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和 辻 倫 理 学 に お け る 「個 別 性 」 の 契 機 に つ い て
伊 東 洋 一 ..,.i・::.:・P /.PeT
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和辻倫理学において'しばしば'「個別性」の契横が問題にされる。それは主として'和辻哲郎博士がニーチェ'
キェルケゴールといった,個人主義的においの強い実存主義の研究を以て思想界にデビューしたのに、一その後この契
機が消滅してしまった'少くともその倫理学体系にはこの契機が稀薄である'ということにあるらしい。例えば唐木
順三氏はその「和辻哲郎の人と思想」の中で'﹃:イチェ研究﹄の改訂第三版の序文のなかにある「著者はこの書を
むしろ抹殺したく思ってゐた」という言葉を捉えて'「何かひっかかるもの'奥歯にものがひっかかってゐるやうな
さういふものを私は感じる」と云って'
一九一八年の﹃偶像再興﹄まではよい。しかしその翌年の﹃古寺巡礼﹄'翌々年の﹃日本古代文化﹄と﹃ニイチ
ェ研究﹄はどうつながるであらうか。﹃人間の学としての倫理学﹄の原型である岩波講座﹃哲学﹄所載の「倫理学」
(一九三一年)とはどうつながるであらうか。ここには﹃ニイチェ研究﹄とは異質の何物かが入ってきてゐる。自我'
内面的自我'個性'まして「実存」とはまったく土台が違ふもの'後者の例でいへば和辻さん特有の意味での「人
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二間」(間柄にある人)といふ観念が中核をなしてゐる
として'続いて金子武蔵博士の「最初ニイチェ'キェルケゴオルのいはゆる実存哲学の研究に出発し'しかもコソス
イステンスイを持することにおいて誠実であった著者が'人間の学としての倫理学に至って彼らから離れたのは'た
しかに奇異の感を与へる。著者のとるに至った一種の共同主義が彼らの個人主義とたうてい両立しえないものになっ三四たことは事実である」、「三日をもってすれば'はなはだ微妙なものがある」という和辻全集の「解説」の言葉を傍証五六にしている。こうして一般に論者は、これを「転身」'「転向」といい'あるいはまた「換骨奪胎」と名づけて、その
秘密の解明に和辻倫理学論を当てているといってよい。けだし、個人的にして全体的'全体的にして個人的という二重●●構造をもつ人間の学としての和辻倫理学においては'個別性の契機はまさに本質的で致命的ともいえるものであろう
から'この契機のその後の行方'体系上における位置、そこで占める比重こそ大問題となるのであろう。
註
1'﹃ニイチェ研究﹄はT九二二年'大正二年(二四才)'﹃ゼエレン・キェルケゴオル﹄は1九一五年'大正四年(二六才)に内田老鶴圃より刊行された。また一九一二年の東京帝国大学文科大学哲学科の卒業論文の題目は「ショウペンハウェルの厭世主義と解脱論」であった。
二、唐木順三'﹃日本の心﹄
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頁。三、和辻哲郎全集'第九巻'脚頁(解説)四、同右'第1巻'脚頁(解題)
五、「転身」、「転向」は前掲唐木﹃日本の心﹄、215頁。
六、「和辻がやがて、実存哲学からその固有な主体的な思索のパトスをふるいのけて、それを観想的な現象学的解釈主義のかたちで
スマートに自分の倫理学へと換骨奪胎してゆくのも‑‑」、信太正三「実存哲学の開拓者として和辻哲郎」、﹃理想﹄昭和三六
年六月号66頁。
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二
ところでこの「転身」、「転向」の秘密の究明には'既に若干の傾聴すべき試みがなされている。しかし就中唐木順
三氏のそれは'この間題に真正面から振り組んだものとして包括的でまた深く内実に迫っていると思われるので'引
き続き唐木氏の所説を摘記してそれに耳傾けてみようと思う。氏は'
その一つに淑石からの影響をあげる。つまり'軟石の「自己本位」、「個人主義」が「則天去私」という形で自己否
定に終ったとして'「去私において初めて自己は本来の自己を現成するといふのである。本来の自己になることによ
って'人は人との共同態を獲得する。﹃私﹄を去りえた者のみが'互に﹃人間﹄(和辻さんの意味での)たりうる。孤立"的自我はここに死んで'人は聯帯に入る。﹃間柄﹄ができ﹃倫﹄ができる。晩年の瀬石はそこへ進んでゐる。」淑石二の死後旬日ならずして「和辻さんが涙にぬれながら」書いた「夏目先生の追憶」(一九一六年'大正五年)の中の「‑⁝
正義に対する情熱'愛より﹃私﹄を去らうとする努力'これをほかにして先生の人格は考へられない」'「公正の情熱
