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書評 : ドリュ・ラ・ロシェル『内面の手帳』
松尾, 剛
立命館大学法学部 : 教授
https://doi.org/10.15017/4752567
出版情報:Stella. 40, pp.133-137, 2021-12-18. 九州大学フランス語フランス文学研究会 バージョン:
権利関係:
《 書 評 》
ドリュ・ラ・ロシェル『内面の手帳』
松 尾 剛
本誌『ステラ』第 28 号掲載の拙稿で,活況を呈するドリュ関連資料の出版状 況に触れてからはや 12 年を閲けみするが 1),幸いにもこの潮流は途切れぬまま今日 に至っている。なかでも作家のプレイアッド叢書入り(2012 年)は画期的で あった。パリ第 4 大学教授ジャン=フランソワ・ルエット監修のもと,周辺資 料やヴァリアントを付して代表作を校訂・刊行した同書は,ファシスト作家ド リュもついに学術研究の対象となったことを強く印象づけたのである 2)。これ に鼓舞されたのか,少なからぬ単行研究書や資料集の出版が後に続いたが,本 稿では作家自身の手になる一次資料の刊行状況を纏めておこう。
まず 2014 年,伝統ある文芸誌『両世界評論』が特集を組み,友人ジャン・ボ ワイエ宛の手紙を中心としたドリュの未刊資料を多数掲載 3)。2 年後には単行本 未収録の時事論を再録した『1930 年代クロニクル』 4),および初期作品 4 本を合 冊した『青春期の著作』が刊行されている 5)。とりわけ注目に値するのが後者 で,それまで参照が難しかった『審問』『行李の底』『首尾一貫』『若きヨーロッ パ人』の初版テクストを周到な註記とともに再刊したのである。文壇デビュー 時のドリュを知ろうとする向きには必携の書と言えよう。
翌 17 年の成果として特筆大書すべきは『ドリュ=ポーラン往復書簡集』の刊 行である 6)。政治的にも文学的にも相容れぬ両文通者が忍耐強く維持した奇妙 な友情を再構成する同書の重要性は,文学史的観点からもあらためて強調され てよい。なおこの年の刊行物として,作家が週刊誌『マリアンヌ』に寄せた政 治紀行文を再録した『あるヨーロッパ人のルポルタージュ』も挙げておこう 7)。 跳んで 2020 年はドリュ作品の版本間の異同を明らかにする書が相次いで出版 された年であった。年頭に『ジル』の最終章が,11 月には「空っぽのトランク」
が,いずれもプレオリジナルを底本として刊行されている 8)。さらに 2021 年に 入ってからは『馬上の男』の新版が,小説第 2 章と第 3 章の草稿,および作者
の手になる映画化のためのシナリオとともに上梓された 9)。
本稿が対象とする『内面の手帳』もまた,この流れに棹差し,ドリュの未刊 資料刊行を意図したものである 10)。斯界の泰斗ジュリアン・エルヴィエの校訂 を経て収録された資料は,折々に書き留められた手帳やメモ,および 42 年の執 筆と思しき「ナショナリズムのジレンマ」から構成され,収録対象期間は 34 年 の長きに及ぶ。ただしコーパスには偏りがあり,1909 年から 15 年までのそれ が全体の 6 割近くを占めている。つまり本書が与える情報の過半は,処女詩集
『審問』以前のドリュに関するものなのである。
また本書収載の資料がまったく未知であったわけではない。メモ書きの数々 は,これまでの伝記的研究でもたびたび言及されてきた。とはいえ当然ながら,
引用という性質上,情報はあくまで断片的・選択的であったことは否定できな い。したがって全面的な翻刻を志した今回の出版は,隔靴掻痒の感を拭えなかっ た研究者にとって,まさに旱天の慈雨と言えよう。
ではドリュの手帳から我々は何を読み取りうるのか。先述のように資料体の カバーする範囲は長期に渡るうえ,『日記 1939-1945』とは異なり公表を前提と しない私的メモであるため,記述は錯綜し容易には読み解きがたい。したがっ て詳細な分析は他日を期し,本稿では『内面の手帳』から得られる新たな視角 を紹介しつつ,本書刊行の意義を確認しておきたい。
まず我々の関心を引くのは,少年ドリュの多彩かつ複雑な読書傾向である。
