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中央学術研究所紀要 第29号 002眞田芳憲「イスラームとイスラーム社会の構成原理」

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特別講演録

イスラームとイスラーム社会の構成原理

︵一︶

員田芳憲

2 本年は、中央学術研究所設立三十周年という記念すべき節目の年を迎え、まことに目出たく、多年この研究所を 育ててこられた庭野日鍍会長先生、酒井教雄理事長さんをはじめ、歴代の研究所長や教団の関係者各位に対し、講 師の先生方とともどもにお慶び申しあげたいと思う。併せて、このような記念すべき時に講演の機会をいただいた ことは、まことに光栄であり、神仏のおはからいに感謝申しあげるものである。 わが国では、イスラームあるいはイスラーム社会というものに対して、どのようなイメージが抱かれているかと いうと、例えば宗教上の禁忌として豚肉を食べないとか、お酒を飲まない、あるいは女性がへジャブと呼ばれるス カーフで顔を隠すとか、さらにはまた一夫多妻制という女性の人権無視の制度がとられているということから、宗 教で社会が縛りつけられている前近代的な社会とか、宗教によって個人の自由が奪われている暗い社会といったイ メージが、わが国の人びとの間では強いのではないかと思う。 最近、幸いテレビや新聞等々のマスコミにおいて、イスラームについての啓蒙記事や情報が提供され、われわれ

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アッラー︵同 ムスリムとは アッラー︵創 ︵サーラム余 の蒙も啓かれてきているように思われるが、依然として誤解あるいは偏見等々がなきにしもあらずという印象を、 私自身拭い切れないものがある。 このような誤解や偏見について論じる前に、﹁イスラームとは何か﹂ということを梗概しておくことにする。イ スラミックセンター・ジャパンの機関誌﹃アッサラーム﹄の表紙の扉に﹁イスラーム﹂という宗教についての簡潔 にして明快な説明が記されている。この説明に依拠して若干の解説を加えることにする。 信仰箇条 ムスリムは以下の六箇条堂堂け入れる。 一、アッラー以外には神はいない・ 二、ムスリムはアッラーからのすべての啓典を信じ、聖クルァーンが最後の啓典であることを信じる。 三、ムスリムはアッラーからのすべての預言者を認める。預言者の巾にはアブラハム、モーゼ、イエス、ムハ アッラー︵創造主︶ イスラームとは イ ス ラ ー ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理 ンマドが含まれる。 ︵創造主︶ ︵平和︶ のご意志に従う者。 とはⅡ筆者による挿入︶ のご意志に従うこと、 3

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五、一生に一同以上のマッカ巡礼。 ︵健康、経済などの条件が許す場合︶︵ ムスリムは預言者ムハンマドを崇拝しない。 崇拝の対象はアッラーだけである。 ムスリムは、アッラーが創造世界の何ものとも似ていないことを信じる。 四、ラマダーン月の断食。 二、一日五回の定時礼拝。 一、アッラーが唯一の神であり、ムハンマドがアッラーの使者であることを言明すること。 イスラームの五柱 先ず冒頭に、﹁イスラームとは、アッラー︵創造主︶のご意志に従うこと﹂﹁ムスリムとは、アッラー︵創始者︶ のご意志に従う者﹂と記されている。﹁創造主﹂とは、﹁万有の主﹂︵ラップ︶とも言われる。森羅万象をことごと 六 五 四 、、、 一一、ザカート︵施し︶。 ムスリムは天使たちが、アッラーの命令のもとで、種々の働きを行うことを信じる。 ムスリムは復活の日、審判の日、死後の生命を信じる。 ムスリムはアッラーの定めを信じる。 4

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く創造された方であるから、森羅万象の一切のものの所有者である。一切のものの所有者であるということは、そ の一切のものを自由に使用し、自由に処理することができるということである。これを人間と神との関係でみると、 人間は神によって創られたものであるから、神は人間を自由に使用し、処理することができ、他方、人間は、主人 と奴隷との関係のように、神に対しては絶対的に服従しなければならないということになる。ここで言う﹁神のご 意志に従う﹂ということは、神に対して一切の言い訳もせず、どんなことでも無条件に絶対的に従うということで このことを端的に示しているのが、ムスリムの命名の仕方である。岩波書店の﹃西洋人名辞典﹄︵一九八一年︶ を見ると、例えばアブドゥッラー・ピン・サバー、アブドゥッラー・ピン・マスウード、アブドゥル・アズィーズ といった名前が出てくる。アブドゥッラーの﹁アブド﹂︵geとはアラビア語では﹁奴隷﹂という意味である。﹁ピ ン﹂は﹁息子﹂という意味であるから、﹁アッラーの奴隷にしてサバーの息子﹂ということになる。このように子 供の命名の仕方の中に﹁神の奴隷﹂として、日々の生活を含めて一生涯、ひたすら無条件に神の道に歩むという人 びとの願いがこめられているのであって、ここにムスリムは神に対して絶対服従して生きるというムスリムの信仰 観や人生観を看取することができるであろう。 次に、﹁ムスリムとはアッラーのご意志に従う者﹂ということの意味に移ることにする。その場合に、﹃アッサラ ーム﹂の扉には記されていない﹁サラーム﹂︵平和︶という一一一一口葉もあわせて説明することにする。イスラーム︵匡冒︶ とムスリム︵冒昌目︶とサラーム︵留両目︶という一一一つの言葉は、いずれも同じ一つの語根留巨から出ている共 通の言葉で、相互に密接な内的関係を持っているからである。 ムスリムとは、﹁イスラーム、すなわち神の意志に対して絶対的に無条件に従う者﹂ということになる。﹁サラー ある。 5 イ ス ラ ー ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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6 ム﹂というのは﹁平和﹂という意味である。イスラーム的文脈で言えば、﹁平和﹂というのは、神の道に対して絶 対的に服従する生活を行なうことによって生じてくるムスリム各個の内面的な平和はもとより、ムスリム共同体の 公的な環境における平安・繁栄・平和な状況を﹁サラーム﹂ということになる。 次に、﹁信仰箇条﹂︵昌己島︶として﹁ムスリムは以下の六箇条を一堂け入れる﹂とある。これは、いわゆる﹁六信 五行﹂と呼ばれているものの﹁六信﹂である。六信五行の﹁信﹂︵・目目︶とは信仰の内的・精神的側面であり、イ スラームの信仰の礎をなすものである。 六信の第一は、﹁アッラー以外に神はない。﹂アッラー︵ど]豊︶という唯一神に対する信仰告白であって、唯一 神アッラーに絶対服従するということである。 第二は、﹁ムスリムはアッラーからのすべての啓典を信じ、聖クルァーンが最後の啓典であることを信じる﹂と いうことである。ここで重要であるのは、﹁すべての啓典を信じる﹂ことである。いわゆる啓典︵︻昌弓︶はクルア ーン︵コーラン︶だけではない。ユダヤ教のトーラ︵律法の書、キリスト教でいう旧約聖書︶、キリスト教のイン ジール︵福音の害、新約聖書︶もそうした啓典の中に入るのであって、それらをすべて信じるということである。 ムスリムであるから、イスラームのクルァーンしか信じないということでは決してない。ムスリムは、唯一神から 下された啓典である以上、いかなる啓典であってもすべて信じなければならないのである。 第三は、﹁ムスリムはアッラーからのすべての預言者を認める。預一一一一両者の中にはアブラハム、モーゼ、イエス、 ムハンマドが含まれる﹂ということである。厳格に一一一一口えば、数多く存在した預言者の巾でも、アーダム︵アダム︶、 ヌーフ︵ノア︶、イブラーヒーム︵アブラハム︶、ムーサー︵モーゼ︶、イーサー︵イエズス︶、ムハンマド、この六 人の預言者を特に重要な預言者︵冒呂一︶として信じるということである。これまた、イスラームであるから、預言

