九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
ア・ベ・サファーロフチョ『ソドウメイニオケルハ ンザイシャノジンカクトハンザイゲンインニツイ テ』
井上, 祐司
九州大学法学部助教授
https://doi.org/10.15017/1459
出版情報:法政研究. 30 (1), pp.63-87, 1963-07-20. 九州大学法政学会 バージョン:
権利関係:
紹
介
ア・べ・・サファ ーロ フ著﹃ソ同盟にわける犯罪者の人格と 犯罪原因について﹄ 全同盟法律学研究所・国立法律図書出版所︑モスクワ・一九六一年・二七七頁
井
上
祐
司
介
紹 は﹂じ め︐に
本書はソヴェトにおける刑事学の最初の体系書といわれてい
る︒刑事学について未だ研究の蓄積のない筆者であるが︑社会
主義刑法理論の最近の転換の意味を知るためには︑社会主義国
家における刑事学の最近の拾頭をどうしてもふりかえる必要が
あったので敢て紹介を試みることにした︒著者は曽で﹁構成要
件論争﹂で見事な論陣を展開した学者として記憶に残︒ている
だけで詳細は不明である︒この紹介の動機とその他の事情から
本書の中心部分を占める第四章と第六章は簡単に触れる程度で︑
もっとも刑事学らしい部分を省略することになり︑紹介として
不完全であることを予めおゆるし願いたい︒従って︑紹介の力
点は︑ソヴェト刑事学の方法論︵噌章︶︑その体系化︵二章︶︑ とくに犯罪原因としての個人主義的意識の問題︵三章︶及び犯罪者の人格の問題︵第五章︶におかれている︒あとがきに︑若干の問題点を指摘し︑この紹介をとじたいと思うQ 省略した部分は︑六二年ゲルチェソゾーン編集で出た刑事学論文集と一緒にまた機会を改めて筆をとることにしたい︒
一
序文 二一回党大会によってたてられた犯罪の終局的撲滅と
いう課題にとって︑犯罪の原因の研究︑犯罪者の人格の研究︑犯
罪の実行を助ける条件の研究は特に重要な意味があるが︑従来
ソヴェト刑法学はこれらの問題を純粋に法律的な分析に限って
30 (1●63)63
介
紹︐
嚢臨︵責任年令督責罷力など︶レその饗諒勢恥.
ヨ ヘチは一度もなされたごとがなかった︒︑
来社会主義刑法文献で犯罪主体分澗題につ.いて初めてこうい
一うが法を胤いたの鳳︑チェゴ刑法学者シュベルト﹁犯非行
為の社芸的危険性について﹂ ︵一九丘六年︶である︒
第一章 刑法学における犯罪主体と犯罪者の人格の問題
犯罪主体︑犯罪者の人格の問題の提起どその解決は︑この問
題の提起される社会の性格と科学の社会的傾向性によって規定
されてくるσブルヅヨアジーが封建制に代って革命的勢力とし
て現われたどき一彼らは封建刑法の神学的巨形而上学的基礎に
反抗する進歩的刑法理念をおし出した︒モンテスキュー︑ルソ
ー︑ベッヵリヤ︑ブリッソウ︑マラーらはその不徹底にかかわ
らず犯罪者の人権の無視と敢然と斗つた︒へ!ゲルは犯罪者の
中に単に司法の奴隷としての裸の客体を見る代りに︑犯罪者を
畠にして皇決定する存在としての地位にまで高めた︵㌶︸︒
一七世紀から一八世紀にかけてのブルジョア思想家は個人の犯
罪動機︑その外的事情の研究を通じて新しい刑事立法の合理性︑
刑罰の人間性︑犯罪者の教育︑犯罪予防についての諸命題をた
てた︒ 崇ゲルチェンゾ⊥ソ︑︑︐一︑八世紀から一九世紀・に蝿ける剤法学
説史の研究によせて︑一九四七年︑二三頁は︑正当にも︑
彼らをあいまいな古典派上いう集合的流派から特に区別し
て︑ ﹃進歩的︒人間主義学派﹄とよんでいるQ しかし︑自らの支配をうちた︐てたブルジョアジポは昨日までの同盟者たる勤労大衆の鎮圧と隷属という新しい課題の前にたたされたQ曽っての革命思想は戯画化された9自然的平等は﹁法の前の平等﹂に︑人権は﹁市民的財産権﹂に︑合理的国家と社会契約は﹁市民的民主共和国﹂に︵好ご︒法学的世界観を利用して社会現象の真の社会1一経済的内容はマスクされ法的形式がすべてとなった︒刑法では一九世紀古典派刑法学が正にそうであった︒犯罪と刑罰︑刑弦儲制度を社会現象として・ではなく︑単に法的概念として抽象的論理的セ⁝マや概念構成の外被でおおい︑法秩序を﹃客観的に公正な﹄法の権威でもって神聖化したQこれらの問題の他のアプローチを認めた古典派さえそれを技巧的に分離し刑法学を純粋に法葎楓念の鐸釈的沿析に限定した︒そのため犯罪と刑罰の法的メルクマールにのみ注意が集中され︑刑罰の対象たる生きた人聞の入格は背後におしやられ︑犯罪行為に現象した限りでのみ刑法学に入りこむにすぎなかった︒この古典派の政治的意味はわが文献で十分に明らかにされたQ 特に注意したいのは︑法律概念の異常肥大がその背後に生きた人間︑犯罪者とその出現を条件つげた具体的条件を陰べいすることになったことである︒ ∴来イサエフ︑ 一︑九世紀初頭︑古典派刑法思想の政治的評価の閤 題によせて︑全同盟法律学研究所研究叢書︑第六輯︑ 一九四 一年︑ゲルチェンゾーン︑前掲書︑トライニン︑構戌要件の
30 (藷●64) 64
一般埋論︑ 一九五七年Q
資本主義の没落︑階級対立の兇鋭化︑プロレタリアートとの
決定的な接戦の接近はブルジョアジーをしてその法秩序の擁護
の新しい方法を必要とした︒民主主義と合法性は反動にとつで︐
代られた︒刑事抑圧はその階級的内容を露わにしてゆき︑社会
的不平等にたいする斗いをチロルによって鎮圧する必要があっ
たQ彼らに好ましくない反社会分子に対する警察H裁判機関の
恣意を基礎づける刑法理論を必要とした︒犯罪のとどめなき増
大がこの現象を資本主義体制の基礎との有⁝機的関連を暗示して
社会を動揺せしめたことも新しい犯罪原因 ﹁理論﹂ を要求し
た︒こういう課題を遂行したのが刑法学における二つの流派︑
人類学派と社会学派であった︒これらの学派による﹁犯罪から
犯罪者へ﹂︐の移行は︑犯罪概念それじたいを爆破してそれを犯
罪的人格とすりかえるごとであった︒犯罪は一定の個別人間の
ある内的本性の現われであり︑社会にとり危険なのは犯罪行為 じたいどいうよσも寧ろ犯罪的人格それじたいであり︑それは
犯罪の実行から独立して警察H裁判機関によって認定されると
いヶごとを証明せんとした︒人類学派にとってそれは生来犯人
であ虹︑︐社会学派にとつ.ては常習犯人︑︑慢性犯人である︒彼ら
はいろいろの条件の下で︑また︑心理的欠陥や悪への傾向性の
結果︑ ﹁危険性﹂の担い手となる︒刑罰を行乞によってはかる
介ごとは﹁全あ懇的やり方﹂︵配物︶であり︑︑危険牲が認めら
紹砦ぼ犯罪も非行もなくとも﹁聚の干渉の権利﹂︐︵プリンス︶がみ とめられる︒これらの思想はファッシズム下のイタリーやドイソの現実の立法に影響を与え︑戦後その新しい変容はアメリカの現代刑事学の中で再生されているQこれらの理論は刑法の構成要件の厳格性からの始審︑刑罰の保安処分へのすり代え︑結局刑事司法の民主主義から反動への移行を基礎づけるものであ
