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明 治 初 年 の 地 域 別 価 格 動 向
岩信竹
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一㌧はじめに
明治初年の国内市場は'どの程度まで'統1化が進展していたのだろうか。三井、小野'島田等の豪商の活動の広(1)(‑)汎さや'国内貿易の活発さに着目すれば'そして又'江戸時代以来の全国的な商品流通の編成の構造を想起すれば'
統一化の進展の大いさが予測できるのであるが'一九〇〇年の米穀市場についての次の様な指摘を見れば'この設問
の解明が容易ではないことが知られよう。
「かかる米価の地域構造の分析から導かれることは'‑‑移出ブロックと中央都市を結ぶ全国的市場自体が、必ず(3)Lも一つの市場といいうるようには'充分に発達を示していないということをも示している。」
持田恵三氏によるこの指摘は'各地米価の月別変動のデータを'中央市場と産地を対比させつつ分析して得られたも
のであるが'国内市場での流通が最も頻繁である米についてすら'この様な事実を指摘できるとすれば'他の商品を
も含めた市場全体の統一性についても'明治初年については'過大評価をなしえないことになろう。
もちろん'月別価格データの対比を'直ちに'市場統一の進展度の指標としてよいかどうかについては'疑問をさ
し狭むことも可能であろう。明治初年の問題に限ってみても'地租改正の進展などの通例の需給関係を超える諸要因
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の作用を無視することはできないからである。しかしながら'価格動向の地域別趨勢の比較は'各地の経済動向の独
自性がどの程度存在するのか'又その独自性がどの程度失われているのかを知ることができる素材であると考えら
れ'その利用は'市場統一の大勢を把握するために不可欠であると考えられる。とりわけ'持田氏の研究によれば'
一九二年及び一九二六年の月別価格データの中央と産地の対比の結果'緊密な価格動向によって表現される統一性(4)が'米穀市場について出現することが判明しているのであり'明治初年の市場構造についても'同様の基準で'どの
程度の統一性の検証が可能であるのか'考察を加える必要があろう。
さて'本稿で考察を加えようとする物価データは'一八七五〜六年の月別物価データであり'国立公文書館の所蔵
資料である。これは'明治政府が'各地からの報告をとり纏め'各月ごとに整理し'夫々を二枚の用紙に印刷したも(‑)のであり'﹃明治九年物価表﹄'﹃明治八九年物価表﹄の二冊にとじ'保存されている。これらの﹃物価表﹄には'
七五年十月'一一月'一二月及び七六年一月'三月'四月'八月の各月分が収録されており'他の月の分についての
存否は不明である。調査地域は'東京'大阪'西京の各都市と'山城'大和以下七三ヶ国であり'この内'山城'志摩
の二国は'空自となっている。又'物価の調査品目は'米'麦'清酒'大豆'塩'水油'醤油'濁酒'焼酎'味淋'
石炭'銘酒'白酒の一三品目であり'夫々上中下及び上中下平均の四つの数字が記載されている。月別データの完全
性や'調査品目の偏より'とりわけ'主要輸出品である生糸や茶の価格が欠けていること等に問題点はあるものの'
七五年十月〜七六年八月の間の七ケ月のデータが存在し'且つ米の調査も行われていることから'明治初年の'一年
間の価格動向の地域差の大勢を'これらの資料から'うかがうことは'可能であろう。
明治初年の物価データについてのこれまでの研究を振り返ってみれば'野田孜氏による﹃明治期における流通段階
別地域別物価差﹄が'既に'生産者価格と卸売価格'東京価格と全国価格の対比を行っており'い‑つかの有益な結
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● 1J.Pさl
VF<四論を導き出している。同氏の論稿においては'全国的な観点からの物価データの推計に主眼点が置かれ'各地価格を操
作しっつ'全国平均の数値を導出することにより'東京価格と対比しっつ考察を行っているのである。そして又'野(‑)田氏の研究は'包括的な概要を把握するために年次別データの対比に力点が置かれている。本稿では'野田氏の観点
