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全文

(1)

(序 )

梁の昭明太子蕭統の撰

にかかる「文

の總集『文

序」は、現存最古

』の

集方針を

おいてもよく知られる。また作

明したものとして、わが國に

蕭統自身の文學

いわゆる

文學

を窺いうる

料として、

に文學批

史の領域で

の ところでこの序文は、『文

目を集めてきた。

究、蕭統

究にとって重

であるばかりでなく、中國中世の樣式

究においても重

な價値をもっている。というのも、文學が發展

する

例として、ここには賦、詩以下、三十七種の文體の名が言 (1)

されており、これは梁代中期の文體分

反映するものと考えられるからである。だが、これまでの

の實態を少なからず

究史においては、この點に關して必ずしも十分な檢討がなさ れておらず、いくつかの文體については今なお實體が明確になっていない (2)。本小論ではそのうちの一つ、「三言」という文體を考察の對象とし、これが結局どのような樣式であったのか、という問題について一つの假

「文

を提示してみたいと思う。ここには

序」の解釋

元にとどまらない、六

文學 ても興味深い問題が含まれているようである。

究にとっ

(一 )

まず「文

序」の當該箇

に示しておこう。『文

のテキストには、四部叢刊

收『六臣註文

』を用いる。

、蓋志之

之也。

動於中、而形於言。關雎・

趾、

「三言」という名の樣式(井上)

1

「三言」という名の樣式

井上一之

(2)

正始之

、桑

・濮上、

國之

表。故風

、粲然可

。自炎中

、厥塗漸

傅有在鄒之作、

將 篇、四言・五言、

河梁之 興、分

以別矣。又少則三字、多則九言。各體互 、、

竝驅。頌

以游揚

業、襃讃

功。吉甫有穆

之談、季子有至矣之

。舒布爲詩、

言如彼、總

爲頌、又

此。

則箴興於補闕、戒出於弼匡。論則析理

序事

、銘則

潤。美

則誄發、圖像則讃興。又詔・誥・

之作、答客・指事之制、三言・八字之文、篇・辭・引・序、 、、 表・奏・牋・記之列、書・誓・符・檄之品、弔・祭・悲・哀

・令之流、

・碣・誌・

、衆制鋒

、源流

出。

詩は、蓋し志の之く

雎關・ かんしよ

なり。中に動きて、言に形る。

!

趾には、正始の りん

れ、桑

・濮上には、 ぼくじょう

表る。故に風

、粲然として

るべし。炎の

より、厥の塗漸く みち

なり。

きし傅に在鄒の作有り、 ざいすう

りし將は河梁の篇を くだ

して、四言・五言、

互いに興り、 別れたり。又少なきは則ち三字、多きは則ち九言。各體

して以て

くつばみを分かちて竝び驅 す。頌は、

し、

業を游揚

功を襃讃する

以なり。吉甫に穆 ぼく

子に至矣の

の談有り、季 じやく

有り。舒べ布いて詩と爲せば、

に言れ彼 が如く、總

して頌と爲せば、又た亦た此くの

し。

は則ち箴 しんは闕けたるを補うより興り、戒は弼 たすけ匡 ただすより出づ。論は則ち理を析ちて

、銘は則ち事を序して

潤なり。

・則ち讃興る。又た詔・誥 こう

わりを美むるには則ち誄發り、像を圖くには おこえが

指事の制、三言・八字の文、篇・辭・引・序、 の列、書・誓・符・檄の品、弔・祭・悲・哀の作、答客・

・令の流、表・奏・牋・記 せん

誌・

・碣・ けつ

、衆制鋒

し、源流

に出でたり。 まま

ここで

"

意を これは駢文の形式とあるが、「字」 の」。三言「「少なきは則ち三字」一つは、ことである。(字)

#

するのは、という語が二回現れる「三言」

$ #

則ち九言」との重複を

%

から下句「多きは 換えてよい。もう一つは、引用文の後

&

けたものと見られ、「三言」と言い

の二つの「三言」は同じものではない。 字の文」の「三言」である。だがすでに明らかなように、こ

'

に見える「三言・八 同樣、言」詩というジャンルの下位分

(

は「四言」「五 こでは

)

であり、こ(形式)

*

いなく、

三言詩

を指している。一方後

は、

+

から見て、「詩」とは

えられる。そこでいま問題となるのは後

なるジャンルに屬する文體と考

、すなわち

三言 中國詩文論叢第二十集

2

(3)

ではない「三言」である。さて、

代の『文

』 に解釋されてきたのだろうか。「文

釋史において、この句はどのよう

序」に對する現存最古

である五臣

(李善は「序」に對しては

は、正文「答客・指事之制、三言・八字之文」の後に、

釋を加えていない) (3)

ような

釋を加えている、

濟曰、答客、東方朔答客

。指事、解嘲之

謂 、

。三言、 、、

武秋風辭。八字、謂魏文樂府詩。 、、、、、

ここで呂

の特

濟は、「答客」以下、四種の文體について、そ

や語源を解

する代わりに、

な作例を

る。「答客」は、

げてい

の東方朔「答客

」、「指事」は、

雄「解嘲」、そして「三言」は、

の揚

の武「秋風辭」の

指すと。だが考えてみれば、これはまことに不思議な

である。というのも、「秋風辭」は『文

四十五(五臣

』本體において卷

「辭」本は、卷二十三)

らである。

に收められているか

代の『文

』三十卷本の文體

目および收

品が現行の『文

りであるとするなら、本書の (4)

釋 して「三言」の作例には別の作品を引用するのが

切であろ 本體に見えない文體の場合は、便宜 う。もっとも「答客」や「指事」のように、「序」にあって

な措置として文體歸

を移動する(「答客

文體に移動させる必 ざわざ別のわから、の後文に明記されている「序」いては、 (5) だがにつ「辭」ことが有り得なくもない。收められている)

」に設論」「四十五卷はともに、「解嘲」と 本『六家

もないわけである(ちなみに、宋明州刊

』、

鮮古活字本『六家

』、および南宋、陳八

刊本『五臣

』でも、この箇

に文字の

寫の訛

同は見られず、傳 それはともかく、こうした不可解さのためか、以後の

。という可能性も低いようである)

たちはおおむねこの舊

に對して、否定

、または無

る態度をとり、新しく獨自の

を立てている。ここではその

だったものを

第一は、三言=

隱語

げてみよう。

事に基づいて、

。張杓は『戰國策』齊卷四の記

のように

べる、

『戰國策』

郭君將

薛、謂

無爲客

。齊人有

!