とりわけ注目すべきはバレスとの関係だろう。1918 年に成年期を迎えた作家た ちに対する彼の多大な影響については多言を要すまい。ドリュもまたその例に もれない。「バレス裁判」に証人として参加し,裁判長ブルトンを前に被告への 敬意を公言して憚らず,後年に至るまで「青春の王子」への愛着を表明しつづ けたことを想起しよう。しかるに『内面の手帳』のドリュは,これとは正反対 にバレスの作風に否定的なのだ。『自我礼拝』は万人に誤った優越感を与える書 であり(87-88 頁),『デラシネ』は問題小説に過ぎぬと断じるドリュを前に(140 頁),編者エルヴィエも戸惑いを隠さない 11)。これを要するにドリュのバレス 観はそれほど単純ではなく,愛憎相半ばするものだったと考えられ,従来のド リュ像に少なからぬ修正が求められよう。
他方でモンテスキューやルソーら啓蒙思想家に対する評価が総じて低いのは,
後年のドリュを思えば得心のいくところだろう。しかしながらドリュの消極的
評価は彼らの文体に対してであり(35 頁),思想内容にはむしろ好意的ですら ある。たとえば,モンテスキューは時代の偏見に囚われつつも予言的であり,
ルソーには先覚性と真正性があるとされる(32 頁)。ファシズムに魅せられる 運命にあるとはいえ,成長途上にある少年であってみれば,可塑性があっても 怪しむに足りない。むしろ看取すべきは,後にファシズムとコミュニズムの間 で揺れ動く優柔不断な知性の萌芽ではあるまいか。
このように本書がもたらす青年ドリュについての情報は,なかなかに豊富か つ有益だ。反面,1924 年以後のメモ帳では,簡略かつ無味乾燥な叙述が増えて くる。それでも『馬上の男』着想のきっかけとなったアルゼンチン旅行のメモ は精彩に富み,南米を旅するドリュの興奮を伝えて余すところがない。あるい は随所に書き込まれた政治的考察や,『窓辺の女』『ジル』の創作メモなどから は彼の思考の軌跡が窺え,これもまた関心をそそるところである。
だが 1940 年以降ともなると作家名の羅列に,時折ごく短い文言が挿入される といった体で,文士名簿録の様相を呈してくる。じっさいエルヴィエも刊行を 躊躇ったというが,それも宜むべなるかなである。とはいえフランス敗北後の手帳・
メモが無意味というわけではない。NRF での活動の見返りとして,文学者の解 放を要求するとの記述や(213 頁),雑誌の不偏不党性を否定する作家の言辞は
(217 頁),『新フランス評論』の編集に勤しむドリュの姿を生々しく想起させる。
また伝記的観点からも興味深い記録が散見する。一例を挙げれば 40 年の手帳に おけるジャック・ラカンへの言及は(205 頁),両者の交友がこの時期まで続い ていたことを示唆している 12)。
当初エルヴィエは全 15 冊からなる手帳の記述を細大漏らさず収録するつもり であったらしい。したがってメモに書き込まれた日常の些事,たとえば英単語 リスト,学校で課された数学問題,誰のものとも判じがたい電話番号や旅に携 行すべき荷物のリストなども,一括して読者に供せられるはずであった。だが それでは到底読み通しがたいテクストとなるのは必定である。そこでやむを得 ず上記のような記述の多くを削除したという。文学と日常の截然たる区別を前 提としたこの措置を批判する向きもあろう。ひょっとすると編者には無意味な 数列にしか見えなかったものが,後に思いがけない事実を示唆しないとも限ら ないのだから。しかしながら,謎多きファシスト作家の内面に測鉛を下ろす機 会を得た以上は,出版の意義は十分にあったと言わねばならない。我々に残さ
れた課題は,他の関連資料と読み合わせつつ,ここからドリュの精神の深部を 探索することではあるまいか。
註
1 ) 拙稿「ドリュ・ラ・ロシェルにおけるヴァリアントの問題──『夢見るブルジョワ ジー』と ﹁シャルルロワの喜劇﹂ ──」,『ステラ』第 28 号,九州大学フランス語フ ランス文学研究会,2009 年 12 月,119-135 頁を参照されたい。
2 ) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE, Romans, récits, nouvelles. Édition publiée sous la direction de Jean-François LOUETTE, avec Julien HERVIER et la collaboration d’Hélène BATY-DELALANDE et de Nathalie PIÉGAY-GROS, Paris : Gallimard, coll.
