私は日本語がわからない(9)
中 村 平 治
*
周知のように、私たちが伝えたいメッセージは、大きく、2通りの手段で実 行に移されますよね。一つは「言葉(verbal)」によってであり、もう一つは
「表情・身振り・手振り・仕種(non-verbal)」によってです。後者は、記述す る際、「言葉」に寄らざるをえませんが、映画とかテレビなどでは画面で映像 化されるので、その必要はありません。対話の実際の場面でも、挨拶を交わす ときなど、「おはようございます」と「言葉」を相手に掛けると同時に、日本 人であれば、「両手を膝によせ、頭を下げる」仕種をします。後者は「言葉」
による記述(caption)になっていますが、本体は仕種であって、言葉ではあ
りません
non-verbal
です。論点は言葉であって、言葉でないと言及するのは心苦しいのですが、やむをえません。私たちの伝達は、「言葉」と
「記述(caption)」の2通りの手段で実現する、と言った方がわかりやすいか もしれません。
本論の主題は、日本人特有の「恥ずかしい」と思う気持ちを巡って、これが
「言葉」以外にどのように「記述ないしは説明される」のかを、明らかにする ことにあります。なぜ「恥じ」を取り上げるのかは問題にしません。思いつき で論点を絞り込んだまでにすぎません。問題は当「表情」の具体的なあり様に あります。
*福岡大学人文学部教授
私はここで、理屈ではなく、これまでの慣行がどうなっているかを調査し、
不明点の透明化に役立てたいと願っています。
*****
早速、「恥じ」と「赤面」の慣行的な照合を実例によって証明しましょう。
次の文例が示すように、恥ずかしい気持ちは、実際的にあたっているかどうか は別にして、「顔の赤らみ」と連係します。生理学的に、恐縮した気持ちは血 液の充満を促し、顔を赤らめるのでしょうが、この現象とは関係なく、そのよ うに言葉化される慣行になっています。
「恥ずかしそうに顔を赤らめた」
「恥ずかしさで真赤になった」
「体中が真赤になるほどの恥ずかしさであった」
「恥ずかしさで顔がほてった」
「恥ずかしさに頬を赤くする」
なお、「恥じ」による「赤面」化は、普遍性があるようで、英語でも同じよ うな慣行になっています。
She flushrd (=became red in the face) with shame.
Her face was burning (=on fire) with shame.
His face was crimson with shame.
She turned red with shame.
日本人は、恥じる対象が明確でないときでも、あえて、気軽るに、「すみま
せん」と詫を入れるのと同じ感覚で、「恥ずかしい」ことだと頻繁に述懐する ようですが、英米人は、よほど明確な根拠がないかぎり、当事者のことを、
「feel ashamed」などと後悔しないようです。英語では、「恥じ」と「赤面」
の対象がほぼ義務的に併用されます。
He is ashamed of himself for having forgotten his promise.
He blushed at his own stupidity.
You ought to be ashamed of your behaviour.
He was ashamed of having lied to her.
He was ashamed of his dirty old clothes.
日本語でも、英語と同じように、併用することもあり、「彼は自分の約束を 忘れ、恥じ入っている」と言えます。しかし、日本語の「恥じ」は無防備なの で、気易く用いられるので、単独に「彼は恥じ入っています」と説明するだけ でも構わないのです。 しかし英語ではそれが不能で、
He is ashamed of
himself.
だけでは意味をなさないのです。日本語で「恥じ」だけで「赤面」の対象を必ずしも必要としないという慣用 は、今、論点の「恥じる気持ちの巾の広さ」を予測させるのではないでしょう か。
「恥じ」が日本語で「広く」、英語で「狭い」という特徴づけはここでのポ イントになるので、もう少し、支持例を加えておきます。
その一つは、日本語の「恥じ」の意味が
open
にできていて類義語が数多く あり、英語のshame
の意味がa feeling of deep moral discomfort
と意味が 特殊化され、closedされていることからも支えられるでしょう。その差は類 義語辞典によると、歴然としています。英語の
shame: disgrace, dishonour, disrepute, infamy, ignominy
のみ。日本語の「恥じ」:小恥じ、大恥じ、生き恥じ、死に恥じ、赤恥、照れ、
はにかみ、羞恥、恥さらし、などなど多数。
両言語の意味範囲を印象的に捕 獲すると右図のようになるでしょ うか。「恥じ」は太陽で、shame は月で、網かけは共通領域になり ます。すると、次のように、問題 が細分化されます。
(1)日本語(「恥じ」)に存 在して、英語(shame)に存在し ない例文は何か?
(2)共通に存在する例文は何 か?
(3)shameに存在して、「恥じ」に存在しない例文は何か?
