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地蔵盆は、地蔵の縁日である24日、また大日如来の縁日である28日を中心に、2日間に渡って行われます

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Academic year: 2021

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京のお宝~地蔵盆~

橋本奈央

船越香織

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目次

1.動機

2.地蔵盆とは

3.日本における地蔵信仰

4.インタビュー① 街づくり推進会議 山田さん

5.インタビュー② 北区役所まちづくり推進課

6.インタビュー③ 矢田寺住職さん

7.まとめ

8.感想

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1.動機

「何で京都にはこんなに道の至るところにお地蔵さんがあるんだ!?」 この単純な疑問が、今回の調査レポートの始まりでした。 班のうち一人は名古屋出身で、京都に来てから1年あまり。方言、伝統行事、京町屋な ど、京都にしみ込んだあらゆる文化が彼女にとっては魅力的でした。 その中でもとりわけ彼女を惹きつけたのは、京都市内の道の至るところに祭られている、 小さな石地蔵。毎朝決まった時間に来て石地蔵の前でお参りしているおばあちゃん、下校 時に手を合わせてお参りする地元の小学生、そして素朴だけれど町内を優しく見守る石地 蔵。そこに形に表れないがしっかりと繋がれた地域の人々と地蔵との歴史性を感じたそう です。 そんなことを思っていた中、授業の一環で「京のお宝」というテーマで京都の宝になり うるものを調査するという機会にめぐりあいました。そして京都の文化について色々と話 しているうちに、私たちはお地蔵さんと地蔵盆に行き着いたのです。班の2人は京都人。 2人にとって石地蔵は当たり前の存在で、地蔵盆はどこでもありふれた行事でした。一方、 名古屋人には石地蔵もほとんど見ることもなければ、地蔵盆なんて初めて聞いた言葉。こ の差は私たちにとって非常におもしろく、調べてみたくなりました。特に地蔵盆は、年に 1回行われる町内のお祭りであるが、最近では地蔵盆をわずらわしく思う人が増えている という問題を抱えていました。 そこで今回私たちは、地蔵盆を取り上げ、地蔵信仰の起源から始まり現在の地蔵盆まで を調査することにしました。そして当事者の方の思いも聞きたく、実際に地蔵盆に関わっ ている様々な方面の方からお話を聞くことができました。 それではいってみましょう。

2.地蔵盆とは

地蔵盆とは、地蔵の縁日である 24 日、また大日如来の縁日である 28 日を中心に、2日 間に渡って行われる祭りのことを言います。ですが、現在は準備する親や地域の方たちの 都合によってどちらも縁日に近い土日曜に行われることが多いようです。また最近では、 子どもが少ない、町内の世話役が少ないなどという理由から1日だけしか行わない場合も あるようです。 また、路傍の祠に祀られているお地蔵さんと地蔵盆で祀られるお地蔵様の像は違う場合 がほとんどです。そして、地蔵盆で祀られる「お地蔵様(延命地蔵菩薩)」や「大日如来」 の像(彫刻、絵画など)には文化財級の価値のあるものも多く、地蔵盆で祀られる像は、 普段は町内の役員の方が保管している場合と、お寺に預かっていただいている場合がほと

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んどだそうです。そして地蔵盆の前には幾段かの棚を設け、ホオズキ、カボチャ、イモな ど、色々な品物を供えます。 地蔵盆の主役は、子どもたちです。子どもの名前が入った提灯を吊ってもらい、京都で は、町内ごとお地蔵様の前に屋台を組んで花や餅などの供物をそなえます。お菓子を食べ ながらゲームなどで遊んだり、福引きをして楽しむようです。また、数珠を子ども達みん なで回す、数珠回しという儀式もします。大人もその輪の中に入り一緒に数珠を回します。 また、和尚さんをお招きし、お説教を聞いたりします。その提灯の下で盆踊りを行う町内 もあるようです。

