藤原宮 ・京 の調査
北 京 極 大 路
(一 条)
一 条 大 路
(二 条)
二 条 大 路
(三 条)
三 条 大 路
(四条)
四 条 大 路
(五 条)
五 条 大 路
(六 条)
六 条 大 路
(七 条 〉
七 条 大 路
(八条)
八 条 大 路
(九 条)
九 条 大 路
(十 条)
十 条 大 路
(十一条)
十一 条大路
(十二 条)
南 京III大路 東
京 極 大 路
︵左 京 四 坊
︶ 束 二 妨 大 路
︵左 京 三 坊
︶ 束 二 坊 大 路
︵左 京 二 坊
︶ 束 一坊 大 路
︵左 京 一坊
︶ 朱 雀 大 路
︵有 京 一妨
︶ 西 一妨 大 路
︵右 京 二 坊
︶ 西 二 妨 大 路
︵右 京 三 坊
︶ 西 三 妨 大 路
︵右 京 四 坊
︶ 西 京 極 大 路
第 1図 藤原京内調査位置図 (1:20000,条坊 は模 式図)
□ 口
□
□
□
□
□ □
□ □ 団 団
□ □
□ □
□ □
□ □
□ □
□ □
□
□
□ □
□
□ □
□
□
□
□ □
田田 田田 田田 田田
剛剛 □ □ □ □ □ □ □ □ 目 ∃ 目 裂 橿 目 目 田 田 目 盟謡 2田 田 □問
□□ □□
本薬F市寺 お﹄阿
45‑
□□□□□□□□
□□□□□□□□
圏 田田圏目 圏目 雪田 目田目田冨
□□□□□□□□□□□□□□□□
‑4‑
左 京 六 条 三 坊 の調 査 (第
45次
・46次
)(1985年 4月 〜 9月 , 1985年 8月 〜1986年 1月 )
この 調 査 は,奈良 国 立 文 化 財 研 究 所 飛 鳥 藤 原 宮 跡 発 掘 調 査 部 の 新 庁 舎 建 設 予 定 地 に お いて 行 な った もの で あ る。 調 査 地 は香 久 山 の 西,畝尾 都 多 本 神 社 の 南 で 藤 原 京 左 京 六 条 三 坊 東 北 坪 。東 南 坪 に あ た って い る。 調 査 は ま ず,第45次調
査 と して
,予
定 地 の遺構 状 況 を把握 す る ことを主 な 目的 と した調 査 を行 な った。その 後 ひ き続 い て,第45次調 査 の成 果 を も とに,第46次調 査 と して,六条 三 坊
東 南 坪 の 西 半 部 を 中心 に調 査 を実 施 した。 さ らに続 いて,第47次調 査 と して 六
条 三 坊 東 北 坪 の 西 半 部 の 調 査 を行 な った。
3次
に わ た る調 査 の 総 面 積 は 11,875 だで あ る。 な お 第47次調 査 は3月 末 現 在,継続 中 で あ り,今回 は第45次・46次の調 査 結 果 につ い て 報 告 す る。
a.藤
原 宮 第45次 調 査第
や椎
45次調 査 は新 庁 舎 建 設 予 定 地 の 全 域 に つ い て,遺構 の 有 無 とそ の 残 存 状 況杵 恥
0 100m
を把 握 す る こ とを 目的 と し
,幅 6mで
東 西 トレ ンチ3本 (I・ Ⅱ oⅣ トレ ン チ),南
北 トレ ンチ1本 (Ⅲ トレ ンチ)を
設 定 した。 総 延 長 は330mに 及 ん だ。調 査 の結 果
,地
盤 の 高 い西 南 部 の平 坦 面 で は遺 構 の遺 存 状 態 が 良 好 で,藤原京 の掘 立 柱 建 物
2棟
,掘立 柱 塀 1条お よ び東 三 坊 坊 間 路 な どを確 認 した。 これ に対 して東 半 部 は香 久 山 の 西 裾 に 向 って緩 や か に傾 斜 して お り,比較 的遺 構 の 密 度 が薄 い こ とが 確 認 され たが,東北 部 で 条 坊 推 定 位 置 とは異 な る藤 原 京 の 大 溝 が検 出 され た。 西 南 部 の 本 格 的 な調 査 は次 に予 定 して い た第46次調 査 に委 ね る こと と し,敷地 東 北 部 の 藤 原 京 左 京 六 条 三 坊 の 東 北 坪 東 半 部 を 中心 と して 調 査 区 を拡 張 した。 調 査 面 積 は延 べ3,410だで あ る。 以 下,第46次調 査 区 内 に 吸 収 され た約500だ (Ⅱ トレ ンチ 西 半 お よ び Ⅳ トレ ンチ)を
除 き,敷地 東 半 部 の調 査 結 果 につ いて 述 べ る。
調 査 地 区 は西 か ら東 に 向 って 緩 や か に傾 斜 し,堆積 上 の 層 序 は基 本 的 に上 層 か ら耕 土 。床 土・ 灰 褐 色 土 。茶 褐 色 砂 質 土・ 黄 褐 色 粘 質 上 の 順 で あ り,灰褐 色
上 に は 中世 の 遺 物 を 含 む。 遺 構 の 大 部 分 は弥 生 時 代 の 遺 物 を含 む 茶 褐 色 砂 質 土 層 の上 面 で検 出 した。 拡 張 した 中央 区 の 西 辺 で は遺 物 は含 ま な い黄 褐 色 粘 質 土 の上 面 で 検 出 した 。
遺 構
検 出 した遺 構 に は掘 立 柱 建 物,掘立 柱 塀,素掘 溝 な どが あ り, これ らは藤 原 京 の遺 構
, 7世
紀 代 の 遺 構,中世 の 遺 構 が 主 で あ る。1.藤
原 京 の 遺 構藤 原 京 の遺 構 に は掘 立 柱 建 物
2,掘
立 柱 塀5,素
掘 溝4,自
然 河 川 1な どが あ る。S D 4130〜 4132は 調 査 区 内で 合流 す る素 掘 溝 で あ る。
S D 4130は 中央 区 ほ ば中央 に位 置 す る東 西 大 溝 で あ る。 東 流 して,東で や や
南 に振 れ て い る。 Iト レ ンチ 東 部 は遺 構 面 が深 く削 平 され て い るた め,大溝 東
端 部 は わず か に溝 底 部 を 留 め る にす ぎ な い。 地 山 の 高 い西 端 で の 溝 の 規 模 は 幅
4.5m,深 さ
1.5mで
あ った 。 堆 積 層 は下 か ら暗 褐 色 バ ラス・ 灰 褐 色 砂 質 土・ 茶 褐 色 砂質 土 に 分 かれ る。 東 半 部 で は大 量 の 砂 が 一 時 に埋 ま り, この 砂 中 か ら‑6‑
Y18750
│
Y16700
│
N ▲ ユ エ E 凩
SA4174
SA4170
SB4333
SD4132 S04138 SD4137
SA4110
第45次調 査 区
――――――X166950
― X167000 SD4136
Ⅲ ト レ ンチ
第
46次
調 査区SD4302 so4301
SB4236
SE4
S042261
4 中
│
4372 SB4233 SA4343
,SK4865 S04285
SA4282 4280
Ⅱ ト レ ンチ
│
SA莉
声∵ ° 。
中 央 トレ ンチ。
持 半240 0o中
ウ =r。 。 ∪
: SE4031
SA4283A B
SD4225
藤 原 宮 期 か ら奈 良 時 代 の上 器 が 出土 した。 「 美 濃 」 の 刻 印 の須 恵 器 もあ る (第 6図
5)。
S D4131は 南 か ら東 西 大 溝 S D 4130に 合 流 す る南 北 大 溝 で,北
で東 に振 れ る。 中央 区 南 辺 部 は遺 構 面 が 削 平 され て お り,南端 は底 部 が わ ず か に 残 る。 北 端 の 東 西 大 溝 へ の 合 流 部 付 近 で 幅2.5m,深さ0.8mで あ る。 東 西 大 溝 と同 時 期 の 開 削 と考 え られ る が,堆積 上 の 重 複 関 係 が あ り
,奈
良 時 代 以 前 に 廃 絶 して い た こ とが 分 る。 S D 4132は東 西 大 溝 S D 4130の南 約 1l mを 流 れ る 東 西 溝 で, S D 4130と は逆 に 西 流 し南 北 大 溝 S D 4131に注 ぐ。 幅 1〜 1.5m, 深 さ0.6mと
比 較 的 小 規 模 で あ り,堆積 層 に 藤 原 宮 期 の 瓦 や 土 師 器 片 を 含 む。S D4131と 同 時 に廃 絶 した と み られ る。
