調査地概要
著者 ?橋 歩
雑誌名 掛川市・原泉. ‑ (フィールドワーク実習調査報告 書 ; 平成25年度)
ページ 1‑6
発行年 2013
出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/7488
調査地概 要 1 調 査 概 要
静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学 コースでは、毎年 フィール ドワーク実習を お こなつている。静岡県内の地域にフィール ドを設定 し、そ こで一定期間滞在、調査する ことを通 じて研究を進めてい く。本年 は、掛り1市原泉地域 において、平成25(2013)年 6 月 2日 か ら8日 までの 7日 間で調査を実施 した。
今回の調査は、教員4名、学生10名の計 14名 で調査 した。原泉地域立 「さくら咲 く学 校」を拠点、調査対象のひ とつ とし、他 に農文化 と伝承について調べた。調査地へ訪れ る 前の事前調査では、文献やイ ンターネ ッ トを用い、現地調査では、観察や体験、インタビ
ュー、映像・音声資料、文献資料の収集・ 参照 とい う手法を採用 した。
2 掛 川 市 原 泉 地 域 の 概 要
2.1 地理 と人 口
掛川市は、静岡県西部中遠地区の東に位置する田園都市である。面積26563平方 ヽmで、 東に大井川、西 に天竜りlIが流れてい る。南には小笠 山台地が広が り、北部は標高832mの人 嵩首 (自光山 とも)を最高 とした、100〜150mまでの起伏 に富む山並みが形成 されている。
平成24(2012)午 4月 末の人 口は 115,168人 である。人 口は、それまでの緩やかな増加傾 向か ら、昭和 22(1947)年に急増 し、昭和30(1955)年を頂点 として停滞 していたが、
昭和40(1965)年に再び増加 に転 じた。現在の掛川市が成立 してか らは、市の統計調査 に よるとt平成21(2009)年の 115,504人 をピークに停滞的 となつている (表 1)。 また、温 和で多雨多湿な気候下にある。
原泉地域 は、掛り市北部 に位置す る中山間地域である。 四方 を山脈で囲まれてお り、地 域の北部には、人高山 と夫芝笛が存在す る。 また、原蓉 勤 1の 源流 ともなつてい る。地域 は五地区に分かれてお り、北か ら泉 (黒俣)1、 居尻、萩間、挙算2、 大和田となつている。
平成25(2013)年 9月末の人 口は557人で、世帯数は186世帯である。昭和25(1950) 年の 1,692人 を頂点に、減少 している。主要な道路は県道39号線であ り、昭和5(1930) 年に大和 田 トンネルが開通 し、他地域 との交流が容易 となつた。鉄道は通 つてお らず、ア
クセス手段は 自動車かバ ス となつている。市の国土ネl用計画において、地域全体が「森林 レク リエー シ ヨンエ リア」に位置づ けられ、地域資源 を活用 した 自然学習・体験の場、保
1泉は地 区名 、黒俣 は住所 上の名前で ある。 元の地 区名 は黒俣 で あつたが、住 民の意見 を も とに、行政上 の正式洛 は泉 となつた。
2牢
健休養の場、および都市住民との交流の場 としての土地利用の促進を目指 している。また、
グリーンツー リズムなどにも対応 した、通年型観光地の形成も図ろうとしている。 :
2.2 産業
近代の掛川市は、城下町や宿場町として、卸 ‖藩一円の領域経済圏を形成 していた。東 海道の要地であ り、東海道 と信州街道、相良街道を結ぶ中継拙の機能をもっていた。当時 の生産の主体は農業であったが、周 りの榛原や周智 と比べ、遅れて明治頃に広がった。現 在は、城下町宿場としての旧掛川町を中心に、米と園芸、酪農や養鶏等がおこなわれてい る。また、波及中間地は、茶作を中心とした農業地帯となつている。古くから葛も作 られ てお り、高布は特産品となつている。
原泉地域では、比較的古くから茶の栽培をしており、明治期になると、東南部の村へ拡 大した。農業中心であったが、高度経済成長期後、第一次、第二次、第二次産業の各産業 人口がほぼ同じ割合となった (表 2)。 また、農業機構の遅れを指摘する声もあつた。その ようななか、原泉地域は「中山間地域茶業再編プラン」のモデル地域に指定され、製造技 術の向上や経営戦略の構築、栽浩管理の徹底が図られている。
3 歴 史 と行政 区画の 変遷
現在lす 「掛川」と表記するが、以前は 「懸川」であつた。懸川の名称は、「案特定の養和 2年 (1182年)二月十二日懸川辺に住める、藤原広綱、源頼朝に召されて鎌倉に参着す」
と史書にあるものが初見である。治承4(1180)年、源頼朝が安田義定を、遠江守護に補任 した。当時の遠江は、頼朝勢力の最前線 として平氏勢力と近接する地域であり、強力な指 揮者が必要 とされていた。また、本州の中央にあり、源平二氏の時代から、長い問乱世の 地帯でもあつた。永正 2(1505)年、今川家の老臣朝比奈泰熙が掛川城を築いた。近世に 幕藩体制が築きあげられると、太田資俊が上州幹林から移封となり、初代掛川藩主になる。
