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ドイツ民俗に於ける馬 支

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Academic year: 2021

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ドイツ民俗に於ける馬

 家畜の中でも馬は殊に人聞と親近密接な関係をもつものであるが、ゲルマγ神話に於ての主 神Wodan(Wotan或はOdin)はSIeipnirと云う神馬にのって心証し、特に暴風雨の中を

死者の大軍を率いて紫電をはためかせつ、駈けめぐると考えられていた。このSlepnirと云 うのは、Eddaの歌謡によれば、八本足の灰色馬(或は白馬)で、元来Asgard(神門の国)

の設計をした神の乗馬Svaldilfariと、牝馬に姿を変えた:Loki神との間に生れたと、曲る 伝説は云う。冬至の頃には、ゲルマン各領域に調て、Wodanの大神に犠牲や供物がさ、げら れたが、その場合にはその使獣としての:大鳥や神馬Sleipnirも亦この様な供物にあっかつ t。尚後になって「神汝の才こそがれ」のあらわれる少し前頃、神汝の遊技が行われた時、L・oki

神の誰計に依り、Baldr神(ギリシャ神話のApolloの様な光明の神)が過って死ぬと、

.Hermodrという勇士が、 Sleipnirに乗って、 Baldr神を連れ戻しのため冥界に下るという ことがあった。

 ドイツの馬は、北方民族によって、ヨPロツパの原住地に於て既に野性馬から飼い馴らされ ていたことは、最近ではもはや疑いのないところとされている。北アフリカの諸民族もスペイ γを経由して北西欧から馬を得て居たことが考えられる。但しアラビヤ馬は西アジヤの系統 である。牛が鋤をひかせられ、乳をしぼられ、一般に農耕や食糧に役立てられたのに引きか え、馬は元来乗用に充てられたものであった。Pferd(馬)という現在のドイツ語はPeher−

veredusというラデγ語から転成したもので「車の前につながれた動物」とし}う程の意味で ある。北方では勿論饒をひく挽馬でもある。印欧諸民族は古代に於て二輪の戦車を馬にひかせ た。タγク位に相当する武器である。重武装を着けた侍大将等は戦車に乗って戦場に赴き、此 処で車を下りて一騎打の雌雄を決した。その間大勢の戦士たちは勝負如何にと見守らねばなら ないのである。英国のケルト族(ブリトン人)は紀元前一世紀頃までこの旧式戦圖方式を守っ てシーザーの冒一マ軍団を迎え撃つこと〜なった。「馬」を意味するドイツ語には一般的な Pferdの外、 Hengst(牡馬)、Beschaler(種牡馬)、Wallach(去勢牡馬)、Stute(牝

馬、F負11en(=Fohlen駒)、Ross(駿馬)、Mahre(驚馬)、 Gau1(駄馬)など、色馬立

:かな表現が出来る様になっているという事実は、馬が人間生活にとって重要な役割を演じて来 た証在でもあるが、ギリシャ、ラテγの古典語から現代ヨ・一ロツパ語の母体をなす諸言語に至る まで、同一の語原に属する「馬」の字があるとはなかなか意義深い。古い時代に於て馬が尊重 されたことは東洋でも変りがない。ドイツ民族に於てはその神話宗教と関連して特別の尊信を

・受けていた。彼等にあっては白馬が軍神(Tacitus等ローマ諸家の記述ではMarsとなって いる。ゲルマγ神話Ziu,又はTyrである。)の象徴、黒馬又は白馬(又は灰色馬)が幽界 の王(ロPマ諸家はMercurとしている、ゲルマγ神話のWodan又はOdin[n]である。)

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の象徴であった。ゲルマγは戦に臨んで先づ軍神に祈って、勝利の暁には犠牲を供えることを 誓ったが、敵側の人、馬その他の生物が犠牲に供えられた例に乏しくない。既にキリスト教に 改宗したフラγク族もラγゴバルド旅との戦で馬を犠牲に供えてその血をボー河に注いだ。も っと後のドイツ伝説の中でもこの古い習わしは微かながらも残存し、馬は膿罪のいけにえとし てSchaffhausen附近のライγの滝や、レツヒの滝の渦の中へ投げ込まれたと云われる。

 すべて二化国民に於て見られる様な神々の人格化、人間と同形の象徴化は元来数世紀に亘る 信仰とそれに附随する芸術の進化を遂げた結果である。ゲルマγにあっては、Tacitusの

,,Germania にもある様に、「彼等は神汝を人間に像るなどは、神汝の偉大さと到底相容れ ぬものと考え、林や森の中に、彼等だけの心の眼に見える聖なるものが宿るとして、之を神と 名付ける。」この様に神汝を人闇に像らない信仰様式はキリスト教改宗頃まで(否、或る種族 は改宗を肯んじないで、かなり後までこの信仰を固執した。)一般にゲルマ ン諸族の問に存残 したのであるが、彼等の霊界の神Wodan自身も初めは馬の姿のま、で:尊崇された。 Woda とはWut(憤激)とか、焦燥とか、逸り立つ血気とかいう程の意味で、疾風の様に駈け、荒 汝しい鼻息を鳴らす駿馬こそはこのWodaをよく具象化するものと云える。

