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第2節  「声」と「息」のフレームワーク 

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第3章  声におけるノンバーバル要素の分類  第1節  各領域における声のノンバーバル要素

   

本章では、多様な領域の研究者の立場による見解に基づき、ノンバーバルの声の分類と 要素について概括し、考察する。 

パラ言語情報について研究している前川(1997,pp95-105)によれば、これまで音声研究 の主要な対象は言語学的情報におかれ、非言語学的情報は言語学的情報の伝達過程に混入 するノイズとしての扱いを受けてきたと述べている。しかし、その後の研究で非言語学的 情報、すなわち、声のノンバ−バル要素である音声の韻律特徴と分節特徴によってほぼ正 確に伝達されることを実証している(前川,2002,p.63)。コミュニケーションにおいて声に おけるノンバーバル要素の重要性について特化した研究は少なく、声の研究は音声学や発 声についてなどが中心であり、ノンバーバルを対象とするものは、特に日本には数少ない。 

数少ない研究の中で挙げられるのは、Erickson と Hall である。Erickson(2005,p.349)

のこれまでの研究によると、表現豊かな音声の生成と知覚は、ノンバーバルが要因である ことを指摘している。また、ノンバーバルの要因が文化的な背景によって影響されること を報告している。 

Hall(1966,pp.42-45)によれば、パブリック・スクールを出ている上流のイギリス人は、

声をコントロールあるいは調節する能力において、アメリカ人よりもはるかに優れている ことを指摘している。声の出し方に文化や習慣が大きく作用するということである。では、

日本人の声の持つ要素にはどのようなものがあるのだろうか。医学博士米山(2002,pp.4-6) は、声の重要性と日本における声の文化の軽視について次のように述べている。 

「これまで日本の社会では、『声の文化』について、重要視されてこなかった。学校教育 の場でも、中学生以降になると、文章を読むといえば黙読が中心である。読解力をつける ことが優先され、文章を味わうといった点がおろそかにされてきたように思う・・・(中 略)・・・声はその人の印象を大きく左右する重大なポイントであり、誰でもいつからでも

『いい声』に変わることができる。」 

米山は、声のタイプは「声の 4 要素」に区分けすることができると指摘している

(2002,p.24)。 

 

①高低  ②強弱  ③持続時間  ④音色   

  それに対して、声紋研究の第一人者である理学博士鈴木松美(2003,pp.4-5)は、声門鑑 定士の見解から、「『声は体を表す』というように、読んで字の如く、声と体格は密接な関 係があり、体格などのある種先天的なもの、民族的気質というべき、言語、地域、環境、

時代状況など様々なものが反映される鏡のようなもの」であると述べている。同じ楽器で も、弾く人が異なれば、音色も異なるということである。 

鈴木(松)(2003,pp.4-5)は、声とは何かについて、まず、「声を出すこと」と「話をす

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ること」がまったく違うことだということを認識しなければならないといっている。 

「『声を出す』ということは、肺からの空気圧、そのエネルギーによって出るものである。

肺にためた空気を腹筋で押し出すことによって喉仏の後ろにある声帯を振動させ、音声と して外部に発する。声帯とは、薄い筋肉の膜を周りに吊っているものを指すが、この声帯 自体が肺からの空気によって振動し、音が生まれるのである」と説明し、そして、どのよ うにして言葉になるのかに関しては、現段階において科学的にまだはっきりした答えがな いのが現状であり、「『言葉を話す』ということは、(声を出すも同様)人間の反射神経をは るかに越えたコントロールを必要とする」と述べている。そして、「それほどまでに大変な 作業は、その訓練にも相当の歳月を要する。乳児が泣き声を上げるという行為から、複雑 な音を自在に操れるまでには計り知れない訓練がなされているのである」と、やはり、声 がその人の生き様を表し、生きてきた背景を表明するものだということを述べている(鈴 木,2003,p.19)。声の要素に関しては 3 要素、すなわち、①高低  ②強弱  ③音色に区分け している。 

  演出家として著名な鴻上は、演劇人としての見解から、欧米には、ヴォイスティーチャ ーという職業があり、俳優などだけでなく、様々な人たち(特に営業のサラリーマンや企 業の重役、教師、政治家など話すことが重要な職務の人)に声が魅力的になるように教え ている人がいることを著書の冒頭で述べており、「何を話すかという“内容”と同じくらい、

どんな声で話すかということが重要である。」と、指摘している(鴻上,2002,p.7)。 

声の要素に関しては、次の 5 つに分類している。 

 

①大きさ  ②高さ  ③速さ  ④間  ⑤音色   

⑤の音色に関して、たいていの人は一色のみの音色で発声されており、「体の共鳴その仕 方やイメージによって、何十、何百、何千、何万という音色を持っているのにもったいな い(中略)日常から、声の表現が豊かになると、自然に台詞も豊かになり、そして、声が バラエティに富んでいて豊かになると、表情も感情も豊かなのだ」と指摘している(鴻 上,2002,pp.152-153)。 

