41。そのように 考える人であるなら、政治家ないし首相としての資質を問題にしなければな らないと私には思える。
また、組織の長として部下を信頼するのは当然ではあるが、身内の説明だ けを信用するのではなく、事実を客観的に確認する必要があった筈である。
正しい情報に基づいて検討・判断しなければ、誤りは不可避だからである。
ちゃんと事実確認することを怠ったことが失敗の最大の原因である(自分の 足許が危ういのにそれに気付かず、物事を軽く考えて行動するのは、頭の良 さから来る自信過剰のなせる技か、それとも単に軽率または向こう見ずなだ けか、この人物の評価には興味深いものがある)。
この公開の判断は、自らの陣営まで唖然とさせたが故に、言わば、「一連 の致命的な判断ミスの頂点」に位置付けられるべきものということになる。
説得できるどころか、反対に火に油を注ぐ結果となった。国会での立場は困 難なものとなり、一日にしてメディア全てを敵に回してしまったのである*42。
首相は接触したことは知らなかったと言っているが、これが事実だとして も、「官房長によって集められた情報を首相がどの程度まで知っていたの か?」という疑問は残る。
もう1つ問題なのは、不用意に法相*43を事件に巻き込んだことである。
手紙の④で、法相自身または彼の部下が問題の代理検事と接触したことが分 かるからである。ルテルムの手紙を受け取って内容を知った時に、検事に告 発すべきであったと指弾されることになったし、野党(オランダ語系社会党 sp.a とオランダ語系環境政党 Groen!)の要求で法相も国会で釈明しなくて はならなくなった*44。
第3節 事件の展開
12月18日(木曜) 新聞各紙とも第1面で前日の出来事を報じ、ルテルム
−232−
(14)
首相は被告席に座らされる格好となった。告発の口火を切ったオランダ語系 だけでなく、フランス語系も全紙は口を揃えて、首相を非難し、その信頼性 の欠如をあげつらった*45。
午前中は、9時半から閣議、10時から下院本会議が予定され、議事日程通 りに進められた。午後の議事は14時15分から再開される予定で、議事日程に は「現在の問題(actualite´)」が挙げられていた。つまり、議員の質問に首 相が答えることになっていた。が、結局午後は再開されないままになってし まった。上院は15時に議事を再会したが、30分後には閣僚が全員いなくなっ てしまった。議事停止の提案があったが、閣僚がいなくても処理できる案件 が残っているだけだったので、議事は続行された。
この日は3回の限定閣議があり、最後のものは15時半から開始され、16時 半頃から通常の閣議に変更された。(ほとんどが閣僚であるが)連立与党の 党首も会議に加わることになった。
16時に、破棄院主席院長ロンダースの「書状」(12月18日付)が、下院議 長 Herman Van Rompuy(ヘルマン・ヴァン・ロンプイ)に提出され、議 長の手によって公表されたからである。
1.破棄院長の書状 この書状には、
「…この情報とフォルティス事件におけるいくつかの行為とを並べてみた とき、必然的に以下のような情報(indication)が存在することになる。つ まり、控訴院第18部の判決が予測された通りに下されないようにするために あらゆる事がなされたということ、および…異なる結論に至ることを恐らく 期待して、他の裁判官によって事件を担当させようという試みがなされたと いうことである。
これらの確認は大変重大なので直ちに報告しなければならないと判断しま した。
−233−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(15)
…上記した観点は、準備中の詳細なメモ(note)によって根拠づけられる べきは勿論であり、速やかにお届けします。」とあった*46。
これは、事態を一変させるに足る報告であった。野党やメディアにとやか く言われるだけならまだしも、今度は、司法権のトップにある破棄院主席院 長が一石を投じたからである。院長は、「控訴院第18部の判決が下されない ようにするために あらゆる事がなされた情報 がある」と断言し、その1 つは判決が下される前に事件担当の控訴院の裁判官の構成を変えようとした ことだと指摘した。誰の名前も出さず、他にどんなことがなされたのか具体 的には何も述べてはいないが、「司法に対する政治的圧力」があったことを はっきりと認めたのである。
ルテルムは更に追い詰められてしまった。フォルティス事件、特に破棄院 長の手紙によって引き起こされた 危機 を検討する閣議は延々と続いた。
議員達を待たせ続けた挙げ句、20時半に議長の下で各党代表者会議が開かれ、
本会議はこの日はもう開かれないことになった。今や、誰もが「詳細なメモ」
