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基地の島・沖縄と憲法蝕まれる人権と平和への志

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(1)

著者 松元 剛

雑誌名 PRIME = プライム

号 28

ページ 7‑17

発行年 2008‑10

URL http://hdl.handle.net/10723/688

(2)

1、 はじめに

2008年 2 月12日付、 休刊日明けの琉球新報夕刊 は、 1 面トップで 「米兵が女子中学生暴行」 と報 じた。 それ以来、 沖縄の新聞はほぼ連日、 1 面と 社会面をトップで書き分けて、 県民の反響、 抗議 の県民大会を計画する市民団体の動きなどを詳し く報じた。

私は今、 整理部に籍を置き、 硬派面の一面を担 当している。 整理記者は、 ニュースの価値判断を して、 見出しを決め、 紙面をレイアウトする。 総 合デスクと話し合いながら、 その日の紙面の顔に なるニュースを細心の注意を払って取捨選択して いく。 2 月20日の朝刊では、 全国のほとんどの新 聞が前日に東京湾内で起きたイージス艦と千葉の 漁船の衝突事故の原因に関する記事を、 トップに したが、 琉球新報はそれを二番手とし、 前記の女 子中学生暴行事件に対して約30団体の女性350人 が集まって抗議集会を開いた記事をトップにし、

「海兵隊撤退を要求」 が主見出しに躍った。 イー ジス艦と漁船衝突事故は衝撃度の大きなニュース だったが、 琉球新報は、 米兵暴行事件への女性抗 議集会をトップから外さなかった。 女性たちが立 ち上がり、 事件に対する怒りが沸き上がっている 沖縄の状況を映し出す大会というニュース判断が、

イージス艦事故のニュース価値を上回ったのだ。

その朝刊早版の降版時間が近づいた午前零時す

ぎ、 突然、 外務省から米軍の綱紀粛正に関する ニュースリリースが出たとの知らせが入った。 も う日付が変わっているにもかかわらず、 その日午 前 7 時半からすべての在沖米兵の外出禁止措置 (後に深夜外出禁止に緩和) を再発防止措置の一 環として実施すると発表したのだ。 これまでに、

米軍が打ち出した中では、 厳しい再発防止策であ り、 本来であればもっと早い時間に発表して周知 するはずだ。 その方がPR効果も高い。 日付が変 わった時間帯での発表となると、 全国的には朝刊 の早番に入らない新聞もかなりある。 私は、 ニュー スが十分に行き渡らない時間帯に禁足令 (深夜外 出禁止措置) を発表したことが、 どうしても腑に 落ちなかった。 あわただしく紙面を組み替えて、

このニュースを突っ込んだ後、 同僚に 「こんなド タバタした発表はおかしい。 きっと何かあるはず だ」 と話した。

案の定、 翌日になると、 その 4 日前の17日に、

在沖米陸軍の兵士が、 フィリピン人女性を暴行す る事件を起こしていたことが明らかになり、 大き く報じられた。 外務省や在日米軍は、 米兵による 女性暴行事件の連続発生が、 沖縄社会の反発をさ らに高めると判断し、 「何か手を打たなければい けない」 という焦燥感に駆られた形で、 外出禁止 措置を前倒しで実施し、 急遽夜中に発表したので はないかとみている。

1995年 9 月、 沖縄本島北部で小学生6年生の女 子児童が、 3 人の屈強な米兵に暴行される事件が

基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志

(琉球新報記者)

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起き、 戦後半世紀も続く在沖米軍基地の過重負担 に対する県民の怒りが、 日米安保体制を揺るがす 事態となった。 米国政府や在日米軍は、 女性を被 害者とする米兵事件の根絶に向け、 最大限の努力 をするとしてきたが、 95年の少女乱暴事件以降、

沖縄県内では、 米軍人・軍属など米軍関係者によ るレイプ事件が16件発生し、 年 1 人以上の女性が 人権と尊厳を踏みにじられている。

2、 沖縄サミットから8 年

米軍の 「足跡」 は減らず 「傷跡」 に

今年7月に北海道洞爺湖サミットが開かれた。

日本での前回開催は、 2000年の沖縄サミットだっ た。 当時のクリントン米大統領は、 沖縄戦の激戦 地だった糸満市摩文仁の 「平和の礎 (いしじ)」

で県民向けに演説した。 「平和の礎」 は、 国籍を 問わず戦没者、 沖縄戦、 太平洋戦争で亡くなった 24万人余を刻銘している。 敵味方、 国籍を超えて 非戦を誓い合い、 国際社会に平和構築に向けた努 力を強く促す類例のない 「鎮魂碑」 である。 その 前で、 クリントン大統領は、 「沖縄における米軍 の足跡を少しでも減らすため、 できる限りの努力 をする」 と演説した。 沖縄の人たちの苦しみを和 らげたいというこの演説は、 全国に生中継された。

同じ演説の中で大統領は 「沖縄は日米同盟維持の ために、 死活的に重要な役割を担ってきた」 とも 述べ、 在沖基地の重要性を強調し、 駐留する自国 兵士の士気を鼓舞することも忘れなかった。

二律背反に近い言葉を発する舞台に 「平和の礎」

を選んだ狙いには、 米軍の綱紀粛正や基地整理縮 小に取り組む姿勢を見せて沖縄社会の不満を和ら げつつ、 米国の世界戦略にとって手放せない沖縄 の重要性を県民にも理解してほしい―という手前 勝手な軍事大国の論理が宿っていたように思う。

あれから8年がたつ。 果たして、 米軍の 「足跡」

は沖縄の地でどれだけ減ったのか。 沖縄サミット

後だけでも、 米軍関係者を容疑者とする女性レイ プ事件は 7 件発生し、 2007年以降では、 4 件と多 発傾向にある。 最も弱い立場にある女性が米兵の 性のはけ口として襲われる事件が続く。 人を殺す

