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Virginia Woolfの孤独と愛について

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(1)

Virginia Woolfの孤独と愛について

著者 滝野 光子

雑誌名 主流

号 29

ページ 88‑120

発行年 1967‑04‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016713

(2)

V i r g i n i a  W o o l fの孤独と愛について

滝 野 光 子

1) 

Stephen Spenderは著書 Worldwithin  Worldの中で

Perhaps, after all, the qualities  which distinguished  us  from the  writers of  the previous decade lay not in ourselves, but in the events  to which we reacted.  These were unemployment, economic  crisis,  nascent fascism

, 

approaching war

, 

which 1 have describd. The older  writers were reacting in the  'twenties to the exhaustion and hopeless‑ ness of  a Europe in which the old regimes were falling  to  pieces.  W e  were a nw generation', but it  took me some time to appreciate  the meaning of  this  phrase. 

と述べている.作家とは新しい環境に敏感に反応して,過去のものとは全 く異るものを創造するものであり,文学は社会の鏡という陳腐な言葉も十 分うなずけるのである.Virginia Woolf (1882‑1941)が Modern Fic‑ tion"の中で「物質主義者」のレッテルを貼った当時の一流作家H.G. 

Wells, John Galsworthy, Arnold Bennettはイギリスの文化史,政治史 上,中流階級の全盛期に生存し,才能による新しい貴族として安定した社 会生活を享受し,デモクラシイと社会再建の新たな関心に影響され,自己 の住む社会生活の分析に献身したのである.一方 Woolfの時代といえば the exhaustion and hopelessness of a Europe in which the old r己gimes werfallingto pieces円の時代である. この僅か10年余りのうちに,彼女 は二大戦争の谷間にはさまれ,絶えず生命の危機にさらされながら,信頼 すべき価値も規準も伝統も失ない,個人の自由,権威も圧迫され,不安と

(3)

VirginiaWooIfの孤独と愛について 89 

t

毘沌の中に生きなければならなかった.エドワード朝の作家には自己の描 くべき社会が厳として存在しているのに反し, Woolfが自己の心Jここれを 求めたのは,自己の外側にはすがるべき堅固な, realなものが何一つ存在 しないということであり,これがエドワード、朝作家へのあの痛烈な批判!の 言葉となったのである.それ故に Woolfのf街く世界は自らの生が心lこ映 った映像なのである.彼女が人と分つことのできない自己の心の陰影を寄 りどころとして,深く深く意識の世界に没し去ったことは9 孤独な9 不安 な,死の暴威に翻弄される個人の心を最後の足場にした9 はかない不安な 真理の探究の道であるが,彼女にはこれ以外安住の地はなかったのである.

そして Woolfがこの方向に向ったことはヲ幼い時より病弱なために,学 校生活もできず〉主として父の蔵書を自由に読みふけることにより作家と

して,人間として成長し,孤独になれしたしんだ Woolfの当然たどった 道であると考えられるのである.

以上のように, Woolfが写しだそうとした生とは彼女個人の生であり矛 彼女が自己の心を探究することにより,個人の実体を徹底的に究明したの である.では彼女の個人はどのようにして措かれるのであろうか.彼女の 人間像はまず第一に,被女の感受性によって,印象として浮び上る人間の 内的生活の姿として描かれるのである.内的生活とは9 心の中で様々な菖 藤が演ぜられるが,それは直接外部の人との接触より生れるものではない.

外的な接触も単なる個人の印象としてしか表現できないのである.その上 印象によって捕かれる像は明確な膚や色合を持つ固定した人間像ではな い.この印象による人と人との触れ合から,完全な相互理解を望むことは 到底困難なことである.印象が他の印象と完全に通じあうことはあり得な いからである. Woolfが意識の世界に個人の確認を求めた時からフ設女 の人物は孤独の中に住まなければならなかった.

愛,運命,自然,宗教,死のテーマは人間生活に深く根差したもので,

文学では幾度も繰り返され,人間性の探究に大いなる貢献をした. これに

(4)

90  Virginia Woolfの孤独と愛について

加えて,孤独のテーマももはや人間生活から切り離して考えることのでき ないものとなった.特に人聞が自意識をもって以来,人間性の中に深く入 りこみ,複雑な様相をあらわすのである.人聞は孤独より逃れようとする 本能を充足さぜる一つの形態として社会生活を営み,肉体的な孤独を癒す のみならず社会の人々と思想,価値,生活様式などを共有することにより 孤独からの逃避をはかる.しかし文明が発展するにつれて,この社会が人 聞を圧迫しはじめる.即ち社会が人間の個性を押しつぶし,社会機構の一 員として個性の均等化9 均一化をはかるのである.それ故に人間は本来の 自由な自分自身をとりもどすために,孤独を願うという3 本能に反するこ とが必要になってくる.孤独から逃避を願う人間が,自分自身であるため に,自ら孤独に身をまかぜなければならないという宿命を現代人は負わな ければならないのである.

Woolfの描く人物はみなこの悩みを持つ. 彼らは孤独に敏感である.

孤独におののき,不安におび、え,時そのものに恐怖をおぼえラ孤独からの 逃避を願う Dallovvay夫人は,孤独によってこそ人間の尊厳が保持される ことを知るのである.Ramsay夫人も人間愛を信じながら,なお癒すこと のできない孤独感を弧独へ逃避することにより克服する .The Wavesの Bernardは孤独への挑戦により生きる力を得る.この人間像はすべて孤独 からの逃避を願いながら孤独を求めなければならない現代の苦悩,即ち愛 を求めて孤独の意義を知らなければならないこのパラドックスの中でうご めく現代人の姿である.それ故に Woolfの究明する個人は,まず第一に 孤独におかれた個人,人と変った個人,孤立している個人の姿なのである助 次にはこの孤独の個人が社会におかれた姿としての個人なのである.孤独 のテーマを除外して Woolfの作品を追求することは不可能である.Black‑

3) 

stoneは「ヴアージニア@ウルフの作品は,個人が,先ず孤独の中に,

次いで社会の中に存在する際の内的生活の研究としてヲまた,これらの 様相に伴なう微妙な旋律として,姿を現わす.孤独は常に変らぬ主題であ

(5)

Virginia 

v

100lfの孤独と愛について 91  る.J とこの孤独のテーマを重要視しているが9 今この孤独のテーマを追 求することにより,先ず孤独の中の個人に焦点をおき,次いで社会の中の 個人に目を向け,現代の課題「孤独と愛」のパラドックスを融合させた Woolfの秘密にふれてみたいと思う.

Woolfの小説に Bergsonの影響が強くあらわれていることは今更云う までもない timeの取扱い personalityの問題, realityの直観的把握 など, Bergson哲学の文学への実践と思われる程である. Woolfの措く 個人の姿を理解するために, Bergsonの人間観からはじめて,彼女の人物 を措く時のその根底をさぐってみたいと思う.