った︒ これらの理論は資本主義社会における犯罪の現実の本質を歪
曲し︑犯罪原因が実は主体じしんにも︑また︑主体への社会的
要因の影響の中にもなく︑正に︑この社会の構造それじしん︑
その経済的基礎の中にあることを隠している︒
*トライニンニキホロフ︑アメリカ文献におけるロンプロゾ
一主義と人種差別︑ノーボエ・プレミア誌︑一九四六年一六
号︑ニキホロフ︑アメリカ犯罪生物学の最近の傾向︑ソヴエ
ト国家と法誌︑一九四九年七号︑ニキホロフ︑アメリカの土壌
における反動的な人類学11社史学派の理論︑ソヴェト国家と
法施︑一九四九年五号︑ニキホロフ︑反動的なアメリカ犯罪
生物学︑モスクワ︑一九五一年︑ジブス︑アメリカ刑法の反
動性︑モスクワ︑一九五〇年︑レセトニーコフ︑現代アメリ
カ刑事学の若干の特徴についで︑ソヴェト国家と法誌︑一九
五八年.一〇号9
社会主義刑法学は犯罪を一定の社会現象として研究すると共
に︑犯罪を何よりも入間の態度として︑その背後に常に生きた
人間の人格を見るQ.見解・感情・思想・趣味・性格も社会的発
30−(1●『65) 65
ダ
紹介
ェト刑法学は﹁行為か行為者か﹂︑といケ争ひを知らない︒これ 展の所産であり︑態度も生活の具体的条件の中で生れる︒ソヴヘ ヘ ヘ へらの概念の統一︑人の行為と実行者の人格︵刑事責任の主体︶
の社会的意味の評価の結合を方法論的基礎としている︒これは
刑事立法の走ばξりと現われている︵輔蕩鋪黎調
二四条︶︑犯罪競合の刑罰の処断︵三五−三六条︶︑減刑︵三七条︶︑刑の免除︵四三−四五条﹀︑条件つき非難︵三八条︶
罐蠣濃撤・︶また刑法上の藏書﹂の両者の黎的評 価の走たぞいる︵騙搬賜急斜魏鵬鶴雛篠
蟄蒙糊覇親爺%︒︶ソヴf刑法にとそ特徴的
な犯罪とその主体の評価の相互依存性は︑ ﹁行為﹂の社会的意
味が万慮に﹁行為者﹂の評価の基準であるということに限られ
ない︒行為の評価は行為者人格との関連をぬきにしては正レく
行ないえないものである︒また人格資料は犯罪事実の評価のみ
ならず︑犯罪難論いの存否をさ羨定する︵畳暦∀御〃
の人格資料の証拠上の意味︑へ社会主義合法性︾誌︑一九五九年︑九号︑一九六〇年六月四日ソ同盟最高裁総会決議︑故意殺
犠犠例︶更に︑ソヴエ痢法は︑人格を犯罪行為とは別個
に関心をもつ︒被告人が刑罰をうけるか否か︑どんな刑罰をか
について︑法と判例は犯罪行為の社会的意味のみならず︑実行
された犯罪に必ずしも表現されないし且つ決してその犯罪に
のみ表現されるものでないところの有責者の人格じたいの社会
的本性とも関連させている︒入格︑その権利と利益を全面的に 保護している社会主義社会では︑国家の個人に対するもっとも厳しい強制形式たる刑法と刑事責任の問題は犯罪者の人格の注意深い研究によらねば解決され得ないものである︒ところが過去二五年間ソヴェト刑法学において犯罪主体︑犯罪者の人格の研究は果してこの問題性の地位にふさわしい取扱いをうけてきたか︒否である︒それらの研究は主体の個々の法的メルクマールの分析に限られてきた︒こういう不毛の状態を招いたものは第一には﹁人類学派への転落﹂をソヴェト刑法学がさけようとする努力であるし︑第二は︑ソヴェト刑法学じたいの犯罪構成要件論の異常肥大t犯罪構成要件は刑事答責性の唯一の基礎であるという命題の頑固な無条件の墨守1に関係している︒この刑法学の現状は裁判の実際にも否定的な影響を及ぼした︒実務の注意は構成要件の法律的メルクマールに関する事情に集中され︑被告人の人格資料はせいぜい若干の生物学的情報の表面的検討︑貧弱な問答資料の確定︑形式的な労働・学校についての公的資料に限られていた︒この欠陥はいろいろの機会に自覚された︒既にトライニンは犯罪主体の取扱いが構成要件論の一部としては包まれ得ない︑それ之独立の意味をもつものとして別個の編の中に移されねばならぬことを説いた
灘拗罐灘齢譲舗聚蕩︶し︑ソ翌最藏判総
会も実務の人格資料の検討が基本的に不十分なご乏を繰返し指
摘したへ↑黙黙鵬親裁甦魍・雑●数畿
30(1●66)66
q管鑓禦犠駈愚蒙蜜︶こういう資料の欝によ
ってのみ公正な刑罰の指定が可能となり︑若干の場合には被告
人の裁判所への移送︑社会団体への移送の合月越性の問題も解
決できる︒刑事答責性は常に具体的で個別的である︒可罰性と
は切離し得ない︒可罰性は刑事答責性の現実化であり︑有責者
の刑罰からの解放は本質的には答責性からの解放である︒可罰
性を決定するためには構成要件の存在を確定しただけでは足り
ない︒被告人の人となり︑どういう理由で実行したか︑その行
為は彼の人格・見解・傾向・性向とどの程度一致しどの程度合
はないめかを知る必要がある︒こういう事情を明らかにしての
み刑罰の合理的選定・矯正・再教育の効果性︑一般的犯罪予防
が成功する︒犯罪構成要件の問題と有責者の人格の問題とは二
つの一様に重要な互に関連した問題であるQ
犯罪の主体の理論は︑一方において犯罪の中に表現された人
格の反社会的態度︵犯罪者の範疇﹂主体の心理学的特徴と社会
学的内容︶︑他方においてそういう態度め原因︑犯罪の基礎に
ある人格の個人主義約志向をよびよせ距条件︑および︑具体的
犯罪にそういう志向の現われを助けた主観的事情と客観的事情
の解明を要求す届つ.つまの犯罪原因の研究を予定する︒
社会主義における犯罪原因の確定は次の三つの問題の徹底的
な研究を要求するコ:介 e反社会的行為の基礎にある個人主義的見解・志向が社会主
紹義に維乗れうろの際かなる条件に男て海
口この条件による反社会的行為の可能性は個々の人において何をテコとして現実性に転化されろのか︒個人主義的意識の形成をひきよせ−る原因は荷か︒・ 日具体的反社会行為における個人主義的見解.志向の出現は何に依存するか︑人格のいかなる心理的特徴や客観的事情が犯罪の実行を助け又は妨げたりするのかつ この犯罪原因はソヴェト刑法における犯罪主体と犯罪者の人格の問題のもっとも重要な社会学的部分である︒この問題の法.律学的部分は将来の問題として本書では取扱わなかった︒しかしこの問題への二つの部分を分けたことは︑tの問題の研究の二つのアプローチを切離してよいということではない︒両者は統一される必要があるし︑とくに必要な場合は本書でも法律問題にもふれた︒二
第二章犯罪主体と犯罪原因の問題第一節犯罪的態度の
社会学的1一心理学的基礎
人間の行為は人間の欲求︵自然的・身体的欲求︑物質的・文 ヘ へ ね ヘ へ化的欲求︶によって規制されるが︑この際︑人間が理性的存在
として本能的にではなく意識的に欲求を満足するということ︑
