近代文明と漱石 : 小品における自分と他者「気の 付かない 継続中のもの」
著者 山崎 甲一
著者別名 YAMAZAKI Kouichi
雑誌名 文学論藻
巻 90
ページ 55‑73
発行年 2016‑02
URL http://id.nii.ac.jp/1060/00012966/
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五五
近代文明と漱石
──小品における自分と他者
「気の付かない
継続中のもの」
山 崎 甲 一
一 「開化」の形ある収穫と犠牲にした無形の宝
近代明治の文明と向き合う漱石の姿を思う際、私には、極めて簡潔でありながら、的確な像を結んでいると考えられる、一つの旧い評論文が浮かんで来る。
漱石は明治の作家のうち、文明批評の第一人者であつた。所謂明治の新文明に含まれた或る微妙な虚偽を彼ほど鋭敏に感受した人はない。彼は文明開化の目眩るしい物質的進歩の裏面に、当時の日本人の強いられた精神上の悲惨を、明治人の精神の悲劇的側面を、誰よりもはつきりと感得し、更に殆んど病的な執拗さでこれを追究した。
「それから」
から「心」を経て「明暗」にいたる晩年の諸 作は、或る意味で彼の当時の社会に対する文明批評の深化の過程と見られるのである。(略)
彼は当代の文化の病患に対して最も鋭敏な嗅覚に恵まれた人であつた。さうしてかうした殆んど感性に根差す本能に近い彼の疑惑を、或る確乎たる思想上の独創にまで高めたのは、彼がその批判の対象とした文明開化を傍観者として局外から見たのでなく、まづ実際にその渦中に巻き込まれた犠牲者として生きたためである。(略)
したがって彼にとつて、文明批評はそのまま自己批評に通じた。云ひかへれば彼の生きる社会の特質をはつきり究めることは、自分自身の存在の意義を生きた形で把むことであつた。
五六
そして明治時代の作家のうち、かういふ立場から当代の文化を批評した人はおそらく他にゐないのである。
漱石の思想的独創は、当時の日本に移入された西欧文明が、その発生地である西欧では見られぬ新しい複雑な問題を我国の社会に惹起したことにはっきりと気付いた点にあつた。解り切つた話であるが、西欧はかつて西欧文明を輸入したことはない。したがつて所謂西洋文明の移入による社会生活の急激な変革に伴つて我国民の精神に実際に生じた発展乃至混乱は、当然、これまでの西洋人の思考の範囲には入り切らぬものである。(略)
いわば彼の同時代人達が止むを得ず冒されながら、しかも敢て気付かうと欲しなかつた精神の病所に容赦のない意識の光を当てること、ここに漱石は自己の文学者たる光栄と悲惨の根柢をおくことを希つたのであつた。(略)
漱石がここで提出した問題に解決を与へなかつたのは、彼がまさしくそこで彼の生きる時代の孕むもつと根本の問題に触れてゐるからだということが解るのである。何故なら何時の時代でもその時代の一番根柢にある問題は、同時 代の平凡人達には「どうにもならぬこと」だからである。 漱石はまさにこの「どうにもならぬ」面から文明開化の実体を捕へた。すなはち維新以来西洋文明の移入に全力をあげ、絶えず最新の機械、最新の制度、最新の学説の輸入に狂奔することを所謂「文明」の進歩と信ずる人々に向つて、かうした「開化」はたとへ「日本が日本として存在する」必要上止むを得ぬものにしろ、その根本において、外界からの「圧迫にあつて不自然な発展を余儀なくされた」文化であると断じ、更に進んで「さう云ふ外発的な開化が心理的にどんな影響を吾人に与へるか」といふ問いを発してゐる。(略)この問ひ自体の独創性である。すなはちここで彼は所謂文明開化の風潮のもたらす最も重大な問題を結局、そのなかに生きる国民の心理の歪みとしてはつきり捕へてゐる。これは彼より二十年前、二葉亭四迷が「浮雲」で、鋭いが、未熟な洞察を通じて設定した疑問であつた。 そして漱石はこの「開化の心理」を意識して追究した最初の文学者であつた。おそらく彼は小説家としての使命をそこに見出したのである。(略)
五七 たえず外部からの新たな刺激に追はれ、何ら内的な必然の要求を持たず、(略)次から次へ新奇な流行にとびついて行き、(略)学者も或る学説を十分に消化する暇もなく次々に新たな学説をとり入れて、いはば常に「借り着で世間態を繕は」ねばならない奇怪な時代の風潮について述べ、「斯う云ふ開化の影響を受ける国民はどこかに空虚な感がなければなりません。又どこかに不満と不安の念を懐かねばなりません。」と確信をもって断言するだけである。(略)
この、外国文化のほとんど物理的な圧迫と、これに伴つて生じた、外国からの既成の知識をあたかも商品の貿易と同様に競争で輸入しお互いにその新奇を誇り合ふといふ、表面は甚だ多忙で実は極めて怠惰な精神的慣習の裡に、おそらく文明開化のもたらしたすべての知的頽廃の根源が横たはるのではなからうか。
