野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
− 野呂栄太郎論 ︵3︶ −
■﹁ll
本 義 彦
︹ま
えお
き︺
l一九二〇−三〇年代工業発展の統計的把握
− 野呂−猪俣論争再検討の前提と課題−−
Ⅱ 猪俣津南雄の日本資本主義分析と地主制把握の方法
H ﹃現代日本研究し
0
﹃没
落資
本主
義の
﹁
第三
期﹂
﹄
臼 その他の著作から
囲 小 括
Ⅱ 野呂栄太郎の日本資本主義分析と地主制把握の方法
H 日本資本主義の基本構造
0
猪俣
批判
の論
理︵
現段
階論
争︶
臼 恐慌期日本資本主義論
的 小 括
Ⅳ 論争の意義と限度
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
︹ま
えお
き︺
本稿は︑一九七八年度土地制度史学会秋季学術大会︵一九七八二〇・六〜八︑於東京大学︶における自由論題報告﹁戦前日本資
本主義と地主制 − 野呂−猪俣現段階論争における日本資本主義基本矛盾の把握 − ﹂を基礎としたものである︒ただし︑当日の討
論や個人的コメント︑とりわけ中村政則氏が論争評価の前提たるべき一九二〇−三〇年代の日本資本主義発展にかんする筆者の見解
をもとめられたので︑本稿では︑第Ⅰ章のような検討︵試論︶を提示した︒なお︑より包括的な分析としては︑拙稿﹁資本輸出入の
推移と危機激化﹂ ︵山崎隆三編﹃両大戦問期の日本資本主義﹄下巻第七章︑大月書店刊︑一九七八年一二月︶ を参照されんことを希
望す
る︒
T
−
− 一
一九二〇−三〇年代工業発展の統計的把握
− 野呂−猪俣論争再検討の前提と課題 −
仙 戦前日本資本主義は︑いかなる特質をもった資本主義であるか︑したがって︑またその﹁根本﹂矛盾とは何である
1この大きな問いに対して︑われわれはこれまであまりにも有名な山田盛太郎氏によるつぎのような通説をもってい
る︒すなわち︑日本資本主義は︑半封建的地主的土地所有︵半隷農的零細耕作土壌︶を﹁基板﹂とする経済外的強制力︵公
力︶ の伴う全剰余労働吸収の現物高額小作料 − 半隷奴的低賃金労働︵印度以下的低賃金︶ の﹁相互規定﹂を蓄積基盤と
する︒ここにいわれる﹁相互規定﹂とは︑﹁賃銀の補充によって高き小作料が可能にせられ︑補充の意味で賃銀は低めら
れる﹂との意味においてであり︑半封建的地主的土地所有は地租改正によって﹁純粋封建的土地所有組織=零細耕作農奴
経済から軍事的半農奴制的墜塁をもつ半封建的土地所有制=半農奴制的零細農耕﹂に転化せしめられたことを通じて成立
したものである︒しかもこの土地所有制確立にとって﹁強力=︹経済外的強制︺﹂が不可欠の条件となったのである︒以
上の﹁相互規定﹂関係こそは︑日本資本主義の﹁興隆﹂の要件であるが︑これは同時に﹁狭駈なる再生産軌道﹂を必然化
し︑それとの対応において︑また鉄確保の必要から﹁植民岡劃保﹂=帝国主義化が促される︒この規定は︑農村の魔大な
過剰人口群を労働力として確保しうるがゆえに︑資本主義の高度化︑したがってまた技術変革を必要とせず︑零細農家の
家内副業たる織物業︑生糸業︑家計補充︵ロベらし︶の役割を担う紡績業若年女工を存立条件とする︒したがってこれら
の条件が失われるときには︑上に示した日本資本主義の﹁型﹂もまた分解するのであり︑﹁一般的危機﹂の進展こそはそ
の﹁型﹂=構成の崩壊を刻印するものとなる︒すなわち︑一九二〇年恐慌による生糸の対米輸出破綻︑第一次大戦時より
つづく紡績独占体による織物業のとり込み︵多角化︶︑中国︑インドにおける民族的抵抗による綿製品輸出の困難化とい
う過程は︑一九二九−三三年世界恐慌の下で破局的に進行し︑ここに︹軽工業依存型︺軍事的半封建的日本資本主義の
﹁型﹂はその生命を了えることとなる︒こうしたいわば外部的事情︵むろんそれはたんに外部にとどまりえないが︶とな
らび︑先に述べた﹁帝国主義化﹂=︵政治︶軍事的必要にもとづく軍事重工業の展開が︑家計補充=家内副業の従業者と
は異なる︑責ハの階級意識に覚醒した︵透視の利く︶プロレタリアートの創出の過程を通じて︑また﹁分解﹂が決定づけら
れる︑というのである︒
いまこの認識方法で気がつく若干の特徴点をここにあげておこう︒その一つは︑日本資本主義﹁興隆﹂の﹁基板﹂たる
半封建的農業構造が﹁解体﹂するか否かが︑日本資本主義の死命を基本的に制するということである︒第二に︑重工業発
展は︑本来︑低質銀労働力が大量に存在することのゆえにありえないこと︑もしくは必要とはされないことではあるが︑
外部的事情︵帝国主義的軍事発動︶によって発展を迫られるとしても︑このことは同時に歴史的使命を自覚した﹁プロレ
タリアート﹂の発生を惹起し︑資本主義解体条件となるという点である︒第三に︑ロシアの﹁軍事的封建的帝国主義﹂と
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
