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第17図 第45‑4次調査遺構配置図 (1 :400)
3410や S X 3987な ど が 13世 紀 頃 に 埋 没 し た の ち で あ る こ とが 推 測 され る 。
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b.右
京 八 条 二 坊 の調 査 (第41‑15次)(1985年 2月 )
この調 査 は駐 車 場 造 成 に先 立 ち実 施 した もの で あ る。 調 査 地 は本 薬 師寺 金 堂 跡 の東 北 東 約180mの水 田 で,藤原 京 右 京 八 条 二 坊 の 西 北 坪 に あ た る。 調 査 は 南 北 方 向 (21×
6m)と
東 西 方 向 (15×3m)の
L字形 の発 掘 区 を 設 け て 実 施 した。 調 査 区 は周 辺 の 地 形 か ら予 想 され た よ うに飛 鳥 川 の 氾 濫 に よ る削 平 を受 けて お り,薄 い床 土 直下 が 砂層 を主 とす る遺 構 面 とな る。 藤 原 京 に伴 う遣 構 は 認 め られ な か っ たが,弥生 時代 の 溝 S D05と 中世 の上 坑 S K06・ 07,中 世 大 溝S D01を検 出 した。
弥 生 時 代 の 溝 S D05は,南西 方 向 に の び る斜 行 溝 で
,幅
1.3m,深 さ0.2m,全 長 約
5m分
を検 出 した。 埋 土 か ら畿 内 第 Ⅱ様 式 の甕 形 土 器2個
体 分 が 出 土 し た。 この他 に調 査 区北 端 か ら も同 時期 の壷 形 土 器 が 完 形 で 出土 して お り,上
器の 出土 状 態 を考 慮 す る と,あ る い は この 斜 行 溝 は 方 形 周 溝 墓 の一 部 で あ る可 能 性 も考 え られ る。 中世 の上 坑 S K06は長 さ約
lmの
浅 い土 坑 で,埋土 中 に 骨 片 と瓦 器 片 が 認 め られ, S K07か
ら も同 時 期 の 瓦 器 が 出 土 した 。 東 西 方 向 に の び る大 溝 S D01は,幅3,4〜1.2m,深 さ0.8〜0.6mの比 較 的 大 規 模 な 溝 で 東 流 して い た と考 え られ る。 溝 埋 土 上 層 か ら大 量 の 羽 釜,火
鉢,悟
鉢,小
皿 などの上 器 類 が 出土 した。 これ らの上 器 は15世 紀 代 を 中 心 とす るが,こ の 他 に7
〜
8世
紀 代 の 土 師 器・ 須 恵 器 。屋 瓦,平
安 時 代 か ら鎌 倉 時 代 に か け て の 緑 釉 陶 器・ 青 磁・ 瓦 器 が少 量 出土 した。 ま た15世紀 の 上 器 に伴 う木 製 品 に は黒 漆 地 に朱 漆 で 文 様 を描 く漆 器 椀
3個
体 分,下駄,糸巻,ツ チノ コ,曲物,桶の 箱,加工 木 片 な どが あ る。
今 回検 出 した 中世 大 溝 S D01は遺 物 の豊 富 さか ら考 え る と,中世 村 落 の周 囲 を 取 り囲 む 環 濠 の一 部 と も考 え られ る。 しか し,西方 約
60mの
本 薬 師 寺 第2次
調 査 地 区 で は そ の延 長 部 を検 出 して お らず (概 報14),周
辺 に 中 世0 10m 第 18図 第41‑15次調 査 遺構 配 置 図
(1 :400)
‑41‑
村 落 の な ご りを留 め る集 落 も存 在 しな い の で,その性 格 に つ い て は な お 今 後 の 調 査 を必 要 と して い る。
c。 右 京 九 条 三 坊 の調 査 (第
45‑1次
)(1985年 4月 )
Cの
調 査 は奈 良 総 合 高 等 職 業 訓 練 校 の校 舎 増 築 に伴 う事 前 調 査 と して,橿原市城 殿 町で実 施 した もので あ る。調 査 地 は本 薬 師寺金 堂 の東南約
270mの
地 点 で,藤 原 京 右 京 九 条 三 坊 東 南 坪 に あ た り,宅地 遺 構 が 想 定 され た。 調 査 は 幅
3m,
長 さ
13mの
東 西 トレ ンチ と,そ の 東 部 分 に北 へ 幅5m,長
さ10.5mの
南 北 ト レ ンチ を合 わ せ たL字形 の発 掘 区 を 設 けて行 な っ た。堆 積 上 の 層 序 は盛 土,水田耕 土,床土,灰色 砂,暗灰 褐 色 土,暗灰 褐 色 砂 と
な って い る。 発 掘 区西 側 は,後世 の 改 田 に よ り灰 色 砂,暗灰 褐 色 上 の 大 半 は削 られ て お り,最下 層 で あ る暗 灰 褐 色 砂 面 で,一部 を 中 世 斜 行 溝 に こわ され て い る南 北 溝S D01を検 出 した。 溝 内 か ら遺 物 は 出上 しな か った が,周辺 の 暗 灰 褐 色 砂 中 よ り畿 内 第 Ⅱ様 式 の 弥 生 土 器 が 出上 して お り, この 溝 は,弥生 時 代 に属
す る と考 え られ る。
発掘 区東側 は削 平 を うけて お らず,耕土 下 約
0.5mの
灰 色 砂 上 面 で, 8条の 中 世 小 溝・ 小 柱 穴,下層 の 暗 灰 褐 色 土 上 面 で,掘立 柱 建 物 S B02を検 出 した。 SB02は西側 柱 の み の検 出 で あ り,全貌 は明 らか で な い 。柱 掘 形 は一 辺
0.5mほ
ど の大 き さで あ る。方 位 の振 れ の関係 で考 えれ ば, 藤 原 宮 期 以 前 の建 物 とす る こ とが で き る。今 回 の調 査 で は,藤原 宮 期 の建 物 を検 出す る こ と はで き な か った が,藤原 宮 期 以 前 と推 定 さ れ る遺 構 の一 部 が検 出 され,今後 この 周 辺 で の 調 査 が 期 待 され る。
d.左
京 六 条 三 坊 の調 査(45‑3次
)(1985年 7月 )
Y18000│
1次調 査 遺構 配 置 図
(1:300)