Bergson は自己を9 生きることに身をまかせ9 純粋持続の型体をとり,

意識の諸要素が相互に緊密に貫通し浸透し合いながら除々に推移する内的 自我と,いわばその外的投映とみられる空間的自我との二つに区分してい る1"それゆえ結局9 相異なるこつの自我があるわけであって, その一つ はもう一つの自我の云はば外的投映,その空間的な云はば社会的な表現で あるわけである.第一義的な自我に達するのは深い反省によるのであって,

深い反省は内的状態を,絶えず形成の途中にある生きものとして把握させ,

互に惨透し合い且その持続に於ける継続が等質的空間に於ける並置と何の 共通点ももたない,尺度に従わない状態として把握させる.けれども,自 己自身をかように捉える時間はまれであって,自由であることのまれなの はそのためである.大抵のときに我々は,自己自身に外的に生き9 自我に ついて色裡せたその幽霊9 純粋の持続が等質的空間に投ずる影しか認めな い.つまり,我々の生存は時間のうちよりもむしろ空間のうちに繰り延べ られる.我々は我々に対してよりもむしろ外界に対して生きヲ考えるより もむしろ語る. 我々は自から行動するよりもむしろ『行動される.~自由 に行動するということは,自己を取り戻すことである.純粋の持続のうち に自己を置き返すことである.J 

(6)

92  Virginia Woolfの孤独と愛について

以上のように Bergsonの人間は内的自我と外的自我の二つからできで いる. この内的白我とは自ら自己のうちに沈潜し,いわゆる直観の努力に よって自己そのものと共感するときのみしか我々にあらわれず,あるてい ど自己の行為を媒介として不断に連続的に創造されるのである. もう一つ の外的空間的自我とはこの内的自我の固定層といえよう. この層において 私達は行動したり9 言葉を語ったりして,私達が共通に有するものを相互 に交換して人と人との交わりが可能となり,社会生活が営まれるのでたる.

この私達の共通の自我は,私達の固有の自己ではない. もっとも自己的で たい自己,即ち「空間のうちに分散した,非人格化されたラ断片的に凝固 したこころである.J私達の日常生活は純粋持続の自我とはきわめて遊離 したものなのである.そして日常生活においては外的,社会的な生活が実 際に主要なものであるので,これに心をうばわれて,その底にひそむ深い 内的自我をほとんど自覚しようとしないのであるが,これこそ私たちの固 有な本当の自己なのである.

この Bergsonの人間観から Woolfの描く人物がなぜ孤独を欲するのか を十分理解できると思う.今この Bergsonの人聞を根底として Ramsay 夫人の孤独に耽る姿をみてみよう. 文学史上永遠の女性の印象を与える Ramsay夫人は子供の心を理解しようとしない夫と子供の閣に立って心を 悩まし,疲れた身を孤独におくのである.

For now she need not think about anybody.  She could  be herself

by herself.  And that was what now she often felt  the  need of‑

to  think;、;vellnot even to  think.  To be silent;  to  be alone.  All  the being and the doing, expansive, glittering, vocal, evaporated; and  one shrunk, with a sense  of  solemnity, to  being  oneself, a wedge‑

shaped core of  darkness, something  invisible  to  others.  Although  she continued to  knit, and sat  upright, it  was thus  that  she  felt 

(7)

Virginia Woolfの孤独と愛について 93  herself;  and this  self  having Shed its  attachments  was free  for the  strangest adventures.  vVhen life sank down for a moment, the range  of  experience semedlimitless.  And to  everybody there was always  this sense of unlimited resources, she  supposed;  one  after  another,  she, Lily, Augustus Carmichael, must feel, our apparitions, the things  you know us by, are simply childish.  Beneath  it  is  all  dark, it  is  all  spreading, it  is  unfathom在日ydeep;  but now and again we rise  to  the surfceand that is  what you see us by.  Her horizon semed to  her 1imitless.  There were all  the places she  had not  seen;  the  lndian plains; she felt  herself pushing aside the thick leather curtain  ofchurchin  RomεThis core of  darkness  could  go anywhere,  for no one saw it.  They could not stop it, she  thought, exulting.  Thr wasfreedom,主herewas pece,there  was, most welcome of  all, a summoning togetherラ 丘 restingon a platform of stability.  Not  as  onselfdid one五ndrest  ever, in  her experince...  bu t as a ¥vedge  of darkness.  Losing personality, one  lost  the  fret, the  hurry, the  stir;  and there rose to  her lips always some exclamation of triumph  ovrlife  when things  cam together in  this  peace, this  restthis

6) 

etermty .. 

Bergsonの純粋持続の型体をとる自我とは Woolfの personalityにあた り9 その本体は wedg‑shapedcore of darkness"である.又外的自我 にあたるものは wedge‑shapedcore of darkness"の apparitions円と みる.この apparitions"は allthe being and the doing, expansive,  glitteringvocal"であり,これによって人間はお互を見たり9 知ったりす

るのである.しかしこれは本来の自己ではなく childish"な単なる表面 層にすぎない.本当の自分とは coreof darkness円で通常この表面署の 下に果しなく深く広く語、在している意識の流れでありヲ時折り自発的に目

(8)

94  Virginia W oolfの孤独と愛について

醒めた時,この外面の自己を貫通して浮び上ってくる.その時こそ本当の 自分自身になり,空間,時間の束縛から脱し無眼の自由をえてあらゆる対 象に浸透し,融和の暁には,その物の本質,即ち realityを把謹し9 そこ

に真の平和,休息が訪れるのである.この coreof  darkness円が目醒め るための必要条件は to be  si1ent, to  be  alone円になることである.

特に現代生活の増大する騒々しさの中で, Silenceand solitude …that's 

7) 

the only element in  which the  mind is  free  now." The Yearsの 一人物 Northに云わせているのもこの理由によるのである.Woolfは日 記の中で孤独における自己の体験を次のように述べている.

Often down here 1 have entered into a sanctuary;  a nunnery; had  a religious retreat; of great agony once; and always some terror; so  afraid one is  of loneliness;  of seeing  to  the  bottom  of  th vessel. That is  one of the experiences 1 have had here  in  som Augusts;

and got then to  a consciousness  of  what 1 call  reality athing  1 see before me: something abstract;  but residing in the downs or  sky; beside which nothing matters; in which 1 shall rest and continue  to exist.  Reality 1 call  it.  And 1 fancy sometimes this is  the most 

8) 

necessary thing to me: that which 1 seek. 

孤独の中におかれてこそ,はじめて潜在的意識即ち内的自己が目を醒し,

直観的にrealityを把握できる状態が可能になるのであり,そのrealityこ そ人生のまことの truthである.換言すれば Woolfが欲する孤独の状態 とは humanbeings not  always  in  their  relation  to  each  other but  in relation to  reality; and the sky, too, and the  trees  or  whatever it  may be  in  themselves"をみることである.人間を相互関係におかれた 姿としてではなし木や空が自然界におかれたのと同じ関係でみることラ 又人間のみならず,あらゆる対象のその物自体の姿を見ること,この目を

もつには「判断なしに,選択なしに,沈黙の理解をもって」ながめなけれ

(9)

Virginia W oolfの孤独と愛について 95  ばならないのである. この目をもっ時こそ personalityはあらゆる対象 に融和し realityを把握し, 無限の自由と喜びが感じられるのである.

