「抽象的危険犯」における可罰性の制限について(
一)
その他のタイトル Strafbarkeitseinschrankung bei abstrakten Gefahrdungsdelikten (1)
著者 佐伯 和也
雑誌名 關西大學法學論集
巻 46
号 1
ページ 116‑156
発行年 1996‑04‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00024567
一 は じ め に
1問題の所在
二抽象的危険犯の問題性
m具体的危険犯と抽象的危険犯の形式的区別
① 区 別 基 準 の 問 題
②抽象的ー具体的危険犯概念
②従来の︵いわゆる︶形式説の内容と問題点
①一般的危険性説︵危険・危険性動機説︶
②反証を許さない危険・危険性推定説
︵抽 象的 危険
・危 険性 説︶
三抽象的危険犯における可罰性の制限をめぐるドイツの議論
① 呉 正 危 険 犯 説
②︵反証を許す︶危険・危険性推定説
③具体的危険前段階説︵以上本号︶
切 注 意 義 務 違 反 説 固 実 質 的 危 険 説
﹁抽
象的
危険
犯﹂
関 法 第 四 六 巻 第 一 号
⑥観念的法益毀損説
⑦ 安 全 性 毀 損 説
四抽象的危険犯における可罰性の制限をめぐるわが国の議論
①違法論における抽象的危険犯の限定
①形式的実行行為+可罰的危険︵具体的危険説︶
②形式的実行行為+行為の危険性︵危険行為説︶
③形式的実行行為+結果としての危険︵危険結果説︶
②構成要件論における抽象的危険犯の限定
① 危 険 結 果 説
② 事 前 的 危 険 行 為 説
③ 事 後 的 危 険 行 為 説
五おわりにーー私見の展開と残された課題m二重の危険概念
②遺棄罪・放火罪の検討
③ 残 さ れ た 課
題 佐
伯
和
にお ける 可罰 性の 制限 につ いて
︵一
︶
︱︱
六
(‑
︱六
︶
也
(l )
法益の侵害を必要とするものを﹁侵害犯﹂︑危険を必要とするものを﹁危険犯︵危殆犯︶﹂と呼び︑危険犯は︑通常︑
さらに具体的危険あるいは抽象的危険かが処罰根拠となるかによって︑﹁具体的危険犯﹂と﹁抽象的危険犯﹂に区別
( 2)
される︒このような概念は︑文献︑教科書等によって使用されてはいるが︑刑法典自体はこの概念の定義どころか︑
(3 )
用語すら用いてはいない︒中でも︑抽象的危険犯は︑消極的には︑侵害︑具体的危険を必要としない犯罪と定義され
るため︑法益連関・処罰根拠を有しない︑何ら実体を伴わない犯罪であって︑﹁危険犯﹂という名称すら相応しいも
のではない印象を与える︒しかし︑抽象的﹁危険犯﹂という犯罪概念が維持可能かどうかは︑犯罪の処罰根拠からな
されるべきであるから︑まず︑どの犯罪が﹁抽象的危険犯﹂なのか︑さらに︑﹁抽象的危険﹂とは何なのか︵処罰根
ところで︑従来︑抽象的危険犯は︑具体的危険犯の犯罪グループとは異なり︑実質的・現実的な危険の認定を不必
要とされ︑刑法典の文言への﹁あてはめ﹂で満足されてきた︒
の危険﹂の文言を用いない現住建造物放火罪
(1 0八
条︶
では︑放火行為や焼損が決定的だとされ︑公共の危険は︑
(4 )
言わば︑犯罪認定において重要な意義を与えられてこなかったのである︒しかし︑最近の傾向は︑このような従来の
解決方向の問題性の浮上とともに︑広範な処罰領域の正当化とは逆の処罰限定の方向へと向いていったのである︒し
かも︑そういった犯罪を具体的危険犯と捉え︑限定・制限するのではなく︑抽象的危険犯という犯罪領域を残し︑そ
( 5)
の内部において﹁実質化﹂の方向に赴いたのである︒つまり︑抽象的危険犯を具体的危険犯の領域に引き寄せること
﹁抽
象的
危険
