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19 世紀転換期ドイツに見られる聖杯のモティー7

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(1)

1 9 世 紀転換期 ドイ ツ に見 られ る聖杯 のモティー7

郷 土芸 術 の逸 脱 か ら青 年運 動 とい う帰 結 まで‑

○序

古来 ドイツ文学 は、現在 まで数多 くのモテ ィー フを、 そのほ とん どが外国 か らの借用 とはい え扱 い続 けて きた。 それ らの受容 は、時代 に応 じて様 々で あ り、一定 した もので はない ことは勿論 だが、 その栄枯盛衰 は、 自ず と各時 代 の持 つ理念 に依存 す る従 って、逆 に特徴 的なモテ ィー フを手がか りとし て、文学潮流 の背景 を探 ることも可能 になるはずだが

、1 9

世紀 ドイツ世紀末 文学 に至 って は、モテ ィー フ自体 が多様化 し、 その精神的背景 をか えって見 づ ら くしている感 さえあるそれ は、 この時期 になって文学 の大衆化 ・一般 化が急速 に進 み、読者層や作家層が、 それ以前 と較 べ はるか に複雑化す る点 に大 きな問題 が あ ろう また、 この時期 に文学が地理的 に も、初 めて根本的 な拡散 を始 めた点 も見逃 す ことはで きない。 つ ま り、以前 のヴ ァイマールや ゲ ッテ ィンゲ ンといった ような比較的小 さな文化都市が、各々時代 を代表す る精神的な中心地 とな り得 ていたのに対 し

、1 9

世紀末 に爆発的 に人 口を伸 ば すベル リンや ウィー ンや ミュンヘ ンな どの近代 的大都市 は、同時 にまた文化 面で も中心地 としての繁栄 を誼歌 していたのである文学 は、従 って対象 と す る社会階層、並 びに生 み出 され る地域 によ り、様 々な形態 を とるようにな り、 ジャーナ リズムや交通手段 の発達 によ り、 それ らの形態が また相互 に影 響 しあって実 に多様 なモテ ィー フを扱 う結果 となる。極端 な例で は、ユーゲ ン トシュテ ィールが生 と死 のモテ ィー フを同時 に好 んだ ように、正反対 のモ ティー フが一 つの様式 に共存 した りす るため、世紀転換期文学 の全体像 を捉 える ことが、 ます ます困難 になって くるわ けであるただ、 その ように数多

(2)

い モ テ ィー フの中 で も比 較 的包括 的 で あ り、文 学 の み な らず一 般 社 会 に も密 接 な関係 を持 つ もの は限 られ て くる。本 論 で取 り上 げ る 「聖杯 」 のモ テ ィー フ もそ のひ とつ で、 これ は元 来 が フラ ンスか ら流入 した題 材 で あ る に も関 わ らず、神 話 や放 浪 や儀 式 とい ったモ テ ィー フ と結 び付 きなが ら、世 紀転 換 期 に は純 然 た る ドイ ツ的 モ テ ィー フ に形 作 られ て い くの で あ る(1)。更 に同 じ聖 杯 とい うイ メー ジが、作 家 に よ り異 な っ た解 釈 に使 用 され る こ とや、「青年 運

(

J uge ndbe we gung)

とい う社 会 運 動 の下 地 に この モ テ ィー フ を見 出す こ

とが 出来 るの も注 目す べ き点 で、 こ こに も ドイ ツ世 紀転 換 期 文 学 の持 つ複 雑 性 と社 会 性 が影 を落 として い る とい え よ う。聖杯 のモ テ ィー フ は、 ドイ ツ に 於 い て はその探 求 者 に置 き換 えて、 『パ ル チ ヴ ァ‑ ル』の モ テ ィー フ とい って も構 わ な い だ ろ うが 、本 論 で は このモ テ ィー フが ドイ ツ世 紀 転 換 期 文 学 で に わ か に脚 光 を浴 び る背 景 とその実 際 、 そ して青 年運 動 とい う現 象 を通 じて の 時代 に対 す る意 味 につ い て考 察 す る

1)聖杯 についての物語 として現存す るテクス トの中で は、 タレチア ン ・ド ・トロ ワの 『ベルスヴ ァル』が最古 の ものであ ることは論 を待 たない。 『ベルスヴ ァル』

成立 の

20

年後

( 1 20 3

年頃) に、 ヴォル フラム ・フォン・エ ツシェンバハの 『パル チ ヴァ‑ル』が現われ るわ けだが、聖杯 のモテ ィー フを彼が クレチア ンか ら受 け 継 ごうが、彼 自身日 くキ ヨ (Kyot)か ら受 け継 ごうが (このキ ヨ ・ル ・プロヴ ァ ンサルなる人物 の実在 は全 く証 明 されていない)、それが フランス文学 の流れ を汲 むモティー フである ことには変 わ りがない。 さ らには聖杯 が タレチアンの純然 た るフィクションである筈 もな く、 その もともとの起源 については

3

通 り考 え られ ている。即 ち、

1)

キ リス ト教起源説、

2

)農耕民族 の自然崇拝的 「祭儀」.起源 説、

3

) ケル ト起源説である。 そして ここで もゲルマ ン神話が このモテ ィー フの 成立 に関与 していた形跡 は見 当 らない。更 に、 ヴォ)レフラムの『パJL,チヴ ァ‑ル』

に登場 す る聖杯 も、ゲルマ ン的 な もの として は描 かれてお らず、そ もそ も 「石」

( 46 9

詩節)にされていることか らも分か る通 り、国籍不明 の暖味な存在 に変 えら れている。もっ とも、この抽象性が、世紀転換期 の漠然 とした聖杯探求運動 には、

か えって よ く馴染 む ことにな る。

ジャン・フラビエ 『聖杯 の神話』 (天沢退二郎訳)、筑摩書房

1 9 90 1 7 1 ‑ 21 3

参照。

(3)

〇世 紀 転換 期 に お け る ドイ ツ的 美徳 礼 賛 の背景

パルチヴ ァ‑ル と聖杯 に象徴 され る ドイツ的な美徳、即 ち忠実 ・健康 ・貞 節 ・勇敢 ・素朴 といった性質 は、 ヴォル フラム ・フォン ・エ ツシェンバハか

11 00

年程遡 ったタキ トウスの 『ゲルマニ ア』に初 めて謳 われているが、 こ の書 の真 の 目的 は、周知 のように、荒廃 しか けたローマ人 に、北方 に住 むゲ ルマ ン民族 の姿 を借 りて、本来 のローマ的美徳 を想起 させ ることであった。

パルチ ヴァ‑ル』は、従 ってモテ ィー フと同様 に、 その精神 も外 国か ら譲 り 受 けた作品 と考 え られ よう。他 に も近世で は、 スタール夫人が今度 は自国で

あるフランスを対象 に、同様 の 目的で 『ドイツ論』 を著わ した例 がある。 こ こで は 『ゲルマニ ア』 に現れ る美徳 の他 に、新 たに 「神秘性」・「詩才

」 ・

想的深遠 さ」・な どが ドイツ的特徴 に数 え られてい るが、ナポレオ ン戦争直後 の衰退 した 自国の精神 を鼓舞す る意味 において は、 『ゲルマニア』と軌 を一 に す る ものである。勿論 この他 に もシュレ‑ゲルやヤコブ ・グ リムやハ イネな どといった文学者達が、 自国の非合理 的民族性 を強調 した ドイツ論 を書 いて い るが、 そ こには常 に外 国、特 にフランス合理主義 に対す る意識が強 く働 い てい ることは否定 で きない。 この意識 が極度 に刺激 され、 ドイツ的美徳が二 度 目の黄金時代 を迎 えるのが、 ドイツ統一か ら世紀転換期 にか けてで ある と

