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佛教大學大學院研究紀要 12号(19840314) 001榎本福寿「日本書紀の敬語 : 「勅」「命」「御」をめぐって」

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(1)

il

﹁御﹂をめぐって

1 1 1

寿

一、前稿からのひきつぎ

この小稿は、日本書紀︵以下、書紀と略称する。本文は新訂増補国史大系本により、字体は通用のものにしたが う︶の記述、あるいは表現がどのように成りたっていたのか、その実態を、おもに敬語をとおして考察しようとす ① る。同じ問題を扱った前稿につづく第二稿である。前稿では、﹁奉﹂を取りあげたが、便宜、その検討によって得 た結論を要約して示すと、次のとおりである。 すなわち、書紀三

O

巻は、三つの群に分かれ、それぞれの群ごとに﹁奉﹂の使い方を異にする。まず

I

群︵巻 一・二︶では、﹁奉﹂を漢語そのままに使う。そうして、しかも多用する点に特徴がある。

I

群にもまして﹁奉﹂ を多用するのが

E

群︵巻一四

i

一二・二四

i

二 七 ・ 三

O

︶である。乙の盟群では、多用は、また積極的な活用の謂 でもある。漢語﹁奉﹂がもっさまざまな意味の、その多くをそ乙に見ることもできる。漢語として﹁奉﹂を多用す る こ と に お い て 、

I

群 と

E

群とはあい通う。一方、

E

群︵巻三

i

一三・二二・二三・二八・二九﹀は、その二つの 群のいずれとも著しく異なる。﹁奉﹂の使用に消極的であるうえに、おおむね、それを和訓にもとづく漢字表記、 日 本 書 紀 の 敬 語

(2)

梯教大事大事院研究紀要第十二挽 いわゆる正訓字として使う点に特徴がある。 もとより﹁奉﹂を検討した限りでの結論でしかないが、 それぞれの特徴は、なおまた各群の表現の成りたち一般 に通じる基調でもあったはずである。小稿は、前稿を’つけて、そのことの検証と補完とを目的に、同じ敬語のうち、 体語をとりあげて検討する。また一方、乙の稿のあとに予定している第三稿で、動詞を取りあげ、最終的なまとめ を 行 な う た め の 、 そのあしがための意味もあわせもつ。 一一、﹁勅﹂﹁命﹂の使用における各群の違い さて、体言の敬語のうち、数が多くしかもそのあらわれが各群それぞれに特徴的な用例に、 ﹁ 勅 ﹂ ﹁ 命 ﹂ が あ 例 。 双方ともに、古訓では、おおむね﹁みこと﹂や﹁おほみ乙と﹂ないしは﹁みことのり﹂などと訓まれているが、用 例 を 、 い ま こ こ に 、 ﹁ 天 皇 勅 ﹂ ﹁天皇命﹂などが代表する天皇の勅命をあらわすものに限って、おのおの巻どとに 拾い出してみると、各群ごとにあきらかな違いをみせる。次の表は、該当する全ての用例を、 そ の 熟 語 ま で 含 め て 、 数字にあらわしたものである。なお、 ﹁ 馬 子 宿 禰 大 臣 還 ニ 子 京 師 一 、 復 詞 命 屯 倉 之 事 一 。 ﹂ ︵ 二

o m

︶などの﹁復︵服・ 報﹀命﹂における﹁命﹂は、熟語動詞を構成する一部とみて除く一方、神代紀︵一・二︶の天神や神功皇后紀︵九︶ ③ ﹁ 命 ﹂ も 取 り あ げ る 。 の皇后などには、天皇に準じて﹁勅﹂ 「 殴 」 を 使 う の で 、 そ こ で の 「 勅 」 は も ち ろ ん 、

群|命勅|巻|

I

I

2く

5 二 1=1

O 四 3>0 五 1=1 ノ~ 6>0 七 ][ O=O }\ 2>0 l>O Cコ 2>0

O=O

ョ=ヨ' 2く5 区ヨ O=O 三5. 1>0 プて l lI 1く14 4ゴ 0く3 ノ、、 3く29 プU 1く4 Cコ O=O

]

[

l

3>2

三 O=O Eヨ l lI 1く3 ヨ三 1く2 プ雪之 0く2

ゴ I

I

1=1

完 I I I

o

く5Iき

(3)

く 。 け れ ど も 、 表にあらわれた数字の多寡をみる限り、巻一九などが他に比べて著しく突出している事実は、とりわけ関心を惹 それは、記述の内容による。巻一九は、任那・百済・新羅など朝鮮半島を舞台にした外交に関する 日本とのかかわりにおいて展開している。日本とのそのかかわりの基点は、もと 記述が大半を占め、またそれが、 より天皇である。勅命の頻出は、そうした外交関連記述を主とすることにともなう、その必然的なあらわれとみな ければならない。したがって、記述のむしろ内容に大きくかかわる用例数の多寡は措くとして、注目すべきは、表 中の不等記号の向きが群ごとに違い、しかも各群の内部では、 それが一定方向に向いている点である。 H 群 で は ﹁ 命 ﹂ を 、 こ れ と は 対 照 的 に 、 ー ・

E

群 で は ﹁ 勅 ﹂ を 、 それぞれ専用ないし優勢に使用する。その傾向に異例とな る 巻 は 、

E

群のうちの、わずかに巻一六しかない。もっともこの巻二ハの例は、後三一頁︶に示すとおり出典を も つ 。 ﹁命﹂それ自体を使用したものでもなければ、 ﹁ 景 命 ﹂ と い う そ の 構 成 も 、

E

群で多用する﹁命﹂とはあき らかに違う。かくて、

IEE

群がそれぞれ﹁命﹂もしくは﹁勅﹂を専用ないし優勢に使用する、その傾向は、おの おのの群を貫く特徴とみなしうると同時に、また、それゆえに、そこから各群の表現の成りたちを探石乙とも可能 と な る で あ ろ う 。

I

群を特徴づける﹁命﹂の使用

ところで、万葉集の山上憶良の﹁好去好来歌﹂のなかに、次のような注記をともなう箇所がある。

2

を む

8

右の﹁反云﹂という注記は、同じ歌のなかにもう一例ある。それには﹁船舶忽猷庶侍奈﹂とあり、本文の一匂全体 それと同じ形式の注記﹁反云一一大命こも、﹁勅旨﹂について、その意味では のよみを仮名であらわす。したがって、 日 本 書 紀 の 敬 語

(4)

傍教大事大事院研究紀要第十二競 四 なく、むしろ対応する日本語でのよみを示していることは疑いを容れない。もっとも﹁大命﹂は、 みこと﹂と意味的にも対応する関係にあり、その点では正訓字でもあった。 そのよみ﹁おほ よ み を 示 す う え で 、 ﹁ 大 命 ﹂ を 用 い る と い う こ と は 、 それがただちによみを喚起しうる程に、その日本語と表記との関係が安定的であったととを物語る。 日本語をあらわす﹁大命﹂に対して、 そ の 、 ほかならぬ注記を付している

l

l

言い換えれば、付さなければなら なかった

l

!という事実にも明らかなとおり、 ﹁勅旨﹂は、まぎれもない漢語である。字面の限りでは対応する日 そのよみを、注記は一律に定めるためのものであるが、そうした漢語は、古事記でも、 いわゆる正格の漢文をむねとする上表文︵序文︶中に﹁勅語﹂が二例あるほかには、漢字を、その和訓にもとづい @ て使用することを原則とするという指摘のある本文においては、それらしきものとして、わずかに﹁大日下王者、 不 ν受ニ勅命乙︵下辺ウ﹀の一例しかない。しかも、それは、 | | | ⑤ 爾大日下玉、四奔白之﹁若疑 ν 有 一 一 如 ν 此 大 命 一 。 故 不 ν v 以 置 也 。 是 恐 、 随 − 一 大 命 一 奉 進 。 ﹂ ︵ 下 幻 オ ︶ 右の大日下王の言葉のあとの、玉に対する根臣の議言のうちにあって、前出するこ例の﹁大命﹂にかえて使ったも のである。﹁大命﹂の三重出を回避することさらな意図が、そ乙に働いていたに相違ない。かくして、古事記本文 では、﹁勅﹂の使用をあきらかに控えている。和訓にもとづく漢字使用を原則とする本文のその原則に﹁勅﹂がな じまなかったというのが、恐らくその理由であったろう。観点をかえれば、﹁勅﹂についての、それを漢語とする 認識が使用を控えさせたとみる乙ともできる。憶良の歌の表記にあらわれたと同じ、それがむしろ一般的な認識で 本語も定かでない漢語の、 あ っ た は ず で あ る 。 ﹁みこと﹂の正訓字は、もちろん﹁命﹂である。憶良歌の注記に﹁大命﹂を使用するとおり、万葉集ではそれが 最 も 多 く 、 ほ か に ﹁ 御 一 一 一 口 ﹂ ﹁ 御 命 ﹂ も あ る が 、 ﹁勅﹂の例は、憶良歌の﹁勅旨﹂を措いてほかにない。古事記でも

(5)

上述の﹁勅命﹂を除けば、 ﹁命﹂の専用である。そうして、古事記においては、 その﹁命﹂を一定の形式において 使う傾向が著しい。単独の用例の、 たとえば﹁命以﹂が十二例、 ついで﹁随 v 命 ﹂ が五例などのほか 他の語と複 合 し た 用 例 も 、 ﹁大命﹂は上述のとお り、また﹁天皇之命﹂にしても、万葉集に、仮名・正訓字のいずれの表記とも数多い﹁おほきみのみことかしこ たとえば﹁大皇之命恐﹂﹁刻劃刻刻叩恐﹂︵山﹀などの表記と彼此照応する o ﹁天皇之命﹂が九例、またあるいは﹁大命﹂の四例などがある。このうち、 み ﹂ の 、 ︵ 州 ﹀ そうした古事記や万葉集などの用例とあい通う例が少なく ない。まず、古事記で類型的なあらわれをみせる﹁天皇之命﹂の類例として、