曰、臣

!

三言而已。因見之。客趨曰、 、、

"

大魚。『後

書』「曹娥傳」

引『會稽典

』、邯鄲淳作「曹娥

操筆而

#

」、

$

、無

點定。其後蔡

%

又題八字曰、

&

絹幼

'

「三言」という名の樣式(井上)

3

(4)

孫韲臼。三言・八字、皆指 、隱 、語 、。『

書』

( 十八篇。

文志、隱書

・阮元

『學

堂集初集』卷七、張杓「梁昭明太子文

」)

第二は、

離合詩 (6)

と見なす。駱鴻凱は『古

書』(明の

)の引用に基づいて

のように言う、 (7)

「三言八字」、疑

『文章

謂離合體也。『古 、、、、

書』引『孝經

軫北。字禾子、天下

』曰、寶文出、劉季握。卯金刀、在

(駱鴻凱『文

。是三言之文也。

學』「義例」)

第三は、

三言詩

と見るである。何

「三言」を同一

は「三字」と

して、以下のように

べる、

曰「少則三字、多則九言」、本摯氏詩之流(引用

西晉の摯

『文章流別論』中の詩に關する

四言・五言・六言・七言・八言・九言。古詩

也。有三言・)

體、而時以一句・二句雜在四言之

以四字爲

。後世演之、

篇也。後復云「三言八字之文」、則元嘉(引用

以爲

:六

・ 以後、取裁顏氏宋の文の年號)(引用

:宋の顏

「庭誥」に「柏梁以來、繼作非一、

!

纂至七言而已。九言不見

、將由聲度闡

"

、不協金石」とある)

(姚範『

也。

鶉堂筆記』卷三十七)

これらの

だちに「文

語であるが、『戰國策』に「三言」(三語)とあるのをた わかに首肯しがたい點も少なくない。たとえば、第一の

#

は、いちおう論據を明示しているものの、に

序」に結び付けるのは、やはり牽

ない。 ものであろう。そもそも、この場合の「三言」は文體名では

$

付會という

「はたしかに三言之(韻)文」ではあるが、高

離合詩

も同樣である。「寶文出、劉季握。……」

%

瀛『文

義疏』も指摘するように、蕭統が (8)

&

書(『孝經

の「三言」に言

中』)

自然さを

'

したとするのは、無理ではないとしても不

(

れない。ちなみに、『四庫

)

書總目』では、『孝經 (9)

「文は、 一方、上記二に對して、『文章流別志論』に基づく第三

』という書物は實在しない、と言う。

序」に先行する、文體分

*

の名

けに、もっとも穩當な見解と

+

を踏まえるだ

,

することができる。『文

義疏』、張

- .

・徐

/

等『文

)

譯』(貴州人民出版

0

、一九 中國詩文論叢第二十集

4

(5)

九四年)等、今日この

る。しかし、さきにふれたように、「文

に從うものが多いのももっともであ

言・八字之文」は、詩の

序」のなかで「三 統が、詩の項で言 讀めば、

三言詩

を指しているとは考えにくい。かりに蕭 などの文とともに列記されているわけである。これを素直に

とは別に、頌、箴、戒、論、銘

げたとするなら、なぜ「三言九字之文」ではなく、「三言八 、、

した「三字・九言」を後文で再度取り上

字之文」なのか。この點について何

い」という顏

は、「九言詩は見えな

之の

を ぞれなる文體と見るのが いか。したがって、「三字・九言」と、「三言・八字」はそれ に「多則九言」とあるのと矛盾することになるのではあるま

引しているが、そうであればさき

當だと言えよう。

こうして見ると、結局、「三言・八字之文」の「三言」については、未だ

得のいく

明はなされておらず、五臣

にしてもその

否を が現

斷することができない、というの 論』のような文學 かりがまったくないわけではない。すなわち、『文章流別志

のようである。しかし、この問題に關して考察の手が

論の 歸

作からではなく、その實作品から

してゆく方法である。 一般に中國古典文學においては、

反映される傾向が

屬文體は作品の篇題に

められる。「登樓賦」、「出師表」、「酒

頌」のように。そうであれば、「三言」もまた作品の篇題になんらかのかたちで示唆されるのではないか。事實、現存する六

に一篇確

時代の文章のなかに、「三言」と題する作品がわずか

できる。梁の江淹「雜三言

」がそれである。 10

えてみたい。 この作品を手がかりとして、「三言」という樣式について考

(二 )

「雜三言五首」は、『梁江文

文集』(四部叢刊影印明

本)卷十に收められる。

宋刊 れており、これに從えば、作

頭には以下のような自序が付せら

江淹が

れ、

君劉景素の怒りに觸

興令に左

されて後、三年め(京師に

る以 られたことになる。すなわち、宋の元徽四年、作(四七六)

)に作

三十三のときの作である。

予上國不才、黜爲中山長史(四部備

!

本『江文

集』作

"

、待罪載、究識山長吏)(三)

#

霞之

$

對 又無職、筆

%

書、官

&

之勢、聊爲後文。

「三言」という名の樣式(井上)

5

(6)

ここでまず確

意味である。この

しておきたいのは、「雜三言」という題の ない。問題は「雜」字であるが、この點については斯波六

が「雜」+「三言」であることは疑い

氏の意見が參考になろう

。斯波氏は從來 11

の定義に關して、以下のように

論の多い「雜詩」

うである。…題名にしても とめて、それに『雜詩』と題したのが、この名のおこりのよ

く、「幾首かの詩をとりま という、混合」「雜」字の基本義とも一 り集めるという意味は共する」と。この見解は「寄せ集め・

名にしても、いろいろの詩をと

有力な

し、今日もっとも

することができる。そして「雜」が

はなく、他の文體にも ある思想をもたないなら、必ずしも詩に限るもので

集用語で 理ではあるまい。たとえば、「雜章」(

用された、と考えるのもけっして無

、蔡 王

、「雜箴」)(魏、

)、「雜奏議」(晉、李重)といった作品は、

代の

斷片が引用されるだけで

書に

『三言』事實、のという意味なのである。をとり集めたもの」 えられるのではないか。「もろもろとは「雜三言」つまり、 の場合も同樣に考だとすると、ように思われる。「雜三言」 來、そこに複數の作品が含まれていた可能性を暗示している しており、本と同じく、文體名に「雜」字を冠する點が共

體像が見えないものの、「雜詩」 この作品は「搆象臺」「訪

經」「鏡論語」「

曲池」「愛

か。ここでは一例として「愛 では江淹の言う「三言」とは、どのような文體なのだろう という五篇からなり、「雜三言」はその總題である。

山」

山」を見てみよう。

伯鸞兮已

、名山兮不

之可結、

之未

淺霞兮駮雲、一合兮一分。映壑兮爲 緤余馬於椒阿、漾余舟於沙衍。臨星朏兮樹闇、看日爍兮霞淺。 ××

、綴澗兮

婉轉、丹秀兮

文。碧色兮

。深森寂以窈窈、上

!