「暴力装置」 である軍隊の兵士が起こす事件は、

もはや統計学的になくせないと言っていい。 過去 の事件の連鎖がそれを証明している。 事件の度に 日米が殊勝な態度で打ち出す 「綱紀粛正・再発防 止策の徹底」 は、 県民世論の反発の一時的な鎮静 化を図る 「対症療法」 でしかない。

米兵事件をなくす特効薬は、 撤退か大幅な兵力 削減にしか見いだせない。 そこに踏み込まない限 り、 米軍の 「足跡」 は沖縄県民の 「傷跡」 を深め、

痛みを増す悪循環を断ち切れないだろう。

3、 基地重圧の象徴的数字と 優良地を組み敷いた米軍

戦後63年がたつ今でも、 沖縄の基地問題を象徴 する数字に0.6%と75%がある。 沖縄県土は国土 の0.6%しかないが、 米軍専用基地の約75%が集 中していることを示す。 米軍専用基地とは、 日米 地位協定3条3項によって、 「排他的管理権」 を 与えられた基地だ。 どのような訓練をするのか、

どのような建物を造るのかなど、 日本の法律の規 制が及ばずに運用できる基地のことを指す。 日本 の国土に置かれた基地を、 治外法権的な形で思い のままに使えるのが米軍専用基地である。

0.6%の沖縄の島に約75%の基地 (2008年 1 月 1 日現在の最新データでは74.23%) をずっと抱え 続けていることで、 県民の人権侵害の頻度や割合 もそれだけ高くなる。 海兵隊員の兵士が起こす事 件・事故は群を抜いて多い。 海兵隊は、 米国が有 事に突入すれば、 最初に派遣されて敵の目前に上 陸して、 橋頭堡を築く任務を担う 「殴り込み部隊」

だ。 高校を卒業したばかりの若い兵士が本国での 初歩的な兵員教育の後に沖縄に派遣され、 上官か

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ら徹底的に鍛えられる。 若い彼らは本国から離れ た生活と厳しい訓練でストレスをため込み、 週末 ごとに飲酒絡みの事件・事故を引き起こす。 在沖 米兵 2 万3,000人〜8,000人のうち 1 万8,000人を海 兵隊員が占めている。 海兵隊の大規模駐留は県民 を被害者とする事件を多くする要因となっており、

沖縄社会の悩みの種となっている。

沖縄県内で起きた米軍機の墜落事故は1972年の 沖縄の施政権返還以来、 42件も発生している。 市 街地の基地で離着陸し、 沖縄本島の陸域を飛び回っ ているヘリコプターだけでも16機が墜落している。

米軍基地の沖縄への集中に対し、 沖縄経済が脆 弱であるから致し方ないと主張する人がいる。 基 地経済にどっぷり浸った沖縄は、 基地を手放せな いという見立てであろう。 だが、 沖縄県民はけっ して望んで基地を受け入れてきたわけではない。

沖縄戦後史を振り返る時、 忘れてならないのは、

日本軍が接収した基地を沖縄戦後にそのまま米軍 が引き継いだことだ。 それでも基地が足りなくな り、 米軍は1950年代に銃剣とブルドーザーによっ て豊かな農村の集落を押しつぶして基地を拡張し た。 その大半は海兵隊基地で、 朝鮮戦争後に日本 本土に駐留した海兵隊の第 3 海兵師団が、 各地の 反基地闘争で本土に駐留しづらくなり、 日米両政 府は、 日本から切り離されていた沖縄に押し込め た。 「銃剣とブルドーザー」 による基地接収では、

お年寄りや女性、 子どもたちまで強制的に排除し た。 家人を力づくで担ぎ上げて外に出し、 目の前 でブルドーザーを使って人が住んでいる住宅を家 財道具もろとも押しつぶして基地として組み敷い たケースは枚挙にいとまがない。

沖縄戦後史の中で、 軍用地の強制接収問題は、

憲法の財産権、 平和的生存権を侵す人権問題とし て長く位置づけられ、 今に続いている。 その延長 線上に、 約75%の米軍専用基地の集中があるので ある。 沖縄本島中部では、 面積の 83%を嘉手納 基地が占めている嘉手納町に象徴されるように、

平たんで人が住みやすく、 農業にも向き、 工場も 建てやすい優良地をことごとく基地に奪われた。

沖縄経済の脆弱さは米軍基地の形成課程と背中合 わせなのである。

4、 基地の危険性と 「軍事優先の牙」 を

照らし出した 「沖縄国際大米軍ヘリ墜落事故」

沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落した ときの映像がある。 これは地元の琉球朝日放送 (テレビ朝日系列) の取材クルーが事故直後の現 場の映像を記録したものだが、 特に米軍が封鎖し た大学構内、 ヘリが激突した本館内部に果敢にカ メラを入れて取材をした貴重な映像だ。

(シンポジウムで上映した映像内容)

★米兵は、 一時的に記者とカメラマンの2人を拘 束し、 カメラがとらえた映像テープを没収しよう とした。 現場を離れたカメラマンに追いすがる米 兵の一群を市民や大学生らが取り囲んで、 一触即 発の押し問答の末に米兵を追いやった。 傍若無人 な米軍による 「報道の自由」 侵害を市民が防ぎ、

重大事故の生々しい映像を守ったのである。 ★

2004年 8 月13日午後 2 時18分、 沖縄本島中部に ある宜野湾市の米海兵隊普天間基地に隣接する沖 縄国際大学に、 米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリ コプターが墜落した。 気温が32度を超える猛暑の 中、 制御不能に陥ったヘリは、 学長室がある本館 1 号館の屋上にのしかかるように激突。 そのまま、