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「 ス ラ 者はムハンマドしか認めないという固定した独断的態度をとらないc 以上の第一一と第三からも明らかなように、イスラームはユダヤ教やキリスト教といった他の一神教も肯定的に是 認しているのである。ここに、諸宗教共同体の共存共生が神学的にも実践倫理的にも肯定されることになる。 第四に、﹁ムスリムは、天使たちがアッラーの命令のもとで種々の働きを行うことを信じる﹂とある。数ある天 使︵冒可旨︶の中でとりわけ高い地位にあるのがジブリール︵ガブリエル︶で、彼はアッラーのメッセージを地 上の預言者たちに伝える伝達者の役割を果たしている。 第五は、﹁ムスリムは、復活の日、審判のH、死後の生命を信じる﹂ということ、すなわち来世︵域唇冒匡を信 じるということである。ムスリムにとって、現世は来世のための仮の宿であって、来世こそが重要なのである。 第六は、﹁ムスリムはアッラーの定めを信じる﹂、すなわち天命︵白目胃︶を信じるということである。 ムスリムは、この六つを先ず信じなければならない。 次に、﹁イスラームの五柱一であるが、これは五行とも呼ばれるものであって、イバダード︵ざ目習︶、すなわち この五つの行の第一は、﹁アッラーが唯一の神であり、ムハンマドがアッラーの使者であることを言明すること﹂、 すなわち信仰告白︵い︸]号且号︶である。 第二は、一日五回の定時礼拝︵囲冒︶である。ムハンマドは﹁礼拝こそ宗教の柱である﹂と教えている。 第三は、ザカート︵施し︶、すなわち喜捨︵昌国︶である。厳格に言うと、ザカートは義務的な慈善で、毎年の 終わりに各人の収入資産と貯蓄に課せられる一種の救貧税である。施しは、いろいろな名称で呼ばれるが、例えば その一つにサダカ︵や農且号︶がある。これはいずれの名称で呼ばれるにしても、随意の自発的な慈善であって、7 次に、|イスラームの五柱﹂ 実践の行に関するものである。 ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 即

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その意味でザカートとは異なる。8

第四は、ラマダーンの月の断食︵思乏日︶である。 第五は、一生に一回以上のマッヵ︵メッカ︶巡礼︵亘二である。 以上が、﹁六信五行﹂と呼ばれているものである。 なお、付言すると、最後に﹁ムスリムは預言者ムハンマドを崇拝しない﹂と記されている文章は注目に値する。 他の諸宗教に見られる﹁聖人崇拝﹂という信仰形態と比較すると、これは人びとに奇異感を与えるであろう。しか し、イスラームの立場では、ムハンマドは人間以外のなにものでもなく、神の子イエズスという考え方をとらない。 したがって、キリスト教の三位一体説を否認する。人間はあくまで人間であって、神ではなく、したがって崇拝の 対象とはなりえない。崇拝の対象たるものはアッラーだけであるという考え方に立つ。ここに唯一神崇拝の徹底し た形が現われている。 ァに広がり、宗教人口は六億人いるといわれる。唯一神アラーの言行録からなる聖典コーランの教えをもとに、 |まず、イスラム教から説明すると、六一○年にムハンマドが創始した。中東からアフリカ北部、東南アジ り イスラームについてのごく簡単な原理的理解を一応の前提とした上で、朝H新聞の記事コからわかるイスラム 原理主義﹂︵一九九九年九月二五且を一つの素材として、わが国におけるイスラーム理解の不正確さ、さらには 誤解といったものの例証として取り上げ、それを通してイスラーム理解をさらに深めてみることにする。この記事 はかなり長文であるので、そのうちの一部分のみを紹介するにとどめざるをえない。

①②

= =

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戸外で女性はスカーフやマントを着用しなければならないとか、豚肉を食べない、断食の月があるなどの厳し い規律がある。教義の違いなどからスンニ派やシーア派などの宗派がある。しかし、﹁原理主義﹂はそうした 宗派とは違う。近現代になって、過激なイスラム教組織の活動と結び付けられて、そう呼ばれるようになった。 り ム 社 会 の 構 成 原 理 ス ラ とって、邪悪の基は伝統を壊した西欧文明で、イスラム独自の法に基づく国家を理想としている。﹂ 先ず第一に、傍線を付した①の﹁イスラム教﹂についてである。学者によっては、イスラーム学者でも﹁イスラ ーム教﹂という言葉を使うものがいないわけでもない。しかし、おそらく﹁イスラーム﹂という言葉が一般に多く 使われていると言ってよいであろう。イスラーム教と関連して﹁回教﹂とか﹁マホメット教﹂という言葉もあるが、 今日ではもはや﹁回教﹂あるいは﹁マホメット教﹂というような言葉は、ごく例外があるにしても、ほとんど用い られていない。用いること自体が、イスラームについての無知の告白以外のなにものでもない。イスラームという のは、先にも述べたように、﹁唯一神に対して絶対的に服従する﹂という意味であるから、﹁イスラーム﹂という言

葉の中にすでに教えの内容が入っていることになる。9

中東などのイスラム教の地域は、西欧のような近代化を目指す中で、伝統社会が崩れ、貧富の差が広がるな ど不平等が急速に広がった。それに矛盾を感じる人々は、根本にあるイスラム教にこだわり、イスラム教の教 義に基づいた社会経済の復興を目指すようになった。西欧型の近代化を否定し、中には暴力をもって政府に対 抗する勢力も出てきた。 イスラム教徒はイスラムの領域を広げ、守る闘いを﹁聖戦︵ジハード︶﹂と呼んでいる。コーランには社会 , 的不平等をただし、邪悪を排した共同体が人類最善のものとして描かれている。イスラム復興を目指す運動に イ ス ラ ー ム と ︵中略︶

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10 仏教であれば仏陀の説いた教え、ユダヤ教であればユダヤ人という民族の宗教、キリスト教といえばイエズス・ キリストの説いた教えということになるが、イスラームという場合には、イスラームという言葉の中にすでにその 教えの核心となる内容が入っており、したがって﹁イスラームの教え﹂という意味での﹁イスラーム教﹂では言葉 が重畳することから、一般に単に﹁イスラーム﹂という用語が使われることになっているのである。 それから、﹁マホメット教﹂という用語であるが、これは最近、幸いにしてあまりお目にかからなくなっている︹ すでに述べたように、﹁ムスリムは預言者ムハンマドを崇拝しない﹂。ムスリムは、ムハンマドを尊敬あるいは畏敬 はしても、神として、あるいは神の子として崇拝するようなことはしない。いかなる意味においても、ムハンマド を信仰の対象としないのであるから、﹁マホメット教﹂という言葉自身が成立する余地はない。 また﹁回教﹂は、中国の同族︵ホィッー︶の宗教という意味である。現在、中国には、ムスリム系の少数民族の 総人口は約千七百万人、そのうち凹族が最も多くて八百六十万人で、次がウイグル族で七百二十一万人と言われて いる。回教とは﹁回族の宗教﹂ということであるのに、日本には﹁イスラーム﹂を表わす言葉として入ってきてい る。しかし、イスラームの考え方からいくと、唯一神アッラーを信じる者は、すべてがムスリムであって、極端な 言い方をすれば、先ほどのイスラームの五行の第一の、﹁アッラーが唯一の神であり、ムハンマドがアッラーの使 者であることを言明する﹂ということを口にすれば、民族のいかんを問わず、国籍のいかんを問わず、肌の黒・白 .黄色のいかんを問わず、すべての人がムスリムとなることができるわけで、その者の所属する民族とは一切関係 はない。そういう意味で、イスラームを﹁回教﹂と呼ぶのもこれまた正しい表現ではないということになる。 次に、②の﹁ムハンマドが創始した﹂という言葉である。たしかに、ムハンマドは六一○年のある日、唯一神ア ッラーの啓示を受けて、自ら神の使徒としての自覚を抱き、最後の審判の日に備えるように人びとに警告を与えた。