3.地蔵信仰

京都は昔から地蔵信仰が盛んなところで、市内の至るところに小さな石地蔵が祀られて います。これら地蔵に対する信仰はいつ頃から始まり、どのように広まっていったのでし ょうか。ここでは、その地蔵信仰について詳しく述べていきたいと思います。 地蔵信仰が日本にもたらされた時期は明らかにされていませんが、奈良時代の仏教伝来 によるものとされています。平安時代になると、末法思想と浄土教信仰の勃興によって地 蔵信仰は盛んとなりました。末法思想とは釈迦の立教以来 1,000 年の時代を「正法」次の 1,000 年を「像法」、その後の 1,000 年を「末法」の三時観で分けて考え、釈迦の教えが及 ばなくなった「末法」においては修行に耐えられず、悟りも得られない機根(素質)の劣 った者ばかりの時代に入るという、終末論を指すものです。また、その末法の時代に住む 衆生(人々)が、阿弥陀仏に念仏することによって釈迦の慈悲により救済されるという教 えが浄土教になります。つまり、地蔵を信仰することによって末法の時代に生きていても 救済してくれるという、人々の他力本願の思いがこの時代に見られます。 さらに10 世紀に入ると、『延喜式』に嘉祥寺では 3 月・10 月の二度の地蔵悔過が行われ たと述べています。悔過とは、毎年国家または個人の罪を払い、自分の信仰している仏の 前で懺悔し、わざわいを免れるために行われる仏事供養のことです。これによって地蔵信 仰が宮中で行われたことがわかります。 他方一般には、地蔵菩薩の霊験をたたえる法会(地蔵講)が行われました。『今昔物語』 や『地蔵霊験記』には、多くの地蔵講にまつわる話が語られています。その背景には、民 衆の地獄に対する恐怖が貴族社会とは比較にならないほど深刻となり、地獄の苦を代わり に受けてうけるという地蔵尊に対する信仰がありました。したがって、広隆寺の「地蔵菩 薩坐像」や六波羅蜜寺の「鬘掛(かつらかげ)地蔵」などの平安後期を代表する優品も、 この時代に作られ、地蔵遺品は飛躍的に増えだしました。 鎌倉時代に入ると、多くの宗派が誕生するに伴って地蔵菩薩への現世利益への期待はま すます盛んとなり、真の庶民信仰の対象となり、多くの地蔵像が製作されました。石仏が

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多く作られるようになったのも、この時期です。 そして、中世の南北朝から室町時代には、地蔵信仰は信仰武士階級の間に盛んに信奉さ れました。中でも足利尊氏は、深く地蔵尊を尊び、常に具足櫃(ぐそくびつ)の中に守り 仏として地蔵損を入れていたというエピソードもあるほどです。このように、武士階級の 地蔵信仰は絶大なものでした。 以上のような流れで、国内では次第に地蔵信仰が広まり、現在に至っています。 私たちは、調べを進めていく上で、次第に本やインターネットのみの情報に限界を感じる ようになりました。現在も地蔵盆が行われているのなら、現在の地蔵盆に関わっている方 のお話を聞きたいと思い、実際にインタビューを行ってきました それでは、その様子を・・・どうぞ☆

4.インタビュー①「歩いて暮らせる街づくり推進会議」の山田章博さん

Q:「歩いて暮らせる街づくり推進会議」ではどんな活動をされているんですか? A:「歩いて暮らせる街づくり推進会議」は安全・快適な「歩きやすい京都」、歩いて楽しい 発見と出逢いのある「歩きたくなる京都」を実現することをめざして、活動していま す。 Q:私たちは京都の地蔵盆について調べています。ご協力お願いします! A:地蔵盆の実態を調べるため、2001 年の夏に京都の中京区南東部の地蔵盆について調査 しました。そのことについてお話しましょう。 Q:早速ですが、地蔵盆で祀られるお地蔵さまにはどのようなものがありますか? A:祠に祀られる石のお地蔵さまや、厨子に入った木彫りのお地蔵さま、全体が黄金と彩色 で飾られているお地蔵さまや、おおらかで素朴なお地蔵さまなどがあります。また、仏画 をお軸に仕立てたお地蔵さまも意外と多いですね。あるマンションでは、初めて開く地蔵 盆のために住民の方々が協力しお地蔵さまの絵を描き、それをお祀りしたという例もあり ました。大きさも様々で、小さくて美しいものから、華麗でありながら厨子の高さが2メ ートルを超える規模のものまであります。 Q:地蔵盆は子どものための行事だと聞いたことがあります。 A:そうですね。そもそもは子どものための行事でした。子どもがたくさんいて賑やかな町 内もあれば、最近では少子化の影響もあり、大人の方だけで地蔵盆を行っている町内もあ