いえる

さて、 この純粋 に国産 とはい えない ドイツ的美徳が、世紀転換期 に聖杯 の モテ ィー フ とこれ まで以上 に緊密な関係 を結ぶ には、 キ リス ト教 の力 を借 り なければな らなか った。1

9

世紀末 の余 りに急速 な近代化 のために、様々 な社 会問題が表面化 した際、一団の文学者達 は、 これ ら機械文明の弊害 を宗教的 精神 の貧困化 に求 め、国民 に ドイツ固有 の宗教心 を強 く喚起 したのである

彼 らは、社会的中間層 に浸透 を計 るために、主 に雑誌 とい うメデ ィアを用い たが、これが世紀転換期 の雑誌文化 の興隆 を招 く一因 となってい る

01 870

代後半か ら世紀転換期 にか けて創刊 された雑誌 の うち、キ リス ト教的色彩 を 持 つ ものは、プロテスタ ン ト系 の

H Tt i me r "

にせ よ、カ トリック系の

" Hoc h‑

(4)

l and"

にせ よ、 また それ ほ ど明確 な宗 旨 を示 さぬ

" Kuns t war t "

" Deut s c he Hei mat "

にせ よ、宗教 性 に裏 打 ち され た ドイ ツ的精神 とその文 化 を誼 ってい

自然 主義 は、 高踏 的 ・貴族 的 で ギ リシア ・ロー マ文 学 を模 範 として きた従 来 の文学 に対 す るア ンチ テー ゼ として、近代産 業 社会 に呼応 した文 学 を生 み 出 した。 つ ま り、社 会 思想 面 で はマ ル キ シズム、人 生観 として は反 キ リス ト 教 的 なダー ウ ィニ ズム を導入 したので あ る。 そ して その後 、 自然 主義 の更 な

るア ンチ テー ゼ として、 自然 主義 とも、 自然 主義 が攻 撃 した文 学 とも裸 を分 か った文 学運動 が上述 した もので あ る。即 ち題 材 として、都 市労働 者 階級 も、

それ に対 す る資本 家 や貴 族 階級 も扱 わず、地 方 の第一 次産 業労働 者 を主 に取 り上 げ、文 学 の 土 着 性 を強 調 し よ う とす る動 き、 い わ ゆ る 「郷 土 芸 術 」

( Hei mat kuns t )

と呼 ばれ る運 動 と、 キ リス ト教 を背景 としなが ら も、 もはや ロー マ に は左 右 され ぬ ドイ ツ固有 の キ リス ト教 を標 傍 した文 学運 動 とが、 自 然 主義 に対 す るア ンチ テーゼ にあた る(2)0

2)郷土芸術」は、文学 を中心 とした芸術運動であるが、一方キ リス ト教 とりわ け ローマ・カ トリック教会か らの脱却 を計 った運動 は、総合的な自由主義運動であっ た.その発端 は

、1 8 4 4

年 に結成 された

" Fr e i r e l i g iO s eGe me i nde "

にまで 遡 る。こ の協会 の趣 旨は、当初 は教会の教条主義 を離れた自由で自主的なキ リス ト教 を奨 励す ることに置かれていたが

、1 9

世紀中頃に一時衰退 した後、世紀末 には再び隆 盛 を取 り戻す。 これ は、当時思潮界 を席巻 した自然主義 の影響 を逆説的に強 く受 けた もので、カ トリックが持つ不可知論的な神秘主義 にも、 自然主義 の徹底的な 合理主義 にも、精神的束縛 を感 じた者 は少 な くなかったのである。唯心論 と唯物 論 の 統 合 を 目 指 し た ‑ ツケ ル の 提 唱 す る

" Moni s mus "

" Fr e i r el i g

i

6S e Be we gung"

と連携する事実 は、従 って当然の成行 きであって

、1 9 0 7

年 には、この

2

大協会

" Bun° f r e i r e l i g it i s e r Ge me i nde n De ut s c hl a nds "

並びに

" De ut s c he r Moni s t e nbund

H (この協会 は、 その前年 にへ ツケル を会長 として発足 していた) が中心 とな り、"

We i ma r e rKa r t e l l "

を結成す る運 び となる。 ここに至 って

" f r e i ‑ r e l i g i6S "

とは、キ リス ト教 にさえ束縛 を受 けない、正 に個別宗教 の観 を呈 し、そ れ はこのカルテルが発表 した以下の

3

大 目標 に見 て取れ る。

1.精神生活 の自由な発展 と、あ らゆる弾圧 の拒絶。

2.教会 と国家か らの離脱。

3

.教会 と学校か らの離脱。

(5)

先 述 した 「郷 土芸術 」 の提 唱者 は、大半 が プ ロテ ス タ ン ト系 で あ るた め、

端 的 にい う と、 自然 主義 の反動 として生 じたふ たつ の保 守 的 な文 学運 動 は、

新教 ・旧教 両 面 か らの激 しい反発 で あ った こ とにな る新 教 系 の郷 土 芸術 は、

宗教 面 よ りも ドイ ツ精 神 を重 要視 した感 が あ るため、文 学 に好 んで取 り上 げ る人 物 も、 「マ ル チ ン ・)レター」 (ハ ンス ・‑ リッヒ) は特別 として も、 「テ イ ル ・オ イゲ ンシ ュ ピー ゲル」、 「ジー タフ リー ト」 (リー ンハ ル ト) や、更 に こ の運 動 の火付 け役 ともな ったユ リウス ・ラ ングベ ー ン唱 え る ところの 「教育 者 として の レ ンブ ラ ン ト」論 な ど、宗教色 を さ して強調 して はい ない(3)0

た だ、郷 土芸術 の、 そ して後 に はナ チのス ローガ ン とな った こ とばで あ る

血 と肉

」 ( Bl utundBode n)

の概 念 は、既 に ラ ングベ ー ンが 『教育 者 として

これ らの

3

つの目標が、後 に詳述するが この運動 に直接関わ りはしなか った青 年運動 のモ ッ トー とそのまま合致す る点 は、驚嘆 に値す る。それ は、世紀転換期 の一大精神的特徴一 自由で はあるが漠然 とした宗教性一 に源 を探 ることがで きよ

う。

Vgl ,Br unoWi l l e, Fr e i r e l i g i6s eGe me i ndei nDe ut s c hl andi n: Dokume nt ede s Fo r t s c hr i t t e s1 ,Be r l i n1 9 0 8,S. 3 5 5 ‑ 3 5 9. /

拙論 『ドイツ世紀末 ボ‑ ミアンとその 文学運動』:ノルデン刊行会 『ノルデン』第

2 5

1 9 8 8 、1 5 ‑ 4 5

頁。

3)1 8 9 0

年 に匿名で出版 された

〃 Re mbr andtal sEr z i e he r "

をもって 「郷土芸術」

はその姿 を明確 に現わす。著者 ラングベー ンは、 この書 の中でダーウィニズムを 援用 し、種 の固有性、即 ち民族 の固有性 を説 き、

" Wahr he i t "

とはこの固有性 を

" wahr e n"

す ることである と断言 した。彼が述べ るには、現代 に於 ける固有性 とは

生 まれついての

」( a nge bor e n)