E

群 に は 、 ﹁ 天 皇 之 命 ﹂ ︵ 五 ・ 七 ・ 一 E 群で専用ないし優勢に使用する﹁命﹂のうちには、 三 ・ 二 二 ・ 二 九 ︶ ・ ﹁ 天 皇 命 ﹂ ︵ 七 ・ 一 三

ω

・ 二 三 ︶ な ど が あ る ほ か 、 @ ハ 一 一 ﹀ ・ ﹁ 天 皇 之 遺 命 ﹂ ︵ 二 三

ω

︶などもある。もちろん﹁命﹂の使用それ自体でも、古事記や万葉集に共通する。 たとえば、万葉集の防人歌に、 か し こ き や み こ と か が ふ り 可之古伎夜美許等加我布理 ﹁ 皇 后 之 命 ﹂ ︵ 乙 れ は 神 功 皇 后 ︶ ・ ﹁ 先 帝 之 命 ﹂ い む な し に し て ll 伊牟奈之が志亘ハ似︶ 赤猪子の悲話を伝える古事記の一節に﹁其年其月、被こ天皇之命一、仰ニ 待 大 命 一 、 至 二 子 今 日 一 、 経 ニ 八 十 歳 一 。 ﹂ ︵ 下 お オ ︶ と あ る な か の ﹁ 被 ニ 天 皇 之 命 こ と 、

E

群 だ け に あ っ て 、 あ す ゆ り や 阿須由利也 か え が む た ね む 加曳我牟多祢牟 右のように﹁みことかがふり﹂とあるが、 それと共 通 す る 次 の 、 被 v命︵五

m

m

・ − 二 制 ︶ 被 − − 天 皇 之 命 一 被 一 一 天 皇 命 一 ︵ 七 山 ︶ ︵ 一 一 ニ 制 ︶ 被 ν 勅 ︵ 六 山 ﹀ 日本書紀の敬語 玉

(6)

傍教大皐大事院研究紀要第十二競 -1.... J

一連の用例と、ともに﹁みことかがふり﹂に通う漢字表記であったに相違ない。さらにまた、 いての認識といった点でも一致をみる。すなわち、古訓でも﹁かしこき﹂﹁かし乙まる﹂﹁かし乙まて﹂ ⑦ み﹂などと訓む次の﹁威﹂﹁健﹂﹁畏﹂などは、これまた

E

群だけにあり、それらと﹁命﹂とのかかわりは、 カ h y コ キ 今不 v 二 皇 命 之 威 一 、 ︵ 七 川 ︶ カ h y ヨ マ ル 山 一 旦 非 ν 健 二 天 皇 之 命 一 。 ︵ 一 三 制 ︶ カ V コ マ ル 奉 v 命驚懐之。︵二二川﹀ カ シ コ マ テ ︵ カ b v z ミ U 今 畏 v 命市議 v 、 ︵ 二 八 制 ︶ ﹁ 命 ﹂ そ の も の に つ ﹁ か し こ 万葉集に類型的な﹁おほきみのみととかし乙み﹂と、 その発想において一連のものであろう。なお古事記の用例に 親近をもっ

E

群の用例のうち、とりわけ注目されるのが﹁命以﹂である。その語法上の特質については、すでに旧 ③ 稿で言及したが、古事記に十二例というように類型をなし、しかも日本語の表現にもとづくと考えられるその語法 はもとより、さらに文の構成面でも共通する用例が、次のように

E

群に集中してあらわれる。 ︵ 天 照 大 御 一 脚 、 高 木 一 脚 之 命 以 間 使 之 。 ︵ 上 必 オ ﹀ 一 百 済 王 命 以 遣 一 一 於 呉 国 一 。 ︵ 二 二 川 ﹀ ︷故爾、天紳御子之命以、饗賜ニ八十建一。︵中 6 ウ ︶ 一 皇 后 命 以 、 玉 卿 等 五 十 五 人 賜 一 一 朝 服 各 一 百 六 一 。 ︵ 二 九 制 ︶ へ 天 照 大 一 胸 、 高 木 紳 、 二 柱 榊 之 命 以 、 召 ニ 建 御 雷 紳 一 、 ︵ 天 皇 命 以 、 召 之 。 一 天 皇 命 以 、 喚 之 。 ハ 中 3 オ ﹀ ︵ 一 三 m m ﹀ ︵ 二 三 川 ︶

(7)

か く し て 、 ⑨

E

群の用例は、古事記や万葉集の用例と一致ないし類似する傾向が著しい。そこに予想されるとおり、 ﹁みこと﹂の正訓字として﹁命﹂が定着していた、恐らくそ 類例は他にも少なくない。それらを含め、いずれも、 の慣用によったものであろう。古事記や万葉集との用例の一致や類似は、もとより偶然ではなかったはずである。 九

ω

、 A 叩 ﹂

E

群で多用する﹁命﹂の、その熟合用字として特徴的な用例に﹁皇命﹂がある。巻五

ω

以下、七

ω

、 一 一

ω

、 二 二

ω

な ど 、

E

群に限ってあらわれるそれらは、同様に

E

群専用の﹁天皇命﹂あるいは﹁天皇之 ︵ 巻 五

ω

以下、七

ω

、 一 三

ω

、 二 二

ω

、 二 一 二 一 切 、 二 八

ω

﹀と同じ表現の基調によることは疑いない。その﹁皇 命﹂を、古訓では、多く﹁おほむこと﹂と訓む。けれども、万葉集の用例などをみるに、たとえば、集中﹁おほき おほきみのみことかしこみ み﹂をあらわす正訓字として﹁皇﹂ないし﹁王﹂を使う場合があり

ll

ーその後者の﹁王﹂にだけ﹁王命恐﹂と と こ ろ で 、 ﹁皇命﹂の用例が皆無であるとはいえ 1 1 1 、たぶんに類型的な表現の﹁お ほきみはかみにしませば﹂などの表記においては、その双方をへだてなく使っていることにかんがみ、 いう例が六例ほどあるにもかかわらず、 ﹁王命﹂と同じ﹁おほきみのみこと﹂の正訓字表記とみることが可能であろう。加えて、 ﹁ 被 ν命﹂︵五山川︶との類縁にまつまでもなく、その﹁皇命﹂が﹁命﹂に﹁皇﹂を付加した構成になるととは明らか でもあり、また一方、前述のとおり、﹁被レ命﹂が万葉集の﹁かし ζ き や み

l

d

出州州判例﹂︵似︶と同じ表現の 乙の点を勘案しても、﹁皇命﹂を、﹁おほきみのみ乙と﹂をあらわすその漢字表記であ ﹁ 被 一 一 皇 命 一 ﹂ ﹁ 皇 命 ﹂ を 、 ︵ 五 川 ︶ と 漢字表記とみなしうる以上、 ったとみて大過ないのではないか。 と は い え 、 それは断言するまでもない。古訓の﹁おほむこと ι であれ、右に推定した﹁おほきみのみこと﹂であ れ 、 い ず れ に せ よ 、 ﹁皇命﹂が日本語にもとづくその漢字表記であるという限り、もはや疑う余地はない。﹁皇命﹂ が、もともと﹁天皇命﹂ないし﹁天皇之命﹂を縮約した表現であり、 それらとあらわれを等しくするということも、 日本書紀の敬語 七

(8)

梯教大事大事院研究紀要第十二挽 J

それを裏づける傍証となるであろう。 ︵ 二 二 川 ︶ ﹁命﹂に上接するのは漢語である。したがって、熟合用字の全体と して、漢語的性格が強い。まず﹁宝命﹂は、唐の国書を伝える、いわばそれにふさわしい四字句を基調とした漢文 なお﹁命﹂の熟合用字の用例について付言すれば、あとわずかに三例しかないその﹁宝命﹂ ︵ 二 三 山 川 ﹀ ﹁ 勅 命 ﹂ ﹁ 遺 命 ﹂ ︵ 二 九 州 制 ﹀ の い ず れ も 、 的潤色の著しい文のなかにある。もとの国書そのままを転載したものか、あるいは書紀が改めて修辞したものか、 いずれであるにしても、国書としての体裁をととのえようとした意図によることは疑いを容れない。その性格上、 まさに異例とみるよりほかない。次の﹁遺命﹂は、二例とも﹁天皇遺命﹂とあり、いずれも推古天皇の遺言をあら わす。古訓では﹁遺﹂を﹁のち﹂と訓むが、もとより﹁のち﹂それ自体に、 言えば、遺言にあたる日本語がなかったために、 ﹁遺﹂の意味があるはずはない。逆に ﹁遺﹂を使用せざるを得なかったのであろう。 一 方 、 ま た ﹁ 命 ﹂ 室 田 や 後 漢 書 な ど の 帝 紀 で は 、 それらの言い換えである。漢 ﹁ 遺 詔 ﹂ を も っ ぱ ら 使 い 、

E

群でもそれを襲っている︵一四制・一五制

ω

︶乙とに照 して、言い換えで﹁命﹂を使うということは、﹁命﹂を積極的に使う

E

群の、その全般的な傾向と無縁ではなかっ たに相違ない。そうした点で、くだんの﹁天皇遺命﹂は、﹁遺﹂それ自体が漢語であるのとはうらはらに、むしろ ﹁天皇命﹂ないし﹁天皇之命﹂との類縁を強く保持していたはずである。 についていえば、いずれの﹁遺命﹂も、 ﹁遺言﹂あるいは﹁遺詔﹂の直後にあって、 さて残る﹁勅命﹂は、 一見してその全体が漢語であることを思わせる。しかしながら、 ﹁ 勅 命 ﹂ を 含 む 一 文 は 、 詔日、明紳御大八洲倭根子天皇勅命者、諸国司国造郡司及百姓等、諸可 ν 突 。 ︵ 二 九 初 ﹀ 右のように宣命の冒頭部分と表現の基本において酷似する。宣命の冒頭は型にはまった形式的な表現から成るが、 次にあげる元明天皇の即位のおりの宣命も、 そ の 一 例 で あ る 。