野 冒 1 猪 俣 現 段 階 論 争 の 意 義 と 限 度 二 円
﹁相似﹂のそれ自身半農奴的な中農の広範な存在を基礎に半封建的土地所有制を内包した﹁軍事的半封建的資本主義﹂の
型をなすという点︒これらの特徴づけのすべてについていま検討を加えることが︑本稿の直接の目的ではない︒むしろ通
説の特徴を確認すれば足りる︒
② 完二〇土一〇年代︵初頭まで︶の日本資本主義はいかなる発展を遂げたのであろうか︒わたくしは︑これまで若
干の作業をつうじて︑およそつぎのような結論を与えてきた︒すなわち︑完二〇年代の﹁慢性的不況﹂︑もしくは不況の
連続過程と規定される時期において︑三〇年代に飛躍をみる重化学工業の諸分野で一定の牡産﹁合理化﹂の策が講じられ
たことである︒そのさい注目さるべきは︑新鋭設備を先進国から導入する︵直接投資の形をとり︑現物出資が多くみられ
た︶ことをまって展開されること︑そしてそうした動きを促迫した要因は︑国内からまず︑第一次大戦後の欧米資本の対
ァジア︑対日本再進出に対抗するために︑国内技術基礎の幼弱な日本資本が積極的に外国資本との提携にふみ切っていっ
たこと︑外国からみると︑日本の低賃金労働力と技術の結合により日本国内市場を有利に支配しようとしたこと︑また国
際トラスト問の角逐による進出競争︑さらに日本を根拠地にして中国市場への進出を図ること︑などに求められるとした
のであるっここに注意されねばならないのは︑上述の﹁合理化﹂についてである︒従来﹁合理化﹂が論ぜられるのは︑商
工省の外局として臨時産業合理局が三〇年六月に設置され︑嘉では金解禁政策推進の目的のために︑政府によって提唱
された﹁産業合理化﹂問題としてであり︑しかもこの問題が世界恐慌と遭遇することによっていかなる意義をもちえたか
ということとしてである︒したがって︑従来の論議では︑日本の産業合理化の時期にかんして三〇年代の世界恐慌期のも
のとして考えられ︑しかもそれが欧米の完二〇年代のそれとは対照的に﹁日本型合理化﹂として特徴づけられることに
着目されてきた︒その立場から﹁いわゆる労働の強度化のための伝送装置創設または機械更新等の如き直接的な機械化に
基くという正規な形態をとるよりも︑むしろ組長などの再編成による衛備統轄の厳密に基く﹂︑と︒さらにこの合理化が
第一に﹁半農奴制的零細耕作基調の諸々の労役型を分解せしめる積杵としての意義﹂と︑第二に﹁労働貴族屑の地盤を鋸 り崩す要因としての意義﹂とをもつことに注目さるべきだと︒
わたくしの論じている﹁合理化﹂問題とは︑独占的大企業と中小企業を区別した上で︑独占的大企業においては︑一九
二〇年代の後半より三〇年代初期に﹁機械更新﹂が進行したという事実をまず明らかにするところに力点をもつ︒そして
三〇年代にいわれる﹁合理化﹂がむしろ﹁機械更新﹂なしに展闘されたというのは︑一つに世界恐慌という事情にもとづ
くものであったし︑いま一つには︑すでに二〇年代より新鋭設備の配備が大企業において進行していたという事情にもと
づくものであったと主張している ︵その指標として︑原動機の工場配備状況と︑労働者一人当り圧政額の伸びの二〇年代
と三〇年代の差異︑さらに当時の政策上の力点が輸出を中心とする中小工業の﹁粗製濫造﹂防止にあった点︶︒また合理
化が﹁労働責旋回の狭陸地棺壊額︑大衆左化と上部石化との二重行程を見る﹂との展望についても︑そのような短絡に疑
問を感じないわけにはいかないのである︒
当時の﹁産業合理化﹂の捉唱は︑一九二九年九月︑浜口内閣の依商工大臣の商工審議会への諮問第二号﹁企業経済ヲ合理化シ投下資
本ノ能率ヲ増進セシムルニ付有効適切ナル具体的方策如何﹂に対応して︑同年一二月﹁産業合理化に関する答申﹂内定が決定されたと
ころに発する︒諮問の意図は︑﹁同種ノ産業二付従ラニ多数ノ独立企業相対峠シテ競争ヲ為スカ如キ︑又或種ノ事業二必要以上ノ過大
ナル資本ノ投下セラルルカ如キハ︑企業経済上極メテ不合理ニシテ我産業界ノ大ナル欠陥卜謂ハサルへカラス︑従テ各産業二投下セラ
ルル資本ノ統制ヲ行ヒ︑之力能率ヲ増進セシムルコトハ︑我産業ノ健全ナル発展ヲ期スル上二於テ︑極メテ緊要ナリ︑殊二金輸出解禁
二直面シテ︑国ヲ挙ゲテ整理節約ヲ為スノ要アル時二当り特二其ノ必要ハ切実ナルモノアリ︑⁝﹂に示されるように︑金解禁準備のた
めの ﹁全般﹂的な合理化をめざすところにあった︒したがって答申でも︑①官営事業の民営的経営及其の整理︑㊥﹁妹に輸出品に関し
ては延いて不必要なる競争を惹起し︑国際経済競争に及ぼす不利益蓋し砂からず︑依て各種産業毎に生産配給及消費の三点より考察し
て﹂企業の合同を促進すること︑④﹁同業者間に於ける不必要なる競争を防止する﹂企業連合その他同業者協定の勧奨︑④企業能率の
野口−猪棋現段階論争の意義と限度
野呂1猪俣現段階論争の意義と限度 二六 増進のための︑個々の企業の管理︑経営︑技術の調査研究︑製品の単純化︑規格統一を図る︑㊥政府許可事業の統制︑㊥﹁産業合理化