も へ う も う更に︑人間が社会的存在として社会の中でのみ欲求を満足しう
ることが考え合わされねばならない︒従ρて人間の欲求は個入
欲求によってのみならず︑個人の直接の欲求に依存しないとこ
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介・ろの社会︵階級︒民族β国家など︶の欲求によっても制約され る︒個人における行為の決定にとって決定的意味をもつのは︑紹 この個人的欲求と社会的欲求との事実上の相互関係である︒入
間行為の社会学的U心理学的基礎を知るためには︑予め︑個入
的利益︑社会的利益︑そのありうべき相互関係を知らねばなら
な︑いQ
個病的利益と械︑直接個人に欲望・願望・志向として個入に
体験される個人の欲求であって︑人間の社会的存在条件︑認識︑
知的9道徳的・身体的発展の水準によって決定される︒・この ウゾコヘィンテず ぞロアほスチ 個人的利益には社会的利益と一致しない狭個人主義的なも ナエくヤ の︵侮辱に対する復讐︑近親者の世話からの解放︑社会的事業
の回避の欲求など︶と人闇の社会的本性を反映した個人的利益
︵知識の獲得︑職につくこと︑創造や発明への志向など︶とが
ある︒・後者は個人の精神的︒文化的欲求から︑或は︑物質的富
の保障の手段という欲求から︑或は︑虚栄心や名声の獲得︑立
身出世主義の欲求からつまり狭個入主義的動機から追及される
こともある︒
社会的利益とは社会のすべての成員に客観的に共通の利益で
あって︑個人の裸の利益の総計ではない︒それは社会的存在じ
たいの本性と条件によって決定され︑個々の成員の意識と意志
に依存しない︑客観的に与えられたものである︒
栄ガータ︑ 社宏的︒個人的利益と社会主義におけるその
致︑哲宇の諸問趣誌︑ 一九五五年四月号∴二戸Q かくて︑社会的利益と個人的利益との間には対立へと導きうるし︑ 個人と社会との相剋にまで導きうる喰い違いがありうる︒特に犯罪は︑個人が個人的に意味あるものとして感得することと︑社会的に必要でありかかるものとして法規範の中に打ちこまれたものとの間の矛盾を示すこういう衝突であるゆ 個人的利益と社会的利益との相剋の生ずる原因は︑当偶人の利益が専ら特殊料個人的なもの︑つまり狭個人主義的利益にのみむけられているか︑或は︑・社会的利益が個人的利益を反映しないため個人的に意味あるものとして感得され得ないものか︑或はその両方の理由によってかである︒個人的利益と社会的利益との合致︑多くは︑個人的利益を社会的利益に服従させることが生れるための条件は︑この二つの両利益が真に個人の利益と合致したものであるときに可能である︒即ち︑.一方において社会がその成員のすべての物質的︒文化的要求のより完全な満足︑人間の身体的・精神的能力の全面的開発を目的として追求しそれを社会的利益とする社会組織︑.社会経済体制であること︒他方において︑各個人が特殊特個入園要求を社会的要求︑合理的に必要な制約に服せしめること声個人的利益の我儘を払拭することを前提とする9つまり社会的利益の内容が﹁真の個 う ヘ へ も人的利益﹂と合致したものである場合にのみ︑社会のすべての成員の利益を反映し︑それ故︑個入的に意味あるものとして感 コ クニくフノスド得される場合にのみ︑可能であるQ真の集一団主義は特殊11個人的欲求の社会的なも﹁のへの服従を要求する︒社会的利益と
$0 (1●68) 68
・介紹 個人的利益の相剋︑その認識により︑なすべきことと望ましいこととの選択の前に立つ︒社会的利益は個人的に意味のあるものとして感得されるが本来的な利益としてではなく服従せねば ヘ へならぬ必要なもの︑義務として現われる︒そして望まし︑いことが義務に打勝つとき反社会的行為が生まれる︒ 以上のように︑個体にとっての意味あるものにおいて︑個人的なものと社会的なものとの相互関係は︑個体の意識を特徴づけることによって︑犯罪をも含めていろいろの人間行為の心理学的基礎をなすものである︒ 第二節犯罪−階級敵対的社会組織における不可避的な個人の個人主義的形成の結果 人々の意識とその行為は社会じた
いの性質︑社会の存在条件へ殊鍵駿欝騒︶によそ制約
される︒経済関係によって特徴づけられる社会経済組織が他のすべての社会関係を︑従って又︑個人的利益と社会的利益との相互関係をも決定する︒所与の社会の支配的道徳と実定法とが何を社会的利益と認めるかを制約している︒ 社会が現実にその成員の利益に奉仕する場合にのみ︑・即ち︑支配的道徳と実定法に定式化された行為規則が現実に社会的に必要なもの11大多数の成員の利益を反映するものである場合にのみ︑個人的利益と社会的利益との矛盾の基本的原因が遠ざけられる︒・こういう条件の下でのみ社会的に意味のあるものが個人的に意味のあるものとなり︑社会的利益の無視︑特殊11個人的利益の固執は現実に反社会的なものとなる︒階級敵対社会に おける社会的利益は全構成員の利益ではなく︑支配少数搾取階級の利益が社会的に意味あるものとなるQ 自らの狭い階級利益を公的道徳と実定法規範にまで高め︑真︹の社会的利益にすりかえるρ真の社会的利益を反映しないために︑大部分の成員にはそれが社会的に必要な︑従って︑個人的に意味のあるものとして感得され得ない︒個人的利益と﹃社会的﹄利益との不可避的な乖離−個人と社会との対立が存在している︒私有財産の支配︑競争と利潤追及とは個人主義︑エゴイズム︑その他の反社会的傾向が拡がり︑それが道徳的見解や個人の道徳的形成忙強く影響する︒ここ迄階級社会と犯罪の有機的関連がある︒ 資本主義社会における犯罪現象を概観すれば次の如くなる︒. 経済的不平等・社会的不正義・真の個人の利益のための斗いが犯罪とされる︒階級社会でも真の社会的利益が存するが︑そのあるものは支配階級の要求と矛盾し﹃反社会的﹄とされるも・のがあるが︑しかし︑社会の全構成員の要求に照応し︑法的にも承認を得ているものがあるQ殺人・身体傷害・暴行・若干の
財産犯等々の刑法規範がこれであり︵諺駕以P逡蓋
講・︶これら規範の階級性はその気乾関による実際的適用の中に主として現れわる︒
勤労者による犯罪は社会的利益が支配階級の利益に答えるも
のであることの影響もさることながら︑主要なことは︑支配的道 へ ぬ へ う へ徳.法に対して全体として構成惑れる個人の態度が全体として
婁0 (;1●69;) 6g
介 紹
個人の中に構成されると︑いう点である︒個人の真の利益を保障
せずこれと対立することを認識するに至ると︑法と道徳を全体
として拒否し︑それを尊重しないことに慣れ︑信頼せず︑回避
し︑さからってでさえ個人の利益を追及せんとし︑すべての社
会秩序への蔑視の傾向が生まれる︒ののしり合い.不信︒敵意