之 山、大林兮蔽天。楓岫兮

"

群。群兮聒

#

嶺、

$ %

&

田。紫浦兮光水、紅

'

(

泉。香枝兮嫩

)

、翡累兮

*

疊。非郢路之

之相接。欷美人於心底、願山與川之可

+

、寔寸憂

,

時命而自

-

溘死於汀潭、哀

(○阮韻、×

.

/

韻、△文韻、●山先仙韻押、◎

) 0

韻。

『魏晉南北

1 2

3

韻部之演變』による。以下、同じ)

伯鸞已に

く、名山

らず。紺

の結ぶべきに

び、 およ

の未だ

れざるに

の淺きを看る。淺き霞と駮分び合し一たびな雲は、一た まだら 日の爍朏星はす。く樹闇きに臨み、に漾衍き霞舟を沙 かがうすただよ

び、余がぎ、余が馬を椒阿に緤 つな 中國詩文論叢第二十集

6

(7)

かる。壑に映じて

と爲り、澗に綴なり文と つら

は婉轉として、丹秀は えんてん

る。碧色

ふんうんたり。深き森は寂として以て窈窈たり、

の群がる

に上る。群

大林は天を蔽ふ。楓の岫との嶺、

は山に聒しく、 かまびす

はたけ

の浦と光る水、紅き

の田。紫

なまめかしき泉。香る枝と嫩 わか

は累なり かさ

、翡

は疊なる。郢路の えい

に寸憂相ひ接す。美人を心底に欷き、山と川との なげ

なるに非ざれども、寔

きことを願ふ。

るべ 自ら

し汀潭に溘死すれば、時命を哀しんで こう

ふ。 かな

この作品は、いわゆる

士の不

隱遁生活への憧憬と

をテーマとするもので、

會復歸への希

との 手の心理が、一人稱

で搖れ動く語り

點によって表現されている。一篇の大 むしろ悲哀の

を敍景句が占めるが、作品の焦點は自然景物の美よりも、

べる最 の系譜につらなる抒よい) から見て、楚辭(この場合は、「九章・哀郢」との結びつきがつ

六句にあり、ディクションの點 を置く○○兮○○という「九歌」の句式を多く の奇數句末に押韻する有韻の文であること、句中に「兮」字 一方、形式の面から見ると、偶數句末および換韻部分

小品としてよい。

!

用している こと、同時に六言句も交える雜言リズムであること等の

こうした形態

特 はない。ほかの四篇にも、濃淡・

"

はむろん、本作品にのみ見えるわけで

# $

の差をともないながら、

%

していることは留意されよう。その共

①短

%

項とは、

②一人稱

&

の韻文である

點による抒

③舊體六言句と「九歌」の句式を

'

とする の三點であるが、これは言うまでもなく、作

(

用する

定の樣式

)

江淹が特

「三言」という題をもち、「詩」とも「賦」とも かならない。

枠組みのなかで創作したことを裏付けるものにほ

かねる(換言すれば、正統

*

定のつき この二點は、たしかに「文

な「詩」でも「賦」でもない)文體

+

序」の記

である。だとすれば、この作品が蕭統の言う「三言」である

に符號するもの

「三言」という名の樣式(井上)

7

,

點が指摘できる。なかでも

第3う。句~6句、

-

目に値するのは六言句であろ

15

・ 六・句式は、このリズムるが、)拍(四 ×舊體六言句が用いられてい○○という、)而、於(之○○

16

句、×○および篇末の六句に、

特有なものであるだけに、賦との關

.

時代の辭賦作品に 思ものとわれる。

/

性をたぶんに示唆する

(8)

可能性が高いのではないか。少なくとも、

隱語

離合詩

よりは、「深い

容を有する美文」を

『文

したとされる

』の序文にふさわしい樣式だと言えよう。

*實際、これまでの總集、別集において「雜三言」は、さまざまな文體・ジャンルに歸屬させられてきた。たとえば、

『先秦

欽立

魏晉南北

詩』「梁詩」卷四、兪紹初・張亞新『江淹集

』(中州古出版

、一九九四年)では「詩」として收

し、四部備要『江文通集』、『江醴陵集』(『

魏六 名家集』

百三

收)では「騷」に分

し、明の胡之驥『江文

彙註』では、「賦」、「騷」とは別に、「雜篇」の

もとに置いている。

目の

ただし、この假

する作品がこの他に見えないことである。すでに

には問題がある。それは、「三言」と題

り、蕭統は梁代當時に存在していた數多くの文體(梁の任

べたとお

「文章

序」によれば、當時、少なくとも

84

種 ある)のなかから、

はあったようで なからず作られていたとするなら、六 まり作られなかったとはほとんど考えにくい。また梁代に少

37

體を特記しているわけであるから、あ

後期の文

作品を好 んで引用する『

聚』等の

のなかに三字句はまったく存在しない。ただひとつ確 五首すべて言」である。すでに見たように、この作品 この問題を考えるうえでヒントになるのは、やはり「雜三 は「三言」樣式と無關係なのだろうか。 う。ではなぜ「三言」と題する作品がないのか。「雜三言」

書に當然見えるはずであろ

きるのは、「愛

「搆象臺」も「訪

山」という題である。そして、ほかの四篇

經」「鏡論語」「

いう名稱からの 三字であることは留意されてよいだろう。從來、「三言」と

曲池」と、同じく

「雜三言」議ではなくなる。の場合は、五首の そうであれば、「三言」と題する作品が見えないのも不思 く、題の字數を指すのではあるまいか。 、 されてきたが、じつのところ「三言」とは、句の字數ではな 、

