• 検索結果がありません。

ー 西 オ ー ス ト ラ リ ア 先 住 民 の 伝 説 」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ー 西 オ ー ス ト ラ リ ア 先 住 民 の 伝 説 」"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

資 料

ル イ エ ッ ト ー

ー 西 オ ー ス ト ラ リ ア 先 住 民 の 伝 説 」

北部準州の地域の先住民アポリジナルに関わる資料が

豊富で研究成果が正確にあがっているのにひきかえ、西

オーストラ‑アの先住民アポリジナルについての信頼に足る

資料は少ない。WDUSKYFJUENDS(一九七五)は

貴重な資料である。ここにその一部を邦訳し、豪州の文

学'児童文学、口伝を学ぶ方々に参考にして頂ければと

願っている。尚本書は絶版でありtamazon等の協力も

得て探しているが未だ入手できない。ここに取り上げる

のはメルポルソ市のビクトリア州立図書館StateLibrary

ofictoriaに収められている版からによる。

1原語のタイトル'収集著名、内容(中表紙)、発行

者'印刷所、住所

等、DUSWFJUENDSbyEthelHassell

w ith an t

ntr

od uc tio n by Sar a M eag

her

Abo

ri

ginallife,customsandlegendsand

glimpsesofstationlifeatJarTamunguPintheL880'S.

佑利子

Pub‑ishedbyC.W.Hasse

Printed

by Ge ne ral

Printing,adivisionofW

es t

AurstralianNewspapersLtd.,340HighSt.,EastFremantte2Meagherの序文から

序文を記しているのはSaraMeagherである。それ

によれば人頬学研究者が豪大陸西南に眼を向けたとき

には、当該地域のアポ‑ジニーズの伝統的な暮らしは既

に消滅していたため、北部の奥地に於いて伝統を護る先

住民のほうに関心を向けざるを得なかったという。西南

部の僅かに残る記録は、開拓初期の探検家、移住者の手

になるものである。本書の記録を残したのは、Ethel

Ha sse E

であり、彼女は1八七八年から1八八六年まで

八年間

Jarramungup地域に暮らした。夫のハッセル

が羊牧場を開いたこの地域を伝統的にテ‑トリーにして

いた先住民の暮らしに、妻は関心を持ち、彼らから聞い

た話、彼女自身の観察結果を書き留めた。Myhぎsky

47

(2)

Fn+endsは自身が名付けたスケッチの表題である。こう

して、蒙西南部の先住民の伝統'伝説'習慣等の貴重な

資料が入植者の牧場生活の描写と共に残った。

Meagherは学術論文■AReconstructionofthe

Traditiona‑LifeoftheAboriginesoftheSouth‑

westofWesternA

us

tralia、を書‑際に、Western

AustralianM

us eu

mにあったこのハッセル資料を、次

のデイビッドソソ資料と共に使用した。

当資料が世に出た経緯であるが、ペソシルバニア大学

のD.S.DaくidsonがSoci巴ScienceResearch

Counci‑の研究員として豪滞在中の1930年にハッ

セルの原稿を入手した。以下はデイビッドソソが資料を

発表した学会誌である。・Hasselt,Ethel()934‑5)MythsandfotktatesoftheWheelmantribeofsouthIWeSternA

us

tralia.(1V.Folktorevols.45‑46.pp.232‑248;3)7‑34);)22‑)47;268‑28).

・Hassetl,EtheL(1936)NotesontheethnologyoftheWhee‑mantribeofsouth‑westernA

us

tr巴ia.

AnihroZx)svo1.3).pp,679I7tL.

彼の発見は人頬学者の間に大きな反響を呼んだが、発

表の際に資料として整理しすぎたきらいがあり、ハッセ

ルと先住民の間の個人的な秤がデイビッドソソの資料か らは失われたという。cleveHassetlによる新たな出版

は、元原稿をはば活かす方向で整理は最小限に留められ

ている。

3C.W.Hasseltの説明から

説明は詳細に欠けるところが多いが、記録者エセル・

ハッセルは旧姓Ctifton.1八七八年にAlbertHassettと

結婚LtJarramungup、オルバニィの北東に位置する

羊牧場へ入植した。人里離れた所で暮らすエセルは'牧

場主の屋敷の外に住んだ原住民=雇い人と交流を始め、

彼らの暮らし方、習慣'綻'女達が語る伝説をメモする

ようになった。後にオルバニィに移り住んでから、この

メモを元に原稿を書いたのである。原稿が一九一〇年よ

り以前にシドニーのMitcheuLibraryに収められてい

ると書かれているところから、ハッセル原稿は、出版さ

れたものと思われる。どのような経緯で出版に至ったの

かは分からない。しかし推測は割合に簡単である。当時

の新聞は物書きの素人である入植者の手になる印象記や

体験記を歓迎し掲載した。先住民に関わる記事も多かっ

た。アマチュアの記録の一例にーベイツがいる。南部の

‑平原で先住民と共に暮らし彼らから白いお婆さ

んと愛称をつけられた白人女性DaisyBatesは、夜毎

に語り手から口伝を聞いて書留め、列車の車掌に託して

新聞に連載していた。原稿料は、砂糖や小麦粉に化けて、

(3)