この鴻上の分類には、米山の 4 つの要素に「間」が加えられていることが特色である。

確かに、「間」はリズムやテンポを表し、序章でも述べたように、「間」で感情やイメージ が現される。「間」は、声というより、改行のイメージを強く示すが、声だけの表現におい ても、確かに「間」は重要なポイントである。永遠と続くうめき声と切れ切れのうめき声 では、その「間」の感覚で痛みの違いが想定されるし、「間」イコール息継ぎという捕らえ 方もできる。息にのせて声は発せられるわけであるから、必然的に、「間」の存在がある。 

鈴木康夫主催の声の寺子屋無門塾では、息をする瞬間の感情がそのまま声に現れる、と 塾生に指導している。「声は、その人の育った環境や性格だけでなく、人生そのものが浮き 彫りにされる」と教えている。確かに、気をつけて周囲の声を聞いてみると、声に抑揚の

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ない人は感情表現が乏しく、声に表情を感じられる感情のこもった抑揚のある人は、感性 が繊細で、顔の表情をみても意思伝達に伴い、活発に動いている。声優の仕事においては、

物真似はとても重要な技術で、日本語以外の言語において、その言い回しを同じようなニ ュアンスで伝えることが常時求められる。視聴者に、外国語を原語の感覚で捕らえてもら うためには、原音の声の音源により近い声(音質)であることが望ましく、表情や発声時 の息の位置なども細かく観察して、同じような位置で発声し、いわゆるアフターレコーデ ィング(アテレコ)を行っている。最近では、表情だけでなく、骨格における声の類似に ついてもディレクターが留意し、役者と似たような体格の声優がキャスティングされてい る。 

  亀渕は声楽家としての見解から、「声というのは『自分の鏡』であり、何気なく発する声 は、その瞬間の自分の精神状態を映し出す。声が己の心を映し出す『鏡』ということは、

声をコントロールできれば、自分の感情もコントロールできるということだ」と述べてい る(2006,p.162)。そして、声はコミュニケーションの第一手段であり、声は「人との距離」

を決めるともいっている(2006,p.31)。 

  鈴木(松)(2003,p.60)は、次のように体格の関係を述べている。 

「声の仕組みは、背が高ければ、声は低く、また背が低ければ、声は高い。声帯の長さ と身長は比例し、それと声は反比例なのである。これはファントの法則と呼ばれる理論に よって、背の高さと声の高さは、ある係数を加えて反比例することが証明されている。」 

背が高い人の声帯は背と同様に長く、声は低くなり、背の低い人の声帯は短く声は高い ということになる。しかし、その相関については、鈴木(松)以外によっては、証明、報 告はされていない。実際のところ、現段階では声に関する完全に一致した研究結果は得ら れていないが、医学博士として医学的見解、心理学、理学、法学博士・声紋鑑定士として の見解、演出家、声楽家からの見解と、多種多様な分野の声に対しての分析を見ると、声 が遺伝以上に、生きてきた背景によって構築されることや、各人の性格、周囲の環境の影 響が高いことなど、同じ方向を向いていることは間違いない。また、声は本人の意思で如 何様にも変化させることができるという点においても見解は一致している。ここで同意さ れている見解をまとめると 2 点である。 

 

① 本人の意思によって、声は如何様にも変化することが可能である。 

② ①を意識せず、声は単一な音色に変化のない状態のままの声では、相手に自分の本 当に伝えたい事を伝えられず、誤解を生む可能性がある。 

 

日常生活において、声のノンバーバル要素が持つ影響力は大きく関連している。刃が胸 に突き刺さるという言葉に象徴されるとおり、「あの時、あの人がこう言った」という苦い 記憶は心に突き刺さったまま癒えることは難しい。記憶に残っているのは、その時どんな 風にどんな声で言われたかであって、相手の表情などはあまり記憶にないものである。こ

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うした現象を防ぐにはどのような手段をとるべきなのだろうか。良い声を出すための肉体 的トレーニングについては、専門的見地から、声が変化する体操や筋肉トレーニングのさ まざまなメソッドを開発しているが、どの方法がベストであるかは明確にはされておらず、

人によっても活用法によっても異なる。ヴォイストレーニングは肉体的なトレーニングの みで声を変化させるのではなく、「いつ」、「どこで」、「誰に」、「何を」、「どのように」伝え たいのかという明確な指示を自己に出せるよう、各自の意識改革を願い、それに伴う声の 良し悪しについて考えることが必要なのではないか。コミュニケーションを構築させるた めには、TPOを考慮する想いを育てる必要がある。ベルカント1によるヴォイストレーニング では、安定した声が出せるようになるために、良い状態の裏声を表声にも反映させること を目標に練習を進めている。しかし、それだけではコミュニケーションを構築する声にな るだろうか。実際には、万人に有効な単一の発声法はなく、すべて個別であり、想いを具 備するトレーニングは難しい。鈴木(松)は、発声についての意義について、次のように 指摘している(2003,pp.4-5)。 