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イ ス ラ この神の啓示は、ムハンマドの死に至るまでの二十三年間彼に下がり続け、彼の死後にこれが一冊の啓典にまとめ られることになる。これが﹁クルアーン﹂と称されているものである。したがって、歴史的にはイスラームは六一 ○年にムハンマドによって創唱されたと言えないわけではない。 しかし、クルアーンに記され、そしてムスリムが信じる信仰の立場からすると、イスラームは六一○年に始まっ たのではない。純正な唯一神の信仰、すなわちアラビア語でいう﹁イスラーム﹂は天地創造以前から厳として存在 しているのである。したがって、唯一神に対する絶対的服従という意味での﹁純正な宗教﹂の最初の信奉者は、決 してムハンマドではなかった。すでに﹁多くの人びとの父﹂とも﹁信仰の父﹂とも讃えられるイブラーヒーム︵ア ブラハム︶がその長い預言者の歴史の中で﹁純止な宗教﹂の敬神の人として位置づけられていた。ムハンマドは一 つの新しい宗教を創唱しようと考えたのではない。むしろ、イブラーヒームに体現された﹁純正な宗教﹂を再び昔 日の本源的な姿に復活させようというのが、彼の願いであった。イスラームは、純正な絶対的一神教に回帰すべき であるとするムハンマドの宗教改革によってもたらされた教えであって、まさしくイブラーヒームの宗教を復興す ること以外のなにものでもなかった。イスラームが﹁イブラーヒームの宗教﹂と呼ばれる所以がここにある。 それから、③の﹁唯一神アラーの言行録からなる聖典コーラン﹂という文言は明らかに誤りであろう。すでに述 べたように、クルアーンはムハンマドに下った神の啓示を一冊の書物にまとめたものであるが、ここに書かれてあ る﹁言行録﹂というのは、ムハンマドの言行録と混同をしているように思われる。アラビア語で﹁ハディース﹂と 呼ばれる﹁ムハンマドの言行録﹂は、文字通りムハンマドの言ったこと.行なったこと・黙認したことを記録した ものであるが、このムハンマドの言ったこと.行なったこと・黙認したことが﹁スンナ﹂と呼ばれ、後に述べるよ うに、イスラーム法上クルアーンと並んで法判断の究極の根源的法源と位置づけられているものである。 11 一 ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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イスラームの考え方によれば、敵から攻められた場合については自衛のために闘うことができるが、ムスリムの 方からの侵略戦争はできない。侵略戦争は、クルァーンによって厳しく禁止されている︵二・一九○︶。敵がイス ラーム共同体を攻めてきた場合には、ムスリムのアイデンティティの場であるイスラーム共同体︵ウンマ・イスラ ーミーヤ︶を守らなければならない。それこそ、神の道に奮闘努力するわけであるから、これがジハードというこ ④と⑤は、逆にして、⑤から説明することにする。⑤はジハードの問題であるが、ジハードもずいぶん誤解され ている言葉である。そもそもイスラームにおいて﹁平和﹂︵サラーム︶とは何か。イスラームの立場に立てば、家 庭が不和であるとか、社会に紛争がある、あるいはまた国家間において戦争があるということは、そもそも人間が イスラームの道から逸脱しているからである。すなわち、神に対する絶対的服従の生活をしていない、日々の生活 で神の道を歩んでいないところに不和や紛争や戦争が発生するのである。したがって、平和を求めるならば、なに よりも神の道を歩まなければならないということになる。 こうした神の道に努力するという言葉の動詞が﹁ジャーハダ﹂であって、この動詞から派生した名詞が﹁ジハー ド﹂である。したがって、ジハードは﹁神の道に奮闘努力すること﹂である。﹁ジハード﹂は西洋で罵琶。ご乏臼爵、 わが国では﹁聖戦﹂と訳されているが、厳格に言えばそれは誤訳ということになる。家庭・社会・国家・世界にお ける混乱や紛争や戦いをなくし、平和を確立するためには、人びとは神の道に歩まなければならない。すなわち人 びとはジハードしなければならないということになる。したがって、ジハードは、単純に﹁戦争﹂というような意 味ではないのである。 最後に④について、ムスリムがイスラーム世界の自らの近代化についてどのように考えているのか、三人の人物 12 −ミーヤ︶を守響ら坐 とになるので江ある。

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次のように述べている。 このように、ヤマニーは、イスラームの伝統社会の崩壊は、イスラームから逸脱したムスリム自身の中にも一半 の責任があると強調してやまないのである。 の見解を紹介しておくことにする。先ず、その一人、サウディァラビァの石油大臣であったA・Z・ヤマーーーは、 ﹁ムスリム世界およびアラブ世界において社会主義が僚原の火のごとく広まっている事実について、これは、 この世界における西洋の帝国主義的支配の中で西洋がとってきたイスラームの伝統に対する敵対的行動の直接 の結果であるとして、西洋を批判し、責任はすべて西洋にあるとするのが、今日の一般的な風潮となっている。 私とて、かの十字軍を擁してこの地域に蛸集し、歴史的な衝撃を加えた寛容の心を欠くキリスト教徒の行動と、 その後これが結果的には水泡に帰したという事実が、イスラームの伝統を侵触する西洋の行動となんらかの関 係があることを否定するものではない。しかしながら、ひとり西洋のみがわれわれの欲求不満をかきたてる疎 外感の唯一無二の原因であるという主張は、正しい主張というわけにいかない・ イスラーム世界の内部をみると、その責任はムスリム自らが負わねばならないのであって、ムスリム自身が その責任を共に分かち合うべきものなのである。西洋と接触する幾世紀も前から、一つの反動的な運動が起こ っていたのであり、あの精綴にしてダイナミックな知的潮流は、イジュティハード︵自由な学的努力︶の扉が 閉ざされた後、突如としてその流れをとめてしまったのである。⋮⋮。そのうえ、宗教を抑圧の道具として利 用する現象がどこにでも広く見られるようになり、ムスリムの支配者たちは、歴史のさまざまな時期において こうした現象を完膚なきまでに利用してきたのである。﹂︵A・Z・ヤマニー︵員田芳憲訳︶﹃イスラーム法と 現代の諸問題壱 13 イ ス ラ ー ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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、とjpとユ々 べている。 もう一人は、パキスタンの建国に参画し、パキスタンのイスラーム再建省の大臣を経歴して、その後パキスタン の国連全権大使に任じられ、国際外交の面で﹁イスラームの大使﹂と称されたムハンマド・アサドである。彼はも ともとユダヤ教徒正統派のラビの家庭に生まれ、青年に至りムスリムに改宗した人である。アサドは次のように述 1 4 一⋮⋮この一般的西欧人の見解が全く歪んでいることを、私は注意深い観察で確認した。私がクルアーンの 頁に見たものは物質的な宇宙観ではない。全く逆に、強烈な神の意識であり、神の創造による全宇宙の知的お よび合理的認識が要求されていることである。知性と肉体、精神面の要求と社会的必要が手を取り合う調和の 世界。ムスリムの衰退は、イスラームの欠点からではなく、それを実践しないムスリム自身の失敗によるもの である。⋮.:ムスリムがイスラームを高貴にしたのではない。イスラームがムスリムを偉大にしたのだ。だが、 時とともに信仰が習慣となり、未来へ向かって推し進められるべき人生と社会のプログラムであることを止め たときから、彼らの文明の原動力は失われ、創造的衝動は影をひそめ、怠惰と硬化と文化的衰退に侵されてい ったのである。﹂︵ムハンマド・アサド︵アサド・クルバンアリー訳︶﹃メッカへの道﹂︶ アサドも、イスラーム世界の政治的・文化的衰退は、ムスリムがイスラームの原初の目的を実現しようとする努 力を自ら放棄し、イスラームから逸脱した思考様式や生活様式に堕ったところに起因すると強調し、ムスリムに厳 しい自己批判を求めているのである。 最後のユースム・アルⅡカラダーウィーは、二十世紀半ばにイスラーム復興運動の母体となったムスリム同胞団 に身を投じ、ナセル・エジプト大統領と訣別し、投獄された後国外追放されたイスラーム法学者であるが、現在、 アラブ世界で最も人気のある学者として広く知られている人物である.彼は、朝日新聞中東アフリカ総局長・定森

