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3 RITSUMEI INTERVIEW Ritsumeikan University Alumni Association, JULY 2005 No.221 CONTENTS

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(1)

立命館大学

題字・末川 博名誉総長

Ritsumeikan University Alumni Association

立命館大学校友会報

特集1 特集2

輝くひと

Brilliance

54

偉業達成 清々し!

ヤクルトスワローズ捕手

古田 敦也さん('88経営)

偉業達成 清々し!

ヤクルトスワローズ捕手

古田 敦也さん('88経営)

[写真提供・共同通信社]

(2)

輝くひと

古田敦也

さん

RITSUMEI INTERVIEW

(財)名古屋観光コンベンション ビューロー理事長

日高正行

さん

恩師の窓

辻村 寛

名誉教授(理工学部)

奥地 正

名誉教授(経済学部)

キーワードから見る現代

ニート

斎藤真緒

産業社会学部助教授 特集1

いつも、いつまでも 自分らしく学ぶ

座談会「夢があるなら学ぶがよし」

田中照純経営学部長・藤原茂昭さん

浜本広子さん・長森宏恭さん 奮闘! 有職現役社会人院生 山添孝夫さん・西村 仁さん

特集2

立命館大学における 社会人の学び

ーデータで見る社会人学生

校友会ネットワーク All-Rits

立命館校友大会2005のご案内 幹事会報告

自由席

こんな会あります APU校友会 交響楽団OB会 Rits One ときの人

西川洋樹

さん

立命館学園政策ニュース キャンパストピックス 学生のスポーツ&イベント INFORMATION

CONTENTS

この1年弱の間、古田選手の 表情がテレビに大写しになる場 面がことのほか多かった。闘志 に引き締まった顔、苦悩する顔、

揺るぎなき決意を湛えた顔、そして、偉業を成し遂げて光 り輝く顔。私たち立命館校友は、その時々の古田さんを見 つめ、声援を送り、大いに励まされてきたのである。

昨年秋にはプロ野球界再編問題を見事解決に導いた。そ して4月24日、大学・社会人野球を経てからプロ入りした 選手としては史上初めて2000本安打を達成。私たちにと っても歓喜の時であった。古田さん、おめでとう!!

在学当時の硬式野球部監督、中尾卓一さん('51経済)

は振り返る。「古田は、とにかく負けず嫌い。どうしたら 強くなれるのか考え抜き、着実に実践していました。仲間 と明るく楽しむことも上手だった。加えて、人の話や状況 から多くのものを吸収し、自分の肥やしにできる賢者であ った。野球が好きで好きでたまらない純粋無垢な少年が、

大人になっても純粋なまま野球に打ち込み、様々な局面で やればできる ことを実証しているのです。素晴らしい ですよ。」

プロ入り後、自らにいっそう磨きをかけつつ、初心を失 わなかった古田さん。変わること、変わらないこと。それ ぞれが生み出す力の相乗効果が前人未到の成果を生んだ。

あまたの応援に深い感謝を示しながら、「あくまでも節目、

まだまだやります」と、古田さんは前を向き続ける。実際、

次の試合では猛打を放った。どこまで記録を伸ばしてくれ るのだろうか。

いまや立命館校友の象徴的存在。我々の胸を震わす快音

Ritsumeikan University Alumni Association, JULY 2005 No.221

立命館大学 校友会報

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18 3

偉業達成 清々し!

17 8

ヤクルトスワローズ 捕手

古田敦也さん('88経営)

表 紙 の人

(3)

社 会 人 学 生 特 集

特 集 1

社 会 人 学 生 特 集

(4)

田中 営学 部長 の田 中で

︒立 命館 に参 りま して から ちょ うど

それ を受 ける 側︑ 両者 が作 り上

その 難し さを 日々 実感 しな がら ごし てお りま す︒ そし て社 会人 生・ 院生 の皆 さん には 大い に刺 を受 けて いま す︒ 長森 九八 七年 経営 学部 卒︑

〇〇 三年 国際 関係 研究 科修 了の 森で す︒ 学部 卒業 の年 に松 下電 に就 職し

︑現 在に 至り ます

藤原

藤原 です

︒五 五歳 で会 社を 期定 年退 職し てか ら入 しま した

経営 学部 の四 年間 に続 き︑ 博士 期課 程を この 春終 えた とこ ろで す︒ 浜本 本で ござ いま す︒ 川西 の生 涯学 習短 期大 学に 通い まし のが 縁で