列車でベイツに届けられた。エセル・ハッセルの場合も

ベイツと同じ経緯を踏んだと想像できる。このような初

期開拓者による旺盛な記録の流行があり、記録がまとまっ

た時期での出版があり、それらが今となっては貴重な資

料として研究対象になっている。CleveHassellが記録者とどのような血縁関係にある

かは記されていないが、本書の印税はl

ar ra m u

ngup

及びKendenupにあるハッセル・ファ‑リーの歴史的

な遺産である旧住居の修復に充てられると記述があると

ころから'この家族が新しい国における名家の扱いを受

けていると察することができる。

4こだま伝説について

以前にBa‑yet(TheEcho)伝説については、本誌

第二号において「蘇ったこだま伝説‑‑アポリジナル口

伝とライトソソの文学」で粗筋を紹介した。岩波書店か

ら﹃いにしえの少女バルイェット﹄(&lyet

by Pa tri

c

ia

Wrightson,)989)を訳出するに当たり、作者から送ら

れた短い資料を基にした粗筋であった。創作との関連を

解き明かすための紹介であった。実はその後作者から頂

いた資料を紛失したことが今回きちんと残しておこうと

いう動機になった。

「蘇ったこだま伝説」の中でお断りしたが、私の手元

にあったのはその章のフォトコピーのみで、デイビッド ソソ資料であった可能性もあるし、作者がタイプして‑

れたものかもしれない。今回メルポルソのビクトリア州

立図書館で新たに入手した序文と説明に述べられている

ように'ハ章が「ほぼ元原稿のままの」資料である。

改めてここに貴重な資料の中味を記すが、前半は好奇心

に満ちかなり勇気のある白人女性がそれと意識せずに行っ

たフィールドワークの現場の様子が生き生きと描かれて

いる。原住民達、特に老女とのやり取りにおいて、白人

が知恵を絞る様子も、白人の暮らしの隣りにいてからめ

取られてい‑原住民の姿も、どちらも率直に描かれてい

る 。

本筋から外れるが、入植した白人の無神経さも垣間み

ることができる。イタリックで書かれていない名前は片

仮名に直したが、たとえば老女の孫にゴブリソ(小人)

などと名付けたのは、当然雇い主だろう。その他の名前

にも、耳から聞いた原住民の名前を英語のアルファベッ

トで綴ったらしいものがあり、どれもアポリジナル風で

もなければ、白人女性風の名前でもない。

なお、アポリジナルの名前や言葉の中に'原文におい

てイタリック体で綴られたものがあるが'記録者がその

ままを呈示するほうが正しいと判断したためだろう。訳

文でもそのままにしてお‑。意味はコソテクストから明

らかである。バルイェットについては'元々イタリック

49

(4)

体で書かれていないため片仮名で表記するが、小文の筆

者自身が豪州でその名前が発音されるのを聞いたことが

あり'片仮名表記が実際の発音とそれほどかけ離れてい

ないと判断したからである。

5ハッセル夫人とアポリジナル二六章BALYET

(T

he

Echo)前半)

羊牧場の屋敷周辺の土地は起伏が多い。丘といっても

高‑はな‑低い丘陵が続いているというべきだろう。し

かしハリユニシダは丈が高いLt夏期は干上がり激し‑

雨の降り続‑冬期には奔流となって麓の川に落下する細

い水路もあった。私はよ‑散歩に出かけてハリエニシダ

の薮を分けて登ったものだ。ここの薮は面白い。思いが

けない植物の茂る様や小鳥の生態を見る期待があるから

だ。そんなある日、一人でいつもよりずっと長い散歩に

出た時、乾いた川を遡り水源近‑へ辿り着いた。そこに

は巨大な花尚岩と思われる岩石が積み重なっていた。川

床の幅は数フィートに狭まっている。行かれる所まで行

‑決意で険しい壁面の巨大な岩を登っていると、不意に

ここはこだまが返って‑るのだと分かって愉快になり暫

し叫んでみた。私の声は四回こだました。それがとても

鮮明で四方から返ってきたものだからすっかり嬉し‑なっ

た。こだまと戯れ随分長い時間を過ごしたので、それ以

上薮が尽きる所にある岩石群を登って水源を突き止める 時間はな‑なり、渋々向きを変えて屋敷に戻ったのであ

る。数日後'キャソプ(羊牧場内外の'原住民アボリジ

ニーズの住まい。夜に焚き火を起こして眠る‑‑訳者注)