ずりおち、 校舎の外壁をローター (主回転翼) で 削り取りながら落下、 地面にたたきつけられて爆 発・炎上した。

現場に駆け付けると、 黒焦げになったヘリの残 骸が無惨に横たわり、 航空燃料や部品が焼けた強 烈な異臭が漂っていた。 「死者はいない」 との知 らせが届いてもしばらくは信じることができなかっ た。 飛行中に異常が生じ、 機体が制御できなくなっ

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たヘリは、 沖国大から道路を隔てて建っている 8 階建てマンションの屋上部分のわずか数十センチ 上をかすめ、 大学に突っ込んだ。 わずか数秒、 墜 落が早まっていたら、 住宅密集地に落ちていたの は確実だ。 夏休み中の大学構内には学生が少なかっ たため、 民間人の死傷者が出なかった。 まさに奇 跡であった。

墜落現場から約500メートル離れた普天間基地 では、 迎撃用のスティンガーミサイルを操る部隊 が行軍訓練中だった。 爆発音と真っ黒な煙が上がっ た瞬間、 約100人の兵士が基地のフェンスを飛び 越えて沖国大構内になだれ込んだ。 機体周辺に出 入りを禁ずるテープを張り巡らし、 大学職員、 学 生、 市民、 報道陣を強引に排除した。 現場確認に 臨もうとした沖縄県警の捜査員や宜野湾市消防本 部の隊員でさえ、 墜落地点に近づけなかった。 事 故から 2 日後、 現場を視察した外務省ナンバー 3 の政務官が 「ここはイラクじゃない。 日本の主権 はどうなったのだ」 と憤りをあらわにするほど、

米軍の強権が際立っていた。

沖縄県警が、 航空機の墜落事故の 「最大の物証」

である機体に指一本触れることができないまま、

米軍は機体を米本国に運び去った。 だが、 外務省 は 1 週間とたたず、 日米地位協定上も明確な規定 がない米軍による 「現場封鎖」 を追認。 「ヘリの 機体や墜落原因、 積載物などは軍事機密で、 米軍 の財産に当たる。 現場検証は、 日本側との緊密な 協力の下で実施され、 問題は一切ない」 との公式 見解を示し、 米軍の強制的な市民・報道陣の排除 を正当化してしまった。 米軍の不当な行為がなさ れても、 その尻ぬぐいに回る日本政府が、 基地被 害の改善の厚い壁となって立ちはだかる。 この墜 落事故はあらためてそれを見せつけた。

事故を起こしたCH53D型ヘリは、 イラクに派 遣されるため、 ハワイのカネオへベイ基地から岩 国基地 (山口県) を経由して飛来。 普天間基地と 強襲揚陸艦との間を調整飛行していた。 普天間基

地の整備兵士は、 間断なく飛来するイラク派遣ヘ リの整備に追われ、 一日17時間もの過酷な勤務を 強いられていた。 その過労から、 ボルトを閉め忘 れ、 ヘリの非行姿勢を制御する尾翼ローターが、

飛行中に完全脱落するという、 信じ難い事故原因 が米軍側の調査によって判明した。 沖国大ヘリ墜 落事故は、 市街地に接して使用され、 国際情勢と 連動して酷使される基地の危険性と、 対米従属の 断面を浮かび上がらせた。

沖国大での事故に先立つ2001年 9 月11日の同時 多発テロの約 2 時間後、 私は普天間基地のゲート 前で、 警備の憲兵と写真撮影を認めるか否かで対 峙した経験がある。 「出て行け」 と怒鳴り散らす 憲兵に食い下がったところ、 私を不審者と見なし た憲兵は、 私の額の少し上ぐらいの頭部にライフ ルの銃口を向け、 威嚇した。 相棒のカメラマンは、

屈強な憲兵にデジタルカメラを奪われ、 記録媒体 のカードを抜かれてしまった。

在沖米軍は、 1995年の少女乱暴事件後、 沖縄の 地元社会との友好・親善関係を築きたいと、 「良 き隣人」 政策を盛んにアピールしている。 兵士ら の綱紀粛正を促しつつ、 沖縄の近現代史や米軍に 対する複雑な県民感情を教えたり、 ボランティア 活動や地域の祭りへの組織参加などを通し、 沖縄 社会に米軍への親近感を抱いてもらうことを目指 している。

だが、 日頃どんなに 「良き隣人」 を装っても、

米国が有事に突入したり、 守るべき財産や軍事機 密につながる情報が外部の手に渡りかけた時、 一 瞬にして軍隊の本質が姿を現し、 基地や現場に近 づく県民を不審者扱いして排除する 「軍事優先の 牙」 がむき出しになる。 沖国大のヘリ墜落事故と 9・11同時多発テロの厳戒態勢は、 住民の平穏な 生活が軍事情勢の荒波によって揺さぶられる沖縄 の現実と、 県民と米軍、 そして日本政府との埋め がたい溝を鮮明に照らし出すものだった。

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5、 怖い怖いと泣く幼児 基地取材の原点

今回のシンポジウムには、 「沖縄・戦争・子ど も」 という副題が付いている。 沖縄の基地被害の 象徴である嘉手納飛行場の爆音問題を、 いかに子 供に悪影響を与えるかという視点を軸に報告した い。

1991年から1995年まで社会部の司法を担当して いた。 94年 2 月には那覇地裁沖縄支部で言い渡さ れた嘉手納基地爆音訴訟の一審判決を取材した。

嘉手納飛行場には、 3,700メートルの滑走路が 2 本ある。 判決を前にした連載取材で、 離着陸コー スの真下に位置する北谷町 (ちゃたんちょう) の 砂辺 (すなべ) 集落に入った。 砂辺は爆音禍が最 もひどく、 国が指定する騒音区域の第 2 種、 第 3 種に入る住宅が大半を占める。 その中でも第 3 種 区域は、 うるささ指数が90以上で、 環境基準値の 70を大きく超え、 本来であれば、 人が住んではい けない地域だ。 基地被害の実態を覆い隠したい国 は、 砂辺の民家買い取りを進め、 「緩衝地帯」 化 に腐心している。 砂辺では、 既に約220世帯が生 まれ育った愛着のある故郷を後にしており、 地域 のコミュニティにも崩壊の影が忍び寄っている。