むろん文明開化の風潮の醸した頽廃は単にかうした知的な面にのみ限られてゐない。近代社会の成立による人間の欲望の拡充、それに伴ふ功利主義、功利的な人生観の普遍化、道徳の人間主義化または弛緩、といふ風に互に脈絡の ある問題を僕等はいくつも拾ふことができるであらう。(略) とまれ漱石はこの得態の知れぬ「空虚感」または「不満と不安」を「それから」以後「明暗」にいたるまで追究して止まなかつた。おそらくそれは彼がこの漠として把みどころのない「空虚感」すなはち精神の穴が、彼と同時代の社会に、同じ開化を呼吸して生きる知識人のどの心の片隅にも、(彼自身のやうにそれを意識するか否かは別として、)必ずあいてゐる筈と信じたからであつた。 (「文明開化の性格」中村光夫 昭
研究資料叢書夏目漱石昭 19・ 1文学界日本文学
「現代日本の開化」(明 45・1有精堂所収)
時中に描かれていたことに今更ながらに驚かされる。 スにして批評された、この漱石の彫りの深い顔立ちが既に、戦 44)と「私の個人主義」(大4)をベー
昨今の論評文が、隣接諸学のデータなどを過剰に援用しながら、余りに微に入り細に入って、微細な議論に終始して、──漱石の伝に倣えば、「最新の学説の輸入に狂奔」し、結局木を見て森を見ずに終るような、捉え所の無い、実体性の極
五八
めて稀薄な、断面的で観念的、抽象的な漱石の横顔ばかりが跋扈蔓延する傾きの強い研究動向の中で、肝心な要所の押え所の具体的な的確さにおいて、今更の如く、瞠目すべき新鮮な驚きが伴うからである。近代人の人間性疎外の状況は、──物事の真相を見抜く眼力の低下は、時代を下るに従って、その深刻の度が確実に増大している、ということであろうか。中村の一時代前のこの批評文を、やゝ長々と冒頭で引用したのは、このような事の次第による。
いずれにせよ、引用した中村光夫の批評文は、漱石の近代文明との対峙の仕方というものを、誠に大摑みにグリップしていながら、且つ、その本質部分を真直に見届けている、卓抜な論である。
それ故に、この批評文は、グローバル化大合唱の日本の現在の状況にすら見事に対応する卓見に充ちていて、時代の限界を超え得る、普遍的な真理をも内包しているようである。中村論の前半部にはこんな指摘がある。
すべての時代の風潮が支配するのは人々の思想よりむしろ心理である。だからそれはあまり突きつめて解析すると 却つてその正体を見失ふ場合が多いのである。一口に云へばそれは生き物である。その生きた影響は曖昧なだけに却つて力強いのが普通である。 そして文明開化はこの点でもかうして時代風潮の性格の露骨な実例と云へるであらう。(略)
文明開化とは明治時代に生きた人々にとつて或る抗ひ難い時代の風潮であったといふ事実を、僕等は今日からこれを論ずるとき見逃し勝である。
たとへば今日から当時を振りかへつて見れば、文明開化とは結局明治時代の急激な西洋文化の移入のために生じた日本文化の歪みだといふ風に誰の目にも映るであらう。しかし同時に僕等の忘れてならないのは、かういふ歪みを日本文化に生ぜしめるに足りた西洋文明の当時の圧力の強さである。また西洋文明を文化を歪める圧力として受取らざるを得なかつた当時の我国のおかれた事情である。(略)
文明開化の風潮とは、当時の我国の一部少数の指導者が過つて西洋を崇拝したために生じたといふやうな根柢の浅いものでないことは、多少とも当時の歴史を知る者の誰し
五九 も認める点であらう。文明開化とは、我国が国家として発展するに通らねばならぬ必然の道であつた。(略)我国民の精神生活の蒙つたひとつの大きな害悪は僕等の父祖が他の更に大きな禍ひを避けるために、選ばねばならなかつた必然の不幸であつたといふことである。当時の我国の存在乃至は発展のために、西洋文化の吸収がまづ何よりの急務であつたとすれば、文明開化の風潮はその急速な消化のために国民の精神が止むなく支払つて来た代償であつたと云つてよい。(略)
そこで僕等の得たものは形のある明瞭に計画され得るものであり、喪つたものは多くは無形の宝であつた。(略)そこで僕等の払つた犠牲は得た収穫と正確に比例して大きかつた筈である。
しかし問題はそれほど大きな犠牲に当時の人々の大部分が気付きさへしなかつた点である。いはば明治時代は人々の精神が無意識に或る大きな悲劇を演じた時代であつた。無意識な悲劇は往々にして喜劇と境を接してゐる。そして文明開化の風潮はこの精神の悲喜劇の端的な演出と見られ るのではなからうか。すなはちその実体は所謂欧化主義の軽薄な世相のうちにはなく、その象徴する国民の心理の裡に存するのである。(略)
今日の日本文化に影響を与へたのが、よかれあしかれ明治時代であるとすれば、この時代の社会を風靡した風潮が、現代人の生活に無縁である筈はない。
単に風俗の面を顧るだけでも僕等は往年の開化の世相の数々が全く現代の生活に溶け込んでしまつてゐることに気付く筈である。(略)
かう考へてくれば、僕等は文明開化と現代文化とを繋ぐ濃い血縁を厭でも認めぬわけには行かぬ筈である。正宗白鳥の云ふやうに今日の我国の文化はその本質において「気ぜはしい『開化期』の連続」と見てよいのである。現代の文化には、かつての文明開化時代の新流行が歳月の流れとともに善かれ悪しかれ僕等の血肉に溶け込み、いはば生活の一部として結実した要素が実に多数に含まれてゐるのみでない、かつてこの風潮が醸成した或る執拗な精神の偏向は、この文化を無意識に呼吸する人々の心理に実に根強く