︑経 営学 部に 入学 しま た︒ 飛び 級で 大学 院へ 入れ てい だき

︑昨 年︑ 博士 前期 を修 了し した

藤原

入学 の動 機で すが

︑﹁ 立命 大学 社会 人学 生募 集﹂ の広 告を た時

︑や り残 した こと これ だと

ピン と来 まし た︒ 私は 退職 前に

〇年 間ほ ど子 会社 へ出 向し

︑支 長を して いた ので すが

︑当 時の 下か ら時 々電 話で 相談 があ りま

ね︒ しか し︑ ほと んど が大 ある 彼ら に専 門的 なこ とを ると

︑時 に躊 躇す る場 面も した

︒大 学で 経営 学を 勉強

︑よ り適 切な アド バイ スが でき んじ ゃな いか

︑こ の思 いが 大き かっ たで すね

浜 本

ず先 程申 し上 げた 市民 講座 に通 はじ め︑ ほぼ 並行 して マナ ー講 の養 成講 座も 受講 しま した

︒二

学生 に秘 書検 定対 策講 座︑ イン ーン シッ プや 就職 面接 のマ ナー 導を する よう にな りま した

︒で

︑ビ ジネ ス社 会の こと を知 らな 私が 教え るの は失 礼だ と感 じま て︑ もっ とき ちん と勉 強し たい 思い まし た︒ そん な時

︑市 民講 で﹁ 立命 館大 学へ の推 薦制 度が りま す﹂ と聞 き︑ これ はチ ャン だと

︒大 学へ 行き たい とい う夢

︑か れこ れ二 五年 間も 持ち 続け いま した ので

︑チ ャレ ンジ しま した

長 森 私は 経営 学部 生の 頃か ら大 学院 への 学を 考え てい まし たが

時の 風潮 から 企業 に就 職し まし

︒長 年の 思い を叶 える べく

︑現 職を 続け なが 進学 しま した

まで には 研究 会へ の参 加や 文献 収集 をし て準 備し

︑ま ず九 九年

九月

︑大 学院 の科 目等 履修 生に りま した

︒時 間的 には これ で精 杯︒ 勤務 地は 大阪 の門 真︑ 自宅 西宮 です

︒そ こで グロ ーバ ル化 おけ る企 業の 日本 的経 営の 研究 行お うと

︑国 際関 係研 究科 の門 叩き まし た︒ 二〇

〇一 にな って

﹁時 は満 ちた

︒二

〇年 近く 企業 に身 を置 いて 社会 を見 て来 のだ から

今な ら誰 にも 負け ない 修士 論文 書け る﹂ と判 断し

︑試 験を 受け 正式 に入 学し まし た︒

田中 中の 毎日 はい かが でし たか

︑苦 労話 もあ ると 思い ます が︒ 藤原 学業 に専 念し まし たか

学部 では 五〇 単位 以上 も取 りま した

浜本 ちの 上で は主 婦業 を廃 業し てい まし た︵ 笑︶

︒家 族の 支え

週に 四日

往復 五時 間を かけ て川 西市 の自 宅か BK Cへ 通い まし た︒ 健康 管理 含め て相 当努 力し まし た︒ ゼミ 入る 代わ りに 語学 をと 思い まし

︑毎 日ド イツ 語を 取っ てい まし た︒ 長森 日は 然仕 事で す︒ 運が 良け れば 夜七 頃か ら始 まる 講義

出席者

田中 照純経営学部長

藤原 茂昭さん

('03経営・'05院経営博前)

浜本 広子さん

('04院経営博前)

長森 宏恭さん 社会人学生特集号 特集1

(5)