「ヴォイス・トレーニングは、生まれついての声質を変えることが目的ではなく、本来 が自分の声質を伸ばす様に行われてこそ意味があり、自分の本当の声質を知る事は簡単な ようで難しい。自分の声質だと思っている今の声がそうであるとは限らず、自分本来の声 質からは的外れの発声をしている場合もある。そういう意識で練習を続けていると、いつ か『これが自分の声だ』と確信できる声に出会える。厳格に言うと、生涯出会えないもの かもしれない。常に自分の可能性を求められるならすばらしい人生だ。」 

さらに鈴木(松)(2003,pp.4-5)は、次のように述べている。 

「発声器官は、人間の身体の一部であり、一人一人僅かずつ異なっているため、具体的 相違点は声帯そのものにあり、声帯が厚い人・薄い人、非常に柔らかな人・硬目の人、長 さや幅も少しずつ違うからだという。声帯が厚い人は当然厚い声質、薄い人は薄い声質、

柔らかな人は柔らかな声質、硬目の人は硬い声質など、声帯の特徴が声質を決め、共鳴腔 の形や大きさなどの違いによっても声質は異なってくる。」 

それは当然の如く、一人一人の体型や発声器官は相違することからも判断できる。しか し、鈴木(松)(2003,pp.4-5)は、そうしたこと以上に実際、自分の声質を理解していな い若い役者や声優も多くいる中で、相手にとって一番受け入れやすい声を、本人が理解す るまでには、ある程度の時間がかかる。無論、声がその人の生き様を表し、生きてきた背 景を感じさせることは変わりないと述べている。ノンバーバルの声の要素の重要性は、明 らかに日常におけるかけがえのない存在であるといえる。 

         

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第2節  「声」と「息」のフレームワーク 

声と息には密接な関係があることは一般的に認識されつつある。しかしながら、実際、

どのような関連性を保持しているかという点について様々な領域の専門家の見解を集約す ると、その指摘はほぼ類似しているということができる。

本節では、声に密接に関係している領域を異にする専門家8名、すなわち、声の研究者、

日本語研究者、日本語表現法の研究者、身体論研究者、ヴォイストレーナー、声楽家、声 紋鑑定士、医学博士の見解を検討し、息が声を形成する最も大きな要因であることを確認 する。

はじめに、声の研究をしているRodenburg(2001,p.49)によれば、乳児の声は呼吸が自 由な状態で行われ、体のどこにも抑止の力が働いていない誕生時の自然さが残っているか ら長時間泣き続けることができると指摘している。 

そうした自然に発した声によって、乳児が今どのような状況であるか、周囲はその意味 を判断することができる。母親はもちろんであるが、周囲の者も乳児の泣き声から何を求 めているのか察知することができる。 

さらに、乳児が声と息を使って欲求を伝える時期から、バーバルを習得することによっ て周囲に意思を伝達するようになると、さらにノンバーバル要素は多様化する。そうして 声のノンバーバル要素はその人の性格を現し、その人と共に成長し、変化する。例えば、

声が小さい人は恥ずかしがり屋だったり、または気が弱かったりするように、その人の内 面を反映するノンバーバル要素が存在している。せかせかした人の声、気の短い人の声、

偉そうな人の声、自信のある人ない人など、声は息と連動して、確実に相手にその人物像 をノンバーバル要素によって伝えている。 

逆に言えば、日常において、無意識のうちに声のノンバーバル要素によってその人物に ついて判断しているといえるのではないだろうか。 

乳児の泣き声における声と息のノンバーバル要素の重要性は明らかとなったが、次に、

日本語の表現法を研究している石塚(1992,p.47)が、「息を吸うことと吐くこと」におけ る重要性について指摘していることに着眼したい。 

石塚は、息を吸う、吐くという単純な作業だけでなく、息は精神面においても大きく反 映すると述べている。「息」の意味や語源、用例について、『日本国語大辞典』で調べてみ ると、図表 3-2-1 のとおりである。 

   

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﹁息の意味﹂

 

  ①口や鼻を通して吐いたり吸ったりする気体。呼気と吸気。 

特に呼気を指す場合が多い 

②空気を吐いたり吸ったりすること。呼吸 

③音声学で声帯の振動を伴わない呼気 

④勢い、気配 

⑤命(いきのお) 

⑥俳優などが演技をする際の相互の気持ちの兼ね合い 

⑦技量の深い要領、こつ 

⑧茶などのにおい、かおり 

⑨ゆげ、蒸気 

⑩後押し、支配、影響 

⑪(比喩的に)風や火などの影響が強くなったりする作用   

     

の﹁息語源﹂  

 

①生の義   

②イク(生)の義、またはイズルキの略   

③イはイデ(出)、キはヒキ(引)から   

④イはイーと引く音、キは気の意   

⑤イキ(息気)の意、息は口より出る気息の音、キは気   

⑥イキ(生気)の義   

⑦イは発語、キはフキからか   

⑧イキ(胃気)の意か   

⑨イは気息を意味する原語、キは活用語尾   

 

 

「 息に関する語

の用例﹂

   