 紀元450年頃サクソγ人とその隣接諸族がエルベの河口地帯から英国南部へ移動し、Essex,

Wessex, Sussex(いつれもサクソγに因んで命名されたもの)に定住した時、彼等の信仰、

つまり馬の信仰をも持ち込んだ。従ってハノーヴアー家やブラγシユワ,イク家の絞章に馬が用 いられていると同様に、ケγト伯家の旗印は赤地に白馬であった。その他この聞の消息を物語る 例証が英国の古い貨幣や、同国の:巨:大な(長さ107m、高さ37m)馬の形をしたWodan像な

どに於て見られる。この様に馬と信仰とは密接な関係にあったところがら、高貴な身分の人の 慰霊の儀式に供えられる犠牲としては、馬が最高とされ、その折りには馬の肉が来会者の間に 分けられ、有りがたく頂いたというわけである。馬の頭は聖なる杜の樹木に釘付けされだもの の様である。キーリスト教になってこの習わしは、異教の残虐として絶滅された。

 キリス下教では、Wodanを聖MichaeIを以て代置し、聖Michae1は中部イタリーに於 て、ラγゴバルド族を勝利に導いた因縁からその守護神となった。中部イタリーの地下洞窟が 聖Michaleの霊場であったということからも、幽界の神Wodan、との関係がうかがわれる。

戦陣に於て又平和な生活に於てWodanがキリスト教改宗以前のゲルマγ諸族に依って絶大 の尊信を得たことから見て、悪霊や妖魔から人聞やその財物を守護してくれる守護神として Wodanを考えることは自然の筋道と云えるが、 Wodan自体或はその使獣としての馬ヌ,は馬 頭も亦、人聞を苦境の中から救出し、或は魔を祓う力があるとされた。低独地方に見られる風 習にこの名残を留める。この地方の農家の屋根につくられてある煙出しは、各種の悪霊の入り 口として絶好の場所と考えられ、従ってこの危険な個処を馬の頭が守ってくれることになって 居、る。破風の飾りとだけ見過され勝ちのこの馬頭は、この様な意味を元来もつていた筈のもの である。古くは神汝にいけにえとして供えた馬の頭蓋を棒の先に付けて、怨敵の来襲すると思 われる方に向けて立てたものであるが、1844年に於て、鼠の害や虫の害を防げると信じて、牝

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馬の頭蓋を桿の先に立てナこ記録があるとされる。囲櫨裏の縁に樫の木を用いて馬の頭を彫刻す る習わしは、指物師や註丈主はそれと気付かぬとしても、元来囲櫨裏を魔から守る意味であっ た。麻打器や洗濯爽みに馬の頭の飾りを付けるのも魔除けの意昧である。これらは農家の主婦 の最も普通に使用する器具で、クリスマスから主顕節(一月六日)までの十二聖夜の間は、魔 女の害悪から守られたことを確認しない限り、使用を許されないものである。

 馬の蹄鉄も一般に縁喜のよいものとされる。従って棟や戸口の上に釘付けにしたり、又家畜 がえさをよく食う様に、かいば桶の下へさし入れておいたりする。重要な仕事に出て行く時に 蹄鉄をボケツトへ忍ばして行くこともある。5Q年程前に蹄鉄が:大変なブρムとなったことがあ り、菓子屋が蹄鉄形のケーキ、蜜入りパγ、チョコレートなどを売り出し、或る商魂逞しいメ ーカーはブローチやネクタイピツに蹄鉄形のものを製造したということである。:大農あたりで は、時たま使用する机に:文鎮としてプロγズやニッケル製の蹄鉄を用いたり、又教会行きにぶ ら下げて行った懐中時計の鎖の先に飾りとしてこれを用いたとも云う。

 聖マルチγが白馬に乗ってクリスマスと新年に現われるという風習は一般に100年程前まで は残って居た。白馬に跨った聖マルチ7は覆面して、シャツを長六と着用、前後に飾をくくり 付けて居る。前の飾には木製の馬の頭が、後の飾には馬の尾が付けてある。頭と両腕の出る穴 だけの白い麻布を地につかんばかりにすつぼりと被って居る。白馬の騎士の姿をした聖マルチ ンは初めは、なかなか重汝しい威厳をたたえて現われたもので、縁喜のよいものとして歓迎さ れ、婚礼の席にも不可欠のものであっナこが、後にはお笑い、お愛矯に堕してしまった。サγタ クロースがパγやク Fキの入った袋を白馬(の姿をした人聞)の上に投げ上げ、そうすると跳 び上って、クリスマスの闇おどけた身振りで出没するという風習のある地方もある。冬期に蜂 蜜を入れて作るパγに白馬の騎士の形をかたどるのもある。もとこのパγのお初穂は、死者の 霊前に供え、残りは主人も召使いも家中皆んなで分け合ったものという。家庭の主婦が12月に 手製でやくパγや、クリスマスに買入れるケ門キ・にこの様な騎士の形を与えるということの本 来の意味は、古くいけえに供えられた馬であったということであろう。

