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瀧田輝己『体系監査論』(中央経済社, 2014年)

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瀧田輝己『体系監査論』(中央経済社, 2014年)

著者 友杉 芳正

雑誌名 同志社商学

巻 66

号 2

ページ 402‑409

発行年 2014‑09‑25

権利 同志社大学商学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013727

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《書 評》

瀧田輝己『体系監査論』

(中央経済社,2014年)

友 杉 芳 正

はじめに

Ⅰ 業績成果

Ⅱ 本書のアプローチ

Ⅲ 各章の特色・特長

Ⅳ 評価

Ⅴ 期待 結びに代えて

は じ め に

平成26(2014)年4月1日に,同志社大学商学部・同大学院商学研究科の瀧田輝己教授が

『体系監査論』(中央経済社)の著作を上梓したことは,誠に喜ばしい限りである。本書は,今ま で雑誌等で発表してきた概念アプローチとも言える独創的監査理論の本質的展開を行って来た財 務諸表監査の論文等をもとに,大幅な加除修正を施し,論理整合的な監査理論としての形式と内 容とを充実させた体系化を図り,「監査の本質把握への挑戦」を意図し,「監査とは何か」につい て,積極的に主張している有意義な著作であるからである。和文の表題は「体系監査論」となっ ているが,英文の表題は「A Theory of Auditing」となっており,その意味するところは,まさに 監査理論の本質を真摯に追究し,監査理論の高度化・体系化を積極的に展開している学術的価値 が高い良書であると言えるからである。

Ⅰ 業 績 成 果

著者は今までの監査研究において,その業績成果として,『監査構造論』(1990年,千倉書房)

を,そのあとに『監査機能論』(1992年,千倉書房)の著作を上梓し,また引き続き,監査の対 象となる財務諸表論研究について,『財務諸表論(総論)』(1995年,千倉書房)と『財務諸表論

(各論)』(1996年,千倉書房)の著作を上梓している。多くの読者,ファンが得られた有意義な 著作であったと言える。また,人間行動の有り様を如実に把握表現している会計には,倫理観が 必要として,『会計倫理』(James C. Gaa著,2005年,同文舘出版)の翻訳を上梓している。そ れは倫理的アプローチとも言える観点を重視し,いわゆる「ヒト・モノ・カネ・情報」に代表さ れる経営活動が,貨幣的に集約・把握される財務会計論の理論とその第三者的評価行為である監 52(402

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査理論との両輪的,表裏的,総合的探究を試みているものである。研究が記述論や実証論のどち らか一方に偏りがちになる中で,本書は両面アプローチを志向し,「研究者・教育者・公認会計 士」としての人間的幅広さと思考的深さをもとに,有意味性のある展開を積極的に行っている。

それは理論と実践とを熟知している著者でなければ成し遂げることができないレベルのものであ り,高く評価されるべき業績成果を発表している。

Ⅱ 本書のアプローチ

本書の展開に当たり,財務諸表監査の説明には,次の3つの方法が考えられるとしている。

第1は,理想の「あるべき」財務諸表監査を規範的に主張する方法であり,目的論的監査像で あり,規範論的アプローチを志向する。

第2は,現実の「ある」財務諸表監査を実証的に説明する方法であり,帰納的に推論される監 査像,帰納的因果論により,制度論的アプローチを志向する。

第3は,本来の「あるはず」の財務諸表監査を理論的に推論する方法であり,演繹的に推論さ れる監査像,演繹的因果論により,要請論的アプローチを志向する。

このように,「ある理論」,「あるべき理論」から「あるはずの理論」への展開において,表題 に記載されている「真に学術的な財務諸表監査を追求する」の表記は,キーワードとして,本書 の本質を突いている。その根底にある思考方法は,帰納論から演繹論へと発想の転換を意図して いると言えるからである。 「ある理論」は「存在論」の「sein」「be」の理論であり,「あるべ き理論」は「規範論」の「sollen」「should」の理論であり,通常の説明は二元論的とも言うべき 対立構造をとり,この現実と理想の二極化レベル水準に止まるものである。著者はそれには飽き 足らず,ここから三次元的とも言うべき新しい監査の世界への挑戦を始め,「あるはずの理論」

の「要請論」とも言うべき理論を展開している。そのため,著者の意図する特質,真髄を掴むこ とが,「瀧田監査論」を理解できるか否かにかかっているといっても過言ではない。なお,「ある はずの理論」はドイツ語や英語では,何と表現するかである。それは端的には,「説明理論」か ら「解明理論」への昇華が理解できるか否かに関係するからである。