(9)

⑮ ︵ 第 三 詔 ・ 慶 雲 四 年 七 月 ︶ ﹁勅命﹂が、古訓など︵岩波大系本も同 じ﹀の訓みのとおり﹁おほみことのり﹂をあらわしているか、またあるいは、字面が共通するという点では、右の 宣命の﹁勅命﹂にあたる﹁のりたまふ︵おほ︶み乙と﹂をあらわしているのか、いずれであるにせよ、宣命の表現 詔日、現一紳八洲御宇倭根子天皇詔旨勅命、親王諸王諸臣百宮人等天下公民、衆間宣。 こうした宣命の表現の形式を、前掲の一文が借りている ζ と は 疑 い な い 。 の形式を借りたことにともなう、いわばその形式に即応させた表現である点にかわりはない。したがって、たとえ それが漢語であるにしても、もちろん漢語そのものの使用を意図したのではない。その使用においては、むしろ日 本語をあらわしたと乙ろの、すなわちその漢字表記であったはずである。 ﹁命﹂の熟合用字の例は右につきる。 ﹁皇命﹂を除いて、いずれも一・二例にとどまる。わずかな数であるから、 異例といってわりきることもできるが、しかし異例としたところで、 そのうち漢語そのものとみなしうるのは、せ いぜい﹁宝命﹂ぐらいしかない。そのほかの﹁遺命﹂あるいは﹁勅命﹂にしても、 ﹁ 命 ﹂ の 限 り で は 、 ﹁ み 乙 と ﹂ ないしは﹁みことのり﹂をあらわすその漢字表記とみて誤りはない。それらもまた

E

群が多用する﹁命﹂の、 そ の 類例にほかならない。かくて

H

群では、天皇の勅命に﹁命﹂をもっぱら使い、しかもまた、 そ れ を 、 日本語﹁みこ と﹂ないしは﹁みととのり﹂をあらわす漢字表記として使用する乙とを原則としていたのである。 そうした原則を貫いている以上、漢語的性格の著しい﹁勅﹂の使用にためらいがあったであろうことは、推測に か た く な い 。 実 際 、 ﹁勅﹂の使用をあきらかに控えている。

E

群をとおして、巻三・六・ ︵遺勅の二例﹀・二九の都合六例にすぎない。しかもそのうち、巻三の例拘、 是時、勅以、菟狭津媛賜、妻ニ之於侍臣天種子命−。 故 爾 、 天 紳 御 子 之 命 以 、 饗 賜 ニ 八 十 建 一 。

E

群 で は 、

︵ 三 川 ︶ ︵ 古 事 記 ・ 中 6 ウ ︶ 日 本 書 紀 の 敬 語 九

(10)

皇 后 ぷ込| "'IJI f弗 ~I 数

王李

卿 大 等 亭

五 琵

十 箆 五 恋 人っ

i

f

賜ζ 第

奇 士

雲語

︵ 二 九 制 ︶ 右のように本来﹁命﹂に類型的な表現にかようほか、巻六の﹁被レ勅﹂︵六山︶とある例が上述のとおり﹁みことか がふり﹂をあらわしたとみられるこれまた類型的な﹁被レ命﹂︵玉川・一二制﹀あるいは﹁被ニ天皇命一﹂ ハ 七 山 ・ 一 泊 ﹀ と 共 通 す る な ど 、 ﹁勅﹂をいわば﹁命﹂になぞらえて使うといった特徴もある。特徴的なそうした﹁勅﹂の 使 用 が 、 ﹁命﹂の使用にうかがわれる

E

群の基調、すなわち日本語︵実際には、当該漢字に付随した和訓︶にもと づいてそれを漢字表記するという、 説くまでもないであろう。 その基調により、したがってまた﹁命﹂の使用と軌を一にする乙とは、もはや

四 、

E

群を特徴づける﹁勅﹂の使用

一 方 、

I

群 ・

E

群では、ともに﹁勅﹂の多用にこそむしろ特徴がある。用例の数は、もとより﹁命﹂の比ではな ぃ 。 し か も ま た 、 それらの使用それ自体にも

E

群とは明らかな違いがある。 ま ず

E

群を取りあげてみるに、 そ の

E

群との違いで、まず注目すべきは、 ﹁ 勅 ﹂ を は じ め と し て 、 ﹁ 命 ﹂ な ど も 熟合用字として多用する点である。便宜、 それら熟合用字の上項に位置する異なり語の限りを拾いだすと、次のと お り で あ る 。 ︹ 勅 ︺ 誠勅︵一四制

ω

︶天勅︵一七回・一九郎

w m

﹀帝勅︵一七四﹀恩勅︵一七幻・二五山︶官一勅 ︵ 一 七 四 九

ω

︶詔勅ハ一七 m m 幻・一九訂以下側︶聖勅︵一九

ω

︶来勅︵一九似﹀前勅︵一九九・二五別︶ ︹ 命 ︺

(11)

景命

C

六時︶国命︵一七担︶恩命︵二五加︶寵命つ一六

m

︶ 用例の少ない﹁命﹂では、わずかに九例しかないその全用例のなかばを、右に掲出した熟合用字の用例が占める。 いずれも

E

群に限ってあらわれるが、 そうした熟合用字をはじめとして、

E

群 で は 、 ﹁ 勅 ﹂ や ﹁ 命 ﹂ を 、 その本 来の漢語として使用する著しい傾向をみせる。たとえば、次の出典をもっ例についてはいうまでもないが、 伏 願 、 陛 下 仰 答 ニ 霊 紙 一 、 弘 宣 ニ 景 命 一

C

六 5 ︶ 伏 願 、 陛 下 仰 答 ニ 霊 紙 一 、 弘 官 一 二 景 命 一 ︵ 芸 文 類 衆 ・ 巻 一 四 ・ 帝 王 部 ・ 斉 明 帝 ︶ その傾向は、とりわけ﹁勅﹂において、それを対象とする動詞との相関に著しい。そのなかでも用例の多い ⑫ 勅﹂﹁奉勅﹂などを取りあげてみるに、まず﹁宣勅﹂については、文選に、 伏見ニ詔書井鄭義泰宣勅二嘗 v v 一 一 理 臣 亡 高 組 音 故 標 騎 将 軍 建 興 忠 貞 公 壷 墳 盛 一 。 ﹁ 官 一 ︵ 巻 三 九 ・ 為 ニ 下 彬 一 謝 v 情 一 一 下 忠 貞 墓 一 啓 ︶ 右 の よ う に ﹁ 詔 書 ﹂ と 井 − 記 さ れ て い る 。 ﹁ 鄭 義 泰 宣 勅 ﹂ と い う 場 合 の 、 その鄭義泰︵梁の官吏であろうと推測する

i

i

全釈漢文大系﹃文選﹄五の注︶がかかるのは、もちろん三きである。文中に﹁陛下﹂という梁帝の﹁勅﹂を 彼 が ﹁ 宣 ﹂ し た も の 、 そ れ が つ ま り ﹁ 宣 勅 ﹂ で あ る 。 同 じ 文 選 の ﹁ 及 ニ 高 后 稽 下 制 、 乃 以 ニ 張 郷 一 潟 ニ 大 謁 者 一 。 臥 内 一 、 受 ニ 宣 詔 命 − 。 ﹂ ﹁ 大 謁 者 ﹂ と な っ た 張 郷 そ 出 ニ 入 ︿ 巻 五

0

・賞者伝論︶などでも、﹁詔命﹂を﹁受宣﹂するのは、 の人である。史書では、たとえば﹁今吏

1

皆 失 ニ 其 中 一 。 奉 ν 宣 ν化如 v此、量不 v 哉 。 ﹂ ︵ 漢 書 ・ 巻 八 ・ 宣 帝 紀 ︶ を はじめとして、﹁宣﹂は、しばしば﹁風化﹂﹁徳化﹂﹁威風﹂﹁主恩﹂﹁聾数﹂﹁恩津﹂︵漢書・後漢書のおもに ﹁紀﹂の用例﹀などをその対象とするが、それらが﹁詔﹂の内容をあらわすさまざまな言い換えである乙とは、 吏猶不 ν 能 ニ 奉 宣 一 。 一 口 同 皇 帝 七 年 、 制 ニ 詔 御 史 − ﹁ ︵ 裁 判 に つ い て の 具 体 的 な 指 示 を そ の 内 容 と す る と 上 恩 如 ν 此 、 日本書紀の敬語

(12)

梯教大事大串院研究紀要第十二強 ︵ 漢 書 ・ 巻 二 三 ・ 刑 法 志 ︶ ﹁ 制 詔 ﹂ し た そ の 内 容 に 対 し て 、 ﹁上恩如此﹂という右の例によっても明らかであろう。いわば、 それらは、臣下 が ﹁ 詔 ﹂ を う け 、 それを﹁化﹂や﹁恩﹂として﹁宣布﹂あるいは﹁宣揚﹂することをあらわすという点で、まさに 一つに括りうる。さきに挙例した﹁文選﹂の﹁官一勅﹂も、もちろんその例にもれない。 さ て 、 日本書紀では、﹁宣 ν勅﹂の用例は