以降、長く太田氏が藩主を継 ぐこととなつた。慶応4(1868)年、徳川家達が駿河と遠江、
三河の地を与えられ静岡藩主に就任 し、それまでの各地藩主は転封 となつた。
明治 4(1871)年、廃藩置県で遠江一円は浜松県となり、明治9(1876)年、静岡県と
合併 した。昭和 29(1954)年、掛州町と東山口村、曽我村が合併 し、掛川市が成立する。
昭和 54(1979)年、その頃の社会を反映 し、「地方の時代」を目指すため、当時の市長榛 村純一が、日本で最初の生涯都市宣言をおこなった。平成17(2005)年、大東町、大須賀 町と合併 し、現在の掛川市の形となつた。
交通においては、明治19(1886)年、中山道に代わり、東海道に鉄道が敷設 されること となり、明治22(1889)年に開通、掛川駅が開業 した。交通上の制度の改正 と発達により、
近代のような経済への影響力は低下 した。昭和63(1988)年、東海道新幹線柳│1駅が開業 し、平成5(1993)年には、東名高速道路掛川インターチェンジの供用が開始されるなど、
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再び交通の要地 となっている。
古代の原泉は、近隣の原谷、原 日とともに、31か村の幡羅郷 とされていた。明治 22(1889) 年、市町村制の施行によ り、原泉村が成立す る。当時の地区は、炭焼、黒俣 、井尻、萩間、
牛石、丹間、大和 田が含まれ ていた。昭和31(1956)年、三笠村 と合併 したが、翌32(1957) 年、大和 田と丹間、早石のみ三笠村 に残 り、居尻 と黒俣、炭焼は掛り11市と合併 した。 ただ
し、炭焼は昭和31(1956)年の合併の時点で、周智郡の森町に編入 されてお り、原泉か ら 除かれている。その後、昭和35(1960)年に、三笠村 と掛川市 との合併が完了す るヽ 平成
3(1991)年、森林 を大切に した原泉は森の都 をつ くるとい う前提で、生涯学習土地条例の 促進候補地 とされ る。「森林 レク リエー ション■ リアJと して位置づけ られ、地域資源 を活 用 した 自然学習・体験 の場や保健休養の場、都市住民 との交流の場 と しての土地利用 を促 進 している。また、農村や 山村、漁村 において、その 自然 と文化、人々 と交流をお こな う、
余暇の過 ご し方であるグ リー ンツー リズムな どにも対応 した、通年型観光地の形成 も目指 している。
教育 としては、明治19(1886)年、大和田分校 と萩間分校、黒俣分校が統合 し、原泉小 学校が成立 した。昭和42(1967)年、原泉小学校 と二笠北小学校が合併統合 を し、掛り 立原泉小学校 と して開校 した。児童の数が減 り、平成 22(2010)年に西郷小学校 と統合、̀市 原泉小学校は廃校 となつた。その後、「原泉小学校跡地活用準備会J力 `発足 し、空き教室な
どにテナン トを呼び込み、地域活性化 を図ろ うとす る計画が立て られ る。地域住民の より どころ とい う、原泉小学校 の役割 を継承す るかたちで、平成 23(2011)年、「さくら咲 く 学校」 として、再び開校 した。t
4 参 照 文 献 ・ ホ ー ム ペ ー ジ
掛りl市編纂委員会
1968 『掛り市誌』 掛り市。
静岡県小笠群役所
1997 『静岡県小笠群誌』 千秋社。
静岡県H・l‖市
httpツソww‐cltykakegawa shizuokajp/(2013年 10月 15日取得)。
3この節の記述は、主に以下の文献に依拠 している(移卜川市誌編纂委員会 1968)。 ただ し、1968年 以降の
表1 掛川市の人口の推移
世 帯数 総 人 口 (人)
明治19 6,797 33,760
大 正9 7,746 42,786
14 8,129 43,558
昭 和 5 8,206 45,290
10 8,396 45,992
15 8,440 46,156
22 10,441 58,780
25 10,570 59,693
30 10,780 60,706
35 11,422 59,762
40 12,124 68,876
45 12,979 59,153
50 14,576 61,731
55 1,,877 64,843
60 17,351 68,724
平成2 19,354 72,795 7 22,213 76,839 12 25,121 80,217 17(合併) 38,691 117,857 22 39,497 116,363 出奥 :掛 川市議 と掛川市ホームペー ジをもとに高橋作成
表2 経済基盤とその変遷
商業 (%) 農業 (%) 工業 (%) 第一 次 (%) 第二次(%) 第 二次 (%)
明治44 155 784 73
大 正 13 183 747 66
昭 和24 172 705 104
30 723 145 132
35 500 211 289
40 402 267 331
出典 :掛 川市誌 をもとに高橋作成
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