 神託を告げるものとして馬を尊ぶということも、馬の形に於て考えられたWodan神を古く 尊信していたことからうなづけることである。死者の霊魂が地上に起るべき事柄を知っている し、又未来をも透視する力を具えていると信じられるのは、未開の段階に於てあらゆる民族に 共通の現象で、ゲルマγ諸族にあっても、Wodan神の化身である筈の馬に、未来を知る力が あるとされアこ。人間は馬のいななきや様子などから、未来への予言を正しく察知し、予知され た不幸を避けなければならない。Tacitus等もゲルマッ諸族の「馬に依る予言やうらないの 特殊なはたらき」や「馬を通しての前兆」について記述している。十二聖夜の間には馬は人語

を話すとさえ信じられているが、その鼻息やいななきから未来を予知する手がかりが得られる ことになっている。大晦日の夜に牡馬がいななく時は、新年に於て家に花嫁が出来るか、豊作 がある。併し花嫁迎えに牝馬に乗って行ってはならない。新夫婦の間には女の子ばかり生れる

ことになるからである。馬は乗って居る人間よりもずっと早く幻や幽霊を見つける。馬が病室の

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窓をのぞき込む時は、病人が助からぬ前兆であり、白馬の夢を見る時も同様である。花嫁の馬 車を挽く馬が、ひとりでに足を停める時、蹄鉄が紛失する時、叉は馬具がもつれる時は何れも 不吉を意味する。スウ血肝デ・ンのグスターフ・アドルブ四世王が戴冠式に出かけようとして乗 用の桿馬が暴れてどうしても乗ることが出来ず、やむを得ず替え馬を引き出した時、非常に不 吉な前兆と見られたが、果せるかな、軍隊の暴動が起って退位を余儀なくされた。又昔力Fル 大帝の馬やWidukind公の馬は泉の水を噴出させ、 Goslar附近のRammelsbergという

ところでは、馬があがいて銀を解り出した。又童話では馬が予言をすることは珍しくないし

(グリム等にもある)、伝説でも魔法の馬は大いに活躍する。キリスト教では異教を絶滅する目

的で、馬を悪魔の動物とし、その肉を厭うべきものとして排斥し、悪魔は馬の足をしていいる となした。フアウストの申のメブイストは周知の如く馬の足をしている。「馬の足がかくれて いるぞ」(Da steckt ein Pferdefuss dahinter.)(=何かネゴこくらみがあるぞ)と言いう

い廻しがある位である「馬の足」は勿論「悪魔」と同義に用いてあるわけあでる。

 馬が奇蹟をあらわすことが多いと信じられる以上、古い民間療法に於ても馬は軽少でない役 割を演ずること、なる。男の子が生れると早速馬に載せられ、大いに強い子になる様に祝われ る。咳になやまされる子は牡馬の下を三べんくぐるか、おまもりに馬の歯を身に付けて居なけ ればならない。悪性の病気の場合は黒馬の蹄鉄の釘がその悪疫を「打ち留め」ればよい。馬の 血は皮膚の吹出物を癒し、馬乳は萢:疹やそばかすにきく。馬の脂肪は毛髪の生長を促す。1600 年には、馬糞を以ての湿布が秘結、黄疸、眼疾、癌、痛風に有効な手段として推賞された事実 があり、尤も啓豪主義時代ともなれば新教派の一牧師がこの種の「迷信」を「罪深くも愚劣な わざ」としてこきおろして居る。

 以上略述したところは、Sputnik時代から見てまことに非科学的、非合理的で、まともに 取り上げる価値のないものに思えるが、現在では一見愚劣無意味と見逃されてしまう妙な古し 切れに、案外古く長く深いものがつながっていることに気がつけば、物の考え方、行動以前の 潜在的なもの、延いては作品、を内面的に理解するよすがになるのではないかと考えられるの である。

      参 考 文:献

Sammlullg Gδschen−Germanische Religionsgeschichte ulld Mythologie;

Niedersachse11−Zeitschrift fdr Heimat und Kultur(Heft 4,1953);

W6rterfuch der deutschen Volkskunde;

Hermalln Schlleider:Ger血anische Allertumskunde;

Wasserzieher=Woher;

Kluge:Etymologisches W6rterbuch;

Wilhelm Treue:Illustrierte K:ulturgegchichte des AUtags 等

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参照

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