E

群︵一七

ω

・ 一 九

ω

・ ニ

O

ω

・ 二 七

ω

﹀にしかない。いずれも臣下を つまりは漢語そのものの応用とみなしうる。そしてまた、 ﹁ 勅 使 奉 v勅、宣ニ於大河内直 その主語とするところの、 味 張 一 日 ﹂ ︵ 一 八 お ﹀ ﹁ 大 伴 大 連 奉 v 勅 宣 日 ﹂ ︵ 一 八 必 ﹀ ﹁ 持 − 一 詔 書 一 宣 日 ﹂ ︵ 一 九 印 ︶ ﹁ 繭 麻 沙 等 、 還 v 自 ニ 日 本 一 、 以 ニ 詔 書 一 宣 日 ﹂ ︵ 一 九 臼 ︶ ﹁ 大 政 官 等 、 奉 ν勅奉 ν 宣 ﹂ ︵ 二

O

刷 ︶ ﹁ 汝 道 那 等 、 奉 一 一 斯 所 v 勅 、 奉 v 宣 一 一 汝 王 乙 ︵ 三

O

州 ︶ な ど も 、 ﹁ 官 一 ν勅﹂の類例にほかならない。 乙 う し た

E

群に限ってあらわれる用例も、 ひっきょう、漢語をそ のまま取りこんだ表現を基調とする

E

群 の 、 その志向によってもたらされたものであったに相違ない。ちなみに、 ﹁ 官 一 ﹂ は

E

群の巻二二以前には皆無である。また一方、古事記にも、力士に対する天皇の発話語︵中初オ︶ と し て、わずかに一例あるにすぎない。 次に﹁奉 ν勅﹂であるが、これが﹁宣 v勅﹂同様、漢語の応用であることは説くまでもない。用例は、いずれも

E

群︵一四

ω

・ 一 八

ω

・一九例・二六

ω

・ 三

O

ω

﹀に限ってあらわれる。 に偏在し、それと意味のうえでも類縁をもつのが、﹁聴 ν 勅 ﹂ そ し て 、 その﹁奉レ勅﹂と同じように皿群 ﹁ 間 ν 勅 ﹂ ﹁ 受 v 勅 ﹂ ﹁ 承 v勅﹂などの、いわば勅をグう け る d 乙とをあらわす一連の用例である。 ﹁ 奉 v ﹂ を 含 め 、 それらは互いに通用されている。 た と え ば 、 次の一節で﹁二園﹂とは新羅と百済とをさすが、 その二国の王が天皇の﹁勅﹂を f つ け る d と い う 場 合 に 、

(13)

何故、二国之玉、不三羽刺客矧ニ天皇勅一、軽遣 ν使乎。今縦汝玉、副剰間 ν 、 王 ロ 不 一 一 肯 勅 二 必 追 逐 退 。 ︵ 一 七 お ︶ 右のように﹁受﹂と﹁間﹂とを使う。﹁受﹂に対する﹁聞﹂は、﹁鶴来集﹂を﹁自来﹂に、また﹁天皇勅﹂を﹁勅﹂ にそれぞれ縮約し、全体として四字のまとまり二つからなる八字一匂を、四字一匂のまとまりに改めるなかでの言 ﹁受﹂と﹁間﹂とに違いがあるわけではない。右掲の一節に続いて、 それと関連する事態を記述したなかにも、さらに﹁率二衆三千一、来語 ν ν 勅﹂﹁頻請 ν v ﹂ ﹁ 悩 二 臨 時 v 勅 使 一 ﹂ ︵ い ずれも一七

m

﹀ な ど と あ る 。 あ る い は ま た 、 次 の 例 で は 、 ﹁ 勅 ﹂ は 、 い ず れ も 任 い換えに過ぎない。単なる言い換えであり、 ﹁ 聴 ν勅﹂と﹁奉 ν ﹂ と を 使 う 。 那 の 建 国 を ゆ つ な が す 天 皇 の 勅 命 で あ る 。 今日本府臣及任那執事、宜三来聴 ν 、 同 議 − 一 任 那 一 。 那 一 。 ︵ 中 略 ︶ 詔 日 ﹁ 早 建 一 一 任 那 一 。 ﹂ 又 津 守 連 、 奉 v 勅 、 間 v 成 ニ 任 ︵ 一 九 侃 ︶ 右のほかに、とはいえ関連をもっ一連の事態が展開するなかにも﹁倶承一一思詔 L ︵ 一 九

ω

︶ ﹁ 乞 聴 ニ 恩 詔 一 ﹂ ︵ 同 拘 ﹀ と あ り 、 そ れ ら ﹁ 受 ﹂ ﹁ 間 ﹂ ﹁ 勅 ﹂ を f つ け る H という場合の互換可能な表現として つまり﹁受﹂以下の一連の語を漢語として応用していたことを物語るであろう。漢語で ﹁ 聴 ﹂ ﹁ 奉 ﹂ ﹁ 承 ﹂ な ど は 、 一 つ に 括 り う る 。 そ れ は 、 は 、 そ れ ら は 、 奉 、 承 也 ︵ 説 文 ︶ 聴、猶 v 受也︵春秋左氏伝・成会十二年﹁鄭伯如 v 器 レ 成 ﹂ の 杜 預 注 ︶ 右のように互いに対応的な関係にある。

E

群で積極的に行なう﹁受﹂以下の語の通用が、 そうした漢語本来の用法 にもとづくその応用であった乙とは、かくて疑いない。 日 本 書 紀 の 敬 語

(14)

悌 一 教 大 事 大 事 院 研 究 紀 要 第 十 二 挽 四 ところで

E

群 で は 、 ﹁命﹂の多用と、またそれを

y

つ け る H 場合の表現に﹁被﹂を||﹁勅﹂ ﹁命﹂が﹁みこと﹂の正訓字であり、 ︵ 六 則 ︶ や ﹁ 詔 ﹂ ︵ 一

o

m

︶にも

l

i

用いることなどに特徴がある。 正訓字とみられるという点では、その特徴は上述のとおり、日本語にもとづく表現を行なっていたということにつ きるが、しかし、その一方で、﹁勅﹂も使い、また﹁命﹂に限っては、それを f つ け る d 場合の表現に、当然のこ ⑬ ︵ 二 ニ 抑 制 ・ 二 二 川 ﹀ な ど も 使 う 。 ﹁被﹂も﹁かがふる﹂の とながら﹁受﹂を使い、その他、少数ながら﹁承﹂ ︵ 七 山 ・ 二 二 川 ︶ や ﹁ 奉 ﹂ そのうえ、次の﹁聴﹂の用例もある。 詔日、明紳御ニ大八洲一日本根子天皇勅命者、諸国司郡司及百姓等、諸可 v 失 。 しかしながら、こうした用例をただちに直群のそれと同一視することは早計に過ぎる。右の例についていえば、さ ︵ 二 九 加 ︶ きに﹁勅命﹂を取りあげたさいに、 一文全体が宣命に類型的な表現とほとんど一致する乙とに言及したが、 ﹁ 聴 ﹂ も ま た 、 その一致する例にもれない。 現御神止大八嶋国所知天皇大命政麻詔大命乎集侍皇子等王等百官人等天下公民諸骨食止詔。 乙こではどの宣命も、例外なく﹁聞﹂ないし﹁聴﹂を使う。一方、同じ宣命のなかでも、 現 御 神 止 大 八 嶋 国 所 知 倭 根 子 天 皇 命 授 賜 比 負 賜 布 貴 支 一 口 同 支 広 支 厚 支 大 命 乎 受 賜 利 。 ︵ 第 一 詔 ︶ ︵ 同 右 ﹀ く 場 合 な ど で は 、 っ て 、 そ の 後 に ﹁ 恐 坐 豆 此 乃 食 国 天 下 乎 調 賜 比 平 賜 比 天 下 乃 公 民 乎 恵 賜 比 撫 賜 群 枇 ﹂ と 続 う け た ま は る う け た ま は る う け た ま は る た ま は る これまた例外なく﹁受賜﹂﹁受給﹂﹁受被賜﹂ないし﹁賜﹂を使う。 の つまり、現に﹁詔ハ宣︶﹂る﹁大命﹂を﹁集侍﹂ということに明らかなように、 そ の 場 で グ キ C / \ M M ︵ 聞 ・ 聴 ︶ 場 右のように﹁大命﹂を﹁受賜﹂ 合 と 、 ﹁食国天下乎調賜﹂以下の行為の前提となる﹁大命﹂をかうける d ︵ 受 ・ 賜 ︶ 場 合 と を 、 それぞれ一貫して 使い分けているのである。日本語のグきく H とグうける d との違いに応じたその使い分けを、古事記でもまた、同

(15)

様に行なっている。 於 v 是、大長谷玉、以 v 矛矯 v 杖 、 臨 一 一 其 内 一 詔 、 我 所 一 一 相 言 一 之 嬢 子 者 、 若 宮 一 此 家 一 乎 。 爾 、 都 夫 良 意 美 間 一 一 此 詔 命 一 、 自 参 出 、 ︵ 下 M オ ︶ ﹁みこと﹂をグうける d 場合の表現として、もっぱら﹁受﹂ないし﹁被﹂を使うなかにあって、右を、 その類例と みることはできない。 ﹁詔命﹂が女性の存否を問うというのであるから、 その内容と、また問いかけに対する対応 という点とにかんがみても、宣命の冒頭と同じその場でよ c く d という表現がふさわしい。古事記が﹁命﹂に対し て﹁闇﹂を用いるのはわずかに右の一例にすぎないが、 そ れ は 、 つまり f つ け る H とはその内容を異にする H き く。をあらわす正訓字表記なのである。 日 本 語 で あ れ ば 、 いるのは、ひっきょう、 グ き く ρ と f つ け る ρ との違いは著しい。宣命や古事記などが、その違いに応じて使い分けて それらが日本語にもとづく表現と、したがってその正訓字表記とを基調としているからに ほかならない。翻って