六〇
残つてゐるのである。
この意味で文明開化の心理は僕等の父祖が急速な西洋文明移植の代償として僕等に遺した或る精神的な負債と考へることができる。幅広く誰の心にも届いて響く、平明な語り口で、文明開化の「本質」部分を突く、このような中村の炯眼は、現代凡百の自称評論家のおよそ及ぶところではない。明治という時代を、四十数年間のパースペクティブな距離にしっかりと立脚しながら、息を潜めて寄り添い、身を置くところから成立した、正に生動する論評、生きた批評文といってよい。
中村の生きた批評が実現しているのは、小林秀雄が指摘するところの、物事の事態、状況、解読すべき文章というものを「全体的に感じ」取れる「直感」、──いわゆる「語感を深く感ずる能力」と、
むずかしい論理的な知識でなく、尊敬や、同情や、共感や、愛情によって人間をつかむほうが、観察によって人間をつかむより、ずっと鋭敏で確実だ、
(兄小林秀雄との対話 Ⅲ読書について、Ⅱ若さ 高見澤潤子 昭
視点から、本物の教養や文化など育つべくもない。 の如く、自身の価値基準を根底から揺さぶる“他者”不在の 軟に、その背後に控えていたからである。現代の自称評論家 というような、均整の取れた知情意のバックグラウンドが柔 43・6)
どんなにたくさんの知識・学問をとり入れても、それがその人の素質を育てなければ、教養人とも文化人ともいえないわけだ。
(同
Ⅳことばについて)その意味で、中村のこの批評文には、真の教養や文化への眼が宿っている。
二 思想より心理としての時代の風潮
さてそれでは、この中村論の視角・指摘を参考にして、近代明治の文明と向き合った漱石の姿を推し進めてみよう。
洪水の如く押し寄せる、物心の西洋文明。──「最新の機械、最新の制度、最新の学説の輸入に絶えず狂奔することが所謂文明の進歩と信ずる人々」、「外国からの既成の知識を競
六一 争で輸入しお互いにその新奇を誇り合ふ」人々。「近代社会成立による人間の欲望の拡充、それに伴ふ功利主義、功利的人生観の普遍化、道徳の人間主義化または弛緩」等々。「表面は甚だ多忙で実は極めて怠惰な精神的慣習」、「知的頽廃の根源が横たはる」「精神の悲喜劇の端的な演出」を眼前にして、
彼の同時代人達が止むを得ず冒されながら、しかも敢て気付こうと欲しなかった精神の病所に容赦のない意識の光を当てること。
その時代の一番根柢にある問題、彼の生きる時代の孕むもっと根本の問題に触れるべく、その「当代の文化の病患」たる、「批判の対象とした文明開化」を、
傍観者として局外から見たのでなく、まづ実際にその渦中に巻き込まれた犠牲者として生きた。
従って彼にとって、文明批評はそのまま自己批評に通じ、彼の生きる社会の特質をはっきり究めることは、自分自身の存在の意義を生きた形で把むことであった。
文明開化とは明治時代に生きた人々にとって或る抗い難い時代の風潮であったといふ事実。 一部少数の指導者が過って西洋を崇拝したために生じたというような根柢の浅いものでなく、我国が国家として発展するに通らねばならぬ必然の道、他の更に大きな禍いを避けるために、選ばねばならなかった必然の不幸であったといふこと。 西洋文明の当時の圧力の強さ、西洋文明を文化を歪める圧力として受取らざるを得なかった当時の我国のおかれた事情。というものに十分斟酌しつつ、それ故に、その西洋文明の強大な圧力を日本の「文明の進歩とのみ、信じ」て、裏面の「日本文化の歪み」や「大きな害悪」を孕む、 この文化を無意識に呼吸する人々の心理に実に根強く残っている執拗な精神の偏向。 大部分の人々が気付きさへしなかった、明治時代の人々の無意識に演じた大きな悲喜劇。 払った犠牲は、形のある明瞭に計画されて得た収穫と正確に比例して、多くは無形の宝という、精神面での大きなものを喪うことを、意味していた。
六二
明治の新文明に含まれた或る微妙な虚偽を、当時の日本人の強いられた精神上の悲惨を、──当時の日本に移入された西欧文明が、その発生地である西欧では見られぬ新しい複雑な問題を我国の社会に惹起したこと。──西欧文明を輸入した経験のない西欧・西洋人の思考範囲には当然入り切らぬ我国民の精神上の混乱、国民の心理の歪み。
外部からの新たな刺激に追われつづけ、少しも内的な必然の要求を持つことが出来ず、借り着で世間体を取り繕うばかりの国民は、どこかに空虚な感、不安の念を抱かざるを得ないこと。
この得体の知れない「空虚感」、すなはち精神の穴を、人々の思想からではなく、時代の風潮が支配する心理面から凝視しようとした。人々に、曖昧で力強く、生き物としての実際の影響を与えてゆくのは、思想よりもむしろ心理の方であること。