土着性であ り、この特質 を最 も良 く保持 している のは、民族 の祝福 を受 ける農民、神 の祝福 を受 ける王族、そして精神 の祝福 を受 ける芸術家である。 そして この三者が共 に出て、共 に帰 る大地 こそ、最 も気品の 高い理想 の地 ということがで きる。大地 に重力が働 くように、精神 にも重力が存 在 し、 ドイツ精神 こそその中心 に立つべ きものである。何故な ら、大地 ‑故郷 に 最 も深 く根差 した精神が ドイツ精神 だか らである。 そしてその ドイツ精神 の最高

の発現 をレンブラン トの中に認 めることがで きるのである。

ラングベー ンは、 この他 にも

〃 Na t ur "

H Na t i on"

り Nai vi t At '

'の同義性や、

" Kuns t "

" Kr i e g"

の同義性 な ど、巧みな語 呂合わせ と明快 な論理 を駆使 して、

文学の保守的改革運動 に絶大 な影響 を与 えた。 しか しそ こにはまた、文学 の貴族 性や学校教育 に対す る精神 の自由な どといった、他の運動 (芸術草紙』や 「青年 運動

」)

と共通す る要素 も見 て取れ る。いずれ にせ よ

、1 8 9 0

年 といえば、ハ ウプ ト マ ン作 『日の出前』が発表 された翌年であ り、ヘルマ ン ・バールが象徴主義的立 場か ら自然主義 を否定 した 『自然主義 の克服 』出版 に 1年先立 っている。「郷土芸 術」 は、従 って自然主義 に対す る反発 として は、最 も早 く現われた もののひ とつ

(6)

の レンブラン ト』 中で聖書 か ら導入 してい る。以下 にその部分 を引用す る

人 間 は魂 であ る」とキ リス トは確 か に言 い はしなか った。 しか しそ う考 えて はいた。 「血 は魂 で ある」とモーゼ は考 え、 そ して そ う言 った。 つ ま り ふ たつ の言葉 を結 び付 ける と、「血 は人間で ある」とい うことになる。 これ が いわ ん とす る ところは、人 間 に とって 自らの存在 の重点 は、彼 の生来 の 先祖以来受 け継 いで来 た性質 に置 かれてい る とい うこ とであ る(注4)

ラングベ ー ンが行 なった、 この様 な恐 ろしい までの牽 強付会 は、 よ りキ リ ス ト教 に忠実で あった旧教系 の文学運動 に は見 られ ない。

こうして郷土芸術 は、新教 系 の文学改革運動が教理 を曲解 したために、 キ リス ト教精神 に もまして ドイ ツ精神 を尊重 す る結果 にな るわ けで ある カ ト リック系 の文学改革 も、 しか しこれ ほ ど極端 な方 向 に進 み はしなか った もの の、 同様 の傾 向 を示 してい る。 この運動 に先鞭 を付 け、後 に文芸 誌

"Hoc h‑

1 and"

を発行 す るカール ・ムー トは 「あ らゆる真正 な文学 は宗教 的

( r el i g

i

6S)

で あ る」 と まず 述 べ、次 に 「あ ら ゆ る真 正 な 文 学 は しか し ま た 国 民 的

( nat i ona

l)で もある」とい う命題 を置 いてい る

そ して この

" nat i onal "

な文 学 とは、必 ず し も皇帝や女王、戦争や勝利 を謡 い上 げるこ とで はな く、「民族 の感性 か ら生 まれ出なけれ ばな らない性5)」としてい る この思想 自体 は、 ド イ ツ文学 に於 て

"Hi r t endi c ht ung"

(田園文学)とい う形 で既 に

1 7

世紀 に隆盛 をむか え

、1 9

世紀 中葉 に も、 ゴ ッ ト‑ル フ、ア ンツェングルーバ ー、アウエ ルバハ等が

" Dor f ges c hi c ht e"(

田園小説)や

" Vol ks s t t i ck"(

民衆劇 )の秀作

といえよう。

Vgl . J ul i usLangbe hn,Re mbr andtal sEr z i e he r , i n: Mani f e s t eundDokume nt e z urde ut s c he nLi t e r at ur1 8 9 0 ‑ 1 9 1 0 ,hr s g. V. E .Rupr e c ht /D.Bans c h,St ut t gar t 1 9 81 ,S. 3 21 ‑ 3 2 6.

4)i bi d.S. 3 2 3 .

5)Car lMut h,We m ge hO r tdi eZukunf t?i n:i bi d.S. 3 6 4 .

(7)

を残 してい る 従 って 「素晴 らしき田舎 、す さまじき都会 」 とい う図式 は目 新 しい もので はないが、この考 えその ものが、先述 した ドイ ツ的美徳 と同様 、 従来 は都会 を離 れ ぬ市民 や貴族 が 自戒 の念 を込 めて もて はや した ものだ った

ので あるO対 して世紀末 のそれ は、当時台頭 しつつあった 「大都 市文学」 に 対 す る反 動 として も、都 市 とそ こで の生 活 を唾 棄 す べ き もの と決 め つ け た(注6)。 また、以下 に引用 す るよ うに、帰属 す るべ き故郷 を持 たぬユダヤ人 に 対 す る反 ユダヤ主義 が この思想 と結 び付 き、文学的 に明確 に規定 され るの も 注 目に値 す る

まさし くユダヤ人 その ものが どこに も家 を持 たず、従 って また どこにで も家 を持 つが故 に、彼 らは当然 の ご と く凡庸 な精神 の代表者 なので あ る

彼 らは定住 しない。少 な くとも精神 的 にはそ うい える 彼 らに は観想 が持 つ血 の暖か さが欠 けてい る。 「永遠 なるユダヤ人」とは、 その最 も基本 的 な 特性 に対 す る歴史 の判 断 なのだ。 それで彼 らは、大交通網 や公共 の市場生 活が耳 を聾 す るばか りに荒れ狂 お う とも、 あ りとあ らゆ る場所 で、 この上 無 き心地良 さを感 じる ことが 出来 るので あ る科学、通商、株式、 そ して 現代 ジャーナ リズム は、 国民間

( i nt e r nat i ona

l)に存 す る もので、詩情 と文 学、農耕、手工業 そ して芸術 は国民 内

( nat i ona

l)に存 してい るユダヤ人

は那辺 にい るで あ ろうか(7)0

6

)大都市 を重視する文学 も、既 に

1 9

世紀中頃より存在 した。特に自然主義 を迎え ると (往々にして陰惨に走 るきらいもあったが)近代都市文化は、文学の重要な 構成要素 となる。 この後 も、都市 は文学潮流の別 を問わず取 り扱われるが、あま り急激な近代化 を体験せず、また貴族様式 ともいえるユーゲン トシュティールの 中心地 ともなったウィーンの方が、ベル リンに較べて概 して肯定的に扱われてい る。 また、 この時期に都市 と地方の良好な関係 を文学の中で築 き上げようとした 作家が存在 したことも、見逃すわけにはいかない。F.フォンタ‑ネがその好例で あろう。

Vgl .Fr i e d r i c hSe ng l e ,Wuns c hbi l dLa ndu ndSc h r e c kbi l dSt a d t ,i n:

St udi u m ge ne r a l eJ g. 6H. 1 0 ,1 9 6 3 ,S. 6 1 9 ‑ 6 3

1.

7)An m. 5 ,S. 3 6 5 .

