婦 人 労 働 問 題 の 生 成
高橋保
第 第 第 第 第 五 四 三 ニ ー
目次緒論
婦人労働問題の背景婦人労働力政策婦人労働問題の特質
総括と展望
第一緒論
近年︑婦人労働問題をめぐり︑国際的な動きがきわめて活発である︒すでに国際連合では︑一九七五年の国際婦人
年世界会議を契機に﹁世界行動計画﹂を採択し︑さらに現在では︑婦人に対する差別撤廃条約についての討議を行な
っている︒またILOにおいても︑第六〇回総会(一九七五年)において︑﹁婦人労働者の機会及び待遇の均等に関す
る宣言﹂及びそのための﹁行動計画﹂︑さらに﹁雇用及び職業における婦人及び男子の同等の地位及び機会に関する
決議﹂などを採択している︒さらに︑EC(欧州共同体)からでも︑一九七五年に男女同一賃金に関する指令︑七六年
に平等待遇に関する指令などを相次いで出されている︒さらにまた︑このような国際情勢のなかで︑アメリヵ︑イギ
リスなどおおくの世界各国は︑すでに男女平等を確保するための法律を制定し︑現在ではその実際の運用過程で手直
しのための検討が進められている︒
わが国においても︑一九七七年に﹁国内行動計画﹂が発表され︑さらに七八年には労働基準法研究会による﹁女子
に関する基本問題﹂についての報告で男女平等法の制定への提言がなされるなど︑政府サイドで積極的な動きがみら
れる︒もとより︑婦人労働者を中心とした各種婦人団体の動きも活発である︒
このように︑婦人労働問題については︑国内外とも大きくクローズ・アップされてきた︒そこで︑なぜ婦人労働問
題が大きくとりあげられるようになってきたか︑つまりその背景についてであるが︑これについてはいちがいにはい
えない︒しかし︑その場合でも︑少なくとも最近における婦人労働者の急激な増大が︑その背景の基底をなしている
ことには異論がなかろう︒なぜなら︑婦人労働者の増大こそが︑婦人労働問題を大きく惹起させる主体的条件である
からにほかならない︒
そこで︑なぜ婦人労働問題が大きくとりあげられるようになってきたかということであるが︑しかしその問題以前
に︑8なぜ婦人労働者が増大してきたのか︑口また婦人労働者が増大した結果︑いかなる婦人労働問題が生じてきた
のか︑という素朴的な疑問を解決しなければならないであろう︒しかし︑このことの考察を行うためには︑まず前者
については︑ひとり婦人労働者にその原因を求めていくべきではなく︑婦人労働者をとりまく社会的環境︑つまり企
業側の婦人労働力に対する需要︑あるいは政府︑独占資本の婦人労働力政策など︑多角的な観点からの具体的な検討
が必要である︒また後者については︑婦人労働問題が複雑・多岐にわたっていることを思えば︑結局︑それらの諸々
の問題のうち︑もつとも中心となる問題つまり婦人労働問題の特質について明らかにしなければならないであろう・
本稿では︑以上の問題意識から出発して︑わが国の﹁婦人労働問題の生成﹂を明らかにしょうとしたものである︒
そのために︑第一婦人労働問題の背景および︑第二婦人労働力政策︑などを分析することによって︑まず婦人労働問
題の生成の基盤を明らかにしょうとつとめた︒さらに︑第三として︑婦人労働問題の特質について検討することによ
って︑現代の婦人労働問題の中心的な内容を明らかにしょうとした︒
しかし︑もともと﹁婦人労働問題の生成﹂は︑すぐれて歴史的な問題である︒その意味では︑労働運動史とりわけ
婦人労働運動史の面から問題を堀り起こしていかなければならない︒しかし︑その詳細については諸般の事情から︑
今後の研究に委ねていきたい︒
竺夘二婦人労働問題の背景
一︑現代の複雑な社会問題のなかで︑とりわけ﹁婦人問題﹂は︑国際社会において重要な位置を占めてきている︒
しかし︑この意味での婦人問題については︑きわめて複雑かつ多岐的に提起されている︒すなわち︑eに婦人法律問
題ともいうべき問題があり︑こ}では婦人の基本的人権の無視や母性の侵害︑あるいは妻の相続財産や離婚問題等が
とりあげられている︒口に家庭問題ともいうべきもので︑こンでは︑家事・育児の役割分担ないし社会化の問題︑さ
らに母子家庭や出稼家庭の社会的救済などが問題となっている︒⇔に婦人の健康問題などもとりあげられている︒こ
こでは頸肩腕症候群などの職業病の増加︑労働災害︑成人病︑婦人特有のガン対策などが問題となっている︒そのほ
か︑年金︑保険︑老後対策などの婦人の社会福祉問題︑婦人の政治的無関心や政治参加への社会的圧力などを問題と
した︑いわゆる婦人の社会参加の問題︑なども含まれているのである︒だから︑一般に﹁婦人問題﹂といった場合︑
具体的にそのなかのどれが問題としてとりあげられているかについて︑はっきり問題を設定していかなければならな