これらの問いかけは、微妙な意味または合意に関わるだけに、決定的な解答 は出せませんが、大ざっぱな観測としては、恥ずかしいことをしでかした事柄 の特定性に寄ります。すでに言及したように、shameを感じた対象が、deep
moral discomfort, painful feeling of the guilt, wrongness, inability
といっ た「大がかりな」対象であるとき、(2)に当てはまるのではないでしょうか。該当の事例として次のものが挙げられます。
「私は客の面前で話しをさせられて、恥ずかしかった」
I was ashamed of having spoken in the presence of the guests.
「わたしは彼女の名前を忘れてしまい、恥ずかしかった」
I was ashamed of myself for having forgotten her name.
その他、次の英文も、対象が特定化されているため、和文にそのまま置き換 えられるでしょう。
He has done something disgraceful for his family.
His bad behavior embarrassed her.
一方、次の和文も、英文の条件を満たしていると見なすと、そのまま英文に 置き換えられるでしょう。
「自分だけ勘違いし、恥ずかしい思いをした」
「彼女は皆の注目を浴びて恥じらいの色を見せた」
「恥じること」の日英語の共通点(図の網かけ部分)の指摘はその程度にと どめて、次に相違点に移ります。
(1)の該当例ですが、日本語では「恥じること」が血の充血を生み、それ が顔の赤面化に繋がる旨述べましたが、「血」の他に、「汗」をも生み、「汗顔 の至り」という現象にも繋がるのです。しかし、英語にはこの言い方はありま せん。「赤面」も「汗顔」も
be ashamed of
一つで済まします。すると、ここ が違うことになります。それから「赤くなる」とも詩的で優雅な「紅葉を散らす」とも日本語では言 いますが、しかし、英語には
perspiration
とかmaple tree
を用いた慣用表現 はありません。次の事例に見る通りです。なお、文頭の*印は非文また存在し ないことを示します。I am deeply ashamed of myself for committing such a blunder.
「私はそんな失態をして、赤面の至りです」
*The perspiration came out of myself for committing such a blunder.
「私はそんな失態をして、汗顔の至りです」
その他、日本語では、「充血」「発汗」以外に次の事例の( )内に見る症状 とも連係しているので、この点で(1)の領域を広める証左になるでしょう。
「顔から(火)がでるほど、私は恥ずかしかった」
「(ヒリヒリ痛む)ような恥ずかしさであった」
「恥ずかしさで(身体ががちがちすくむ)」
「(小便が出)そうな恥ずかしさであった」
「恥ずかしそうに(目をぱちぱち)させる」
「気恥ずかしさで(黙り込む)」
上の事例に見る通り、論点の「恥じ」が、日本語の場合、多様な生理的現象 を誘発し、そのことが平行的に多様な慣用表現を生み出しているのですが、英 語の場合、必ずしもそうなっていないことが、「恥じ」にまつわる表現を稀少、
閉鎖的なものにしているのだと考えられます。両者のカバーする領域は(1)
と(3)では雲泥の差です。
日本語は、「恥ずかしく思う」ことによる「赤面」現象を、英語のように単 細胞的に連結させているだけでなく、他の感情とも細かく、繊細に組み合わせ ています。日本人に「恥じらい」の気持ちが豊富なのは、赤面が「性的な快感」
「酒酔い」「喜び」などとも絡み合っているからでしょう。
日本語のそういった「恥じ」と、複雑な事情を抱える「赤面」化を示す事例 を、渡辺淳一氏の小説から拝借してみよう。
「そのふらりとした感じが、いかにも照れ屋の高士らしくて、
嬉しくて愛しかった」
「恥ずかしくなったのか、耳まで朱を帯びている」
「冬香は喜びと照れとが入り混じった笑顔で何度も頭を下げ…」
「わずかに飲んだワインで、冬香はほんのりと頬を染めているが…」
「菊治に見られていたと気づいて恥ずかしそうに笑う」
「冬香は頬を軽く染めたまま東京の夜景を眺めている」
「冬香はいつものように微笑み、目を伏せる。照れと喜びがないまぜに…」
この種の描写を英語でやっても、思うにまかせないでしょう。英語のように、
「悪行」すなわち「恥じ」と懲り固まっていては、日本語の(1)のように広 まりっこないのです。理屈は別にして、太陽と月の意味領域の違いを、ごく一 般的な事例で垣間見ておきましょう。
日本人は異性との対話になれていないせいもあってか、すぐに、赤面するよ うで、なれていない分だけ、(1)の領域を広めているのでしょう。
「彼女は好きな人のことを頬を染めながら話した」
「好きな異性と話をするのは、気恥ずかしい」
「男性に見られるのが恥ずかしかった」
「彼はいつになく少し赤面して俯いた」
もう一つ、(3)に該当する事例ですが、つまり英語に存在するのに、日本 語に存在しない場合ですが、これは差し当たり、英語特有の慣用表現を思い浮 かべると、いいでしょう。例えば、「バラ」の花は西洋のものであってか、し ばしば引き合いに出されるが、日本ではそうでないようです。このことから直 訳ができません。
She flushed as red as a rose with shame to see him.