に行って、遠足に誘った。夫は一日留守ので、女達に

「ちょっとしたtdarge(食料)」持参で1日楽し‑過

ごそうと持ちかけたのだ。私の提案を三人の少女が快諾

し、驚いたことに老女のYilgarが、自分も1緒に行‑

と言い出したのである。だが私達は彼女に附いてきては

し‑なかった。私達同様彼女も健脚だったが、始終同行

者に座るようにいい、「小さな火」を起こし、私達が行

こうとする方角に難癖をつけるのだ。大抵の場合素晴ら

しい理由を用意していて全‑逆の方向へ行‑と言い張っ

た。こっちが、じゃあどの道を行‑か決めてよと言おう

ものなら'彼女はどこへ行こうと構わないが「奥様が選

ぶ」と言う。私に選ばせてその選択に反対を表明したい

だけなのだ。今回ばかりは行き先を決めるのは私である

と固‑決意していた。こだまの響‑あの渓谷を探検する

のだと顔を固め、それだからこそ、

Y ilg

arの反対を無

視ししてひたすら例の方角へ進んだ

o

Yilgarはどうい

う理由でか帰ろうとしないで、ぶつ‑さ言いながらつい

て‑る。私は遂に、火を起こして私達が戻るまで待って

たらどうと言い渡した。そしてちょっと意地悪にもこう

つけ加えた。「もしも私達が日没迄にここに戻らなかっ

(5)

たら、別の道を通って帰ったということだからね」私の

言葉に彼女は暫し沈黙した。彼女の同行を私達が嫌だっ

たのは、遠出の喜びを彼女がしっこ‑台無しにしようと

企むからだった。その日は完壁な遠出日和で'頭上のまっ

青な空に羊毛のような白雲が流れ、歩‑頬にちょうど心

地よい風が吹き渡っていた。前の晩には厳しい霜が降り

たばかりだから何もかもが初々し‑大気は澄み渡り'こ

んなに完壁な日がぶつ‑さ文句を垂れる招かれざる同行

者に台無しにされるのは我慢ならなかった。若い女達は

私のようにつんけんした物の言い方をする勇気がな‑'

本音を言えば私だってYilgwが怖かった.超自然的な

ところのある老女だったからだ。彼女は神秘的な術でど

こであれ進行していることを全て知ることができるよう

に思えた.私の弟は彼女を「スパイのYilgar」と呼ん

だものだ。例えば夫が帰宅する時、彼女は必ず門のとこ

ろにいて開け、夫の馬の脇について屋敷まで歩き、彼の

不在の間に起きたことを教えるのだ。男衆は皆彼女を嫌

い'夫は常々あの女は俺の現場監督だと言ったものだ。

アウトステーショソ(放牧場)にいる羊がどんな具合か'

馬連がどこにいるかを教えて‑れるから'主人としては

疲れるだけの無駄な遠乗りをお陰で節約できるというわ

けである.Yilgarは滅多に自分のキャソプかを離れな

いのに、その情報はまず正しい。ここの部族の最長老の 女であり'部族に伝わる話や歌や伝統をそらんじており、

それらがきちんと護られることに拘った。彼女は混血

(ーフカスト)の子ども二人を嫌悪していた。子ども

達は父である白人の羊飼の許で暮らしていた。母親はア

ウトステーショソの一つにいる黒い女である。老女は自

分なりのやり方を貫‑ことができたならば'生後直ちに

混血の子らを殺していたに違いない。私は、二人のどっ

ちかを、お前の孫のゴブリソの妻にしたらいいじゃない

と言い、老女を怒らせたことがある。彼女はこう切り返

した.「ゴプリソがywkを要る時は、自分と同じ部族'

同じ肌の色の女でなければならない。うちの男の子には'

色の無い女は駄目だ'正しいywkを要せる」。ある時、

最初の白い男達を見た時はとてもとても若かったと言っ

た。彼女はプレマ‑湾を訪問していた部族の一員で'そ

の時船が沿岸に来た。乗組員数人がが小舟で海岸に上がっ

た。部族民一同は、一体何かと語りながら見つめていた。

乗組員の姿を認めるや、彼らはブッシュに駆け込み隠れ

たまま姿を現さなかった。白人は二日はかり浜にいた。

部族の民は彼らの動きを見張り続けたが'姿は見せなかっ

たLt焚き火も遠‑離れた所にほんの小さ‑しか起こさ

なかった。船が出帆した後、部族の民は白人が張ってい

たキャソプヘ下りて、残していったものを見た.coot(袋)みたいなものの中に甘い茶色いものがあった。今51

(6)