E

群をみるに、﹁勅命﹂に対して﹁可レ藤﹂という、まさにグきく ρ に 相 当 す る 上 掲 の ︵ 官 一 命 の表現を借りた︶例を除いて、 ﹁命﹂はもとより﹁勅﹂に対しても、 ﹁み乙と﹂をグうける。場合の表現に﹁聞﹂も﹁聴﹂も一切使っていない。日本語におけるグきく ρ と そのそれぞれを正訓字を使ってあらわす、そのおのずからの結果とみることができ ﹁間﹂あるいは﹁聴﹂を使った用例がない。 す な わ ち 、 y つ け る ρ と の 違 い に 応 じ て 、 る。これを要するに、宣命や古事記と同様に、乙の

E

群でも日本語にもとづく表現と正訓字表記とを行なっていた こと、そしてそれが、上述の﹁命﹂の多用や﹁被﹂の使用、さらには﹁命以﹂の利用などをとおしてもうかがわれ る と お り 、

E

群をつらぬく基調でもあった。 日 本 書 紀 の 敬 語 一 五

(16)

悌教大事大事院研究紀要第十二披

二 ハ

五 、

I

群と

E

群との類縁

さて残る

I

群であるが、表にあらわしたとおり、 ﹁勅﹂の多用にこの群の特徴がある。 ﹁命﹂も、巻こにはこ例 ある。けれどもそれらは、あい前後してあらわれ、しかも前出例は、 於 v 是、大己貴紳報日、天榊刺劃、態敷如 v此。敢不 ν v 乎 。 ︵ 二 お ︶ 右のように、これにさきだって﹁勅数﹂を具体的にあらわしたなかに﹁汝則可=一以治ニ紳事一﹂という、まさに﹁命﹂ がそれにあたる内容をあらわしているし、後出の例でも、 故 、 経 津 主 紳 、 以 一 一 岐 紳 二 億 二 郷 導 一 、 周 流 削 卒 。 有 下 逆 v 者 、 即 加 一 一 斬 毅 一 、 掃 順 者 、 の 加 申 褒 美 主 。 服従を促す命令の意であるから、﹁命﹂がそれにふさわしい。 I 群では、かくて﹁命﹂を限定的な意味で、いわば その然るべき内容をあらわすところに限って使う。あきらかに限定して使うその使い方は、

E

群のそれではない。 ︵ 同 前 ﹀ むしろ

E

群 に 近 い 。 一 方 、 ﹁ 勅 ﹂ に お い て は 、 E 群との類似が著しい。用例が多いということの共通のあらわれは表に明らかであろ @ I 群 に ﹁ 巌 勅 ﹂ ︵ 一 お ︶ と あ る 例 が 、 皿群に散見する﹁天勅﹂ ﹁ 思 勅 ﹂ ﹁ 聖 勅 ﹂ な ど うが、具体的なその用例で、 に 通 う ほ か 、 大己貴紳

1

而 敦 ニ 高 皇 産 霊 勅 於 事 代 主 紳 一 。 物 部 大 達 、 方 欲 下 畿 一 一 向 難 波 館 二 宣 中 勅 於 百 済 客 土 。 ︵ 一 七 日 ﹀ 右のような表現の類似した例もある。また一方、さきに掲出した

I

群の﹁天紳勅数、態敷知 ν 此 ﹂ そ れ を 含 む 一 文 は 、

E

群 で の ﹁ 誠 勅 感 動 部 ﹂ ︵ 二 臼 ︶ と あ る う ち の ﹁勅﹂は、体言ではないので表にあらわしてないが、 ︵ 一 四 制

ω

︶と内

(17)

容のうえで彼此照応する。このほか、しいてあげれば﹁受 v 勅 ﹂ ︵ 一 位 ・ 二 侃 ﹀ ︵ 一 4 ・二万花﹀などで ︿二九削︶とあるのが唯一の例で、次のとおり、むしろ

E

群にその例が多い。 ﹁ 随 レ 勅 ﹂ も 、

E

群 に は ﹁ 随 一 一 天 皇 勅 L 受 ニ 天 皇 勅 一 ︵ 一 七 お ︶ 受 一 一 天 勅 一 ハ 一 九 鈎 ﹀ 受 v ︵ 二 七 問 ︶ 随 一 一 天 皇 勅 一 ︵ 一 九 河 ︶ 随 ν ︵ 二 五 川 ︶ 随 ニ 前 勅 一 ︵ 二 五 問 ︶ こ う し て

I

群が多用する用例のほとんどが

E

群の用例に共通するほか、それらの多用そのことにおいても、

E

群 と の 一 致 を み る 。

I

群の用例のなかに、盟群を特徴づけ、その数も多い﹁奉勅﹂あるいは﹁宣勅﹂を見出しえない 点に不審が残るものの、それは恐らく、

I

群が神話をその内容としていたことによるであろう。 ﹁ 勅 ﹂ の 使 用 そ れ 自体においては、ほとんど違いがない。 ﹁ 勅 ﹂ を 漢 語 と し て 使 う と い う 、 そ の

E

群の特質を、かくて

I

群にも認め るととができる。という以上に、より広く漢語にもとづく表現を、ー群と直群とがともに基調としていたとみるべ き で あ ろ う 。 ﹁勅﹂はまさにその基調の具体的なあらわれの一斑にすぎない。ー群にあって、さきに取りあげなか った唯一の用例﹁今天紳有一一此借問之勅一。﹂︵二臼︶も、漢語をもとにした表現の一例にほかならない。そうした表 現の基調において、ー群は右のように

E

群 と 共 通 し 、 その一方で

E

群との違いをきわだたせるのである。

六 、

E

群における﹁御﹂の使用と﹁御所﹂

さて、最後に﹁御﹂を取りあげる。敬語としてのその用例は、日本語では接頭語の﹁み﹂がそれにあたる。漢語 であればもちろんその限りではないが、いずれにしても、以下に取りあげようとするのは、事や物あるいは人︵神︶ などをあらわす語に上接して、それらに対して敬意をあらわす﹁御﹂である。 該当する用例は多い。しかしそれらも、﹁勅﹂﹁命﹂同様、群ごとにあらわれを異にし、またその検討をとおして 日 本 書 紀 の 敬 語 七

(18)

傍教大事大事院研究紀要第十二強 J¥ さぐり得たと同じ各群それぞれに相異なる特徴をみせる。たとえば

E

群 の 用 例 に 、 諸膝君泉媛、依 v 献 一 一 大 御 食 一 而 其 族 曾 之 。 右のようにある﹁大御食﹂は、 仕 奉 等 ﹂ ︵ 七 加 ﹀ ﹁ 将 レ 献 一 一 大 御 食 一 之 時 ﹂ ︵ 中 お オ ほ か ︶ と い い 、 ま た 万 葉 集 に ﹁ 大 御 食 匁 ︵お︶という﹁おほみけ﹂をあらわすその漢字表記である。一方、直群には、次のような記述がある。 頴 二 件 於 庭 一 、 覆 一 一 所 ν掌僕一。議⋮噌︵一四制﹀ ﹁僕﹂はふつうにはそなえ物の意をあらわすが、この場合では、とくに天皇の召しあがり物の意をあらわしている 古事記に 乙とを、注の﹁御膳之物﹂はさし示している。天皇の召しあがり物といえば、 日本語では、まさに﹁おほみけ﹂が ﹁僕﹂も﹁御膳﹂も、ともに漢語である。こうして同じ内容のものでも、

E

群がそれを日本 語を使って漢字表記するのに対して、直群では、どこまでも漢語を使ってあらわすといった違い、さきの結論その そ れ に あ た る 。 一 方 、 ままに、それぞれが基調とする表現の違いを、この﹁御﹂をとおしても指摘できる。 魂|な 」 く な そ の な か に は ﹁大御食﹂と同じように、﹁御﹂を接頭語﹁み﹂の漢字表記として使った例が少 ﹁ 御 孫 等 ︵ 命 ﹀ ﹂ ︵ 六 川

ω

・ 九 川

ω

・二八別﹀や、﹁山河之水泳御魂﹂︵五川︶﹁皇祖御 ︵二九州州︶あるいは神名の一部となっている﹁名、撞賢木巌之御魂天疎向津媛命駕﹂︵九仰︶という﹁御魂﹂ など、いくつかの巻に散見する例もある。そうした用例のうちでも、とりわけ注目されるのが﹁御所﹂である。用 はじめに

E

群 の 用 例 を み る に 、 例は、次のように

E

群の巻々にだけ、しかも偏りなくあらわれる。 付欲 ν 龍 一 一 清 彦 一 而 召 之 、 賜 − 一 酒 於 御 所 一 。 ︵ 六 川 ︶ 伺其栗林之菓、不 ν 進 一 一 御 所 一 也 。 ︵ 九 制 ︶

(19)