とはやや異った観点から'地域を個々に扱い'月別データに着目して'更に考察を進めてゆこうとするものである。
又'新保博氏は'米他二四品目の相対価格を算出した上'変化の分析を行い'価格構造の解明を目指しておられる(8)が'本稿の分析はこの視角とも臭っている。
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第1表 各種東京 月別米価
b)変動史 J c)
悪用豊
a)物価表
(出典) a) 『物価表』、 b)中沢弁 次郎 『日本米 価変動史」】、 C) 『農商務統計表』
1)単位、 1石当 り円。
次に'月別物価データの内容について'本稿で取り扱うデー
タと'既に知られている同時期の事例とを対比してみれば'﹃鼻BgE商務統計表﹄が米'塩等の数値を掲載しており'又'中沢弁次
郎氏の﹃日本米価変動史﹄が'明治初年をも含めた米の月別価固化四格を紹介しているDLかLtこれらの数値は'夫々東京及び
東京'大阪の数値が主たるものであり'その利用のみでは'全国
にわたる個々の数値の比較は不可能である。この点から見れば'
本稿で考察する﹃物価表﹄の包括性は有用なものと考えられ
る。次に'﹃物価表﹄の東京市中米価と'﹃農商務統計表﹄等の
東京米価とを対比して'数値の特徴を概観しておこう(第1表
参照)。これらの数値を対比してみれば、同一の数値とはなって
いないものの'大よその趨勢は一致していると言ってよいと思
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わ
れる。
更に'
同じく
政
府調
査になる『
物 価 表
』『と
農 商 務
統計
表
』の
数
値を
見
れば'
後 者
が'「
常用品相
場」であ
る た め か' 前
者と
は や や
異てっ
いる。
従っ
て'『
物価
表
』の数値が完壁なのかもどう か' 疑問がないではない。のこ
よう
な 問 題 点 を 持てはいのの'同るもっ 時 期 の 多 数 の 各
地の
月
別デター
は' 他 に 求 め
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又'各
地間物価の対比が
示す
地 域 構
造に関
心を
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且 つ 物
価の
示 す 数 値
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稿の的にては'目とっ
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タ と の 完
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物 価 表
』で使用堪ではないか思われであ以下分はあてにえのののもるとるるっ。'
析は'のな前こよう
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『 物 価 表
』の
記
載は'
各月に'とご
商品の
価 格 が
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形なていとるっ
が'こ
れを'
商品の月とご
別デター
に 並 べ
かえ'
上中
下の
平 均 価
格に
着てへし目
又'米
価に主てとし
着目し'
他の
商品
価格は'それの対と
比において考
察
すて'ることとし
市 場 統 一
性の
問 題 に 接 近てゆしこととしく
たい。
(1 )山口 和 雄『明 治前期 経 済の 分 析
』' 一 九 五 六年'わけ「第六章明治十年代内国貿易」参照。氏はそで'との山国内口こり 市 場の 一 応の 形 成を 指 摘ていしる。 豪 商の 活 動に ついて は' 官本 又次
『小野 組の研究』 第 一四〜 巻'一 九七
〇年等参照。
(2
)同 右 及び 古島敏 雄「諸産業発展の地域性明治初年におけ」(地方史研究協議会『本産業史大系』一九六一年る日1‑'
IWIWIWIW6543iRiRiRiR
所 収 ) 等 参 照。