では彼女にもそれが砂糖だったと分かっている。部族の

民は砂糖を口にしすご‑気に入ったので、その

coot

mu19ar(長老)に持っていった。mu19Wはそれを大事に

保存していたが'やがて雨に溶けてしまった。このよう

なcootを店でよ‑見かけると彼女は言った。店の主人

はそれを袋(小麦粉)と言っているが、中味は彼女達が

期待したほど美味し‑なかった。どうして浜辺の白人の

ところへ出ていって話しかけなかったの、恐れることは

何もないのにと私が訊‑と'彼女は猛然と反発した。「赤い男が天から降りてきたら、奥さんならどうするね」。

この豪大陸西岸に住む部族は誰も、船と呼べる形のも

のを持っていない。通常は岬や川の屈曲部の流れがかな

り狭まっているから、倒木などを筏代わりにして掴まっ

て泳ぎ渡るのだが、彼らはそういう渡河の方法を取らず、

長い棒を頼りに浅瀬を歩き渡った。私の知る限り彼らは

決して川や海で気晴らしのために泳いだりしない。彼ら

が腰まで浸かり海岸や入江の突端に集まる魚を槍で突い

て捕るのはよ‑見かけた。

老Yilgarは気が向けばとても愉快な人になれた。だ

から私はあの日、喧嘩別れをしたい気分だったのにも関

わらず、喧嘩はした‑なかった。やっと彼女のご機嫌が

良‑なったらし‑、今歩いている土地が以前はよい狩り

の場所だったと少女達に語り始めた。彼女が若い女だっ た時のささやかな出来事について語り、追憶に浸りきっ

ていたせいで'自分の足がどこを向いているのか気づか

なかったのだろう。遂に峡谷が狭まり始め、私達は足を

止めてひと息入れた。彼女は突然しゃがみこみ、これ以

上先に行ってほならぬと言った。この場所はよ‑知って

いるよ。この先には'すご‑悪いjannock(悪霊)が

住んでいる。少女達は従わないわけにはいかない命令口

調だったが、私の頑固さだっていい勝負なのだ。私はな

だめたり物で釣ったりして'グレトソに附いて‑るよう

に説得した。何としてもあの大きな岩場に上りたかった

し、助けがなければ登れないことがわかっていたからだ。

それからtYilgarに二か所に焚き火を起こしてjamock

をおびき寄せなさいと言い、私達は出発した。こだまは、

逮‑までは届かないし、峡谷の曲がり角を離れると聞こ

えないことを私は知っていた。骨を折って暫‑登ったあ

と、峡谷の頂上にある岩場のてっぺんに辿り着いた。散々

苦労したが大いに報われたと思った。眼前には、壮大な

パノラマが広がっていた。丘、谷間、きれいな草原を貫

いて流れるク‑1ク、そこを縁取るのは、梢が陽光を浴

びてきらきら輝‑丈の高いヤテの木々だ。遠‑に目を移

せば、草木を払って開墾した土地に建つ屋敷が見えた。

そのもっと先にどでかい砦のように巨大な岩石がそそり

立っていた。近‑の木々に、黒バクソ(オウム)が止まっ

(7)

てぎゃあぎゃあ鳴いたりさえずったり、時折飛期して、

頭上を旋回しまた枝に翼を休めるのだった。グレトソは、

きっと水が近‑にあるのだと言った。腰を下ろして休息

を取り、足下に広がる美しい景色に目を楽しませた。一

時間も経ったろうか不意にグレトソが、細‑て白い煙が

二本渦を巻いて空へ上ってい‑のを見、ついでその向こ

うにもう二本が上がるのを見た。彼女は私に指さして見

せながら、Yilgarが待ちきれずに早‑帰りなさいと合

図しているのだと話した。だから私達戻ったほうがいい、

さもないとあのお婆さんはjannocksが私達を捕まえて

しまったと思うかもしれないもの。下りは上りよりもは

るかに楽だったが、例のこだまが聞こえる曲がり角に来

ると、原住民の叫びを真似してみずにいられなかった。

今でこそ、cooeeというかん高い叫び声は、どこの原住

民も上げるとされているが、元々は沿岸の原住民だけが

する叫びでtcooey

ah

、つまり非常に長い足を持つずん

ぐりした茶色の蛙の声の模倣である。この蛙は'沿岸を

縁取る白砂に埋まっていて、内陸の奥のほうには生息し

ていない.内陸原住民の叫びはyouaalでtIつ1つの

音を離して長‑引いて発音する。この叫びは非常に遠‑

まで届‑。最後のシラブルは非常に高い音で発する。全

ての原住民の叫びは低い音で始まり、最後はほとんど悲

鳴に近い音で終わる。 このときの私の叫びは失敗だった。なぜならそれが岩

を回ってこだまするにつれてグレトソが恐怖の叫びを上

げ、身を翻して峡谷を下り出し、ばらばら小石を落とし

ながら下るにつれてより大きな石も落下したからだ。こ

れらの音がこだまLtこだまがこだまを呼び、彼女の恐

怖を倍加した。私が彼女に向かって呼びかけても駄目で

それどころか事態は悪化するばかりだったから、彼女の

ことはもう放ってお‑ことにして私自身用心深‑足下を

選んで下りだした。やっと最初の火が焚かれた所に辿り

着いたが、Yilgarもグレトソも見えず、二人がキャソ

プに戻ってしまったのではないか、せめて二番目の焚き

火の所に私のサソドイッチを残しておいて‑れたいいけ

どと思った。二番目の焚き火に着いた時'焚き火の傍ら

に座るYilgarは見つけたが、他の女達の姿は見えない.