ζの孤独の自をもつために, Woolfは人聞の外的生活を拒否するのみな らず, 宗教であれ, 権威であれ, 又愛さえも排除し, ひたすら純粋の自 分自身であることを願った.Dalloway夫人は宗教の象徴としての家庭教 師 Kilmanこ(まげしい憎悪をいだき,又愛する Peterとは everything had to  be shared;  everything gone into Andit  was intolerable."の 理由で結婚もせず,又役女の分身である Septimusは,あまりにも自分自 身であることを欲したために社会生活に適応できず自ら生命を断たなけれ ばならなかったが,この直接の動機となった医者は物質文明のもたらす外 的な権威の象徴とみてよいだろう.

しかし, 人間が純粋に自分自身になるためには, 人間の孤独に対する '

"

  agony円と terror円がつきまとうことを前に述べた日記から知ること ができる.更に自分自身になりうる歓喜の陰にはもはや persona1ityさえ 解体するのである.Woolfが外面的な自己を徹底的に排除しヲ personality の追求を究極にまでおしすすめた作品 The 1Vavesの Bernard の孤独 への讃歌にこの personalityの解体した姿をみることができる.

Let  me now raise  my song  of  glory.  Heaven  be  praised  for  solitude.  Let me be alone.  Let me cast  and throw away this veil  uf being, this  cloud that changes  with  the  least  breath, night and  day, and all  night  and  all  day.  While 1 sat  here  1 have  been  changing.  1 have watched the sky change.  1 have seen clouds cover  the stars, then free the  stars, then  cover  the  stars  again.  Now 1  look at  their changing no more.  Now no one sees me and 1 change  no more.  Heaven  be  praised  for  solitude  that  has  removed  all  pressure of the eye, the solicitation  of the body, and all  need of lies 

12) 

and phrases. 

(10)

96  Virginia W oolfの孤独と愛について

すべての外的,社会的制約,言語,行動は勿論,自己の存在さえも否定し なければならないことになる. もはや見るものもない,変化もしない無の 存在とは死の世界にしかありえない. この孤独を欲する個人から生れる社 会とはその根底に,一切の人間関係を拒否し,死を願う空虚と絶望の充満 する社会なのである.たとえこの社会で人間関係が存在したとしても言語,

行動では表現できない personalityをどうして完全に伝ええようか.人間 の相互理解の不能なところに愛は生れないのである.そしてこの孤独に陶 酔する自己は反面,白然の暴威にほしいままにされ,傷つきやすいはかな

い自己を見いだすのである.

愛に絶望し9 神を見失い一一科学が神への服従を許さなかったのだ十一 永久に孤独におののきヲ死の恐怖にさいなまれながら,人聞社会を拒否し て,人間は生きなければならないのである.T. S.  Eliotは The Cocktail  Partyの中で,皆が孤独の自我の中に閉じこもり,人と人との交わりが絶

えてしまった現代の人間の悲惨な姿を描いているが,現代作家が問題とす るのが personalityである限仇孤独と愛の関係こそ等しく,現代作家が 関心をもっテーマといえよう.そして Woolfがこの半問題にまっこうか ら取組んだということも彼女の現代性の一つのあらわれである.

Woolfが本質的に孤独の人で、あると共に,純粋に自分自身であるために 内的生活を何よりも重視し,外的自我の中心となる社会生活は,この内的 自我を阻害し,窒息させるものであるという理由でこれを排除し,ひたす ら孤独を求めるが9 その反面, Woolfには孤独の中にのみ安住することが できない矛盾を蔵している.この面を StephenSpenderが実際に,彼女 に逢った時の印象として次のように述べている.

When her guests arrived, Virginia Woolf would perhaps be nervous

preoccupied with  serving out  the drink.  Her handshake  and her  smile of  welcome would be a little  distraught. 

(11)

Virginia W oolfの孤独と愛について 97  又は

She seemed to  hate her dinner parties to come to an end.  Sometimes  they would go on untiI two a.m.  She gave her guests an imprssion of  gaiety  which  could  plunge  at  any  moment  into  the  deepest  seriousness.  She would  teI lstories  of  things  which  amused her  untiI  the tears ran down her cheecks. 

この客の来訪を心から迎える Woolfの姿は,あの孤独を愛する Woolf:の 半面の真実な姿でもあり,いつ最も深刻な気持に変るかもしれない印象を あたえる陽気さは,彼女の絶えず揺れ動〈気分の変動のあらわれでありp

これが孤独と社交の矛盾を求める大きな理由となる Woolfの天性ともい えよう.そしてそれに加えて, WoolfがDalloway夫人の口から,夫人の生 きる巨的を外的自我が最も華やかに開花する社交の中心というべき party であると次のように云わせているが,

Here was So‑and‑so in  South  Knshington; some one up in  Bays‑

water;  and  somebody else, say, in  Mayfair.  And she  felt  quite  continuously a sense of  their existence; and she felt  what a waste; 

and she felt  what a pity; and she felt if  only they could be brought  together; so she did it.  And it  was an  offering;  to  combine, to  create; but to  whom? 

An offering for the sake of 0ering,perhaps.  Anyhow, it  was her  gift.  Nothing else  had she of the slightest  importance;  could  not 

14) 

think, write, even play the piano. 

この大きな矛盾はタ彼女の天性に加えてヲ彼女の生きた環境の価値評価と みてよいだろう.彼女は知的な教養ある文学的雰囲気の家庭の中で,宗教 的フ思想的束縛もなし好むがままに学問をしp 男性と変らぬ知性を身に つけ,内的自我を十分発達させることを父から許されたが,しかし日常生 活においては,

(12)

98  Virginia W oolfの孤独と愛について

During her father's life‑time she  lived the  outward  life  of  an Ed‑

wardian young lady.  She poured out tea in the drawing‑room.  She  went through  the  ritual  of  the  London seson. She visited  her  brothers for May Week at  Cambridge.  The tea‑parties at  the Hil‑ berys', the personality of  Clara Durrant in Jacob's Room, the whole  of Nb's.Dalloway, appear to  be reflectIons  from this  period.  She  learned the delicately balanced convention of  intercourse  in  the  en‑

15) 

closed and arti:ficial  world of London Society. 

と述べられるように,当時の上流社会の娘が受ける援を幼い時から身につ け,社交生活が彼女自身の生活の主要なものとなったのみならず,そこに 見いだされる美,優雅繊細,調和の精神を基調とする価値観念は深く彼女 の心に根附き,心の一部を形成して彼女の作品を制約する一方,彼女の特 性が生れたのである.Woolfは表面的な虚偽の生活に明け暮れするロンド ンの社交界の女性の日々を鋭く批判し非難をしているが,彼女が好むと好 まざるとにかかわらずこの大きな矛盾,慣習的な社会生活を受け入れなけ ればならないものは Woolf自身の心の中に大きく育てられてしまったの である.それ故に, Woolfの主要な人物は,社会生活に適応できず自ら死 をえらんだ Septimusを除いて,社会よりの逃避を計ったり,社会の落伍 者的存在でもなく,積極的に人との交わりを求め,社会生活を享受するの である.勿論披らの心の中には Septimusが潜在するが, Woolf自身が,

Sussex '111のRodmellの孤独の生活とロンドンの都会生活を楽しんでこれ を交互に繰返えすように,彼らは,孤独の生活と社交の中心となる party を往復するのである.それ故に Woolfの小説は愛の生みださわしない悩み とか9 愛の不毛の社会での自我の孤独のおののきなどが課題ではなし彼 女独特の悩みをもって孤独と愛のテーマにいどまなければならなかった.

