• 検索結果がありません。

地下の正倉院展【重要文化財長屋王家木簡】

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "地下の正倉院展【重要文化財長屋王家木簡】"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

二〇二〇平城宮跡資料館秋期特別展

財 】 簡 木 家 王 屋 長 化 下 地 要 重 【 展 院 倉 正 の 文

第 Ⅰ 期 展 示 木 簡

長 屋 王 の 家 族

1長屋王を「親王」と表記するアワビの「贄」の荷札

。『調

。)

長 屋 親 王 宮 鮑 大 贄 十 編

長屋王の邸宅へ届けられた鮑の荷札。長屋王は、天武天皇の

子高市皇子を父に、天智天皇の子御名部皇女を母として誕生した。

したがって、規定上は「王」に過ぎないが、木簡には天皇の兄弟

や子を示す「親王」と記される。また、天皇クラスの人物に奉ら

れる食料の呼び名である贄を消費していた。この木簡は、長屋王

が式部卿という役所の長官をつとめていた時期のもので、大臣

として政権を担うよりもずっと前のものである。『続日本紀』な

どの史料からはうかがい知ることができなかった事実が、この木

簡には隠されている。

なお、この木簡は、平城宮内の雅楽寮から長屋王の家令のもと

に送られた文書木簡(移)(、Ⅲ期展示)とともに、邸宅の主

27

を特定する決め手となった。 2氷高内親王宮宛ての荷札

(表)

備 後 国 葦 田 郡 葦 田 里

(裏)

氷 高 親 王 宮 舂 税 五 斗

備後国葦田郡葦田里(現在の広島県府中市付近)から、氷高内

親王宮に宛てた舂米の荷札木簡。郡・国を通じて中央政府に納

入する通常の荷札木簡では、貢納先は記さないが、長屋王家木簡

ではこの木簡をはじめ、貢納先が示されるものが散見する。さら

では、貢納元が記されず、貢納先のみが記されている。おそ

らくは、封戸からの貢納で、納入先を強く意識していた、あるい

は明示して区別する必要があったためであろう。

氷高内親王は、後の元正天皇。草壁皇子・元明天皇の娘で、文武

天皇や吉備内親王の兄弟。吉備内親王は、長屋王の正妻である。

この木簡が長屋王邸から出土した背景には、吉備内親王を介して

の関係性があると想定される。即位前の氷高内親王の家政(宮)

(2)

の財政が、吉備内親王と深い関係をもって経営されていた可能性

を示唆するといえるだろう。

3山方王子への米の支給木簡

(表)

山 方 王 子 進 穎 稲 米 二 升 受 余 ο

(裏)

女 七 日 若 麻 呂 ο

山方(形)王子に米を進めたことを示す木簡。山方王子は、

木簡には「王子」「皇子」とみえるが、長屋王の妹の山形女王 のこと。吉備内親王らが「御所」「御許」と表記され邸宅内の

居住が推測されるのに対し、山形女王は「宮」と表記される例

があることから、長屋王に依存しつつも、邸宅外に独立した住

まいをもっていた可能性がある。

頴稲は稲穂に付いたままのイネのことで、普通は束・把で数

える。しかし、伝票木簡にみえる頴(稲)米はすべて「升」を

単位とする。二升は現在の約九合(一・六二リットル)、米約

一・三五㎏。受取人名の「余女」は、表裏に分かれるのを気に

せずに記されている。余女は山方王子のほか、竹野王子への米

の受取人としても見える(京二

一八二七)。「若麻呂」は、

支給の責任者。日付のみで月が記されていないことは、伝票木

簡が月単位で集計されたことを示唆する。

4紀若翁の乳母に関わる木簡

。『

。)

〔 命 ヵ 〕

(表)

ο 移 務 所 紀 若 翁 乳 母 不 給 □

山 田 先 生 申 出 甥 万 呂 佐 官 大 夫 橡 綿 附 神 安 万 呂

(裏)

ο 七 月 二 日 衣 進 出 角 山 君 安 万 呂 □ □ □ 少 上

紀若翁の乳母に関わる木簡。紀若翁は、天平九年(七三七)

一〇月に従五位下から従四位下となり、天平宝字五年(七六一)

六月に従三位となった紀女王で、長屋王の子と推定される。天

平九年一〇月の叙位は、当時の人が天然痘を長屋王の祟りと考え、

その霊を鎮めるために子女の位を上げたものという説がある。

裏面の山田先生は、山田史御方のことか。御方は若くして沙門 として新羅にわたり、のちに還俗。学業に優れ、文章家としてし

ばしば賞賛された。漢詩集『懐風藻』に「長王宅宴新羅客一首

并序」が伝わる。長屋王家木簡の時代よりは後の作品とみられ、

邸宅も木簡が見つかった左京三条二坊一・二・七・八坪とは別の

場所の可能性があるが、この木簡の山田先生が御方だとすれば、

以前から長屋王と交流があったことになる。

(3)