  「息が合う」・「息が掛かる」・「息が通う」・「息が切れる」・「息が絶える」・

「息が詰まる」・「息が成る」・「息が弾む」・「息がつかえる」・「息つける」・

「息の緒」・「息の香の臭きは主知らず」・「息の下」・「息のたけ」・「息の束

(たばね)=のどもと」・「息の保ち」・「息の根」・「息はっきる(窒息する)」・

「息もくれず」・「息もせ(精)もならず」・「息も鼻もさせず」・「息を入れ る」・「息を返す」・「息を限る(息せききる)」・「息を切らす」・「息を切る」・

「息を凝らす」・「息を殺す」・「息をさす」・「息をする」・「息を吐(つ)く」・

「息を継ぐ」・「息を詰める=息を閉める」・「息を抜く」・「息を盗む」・「息 を延ぶ」・「息を呑む」・「息をはかりに(息のありたけ)」・「息を弾ませる」・

「息を放つ」・「息を張る=息をぶつ」・「息を引き取る」・「息を引く(息を 呑む・息を吸う)」・「息を吹き返す」・「息を休む」 

図表 3-2-1.息の意味、語源、用例   

これらの示している「息」の意味、語源、用例のすべてにおいて、その時々に息と同時 に発せられる声のイメージが鮮明に湧き、声と息の関連性を読み取ることができる。 

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ヴォイストレーニングを指導している竹内(1975)は、自身が喪失した声を取り戻すま での体験に基づき、声を治癒するレッスンを行うまでの経験を、『ことばが劈かれるとき』

の著書に書き綴っている。そこでは、「息の意味」⑤命(いきのお)⑩後押し、支配、影響 について語っている。さらに、竹内(2007,p.25)は、同様の内容を別な方向から、新しい 事例に基づいて明らかにしており、次のように指摘している。 

「話すことばというものは、息を吐かなくては生まれない。当たり前のことだ。が、人 はこれを忘れている。現在では、無意識のまま、できるだけ息を吐かないでしゃべろうと している若者や子供たちがどんどん増えているようにも見える。イキ(息)は、生きると 同根のことばだ。」 

竹内は、声の治癒トレーニングを積んでも容易に声を発するようにならない原因を、息 の出し方、コントロール法を理解できず、習得できないせいであると指摘しており、息が 声を形成する最も大きな要因であることを指摘している(2007,p.33)。「息」に関する語の 用例」からも、声を出すには息が必要であり、その息によって声が変化することがわかる。 

身体論を専門とする齋藤孝(2003,p.10)は、息は一つの身体文化であると指摘し、「息 の語源」が意味する息の重要性を述べている。 

「戦前の日本人は、呼吸に関してハッキリとした運用スタイル、固有の文化を持ってい た。しかし、それは急速に失われつつあります。」 

齋 藤が 、さら に息 の変化 につ いて述 べて いるこ とを 要約す ると 次のと おり で あ る

(2003,pp.33-36)。 

日本では、人物を見て評価する時に、その人物の器は息の力で判断されていた。そして、

人はバーバル以上に、からだから発せられる情報を無意識にキャッチし、バーバルを交わ す中で、その人物を支えている生命エネルギーを見て判断している。それが端的にわかる のが、声の勢いであり、息のスピードであり、息が強いということは、活力がある証拠だ と受け止められる。すなわち、からだから発せられるエネルギーとは、呼吸力によって支 えられており、エネルギーの排気量は呼吸の強さで量ることが出来ることを指摘している。 

亀渕(2006,p.143)は日本における声の教育について以下のように指摘している。 

「もともと日本には、声を大切にする教育があり、剣道など、呼吸法と発声法が同時に教 えられていた。『型』を覚え、剣道、柔道でいう『道』を教えてきた。それらが戦後すべて 否定され、良い部分も含んでいた。」さらに、「精神的に苦しい時は、呼吸が乱れたり、浅 くなったりする。呼吸法を調整することによる健康法もあるようだ」と指摘している

(2006,p.19)。 

呼吸法、ヨガ、気功のような誰もが呼吸と動きに関連があると認識している健康法だけ でなく、柔道や合気道、剣道のように、近くの敵の呼吸を感じながら行うスポーツもある2。 スポーツ以外にも、精神心理面からの息の活用法は数多く存在する。座禅、瞑想、自己解 放など自律訓練法にも取り入れられており、欧米では、肉体的、精神的両面からの人間の 生活、行動を活性化させる方法として広く行われている3。さらに亀渕(2006,p.53)は、「声

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は、年を取ればとるほど小さくなる。」と指摘している。年をとることにより、筋力が衰え、

肺に空気を送る腹筋が弱まると考えれば、医学的見解からも納得できる。息は緊張すると 浅くなり、辛い時もやはり浅くなることは、誰でも経験があるだろう。緊張した時に深呼 吸することで、落ち着くというのも同じことをあらわしているといえるだろう。息があが らない人は、腹式呼吸ができており、息が深いということもわかる。人前で話すことが多 い人や、大切なことを話さなければいけない時、深い息で話すことは絶対的に重要な声の ポイントとなる。間を空けてゆっくり話すために要求されるのは深い息である。長い息を 吸えなければ、間を取ってゆっくり話すことはできないだろう。声と息、このつながりは 切っても切れない根本的なものなのである。 