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ります。 Q:地蔵盆ではどんなことをするんですか? A:数珠回しをしたり和尚さんのお説教を聞いたりします。そのあとにはお楽しみがたくさ んあります。福引きや紙芝居、人形劇やポケモンのゲームなどいろいろあるようです。昼 間はもちろん、夜も楽しみがいっぱいです。 『フゴオロシ』って知っていますか?『符号降ろし』が語源です。これはいわゆる福引き のようなものですね。通りをはさんで向いの家の2階から綱を張り、かごを吊り下げ、上 げ下ろしできるようにします。子どもたちは綱の下に集まってクジを引きます。何等賞か は書いていないクジをかごに乗せ、2階へと渡らせます。そこには係りの人がいてクジを 開合させ、該当する賞品をかごに入れて降ろします。最近では、自動車などの交通規制を しないとできないため、フゴオロシをやっている町内はめっきり少なくなりました。 Q:地蔵盆の変遷について知りたいのですが。 A:これは私も知りたいところです。特に、今の形の地蔵盆(町内を単位に行われる・子ど もを遊ばせたり、おやつをあげたりする・僧侶を招いて、読経や数珠廻し、過去帳改めを 行う)といった内容や、本来、8 月 24 日の縁日とその前日に行っていたものをいつ頃から、 休日に開くようになったのか、などです。一方で、余り古い歴史を調べて、現在と比較し てもあまり意味は無いと思います。特に「昔の、本来の形式に戻すべき」といったことは 不毛で無意味だと思います。今現在に生きている人と、その人々が担っている文化の実相 を大切にしてほしいと思います。 Q:最後に一言お願いします! A:今、地蔵盆は、どのような人が、どのような思いでどのように行っているのか、という 「実態」の把握が最も重要だと思います。地蔵盆が行われる理由やそれが担っている役割 というのは今と昔ではずいぶん変わってきています。地蔵盆を通じて、人々が実現しよう としている事柄は何か、また、未来の地蔵盆を通じて、京都のコミュニティは、どう変わ って行くのか、ということなどを地域の方々に返せると素晴らしい研究になると思います。 山田さん、ありがとうございました!

5.インタビュー② 北区役所まちづくり推進課

地蔵盆が昔から行われている伝統行事ですが、この行事に対し、行政はどのような関わ

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りを持っているのでしょうか。 そこで、疑問に思った私達は実際に京都市内の区役所へ行き、お話を聞いてきました。 お話を伺ったのは、京都市北区役所まちづくり推進課です。 Q.北区内では、いくつの地蔵盆が行われていますか。 A.地蔵盆は各町内会が独自に開いているお祭りですので、それは行政の管轄外ということ で、こちらでは把握しておりません。 Q.そうですか。では、地蔵盆に対して行政が何か対応しているのであれば、教えてくださ い。 A.あるとすれば、地蔵盆の際の道路使用許可くらいです。というのも、地蔵盆は昔から人々 の間で行われてきた行事で、宗教行事に変わりがありません。政教分離である以上、行政 として関わりたくても、他の宗教団体からクレームが来たりと、問題が起こってしまうん です。 Q.では、近年地蔵盆が地域の中で衰退しているといった現象が起こっていますが、それに 対して支援金を出したり、行司を保存する為の何かしらの手助けは、禁止されているとい うことでしょうか。 A.はい。残念ながら、そうですね。私自身、地蔵盆についてのお話はよく耳にします。町 内によって規模や内容が結構違っており、年々参加する子どもも減ってきているというこ と、また、せっかく 1 日のスケジュールを組んでも、おやつの時間は子ども達はたくさん 集まるものの、お経などの時間にはほとんど来てくれないなど・・・。宗教と文化の枠組 みが難しいところですね。 Q.そうですね、ありがとうございます。最後に、地蔵盆に対する思いがありましたら、ぜ ひ教えてください。 A.個人的には、地蔵盆という伝統行事は、関西地域でしか行われていない以上、民衆によ ってつくられてきたものです。現代には子どもが減り、地蔵盆を行う町内も減ってきてい ますが、続いてほしい行事です。行政として道路使用許可しか出すことができませんが、 ぜひ、これからも内容の濃い地蔵盆を、人々の手で継続していってほしいと思います。