得体の知れない空虚感、精神の穴の実体は、欧化主義の軽薄な世相、文化を無意識に呼吸する国民の心理の裡に根強く残って行くものだからである。 急速な西洋文明の移植の代償として、その外発的な開化が心理的にどの様な影響を吾人に与えるか。 止むなく支払って来た精神的な負債としてのその精神の穴、空虚感を追究しつづけること。精神の病所に容赦ない意識の光を当て続けて行くこと。 そのことが、同じ開化を呼吸して生きる同時代の人々、とり分け知識人の心の片隅へと届き、響いて行くことを信じて、そこに漱石は彼自身の小説家としての使命を見出した。 さらに、当代の文化の病患が、明治という限定された時代での病患でなく、「百年後」の未来に迄波及、永続して行く複雑で厄介な問題であることを、局外の傍観者としてでなく、正にその渦中に身を投ずる中で、痛切に自覚、認識していた。 明治の文化が、その本質において、「気忙しい開化期の連続」線上に成立している以上、その精神的負債が明治時代で解消される理由など何処にも見出せないからである。 近代明治、当代の文化の病患に、そのような複雑にして、普遍的な命題を痛切に認識した時、漱石は自身の小説家と
六三 しての使命をそこに見出し、自己の文学者たる光栄と悲惨の根柢を置く覚悟を得た、ということになる。 このような実存の立場から、当代の文化の病患を、思想上の独創にまで高めて批評した作家は、明治という時代においては類い稀である。その意味で、文明批評の第一人者と言ってよい人物だ。この様な中村光夫の漱石像の本質部分を、正統に継承する研究者の一人に、芳賀徹が居る。
本人の実感をそのまま濃密に表現できた作家であるし、そ──『永日小品』の可能性漱石研究・創刊号平5・ たのではなかろうか。(略)漱石はこうして明治に生きた日いかとも思う。(二〇世紀の最前線にある漱石 人・漱石がいた。これが本当は、文人漱石の一番の中核だっよりも、鏡花よりも、漱石がもっとも敏感だったのではな 小説を書く一方で、『永日小品』を書くような、こういう詩ルヌルする、そういうなまの肌触りに対する感触は、鷗外 ろに書かれている。(略)今でも人を惹きつけてやまない大た。現実の、固い、柔らかい、ザラザラする、あるいはヌ ンの雰囲気を持っていて、大体、『永日小品』とほぼ同じこまれていた生活を、そのまま抉り出すような文章でもあっ ンスタールの短篇は、どれも実に不思議な世紀末的メルヘアジアの中で遅れて近代化する「途上国」日本でいとな フォン・ホーフマンスタールの短篇を思おこす。ホーフマ界にも通ずるものさえなきにしもあらずだろう。 ママ ロッパの文学の中で探していくと、私はいつもフーゴー・り上げていたのである。オクタビオ・パスやボルヘスの世 『永日小品』の世界や表現の質と並ぶものを前後のヨーないような夢想の世界を、漱石は、『永日小品』の世界で作 かない。小さいけれども鋭く、奥がどこまであるか分から になったらかならずしも究極のところまでいくわけにはい 極端まで突っこみ、焦点を絞ってみることもできた。大作 で実験し、行ける所まで行ってみようとした。小品だから 分の中に蓄えられた、一つ一つの思いについて、この作中 品』はそれだけ広い世界をその中に擁している。漱石は自 の第一線に立つものと評価されうる作家であろう。『永日小 れでいながら、同時代の世界の文学の場においてみても、そ
10)
六四
中村とその主意が重なる芳賀論は、中村が何故か視野に収めていない「永日小品」を補い、比較文学の立場・見識から、漱石の文学が文明批評において明治時代の第一人者に止まらず、世界的レベルに達していた点等々を補完して、漱石文学とその批評性の質の高さを、更に進展させている。
こうして、中村光夫・芳賀徹の両論評文は、遙かな時を隔てながら、相互に補完し合う間柄にあると見なされる。
中村論の範疇外にある、「倫敦塔」や「カーライル博物館」、及び「吾輩は猫である」から「三四郎」まで、そのごく初期の作品群以降のも含めて、併せてまた、芳賀論で具体的に言及されない「夢十夜」や「文鳥」等の小品類をも含んで(小著 夏目漱石の言論空間 平
ころの、 石像に、私はスコブル共感を覚えるものである。中村言うと する文明批評の深化の過程という点で、両論で彫琢された漱 15・1参照)、当時の社会に対
すべての時代の風潮が支配するのは人々の思想よりむしろ心理である。だからそれはあまり突きつめて解析すると却つてその正体を見失ふ場合が多い。それは生き物である が故に、生きた影響は曖昧で、それ丈力強いのが普通という、物事や状況の生き生きとした生態を、論理的な分析やデータのみをテコにして解釈・把握しようとする傾きの強い昨今の論評の動向において、中村・芳賀の両論は、際立つ説得力が今なお色褪せていない。論理的な解析や、体系立ち秩序立った、整合的で明確な思想ばかりが重大視されて、曖昧なだけに却って力強い、そうした生き物としての正体の姿が見逃されてしまうからである。木を見て森を見ぬ類の昨今の論評文の傾向を、先に指摘したゆえんである。 上述のように、日本人における西洋文明移入の複雑にして永続的な問題を、局外の傍観者としてでなく、あくまでも、実際にその渦中に巻き込まれた犠牲者、当事者として生きた漱石が、そういう自身のなまの肌触りに対する感触を、明治に生きた日本人の実感として、そのまま濃密に表現できたその具体的な実例が諸作品となって、現代人の我々の前に提示されている。