声楽家の鈴木(康)の無門塾では、声の変化について、塾生に対して以下のような指導 を行っている。

「息を吸った瞬間の感情が声に表れるため、感情ののった声をつくるためには、どのよ うな感情で吸った息なのかが声にとって重要である。」 

無門塾では、所謂一般的な声を出す、歌うという発声方法ではなく、自分の体のどこに どのような息が入っているか、またその息を(どこで・誰に向かって・どのように)脳か らの指令どおりに体から出せるかという、身体を操る訓練をし続けている。吸う息によっ て声に感情が表される。息を吸った瞬間の感情が、声に反映するということである。何も 考えずに吸った息は、何も感情のない声を発する。息に感情がこもっていなければ、相手 に伝わらないということである。ここでも、「息の語源」や「息に関する語の用例」が当て はまる。 

鈴木(松)(2005,p.196)は、声紋鑑定士の観点から、息は音声表現に大きく関わってお り、呼吸の合っていない言葉はとても聞きにくいことを指摘している。 

日本語研究を専門領域とする歴史家の立川は、「息」には多くの重要なポイントが秘めら れており、その息を生かすことが出来なければ、感情の載った声を発することは出来ない ことを指摘している(2000,p.46)。このことは、「息に関する語の用例」に、やはり関係し ていることがわかる。立川は、「『息』は『気』」だと説明している4。「息」は、お互いの呼 吸が合う、お互いの気持ちやリズムが合うことを意味し、「息が合う」という言葉で表現し ているという。そして「いのち」の語源は、「息の内」・「息の道」であり、「意気」・「勢い」

も「息」に通じ、生=息であると結論づけている(立川,2000,p.50)。 

息はつながり、気は流れているという考えから、その上に声が成り立つというように考 えられる。まさにそれは、声による次世代への掛け橋の役目である。人の死を「息を引き 取る」というように、息をしなくなった瞬間に亡くなっていると認識される。「生きを引き 取る」という意味である。 

米山(1998,p.26)は、このことについて次のように指摘している。 

「人間にとって『生きる』ことは『呼気』をすることであり、息を吸う吸気によって大 気中の酸素の多い空気を体内に取り入れ、体内で不要になった血液中の老廃物を、息を吐

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く呼気として体外に排出する。呼吸は声にとって根源的な役割を果たしており、呼吸がな ければ声も生まれない。声は排出する不要のガスのリサイクル運動である。」 

生きていることは同時に呼吸しているという医学的判断であるが、一般常識としても既 に誰もが認識している。脳死も息をしている限りは、それが機械的に動かされている呼吸 であったとしても生きていると判断されている。米山(1998,p.27)は、「発声における呼 吸の重要性については古来『正しい発声の半分は正しい呼吸から生まれ、正しい呼吸のそ のまた半分は正しい姿勢から生まれる』といわれている。実際正しい呼吸をマスターする ことは半分どころか発声の大半を支配するといっても良いほど根源的なものである。」と述 べている。米山(1998,p.32)は、医学的な見解として腹式呼吸の有利な点を次のように述 べている。 

「吸によるガス交換運動は胸式呼吸よりはるかに多く、1 回の呼吸量の半分以上は腹式でま かなっている。『呼気のささえ』をするのに、胸式よりも横隔膜周辺の筋肉郡(腹筋・背筋・

璧筋・骨盤筋・その他)の調節を随意的に、しかも合理的に訓練しやすい。胸式に比べ、

腹式の諸筋郡調節による呼吸時の横隔膜運動は、吸気時は敏速でゆっくり、しかもスムー ズでなめらかな動きができる。腹式呼吸の方が発声器官である咽喉の部分、共鳴器官であ る咽頭腔  口腔などに無駄な緊張や動揺を与えず、首から頭部を安定な位置に保てる。」 

  さらに、米山(2005,p.90)は、『声の呼吸法』の中で、生き物の呼吸と声の不思議を解 明しており、呼吸と声のしくみや、息と声のつながりについて詳しく述べている。 

息の重要性に関しては、音楽界ではコーラスは勿論、オーケストラの演奏者達も指揮者 の指示通りに呼吸を揃えて演奏しているなど、呼吸の重要性に対する評価は幅広いところ で異なって認識されている。息が歩調を合わせる作用やメンタルな部分と強い関係性があ ること、息に多様な意味が混在していることが様々な見地から感じられる。では、息と同 時に発声される正常な声とはどのような状態を指すのだろうか。米山は、下記の 5 つの条 件であると指摘している(1998,p.40)。 

① 適正な呼気圧と呼気流(呼吸の調節) 

② 正しい声門閉鎖(発声時、左右の声帯が中央で閉じ、呼気流を遮断する必要がある) 

③ 正常な声帯振動(適度な弾力性の維持) 

④ 目的に応じた声帯の緊張の状態の変化(4 つの因子注:高低・強弱・持続・音色を必 要に応じて使いこなせる) 

⑤ 目的にかなった音色(声帯の使い方と咽頭でつくられた音源を声門上腔の共鳴器官で いかに使い分けるか) 