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まちづくりの職員の方、ご協力、ありがとうございました。

6.インタビュー③ 矢田寺住職さん

実際に地蔵盆に参加している方のお話を聞くため、今回私たちは、矢田寺のご住職にイ ンタビューを行いました。矢田寺は京都の新京極の繁華街付近、三条通と寺町通の交差点 近くにあって、一般的には「矢田地蔵」の名で親しまれている西山浄土宗のお寺です。寺 伝によれば、承和12 年(845)、大和国(奈良県)矢田山金剛院の別院として創建され、初 め下京区矢田町にあり、天正7 年(1579)に現在の地に移ったと伝えられています。 この矢田寺の和尚さんは、23 歳のときに住職になって以来 37 年間(現在 60 歳!!)、 毎年、西は西洞院通から東は川端通にある32町もの町内で、地蔵盆のお経を読み続けて きました。37 年間、毎年地蔵盆に参加してきたということを聞いて、「矢田寺のご住職なら、 昔の地蔵盆から最近の地蔵盆までを知っているし、地蔵盆の変化がわかるはず!」という 思いで、インタビューに臨みました。 Q.昔と比べて、地蔵盆に参加する子どもはどう変化していますか。 A.地蔵盆に参加する子どもの数は減っています。少子化の影響で、子どもの数そのもの

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が減少していますね。さらに、昔と比べると、碁盤の目の中に住む人が少なくなり、郊外 に移り住む人が増えました。このような町の中心部の過疎化にともなって子どもが減り、 お年寄りばかりの町内が増えています。(しかし、最近では町の中心部に大きなマンション が建ち、急に子どもの数が増えるという町内もあり。) Q.子どもの様子などには変化はありましたか。 A.昔と比べて、最近の子どもが変わったというのではなく、子どもたちの周りの環境が かわったなぁと感じます。私たちが子どもだった頃は、地蔵盆といえば夏の一大イベント で、子どもも大人も楽しみにしていました。しかし、最近は子どもにとっての楽しみは地 蔵盆だけではなくなり、ゲームやテレビ、お菓子などほかにもたくさんのものが手に入る ようになりました。だから、地蔵盆に対する期待やわくわくは少なくなったのではないか な…。 Q.昔と比べて、地蔵盆の内容には変化がありましたか。 A.最近では、地蔵盆で数珠回しをやっている町内が少なくなっていますが、私がまわっ ている町内では数珠回しも行なっていますよ。あと、私がまわっている町内ではお説教(和 尚さんからのお話)もしています。地蔵盆は宗教行事なので、地蔵信仰を広めるために布 教をしていかなくてはなりません。そのためにも、お地蔵さまのことを少しでも多くの人 に知ってもらおう、一つでも子どもたちのためになる話をしようと思い、地蔵盆でお説教 をしています。 Q.地蔵盆にする地域の人の思いというのはどうですか。 A.地蔵盆を1つの町内の大切な行事として守っていかないと!!という思いの反面、町 内としてやっておかないと…というようなイヤイヤやっている町内もあります。 Q.和尚さんにとって地蔵盆とは何ですか。 A.地蔵盆は1つの文化です。矢田寺 の住職として、この伝統的な行事を1 つの文化として守っていかなくてはな らないという使命感を持っています。 少子化や子どもたちを取り巻く環境の 変化の影響で、地蔵盆の価値が下がっ てきたという現状を目の当たりにして、 この文化が廃れる、失われてしまうこ とを非常に危惧しています。

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そもそも、地蔵盆とは地域の人々が一斉に集い、みんなの無病息災を願うという宗教行 事です。しかし、このような宗教的な意味合いだけでなく、数珠回しによく表れているよ うに、1つの数珠でみんながつながることは「仏の前ではみな平等」といった象徴的も意 味が含まれています。このように、地蔵盆はいろいろな意味を持つ重要な文化なのです。 この文化を継続させていくためには、地域だけで閉ざしてしまうのではなく、観光客や海 外の人などにも開いていかなくてはならないと思います。 今回のインタビューで、住職さんは1時間以上にわたって私たちの質問に真剣に答えて いただきました。上記に取り上げてあること以外にも、日本最古のお地蔵さまのお話や、 地蔵盆の由来について、さらに、矢田寺内にある「矢田地蔵縁起絵巻」の模写も見せてい ただきました。

