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Academic year: 2021

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調査地概要

著者 市山 修平

雑誌名 静岡市・由比 入山および由比川流域. ‑ (フィール ドワーク実習報告書 ; 平成29年度) 

ページ 1‑4

発行年 2017‑12

出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース

URL http://hdl.handle.net/10297/00024970

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調査地概要

1 調査概要

静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コースでは、人類学的なフィールドワークの手 法を実際に学ぶために、毎年現地調査を行っている。2017年度は64日~8日までの5日間、

静岡県静岡市清水区由比入山に滞在し、現地で調査した。

今回の実習では、教員3名、学生10名の計13名が参加し、由比の玉鉾旅館に宿泊した。

学生はそれぞれ興味をもった分野について、自発的に調査を進めた。滞在前には、事前調査と して文献やインターネットから由比の地理や歴史、人口統計などに関する資料を収集した。こ れらのフィールドワークでは参与観察とインタビュー調査の他、文献、写真、映像などの史料 を収集した。

2 静岡市清水区由比入山の概要

2.1 地理と交通

静岡市清水区由比は静岡市の東部にあたる。面積23.03平方キロメートル、人口8,000人程 の地区である。東西交通の要衝でありながらも、西側が薩埵峠に挟まれた交通の難所であった ため、「東海道の親知らず」として古くから有名である。また、歌川広重の「東海道五十三次」

にも由比は描かれており、薩埵峠から見える富士山は絶景である。

由比入山は由比地区を構成する11 の部落の中の一つである。以下、本報告書では入山と表 記する。由比地区の中で最も北部に位置し、桜えびの産地として有名な駿河湾沿岸の由比宿と は対照的に、周囲を山々に囲まれた山間の部落である。入山は、区の中心部を流れる由比川付 近の諸木沢、宮の前、中村、向山、北山内、南山内、山間部の桜野、槍野、鍵穴(香木穴、桑 木穴とも)、福沢、舟場の計11個の部落に分けられる。現地の人々は由比川付近の6地区を平 部落、山間部の5地区を山部落と呼称している。

由比の主要な交通として、旧東海道や東海道新幹線、JR東海道線、東名高速道路、国道 1 号が東西を横断し、そこから静岡県道76 号富士富士宮由比線が南北に走っている。由比入山 を訪れるには車でこれらの道路を通るか、またはJR由比駅から運行している由比バスあるい は徒歩で行くことができる。

2.2 産業

由比地区は三方に山をめぐらし、南は駿河湾に面する丘陵地帯で傾斜地が多く、気候温暖で 柑橘の栽培に適し、明治初期より柑橘農業が勃興し、ミカンをもって農業の主軸として今日に 至っている。山間部に位置する入山においても、多くのミカン畑が存在する。入山においては 過去に養蚕業が盛んであり、1892(明治25)年の6月には、諸木沢にて蒸気動力による望月 製糸工場が設立されている。大正期に養蚕業は最盛期を迎えたが、1935(昭和10)年、1936

(昭和11)年に繭価の大暴落に見舞われてからは衰退の一途を辿った。

入山の由比川沿いにある英君酒造は全国的に有名である。1881(明治14)年に創業し、「珠 流河之郷」等、88種を販売している。中でも「英君」は1987(昭和62)年3月全国品評会で

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えびに代表される海産物と無縁な代わりに、入山では清涼な由比川と山間部の傾斜と豊かな自 然を生かした産業が強みである。

3 人口

旧由比町の人口は1925(大正14)年の14,386人をピークに年々減少し、201710月現 在、人口は8,280名である。1992(平成4)年には、過疎活性化特別措置法による地域指定を 受けた。しかし、過疎地域活性化計画がすぐに打ち出され、人が町外に流れさらに過疎化する のを防ぐために宅地造成などが行われた。1997年には過疎地域指定から外れたが、2008年(平 20年)には静岡市と合併され、旧由比町は現在静岡市清水区由比となっている。

入山の人口は201710月現在、683名(男347名、女336名)である。そのうち65歳以 上の高齢者は260名と、人口の約三割を占めている。由比入山では、前述の過疎脱却のための 町主導の宅地造成事業が実施され、由比川近辺に宮の前が新たに設立された。この事業の結果、

町外から新たに37名が入山に在住することとなった。このような過疎脱却に向けた試みが現 在もなされているが、決定的な打開策は未だ見つかっていない。

4.学区

由比には現在、由比小学校と由比北小学校の 2 つがある。もともとは別の名前であったが、

1950(昭和 25)年に校名は町屋原小学校を由比西小学校に、北田小学校を由比東小学校に、

入山小学校を由比北小学校に変更することになった。そして、1967(昭和42)年41日に 東西小学校が統合し、由比小学校となった。よって現在は、由比北小学校に入山と室野の住人 が、由比小学校に阿曽や東山寺、北田、由比、町屋原、西山寺、今宿、寺尾、それに倉沢の児 童が通っている。

由比北小学校は、入山に位置する小学校である。その歴史は古く、学制発布に伴い1875(明

8)年に廃寺を学舎として利用したのが始まりである。1892(明治25)年に入山尋常小学校

として設立され、その後入山国民学校、入山小学校と変遷を経て1950(昭和25)年に現在の 由比北小学校となった。入山に存在する唯一の学校施設であり、したがって入山の住民の殆ど が母校としている。人々の由比北小学校に対する思い入れは強い。生徒は、八幡祭といった地 域のイベントに参加することになっており、地域の担い手として大きな期待が寄せられている。

現在生徒数は30名程であり、生徒数が1人の学年も存在する。こうした由比北小の環境か ら、一部の生徒の保護者は学区外の由比小学校に生徒を通わせている。生徒数の減少が大きな 問題となっている

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図1 静岡県地図

出典:Mapion(20171022日所得、http://www.mapion.co.jp/map/admi22.html)

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図 2 由比地区図 出典:由比町史より市山作成

参考文献

静岡市

2017 「静岡市の人口・世帯(住民基本台帳の過去データ)(2017 10 22日所得、

http://www.city.shizuoka.jp/000_001589.html)

Mapion (2017111日所得、http://www.mapion.co.jp/map/admi22.html)

由比町史編さん委員会

1989 『由比町史』静岡県由比町教育委員会。

2008 『由比町史 補遺』由比町史編さん委員会 静岡県由比町教育委員会。

図 2  由比地区図  出典:由比町史より市山作成  参考文献  静岡市  2017  「静岡市の人口・世帯(住民基本台帳の過去データ) 」 (2017 年 10 月 22 日所得、 http://www.city.shizuoka.jp/000_001589.html)  Mapion  (2017 年 11 月 1 日所得、http://www.mapion.co.jp/map/admi22.html)  由比町史編さん委員会  1989  『由比町史』静岡県由比町教育委員会。  2008  『由比町史

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