5長屋王の妻への米の支給木簡

神 田 古

(表)

安 倍 大 刀 自 御 所 米 一 升 「 道 万 呂 」 o

受 物 部 立 人

(裏)

御 所 進 米 五 升 九 月 十 六 日 o

安倍大刀自に米を進めたことを示す木簡。安倍大刀自は、安倍

(阿部)氏出身の長屋王の側妻。『万葉集』に長屋王の娘賀茂女王

の母としてみえる(巻八―一六一三番歌注)。複数の木簡に登場す

るので、長屋王邸内に正妻吉備内親王とともに同居していたらし

い。とすれば、妻問い婚が通常とされる古代の婚姻形態を再考す

る一つの素材となる。表裏にみえる「御所」は敬称で、裏面の固

有名をもたないものは、邸宅の主人長屋王本人を指すものとみら

れる。

邸 宅 内 の 活 動

靴の製作者らに米を支給した木簡

16

(表)

須 保 弖 一 人 沓 縫 一 人 革 油 高 家 一 人 o

〔 帳 内 ヵ 〕 十 一 月 四 日

(裏)

□ □ 一 人 米 七 升 受 綾 万 呂 石 角 o

四人にあわせて米七升を支給した際の伝票木簡。うち一人は

「沓縫」とあり、邸内で靴の縫製を行っていたことがわかる。「革 油高家」は不明だが、革のつや出しなどに関わるか。木簡の下部

には穿孔があることから、そこに紐などを通して、同様の木簡を

束ねて管理していたことがわかる。

土器作りに従事した女性に米を支給する際の伝票木簡

17

(表)

o 土 師 女 三 人 瓮 造 女 二 人 雇 人 二 〔 大 嶋 ヵ 〕

(裏)

o 受 曽 女 九 月 六 日 三 事 □ □

土器作りに従事した女性(土師女)に米を支給する際の伝票木

簡。「瓮」は、球形に近い胴部と強く外反する口縁部からなる煮

炊具。「雇人」は雇用人のこと。

長屋王家で出土した土師器には、形態や技法上の特徴などから、

特定の集団が集中的に製作した一群が含まれ、木簡に見える土師

女たちが製作した可能性が高い。

カギの管理にあたった少子の木簡

18

〔 大 夫 ヵ 〕

(表)

鎰 取 少 子 「 □ □ 」 「 地 地 天 而 為 」 ( 重 ね 書 き )

〔 綾 綾 綾 ヵ 〕

(裏)

□ □ □ □ 給 被

(4)

少子は貴人に使える年少

者。鎰取少子は鎰を管理す

る少子。習書が多く、木簡

本来の利用目的は不明。

鎰は鑰の俗字で、一般に、

閂を外すためのくるるカ

ギをいう。「鎰」字は、中国

には存在せず、朝鮮半島・

日本でのみ知られる文字で、

日韓の漢字文化の様相を示

す文字とされている。

仏像製作者に米を支給した木簡

19

(表)

仏 造 帳 内 一 人 米 一 升 廝 一 人 米 二 o

万 呂

(裏)

升 受 仕 丁 粳 麻 呂 八 月 十 日 o 書 吏

仏像の製作にあたった帳内と廝に米を支給した際の木簡。

受け取ったのは仕丁の粳麻呂。帳内は、親王・内親王に付けら

れた従者(トネリ)。仕丁・廝は全国から徴発されて、都で働く

人。仕丁は実際に働く人で、廝はその食事の用意などにあたるた

めの人とされるが、実際には同じように働いていたらしい。この

木簡では、廝が実際に働き、むしろ仕丁がその食料調達に関わっ

ている。 長屋王邸で仏像の製作が行われていたと考えられる。長屋王家

の盛んな宗教活動・仏教との関わりを示す資料といえよう。

なお、長屋王の従者は本来「資人」(一般皇族の従者)と書か

れるべきだが、長屋王家木簡には資人はほとんど登場せず、帳内

ばかりである。

長屋王邸宛に食料調達を依頼する文書木簡

20

二 (

) o 移 奈 良 務 所 専 大 物 皇 子 右 処 月 料 物 及 王 子 等

(

) o 公 料 米 進 出 五 月 九 日 少 書 吏 置 始 国 足 附 紙 師 等 家 令 家 扶

「奈良務所」は調査地の左京三条二坊におかれた家政機関であ

り、京外におかれた長屋王の別の邸宅(平城遷都後まもない時期

であることを考えると、おそらくは飛鳥の地)の家政機関から送

られた米の請求状。移は令制下の文書様式の一つで、同格の官司

間で用いられた。ここでは、「専大物」は長屋王(の食料)、「皇

子」は吉備内親王を指し、「二処(=両名)」の月料と王子らの

公料米の請求を、おそらくは奈良の邸宅へ向かう者に託して送

ったのであろう。長屋王一家が調査地とは別の場所に出かけてい

たこととともに、調査地にあった家政機関が長屋王家全体の食料

管理を担当していたことを示す。家政機関の役人である家令(次

官)・家扶(第三等官)とともに、直接に担当した少書吏(第四

等官)である置始国足の名がみえる。

(5)