*彼女は彼を目にすると、恥ずかしさでバラのように赤くなった。
彼女は彼を目にすると、恥ずかしさで顔が赤くなった。
She turned red with shame to see him.
上の*印の和文は伝統的な表現に見かけられない、というのであって、理解 することはできます。ただ「バラ」 「赤面」 「恥じ」の行程が、日本 語は英語ほどスムーズに行かないであろうというだけです。
*****
「恥じ」を巡る日英語の領域の違いは、舌足らずのままに残されましたが、
切り上げ、本題に移ります。ここでの論点は、「表情」の内面的な行程がどの ようなものであるかを言葉化することにあります。それには実態を把握するこ とが求められます。そこで、これまでに述べたことを含めて、新しく言及しよ うとすることを、表でまとめて見ましょう。表は縦に読まれたし。
恥じを巡っての行程の叙述
原 因 実 態 結 果
野暮なことを言って 顔が赤くなる (恥ずかしくて)顔向けできない
嘘をつき 顔が照る 顔を背ける
愚かなことをして 紅葉を散らす 頭をさげる
名前を忘れてしまい 汗願 頭を掻く
皆の注目を浴びて 頬を染める 面目ない
熱を上げ 顔火 面目を失う
咳き込んで 顔から火がでる 恥じ知らずだった 私を見ると 真赤になって こそこそと逃げて行った
我々の狙いは、「恥じらいの気持ちを、日本語古来の慣用表現を粒さに調査し、
それを土台に、更なる活用をしよう」というところにありますが、この気運に うまく乗っけるのに、上記の表が一つの指針になります。
例えば、「彼女に天神でぱったり会ったが、気持ちだけがあせって、うまく 対話が持てなかった」ことを、事後、手紙で彼女に述懐するとき、参考になり ます。情愛の気持ちも伝えたいとき有力な指南になります。
もっとも淡々とした無色透明の伝達をするのであれば、次の(A)でもいい でしょうが、彼女の「heart」を捕えたいのであれば、(B)に書き改めるべ きでしょう。
(A) 「あなたに天神であったが、突然のことで、何と声を掛けてい いかわからずその場を立ち去りました」
(B) 「先日、天神であなたに偶然か神様のお導きによってか、お会 いし、僕としたことが、恥ずかしさのあまり、顔が真赤にな り、見苦しい服装をしていたこともあり、ご挨拶もそこそこ 嬉しい涙で サクランボのように
染まっていた
俯いていた
心の平衡を失い 手で顔を覆う
紅潮させる 穴があったら入りたい しくじってしまい 赤い目をしていた 面伏せな
身体がガチガチに すくむ
厚顔無恥 社会的名誉に反する
ことをして
鉄面皮 ヒリヒリ痛む 黙り込む
不名誉な 小さくなる 外を歩けない
に逃げ帰って来ました。僕の恥ずかしい失礼をどうかお許し くださいますよう、平にお願い申し上げます」 敬具
さて、「恥じ」の顛末は、上記の表を指南に、次のようにして言葉化されます。
先ず、男が女に天神(福岡の繁華街)で出会ったが、喫茶店に誘うことをしな かった という恥ずべき事件が発生したことを是認します。恥の起点が設 定されます。これが発火点となり、当事者にさまざまな生理現象が誘発されま す。男は恥ずかしいとき血液が充満するという普遍的な「赤面」を選びます。
顔が本当に赤くなるのかどうかは問題外です。ここでは「赤くなる」という叙 述がポイントです。生理は赤面の他に「失禁」もありますが、これを選んだら、
百年の恋も何とかになってしまうので、選びません。本当に出たとしても、
「あなたにぱったり出会って、ぼく小便が出てきました」なんて叙述したら、
あなたは必ずや負け組に編入されます。
そこで赤面のままで、男は対話ができませんので、つまり女と会わせる顔が ないので、その場を退去した、という訳です。
一方、もし男が出会いの場面で、退散しなかったら、結果的に、「恥知らず」
「厚願」「鉄面皮」などと、後で、白眼視されるかもしれませんね。
上の表は、こういった行程を描く設計図・指針・目安になってくれる、とい う点で参考になると思うのです。表は大変大雑把すぎていて、改良の余地が残 されていますが、宿題とします。本論では、「恥じらい」の言葉化を巡って、
内面の感情に即した叙述を重視する方が、伝達力が増すことを強調したにすぎ ません。内面の行程が従来の国文法で霞んでいるので、雲を晴らそうと試みま した。