彼女の解決を欲する課題は Nightand D仰 の 主 人 公KatharineHilbery  の課題であり, Woolfの小説すべての課題なのである.

(13)

Virginia oolfの孤独と愛について 99  Why, she reflectedshouldthere be this perpetual disparity between  the thought and the action, between the life  of so1itude and the life  of society, th1S  astonishing precipice on one side  of  which the  soul  was active and in broad daylight, on the other side of which it  was  contemplative and dark as night?  Was it  not possible to  step from 

16) 

one to  the other,巴rect,and without essential  change? 

以上の人生の大きなパラドックスはすべて内的自我と外的自我との分裂 より生じるということは Woolfの描く個人の姿からみて明白である.

thought,円"the life  of solitude ヘ night円は内的自我の生活であり,

actlOnぺ thelife  of society", daylight"は外的自我の生活である.

この二つのものの本質を害わずに橋をかけ,完全な統一的個人の姿,全的 な生の姿,全的世界観を作りあげることに Woolfの努力は向けられるの である. この試みのーっとして partyの場があらわれ, thelife of soli‑ tude円と thelife  of society円に橋がかけられるとすると,孤独と愛の 問題ば氷解し,内的自我と外的自我の矛盾が一掃され, Woolfの上にかか げたすべての問題の解決の手掛かりとなるのである.それ故に Woolfの 描く partyは,単なる外的自我の接触の場としてではなしこのパラドッ

クスの解決の場として登場することは次の日記から明らかである.

. .

  how 1 dig out bautifulcaves behind my characters: 1 think that  gives exactIy what 1 want; humanity, humour, depth.  The idea is  that the caves shall connect and each comes to daylight at the present 

17) 

moment.  Dinnr!

Woolfにとっては,勿論, partyは彼女の人物が住む中産階級の慣習的社 会の様相を伝えるのに重要なものであったろうが,それにもまして,人間 が各自もつ孤独の自我の深突が聞いて,その本質が変ることなくお互に結 ばれ,現在の瞬間,各々が明るみにでる所一一それがdinner,即ち dinner partyと解釈されるものである.彼女の意図するところは孤独の自己と愛

(14)

100  Virginia W oolfの孤独と愛について

が同時に顔を出し partyの場で融合が生れることなのである.party はこ のように重要な意味をもっ故にタ彼女は人聞を形成する諸々の意識より特 に partyconsciousness"をぬきだし次のように説明している.

But my present refiection is  that people have any number of states  of consciousness: and 1 should like to investigate the party conscious‑ ness

, 

the frock consciousness

, 

etc... people secrete an envelope which  connects them and protects them from others, like  myself, who am  outside the envelope, foreign bodies.  These states  are very difficult  (obviously 1 grope for words) but I'm always coming back to it.  The  party consciousness, forxample; Sybil's consciousness.  Y ou must  not break it.  1t  is  something real.  Y ou must keep it  up‑conspire 

18) 

together.  Still  1 cannot get at  what 1 mean. 

人間は各自,自己の意識の中に人との接触を求める意識と,反対に自己が 傷つけられることを恐れ,自己保存のために他を排斥する意識があり,これ が一つの partyconsciousness円なのである.この意識が入る envelope円

とは9 換言すればcommunicationとprotectionの二重の目的をもった一 人の人間の意識のひろがりである.この分裂した意識が一つの envelope"

の中にあることをもっと明解に,彼女は A Room of One's Ownの中で 説明している.

Why do 1 feel  that there arseverancesand oppositions in the mind,  as therarestrains from obvious causes on the body?  What does  one mean by  the unity of thmind"? 1 pondered, for clearly the  mind has  so  great a power of  concentrating  at  any point at  any  moment that  it  seems  to  have  no single  state  of  being.  1t  can  separate itself  from the people in the street

, 

for example

, 

and think  of itself  as  apart from them

, 

at  an upper window looking down on  them.  Or it  can  think  with  other  pople spontaneously, as, for 

(15)

Virginia W oolfの孤独と愛について 101 

19) 

instance, in  a crowd waiting to  hear some piece of news read out.  人間の精神は一つの固定した状態ではない.孤独におかれて物を考える状 態ふ又他人と一緒に考えることもできるのである. ζれを分裂した精神 とみる方が誤りで,統一し,融和した精神とみた時に,はじめて精神の本 然の姿がみられるのである.Woolfがこの矛盾した意識,換言すれば孤独 と愛が同じ意識から生ずるとみる時lこ9 この橋渡しの不可能と思われる断 層にはじめて橋が掛けられ,孤独と愛は矛盾なく融和し,内的自我と外的 自我の隔絶は自ら消滅する.すると Woolfのpartyはもはや単なる life of so1itude"と lifeof  society円の融合の場であるのみならず, Woolf  が20世紀の特質とみるあらゆる分裂

Feelings which used to  come single and separate  do  so  no longer.  Beauty is  part ugliness; amusement part disgust; pleasure part pain.  Emotions which usdto  enter the mind wholarenow brolαn upon 

20) 

the thrεshold. 

以上の分裂せる意識が一つに融合し全的世界となって現われる場であれ ここにWoolf文学の鍵が隠されている.いまここに二三の批評家のparty 観を中心にして意義深い象徴としてのpartyを更に追求して融和の秘密に ふれてみよう.

21) 

Frank Baldanza は ObviouslyMrs. W oolf somehow equatsparties  with life."と述べて, Dallowy夫人の partyにあらわれる ClarIssa

22) 

and Septimus, parties and suicides, communication and death円の二面の 経験はタ各個人がおりなす全人生の意識の両極であり,この分裂した意識 の両極は, Dalloway夫人の神秘な力によって融合し,人生全体の姿とし て認識されるのであるという.これにもう少し説明を加えるなら, Woolf  にとっては孤独と愛,生や死,美と醜など様々なパラドッグスを生みだす この人生は,個人の生によって作りだされるものであり,個人を個々の分

(16)

102  Virginia W oolfの孤独と愛について

裂した意識をもった一つの精神の所有者とみた時,はじめて融和が可能と なり,全的生の姿をみることができるのである.又,孤独な自我をもっ他 と異る個人が全的生の形成を分けもっと意識した時,To the  Lighthouse  の中で, Lily Briscoeがみた image

. .

  she felt  how life, from being made up of little  sparateincidents  which one lived one by one, became curled and whole like  a wave  which bore one up with it  and threw one down with it, there, with 

23) 

a dash on the beach. 

を持つことができ,はじめて個人と個人は結ばれ,自我と他我は融和し,

統ーした生が生れるのである.この融和を生みだすのがpartyを唯一の仕 事として貢献する Dalloway夫人であり,女性の力が現代社会に及ぼす影 響の偉大さを 1Toolfはpartyを通して描こうとしたのである. このこと は ShivK. Kumar EthelF. Cornwellなどによっても裏付けされる.

Kumarは Ramsay夫人の dinnerpartyを

Presiding over the dinner table, she is  like a pervasive spirit  binding  into a mystical unity all  the discordant and heterogeneous elements  of  life, symbolizing the triumph of  intuitive love and understanding  over intel1ectual intoleration. 