しかもYiIgarから'生まれて初めて厳しい叱責を受け

た。彼女の恐怖と憂いが、ご主人様のyork(妻)であ

る私への畏れに打ち勝ったのだ。女達は、家へ帰らせた

よ。ここは若い女が来る所じゃない。わたしは老女だか

ら悪いことも起こらないが、忠告を無視して年端もいか

ない女の子をこういう悪の土地に連れて‑るような分別

の無いことをしてはならない。あんたのような者に少女

達を任せることはできない。その愚かさからどんな害を

蒙るかわかりやしないから、というものだった。私はた

53

(8)

だただ当惑し返答に窮Lt傍らを歩む老女にぶつぶつ言

わせてお‑しかなかった。ようや‑、tdageはどこなの

と訊けば'彼女はcootからブリキの箱を出して渡して

‑れた。私はおずおずともう危険な場所から離れたかし

らと訊いて、もしそうなら、お腹がぺこぺこだから、tdageを食べましょうよと切り出した。YiIgarは、自分

の言うことを私が真剣に聞いていたのに気持ちが和んだ

らし‑、小枝を集めて息を吹きかけやがて焚き火は燃え

上がった。私達はサソドイッチとケーキを食べた。いや

ケーキはYiIgarが全部平らげた。そんなことでもあれ

彼女にはご機嫌を直してほしかった。

私は、恐ろしい悪とは何か、知りたかった。けれども

老女はそれはもう触れてほし‑ないという感じで、私が

当初考えていたよりずっと早‑家に帰りついた。ドアの

所で、Yilgarは私から離れてそそ‑さとキャソプに戻っ

ていった。彼女には若い者達にけじめをつけつつ暮らさ

せるという大仕事があった。白人の影響が若い世代に浸

透し始めており、白人は物の怪が排梱するとされる土地

に行っても何の害も蒙らずに戻ってきたではないかと'

若者達が口答えすることが多‑なっているからだった。

管‑同行の少女連に会わなかったし、訪れて‑るのは男

女を問わず老人ばかりだった。若い人達が意図的に私を

避けていると知った時、私は自身の威信にかけてへ忙し いのよ、老人のumgie(相談事)にかかずらう暇はな

いと言い続けて拒んだ。いずれこの戦法が功を奏すだろ

うと私には分かっていた。みんな甘いケーキが大好きだ。

お菓子を焼‑匂いを喚いで、キッチソのドアが閉められ

門が下りていると知るのは'甘いもの好きの彼らには大

変な試練だった。ある朝遂にビーナップとクアロソがやっ

てきて、薪が要りますかと訊いた。私が「イエス」と答

えるや、彼らは消え半時間もするとキャソプ中の全員が

揃って戻ってきた。実はその前日ケーキを焼いていた時、

ギムバックとバッカラップが屋敷に来たのだが、私はド

アに門をかけて、彼らが戸をひっかいても聞こえないふ

りをしていたのだ。(原住民は決してノックをしない。

いつもひっか‑)。友好が戻り、私は部族のゴシップに

関わる情報はたっぷり貰ったが、あの不運な遠出につい

ては≡己も言及されずじまいだった。あの場所と結びつ

いた伝説があるに違いないと確信は持っていたのだが、

その確信を今もらすのは控えておこうと判断した。驚い

たことに実にほぼ二年の歳月をかけて、私はこれから述

べる伝説の全容を知ることになる。この伝説は、オルバ

ニーからプレマ‑湾まで、そして内陸へもかなり広‑浸

透している。スター‑ソグ山脈のある峠の美しい澄んだ

こだま、そしてトールナップ山の頂上近い所でも、ブラ

フ・ノルへ半分位上った所でも、その他白人が知らない

(9)

多‑の所で'美し‑澄んだこだまが響き渡っているので

ある。

6LEGEN

D

OFTHEECHO(一六章後半)