本書は,監査の本来あるはずの学術的色彩が制度上どのように反映され,実践的にはどのよう な状況にあるかをもとに,矛盾点,乖離点,調和点などを合理的に整理した上で意欲的にまと め,教科書としての体裁をも整えている。「それなくしてそれと言えないそれ」の「それ」が監 査の本質とすれば,本書の深遠な理論,趣旨,要点を完全に理解するには,多くの回数,例えば 少なくとも10回位(?)は読み通すことが必要であろうか?不遜な言い方であるが,その努力 なくしては,表面的理解に止まるからである。著者の主張は,「ある理論」と「あるべき理論」

を前提に,さらに「あるはずの理論」展開が必要であるとして,独創性,独自性を発揮し,本来 の「あるはずの姿」を明確にする学術的性格を内包するものでなければならないとの立場が,本 書の中に貫徹されているからである。監査理論の構築のための思索努力の過程における感動的体 験や想いが見事な筆致で表現され,監査とは何かの本質が浮き彫りにされている「あるはずの理 書評:瀧田輝己『体系監査論』(友杉) (403)53

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論」の真髄を探る必要がある。

Ⅲ 各章の特色・特長

本書は21章,約350頁からなる大著である。教科書的体裁を取っているものの,内容が豊富 であり,学術的性格を有しているため,その意義ある特色・特長を要約することは,かなり骨が 折れ,難しいことであるが,独断と偏見により,勝手にまとめることが許されれば,以下のよう になる。誤解,曲解があれば,ご寛恕を賜りたい。

1章,2章では「監査概念」の再検討を行っている。それは監査の用語が一人歩きし,本来は 監査でないもの,監査から逸脱した行為までもが監査の範疇に含められることが往々にして見ら れる悲しい現実があり,残念なことに,未だに監査概念が社会一般に広く認知されているとは言 えない状況にある。その誤解を解消するためにも,監査概念は良く似た言葉の「監督」,「監視」

などとは相違することに注意しなければならない。それゆえ,1章の「監査の再定義」では,監 査の用語が勝手な解釈の下に曖昧に使用されているのは,監査概念が不明確であることに起因す るため,一義性,明瞭性を持って定義される必要があるとして,財務諸表監査の展開に必要な暫 定的定義を提示している。

2章の「財務諸表監査の定義」では,財務諸表監査の暫定的な定義のもとに,監査概念は監査 行為を把捉し,制度目的との関連性によって評価されるものである必要がある。事実説明を明確 に行う監査行為を把捉するための定義により実務上の問題点を解決し,制度目的を有効に達成す るためになされる政策論的定義が必要としている。

3章の「監査の種類」では,監査の制度論的構造を比較するとき,私的監査と公的監査の分類 が極めて重要であり,その分類によって監査の目的と監査制度の目的(監査機能)が明確にされ る。監査対象分類では,情報監査としての会計監査と実態監査としての業務監査がある。私的監 査ではなく,公的監査の性格を持つ財務諸表監査の特性を明示している。

4章の「監査の必要性」では,その論拠として,アカウンタビリティの履行,情報の非対象 性,私的契約仮説,モニタリング仮説,保険仮説,不正・発見仮説,シグナリング仮説などか ら,財務諸表監査の社会的存在の必要性を説明している。

5章の「監査機能」では,監査の「機能」と監査の「職能」を区分する立場を主張している。

今までの通説的監査では,監査の理念をどこにおくかにより,指導性監査と批判性監査とがある と指摘されてきたが,第3の神聖性監査(?)の存在の指摘もないわけではなかった。それらの 主張点の解決方法として,「機能(行為者の意図とは無関係に結果としてもたらされるはたら き)」と「職能(行為者の意図した行為を構成するプロセスまたは要素)」の概念差に着目して説 明し,監査機能としての指導性・批判性と監査職能としての指導行為の区別,監査機能としての 検証業務と監査職能としての保証業務との区別,二重責任制度について分離責任制度,内部統制 の手段としての内部監査と外部統制(社会統制)の手段としての外部監査,内部統制の外部化

(社会統制の内部化)としての監査制度を説明している。監査制度の目的との関連から,監査機 同志社商学 第66巻 第2号(2014年9月)

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能は,「投資家に対する情報提供機能」・「経営者に対する統制機能」・「監査人に対する責任限定 機能や免責機能」から構成される説明に集約されるとしている。