推により、一句が三字からなる文體が想定

とくに「三言」と題する必 いが、單獨の作品では三字の篇題そのものが文體を示す以上、 め、總題として「三言」という文體名を用いなければならな

作であるた を の篇題をもち、「詩」とも「賦」とも題することがない作品

がないわけである。そこで三字

査してみると、隋

代の されていることが確

書のなかにいくつか保存收載

できる。晉の

侯湛「秋可哀」、同 中國詩文論叢第二十集

8

(9)

「春可樂」、同「秋夕哀」、晉の王

「春可樂」、晉の蘇

夜長」、晉の何瑾「悲秋夜」、晉(?)の謝

「秋 の謝晦「悲人

「秋夜長」、宋

」などである ()

『 。これらはいずれも、嚴可均 12

上古三代秦

三國六

同時に、

文』に

として收されると

欽立『先秦

魏晉南北

そうすると されるものである。

詩』には

として收

に必

言」と樣式

なのは、これらの作品が江淹の「雜三

性をもつかどうかを確

初期、 ここではひとまず、もっとも早い時期の作例と目される西晉

することであろう。

侯湛

の「秋可哀」を分析・檢證してみたい。 13

(三 )

侯湛の「秋可哀」は、『(二四三~二九一)

三、

聚』卷

時部・秋に收載される。

二十六句であるが、『太

御覽』卷五六に別の四句が引用されていることから見て、おそらく斷篇であろう。

侯湛の文集は、『隋書』經

「晉散騎常侍

志に

侯湛集十卷、梁有一卷」といい、『舊

書』

志・『新

書』

文志ともに「

侯湛集十卷」として

するが、宋代には散佚していたようである。現在、明人の手になる輯本『

侯常侍集』一卷が存在する。斷篇というこ とで序も見えず、制作時期、制作

からない。なお本作品は、わが

況等については、一切分

の人々の

たらしく、いくつかの

で愛讀され て、わが國の文學にも影

倣作品が現存する。この意味におい

を與えた作品と

せよう。

秋可哀兮、哀秋日之蕭條 。火迴景以西流、天

壤含素霜、山結玄霄。

而氣高。

路以

!

夜、日

"

行以收暉。屏 ×

於笥匣、

#

斂稀、密

$

綸縞以授衣。秋可哀兮、哀新物之陳蕪。綢篠朔以 ×

% &

以隕疎。雁擢

'

於太

。兮、哀良夜之遙長

、燕蟠形乎榛墟。秋可哀

卷三作星朧朧而

翳翳以隱雲、時籠籠以投光(『初學記』

(

。映光)

)

軒之疎幌、

*

後帷之閑

而不寐、臨

+

。拊輕衾

,

檻而

-

裳。感時邁以興思、

(『

.

愴愴以含傷。

聚』卷三、

(○蕭霄豪韻

時上・秋)

押、×

/

韻、△

0

魚韻

押、◎陽

韻)

秋は哀しむべし、秋日の蕭條たるを哀しむ。火は景を迴らして以て西に流れ、天は

に ぶ素霜を含み、山は玄霄を結。

くして氣高し。壤は

は路をして以て夜を

!

し、日は行を

"

して以て暉を收む。 ひか

綸縞を りんこう

#

紘を笥匣に屏け、 げきこう

$

れて以て衣を授く。秋は哀しむべし、新物の陳

「三言」という名の樣式(井上)

9

(10)

蕪を哀しむ。綢 ちゆうしようは朔として以て斂 れんし、密

は て以て隕疎す。雁は

とし さく

を太

に擢で、燕は形を榛墟に蟠 ぬきん

す。秋は哀しむべし、良夜の遙長たるを哀しむ。

(星は朧朧として光を 翳として以て雲に隱れ、時に籠籠として以て光を投ず

は翳

。す)

軒の疎幌に映じ、後帷の閑 こう

らす。輕衾を拊して寐ねず、

檻に臨みて裳を

かか ぐ。時の邁 くに感じて以て思ひを興し、

以て傷を含む。

は愴愴として

この作品は、篇題が示すとおり、「悲秋の心

フとするもので、秋の氣候、景物、夜長などによって沸き

」をモチー

こる悲哀の

が一人稱

點によって表現されている。詠物

というより、抒

素のほうがつよい作品である。文學史 ただトーン系譜に位置づけることができるが、(作

には、「九辯」(傳、宋玉作)に始まるとされる悲秋文學の

いて兩

にお)

はやや

なる。「九辯」は語り手自身の不

に發する深刻な悲

・孤獨

が基 えるような激しい は「悲秋」を樂しむ、とまではいかなくとも、「九辯」に見

をなすのに對して、この作品

りが感じられない。淺野

有「東晉李

『悲四時賦』考」では、本作品を「宮

戲文學系統の

悲秋作品」と

と關係があるのかもしれない

するが、あるいはそうした創作・享受の場

14

しかし一方、「兮」字を用いる點において、これは騷體賦とも言える。ただし、純粹な騷體賦でもない。奇數句末に「兮」字を置く、○○○○○○兮、○○○○○○の「離騷」の句式にせよ、また句中に置く、○○○兮○○、○○○兮○○の「九歌」の句式にせよ、まとまった句數のなか(おおむね

篇を

して)で規則

に用いられるのが

のように散發

例で、本作品 そしてさらに重

に使用されることは稀だからである。

だと思われるのは、「傍句」(散文

斷定できないが、 が見えないことである詞)(この點はなにぶん斷篇であるだけに

接續

題の「春可樂」、「秋夕哀」ともに傍句が見えな 中國詩文論叢第二十集

10

一方、形式

側面について見ても、この作品はかなり特

である。まず偶數句末に韻を踏む(中三度、換韻)

韻の文であることは問題なく了解されよう。

!