ずっと昔勢力の強い大部族が'山脈の麓に広がる平原

にいた.大層知恵のある部族であった.彼らのmuIgW

は、とても賢い老いた男で、その上部族には極めて優れ

bw lia

h(英知)を所有する知恵者の女達もいたからー

近隣の部族の若者達は、この大部族の錠を学びたい'受

け入れてもらえないかと熱心に求めてきた。若い女達も、

頻繁にここへ送り込まれて長い滞在期間を過ごした。大

部族と同盟を結びたいと、誰しもが願っていた。大部族

の成員である男達の中で、近隣の部族全ての成員とLx)

inin

ggumbar(義兄弟)の関係を結んでいない者は

まずいなかった。当然の帰結として、大部族はいよいよ

大き‑なり、盛んになった。彼らは勇敢な狩人でもあっ

た。女達は立派な寵や袋を持ち'いつの季節でも栄養が

行き渡り肥えていた.f方男達が身につけるものや使う

ものも絶えず新調されていたから、決してよれよれに見

えることはなかった。辺りには彼らより素晴らしい槍な

どの武器を持っている者はいなかった。部族の若い女達

は熱心に結婚相手として迎えたいと求められ、若い男達

はどこへ行こうと歓迎された。

さてある時'二人の若い男が'山脈の向こう側からやっ てきた。自分達の部族の許に戻る途中だった。彼らには

老人が付き添ってきたが、この老人達は大部族のmulgL

ar(長老)と非常に親しい者であった.二人の若い男

は'もともと同じ部族の者ではな‑、故郷を出る前に

poininggumbarの契りを結んだ仲であった。彼らの背

中には出身部族の印が刻まれていた。二人は、大部族

の許に一年間留まり'ここの二人の若い男とLx)

inin g

gumbarの印を胸に刻んでからのち、故郷へ戻ることに

なっていた。大部族は'その印を右胸に刻むことになっ

ていたから、広‑遠方まで、特別なgumbarの印とし

て知れ渡っていた。さて、大部族の若い女達は'生まれ

た時から栄養豊かに育っていたので、いつ見ても椅麗だっ

た。彼女らの肌は滑らかで柔らか‑初々しかった。走る

のも早‑、ちょっとした獲物を捕るのも巧みだった。彼

女らの

coo ts

に毛皮が一杯入っていないことはなかった

し、常に織った毛皮が半分入っていた。まさに彼女らは

妻に最も望ましい女達であり、彼女ら自身それを知って

いた。バルイェットBa‑yet以上にそれをよ‑知ってい

る女の子はいなかった。彼女はまだ年端も行かない若さ

だったが、大部族の女達の中で最も美しいだけでな‑、

非常に利己的でもあった。彼女は結婚はした‑なかった。

そしてまだ子どもの時にいいなづけとされた少年が死に、

彼の次に近い縁者は二人の妻を要っていたから、彼女は

55

(10)

自由の身に近‑、大部族の許に教育を受けに来る若い男

と片端から戯れ、少年である印が取れて戻ったら要求を

聞いてあげると言うのだった。知恵者の女達は頭を振り

振りそれを見ていたが、彼女が余りに椅麗でもあり、巧

みにひとを操る術を心得ていたので、さきの二人の若い

男がやって来るまで大して非難の声も上がらなかった。

バルイェットはまたた‑間に二人の若い男を魅了し、

二人が手に入れた動物の最上の皮や毛皮はいつもバルイェッ

トに捧げられた。彼女は二人に笑い声を浴びせ、贈り物

を受け取り、彼らが身につける物を織ってやり、どちら

の若い男も、我こそバルイェットの恋人だと思い込んで

いた。やがて二人の若い男が大部族から出てい‑時が来

た。バルイェットは二人にいつものように答えた。二人

はまだ少年だしー結婚するならi人前の男とでなければ

ならない。少年の印が取れて、1人前の男の特権が許さ

れるまで待ちなさいね。そう言われて二人は大部族と

Poin ing

gumbarの契りを結んで去った。どちらも戻っ

てきて必ず彼女を獲得すると誓って。バルイェットは二

人に別々に別れを告げ、腕の良い狩人だということは分

かったLtもらった皮から作ったものをいつも見てるわ'