6章の「監査の実質的依頼人」では,「形式ではなく実質(substance over form)」把握の関係に 重点をおき,利害と関心,権利と義務の差異を通して,社会契約上の権利・義務,私的契約上の 権利・義務について説明し,利益相反(公共の利益と自己利益の二律背反,自己利益間の二者択 一的選択)の関係を主張している。

7章〜9章では「監査主体」を取り上げている。7章の「監査主体」では,専門家,専門能力 から,信頼性の源泉について論を展開し,専門家の指導性が極めて重要であることを説明してい る。社会的認知を得る専門家には「資格取得前教育・資格試験・継続的専門教育」の一貫教育の 三つの柱が必要と指摘している。

8章の「監査主体」では,「独立性よる原則と利益相反」を取り上げている。利益相反の種類 を分類し,監査主体の監査人・監査客体の経営者・実質的依頼人の利害関係者の間における利害 対立による利益相反の場合,内的側面と外的側面の発生時期のズレに寄る場合,独立性に対する 各種の脅威,形式的独立性と実質的独立性の関係を展開している。

9章の「監査主体」では,「第三者としての独立性」を取り上げている。社会的契約(平等主 義と利他主義)の枠内にあるプロフェッショナルとしての監査人は,自己利益の最大化を目指し て行動すれば「公共の利益」に資するため,第三者性が必要であるとして,独立性が必要不可欠 な本質を説明している。

10章の「監査対象」では,監査対象である財務諸表の範囲,種類などに関する基本的内容を 検討している。利害関係者の関心事は正常収益力の表示にあり,それは財務諸表を通して把握で きるので,財務諸表は「企業の言語」として重要視される。

11章の「監査客体」では,「会計主体」は監査論の世界において「監査客体」を表す関係にあ る。外部報告会計において,会計主体論として議論されてきた資本主理論,代理人理論,企業主 体理論,企業体理論などは,監査客体や実質的依頼人とは相違し,会計のフレームワークと監査 のフレームワークとが異なることを説明している。

12章の「監査人の判断基準」では,規則について,「事実としての規則」と「規範としての規 則」の差異,規範には「禁止」と「命令」の2つのタイプがあり,社会的慣行としての会計原 則,会計原則への準拠性と適法性,法規範の優先適用,規則遵守主義の弊害,会計原則の強制力 や指導力は,慣習法や成文法ではないため,制裁を背景にはしていないとしている。

13章〜18章では「監査手続」の構造について詳細に説明している。13章の「違反性判断のプ ロセス」では,大前提・小前提の「違反の特定化・違反の定型化・事実認識」を経て,結論の

「該当性の判定・違反性の推定・違反性の確定」を行っている。これらのプロセスにより,会計 原則への準拠性を判断していると指摘している。

14章の「会計原則の解釈」では,会計原則の解釈が文理的解釈以外は主観的・目的論的な性 格をもち,社会的な制度妥当性を持つかの実践性が強い性格のものであるとしている。

15章の「事実認識」では,大前提・小前提・結論の三段論法において,小前提の概念形成と 書評:瀧田輝己『体系監査論』(友杉) (405)55

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分類を「事実認定」と呼び,結論のそれらを「合原則性判断」と呼んで,区別しており,概念形 成は会計原則の解釈を通じてなされるものであるとしている。

16章の「財務諸表上の虚偽記載」では,意味論的虚偽と構文論的虚偽について説明している。

前者は財務諸表上の表示と事実としての企業内容との間の不一致であり,後者は会計原則と会計 事実の結びつけにおける矛盾であり,情報としての財務諸表の明示的な虚偽であるとしている。

17章の「語用論的虚偽」では,情報の送り手と受け手との間の共通の意味理解に着目し,場 面や状況のコンテクストに依存するため,情報の暗示的意味が重要となる。語用論的虚偽は,直 接的には文章やことばの明示的意味と暗示的意味の不一致,または暗示的意味と別の暗示的意味 の不一致であり,間接的には場面や状況のコンテクストにおける虚偽性として把握される。

18章の「財務諸表上の虚偽記載の許容範囲」では,意味論的虚偽には「認識・測定上の虚偽」

と「記録・表示上の虚偽」があり,構文論的虚偽には「会計原則と会計事実との間の大矛盾」と

「会計原則と会計事実との間の小矛盾」があり,語用論的虚偽には「明示的な意味と暗示的な意 味の不一致」と「場面や状況のコンテクストを利用した虚偽」がある。

19章,20章では「監査目的」を検討している。19章の「監査意見」では,「監査目的」と

「監査制度の目的」を区別し,大前提の会計原則の解釈,小前提の会計事実および会計処理の認 識を経て,結論の意見表明に至るとして,監査意見の種類分類を行っている。無限定適正意見に