沖縄では、 米軍機の騒音を爆音と表現する。 嘉手 納基地、 普天間基地の両騒音訴訟は、 「爆音訴訟」

と呼ばれている。 沖縄戦で激しい空襲を受け、 生 死の淵をさまよった経験をもつ住民は、 米軍機の 騒音によって沖縄戦の記憶を呼び起こされる人が 多い。 ぬぐい難い心身の傷を負った戦争体験を下 に、 米軍機の騒音を 「爆音」 と呼ぶのである。

日々降り注ぐ爆音は、 最高で120デシベルに及 ぶ。 110デシベルの音とは、 車から 1 メートル離 れて、 耳をすませて警笛を聞くのと同じレベルの 猛烈な音である。 120 デシベルの音は、 もはや想 像を絶する 「激痛音」 だ。 主力のF15戦闘機の頻 繁なタッチアンドゴーでまき散らされる爆音は特 にひどい。 部屋の中で 1、 2 メートル離れている

家族との会話が全く成り立たず、 テレビや電話の 音も聞こえない。 砂辺では、 そんな生活寸断が、

1 日に80回、 90回、 100回、 多い日には120回以上 ある。 遮る術もなく、 予測不能なまま、 不定期に 押し寄せる爆音のため、 いらだちだけが募ってい く。

学校現場での学習妨害も深刻だ。 1 機の離着陸 によって、 全く音が聞こえない時間が 5 秒間ある とすると、 児童・生徒が落ち着き、 先生の声が教 室の隅々まで響くようになるまで約1分はかかる という。 これが 1 時間の授業の中に 5 回から10回 ある。 沖縄県教職員組合の調べでは、 義務教育の 9 年間のうち、 1 年から 2 年分の授業が寸断され、

学習時間にカウントできないという。 沖縄県は、

大田県政時代の95年から98年までの 3 カ年間、 大 規模な疫学調査を実施し、 嘉手納基地周辺住民の 騒音被害の実態を本格的に把握した。 多くの住民 が、 睡眠妨害、 不眠にさいなまれると訴え、 生活 寸断のストレスが耐え難いほど高まっている人が 多いことが分かった。 それに加え、 日常生活の中 で爆音にさらされ砂辺を中心に12人の人たちが聴 力を損失しているという明白な健康被害が生まれ ていることが明らかになっている。

1974年から93年までの20年間に県内で生まれた 子どもたちの統計を調べてみると、 沖縄本島全体 で2,500グラムから2,000グラム未満 (2,000グラム から2,500グラム未満) の低出生体重児の割合が 全体で7.3%だったが、 基地に接する嘉手納地区 では1.6%高い8.9%となっていた。 3,000人以上の 住民を綿密に聞き取り、 診察した大規模な疫学調 査の中で 1.6%という数値の差は統計的にも大き い。 子どもたちに前の日に読んでもらった文章を 翌日思い出して確認する調査でも、 基地周辺の子 どもたちには記憶力の低下がはっきりと結果に出 ている。

嘉手納基地周辺の爆音の激しい周辺地域の学校 に赴任した先生たちを取材すると、 「声を荒らげ

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たり、 不必要に大声を上げる。 普通の声で会話が できる距離なのに、 大きな声を上げて会話をする 生徒たちが目立つ」 という話をよく聞く。

嘉手納基地爆音訴訟一審判決を前に、 私たち取 材班は原告住民の思いに肉薄しようと、 砂辺を集 中取材した。 私が訪ねたのは、 基地従業員を定年 退職したばかりのAさんだった。

Aさんの長男は、 高校卒業後、 就職して家を出 た。 二十三歳になって、 職場で知り合った女性と 結婚。 Aさんは息子の結婚を喜び、 退職金を充て て自宅の敷地内に長男夫婦のために家を建ててあ げる。 砂辺の新居に落ち着いた息子夫婦は男の子 を授かり、 二世帯で団らんの日々が始まった。

だが、 ほどなくして、 嘉手納基地の爆音がその 生活を壊してしまう。 長男の嫁の出身地である沖 縄本島南部では、 ほとんど米軍機や民間航空機の 騒音は聞こえない静かな地域だった。 砂辺に引っ 越してきてから、 嫁は経験したことのない爆音に 毎日、 何十回から百回以上もさらされ、 心身とも に変調を来していった。 「眠れない」 と訴え、 や せ衰えていく妻を見かね、 新居で一年も暮らさな いうちに長男は妻子をつれて砂辺から他の地域に 移っていった。 自ら、 定年まで基地従業員として 勤めていた嘉手納基地の米軍機から発生する爆音 が、 嫁の健康を損ない、 かわいい孫も一緒に砂辺 を去っていかざるを得なくなった切なさを、 Aさ んは誠実に語ってくれた。

話を聞いているそばで、 転居して妻の体調が回 復し、 共働きに出ている長男夫婦から預かってい る孫の男の子が遊んでいた。 1 歳になったばかり で、 よちよち歩きの危うさがかわいらしかった。

ちょうど、 お昼すぎの午後 1 時前、 その男の子が 突然、 Aさんにたたたと駆け寄り、 ひざに抱きつ いて泣き出した。 何が起きたのかと思っていると、

10秒から15秒ほどして、 F15戦闘機の編隊が 2 機 ずつ、 計 6 機が 「キーン」 という轟音をまき散ら しながら、 着陸していった。 Aさんの孫は、 戦闘