部か ら上 がっ た若 い同 生が

︑た まに は一 緒に 食事 した もあ りま した ね︒ 土曜 の講

︑朝 から 晩ま でフ ル稼 動︒ は︑ とき に子 供の 学校 行事 し︑ ある いは 乳飲 み子 を膝 なが ら︑ 修士 論文 のた めの を進 めま した

藤原 うそ

︑コ ンパ が楽 ね︵ 笑︶

若い たち 友達 広が り︑ 台湾 から の留 学生 しく なり まし た︒ 楽し かっ よ︒ 二回 生の 時に は﹁ 経営 会人 会﹂ を立 ち上 げま した

会人 同士

︑助 け合 える 仕組 みを ろう とい うこ とで

︒こ れは もち ん勉 強が 主体 です けれ ども

︑合 を縫 って コン パで 交流 をは かる 会も 多く

︑非 常に 充実 した 学生 活を 送ら せて もら った と思 って いま す︒ 田 中 社会 人に とっ ても

︑学 生生 は教 室の 中に だけ ある ので はな んで すね

︒私 のゼ ミに 一人

︑古

去年 の夏

小豆 島へ のゼ ミ旅 行に

の彼 が来 てく れた んで すよ

︒釣 が上 手く て︑ 他の 学生 に教 えな ら旅 行の 雰囲 気を つく って くれ

︑嬉 しか った です ね︒ 社会 人学 生の 役割 を再 認識 しま した

浜 本 私は

︑初 めは 正直 申し まし 何か 居心 地が 悪く て⁝

︒基 礎演

習の 教室 へ行 った ら︑ 社会 は私 だけ だっ たん です

︒四 年間 は一

︑四 六〇 日で しょ う︑

﹁今 日で 一︑ 四六

〇分 の一 が過 ぎた

︑七 三〇 の一 が過 ぎた

⁝﹂ と思 って いた んで す︒ でも 一ヶ 月く らい しま した

︑先 生の おか げも あり まし て︑ 壁が り払 われ てい きま した

︒そ うこ して いる うち に藤 原さ んが 社会 会を つく って 下さ って

︑と ても 難か った です

田中

るほ ど︑ 皆さ んさ すが すね

︒私 は﹁ 学問 に年 齢な し﹂ 思っ てい ます

︒学 びた くな った が適 齢期 です

︒社 会人 には

︑世 中で 貴重 な経 験を 積ん でい ると う︑ 一般 学生 には ない 有利 な点 あり ます

︒経 験か ら入 り︑ その で理 論を 膨ら ませ て行 ます よね

特に 経営 学で は︑ これ が大 事な

すよ

︒社 会人 には

︑一 般学

生か らは 出て こな いよ うな 果が 期待 でき るん です

︒経 るの で︑ 理論 が︑ 砂地 に水 込む よう にス ーッ と入 って 行く です

︒ま た︑ 理論 形成 の上 でも 験は 大切 です

︒学 問は 理論 と実 践の 統一 です から

もう 一つ

︑社 会人 の強 みを 言い いの です が︑ それ は︑ 学問 が手 では なく

︑そ れ自 身が 目的 にな

来の ため に︑ どこ か義 務的 に大 に来 る面 もあ りま す︒ しか し社 人学 生は 全身 全霊 を勉 強に つぎ んで いる

︑学 ぶ喜 びに 浸っ てい ます から ね︒ 浜本

周囲 の人 から

︑﹁ そん なと まで よく 通え るね

︑偉 いね

﹂な んて 言わ れま せん でし たか

藤原

そう そう

︑言 われ た︒ 浜 本 私た ちに とっ ては

︑当 たり なん です よね

︒自 分の ため にし てい るの です から

長 森 れで も相 当の 覚悟 が必 とは 確か です

︒特 に仕 事と せる こと は難 しい

︒あ る人

は休 学さ れて

⁝︒ 大学 側も ミナ 駅に 直結 した サテ ライ 室を っと 増や して

︑仕 事を 社会 のニ ーズ に対 応し て行 べき です

共にドイツ語を学んだ仲間たちと浜本さん

(6)