(8)

地球上 のあ らゆる地 に住 み着 き国民 の囲有性 を薄 めて しまう民族 で あ り、

" i nt e r nat i onal "

な民族 で あ るユダヤ人が、

" nat i onal "

で ある芸術 の どこに居 場所 を見 つ け られ よ うか、 とす るのがムー トの一貫 した主張 であ る(8)

反 ユダヤ主義 は、 この後 ア ドル フ ・パ ル テルス によって郷土芸術 の一 つ の モ ッ トー とされ るわ けだが、 この思想 を ドイツ文学 に於 て率先 的 に提 唱 した の は、 カ トリック系文学改革運動 だったので\あ る

○ 聖 杯 モ チ ー フが 保 守 的 文 学 改 革 運 動 に対 して もつ 意 味

新教系 の郷土芸術 とカ トリック系文学改革運動 が、保守 的文学運動 として 非常 に接近 した もので あった ことは、以上 か ら明 白で あるが、 その典型 は、

カ トリック系文学者兼法学者 で あったロー レンツ ・クラ ップの論文 『昨 日 と 明 日の宗教叙情詩』に見 出す こ とが出来 る

彼 はこの一派 に共通 す るように、

文学的天才 は民族 の産物 で ある とした後、 その好例 が宗教叙情詩 で ある とす

そ してキ リス ト教叙情詩 の三 つ の黄金時代 は、 ア ウグスチヌス、 ヴォル フラム ・フォン ・エ ツシェンバ ハ、 ル ター並 び にア ンゲ リウス ・シレ‑ ジウ ス に代表 され、各々 の天才 は、各々 の時代 に生 きる民族 の精神 が発露 した も の で あ る と規 定 す る彼 ら が 等 し く持 ち 合 わ せ て い た も の は

" Das

8

)ムー トは、民族性 を持たぬ

" Di eMode r ne "

の文学運動 を激 しく批判 し、その中 心人物であ りユダヤ人 と見なされていたバールを、以下に挙 げる如 くあからさま

に敵対視 している

「まあ親愛なる神経詩人殿 よ(筆者注 :バールは、

" Di eMo de r ne"

の文学が措 く 人物 は、「理性」で も 「本能」で もな く「神経」に支配 されると主張 した)、(中略) 貴兄 は相 も変わらぬ 「世紀末小説」を書 き続 けるがいい。貴兄の 「詩作」の題材

を、また人間の悪徳 に満ちた生活の犯罪的事件か ら取 るがいい。そのち りち りと 神経を逆なでするエ ッセイの中で も、パ リの流行人 を気取 るがいい。 (中略)しか

し、私 は貴兄がユダヤ人であるが故に目くじらを立てるのだ、 と取 ってもらって は困る。滅相 もない !貴兄のユダヤ精神が、私をして貴兄の全作品に敵対せ しめ るわけではない。その根本的に雄々 しくな早、病的な、節操のない、そしてそれ 故 にどの点か らも非 ドイツ的

( unde ut s c h)

な性格故になのである洗礼水であろ うとも、か くの如 き精神的 ・道義的な気概の疾患には、身 を守 る術 にはならぬこ とを私 は心得ている

」 (傍点筆者)

i bi d.S. 3 6 6‑ 3 6 7.

(9)

Monume nt al e"

(壮麗 さ) と

" Di eVe r i nner l i chung"

(精神 的深淵化)で あっ たが、現代 の叙情詩 には、 まさ し くこの二点が欠 けてい る。 そ して クラ ップ は、 ワーグナーの 『パル ジフアル』が この二点 を同時 に持 ち合 わせ てい るこ とを認 め、 リリック本来 の 目的 :ドイツ民族精神 の表 出が、 ここに達成 され てい る と主張 す る(9)。この考 えは、明 らか に郷土芸術 につ なが る もので ある。

即 ち 「パルチ ヴ ァ‑ル」像 が郷土芸術 とカ トリック系文学改革運動 の両者 を 共 に満足 させ得 る題材 で あ り、 リー ンハ ル トが唱 えた ドイ ツ文学が理想 とす るべ き

3W

、 つ ま りヴ ィッテ ンベ ル ク、 ヴ ァイマール、 ヴ ァル トブル ク と直 結す るイメー ジを持 つわ けであ るそ して、中世吟遊詩人 の歌合戦 の場 で あ り、後 にル ター による聖書独訳作業 の舞台 とな ったヴ ァル トブル クを、 リー ンハル トは同時 に聖杯 を守 る城

" Gr al s bur g"

と同意義 にみな してい る

更 に 「聖杯 」 モテ ィー フが両文学運動 に都合 良か った点 の一 つ として、 こ のモテ ィー フが本来 もつ選民意識 が挙 げ られ る。両文学運動 を支持 したの は、

特 にギムナジウム教 師、牧師、あるい は小官吏 とい った職種 の人 々であった。

ラングベー ン とリー ンハル トの父親達が、共 に教 師であった事実 は偶然 で は ない。 これ らの文字通 り社会 的中間層 とい える階層 は、大都会 の 自由奔放 な 思想 と生活 を一種 の悪徳 と考 え、堕落 し退廃 した大都会文化 に対 し、 自 らを 健 全 な精神 と道徳 を持 った ドイ ツ文化 中の選民 とみなす傾 向 を、常 に有 して いたのであるドイ ツ人 としての選民意識 自体 は、中央 の支配者層 に も勿論 存在 し、 その点で は、郷土文学 はベル リンの宮廷 に歓迎 されてい る。 ただそ

の受 け入 れ方 は、先述 した郷土芸術以前 の 「田園文学」 に対 す る もの と同様 で あって、郷土芸術 の本質 に同調 していた とは考 え られない。 自 ら文学者 を

もって任 じたヴ イル‑ルム ⅠⅠ世 が愛好 した詩人 は、前時代 的 なエ ピゴーネ ン で凝 り固 まった

R

ヘ アツオー クや

0

エル ンス トとい った宮廷詩人達 であ っ たが、 ラングベ ー ン、パ ル テルス、 リー ンハル ト等が ことさ ら取 り立 て られ

9)Vgl .Lor e nzKr a pp,Di er el i gi わs eLyr i kYo nge s t e r nundmo r ge n,i n:Mani ‑

f e s t eundDokume nt ez urde ut s c he nLi t e r at ur1 8 9 0‑ 1 91 0,S. 3 9 0 ‑ 3 9 6.

(10)

た形跡 はない。 その結果、ベル リンの支配者層 に対 して、郷土文学或 い はカ トリック系文学改革運動 の同調者達が、消極的な反発 を示す結果 とな り、 そ の代表 的な例 が青年運動である とい うことがで きよう

さて、 この 「選民思想」を扱 うに至 って、「聖杯」モテ ィー フが保守的文学 改革運動 に もた らした最 も特徴的 な概念 に触れ なけれ ばな らない。 ヴォル フ

ラム ・フォン ・エ ツシェンバハ の 『パルチヴ ァ‑ル』 に描かれ る聖杯 は、杯 とはい うものの、定 まった形 を持 たぬ 「石」で、「現世 の理想 を越 えるもの」

( 2 3 4

節)で、「甘美 な幸福 に溢れて

」 ( 2 3 8

節)い るまたそれ は、全人類 が結 び付 いてい る星 の運行 とも関連が あ り、星座 の中にその秘密が見 て とれ

( 4 5 4

節)、 その不思議 な力 は、 キ リス ト教徒 にだ け理解す ることがで き

( 4 5 3

節) 対 して、異教徒 の目には、その存在 す ら映 りはしない

( 8 1 3

節)。この きわめて 抽象的な概念規定が、聖杯 を単 な るシンボルのみな らず、 ドイツ精神 その も

のの代名詞 にな らしめた感が ある さ らに聖杯 を守護 す る者達 は、上 に選定 された騎士達、即 ち

" Gr al s r i t t e r "