前稿の『永日小品』の「人間」で、その基軸となる具体相
六五 を見た(芸術至上主義文芸
41 平・
27・
11)。小論はそれに
続く、『夢十夜』の第七夜を基軸にした、扇状の小品論である。
三 第七夜、自立した日本人としての個の紛失
「何処へ行くんだか分らない。
」──「何処へ行くのだか知れない。」──「何処へ行くんだか判らない」、「何時陸 おかへ上がれる事か分らない」という、終始得体の知れない漂流的将来への不安を背負いながら、「西へ行く大きな船に乗っている」自分は、その船が、「落ちて行く日を追 おっかけ懸るようだ」という心象風景を、確実に眼にし、肌で感じながらも、自身のそうした底知れぬ不安、「大変心細く」、更に「大変心細く」なる一方の胸の内を、他の「沢山(の)乗合」の人々と係わらせて行こうとする姿勢は、殆ど皆無と言ってよい。
落日の太陽を追い駆ける様なこの船の不安を「船の男」に訴えかけても、船員に「呵 からから々と笑」われ、「そうして向うの方へ行ってしま」えば、自身の懐疑はそれ以上に進展することはない。
「西へ行く日の、
果 はては東か。それは本 ほん真 まか。東出る日の、御 里は西か。それも本真か。身は波の上。檝 かじ枕 まくら。流せ流せ」と「囃し」ている「大勢の水夫」達にも、正に、自身の漂流的な底知れない将来への不安感が、文字通り声として唄われていても、「檝枕。流せ流せ」──下手な考え休むに如かずと嘲笑され一笑に付されると、自分達の置かれた状況に何ら疑問も無く、西へ導くこの「大きな船」に多大の信頼を寄せて「太い帆綱を手繰」りつづける水夫達を前にして、既に為す術もなく沈黙する丈である。 船員や水夫達と、この様な係り方しか出来ない自分が、「大変心細くなっ」て行き、その「心細」さが寡る一方なのは必然のことと言わなくてはならない。 「大抵は異人のよう」
な「沢山(の)乗合」も、「しかし色々な顔をしていた。」という認識はありながら、「空が曇って船が揺れた時」、一人の女が欄 てすりに倚りかかって「しきりに泣いてい」るのを見ても、「悲しいのは自分ばかりではないのだと気が附いた。」に止まっている。
船旅の波枕、「流せ流せ」と能天気に言っては居れぬような、「空(の)曇」りと「船(の)(動)揺」。漂流感に加えて、沈
六六
没への不安。──これ以前と同様に、自身が肌で感じ取れる得体の知れぬ、底知れない不安や「心細」い思いというものを、「悲しいのは自分ばかりではない」ところのその一人の女にぢかに確かめることも無く、真に共有することを考えて働き掛けることすらせずに、「気が附いた」こと丈で済ませている。
その様な次第だから、「詰 つまらないから死のうとさえ思」い始め、「益 ますます詰らなくなっ」て行けば、「とうとう死ぬ事に決心」するのも必然的な成り行きということになる。
他者との係わり方が皆無で、「一人で星を眺め」、「黙って空を見て」いるしかなす術がない。そういう「自分」自身の思考回路、流儀というものに疑問を持ち、固定された硬いその殻を少しでも破ろうとする意志、行動は微塵もない。
本来なら、漂流感からの底知れぬ、得体の知れない不安に加えて、荒れた天候と船の揺れ、という沈没への不安が生じて来れば、「色々な顔をし」た乗客達との関係、──対話が生まれて当然のこと。「色々な顔をしてい」る「沢山」の乗客達の種々の「心細」さ、その不安と自身のそれとを交差させず して、不安解消の良い糸口、智恵などというものが生まれて来る道理はないからである。 ただ「一人」きりで、「黙って」星や空を眺めていたところで、「心細」く、「悲し」く、「詰らない」心は、「益 ますます」重量を増す丈のことにしかならない。 天文学に詳しい「一人の異人」の存在も、その彼の自分への働き掛けも、そしてまた、サロンでピアノを弾き唱歌を歌う若い女と立派な男二人の、危機感の欠落した、自足した存在振りも、「詰らない」自身との対極 00に生きる、縁なき者達にすぎなくなるばかりのこと。 地上の喜悲など、「天文学」的な視野に立てば或は、重たくなる一方の心を軽くし、救われる余地すら見出せるものにもなり得る。そういう「異人」、天文学に詳しい他者の働き掛けに、ハナから応じようとせず、終始「黙」殺するばかりで自足している。 事態打開への努力を少しもしようとせず、自分「一人」の固い殻に益々閉じ籠ろうとする態度ばかりが鮮明である。
幸福を絵に描いたような男女のカップル、──唱歌を唄う