田 中 ぶ欲 を持 てい 人の ころ 我々 出か て行 姿勢 が︑ もっ と必 要な んで すね

藤 原 でも

情と

の都

留年 した り︑ 休学 した り︒ 浜 本 うで ね︒ も︑ さん つか た来 いと っし って いま した

田 中 欲と 時に

自覚 必要 ので

︒両 は︑ 半可 な気 では きな

︑そ にチ ャレ ジす るん だと いう 自覚 が大 切で す︒ 藤原

同級 生に 小企 のオ が多 った です

︑み んな の合 には

もの ごい 勢い 帯電 で仕 の連 をと って まし た︒ 田 中 り遂 た皆

学し よか た︑ る気 があ でき

︑と っし るが

︑そ 裏で の苦 労は 大変 なも ので しょ う︒ 藤原

それ でも やっ ぱり

︑授 業は い︒ どう して も聞 きた いん です よ︒ 田 中 度は ょっ

︑社 会人 の弱 も言 なく はな りま

︒理 化の 提に る経 験が なの 良い れど

︑理 論化 筋が かみ くい うで す︒

︑﹁

です

︒学 んだ こと を文 章で 表現 ると なる と︑ 一定 の困 難が 付き うの です

︒理 論化 する 力を

が︒ その 辺で 苦労 され たこ とは いで すか

藤原 部時 代よ も︑ っぱ 大学 院の 題研

︑あ れは 悩み した

︒企 の組 構造

︑人 事等 つい ての 究で たが

︑僕 の考 と︑ 先生 要求 準と のギ ャッ が大 きす て⁝

何度 とな く叱 激励 を頂 て︑ 常に あり がた 話な んで けれ ね︒ だか ら︑ うギ リギ まで かり まし た︒ すが 大学

︒こ は︑ こん な僕 勉強 する 所な か︑ と思 った が一 時期 あり まし たよ

田 中 る者 ての

譲れ ない 部分 があ りま すの でね

浜本

学部 の頃

︑若 い友 人の ポー トを けて あげ たり でき ので すが

院生 にな った 指示

︶︒

﹁こ れは 大切 な資 料だ から 読ん でお いて 下さ い﹂ とか

︑﹁ 図書 館で 調べ ます から て下 さい

﹂と

︒そ つど

︑﹁ はい

︑は い﹂ って

︒大 学院 の授 業に いて 行く のは

私も ても 大変 でし た︒ 長 森 人で 故に

人よ りも なり 高い レベ の研 内容 を要 され まし た︒ 営学 時代 の恩 師に 相談 する と︑

﹁こ の文 献の こん なと ころ を読 んで ごら ん﹂ と︒ 改め 自分 なり に調 尽く

て初 て︑ 生か らは

﹁随 研究 した ね﹂ と言 って 頂け たも ので す︒

藤原 年間 んで 分が う変 った えば

っぽ

いや

論理 にな たか

︒古 仲間 の交 関係 微妙 変化 た部 もあ けれ

︑六 歳に なっ ら︑ をし うと 手だ ら︵ 笑︶

︒会 社関 係の 後輩 にア ドバ イス ると

感謝 れる とが くな

︑嬉 いで

︒経 上の みを 抱え た知 人に も︑

﹁僕 でよ かっ たら 談に るよ

と声 かけ いる んで す︒ 田中

いい こと です ね︒ やっ ぱり

社会 献を てほ い︒ 学で 経験 自分 けの のに ず︑ 会に けて 信し

貢献

︑活 して ほし いで すね

長森

私が 命館 何か 返し きる すれ 後輩 育成 だろ うと 思い

ゲス スピ カー とし ての 講義

︑キ リア ドバ イザ ーと して 路指 など させ て頂 いて いま す︒ 指導 した 学生 から

﹁内 定﹂ と言 吉報 届く

︑や はり 嬉し

いも ので す︒ 浜 本 婦の 活だ をし

︑自 の可 性に 気が たと いま

︒今 は︑ も︑ んな とも

︑と

きそ なこ を探 せて

かっ 気持 が動 いて

︒今

ビジ スマ ナー 修士 文を 直し なが アカ ンセ ーの 資格 標に 講習 を受 けて いま す︒ イツ の勉 も引 き続 いま す︒ 田 中 もね

社会 人の えて

変わ まし た︒ さん を見 て︑

﹁な るほ ど︑ かに の高 人た ちだ るこ があ ます

︒そ に変 て︑ 育の 中で こう

︒皆 さん

︑教 陣取 て︑ こち らを ます から ね︒ 真剣 勝負 にな 本当 に緊 張感 があ る︒

藤 原 現役 の社 人の さん 経験 励み なる

︑第 の人 をど する

がある

なら

がよし

藤原さん、浜本さんら、立命館の社会人学生だ った皆さんによる著書『夢はいつか実現できる

−社会人の大学・大学院への挑戦』(文理閣)

浜本 広子 長森 宏恭 田中 照純

藤原 茂昭

(7)