であ り、彼 らには謙虚 と純潔が要求 され、

死後 には永遠 の幸福 が約束 され るそ してゲルマ ン民族 こそ、 この上 に定 め られ し 「聖杯 の騎士」である と想定す るのは、保守的文学改革運動 に とって は、 きわめて 自然 な成行 きといえよう

以上 の思想 を最終 的 に発展 させ たの は、や は りリー ンハル トだが、以下 に 引用す る彼 の文章 中に、聖杯 モテ ィー フに基 づ く選民思想が凝集 されてい る

この選 び抜 かれ た宝石、聖 なる杯 に、 あ またある諸々の民が辿 り着 く事 は到底かなわない。聖杯 は、日々 の雑事 に関わ りな どはせぬ。騎士た る身、

王 た る身 に詮議 は無用、選 り抜 かれた者 だ けが津津裏裏 の大衆か らその身 を振 りほ どき、我々の内 に もある卑俗性並 びに浅薄性 を払 い落 とし、労苦 と克己 を糧 に、気高 き宝 の輝 く厳かなる霊山へ と上 りつめ る事が出来 るの である探求 の途 にあるこの騎士 とは、社会 的な地位で はな く、精神的地 位 を指す ものであ る(10)0

(11)

パルチヴ ァ‑ル」像 に代表 され る

" Gr al s s uc he r "

(聖杯探求者)であるゲル マ ン民族 は、現世 に至上 の幸福 を もた らす聖杯、即 ち

" DasDe ut s c ht um"

(ド イツ的である もの) を求 め、遍歴 を重ね、数々 の苦難 を経 た後、ついに聖杯 を手 にし、今度 は

" Gr al s r i t t e r "

として、世 に光明 を与 え続 ける

" Da sDe ut s ‑ c ht um"

の守護 に当た る とい う星 の下 に生 まれてい る リー ンハル トに

よる こうした明確 な汎ゲルマ ン主義的なテーマ は、文学 にあって は、現在 に 名 を とどめぬ幾多の作品 よ りも、文芸雑誌 を媒介 とした方が はるか に多大 な 影響 を与 えた。代表的な雑誌 として は

、1 899

年 に創刊 し、後 に リー ンハル ト が発行人 となった

" Ti i r me r " 、1900

年 に既刊 の雑誌 を衣替 え して発刊 し直

し、パルテルス とリー ンハル トを発行人 とす る

" He i ma

t"、ムー トが

1 903

に創刊 した

" Ho c hl and"

そ して、その ものズバ リの名 を持 ち、1

906

年 リヒァ ル ト・フォン ・クラー リックによ り発刊 された

" De rGr a l"

な どの名 が挙 げ ら れ よう。新教系である

" T t i r me r "

" He i ma t "

は、先 に も述 べた通 り、後者

2

誌 に較べて余 り宗教色 は強 くな く、 当初 は進歩的文芸誌 として出発 した ものが、後年 "T

t

i

r m

er"

は反ユ

ダヤ主義 を標樺す るに至 り、"Heimat"は、無 名 のいわゆる

" He i mat di c ht e r "

(郷土文学作家) ばか りが執筆 す る二流誌 に 陥 る結果 とな る。

" Hoc hl a nd"

" De rGr al "

はカ トリック系だが、保守 的な 色合 い は

〃 De r Gr al "

の方が強 く、 カ トリック文学 の改革 を目指す

" Ho c h‑

1 and"

と、世 にい う 「カ トリック文学論争」を展開 した(11)。 しか し、

" Ho c h‑

1 and"

と発行人 ムー トの主張す る改革 も、つ まる ところ ドイツ・カ トリック精 神 の文学への徹底 とい う点 に尽 き、

" De rGr al "

の態度 と大差 はない。これ ら

4

誌 の共通 の敵 は、ユダヤ人 に代表 され る異民族精神 に汚染 された大都市文 学 (特 に自然主義、象徴主義)であ り、 これ ら

" unde ut s c h"

(非 ドイツ的)或 いは

" e nt ge r mani s i e r t "

(脱 ゲルマ ン化) された文学 を駆逐す ることによ り、

彼 らは聖杯 を再 び眼前 に出現 させ ようとした。後 にナチスが この思想 を拡大

1 0 ) Fr i e d r i c hLi e n ha r d,De rMe i s t e rd e rMe ns c h he i t ,i n:De ut s c he

Vi e r t e l j a hr s c hr i f t 3 6 J g. ,1 9 6 2 ,S. 5 2 9 ‑ 5 3 0 .

(12)

し、文化 や国境 の枠 を取 り払 い、 ヨー ロ ッパ全土 に聖杯 の光 を降 り注がせ る 名 目で侵略 を繰 り返 した例 は、周知 の如 くで ある

○ 耽 美 的 ・生 命 哲 学 的 文 学運 動 に現 わ れ る聖 杯 の モ テ ィー フ

聖杯 のモテ ィー フは、 い ままで述べ て きた通 り、世紀転換期文学 において 重要 な役割 を担 うが、 それ は唯一保守 的 ・汎 ゲルマ ン的文学運動 に とってだ けで はな く、革新 的文学運動 に とって も同様 であるただ、 その際 の「聖杯 」 は、先 にお ける如 くモテ ィー フ として存在 す る とい うよ り、装飾 的な意味合 い をを強 く持 った 「小道具」 として使 用 され るに とどまる場合が多 い。 こう

した役割 での 「聖杯 のイメー ジ」を しば しば取 り上 げたの は、

" St i l kuns t "

ち形式美 を旨 とした文学 で、一般 に象徴 主義、中で も特 に

" J ugends t i l "

(青年 派様式)と呼 ばれ る流派で あ る。 (

" J uge nds t

il"の文学 とい うものが、 そ もそ も存在 す るか否 か は、現在 で も議論 の余地 はあ ろうが。)この様式 にあって は、

聖杯 は中世英雄辞 に出て来 る他 の聖物、例 えば王冠、指輪 、城、剣、槍 な ど と同格 の扱 い を受 け、作 品全体 の耽美性 や高踏性 を高 める ものの、民族 主義 的なイデオ ロギー を持 つ に至 りはしない。 その典型 的 な例 として は、 シュテ ファン・ゲオルゲ の

1 8 9 2

年 に発表 され た詩集 『アルガバ ール』が挙 げ られ よ この詩集 は、古代 ローマ皇帝へ リオガバ ールの豪華 かつ退廃 的な生活 を 謳 った もので、汎 ゲルマ ン主義思想 と結 び付 く要素 はな く、聖杯 も単 な る「ワ

l l )

ムー トも、当初 は時代 を席巻する

" Di eMode ne"

の気運 を、ユダヤ精神の表れ として否定 したが、後にカ トリック文学の孤立 と芸術的劣等性を認め、それより

" Di eMode r ne"

の芸術様式 と、カ トリック的題材の融合 を計 る様 になる。この思 想 を

" Hoc hl and"

は、自由宗教の一端 と見て取 り、論争の引金 となるわけだが、

総括 して、両者 ともカ トリック精神 に根差 した国民文学の育成を目指 した点 は同 じである。

Vg

l

.Kar lMut h,Di el i t e r ar i s c he n Auf ga be n de rde ut s c he n Kat hol i ke n.