六七 「その口が大変大きく見え」、「二人は二人以外の事にはまるで頓着していな」く、「船に乗っている事さえ忘れている」──彼らのその姿はすべて、「様子であった」「ようであった」と叙述されていて、何故か「背の高」さが「立派な男」とされ、「派手な衣裳を着た」若い女は「向うむきになって」いて、顔立ちすら不明のままである。 依然として、自分の判断や認識の仕方が外見のレベルからで、その他者の内実には一向に届いてはいないものであることを示唆している。自身の価値観や判断・認識の仕方を大きく揺さぶって来る他者とのぢかの対話を欠落させたことで、「とうとう死ぬ事に決心」する羽目となる。 自身の価値観や認識の仕方をツユ疑わない、という点では、事態を「呵々と笑っ」て済ます船員や水夫と同じ穴の貉、表裏一体の関係にあることに、自身は一向に「気が附」くことはない。至って滑稽な構図として、「自分」は作者の諷刺、終始批判の対象として描かれているということである。 他者との真の対話を欠落させたままでの死の「決心」が、熟慮断行とは程遠い、いかに浅慮極りのない、取り返しのつか ぬ判断・行為であるかが、的確な表現で末尾に示される。 思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが──自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜くなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。(略)足は容易に水に着かない。しかし(略)いくら足を縮めても近附いて来る。水の色は黒かった。(略)自分は何処へ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事が出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。命の死と引き換えに逢着した「悟り」とは何か。 それが、第七夜において、この作者から最も切実に問われている、読者自身への根本的な命題であったとみてよい。 「自分」自身、
──近代明治の日本人であるところの読者自らが抱えている不安と正直に、ぢかに対峙して、その誠実な向き合い方のなかから、不安の正体を見届けるべく努めること。そのためにも、唯「一人」の孤独の状態から逃避せず、他
六八
方で、自分の狭い視野からの硬直した価値観、認識を根柢から揺さぶり、新たな視点を提供してくれる他者との対話を重ねるなかから、不安を打開していく道筋、その可能性を信じ探って行くこと。
そういうことを、他者不在の、自分「一人」の内面の枠内で終始する、この悲喜劇の諷刺画を通して、近代明治の読者一人一人が背負っている「或る抗い難い」、「急速な西洋文明移植の代償として遺された精神的な負債」「精神の穴」、──「その精神の病所に容赦のない意識の光を当てること」(中村論)に漱石の主 モチーフ意はあった。
この、急激な西欧化による近代明治人の精神的な空洞、その「不安」の「病所」を読者一人一人に気づかせ、「意識」化するに際して、「小品」の器は、より「焦点を絞」り、場合によっては「極端まで突っこ」んで、「近代化途上の日本でいとなまれていた生活を、そのまま択り出」し、「明治に生きた日本人の実感をそのまま濃密に表現」(芳賀論)し得るに足る、正に格好の形態であったようである。
根本的な不安とぢかに向き合うことなく、そこから逃避し て、西洋文明移植の急激な波に酔わせられ、「或る執拗な精神の偏向」を「無意識に呼吸する人々」(中村論)、──一個の自立した日本人としての「自分」を紛失している事態は、前稿の『永日小品』の「人間」や、本稿の『夢十夜』の第七夜に、いわば凝 コンデンス縮された形で提示されていた。
漱石の「自殺、投身願望」とか、「運命というものの残酷さにたいする告発」(漱石『夢十夜』探索 清水孝純 平
27・
5)というような視点では収まらない物語となっている。
『永日小品』の他の諸作品、
並びに『夢十夜』の他の夢の話、そして「文鳥」などの小品類は、「人間」と「第七夜」での「精神の病所」の要 かなめ部分から放射された、扇状の展開時空と見てよい。
以下それを、包括的に押さえ、デッサンして置きたい。
四 元日、蛇、泥棒、柿――現代に息づく「開化」
「元日」
(明
42・
1)には、謡を話題にして、
「自分の声」の「よろよろ」して「小さくなる」ばかりの、頼もしくない様子と、それを若い者や「細君まで一所になって夫を貶 くさし」、鼓を
六九 打つ時の虚子の襦袢の袖の色を褒める皆に対して、自分はその袖の色も、袖のぴらぴらする所も、「決して好いとは思わない」という正月の一風景が描かれている。 元旦の明るい「笑い」に包まれたこの一篇も、主 モチーフ意は、「自分」とは評価を異にする「若いもの」や「細君」という他者の「声」に、素直に耳を傾けられない、真直、正直に他者の存在・価値観を受容でき得ない、硬い心の殻で閉じられた、孤立した「自分」というものが、灸り出されるように描かれているのではないか。「自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある」(思い出す事など 十九 明 43・
12)とは、内なる
“他者”の声に耳を澄ます、漱石自身の言葉である。