・相互好策の雰囲気をもつ社会の特徴じたいが人間の性情を堕
落させ︑個人主義︑個人の名による社会的なものの蔑視を拡大
する︒ しかし︑資本主義体制︑ 社会的不平等への犯罪という
形での反抗は組織された意識的な革命斗争に急速に移行してい
るQ
ゴしかし︑一般刑法が主として勤労者によっておかされるとい
う伝統的見解はあやまρている︒支配階級側の人々によってお
かされる犯罪が益々それにとって代りつつある︒
*デニソフーーグリエーフ︑ ﹃タ岡福祉﹄社会における犯罪︑ソ
ヴエト国家と法馬︑一九六ケ年七号一〇一頁︑ニキホロフ︑
いやいやながらの承認︑ソヴェト国家と身骨︑ 一九五二年
一一号八一頁︑パオロ・スプリアーノ︑少年は犯罪者とし
て生まれるか︑世界の婦人誌︑一九五七年一号一〇頁Q
ギャング︑大胆な投機︑放縦な官金私消︑どんらんな収賄︑
少女暴行︑婦入の品位蔑視︑買収︑詐欺︑職権濫用︑残虐など︒
搾取者の寄生的生活︑無制約的欲求の満足の可能性は奇型でゆ
がんだ欲求の現れとなり︑社会的労働と社会的連帯の中で生活
する勤労者よりも︑寄生的階級の特殊賦個人的欲求と社会的要 求との乖離はより著しく︑社会的利益の中での要求め満足を不可能とする︒私有財産と資本主義的競争は道徳観念に影響し︑楽な金儲けは人格を荒廃させ︑裸の利益−現金−以外の人間関係がそだたず︑特殊11個入的利益が道徳観念を支配する︒ブルジ・アジあ二つの道徳︵娠纏のの議と︶と二つの法︵舩獲
綴︶は支配階級の全イデオ・ギ構造の弱さの現れである︒
すべての労働者は︑その私有財産が﹁金儲け﹂の低級で醜い入間
にかえるところのブルジ匂アジーよりも︑毎日の生活において.ずっと人間的である︵エンゲルス︑全集三巻四一五頁︶︒ブルジ・ア刑事薯で
さえ貧困とそれに基く心理的条件や社会病理的条件で犯罪原因
を説明する伝統的方法やネオ・ロソプロゾー主義の破算をとい
ている︒来菊oo匹①の9↓冨Oユヨ︒℃3げ一〇ヨ ︵おαO︶ミ9①N⁝2・
臼①o酔oho・櫛ロqo●幻︒ぎ①日Ωρ昌桑弓げoOゴ巴一〇昌ゆqoohU①一ぎ一
ρ¢窪身︵お9︶一重嚇甲州9門器︒降自︒昌畠Z●↓o①8同ρZoミ
出〇二N§ωぎOユ∋ぎ︒一〇αq望︵お疇︶9︒︒α⁝↓Ω︒跡器類9⊆ヨΨ
Oユヨ︒碧qOoヨヨ億巳蔓︵お望︶一ゴ●
第三節 ソヴェト刑法における犯罪原因の問題 私的所有・
搾取・階級敵対を廃絶した社会主義的社会関係は︑個人的利査
と社会的利益との和解し難い矛盾の根本的原因を廃絶したこと
である︒.そこでは社会的富︑道徳︑法︑社会関係の全構成は︑
社会の全構成員の多様な物質的精神的欲求のより完全な満足と・
たえざる発展のために奉仕する︒個人的利益と社会的利益との
30 (;1070) 7Q
介紹 合致が大部分の歩々の意識を条件づける︒個入主義・エゴイズ髄
ム・利慾・儲け・反目・競争に代って共通の道徳原理i同志
感情︑兄弟的相互扶助︑社会的義務意識︑個入的利益を社会的
利益に従わせる能力1が支配する︒かくて︑社会主義は犯罪
の原因をつみとり︑その不可避的消滅を約束している︒
しかるにソヴェト社会に何故犯罪があるか︒この原因を知る
ためには︑さきにあげた三つの問題の究明が必要である︒三〇
年代初期における一定の事情のため︑犯罪原因の研究は事実上
停止七た︒人々の意識における資本主義の二面と資本主義世界
の影響という基本的には正しいが余りにも一般的で不十分なテ
ーゼ以上に理論は進まなかった︒この欠陥が二十回党大会以後
指摘されると共に︑ ﹁犯罪の根絶﹂.という課題が歴史的に初め
て提起されたQ既に実行された犯罪に対する相当の処罰のみな
らず︑犯罪予防︑犯罪を助ける一切の条件の排除を要求してい
る︒吾々の犯罪斗争が既に生じた犯罪への刑罰手段に帰一せし
められる限り犯罪原因の研究は日程にのぼることができなかっ
た︒今目この問題について多くの研究がむけられている︒
*ゲルチェンゾーン︑犯罪研究の方法︑﹃犯罪研究の諸問題﹄
第一集︑ 一九五八年︑ 同︑犯罪研究組織の実践的問題︑
ソヴェト司法法︑ 一九五八年 一号七頁︑ 同︑ 犯罪性の
研究について︑︐﹃訴追に奉仕するソヴエー刑事学﹄ 第二
集︑一九五八年︑同︑ 犯罪の研究と予防について︑ ソヴ エト国家と法国︑ 一九六〇年七号㍉ グリシャ!エフ︑犯 罪概念・犯罪の原因︑ ﹃ソヴェト刑法﹄第三集︑ 一九六Q 年︑シャルガロズスキーHアレクセイエフ︑ソヴェト刑法 の現実的諸問題︑ レニングラード国立大学紀要︑ 一九五 四年一八二号一六五頁︑クードリヤブチェフ︑犯罪予防− 社会主義合法性の益々の強化の重要な条件︑ ﹃全同盟法律 学アカデミー論集﹄二一集︑ 一九五六年一四一頁︑同︑ソ ヴエト刑法学を発展させよ︑社会主義合法性誌︑一九五六 年一号二九頁︑ 無署名論文︑ 犯罪予防i人々の意識にお ける資本主義の残津との斗争の重要な形式︑ソブエト司法 誌︑ 一九五八年︑二号一七頁︑クールリャンズスキi︑犯 罪の実行を助ける原因と条件の研究の問題によせて︑ ﹃レ ーニン名称戦時政策アカデミー論集﹄一九五七年︑同︑犯 罪予防について︑ソヴェト司法誌一九五七年四号二七.貢︑ ビオントコウスキー︑ソ同盟における犯罪原因とその斗争 手段の問題によせて︑ソブエト国家と法誌︑一九五七年︑ 三号︑ ヤコブレーフ︑ 犯罪予防の問題によせて︑ ﹃訴追 に奉仕するソヴェト刑事学﹄二集︑ 一九五八年︑ ゴルス ト︑犯罪予防活動︑社会主義合法性誌︑.一九五八年二号五 頁︒ しかし︑こわちの論文は問題の提起を出でない七︑又その提起じたいもすべてが十分正確だとはいえない︒例えばクールリ
ャンン姿†は蒙的証雨着鶏鈷魏鵯残︶がこ
事0(;1●71;)71
紹介
社会主義社会にどうして借入主義的な反社会的イデオロギーを れを助ける条件を触媒として現実化することをのべているが︑もった人間と共産主義意識をもった人間とが生まれるかを明ら
かにしていず︑また︑触媒H条件として数えあげることのでき
ないものをその中に数えている︒例えば社会主義経済の若干の
特徴︑つま労働者の増大する物質的富への欲求と生産の発展水
準との間の矛盾︑農民と労働者との経済状勢の格差︑二つの所
有形式の存立︑或は家庭や学校における教育の欠陥などは︑決
して犯罪の実行を助ける触媒H条件ではなく︑古い個人主義的
意識が個企しのびこ賀イブとして︵鰍縫離灘錨麓 異趣蟷構鑑謹い︶区別して撰されていず︑これ
らをふくんで色4の条件を一様に﹁単二条件﹂の中忙単純化
してしまって︑いる︒クードリャブチェフも最初の論文では犯罪
原因と条件との犯罪の開明にとっての異った役割と意味とが明
らかで准かヴたがその後の論文では正当にこの両者を区別し
た︒一方において後れた見解や習慣を支える条件として︑人々