機が降りて来るという予兆を感じ取り、 一日に何 度もパニックに陥って、 泣き出すのだという。 事 態がのみこめた私は、 ただ、 呆然とするしかなかっ た。 F15の爆音が鎮まった後、 Aさんが 「この子 が最初に覚えた言葉は何だと思いますか」 と私に 尋ねた。

私が答えあぐねていると、 Aさんは 「パパでも ママでも、 父さん、 母さん、 じいじぃ、 ばぁばぁ でもないんです。 この子が最初に覚えたのは、 嫁 が戦闘機が降りてくる度に口にしていた 怖い、

怖い という言葉なんですよ」 と言った。 わずか だが、 その口調に怒りを帯びたのが分かった。

基地と接して暮らすことの重さ、 基地被害の深 刻さに言葉を失い、 私は衝撃を受けた。 愛着のあ る生まれ育った地域で育つ子供たちの心身に、 爆 音がどれほど悪影響を及ぼしているかを考えた時、

暗然とした思いがわいた。

沖縄の新聞で、 基地関連の取材に携わる記者は、

基地被害に向き合う住民の話を聞き、 強い怒りを 覚える時がある。 その憤りの矛先は、 米軍のみな らず、 異民族統治時代から連綿と続く基地被害に 目を背け、 抜本的な解決策に踏み込まない日本政 府に向いていく。 いや、 とげとげしい気持ちは日 本政府に対しての方が強いだろう。

基地に接して暮らす住民の苦しみを共有しなが ら、 住民の目線で基地問題をとらえ、 時には肩肘 を張ってでも米軍や政府に対して、 基地の弊害を 突いていく―。 これが、 沖縄の基地報道の軸足だ と思う。 「怖い、 怖い」 と泣いた男の子の恐怖に ゆがんだ顔は、 私の基地取材の原点として今も胸 に刻まれている。

6、 沖縄から見た憲法

「憲法 9 条と沖縄・米軍駐留」 について、 沖縄 から問題提起をしたい。

東西冷戦の中で、 日本の 「盾」 は自衛隊だった。

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憲法の制約の中で、 専守防衛というたががはめら れていた。 日本を拠点にして、 日本以外の領域に 飛び出して日本を守るという抑止力の 「矛」 とな るのは在日米軍だった。 自衛隊と米軍の分離、 役 割の分担が冷戦下にはあった。 国際紛争を解決す る手段として武力行使を排除することを宣言しな がら、 世界最大の軍事力を持つ米国の軍隊に際限 なき権限を与えるような駐留を許す日本の矛盾が 積み重なる中で、 日米安保条約と憲法9条の矛盾 が指摘を受けるようになってきた。 その中で、 戦 後27年間、 沖縄が米軍統治という形で日本から切 り離されたことを土台に、 米軍は沖縄の基地を自 由使用した。 本土復帰後も米軍基地の負担が軽減 されずに、 沖縄に偏在し続けている状況がある。

現在の憲法論議、 特に 9 条改正をめぐる論議を 沖縄戦後史から俯瞰すると、 焦点は一つの像に結 ばれていく。 端的に言えば、 憲法という国の基本 法が、 日米同盟にがんじがらめにされ、 改悪の対 象にされていくという危うさだ。 憲法と日米安保 体制のどちらが上位に位置するのか、 ますます混 沌としてきたように思う。

沖縄在住で、 元津田塾大学教授の政治学者であ るダグラス・ラミスさんは、 アメリカの公文書の 中で 「平和憲法を起草したマッカーサー米司令官 は、 沖縄の基地化で、 本土に軍を配置することな く日本の安全を保証できると主張した」 とする内 容を見つけた。 ラミスさんは 「9 条の存在を保障 したのは護憲運動のみならず、 沖縄の軍事基地化 であった」 と指摘する。 沖縄に基地を集中するこ とによって日本は戦後の経済的な繁栄を担保した。

経済に集中して軍備に金をかけずに国の基盤をつ くった。 治外法権に近い状況での人権侵害が相次 ぎ、 その苦しみから解消されることを期待した沖 縄の人たちが希求したのが平和憲法の下への復帰 だった。 だが、 沖縄返還では、 米軍基地の自由使 用はほぼ引き継がれ、 「基地のない平和な島」 と いう望みはかなわず、 復帰から38年たった今も基

地の過重負担に変化はない。

憲法と安保・日米同盟の力学変化の節目には、

沖縄の姿が現れる。 その事実の重さをしっかりと 見据えておきたい。 有事法制整備の発端は、 1996 年の橋本首相とモンデール駐日大使による普天間 飛行場返還と同時になされた 「日米有事研究開始」

の表明だった。 直後の橋本首相とクリントン大統 領の首脳会談は、 日米安保共同宣言を繰り出し、

「地球的規模」 での協力を明言した。 日米安保は、

95年の少女乱暴事件以後にうねりを見せた沖縄基 地問題を転機に、 「軍事同盟」 の色合いを鮮明に する方向へ舵を切ったのだった。 その延長線には、

97年の 「日米防衛協力の指針」 (新ガイドライン) があり、 周辺事態法から有事法制整備が一体となっ た流れがある。 日米同盟の質的転換が、 自衛隊の 役割を高め、 日本政府自らが自衛隊増強を望み、

米国との 「軍事融合」 を強める構図が続いている。

軍事的な日米同盟のかつてない強化が、 憲法を凌 駕しかけている。 こうした状況は 「憲法の安保 (条約) 化」、 もしくは 「全国の沖縄化」 の布石で はないのか。

だが、 護憲運動の中にもこうした危うい状況を どう受け止め、 9条堅持を主張する中で運動にど のような息吹を吹き込み、 解決していくのかとい う動きが見えづらい。 法の下の平等を確立する視 点に立ち、 本土と沖縄の基地負担の大きな差をど う解消していくのかという重要な論点も護憲運動 に突き付けられた課題ではなかろうか。