S X 4133は 南 北 大 溝S D4131の 護 岸 施 設 で, 2条の 東 西 溝 S D 4130お よ び S D4132に 狭 ま れ た 間 に の み構 え て い る。 溝 の 法 面 下 半 部 を垂 直 に切 り落 と し,
これ に横 板 を 当て て 内側 に杭 を 打 ち 込 ん だ もの で あ る。 横 板 の 最 大 残 存 長 は 2.3mに及ぶ。杭 は腐蝕 して残 らな い が,径 5〜 10cmほ どの 杭 痕 跡 を確 認 した。
S X 4134は 南 北 大 溝S D4131の 両 肩 に あ る
4つ
の 掘 形 で,掘形 の 間 隔 は 南 北6.2m,東西
2.4mで
あ る。 溝 の 振 れ に沿 って 平 面 は菱 形 に ゆ が ん で い る 。 護 岸 施 設 S X 4133の 上 部 に 懸 か る橋 の橋 脚 と考 え られ,東
西 溝 S D 4130と S D 4132 の 間 は道 路 と考 え られ る。自然 河 川 S D 4143は Iト レ ンチ お よ び Ⅱ トレ ンチ の 東 辺 で 西 肩 を 検 出 した。
幅 は
19m分
を確 認 した が,調査 区外 の 東 方 に の び る。 香 久 山 の 西 麓 に接 して 北 流 し,幅25mほ どの規模 と推 定 で きる。湧 水 が 著 し く,深
さ は未 確 認 で あ るが,肩 か ら下1.5mま で 中世 の遺 物 を含 む青 灰 色 粘 上 が 堆 積 して お り,そ の 下 に 須
恵 器 小 片 を含 む 砂 礫 層 を確 認 した。 この 河 川 が 藤 原 京 の 時 期 あ る い は そ れ 以 前 か らあ る とす れ ば,東流 す る大 溝S D4130の 落 口 と した と も考 え られ る。
S D4100は Ⅲ トレ ンチ南 で 検 出 した南 北 小 溝 で あ り,やや 蛇 行 しな が ら北 流 し,北で 東 に振 れ る。
S A4170〜4174は 中央 区西辺 で検 出 した掘 立 柱 塀 で あ る。 南 北 塀S A4172は ,
6間
分 (12.6m)を確 認 し,柱間 寸 法 は2.lm(7尺 )等
間 で あ る。 掘 形 に は 炭 化 物 を 含 み,柱痕 跡 は 明 瞭 で な い。 北 は調 査 区 外 に続 くが,南端 は東 西 大 溝‑9‑
S D4130の 北 岸 で 途 絶 え,大溝 と並 存 した遺 構 と考 え られ る。 南 北 塀S A4170 はS A4172と 柱 筋 を揃 えて 重 複 す る。 S A4172よ り新 しい が,大溝 以 南 に も延
び14間 分
(29m)を
確 認 した 。 柱 間 はや は り2.lm(7尺 )等
間 で あ る が,大溝 を 族 む
3間
分 を 欠 く。 南 端 に は東 西 塀 S A4171が 西 か ら取 り付 く。 S A4171 は2間分 を確 認 し,柱間 寸 法 は約2.4m(8尺 )で
あ る。S A4173は , S A 4170 の 西 約lmに
位 置 す る5間 (10.4m)の 南 北 塀 で あ る。 柱 は2.lm(7尺 )等
間 で 並 ぶ が 大 溝 に あ た る部 分 の
3間
分 を 欠 く。 掘 形 はS A4170と 重 複 し,これ よ り古 いが,S A 4172と は 柱 筋 が ず れ,掘形 埋 土 も異 な る 。 南 端 に は 西 か ら東 西 塀S A4174が 接 続 し, 2間 分
(4.2m)を
確 認 した 。 S A 4173・ 4174と もに柱 穴 の一 部 に拳 大 の 石 が 残 り,柱抜 取 後 に投 棄 され た もの と思 わ れ る。S B 4175は 中央 区 西 北 隅 で 検 出 した 南 北 に並 ぶ
3個
の 柱 掘 形 で,東西 棟 建 物 の 東妻 柱 と考 え られ る。 梁 行 は南 北 塀 S A4170の 3間分 と柱 筋 を揃 え,埋
土 もこれ らに類 似 す る。S B4140は 中央 区東 北 隅 で 検 出 した 南 北 棟 建 物 で
,弥
生 時 代 の 遺 物 を含 む 厚 い 整 地 層 の 上 に 造 営 され て お り,中央 区 の 中 で もや や 小 高 い場所 に位 置す る,桁行 4間 (5。3m),梁
行 3間 (4.9m)で ,北面 の 西 妻 柱 を 欠 く。 内 部 の 掘 形 は い ず れ も小 振 りで 浅 い こ とか ら間 仕 切 りが あ った と考 え ら れ る。その他,藤原京 の時期 もし くはそれ 以 降 の 遺 構 と して 東 西 溝S D4119。 4129・
4139・
4179,南
北 溝S D 4135が あ る。 東 西 溝 S D4119・ 4129・ 4139は ,い ず れも南 北 大 溝 S D 4131よ り新 しいが,S D4129か らは飛 鳥 Ⅱ〜 Ⅲ段 階 の 土 器 片 が 出上 して い る。 S D 4179に は飛 鳥 Ⅱ段 階 の上 器 片 を 含 む。 出土 遺 物 か らは 遺 構 の 年 代 が 明 らか で な く,溝の 性 格 につ い て は西 延 長 部 に予 定 して い る第47次調 査 の成 果 を待 ち た い 。
南 北 溝 S D 4135は 東 西 溝 S D 4119お よ び S D 4139よ り さ らに 新 し く
, SD
4139以 北 で は確 認 で きな か っ た 。埋 土 に は藤 原 宮 期 を含 む7世紀 後 半 の 遺 物 を 含 み,土師 器 壷Aお よ び土 師 器 大 盤 各
1が
出上 して い る。2.7世
紀 代 の 遺 構藤 原 京 以 前 と考 え られ る遺 構 に は掘 立 柱 塀S A4110・ 4111があ る。
S A4110は 中央 区 東 南 部 に位 置 す る南 北 塀 で 10間 分
(20.5m)を
確 認 した。北 で 東 に振 れ る。 S A4111は S A4110の 北 端 か ら直 角 に東 に 折 れ る塀 で
,東
西5間
(9.2m)で
あ る。S A4110 0 4111と もに 掘 形 は 隅 丸 方 形 で,柱
間 は や や不 揃 い で あ る。
な お,方位 の 振 れ だ よ び掘 形 の 形 状 が 類 似 す る遺 構 に掘 立 柱 建 物S B 4150が あ る。 桁 行 2間 ,梁行 1間 と小 規 模 な建 物 で, S B 4140と重 な るが,掘形 に 重
複 関 係 は な く,年代 が 降 る可 能 性 も残 る。
S B4140の 西 側 に は 土 坑 S K4160 0 4161が あ る。 S K 4160は 径1.5mほ ど の 浅 い土 坑 で, 7世紀 中葉 の 大 型 の 丸・ 平 瓦 が 一 括 投 棄 され た 瓦 溜 りで あ る。S K4161は S K4160と 同 様 の 瓦 を少 量 含 む。 藤 原 京 も し くは そ れ 以 前 の 遺 構 で あ る。
3。 中世 の 遺 構
中世 の主 な 遺 構 に は井 戸
1,掘
立 柱 塀2,素
掘 溝4があ る。S E 4031は
,Iト
レ ンチ 東 辺 で検 出 した 円形 石 組 井 戸 で,径
約3m,深
さ3mの 円形 掘 形 を 有 す る。 石 組 は人 頭 大 の 自然 石 を 積 み 上 げ た もの で,上部 が 取
り壊 され て お り高 さ約
2m分
が 残 る。 底 で の 径 は 約0。7mで あ る 。 井 戸 底 に は 径0.4m,高さ0,3mの曲物1段
を裾 え て い る。 井 戸 内 か らは12〜13世 紀 の 上 器 が 出土 した 。S A4121は S D4130の 南 約
3mに
位 置 す る東 西 塀 で, 9間分(19m)を
確 認 した。 柱 間寸 法 はや や 不 揃 い だ が 平 均2.lm(7尺 )で
あ る。 東 で 南 に 振 れ る。S A4120は南 北
3間
(6.3m)の掘 立 柱 塀 で 北 で 東 に振 れ る。 北 延 長 線 はS A41
