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芭 蕉 交 藝 に 於 け る 人 間 性 と 風 土 性

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(1)

く虞  膨

芭蕉交藝に於ける人間性と風土性

峯﹁ 村

 日本文藝典の上に︐俳階によって︐一つの不朽の藝心境を築き上げた芭蕉に騙しては︑すでに︑すぐれた論考 ︐が訟びたπしく積まれてみるゆしかし︑芭蕉のやケな深い生き方をした天才の場合になると︑その﹁本質に近づく

ためめ通路も決して軍純ではない︒私も︑比較的歩み易い通路を求め︑人聞性と風土性との二つの方向から世蕉

的なものに近づいて見たいと患ふ︒それは︑叫つには芭蕉の入闇像を描き出して見る事にもなり︑ つには文化

がよき實を結ぶ場合に必ず深く根をおろしてみなければならないところに就いて示唆を與へてぐれるやうに思は          轡 れるからでもあるゆ

       ミョ      みだめ  芭蕉ぼ︑元隷四年︵西紀︸六九一年︶四十八歳の時の﹃雪の尾花﹄に﹁よの中瀬がたくて此むとせ七とせがほ

どは纏がちに侍れ共︐多病くるしむにた亀とし雌ちなみ置ける髪門人の砦すれがたき奮に・寒むさ

し野にかへりし比云々﹂と書いてみる︒﹁元瞭四年からさかのぼって六七年といへば︑野ざらし紀行駆鹿嶋紀行・

      一

(2)

       ご

鍵の小丈の族・更科紀行・奥の細道の族めごとごとぐが行はれた期闇であるが︐それらの族寝抵多病苦しむに堪

ヘヴつなされた臨ひで﹂あったと自ら語ってみるのであるΦ芭蕉は胃痙攣の持病に苦しむ身であったが︑彼の三徳

ぼ實に此の抜きがたい病身に深く根をおろしてみたのだと思はれる◎

憂の小文﹄糧ら.颪羅坊﹂と名付けて﹁誠にうすもの気か芝破塗すから憲をいふにやあらむごと懲

解して見せたり︐需.更科紀行﹄に﹁無常迅速のいそがはし婁竜我身にかへむ見られて云々﹂と叙し﹃輿の細道﹄に 甕等讐ば舞㌃勢末をかけ秀﹂姦しなしてみるのば∵紅筆が慶の肉膿から離れた嬰姦念垂

としでの醗常響筆の上に玩ん需たのではない蝿輿の総謹には・藩に苦しみつつ慰かる行末をでえ  かま て斯る選一東なし幽いへど︐羅族花紺の行脚︐捨身無常の槻念︑酒路に死なん是天の命なりと︐氣力聯とり直

      ゑ  ゑ  ゑ  ゑ  ネ  ち  ゑ  ネ  や  ゑ し︑路縦横に踏んで揮蓮の大木戸をこす︒しど書いてみる葛肉艦のもろさののつびぎならない趨鰐の上に立ってる.

・たのが芭蕉なのである︒元豫三年の﹃謬言庵記﹄︑には﹁ひたぶるに閑寂を好み︐山野に蹉をかくさむとにはあら

        ︑うん     ・      つ薩つら    弓つ毅 す︑や蕊病身人に倦で世をいとひし人に似盛り︑情年月の移こし拙き身の科をおもふに︑あみ時は仕官懸命の

地をうらやみ︐一たびは佛鎧組室の扉に入らむとせし秀︑たどりなき風雲に身をせめ︑花鳥に情を勢じセ︐暫く

淵巻ρはか珍事と憾へな・れば.絡に無能無才にして此一筋にりながるつ﹂とある︒麗蕉の謹庵に於ける孤猫の生

活も病身に深くつながのを持ってるたのであり︑.耐筋の憐譜の道も︑出世闇的ではあって竜決して入事的なもの

から超脱したものではなく乃逆に滅び易い肉罷を荒い風雲にまって責め︐いたみ易い惰を花鳥のあはれに螢して 生きる道に愚ならなかったのである・箕葉透して馨潅ふにをの・穫.物繋れて鷺の暑いだまし

    やぶれ       みけ め︑繋念破て風を悲七む︒適ノ\花険ゼもはなやかならす︑董太けれども斧にあたらす︒かの山中不材の類木に

たぐへて共性たふとし︒⁝:㌔⁝唯心陰にあそびて風雨に破れやすきを愛するのみ◎しこれは元隷五年の﹃芭蕉を移

(3)