とくに青年の観念11政治的︑文化的教育の欠陥︑家庭や学校に
おける子供の教育の欠陥︑子供の行為にたいする社会的な反作
用の弛緩等々︑他方において犯罪の実行を助ける条件として︑
個々の労働者の警戒心の喪失︑重大な不注意︑幹部選抜原則の
違反︑財産保護の不良︑﹁施設秩序の弛緩︑執行検査の不良等
4Q
かくして︑ソヴェト刑法学の一分科としての刑事社会学雛ソ ﹁ヴエト刑事学の課題は次のようなものでなければならない︒ へ ぬ ヘ へ し ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ゴヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も ヘ へ﹄主体の犯罪活動の基礎にある個人主義的見解︒欲求を社会主
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ゐ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ義において維持する客観的可能性を規定している原因︒意識の
㌢
存在からの後れ︑資本主義世界の役割︑個人主義的見解の維持の客観的・経済的原因︵第三章︶Q
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ口個々の主体の道徳的形成の条件︒家庭における教育の環境と
条件︑個人の道徳的風貌の形成における学校とその役割︑社会
的労働への参加と生産集団の影響︑もっとも近い生活環境︑文
化11教養水準︑美的教育の状況︑啓蒙活動の現情︑本や映画の
郵W郷菅 ︵第四章︶ o
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 口反社会的見解・欲求が犯罪となって現われることに影響を与
ヘ ヘ ヘ ヘ へ お ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ら ヘ へ もえる主観的 ︵内的︑ 心理的︶︑ 客観的 ︵外的︶条件と事情
ゆ個入の反社会性の深さと強さ︑犯罪入範躊︵類型︶の問題︑
個人の心理的特性とその主体の行為への役割︵第五章︶︒回経
済11組織活動の各分野における不十分さと誤謬︑生活と余蝦の
組織化︑勤労者の要求に対する形式H官僚主義的態度︑生活状
況の不良︑人間に対する同情と配慮の要求の意味︑他人の不相
当な態度︑アルコーリズムとの斗争︑犯罪土古と予防活動にお
ける立法の有致性︑犯罪福池における民警︑検察︑裁判所の活
動の水準︑犯罪予防における大衆の役割︵第六章︶︒
三
第三章 犯罪行為の基礎にある個人主義的見解と欲求がソ同
30 (1●72> 72
介
紹 盟に維持されている原因 社会主義は個人的利益が可能なものの枠を出てゆかないで社会的利益と喰い違う場合にはそれに服従させることによって個人的利益の恣意を拒否する︒しかし︑社会のすべての成員に共産主義的意識が出来上るまでは︑個人が社会的利益に対立する欲求や意欲を抱ぐ間は︑反社会的行為︑犯罪の可能性は残っている︒.人間の意識はその存在の物質的条件によって決定され︑る︒それ故社会の物質的生活の条件の社会主義的変化は人間意識の変化を条件づける︒しかし︑それじたいが意識の変化を意味しないし︑同じことに帰着するものではない︒社会主義国家は ﹁呪うべき私有財産によって長い間よごされ︑ 駄目になった﹂人々を古い社会の遺産として受取る︒それは﹁何百万という農民や小経営主︑何十万という勤務員︑役人︑ブルジヨアイ
.ンテリ﹂﹂を︑最後に︑﹁自分自身の小ブルジョア的偏見から︑一挙に︑奇跡や聖母のお告げやスローガン︑決議海布告の指図
によって解放されるのではなく︑ただ大衆的な小ブルジョア的
影響との困難な大衆的褻器を通じてのみ解放されるところのプ
白レタリや自身﹂を教育せねばならな︑い︒これは共産主義的意
識を大衆的にうむための斗争であり﹁人々の大衆的変革﹂であ
﹂り︑・それをレーニンは正当にもブルジョアジ.1の打倒よりもより困難で︑より本質的な︑より根本的︑決定的変革であると説
いた︒何故なら﹁そのとき︑そして︑その時にだけ︑資本主義
への復帰は不可能となり︑共産主義は真に不敗のものとなるで あろう﹂からである︒ *レーニン︑全集三一巻︑九四一九五頁西マルクスHエッグ ルス瓦全︑四巻︑六〇頁︑レーニン︑全集二九巻︑三七九 噛i四〇〇頁ゆ 古い個人主義的見解の克服の困難ざ︑その生命の強さ︑その結果としての反社会的態度や犯罪︑それは何によって条件づけ ヘ へられているか︒第一・に意識の存在からの後れによってである︒ 第一節意識の存在からの後れ個々人の意識はたんにその佃体が生き直接感得する社会11経済的条件の下にのみ形成され
るものではない︒個人の意識はまた︑幾世紀にわたり世代から.世代へと伝えられた人々の経験として出来上ったところの︑そ
して個人が四周との毎日の交わりの中で自分のものとするとζ
るの︑表象・概念・理念・見解によっても同様に条件づけられ
る︒個人主義的見解や傾向は社会主義に先行したすべての階級
社会の中で育てられ強化されてきた︒それ故︑資本主義の意識
における藩王︑個人主義的見解は︑生きた資本主義を見たこと
もなく︑・直接階級敵対の影響をうけていない人々にも他人か
ら︑また︑社会意識を通じてとりつくことができる︒
米﹁年配の人々﹂の傾向としてのみ過去の残夢をとらえる試
み︵レビトフ︑性格心理学の諸問題︑モスクワ︑ 一九五六
年︑二四五頁︶は誤っていみ︒外界の意識への反映の複雑
さ︑意識の相対的独目性︑不変性︑﹁継承性︑ 周囲の社会
層︑ 家族の教育の巨大な役割を忘れている ︵スミルノフ
婁0 (;1●73;) 73
紹介
更に個人意識の形成においては個入的経験︑個体の実践にも 編︑心理学︑ 一九五六年︶Q大きな意味がある︒周囲の仲閻や具体的条件︵家族・学校・職
場等︶が個人的経験の内容を決定する︒それ故︑社会生活の物
質的条件の社会主義的変革は︑人々の心理の打克ち難い過程を
決定するとはいえ︑この過程は常に経済的発展から後れる︒勤
労者とくに青年の共産主義的教育の問題が現在もっとも重大な
意味をもつ所以である︒
資本主義の心身i個眼主義的な反社会的見解や意欲− が
ソ同盟で維持されているのは︑伝統や習慣のせいばかりではな
い︒これらの見解を支え︑育て︑活気づけ︑強化さえしている
ところの現実の世界の申に︑自らの若干の基礎をもっている︒
この基礎こそ︑何よりもまず社会主義社会とならんで資本主義
世界が存在していることである︒
第二節 資本主義世界の影響 わが文献ではこれを独自の犯︐
罪原因として資本主義の残津とならべるのが普通であり︸しが.