句押 が中心となり、それに○○○○の四言句を ては、○×○○之(以・而・於・乎)×○○、の舊體六言句

"

に句式につい の點だけから

#

用している。こ

$

斷すれば、本作品は典型

な六 なしてよい。『

%

駢體賦と見

&

文 は、この點を裏書するであろう。

聚』が賦作品として收載していること

(11)

いことから推測すると、もともと用いられていなかった可能性が高い)。

知のように、賦はそもそも韻文と散文の中

性格

える文

樣式であった。そのため

むね散文性のつよい接續詞を多用しており、この傾向は六

代の辭賦作品はおお

時代の賦にも基本

現存する賦作品

に繼承されている。たとえば、侯湛の

25

篇中、斷篇であるにもかかわらず、じつに り、それは同時に韻文の 句を用いないということは、賦の散文性を排除することであ

12

篇に「爾乃」、「是以」等の傍句が見える。したがって、傍

ジャンルである詩に接

とを意味する。『

するこ

文 ず、

聚』が「賦」と見なすにもかかわら

欽立『先秦

魏晉南北

詩』が「詩」として收

また陸侃如『中古文學

し、

年』(人民文學出版

「文ではなく、詩だ」と

、一九九八年)も と題さないという理由からだけではないだろう。

張しているのは、たんに「~賦」

以上見てきたように、「秋可哀」という作品は正統

また留意したいのは、ここに見える特 ではない。いわば賦の變種と見なしうるものである。そして

な賦

が、江淹「雜三言」

收の五作品にも共

第一に、一人稱

することであろう。

點による抒

とすること。第二に、 を 句と四言句の駢體を中心にしながら、「兮」字を用いる騷體 偶數句末に押韻する有韻の文であること。第三に、舊體六言

用すること。そして第四に、ともに傍句を用いないこと

點である。しかもこの二作品は、

別集において文體歸

代の總集または

が不安定であることも共

さらに推し する作品と考えてまず問題はないだろう。そうしてこの點を そうして見ると、「雜三言」と「秋可哀」は、同じ樣式に屬

している。

めれば、「文

ここでまず、 以下、この點について補足しておきたい。 點からだけではなく、別の點からも推測されるようである。 篇題の侯湛との結びつきは、樣式と「三言」ところで、 測されるわけである。 と推の篇題をもつこの二作品の系列を指すのではないか

序字は、三」と言三う「言に」

目されるのは、『文

』五臣

の る。「文

であ

序」の「三言・八字之文」に對して、呂

「三言、謂

濟が

秋風辭」と

おいて取り上げたが、文の「又少則三字」に對しては、 、、

することは、すでに第一章に

!

のように言う、

向曰、文始、三 、字 、

"

侯 、湛 、、九言出高貴

#

公…。

「三言」という名の樣式(井上)

11

(12)

ここに見える「文始」については、梁の任

(『文章

『文章始』

』)を指すということで大方の意見は一

事實、現行の『文章

している。

註』(『學

晉散騎常侍詩、

には、「三言』收)

侯湛作」とある(もっとも、任

隋代には

の原本は

びており、この記

が實際に任

どうかは定かではない)。そしてこの

自身の筆になるものか

はさらに、中

にまた南宋の嚴 易『白氏六帖』にも見え、さら(『白孔六帖』卷八十六「詩」)

の白居

『滄浪詩話』「詩體」にも、「三言

於晉

侯湛」と明記されている。しかし、これらの

が根本

に ないからである。その 言うまでもないだろう。三言詩は西晉時代に始まるものでは

っていることは改めて

源については

あるが、遲くとも

代に

立していたことは確かである。『

は、高

書』「禮樂志」に

の愛

山夫人の作と傳える「安世

「雜歌 が記載されており、ほかにもち三首が一句三字で統一される)

中歌」(う

辭系の童

・歌

の 宮

と、鼓吹曲辭・郊廟歌辭系の

樂府の

を中心」(松浦友久『中國詩歌原論

くの として數多』) 15

代三言詩が現存している。それゆえ、呂向の

び『文章

、およ

』は、これまでしばしば

家の非

たわけである。

を浴びてき とはいえ、よく考えてみれば、かれらの

る」わけでないことを任 不可解なところがある。第一に、「三言詩が西晉時代に始ま

にはそもそも

以下、四人が知らないはずがない

たとえば、西晉の摯 。 16

『振振たる鷺、鷺于に飛ぶ』(引用

『文章流別論』に「古詩の三言は、

:『詩經』魯頌「有

の屬、是なり。

」)

この記

の郊廟歌之を用ふること多し」とあり、

から見ても、

第二に、當時の史料による限り、 わば當時の常識であったと考えられる。

代に三言詩が多作されたことは、い

た形跡はほとんどまったく確

侯湛が三言詩を制作し

できない。

言詩との關 れは四言詩である。また『晉書』では、本傳以外も含めて三 して現存するのは、唯一「詩」一首であるが、こ(斷篇)

侯湛の詩作品と

!

を示す記事はない。さらに、『世

新語』には

"

三條に湛の

#

話を記しているが、言

と「詩」の二作品にとどまる。これは、

$

されるのは「羊秉敍」

言詩を多作したのではないこと、少なくとも六

侯湛がさほど三

』の『も呂向が引く文始(?) とすれば、ここで一つ考えられるのは、かれら(少なくと 詩の名手と見なされていなかったことを意味するものである。

%

當時、三言

&

「三言詩」日われわれが言う(=齊言三言古詩)とは

)の言う「三言詩」が、今

'

なる、 中國詩文論叢第二十集

12

(13)

特殊な「三言詩」を指すのではないかという解釋である。すなわち、「三言詩」とは「一句三字の詩」ではなく、「三言という名の詩」であったのではないか。さきに論證したように、

の見方もあながち無理な想像とばかりは言えないであろう 言」の現存最古の作例であることを考え合わせてみれば、こ

侯湛の「秋可哀」「春可樂」「秋夕哀」の三篇が、「三

少なくとも、文字 。 17

り「一句三字の詩」と考える限り、任

び白居易の

に不可解さが殘るのは確かである。

(四 )

ここまでの考察にもし

の「三言」みならず、ほかの 「三言」の意義・機能とは何なのか。この問題については、 なりの存在價値と表現機能をもっていたはずである。では、 であろう。樣式という以上、當時の樣式體系のなかで、それ ればならないのは、中國文學史における「三言」の位置づけ