の基礎的施設﹂として試験研究機関の連絡統一が提起され︑これらの活動のために﹁政府に於ても有力なる中央機関を設置﹂するよう
要請している︒これをぅけて︑三〇年一月首相を会長︑農相︑商工相を副会長とする臨時産業審議会が設置される︒その第一回総会の
あいさつにおいて浜口首相=会長は︑﹁我産業界の現状に鑑みて︑特に緊急を要するものと七て差向き︑企業の統制︑能率増進の徹底的
実行︑産業金融の改善︑国産品の使用奨励等﹂の検討の必要性を強調している︒さてこのような経緯の中から︑本審議会への諮問第一
号﹁時局二鑑ミ我経済界立直シノ為企業ノ統制ヲ必要トスル産業並二其ノ統制ノ方策如何﹂と第三号諮問﹁産業合理化ノ実行上特二施
設スへキ産業金融改善ノ方策如何﹂とに対する一部答申が三〇年四月に出される︒その冒頭にいわく﹁企業ノ統制並二産業金融ノ改善
ニ関スル具体的方策ハ頗ル多岐二亘ルへシト雌我産業界ノ現状二鑑ミ中小工業ノ統制並二其ノ金融改善二付テハ此際最モ考慮スルノ要
アルへシ﹂と︒そこでは﹁一般重要工業品二対シ企業ノ統制ヲ図ル﹂︑同業者組合による統制︑中小業者だけでなく︑大企業者をも含
めた統制が必要な場合には︑﹁工業組合ノ連合会﹂を組織し︑﹁大企業者モ之二加入シ得ルノ途ヲ拓ク要アルへシ﹂とした︒また金融改
善策として︑工業組合が組合員の貯金︑産業資金貸付︑組合員の資金借入への保証業務に当らせること︑政府のがわで工業組合中央金
庫を設けること︑特殊銀行に中小工業金融の便を図らせる特別の機関を設け︑これに政府が低利資金を融通し︑工業組合を通じて貸付
に応ずることとした︒この第一号︑第三号諮問に対する答申は︑そのご七月﹁造船業ノ統制二関スル方策案﹂︑一〇月﹁製鉄業統制二
関スル方策案﹂をみるに至る︒造船業については︑設備能力が注文量に比べて﹁過大﹂ であり︑近い将来にも受注急増は期待されず︑
自由競争︑自然淘汰に任せては﹁一層混乱﹂は避けがたいので﹁整理ヲ断行﹂するというものであった︒製鉄業については︑﹁其ノ事
業ヲ振興シテ外品ノ輸入ヲ防過シ尚進ミテ輸出方面二進展スルカ為ニハ八幡製鉄所及民間製鉄所ヲ打テ一丸トセル大合同会社ヲ設立シ
其ノ完全ナル統制ノ下二徹底的合理化ヲ図り単種多産二依ル原価ノ低下卜品質ノ向上トニ務ムルト共二設備ノ改良拡張ヲ行フノ外適当
ナル方策アルヲ見ス﹂ としている︒
以上︑臨時産業審議会の諸答申から示されていることは︑第一に︑当時の﹁産業合理化﹂の提唱を︑たんにアメリカ式労務管理とか
科学的管理︑あるいは規格枕一大量生産方式の採用の如何という問題としてとらえられてはならないこと︑まさに商工省工務局長吉野
信次が﹁産業合理化と言っても其内容が確定不同のものではない︒国に依って其具体的の方策は皆異る﹂ ︵吉野﹃我国工業の合理化﹄
三〇年一一月刊︶としているがごとくである︒第二に︑大戦を起点とする諸矛盾の打開策としてそれは提起されたのであって︑何より
もまず従来の輸出中小工業の再編=統制の方針を︑中小工業全般のそれとして示し︑さらに︑大工業の再編=統制を︑造船業=カルテ
ルと製鉄業=トラストの結成として展開しているところに特徴点をみいだすことができる︒
以上のような中小工業︑それも輸出向け工業に対する再編=統制の性格をよく示すのは︑各業態に応じて組織された調査・審議機関
たるつぎにみるような分野における改善委員会にあきらかである︒− すなわち︑輸出縞綿布︵対インド︑南洋向け︶︑輸出綿縮︵両
綿は全部︑片絹は三割余を輸出向け︶︑輸出綿ネル︵中国向けを中心に全世界に︶︑輸出羽二重︵輸出絹物の基幹︶︑瑞郷鉄器︵三三年
の輸出額は生産の約六〇%︶︑陶磁器︵輸出品中重要な位置︶︑輸出ゴム靴︵中国︑南洋︑インド︑フィリピン︑ハワイ︑東アフリカ等
全世界向け︑三一年満州事変以降対中国減少︑その分インド︑アフリカ向け︑新たに英米向け︶︑過燐酸肥料︑羊毛︑造船︑自転車︵金
属工業中重要な地位をもつ小企業︶︑タオル︑硬質陶器タイル︵大戦後建築必需財として確立︶︑輸出綿織物染色業︵三三年度綿織物輸
出額中後染綿布は三二%前後に達す︒大部分賃加工業者︶︑セルロイド刷子︵当初は輸出用︑三一〜二年に内外需要折半︶︑燐寸︵三二
年五月クロイゲル資本の覆滅以降国内資本再興︑対米ダンピング輸出等︶︑柑橘北米輸出︑小売業改善調査︑セメント︑人造絹織物︵三
五年輸出の国内産額比率八〇%︑生産過剰と蘭印︑豪州の輸入制限または高率関税︶︑細綾綿布︵重要輸出綿布の一︑製織業者は中小
工業︶︑自動車営業改善調査︑輸出絹織物統制協議会︒これらの組織はほとんどの場合﹁粗製濫造﹂︑価格切下げ競争の防止を図ろうと
するものであった︒
なお︑この一連の合理化策の中でも三一年四月一日公布︑同八月二日実施の重要産業統制法の運用についてふれておかねばならな
い︒法第一条︵カルテル︶にもとづいて重要産業と指定されたものは︑三一年三月で綿紡︑絹紡︑人絹︑洋紙︑板紙︑カーバイド︑