も︑国事犯の源泉として資本主義世界の影響を︑.一般刑法犯め︐
源泉として資本主義の残津を対応させるが如くに扱われて為
る︒この二つの源泉の相互関係を考えないところに簡単化きれ
た不十分さがあるα
・.l4の意識における過去の残津と資本主義的囲続とは︐互に切
離し難く関連してわが国の犯罪を.条件づけている臼犯罪の基礎
にある個人主義的見解は資本主義世界のイデオロギー的反作用 の結果育ぐくまれ勢づけられている︒又︑資本主義世界憾個人の意識にある個人主義的見解を利用して反ソヴェト的犯罪を組織化する︒資本主義世界がなければもっと容易に反社会的見解をうちくだき犯罪を根絶することができようし︑他面︑資本主義の残倖が古い経済関係の廃棄と同時に意識の中からなくなるものであれば︑帝国主義陣営からの破壊活動も顕著に危険性の小さいものとなろう︒帝国主義者の手先の陰謀へのたえざる警戒心によってわが社会の不安定な分子への資本主義世界の退廃的影響との徹底的な闘いが必要となる︒ 第ミ節 社会主義において個人主義的見解・志向が維持されていることの経済的原因についての問題 人々.の意識における資本主義の残津は︑意識の存在からの後れと資本主義世界の影響︑つまり︑社会主義体制とは関係のない現象によってのみならず︑わが社会の内部矛盾︑共産主義と比較して不十分な社会主義の経済的発展の程度によって条件づけられた現象としても説明せんとする試みがあった︒ 来コワーレフ︑社会主義での入々の意識における資本主義の 残津とその克服の途︑コムニスト誌︑ 一九五七梵三号三Q 頁がそうである︒その後︑この問題の研究は進められた︒ ソボレフ︑社会主義社会における矛盾とその克服の途につ いて︑コムニスト誌︑ 一九五八年二号︑ヨフチューク︑資 本主義の残津との斗争における社会主義イデオロギーの役
割海哲学の諸問題誌︑一九五五年一号︑ステパニヤン︑社
3Q (1●74) 74
翻 案
会主義社会の発展における矛盾︑哲学の諸問題誌︑一九・五
五年二号︑ガータ︑社会的・個人的利益≧社会主義におけ
るその一致︑ 哲学の諸問題誌︑ 一九五五年四号♪﹂ウク︐ラ
イソソェフ︑社会主義社会における矛盾の現代的解決の問
題︑哲学の諸問題誌︑一九五七年五号︑チェルトコフ︸社
会主義における非敵対的矛盾︑モスクワ︸÷九五七年湘−・コ
ンスタンチノフ︑共産主義の発展ににおける新しい︑時期西.・
コムニスト誌︑ 一九五八年一号︑イルイチェフ︑二一回党
大会とイデオロギー活動の若干の問題︑コムニスト誌︑ 一
九五九年二号︑アルバトフ︑共産主義教育の諸問題︑コム
ニスト誌︑ 一九五九年三号︑フェドセイエフ︑社会主義か
ら共産主義へ︑プラウダ︑ 一九五九年二月九日号︒
資本主義の残津が教育と宣伝によってのみ克服できるような
観念論的傾向の誤りを正しく指摘したが︑これらの学者は︑他
方の極端に走って︑.個人主義的見解の維持をわが経済発展の客
観的条件一社会主義生産の発展水準と人民の要求との間の不
照応︑労働に応じた分配という社会主義原理︑それによる社会
的生産物の分配の不平等︑資本主義から受けついだ分業形態︵
精神労働と肉体労働︑工業と農業︑熟練労働と非熟練労働等︶︑
商品11貨幣流通の存在︑所有制度等々1と関係づけ︑その結
果︑意識における資本主義の残津が﹁社会主義にとって合法則的
現象である﹂・︵チェルトコフ︶とか.﹁社会嚢社会における犯罪の
枯死にとって未だすべーての必.要な経済的前提は存在しない﹂・
(「ニ罪研究め諸問題﹂−第﹁集︑モスクワ︑一九五八年︑一六頁︶とか装細した︒・
こういう結論は正しいか︒大きな誤りであろう︒
も ヘ へ も︐社会主義社会は社会の全構成員の物質的文化的欲求の完全な
満足の可能性をさし当り措定していない︒それゆえその満足は
一定の制約をうける︒しかしこのことは︑個人主義的見解の必
然的原因とはなり得ないQなぜなら社会主義社会における成員
の欲求の制約は生産の発展水準が未だ十分でないこと︑社会の︑
ヘ へ せ ヘ へ も へ ぬすべての成員のすべての欲求の満足のため必要な物質的手段が
ないことによって生れるものであるから︑生産と欲求との矛盾︐
はすべての社会構成体に固有のものであるにせよ︑社会主義の
それは搾取社会のそれと質を異にする︒生産は生産者じたいの
利益に完全に従属しているから︒その矛盾は非敵対的であり︑
一時的であり︑過渡的であって︑むしろ︑大部分の人々にとっ
ては寧ろ労働の生産性を高め国家の経済力をつよめることによ
ってその矛盾を解決せんとする欲求となって現われる︒個入主
義の毒にそまって狭い個人的幸福のみを追及する人にとっての
み︑この制約が反社会的現象をよびよせる︒しかし︑ことがら
は社会主義経済の中にあるのではなく︑当該個人の反社会的意
識の中にある︒
社会主義の分業形態や商品流通︑所有形態についても全く同
じである︒労働による分配とその結果としての︑肉体的精神的能
力・熟練度・生産上の経験・家族状況・個人的欲求の差異によ
る事実上の不平等の所得は︑平等な分配の不可能から生まれた
30 (毒●75> 75
紹介
﹂ものであり生産水準の現毅階では唯一の合理的で正当な原理で
ある︒しか七この不平等は︑搾取者社会に有⁝機的に存在してい
る社会H経済的不平等と何ら共通のものはない︒資本主義では
その不平等は階級的不平等の表現であり不可避的に敵対的︑個
人主義的見解を生む9労働による分配︑社会生産物の私的占有
の否定︑それに基く階級敵対と搾取の否定は︑入々の共産主義
的教育を助け︑その意識から資本主義の江津を清掃するのを助
けるQ しかし︑共産主義と異り︑社会主義には古い個人主義的見解 リ へ しの存在のための可能性が未だ残っている︒以上の社会主義経済
体制の諸情況は︑未だ個人に存して︑いる個人主義的見解を維持
してゆくための土壌となることはできる︒それゆえ︑人々の意
識における資本主義の残津と社会主義経済における古いものの
残心との間には一定の内的関漿ある︵勤説灘鎌部纏
戦脇罐%︶これ鐘蟹ないと禦前垂屈服することに
なるQすべての人々に共産主義的心理が確立されるためには︑
何よりもまず︑社会主義寮生産の発展と社会関係の発展が必要
である︒それは人々の意識における資本主義の残津を早く克服
することを可能にする︒
社会主義的経済条件の意味は以上のようなものであって︑そ へ た へれは未だ完全に個入主義的見解の維持と発現の可能性を排除し
ては︑いな︑い︒しかし︑個々の人々に個人主義的意識を形成する
こと︑況んや︑犯罪の実行は︑わが体制に関する限り︑偶然的 である︒ なぜなら体制の本性とは関係していず︑反対に︑ 別の︑本質とは矛盾する事情によって条件づけられているのであるからQ
四
第四章 個人の精神的形成の条件 さきにあげた要因i意識
の存在からの後れ︑資本主義世界の影響︑若干の経済的条件1
は︑社会の個々の成員に個人主義的意識の現われの可能性につ
いての一般的な解決を与えているだけで︑何時︑どのように︑
いかなる条件の結果として︑この可能性が現実性に転化するの
か︑これらの社会主義に対する否定的現象が社会主義の基本的
な原理の肯定的影響を抑えて人間の意識形成に決定的に影響し
て選入に現実に個人主義︑エゴイズム︑食欲︑卑劣︑無慈悲︑
出世主義を定着させるのか︑どういうパイプを通ってこれらの
個人主義的見解が意識にしみこんで現実化するのかは未だ何も
説明されていないQあれこれの見解は社会的実践の過程で周囲
の現実の影響めもとに形成されるQ個人としての彼の形成は︑
、いゥにしてこれらの条件が作用し︑個体が生活の中で何と︑誰−
と出くわすかに依存する︒明らかに多くのことは偶然である︒
がこの偶然の中に一定の必然性がある︒社会主義は個人主義的.