7.まとめ

「地蔵盆のお宝性は、地域コミュニティーをつなぐことにあるだろう!」と結論を予想 してから、この「京のお宝」探しは始まりました。しかし、実際にフィールドワークに出 かけて、地蔵盆にかかわっている人へのインタビューを行ううちに、地蔵盆のお宝性とい うのは地域をつなぐことだけにあるのではないということに気がつきました。 年に1度、町内ごとに集まって行われる地蔵盆は、その地域の人々の交流の機会となる 大切な行事だと思います。地蔵盆をきっかけとしてご近所同士が仲良くなり、地域の結束 も生まれると思います。このような地域コミュニティーから見た地蔵盆の働きは、現代の 社会にとっては大切なことであって、「お宝」と呼ぶことができるでしょう。しかし、地蔵 盆は単なる宗教行事というだけではなく、立派な1つの文化なのです。今回の調べ学習で わかったように、地蔵信仰には多くの歴史があり、地蔵盆にもまた歴史があります。地蔵 盆は伝統的な文化としての価値があり、地蔵盆が文化として受け継がれてきたことにこそ、 「京のお宝」としての価値があると結論づけました。 この結論を受けて、21世紀に生きる私たちは、この地蔵盆という伝統的な行事を、1 つの文化として守っていかなくてはならないと考えます。近年、少子化や社会の変化の影 響を受けて、地蔵盆の価値が下がり、1つの文化が失われつつあります。この文化を継続 させていくためには、地域の中だけで閉ざしてしまってはいけないと思います。地蔵盆と いう文化を守っていくためには、日本全国からの旅行客や観光客、海外の人に対しても、 地蔵盆を開いていく必要があるのではないでしょうか。地元の運営者・参加者のみで行う 内輪的なお祭りに留めるのではなく、地域の枠を超えて観光客の人々にも見て、体験して、

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感じてもらう。そういった交わりによって、より多くの人に地蔵盆を知ってもらい、地元 の人々にとっても、京都が誇れるような重要な文化として地蔵盆を見直すきっかけになる と思います。 京のお宝―「地蔵盆」。観光都市「京都」であるからこそ、ウチとソトが交わる地蔵盆が 可能であり、お宝性があるのではないでしょうか。

8.感想

舩越香織 私たちのグループが、「地蔵盆」というテーマを設定したのには他にも理由がありました。 いくつかのテーマで迷っているときに、「地蔵盆のお宝性は、地域コミュニティーにあるか ら簡単そう!」という意見が出たからです。私たちは、結論を先に考えてからテーマを考 える、という楽ちんな方法を取りました(取ったつもりでした)。初めは、「地域コミュニ ティーの結束」という地蔵盆のお宝性にどうしたらたどり着けるのか?とそればかり考え ていました。そのため、基礎知識と思って調べていた地蔵信仰の歴史や地蔵盆の内容が、 地域コミュニティーとどうつながっていくのか?ともやもやした疑問を持ちながらのスタ ートとなりました。文献調べを一通り終え、「さぁ!フィールドワークに行こう!」となっ た時も、誰にインタビューすればいいのか?お地蔵さまを調査したらよいのだろうか?そ れをどう地域コミュニティーとつながるのか?というように、地蔵盆へのアプローチの方 法がなかなかつかめずにいました。そのような状況の中で、歩いて暮らせるまちづくり推 進会議の山田章博さんに出会ったのです。山田さんは私たちにとても協力してくれて、た くさんお話を聞くことができました。地蔵盆の推移や地蔵盆の現状、お地蔵さまの価値、 町内ごとの特色、などさまざまな側面から地蔵盆を知ることができました。山田さんの調 査結果やお話を聞くうちに、地蔵盆のお宝性は地域コミュニティーにだけあるのではない ということに気がつきました。このように、実際にフィールドに出て、見たり、聞いたり、 体験することで、新たな発見が生まれるのだと思います。この調べ学習を通して、「体験」 することの大切さ、そして「気づき」の大切さを実感しました。 今回、私たちは総合演習という名の「総合的学習」を体験しました。この総合演習は、他 の授業に比べると発表や課題が多く、アポ取りをしたり、インタビューに行ったり、グル ープで集まって会議をしたりと、本当に大変な授業でした。しかし、体験することの重要 性や、グループ学習の利点や困難さ、自分自身で発見することの意味など、多くのことを 学ぶことができました。「総合的学習」を身をもって体験したことで、これからの「総合的 学習」を考えるよい契機になったと思います。