「本来の適正意見(除外事項,留保事項が発見されない場合)」と「無限定意見(除外事項や留保 事項に重要性がない場合)」に2分類している。限定付適正意見は除外事項や留保事項に重要性 がある場合(重要性がなくはない場合)としている。不適正意見,意見差控意見と個別意見との 関係把握の整理,用語の解説が必要である。

20章の「財務諸表の適正性の意味」では,準拠性・公正性・適正性,規則遵守主義,合原則 性などについて検討し,監査人の意見表明は合原則性への形式的準拠性と社会的妥当性・公正性 の判断がなされる関係にあるとしている。

21章の「監査基準」では,監査人の行動基準である監査基準を検討している。監査理論と監 査基準との差異,監査規範の階層,科学的説明としての規範論,広義・狭義の監査理論,演繹的 説明・帰納的説明・目的論的説明を検討し,監査人の行動規範としての監査基準の重要性,目的 と手段の関連性から「一般に認められた監査基準となるための条件」などを展開し,目的適合性 と有用性の関係にも触れている。また,「原因と結果の結びつき」,「目的と手段の結びつき」 な どから,「基準は理論を当為命題にしたもの」であるとの観点から,当為命題が監査基準として 具現化したものであると展開している。「監査基準は目的論的に体系化された一組の理論を内容 とする規範である」との主張は,簡潔にしてまさに的を射ている指摘である。

Ⅳ 評 価

第1に,本書の基本視点は,監査の実務的対応書,解説書,解釈指針,マニュアルなどのよう な監査の入門書,実用書,啓蒙書などではなく,監査の基礎理論,一般理論を提示していること

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にある。所どころ簡明で分かりやすい図の挿入が見られ,著者の主張点が凝縮した形でまとめら れており,理解可能性を高める有用なものである。監査論の世界では常識的に当然と思われてい たことが,概念的な論理展開がなされ,そうではないことが説明されると,なるほどと驚かさ れ,思索の深さにただただ感じ入るばかりである。概念整理のもと,洗練された的を射た説得力 のある表現とは言え,時には何回も読まないと理解が進まない難解な点がないわけではないもの の,著者の超人的とも言える思考の深さと大人としての人間的幅広さ,温かみが感じられる懇 切・丁寧・親切・明瞭な説得的な主張,真意が行間に読み取れる超一級品である。

第2に,監査定義は,通常,上位者の監査主体,下位者の監査客体,第三者の監査人の3者関 係から一般に説明され,第三者性の要件として,独立性と専門性が必要であり,行動判断規範と して監査基準が必要とされている。監督(supervision)は,上下の二者のライン関係において,

上位者は下位者に対して支配命令権限を持ち,下位者は上位者に対して報告義務を負っている。

これに対し,監査(audit)は上位者,下位者以外の第三者の存在が必要であり,三者関係からス タッフ機能を果たす第三者性の立場から,下位者が上位者に報告する内容が法令・定款・基準な どに合致しているか否かを検討し,準拠性の有無判断を行い,合致している場合は適正意見を表 明し,合致していないときは不適正意見を表明する。つまり,監査の第三者性は独立性と専門性 が要求されるものであるが,監督権限を有しないものであると区別されている。

しかし,著者は,このような監査概念の一般的説明に飽きたらず,監査は「①監査機能,②実 質的依頼人,③監査主体,④監査対象,⑤監査客体,⑥判断基準,⑦監査手続,⑧監査目的,⑨ 行動基準」の9つの構成要素から成り立つとし,各要素間の関係性を深く掘り下げ,緻密に純粋 理論的に内容を追究し,「本来の財務諸表監査」の体系化を図っており,分析視点,連携視点な どその意図,主義主張点が見事に結実化している。

第3に,著者は論客の誉れが高いセオリスト(theorist)としての研究者の立場のみならず,実 践指導性を発揮する職業専門家的観点のプロフェッショナル(professional)としての公認会計士 の資格を保持する立場から,そこに車の両輪的発想とも言える観点のもとに,対象となる財務諸 表論の理論的本質把握の造詣の深さを通して,第三者による独立した評価行為としての監査論 を,「ある理論・あるべき理論・あるはずの理論」の三次元的観点から一体的把握を積極的に展 開している。その意味では,全体的球体把握とも表現してよい統合志向的球体論において,理論 と実践の両方に精通し,理論と実践の乖離を避け,監査論の真髄を謙虚に追究している高著であ り,著者の思考力,包容力がある温かい人間性が著作の行間に随所に滲み出ており,透徹した論 理主張がひしひしと感じられる。