の発表を待ち侘びることになった。あちこちで首相の進退が取り沙汰され、
既に辞職しただとか、法相の辞職もあるという噂が飛び交い、次の首相は誰 かという下馬評まで現れた。それだけ、報告書による傷手は深かった。
2.ヴァンドゥルーゼン法相の釈明
前日来釈明を求められていたので、これに応じる形で発表したコミュニケ で、「フォルティス事件の裁判手続きの展開」について説明した。
法相は、「12月12日の昼過ぎに首相官房からフォルティス訴訟の手続きに 不適式なところがあるとの報告を受けた。それで控訴院主席検事(Procureur ge´ne´ral)の Marc De le Court に情報を伝えたところ、主席検事は12日には 如何なる審理も予定されていないと応えた。
午後、レウヴェンに向かう車中で、ヤン・ドゥ・グルーフからの電話を受 けた。彼は私が既に聞いていたことと同じようなことを言った。そして彼の
−234−
(16)
話を聞きながら、彼がフォルティス事件を担当しているシュールマンス裁判 官の夫だと分かったと付け加えた。
同日夜、判決が下される前に、主席検事とまた連絡を取った。主席検事は、
自分の判断で、控訴院主席院長に対し、 公正な解決策 、つまり事件を担当 するために違った構成の新しい部を設けることを提案したが、この選択肢は、
どうやら考慮に入れられなかった。」と述べた*47。
法相は、要するに圧力行使には関わっていないと釈明した。
3.ブリュッセル主席検事の報告
22時過ぎに、法相から、12月15日付のブリュッセル控訴院付主席検事マル ク・ドゥ・ル・クールの報告*48が閣議に提出された。この報告は、要する に、フォルティス事件に関するブリュッセル控訴院第18部判決が準備された やり方に重要な機能障害(dysfonctionnements)があったこと、つまり手続 き的瑕疵の存在(違法性)、を示すものであった。
これは、自らの意思で行動した「裁判官を問題視する決め手」となる報告 に思えた。つまり、この報告はブリュッセル控訴院付主席検事から提出され たものだから、控訴院の裁判官にとって反論の余地がないということである。
そして、内容的には、手続き的瑕疵を犯すような問題のある裁判官が、現在 問題にされているフォルティス事件に関する控訴院判決を下したのだから、
判決の内容に問題があるとしても、それは裁判官への政府の圧力があったか らかどうか全く確かではなくなったという解釈ないし論難が可能になったと いうことである。従って、ルテルム政権にとって大臣の辞職はなくなった。
そこで、閣議の雰囲気は、破棄院長の補足メモを待ち、同時に議院調査委員 会を通じて、事件の真実を明らかにすることになった*49。
23時05分 下院議長に法相から、フォルティス判決は違法だとする前記控 訴院付主席検事の報告が提出された。その後、真夜中少し前に、翌金曜の限 定閣議は、9時15分からと決めた上で、およそ9時間続いた閣議は終了した。
−235−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(17)
緊張した雰囲気の長い1日であった。
第4節 評 価
しかしながら、これが内閣からの反撃になったとは思えないところがあっ た。と言うのは、もし手続き的瑕疵があって違法であるとしても、判決が破 棄院で破棄されるだけのことだからである。そして、主席検事の報告のどこ をどう読んでも、このフォルティス事件に関して政府から司法に対してなさ れた政治的圧力の存在を否定するものは、全くなかったからである*50。反 撃して凌いだつもりでも、実はこの程度の反撃材料しか残されていなかった のである。加えて奇妙なのは、15日に入手していたこの報告を何故これまで 伏せていたのかということである。
この日は、形の上では双方が書状と報告書を公表しあってのせめぎ合いと なった。しかし、実際には公表された情報から、フォルティス事件で加えら れた様々な圧力を明らかに見て取ることが出来た。「前例のない重大な出来 事が明らかになった日」として歴史に残る1日となった。
明らかにされた情報を総合すると、この日の段階で、「事実」として認定 できる事柄は、以下の通りである。
①12月11日、判決の少なくとも1日前、政府は既に判決の内容を知ってい た。
②政府の弁護士は、判決の宣告を妨害するため、そして初めから訴訟をや り直さなくてはならないように裁判官の構成を変えるために「あらゆる対応 策」を採った。
③「法的対応策」の一つが「裁判官忌避」であった。政府、より正確には SFPI の弁護士は、2人の裁判官、すなわち、裁判長 Paul Blondeel と陪席 裁判官 Mireille Salmon、の忌避を控訴院主席院長に対し申し立てた。これ は忌避事由を欠くので却下された。