戻ってきたら結婚するわと、どちらにも言ってやった。

どちらの男もその言葉を信じて、どちらも、もう一人に

同じ約束をしているとは夢にも思わなかった。 時が流れ、二人の若い男は成人し、妻を要ることが取

り沙汰され始めた。二人が、ウィールマソ部族のバルイェッ

トと結婚したいと言うと'その願いは歓喜をもって迎え

られた。バルイェットの賢さと美しきは遥か遠方の部族

にまで広まっていたからだ。それぞれの男が属する部族

は、バルイェット自らがこの婚姻を望んでいると聞‑や、

喜びに沸きかえった。というわけで、それぞれの男はそ

の部族のmuIgarに付き添われて婚姻の次第を取り決め

るために出かけた。勢力を誇る大部族との結婚話はしか

るべき配慮をもって進めなければならない。バルイェッ

ト自身にその気があるといっても、やはり大部族の民の

意見を尊重しなければならないLt縁戚関係の点につい

てもきちんとさせなければならなかった。難関があると

いうわけではなかった。バルイェットは自由の身であり、

男たちは両方とも立派であったから、結婚は可能であっ

た。二人の男達は、それぞれ数日の差こそあれ夜には大

部族のキャソプに到着した。二人は最初、再会を喜び積

もる話を交わしたが、それもおのおのの部族のmulgar

が何のために付き添ってきたかを知るまでだった。その

後二人の間は冷えていったが、バルイェットは、どっち

のほうが好きかを言おうとせずにどちらとも戯れた。そ

うこうするうち二人の間にはすさまじい妖妬が芽生え、

それをまたバルイェットは煽り立てた。彼女はどっちと

(11)

も結婚した‑なかった。彼女の愛情は、自分の部族のあ

る男に捧げられていたが、彼は彼女の魅力に屈しなかっ

た唯7人の男であった。彼は公然とバルイェットを袖に

し、彼女が腕輪を編んで男の腕に巻‑ように差し出して

も、素気な‑そんなものno

P c

ullum(鼻たれ小僧)に

呉れてやれという始末だった

時は過ぎた.二人の若い男はtI)a+ninggumbarでは

あったが'今やもう互いに口も聞かない。バルイェット

の振る舞いは大部族の中でスキャソダルに発展していっ

た。これは本当に困ったことで'というのも大部族の成

員はみな'近隣の部族の中でもことさら頭を高‑上げて

いるのに慣れていたからだ。ついに二人に付き添ってき

たmuIgar達は、バルイェットはどちちの男にも気がな

いのだと告げられ'一方バルイェットは一番身近な縁者

から夫となるひとを選んだので'満月の夜にはその男と

結婚するようにと告げられた。これは二人の男とルイェッ

トにとって、恐るべき知らせだった。バルイェットは嫌

悪している男と結婚しろと言われて泣いた。若い男達は

未だにどちらも自分こそがバルイェットに好かれている、

だからもし別の一人が競争からはずれたらもう障害はな

‑なると思った。ついに二人が故郷へ送り返される日の

朝、バルイェットははかりごとを企てた。人目のない岩

の峡谷の頂きで、一人には月の沈む時刻に、もう1人に はkittiu宮owaに、つまり太陽が昇る寸前に会いましょ

うと約したのである。

最初の密会はバルイェットが計画していたより長いも

のとなり、I人目がまだいる所へ二番目の男が来てしまっ

た。二番目の男は、バルイェットと一緒にいるのが誰か

を知ると、怒りの鳴時を上げて恋敵に掴み掛かった。二

人はがっちり組み合ったまま離れようとしない。相手を

掴んだまま、殴ろうとした。

C篭 rba T

Tdies(カササギ)が

大喜びして笑った。この鳥は力の括抗した者同士の戦い

を見物するのが大好きだ。けれど、malack(黒色'尾は

白のバタソ)とcS(イソコ)・は、二人の腕と胸にあ

る神聖な印が同じであるのを見て、恐怖の叫びを上げた。

というのも'それによって戦っているのがPoining

gumbarであることが分かったからだし、選択の余地

がない実の親から生まれたきょうだい同士の喧嘩よりも、

近しい間柄の義兄弟が争うほうが罪深い行いだからだっ

た。義兄弟は'各々が自身の自由意志によって結んだ契

りである。それは最も強い秤であった‑実の兄弟姉妹'

夫婦'母子よりも強い秤である。なぜなら自らそうであ

りたいと願う血が各々の血管に流れ、義兄弟になった二

人は、二組の同じ印をつけているために二重に濃い血で

結ばれた兄弟であった。バルイェットは、自分が原因で

かき立てられた恋情の激しさにおののき、二人を引き離

57

(12)

そうとした。しかし彼女の言葉は火に油を注ぐだけ'バ

ルイェットはmuIgarに助けを求めるほかはないとキャ

ソプに走った。大声で叫びながら走ると、その声が峡谷

の壁を伝い上り、男達の怒りを更に増幅させた。助けが

到着するとtt一人は互いにがっちり組み合ったまま死ん

でいた。

三人のnlgarは、その光景を恐怖の眼差しで擬祝し'