       ♂

ス詞﹄の申に見えるものである︒此の芭蕉の葉はまさに人闇芭蕉の象徴である︒芭蕉の異常な多感は一つには生

得のものであらうが︑ 一つには其の病身によって張められてるたのであって︑特に彼の交藝精紳は此の駄翻を無覗

し七ば正しく理解せられがたいもののやうに思はれるのである︒      ・       ︐     歎

        ゑ ゑくゑ ゑ ゑずゑ ち ヘア       ド  ド       へ ゑ ゑ ゑ      ね  ゑ  ﹃笈の小交﹄の﹁かなしささびしさいはむかたなく云々﹂﹁千載のかなしび豊浦にど黛ま妙︑湖沢の晋にさへ愁

や  ゑ        セ       ら      ゑ  ゑ  ま  ゑ 多く侍るそやゆ﹂﹃更科紀行﹄の﹁まことにかなしき秋の心︐袋に認せり︒﹂﹃奥の細道﹄の﹁上野・谷中の回り梢

      ゑ  ゑ  も  あ      れ      ゑ  ゑ  も  ゑ  み  も 黒いつかはと心ぼそし︒﹂﹁組総れて山河あり︑城春にして草息みた妙と︐笠打敷て時のうつるまで沼を落し侍り

も       れ   ぷ  ゑ      も  も  ゑ      る  へ   ゑ  ゑ  し   レ  ぬ︒﹂﹁寂しさに悲しみをくはえて︐地勢魂をなやますに似たり︒しかうした種〜類の感情表現は芭蕉の散文の申か        ゑ  ゑ らいくつで鶏拾ひ土げる事が幽來る︒貞享四年の﹃歳暮﹄には﹁猫父母のいまそかのせばと慈愛のむかしも悲し ↑・おもふ事のみあまたありて一古事や隣の緒に泣く年の萱と難字・元嶽筆墨の蚕科媛孟月三寸には

      . 噛 為 穐 為         .   驚い ﹁なぐさめかねしと云けむも理りしられてそ黛うにかなしきに︐何ゆへにか老たる人をすてたらむとおもふに冷

   ゑ  ゑ  ゑ  ち  ゑ も  ゑ いとど涙落そぴければ⁝⁝−梯は嬬び実りなく月の友しと書いてみる︒今︐﹁荒海や佐渡に横たふ天の下しの句の

       ゑ  も      ゼ 場禽に就いて見るとしよう︒蹴の旬に諭して︐欄︐︒銀河ノ序﹄には﹁窓押開きて暫時の族愁をいたはらむとするほ

      しプん      やゼ ん ど︐欝翫に海に沈で月ほのぐらく︐銀河牛天にか義のて星きらノ\と冴たるに︐沖のかたよの波の膏しばくは

       ゑ  ゑ  へ   ぬ   な   れ   ぬ   も      マ   ッ な   な チゑ  ゑ  ゑ こび︑て噛たましみけつるがごとく.腸ちぎれてそでうにかなしびきたれば︑草の枕も定まらす︐墨の祇なにゆヘ       ザ       ︑      塗し あ ち ゑゑ ゑ   あ ゑ ち ゑ み  り き   ゑ ゑ ゑ       ゴ       ち とはなくて︐しぼるば瞬夢になむ侍る︒しとある︒しかるに︐此め荒海の句は︑﹃輿の細道﹄の族の作であって︐

         ゑ  ゑ  ゑ  ゑ  も  み  ゑ  ゑ  な  レ   ゑ  ゑ  ち  ゑ      のぐ

脅、 怩フ細道﹄には﹁幽々のお竜ぴ胸をいたましめて触賀の府まで翼冊里と聞︒鼠の關をこゆれば越後の地に歩行

 みらたあ       ゑ ゑ ち み    ゑ み ち ゑ ゑ ゑ ゑ ゑ ゑ ゑ も    ゑ ゑ ゑ ゑ あ ち る ゑ ち ゑ も を改て亀越申の國一ぶりの闘に到るゆ此撒黒蝿も富屋の艸労に紳をなやま七も病おごりて事をしるさす︒﹂とあ︑        夢.︑﹁交月や六日も常の夜には似す﹂と荒海の勾とはい壷なり掲げられてみるに過ぎない︒芭蕉は荒海の句の成

      三  轡

(4)

      四   ㍉

つ充頃は身心共に深い苦しみにあった事が知られる︒さう寿て見ると岬.銀河ノ序﹄に生々しいまでにあふれわた

       も  も  ゑ  ゑ  ゑ  ゑり  ゑ  や ってみる族類の﹁かなしぴ﹂は芭蕉のいめちのはかなさの︑﹁かなしび﹂に深くつながってみたわけである︒そし

℃︑荒海の・句には︐芭蕉の肉叢の深奥から衝き上げて來た﹁かなしびしが天地の幽駁にまでつらなってみる姿を

見いだす事が出來るQである︒此の﹃愛寵ノ序﹄に就いて見られる﹁かなしびしの關聯は篭.實は先に掲げた﹁か・       轟馨. 歪なしび﹂のいつれに就いて竜言ぴ得られる事であらう︒以上に掲げた用例を見ただけでも︐芭蕉が﹁かなしび扁

といふやうな言葉をいかに好んで用ひたかを知る事が幽來る︒それは︐常に死を思はなければならないやうな境

涯の申から﹂自らの文藝がその上に立たなければ生命を持つ事が出血ないといふ魂の叫びをあらはす嘗葉として

見いだされて來た恵のであったと思はれる︒一        −  ︑      .