声の発声に息が大きく影響していることが示され、声に密接に関係している各研究者 の様々な見地による指摘は一致している。武道はもちろん、呼吸は精神面を如実に表し、

声に反映している。息は声のノンバーバル要素の中で、特に大きな存在といえる。息に よって感情はコントロールされ、また、感情は息と共に声にのって発せられている。声 のノンバーバル要素のうち、息が作る間によって精神面が直結していることは明らかで

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ある。共通する見解をまとめると次のように整理することができる。 

     

             バーバル      専門領域   

     

      声 

   

      ノンバーバル    息 

ノンバーバル

齋藤・亀渕  鈴木(康) 

米山 鈴木(松)

竹内 立川

バーバル

図表 3-2-2.息と声の関係性における見解   

これをみても明らかなように、息は、声を形成する大きな要因であり、そして息によっ て声が変化するという概念を、一般認識として浸透させる必要がある。そうすることによ って、精神的に不安定な状態を回避することが可能になると考えられる。 

 

第3節  声におけるノンバーバル要素としての「間」の存在意義 

声におけるノンバーバル要素の中で「間」の重要性が明らかにされてきた。ここでは「間」

の存在意義について検討する。単語の意味もわからない乳幼児の時期から既に音声の流れ を単語に分けることができる。乳児のそうした生来の能力に関しては対立する考えがいく つかあるものの、Premack(2003,p.101)の指摘では、単語の始まりと終わりを特定する音声 的手がかりに基づくものと、音節間の遷移確率に基づくもの、プロソディ(音律)に基づ くものと、音素のカテゴリー知覚の問題だと考えられている。 

高橋(1990,p.135)は、声を出して日本語を読む場合、声優と一般の人の大きな相違は、

「間」の図り方であることを指摘している。誰もが読める日本語であるが故に、「間」こそ が、重要なポイントである。「間」はいろいろな、本文に書かれていない事を現す無言の感 情表現である。「間」は、「空ける」、「休む」という考え方があるが、一概にそれだけでは ないと述べて、「間」を次のように分類している(高橋,1990,p.470)。 

① 文節の終わりの間 

② 読点「、」の間 

③ 句点「。」の間 

④ 段階の間 

⑤ 場面(大段落)の間 

⑥ 雰囲気づくりの間 

⑦ 余韻の間 

⑧ 期待の間 

鈴木(2005,p.193)は、「間」について、間は長すぎても短すぎても良くなく、その状況

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に応じた選択をしなければならず、緩急、強弱が間であることを指摘している。時間、空 間、人間に、間が入っており、それだけ重要であることを主張していることがわかる。ま た、「間」は多くの場合、大切なことをいう前に用いられることを指摘している。「間」は 声のない声の現しである。時には自分に言い聞かす心の声であり、時には日本人にありが ちな建前の声であり、また時には時間の経過や背景を表すなど、「間」は多様に姿を変え、

状況に応じて変化している。 

演出家、鴻上(2002,p.152)は、「間は長いという言い方にふさわしい感情やイメージが あるはず。」と指摘する。「間」が長い、短いということの重要性を声の要素に入れている のだ。 

「間」の重要性については、鈴木(2003,p.136)は『日本人の声』の中で、「間は語られ ぬ声」というセクションで述べており、「間が取れない人は、コミュニケーションを円滑に 進めることができない」ことを指摘している。さらに、「コミュニケーションは本来双方的 なものだから、相手の話を聞く場合は当然、反応を確認することも重要なポイントで、そ の際、この『間』が大きな意味を持っている。」と「間」の重要性を指摘している。 

また、亀渕(2006,p.110)も、『発声力』の中で「『間』を大切にして話そう」という章 を設けており、「話し始める前に、『間』をとることが大切」、「間をとることで、相手の聞 く姿勢を整える役割をしている」ことを指摘している。そして、「『話し上手は聞き上手』

というが、要は『間』をいかに大切にできるかがポイント」であると指摘している。 

安田(2006,p.117)は、能楽師の立場で、『日本語を生かすメリハリ読み!−漱石で学ぶ

「和」の朗読法』の中で、「聴衆をひきつける間」という章を設けている。そこで「間」に ついて、「『間』は決して朗読や専門用語ではなく、ふだんの言葉でも、『間が悪い』とか『間 がいい』」という。さらに、「六代目尾上菊五郎が、『間というのは魔という字を書く』とい ったように、『間』は怖いもの」と述べている。「間」が計測できないこと、観客や読み手 の状況によって変化すること、その日の天候や気温、湿度、会場のコンディションによっ て毎回違うことについても述べている5。さらに、「間」を「魔」といった六代目は、間の微 妙な意味合いについて、「教えてできる間は間(あひだ)と云う字を書く。それから先の教 えてもできない間は魔の字を書く。」と指摘している(安田,2006,p.119)。 

社会心理学を学問的体系ではじめて日本に取り入れた心理学博士、南(1978,p.8)は、

長年に渡り、「間」の研究をしている中で、「生活における間」、「武道とスポーツの間」、「芸 術における間」と、「間」の持つ三つの面について指摘している6。さらに南(1978,p.19)