傾向の経済的基礎を排除しだ︒しかし未だ社会の若干の入4の
間にかかる傾向の維持の可能性を排除してはいな︑い︒︑
第一節 家族での環境と家庭教育の条件
争p (1。76) 7β
介紹 個人の︑精神的風格の形成にとって巨大な意味をもつものは第
一に家庭教育である︒−入は少年時代に必要な道徳規則をわがも
のとして人生の十字路をうまく乗りきり暗い袋小路におちこむ
危険をさける能力を身につける︒ロシヤ共和国で累犯者の三分
の二は少年時代に初犯をおかしている︒片親という事情の意味
は精神的に円満な人格の教育にとって大きな影響をもつ︒ある
少年労働コロニーの資料によれば︑二〇〇名のうち︑父親なし
に育った者一〇一名︑母親なしにが三名︑両親なしにが五人と
いう数字が示されている︒強盗非行少年の半分以上は片親か両
親のない者で︑その中の十分の九は父親のない者である︒モス
クワ第四人民裁判区一九五八年無頼行為事件の二五才までの有
罪者の七〇%は片親︑両親のない者である︒父母その他家族の
年長の成員の反社会的態度が若いものにいかに破壊的に影響す
るかは次の資料が示す︒重大犯罪で刑をかされた二〇〇名の少
年のうち五一名︵二五%︶はその父︑母︑兄︑姉がいろいろの
犯罪で起訴された者であり︑その中の一四名︵七%︶憾︑家族
の二名以上が犯罪者であるか或は一人の再犯者がいるからであ
る︒ 第二節 個人の精神的風格の形成における学校とその役割
第三節.社会的労働への参加と生産集団の影響 法違反者の顕
著な部分は二五−三〇才で︑未だ十分な生活経験がなく︑労働
活動の経験︑社会的集団的訓練のない者である︒無頼行為︑窃
盗︑強盗︑暴行といった犯罪者は社会的有用な労働についてい ないか︑とるに足りぬ労働経歴しかない者と関係している︒労働能力があるのに働いたことがな︑い者二︐五%を示す︒特に危険な犯罪をおかした犯罪者グループについて労働経験のある者のうち︑三分の一は三年以下の労働経験︑半分以上が五年以下である︒最高裁にかかった無頼行為は労働能力のあるのに労働したことがない者の間に高い比率を示す︒一九五七年無頼行為事件は全体の二〇%と推定されるが︑その中で労働についている者の累犯率は一五%︑非労働である者のそれは二五%である︒窃盗・強盗事件の累犯者のうち四分の三は労働についていない者である︒ 第四節 もっとも近い生活環境一斗住・農家・街 累犯者︑窃盗・強盗・無頼行為の累犯者は若い者に対する犯罪の温床という意味でも危険である︒特に重大な犯罪をおかした少年の三分の二以上が集団犯罪であり︑集団犯の五分の三く全体の三〇%︶は再犯かまたは大人が介入したものである︒窃盗・強盗における累犯者の役割は更に著しい︒これらにおける累犯者の役割は更に著しい︒これらの犯罪をおかした青少年一三四名の中︑一一七名︵八七%︶が集団犯であり︑その中七一名︵六〇%︶は累犯者であり︑.その残余の殆んどは大人が介入している︒ 第五節文化11教養の水準 ロシヤ共和国のある地方の︐一九五七年の故意導入の犯人の半分以上は国民学校四年生以下の教育程度であり︑︐五︑六︑七年を終了した者をそれに加えるとそ
30 (1●77) 77
介
紹 の四分の三を占める︒モスクワの一九五七年−五八年の間に強盗的襲撃を実行した犯人の中︑八六%は七年生以下︑二〇%強
が五年生以下︑ 九%が中等以上の教育をうけた者と次ってい
る︒重大な少年犯罪の四分の三以上が五年生以下で︑その殆ん
どが犯罪時には学校に通っていない︒そのうち二〇%は貧困家
族のため学校に行っていない者で八○%はそうでない者であ
る︒ かくて︑個々の人に︑すべての犯罪の基礎にある個入主義的
見解が︑いかなるものの影響のもとに現われ強められるかその条
件の主なものを考察した︒正にこれらの本質的には主観的条件
の力の下で未だ社会主義においても維持されているこれら見解
の可能性が具体的な人に対して現実性に転化される︒家庭の異
常な条件︑生産集団における好ましくない情況︑生活環境︑せ
まい教養文化水準などは︑それじたいとしては反社会的見解
や︑ましてや犯罪をよぶことに不十分である︒これらの要因が
個人の意識形成にそして行為の決定に否定的に影響をもつため
には︑その過程に参加する他の要因を考察せねばならない︒個
入の個別的心理的特殊性︵性格・気質・情緒︒意志力など︶も
その一つである︒
五
第五童犯罪的侵害における反社会的見解︒志向の現われに
影響をもつ主観的く心理学的︶情況 個人主義的意識は犯罪の 心理的基礎であるが︑必ずしも︑必然的に反社会的行為を導くものではない︒ *このゆえに︑ソヴェト刑法は︑反動的な︽危険な性格﹀の 理論や︑抑圧的性格をもった︽予防処分︾の理論を︑決定 的に拒否しているQ抑圧的性格をもった処分を厳格に具体 的な刑事可罰行為を実行した入に限定することによって︑ ヘ カ ヘ ヘ へ ぬ ソヴェト刑法は︑社会的危険性乏は正にかかる行為であっ て︑個人主義的な見解や志向それじたいでないこと︑その 行為がたとえ個人主義意識を色入がもっていることと関係 していて本︑個人主義的煮識は犯罪紀行の運命論的な︑な も ヘ ヘ ヨ た へ いし︑生物学的な予定性を意味しないこと︑人間行為の選 へ も ぬ ぬ 択的性格を排除するものでないこと︑から出発する︒ 二つの要因が考察されねばならない︒主観的要因︵本章︶と客観的要因︵第六章︶であるQ 第一節個人の反社会的傾向の深さと堅さ︑犯罪者の範疇︵類型︶の問題 前章でのべた個人主義的意識の形成の条件が各人においてまちまちであること︑その主体への影響の期間と強さがまちまちであること︑そのためにある人には反社会的見解が強く深く堅く︑他の入には弱くて浅いQそしてこれが当然多くの場合人の行為を決定する︒ *もっとも︑ここでも主観的要因の役割を否定してはならな い︒なぜなら︑個体は自己の見解や傾向の決定において受 ゐ ヘ カ へ も ヘ ヤ カ 動的ではないから︒大小の程度はあれ︑入は自らその意識
30 (1●78) 78
生