Ge danke n臼be r ' ka t hol i s c heBe l l e t r i s t i kundl i t e r a r i s c heKr i t i k,z ugl e i c he i ne

Ant wo r tan s e i neKr i t i ke r ,i n:Mani f e s t eund Dokume nt e z urde ut s c he n

Li t e r a t ur1 8 9 01 1 91 0 , S. 3 7 4 ‑ 3 7 7 . /Fr i t zSc hl a we, Li t e r ar i s c heZe i t s c hr i f t e n1 8 8 51

1 91 0 ,St ut t gar t1 9 6

1.

(13)

イ ングラス」 ("

W e i n po ka l " )

として登場す るに過 ぎない。 しか し、皇帝 アル ガバ ール有 す る地下 の居城 が、実際 には 「狂王」ルー トヴ ィヒⅠ世 の城 をモ デル としていた ように、 まばゆいばか りの宝石 に彩 られたその内部 は、聖杯 城 のそれ を防裸 とさせ るに足 る ことだ ろう。 『アルガバ ール』が持 つモテ ィー フの多様 さ、 そ して毒々 しいほ どに塗 り重ね られた数々の原色が与 える圧迫 感、 ロマ ン主義 を更 に突 き抜 けた遠心点 に死 のイメージを見出す終末論 的な 人工美、 これ らを特 に 「デカダ ンス」 と呼ぶ ときもあるが、聖杯 とい う題材

も、 ここで は装飾 的な意味で償 われてい るに過 ぎない。

さて 『アJt'ガバ ール』での聖杯 が 「死」 のイメー ジ と直結 し、退廃性 を強 調 しているのにたい し、逆 に聖杯 が 「生命」 あるい は 「魂」 の源泉 として、

動的 に捉 え られ る場合が ある。上述 した人工的な様式美 とは対照的な 自然 の 美 しさを、や は り様式的 に捉 える作風が それで、これ もまた

" J u ge n d s t i l "

本質 といえるものである(この様 に正反対 のイメージを内包 す ること自体 、

"J

u ge nd s t i l "

とい う芸術様式が、いか に矛盾 に満 ちた、複雑 な現象であったか を物 語 る もので あ ろうそ して、 この様 式 の両 イメージに馴染 む聖杯 のモ ティー フ も また 同様 に、様 々な解 釈 を内 に率 む とい え る。)ゲ オ ル ゲ は

" J uge nd s t i l "

の代表的詩人 として、こういった傾 向の作 品 も数多 く残 し

、 1 8 9 7

年 に発表 した『魂 の年』 (

" Da s J a hrd e rSe e l e " )

で は、 自分 の詩作 を振 り返 っ て以下 の如 く歌 ってい る

民 を恐れ 我 が夢へ とのがれ 汚 れた手 で 広野 を探 り 我 は星 と雲のみを相手 に

若 きいざかいの口あけを語 っていた (中略)

そ して 我が長 い沈黙 を 歌 うが ために破 るな ら それ は 今 日ただ この由のみ

我 らは薄明の時 を待 ち望 み

(14)

我 が ほの暗 い は らか らはこう語 る

我 を更 に生 かすつ もりな らば

君 の鳴 り響 く杯 か ら 常 に我 は飲 まね ばな らぬ そ して 君 の傷 か ら輝 きわた るその光 は

我 が闇 を導 くのだ(注12)

ゲオル グの作 品 には、汎 ゲルマ ン主義的 な文 学 とは異 なった意味 での選民 思想、つ ま り芸術 至上主義 に基づ く民族主義的な面が認 め られ、その点が「 年運動」に大 きな影響 を与 えたので あ る。 自 らが主宰 した機関誌 「芸術草紙」

(

" BI At t e rf t i rdi eKuns t " )

の中で、ゲオルゲ は、芸術 と民族 の関係 を簡潔 な 文 章 で次 の ように述 べてい る

「あ らゆる芸術 は、 その源 を民族 に持 つ。」 とい うの は自明 の理 か、 さ も な くば、 とうに露 見 した嘘 で あ る芸術 は一 民族 の この上 無 き表 現 な の だ(1

3 ) 0

ここで重要 なの は、ゲオルゲ は芸術 を (彼 に とって は とりもなお さず詩 を) 民族 の上位 に置 いてい るこ とで、民族 の魂 を、反映 で はな く形成 す る もの と

して、芸術 を 「この上 な き表現」 (

" h6c hs t e raus dr uc k" )

と呼 んでい る点 で ある。 『魂 の年』に於 ける 「我 が ほの暗 い は らか ら」 (

" me i nedi i s t e r es c hwe‑

s t e r " )

は、言 い換 えれ ば 「我が魂」で あ り、 その魂が引続 き生 きなが らえる ために は、 「君 の鳴 り響 く杯 か らの飲物 」 (

" t r ank aus dei ne n kl i nge nde n pokal e n" )

が絶 えて はな らない この二例 か らい えるの は、 ゲオルゲ に とっ

て芸術 とは魂 を生 み出す源泉 であ り、 そのイメー ジが 「聖杯 」 にた とえ られ

1 2 )St e f a nGe or ge ,We r ke ,Mt i nc he n/Dt i s s e l do r f1 9 5 8 ,S13 6 ‑ 1 3 7 .

1 3 )St e f a nGe o r ge ,Bl i i t t e rf u rdi eKuns t ,Fo l ge 7 ,1 9 0 4 ,S. 5 .

(15)

てい る とい うことで あ る。 これ こそ聖杯 に創造 的イメー ジが結 び付 いた典型 とい え よう。

また聖杯 の創造 的 イメー ジを、 その装飾 的性格 も踏 まえて巧 みに表現 した もう一 つの例 に、 ホ‑ フマ ンスクール 『影 のない女』 があ るこの作品で、

最 も神秘 的 な存在 として描 かれ るの は 「黄金 の水」 で あるが、精霊 の王 カイ コバ ー トが支配 す る暗然 とした岩 山や、 その山中にあって黄金 の水 が湧 くま ばゆい ばか りの浴室 には、聖杯城 の内部 とその周辺 のイメー ジがつ きま とっ てい る。 また、黄金 の水 が湧 き上 が るその直前 に、水 その ものをたた えた円 い杯 が妃 の眼前 に現 われ る場面 や、杯 と呼応 して動 き出す妃 の護符 に、最後 には祝福 の言葉 が刻 み込 まれ る場面 な ど、聖杯 に まつわ る秘蹟 が垣 間克 られ る。 ホ‑ フマ ンスタールが、聖杯 のモテ ィー フに生命 、 あるい は芸術 の源泉 としてのイメー ジを結 び付 けてい た形跡 は、既 に

1 89 0

年 (当時ホ‑フマ ンス タール

1 6

歳)作 の ソネ ッ ト 『詩人 の誉 れ』 (

" K t i ns t l e r we i he " )

にはっ き りと 認 め られ る

我 らは歩 む 黙々 と お じけ 不安 げに身 を屈 め そ して心 の中 をお どお どと押 し隠 し

そ して心 に響 か ぬ言葉 を口走 り そ して過去 をうっ とりとはめそやす

魂 は埋没 し息 を詰 め

腐敗物 は夜道 におぼ ろに光 る

そ して芸術 に奮 い立 ち うつ ろな苦 悶 に陶然 とな るには 我 らは疲れ て しまってい る

先 日巨匠 ヴォル フラムのパルチヴ ァ‑ルが私 の 目に触 れ あの のの し りの言葉 が 目の前 に広 が った

失 われた聖杯 か ら嘆 き響 くあの言葉 が

(16)

不幸者 よ そなた は何故尋ね なか ったのか」

情 けの中 に感 じとり 物言わぬ苦悩 を解 き放 つ これ こそ まさに詩人 の誉 れ(

14)