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大治氏のインターヴューの中で、﹁イスラム運動は原理主義だとか復興主義、反体制という印象を与えています。 エジプトではいまだに非合法組織であるムスリム同胞団の指導者だったあなたのスローガンは何でしょうか﹂とい う質問に対して、次のように答えている。 ﹁イスラムの覚醒です。それも過去にしがみつくのではなく、近代化に沿った形でイスラム共同体を広げる のが目的です。︵政教分離の︶世俗主義を排した民族主義的なイスラム運動でもある。そのためには政権と民 衆の間の溝を、それぞれが暴力に訴えるという破壊ではなく、対話による建設的な手段で埋めなくてはならな い。そうした運動に対する警戒心がイスラム世界の政権内部にもあるのは、嘆かわしい。﹂︵﹁朝日新聞﹂二○ ○○年四月二九日﹁新世紀を語る⑤﹂︶ ヤマニーにしてもアサドにしても、そしてまたカラダーウィーにしてもこの三者に共通しているのは、イスラー ム世界の近代化が西洋的近代化を志向するのではなく、﹁イスラームヘの覚醒﹂そのものに向けられねばならない としている点にある。こうしたことを考えると、この三人のムスリムの指導者の主張と朝日新聞の④の論評との懸 隔は、どのように把握されるべきなのであろうか。われわれに重要な情報を提供してくれるはずの新聞といえども、 必ずしも正確な知識や情報を提供してくれているとは限らないのである。 中東世界の宗教の歴史は、啓示の歴史とも、預言者の歴史とも言われる。預言者とは、文字通り神の啓示を預か るものであり、預言者の数は約十二万四千人とも伝えられている。その中で、神の啓示を人びとに伝え、それを通 して人びとを正しい道に導いた預言者を特に﹁使徒﹂と称して、預言者にして使徒たる者の数は三百十三人、また 言 一 、 一 〆 15 イ ス ラ ー ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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16 は三百十五人とも言われている。 イスラームの聖典クルァーンには、二十五人の預言者が記されている。すでに述べたように、その中でも、とり わけアーダム︵アダム︶、ヌーフ︵ノア︶、イブラーヒーム︵アブラハム︶、ムーサー︵モーゼ︶、イーサー︵イエズ ス︶、そしてムハンマドの六人が志操堅固な使徒として他の預言者と区別されている。このように地上に現われた 数多くの預言者たちについて、クルァーンには次のように記している。 ﹁本当にわれは、各々の民に一人の使徒を遣わした﹂︵一六・三六︶。預言者とは、すべて同じ神である唯一神か ら神の意志をその時代、その社会にふさわしい形で人びとに伝える人物としてこの地上に遣わされた人びとであっ た。これらの預言者を通して、同じ唯一神からその時代、その社会にふさわしい啓示を受けとった人びとが、その 預言者を中心として一つの宗教共同体をつくっていった。例えば、神の啓示をモーゼ︵ムーサー︶を通してヘブラ ィ語やアラブ語で﹁トーラ﹂︵律法の害、旧約聖書︶という形式で受け取った人びとがユダヤ教徒であり、イエズ スを通してギリシア語で﹁インジール﹂︵福音の書、新約聖書︶として一堂け取った人びとがキリスト教徒である。 同様に、ムハンマドを通してアラビア語で﹁クルァーン﹂という形式で受け取った人びとがイスラームを信ずる人 びと、すなわちムスリムである。そして、こうしたムスリムの共同体が﹁ウンマ﹂と呼ばれたのであった。 それ故、ユダヤ教、キリスト教、イスラームはともに姉妹宗教と呼ばれ、その余の異教徒とは区別される。事実、 ムスリムはユダヤ教徒やキリスト教徒について、同じ唯一神の啓示を記した啓典を信奉する者として﹁啓典の民﹂ ︵・畠︲]︲酉目︶と呼び、彼らと同じカテゴリーに属するものとみなしている。同じカテゴリーに属するということ は、単に宗教的レベルにとどまらず、H常生活のレベルにおいてもそうであるということである。例えば、結婚の 場合、ムスリムの男はユダヤ教徒やキリスト教徒の女性と結婚することはできるが、仏教徒のような多神教徒とは

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イスラーム社会の構成原刊! では、ムハンマドがこの世に伝えた﹁イスラーム﹂という神の啓示は、中東世界における啓示の歴史の中でいか なる地位を占めているのであろうか。同じ唯一神の啓示でありながら、ユダヤ教とキリスト教という他の先行啓示 宗教と異なるイスラームのイスラームなる所以は何であるかということが問われなければならない。 クルァーンは次のように教え説いている。 ﹁それであなたはあなたの顔を純正な教えに、確り向けなさい。アッラーが人間に定められた天性に基いて。 アッラーの創造に、変更がある筈はない。それは正しい教えである。だが、人びとの多くは分らない。﹂︵三○ この聖句に示されているように、イスラームは﹁純正な宗教﹂︵且︲g冒巴︲富国︶であり、ムハンマドが人類の預 言者の中でひたすらこの﹁純正な宗教﹂を求めたのである。しかし、ムハンマドが﹁純正な宗教﹂の最初の信奉者 ではなかった。すでに三大啓示宗教が現われる以前に、イブラーヒーム︵アラブラハム︶が長い預言者の系列の中 で﹁純正な宗教﹂の信仰を求めていた。クルアーンは次のように説いている。 結婚できない。そのような結婚は本来的に無効である。なぜなら、多神教徒は啓典の民ではないからである。 一神教の長い歴史の中で登場してきたこうした預言者の系列において、ムハンマドは﹁最後の預言者﹂であると して、﹁預言者たちの封械﹂︵三三・四○︶と呼ばれている。イスラームの解釈によると、従来の預言者は、ユダヤ 教におけるモーゼ、キリスト教におけるイエズスのように、各々の民族に送られていたが、ムハンマドは全人類に 対して送られたとされ、したがってムハンマド以後に新たな預言者と称される者は登場していないとされる。すな わち、神の啓示はムハンマドをもって完了し、それ以後はムハンマドが受けた啓示を解釈することが、人類に与え られた使命ということになる。 三 ○ ー 〆 17 イ ス ラ ー ム と

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18 ﹁イブラーヒームはユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかった。しかし彼は純正なムスリムであり、多神教徒の 仲間ではなかったのである。本当にイブラーヒームに最も近い人びとは、彼の追従者とこの預言者︵ムハンマド︶、 またこの教えを信奉する者たちである。﹂︵三・六七’八︶イスラームの解釈に従えば、人類最初の預言者アーダム 以来のすべての預言者に下された神からの教えは、﹁唯一神に対する絶対的服従﹂、アラビア語でいう﹁イスラーム﹂ であった。こうした意味での﹁イスラーム﹂は、三大宗教が出現するはるか以前に、すでに預言者イブラーヒーム が興した厳格な絶対的一神教の宗教の精神そのものとして歴史の中に現成をしていたのである。 クルァーンは次のように教え示している。﹁愚か者でない限り、誰がイブラーヒームの教えを避けるであろうか。 ⋮⋮主がかれに向かって﹃服従、帰依しなさい﹄と仰せられた時を思い起せ。かれは、﹃わたしは、万有の主に服 従、帰依します。﹄と申しあげた。イブラーヒームは、このことをその子孫に伝え、ヤーコブもまた︵それになら った︶。﹃わたしの子孫よ、アッラーはあなたがたのために、この教えを選ばれた。だから必ずムスリム︵服従、帰 依者︶となって死なねばならない。﹄﹂︵二・一三○’二︶ このように、イブラーヒームは﹁純正な教えに服従、帰依する者﹂として絶対的一神教の教えを信従していた。 そして、その子孫たちにも、﹁ユダヤ教﹂とか﹁キリスト教﹂という形でこの﹁純正な教え﹂は下っていく。しか し、これらの子孫たちは、時の流れの中でさまざまな点で﹁純正な教え﹂の正しい道から逸脱、歪曲、隠匿してい くことになった。例えば、ユダヤ教徒の人びとは選民思想を、キリスト教徒の人びとは三位一体論を採用し、純正 な唯一神信仰から逸脱していった。すでに述べたように、ムハンマドはこれらの誤りを是正し、イブラーヒームに 体現された﹁純正な絶対的一神教﹂を再び昔日の本源的な姿に復活させようと努めたのである。この意味において、 ムハンマドの宗教運動は、一つの新宗教の創唱ではなく、まさしく始原の﹁純正な宗教一に回帰すべき宗教改革で