と述べ,人生の混乱,混沌から統ーを生みだす女性の愛と理解を,男性の 知性と対応させラ女性の力に勝利を与えている. Cornwell も同様にタこ の融和を生む力は特に女性のものであるという確信を更に強調し,次のよ

うに述べている.

As the  dinner  scenes  suggest, in  To the  Lighthouse  and  The  IVaves, Mrs.  Woolf considers  social  unity  one  of  the  means  of  opposing chaos.  This explains in part why social gatherings so often  form her setting and why her heroines are so  often  women whose  chief talent is  a gift  for welding  sparateindividuals into a unified 

(17)

Virginia W oolfの孤独と愛について 103  25) 

group, a gift  for creating social  harmony out of discordant elements.  Woolfが不安,混沌,無秩序の社会に統ーを生みだそうというあらわれと して partyを設定したものとみて,この統一を与えるカを人生の芸術家と しての女性の手に委ねるのである.

Woolf (ま女性の最大の能力こそ人生の芸術家であること,即ち美や調和 を創造し, 日常の平凡なものから奇蹟を生み,移ろい易いものを永遠にす る能力であることを認めている.その偉大な才能を十分に与えられたのは Rams可 夫 人 で , 彼 女 は

Nothing seemed to  have nierged.  They al1  sat  separate.  And the 

26) 

whole of the effort of merging and flowing and creating rested on her.  と自己の才能をpartyで惜しみなく揮ってラ生の調和の一大芸術作品を作 りあげたのである.Ramsay夫人のタ鮪の団奨こそ,孤独と愛が本質を害 うことなく,いかにj軍然と融和し,美しい調和を生みだすかを我々に伝え るものである.愛と孤独のノミラドックスが消滅するということはどのよう なものであるかを知るために Ramsay夫人の partyに特に焦点をゐてて みよう.

Ramsay夫人が一度融和を志すと,愛の光がろうそくにともり,消えあ ことなく燃え続け,各自が自由を味いながらも,なお全体の調和を失わず 完全な融和が行われるのである.そしてその融和こそ夫人が臼分の心の中 に,孤独と愛が住むことを自覚した時,自己の言動に矛盾がはらんでいる

ことを見いだした時9 その融合が可能となるのである.

So she saw them; she heard them; but whatever they said  had also  this  quality, as  if  what they said was like  the  movement of  trout  when, at  the  same time, one  can  see  the  ripple  and  the  gravel,  something to  the right, something to the left; and the whole is  held  together;  for  whereas  in  active  life  she  would  be  netting  and  separating one thing from another;  she  would be saying  she liked 

(18)

104  Virginia W oolfの孤独と愛について

the Waverley Novels or had not read them;  she  would  be  urging 

27) 

herself forward; now she said nothing. 

このような融和の姿を芸術家が自己の創作品を眺める創作者のみに許され る喜び,あの生命の充足感をもって眺めるのである.絶えず流転し,誠び 去る生の流れが自己の力によって不滅の,不動の,統一ある生の一瞬とな って固定しラ生の芸術品となって永久に存在することを確信し,安らぎと いこいの感情がわいてくるのである.

. .

  there is  a coherence in things, a stability; something, she meant,  is  immune from change, and shines out '"  in the face of the flowing,  the fleting,the spectral, like  a ruby; so thatgainto‑night she had  the feeling she had had once to‑day already, of  peace, of rest.  Of  such moments, she thought, the thing is  made that remains for ever 

28) 

after.  This would remain. 

以上のように Ramsay夫人の partyは個々が完全に融和し,愛が生れる のに反し,これと比較される Dalloway夫人のpartyには死が訪れるので ある.Dalloway夫人も才能を揮って partyの成功を一瞬確信したものの,

これは一種の幻影であって揺ぎなき愛の勝利ではない. 彼女は Septimus の死を聞き,自己の努力が,まことの心の結合を生みだすことに失敗し,

愛の融和の不可能を痛感する.死においてしか結合できない人間社会の愛 の不毛にJ思をよぜ,より一層の孤独惑を味うのである.

これは,国会議員の妻として,社突に明け暮れ,虚栄の生活を送って自 己を擦り減らす Dalloway夫人の生活よりも,夫や子供やそれをとりまく 人々に惜しみなく愛を捧げ,家庭中心の生活を送る Ramsay夫人Jこ,Woolf  はより価値を認め,人生の芸術家としてのよりすぐれた才能を与えたため であろうが,もう一つの重大な理由は, Ramsay夫人のpartyとDalloway 夫人のそれとの構成成員の相違なのである.Ramsay夫人の partyは夫妻 の他に,夫の弟子,植物学者,老詩人,女流画家,婚約した二人の青年男

(19)

Virginia羽Toolfの孤独と愛について 105  女,及び子供達で, Woolfの常に好むところの学者, 芸術家十一授女と 内的生活を分ちあえる人々との家庭的小人数の集りである.それに反し,

Dalloway夫人のそれは総理大臣をはじめとする上流階級の御歴々の面々 で絢欄豪華であるがまことの交わりが坦止される虚栄に満ちたものであ る.ここに E.M. Forsterにみられる大社会に対立して考えられる小社会 がみられ, Woolfの愛の達成もこの小社会においてである. この小社会こ そ彼女の住んだ環境である.彼女の描く世界は自己の住んだ中産階級の

t

玄 界で,特に家庭環境によって学者,芸術家との交わりが多しその中でも

Bloomsbury と呼ば、れる親しい仲間との交友こそ彼女の主要な生活の 場であった.この仲間に強い仲間意識が生れ,愛の結合が生ずることは当 然である.J osephine O'Brien Shaeferはpartyを仲間意識の観点からみ

て次のように述べている.

This interest in  the middle‑ground limits  Virginia Woolf's ability  to dscribewith intelligibility the quality and texture of the individual  mind in  solitude.  But itxtendsher powers to  create the sense of  a group consciousness.  Parties and commun1meals form a leit‑motif  in  Virginia  Woolf's novIs. They force life  to  stand  still  for  a  fraction of time and armthe value of  individual  existence.  But  they are also  capable of  creating a new thing, something unique and 

29) 

different from the sum of  the individuals that compose the group.  Shaeferは partyを孤独の個人の価値がト分確認されるのみならず,

something unique and different from the sum of the individuals七即 ち個人の心の集積と思われぬ強い愛の融合による groupconsciousness が創造される場としてみたのである.すると Woolfの愛は小社会iこのみ しか生れ得ない理由も納得されるのである Blackstone もこの小社会に ついて 1"‑'彼女の領域が限られていること,彼女がふれようとしない人間 生活の様相と,彼女のしりごみするような場面があるということ〈それは

(20)

106  Virginia W oolfの孤独と愛について

否定できない事実である〉をまさに意味するのである.彼女の世界は小さ い世界であり,知的な人と感受性の鋭い人,芸術家と学者の世界である.

しかし,主要なものは,その限られた世界で,彼女が何をするかである.