21の西端 に延 び て これ と直 交 す る位 置 に あ る。 円形 掘 形 を有 す る こ とや 柱 間 寸 法 な どがS A4121と 類 似 す る。
S D4136は 中央 区 東 南 部 に あ る南 北 溝 で 幅
0,6m,深
さ0。2〜0.3mで あ る。北 で 東 に 曲 が り
,東
西 溝 S D 4137に 接 続 す る 。 S D 4138は S D 4137の 北 約 1m隔て る東 西溝 で,幅 0.6m,深 さ0.2〜0.3mで あ る 。 西 で 北 に 曲 が り南 北 溝 S D4141に 接 続 す る。S D4141は 南 北 溝 S D4136の 北 延 長 線 上 に 位 置 し
,溝
内か らは 瓦器 が 出上 して い る。
‑11‑
ま とめ
新 庁 舎 建 設 予 定 地 は藤 原 京 左 京 六 条 三 坊 の 東 北 坪 お よ び 東 南 坪 に 当 た るが, 第45次調 査 の 結 果,両坪 の 東 半 部 に 関 して は藤 原 京 条 坊 を 示 す 遺 構 が 極 め て 稀 薄 で あ っ た。 東 三 坊 大 路 推 定 位 置 に あ た る香 久 山 西 麓 に は 幅
25mに
及 ぶ と推 定 され る 自然 河 川 が あ り,藤原 京 の 時 期 も し くは そ れ 以 前 か ら存 在 して い た可 能 性 も考 え られ る。 ま た,東南 坪 と東 北 坪 の 坪 境 小 路 (六 条 条 間 路)想
定 位 置 には条 坊 関 連 遺 構 が 認 め られ な か った。 や や 起 伏 の あ る地 形 が 広 が って お り,京
の条 坊 とは関係 な く浅 い谷 筋 を東 西 大 溝S D4130,南北 大 溝 S D 4131な どが 流 れ て い る。 発 掘 区 内 で もや や 小 高 い 中央 区 東 北 隅 に は建 物
1棟
が 存 在 す るが,全 体 に遺 構 密 度 は薄 く,明確 な 京 内 の 宅 地 割 りの 状 況 は検 出 され な か った。 中 央 区 西 辺,坪の ほ ぼ東 西 心 近 くに は南 北 塀 が あ って建 て 替 え も行 な わ れ,塀以
西 に は建 物 の 一 部 も確 認 され る な ど,坪の 西 半 部 は東 半 部 とは異 な った様 相 が 窺 わ れ,第47次調 査 の成 果 を待 ち た い。
b.藤
原 宮 第46次調 査第46次調 査 は,第45次調 査 の 東 西 トレ ンチ
2条
に重 複 す る敷 地 予 定 地 の 西 南 部 に発 掘 区 を設 け,東西80m,南 北100mの範 囲 を 調 査 した 。 調 査 面 積 は5,965だで あ る。
調 査 区 の 基 本 的 層 序 は,耕土 と床 上 の 下 に灰 褐 色 土 が 全 面 的 に堆 積 す るが 灰 褐 色 土 下 の層 序 は調 査 区 が 広 い た め 所 に よ り異 な る。 西 南 部 と東 南 隅 で は灰 褐 色 土 直 下 が 黄 褐 色 粘 土 系 の 地 山 とな り,その 上 面 で 遺 構 を検 出 した。 北 半 は灰 褐 色 土 が 厚 く,その 下 の黄 褐 色 な い し灰 褐 色 砂 質 上 が地 山 とな り,西北 隅 は 暗
褐 色 砂 礫 土 が 地 山 とな る。 この他 に調 査 区 東 半 を 蛇 行 して 流 れ る古 墳 時 代 の 自 然 河 川S D4225と ,調査 区 西 端 を か す めて 北 流 す る S D 4226が あ り, この 部 分 で は そ の 上 層 を なす 灰 色 砂 上 面 で 遺 構 を検 出 した 。
遺 構
今 回 の調 査 区 は多 数 の 柱 穴・ 小 穴・ 土 坑・ 溝 な どが 重 複 して お り,出土 遺 物
も縄 文 時 代 か ら鎌 倉 時 代 まで 長 期 に わ た る た め,正確 な建 物 の 棟 数 や,それ ぞ
れ の 所 属 時 期 に つ い て は な お今 後 の 検 討 を必 要 と して い る。 こ こで は 比 較 的 ま と ま り もあ り,時期 もほ ぼ確 定 で き る もの を 中心 に報 告 す る。 主 な 遺 構 は掘 立 柱 建 物54,掘立 柱 塀19,素掘 溝10,井戸16,土坑 38な どで あ る。 これ らの 遺 構 は藤 原 京 の遺 構 と,そ れ に 先 行 す る古 墳 時 代 と7世紀 代 の 遺 構,京廃 絶 後 の 奈 良 時 代,平安 時 代 中期,平安 時 代 後 期 か ら鎌 倉 時 代 に か けて の 各 時 期 の 遺 構 に 大 別 で き る。 な お この他 に 水 田耕 作 に伴 う縦 横 に掘 られ た 多 数 の 小 溝 が あ る。
な か に は平 安 時 代 に遡 る例 もあ るが,今回 は 図 示・ 記 述 を省 略 す る。
1.藤
原 京 の 遺 構調 査 区 は藤 原 京 の 条 坊 復 原 に従 え ば,左京 六 条 三 坊 の 東 南 坪 と西 南 坪 に ま た が る。 調 査 の 結 果,藤原 京 の 遺 構 は重 複 関 係 か ら大 き くA・
B2期
に 分 か れ る こ とが 判 明 した。A期の遺 構 に は道 路 遺 構1,掘
立 柱 建 物2,掘
立 柱 塀5,素
掘 溝
3が
あ り,B期
の 遣 構 に は掘 立 柱 建 物4,掘
立 柱 塀3が
あ る。<A期 >
調 査 区 西 寄 りで,左京 六 条 三 坊 を東 西 に 分 か つ 坊 間 路 S F 4300と 両 側 溝 を推 定 位 置 の や や 西 寄 りで 検 出 した。 S F 4300は 路 面 幅6.4mで 55m分を確認 した。 東 側 溝 S D 4301は 幅 が0。8〜
1.3m,深
さ は 南 側 は 浅 く0.3m,東
西 溝 S D4285と の 合 流 点 以 北 は深 く0.6mであ る。 西 側 溝 S D 4302は一 部 が 削 平 さ れて い るが 幅が0.6〜1.lm,深さ は南 側 が 浅 く0。lm,北
半 は深 く0.4mで あ る。両 側 溝 間 の 心 心 距 離 は測 定 位 置 に よ って 若 干 差 が あ るが
, 7〜 7.5mと
な る。西 側 溝S D 4302の西 約
5mの
位 置 で,西南 坪 の 東 を 限 る 南 北 塀 S A 4283 A を確 認 した。 S A4283 Aは 14間 分 を検 出 した が,さ らに南 北 に延 び る と思 わ れ る。一 方,東南 坪 は西 を 限 る南 北 塀S A4282と ,東を 限 る南 北 塀 S A 4280・ 4281 で 東 西 に三 分 され
,さ
らに この2つの 塀 に と りつ く東 西塀S A4284に よ って 南 北 に も三 分 され て い る こ とが 判 明 した。 西 限 の 南 北 塀S A4282は 東 側 溝S D43
01の東 約
2mに
位 置 す る。18間 分 を確 認 した が,北側 は削 平 され た た め か 検 出 で きず,ま た掘 形 も浅 く柱 痕 跡・ 抜 取 穴 と もに 明 瞭 で は な い。 このS A 4282から東 へ
45mの
位 置 に東 南 坪 を東 西 に三 分 す る南 北 塀 S A 4280・ 4281が あ る。 S‑13‑
時 期 遺 構 番 号 種 類 規 模
柱 間 寸 法
間 数 総 長
藤 原 京 A 期
SA4280 SA4281 SA4282 SA4283A SA4284 SB4290 SB4291
南北塀 南北塀 南北塀 南北塀 東西塀 南北棟 南北棟
桁行 梁行 24間 以上
9間以上 18間以上 14間以上 22間
3× 2 4
桁行 梁行 54れ 以上
226以上 38以上 325以上 45,3
63× 43 86× 33
桁行 梁行
平均225m 2.2‑29 21〜 22 2.0〜23 205
21 215 215 18 ・ 15 藤
原 京 B 期
SA4320 SB4330 SB4331 SB4332 SB4333
南北塀 南北棟 南北棟 南北棟 東西棟