方は

︑我 のよ うに され いで すね

長 森 これ ら社 会人 生・ を目 指す 方に アド バイ スす るな ら︑

﹁社 会で の経 験か ら︑ それ なり の実 をつ けて

自分 の得 分野

く多

と言

は時 間が いと 言う 味を

も真 似の きな い﹁ 業の らの 考察

とい う強 に変 けで す︒ うで なく は学 ら普 に上 った 院生 何ら りま せん から

藤原

僕と して は︑ 単純 に︑

﹁学 意欲 があ るな ら挑 戦し よう

﹂︑ これ だけ す︒ 間的

︑金 的な は︑ から も何 とか る︒ なけ れば 始ま らな い︒ 田中

今は

奨学 金制 も充 てい ます から

浜本

夢と 標を ずっ 持ち てい と︑ 際に それ 近づ とが きま し︑ 周り ら自 情報 も集 まっ て来 ます しね

田中 ワー

極端 言え

︑わ ざわ 大学 なく も︑ 人で も勉 はで すよ

しか

︑大 学・ 学院 きな 味の つは

︑仲 と一 学べ こと ある のだ 思い ね︒ り口 でき るだ 広く いま から

意欲 と自 と︑ 的な 力を って 入っ きて 頂け れば ろし

︒き っと 生が 変わ りま すよ

言語教育情報研究科 

言語情報コミュニケーションコース  2回生

山 添 孝 夫

さん

滋賀県立八幡商業高等学校 英語教諭

20年来の関心事に向き合う

昨今の英語教育現場には、情報技術を駆使した教授方法が浸透しつ つある。山添さんの研究テーマは「コーパス言語学」。コーパスとは言 語資料のデータベースのことであり、これを分析することで、「文脈の 中で、どの語とどの語(もしくは、どんなカテゴリーの語)が一緒に 使われやすいのか」等々の情報が得られる。これを意識するのとしな いのでは、教育効果に差が出てくるという。

山添さんは20年来コーパスへの関心を持ち続けてきた。「ネイティ ブスピーカーが私の知らない表現を使うたびに、彼らが話す英語のデ ータ化が不可欠だと感じていました。既に一度よその大学院を修了し ていますが、コーパスを学べるならば、もう一度頑張ろうと思いまし て」。言語教育情報研究科がある衣笠キャンパスへの通学は、近江八幡 からでは困難なので、BKCへ出向いてテレビ会議の要領のサテライト 授業を受ける。たった一人だが、一人を意識することはないそうだ。

学んだ知識を自分の授業に生かすとともに、勉学への思いや履修ス ケジュールを生徒たちに知らせて、放課後に不在であることへの理解 を求めている。「社会人が学ぶチャンスが増えていることも話していま す。キャンパスでかつての教え子に出会うと驚かれますが、私の姿か ら何かを感じてくれれば幸いです」

「案ずるより産むは易し」という山添さん。「入ってしまえば学生同 士で助け合うこともできます。一歩踏み出すことで見える道が、きっ とあります」

経営学研究科

プロフェッショナルコース  2回生

西 村   仁

さん('85理工)

(株)村田製作所 機器製作部勤務

視野を広げる楽しさ

エンジニアとして忙しく働きながら、経営学の世界を堪能している のが西村さんである。入社以来20年間、電子部品の生産設備の開発に 携わってきたが、専門分野の世界だけに身を置く状況からの突破口が 欲しくなったという。

新聞で知った経営学研究科主催の公開講座「経営戦略セミナー」に 参加し、刺激を受けた。「これは面白い」と、思いもよらなかった大学 院への道を迷わず進んだ。「アカデメイア@大阪」での夜間の授業に、

滋賀県野洲市の会社から週3日程度駆けつけている。財務、マーケティ ング、生産管理、人事組織論…。睡眠時間を削る毎日だが、2年間では 短すぎると思うほど満足しているそうだ。

「授業はとにかくエキサイティング。講義内容はもちろん、発表や 議論の仕方にも人それぞれの個性があり、そこからも多くを学べます。

仕事に直結したスキルアップを目指している仲間が多いですが、私は、

広い視野を持ちたいという願いが叶いつつあり、嬉しく思っています。

40歳を過ぎ、今やらなければという気持ちが強まっての進学でしたが、

できるのかと悩む前にやってみてよかった。

課題研究は仕事に結びつけて、日本の電子部品メーカーの成長の背 景を、技術面・財務面・社会的背景などから多角的に考察するとのこ とだ。「大学院の敷居は決して高くありません。選択肢の一つに加えて みて下さい。入学したら定期券を買ってしまって、通学意欲を保ち続 けるのがコツですね」

有職現役社会人院生

奮 闘!

社会人学生特集号 特集1

(8)