9 条を標的に、 改憲を声高に叫ぶ勢力がいる中、

憲法改悪は絶対に阻止しなければならない。 その 危険から逃れる方法は、 憲法の平和条項を維持し、

具現化していく国家・外交戦略を明確にし、 特に アジアの多国間安保を醸成していく中で、 軍事大 国化の道を消していく営みしかないのではないか。

沖縄が基地の島から脱け出すには、 現憲法の平和 主義と国際協調主義を再び 「国の基本形」 として 取り戻し、 「軍縮」 への誓いと行動を国の在り方

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の根幹に据える努力が不可欠だ。 その土台として、

対米一辺倒の外交姿勢を変革していくことが必要 であることは論を待たない。

7、 米軍再編 基地負担軽減の虚飾と 密約外交の闇

日米同盟が軍事色に染められていく流れを決定 的にしたのが、 在日米軍再編だ。

2001年9月の同時多発テロ事件、 アフガン、 イ ラク戦争を通して、 米ブッシュ政権は、 国土防衛 のためには先制攻撃も辞さないとする 「単独主義」

に傾き、 軍事優先に拍車を掛けた。 在沖米軍基地 は、 北朝鮮から中東までの 「不安定の弧」 をにら み、 国家とは異なる非対称の脅威であるテロリズ ムとの戦いの拠点と位置づけられ、 機能強化が進 んでいる。

世界的に情報通信、 輸送手段、 すべての軍事技 術が革命的に進歩している中で、 米軍再編は、 全 世界に展開している兵力を固定的にとらえず、 もっ と柔軟で効率的な配置をして、 米国の予算を有効 に使いつつ、 軍事機能は向上させるという戦略の 練り直しの中から出てきた概念だ。

1998年、 沖縄に初めて基地の県内移設を容認す る県政ができた。 大田昌秀氏を破り、 知事に当選 した稲嶺恵一氏は、 普天間飛行場の県内移設先に 名護市辺野古沖を選択した。 結局、 当初の辺野古 移設案は、 反対派市民の体を張った粘り強い反対 運動で作業が停滞。 そのうちに、 在日米軍再編で 従来の移設案は頓挫するに至った。 基地新設反対 の闘いが米軍再編での移設見直しを迫る形で、 従 来案を撤回させる成果を上げたのだ。

当時の小泉純一郎首相は、 普天間基地の本土移 設も選択肢であるという発言を何度か行い、 ほと んどの世論調査で、 県内移設反対が 7 割以上を占 め続ける沖縄県民は、 本土への移設、 米領グアム への撤収もあり得るのではないかという期待感を

高めた。 しかし、 結局、 日本側は対米交渉で押し 切られて、 またもや辺野古に普天間基地の代替施 設を置くという決着に至った。

米軍再編のキャッチフレーズは、 「基地を抱え る地域の負担軽減」 と 「抑止力維持」 だった。 国 民には、 抑止力と負担軽減が両立していて、 5 対 5 ぐらいで進めているというイメージがあったは ずだ。 しかし、 米軍再編の交渉過程を振り返り、

日米合意文書 「日米同盟 未来のための変革」 を 読むと、 「抑止力維持」 を重視する米側に日本が 押し込まれる構図が見える。 一方で、 日本側には 自ら望んで自衛隊と米軍の融合を目指し、 自衛隊 を 「戦える軍隊」 に変貌させようという意図が働い ていたことも明らかだ。 アジア・太平洋地域を中 心に、 世界を見据えた米陸軍の紛争を指揮する中 央軍の司令部がキャンプ座間に移る計画を日本側 が積極的に受け入れたことがそれを証明している。

沖縄の地から見ていると、 自衛隊の増強、 米軍 基地の共同使用に名を借りた日米の 「軍事融合」

の最先端に沖縄が位置づけられたことが分かる。

沖縄の陸上自衛隊は訓練射撃場をもたないため、

実弾射撃演習は九州の演習場に出かけていた。 米 軍基地が多く、 自衛隊が自前の射撃場を持つこと を県民が許さないという状況があった。 しかし、

陸自は嘉手納弾薬庫内の旧東恩納弾薬庫地区とい う場所に、 専用の実弾射撃訓練場を建設している 陸自は、 今回の米軍再編によって、 さらに沖縄本 島北部の 5,000 ヘクタールの広大な米軍演習場・

キャンプ・ハンセンの共同使用を獲得。 3 月から 陸上自衛隊部隊と米軍の共同使用が始まり、 偵察、

爆破、 謀略、 情報工作まで、 イラクに派遣された 米軍の特殊部隊のノウハウを自衛隊が直に学ぶ実 戦を想定したきな臭い演習が行われるようになっ ている。

最大懸案である普天間飛行場の返還問題は、 代 替新基地の形態が、 「V字滑走路案」 に修正され ただけで、 名護市辺野古のキャンプ・シュワブと

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周 辺 海 域 に 押 し 込 め る 構 図 は 温 存 さ れ た 。 約 1,800メートルの滑走 2 本を据え、 離着陸で使い 分けるという奇手を放った 「V字案」 の総面積は 210ヘクタール。 キャンプ・シュワブ内の辺野古 岬を貫き、 辺野古湾から北方の大浦湾に至る約160 ヘクタールの海域を埋め立てる計画で、 特別天然 記念物ジュゴンの保護にも暗雲が立ちこめてい る。