国家の利益に反する判断を持っている2人の裁判官を除こうとしたことは、
−236−
(18)
この時点で既に判決内容を知っていたことの証といえる。
④もう一つの策として、弁護士は、全ての当事者および裁判官にも開示す べき新たな証拠があるとの理由で、11日に「弁論再開の請求」をした。裁判 長は、弁論再開をしなくてはならないような新たな証拠はないと判断した。
⑤そのようには判断したものの、控訴院主席院長のギー・デルヴォワは、
3人の中残る陪席裁判官のクリスティーヌ・シュールマンスに釈明を求めよ うとした。職業上の秘密を破ったのは彼女だと間違いなく思えたからである る*51。
⑥デルヴォワ控訴院長がパズルを解くことが出来たのは、公表されたルテ ルム首相の手紙によってもたらされた情報を総合的に検討した上でのことで ある。
⑦デルヴォア控訴院長とって、シュールマンス裁判官の夫が CD&V やル テルム首相と近いということが、誰が情報を漏洩させたのか、およびシュー ルマンス裁判官が署名を拒否したのとは異なる判決を下すように政府が裁判 所に強いたのではないかとの疑いを持つきっかけになった*52。
またこの日、ブリュッセル検事局が、ルテルムの内務・司法・安全問題担 当補佐官ピム・ヴァンワルゲムに対する懲戒手続きを開始した。フォルティ ス売却について緊急審理をしている裁判に関わっている検事代理ダイエに接 触した疑いによってである。
第3章 首相の辞任
12月19日(金曜) 朝から「政治的には死んだ」、「辞めろ」とのマスコミ の大合唱になり、「戦後最悪の首相」という烙印まで押され*53、「デュトゥ リュー*54が逃げ出した時よりも更に酷い、ベルギー政治史の最も幻惑的で、
最も昏迷した1日の結論、それは、首相が辞めることだ。」*55とまで極言さ
−237−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(19)
れてしまった。
午前中、予定通り閣議(初めは Kern と呼ばれる首相と副首相だけの限定 閣議、11時半から他の閣僚も加わっての通常の閣議)が開かれた。前夜の出 来事の点検とこれに対する対策の協議がなされた。国会では、破棄院院長の 補足メモが提出され、これについて検討する時間を持つまで本会議を開かな いことが決定された。政府もこの補足を見てからでないと態度決定が出来な いとした*56。補足メモは午後には公表されるものと理解されていた。
15時 破棄院主席院長ロンダースが下院議長を訪ね、6頁の補足報告*57 を提出した。院長は30分ばかり居てから辞去した。首相は、執務室から自ら 破棄院長の報告を受け取りに行って、戻って来た。
第1節 破棄院主席院長の追加報告書の内容
ロンダースは、対象をブリュッセル控訴院でのフォルティス事件の手続き の展開に絞って、次のように報告した。
①先ず、「ルテルム首相からヨー・ヴァンドゥルーゼン法相に宛てた2008 年12月17日付の手紙から、首相官房、より精確には、官房長ハンス・ドント 氏が、2008年12月11日中には、突然の変更がフォルティス事件の判決に生じ ること、この事件が《激変を経験する》こと、および3人の裁判官の1人が 準備された判決に同意していないこと、を知っていたことになる。」総合す ると、11月18日の第1審裁決が控訴審で覆されるという情報である。これは、
政府や SFIP にとって「極めてセンシティヴな情報である。」「これは…秘密 の情報であり、(首相の)手紙からすると、控訴院裁判官の1人が職務上の 秘密、特に評議の秘密、を明らかに犯さない限り漏洩があり得ないものであ る。」このようにシュールマンス裁判官をやり玉に上げ、これは「刑法458条 によって罰せられる行為」であると指摘した。
②首相の手紙には「この電話での接触の際に口頭で提供された情報に如何 なる続きもなかった。」とある。「ところで、刑事予審法典第29条によれば、
−238−
(20)
全ての設置された機関、全ての公務員は、職務行使中に、犯罪を知ったとき には、直ちに、…検察官に届け出る義務がある。」秘密情報を知った時に首 相は告発せねばならなかったのである。何もしなかったからこそ首相が共犯 と見抜かれたのである。と言うのは、「職業上の秘密で保護された情報の漏 洩の重大さおよびフォルティス事件解決への漏洩の潜在的影響を、首相官房 に、報告しなかったというのは実際には考えられないことである。」からで ある。
③ SFIP の弁護士が、弁論再開の請求をしたことは、「控訴院第18部が、
裁判官の1人が評議の結果に従う気がないが故に、《停滞状況》にあること を知っていたか知り得たので、これに乗じようとしたとしか考えられない。」 として、弁護士をも非難した。
④「その間に、控訴院主席検事(ドゥ・ル・クール)は、首席院長と会い、