名 古 屋 へ   い り ゃ あ せ

いま

︑名 古屋 が熱 い︒ 二四 時間 眠ら ない

﹁中 部国 空港

の開 に続 て﹁

・地 球博

﹂が 開幕

︒連 日多 くの 人が 内外 から れ︑ 街は 華や いで いる

︒名 古屋 城で は地 に下 ろさ れた 金鯱 に触 ろう と人 々が 列を

本丸 御殿 再建 にむ けた 動き も始 まっ てい る︒ 本 当 に 隔 世 の 感 が あ り ま す

︒ 私 が 市 役 所 に 入 っ た 頃 は

︑ 戦 後 復 興 の 象 徴

﹁ 一

〇 m 道 路

﹂ も 舗 装 が 十 分 で な く 穴 ぼ こ

︒ 再 建 が 成 っ た ば か り の 名 古 屋 城 と

︑ テ レ ビ 塔 だ け が 高 く そ び え 立 っ て い ま し て ね

︒ 誰 一 人 と し て 知 る 人 の い な い 名 古 屋 で

︑ さ て ど う し よ う か と 思 っ た も の で す

︒何 故 こ こ に 来 た か と い う と

︑ 独 身 寮 に 惹 か れ た か ら で す よ

︵ 笑

︶︒ 当 時 名 古 屋 市 は

︑ 他 の 地 域 か ら も 積 極 的 に 職 員 を 採 用 し よ う と い う わ け で

︑ 寮 を 建 て た ん で す

︒ 島 根 県 出 身 の 私 に と っ て は

︑ こ れ は 魅 力 的 で し た 政局 に配 属さ れ︑ そろ ばん に泣 かさ なが らも 金の 流れ から 街の 姿を 知る とい

経験 代︒ 傾け

る中

のを 堅時

年目

︑敏

役所 退

︑名 ンシ の理

光客

ンベ 致の る︒

他所 はの して

の発 を注 ぐ毎 日だ

国 際 空 港

︑ 万 博 と い う 仕 掛 け が 揃 っ た 今 は

︑ 名 古 屋 の 魅 力 を 知 っ て い た だ く 千 載 一 遇 の チ ャ ン ス だ と 思 っ て い ま す

︒ 多 く の 方 に

来 て い た だ く こ と で 活 性 化 さ れ る 産 業 分 野 は 多 岐 に わ た り

︑ そ の 後 の 街 の 発 展 に も 大 き く 影 響 し て き ま す か

さん

︵ '63 法︶

団法 人名 古屋 観光 コン ンシ ョン ビュ ーロ 理事

オアシス21とテレビ塔

21年ぶりに鯱不在の名古屋城天守閣 金鯱

写真提供:名古屋観光コンベンションビューロー

(9)

ら ね

︒ イ ベ ン ト を 成 功 さ せ る こ と は 勿 論 で す が

︑ そ の 成 果 を 街 づ く り に 生 か す こ と も 重 要 で

︑我 々 は そ の 入 り 口 を 担 っ て い る わ け で す

名古 屋の 何を いか に見 せる か︒ 従来

︑名 古屋 がい わゆ る観 光の 対象 とさ れる こと 多く はな く︑ 市民 の側 も︑ 見せ る︑ 観ら ると うこ にほ んど 心が かっ た︒ 意識 改革 も含 め︑ 工夫 のし どこ ろで ある