りがないとすれば、に考えなけ

樣式の樣態を共時

たうえで、總合

に考察し

に とまず、殘された斷篇から筆

斷することがのぞましいが、いまはひ さて おきたい。それは歌との關係である。

が氣づいた點を一つ指摘して

「秋可哀」を見て、おそらく誰もがまず感じるの は、この作品に反復繰り

しが多い、という點であろう。

秋 、可 、哀 、兮 、、哀 、秋日之蕭條。…秋 、可 、哀 、兮 、、哀 、新物之陳蕪。…秋 、可 、哀 、兮 、、哀 、良夜之遙長。…

の部分がそうであるが、これは二種

ように、上句中の語「哀」を下句で繰り 見ることができる。一つは、「秋可哀兮、哀秋日之蕭條」の 、、

の反復の複合形式と で繰り は、「秋可哀兮、…秋可哀兮、…」のように、ある句を後文

す形式。もう一つ

す形式。

は、二つの「哀」の

に「兮」が

れてはいるがこれは實義をもたないので、

ま て後句が始まる、蝉聯體の不完

句の末語をうけ

なものと言える。一方後

は、

こう

樂の形式になぞらえて、ここでは續唱形式と呼んでお シークエンス

。本文中には、この二種 18

の反復が三箇

が、『太

しか現れない

御覽』に「秋可哀兮、哀南畝之

。 陸兮、又刈

蕭於大

乎崇岡」という四句が引かれていることから

斷すると、原文にはそれ以上に用いられていたと思われる。この「abc兮、c。…abc兮、c」という反復形式は、

題の「春可樂」にもあって、

形式と言えそうだが、かれの發明になるものかどうかは今日、

侯湛が愛用した

「三言」という名の樣式(井上)

13

(14)

詳らかではない。とはいえ、この形式が「秋可哀」を特

ける重

な 實、後世の

素であることだけは動かしがたいであろう。事 ある。たとえば、

倣作でこの反復形式を襲用しないものはまれで

侯湛より四十一

年少の王

ているが、そこにも に、「春可樂」という同題の作が斷篇ながら現存し三二二)

(二七四~

春可樂兮、樂孟

(『文

之初陽。…

聚』卷三、

時上・春)

と見える。またわが國の『經國集』卷一、賦

皇「重陽

には、嵯峨天

泉 仲雄王、菅

、賦秋可哀」および、淳和天皇、良岑安世、

公、和氣眞綱、中科善雄、和氣仲世、

野貞

の應制の作が

九篇收 が日中の讀 「秋可哀」、「春可樂」二作の享受史において、この反復形式 哀」の形式が二度ないし三度、反復されている。これは

されており、いずれも「秋可哀兮、

たちの に、

目をとくに集めたことを物語ると同時

倣するうえでどうしても省けない重

つと

なポイントの一

ところで、ここで興味深いのは、こうした同一語・句の反

識されていたことを示唆するものである。 復が

ち、本稿が「三言」作品と考える

侯湛以外の作家の作品にも見えることである。すなわ

篇の大

に反復が

れる

めら

。なかでも 19

う。

目に値するのは、江淹の「雜三言」であろ

に該當部分を

げる。

曰上妙兮

兮俗爲名。名可宗兮 、、

立 、

風立、 、、

風兮茲

生。(「搆象臺」)

兮可傳、可傳兮皎然。挾茲心兮赴 、、、、

坐空山。空山隱 、、、、

國、懷此書兮

兮窮 兮乃

!

、水散漫兮涵素壑。…四壁深

"

#

、左右

$

兮如寂寞。寂寞兮山室、 、、、、

%

經兮

(「訪

&

經」)

惜古人之取才、瞰

'

雲而

(

意。意恬悵兮有端、才 、、

兮可

)

*

。(「鏡論語」)

北山兮

+

柏、南江兮

,

石。

,

峯兮

-

虹、

+

樹兮如畫。

.

雲兮十里、

/

霞兮千尺。千尺兮綿綿、 、、、、

'

氣兮

山巒

0

旋。…

)

兮水 、

1

合、水 、、

1

合兮石重沓。…客子思兮心斷 、、、

心斷 、、

兮愁無閑。(「

2

曲池」) 中國詩文論叢第二十集

14

(15)

臨星朏兮樹闇、看日爍兮霞 、淺 、。淺 、霞 、兮駮雲、一合兮一分。…深森寂以窈窈、上

群。群 、、

兮蔽天。…(「愛

兮聒山、大林

山」)

このように「雜三言」では、蝉聯體を中心とした同語反復が數多く見出せる(「鏡論語」だけが一箇

品には部分

と少ないが、この作

な缺

。が、この場合重がある)

式にとっての不可缺な 反復

・ ・

こそが「兮」字の使用とともに「三言」樣 ではなく、五首すべてに察できるという點である。つまり、

なのは、數量 ておそらく、この點が賦とは

素だと考えられるわけである。そし 表現效果を生んでいると見て

なる「三言」獨自の表現感覺・

いはなかろう。では、文

作品にとって反復の多用とは何を意味するのか。なぜ「三言」に反復が多いのか。

下武維 たとえば、

知のように、蝉聯體は古く『詩經』に見えるものである。

(下に武ぐは維れ 三后在天、王配于京。 、、、、

、世有哲王

、世ゝ哲王有り。三后天に在り、王京に配す) 王配于京、世 、、、、

永言配命、

作求。

世(王京に配す、ゝ

王之孚。 、、、

もて求と作る。永く言に命を配し、王の孚を ここまこと

す)

(王の孚を 思維則。思、孝永言孝 、、、、

孚、下土之式。之王 、、、

(大る)

となる。永く言に孝し、孝り思に維れ則下土の式り、 のりここまつまつここ

「下武」)

また續唱形式も『詩經』に見える。一例として

南「桃夭」

げよう。

桃 、之 、夭 、夭 、、灼灼其

(桃の夭夭たる、灼灼たり其の 之子于歸、宜其室家。

。 しからん)

。之の子于に歸ぐ、其の室家に宜 桃 、之 、夭 、夭 、、有

之子于歸、宜其家室。

其實。

「三言」という名の樣式(井上)

15

(16)

(桃の夭夭たる、

からん)

たり其の實。之の子于に歸ぐ、其の家室に宜し ふん 桃 、之 、夭 、夭 、、其

(桃の夭夭たる、其の 之子于歸、宜其家人

蓁蓁。

しからん)