同若有 ν − 一 天 皇 之 御 所 一 、 具 奏 一 一 兄 王 聖 之 且 有 v譲失。︵二川︶ 倒皇子則終ニ来其氷二厳一一子働問一。天皇歎之。︵二制﹀ 回遠居御所、行 v 政不 ν 便 。 ︵ 二 八 山 ︶ U W 一 一 高 麗 一 大 使 ︵ 人 名 略 ︶ 小 使 ︵ 人 名 略 ︶ 等 、 奏 ニ 使 旨 於 御 所 一 J ︵ 二 九 制 ︶ つどう六例あるが、いま、かりに﹁御所﹂とそれを対象とする動詞との相関をもとに分類してみると、ハ門同国は、 場所的な意味あいが特に強い。一方同では、それを﹁天皇﹂に置きかえることもできる。また同例では、助辞﹁子﹂ ﹁於﹂があるから一見して場所の意をあらわしているかにみえるが、たとえば﹁是道路問、獲ニ白鹿一。乃還之厳二 子天皇 L ︵ 一 一 山 ︶ あ る い は ﹁ 因 遺 一 一 吉 備 武 彦 一 、 奏 ニ 之 於 天 皇 一 日 ﹂ ︵ 七 山 ︶ な ど 、 ﹁ 御 所 ﹂ に か え て ﹁ 天 皇 ﹂ を あ て は め る ζ とも可能であり、同の類例とみなすことができる。それら同岡山 W を一括すると、さきの付同同などの一 類とあわせて、大きく二つの類に分けられる。 もとより﹁御所﹂それ自体に意味の違いがあるわけでなく、ただ動詞との相関をもとに便宜的に分類してみたま でであるが、そうして分類してみると、古事記にある﹁御所﹂の用例にも認められるこつの類と、類としての、し たがって用例相互の一致をみる。

o

H

同国の類

ω

乃 、 違 − 一 遣 於 木 園 之 大 屋 毘 古 一 脚 之 御 所 三 ︵ 上 お オ ︶

ω

故 、 随 一 一 詔 命 一 而 参 ニ 到 須 佐 之 男 命 之 御 所 一 者 、 ︵ 上 沼 オ ︶

ω

爾、其矢

1

逮 下 坐 ニ 天 安 河 之 河 原 一 、 天 照 大 御 一 脚 、 高 木 紳 之 御 所 九 。同側内の類 ︵ 上 引 オ ︶ 日本書紀の敬語 九

(20)

梯教大事大皐院研究紀要第十二競

ω

猶宜 ν 一 一 天 一 紳 之 御 所 一 。 ︵ 上 3 ウ ︶

ω

請 ニ 白 天 皇 之 大 御 所 一 而 、 ︵ 中

ω

オ ︶

ω

爾 、 侍 ニ 其 大 長 谷 王 之 御 所 一 人 等 白 、 二

O

︵ 下 お オ ﹀ 古事記の用例についてはすでに指摘があり、岩波日本思想大系﹃古事記﹄の﹁訓読補注﹂︵削頁︶には||﹁御所﹂ が四例、﹁大御所﹂が一例あるというが、右のとおり﹁御所﹂は五例ある

il

− 、 二 例 ︵ 右 に 掲 出 し た う ち の

ω

同 ︶ は﹁天紳﹂や﹁天皇﹂そのものを指す尊称で、場所の意味はなく、他の三例︵同じく

ω ω ω

︶は場所を示し、なお かつ﹁尊称であって正格漢文には表記されない用法である。﹂と説く。そして訓点資料の用例をもとに、﹁みもと﹂ と 訓 む 。 用例を二つの類に分けるのは、小稿と立場を同じくするが、しかし二つに分類したそのそれぞれについての説明 は、どうにも釈然としない。たとえば川判例を尊称とみて、場所の意味はないとするが、はたして尊称の限りでそれ を使ったものなのか。尊称としたところで、﹁天神﹂や﹁天皇﹂に尊称を使う例がほかにあるのか、またそもそも、 それらに尊称を使う必要があったのか。さらにまた

ω ω ω

について、場所を示しながらなお尊称であるという、そ の乙と自体が不可解でもある。 右に先学の所説を取りあげたのは、もとより、疑問を提示するためではない。そこに、一部の用例について﹁正 格漢文には表記されない用法﹂という指摘があるからにほかならない。小稿の立場から言いかえるならば、それは、 つまり古事記での用例のうちに漢語﹁御所﹂の通常とは違う用法による例があるということである。それらを含め、 古事記での用例を一律に﹁みもと﹂と訓むが、小稿では、その訓みと﹁御所﹂との関係に関心をよせる。すなわち、 それが日本語﹁みもと﹂をあらわす漢字表記であった乙とも ﹁御所﹂を漢語そのものとして使ったのでなければ、

(21)

考えうるからである。 古事記の用例のうちに﹁大御所﹂とある例は、 記では、﹁大御﹂は﹁おほみ﹂をあらわすことが通例であり、 ﹁御所﹂の性格を探るうえで極めて示唆深い。というのも、古事 その通例にかんがみて、﹁大御所﹂はその構成上﹁お ほみ﹂をあらわす﹁大御﹂と﹁所﹂との結合に成ること、 それゆえに、またそれが日本語をあらわしていることも 確実に推定できるからである。﹁もと﹂をあらわしたとみなしうる﹁所﹂の例は管見にはいらないけれども、﹁所﹂ は、接尾語﹁がり﹂の表記としては、﹁もと﹂の正訓字﹁許﹂と通用されている。 ︹ 許 ︺ 妹 創 刊 と 五 口 が 去 く 道 の ︵ 削 ︶ 妹 等 割 今 木 の 嶺 に ︵ 間 ︶ ︹所︺妹所と云はば七日越え来む︵問︶妹等所我が通く路の︵問︶ 右のような﹁許﹂と﹁所﹂との通用は、その両者のあらわす意味が等しいとみる認識によるであろう。 これまた意味的な重なりを持つ。そうして﹁所﹂を﹁がり﹂の正訓字として使う以上、意味的にも ﹁ が り ﹂ と ﹁ も と ﹂ と は 、 重なる﹁もと﹂をあらわす正訓字としても、その﹁所﹂の使用は当然、ありえたはずである。 ところで、古事記の用例は、いずれも一定の表現の型から成り立っている。すなわち﹁天皇︵榊︶︵王︶︵命︶之 ︵大︶御所﹂とあるそのどれもが﹁

i

i

之御所﹂という型から成る。しかもまた、その﹁御所﹂が行為の及ぶ対象 であるという点も共通する。類型的なその表現の型は、宣命の﹁掛畏我皇聖太上天皇創岡公奏給蹴﹂︵第二十五詔︶ とある用例のほか、さらには、正倉院文書の﹁人々啓扶﹂ われている﹁御所﹂にも、同様にみることができる。﹁人々啓朕﹂での用例は、 誠慢誠憧謹啓導者創例措遺 右、山背圏在林郷阿万老女等、昔在古郷、今坐三報里、朝歎欠家内食、暮望仁大徳、然仰望者、彼此遠隔、相 ︵引用は寧楽遺文下巻による。頁数も同じ﹀のなかに使 日本書紀の敬語

(22)

梯教大事大事院研究紀要第十二親 見途絶、の捧巽吠、謹馳深思 天卒賓字二年九月一日 右例のように、消息文に先立つ書き出しの部分や、また次の、 今 適始面奉、更不寒温、縁見終大般若品川巻及道巌経十三巻、今沙繭奉迭、請被検領之、不具、 ︵ 天 卒 賓 字 二 年 ︶ ︵ 抑 頁 ︶ 九月廿三日唐借恵雲朕 佐 官 御 所 経坊司 ︵ 町 頁 ﹀ 消息文の後の宛先を記した箇所などにあるほか、消息文それ自体のなかにも﹁佐官等御所申給﹂ ︵ 似 頁 ︶ と あ る 。 ﹁導者﹂などの尊称あるいは官名などにつけて、受け手自身を行 為の直接的な対象とするのではなく

l

l

つまり敬避して

l

l

受け手の近辺、そのもとを対象とする、それが﹁御 所﹂のふつうの用法である。正倉院文書のなかの﹁人々啓欣﹂として一括されている仮名文書には、 ⑬ レ | | !

l

布多止己呂乃己乃己呂美乃美毛止乃加多知支ミ多末マ伊多天万都利阿久︵甲文書−

m

︶ 右のように﹁美毛止﹂の仮名書き例がある。時代別国語大辞典︵﹁みもと﹂の項︶では、その﹁みもと﹂の直前の いずれにしても、消息文の受け手に対する﹁等﹂ ﹁乃﹂をはさんで重出するこつの﹁美﹂の一方を街字とみて、﹁みもと﹂ を認定しているのであるが、挙例した右の一節の、受け手の消息を尋ねるというその内容や、また﹁みもとのかた 受け手自身を ﹁乃﹂の右下に付された﹁レ﹂をもとに、 ち﹂という言い方などに照らして、 ﹁ み も と ﹂ と称していることは疑いない。 さきに掲出した﹁御 所﹂が、いずれにせよ行為の対象であり、 その行為の及ぶ場所的な意味あいを含みもっていたのとは、いくぶん違

(23)

うものの、もちろんその派生的な意味を出るものではない。そしてそれらのあらわす意味は、漢語﹁御所﹂があら わす通常の、すなわち﹁天子の御座所﹂といった意味とは明らかに違う。仮名書き例から類推して、﹁人々啓扶﹂ として一括される文書中の﹁御所﹂は、かくて﹁みもと﹂をあらわす漢字表記とみて誤りないであろう。 古事記や宣命などの用例が、正倉院文書中の﹁御所﹂と、語法やそれが使われる一文の構成にいたるまで一致す ることは上述のとおりである。古事記では、その用例が二つの類に分けられるが、もとより別語であったはずはな ﹁御所﹂を使う文中の、その動詞との相関の異なりによって、意味に若干の違いが生じるまでであって、そう し1 0 した違いが生じるというそのことも、また ﹁御所﹂を漢語そのままでなく、むしろ日本語﹁みもと﹂の漢字表記 として使ったことを推、測させる徴証となるであろう。

E

群 の ﹁ 御 所 ﹂ は 、 これまた上述のとおり、古事記の用例と の類縁が著しい。その類縁と、さらには前掲﹁大御食﹂﹁御魂﹂などの用例

l

!類例はもちろん少なくな い !

l

が示唆する

E

群の一般的な傾向、すなわち﹁御﹂を接頭語﹁み﹂の漢字表記として使う点に特徴があるその ﹁みもと﹂の漢字表記であったことは疑いを容れない。もとより、 ﹁ 御 孫 ﹂ 傾向とから判断して、