  病む纈⁝の夜寒に落ちて族寝かな      ︑      .       評

 これは元緑三年の︑﹃猿蓑﹄に﹁竪田にて﹂と前書の附けられてみるものであるが︑﹃横聖誕﹄に翼蹟によって

﹁かた穿にふしなやみてしと前書されて居り﹃粘三論﹄の芭蕉翁絡焉記た﹁心をのどめてと思ふ一臼露なか夢け

れば︑心氣いつしか褻滅して︑病ム鷹のかた田誕おりて族ね哉とぐるしみけん︑云々しと記されてみる事等は鋤

の句を昧はふ上に甚だよい滲考となるかと思ふ︒此の句には︑族にあって病に臥し機む芭蕉のかぎりない悲愁が

玄妙とで為いふべき結晶を見せてみるゆ此の句の成った心線三年といへば﹃奥の細道﹄の族の難年である︒三三

には︑芭蕉の島山が深く根を傭うしてみた高金の﹁かなしびしが︑﹃奥の細道漏を維てhかなしび﹂をはるかに

超えた寂蓼の句境に到虚してるる事が見いだされるのである︒さういへば︐芭蕉は.貞享元年︵西紀⁝六八三

年︶四十一歳の時の﹃野ざらし紀行﹄の族には﹁野ざらしを心に風の沁む身かなしの句を成して﹃紀行﹄に画江

上の破屋を二つる程も風の聲そfろ寒げ也︒﹂と書きとどめ渦元轍七年︵嚇六九四年︶五十叫歳の欝世の句には

(5)

﹁熱暑で夢繕野をかげめ葛﹂を遺して婁蟄華語塗みるが疲にあそ諏屍の︑﹁かなし窪グ

旬境を支ぺ句境をおし進めて途にかの大を成さレめたともいへるのであらうQ㍉ 熟は売繋ハ年の皐胆蟹に・﹁予が風雅量攣搦のごとし薬にさかぴ㌦雪踏なし・を欝西

  ミ       いか 行のことばのみかのそめに云ちらされしあだなるたはぶれごともあはれな為所多しひ後馬鞭上皇のか玉せ給ひし       はべ  ものにも︑これちは歌に實あ雛てもかも悲しびをそふるとのたまぴ侍しとかや︒されば︑ごの御ことばを力とし        す      もめ て︑其細き一筋をたどりうしなふ事なかれ◎しと書き︐更に語を濃いで︑﹁猫古人の跡をもとめす︐古人の求たる.        いひ 所驚とめ圭︑︑欝大師の筆の禧も短髪り︒頓灘叉こ濃濯と云て云述皇︑ぞみる︒毒に疲

鳥屑上皇のか壱給びし竜の竃︑これらは歌に實脅てしかも悲しびをそふ渇とのたまひ侍し︑かや︒﹂とあ

﹄るのは︐﹃後鳥粥金壷昌傳﹄に﹁羅阿はやさしくえむに︑こ曳ろ竜ふかく哀濁るところもあ夢き◎しとあり﹁西行

はおもしろくて︐しかもこ製ろ竜ととにふかくてあはれなる︐ありが允く患來がたきかたも︑ともに相か訟てみ

ゆ︒生得の歌人とおぼゆ◎しとあるところを承けたものであるが︑心め﹁ふかくてあはれ﹂だ毒仰せられたのを

.﹁まことし乏﹁かなしび﹂といふ言葉によって捉へないではみられなかったところ耽芭蕉の求めたものを端的に.