蓁蓁たり。之の子于に歸ぐ、其の家人に宜 しんしん

これらはむろん、ほんの一例であって、『詩經』には蝉聯體、續唱形式ともに數多くの作例が見える、というより、『詩經』というテクストは、おおむね語・句の反復繰り

によって

『詩經』の手法を賦に

り立っているのである。そこで、「『三言』とは、

入した典

『詩經』 ろう。 いは可能かもしれない。が、事實はおそらくそうではないだ

な樣式」と見るのもある

收の作品が、基本に

われたもの、すなわち歌詞であったことは、今日の

樂のリズムにのせて歌

は てよい。そうであれば、『詩經』に語・句の反復が多いこと

と言っ 意味に優先するものだからである。とくに民

くにあたらない。歌詞というものは本質に、リズムが

・童

は、 作り手の

そのリズムを埋める語句は副

想段階において、リズムが先行するのであって、

・末 れゆえ、反復繰り

なことが多い。そ 忌

しという、一種の文學怠慢は必ずしも もっとも、續唱形式のような反復は、 考えてみれば自ずと明らかであろう。 ストを支配するようにさえなる。この點は、現代の流行歌を

されることがなく、ときには無意味なきまり文句がテク

樂曲の うところが大きいかもしれない。洋の東西を問わず、反復は

樂自體の性質に負

原理の重

な リズムが

素の一つと考えられる。同じ旋律、

上繰り

を用いて、それをたとえば聲部や

される場合、その反復部分に同じ語句

高をやや變えて歌えば、

妙な差

を表現することができるだろう。

に、歌詞が

なれば、その分差

が生まれにくくなり、

樂效果は減

される。つまり、反復によってはじめて差

わけである。今日、文

が生まれやすい も、修辭にも我われを滿足させるものではないが、

作品としての『詩經』は、思想に

に見た場合、あるいは高く

樂 ものではないだろう。實際、 促すとすれば、こうした現象は當然、『詩經』だけに止まる それはともかく、歌われることが必然に語・句の反復を

價されるべきなのかもしれない。

代以後の「歌」と題する作品 中國詩文論叢第二十集

16

(17)

にも、同樣の反復傾向がはっきりと

められる。たとえば、

子決兮將奈何、

洋洋兮慮殫爲河、殫爲河兮地不得 、、、、、、

功無已時兮吾山 、、

、吾山 、、

兮鉅野溢、…(

子歌」) 陟彼北芒兮噫 、、覽

、噫 、

京兮噫、宮室崔嵬兮噫、民之劬勞兮 、、

未央兮噫。(後 、

、梁鴻「五噫歌」)

悠悠兮

征、

庭。…

長、臨兮討不。南荊江兮臨兮曁南荊江長 、、、、、、、、、、

江之南兮遨目桂林、桂林蓊鬱兮 、、、、

鷄揚

。…

侯湛「江上泛歌」)

などが

とは、この點が歌の重 しれない。しかし、そこに語・句の反復が多用されているこ のかどうかは定かでない。ただ「歌」と題しただけなのかも

げられよう。もっともこれらは實際に歌われたも

素であったことを

唆するものと言えるだろう。

につよく示

このように考えてくると、「三言」という樣式の

および存在價値がある

り立ち、

度明らかになるように思われる。

するに「三言」とは、賦に歌

・樂曲

素・發想を

入したもの、と見られるのである。

ルに屬する賦

誦される言語のジャン は、言語を言語として 20

する點に特

このため、自然な

がある。

り行きとして

側面(

が重

きやリズム)

され、しだいに修辭も

て、結果、總體

剩となり、また鋪陳性も相俟っ も、それだけに賦は作りにくく、そして

にことばの密度が高くなってゆく。もっと

代、六を

第一

!

じて、

"

の文

#

樣式として

み出すと同時に、 とばの密度が濃いということは、壯重・重厚な表現感覺を生

$

價されたわけでもある。だが、こ

%

解で重

&

しい印象を享受

こうした特

'

に與えやすい。

をもつ賦に、すぐれて

歌の言語を

樂リズムに寄りかかる といって「三言」が實際に歌われた、と

みや

のびやかさ

が生まれるであろう。むろん、だから

入・融合すれば、作品のなかにある種の

ない。ただ賦と歌という、質の(その可能性も否定できないが)

(

べているわけでは

)

なる二つの言語を一つの文

のではあるまいか。 果を生み出していることはおそらく、實感として理解される ものであり、この點がそれまでの賦になかった獨特な表現效 する發想・原理は、中國の樣式史においてきわめて興味深い

#

作品のなかで兩立させようと

「三言」という名の樣式(井上)

17

(18)

思えば、

の呂

「三言は、

濟もまたほぼ同じ點を指摘していた。

の武

辭」は、「辭」と題するものの、

『秋風辭』を謂う」という、その「秋風

れるように、實體

家によってつとに指摘さ えられる作品である

には「歌」(楚歌)であった可能性が考

。從來、この五臣 21

の たく無

はほとんどまっ く示唆する

されてきたが、「三言」と歌との結びつきをいち早

料として改めて

價されよう。

( 結語)

以上、「文

序」に見える「三言」という文體をめぐって、

の問題をいくつか檢討してきた。その

①篇題、 ほぼ以下のようになろう。

旨をまとめると

び「詩でも賦でもない」という文體

特 見て、「文

から

②同じく三字の篇題をもつ、 篇題に由來する可能性が高い。 首を指すと想定される。また「三言」の語源は、三字の

序」にいう「三言」は、江淹「雜三言」五

は、形態

侯湛「秋可哀」と「雜三言」

にきわめて共

③「三言」の存在價値・表現機能は、賦に歌 賦の變種と見なされる。

した點をもっており、ともに

・樂曲

素を と考えられ、この點はまた、「文

入したことによる輕み、のびやかさの點にある

序」に對する五臣

の解釋とも符號する。

本稿では、行論の

合上、

にも、 言」の二作品しか檢討することができなかった。だがこの他

侯湛「秋可哀」と江淹「雜三

侯湛「春可樂」、「秋夕哀」、王

「春可樂」、蘇

「秋夜長」、何瑾「悲秋夜」、謝

「秋夜長」、謝晦「悲人

る。また純粹に三字の篇題をもつものではないが、 等の「三言」作品が現存することはすでにふれたとおりであ

侯湛

」、「長夜

「生」、秋夜詞「 、

」、」、湛方「離親詠」、「山路吟」、「征邁辭 、、、

園詠」、「懷歸 、

」、謝壯「懷園引」、朱

「田飮引 、」等の「

この樣式の關

・吟・詠・辭・詞・引」と銘打つ作品も、

現象の一例は「賦の詩 じつはこれらの作品は、「詩と賦の合一現象の實例」、また

作品として留意される。

」として、早くから賦の 22

!