その様に眺めると、この一篇も、「人間」や「第七夜」を軸とした、自分の認識を揺るがす、他者との対話が不在の風景、「自分」自身の「不安」としっかり向き合うことの極めて苦手な日本人の姿が、ユーモラスに描出されたということになる。
*
「蛇」
(同)。その声が誰の声なのかを、しっかりと確認できない、不安の所在、正体ときちんと向き合えない、向き合お うとはしない、“他者”不明の風景が描かれる。
鰻を漁りに川へ向かう叔父さんの、その被った笠のなかから非 ひど常い路だ「といったように聞えた。」とか、捕れた獲物が鰻どころか蛇で、投げ捨てたその蛇が、「鎌首を持上げ」、「屹と二人を見」て「覚えていろ」と言ったように聞える。「声は慥かに叔父さんの声であ」りながら、その点を確かめても、叔父自身が「低い声で、誰だか能く分らないと答え」ている。自分にも叔父にも未だに釈然としない、誠に「妙な」、訳の「分らない」出来事として語られている。
それを、「外界の不気味な非日常的側面」とか、「日常空間に起こりうる幻聴、幻覚」、「常に人間の期待を裏切り続ける現実」というような、よく似た解釈がこれまで重ねられて来ているが、果たしてそうか。
この話に及ぶ度に、「誰だか能く分らないと答えては妙な顔をする」叔父と、雨でぬかるんだ道路を非 ひ常 どい路だ「といったように聞え」る自分と。双方共、奇妙な不安と隣り合わに居る。ぬかるみに足を取られ、「危く倒れ」かねない不安定さ。鰻と確信して摑んだ獲物が蛇であったこと、その瞬間の驚愕。
七〇
而もその蛇が、「貴王様の森の裏の池」から流れて来た、神の使いであること。その神憑りの蛇、その御神体が、投げ捨てられた際に、「鎌首を一尺ばかり持上げ」、持上げたまま「屹 きっ
と二人を見た」、──いわば、ゴーゴン・メデューサに睨み据えられた際の金縄り状態。
こうして二人は、幾重もの不安に包まれた状況に置かれている。「覚えていろ」の声の主が「誰だか能く分らないと答え」るのには、十分すぎる程の環境条件が整っていた。
だが、しかし、答え方には必然性があったにしても、だか 00
ら 0、問題の所在はソコにあったのではなく、
今でも叔父にこの話をする度に、誰だか能く分らないと答えては妙な顔をする。ところに焦点はある。
不安の所在、声の正体、その不明な他者としっかりと向き合わない日常性から一歩も踏み出せないところに、やはり、独りきりの閉塞した自己認識の殻を打ち破れない、他者不在の当時の日本人の一般的な姿が暗示されていた、と解される。
*
「泥棒」
(同)。泥棒事件に遭遇した、家族それぞれの対応の仕方が焦点。深夜、泥棒に屋内を荒らされたことを知り、訳の分らぬ「異様の声」しか発しつづけられない下女の姿。その声で起こされた自分の、火事と早「合点し」て「想像」した状況との著るしい落差。下女の泥棒という「二字」に反射的に行動して、既に姿を消している賊に向って「怒鳴りつけ」る。泥棒に入られて、「残念」ながら気付かなかった家人たち。泥棒の侵入を「すっかり知ってい」ながら、それを家人に知らせることの無かった十歳の長女。やはり、「蛇」に睨み据えられた際の恐怖からだったであろう。
「悪いものは、
泥棒じゃなくって、不取締 しまりな主人であるような心持にな」らせる、他人事のような巡査の対応振り。
現場検証の刑事も、組織内部の台所事情の寒々とした裏話を聞かせて「心細い顔をし」、それを聞く自分も「甚だ心細い気」になる。事件に積極的に係る姿勢はハナから皆無で、投げ遣りな態度でしかない。警察と被害者相互の信頼関係は望むべくもない、双方の立場・表情が端的に描かれている。
再び深夜に妻に起こされ、台所の不審な物音の確認を請わ
七一 れる。鼠が「何か噛っている」音と解り、「二人とも落付いて寝てしま」うが、翌朝、噛られた鰹節を見せた妻に、昨夜は鼠を追い払って鰹節を仕舞って下されば好かったのにと「不平」を言われ、自分も確かにそうだったと「この時始めて気が付」くという、ユーモラスな落し噺となっている。 「元日」と同様に、
ユーモラスなオブラートで包まれてはいるが、一篇の主意は、夫婦はもとよりのこと、子供たちや下女、警察をも含めて、家族間の関係、日本社会の治安体制・秩序というものが、信頼関係のおよそ稀薄な、バラバラな個人としてしか存在していない風景に、焦点は当てられている。それぞれ、バラバラに孤立して、不安と対話の図れない人間同士の関係に、やはり真の他者はここでも不在である。
*
「柿」
(同)。この、小供同士の諍いを中心とした話題にも、自分と他者との対話の風景は殆ど無きに等しい。
「無
暗 やみに表へ出て、其処いらの子供と遊んでは不 い可 けません」という様な家庭での躾を受け続けている喜いちゃんは、「冴 さえざえ々し」た頰の色を持つ「世間の子供」との交わりを断たれ、「黄 色い」頰の色しか恵まれていない。 「世間の子供」との交渉を断たれた彼女は家の「裏」の、
大人が家事をする場所でしか遊べない。家内の女性達のみを「相手にして遊んでいる。」とあるが、家人の女性達は皆大人だから、その実、