晒粉︑硫酸︑酸素︑硬化油︑セメント︑小麦粉︑銑鉄︑合金鉄︑棒鋼︑山形鋼︑鋼板︑綿材︑銅又は真鍋の圧延板の一九業種︒三二年 二月に二硫化炭素︑精糖︑揮発油製造・販売の三業種︒三四年五月に麦酒︑石炭鉱業・販売の二業種の計二四業種にのぼった︒ほか
に三六年五月の法改正による第二条ノ四︵トラスト︶にもとづく指定として洋紙︑麦酒があげられる︒ところが具体的に統制服従命令
︵二条︶︑許可制制定︵二条ノ二︶︑公益命令︵三条︶の発動例は少なく︑セメントのみが連合会の分裂による対立の激化のために二条
および二条ノ二の発動をうけている︒三条の公益命令の発動もまたなかったのであるが︑ただ本条項を背景として勧告を行った例が少
なくない︒そのようないみにおいて︑本法は﹁抜かざる宝刀﹂とも評されているが︑統制への効果はみとめられる︒
㈲ それでは︑以下若干の項において戦前期日本資本主義の発展を生産額統計を手がかりとしてごく簡単にあとづけて
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
野呂・猪俣現段階論争の意義と限度 二八
みることにしよう︒まず牡産国民所得の推移に知られることは︵表11︶︑総額では︑第一次大戦直前の一九一四−一五
年︑二〇年恐慌直後の二一年︑金融恐慌の二六1二七年︑世界恐慌の三〇−三一年に低下を示すほかは︑がいして上昇傾
向︵﹁上向的発展﹂−猪俣津南雄︶をたどっている︒大ざっばにみて︑一九一〇−一九年は年平均二八・五%︑二〇−二
九年平均〇・六%︑三〇I三九年平均ハ・〇%であって︑二〇年代の低迷が明瞭にみてとられる︒この間︑部門別では
第一次産業の伸びが総額の伸びを一〇年代をべつにして下回っているが︑第二次産業では逆にほぼ一〇年代前半をべつに
してつねにこれを上回り︑第三次もまた二〇年代以降︑上回って発展している︒総額と同じ方法でそれぞれの一〇年代︑
二〇年代︑三〇年代の年率伸び︵単純平均︶を算山してみると︑第一次三四・四1マイナス一・六lハ・八%︑第二次
三五二1二・三1二五・四%︑第三次一九・四1二〇1一〇・三%であって︑二〇年代はいずれも低い伸び︵第一次
はマイナス︶を示すにすぎないが︑三〇年代は第二次産業部門の圧倒的な伸びをみる︒構成比についてみると︑第二次産
業が第一次産業を超える時点は一九一五−一七年の第一次大戦期と二三年以降であり︑指数ともあわせ考えてみると︑伸
びが前年を下回る時点は︑第二次は戦後二〇年代前半に集中しているにとどまっている︒以上からみて︑工業発展はほぼ
着実な上向の足どりをたどったといいうる︒また問題の世界恐慌にさいしても︑第一次が二九年からボトムの三一年まで 四二・六%のマイナスを記録するのに比して︑第二次が二九年から三一年のボトムまで二六・四%のマイナス︑第三次が 一一・九%のマイナスにとどまったのである︒
以上の過程を農業生産︑工業社産の内部構成に立ち入ってみることとしよう︒農産物牡産では︵表12︶その変動の激
しさをまずもってみてとることができるが︑果実︑養蚕︑畜産部門は相対的におちこみが少ないといいうる︒果実は二〇
年代後半以降︑総合の伸びをうわまわり︑畜産もほぼ同じ動きを示し︑この期にこの二部門の一定の発展を認めえよう︒
これに対し養蚕は︑なるほどおちこみは少ないが︑二八−三一年の恐慌期に総合の伸びをやや上回って﹁安定﹂的である
指 数
構 成
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
100.0 116.5 135.3 136.7 127.4 126.7 154.4 199.7 277.7 385.1 394.7 361.7 363.2 363.5 411.1 429.2 400.4 391.6 404.0 418.3 337.4 320.4 347.8 388.9 410.1 448.6 499.4 579.2 678.2 877.8 958.4
備考
100.0 134.4 162.1 162.8 130.4
* 112.3
* 137.7
*193.9
298.7 444.1
* 342.0
* 345.8
* 304.4
* 248.3
* 306.8
* 351.9
* 283.9
* 268.8
* 266.7
* 287.4
* 188.0
* 165.0
*190.1
* 229.6
* 212.6
* 246.8
* 281.8
* 313.9
* 348.6
* 504.4
* 526.7
100.0
*115.9
*133.7
* 134.6
135.5 157.6 201.0 252.4 343.3 451.4 403.6
* 357.2
371.2 391.5 424.5 447.3 451.4 443.5 469.7 497.4 382.3 366.3 415.4 458.8 513.9 569.6 632.9 757.6 973.5 1352.7 1488.0