やがて、呆然と立ち尽‑すバルイェットを無言で指さし

た。バルイェットは震えながら言い訳を試みたが、その

説明に返って‑る言葉は無かった。ついにバルイェット

は身を翻して峡谷を上った.知恵者の女達とmulgars

長いことwgie(相談)した。互いに殺し合ったZm+ning

gumbarの罪を、どうやって磨ったものか。このような

罪の原因である女が、どうしてどこの部族であれ、生き

ながらえるのを許されようか。だが、誰が女を殺したら

よいのか。その罪は余りに大きい。これ以上大きな罪は

考えられなかった。死をもって磨うこともかなわない邪

悪な女であり、その霊魂が太陽のあたる遠い地に住まう

のは許されるべきではない。というわけで、バルイェッ

トを山々の中へ追放し、全ての部族にこの女について告

げるべきだと決定が下された。日没の頃、涙も滴れ果て

樵倖したバルイェットは死闘の現場に戻り、死体が片づ

けられていないのを見て樗然とした。ふらふらとキャソ プに下ってみると、部族の民が去ってしまったことが分

かった。キャソプ跡は焼かれ、皆がどっちへ立ち去った

のか、痕跡もない。その瞬間、自分の置かれた立場の恐

ろしさがのしかかってきた。そこでまたふらふらと二人

の恋人の死体が横たわる所まで戻り、岩に座って自分の

為したことを目の当たりにしたのだった。木々はさめざ

めとすすり泣きを続け'安らぎはなかった。バルイェッ

トはこれ以上ひどい罪はないという罪を犯す原因を作っ

たのだった。それゆえに下される罰も大きいものとなろ

う。二度と平原に下ることはできない、峡谷に留まる以

外にない。彼女を妻にする男などいないだろう。子ども

を授かることもな‑'彼女の身柄はnoatch(死)の保

護の下に置かれ山々に住むことはできるが、死ぬことは

かなわない。noatchですら、彼女の霊魂はほし‑ない

からで、それゆえ彼女は茂みや峡谷をさまよい歩き、平

原を二度と再び訪れることができないのだ。

以来バルイェットは呼び続け、小さな子ども達に峡谷

を登っておいでと誘い続けている。おいで'あたしの腕

の中へ。だが'彼女が抱擁したとたん'子どもは死ぬ。

彼女は様々な場所をさすらう。山中を'丘陵を'険峻な

川床を。彼女の声がどこで聞こえて‑るか予測はできな

い。けれども彼女は日没と月の出の間だけ、子どもを描

まえることができる。なぜなら小さい子どもは暗い夜は

(13)

眠っているし、明るい昼間や月夜は安全だからだ。彼女

は呼び続けて子ども達を誘惑する。すると子どもらは日

が役するまで呼び声を頼りに進んでいく。そしていつも

その声は、日没前に山々や深い峡谷など影が映らない所

に潜む。そうしてバルイェットは子どもを腕に抱き、冷

たい胸に押しっけて柔らか‑熱っぽ‑抱擁する。子ども

は声を上げずに死んでゆ‑から、その体が冷たく固くなっ

て初めて、バルイェットは腕の中の子が死んだと分かる

のだ。するとバルイェットは骸を落とし、さめざめと泣

き、風のように悲鳴を上げながら山々の奥へ入りこみ'

母親は岩場に死んでいるわが子を見つけることになる。

子どもは'キャソプの焚き火の前で静かに寝入ったかの

ように見える。時にはバルイェットは、少女達をそその

かしてついてこさせる。彼女の孤独はすさまじいものだ

からだ。少女達がついてい‑と、バルイェットは柔らか

な霧のような抱擁に包み込む。運艮‑逃れて峡谷を下り

ることができたとしても、後で必ず具合が悪‑なり'少

女達がバルイェットの抱擁からすっかり快復することは

まずない。

7地図

西オーストラ‑ア州南端の地図が'本書にある。バル

イェットのWheelman部族のテリトリIが'ハッセル

の羊牧場の所在地と重なることがわかる.YiIgarが少 女の時に白人と遭遇したプレマt湾、のちにハッセル夫

妻が移り住んだオルバニーの位置が確認できる。

W DUS幻′FRIENDS byEthelHassell 1975

59

参照

関連したドキュメント

北海道の来遊量について先ほどご説明がありましたが、今年も 2000 万尾を下回る見 込みとなっています。平成 16 年、2004

三洋電機株式会社 住友電気工業株式会社 ソニー株式会社 株式会社東芝 日本電気株式会社 パナソニック株式会社 株式会社日立製作所

を行っている市民の割合は全体の 11.9%と低いものの、 「以前やっていた(9.5%) 」 「機会があれば

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

3R ※7 の中でも特にごみ減量の効果が高い2R(リデュース、リユース)の推進へ施策 の重点化を行った結果、北区の区民1人1日あたりのごみ排出量

3R ※7 の中でも特にごみ減量の効果が高い2R(リデュース、リユース)の推進へ施策 の重点化を行った結果、北区の区民1人1日あたりのごみ排出量

子どもたちが自由に遊ぶことのでき るエリア。UNOICHIを通して、大人 だけでなく子どもにも宇野港の魅力

荷台へは養生がされて おり、扱いも慎重であっ た為、積込み時のポリ エチレン容器及びビ ニール袋の破損の可能