28間以上 7× 2 7× 2
7× 2
7× 2
65.5以上 199× 62 199× 62 197× 62 199× 5,3
234 2.84 31 284 31 281 31
2.84 2.65
7
世 紀 代
SB4240 SB4241 SB4242 SB4243 SB4244 SB4245 SB4246 SB4247 SB4248
南北棟 南北棟 南北棟 南北棟 南北棟 南北棟 南北棟 南北棟 南北棟
4× 2
4× 2 5× 2
2× 2
2× 2
2× 2
3× 2
3× 2
3× 2
76× 34 84× 38
9.9 ×4.4 5,1× 45 45× 34 39× 3.2
48× 30
5.5× 31 7.2× 42
19 1 7
21 19 198 22 255 225 225 17 195 16
16 1 5
183 155
24 2.1
奈 良 時 代
SA4355 SA4356 SB4350 SB4351 SB4340
東西塀 南北塀 東西棟 東西棟 東西棟
10間 8間以上 6× 2南庇 5× 2
6× 3
36.5 29.5以上 121× 4.9, 22 1105× 3
156 × 6.9
35‑39
3.5〜 40 202 245 221 15 26 23
平安時代中期
SB4370 SB4371 SB4372 SB4373
東西棟 南北棟 南北棟 南北棟
9× 2器能 6× 3総柱 2× 2
5× 2
19 × 3,7, 12× 55 42× 41 105× 35
2‑22 1.7‑2 2 17〜 21 21 205 2.1 175
〜 鎌 倉 時 代 平安 時代 後節
SB4405 SB4420 SB4440
南北棟 東西棟 東西棟
5× 2 5× 2畿
雁 5× 2
106× 4
105× 36, 12× 39
2.12 2
21 18
2.4 195 第 1表 第46次調査主要遺構一覧表
A4280は調 査 区 南 端 か ら24間 分 を確 認 した が,掘形 は いず れ も浅 く柱 痕 跡 や 抜 取 穴 は検 出 して い な い。 S A4281は , S A 4280北 端 の 柱 穴 に重 複 す る掘 形 か ら 北 へ 延 びS A4280よ り新 しい。
9間
分 を確 認 し,いず れ も柱 痕 跡 が 残 る が,柱間 寸 法 は2.2〜
2.9mと
ば らつ きが 目立 つ 。 S A 4280と S A 4282に取 り付 く東 西塀 S A 4284は 22間 分 を検 出 し,そ の 北3.5mの
位 置 に幅0.6〜lm,深
さ0.2m
の 東 西 溝 S D 4285を伴 う。S A 4284は 東 南 坪 を 南 北 に三 分 す る線 上 よ りや や 北 に位 置 す るが,一応 東 南 坪 の 西 半 を 南 北 に 分 け る塀 と考 え て お き た い。 こ の S A 4284で 画 され た南 側 の 区 画 に は,桁行
3間
,梁行2間
の 南 北 棟S B4290 と,桁行4間
,異行2間
の 南 北 棟 S B 4291が 建 つ が,北の 区 画 で はA期の 遺 構 を確 認 して い な い 。この 他 に調 査 区北 端 の六 条 条 間路 推 定 位 置 付 近 で,その 南 側 溝 か と推 定 され る 幅0,8〜1.2m,深 さ
0.35mの
東 西 溝 S D4311を 検 出 して い る 。 し か し,その 位 置 は第
21‑2次
調 査 (概 報8)で
検 出 して い る南 側 溝 の 位 置 よ り約6m北
へ ず れ て お り,第
23‑2次
調 査 (概 報9)や
第45次調 査 で も両 側 溝 の 位 置 は 確 認 して い な い。 条 間 路 の有 無・ 位 置 につ いて は,第47次調 査 の 結 果 を ま って 検 討 した い 。<B期 > B期
は東 南 坪 西 半 の 利 用 状 況 が一 変 す る。A期の 南 北 塀 S A 4280・4281は 撤 去 され,東へ 約
10m区
画 を広 げて 南 北 塀 S A 4320が設 け られ る。SA
4320は 坊 間路 心 よ り約
60m東
に位 置 し,東南 坪 を ほ ぼ東 西 に三 分 す る 線 上 に位 置 す る。 さ らにA期の 東 西 塀 S A4284と 東 西 溝 S D 4285及 び 南 北 棟 S B 4290・4291は 廃 され,坪の 西 半 を一 体 と して 利 用 す る区画 が 新 設 され る。 区画 内 に は 大 規 模 な 南 北 棟 建 物
3棟
と,東西 棟 建 物1棟
を コの 字 形 に配 す る。 建 物 配 置 は 整 然 と した計 画 に基 づ くよ うで,南北 棟S B 4330・ 4331は 東 限 の 南 北 塀S A43
20か ら
9.8m西
を そ の 東 側 住 筋 と し,南北 棟S B 4332も 西 限 の 南 北 塀 S A 4282 か ら9.8m東を 西 側 柱 筋 とす る。 ま た 東 西 棟 S B 4333は ,南北 棟 S B 4332の西 側 柱 筋 に ほ ぼ西 妻 柱 筋 を揃 え て お り, S B 4330と S B 4331, S B 4332とS B43
33と の 距 離 は11.4〜 11.7mと近 似 した数 値 を示 す 。 な お,S B 4330・ 4331の 東 側 柱 筋 はA期の S A 4280の 位 置 を踏 襲 して お り
,A期
とB期の 配 置 計 画 に 密 接―‑ 15 ‑―
な関 係 が あ った こ とを 示 して い る。
B期の 掘 立 柱 建 物S B 4380・ 4331・ 4332は い ず れ も桁 行
7間 ,果
行2間
の 南北 棟 で,そ の 規 模 も きわ め て 近 似 して お り同一 規 格 に基 づ くと思 わ れ る。 た だ し,S B 4330と4331は 柱 穴 が 比 較 的 浅 いの に対 し,S B 4332は 柱 穴 も ひ と ま わ り大 き くか つ 深 い とい う施 工 上 の 違 いが認 め られ る。 S B 4333は 桁 行 の 長 さ は 以 上 の
3棟
とほ ぼ 同 じで あ るが,梁行 が 狭 くそ の規 格 を異 に して い る。 な おSB4330。 4331・ 4333は ,いず れ も妻 柱 柱 穴 が きわ め て 浅 い と い う特 徴 が あ る。
この 他 検 出 さ れ た 遺 構 に ,大 土 坑 S K 4335。 S K 4325と 井 戸S E4335がある。
S K4325は長径
7m,短
径5,5mの大 規 模 な 土 坑 で,深 さ は平 均0.6mであ るが,一 部 井 戸 状 に深 くな る所 で は1.6mと な る。 底 か らチ ョ ウ ナ の 削 り屑 や 木 片 が 出上 して い るの で
,B期
建 物 建 設 時 の ゴ ミ捨 て 穴 と考 え られ る が,上
層 は7世 紀 中葉 の 瓦 を含 む 山 上 で 埋 め 戻 して い る。 S E 4335は
,こ
の S K 4325埋め 戻し後 に掘 られ た井 戸 で あ る。径1.lm,深さ1.7mの 掘 形 底 に長 径50cmの小 判 形 の 曲物 を埋 設 し
,そ
の外側 に長 さ1。lm以
上,幅20cmほ どの縦 板 材 8枚を つ きあ わ せ なが ら組 ん だ簡素 な構 造 で あ る。井 戸 内か ら藤 原 宮 期 の上 器 が 出土 して お り,B期の 建 物 群 に伴 う井 戸 と考 え られ る。 な お 西 南 坪 の 東 限 南 北 塀 は 同 位 置 で 柱 位 置 を ず ら して 建 て 替 え られ
,B期
に はS A4283 Bと して 存 続 す る。2.古
墳 時 代 の 遺 構2群
に分 か れ る竪 穴 住 居7と 自然 河 川2が
あ る。調 査 区 東 南 隅 の 微 高 地 で
3棟