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イ ス ラ あったのである。 イスラームは、当然のことながら、宗教である。しかし、アラビア語で﹁宗教﹂を意味するディーン言巨︶は、 単に純粋な精神の問題ではない。クルアーンには﹁まことにアッラーの御許の教えは、イスラーム︵主の意志に服 従、帰依すること︶である﹂︵三・一九︶と説かれているように、個々のムスリムの公的・私的一切の局面におい て神の命ずるところに絶対的に服従し、定めの諸義務を正しく実践することをムスリムに求めている。したがって、 ディーンとは、精神的問題であろうと社会的問題であろうと、はたまた国家的問題であろうと、ムスリムとしての ﹁人間の生き方﹂そのものを意味する。 イスラームのこうした宗教的独自性は、各個のムスリムの内心を律し、さらに個人的言動たると社会的言動たる とを問わず、そうした言動を律し、それに加えてイスラーム国家を含め、ムスリム共同体の在り様を律する社会の 編成原理を提示する。それが﹁タウヒード﹂︵国昌国︶と呼ばれるイスラーム独自の世界観であり、﹁ゥンマ﹂︵ご目日昌︶ と呼ばれるムスリムのイスラーム共同体であり、﹁シャリーァ﹂︵号自習︶と呼ばれるイスラームの法であり、こ の三者がイスラームの﹁一一一極構造﹂と称されているものである。そして、イスラーム世界に生じた政治的現象・経 済的現象・社会的現象・文化的現象その他諸々の各種各様の現象を解析し、その本質を理解しようとするためには、 このタウヒード、ウンマ、シャリーアという三者の基本原理とその配置関係を正確に測定してはじめて可能となる のである。 〆 一 、 四 、 一 〆 19 ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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るとを問わず、↓ 他方において、﹃ 性の関係に立つ︹ れている。 かし、イ﹃ すれば、〃 タゥヒードとは、アラビア語で﹁一化﹂を意味し、一切の事象を固有な形で﹁こに還元する世界観をいう。こ の世界観は、創造主たる神の存在に向ければ、神の唯一性という唯一神論に解釈されることになる。この点に限定 すれば、イスラーム前に出現した姉妹宗教のユダヤ教やキリスト教の世界観とは原理的に異なるところはない。し かし、イスラームはこの原理を神の創造になる宇宙の全被造物に適用するところに、イスラーム固有の特徴が現わ タゥヒードの世界観によれば、神が創造した一切の被造物は、それが人間たると動植物たると、はたまた鉱物た とを問わず、それぞれ神から授けられた固有の資質・能力・機能のゆえに、異なった差異的存在である。しかし、 方において、それらの存在が唯一なる神にその創造の源を持つがゆえに、存在の価値としてすべて等位性・等価 タウヒード 20 こうした無限の差異性の中で存在する一切の被造物は、同時に相互依存の相補性の関係においてその差異性が止 揚され、調和ある世界が現出する。このように、タウヒードは一切の存在を等価性・差異性・相補性の関係的構造 の中に位置づけ、階層的な二元論を断固として排除するのである。このタウヒードにおける存在の等価性・差異性 ・相補性という構造的関係の中で、これがイスラーム独自の役割論へと発展していくことになる。 いま、このタゥヒードの原理を人間に適用してみよう。あらゆる人間は、神の被造物として等価、平等な関係に 置かれている。人間の平等原理は、クルァーンの章句に象徴的に見られる人間創造の中性的性格の中にはっきりと 見て取ることができる。すなわち、﹁人びとよ、あなたがたの主を畏れなさい。かれは一人のもの︵アーダム︶か らあなたがたを創り、またその者︵の一部︶から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方で

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あられる﹂︵四・一︶。ここで注目すべきことは﹁一人の者﹂︵冒呉ゆき号己昌︶、そしてその者から創られた配偶者︵魁皇︶ というアラビア語が男女いずれをも意味する中性的表現であるということである。人間創造において、先ず性差を 拒絶した﹁一人の者﹂とその﹁配偶者﹂が登場し、その後に初めて性差を具体的に意識した﹁男たち﹂︵旦邑と ﹁女たち﹂︵昌酎︶が登場してくることになる。こうしたクルァーンのアラビア語的表現からも明らかなように、人 間を本質的に規定するのは﹁人間たること﹂であり、男性とか女性という性差はあくまでも属性的なものでしかな このことを明確に宣言しているのが、預言者ムハンマドが死の直前に行なった﹁訣れの説教﹂︵昏貝冨匡︲畠目.︶ という有名な説教である。その一節に次のように説かれている。 ﹁皆の者よ、アッラーはこう仰せられている。﹃これ、人びとよ、われらは一人の男と女からお前たちを創り、 お互いに知り合うために部族、民族となした。まことにアッラーが最も賞ぜられる者は、最も敬度なものであ る。﹂アラブが非アラブに優るとか、黒人が白人に、白人が黒人に優るということはない。優劣があるとすれ ば、それは敬神の念においてである。あらゆる人間は、土くれから創られたアーダムの嵩である。そして見よ、 人が誇りに思うものは、血筋、財産その他すべてが廃棄された。﹂ まことに人間は、神の被造物として全く平等であり、優劣があるとすれば、それは神によって創造された人間が、 創造主たる神に対してどこまで服従、帰依しうるかということにかかっているのである。 さらに、このタウヒードの原理をムスリムの社会的行動様式に適用すると、宗教的なものと世俗的なもの、個人 的なものと社会的なもの、精神的なものと肉体的なもの、現世的なものと来世的なものとの区別は排除され、生活 のあらゆる局面においてムスリムの生活目的が神の意志の実現への志向の中に統合されていく。クルァーンは、こ いということになる。 21 イ ス ラ ー ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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22 れを﹁アッラーの色染め﹂と教えている︵二・一三八︶。すなわち、ムスリムは、神の回で見、神の言葉で語り、 神の意志で行動するように命じられているのである。ムスリムにとって、人間の生活全体が、その一瞬一瞬が、神 の臨在の感覚で満たされていなければならない。このような生活様式こそが、ムスリムにとって﹁イスラーム﹂と 呼ばれるものなのである︵三・一九︶。 こうした彼らの生活様式の一端が彼らの命名の仕方に現われてくる。先にすでに述べたように、アブドウッラー は﹁アッラーの奴隷﹂という意味である。これに加え、イスラームの神は九十九の美名を有していることから、こ の美名がムスリムの命名に用いられる。例えば、アブドゥル・アズィーズの﹁アズィーズ﹂は、﹁稜威並びなき者﹂ という神の美名の一つであるから、これまた﹁神の奴隷﹂ということになる。また、アブドゥル・アズィームとい う名前の﹁アズィーム﹂は、神の美名の一つの﹁絶大なる者﹂という意味で、﹁絶大なるものの奴隷﹂、すなわち﹁神 の奴隷﹂ということになる。同じように、アブドゥル・カーディルの﹁カーディル﹂は﹁万能なる者﹂、アブドウ ル・ガフールの﹁ガフール﹂とは﹁有恕者﹂、アブドゥル・カリームの﹁カリーム﹂は﹁寛大なる者﹂、次のアブド ゥル・ハックの﹁ハック﹂は﹁真理﹂という意味で、これまた神の美名の一つである。したがって、これらの名前 はすべて﹁神の奴隷﹂ということになる。こうした命名が物語るように、ムスリムは一生涯、日々の生活の中で神 の臨在を意識して生きることが求められ、それこそがムスリムがムスリムであることの証となるのである。 さらにまた、ムスリムは日常生活のすべての局面で、特に重要な行事を行なう場合とか、文書や手紙を書く場合 に、その冒頭において、﹁慈悲深く、慈愛遍きアッラーの御名において﹂という用語、すなわち﹁バスマラ﹂と呼 ばれる言葉が常用される。このバスマラがないと、その手紙あるいは文書は正式のものとはならないし、会議も正 式な会議にならないのである。すなわち、いかなる場合であれ、アッラーの道に沿っていることを確認しながら歩