長 屋 王 の 領 地

観世音寺からの領収書木簡

31

(表)

観 世 音 寺 蔵 唯 那 等 申 給 遣 三 種 物 o

(裏)

者 具 受 治 在 四 月 十 二 日 即 付 帳 内 川 瀬 造 o

観世音寺は平城京右京九条一坊十二坪周辺にあった寺院。長屋

王邸と同笵の瓦が出土しており、長屋王との密接な関係が想定

されている。本木簡は観世音寺が長屋王の家政機関から三種の物

品を受け取った返抄(領収書)であろう。

唯那は維那に通じ、また蔵と都にはともにたくわえるの意があ

る。したがって、蔵唯那は都維那に通じ、観世音寺の三綱に相

当する僧の役職名の可能性が高い。

仏教徒・長屋王の活動の片鱗がうかがわれ、また長屋王家の財

力の広がりを感じさせる。

山背の所領からの大根などの送り状

32

大 根 四 束 遣 諸 月

(表)

山 背 薗 司 進 上 交 菜 二 斗

(裏)

和 銅 七 年 十 二 月 四 日 大 人

山背薗から大根などを進上した際の進上状。大根の「根」字

は、人偏に艮となっている。交菜は「種々交菜」と書かれた木簡

もあるので、数種類の菜っ葉を混ぜたものであろう。日付の下に

署名する大人は、ほかの木簡に山辺大人とみえる人物。和銅七

年は七一四年。旧暦十二月の真冬の日付で大根を貢進する、季節

感にあふれた木簡である。

山背は、『和名類聚抄』の河内国石川郡山代郷(現在の大阪

府南河内郡河南町)付近に比定される。

阿波国からの鹿の荷札

33

〔 鹿 薦 ヵ 〕北 阿 波 国 贄

阿波国(現在の徳島県)からの贄の荷札。現状では墨痕はき

わめて不明瞭であるが、おそらく「鹿薦」は「鹿薦纏」と思わ

れる。贄とあるため、食用品であることは間違いないが、詳細

は不明。鹿肉を薦(マコモやワラであらく織った筵)でくるん

だものであろうか。

同じ遺構からは、「阿波国贄猪薦纏」と書かれた荷札も出土し

ている(城二七

二一上)。

(6)

伊勢からの海藻などの送り状 34

)(表

□ 海 藻 十 □ 斤 交 滑 海 藻 三 百 村 易 司 進 」 税 勢 伊 「 〕 ヵ 四 〔

〔 二 ヵ 〕

(裏)

□ 銭 五 十 三 文 遺 布 六 常 和 銅 七 年 六 月 廿 □ 日 □ □ 連 大 田

伊勢国(現在の三重県)からの海藻類の進上状。「海藻」は

現在のワカメに、「滑海藻」は現在のアラメにあたる。裏面の

「常」は布の単位で、布一常は、長さ一丈三尺(約三・八m)、

推定幅二尺四寸(約七一㎝)。和銅七年は七一四年。

長屋王家は、奈良盆地の西の港には「津税使(、Ⅲ期展

42

示)」、東の港には伊勢税司を配し、東西の流通拠点を押さえ

ていた。

丹波国より送られた腊の荷札

35

(マヽ)