示してみるの燃︑ある︒芭蕉は風雅の傳続に深く煽ぎた︒しかし覧それは輿へられる傳統の﹁あはれ﹂逢承け入れ        ね る事ではなくしても何よ参亀先づ﹁まことしがあって自らρ﹁かなしび﹂に深く立つといふ事であった︒古入の・

求めたところを求めるといふ生き方を彼はかうして實暮したのである︒芭蕉にとρて灘﹁細き一筋﹂といふのな塾

かやうに自らのhかなしびしに深く立って︐細註の命のあはれを噛みしめ魂の至純を求めて行く洞筋の道に外な

      ド       ミ もなかったのである︒−だから︑もはや芭蕉にとっては︐他入の撒迎を得る事に心を労動る壌もいらなければ︑利        磐得失を顧慮する事も匝らなかつ旋︒た穿︐自らの魂の深奥の聲に耳を傾けて︐自ら深く納得するどころに生選

   誉         拝    .︐   ド       .秘五毒

(6)

      六 得ればそれでよかったのである︒その心が︑﹁予が風雅は夏櫨壱州のごとし︒衆にざかひて用る所なし︒﹂といふ 言葉にあらはされた自信であったのであらう◎       ・  勢    ・

 土芳の﹃あかざうし﹄ に.︑芭蕉の教へとして不易に就いて論嚢触.﹁不易といふは新古によらす︐墾化流行にも

か為わらす︐諦津野ぴ凱溶か勢望︒代々の激人の歌を見るに・代凌そめ愛妻あ鋤◎又新古にもわ允らす・今見る

所むかし偉しにかはらす・ガ弱なる歌多しぼ第不易と心得べし・しと葵てるる・不易なものは・︐溺によく︹

なみ 立たる姿﹂の作晶であ参︑叉時代の如何にかかはり無く深く感ぜしめδ﹁あはれなるし聖慮だとする︒しかる犀

   ゑ  ゑ  ち 此の﹁あはれ﹂こそは︐﹁まことしがあって﹁かなしび﹂を添ふるものを意味した︒し湘がつて.芭蕉が﹁實あ

参てしか竜悲しびをそふる﹂ものを求めたといふ事は︐何よ珍も魂の深奥の叫びに深く立つといふ事が作晶を不

易ならしめる根本であるどの自照にもとつくものであった︒しかし︐露払作晶が不易だといふ事は制作活動を離        邑揮 れては続落に成立しない︒不易なもめは﹁誠によく立たる姿﹂を具備しなければならないといふ事はその問題に        罵れたものなのである︒では﹁誠によく立たる姿﹂とはどういふ事を意味するのであらうか◎土芳が﹃あかざう

し﹄.に述べてみるところがら芭蕉の考へを輪郭づけて見るとも凡そ次のやうな事になるらしい︒晶巴蕉は﹁高く心.

       を  も  ゑ  ゑ  レ   ゑ      ち  ぶ  サ  ゑ  し   あ  ネ  ゑ  ゑ  マ  み  ゑ  ゑ ︒をさと参て俗に薫るべしゆ﹂といふ事を教へたが︐句の姿が誠によく立つためにぼ高く心を悟らなければならな励

い︒高く心を悟るといふ事は﹁風雅の誠﹂を勤める事によって得られるが︑﹁風雅の誠﹂を勤める方法は︐﹁古人

 の心を探り﹂・心性む高雅ならしめると共に封象への接し方に偏したとじうが無いやうに﹁心の筋しを﹁縄直しし︐

物の本質を直指するはたらきを食事に鍛へ上げて行く︑といふところにある︒芭蕉は特に﹁松の事は松に習へ.           ノ      ド      セ       ち ぢ や ゑ も も 竹の事は竹に饗へ﹂といふ事を以て門︑私意しを離れなければならない事を敏へたが︑それは︑私のはからひを去       うか  つて封象に向ひ︐作者の心の下働と封事の本情とが感合したところを︑句の上に蝸氣に受けとめて來る︑といふ

(7)