"

#

すでに論

目されていた作品なのである。その意味において本稿は、

された作品群に、ただ「三言」という名

しかし、これらの作品群は一つの樣式として ただけなのかもしれない。

$

を與え

%

定されてこ 中國詩文論叢第二十集

18

(19)

なかったために、ときに詩と見なされ、ときに賦と見なされ、そのことによって詩と賦の本來のすがたが明確に見えてこないのも事實である。詩と賦の中

・境界

六 問題がなおざりにされているという點において變わりはない。 たとしても、「詩」とは何か、「賦」とは何か、という肝心の

作品と位置づけ

時代には、詩と賦という二つの樣式だけでは

把握が必 この活動の實態をうかがうためには、まず樣式自體に對する いほどの豐かな文學活動があったことはよく知られている。

いきれな

であり、その動向との關

と賦の特性が

においておそらく、詩 というマイナーな樣式をあえて問題にした

きりになってくるであろう。本稿が「三言」

以である。

(1)これに「騷」を加えて三十八

と見る向きもあるが、「文 を一

序」の原文には「騷人之文」というだけで、明確に「騷」

として

あったとしても、「賦」に

定しているようには見えない。かりに文體で

接して言

されていることから、

同樣「賦」の下位分

の意識においては「詩」における「四言」「五言」

であった見るのが事實に

ろう。

いであ (2)今日

家の

(3)從來の 、「篇」がある。「八字」

で見解が分かれるものに、「指事」、「三言」、

では、李善は「文

序」に對して

えたとされているが、この

だけを加

は されている。同氏は、加

年、松浦氏によって反論

の體例と

の性格の二點に

し、『李善

』の「文

序」に見える

は、じつは五

「李善

であることを論證された。詳しくは、松浦友久

本『文

序』の

について『加

『別、と入聲』の解釋」(中國詩文

』の檢討

(4)『文 叢』第十六集、一九九七年)を參照されたい。

究會『中國詩文論

本のうち、今日もっとも

四部叢刊本の目

行している、胡刻本、

ではともに、賦以下、

三十七

ているが、本來はさらに「移」と「

が記され

」の二

があり、

十九

收められる、歐陽建「臨

であった可能性が高い。また卷二十三「詩・詠懷」に

詩」は陳八

刊本『五臣

文 では、「詠懷」ではなく、「臨

』 の小

」に收載されており、「詩」

としての「臨

」が

していることもすでに

よって指摘されている。參照:傅剛『昭明文

家に

究』(中國

會科學出版

、二〇〇〇年)下、第二章、第三

!

「『文

(5)「文

」。

は、呂

序」の正文「篇・辭・引・序」の「辭」體に對して

"

濟が「辭、

#

思也。寄辭以

$

思」という

いる。

を加えて

「三言」という名の樣式(井上)

19

(20)

(6)

「離合詩」とは、字形を解體し、その一部を取り出して(離)もう一字の一部に合

字を意味する、一種の言語

(合)することによって、別の

戲。たとえば、

作郡姓名字詩」に、「漁夫屈

の孔融「離合

、水潛

方。與時

から「寺」を離した「日」を合 弛張…」とあり、「漁」から「水」を離した「魚」と、「時」

止、出寺 そこでこの詩の隱された意味は「魯國孔融文

すると、「魯」字となる。

(7)

駱鴻凱の いう。

」になる、と

とほぼ同じ

容の文が、『學

七、張杓「梁昭明太子文

堂集初集』卷

」中に、

の曾

の 引かれている。年代

として

に見て、駱鴻凱が曾

(8)

高 であろう。

を襲ったの

瀛『文

義疏』(中

書局、一九八五年)に「其

三言、以『孝經

尤爲支離。昭明必不以

』之「寶文出」、「劉季握」云云當之、

(9)

『四庫

書中三言當三字之文也」とある。

書總目』卷三三「古

書三十六卷」に、「

『日知

炎武

』又稱、(『含文嘉』)見『孝經

乃宋・張師禹撰、非其舊文。『

』。然『含文嘉』

』則自宋以來、不

。殆炎武一時筆

、實無此書」とある。

10 )

本作品の篇題については、四部叢刊影印明

宋刊本『梁江

文集』および明

!

二十六年、胡之驥校

『江文

集彙

』(中 明、張溥輯『江醴陵集』(『

書局、一九八四年)では「雜三言五首」に作るが、

魏六

"

百三名家集』收)、四 庫

書『江文

集』、

、乾

#

二十三年、梁

$

刊刻『江文

集』(四部備

梁代に二十卷あった(

%

收)では、「雜詞」に作る。江淹の文集は、

ち十卷が

&

集十卷、後集十卷)が、宋代にはう

'

佚しており、『宋史』「

では「江淹集、十卷」と

(

文志」、『郡齋讀書志』等 いては、收

される。そしてこの十卷本につ

作品の記

)

容から、江淹の初期(中年以

の作品を集めたもの、すなわち『江淹

&

) ぼ

&

集』であることがほ

となっている。右に

げた をとるのは、四部叢刊本と胡之驥本であり、四庫

*

本のうち、十卷本の體裁

書本と梁 本が原本の舊貌をほぼ傳える(多少の

$

刻本は四卷本、張溥本は二卷本である。したがって、十卷

れるのに對して、四卷本、二卷本は、明

+

補がある)と考えら

代に再

のであって、その

,

されたも なお四部叢刊本『梁江文 を詞」「雜三言」に改めたと考えるのは不自然さを免れない。 う題を「雜詞」(詞=辭)に改めることは考えられるが、「雜 た可能性は否定できない。それに、そもそも「雜三言」とい

- .

で篇題にも少なからず改竄が加えられ

文集』の底本について、金開

葛兆光『

/

0

代詩文

% 1

詳解』(北京出版

四年)正の 元鈔は、南宋中期の刻本とする。この本の卷末には、本(至

2

、一九八八年)で 關する

3

文も付されているが、「雜三言」という篇題に

3

同はないようである。また胡之驥校

『江文

集彙

』は、明、

して、さらに明、汪士賢輯『江文

! 4

鼎祚玄白室刊『江光祿集』十卷を底本と

集』十卷によって校勘し 中國詩文論叢第二十集

20

参照

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