直 ぬ へ で ぬ ぬ ゐ ぬ も カ へ も ぬ へ う へ た リ ヘ ヘ へ しロ へ を形成し︑あれこれの行為を選択することによって︑彼の まわりに出来上った条件に働きかけるからである︒ 個人主義的見解を強くもつ主体は︑生じた欲求を満足せんとより早く容易に決意し︑それが他人の利益と合致しないこと︑.社会存在め条件と合致しないことを気にしない︒たいした外部的な刺戟要因がないときでも︑屡々好ましい条件の下にあってさえ︑重大で残虐な犯罪をさえ実行する︒これに対し︑個人主義的見解が弱い人は︑生じた反社会的欲求を多くは阻止できるし︑自らを社会の必要性の要求に従わせることができる︒こう
いう人の犯罪の実行は︑その人の生活における好ましくない事
情に慶〃条件づけられ︑また︑︐彼の否定的な心理的特性︑犯罪
の実行を助ける客観的事情に条件づけられる︒ ︐
かくて︑反社会的見解の深さ︑堅さ︑強度は︑他の要因と一
緒になって︑反社会的行為の可能性のみならず︑その社会的危
険性の程度をも明らかにする︒このことは犯罪者の異なった範
疇︑又は類型にウいて語ることを許す︒その危険性と性格を異
にする犯罪者の存在とそれを相当に明らかにすることの必要性
はソヴェトの立法と判例によって常に示されてきた︒
勿論人の危険性は第一に彼によって実行された侵害の危険性
によって決定される︒しかしこのことは機械的に理解されては
ならない9特に実行された反社会的行為が当人のいろいろの側
面︑︐彼の見解・傾向・思想・性癖と一致するか︑離れるか︑を
考慮しないようになってはならないQ 人間の行為は物質界の現象と同様に︑必然的.合法則的であると同時に︑偶然でもありうる︵一般哲学的意味であって刑法的意味においてではない︶︒必然的・合法則的行為は当該個人の本質的で重要で動機から出るものであり︑主体の社会に対す・る現実的関係の表現である︒偶然討行為の場合ば︑特別のシチ
ュエイションによってよびよせられた一瞬の気分の影響のもと
におこる︒鷹々そういう行為は当人の基本的努力や見解や志向
に矛盾すらしているQ
ソヴェト刑法学はこういう事情を無視することはできない9人
の危険性と彼によって実行された行為の重さとを切り離さず︑
互に対立させないが︑それと伺時に︑それらの若干の独自性と
独立性とを認めることによって両現象を伺一視してはいない︒
犯罪の客観的重さは比較的高いことがあっても︑ 犯罪者の人
格や行為情況は行為者の社会的危険性を時折顕著にひくめるこ
とがあるし︑ それに応じて彼の答責性をひくめる事情となる
象憶誘雛釜三︶︒反対に︑動かすことの出委い反社
会的態度の中に現われた堅固とした反社会的傾向は︑主体の高
められた危険性を決定し︑他の法違反者比とべてよりきびしい
刑罰を要求する︒このことは刑事立法の叢蹉縣︶と・シや
刑法︑張条︶の特に危撃累犯者の規定には・きりと示されて
いるQ
来犯非主体の高められた危険性による答磁性の強化は︑勿論
実行された犯非を規定した法条の制裁の枠内においてのみ
30 (1●79) 79
介
紹 許される︒この際立法省は主体の高められた危険性を証明 する事情を考慮して︑薦垂の場合には制裁の高められた枠
をも規定している︵例えば特に危険な累犯について︶Q
法違反者の異った範疇の区別は一二回党大会で建てられた社
会秩序と保安の保証という課題︑犯罪の絶滅という課題にてら
して特に重要である︒一方において︑ソヴェト法に頑固に従わ
ない︑教育にしたがわない邪悪な法違反者と︑他方において︑
反社会的態度を実行はしたが重大な危険性を示さないところの
人との厳格な個別化にもとづいてのみ︑︑国家の説得と強制の正
しい関係︑同志裁判所や社会団体の役割︑予防と再教育を実現
することができる︒
第二節個人の心理的特性とその主体の態度への役割︑人の
気質・性格・意志的情緒的特質︑その形成の条件と刑法的意味
人の行者はその人のも﹂つ見解や志向によってのみならず一定
の範囲で個人の若干の心理的特性によっても条件づけられる︒
意識的な人間活動の作用としての︑行為としての︑犯罪は︑入間
の心理の特性︑主体の知的情熱意的側面から切り離すことはで
きない︒マルクシズムとブルジョア科学とのこの問題のせまり
方の差異は︑人間行為の心理的特性への依存性を認めるに当り︑
吾々は︑心理じたいの社会的被制約性から出発して︑個人の心
理的特性の﹁始源のままであることや不変性﹂を根本的に拒否
して︑それを個体の存在の具体的条件や教育や実践の結果とし
て考察するということである︒吾々はパヴロフの高次神経活動 の生理学と︑有機体と環境との相互関係についての動態的ステ・レオタイプの理論に基いて︑犯罪行為における個人的な心理的 む む特性の問題を研究する︒まず第一に︑高次神経活動と心理的特性の問題を吟味しよう︒ 8高次神経活動の基本類型H個人の生物学的基礎︒パヴロフは人間の行為が人間の神経組織によって制禦されることを証明した︒神経過程は二つの対立する状態一−興奮と抑止一の不断の這いとして考察される︒神経活動の類型も結局はこの側面の一つの懐えざる積極的優勢によって決定される︒神経過程の重要な特徴ーーカ・平衡性︒可動性一の異なった組合わせに基いて︑パヴロフは神経活動の四つの基本類型をたてた︒活発型︒放恣型︒平静型︒虚弱型Q人々の高次神経活動の類型を特徴づける神経過程の力・平衡性︒可動性は︑気質の生物学的基礎であるが︑気質はまた︑人間行為における高次神経活動の類型の表現である︒ へ も ヘ ヤ ヘ ヘ ヤ へ も へ う ヘ へ う 口気質の類型個人の心理学的基礎︒心理学において気質とは本質的に人間の生物学的特性と関係したところの︑また︑心理過程と情緒的感受性の側から人を特徴づけるところの︑個人の個別的特性の総体である︒ 気質の特性は心理過程の力と速さ︑つまり︑感受性と被髪善性の程度と深さ︑心理体験・その傾向性と外的表現の恒常性と可動性︐・行為と心的体験との阻係などであるQ
*ルビンシュテイン︑ 一般心理学の基礎︑ 一九四六年︑モス
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