「再編の果実」 「沖縄の抜本的な負担軽減」 と盛 んに宣伝された、 嘉手納基地より南に位置する六 つの海兵隊基地の返還は、 在沖海兵隊員8,000人 のグアム移転が完了しないと実現しない。 その逆 に、 米側は、 グアムの新基地建設費用 (約一兆 2,000億円) のうち、 60% (約7,000億円) を日本 政府から得る。 普天間移設が実現しない間も日本 政府の資金で、 グアムの新基地の整備は着々と進 む。 こうした 「パッケージ」 はあまりにも米側優 位な構図となっており、 米国の 「独り勝ち」 の様 相を呈しているといっても過言ではあるまい。

逆に、 沖縄の 「基地負担の軽減」 は完全な後回 しとなっている。 2007年には、 嘉手納基地に最新 鋭のF22ステルス戦闘機が一時配備され、 嘉手納 基地では地元が猛反発するパラシュート降下訓練 が07年、 08年と実施されている。 米軍再編で合意 した 「パトリオットミサイル」 は2006年秋に配備 を完了している。

米軍再編の普天間飛行場移設をめぐる 「V字案」

の日米合意を通して、 浮き彫りになったことの一 つに、 日本政府による情報の恣意的な取り扱いが ある。 普天間基地のヘリ部隊が使用しているCH 53、 CH46の後継機について、 米海兵隊幹部が最 新鋭の垂直離着陸機MV22オスプレイだと何度も 確認しているのに対し、 日本政府は 「正式には聞 いていない」 と言い張るばかりだ。 また、 米軍側 が、 現在の普天間基地にはない機体に弾薬を積み 込む 「装弾場」 の新設や、 214メートルの岸壁が 設置されることも米情報公開法を駆使した市民団

体の調査で暴かれている。 さらに、 V字滑走路は、

住民地域に拡散する騒音への懸念に配慮し、 離着 陸で使い分けるとされているが、 有事には住宅地 上空を飛行することを合意したにもかかわらず、

日本政府が合意した事実を公表しないよう米側に 求めていたことも明らかになった。 新基地周辺住 民が 「基地機能強化」 と反発することを見込み、

新基地建設にマイナスとなる情報については、 徹 底して封印しようとした日本政府。 その姿勢は、

米国が支払うべき 3 億 2 千万ドルに上る巨費を裏 負担しながら、 国会や国民にうそを突き通した

「沖縄返還密約」 と重なる。 「密約外交」 の闇は今 も深く、 沖縄の基地負担の裏面に横たわっている。

8、 基地被害の源流

「日米地位協定」 と機密解釈書

沖縄の基地負担が改善されない原因の一つに、

「日米地位協定」 があると指摘される。

2004年 1 月 1 日、 琉球新報は外務省の無期限機 密文書 「日米地位協定の考え方」 の全容を特ダネ として報じ、 同時に基地被害の根幹である日米地 位協定の改定キャンペーン 「検証 地位協定 平等の源流」 を展開した。 「―考え方」 は、 沖縄 の施政権返還前の1973年 4 月に、 外務省条約局と アメリカ局 (現北米局) が作成した。 在日米軍の 法的地位や基地運用に関する決まり事を定めた

「日米地位協定」 の逐条解説書だが、 日米の力関 係の前に、 法解釈を曲げてまで在日米軍の組織、

兵士の擁護に回る日本政府側の姿勢が随所に出て くる。 日本の主権さえ損なう対米追従の解釈は、

国会などでの答弁作成の裏マニュアルとして活用 され、 国民の権利を侵害してまでも、 米軍基地の 使い勝手を優先する日本の外交の恥部が凝縮され た箱のような文書だ。

「―考え方」 の特報後も、 外務省は 「文書は存 在しない」 という姿勢に終始、 与野党を超えた県

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選出・出身国会議員が国政調査権を基に追及して も、 だんまりを決め込んだ。 事態を動かすため、

琉球新報は 2 週間後の 1 月13日朝刊で、 全部で13 面を使って 「地位協定の考え方」 の全文を一挙に 掲載した。 編集局員総掛かりの記事入力作業でこ ぎ着けた全文掲載の後、 私たち取材班は、 作成当 時のアメリカ局の事務官で、 文書を執筆した有力 大使経験者を突き止めた。 取材すると、 彼は省内 の解説書だったことと自ら執筆したことを認め、

「増補版」 が存在することも明らかにした。

これも 1 面トップで報じ、 外務省はようやく、

「―考え方」 の存在と 「増補版」 が存在すること を認めた。 情報開示請求を行い、 多くの国会議員 も開示を迫ったが、 外務省は 「米国との信頼関係 を損なう」 として開示を拒んだ。 現在の基地運用 の中で用いられている 「増補版」 をどうしても報 じる必要があった。 外務省のガードは堅く、 半年 が過ぎた夏、 私たち取材班は、 ようやく 「増補版」

全文を手に入れた。 それは、 当初の 「―考え方」

(159ページ) から10年後の1983年12月に作成され、

ページ数は259に増え、 主要条文や日米間で問題 化した米軍関連の事件・事故事例や解釈、 解説な どが 「補加筆」 されていた。

「増補版」 作成時の1983年前後は、 ソ連機ミグ の亡命事件や、 米軍駐留経費の日本側負担 (思い やり予算) の増大、 米兵犯罪の増加など、 沖縄な ど、 基地を抱える地域の負担は強まる状況の変化 があった。 しかし、 外務省は米側に地位協定の改 定を求めるのではなく、 あらゆる解釈手法を駆使 して、 米軍の特権の維持、 拡大に動いていた。

地位協定が包含する多くの矛盾点を、 「改定」

ではなく、 「解釈」 で乗り切ろうとするあまり、

法的にも政治的にも無理が生じている点や、 国会 で追及された場合には 「答弁に苦慮する」 と予測 している点などを赤裸々に記している。 「無期限 秘」 の内部文書の性格から、 対米追随の理不尽な 協定解釈と日米の力関係、 外交の実態が一目瞭然