E

群の﹁御所﹂もまた、 そ れ の 使 用 が 、

E

群を貫く表現・表記の基調と無縁であるはずもない。かくして、 ﹁命﹂の使用に顕著であった

E

群の、日本語にもとづいてそれを漢字表記するという基調を、この﹁御所﹂をとおして追認しうるであろう。

七 、

E

群における﹁御﹂の使用と﹁御座︵坐︶﹂

E

群の用例を﹁御所﹂に代表させたと同様に、以下に直群の用例を検討するうえで、便宜、その代表的な 用例を取りあげてみる。もっとも、用例の総数自体が少ない関係上、格恰の例といえるものは無いが、それでも、 さ て 、 ﹁ 御 座 ﹂ は 、 E 群の用例を代表しているとみなしうる。三例あるそのいずれも、別々の巻にある。 ﹁ 御 所 ﹂ に 類 縁 日本書紀の敬語

(24)

悌教大事大事院研究紀要第十二挽 二 回 をもっ語でありながら、それとは互いに排他的にあらわれる点も、また注目にあたいする。 まずは次の例。出典をもっ一節のなかにある。 乃聴市不 ν 一 一 御 坐 一 。 世 嘉 ニ 其 能 以 v 貫 譲 一 、 ︵ 一 五 山 ︶ 出典は芸文類衆・巻一二・人部・譲の﹁呉志﹂である。掲出した限りは原文そのまま︵ただ﹁坐﹂だけは、原文で は﹁座﹂に作る︶であるから、それは引用するまでもないであろうが、この﹁御坐﹂は、右の一節に先立つ記述の、 同じように芸文類来の一節を利用したなかにある次の﹁天皇之坐﹂にほかならない。 百 官 大 曾 。 皇 太 子 億 計 、 取 一 一 天 皇 之 璽 一 、 置 一 一 之 天 皇 之 坐 一 。 再 奔 俊 一 諸 臣 之 位 − 日 、 此 天 皇 之 位 、 有 v 者 、 可 一 一 以 慮 官 之 。 ︵ 一 五 郎 ︶ 諮侯大曾。湯取ニ天子之璽二置一一之天子之坐一、再奔従ニ諸侯之位一。湯目、此天子之位、有 ν 道 者 、 可 ニ 以 庭 v 之 。 ︵ 巻 一 二 ・ 人 部 ・ 譲 ﹁ 周 書 ﹂ ﹀ それはまた、右にいうように﹁天皇之位﹂の象徴でもある。 ほかに二例ある﹁御座﹂も、右の例となんら変りない。説明を加えながら挙例してみるに、次の例は、大極殿で 倉山田麻呂臣が ﹁ 三 韓 表 文 ﹂ を読唱する際に起った蘇我入鹿殺害事件のその記述中にある。 傷 を 負 っ た 入 鹿 は 、 ﹁ 御 座 ﹂ に す が り つ く 。 入 鹿 、 碍 一 就 御 座 一 、 叩 頭 目 、 首 ν 居 − 一 嗣 位 一 天 之 子 也 。 不 ν ν 。 乞 垂 ニ 審 察 一 。 天 皇 大 驚 、 残る一例は、︷八戸の国司が献った﹁白雑﹂を御覧になるという記述のなかにある。 ︵ 二 四 川 ﹀ 時 左 右 大 臣 、 就 執 二 輿 ︵ 維 を い れ た こ し ﹀ 前 頭 一 、 伊 勢 五 ︿ ほ か 二 名 ︶ 、 執 ニ 輿 後 頭 一 、 召 ニ 皇 太 子 一 、 共 執 而 観 。 置 ニ 於 御 座 之 前 一 。 天皇、郎 ︵ 二 五 加 ︶

(25)

﹁ 白 堆 ﹂ を 休 祥 と み て い る の で 、 それの観覧は﹁如一二万曾儀一﹂というほどの盛大でおどそかななかで行なわれる。 ﹁御座﹂は、そうした晴れの場にしつらえられた﹁天皇之坐﹂である。さきの例も、大極殿で三韓の使節の朝貢を 受けるという儀礼的な場にある。はじめに掲出した﹁御坐﹂も、とれまた﹁百官大曾﹂という盛儀をとり行なう場 に あ る 。

E

群の﹁御座﹂は、かくて三例とも、晴れの場でのまさに天皇がそこに即くべき座、 すなわち﹁天皇之 坐﹂をあらわしていたのである。そのうちの一例は、出典そのままの漢語である。他の二例も、同じ漢語であるこ 調であった。ほかに﹁御﹂に限っても、 そうした漢語の使用例︵たとえば﹁御路﹂二七加・

E

群に特徴的な表現上の基 ﹁ 御 苑 ﹂ 三

O

川 な ど ﹀ とは言を倹たない。漢語の使用は、さきに取りあげた﹁御膳﹂もそうであったように、 がある。それらも、結局は、同じ基調のあらわれにほかならない。 八、再び、

I

群と

E

群との類縁

ところで

I

群 に は 、

E

群 、

E

群を特徴づけたそれぞれ﹁御所﹂ ﹁ 御 食 ﹂ や ﹁ 御 座 ﹂ ﹁御膳﹂などの例がない。け れども親近をもつのは、あきらかに

E

群 で あ る 。 ﹁御服﹂と﹁御衣﹂とは互いに類義的な関係にあり、いずれの使用もありえたはずであるが、 是 後 、 稚 日 女 等 、 坐 二 子 粛 服 殿 一 而 織 − 一 一 脚 之 御 服 一 也 。 ︿ 一 お ︶

I

群では﹁御服﹂を使う。一方、同じ内容をあらわした古事記の記述をみるに、次のように﹁御衣﹂とある。 天 照 大 御 一 脚 、 坐 ニ 忌 服 屋 一 而 令 v 織 ニ 紳 御 衣 一 之 時 、 古事記では、用例の全てが﹁御衣﹂ た と え ば 、 ︵ 上 回 オ ︶ ︵ ほ か に 七 例 ︶ で あ り 、 ﹁ 御 服 ﹂ は 一 例 も な い 。 ﹁御服﹂を使用する

I

群 と ﹁御衣﹂を専用する古事記との、その両者のそれぞれの使用は、互いに排他的なのであるが、まさにその排他的な 日本書紀の敬語 五

(26)

悌教大事大串院研究紀要第十二強 一 一 ム ハ 使用は、書紀においても、

E

群と直群との間にみることができる。すなわち

E

群では、巻二九にしか用例がないが、 御衣袴︵別︶薬措御衣三具︵削︶邑御衣三具︵同︶御衣御被各一具︵制︶ 右のように、古事記と同様に﹁御衣﹂の専用である。それに対して、

E

群では、巻三

O

の 一 例 だ け で あ る が 、 此 以 二 天 淳 中 原 一 一 宮 県 人 天 皇 御 服 一 、 所 ニ 縫 作 一 也 。 ︵ 三

O

問 ︶ ﹁御服﹂を使う。その﹁天皇御服﹂は、ー群の﹁紳之御服﹂と一致する。古事記や

E

群が﹁御衣﹂の使用に徹して いることにかんがみても、ー群は、それらとは明らかに違い、むしろ用例の一致する直群に類縁をもっとみて誤り ないはずである。ちなみに、万葉集でも、﹁みけし﹂には﹁御衣﹂︵川︶を使い、﹁御服﹂の例はない。 そ の ほ か 、

I

群には、特徴的な用例として﹁皇孫﹂が四十例近くあるが、

E

群では、巻三にそれが一例あるほか は、さきにも言及したとおり、﹁皇御孫尊﹂︵六郎・二八制これは﹁命﹂に作る︶あるいは﹁御孫等﹂︵九

ω

ω

︶ ﹁骨さないし﹁命﹂といった尊称をつける。﹁皇孫﹂を頻用しながら、

I

群 に は 、 など、いずれにも﹁御﹂を冠し、 な く 、 そうした例が一切ない。

E

群との違いはかくて著しい。翻って

E

群をみるに、ここにもまた、

E

群に散見する例が ⑫ ︵ 二 六 加

ω

加・二七加﹀があって、ー群と共通したあらわれをみることができる。 ﹁ 皇 孫 ﹂ 用例が少ないということに伴う不安はどこまでもつきまとうけれども、少ないというそのことのほかに、右のよ うな類縁をもっ例があることなどから、ー群も直群と同様に、漢語による表現を基調としていたとみて恐らく大過 ないであろう。ほかにいくつかある用例でも、

E

群の例に一致するものはない。

E

群とは基調それ自体を異にして いたからにほかならない。さきに﹁勅﹂ ﹁命﹂をとおして得た結論は、かくてこの﹁御﹂にそのままあてはまる。

九、次稿への橋わたし

(27)

以上、小稿で取りあげた﹁勅﹂ ﹁ A 叩 ﹂ ﹁ 御 ﹂ を

IEE

群がそれぞれ使うその使い方は、冒頭に指摘したとおり、 前稿で検討した﹁奉﹂の、 その各群それぞれの使い方とまさしく合致する。結局、同じ使い方を一貫させていたわ けで、もとよりそれは、個別にとどまるものではないであろう。記述を成りたたせるその基調、あるいは表現の基 調そのものが

I

群と

E

群とではあい通い、それら二つの群と

E

群とで大きくへだたるということである。漢語その ままの使用と日本語︵和訓︶にもとづく漢字表記、すなわち正訓字の使用という、各群の記述あるいは表現を成り たたせる基調は、 乙の稿につづく第三稿で取りあげる動詞にも、また同様にあらわれるといった見通しが、おのず それによって、書紀の成立の問題、さらには日本語と漢語と から立つ。同じような作業のつみ重ねでしかないが、 の相関、あるいは日本語をもとに、それとは本来異質な漢文で記述・表現することにともなう、たとえば和習など の問題も、広い観点から捉えなおすことも可能となるであろう。前稿と乙の稿と、ささやかな試みではあるが、ま たそれへの布石でもある。 ︵一九八三・一一・九︶ 注 ①﹁日本書紀の敬語