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安淑圭 京のお宝探しということで、私たちの班は地蔵盆について調べることにした。まず、 京都生まれ京都育ちの私にとっては、道端にお地蔵さまがたっているという風景は普通の ことで、お地蔵さまが京都特有のものであると知ったことが驚きだった。そして私の町内 でも毎年行われていた地蔵盆は、そういえばただの焼肉パーティーだったことを思い出し 少し笑った。地蔵盆はそもそも子どもの成長や安全を願った宗教的側面を持つ行事で、そ の地域によっても内容が異なる。当初、うちの町内の地蔵盆は地蔵盆としての意味を失っ ている、行っていた意味はあるのか、と疑問に思っていた。しかし、地蔵盆が行われる意 義というのが時代とともに変わってきているということを知った。子どもの無病息災を願 うということから、次第に、地域コミュニティーの要素が含まれるようになった。あ!う ちの町内の地蔵盆はとても進化した形で、地域のコミュニティーを深めるためにあったん や。少し嬉しくなった。 正直、私個人としては地蔵盆から深い意味としてのお宝性を見出すことについては不完 全燃焼のまま終わってしまった。時間さえあればもっとフィールドワークに行き、地蔵盆 からお宝性を見出せたかもしれない。余りに忙しすぎたため、インタビューに行けなかっ たり、話し合いに参加できなかったり・・・班のメンバー2人には本当に感謝している。 心を失うと書いて忙しいと読む。この間私は心を失ってしまう程のスケジュールだったの で、今後見直さなければと反省した。京のお宝とは話しが全然違い、脱線してしまったけ れども、この総合演習で私は何か大切なものに気づけた気がする。でも、“総合演習”だか ら、むしろそれでもアリな気がする。総合の時間でも、生徒たちが何かに取り組む事によ って、調べた内容に感動するのもよし、グループの仲間に感謝するのもよし、自分に気づ くのもよしだと思う。他の教科では学ぶ事の出来ない何かを経験することが大切なんだと 思った。 橋本奈央 「多くの思いが詰まったお祭り」 これが、私がこの地蔵盆を通して強く感じたことです。町内の主催者、子ども、住職さ ん、行政の方と、それぞれ地蔵盆に対して抱く思いは、様々なものでした。彼らの話を、 実際に足に運んで聞くことによって、インターネットや本だけでは絶対に分からないよう なことまで、知ることができました。例えば、江戸時代に町が火に覆われたとき、ある人 は「絶対に守らなきゃいけない 1 番のもの」として、家具やお金よりもまず地蔵盆のお地 蔵様を持ち出したそうです。命の次に大事というくらい、町の人にとってはそれくらいお 地蔵様が貴重な存在だったのです。この話を聞いたとき、私はそれまで遠くに感じていた 地蔵盆の歴史性が一気に身近なものになり、実感を伴った理解をすることができました。 私達自身も、昔の人が大事に守ってきた「地蔵盆」という歴史の流れの上に、確実にたっ

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ていたのです。 地蔵盆は民衆に根付いた宗教文化であり、場所によって内容がそれぞれ異なります。そ のためか、あまり資料としてはの壊れていないのではないでしょうか。「京のお宝」という と、お寺や神社など、全国的に有名な特産物や建築物に目がいきがちです。しかし、あま りこれまで表舞台に出てこなかったものにも、京都に長く続いた歴史があり、そこにこそ、 京都を作り上げてきた民衆の思いがギュッと詰まっているのだと思います。 今回総合演習ということで、実際に調査をしてきました。このレポートを作るうえで感 じた「おもしろさ」を忘れずに、教師になったときに生かしていけたらと思います。 <参考資料> ・竹村俊則『京のお地蔵さん』 京都新聞出版センター 2005 ・林英一『地蔵盆-受容と展開の様式』 初芝文庫 1997 ・『子育ての町・伏見―酒蔵と地蔵盆』 都市文化社 1987

参照

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