持田恵 三『米穀市 場の展過程』'一九七〇年'三開 六七頁。〜 同 右' 三 六 頁' 一・ 五 表及び' 八 九〜 九〇
頁 参 照。
以 下'『 物価 表
』略と 称する。
野田 孜
『明 治 期に 於ける 流 通 段 階 別 地 域 別 物 価 差
』 ( 一 橋 大 学国民 所 得 研 究 会 資 料D‑
二八 )' 一 九 六 三 年。
例え ば' 米 価について'東京全国の価格と 比率が'明治 十〜 大正四年にかけて上昇し' 差が漸次縮少てい等がそれであしることる (同 右' 二 頁 )0
同 右。なお'野田氏の研究は 他の 諸氏の研究あと わせて' 大川一司他著『 物 価
』'一 九 六七年集大成れていとしてさる。 新 保博「 幕 末 期明・ 治 期の 価 格 構 造
」 (
『 社 会 経 済 史 学
』 三 三‑ 二 一 九 六 七 年 所 収 )
く、ー要撃
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農商務省総務局﹃農商務統計表﹄各年次'「重要品相場」。中沢弁次郎﹃日本米価変動史﹄'一九三三年。
なお'﹃物価表﹄の数値は'野田氏の区分に従えば'卸売物価に当るものであろうが'厳密に判定することは困難である。更に'物価'とりわけ米価を素材とする市場構造の分析について付言すれば、近代について'先に見た持田氏の研究に代表されるように考察が進められているが'近世市場についても論稿が著わされている(社会経済史学会編﹃新しい江戸時代史像を求めて﹄一九七七年'特に'官本又郎'岩橋勝氏の諸論稿を参照)。但し'このような手法はtN・S・B
・グラース以来採用されている(N.S・B・Gras,Ev
olu tion
oftheEnglishCornMarket,)9)4).なお'近世物価史の多様な諸側面の研究については'山崎隆三㌧新保博氏をはじめ多数の諸業績が出されているが'ここでは指摘するに止めたい。77
二㌧米価の地域別動向
七五年十月〜七六年八月の各地の米価動向を見れば(付表1)'東京'西京'大阪の価格が概して高いが'これ
らの大消費地の価格が常に最高価格を示すものではない。七五年十月については'安房の価格が最も高‑'七六年
四月も同様である。又'上野'武蔵'対馬等も高価格の地域である。しかし'これらの少数例を除けば'三都価格を
主要消費地の高価格の代表例と見なしてよい価格構成が存在していたことが確認できる。l方'低価格地域として
は'越中'日向'羽後等が末端を形成している。そこで'まず'東京'大阪と'越中'日向'羽後の米価動向を対比
して見れば'第1図のようになる。これによれば'七五年十月〜七六年三月の問の'出来秋以後の半年間は'主要消
費地と'末端価格地帯は'ほぼ同様の価格趨勢を辿り'以後は'データの散在性の故もあってか'地域差が目立つよ
うになることがわかる。
さて'七六年の米生産高を'﹃明治九年農産表﹄によって見れば'越後の産額'一一八万九千石を頂点として'羽
78 第1国 各 地 米 価 1
J I . , . ;
‑ノ
LDLJ 後'羽前'越中'肥後'信濃'近江'出雲'
武蔵'肥前の順に産額が多い(第2表)0
従って'低価格地帯の羽後'越中の事例
は'同時に'末端産地価格の動向をも示し
ていたのであるが'ここで更に'越後'羽
r,前'肥後'信濃の価格動向を見て'東京'
3大阪と対比し'産地と消費地の価格動向の
2対応を見ておこう(第2図)0亡じ
翠‑⊥ヒ越後,羽前,肥後,信濃の各地とも,既
∵に見た越中や羽後と同様に'七五年十月以
禦丁仙卜後の価格低減'七六年にかけこの低落傾向
の緩慢化(大多数は回復)'七六年初頭の
第2表 1876年米生産高
8902452396954329179233979019887777766551
後後前中後濃江雲蔵前前勢濃
越羽羽越肥信近出武肥陸伊美
(出典)勧農局 『明治9年 全国農産表』 1)単位千 石、以下切拾。 2)精 米は 除 く∩
再度の低落傾向については'東京や大阪と同様の趨勢を辿る
ことがわかる。但し'七五年十一月の越後の事例の様に'前
月よりの価格下落の程度が他地域ほど顧著でな‑'地域的特
徴を残していると見られる事例もある。
図表より概観できるい‑つかの地域についての以上の考察
を'東京'大阪と各地との相関係数を一覧することによっ