100.0
* 102.3
*114.3
*116.7
*119.2
*118.4
*137.7
* 170.1
* 217.6
* 293.7
432.1 377.6 406.1 439.6 487.6 480.5
473.4 473.8 430.2 417.5 432.6 473.7 504.1 534.9 590.5 680.8 755.7
* 874.2
972.9
26.0 25.9 28.1
× 32.8
× 34.3
× 33.3 ヨ呈・6 30.9 26.9 26.0 26.9
× 25.9
× 27.2
× 27.5
× 29.7
× 29.8
× 30.6
× 31.3
× 29.9
× 30.1
× 31.5
× 31.1
× 33.0
× 33.4
× 33.4
× 34.5
× 37.8
× 40.6
× 42.6
40.5 35.6 34.3 34.6 38.0 37.9 36.2 34.5 31.8 30.9 44.4 42.3 45.3 49.0 48.1 45.4 46.8 47.4 47.5
些・9
51.7 52.8 50.4 49.4 49.8 48.3 47.9 47.6 45.2 40.4 41.1
山田雄三編著『日本国民所得推計資料』増補版、1957年、114〜116ページ より算出。
1)指数のアンダーラインは、前年よりも低下していることを示す。指数の
*印は総額指数より低いものを示す。
2)構成比のアンダーラインは。前年よりも比重が低下していることを、ま た、・印は第1次産業の各期の比重の最高位を示す。×印は第2次産業が 第1次産業をこえた年。 .
物 生 産 指 数 種
種 米以外の
禾穀類 疏 莞
養 蚕 畜 産
∩フl
0 1 2 3 4 5
′ 0 7 8
∩ 7 0 1 2 3 4 5
′ 0 7 8
∩ 7 0 1 2 3 4 5
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 3 3 3 3 3
5
′ 0 7 8
∩ 7 0
3 3 3 3 3 4
93.2 99.4 95.2 102.1 101.6 102.6 110.3 98.9 103.5 116.3 97.9 103.3
* 99.7
*108.9
* 95.3
*101.7
*115.7
* 94.7
*102.6
112.5
* 92.9
*101.6
119.1
* 87.2
* 96.6
97.8 104.8 110.6 107.3 116.1 106.4
98.3 108.8 113.2 110.9 118.4
*106.2
100.1 105.1 107.5 115.4 102.1 113.3 113.0 115.1 111.1 113.9 109.4 104.2 103.2
* 89.8
* 89.9
106.1 100.6
* 98.8
* 98.4
* 95.9
* 92.1
* 93.9
* 93.9
* 97.6
105.2 108.5
* 64.4
* 63.2
* 68.7
* 70.8
* 64.4
* 66.9
* 74.5
* 64.7
* 64.0
* 73.4
* 76.7
* 56.6
* 81.8
* 74.7
* 80.2
* 83.5
105.7
* 95.8
106.6 107.0 112.4 105.9 118.0 119.6 116.8
*110.2
107.9 113.5 119.9 114.4
…薫描
日日宣昔日
;黒目三言:≡
104.7
* 98.0
*105.1
* 95.5
116.7 121.3
110.0
* 96.0
*107.3
108.6 119.5 121.9
102.6 108.8 112.6 108.2
*104.4
*105.9
* 91.2
* 92.0
* 95.4
* 83.5
*100.8
* 97.1
104.2
* 81.2
*107.4
113.2 117.3 126.0
備考1910年〜1935年は、1925〜1929年平均基準指数。農林省『農林統計月報』
(1946年5月)9〜13ページ、1935〜1940年は、1933〜1935年平均基準指数。
農林省『第30次農林省統計表』(1953年648〜649ページ)。
1)アンダーラインは前年よりも低下していることを、*印は総合指数より も低い指数を示す。
野呂1猪俣現段階論争の意義と限度
かにみえるが︑他の時期はいずれも総合の伸びを下回っているのである︒以上の農業生産の推移によると︑米作を含む穀
類の変動の激しさはずっと持続するが︑とくに二〇年代後半より低迷傾向を示すのに対して︑果実︑読菜︑畜産への多角
的発展がみられるというふうに概括することができる︒
つぎに工業生産についてみると︵表−3︶︑紡織工業の生産にしめる地位の傾向的低下と︑これに対応する伸びの減退