       ぢ      いる 修行に就いての指針を示したものであった︒此の制作活動の機微の翁忌を﹃あかざうし﹄には﹁實に入に氣を養

ふぎ字あり・氣先を蓉せば句誌巻らす・先師も鱗は氣にのせてすべしと秘8とか﹁銑で心の位を得

  かんず て隔感るもの動ぐやいなや句どなるべし﹂とか述べてもみる︒かうして生れてくる作晶は.高められた心的晶絡︐

の﹁まこと﹂署し︑滞る乞うなK自然に且融化せられてみるのであって.心としては高く悟られたものであ

り︑姿としては誠によく立つたものとなρてるるのである︒芭蕉文藝に於ける﹁まこと﹂と﹁かなしび﹂笠は︑

實はかやうな制作活動を離れてはあり得ないのであって︑﹁ま之ど﹂は耐量にいたってはじめで﹁風雅の誠﹂と

なり得たのである︒そして︑此の事は叉︑芭蕉に於いて︑文藝の不易性を求める事がやがて眞に高い入事性を求

める事で竜あった事を物語ってみるやうに思は凱る︒        夢

   鴨  二      ﹁      .  ・

 芭蕉が3允職元年の﹃笈の小丈﹄に︑西行の和歌∴示瓶の蓮歌噸雪舟の絡・利休の茶を貫ぐ竜のは一であると

断じた後に︑吏に言葉を簸いで︐﹁しかも風雅におけるもの.造化にしたがびて四時を友とす◎見る塵花にあら

すポふ紅藍・鷺ふ所月にあらすといふ事なし・離ぎあらざ藷は毅にぴとし︒心花にあらざる時は鳥

繋類す︒嚢を雌最を離れて・造化にし崇ひ激化に変れとな含毒べてるる事は..披の丈藝の核     へ 心に鱗れたもσとして︑・晶度芭蕉を論媒ようとする者曝何人亀一.慮は取夢上げぎるを得ないものである︒しかし

﹁造化にしたがひ造化にかべれ︒﹂と匝ふ事の眞意はどういふと辻うに存するのであらうか︑    . 霧

遷化にしたが陰四謄友とす﹂る⑳は風雅に生誕うと誉者の導重る.毛て..蓬化にしたがふ暑

/皆覧る圭ろ心に思ふぎうが常に電化の申か羨みとられてくる花月の美でなければならないとい︑8で

      ︑.  ︑       七

(8)

       脚

      八       じも ル も や あ夢る︒そこでヤ先づ︑同レ﹃笈の小交﹄手に﹁山野海濱の美景に造化の巧を見﹂とあったわ・ゐ︑﹃奥の細道﹄に松島

        も も ヤ も もな の美景姦して蓬化の言いつれの毒言ふるび無畜善︒﹂とあっ㌃するきうに見られる蓬化の

哲嘉悪化の議し乏かいふいぴあら魅落磐三只ば︑蓬化しは天爲では及びがたい美を巧み出

・す自然﹂・とや協程の意味を持って居り︑麟此虞に轍一種麟喩的なものがは悔みいてるるのであって︑自然といふも

㊨のかに樹するかうし瀧態度のものは.多くの人々に共通の用例を嫁いだじ得るであらう︒今︑﹁近代的自然感

情の最も典型的な晶相を示す﹂人とせられてるるゲーテ︵大酉克製鋼.戦草平集の慮然感惰臨︶の用例を取り上げて見       ゆ ると︑鑓.伊太利紀行﹄︿改造鮭版﹃ゲーテ全集﹄による︶の中に︑﹁造化と鼓ふ偉大なる藝術家の傑作﹂ヘナポリ︑一も八        ゆ 七年三見こ+二欝︶といふやうないぴあらはし方があるが︑これは﹁造化の巧﹂とか当造化の天工しとかいふの

と全く共通したものを持ってみるといはなければならない︒しかし満ゲーテ・が︑﹃伊太利紀行﹄に︑﹁心をきよ       ぽ      ま         な       ヨ   も も や へ も      も で も も へ も ヘ ヘ ドゐ ヘ ヘ へ も ヘサむ    もゆも も ・めて眞實の自然ど高貴な藝術とを把握しようと努力してみるしとか肖あらゆる部分に於いて眞實であり︑矛盾の

きや セ へ き マ       ゆ        ハぶ       ド       も ヤ ・ない自然物は別として︑最も強く人の心に話しかけ多ものは︑實に善良にして聰明なる入物の業蹴であり︑自然

 も  ゑり  も  ヘ  へ  も  を  ゐ  も 物同様に矛盾のない眞の藝術である︒﹂とか述べてみるところになると︑嘗然に封ずるゲーテ猫得の透徹したも

 のを感じさせてくるやうに︑芭蕉が︑寧三聖圓讃﹄を書いて︑その中に﹁風雅の流行抵辱天地とともにうつゆて

只つきぬを算.ぶべき也︒﹂と述べてみるやうなところ・になると︑﹁天地﹂といふやうな言葉であらはされて添る自

然は全く芭輪差重みを以て導てくる妻室る︒芭蕉に於いては︑風雅の流行ば天地の隻流行篤く呼

吸を一つにしてるたからであるゆ﹃笈の小謡﹄の﹁造化にしたがび造化にかへれ◎しといふ需葉もかうい.ふ自然に

 於いて考へられてるた︐昏のに相違ないやケに思はれる︒

  ごとにいたって︑私は芭蕉の不易流行論に於ける自書問題に考箏契て暴ければな著く馨聖思

(9)

 轟︒芭蕉は︑F元緑二年三月下旬から六箇月にわたって﹃奥の細道﹄の行脚を行ったのであるが︐此の行脚によつ

 て︑俳諮文藝の薪しみに就いて︐﹁不易流行といふ黙から一つの確信を得たもめのごとくで凋﹃去念書﹄・に﹁此年        熟   の冬はじめて不易流行の敏を読給へり︒しと書かれてみるのは周知の事である9た.黛︐F残念な事には︐此の不易