彼女はそれをひきのばして,人生の大きなパラドックス一一愛情と憎悪,

孤独と社交,そして愛の束縛から生ずる自由←ーを包含させることができ ょうか? もしそれが可能なら,われわれが彼女に要求できるすべてを彼 女はなしとげてしまったことになる。」彼女はこれを融和ー一これが彼女 の愛の根本的意味であるが一一ーによってなしとげたのである.生の混沌9

無秩序を象徴する相異る個々様々な個人が,生という一堂に会した時に,

個々様々な矛盾した意、識は全的な一人の人間の意識であり,その個々様々 の個人は全人類につながり,その個々人の営む生の流れが全的生の流れしの 営みに融合するという realityが把握できた時,はじめてあらゆるものが 揮然と一体になり,個人は互に融合し9 愛が生れ,平和と安らぎの一瞬の 訪れが可能なことを, Woolf は partyの場で示そうとしたのである.

ではこの愛の融合の生れる秘密は一体なんであろうか.この根源をさぐ ってみよう.既に述べたように,人生の芸術家としての才能を生ずる第一 の源は,女性のものと考えられる鋭い感受性である. この感受性こそその 物自体を見る深い洞察力が備わっている.この洞察力とは,女性特有の憐 みから生れる没我的精神の働きによって生じ,自我をすてれば,なんの抵 抗も感ぜずにあらゆる対象に融合し realityの把握が可能となる.即ち女 性の感受性とは孤独に退却せずして,孤独の呂十ーその物自体を洞察する 目ーーを持つことが可能であるために,融合によって孤独を保つことがで きるということである. この感受性に「男性の知性をその概念の鎮から自 由にし,それを豊かに肥す」女性特有の創造力があいまって開花した暁こ そ人生の芸術作品としての partyの場が出現するのである.

次に愛の生れる要因としては,あの仲間意識にまで高められた Blooms bury" の存在であった. この中の交わりで感ずる高揚せる意識の一瞬こ

(21)

Virginia W oolfの孤独と愛について 107  そ彼女にとっては何ものにも替え難い愛の経験であったろう.この group は芸術家,作家などの集りで,この中には,彼女や, Leonard W oolfを はじめ, Lytton Strachey, Duncan Grant, Roger Fry, Maynard Keynes  なと、がいた.このgroupの特質は知識の駿堂であるCambridgeUniversity  の友情精神と伝統がそのまま移植され,特に彼らはCambridgeの哲学者,

G. E. Moorの哲学に非常に影響された.彼の哲学は個々の生活の三言語で 決適な感情,状態に関心をもち,個人の体験の中にこそ人生の総ての価値

が存在することを教えた.彼の哲学の中心は

By far  the most valuable things, which  we know or  can  imagine,  are certain states  of consciousness, which may be roughly described  as the pleasures of human intercourse and the enjoymen :iof beautiful  objects.  No one, probably, who has asked himself thεquestion, has  ever doubted that personIffectionand the appreciation of what is 

32) 

beautiful in Art of  Nature are good in themselves. 

である.お互の友情を温めp 美を享受するために生れたこの groupは, 政治9 経済,哲学,歴史,文学を語

h

フランクな意見を交換し,思想、を

分ち,仲間意識にまで高まった深い友情を確め,その友情こそ各個人の成 長に必要欠くべからざるものと信じていた. ここが Woolfの愛の実践の 場であるなら,前にも述べたように小社会にしか生れえない愛であること も当然否めないのである.しかしここで生れた愛ζそ Woolfにとっては 何にもまして貴重なものであった.

ではも!voolfの求める愛はどのような型を主としてとるのであろうか.

The Voyage Gutの中で, Lache1が Terenceに愛についてこう語るので ある.

Love," St. John had said,that seems to explain it日ife]all."  Y es,  but it  was not the love of man for woman

, 

of Terence for Rachel.  Although they sat  so  close  together

, 

they  had  ceased  to  be  little 

(22)

108  Virginia Woolfの孤独と愛について

separate bodies; thεy had ceased to  strugglanddesire one another.  There seemdto  be peace btweenthem.  1t  might  be love, but it 

33) 

was not the love of man for woman. 

Woolfは愛の束縛を拒否するために,男女の殻からぬけだすことは勿論少 肉親の愛からも解放されることを欲し,争うことも奪うことも止めた愛,

平和といこいを与える愛,男女の愛,肉親の愛も impersonalなdetached なものにまで高められた愛,このような愛こそ Woolfには真実の愛なの である.それし設に融合から生れる愛が明確な愛の型として結晶することが できるのは友愛からである.そして更にこの友愛も単なる個人同志の狭い 殻を破って人類全体への人類愛達成が彼女の理想であった.この愛はLily Briscoeが Tothe Lighthouseの中で,植物学者 Banlesが Ramsay夫 人に抱く愛を分析して

1t  was lovε, she thought, pretending  to  move hr canvas, distilled  and五ltered;lovthatnever attemptdto clutch its object; but, like  the love which  mathematicians  bear  their  symbols, or  poets  their  phrases wasmeant to  be spread over the world and become part of 

34) 

the human gain. 

このように云っているが9 この蒸留され,ろかされフ対象を掴もうとしな い愛, personalなものをすべて脱却して,全人類に利益と恵みをもたらす ような愛,人間の個人的愛情を超越した人類愛が社会に浸透した暁こそ破 壊と混乱の渦巻くこの社会に統ーと平和が到来することを確信するp この 人類愛達成の意識が B100msbury円の中で Woolfの心の中に生れたと

したなら9 ある意味では itis  perhaps the essence of  the Bloomsbury  point of view that a party should succeed where love and religion do  not"と云いうるであろう.

しかし,家際には, Woolfの求める理想の愛は,男女の設を破仇個人 から脱出して B100msbury円の中で達成されたとしても,このgroupの

(23)

Virginia W oolfの孤独と愛について 109  壁を破ることはできなかったとみてよい.彼女をはじめ,この groupの 人達はラ社会的態度においては,確に人道主義の立場をとった. しかし彼 らの人道主義は広い思想に対する関心と,一般大衆の苦悩に対する現実認 識の上に立って生れたもので,彼らの苦悩に立ち入って深〈理解すること から生れたものでなかった.彼らはあくまでも階級意識は捨てず,知識人 や芸術家などの文化的生活が一般大衆の生活より価値があるという自覚の もとに,一般民衆には同情の目をもつものの,局外者としての冷い同情で あった.ましてや,自分達の独立した生活を犠牲にまでして労働者階級の ための間争に立ち上るということは断乎として拒否した.それ放に,彼ら の愛は,理想に反し自己の生活の充足にのみ役立つ自愛の精神から生れた 狭い友情で終ったのである.Woolf自身も自ら政治活動に実擦従事するこ

ともなく,更に Spenderが

But she objected to  the way in which our writing  was put  to  the  service of  our (political) views, and she discerned that my generation  were 'sold'  to  a public sometimes more on account  of  their  views  than for the merit of their writing. 

と云うように,政治の道具として文学を用うることも反対した園それ故に Woolfの作品にみられるものは, Bloomsbury"の人達の抱いた下層階 級の人々に対する冷い同情のみであって,この愛の問題を更に深〈追求し て小社会の壁を破ろうという意欲は全くみられず,彼女の愛の問題の最大 の関心事は人間相互理解の困難を出発点とする孤独と愛の接点なのであ り,彼女の人物はこの狭い設の中で接点を求める愛の苦悩で終り,これ以 上の追求,展開はみられないのである.