を示すに比べて︑金属︑機械︑化学の重化学三部門の着実な地位の上昇と︑著しい伸長がこの間の特徴をなしている︒し
かし︑一般的に︑これまで一九二〇年代の重化学部門の低迷・停滞が主張されてきているので︑つぎに表14によって主
要物資の生産額の推移をみることとしよう︒まず製糸︑綿糸︑メリヤスは︑戦時の急膨張以降︑三〇年代前半まで拡大よ
りも縮小に向かい︑三〇年代後半に戦争直後のピークに近づいた ︵これは三〇年代後半の為替低落を利用した輸出強行と
関連したものである︶︒原動機︑発電機は︑戦時にようやくその発展の緒についたのであるが︑戦後三〇年代に至るまで
低迷している︒原動機は厳しい状態にあることが想像されるが︑しかし︑二四年から三〇年への急上昇は︑戦時の達成を
うけつぐことなしにはえられなかったであろう︒発電機が示しているように︑このような動向は単に戦後段階が︑戦前水
準への回帰と評価しえないレベルにあることに注意さるべきである︒それはまたガラス︑セメント︑石灰︑人造肥料︑パ
ルプのいずれをとっても判断されうるところである︒ゴム︑染料︑人絹︑金属製錬の場合は︑以上の動向に加えて︑一貫
して生産力を増強させているのである︒
㈲ こんどは表−5によって機械工業内部の生産の変化をしらべることにしよう︒機械工業は︑すでに表−3の注に示
したような条件があるとはいえ︑一九〇九年=一〇〇として︑一四年=二七〇・七︑二〇年=二一六七・三 ︵戦時の急膨
脹/︶︑二五年=二一九・二︑三〇年=一五〇二・六︑三四年=二六四〇・九︑三九年=二一六五三・三という生産額
指数の推移を辿った︒その下で各部門は︑ほぼ第一次大戦を契機とし︑飛躍的な発展を遂げており︑とりわけ比重の高い
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
表−3 ㈱ 工業生産部門別構成(金額比%)
(B)工業生産部門別指数(金額:日銀卸売物価デフレート)
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
年 次l紡 織 金 屈;機 械!窯 業 化 学 総 計
100.0
* 150.3
* 323.3
* 270.0
* 327.9
* 371.8
* 385.6
* 343.2
* 365.8
* 502.3
* 487.4
* 466.5
0137一′04303エリ711︒︒.26︒.笠豊肋仏語肌皿
* ⁝
釦 蓑 捌 怒 還 肌 狛 狛
●
●
●
●
●
●
●
●
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
100.0 130.4 270.0 269.3 318.0 428.0 431.5 422.1 758.0 677.6 711.7 704.2
100.0 191.3 342.3
* 263.9
* 367.1
470.8 568.6 702.1 775.0 1171.1 1429.4 1641.1
100.0 165.1 328.6 315.8 369.2 460.2 496.5 501.6 536.4 803.7 880.8 971.3
備考 『工場統計表」によって算出。
アンダーラインは比重の低下、指数の低下を示す。*印は総計を下回る指 数。
注:各部門の構成比及び指数にかんして、時系列的にみて部門内の生産品目 が一定しているわけではない。とくに機械工業についてみると、1924年 まで船舶、航空機が含まれていた(1909年で機械工業の41.0%、1924年 で17.2%)が、その後には含まれていない。したがって構成及び指数の いずれにおいても、1930年代は本表においては低目にあらわれている。
電気機械は︑一九二〇年代から三〇年代末にか
けて約一〇倍の伸びを示し︑原動機は二〇年代
後半からの一五年間に一七倍といちじるしい伸
張を示した︒同時に比重は小さいが︑化学工業
用機械についてみると一四一倍︑紡織用機械は
三倍︑農業︑土木︑建築用機械は七倍というバ
ラツキを示している︒電機や化学工業用機械の
ように︑主として戦後にその発展の基礎をおく
ことになった部門に対して︑紡織機は戦前来︑展
開をみせており︑そのいみが異なっているであ
ろう︒紡織機は︑船舶生産が機械工業全休の四
一%をしめた一九〇九年に︑すでに二・六%の
ウエイトを確保し︑船舶比重が一四・五%に凋
落した二五年に四・二%︑船舶が統計から除外
されている三四年六・二%を記録し︑そのど戦
争準備の過程で三九年には一・一%の地位にお
しとどめられるのである︒これに対して化学工
業用機械は︑二〇年の船舶五二・七%の下で○
野呂・猪俣現段膳論争の意義と限度
物資生産額指数(金額名目)
金属精鋭
100.0 333.3 2875.6 2653.5 4340.9 6335.9 27255.1 76480.8