の 竪 穴 住 居 S B 4230・ 4231・ 4232を検 出 した 。 S B 4230は 削 平 が 著 しい が,炭化 材 が み られ 焼 失 住 居 と思 わ れ る。 東 端 を 調 査 して いな いが方 形 に配 され る柱 穴4を
確 認 して お り,一辺4,3mほどの 方 形 住 居 に復 原 で き る。S B4231は S B 4232が 重 複 して お り全 体 を調 査 して い な い が, 北 壁 を 除 き壁 溝 が 巡 り柱 穴 3を確 認 して い る。 北 壁 中央 位 置 に カ マ ドを設 け, 石 を 置 い て 支 脚 とす る。 S B 4232は 焼 失 して お り焼 土 や 炭 化 した 屋 根 材 が ほ ぼ 放射 状 に落下堆 積 して い た。 壁 溝 が 巡 り,カ
マ ドは北 壁 か ら約20cm離
れ て 設 け られ,こ
れ も石 を置 い て 支 脚 と し煙 道 が 北 へ 延 び る。 東 壁 北 寄 りに 接 して 貯 蔵 穴 が あ る。自然 河 川 S D 4225は,以上
3棟
の竪 穴住 居 の 西 側 を南 か ら東 へ 蛇 行 して 流 れ,幅 が 広 い と こ ろで 約30m,深 さ0.5mを測 る 。 上 層 の 砂 層 中 に 竪 穴 住 居 出 上 の もの と ほ ぼ 同 時 期 の 上 器 を含 み,住居 群 と流 路 が 併 存 して い た こ とを 示 して い る。
S D 4225西 岸 の微 高 地 に4棟の 竪 穴 住 居S B 4233・ 4234・ 4235・ 4236があ る。
S B 4233は 壁 溝 が巡 り
,カ
マ ドは東 南 隅 に斜 め に設 け る。 カマ ドは 内側 へ 位 置 を ず ら して 作 り替 え られ て お り,第2次
カ マ ドは土 師器 高杯 脚 部 を 芯 に して 粘 土 を 巻 き支 脚 とす る。 南 壁 の ほ ぼ 中央 に接 して 貯 蔵 穴 が あ る。 S B 4234は 大 半 が S B 4235に よ って 壊 され て い るが,南壁 東 寄 りに接 して 貯 蔵 穴 が あ る。SB
4235は 壁 溝 が巡 り柱 穴 が方 形 に配 され る。南 壁 中央 に接 して カマ ドの痕 跡 が あ り,東壁 北 寄 りに接 して 貯 蔵 穴 が あ る。 S B 4236は 最 も大 き い竪 穴 住 居 で
,浅
い壁 溝 が 巡 り柱 穴 が 方 形 に配 され る。 北 壁 中央 や や 東 寄 りに カマ ドの痕 跡 が 残 る。 南 壁 東 寄 りに接 して 貯 蔵 穴 が あ り,底の 四 隅 に細 い杭 を打 ち込 ん だ痕 跡 が あ る。
自然 河 川 S D 4226は 調 査 区 西 端 を か す め て 北 流 す るが,その 東岸 の一 部 を 検 出 した。 東 岸 は深 く落 ち込 ん で い るが,上層 か ら
6世
紀 代 の 上 師 器 甕・ 須 恵 器 杯 が 出土 した 。3.7世
紀 代 の 遺 構重 複 関 係 や 建 物 方 位 の 振 れ,出土 遺 物 か ら
7世
紀 代 の遺 構 と考 え られ る もの に は掘 立 柱 建 物10,素掘 溝3,土
坑7,埋
甕 遺 構 1な どが あ る。掘 立 柱 建 物 は いず れ も小 規 模 で,建物 方 位 が 国 上 方 眼方 位 に対 して 北 で 東 ヘ 2.5〜 8° 前 後 振 れ る特 徴 が あ る。 S B 4240・ 4241は 桁 行 4間
,梁
行 2間の 南 北 棟 で, S B 4241は藤 原 京B期の S B 4330と 重 複 し,こ
れ よ り古 い 。 S B 4242 は桁 行5間
,梁行2間
と7世
紀 代 の 建 物 の 中 で は最 も大 き く,こ
れ も藤 原 京B期 の S B 4331に 先 行 す る。 S B 4243・ 4244・ 4245はい ず れ も桁 行 2間
,果
行 2間 の 小 規 模 な 南 北 棟 で,S B 4243は飛 鳥 Ⅲ段 階 の 上 器 を含 む 土 坑 S K 4265よ り 新 しい。 S B 4246・ 4247・ 4248は いず れ も桁 行
3間
,梁行2間
の 南 北 棟 で, S
B4246が S B 4247よ り古 く, S B 4248は 藤 原 京 B期の S B 4333よ り古 い こ とが
―‑ 17 ‑
判 明 して い る。 S B 4249は 今 回 検 出 した この 時 期 の 建 物 で は唯 ― の 東 西 棟 と思 わ れ,そ の西 妻 を 検 出 した。 以 上 の 建 物 は そ の 配 置 に規 格 性 が 見 られ ず,かつ
小 規 模 で そ の 性 格 は 明 らか で な い。
南 北 溝S D4255・ 4256は第45次調 査 区 西 端 か ら南 へ 延 び,東へ 折 れ 曲 が る溝 で あ る 。 幅0。
7m,深
さ0.3mで 全 長35m分を 検 出 した 。 埋 土 上 面 か ら7世紀 中葉 の 丸 。平 瓦 が ま と ま って 出上 して い る。 南 北 溝 S D4257は 藤 原 京B期の 南 北 塀 S A 4320に 一 部 重 複 す る浅 い溝 で あ り,断続 的 に約34m分を 検 出 した 。土 坑 S K 4265は 長 径
3m,深
さlmを
測 り,上層 の 埋 土 中 か ら飛 鳥 Ⅲ段 階 の 土 師 器・ 須 恵 器 が 少 量 出上 した。S K4266は 藤 原 京B期の S B 4330よ り古 い 小 規 模 な土 坑 で 飛 鳥 Ⅲ段 階 の 上 器 が 出上 した。S K4267・ 4270か ら は 7世紀 中 葉 の 丸・ 平 瓦 片 が 出土 して お り, S K 4270は 藤 原 京B期の S B 4331よ り古 い 。S K4271は井 戸 状 の 上 坑 で,埋土 上 層 か ら7世
紀 中葉 の 丸・ 平 瓦 ゃ 飛 鳥 Ⅳ 段 階 の 土 器 が 出上 して い る。調 査 区 東 端 で 検 出 した埋 甕 遺 構 S X 4260は ,上半 を 欠 く須 恵 器 大 甕 底 部 を 伏 せ,そ の上 を拳 大 の 礫 で 覆 う。 甕 内 か ら
7世
紀 中葉 の土 師 器 杯 が 埋 納 され た状 態 で 出上 して い る。4.奈
良 時代 の 遺 構掘 立 柱 建 物
3,掘
立 柱 塀6,素
掘 溝2,土
坑 1な どが あ る。調 査 区 南 半 で,塀と溝 で 北 と西 を 画 し,その 中央 に東 西 棟 建 物
2棟
を 整 然 と 配 した一 画 を検 出 した。 北 限 の 東 西 塀S A4355と 西 限 の 南 北 塀 S A 4356は ほ ぼ 直 角 に 曲 折 し,そのlm外
側 に東 西 溝 S D 4357(全長47m)と
南 北 溝 S D 4358(31m以
上)を伴 う。 東 西 溝 S D 4357の 東 端 は南 へ は 曲 が らず,約4m北
折 し て 途 切 れ るが,こ の 塀 と溝 は東 西45m,南 北40m以上 の 区 画 の 北 と西 を 囲 む 一 体 の 施 設 と考 え られ る。 この 区 画 の ほ ぼ 中 軸 線 上 に東 西 棟 建 物 S B 4350と 4351 が 位 置 す る。 S B 4350は 桁 行 6間,梁行2間
の 身 合 に南 庇 を 有 す る建 物 で,その 南 に 東 西 の妻 を ほ ぼ揃 え た 桁 行
5間
,異行2間
の S B 4351を 配 す る。S B43
50は この 区 画 の 主 殿,S B 4351はそ の前 殿 風 の 建 物 と考 え られ る。 こ の 一 群 の 遺 構 の 方 位 は,国土 方 眼 方 位 に対 して 北 で 東 へ 3° 前 後 振 れ る。
調 査 区 西 寄 りで 検 出 した掘 立 柱 建 物 S B 4340は ,水田 の 地 下 げ に よ る 削 平 を 受 け西 南 部 の 柱 穴 が 失 わ れ て い るが,桁行
6間
,梁行3間