第4に,著者の願いとも言える崇高な魂が込められている本書は,財務諸表監査論の一般理論 の性格を追究し,体系論的に提示している有意義な著作であることは,改めて指摘するまでもな いところである。恩師の故・山桝忠恕教授の薫陶を受け,ここに至るまでの並々ならぬ努力の結 果,このような理路整然とした説得力ある高レベルの著作を上梓したことに対し,草葉の陰か ら,「瀧田君,よく頑張ったね!」との恩師の声が,直々に聞こえてきそうである。今の時代で は,アカデミック・ハラスメント(?)とも言われ兼ねない位の信じられない厳しい指導(昔は 書評:瀧田輝己『体系監査論』(友杉) (407)57

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普通であった?)に耐えて来たからこそ,現存在があると言える。著者の大成を心底喜んでおら れると拝察する次第である。

Ⅴ 期 待

本書は,通常の財務諸表監査論の解説的な教科書とは違い,理論的香りが強く感じられる論理 整合性を内包しているため,新しい概念・用語が出てくることにより,最初は少し分かりにくい 点があるかも知れないが,丹念に読み進めていけば,概念把握ができ,「ああ,なるほど!」と 主張の奥深さが論理的に理解できる著作である。今までの監査研究の集大成であると主張してい る本著は,哲学的な難解な概念用語が時々出て来るものの,論理は明快であり,説得力に富む筆 致で展開されている。監査論を純理論的に,また制度論的解釈を理解するには極めて優れた著作 であり,多くの読者が得られる好著であると言える。論理的思考には,「目的・構造・機能」の 差異を認識し,目的論のもとに構造論があり,さらに機能論があるとの展開が必要である。往々 にして,機能論が優先し,役に立てばよいとの有用性志向が先に見られ,実用主義的色彩がとも すれば幅を利かせることになる。有用性以外に目的適合性をも前提に,調和的理論構築を図る必 要があるなど,監査制度論への警鐘を鳴らしている。

著者は,日本会計研究学会などで,評議員,理事,各種委員として幅広く活躍している学会の 重鎮であり,真摯な研究指導はもとより熱心な教育指導により,多くの弟子を輩出し,尊敬され る研究者はもとより良き教師である教育者としても一流の評価を得ている逸材である。人間行動 に付き纏う倫理性や公正性は社会・経済・文化・風土などと関係するものの,古今東西を問わ ず,人間行動には,なぜ会計や業務活動などに監査が必要とされるのか,思考の原点に戻り,宗 教観,企業存続思考,成文法,慣習法,成文法と慣習法の統合(comply or explainの方法)など を加味し,さらにグローバル社会に通用する利害調整や妥協を超えた統合性を意図した公正性・

有用性・真実性・適正性・目的適合性などの諸概念を,質的・量的に内包する更なる学術的監査 論への挑戦を期待したい。

結びに代えて

本書は,謙虚に監査研究の集大成であるとしているものの,著者は飽くなき挑戦を可能とする 潜在的能力を備えているので,今後のますますの活躍と大成を祈るものである。つまり,「瀧田 監査論」を超え,「監査のことは監査に聞け」の観点から,監査公準論,監査原則論などの展開 を踏まえ,適正意見に含められるべきではないと言える限定付適正意見(意見限定,範囲限定)

が適正意見に含められる本来的存在意義,「一般に公正妥当と認められる監査基準」は,英文で は「generally accepted auditing standards」と言われ,「公正妥当」の用語がないのに,なぜ日本で

「公正妥当」の表記が挿入されているかの理論的解明などが求められている。それゆえ,監査目 的・基本前提などの理論体系化がなされた「瀧田監査学」の構築を目指し,監査の社会的存在意

同志社商学 第66巻 第2号(2014年9月)

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義や監査の真髄が汲み取れる学術的科学性を備えた説得力ある完成書の作成を,大いに期待する ものである。著者の能力からすれば,「監査論」から「監査学」へと,それが実現可能であると 言えるからである。

書評:瀧田輝己『体系監査論』(友杉) (409)59

参照

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