い︒
ところで︑今日︑一般に﹁婦人問題﹂という場合には︑そのほとんどは婦人の経済生活上の問題︑い︾かえれば
﹁婦人労働問題﹂のことであるといってもけっして過言ではない︒こ︾で﹁婦人労働問題﹂といわれる場合には︑結
局のところ女性差別の問題であり︑女性差別撤廃の問題を意味しているのである︒それは具体的には︑婦人の就業分
野のなかで問われているために︑コ雇用における男女の機会均等と待遇の平等の確保﹂というかたちなどで提起され
(1)ている︒
したがって︑現代の社会問題のなかで︑いわゆる﹁婦人問題﹂が重要な位置を占めるに至ったということは︑﹁婦
人労働問題﹂の重要性が問われるようになってきたと考えてよい︒また︑実際上も︑世界各国は土ハ通して︑このよう
な婦人労働問題を大きくとりあげているのである︒
二︑さて︑このように世界各国から重要視されるようになってきた婦人労働問題については︑いかなる背景から生
成してきたのか︒これについては︑一般的にいえば︑なによりも一九七五年の﹁国際婦人年世界会議﹂が重要な契機
をなしていることには︑異論がなかろう︒しかし︑その場合でも︑その具体的な生成背景については︑各国の歴史的
条件によって差異がある︒
わが国の場合︑戦前︑とくに明治絶対政府下においては︑かの﹁家父長制的家族制度﹂が確立されていたために︑
婦人労働問題の発生に強力な粛止めがかかっていたといえる︒こ㌧では︑﹁戸主﹂が絶対的権力者たる地位を有し︑
その下で婦人は相続権を奪われ︑そのうえ既婚者である婦人(妻)は民法上無能力者としてとり扱われ︑子に対する
親権さえも奪われていた︒当然︑このような風習は︑婦人の社会的︑経済的︑政治的生活のなかに︑そっくりそのま
ま反映していった︒すなわち︑当時の一般的な男尊女卑の思想の下で︑婦人は常に家庭内にあって夫に絶対的に従属
し︑家事.育児に専念すべきものとされたが故に︑婦人自身が一個独立の人間として社会的労働に従事することなど
は︑とうてい考えが及ばなかった︒かりに︑そのようなことが行われたとしても︑﹁出稼工女﹂という言葉が示すよ
うに︑婦人は独立の労働力提供者としてではなく︑あくまでも﹁家計補助的労働者﹂たるにすぎなかつ麗四したがっ
て︑こうした婦人労働者に対しては︑かの﹁女工哀史﹂でもみられるように前借金・強制貯金制度などによって︑あ
婦人労働問題の生成
るいは罰金・体罰などによって︑ようしゃなく低賃金や長時間労働が実施され︑そうすることによってきびしく酷使
されてきたのである︒
同じように︑婦人の政治的活動なども︑とうてい認められる余地がなかった︒選挙権や被選挙権はもとより︑明治
二一二年の﹁集会及政社法﹂や同三三年の﹁治安警察法﹂などは︑婦人の政治的結社への加入を禁止したり︑さらにそ
のうえ政治的演説を行なったり︑あるいは聞くことさえも禁止したのである︒
しかし︑だからといって︑明治絶対政府下においては︑婦人労働問題の発生が全然みられなかったと考えるべきで
はない︒それどころか︑当時の資本側の一方的な低賃金︑長時間労働︑強制労働という劣悪な労働条件による酷使に
対して︑婦人労働者たちは﹁ストライキ﹂や﹁逃亡﹂を行なうなどして抵抗したのである︒例えば︑一八八六年(明治
一九年)に︑山梨県甲府の雨宮製糸紡績工場で婦人労働者百数十名がわが国最初のストライキを行なったことは︑余
りにも有名である︒このストライキは︑会社側が実働十四時間を十四時間半の三〇分の延長をしようとしたこと︑ま
た一〇銭の賃金の切り下げ︑あるいは子持ちの婦人がたとえ時間どおりに出勤しても二〇分の賃金を差引くことなど
に反発して行われたものである︒百数十名の婦人労働者たちが︑寺院にたてこもるなどして三日間のストライキを行
なった結果︑っいに勝利を獲得した︒さらに︑このような婦人労働者が参加した大規模なストライキは︑一入八九年
(明治二二年)︑大阪天満紡績でも行なわれている︒さらにその後︑このようなストライキは主として紡績業や製糸業を
中心に行われることとなった︒しかし︑一般にこのような当時のストライキは︑劣悪な労働条件に抵抗して行われた
ものであると同時に︑他方において男性である工場長︑監督官の排除というように︑前近代的な身分的従属関係を排
除する要求が含まれていた︒しかも︑婦人労働者自身強固な組織をもつことなく︑団結もきわめて一時的散発的なも
(3)のであった︒したがって︑婦人労働問題についても︑このような当時の労働運動の性格を反映して︑一時的散発的な
ものとして惹起し︑けっして今日のような階級的連帯意識を基礎にした恒常的一般的なものとして展開されることは