の 東 西 棟 に復 原 で き る。 柱 は いず れ も抜 き取 られ て い る。 坊 間 路 S F 4300と の 重 複 関係 か ら京 廃 絶 後 の 遺 構 と考 え られ るが,建物 方 位 は藤 原 京 の造 営 方 位 と ほ ぼ一 致 し,先述 した一 群 の方 位 と も異 な り,その 性 格 につ いて は今 後 の検 討 を要 す る。 な お
SB
4340の 周 囲 に は小 規 模 な塀 S A 4341・ 434204343・ 4344があ り
,こ
の 他 に 小 土 坑S K 4365があ る。5。 平 安 時 代 中期 の 遺 構
平 安 時 代 中期 の 遺 構 は調 査 区 中 央 に ま とま って お り,掘立 柱 建 物
4,掘
立 柱 塀3,土
坑4などが あ る。 この 時 期 か ら鎌 倉 時 代 に か けて の 柱 穴 は径30cm前
後 で,径約10cmの柱 痕 跡 が 残 る例 が 多 い 。 ま た 柱 穴 底 に小 礎 石 を有 す る例 や,根固 め の 礫 が 見 られ る例 も多 い 。
掘 立 柱 建 物 S B 4370は 桁 行
9間
,梁行 2間の 身 舎 に,南庇 と東 寄 り7間
分 の 北 庇 を有 す る大 規 模 な東 西 棟 で あ る。 身 舎 に は東 か ら1間日, 3間
目, 5間
目 に 間 仕 切 りが あ る。 S B 4371は S B 4370の 南 に あ る桁 行6間
,梁行 3間の 南 北 棟 総 柱 建 物 で あ る。 西 側 柱 筋 の 柱 穴 に根 固 め と思 わ れ る礫 が あ る。S B 4372は 桁 行,梁行 と も2間
の小 規模 な建 物 で あ るが,小溝 群 との 重 複 関 係 は建 物 の 方 が 古 い。 一 方S B4373は 桁 行5間
,梁行2間
の 南 北 棟 で あ り,乙
れ は 小 溝 群 よ り新 しい。 な お, S B 4372と ほ ぼ 同 じ振 れ を持 つ 小 規模 な 南 北 塀 S A 4381・ 43 82は や は り小 溝 群 よ り古 く,S B 4373と 同 じ振 れ を もつ S A 4380は小 溝 群 よ り 新 しい 。S B 4370の 西 に あ る池 状 の 大 土 坑 S K 4390は ,岸 に沿 って 点 々 と 玉 石 が 遺 存 して い た 。 埋 土 か ら10〜 11世 紀 の 黒 色 土 器・ 土 師器 の一 括 資料 が 出土 した。 S K4392は小 さな土 坑 で あ るが,木炭 片 や 焼 土 塊 を 多 量 に含 み
,10世
紀 後 半 の 上 師器 小 皿 や 須 恵 器 甕 片 な どが 出上 した。 ま た S K 4391か らは10世 紀 後 半 の 土 師 器 小 皿・ 甕 が 出上 して い る。6.平
安 時代 後 期 か ら鎌 倉 時 代 に か けて の 遺 構この 時期 の遺 構 は調 査 区 全域 か ら検 出 したが,中で も
3か
所 に集 中 して 認 め―‑ 19 ‑
られ
,こ
れ を便 宜 的 にA〜 C区に分 けて 記 述 す る。 各 区 と も主 屋 と付 属 建 物, 井 戸・ 土 坑 な どで 構 成 され て お り,継続 的 な 宅 地 とみ られ る。 これ らの 遺 構 からは大 量 の 瓦 器・ 土 師 器 と少 量 の 白磁・ 青 磁 な どが 出土 して お り,そ の 存 続 期
間 は11世 紀 末 か ら13世 紀 に及 ぶ もの と考 え られ る。 主 な遺 構 は掘 立 柱 建 物24, 掘 立 柱 塀
3,井
戸15,土坑 多 数 な どが あ るが,特にA・ B区で は これ 以 外 に まとめ きれ な い 多 数 の 小 柱 穴・ 小 穴 が あ り,な お 多 数 の建 物 が 存 在 した もの と思 わ れ る。 こ こで は現 状 で 把 握 で き る遺 構 に つ いて そ の概 略 を 述 べ る。
調 査 区 北 東 のA区は約
25m四
方 の 範 囲 を 占め る。 中央 に桁 行 5間,梁行2間
の身 舎 に 南 北 庇 を有 す る主 屋 S B 4420が あ り
,そ
の 周 囲 に桁 行 3間,梁行2間
の 東 西 棟S B4419な どの 付 属 建 物 が 数 棟 配 置 され る。 この 他,東か ら南 に か け
て は順 次 掘 削 され た井 戸
6基
と上 坑 多数 が,西側 に は池 状 の 大 土 坑S K 4501が あ り,西辺 と南 辺 の一 部 を塀S A4430 0 4431で画 して い る。 主 屋 S B 4420は 柱 位 置 を ず ら しな が ら数 回建 て 替 え られ て い るが,規模 は あ ま り変 化 が な い よ う で あ る。 な おA区の 西 南 隅 に は皿 状 に くば む 浅 い土 坑 S K 4500が あ る。 南 半 に は コの 字 形 に め ぐ る石 列 が あ り,東辺 北 寄 りの 一 部 を 除 き周 囲 を巡 る杭 列 の痕 が あ る。 そ の 性 格 は 明 らか で な いが,近世 民 俗 例 な どか ら類 推 す る と,牛馬 小屋 に あ た る可 能 性 が 強 い。 しか し
,こ
のS K4500が主 屋 内 に取 り こま れ て い る の か ,男 1棟 に な るの か は判 然 と しな い。A区に伴 う井 戸 は
6基
あ る。S E 4466・ 4467・ 4468は重 複 して お り,S E44
66が 後 二 者 よ り古 い 。 S E 4466は S E 4467・ 4468の 掘 形 に よ って 大 半 が 破 壊 さ れ て お り,その 構 造 は 明 らか で な い が,径
1.7mの
円 形 掘 形 の み が 遺 存 して い た。 S E 4467は 隅 丸 方 形 の 掘 形 を有 す る方 形 縦 板 組 の 井 戸 で, 3段の 横 機 と それ を さ さ え る四 隅 の 支 柱 が 遺 存 して い た。 各 辺 に
3枚
の 縦 板 を 用 い るが,こ
の板 材 の 中 に は表 裏 に赤 色 顔 料 を塗 った転 用 材 とみ られ る例 が
2枚
あ る。 この 他に 隙 間 を 塞 ぐた め に 幅 の狭 い板 を外 側 か らあ て 補 強 して い る。 な お井 戸 側 上 半 は廃 棄 後 に抜 き取 られ て い る。 S E 4468は 円形 の 石 組 井 戸 で,底に 曲物 を4段
積 み 重 ね て い る。 掘 形 は径
2.lmの
円形 で あ る。 石 組 は 西 側 の 一 部 が 崩 れ て お り,そ の 部 分 に桶 の 底 板 材4枚を あて が って 補 修 して い る。 この 井 戸 も廃 棄 後に上 半 の 石 組 が 抜 き取 られ て い る。 S E 4469は 方 形 の掘 形 を有 す る方 形 の 石 組 井 戸 で,底に 曲物 を 1段設 置 して い る。 方 形 の 石 組 井 戸 は これ だ けで あ る。S
E4470は 円形 掘 形 に 曲 物
7段
以 上 を 重 ね て 埋 設 した井 戸 で,井戸 側 を 抜 き取 ら ず 廃 棄 され た状 態 で 埋 没 して い た。 S E 4471も 円形 掘 形 に 曲物 を8段以 上 重 ね て 埋 設 した井 戸 で あ る。 廃 棄 に あ た って 上 半 の 曲物 は抜 き取 られ て い る。B区はA区の 西 側 に位 置 す るが,その 間 に は約
5m程
遺 構 の 稀 薄 な 部 分 が あ り,両区 の 境 界 を示 して い る。B区はA区と ほ ぼ 同 規 模,同配 置 の 宅 地 で,桁行
5間
,梁行2間
のS B 4440・4441,桁
行4間
,梁行 2間の 身 舎 に 北 庇 を 有 す るS B 4442,同 規 模 の建 物 で 南 庇 を 有 す る S B 4443な どの 東 西 棟 を 主 屋 と し,周 囲 に桁 行・ 梁 行 と も2間の 小 規 模 な建 物S B 4445・ 4446・ 4447な ど を 配 して い る。 この他 に,東あ る い は南 に丼 戸,西に釣 の 手 に曲 が る溝 を 配 置 す る。