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﹃ 奉 ﹄ を め ぐ っ て l a ﹃ 仏 教 大 学 研 究 紀 要 ﹄ 第 六 十 八 号 。 ②類例として﹁詔﹂があるけれども、巻一・二のいわゆ る 神 代 巻 に 体 言 と し て の 用 例 な く 、 ま た 一 方 、 そ の 神 代 巻 を 除 け ば 、 巻 ご と に そ れ ほ ど 顕 著 な あ ら わ れ の 違 い も 認 め が た い の で 、 小 稿 で は 取 り あ げ な い 。 ③﹁勅﹂の下に動詞がただちに続く例、たとえば﹁勅任 三 子 ﹂ ︵ 一 口 ︶ ﹁ 勅 副 物 部 連 ﹂ ︵ 一 七 幻 ﹀ ﹁ 勤 職 日 本 府 輿 任 那 ﹂ ︵ 一 九 邸 ︶ ﹁ 勅 喚 東 宮 ﹂ ︵ 二 七 捌 ︶ な ど で は 、 熟 語 動 詞 と み な し う る 可 能 性 、 あ る い は ﹁ 勅 ヲ モ ︵ チ ︶ テ ﹂ と 訓 み う る 可 能 性 な ど も 、 無 く は な い 。 こ れ ら の ﹁ 勅 ﹂ は 、 そ れ 自 体 問 題 と な る が 、 い ま は 便 宜 に し た が っ て 、 取 り あ げ る 対 象 か ら は ず す 。 も ち ろ ん 大 勢 に は 影 響 な い 。 一 方 、 ﹁ 官 蚕 遺 郭 務 保 等 勅 是 日 中 臣 内 臣 遣 エ 沙 門 智 鮮 こ ︵ 二 七 別 ︶ の ﹁ 勅 ﹂ に つ い て は 、 国 史 大 系 本 で は 、 動 詞 と み て 下 に 続 け て い る が 、 岩 波 古 典 文 学 大 系 本 の よ う に ﹁ 官 一 下 護 エ 遣 郭 務 保 等 一 勅 亡 と き り 、 体 言 と み て 取 る 。 芯 お 挙 例 し た 用 例 の 下 に カ ッ コ で く く っ た 数 字 の う ち 、 日 本 書 紀 の 敬 語 二 七

(28)

悌教大事大串院研究紀要第十二披 漢数字は書紀の巻を、また算用数字は国史大系本の頁数 を 、 そ れ ぞ れ あ ら わ す 。 ④前稿︵注1︶の補注︵ 6 ︶ で そ の 指 摘 に 言 及 し た が 、 か き ぎ ま ﹁文体の事﹂﹃古事記伝﹄てあるいは亀井孝氏﹁古事記 は よ め る か ﹂ ﹃ 古 事 記 大 成 ﹄ ︵ 言 語 文 字 篇 ︶ 三 な ど 。 ③上中下は古事記の巻を、また以下の数字とオウは﹃古 事記大成﹄本の丁数とその表裏を、それぞれあらわす。 @天皇の勅命ではないので、上掲の表に数字としてあら わ し て い な い け れ ど も 、

E

群 に は 、 ﹁ 太 子 命 ﹂ ︵ 一 二 制 ︶ ﹁ 大 兄 王 之 命 ﹂ ︵ 二 三 川 ︶ ﹁ 東 宮 之 命 ﹂ ︵ 二 八 削 ︶ ﹁ 高 市 皇 子 之 命 ﹂ ︵ 岡 山 ︶ ﹁ 皇 后 命 ﹂ ︵ 二 九 制 ︶ な ど も あ る 。 か し こ ⑦ E 群では、天皇その人を畏む。前稿︵注1︶の﹁三、 各説伺謙譲﹂の項参照。 @ ﹁ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 句 法 ﹂ ﹃ 国 語 国 文 ﹄ 第 四 十 七 巻 第 九 号 。 ①ほとんど同じ内容でも、 E 群 で は 、 動 詞 と し て ﹁ 勅 ﹂ を 使 っ て あ ら わ す 。 次 の と お り 。 父 天 皇 、 園 = 計 便 宜 一 、 勅 賜 既 畢 。 ︵ 一 七 日 ︶ 天 皇 以 − ニ 中 略 ︶ 末 多 玉 、 幻 年 聴 明 一 、 勅 喚 エ 内 裏 一 、 親 撫 ニ 頭 面 一 。 ︵ 一 四 則 ︶ 天 皇 、 疾 病 繭 留 。 勅 喚 − 一 東 宮 一 、 引 ニ 入 臥 内 二 ︿ ニ 七 制 ︶ ⑬本文は、北川和秀編﹃続日本紀宣命校本・総索引﹄ に よ る 。 ⑮乙の一文は、従来、訓みが定っていない。おもなもの 二 八 だ け で も 、 Y テ ヲ ア ハ セ タ マ フ 昌 勅 以 − 一 菟 狭 津 媛 − 、 賜 12 妻 之 於 侍 臣 天 種 子 命 − 0 . 通 釈 ︶ ヲ そ テ テ ヲ 勅 、 以 − − 菟 狭 津 媛 一 、 以 下 右 に 同 じ 。 ︵ 岩 波 大 系 本 ︶ ヲ テ 勅以、菟狭津媛、以下右に同じ。︵国史大系本︶ 右の三通りがある。注 9 に 示 し た と お り 、 E 群では﹁勅 賜﹂とあらわすが、それとは、あきらかに違う。漢文の V テ テ ヲ ヒ ス ヲ 通 常 の 表 現 と し て み れ ば 、 ﹁ 勅 以 エ 菟 狭 津 媛 ﹃ 賜 、 妻 “ 一 之 於 侍 臣 天 種 子 命 − 。 ﹂ と 訓 む 余 地 も あ る が 、 そ の こ と 自 体 すでに問題なので、いま、本文のように訓んでおく。 ⑬﹁宣命﹂については、官一長﹁まづとりすべていふ事ど も﹂﹃続紀歴朝詔詞解﹄一巻や安藤正次﹃奏宣の文学﹂ ﹃ 記 ・ 紀 ・ 万 葉 集 論 考 ﹄ ︵ 著 作 集 4 ︶などに詳しい説明が ある。﹁ノル﹂﹁ノリキカスル﹂などの日本語をあらわ し た も の と し て ﹁ 宣 ﹂ を 捉 え て い る 。 ⑬前稿︵注1︶の﹁三、各説口君受﹂の項で、それら が日本語︵和訓︶にもとづく漢字表記とみなしうること を 指 摘 し た 。 ⑪ E 群 に は 、 ﹁ 巌 公 瓦 ﹂ ︵ 三

m

そ の 他 ︶ ﹁ 巌 兜 誼 ﹂ ︿ 三 間 ﹀ ﹁ 巌 矛 ﹂ ︵ 二 三

m

︶などのいわば呪的な意味をあらわす一 連の用例がある。しかし

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群 の 例 は 、 ﹁ 但 、 父 母 己 有 ニ 巌 勅ことあって、スサノヲの暴虐のあとの﹁故、其父母 二 紳 、 勅 − 一 素 英 鳴 簿 二 汝 甚 無 道 。 ︵ 中 略 ︶ 途 怒 之 。 ﹂ ︵ 一 ︵集

(29)

U

︶をうけ、その﹁勅﹂をあらわしたものである。この ﹁ 巌 ﹂ は 、 漢 語 そ の も の と み る べ き で あ ろ う 。 も ち ろ ん 、 呪 的 な 意 味 は な い 。 ⑮乙の部分、原文には﹁奉ニ使旨於御所ことある。書紀 集解などは、そのままにして注記も付さないが、日本書 紀通釈では﹁奏ニ奉レ使旨於御所ことし、岩波古典文学 大系書紀では﹁奉﹂を﹁奏﹂に改める。同じ

E

群に属す る ﹁ 新 羅 遺 一 一 奈 末 伊 禰 買 一 朝 貢 。 の 以 − 一 表 堂 百 二 奏 ニ 使 回 目 一 。 ﹂ ︿ 二 二 削 ︶ や 古 事 記 の ﹁ 猫 宜 レ 白 一 一 天 紳 之 御 所 乙 ︵ 上 3 ウ ︶ などの例に徴して、﹁奏﹂が相当とみる。 ⑮この辺り、寧楽遺文では﹁己乃己巴乃、美美毛止乃加 多知﹂に作るが、書道全集︵第九巻︶の写真版によって 日本書紀の敬語 改 め る 。 ⑫ちなみに、﹁御﹂を動詞として使った用例でも、

I

群 の 、 た と え ば 次 の 、 又 勅 日 、 以 一 吾 高 天 原 所 レ 御 寮 庭 之 穂 一 、 亦 嘗 レ 御 エ 於 吾 克 − 。 ︵ ニ 花 ︶ 古訓で﹁きこしめす﹂と訓む﹁所御﹂の﹁御﹂に類する 例 が

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群 に あ る 。 御ニ新害於磐余河上九合二

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︶ 天 皇 御 − 一 新 書 一 。 是 日 、 皇 太 子 ・ 大 臣 、 各 自 新 害 。 ︵ 二 四 則 ︶ 後出例にあきらかなとおり、天皇に限ってそれを使用す る、すなわち敬語である点も共通する。 ︵ 文 学 部 ・ 助 教 授 ︶ 二 九

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