以上述べたようにラ Woolf は融合により人間相互に愛が誕生すること は,自己の経験をとおして確信していた.しかし,彼女の描く世界は常に 孤独と死のmoodに包まれ,愛の自信が揺ぐのはなぜであろうか.彼女の 作品には人間相互の理解の困難や9 孤独の壁の厚さが繰返えし,繰返えし

(24)

110  Virginia W oolfの孤独と愛について

述べられ,それが孤独への歎き,死への恐怖につながるのである.愛を生 みだす努力に比してその効果のなんとうすいことか.努力は絶えずから廻 りをして成功の一瞬には絶望が大きなロをあげて待っていて,更に自己の むなしさを痛感する.あの大 partyで感じた Dal10way夫人の絶望は,

大同小異, Woolfの人物全てに通じるものである. how1ittle one knew 

37) 

peop1e"が彼女の作品の keywordsとして様々な人の口を通して語られ る.孤独の個人が社会生活をする時,必ず突き当る厚い壁であるしヲ孤独 の中に愛が生れることは奇蹟のようなものであった.人との交わりをすべ て虚偽とみて,愛の生みだす困難を知った時Jこは,その感情は人間嫌いに まで発展する.Woo1f自身も彼女の愛し尊敬する Bloomsbury" の一 員, Roger  Fryの催す garden partyでさえ,この感情を味わなければ ならなかった.

A bitter co1d day

, 

succeeding a chi1ly windy night

, 

in which were  lit  all  the Chinese lanterns of Roger's garden party.  And 1 do not  10ve my kind.  1 detest them.  1 pass  them by.  1 let  them break  on me 1ike  dirty  rain  drops.  No longer  can  1 summon up that  energy which

, 

when it  sees one  of  these  dry  1ittle  shapes  floating  past, or rather stuck on throck,sweeps round them, steeps  them,  infuses them, nerves them, and so final1y出lsthem and creates them. 

Once 1 had a gift  for doing this, and a passion, and it  made parties  arduous and exciting.  So when 1 wake early now 1 luxuriate most 

38) 

in  a whole day a10ne ... 

この日記には,愛を求めた partyであるのに,人間嫌いの感情がわきタ自 己の力によって愛を生ずる確信は脆〈も崩れ,その努力する力さえ失われ,

愛の不毛に砂をかむ位びしさをかみしめ孤独へ逃避しなければならない人 聞の苦悩がにじみでている.人聞が孤独の殻を背負って人生を歩まなけれ ばならない運命の苛酷が人間同志の集りで更に深まるとはなんと悲しいこ

(25)

Virginia W oolfの孤独と愛について 111  とであろう.そして更に人間は,たとえたまたま愛を見つける喜びを得た としても,その愛は個人の消滅と共に消え去る愛であることを罷

k

愛に よってなおも癒すことのできない人間の心の中に住む本質的孤独が人閣を 苛むことを知らなければならなかった.

The ~七'yage Outの中で Woolfは愛の危機を物語っている.若い恋人 RachelとTerenceが愛の本質を把握し,男女の愛を超越した愛の結合の 塀間に,死が訪れた.人間の愛の脆さ,突然の死の暴威の前の人間の無防 備な姿がさらけだされたのである.Rachelが病床iこ伏すと Terenc巴は夕 闇たちこめるテラスに立って愛と生について考えるのである.

As he stood there in the  darkness, able  only  to  see  the shapes of  trees  through the :fine grey 1ight, he was overcome  by a desire  to 

escape, to  have done with this  suffering, to  forget  that Rchelwas  i1 1. He allowed himself to  lapse  into  forgetfulness  of  everything.  As if a wind that had been raging incessantly suddenly  fell  asleep

, 

the fret  and strain  and anxiety  which had been  pressing  on him  passed away.  He seemed to  stand in an unvexed space of air, on a  1ittle  island by himself; he was free and immune from pain.  It  did  not matter whether Rachel was well or ill;  it  did not matter ¥vhether  they were apart or together; nothing mattered ‑ nothing mattered .  Surely the world of strife  and fret  and anxiety  was not  the  real  wor1d, but this was the real world, the' world that lay  beneath  the  super:ficia1  world

, 

so that whatever happned

one was secure.  The  quiet and peace semedto  lap his  body in a五necool sheet, soothing  every nerve;  his  mind seemed once  more to  expand, and  become 

39) 

natura 1.

被の心には Rachelの死が半ば訪れている. Rachelを失なう苦痛より逃 れるために,永遠に変化することのない世界9 即ち死の世界を求めるので

(26)

112  Virginia W oolfの孤独と愛について

ある. Rachelが健康であろうと病気であろうと問題のない愛,何が起ろ うとも,不動の世界にしか住むことのできない愛とはもはや本質的には死 の世界にしか存在しえない愛なのである.この世界に到達してはじめて,

Terenceは,まことの結合を味わいラ次のような幸福に浸ることができた.

They hdnow vThatthey  had always  wanted to  have, the  union  which had been impossible while they  lived.  Unconscious  whether  he thought the vvords or spoke them aloud, he said, No two Pople have ever been so happy as  we have been.  No one has ever loved 

40) 

as we have loved." 

しかし,この愛はもはや孤独の心にしか住むことはできない.人間の交 わりを拒否した思出や過去の中にしか存在しえない愛である.では人聞の 触れ合によって求める愛とは個人の消滅と共に消え去る恐怖を常に字むは かない愛の幻と云わなければならない. この意味では野島秀勝氏が「彼ら のパーティとは,疾走する時間 (thatfluidity)に対する共同防衛,むしろ 時間の恐怖からの擬似逃避であってrvJということも一理ある.たしかに あの Ramsay夫人の dinnerpartyで anddirectly she went a sort of  disintegration set  in のように, すべての人間の営みは個人の死と共に 崩壊作用が始まり,人間の努力は砂上の楼閣への努力とみなさなければな らない.愛のみならず,生の意義,人間の価値さえ結果的にはこの人生に 見いだすことは困難となる.Terence自身も死において,今迄味あえない 不動の生の幸福に陶酔するが,一瞬現実にもどるとき, Rachelの名を呼 びラ死と孤独の暴威にむなしく挑戦しなければならなかった.Terence に とっては死の世界が,まことの世界であり,永遠の愛,永遠の幸福ヲ平和 を与えてくれようとも,現実は空虚な,はかない不安な生でしかありえな かった.しかし,この小説においても, Woolfは死に永遠の勝利を与えて いるとは考えられない.Rachelの死後の産か30頁足らずの最後の二章に 暗示深い生の勝利を物語っている.

(27)

Virginia W oolfの孤独と愛について l13  Rache1の死後, 朝日が再び昇り,日常生活は昨日と全く変らずに始ま った.Terenceの親友, St. John Hirst‑一 彼 が Rache1の死に対する一番 身近かな第三者であるが一一一彼が最初にこの悲しみから脱けだした.彼は Rachelの傍を離れて, 彼の日常生活の場であるホテルにもどり,常に生 活を共にしたホテルの客の中に身をおくと Rache1の死, Terenceの悲し みをよそに,究によってなおも滅することのない生の流れが絶えることな く流れることを感じ,この流れに身を沈めた時に安らぎを覚えることを以 下の引用は示すのである.