B区 に伴 う井 戸 は
3基
あ り,S E 4472・ 4473は 重 複 して い る。 S E 4472は掘 形 の 南 半 を S E 4473に 壊 され て い るが,円形 の 掘 形 に 曲物 を9段以 上 積 み 重 ね た井 戸 で あ る。 S E 4473は 方 形 の掘 形 を有 す る円形 石 組井 戸 で,底に 曲 物 を 1 段 設 置 して い るが,上半 の 石 組 は廃 棄 時 に抜 き取 られ て い る。 S E 4474は 方 形 の 掘 形 を有 す る方 形 の縦 板 組 井 戸 で,板 は完 全 に抜 き取 られ て い た が,底に最下 段 の 横 機 が 遺 存 して お り,曲物 を
3段
積 み 重 ね て い る。 この3基
の 井 戸 は 出 上 した土 器 や 重 複 関 係 か ら,S E 4472,4474,4473の
順 に 掘 られ た もの と み ら れ,曲物 井 戸,縦板 組 井 戸,石組 井 戸 と い う変 遷 が 知 られ た 。C区は調 査 区 西 南 隅 に位 置 し
,A・
B区 と は建 物 の 配 置 を若 千 異 に す るが,同 時期 の 宅 地 と考 え られ る。 柱 穴 の 重 複 状 況 はA・ B区に比 べ 少 な いが,桁行 5間 ,梁行
2間
で 南 2間分 に 間 仕 切 りが あ る南 北 棟 S B 4405が ,柱位 置 を 少 し ず ら しな が ら3回
建 て 替 え られ て い る。 この他 に,桁行4間
以 上,異行 2間の東 西 棟S B 4406,桁行
4間
,果行2間
の 東 西 棟S B 4407,桁行3間 ,果
行2間
の 東 西 棟S B 4408,桁行
2間
以 上,梁行2間
の 東 西 棟 S B 4410があ る 。 以 上 の 建 物 群 の 周 囲 に は,井
戸 S E 4461・ 4462・ 4463・ 4464・ 4465が あ る。S E 4461は 長 方 形 の掘 形 を有 す る方 形 縦 板 組 の井 戸 で あ る。 板 材 はす べ て 抜 き 取 られ て い た が,底に最 下 段 の横 棧 と
3本
の 支 柱 が 遺 存 して お り,底に 曲物 1‑21‑
段 を設 置 す る。 S E 4462は 隅 丸 方 形 の 掘 形 を有 す る方 形 縦 板 組 の 井 戸 で あ る。
厚 さ約
5mmの
きわ めて 薄 い板 材 を用 いて お り,底に横 機 が あ るが 強 度 は弱 く,板材 が 内側 に倒 れ こん だ状 態 で検 出 した。板 材 は幅15cmの板 を一 辺 に 12枚 用 い,
底 に 曲物
2段
を 設 置 して い る。 S E 4463は 方 形 の 大 規 模 な 掘 形 を有 し,井戸 側が 完 全 に抜 き取 られ て い るの で 構 造 は 明 らか で な いが,抜取 穴 の 大 き さか ら縦 板 組 の 井 戸 と考 え られ る。 底 か ら潰 れ た状 態 の 曲 物 を検 出 して い る。 S E 4464
は方 形 の 掘 形 を有 す る 円形 石 組 井 戸 で,底に 曲物
2段
を設 置 して い るが,石組の 上 半 は廃 棄 後 に抜 き取 られ て い る。 S E 4465は C区か らか な り離 れ て い る の で,別の 宅 地 に伴 う井 戸 の 可 能 性 もあ る。 不 整 円形 の 掘 形 を 有 し,上半 は抜 き
取 られ て い るの で 明 らか で な いが,底に 曲 物
3段
以 上 が 遺 存 して お り,掘形 の 大 き さか ら推 定 す る と曲物 を埋 設 した井 戸 と考 え られ る。 この 他 にC区に伴 う 遺 構 と して は′卜規 模 な土 坑 S K 4485・ 4486・ 4487があ る。A〜 C区以 外 の この 時 期 の 遺 構 は建 物
2,井
戸1,土
坑 3な どが 分 散 して 認 め られ た。 調 査 区 南 寄 りで 検 出 した桁 行2間
,梁行2間
の 東 西 棟 S B 4401は ,井 戸 S E 4460を伴 う,S E 4460は 円 形 の 掘 形 に 曲 物 を 5段以 上 積 み 重 ね た 井 戸 で あ る。 調 査 区 中 央 で 検 出 した S B 44o2は 桁 行
3間
,梁行2間
の 東 西 棟 で あ る。 この他,調査 区東 南 隅 で 検 出 した土 坑S K 4480・ 4481・ 4482・ 4483があ る。7。 そ の 他 の 遺 構
以 上 の 各 時 期 の 遺 構 の 他 に,出土 遺 物 が 乏 し く,配置 な どか ら も時 期 を 決 定 で きな い 南 北 棟 建 物S B 4550・
4560,整
地 層 S X 4530な ど が あ る。 調 査 区 西 北 で 検 出 した コの 字 形 に 巡 る 整 地 層 S X 4530は 幅5m,厚
さ0.6mに 及 び,青
灰 色 粘 土 と茶 褐色 砂 質 土 を厚 さ5 cmほ ど版 築 状 に積 み上 げ た もの で,一部 を溝
状 に掘 り下 げ る。 重 複 関 係 か ら奈 良 時 代 の S B 4340よ りは新 し く
,12〜
13世 紀の 井 戸 S E 4463よ りは古 い こ とが 判 明 して い るが,その性 格 は 明 らか で な い。
この 他 に 多 数 の 柱 穴・ 小 穴・ 土 坑 な どを 検 出 して い るが,今後 の 検 討 に委 ね こ こで は省 略 す る。
遺 物
遺物 は縄 文 時代 か ら鎌倉 時代 にか けて の上 器 (第
6図 ),石
器,瓦 (第4図
),木 製 品,金属 製 品 な どが あ る。 縄 文 時 代 の 遺 物 は石 斧 と石 鏃 が 各
1点
,弥生 時 代 の 遺 物 は弥 生 土 器 少 量 と石 斧 1点が あ る。 以 上 の 遺 物 に伴 う顕 者 な遺 構 は検 出 して い な い 。古 墳 時 代 の 遺 物 は竪 穴 住 居 床 面 や 貯 蔵 穴 か ら
5世
紀 後 半 の 土 師 器 の 良 好 な 資 料 が 出上 して お り,S B 4232で は須 恵 器 が 伴 う こ とを確 認 して い る。 この 他,各 住 居 か ら少 量 の 製 塩 土 器 が 出上 し, S B 4232・ 4235・ 4236で韓 式 上 器 の 小 片 を , S B 4235・ 4236では特 殊 な 蓋 形 土 器 を検 出 して い る。 ま た S B 4234か ら は 銅 釧 の 破 片 が,S B 4231か らは ガ ラ ス小 玉 と土 玉 が 出 上 した。
7世
紀 代 の 上 器 は,S K4265か ら飛 鳥 Ш段 階 の 資 料 が や や ま と ま って 出 上 し た以 外 は あ ま り顕 著 な もの は な い。 この 時 期 の遺 物 で 特 記 して お か ね ば な らな い の は 瓦 で,土坑S K 4270,溝 S D 4255か らま と ま って 出上 して お り,藤原 京B期の 大 土 坑 S K 4325か ら も大 量 に 出上 した。 これ 以 外 に も遺 構 に伴 う もの で は な いが,調査 区北 半 か らの 出上 が 目立 った。 瓦 導 類 は軒 丸 瓦
6種
16点,軒平瓦
6種
13点 と多 量 の 丸・ 平 瓦 が あ り,特殊 な もの と して は埠 仏 1点が あ る。 軒 丸 瓦 で 目 立 つ の は
IA型
式 (1)で,大阪 四 天 王 寺 出土 例 や 桜 井 市 吉 備 池 瓦 窯 出土 例 と同絶 で あ り,11点
が 出 土 した。 そ の 他 は各 1点出土 した もの で,山 田寺 式 の 軒 丸 瓦,藤
原 宮 式 の 軒 丸 瓦(6273B ・ 6233系 ・ 6278
系
),大
官 大 寺 式 の 軒 丸 瓦(6231C)があ る。 軒 平 瓦 で 目立 つ の は