流行論は︐芭蕉自身の筆に麟つたものとしては︑﹃三雲岡惚﹄などによつて︐その片鱗をうかがひ得るに癌ぎな       ≠  いのである︒以下.主として土芳の.﹃あかざうし﹄によって考察を進めて見よう︒      一    ・        ゑま   ﹃あかざうし﹄に日ぐ︐﹁師の競買に萬代不易有︒輯時の薫化あり◎このニウに究勢︐其許 也︒その.一といふ

  ち  ゑ  ゑ  へ       や  ゑ  ち  ゑ  は風雅の評言︒﹂つ奮た千綿萬化するものは︐欝然の理な夢︒攣化にうつらざれば風ああたまむす︒是に雑学らす とが︐鵜の流行に鍵夢得た羅ギ・その郵送郭整・塾す心葱ら§ごるもσ・誠の麓鴬

知ゑ郵事なし︒﹂﹁暮るもσはその控足をすへがたく歩量質断想霧風薬いるも総・思義        ヒ ムるるみゑ  ゑ  心の色物となけて旬姿振る竜のな飢ば︐取物自然にして仔細なし︒心のいろうるは﹂からざれば外に飼をたく

      いタ         ゑらはあ  ボかるず      お   ゼぐ       ひかいご       う     ゑ ゑ も あ ゑ も  む◎し﹁物に入てその微の減て情感るや句となる所也︒たとへ物あらはに云出ても︐そのものよの自然に出る情       ぷもらし  にあらざれば.物と我ニツになゆて其鋳誠にいたら寧︒︐私意のなヂ作意也◇し﹁せめて流行せざれば新みなし︒

   も を も ゑ ゑ       も も ゑ ち な ゑ     ゆ       むゑ ゑ ゑ ま ゑ ゑ も ち な   ・新みは常にせむるがゆへに︐一歩自然にす玉む地より湿るる也︒﹂﹁師の臼.乾坤の攣鉱風雅のたね也乏いへわ︒

 ﹂ヅか       ︑ . ・ うごけ. 灘なるものは不⁝璽の三三︒動るものは攣回心﹂と︒  囁右によれば︐﹁自然しとい誉言葉は一らの意味に於いて用ひられてるる事が知られる︒ つは私意の加はちな︑       が  いレ!−入爲の加はらない﹁灘のつから肥して然るし意昧に於いてであって.それはまた無理が無いといふ事でも

 ある︒︐㎞つは化育創造のはたらきを以て生女流輻千攣萬化する理法を具へた造化の意味に於いてであって︐囁これ

 はまた﹁乾坤の憂しといふ場合の﹁乾坤﹂とも同意義に於いてのものであるコしかし辱此の二つの自然も所詮 

      ・        縛    ︑ ︷      ㍉  九

(10)

       − ︸      −.       ・一〇

つに蹄せられなければならないものであったQ﹁外に詞をたくむ﹂事なく私意を加へすして新たな境地に進むの

が﹁一歩自然に進む﹂といふ事であるが︑︒それはこ.歩自然にす蕊む地より﹂必然の勢として動かざるを得ない

のである︒しかるに︑心の素地がおのつからにして牛歩新しみに進むといふ事は﹁風雅の誠し教責める事によつ       み てのみ得られてくる︒ では︑その﹁風雅の誠﹂を芭蕉はいかにして責めたかゆ﹁古へより風雅に情ある人々.は.

後に笈をかけ草鮭に足をいため︑破笠に霜露をいとふて︑をのれが心を輸あて︐物の實をしる事をよろこべり︒﹂

これは元亨六年の﹃逡許六詞﹄に蓮べられてるるところである︒黒馬そのものとして叢々流行する大自然ゆ串に

身を投じ︑霜露に生命をさらす事によってはじめて眞に深い﹁風雅の誠﹂が知吻得られる︒それは︑自然のはた.

らきを︑本質直指の力によって︑そのま亀戸らのはたらきとして來る事に主ならないであらう︒﹁物に入てその︸

微の顯て情感るや句となる所也σ﹂とあるところはさうした浩息を語ってみると思はれる︒先に襯た二つの自然

はかやうにして一つに回せちれるのである︒

 自然の本質は二選そのものであり自らにして流れ行くと共に常に新たなところにある︒したがって︑不断の精       ごる も やドを ゑ ゑ ゑ ゑ ゑ ゑ ち ぢ ゑ ゐ ゑ ゑ マ 進によってさうした自然の本質に感合しつつ生きるものの藝術も亦無理の無いしかも常に進展を止めないものと

なる︒芭蕉砂流行の眞意はかういふところにあったのであらう︒かやうに考へてくるみ.其の本が風雅の誠とい

ふ一つに露する不易的なもめと流行的なものとは︑貫にすぐれた新しみをあらはし得た流行的なも︑のは眞に不易.