« Bibliothèque de la Pléiade », 2012.
3 ) Voir Revue des Deux Mondes, mars 2014, pp. 35-92.
4 ) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE, Chroniques des années 30. Présentation de Chris- tian DEDET, Paris : Éd. de Paris Max Chaleil, coll. « Littérature », 2016.
5 ) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE, Le Jeune Européen et autres écrits de jeunesse (1917-1927). Édition établie, présentée et annotée par Julien HERVIER, Paris : Éd. Bartillat, 2016.
6 ) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE et Jean PAULHAN, Correspondance (1925-1944).
Édition établie, introduite et annotée par Hélène BATY-DELALANDE, Paris : Éd.
Claire Paulhan, coll. « Correspondances de Jean Paulhan », 2017.
7 ) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE, Reportages d’un Européen. « Marianne » (1934- 1935). Édition établie par Cédric MELETTA, [Le Raincy] : La Thébaïde, coll.
« Au marbre », 2017.
8 ) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE, Le Faux Belge. Édition établie par Jean-Baptiste BARONIAN et Frédéric SAENEN, Paris : Pierre-Guillaume de Roux, 2020 ; id., La Valise vide, [Saint-Clément-de-Rivière] : Fata Morgana, 2020.
9 ) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE, L’Homme à cheval. Nouvelle édition présentée par Julien HERVIER, Paris : Gallimard, 2021. 参考までに付言すれば『馬上の男』
の草稿およびシナリオはこれが初出ではない。40 年以上前ではあるが,すでに次 の書で公表されている── Thomas M. HINES, Le Rêve et l’action : une étude de
« L’Homme à cheval » de Drieu la Rochelle, Columbia / South Carolina : French Literature Publications Company, 1978, pp. 157-206.
10) Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE, Jouer Dantzig sur un match de football. Carnets intimes (1909-1942). Édition établie et présentée par Julien HERVIER, Paris : Gallimard, coll. « Les Cahiers de la NRF », 2021. なおタイトルは,ポーランドに 対するドイツのダンツィヒ割譲要求を踏まえたドリュの放言で,「ダンツィヒの帰 趨はサッカーの試合で決めてしまえ」の意である(191 頁)。身体の復興を目論むド
リュは,スポーツ競技をもって戦争に代替することを主張したのである。とはいえ,
これをそのまま邦題としても意味は通じがたいと判断し,副題を取って『内面の手 帳』とした。諒とされたい。
11) バレスとは対照的に,ニーチェに対する評価は一貫して高く,後年と変わっていな い。じじつ『自我礼拝』のバレスをあまりに個人主義的にしてキリスト教的である と批判するドリュの論拠が,他ならぬニーチェの思想であることはエルヴィエも指 摘するところである。贅言ながら,ニーチェに触発された自我の覚醒を 3 人称をもっ て描いた当該箇所(86-88 頁)は,仏文学伝統の心理描写さながらで,後の小説家 ドリュを彷彿させる。
12) 両者が一時期結んだ交誼についてはよく知られている。しかし作家は未来の精神分 析家にさほど好意的ではなかったらしい。ドリュは避暑地での合流を望むラカンを 謝絶し,あるいは直截に「褐色の髪でなければ,はなはだ風采の上がらない男」とも 述べている。Voir Pierre DRIEU LA ROCHELLE et Victoria OCAMPO, Lettres d’un amour défunt. Correspondance (1929-1944). Édition établie, présentée et annotée par Julien HERVIER, Paris : Éd. Bartillat, 2009, pp. 90 et 94.