IA型
式(2)で5葉
の パ ル メ ッ ト文 を連 続 第 4図 第46次調査出土軒瓦(1:4)一‑ 23 ‑―
押捺 した もので あ る。法隆寺 若草伽 藍 出土例 と同籠 で あ るが, 今 回 出上 した
8点
に は いず れ も籠 傷 が 生 じて お り,押捺 の 方向 も,若草 伽 藍 例 が 上 下 交 互 に押 す の に対 して 全 て 下 向 きで あ る点 が異 な る。 この特 徴 は吉 備 池 瓦 窯 出土 例 や 日高 山 瓦 窯 第5図
(〆
Ц出土 例 と共 通 す る。 な お,施文 後 に
3重
弧 文 を 重 ね る例(3)が 数 点 あ る こ と も注 目 され る。 そ の 他 の 軒 平 瓦 と して は
,IA型
式(4)が法 輪寺 出土 例 と同範 の 忍 冬 唐 草 文 軒 平 瓦 と して 注 意 され
,ま
た 藤 原 宮 式 軒 平 瓦 (6641C・ 6643C)と
,大
官 大 寺 式 軒 平 瓦 (6661B)が 各1点
づ つ あ る 。 多 量 に 出土 した 丸 。平 瓦 は軒 丸 瓦IA型
式 と軒 平 瓦IA型
式 に 伴 う と考 え られ,いず れ も比 較 的 大 形 で あ る。 な お S D 4255か ら出土 した 丸 瓦 凸 面 に 「 池 上 」 の 刻 印 を押 した例 が 1点あ り (第
5図 ),刻
印 は法 輪 寺 出土 例 と同絶 で あ る可 能 性 が 強 い。 導 仏 は瓦 器 を 伴 う土 坑 S K 4510か ら出上 した。 中尊 の 頭 光 お よ び 菩 提 樹 の 葉 の一 部 を留 め る小 片 で,二重 県 夏 見 廃 寺 出上 の方 形 三 尊 媒 仏 と同 原 型 で あ る。 藤 原 京 の 遺 構 に伴 う遺 物 はA・ B期 と も に 少 な く,坊
間 路 両 側 溝 や 柱 穴 に少 量 の上 器 が 見 られ た にす ぎ な い。 や や ま とま って い るの はB期の 大 土 坑 S K4325と S K 4327,井戸 S E 4335に 投 棄 され た状 態 で 出 土 した 土 器 で あ る。S E 4335か らは藤 原 宮 期 の 土 師 器 小 型 甕 が7個体,須恵 器 小壷 1個体
,大
型 鍋形 土 器 1個体
,カ
マ ド大 小2個
体 分 な どが 出土 して い る。奈 良 時 代 の 遺 物 も少 な く,溝や 柱 穴 か ら少 量 の 土 器 が 出土 した ほか,′卜規 模 な土 坑 S K4635か ら天 平 年 間 の 土 師器 杯 が 出 土 した。
平 安 時 代 中 期 の 遺 物 は,池状 の大 土 坑S K4390か ら10〜 11世 紀 の 黒 色 土 器・
土 師器 が 出上 した他 は,土坑S K 4391・ 4392か ら も同 時 期 の 土 器 が 出 上 して い る。
平 安 時 代 後 期 か ら鎌 倉 時代 に か けて の 遺 物 は量 的 に は最 も多 い。 土 器 は瓦 器
・ 土 師 器 が 大 量 に 出土 し,少量 の 白磁・ 青 磁 な どが 伴 う。 鉄 製 品 は鉄 鎌 が
SE
4467・ 4473か ら出土 し,柄付 きの庖 丁 が S E 4474か ら出土 した 。 この 他 に 刀 子 や 鉄 釘 な どが あ る。 特 殊 な もの と して は S K 4490か ら箱 状 容 器 とみ られ る漆 膜 が 出土 し,ま た 銀製 鋳 造 の飾金 具 な どが あ る。 銭 貨 に は元 豊 通 賓 (初 鋳 1078年)
6 ,
17
29
32
27
30
28
31
く て ξ
F「「 二
i:::i::::::::三三 戸 三 三 三 鼻 戸 三 冒 戸 三 鼻 戸 三 厚 戸
;″:6
第 6図 第45,46次出土土器 (1〜5 S D4130,6・ 7 S D4131,
18 S K 4327, 19 S X 4260, 20 S K 4266, 21 S K 4365, 22・ 23 4390,2・ 7。 5。 12〜14・ 18;須恵器,24・ 25 黒色土器B類 ,26 釉陶器,他は土師器。 1:4 拓本のみ1:3)
8〜 14 S K 4325, 15‑
S K4265, 24〜36 SK
黒 色 土 器A類,34 灰
物 %
―‑ 25 ‑―
1点が あ る。
ま とめ
今 回 の 調 査 は広 範 囲 を 調 査 す る こ とに よ り多 くの 知 見 が 得 られ た。 しか し残 され た問題点 も多 く,最終 的 な ま とめ は敷地 予定 地 の 調 査 終 了 を待 つ こ と と し,
こ こで は今 回 判 明 した二,二の 事 項 につ いて ま とめ て お く。
第 1の成 果 は京 域 に 宅 地 や 寺 院 以 外 の 利 用 形 態 が あ った こ とを 確 認 した こ と で あ る。 B期の 遺 構 は,左京 六 条 三 坊 東 南 坪 の 少 な くと も西 半 全 体 を 囲 い こむ 大 きな 区 画 を 設 け
,コ
の 字 形 に大規 模 な建 物4棟を配 し井 戸 を 伴 う こ とが 判 明 した。 整 然 と した 配 置 計 画 に基 づ く この よ うな建 物 の あ り方 は,一般 の 宅 地 として の 利 用形 態 とは考 え に く く,むしろ宮 内官行 との 共 通 性 が 多 く認 め られ る。
乙 こで は東 南 坪 の 西 半 が 京 内 に お け る官 衛 と して 機 能 して い た可 能 性 が 強 い こ とを指 摘 して お き た い。 な お,調査 区 北 端 で 検 出 した東 西 棟 S B 4333は ,推定 条 間 路 上 に位 置 して お り,建物 の 北 で も今 の と こ ろ北 限 の 施 設 を 検 出 して い な
い の で,こ の 官 行 地 区 は さ らに東 北 坪 に も広 が る可 能 性 が あ る。
第 2の成 果 は藤 原 京 の 遺 構 に
2時
期 の 変 遷 が 確 認 で きた こ とで あ る。 す で に 藤 原 宮 の 東 方 官 衡 に お いて は,官衛 建 物 が 大 き く2期の 変 遷 を 示 す こ とが 明 ら か に な り,大宝 律 令 制 定 後 の 官 行 機 構 の再 編 に伴 う改作 で あ る可 能 性 が 指 摘 さ れ て い る (第44次調 査,概報 15)。 ま た京 域 に お いて も,右京 七 条 一 坊 の 調 査 で 建 物 に重 複 す る例 が あ る こ と (第 19次 調 査,概報7),さ
らに 左 京 二 条 三 坊 東 南 坪 の 調 査 で も宅 地 内 の 比 較 的 大 規 模 な建 物 に2時
期 存 在 す る こ とが 判 明 し て お り,京 内 の 宅 地 に も若 干 の 変 遷 が あ っ た こ と が 明 ら か に な り つ つ あ る (第39043次
調 査,概報 15)。 この よ うに遷 都 後 16年 とい う短 期 間 に もか か わ らず,様
々 な 要 因 に基 づ く改作 が 宮 の 内外 にお いて行 な わ れ た こ とが 判 明 しつ つ あ るが,京域 に お い て 大 規 模 な 区 画 変 更 を 伴 う改 作 が 確 認 され た点 に今 回 調 査 の 意 義 が 認 め られ よ う。 な お 今 回 の 調 査 結 果 で は,A期
の 遺 構 は稀 薄 で そ の 利 用 形 態 やA期の 年 代 の上 限 につ いて は な お残 され た問 題 も多 い。第
3の
成 果 は古 墳 時代 か ら鎌 倉 時 代 に か けて の この地 域 の土 地 利 用 の 変 遷 が か な り具 体 的 に把 握 で き た 乙 とで あ る。奈 良 時 代
藤 原 京A期
SF430 11 1
SA42Ы
SD4285
││
怖 聯 正 三 告 ロ ノ
第 7図 第46次調査遺構変遷図 (1:1500) 一‑ 27 ‑―
藤原 京B期