的な竜のど﹂つになるといったやうな關係に立つ事となる︒今︐自然の生汝流行する流れ︐の一瞬の波を捉へて見

たとしよう︒それは架しいものではあるが.前後の無限の勲績を貫く剛つの生命によって支へられてるるが故

に︑同時に不易なもので竜あみ◎藝術に於いても︐眞にすぐれた新しみは︐深い翼質によって支へられてるみも

のであるが故に︑容易に滅び去る喜がないのであみ︒不易も流行も所詮造化の眞實に深く根をおろした鶏のだと

(11)

いふ事になる︒かう解されるのでなければ︑﹁師の日︑乾坤の墜は風雅のたね也といへり︒静なるものは不攣の

p姿也ゆ動るものは憂也つ﹂といふ﹃あかざうし﹄の言葉なども且然には受け取りがたいであらう¢豊野は︑﹃去來.

       ︑ も ︑ ︑ ︑ 鞠      ︑ よしか 抄﹄に︑流行といふ事に就いて︐﹁流行は一時一の攣κして︑きのふの風は今日宜からす︒今田の風は短日に

      マ あ ヤ ぶ み も      お      なみナぼ 用ゐが蓼ゆゑ︑蒔流行とははや謹とをいふなり︒﹂琉行嚢は︑巻幽に﹂ッの物警ありてはやる也︒し

        ゆ げ      ぎノ と解してみる︒h流行﹂と言はれるものは﹁物心寄﹂があって﹁はやる﹂.といふところに轡般的な性絡があるの︑         であらう︒新しみの追求される第一歩は先づ其膿にあみのであらう︒.しかし︑其庭には﹁私意﹂がはたら払てる.

るのであっ・三熱に得られた眞の新しみはない・土牢が解してみたと毫に乳ば・そ盤ユ端の流健叫

蜀墜得たる茜で︑萸に新た警のに﹁押移﹂り得る力を撫してみない事になるのであって︑眞の︑﹁流行﹂ど

は言へないものである◎芭蕉も土芳の解してみたや5な﹁流行し囁を考へてるたと見るべ嚢もののやうに思はれ

る︒  以上のやうに槻てくると︑灘芭蕉が﹁造化にしたがひ造化にかへれ︒﹂と雷つたのは︑文藝創造ρ個性を眞に深

く生かす爲に︐﹁私意﹂を離れて造化のはたらきの眞實にすなほに從ひ︑捲化のはたらきに深く露馴すべき事を       ま 働いたものである事は勿論であ乃が︑孟蟻旨然の萎汲みちぞ髪いふやう姦味から更藻めぢれ

て︑造化の創造作用を以て自らを深く支へ藝術をおのつから.にして押し移らしめる事によって︑常に新たならし

  ハ       き ま めなければならないといったやうな意味で述べちれた竜のと見なければならない◎しかし︑此の事は︑やがて︑

芭蕉が︑彼の藝術を︑身を以て﹁風土﹂の上に立たしめたといふ事にもなるやうに思はれる︒黒帯に於いて重要

覗されて來てるる季語といふものは︑元來︑生歌の獲伺の上に必要なものとして定められてみた制約の縫承に始

まったものである︒そして︑芭蕉に於ける季語の問題に観野を限定して眺める場合には︐頴原退藏氏が﹃俳句研・

      楓      ︑.   二

(12)

      .        一ご

窪︵紫茸土壁・︑七月號i暴の膿﹄︶に葵られ悔やうな箆驚⑳であらう︒すな馨︑﹁芭葎諮に㌍

いて︑季が初めて正しく季感を俘ふに至ったといふのも︑芭蕉が俳講の丈藝的本質を和歌・蓮歌と相通するもの

とした結果︑蓮歌の季語が季感を俘ふべきと同じく.俳諮の季語もまたその本來の意味にかへったといふだけで

ある︒芭蕉が黒身の約束を守ったのは︑それ以上積極的の意義はなかった︒﹂♂と︒しかし可芭蕉は︐季語といふ

やうな竜のを超えて︐﹁風土﹂に賦して.自らの交藝が其虞に於いて生れ共庭に於いて生き其虞に於いて新たな

らしめられるところ﹃として︑旋に身を投ずるといふきびしい生き方によって︐深い形成力を輿へてるたのだと思

ふ◎入団は風土に於いて存在し人聞の精棘は風土性を表現するといはれてみる︒・芭蕉は︐更に等進んで風土に深       ら       ま    く立ち︐風土性を深鴎身に馬蝉うて生きた詩入であったといふ搾誉であらう︒﹁造化にしたがび叢化にかへれ︒しと