は、「間」が日本特有のものであると指摘している7。 

日本の古典的な昔話においても、「間」とテンポはある形状を保ったまま受け継がれてき ている。地域によって、多少の差があるにせよ、物語に必要な「間」が定められている。

その「間」を読み聞かせによって小さな頃から何度も聞くことにより、子ども時代の体の 成長と共に、「間」に対する意識が構築されていくのである。南(p.35)は、「間の心理」

では、乳児の「間」の養われ方は、母親とのやり取りの中で、母親の持つ「カノリカルテ

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ンポ」を受けて乳児自身が、カノリカルテンポを形成し、周囲に存在する多くの刺激を時 間的にパターン化しているという。カノリカルテンポとは、長い・短いという時間の意識 の感覚である。数秒以内の比較的短い時間の範囲で基準となるテンポを指し、一拍がほぼ 0.15 秒前後であるといわれている。暗黙の節付けである。このことからも明らかなように、

母親の影響力が大きいことが実証されている。「イナイ・イナイ・・・バア」のような微妙 な時間的なずれや、上下左右にゆすりながらあやしたり歌ったりすることも乳児の「間」

の養われ方に同様の影響を与えるという。これが意味することは、母子間におけるコミュ ニケーションが充分図れずに成長した場合、「間」を読むことができなくなってしまうとい う可能性が高いということになる。「間」は、コミュニケーションにおいて、計り知れない 多くのものを現す無言の表現である。コミュニケーションにおいて、「間」を生かすことが 可能になれば、声の存在意義はより一層意味を持つと考えられる。すなわち、日常生活に おいて、周囲のいざこざを減らすことができる1つの方法といえる。「間」の長さから、黙 り込んでいる相手の気持ちを汲むことも可能であり、「間」によって、相手の本心を感じ取 ることも可能となる。一つ一つの「間」を意識的に的確に捕らえることでコミュニケーシ ョンを円満にすることができると考える。ノンバーバル要素の重大な意味を与える「間」

の存在意義を、再度認識し直す必要がある。「間」が語るノンバーバルの声と声の合間に存 在する「間」は、内面に秘めた想いを伝えているのである。 

 

第4節  声におけるノンバーバル要素としての「息」と「間」の重要性

 

声の分類と要素として、3 つの節より論じた。第 1 節声の要素と種類では、医学博士であ る米山の医学的見解である「声の 4 要素」と、理学博士鈴木(松)の声門鑑定士の見解「声 の 3 要素」、演出家の鴻上による「声の 5 要素」とを比較し、さらに声楽家として亀渕と、

ヴォイストレーナー鈴木(康)による見解から、声に必要な要素を考察した。 

現段階では、声に関する完全に一致した研究結果は得られているとはいえないが、多種 多様な分野の声に対しての分析を見ると、声が遺伝以上に生きてきた背景によって構築さ れることや、各人の性格、周囲の環境の影響が高いことなど、同じ方向を向いていること は間違いない。また、声は本人の意思で如何様にも変化させることができるという点で合 致している。そして声がその人の生き様を表し、生きてきた背景を感じさせることは変わ りない。 

第 2 節「声」と「息」のフレームワークでは、声のノンバーバル要素のうち、息が作る

「息」と「間」には密接な関係があることについて述べている。竹内は、息を吐かなけれ ば声を出すことができないことを自身の体験から指摘し、立川は、「息」という意味が日本 において、多くの意味を持ち、多義に渡り、活用されてきたことを述べている。そして声 楽家亀渕、声門鑑定士の鈴木、医学博士米山による、「声」と「息」のつながりを踏まえ、

息の役割について論じた。 

第 3 節声のない「間」の存在意義では、単語の意味もわからない乳幼児の時期から、既

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に音声の流れを単語に分けることができるシステムの働きに関して記述した。対立する考 えがいくつかあるものの、単語の始まりと終わりを特定する音声的手がかりに基づくもの と、音節間の遷移確率に基づくもの、プロソディ(音律)に基づくものと、音素のカテゴ リー知覚の問題だと考えられている。また、「間」は、声のない声の現しであり、時には自 分に言い聞かす心との確認をする声であり、時には、日本人にありがちな建前の声であり、

また時には時間の経過や背景を表すなど、「間」は多様に姿を変え、状況に応じて変化して いる。声の定義でも述べたが、演出家である鴻上は、声の要素に「間」を入れており、彼 は、「間は長いという言い方にふさわしい感情やイメージがあるはず。」と述べている。声 門鑑定士の鈴木は、『日本人の声』の中で、「間は語られぬ声」という題名で、「間」の重要 性を語っており、「『間』が大きな意味を持っている。」といっている。そして、声楽家亀渕 も、「話し始める前に、『間』をとることが大切」であり、「間をとることで、相手の聞く姿 勢を整える役割をしている」といっている。古典の安田は、能楽師の立場で、「聴衆をひき つける『間』」について記述している。「間」は、計り知れない多くのものを現す無言の表 現である。「間」を生かすことが可能になれば、声の存在意義は、より一層意味を持つと考 えられる。日常生活において、周囲のいざこざを減らすことができる1つの方法といって も過言ではない。「間」の長さから、黙り込んでいる相手の気持ちを汲むことができ、「間」