He was terribly tired, and the 1ight and warmth, the movements of  the hands, and the soft communicative voices soothed him; they gave  him a strange sense of quiet and re1ief.  As he sat there, motion1ess,  this fεlingof relief became a feeling of profound happiness.  vVithout  any snseof disloyalty to  Terence  and Rache1  he  ceased  to  think  about either of  them.  The movements and the voices seemed to draw  together from different parts of the room, and to combine themselves 

43) 

into a pattern bforehis eyes ...  更に以下の巻末の言葉

All thes voices sounded  gratefully  in  St.  John's  ears  as he 1ay  half‑as1eep, and yet  vividly  conscious  of  everything  around  him. 

Across his eyes passεd a procession of objects, b1ack and indistinct,  the figurSof peop1e picking up their books, their cards, their balls  of woo1, their work‑baskets, and passing him one  after  another on 

44) 

their way to  bed. 

から, この生の流れがーっとなって夜の生活に流れてゆ〈状態は Jean

45) 

Guiguetも ontheir way to  bed"を ontheir way to  death円 と 説 明しているように9 生は死につながるという全的生の姿を暗示しているの でなかろうか.

(28)

114  Virginia Woolfの孤独と愛について

この生も死ものみこんで流れる宇宙の全的不滅の生が絶えることなく流 転することを暗示する巻末の言葉は The "VVavesの巻末の言葉, The  waves broke on the shore."と同じ響きを缶えるもので,これに対し Aileen

47) 

Pippetは次の言葉を補っている.

Some readers have taknthis to  mean that  Bernard  goes  through  the swing‑door to  his doom.  Others remmbronly the magnificent  courage of his challenge, hearing Virginia vToolf'sproud reiteration, 

It's  life  that matters." 

48) 

Guiguetは Rachelの死について

This pointless death brings for a momnta sense of pointlessness in  its  wake; but only for a moment ‑life flows on, or drifts on, except  perhaps for Terence, Helen and Willoughby;  but  Virginia  vVoolf  says nothing about it;  that would be a different version of  Rachel's 

story than the one sh haschosen to  tell  us. 

と述べて,何も明白に表現していない Woolfの言葉から同じ暗示をみい だしている.遠からず Terenceも,叔母の Hlenも,父の Willoughby

もRachelを思出の中に秘めたまま,日常の生の流れに身をまかせること であろう.そして Terenceが,この生の世界でp 死によっても害われる ことのない永遠の生のあかしをえた時こそ,永遠不滅の生に抱かれ,はじ めて何が起ろうともびくともしない生に,平和と安らぎをえて, Rachelと の愛は不滅のものになろう. ζれは Guiguetが述べるように, Woolfの 今後の小説のテーマ,即ち永遠の生の一瞬の直観的把握の追求として表現 されるのである.

Dalloway夫人は Septimusの死によって,死の意義を悟り,死に喜び を見いイしているさ中に,孤独の老婆の日常生活の中に,一瞬,永生を把 指し,この生に融和した時9死に裏付けされたこの現実の生の意義を悟仇

(29)

Virginia W oolfの孤独と愛について 115  新たな勇気と力をえて,日常の生活に立ち戻るのである.又, Ramsay夫 人の愛のカが,彼女の死後もなお強い影響力をもつのは,彼女の愛こそ不 滅の生の上に築かれたものであったからだ Lily Briscoeは夫人の死後,

夫人の姿が芸術作品のように蘇え仇夫人の永生への一瞬の知覚の思出に よって, Lily自身生の啓示の一瞬を把握するのである.

Mrs. Ramsay bringing them together;  Mrs.  Ramsay saying  Life  stand still  here

Mrs.Ramsay making of  the  moment something  permanent (as in another sphere Lily herself  tried  to  make of  the  moment something permanent) ‑ this  was of the nature of a revela‑ tion.  In the midst of chaos there was shpe; this  eternal  passing  and f10wing ...  was struck into stability.  Life stand sti1l here.  Mrs. 

Ramsay said. Mrs. Ramsay!  Mrs. Ramsay t Sherepeated.  She 

49) 

owed this  revelation to her. 

Woolfの描く人物は究極には,みなこの生の realityの一瞬の啓示を追 求し,この把握ができた時こそ,狭い自我の設を破って,永生に融和し,

いかなる愛によっても癒すことのできない人間の本質的孤独から逃避する ことができるのである.この一瞬の中にこそ,永遠が凝固し,自我は他我 に融和し,悠久に生きる不滅の自己をみいだし,この一瞬が続く限り個人 は孤独を忘れ,無限に生~,生の意義を知るのである. Woolfの人物が絶 えず孤独の目をもって,自己以外のあらゆる対象に融和を願うのは,究極 にはこのためである.Guiguetは TheVoyα:ge Outのテーマを Tofeel,  to  love, to  live ‑ what do  they  mean?円と述べていて,彼女自身は,

この小説に続く 8冊は9 この処女作の焼直しである放に9 このテーマこそ Woolfの小説全般に追求されるものであると見ている.これに対し Gui guet は次のように答えている.

Iri the fIrst place, they mancommunicating, and eventual1y entering  into communion, attaining fusion with  what is  other than oneself. 

(30)

116  Virginia W oolfの孤独と愛について

Living means conquering lonelines8, escaping from the circle within  which everything conspires to confine one. 

Woolfにとっては生きることは孤独を克服することなのだ.それは白我の 設を破り,他我への融合によって達成されるのである. それ故に Woolf の描く人物は社会において愛を求めて他我に融和し孤独よりの逃避を計

札究極的には,宇宙の永生への融合により本然的人間の孤独から脱出を 求めるのである. この融和こそ孤独の中に閉じこもることなしに本来の自 分自身になりえて9 あの孤独の百をもつことのできる女性特有のものと考 えられる感受性によって達成されるのである.そしてこの感受性への信仰 こそ, Dal10way夫人が DidreligiORsolve that  or  love ?PJと云うよ うに, Woolfにとっては宗教も愛もあかすことのできない生の啓りをひら かせ,喜びと平和の一瞬を与えてくれるものである.

Woolfがこの感受性への信仰によって←一一不可知論者の家庭に育った ので特定の宗教への信仰は知らなかった一一一味わいえた一瞬の喜び,平和 は,いかに realで強烈なものであろうと,神への信仰によって求められ る安定した平和,幸福ではなかった.この一瞬は消え去る束の間の一瞬で あったからだ.しかし彼女には信頼できる realなものはフこの感覚しか ありえなかった.それ故に,この自己の感覚への信仰をあくまで捨てるこ となしこの一瞬の追求の過程に,苦悩,焦燥,懐疑に包まれようとも,

たゆまず追求しつづけ,この苦悩の果てに把握した一瞬は,板女にとって は,何ものにもまして貴重な体験であったろうし,この感覚が消え去った 後,又これに元気づけられ,新たな勇気をもって,次の一瞬の悟りを追求 するのであった. そしてこれと同様に, Woolfの愛も苦悩の果の産物で ある.人間相互理解の困難をいやという程味わった後に9 彼女の目に映っ た愛の灯は,それがいかにささやかなものであろうと,彼女の人生航蕗の 大いなる慰めとなり,勇気と希望を与えたことは疑いのないことである.

参照

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