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「 ス ラ むという願いがこめられている︵ ︵一︶聖と俗 イスラームは、聖なるものと俗なるものとの対立とか分化を絶対的に排除する。イスラームは、﹁皇帝のものは 呈帝に、神のものは神に返しなさい﹂︵マタイによる福音書一一一一・一二︶といった、聖俗の一一元化を認めない・ 聖と俗との分離を認めないということは、﹁神の国﹂と﹁地の国﹂との分離を認めないということである。﹁地の国﹂ は﹁聖なるもの﹂によって底の底まで泌徹されている世俗枇界でなければならない。したがって、後に述べるよう に、政教分離という国家法秩序は認められないことになる。 このことは、同時に、もし世俗世界が神の意志から離れて、﹁神の国﹂として正しい形で実現していなければ、 ムスリムはこの地上に神の意志を実現して、﹁神の国﹂にふさわしい﹁地の国﹂を構築しなければならない責任と 義務を負うていることを意味する。したがって、国家権力が神の意志から逸脱した政治を行なえば、国民はこのよ うな国家権力に反抗し、打倒する権利、すなわち﹁抵抗権﹂というものが導き出されることになる。 かって朝日新聞で、﹁神を求めて不寛容の時代﹂というテーマで、キリスト教・ヒンズー教・イスラームのそ れぞれにおける宗教と政治・社会とのかかわりについての記事が、かなり長い期間にわたり連載されたことがある。 その連載記事の中で、イスラームについて最初の記事が、﹁中東一帯で、イスラム政治勢力が社会を揺るがしてい このように、イスラームにあっては、すべてが神に一直線に直結をしているのであり、ここにも、ムハンマド・ アサドの言葉を用いれば、﹁強烈な神の意識﹂、﹁神の創造による全宇宙の知的および合理的認識の要求﹂というム スリムの信仰観を見ることができよう。 23 ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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︵二︶個人と社会 イスラーム法は政教一致を原則とする。このことは、ムスリムにとって自らの信仰の純化を通して自己を霊化す ることと、自己の所属するイスラーム共同体︵ウンマ︶の質的強化とが不離不可分の一体となっていることを意味 する。ムスリムは、その信仰の証としてイスラーム共同体の安寧と福祉に責任を負い、そのために宗教的・法的. は、イスラーム理解の上で根本的な問題性を内含している。 で始まっていた︵一九九六年五月八且。ここにある﹁イスラム法の復活と政教一致の統治をめざす﹂という表現 る。コーランの厳格な解釈と実施を求め、イスラム法の復活と、政教一致の統治をめざすグループだ﹂という文章 現行エジプト憲法の第二条は、﹁イスラームは国家の宗教である﹂、次いで、﹁イスラーム法学が立法の主要な淵 源である﹂と明定している。ここでの﹁イスラーム法学﹂とは、この場合イスラーム法︵シャリーア︶と同義語と 理解してよいであろう。この憲法に従えば、国家権力が法律をつくる等の立法行為や法律を実施する等の行政行為 を行なう場合に、常にイスラーム法、シャリーァという宗教法を依拠しなければならないということになる。 エジプト憲法の根本原則からすれば、エジプト国民が﹁イスラーム法の復活と政教一致の統治をめざす﹂前に、 国家自らが﹁イスラーム法に基づく政教一致の統治﹂を実施していなければならない。国家権力がイスラームを否 定するような政治を行なうから、すなわち政教一致を否定するような政治を行なうから、国民が﹁イスラーム法の 復活と政教一致の統治﹂の実施を要求するのであって、こうした国民の要求は、憲法上国民に与えられた当然の権 利であり、かつ義務でもあると言わねばならない。 24 社会的義務を課せられている。

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一 ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理 ︵三︶精神と肉体 イスラームでは、すべての宗教的・精神的実践は、精神と肉体、あるいは精神と物質の両面の効用を兼ね備えて いなければならない。例えば、喜捨と並んで﹁六信五行﹂の一つである﹁断食﹂は、健康なムスリムに課せられた 厳格な義務である。ムスリムはイスラーム暦第九月のラマダーン月︵一九九九年は十二月四日から始まった︶には、 例えば、先に触れた﹁六信五行﹂の一つである喜捨︵ザカート︶は、一見、仏教の布施とかキリスト教の献金と 似ているように見えるが、根本において異なる。イスラームの喜捨は、毎年の終わりにムスリム各人の収入資産と 貯蓄の双方に課せられる一種の救貧税で、喜捨に供される額は、金銭の場合は最低二・五%、穀物や果実などの場 合は出来高に合わせて五%から十%、家畜は種類に応じて各種の算定方法が決められている。喜捨は、ムスリムに とって﹁一切の収入は神の恩寵の賜物﹂という、神に対する感謝の精神的浄化の行為である。ムスリムは、その行 為を通してムスリム相互の貧富を超えた連帯の精神を高め、社会の福祉と安寧のために寄与するのである。 事実、ムスリム国家の福祉関係の在り方については、福祉関係に要する国家予算だけを見ても、その実態は全く わからない。なぜなら、ムスリムたちは日常生活すべての局面において喜捨︵ザカート︶とか、あるいは施し︵サ ダカ︶の実践行を行なっているからである。ここに、イスラーム社会特有の社会福祉的な事業の展開を見ることが できるのである。最近、わが国では自殺者の急増が社会問題の一つとなっているが、経済的にはわが国よりはるか に貧困と思われるイスラーム世界の諸国家、例えば私の知る限りエジプトやシリアで自殺者の社会問題化について 耳にしたことはない。それはザカートやサダカを通しての社会連帯の件が極めて強いということの証左と見ること ができよう。 25 イ ス ラ

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︵四︶現世と来世 イスラームは聖俗一致を原則とする。このことは、ムスリムにとって単に現世によって世俗をそのまま肯定し、 それに対して責任を持つということにとどまらず、来世において現世での自己の言行そのものについて責任が問わ れることを意味する。来世は、先のイスラームの﹁六信五行﹂の六信の中の一つに位置づけられているように、ム スリムにとって最も重要であるのは、来世である。ムスリムにとって、現世は仮の宿でしかない。現世は、最後の 26 日の出一時間半前から日没までの間、飲食と夫婦としての性行為を完全に絶たねばならない。断食をするというこ とは、食物はもとより一滴の水も飲まない。ラマダーン月が冬であれば、水を絶つということは、苦しいけれども 我慢はできる。しかし、ムスリムは陰暦に従っているので、ラマダーン月は変わる。酷暑のあの夏に日の出の一時 間半前から日没まで、水も飲まず、食べ物もとらないということは大変に厳しい行である。それを、病人を除いて、 老若男女、家族や社会共同体が異体同心、一丸となって行なうのである。日本の宗教界で行なわれている、いわゆ る﹁一食連動﹂とはかなり大きな違いがある。 イスラームの断食は、他の宗教の場合ともすれば禁欲苦行という自己否定の手段として実践される断食とは基本 的に異なる。イスラームの場合の断食の、的は、一つは人間の本能の中枢にあり、それだけに倫理的面で最も弱い 分野である食欲と性欲を抑えることによって忍耐・辛抱・積極性・不動の信念を養い、精神の浄化をはかり、いま 一つは貧困と飢餓に苦しむ人々の心労を体験し、愛と慈善と相互扶助の精神の強化をはかるという点において、イ スラームの断食は人生の充実を目的とする現世肯定的な自己規制の性格を本質としているのである。事実、イスラ ームは経済的余裕のある者に対しては断食期間中の毎日、隣人や困窮者への食べ物の提供を義務づけている。