遊んでいる。
とはいっても、現実に遊ぶ「相手」は誰一人と居ない。だから大人の女性達の姿が「裏」に居ない時は、「たった一人で」──「裏の長屋を覗き込む」のが唯一の遊びとなる。「相手」との会話、他者との対話・交流のない遊びだ。
裏長屋の人々の動静を家人の女性達に逐一「報告」をして「笑ってもらうのが一番得意」とあるが、その会話に、元より、真の対話が成立している訳ではない。「表」の子供達と遊ぶことを禁ずる女親達への、ご機嫌取りの「報告」にすぎないからである。
与吉との「喧嘩」などは唯一、喜いちゃんが「世間の子供」との、子供同士の対話を図れる通路であった筈だが、そこでもやはり、与吉という他者、喜いちゃん自身の価値観を根柢
七二
から揺さぶってくる与吉の価値観と、マトモに向き合うことはしない。交差し合う喧嘩にはならない。
彼女が崖下へ落とした護 ゴム謨毬 まりを、拾った与吉は一向に返そうとはせず、返して、と懇願する彼女を尻目に、あろうことか、
与吉は毬を持ったまま、上を見て威張って突立っている。詫まれ、詫まったら返してやるという。
金持の子供が、「貧乏人(の子供)、と軽 さげすむ悔」のは至極当然と教育されてきた彼女の価値観を、極めて不当とする与吉の抗議が、右のような言動になっていることに、凡そ想い及ばない。
誰が詫まるものか、泥棒といったまま、母親の元へ泣いて逃げ込む彼女の心中に、与吉という真の「子供」の「相手」は元々、そして終始存在してはいない。渋柿で報復すること位しか智恵の働かない──それも、母親達大人の入れ智恵の彼女に、自身の価値観を揺るがし、自己批判の眼を育て、自己相対化を促していくような“他者”の存在は、邪魔以外の何物でもないからである。 喰い意地の張った、「貧乏人」の与吉に、喜いちゃんは見事報復を果し、凱歌を挙げたところで話は終っている。 だが、この渋柿の一件が例の如く「報告」され、彼女の「家で大きな笑声」が湧き起っているが、この喜いちゃん母子の「笑声」、──ゴム毬の一件で喜いちゃんの母親が「向 むきになって、表向よしを取りに遣」ったり、渋柿の一件で、報復の入れ智恵を「裏」でするような、喜いちゃん母子の家庭と、子供の喧嘩に母親が介入してくるような相手に対して、 与吉の御袋がどうも御気の毒さまといったぎりで 000毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。という風に受け流し、大人が子供の喧嘩に立ち入らぬ、与吉母子の家庭とでは、一体どちらに、家庭での教育、親子の真の対話が成立しているかは、自明と言わなくてはならない。 親子の会話は少なくとも、子供自身の心と体で物事を考え行動する、自立した子供を実際に育てている与吉母子の方が、格段に本当の対話、以心伝心の対話というものが、日常的に自ずと図られていた、と見なくてはならない。子供の与吉にとって、大人の母親はあくまでも太い境界線のある他者であ
七三 り、母親もまた、子供の与吉とは一線を画す存在として日々生きている。大人と子供の母子双方に、いろんな意味での自立性、“他者”意識が育ち、根付いていくのは、至極当然のことである。 こうして、与吉母子の親子関係を光源として、「柿」一篇の主 モチーフ意も、他のこれまでの小品群と同様、自身の価値観を揺さぶってくる他者の存在、──その不安の実体と正面から向き合うことをせず、その「相手」から逃げ、自身の硬い殻に閉じ籠るばかりの日本人、その大人と子供、双方向の人間関係が描かれた、という風に解される。 ここ迄書き進めた段階で、既に与えられた紙幅を超えている。『永日小品』の残された諸篇と、『夢十夜』の残る諸篇については、続稿(東洋学研究 第
53号 平
及ぶ。 28・3)で論評に
そこの小品諸篇でまた、中村光夫が「文明開化の性格」で言うところの、近代明治日本人の「精神の穴」、──「精神の病所に容赦のない意識の光を当てること」に傾注する漱石の 表情、姿を窺うことができるだろう。 その近代明治が大正に至ってもなお依然として、 人の心の奥には、私の知らない、また自分たちさえ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか。(硝子戸の中 三十 大4・2)ということなら、その種の「精神の穴、病所」の問題は、平成の現代まで根強く尾を引いて、「継続中」ということになる。中村の言う、「文明開化と現代文化とを繋ぐ濃い血縁」、「現代の生活に溶け込んでしまつてゐる往年の開化の世相の数々」、「曖昧なだけに却つて力強い」、「生き物」としての開化「時代の風潮」は、「人々の思想よりむしろ心理」の裡面において、不動に「支配」しつづけるものだからである。 *
「夢十夜」
「永日小品」他の漱石のテキストは、ワイド版岩波文庫(2007・1)を使用した。
* 本稿の「第七夜」
「蛇」「柿」への考察は、小著
夏目漱石の
言語空間
に収めた各小論とは、
また別の角度から新たに眺め返したものであることを、お断りして置く。