によって﹃私﹄を去らうとする努力の傍には'超脱の要求によって﹃天に即かうとする熱望﹄があるのであった」'三「‑⁚‑・﹃私﹄を去れ。裸になれ。そこに愛が生きる。そのほかに愛の窒息を救う道はない」等の言葉を結びつける
のである。次に﹃面とペルソナ﹄の「土下座」(一九二〇年'大正九年)の体験を重視する。それは九十二才で亡くな
った祖父の葬式の後'父と共に土下座して会葬者に挨拶した時の体験であるが'これを捉えて「一九二〇年は和辻..四さんの数へ年三十二歳にあたるが'このあたりから転身の兆がはっきりみえてきてゐると私は思ふ」と云って「青年
時代の偶像破壊の行動'ス‑ウルム・ウソー・ドランク時代が終り'その基本をなしてゐた孤絶の個人主義の思想だ
けでは進めなくなってきてゐた。﹃人と人との問﹄が問題になってきた。人を人から疎外する﹃現在の社会組織や
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教育﹄が問題になってきた。そして観念よりも体験を、思想よりも形をといふ方向が兆してきた。そしてこれはやが五て和辻倫理学の中核をなす﹃人間﹄といふ新しい考へ方に結晶してくるわけである」と述べるのである。その次には
「転身」「転向」を「偶像破壊から﹃偶像再興﹄(一九一八年'大正七年)へ」という問題に設定して'実は「私が疑問
とするところは'一応は﹃偶像再興﹄の長い﹃序言﹄の中で和辻さん自身によって答へられてゐる」といって「和辻六さんの偶像再興の主要契機は﹃芙﹄であると私は思ふ」と述べる。それは'丁度ルネッサンス時代に地下から掘り出
されるギリシア彫刻が信仰の対象としてではなく美の対象なるが故に崇められた様に、美しい偶像はその故に再興さ
れねばならぬと「序言」で述べているからであるという。それはとに角'この「序言」の次の言葉を問題視する。
「行ぎ過ぎた破壊は予を虚無の淵にまで連れて行った。偶像破壊者の持つ昂揚した気分は'漸次予の心から消え去っ
た。予はある不正のあることを予感した。反省が予の心に忍び込んだ。そこで打ち砕いた殻のなかに芙味な媒液のあ●●ることを悟る機会が予の前に現ほれた。予はそれをつかむとともに豊富な人生の内によみがへった。そこに危横があ七った。さうして突破があった。」
つまり「行き過ぎた破壊は予を虚無の淵にまで連れて行った」が実は「その淵の中にある自分を見出しえずにすん
だ」のであり'当時精読し愛読したニイチェやキェルケゴオルやドスーエフスキーの「なめたもっとも苦い液汁'ニ
ヒリズムを'彼らほどはなめなかった」のであり'「さういふ実存のなめざるをえない苦汁は'﹃美味の策液﹄によ八ってうすめられてしまった」のであり'結局「和辻さんは近代のニヒリズムとはつひに無縁の人だった」'「和辻さん九の見'また感じたのは'反逆児の眼にうつった虚無'虚無の﹃情緒﹄'虚無の風土」にすぎなかった。したがって
「ニヒリズムの苦い体験をもたないものには'おのづからに﹃超越﹄の必要はない。和辻さんのよみがへったところ
一
〇は'﹃豊富な人生の内﹄であったのも故なきことではない 」
というのである。そうして唐木氏はこの不徹底さを、単l
...1一に和辻哲郎その人にではなく'近代日本の不可避なゆがみとして、また教養主義に帰しているのであるが、とにかく
以上の解明指摘は、個別性の契機を問題にしようとするものにとってまことに示唆的で、大きな教示である。個別性
の契機の問題は日本の近代化のゆがみといった広い背景から捉えられて'始めて真の解決をえるものであろうが、こ
こではしばらく、和辻倫理学の中に問題を限って、しかも先ず﹃倫理学﹄から考えてみたい。
註
一'前掲、唐木﹃日本の心﹄'1‑9頁。
四'同'215頁。五'同上。
八'前掲'唐木﹃日本の心﹄'謝頁。 二'同上、悦頁。
六'同'
2‑
9頁。九'同'矧頁。 三へ同上'
1‑8
頁。七'前掲'和辻全集'第十七巻'16頁。
一〇㌧同'矧頁。二、同t
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頁. 一J∵豪儀朋偶淵用37
三
さて和辻倫理学であるが、それはそうはいっても、実存主義と真正面に対決するという姿勢をとっているのでない
ことは勿論である。それは、直接には、近代倫理学の基礎をなす個人主義的人間観、特にデカルー哲学を批判の対象
としているのである。その意味での個別性の契機への批判である。ところで個別性の契機は全体性の契横と相対する
ものであるから、個別性の契機の薄弱は、全体性の契機の優越を表示するということになるだろう。個別性の契横に
対する批判が強力であるとすれば、それだけ全体性の契機が優越する道理である。そこでここでは、先ず和辻倫理学
のデカルト批判、個人主義的人間観の批判を、次に和辻倫理学原理における個別性と全体性の契横との関係乃至原理
における個別性の契横の比重を測定してみようと考える。
和辻倫理学における対デカルトの問題は'次に見るように、﹃倫理学﹄(上巻'一九三七年'昭和一二年)の冒頭から