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イ ス ラ 二門/ンマ イスラームの三極構造を構成する第一一の要素がウンマである。ウンマとは、アラビア語の﹁母﹂︵ご白目︶と同根 の語である。ムスリムにとって、ウンマはまさしく彼らの生命を生み出し、彼らの生命を抱擁し、彼らの生命に躍 動を可能にする精神的かつ物質的な﹁母なる大地﹂であり、ムスリムのアイデンティティの思想的・行動的な営み ウンマが他の文化圏の共同体と根本的に異なるのは、前者が唯一神との契約を基軸にして形成されたムスリム共 同体であって、血縁的共同体でも地縁的共同体でもないということである。ウンマにおいては、人びとは個々人の 人種・民族・門地などの差異、男女の差別・財産の多寡などの一切を超え、神との契約という強い緋で結ばれたイ スラーム的人格というその資格においてイスラームの公正な普遍的秩序の確立に関与していくことになる。したが 定される試練の場である。ムスリムにとって、現世の生と来世の生とが不可分に結びついているのである。 審判の日に生前の言行の善悪が秤に計られ、来世において天国にいくか、地獄にいくかという、来世での地位が決 ムスリムのこうした死生観を如実に実現してみせたのが、第二次大戦後の世界で最も衝撃的な事件の一つである と評される一九七九年のイラン革命であった。パーレビ国王の暗黒恐怖政治との戦いの過程の中で無数の人命が剥 奪されたが、国王追放の前年の一年の間で、使者の数は実に六万五千人にのぼったと言われている。この統計数字 からいけば、まさに一日に二百人にならんとする丸腰の一般民衆が、国家の軍隊と秘密警察の前に自己の生命を捨 てて巨大な政治権力に戦いを挑んだのである。このようなムスリム民衆の死を賭けての闘争は、ムスリムの死生観 を理解しなければ、その真実に迫ることはできないであろう。 の集結点ということになる。 27 ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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って、ウンマは、一方においてゥンマに対する帰属意識を持つ者を包み込み、忠誠を求める点で極めて強い紐帯で 結ばれた共同体であると同時に、他方において主権国家の国境を超えて世界に開かれた秩序を特徴とする共同体と いうことになる。 28 ウンマが自己に帰属する者に対して忠誠を求めるということを基軸にして強い紐帯で結ばれた共同体というウン マの特徴を最もよく示しているのが、イスラームにおける信教の自由、イスラームから見ると﹁背教﹂︵邑旦昌育量目︶ についての法的な取扱いである。イスラームの伝統的な法解釈学によると、イスラームから他の宗教に改宗する者 を﹁背教者﹂として、死刑という厳刑に処罰している。このように背教を処罰するということは、改宗の自由、ひ いては信教の自由を認めないということになり、信教の自由を基本的人権と理解する立場から大きな批判の対象と なるであろう。事実、サルマン・ラシュディの﹃悪魔の詩﹂事件において、著者ラシュディに対するホメイニ師の 死刑の宣告︵ファトワー︶を契機として世界の世論、とくに西洋諸国はイランに対して厳しい批判を浴びせかけた。 しかし、これについても大きな誤解があるように思われる。イスラームの刑法学上、背教については背教処罰論 と背教処罰否認論とに大きく分かれ、前者がさらにハッド刑処罰論とタァジール刑処罰論に分かれる。後者の背教 処罰否認論は、背教者に対しては一切処罰しない、少なくとも国家権力は現世では処罰する権限を有していないと いう立場であり、パキスタンの最高裁判所長官であったS・A・ラフマーンはこうした理論を主張している。 それから、前者の背教処罰論であるが、背教は死刑という立場と、死刑ではなく、裁判官が自己の裁量権に基づ いて独自に判断できるという立場とに分かれ、前者がハッド刑論、後者をタアジール刑論という。イスラーム法学 の通説、とくにエジプトやイランなどの西アジアではハッド刑処罰理論が支配的と言えよう。ともあれ、同じイス ラームの世界において、背教についての法的取扱いの問題は決して一様ではなく、その地域において異なっている。

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幅的な帰依を強めるのである。 彼らは、マッカに入る前に、 スラームを捨て、他の宗教に改宗するということは、改宗者個人にかかわる私的問題ではなく、ウンマに不和と混 的・社会的義務と責任を負い、ウンマの公正な運営に寄与しなければならない。したがって、ムスリムたる者がイ である。ムスリムは、そうした信仰の証の実践としてウンマの安寧と福祉、つまりウンマの質的強化のための宗教 ンマは個人個人の活動の目標であり、信仰の証の実践の場であり、自己のアイデンティティというものの確証の場 存在にかかわる死活的な意味を持っており、その意味で公的性質を持つ事柄でもある。イスラームにあっては、ゥ 所属する個人が信仰を変えるという単なる個人の私的事柄ではなくて、共同体そのものの運命、すなわち共同体の イスラームにおける改宗の自由は、実は政教分離の世俗国家における改宗とは大きく異なる。改宗は、ウンマに 乱をもたらし、ウンマ自体を崩壊に導く反社会的行為であって、西洋法的表現を用いれば﹁大逆罪﹂︵巨答茸gのg︶、 わが国の刑法で言えば﹁内乱罪﹂に相当する犯罪行為ということになる。 第二に、ウンマが主権国家の枠を超えた開かれた世界秩序を持つ共同体であるという特徴を最もよく示している のが、﹁六信五行﹂の一つである﹁巡礼﹂︵ハッジ︶、すなわちマッカ︵メッカ︶への巡礼である。これは、心身が 健全で、経済的に恵まれ、マッカを訪れる自由を持つすべてのムスリムが、男女を問わず、可能な限り生涯に一度 は遂行しなければならない義務である。人種や言語、そして階層を異にする世界中のムスリムが年に一度、マッヵ に参集し、自己犠牲と苦楽を共にして神との精神的交わりに専念し、神との永遠の契約の更新を行ない、神への全 て説明することにする。 この点は誤解があってはならないのであって、こうした理解の前提の上に立って、ここでは伝統的な考え方に従っ 等しく各自の民族衣装をすべて脱ぎ捨て、﹁イフラーム﹂と呼ばれる、針を通して鯛 イ ス ラ ー ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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30 いない簡素な二枚の白布に着替えなければならない。こうして、彼らは人種・国籍・貧富の差を超越した聖なる状 態に身を置くことになる。このようにして、全世界から毎年二百万人以上の人びとがマッカに参集し、彼らは同じ ムスリムとして、同じ衣服を着て、同じ規律に服し、同じ時に、同じ方法で、同じ祈りの言葉を捧げることによっ て、互いに愛し、互いに親しむ、その情を尽くして世界の大同を共に考え、人類の幸福と平和の増進を祈願する機 会を共有するのである。世界のムスリムがそれぞれ政治的利害を異にする国家に属しながら、ただイスラームのた めに相集うこの巡礼の中に、われわれは偏狭な民族主義を超越した国際連帯の普遍主義、ムスリムの同胞愛と平等 主義の確証を見ることができよう。 しかし、それにもかかわらず、イスラーム世界が現実に国民国家に分裂していることは厳然たる事実である。た しかに、第二次世界大戦後に独立したイスラーム諸国の国民となったムスリムには、自己のアイデンティティを自 己の所属する国家︵ワタン乏昌目︶に直結させる﹁国家民族主義﹂︵ワタニーヤ畠冒ご号︶というものが、次第に 醸成されてきている。しかし、イスラーム世界のムスリム国家がそれぞれの国家利益を追求して、対立・分裂し、 抗争しているかと言えば、決してそうではない。かってエジプト大統領ナセルが唱えたナセリズムとか、シリアや イラクのバース党の指導理念にも見られるように、数多くの国家群に分かれているアラブ諸国の現実はあくまでも 仮の姿でしかなく、究極的にはこれらの諸国が一つの﹁アラブ共和国﹂に統合されることが最終目標であると主張 するアラブ民族主義︵カウミーャ呂乏白ご目︶というものが台頭していた。ここにおいては、﹁アラブの覚醒﹂、﹁ア ラブの大義﹂、﹁アラブの団結﹂を媒体にして結合することによって形成された﹁アラブ共和国﹂がムスリムの帰属 意識の可視を可能にする共同体と考えられていたのである。 しかしながら、このアラブ民族主義も、アラブ人の﹁民族の敵﹂イスラエルに大敗北を喫した一九六七年戦争以