この詩 で は、第一節 ・第二節 と、世紀末 に文学 に蔓延 したエ ピゴーネ ン約 傾 向 を歌 い、 そ うい った偽 りの芸術行為 の本質 を、第三節 の聖杯 よ り響 く言 葉 「不幸者 よ そなた はなぜ尋 ね なか ったのか」で鋭 くえ ぐってい る 第 四 節 は、漁夫王 ア ンフォル タスの傷 の苦 しみに同情 し、尋ね ることによ り彼 を 救済す る とい う行為 を歌 った もので、 ホ‑ フマ ンス タール はこの行為 を、人 類全般 の心 の悩 み を予感 し、 それ を表現 す る ことに よ り救済 す る とい う、芸 術 の本来的な機能 になぞ らえてい る。 そ して この詩 にあって は、真 の芸術 へ と詩人 を目覚 め させ る存在 であ る聖杯 は、魂 の源泉 としての役割 も担 い、 こ の点 で ホ‑ フマ ンス タール もゲ オル ゲ に近 い立場 に位 置 してい る とい え よ

う。

○ 新 しい 「教 養 小 説 」 に暗 示 され る 「聖 杯 」 の モ テ ィー フ

前二項 で は、世紀転換期 にのみ特徴 的 な 「聖杯」 のモテ ィー フについて論 究 したが、聖杯 が本質的 にその機能 を最 もよ く発揮 し得 る文学 ジャンル : ルチヴ ァ‑ル』を晴矢 とす る 「教養小説」も、 この時期 には新 しい内容 を伴 っ て現 われ る。 それ は心理性、象徴性 に富 んだ もので あ り、主人公 は外部 にあ る何物 か を追 い求 め、 自 らを向上 させていった従来 の形式 に対 し、 自分 自身 の内 を探求 し、改革 してい くので あ る。 この種 の小説 が世紀転換期思潮 の影 響 を受 けて成立 した とす るのであれ ば、 それ はフロイ ト以来 の心理学研究 の 成果 による もの とい えるか もしれ ない。 しか し、聖杯 のモ テ ィー フは先 の二

1 4 )H.Ⅴ.Ho f ma nns t hal ,Sa mt l i c h eWe r ke ,Bd. 1 4 ,1 9 8 8 ,S. 2 7 .

(17)

例 の ように顕在化 はせず、特殊 な機能 を持 つわ けで もな く、「教養小説」と解 釈 され る以上、象徴 的 に内在 してい るに過 ぎない。 また 「心理小説」 その も

のが、特定 の世界観 には束縛 を受 けない分野 で あ るため、世界観 か ら見 た世 紀転換期文学 の流 れ には乗 りに くい性質 を持 ってい る従 って以下 に触 れ る 二作 品 について は、 む しろ作家個人 の傾 向 を示す もの と見 なす方が妥 当 とい

えよう

聖杯 のモテ ィー フが内在す る心理小説 として、第‑ に‑ ツセの 『デー ミア ン』が挙 げ られ るテオ ドール ・ツ イオル コフスキー はその論文

デー ミア ン』 に於 ける聖杯 の探求」 で、 この小説 中に織 り込 まれてい る聖杯 モテ ィー フを、以下 の如 く入念 に考察 してい る

『デー ミア ン』は、主人公が 自 らのアイデ ンテ ィテ ィー を捜 し求 め る人 間形 成 の物語 で あるヘ ッセ による と、人 間形成 は、大別 して三段 階 に分 け られ るが、 それ は即 ち、罪無 き状態 か ら罪深 き状 態へ、罪深 き状態か ら絶望へ、

そ して絶望 か ら滅亡 あるい は救済へ の段 階で あるこの過程 は、人類創世期 にアダム とイブが辿 ってか らとい うもの、人 間が 自 らを見 出すために は常 に 不変 で、 この 「自己探求 の神話」 は、 ドイツ文学 のみな らず、世界文学 の一 大 テーマ として今 日に至 ってい るそ して このテーマの ドイツ文学 に於 ける 源泉 は、 『パル チヴ ァ‑ル』で あ り、ヘ ッセ は 『デー ミア ン』の 自己探求 の過 程 を 『パル チヴ ァ‑ル』 の構成 を利用 して表現 してい るのであるつ ま り、

パルチ ヴ ァ‑ル』での

1

、母 との別離、

2

、最初 の聖杯城訪 問、

3

、 そ こか らの遍歴、

4

、隠者 との出会 い、

5

、二度 目の聖杯城訪問、が各 々 『デー ミ ア ン』 での

1

、 クローマ‑ とのつ き合 いによる母親 の庇護 か らの離脱 、

2

デー ミア ン との最初 の出会 い、 3、別 の町の学校寄宿舎 で の生活 、 4、 ビス トー リウス との出会 い、

5

、 デー ミア ン との大学で の再会、 に符合す る 物 の配置 も『パ ルチヴ ァ‑ル』のそれ と呼応 し、 ジンクレー ア はパルチ ヴ ァ‑

ル、デー ミア ンは漁夫王 ア ンフォル タス、ビス トー リウス は隠者 トレフ リツェ ン トそ して デー ミア ンの母 エ ヴ ァが聖杯 その もの を暗 示 す る とい うので あ る。 しか しジンクレーア に とって真 の 「聖杯 」 とは自分 自身で あ るため、エ

(18)

ヴ ァの中に自 らを認 める ことが、彼 の聖杯探求 となってい る。病 んだ漁夫王 とパルチ ヴ ァ‑ル との面会 の場面 も 『デー ミア ン』 に は暗示 されてお り、 そ れ は、 デー ミア ンが二度程心身虚脱 の状 態 に陥 る場面 に対応 してい るその 際 ジンクレー アは、一度 目は彼 に様 子 を尋 ねそびれ るが、二度 目に はエヴ ァ にその意味 を問 い、 その後 、作 品で は古 い世界 か らの脱却 とい うポジテ ィブ な意味 を持 つ第一次世界大戦 が勃発 す る。

ただ、 『パ ルチ ヴ ァ‑ル』 に は措 かれ るが、 『デー ミア ン』 に欠 けてい る場 面 も存在 す る。即 ち、 アーサー王 の宮殿 へ の到着 とその後 の遍 歴、 また第二 の聖杯城訪 問 を前 に しての三度 の決 闘の場面 で ある ところで ヴ ァ‑グナ‑

の 『パル ジフ アル』 に もまた これ らの場 面 は登場 しない。従 ってヘ ッセ は直 接 には 『パル ジフアル』 の構成 を借 りて 『デー ミア ン』 を書 いた もの と推測 で き、 そ う考 えれ ば 『パル ジフアル』 で の誘惑者であ るク リング ゾ‑ル とク

ン ドリーが 『デー ミア ン』でのアル フオンス ・ペ ック とベ ア トリーチ ェで凄) る ことや、オペ ラの結末 を彩 り舞 い降 りる鳩 が、小説 中で はハ イ タカ のモ テ ィー フに援用 され てい る ことも理解 され得 るので あ る(15)。 ツ イオル コフ スキーの この実 に ドラマテ ィックな考察 は、 とか く心理分析面 にだ け光 を当 て られが ちなヘ ッセの作 品 に、 その構成面 での伝統性 を看破 した点で も評価 す るべ きで あ るが、更 にそ こにヴ ァ‑グナ‑の介在 を認 めた ことは重要で あ る。『デー ミア ン』に は事実聖杯 の他 に も、火 の崇拝(16)、 自然美礼賛(17)、一 元論(18)な ど世紀転換期 に流行 す るモテ ィー フが数多 く見受 け られ るが、『

1 5 )The odorZi ol ko ws ki ,Di eSuc hemac hde m Gr ali n" De mi an" , i n:Th Z. , De r Sc hr i f t s t e l l e rHe r ma nnHe s s e,F. a. M.1 9 7 9 ,S. 61 ‑ 8 8.