肥!人絹巨ヾルプも洋紙
100.0 185.1 933.7 617.7
▲741.4
100.0 411.3 5066.7 7066.3 14081.1 13880.1 31360.6 104321.5 100.0
4.0 59.7 587.7 1893.6 2958.5
石灰串言摩 料上
100.0 154.6 607.9 369.4 464.5 857.6 1580.2 3059.4 100.0
61.0 7736.7 5238.9 3892.3 4534.2 15663.5 39448.8
圭
備考 町工場統計表』によって算出。ただし、金額についてのものである0
__=
−
−
_ −二±
−
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
・二
%︑
二五
年前
者の
激落
の下
でも
〇・
二%
︑
三〇
年〇
・五
%︑
三四
年二
・〇
%︑
三九
年二
・
五%と紡織機を圧する︒国民的消費に供される
自転車も︑また三二年に四・〇%をマークして
以降︑位置を低下させ︑三九年には一・二%と
なっている︒農業︑土木︑建築用機械について
みると︑〇九年一・六%︑一四年一・二%︑二
〇年〇・七%︑二五年一・六%︑三〇年一・二
%︑三二年一・五%︑三四年一二%︑三九年
一・〇%という位置変化を示すが︑大切なのは
その内容であって︑〇九年では農具︑土工具の
類が
六四
万円
で︑
農業
︑土
木︑
建築
用機
械の
生
産六三〇〇円の一〇〇倍であったのであって︑
いわば本格的な工業生産の域に達していなかっ
たのに︑一九年には前者が三四九万円︑後者が
四四〇万円︑二〇年にはやや運転するものの︑
二五年では一八四万円対五六八万円というふう
に︑工業化が進展したことを十分うかがわしめ
機械工業生産の変化(金額名目)
義一5
0 3 5 q ノ
∩ 7 3 3
︶
●
●
●
●
●
●
● 1 0
3
0
7
4
4
3
●
0 8 0 0 /hU n7 51
1 0 8
∩ 7 0 3
︵ 2 1 1 エ リ 5
● ● ●
100.0 800.7 413.5 1387.8 9756.6 58433.8
(2.5)
100.0 159.9 1674.7 2492.7 1502.6 1560.5 6326.6
(1.1)
● ● ●
100.0 692.1 756.9 686.9 909.5 3169.3
(4.0)
100.0 421.6 3334.2 3292.9 3669.8 7363.9 30659.6
(12.6)
100.0 817.1 560.9 513.5 1219.8 2174.8 8633.9
(5.8)
︵ リ ノ 4 0 5 0 4
0 1 2 2 3 3
∩ フ n フ
∩ フ
∩ フ
∩ フ
︵ u ノ
l l l l l l
∩Ⅵノ3
∩∨ ノ
l
滑車・調車
違篭⊥議場妾●車輪 計測器 農業・土木
自転車 電 球
0
′ n V
′ h U
′ h U l 1 0
︶
−
●
●
●
●
●
● 2 0
0
3
0
7
q ノ
7
● 0 4 5 1 q ノ 0 2 3
1 2 /hU 7 0 5 4︵
l l
′ h U
● ● ●
● ● ●
100.0 321.6 431.8 966.0 3967.1
(1.2)
*
0 0 2 2 0 乙 U 2
︶
●
●
●
●
●
●
● 0 0
3
8
q ノ
7
5
8
●
0 0 4 1 2 1 01
1 2 q ノ l 1 8 人 U ノ
︵
l l 1 7
● ● ●
100.0 273.9 402.6 365.2 462.2 861.1
(0.7)
● ■ ●
100.0 2802.4 206.7 3330.8 6585.7 14024.1
(1.2)
∩ 7 4 0 5 0 4
0 1 2 2 3 3
∩ フ
∩ フ q ノ
∩ フ
∩ 7 0 ノ
l l l l l l
1939
備考 『工場統計表』より算出。なお、()内数値は1939年におけるそれぞれ の生産の機械工業中の比重(%)である。*印は1923年=100。
るのである︒
表−6は︑機械工業のうちの原動機の各部門の生
産がどのように推移したかを示すものであるが︑た
だここでは︑資料的制約で一九二四年以降がほぼ把
握されるにとどまる︒それによると︑全体として第
一次大戦終了時の一九一九年レベルが一九三〇年に
確保されていることがみとめられる︒同じように蒸
気権についても二一年レベルが三〇年に維持されて
いるのであって︑戦時の生産拡大の重要性が示され
ているといえよう︒そのどの発展についてみると︑
蒸気権のいっそうの飛躍とともに︑部分品・付属品
の伸張が注目される︒この意味は︑従来︑外国に依
存した機械工業が︑国内生産と国内部分品・付属品
による再生産=修復にまつことが可能となったこと