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f ス ラ 後急激に後退していくことになる。そして、それは七七年十一月のサダト大統領のイェルサレム訪問で決定的とな ったのであった。たしかに、このようにしてアラブ民族主義は退潮していったが、このことはアラブ民族主義が消 失したことを意味するものでは決してない。例えば、一九九一年の湾岸戦争がアラブ世界の一般大衆にアラブ民族 としての一体性という運命共同体的意識を掻き立て、欧米に対する不信感や嫌悪感を燃え上げさせたことは、その 証左と言えるであろう。アラブ民族主義は、まさしく火山の地下にたまっているマグマなのである。 しかし、こうしたアラブ民族主義の退潮は、アラブの民衆に彼らのアイデンティティの再確認を促していくこと になった。こうした現実の前に、彼らは自己のアイデンティティを自覚的に求めようとしたのが、ムスリム固有の 価値体系であるイスラームであった。彼らは、この﹁イスラーム﹂の力を杖柱にしてイスラーム世界の再興を図り、 真の﹁ウンマ・イスラーミーャ﹂︵ご日日昌房両目︼号︶、すなわちイスラーム共同体というものの実現を願うように なった。﹁汎イスラーム主義﹂とも言えるこのウンマ・イスラーミーヤの復興運動は、ムスリムが既存の民族国家 を超えて、単一のイスラームの信仰と単一にイスラーム法︵シャリーァ︶を基礎として結合することによって、自 己の帰属意識が可視的となり、共同体の実現を目的とするものであった。 このようにして見てくると、今日のムスリムの心を捉えているイスラーム世界の世界観は、三つの同心円で構成 されていることに気付くであろう。最も内奥に位置しているのが﹁国家民族主義﹂、それを取り囲む形で﹁アラブ 民族主義﹂、そしてさらにこの二つを大きく包み込んでいるのが﹁汎イスラーム主義﹂である。この三つの世界観 は、それぞれムスリムのアイデンティティの在り方を規定するものであるだけに彼らの法的生活の在り方を規定し ていくことになる。 例えば、この三つの世界観について、イスラーム社会の根幹をなす家族関係の法である身分関係法の立法状況に釦 ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 理

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引きつけて考えてみよう。先ず、ワタニーャの世界観に対応するのが、エジプト、シリア、テュニジアといった個々 のムスリム国家の身分関係法である。次に、カウミーャの世界観に対応するのが、﹁統一アラブ身分関係法﹂であ る。この法律は、現在、アラブ連盟を構成する二十一ヶ国の加盟国全体に適用される共通身分関係法であり、一九 八五年につくられたが、現在いまだ採択されておらず、したがって草案の段階にとどまっている。第三のイスラミ ーャの世界観に対応するのが、﹁ムスリム関係法I非ムスリム国家の身分関係法﹂である。この身分関係法は、サ ウディァラビァに所在する世界ムスリム連盟︵ラービタ︶で、世界の各大陸の諸国家でマイノリティとして生活し ているムスリムたちに対して共通に適用される身分関係法として制定されたものである。 このような各種の身分関係法がつくられるということは、ムスリム自身のウンマという世界観を理解しなければ とうてい把握できないものであろう。 32

三シャリーア

ィスラームの三極構造を構成する第一一一の要素がシャリーァである。シャリーア、すなわちイスラーム法とはアラ ビア語の原義では﹁水場に至る道﹂を意味する。砂漠という厳しい自然環境における﹁水場に至る道﹂は、人間の 生死を決定する﹁生命に至る道﹂でもある。それはまた、来世と現世と一化して把握するタウヒードの世界観によ れば、単に現世のみならず、来世も視座に据えた﹁永遠の救いに至る道﹂ということになる。イスラームにあって は、﹁法﹂は永遠の至福の門に到達するための道なのである。こうした法学世界観は、日本法を含め、西洋法の法 秩序が正義、公正、法的安定性等を法的価値基準とするにせよ、法を所詮、人生の一局面における紛争の事前的予 防あるいは事後的解決の手段としてしか把握しない法学的世界観とは根本的に異なっている。

(32)

イスラーム国家は、通常イスラーム法と呼ばれるシャリーアを制定することはできない。国家には、シャリーア の立法権はない。国家は、単にシャリーァを施行する義務を負うているのみである。なぜなら、神の唯一性という タウヒードの世界観の論理的帰結として、立法権は神にあるからである。いわゆる主権というものは、国家にはな く、神にのみ帰属するのである。勿論、国家はわれわれが言う法律をつくることができるが、それは決してシャリ ーァとは呼ばれることはなく、カーヌーン︵C習冒︶と呼ばれ、両者は厳格に区別される。わが国の法律観念に従 えば、国家の制定するカーヌーンは、法律というよりは、手続規則とか施行規則の性格を持っている。例えば、憲 法はシャリーァの﹁憲法施行規則﹂、民法はシャリーァの﹁民法施行規則﹂ということになる。 イスラーム法上、法源とは法判断の示標︵邑昌昌昌︲昌冨日︶、法判断の基礎︵︾房巳巴︲農園日︶、法判断定立の淵源 ︵巴︲冒閏目昌︲国の目.冒冨屋︲四算冒︶という。すなわち、イスラーム法上の法源とは、個人の行為たると国家の行為 たるとを問わず、それが神の命令に合致しているかどうかの判断が導き出されるための基礎あるいは淵源というこ とになる。この憲法的表現が、すでに掲げたエジプト憲法の﹁イスラームは国家の宗教であり⋮⋮イスラーム法学 ︵睡号︶が立法の主要な淵源である﹂︵第二条︶である。 法源は、通常、次のように分類される。第一次法源として、①クルァーン︵C冒邸ロィスラームの聖典︶、②スン ナ︵普目目預言者ムハンマドの言行と黙認︶、③イジュマーウa目・法学者ョ且国昌の意見の一致︶、④キャース ︵C冒堕類推︶、第一一次法源として①イジュティハード豆目員C目︾目にもめ巨目号にも、また・昼昌病にもC鼠“にも 解決の道を見出せない問題に直面した場合、新しい法を発見するためにイスラームの一般原理の精神に立脚して公 益や公共の福祉を考慮しつつ、第一次法源を根拠として演緯する法学者の学的努力︶、②ウルフ︵ご民慣習︶、③カ ーヌーン︵9目ご国家制定法︶である。 33 イ ス ラ ー ム と イ ス ラ ー ム 社 会 の 構 成 原 則

参照

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