1 6 )

ジンクレーアは、 ビス トー リウスの部屋の暖炉 の前で、 しばしば彼 と共 に腹 ば いにな り、火を眺めるという (儀式めいた)行いをする

Ⅴg

l

.HQ r ma nnHe s s e,De mi a n,F. a. M.1 9 8 0 ( St 2 0 6 ) ,S. 1 0 2.

1 7 )

既 に小さい頃から、私 は時折、自然の奇妙な姿に見入 りた くなることがあった。

観察するというのではない。それ自身の魔力、その入 り組んだ深遠な言語に魅せ られていたのである

。 」i bi d.S. 1 0 4 .

1 8 )

私達の内 と自然の内 とで作用 しているものは、むしろ分かつことの出来ない同

(19)

ルチヴ ァ‑ル』に体現 され る ドイ ツ精神 が、 ヴ ァ‑ グナ‑ とい う触媒 を得 て、

これ ら世紀転換期 の精神 に変容 した結果が、 この小説 には色濃 く認 め られ る のである

さて、 ヴ ァ‑ グナ‑音楽 をさして好 んでいなか ったヘ ッセ に して これだ け の影響 を蒙 るのであれ ば、世紀転換期 に於 いてヴ ァ‑ グナ‑ を敬愛 して止 む ことが な く、 また 自 らも当時 の ドイ ツ精神 の一翼 を担 った小説家 トーマス ・ マ ンの作 品 に、 その影響 を探 し出す ことは、決 して困難 で はない。彼 は、 自

らのヴ ァ‑グナ‑観 の集大成 ともい える講 演 『リヒアル ト ・ヴ ァ‑ グナ‑ の 苦悩 と偉大』 の中で、 いみ じ くも 『パル ジフアル』 に於 けるフロイ ト心理学 的側面 (具体 的 にはクン ドリーが体現 す るマザー コンプ レックス) について 述 べてい るが(19)、彼 自身 は、 ヴ ァ‑ グナ‑文学 の更 に根元 的 な部分 に共 鳴 し、 自分 の創作 に活用 してい る。 その代表 的な例 が長編 『魔 の山』で ある と い えよう。

魔 の山』 が教養小説 と呼 ばれ る限 り、 『パルチヴ ァ‑ル』 に連 な る要素が そ こに存在す る ことを、我々 は否定 す るべ くもない(20)。だが主人公ハ ンス・

カス トル プ は、作 品 を通 じて幾度 か啓示 を受 ける ものの、実 は究極 の精神 的 目標 に到達 しはしないのであ るこの点か らい えば、世紀転換期 の持 つ時代 精神 を背景 にして、マ ン独 自のアイ ロニーた る 『魔 の山』 とい う解釈 は、十

‑の神性なのだ。 (‑)

」i bi d.S. 1 0 4.

1 9 )ThomasMa nn, Le i de nundGr OBeRi c ha r dWagne r s , i n: Th. M. , Wagne rund uns e r eZe i t ,F. a. M.1 9 8 6 ,S. 7 0 ‑ 71.

2 0 )

マン自身が語 るところによれば、彼にとって、 この要素 は執筆当時 「思考の埼 外」であったが、同様 な 「或 るひとつの秘密の伝統 に導かれていた」 ことを認 め ている。それは「生命の秘密の探求」であり、『魔の山』における聖杯 を、彼 は「 間の理念」であると言明している。 しか し、教養小説の冒険的試練 を、常に 「 と夜」に結び付 け、「いかがわしい」世界がそこには展開され、その点で 『魔の山』

が ドイツ教養小説の典型であるとする彼の解釈 こそ、 またマン一流のアイロニー といえはしないだろうか。

トーマス ・マン

魔 の山』入門」、 トーマス ・マン全集

3

(森川俊夫訳)、

新潮社

1 9 7

2年

、7 7 9 ‑ 7 9 1

頁参照。

(20)

分 に うなづ ける もので あ るただ、否定的 なアイ ロニー と共 に、 ここには創 造的 な原理 も働 いてい る ことを認 めぬわ けにはい くまい。 『魔 の山』に展開す る世界 の独 自性 は、少 なか らず登場人物 の特異性 に負 う といって も過冒で は ない。啓蒙主義者 セテムブ リ一二、 キ リス ト教共産 主義者 ナ フタ、生命力 の 権化 ともい える富豪ペ ‑ベル コル ン、 そ してカス トルプの官能性 を刺激せず に はおか ないマ ダム ・シ ョー シャ といった主要人物達が、 その特異 な言動 で 小説 の本体 を形成 す るわ けだが、 その他 に も様 々 な奇人達が登場 す る。例 え ば、気胸 を笛 の ように鳴 らす ことが 出来 るヘル ミ‑ネ ・クレー フェル ト、教 養が ない くせ にお しゃべ りで、言 い間違 い を して ばか りい るシュテ ィール夫 人、息子が二人 とも病 に倒 れ、会 う人 ご とに 「二人 とも」 と繰 り返 す メキシ

●●●●

コ婦人、 カス トルプの隣 の部 屋で朝 っぱ らか らや らかす ロシア人夫婦、給仕 の小人等々 その枚挙 に事欠 きはしない。 また、人物 に限 らず小道具達 (立体 覗 き箱、体 温計、 レン トゲ ン、蓄音機 等) も、同様 に奇妙 な光 を当て られ、

何 に も増 して国際サナ トリウム 「ベ ル クホ‑ フ」 その ものの超 現実的 なたた ず まいが、小説 の輪郭 を構成 してい る。(実際、人物 の風貌 は勿論 の こと、マ ンが この作 品で見 せ る小道具描写 の入念 さには、偏執 的 な もの さえ感 じられ る。対 照的 に、事物 を通 じて この世界 で最 もまっ とうな存在 で あるヨア ヒム ・ チームセ ンの風貌 に至 って はまことに曖昧で、彼 の顔 が細 か く描写 され るの

は、や っ と病死 す る‑ この世界 の仲 間入 りをす る⊥ 直前 なので ある。)時間、

或 い は空間 の概念 が 日常 とは全 く異 なった世界 を形成 す る これ らの人物 や事 物 は、極 めてロマ ン主義 的色彩 に富 み、 これ こそマ ンが ヴ ァ‑ グナ一文字、

とりわ け 「パル ジフアル」 の本質 と見 な した傾 向で ある。即 ち、排他性 を知 らず、 あ らゆる概 念‑ グロテス ク極 ま りない ものか ら、神聖 な ことこの上 な い もの まで‑ を包括 し得 る文学 で あ るパルチヴ ァ‑ル」と「パル ジフアル」

の登場人物 を比較 してみて も、「パル ジフアル」で は、ア ンフォル タス、 ク リ ング ゾ‑ル、 クン ドリー といった面 々が、各々 「先聖杯 王 テ ィ トレル の息子 一 現王」、「自 らを去勢 し、聖杯 の騎士か ら追放 された男一一魔法使 い」、「誘惑 者一 席罪者」 といった二面性 を有 す ることによ り、作 品が (象徴性 をひ とま

参照

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