法相の求めで、この奔走(病欠の者の代わりの裁判官によって補充された法 廷によって弁論再開についての判断を下すこと)をしていると告げたが、こ の時に、この奔走が司法法典第140条に基づくものであるとは告げなかった。
同条によれば、検事が法院および裁判所の業務の適式性を監視するとある
(だから、主席検事と法相の接触はこの枠内では禁止されていないことにな る)。
主席検事は、事案が全く異なる構成の法廷により全部やり直されるよう主 張した。」
しかし、主席院長は同意せず、結局裁判官を補充して、審理が再開される ことになった。
「この時に、主席検事ドゥ・ル・クールは、主席院長と裁判長ブロンデー ルに対して、その間にシュールマンス裁判官が彼と私(ロンダース)宛てに 提起した明らかに受理不可能な訴えを手にして、改めて主席院長デルヴォワ を訪ね、検事は弁論が再開される法廷の審理の際に前記の訴えについて言及
−239−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(21)
すると脅したのである。
この介入が、ブロンデールとサルモン裁判官の忌避申し立てを直ちに伴う ことは明らかであった。…
事件から手を引かせるための違法な圧力とブロンデールとサルモン裁判官 が感じたドゥ・ル・クール主席検事の2度目の介入の後、2人の裁判官は本 案について何としても判決を下そうと心に決めた。というのは、それが圧力 に抗する唯一の方法だったからである。」
すなわち、主席検事ドゥ・ル・クールは、権限もないのに、法相の求めに 応じて、裁判官を排除しようとしたと断罪した。
⑤「法相は、ハンス・ドントから説明を入手していた。このドントは国側 弁護士から直接にまたは副首相レンデルスの官房から間接的に、情報を得て いた。」
法相もまたルテルムの官房と歩調を合わせて行動していたことになる。
⑥以上から「影響力行使の試みの推定」が存在することになる。
⑦結論として、「私の調査の限界を考慮に入れれば、確かにこの報告は裁 判妨害の試みの法的証拠を提示するものではないが、この方向へ至る重要な 手掛かりが明らかに存在している。」とした。
基づくのは「法的証拠」ではなく、「重要な手掛かり」に過ぎないが、こ の補足報告は端的で情け容赦のないものであった。しかし、一歩間違えば、
今度は自身が名誉毀損や侮辱で被告席に座らされかねないから、慎重な調査 をしたはずで(従って、手掛かりとはいうものの、ほとんど証拠と同じで あった)、その上で、司法権のトップにある破棄院主席院長がこれだけはっ きりと物を言ったので、その衝撃は凄まじく、メガトン級の爆弾の直撃を受 けたに等しかった。その射程内には、①でシュールマンス裁判官が、②でル テルム首相が、④でドゥ・ル・クール控訴院主席検事が、⑤で官房長ハン ス・ドントがはっきりと捉えられていた*58。
−240−
(22)
第2節 法相の辞任
16時38分 詳細なメモの公表後、法相が辞職したと所属政党 CD&V が確 認した*59。法相は、「破棄院主席院長の報告から、フォルティス事件での私 の介入の適法性について終局的に回答を出すのは不可能だと判断した。…司 法の深くて必要な改革の実現を望む法相は、権威と信頼性を持たねばならな い。(もし在るなら)受け入れられることが出来ない行為への関わりの疑い が私の職務を行使するのを妨げることとなった。」と辞職の理由を説明した*60。
RTL で流された辞任会見では、「…信頼しています。破棄院主席院長は、
彼がしなくてはならないことおよび彼が考えていることをしたのであり、奇 妙に聞こえるかも知れないが、私はそれを受け入れ、ここが違うあれが違う と争うつもりはない。フォルティス事件の全てを司法が扱うことが大事だと 思う。それは私にとってとても大事なことだ。」と述べた。
第3節 首相の辞任、内閣総辞職
16時半過ぎ 法相が首相に辞表を提出した。ルテルムは党のモラルを体現 する人物と評されていた古くからの同志の辞職にひどく打ちのめされた*61。 彼にも決断の時が迫っていた。
17時24分 首相は緊急閣議を招集した。それは、辞意表明するためである と報道官が確認した。
17時32分 首相、公式に辞意表明し、同33分に報道官が発表した*62。1 年半に4回目のルテルムの辞職であった。
17時55分 法相の辞職を確認した後、閣議は政府全体の辞表を国王に提出 すると決定した。
ルテルムの辞職コミュニケには、次のようにあった。
「…私は、如何なる時にも、司法手続きに対し影響を与えることを問題に したり、妨げる試みなど少しも考えたことがないとの立場を維持する。下院 議長に宛てられた破棄院主席院長のメモによれば、この方向へ至る如何なる
−241−
ベルギー首相辞任の影響(武居)
(23)