観 光 資 源 は ね

︑ 実 は た く さ ん あ る ん で す よ

︒ 名 古 屋 で は 武 家 文 化 の す べ て を お 見 せ で き ま す し

︑ 食 文 化 も 面 白 い

︒ 誇 れ る も の を い ろ い ろ と 持 っ て い る の で す が

︑ こ こ で は 長 ら く 観 光 を 生 活 の 糧 に し よ う と い う 発 想 が な か っ た の で す

︒ こ の 地 方 は 豊 饒 な 土 地 に 恵 ま れ

︑ 昔 か ら 技 術 水 準 も 高 い の で

︑ そ れ だ け で 十 分 な 暮 ら し が で き ま し た

︒﹁ 皆 さ ん

︑ ど う

ぞ 名 古 屋 へ お 越 し 下 さ い

﹂ と

︑ 進 ん で P R す る 必 要 は

︑ か つ て は あ ま り な か っ た

︒ こ れ が や や も す れ ば 自 己 完 結 的

︑ 閉 鎖 的 な 土 地 柄 と 言 わ れ る 原 因 だ ろ う と 私 は 思 っ て い ま す が

︒ け れ ど も 今 は 積 極 姿 勢 に 転 じ て い ま す

︒ 海 外 の 主 要 都 市 と の 観 光 協 定 を 一 生 懸 命 結 び つ つ あ る と と も に

︑ こ の 街 の 強 み で あ る 物 づ く り を 生 か し た

﹁ 産 業 観 光

﹂ を 打 ち 出 し て

︑ ア ピ ー ル し て い る の で す

︒ こ れ は

︑ ト ヨ タ 自 動 車 や

︑ 陶 器 の ノ リ タ ケ カ ン パ ニ ー 等 々

︑ 各 メ ー カ ー の ご 協 力 を い た だ い て

︑ 物 づ く り の 歴 史 や 製 造 現 場 を 観 て い た だ く と い う も の で す

︒ 当 地 に は 産 業 技 術 関 連 の 博 物 館 や 資 料 館 も 多 い で す か ら ね

︒ こ れ ら を 組 み 合 わ せ た モ デ ル コ ー ス が い く つ か あ り ま す か ら

︑ ぜ ひ ご 覧 い た だ き た い

︒ 若 い 方 々 が 職 業 を 考 え る 上 で の 動 機 付 け に な っ た り す れ ば

︑ な お の こ と 嬉 し い じ ゃ あ り ま せ ん か

名 古 屋 の 魅 力

︑ 人 間 日 高 の 魅 力

名古 屋弁 のイ ント ネー ショ る︒ 名古 屋人 以上 に名 古屋 を知 り︑ 今あ 姿に 整え てき た日 高さ んの 勲章 であ る︒ 例 え ば 東 京 か ら 名 古 屋 へ 転 勤

︑ 家 族 で 転 居 と い う 時 に は

︑ 奥 さ ん が 二 度 泣 く と い う 話 が あ り ま す

︒ 初 め は

﹁ あ ん な 野 暮 っ た い と こ ろ へ 行 く の は 嫌 だ

︒言 葉 も 汚 い し

﹂と 泣 き

︑ 数 年 後

︑ 帰 る と な る と

﹁ こ こ か ら 離 れ た く な い

﹂ と 泣 く と い う ん で す よ

︒ こ の 地 の 住 み や す さ は

︑ ど う 表 現 し た ら よ い の か わ か ら な い が

︑ 非 常 に 魅 力 的 な ん で す ね

︒ 住 む 人 は あ た た か く

︑ 平 坦 で 土 地 利 用 が し や す く

︑ 安 全

・ 清 潔

︑ 便 利

︒ ま あ

︑ 願 わ く ば も う 少 し 景 観 の 魅 力 に つ な が る 起 伏 が あ っ た ら と か

︑ 謎 め い た 部 分 が ほ し い と も 思 う ん で す が

︒ 私 は ず っ と

︑ 都 市 を 人 間 の 身 体 に な ぞ ら え て 考 え て き ま し た

︒ 大 学 が 集 積 し て い る よ う な 頭 脳 に 相 当 す る 地 域

︑ 食 生 活 を 担 う 地 域

︑ ス ポ ー ツ や 健 康 作 り の 場 所

︑ 排 泄 に 係 わ る と こ ろ

︑ そ し て

︑ 少 し ば か り 怪 し げ な

︑ 心 の 奥 底 の よ う な と こ ろ も あ っ て い い

︒ メ リ ハ リ を つ け る た め の ポ イ ン ト が 必 要 な ん で す よ

︒ 人 間 の 社 会 だ っ て

︑ い ろ い ろ な タ イ プ の 人 が そ れ ぞ れ の 持 ち 場 で 活 躍 し あ う か ら 上 手 く い く わ け で ね

では

︑公 務員 人生 を全 うし てき た日 高さ んと は︑ どん な人 なの だろ うか

退 路 を 断 っ て 田 舎 を 出 て き ま し た か ら

︑ こ こ に 居 て 頑 張 ら な け れ ば い か ん

︑ 何 が あ っ て も 動 じ て は な ら ん と い う 意 識 は ず っ と

ひ だ か ま さ ゆ き

(10)