によって、相手の本心を感じることができる。一つ一つの「間」を意識的に捕らえること で、コミュニケーションを円満にすることができると考える。 

本研究は、相手に自分の本音を伝えることが容易でない現代社会において、声をコミュ ニケーションの中心的な媒体として有機的なコミュニケーションを図ることが可能である か否かを実証し、現代社会に対応できるコミュニケーションにおける声の存在意義につい て論証する。声におけるノンバーバル要素を意識的に活用することで、内面に抱いている 感情や意思を適切に相手に伝達することが可能になると考える。現代社会におけるコミュ ニケーション手段が、対話よりも無機的コミュニケーションが主流となったことで、声を 発する機会自体が減少している。これまで対話、もしくは会話しなければ聴くことの出来 なかった声は、テレビ、ラジオ、パソコン、その他の媒体を通じて常に聞くことのできる 時代となった。しかし、そうした機械的媒体から聞こえる声であっても、その声からは、

精神的に高揚している時の声や、健康状態の悪い時の声などを感じ取ることができる。声 からは、単純な言葉の持っている意味以上の相手の状態を察することが出来る。すなわち、

相手が当然には認知できない、表面からは理解しがたい体調や心情を感じ取ることが出来 るコミュニケーションを可能にするのである。 

日常、何気なく発している声の重要性を、各人が意識することで、失われてしまった人 と人の向き合うという感覚、すなわち、有機的なコミュニケーションを取り戻すことが出 来ると考える。こうした問題意識に基づき、次のような調査フレームにおいて、仮説「ス キルを具備する声は想いを伝達する」を設定し、第 3 部声の実態調査により、実証する。 

 

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第 3 章  脚注

1ベルカントの「ベル」はイタリア語で美しい、「カント」は歌という意味で、直訳すれば「美 しい歌」という意味。イタリアで 17 世紀から 18 世紀にかけての数十年間、ベルカントの 黄金期と呼ばれる時代があり、その時代にベルカントの教育を受けた多くの人が一流歌手 として巣立っていった。 

http://www12.ocn.ne.jp/~vibgyor/utacolumn.html(2007 年 2 月 1 日現在) 

2スポーツにおける息の重要性について調べたところ、剣道では、敵を討つ時に聲を出すこ とが義務づけられており、聲を出すということは、息を吐いている時に行う行為で、息を 吸っている時に打たれるのだと、剣道歴 17 年の人から直接聞くことができた。

3オーストラリア生まれのフレディック・マシアス・アレキサンダーが、自分の失声から長 年に渡り考案した「姿勢術」(アレキサンダー方式)などがある。

4立川は、「『息』のつく言葉で最も『息』の意味を表しているのが、『息子』で、『息子』の

『むす』は『生まれる』という意味からきており、その部分に『息』という字をあててい るのは、親から子へ、子からさらに次の子へとつながっていく命の連続感を、『息子』とい うことばで表したのだ。」と、息の重要性を説明している。

5安田(2006,p.118)は、間を「何もない『無』ではなく、『ない』ということが充実してい る『空』の時」ともいっている。この「空」の時のことを世阿弥は、「せぬ暇」といって、

能では何もしていない時、どんな音も鳴っていない時、それこそが最も面白く、そして大 切なのだといっている。

6『生活における間』では、居間、茶の間、応接間など、スペースの機能を表しており、間 取りは移住スペースをどう使うか、床の間は、足で踏み入れることのできない心理的に確 立した空間として存在し、そして、一種の神聖な場を意味するのと同様に、客間は主と客 が相対する人間関係の場であり、それは居間と違って人と人との間を成立させる間でもあ ると述べており、『武道とスポーツの間』では、生活間が物理的な生活空間と、心理的な対 人空間との絡み合いから成立したとすれば、それを対人空間との勝負の世界に移してみれ ば、スポーツの間・武道の間があり、それは、相手のために『間に合わせる』、『間を保つ』

生活間と対照的な、相手の持つ『間を外す』、『間を乱す』といった自分にとって有利な間 が存在する。スポーツの極意は、日常の対人関係で保たれるべき間を、意図的に崩して、

相手の『すき間』を狙うことであり、『芸術における間』では、スポーツの間の非日常性を 一層拡大して表現するのが芸術の間であり、それは、意外性ということばが示す通り、普 段の心意の流れの外に、別な間を持った流れを設けることである。 

7南(1978,p.19)は、「間」が日本特有のものであると指摘している。「確かに間は生活、ス ポーツ、芸術、更にその根底としての宗教とりわけ禅の意識形態として、その微妙なあら われを、われわれ日本人は感じ取ることができる。それは休止、沈黙、間隙のような物理 的、生理的な過程でなく、形やことばでは表現できない体験であり、少なくとも西洋文化 では、ハッキリそれに対応するものは見当たらないと思う。」 

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