となっていた。 琉球新報は増補版入手の特ダネを 放ち、 再び連載企画で、 基地被害に苦しむ住民に 背を向けて米軍優位の解釈を積み重ねる様子を詳 しく報じた。 さらに、 9 日間連続で 1 日 2 ページ を使い、 「増補版」 の全文を掲載した。

私たちは、 「地位協定の考え方」 の 2 度の特報 によって、 全国メディアも報道に参戦し、 協定改 定の世論と政治の動きが高まることを期待した。

本土メディアの那覇支局や旧知の外務省や防衛省 担当記者から電話があり、 「しつこく、 迫力があ るキャンペーンだ」 などの感想も聞いた。 しかし、

後追いする報道機関は県内のライバル紙だけで、

外務省が最も恐れていた対米追従をただす動きは、

メディアでも政治の場でも広がりが一部にとどまっ てしまった。 私たちの力不足であり、 反省するし かない。

一方で、 米国との関係に論を立てない、 長い日 米同盟の継続性を当然視するあまり、 対米従属の 連鎖を断ち切れない日本政府の外交姿勢の弊害を 突き、 問題視して改めさせる 「論」 を立てる姿勢 が希薄になっている日本のメディアの問題点もくっ きりと浮かび上がったように思う。

条文が多岐にわたり、 あまりにも多くの問題点 を抱えている日米地位協定の弊害を詳述するには、

紙幅が限られているので、 「地位協定の考え方」

を通して見えた対米追随の継続性と深化の問題点、

メディアの課題に触れるにとどまったことをお許 し願いたい。

9、 「落としどころ報道の落とし穴」 を超えて

沖縄の基地問題を中長期のスパンで振り返ると き、 一貫しているのは、 「基地のない平和な島」

を求める沖縄側に対し、 日本政府側が政治的妥協 を迫る構図であろう。

政府の沖縄担当者や自民党の一部国会議員、 ま た一部の記者と話すと、 こういう趣旨の皮肉とも

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つかない物言いを聞くことがある。 防衛利権汚職 事件で、 収賄罪で起訴された守屋武昌前防衛事務 次官も何度か、 記者団の前で同じことを公言して いる。

「沖縄の皆さんは、 米軍の事件・事故が起きる と、 右手の拳を振り上げて抗議するが、 逆の手の 平は上を向いて、 しっかり金を要求してるじゃな いか」

基地の重圧を主張し、 怒ったそぶりをしながら 振興策を要求し、 それが満たされれば妥協するの だろう―。 政府からの財政投入を尺度に、 沖縄側 の出方を予測する姿勢は、 永田町の政治家や官僚 だけでなく、 本土メディアの中にも存在している と感じざるを得ない。 沖縄県民の一人として、 残 念な思いを抱くが、 戦後初めて、 大規模な基地建 設を自ら認める県政を抱えている以上、 その現実 も直視しないといけない。

だが、 沖縄の基地問題が膠着状態になったり、

政府がもくろむ方向に進展しない期間が長引いた 時、 特にメディアの報道姿勢の中に潜む前述の沖 縄観は、 「落としどころ報道の落とし穴」 にはま りこむ要因である気がしてならない。 日本の政治 報道は総じて、 問題やもめ事の決着点を見通す ニュースをつかむことが重視される点で、 「落と しどころ模索報道」 と言えるだろう。 沖縄問題で は、 最大懸案の普天間飛行場の県内移設問題で、

沖縄県、 名護市などの地元市町村、 地元集落がど のような条件なら受け入れるのかという決着点に 取材の焦点が向けられる。 それが、 もちろん重要 なニュースであることは否定しない。 だが、 その 伝え手たちに 「沖縄側が妥協するだろう」 という 先入観が支配していないだろうか。

日本の国防政策は、 米国の世界戦略に取り込ま れながら、 自衛隊と米軍の 「軍事融合」 をどんど ん進めている。 その危険性や、 基地周辺住民の日 常的な苦しみなど、 まだまだ掘り下げ不足の課題 は山積している。 それが取り残されたまま、 政府

や自民党の国防族の有力者などの発言が前面に据 えられる東京発の報道が繰り返されるうちに、 沖 縄の妥協点を探り、 基地重圧の本質がかすんでい く。 1995年の少女乱暴事件以来、 十数年間、 こう した悪循環が続いているように思えてならない。

日米安保をめぐる 「受益」 と 「負担」 の著しい アンバランスをどう是正していくかは、 日本のメ ディアが追及し続けるべき課題だ。 このまま米軍 との 「軍事融合」 を強めることの是非に関し、 国 民に判断材料を与える 「論」 を立て、 日米安保を 絶対視せずに、 あるべき国の在り方について筆を 振るう記者がどれだけいるのか、 いたのか。 沖縄 の新聞で働く私たちを含め、 メディアは厳しく問 われている。

9・11同時テロ、 アフガニスタン戦争、 イラク 戦争と、 戦争が漂わせた暗雲が少しだけ晴れた今、

米国の先制攻撃によるイラク戦争を正当化し、 支 持したスペイン、 イタリアは総選挙で政権が倒れ、

最強の同盟関係を結んでいたイギリスのブレア首 相も退陣に追い込まれた。 米国を支持し続ける政 権の枠組みが維持されているのは日本だけである。

私たちは、 国民が意見を形成する上で、 日米同盟 の内実にくさびを打つ深層に迫り、 国民の判断材 料を提供できているだろうか。 政治との距離に基 づく国民性の違いと片付けられる問題ではないだ ろう。

日常生活を脅かす基地の弊害を定点観測しつつ、

対米追従を繰り返すこの国の在り方を考えること は、 憲法をどう守り育て、 具現化するのかという 営みと結びつくはずである。

今ほど、 こうした報道姿勢が求められている時 期はないように思う。 日米安保を通して国の姿が 見える基地の島から、 腰を据えた取材を重ねてい きたい。

参照

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