を示すものであろうし︑その比重が五%前後から二
〇%近くに達していることにも注目しなければなら
ない︒もっとも内燃機関の伸びが他に比して立ち遅
れている︵比重では過半を占めるが︶弱さをもって
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
表一一6 原動機部門別生産状況(金額名目)
芋31芋蔓‡;
100.0
79.5 190.3
(5.2)
300.2
(4.6)
4771.3
(18.3)
100.0
149.6 288.3
(4.5)
217.4
(1.9)
1597.3
(3.5)
100.0
112.9 240.0
(69.6)
338.5
(55.6)
1230.6
(50.3)
二千芸子享子…三三三号壬
1909
1914
1919
1921
1924
1925
1930
1934
1939
備考 r工場統計表』1925年、1939年版より作成。ただし、1909−1921年は蒸気 権のほかの生産額は記載なし。また「その他」は1939年のみ記載。それぞ れの()内数値は合計に対する百分比を示す。
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度 三六
いる︒日本の自動車工業が当初︑二〇年代後半︑外国系企業の売り込みにはじまり︑三〇年代中葉国内生産の確立をみせ
るという事実によって︑そのことは了解されうるだろう︒
㈲ さて︑一九二〇−三〇年代の重化学工業化の進展をとらえるためには︑化学工業の発展過程の検討が不可欠となる︒
そこでいま表−7によって特徴づけを与えてみよう︒一九三〇年までについてみると︑工業薬品︑染料︑ゴム︑人造肥料︑
人造絹糸︑皮革︑コークス︑化粧品その他で比重が一定程度の高まりを示している︒これは日用生活物資︑農業での人造
肥料の採用などの進展を示すものであり︑工業薬品の比重の上昇は︑それ自体︑化学工業発展を表現する︒他面︑マッチ
を主とする発火物が加速度的に地位を低下させ︑紙もまた同様の傾向を辿るのは︑化学工業の分野が多角化してきたこと
とならび︑和紙生産の伸びが低く︵烏ノ子紙及模造紙で一九一四年から三九年までに四一・六倍︑美濃紙﹁七・六倍であ
って化学工業全体の伸びに比ぶべくもない︶︑洋紙関係の板紙でさえ︑一四年から三九年に二八・四倍にとどまったこと
から︵とくに洋紙では独占支配が完成しており︑生産制限協定がすでに戦後不況期にみられた︶︑旧式の生産部門の衰退
と独占体制︵生産制限︶ の意味がうかがえる︒一九三九年段階までみると︑日中戦争・軍事化にリードされ︑一般的に消
費物資の比重の低下がしめされる︒すなわち︑医薬︑顔料︑石鹸︑化粧品︑マッチ︑樟脳︑ゴム︑紙︑人造肥料︑人絹︑
皮革︑レコードなどで︑それぞれの比重が軒なみ低下している︒肥料は︑一方で硫安の利用増加に規定されて︵一九三八
−四一年に高原状態となるまでに至る︶︑その生産はむしろ増大の一途を辿った︵表18︶ のではあるが︑他方で︑弾薬
素材供給の点からして︑構成比の点では生産を抑制されていることがうかがえるのである︒さて︑工業薬品︑染料︑コー
クスでは上昇がみられるが︑製鉄業の増産のためにはコークスが必要であったし︑<軍需型>化学工業の発展の面から工
業薬品や染料の上昇は必然的であろう︒
この化学工業諸分野の発展過程を表−9によって︑生産の伸びの変化によってさらに確かめてみよう︒化学工業は全体
義一7 化学工業生産額頬別比重の変化(%)
ロ ロロ
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度 業
医
備考 『工場統計表」より算出(1925年版及び1939年版による)
1)鉱油は1930年以降記載されていない。
2)マッチの数字は、発火物に含まれている。
3)紙は、和紙、洋紙ともの数値。
4)医売薬の1920年、25年の上段数値は医薬、下段数値は売薬及売薬類似 品の数値。
5)セロファン紙以下の諸項目は、いずれも1930年以降掲載されたもの。
義一8 化学肥料(硫安、石灰窒素)生産量
野呂−猪俣現段階論争の意義と限度
∴
∴
⁝
∴
∴
⁚
∴
∴
⁚
∴
⁚
∴
∵
備考撃歪讐㌣諾店巌最長闇雲匙去違蒜左』
1958年)より算出
として飛躍的な発展をとげているが︑一九一四年は〇九年比五四・六%増︑二〇年の一四年比二四七・八%︑二五年の二
〇年比一・〇%増︑三〇年の二五年比九九九・九%増︑三四年の三〇年比六三・七%増︑三九年の三四年比一九六・二%
増であって︑二〇年代後半のいちじるしい伸びが注目される︒そこでさきの表−7と関連づけてみるならば︑工業薬品︑
人造肥料︑人造絹糸などがこの期にはたした役割の大きさが納得されるであろう︒表−9にそれをみると︑ソーダ灰︑苛
性ソーダ︑ゴム製品︑パルプ︑コークスの伸びのいちじるしさに示される︒とくに表−8にみるように︑化学肥料の生産