持 っ て い ま し た

︒ で も

︑ 仕 事 は

︑ ど れ も こ れ も 一 人 で は で き な い も の ば か り な の で ね

︒ い か に 皆 さ ん と 一 緒 に 仕 事 を す る か

︒ 周 囲 に た く さ ん い る

︑ 頭 の い い 人 た ち の 和 を ど う す る か

︒ そ れ ば か り 考 え て い ま し た

︒ 私 が 皆 さ ん と ち ょ っ と 違 っ て い た と こ ろ は

︑ 例 え ば 一

〇 人 の 部 下 が い た と し た ら

︑ 能 力 的 に ち ょ っ と

︑ と か

︑ 人 と 上 手 く や る の が 苦 手 で 落 ち 込 ん で し ま う よ う な 人 も 出 て き ま す ね

︒ 私 は

︑ そ の 一 人 二 人 の ほ う が 大 事 に 思 え て し ま う た ち で し た

︒ よ く で き る 人 は

︑ 放 っ て お い て も 大 丈 夫 な ん で す か ら

︒ 目 配 り を 続 け る と

︑ 何 か の き っ か け で 元 気 に な っ て

︑ 仕 事 を ち ゃ ん と や っ て く れ る よ う に な る

︒ 私 は そ の 姿 が 本 当 に 嬉 し か っ た

︒ 港 区 長 を し て い た 頃 が 一 番 楽 し か っ た の で す が

︑ そ れ も

︑ 区 民 と い つ も 一 緒 で

︑ 地 元 に 根 付 い た 生 活 文 化 を 目 の 当 た り に で き た か ら で す

︒ 人 の 営 み が 好 き な ん で す よ

︒ 若 い 頃 か ら

︑ 仇 名 が

﹁ 日 高 の お っ ち ゃ ん

﹂ で し て ね

︒上 司 か ら も そ う 呼 ば れ て い た か ら

︑ ず い ぶ ん 爺 臭 か っ た の か な

︵ 笑

︶︒ 後 輩 が よ く 相 談 に 来 て く れ ま し た

︒ そ れ は 今 で も 同 じ

な ん で す

︒ 私 は た だ

︑﹁ う ん

︑ う ん

﹂ と 耳 を 傾 け て い る だ け な ん で す け れ ど も ね

愛 す べ き ラ イ バ ル 京 都

学生 時代 に︑ 教授 や学 生仲 間だ けで なく

様々 な境 遇︑ 年齢 の人 たち と出 逢っ たこ が財 産に なっ たと 日高 さん は言 う︒ アル イト 先で 知り 合っ た︑ まだ デビ ュー 前だ 歌手 田研 や︑ こに まる み客

かた や︑ デパ ート の砂 糖売 場で の同 僚た ち︒ み ん な い ろ ん な 形 で

︑ 多 か れ 少 な か れ 苦 労 し て い て

︑ 私 も そ の 一 人 で ね

︒ 影 響 を 受 け ま し た よ

︒ 行 政 に 携 わ っ て か ら

︑ 市 民 に 対 し て 目 線 を 上 げ す ぎ ず

︑ 下 げ す ぎ ず

︑ 中 庸 に 徹 す る こ と が 大 事 だ と 思 っ た の も

︑ 肝 心 な 場 面 で こ そ 派 手 に 立 ち 回 ら ず コ ツ コ ツ 仕 事 す る 姿 勢 を 貫 け た の も

︑ あ る い は 京 都 で の 人 生 経 験 の お か げ な の か も し れ ま せ ん

︒ 立 命 館 の 学 風 の お か げ も あ る の か な

︒ 立 命 館 は 昔 か ら

︑ し ぶ と く て へ こ た れ な い

人 間 を 生 ん で い ま す ね

︒ 名 古 屋 市 職 員 三 万 人 弱 の う ち

︑ 約 一

% が 立 命 館 校 友 な の で す が

︑ 会 う 人 会 う 人

︑ そ れ ぞ れ し ぶ と い

︵ 笑

︶︒ 万博 が終 わっ た後 も︑ 名古 屋が 活気 あふ る国 的な であ 続け るよ に︑ 日高 さん は遙 か先 まで 視野 に入 れて 略を 練っ てい る︒ 大 き な 国 際 会 議 の 誘 致 と な る と

︑ こ れ は 五 年

︑ 一

〇 年 か か る 話 で す

︒ す べ て に 目 を 光 ら せ て い な け れ ば な り ま せ ん

︒ 万 博 に よ り 知 名 度 が ア ッ プ し

︑ 国 際 的 な 往 来 の 利 便 性 も 格 段 に 良 く な っ た 今 が チ ャ ン ス で す

︒ た だ

︑ せ っ か く 名 古 屋 で 会 議 と い う 運 び に な っ て も

︑ コ ン ベ ン シ ョ ン の 後 に は す ぐ 京 都 に 行 っ て し ま う 例 が 多 く て い け な い

︒ こ れ を 阻 止 す る の が

︑ 私 の 大 事 な 仕 事 で す

︵ 笑

︶︒ 良 き 思 い 出 の 街 京 都 と

︑ 立 命 館 人 ら し く

︑ し ぶ と く 渡 り 合 っ て い き ま す よ

1939年 島根県に生まれる

1963年 立命館大学法学部卒業 名古屋市役所財政局に勤務 1982年 名古屋市総務局人事課長 1984年 同      総務課長 1991年 同  プロジェクト室長 1992年 名古屋市港区長 1994年 名古屋市市民局長 1996年 名古屋市総務局長 1998年 名古屋市収入役

2002年(財)名古屋観光コンベンションビューロー 理事長に就任 現在に至る

なお、東海島根県人会会長も務める

M a s a y u k i H i d a k a

日高正行さん

M a s a y u k i H i d a k a

名古屋観光コンベンションビューロー ホームページ

http://www.ncvb.or.jp/

ライトアップされた名古屋国際会議場 写真提供:名古屋観光コンベンションビューロー

参照

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