交 易 贄 一 斗 五 升 丹 波 国 何 鹿 高 津 里 持 丁 高 津 公 石 寸

丹波国何鹿郡高津里(現在の京都府綾部市高津町・福知山市観

音寺付近)より送られた贄(神への供物や共同体の首長への貢納

物を起源とする税目の一種)の荷札で、品目は腊。腊は干物や

乾肉のことで、各種の魚肉や鹿のような獣肉などさまざまなもの があるが、この木簡からは原材料はわからない。一斗五升は、現

在の六升七合五分程度に相当。交易(=市などでの購入)により

調達されたことが記されており、「持丁」高津公石寸はその運搬

者である。里名と同じウジ名と「公」のカバネをもつ石寸は、現

地の有力者と推定される。このことは交易による贄の調達にも現

地の有力者が関与していたことをうかがわせ、この木簡は、長屋

王の実力を物語るものともいえるだろう。

長 屋 王 邸 そ の 後

長門国からの地子米の荷札

46

厚 狭 郡 地 子 米 五 斗

地子米に付けられた荷札。「厚狭郡」は、『和名類聚抄』の長門

国厚狭郡(現在の山口県山陽小野田市・宇部市付近)にあたる。

五斗は現在の二斗二升五合ほどで、約三四㎏。

地子とは、諸国で口分田を班給した後に余った田地を百姓(農

民)に貸し付け、その対価として納められた米のことを指す。諸

国で徴収された地子は基本的に都の太政官厨家に納入され、役

人の常食(給食)などに充てられた。

は、左京三条二坊一坪が、長屋王邸でなくなってからの井戸

46

から出土した。共伴土器のなかに「官厨」と記された墨書土器

が存することなどとあわせて、奈良時代後半にはこの地は太政官

厨家となっていたと見なす説が有力である。

(7)

【 木 簡 が 見 つ か っ た 遺 構 】

S E 4 8 8 5

(展示番号)一九八八年

46

天平元年(七二九)まで長屋王邸の一角だった平城京左京三条二坊一

坪の南辺で検出した井戸。縦板組み・隅柱横桟どめの方形井戸で、約七

五㎝四方、深さは二・九mほど。木簡は、井戸枠内の埋土から一点、井

戸の据付掘方から一点出土した。井戸枠内の埋土からともに出土した

土器は、奈良時代半ばから後半にかけての時期に属する。一坪に太政

官厨家の存在が想定されている時期の遺構である。

S D 4 7 5 0

(展示番号

、、、、、、、

16 17 18 19 20 31

、、、)一九八八・八九年

32 33 34 35

平城京左京三条二坊一・二・七・八坪で見つかった左大臣長屋王の邸

宅のうち、八坪東南隅に東面築地塀の内側に沿って掘られた南北溝状の

ゴミ捨て土坑。幅三m、深さ一m。総延長は約二七・三m。平城遷都か

らまもない時期の、貴族の家政機関の資料という他に類例のない木簡が

出土した。長屋王が式部卿を務めていた霊亀二年(七一六)後半の、

邸内における米支給の伝票木簡を主体とする。木簡は、約三万五千点(う

ち削屑約二万九千点)が出土した。(奈良文化財研究所史料研究室)

長屋王邸の遺構

長屋王邸の位置図

(8)

【 木 簡 の 型 式 分 類 と そ の 説 明 】

〇一一型式長方形の材のもの

〇一五型式長方形の材の側面に穴を穿ったもの

〇一九型式一端が方頭で他端は折損・腐蝕で原形が失われたもの

〇二一型式小型矩形のもの

〇二二型式小型矩形の材の一端を圭頭にしたもの

〇三一型式長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたもの方頭・圭頭など種々の作り方がある

〇三二型式長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたもの

〇三三型式長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ、他端を尖らせたもの

〇三九型式長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが、他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの

〇四一型式長方形の材の一端の左右を削り、羽子板の柄状に作ったもの

〇四三型式長方形の材の一端を羽子板の柄状に作り、残りの部分の左右に切り込みをいれたもの

〇四九型式長方形の材の一端を羽子板の柄状にしているが、他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの

〇五一型式長方形の材の一端を尖らせたもの

〇五九型式長方形の材の一端を尖らせているが、他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの

〇六一型式用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの

〇六五型式用途未詳の木製品に墨書のあるもの

〇八一型式折損、腐蝕その他によって原形の判明しないもの

〇九一型式削屑

参照

関連したドキュメント

青面金剛種子庚申待供養塔 有形文化財 歴史資料 平成3年7月4日 石造青面金剛立像 有形文化財 歴史資料 平成3年7月4日

十条冨士塚 附 石造物 有形民俗文化財 ― 平成3年11月11日 浮間村黒田家文書 有形文化財 古 文 書 平成4年3月11日 瀧野川村芦川家文書 有形文化財 古

「美を科学する」巡回展 日本財団助成事業 提供:

に文化庁が策定した「文化財活用・理解促進戦略プログラム 2020 」では、文化財を貴重 な地域・観光資源として活用するための取組みとして、平成 32

訪日代表団 団長 団長 団長 団長 佳木斯大学外国語学院 佳木斯大学外国語学院 佳木斯大学外国語学院 佳木斯大学外国語学院 院長 院長 院長 院長 張 張 張 張

彩度(P.100) 色の鮮やかさを 0 から 14 程度までの数値で表したもの。色味の

重点経営方針は、働く環境づくり 地域福祉 家族支援 財務の安定 を掲げ、社会福

進展メカニズム の理解に重要な (優先順位が高い)