いふ事は︑芭蕉に於けるかやうな生き方を離れて考へる纂が出來がたいやうに思はれる︒彼は丈化形成といふ事

が履史を超兇時代を超えて立たなければならない最後のものにかうして深く根をおろして生きたのである︒

 芭蕉は.元瞭五年0﹃芭蕉を移ス詞﹄の中に︐﹁いつれの年にや︑栖を此境に移す時.芭蕉 鷲とを植ふ︒・風

ゑ  ち  ゑ  ゑ  ゑ  ゑ  ゑ  も  ヒ   ち  も  ゑ      き       ヰ        土芭蕉の心にやか激ぴけん︒撒株の董を備へ.其葉茂サかさなりて庭を狭め旧訳が軒端もか譲るばか夢な曇︒﹂

乏書いてみる︒芭蕉を族へ駆り立てた﹁風雅の魔聯﹂は隔芭蕉に於いて人聞と風土とを深く交感せしめていった圃                魔紳でもあ皇たのであらう︒それが︸本の芭蕉に投影せられてかうした言葉になったのだ乏思って見ると興味深.

いものがある◎    .   ●  ・ 建      ︐ ・  ..

     羅

ゲーテは︑彼自ら竜語の何人によっても認められてみるやうに一・伊太利の蕨に彼の生涯を賭けて馬術家として        殉

(13)

の新生をしてみるが︐彼は.此の蕨に於いて︑古美術への深い探究と自然への透徹した観察とに生き︑﹁高遠な塾

藝術と純潔な人士性との太陽﹂︵﹃脅太利紀行﹄︑︵・ーマ︑一七八七年一刀六疑︶を求めた︒しかし︑此のゲーテが︑﹃伊

太利紀行﹄の山に︐﹁私の頑固な陰遁的量質﹂︵ナポリ︑扁七八七年三月一月︶とか﹁黒猫な者にとって賑廼軒を訪ふ

       ゑ  も  ゑ  も  や  ゆ  ゑ  ゑ  マ  お  ぶ  ゑ ことは誠にふさはしいものだ◎﹂︵ローマ︑一且八七年一月二+五H︶とか書いて︑自らを孤猫に生きる隠事的氣貿の

も  ぢ       ゅ      ち  ち  ゑ  も   ゑ  も  も  ゑ  タ 入聞としてみる事は注意されてよい畢だ鬼思ふ︒芭蕉の私淑した西行法案は︐隠溝者となった孤猫の巾から︐途

     ド  ぢ      ピ に離脱しがたい入欄︑的なものの悲哀を詠歎し辱﹁花に染む心のいかで残りけむ捨て果ててきと怨ふわが身にしと

か﹁訪ふ入も思ひ絶えたる山里の寂しさなくば霞み憂からまししとかいふ作を家集の﹃山家集﹄の申に遺してゐ       うドん る◎芭蕉は︐﹃幻住替記﹄の中に︐﹁ぴたぶるに閑寂を好み.山野に跡をかくさむとにはあらす︑や蕩病身入に倦

       ゑ  ち  ち  ゑ  ゑ  も  ゑ  な  ゑ  ゑ  マ で︑世をいとびし入に似たρ︒﹂と語ってみる︒誠心の文藝は陰遁者らしい生活の孤猫の中から生れたのである︒

芭蕉は草庵に控み︐草庵から族に出で︐旋から草庵に婦る︑さうした生活をくりかへした︒しかし︐彼の足は俗

の世界に深く据ゑられてるたのである︒彼は.草庵の孤︑猫にあって瞑想し︐族の孤猫に出でて眞實を探った︒し       ゑ  ゆ  ゑ  ち  ち かし︑.彼は灘聞を逃避して世海に執著したのではなかった︒彼の芭蕉庵は市非の草庵に外ならなかった︒そして

彼に於いては︐族に徹する事が眞に深く詳記として徹する事に外ならなかったと嘗へる︒芭蕉はかやうにして︑

高善し俗に婦って︐猫自の文嚢をうち立てたのである︒芭蕉はゲーテのやらに科學の洗禮は受けてみなかった︒

しかし︐それにもか製ならす︐彼猫自のきびしい道に立って︑やはり︑﹁高遠な芸術と純潔な入冷性﹂とを求め

て生きた詩入であったと言ふ事が卵酒るやうに思はれるのである︒︵一九四七︑・八︑一四︶

回三

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