九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
マンガ学のすゝめ
日下, みどり
九州大学比較社会文化研究院 : 教授
http://hdl.handle.net/2324/16800
出版情報:西日本新聞, 2002-01-25. Nishinippon Shimbun バージョン:
権利関係:
2002犀(平成14年)4月
新 簡
本
西 田
(第3穏郵便物認可)
今ではマンガをほじめ︑
アニメやゲームは日本を代
表する文化として世界に輸
出されている︒だが︑一体
なぜ日本でこれらの文化が
発達したのだろう︒共通点
は何だろうか?答えは
日下みどり
その11
7
④
・﹁子どもの遊び﹂である︒
日本は昔から﹁子ども文化﹂
の発達した国だったのだ︒
これと対照的なのがフラン
スで︑今なお児童文学不毛
の地である︒渇画も︑フラ
ンスの漫画は木人文化の周
縁にあるアートであり︑日 本のそれは子ども又化から成長した読み物という本質的な差がある︒この原因に︑フランスでは子どもは不完全な存在で一人前とみなされないが︑日本は伝統的に子どもを大事にする社会で
鍵譲
サロ きナいう雅︵焼け野の難ということわざがある︶であるくらいなのだから︒幼い読君相手に室町時代 の と ロうしにはすでに﹁御伽草子﹂と
十返舎
あったということがあるか
もしれない︒なにしろ国鳥
が︑焼け野でひなを守ると
轟
︑鋒
繋奮 蘇抜
藩碍 黄表紙へとつながってゆく︒なお︑戦後手塚治虫を生んだ﹁赤本マンガ﹂の赤嵐は︑これと関係があるのかもしれない︒よく﹁目立九にみるル
して知られる絵入りの物語
がつくられていた︒今でも
多くの人に親しまれている
﹁鉢かづき﹂﹁一寸法師﹂
﹁浦島太郎﹂﹁物くさ太郎﹂な
どがそれで︑大名の姫君な
どは嫁入り道具に豪華な絵
本を持っていったという︒
▼▽▽
こういつた物語文化はや
がて︑江戸時代に子ども用
の絵入り読み物﹁赤本﹂︵表
紙が赤なのでこう呼ばれ
る︶となって受け継がれて
ゆく︒赤は魔よけの意味を うもつ色であり︑縁起物の庖
ぐつ瘡絵なども紅刷りであっ
た︒子ども用の絵本に縁起
の良い赤を使うのは︑子ど
もの無事を願ってのこと
で︑正月のご祝儀用に買わ
れたりしたという︒この赤
本はやがて青本︑黒本へ変
化し︑大人の読み物である つさつにどぎつい赤を表紙に使ったため赤本マンガと呼ばれた﹂と謙萌されるが︑案外子どもの魔よけという意味があったのかもしれな
ツ,
灘蕪 蕪韓繋謙
・画である︒一九は﹁東海
導藤栗毛﹂婁として
よく知られているが︑絵画
もなかなかの腕罰︒現代に
生まれていたら矯ンが界の
巨匠になっていたかもしれ
ない︒
・▽▽▼
物語は︑勉強嫌いで寺子
屋を追い出されてばかりい
憲子暴に霧い満
親が︑天理撒に梅絶ちの願
をかけ︑子どもの勉学上達
を願うというもの︒長松は
警ね奮妻喜毒
く︑ようやく天神檬の導き
によって攣蓬痔
ち︑読み書きに励τことに
なる︒ここに挙げた挿絵目
写潅天神様. るシ
ーン︒雲形
っで現れるとい
まさしくマンガ
見る思いがする◎
明治にな
雑誌が発型¢れ♪ じに目立も︑
ーツを.も用の
こに児 童小説に交じって漫画も掲載されるようになった︒﹁のらくろ﹂﹁冒険ダン吉﹂﹁タンクタンクロー﹂など︑後に大ぎな影響を与える渇画作品が掲載される︒こうい
つた湘薗叉化の発達がなけ
れば︑後に手塚治虫が出て
くることもなかったかもし
れない︒日本でマンガが発
達した原因はいくつかある
が︑﹁子ども文化の発達﹂
もその︸つだろう︒
最近では行キ遍ぎたマニ
アを﹁おたく﹂などといっ
て馬麗にするが︑大人にな
っても子どもの心を持って
何かを面白がるということ
は︑基本的には悪いことで
はないはずだ︒何かを楽し
める人はいつまでも若々し
い︒老後のためにいろんな
楽しみを作っておけば︑年
をとっても退屈はしないだ
ろう︒ひょっとしたら将来︑
老人ホームコミケ︵マンガ
同人誌の即売市場︶や同人
誌だって出てくるかもしれ
ない︒大人又化としてのマ
ンガには︑まだまだ可能性
が残されているのだ︒
︵くさか・みどり九州大
学天学院教授︶