犯﹂
にお
ける
可罰
性の
制限
につ
いて
(‑
)
拠︶を積極的に確定しなければならない︒
は じ め に ー
̲ 問 題 の 所 在
一七
つまり︑現住建造物の﹁焼損﹂のみを規定し︑﹁公共
(‑
︱七
︶
ることには意義があろう︒ は不法の本質的理解︑か︑あるいは第三の道︵例えば︑故意による制限等︶を歩むかである︒
︵二
の②
︶︒ (
‑︱
八︶
によって展開されたのである︒このような展開は︑妥当なものであるが︑そうすることによって具体的危険犯との異
同や抽象的危険犯の制限要件の問題などが新たに登場することとなった︒従来は︑具体的危険は﹁実質的に﹂︑抽象
( 6)
的危険は﹁形式的に﹂という図式の下で︑そのことが妥当かどうかという問題解決がなされていたため︑問題の本質
いわゆる結果無価値論か行為無価値論かという点にあった︒今日でも︑確かにこの議論は重要
であるが︑抽象的危険犯の﹁実質化﹂内部での問題こそが︑表面化していると言っても過言ではない︒つまり︑抽象
的危険犯を危険な行為︵行為の危険性︶を基礎として制限するか︑危険結果︵結果としての危険︶に基づき制限する
( 7)
学説の方向性は︑放火罪では﹁公共の危険﹂が全くない場合の建造物等損壊罪としての処理や︑遺棄罪での﹁生命
( 8)
や身体の安全性﹂に対する危険がない場合の不可罰としての判断が行き渡ってはきたが︑今なお強固な理論は存在せ
ず︑解釈論的に展開する余地は十分にあるように思える︒また︑立法技術的に︑結果無価値の因果連鎖の証明困難性
(9 )
の故に犯罪を早期化、前傾化する傾向Iドイツにおいては、現在、このことが顕著に現れているー—ーに対する歯止
めの要請︵ウルティマラティオとしての刑法︶という観点からもドイツ・わが国における抽象的危険犯理論を検討す
従って︑以下では︑抽象的危険犯の問題性として︑具体的危険犯と抽象的危険犯の形式的区別︵二の①︶において︑
両危険犯の区別基準を探り︵二のm①)︑さらに︑抽象的危険犯や具体的危険犯以外に第三の危険犯類型が存在する
( 1 0 )
かという観点から︑シュレーダーの見解を検討し︵二の①②︶︑最後に︑従来の一般的危険性説や反証を許さない危
険・危険性推定説といったいわゆる形式説に批判的な考察を加えたいと考えている 関法第四六巻第一号
︱︱ 八
︱︱ 九
以上の問題点︑前提を通して︑従来の形式説よりも抽象的危険犯の可罰性︵可罰的領域︶を制限するドイツ︵三︶.
わが国の議論︵四︶を紹介し︑従来及び今日の制限説︵いわゆる実質説︶の問題点を指摘し︑最後に︑私見の展開とし
( 1 1 )
て遺棄罪︑放火罪を検討する︵五︶︒そこでは︑従来の見解の論証の不十分さと共に︑抽象的危険犯である遺棄罪︑放
火 罪 に お い て は
︑ 少 な く と も
﹁ 事 後 考 察
﹂ が 必 要 で あ る こ と
︑ そ れ を 二 重 の 危 険 概 念 の
︱ つ で あ る
﹁ 結 果 と し て の 危
険﹂︵危険結果︶
で 展 開 す べ き こ と を 明 ら か に し
︑ 遺 棄 罪
・ 放 火 罪 は
﹁ 抽 象 的 危 険 犯
﹂
︑ し か も
﹁ 抽 象 的 危 険 ー 行 為
( 1 2 )
犯﹂ではなく﹁抽象的危険ー結果犯﹂であることを論証する︒
(1)岡本勝﹁﹃抽象的危殆犯﹄の問題性﹂法学三八巻二号(‑九七四︶一頁以下︒危険犯ではなく︑危殆犯という概念を用い
ている︒それに対し︑同﹁﹁危険犯﹂をめぐる諸問題危険犯の諸類型の各論的検討﹂Law
Sc ho ol
I =九号(‑九八一︶三
六以下では︑危険犯という概念を使用している︒
(2
) 山口教授は︑危険犯を具体的危険犯と抽象的危険犯に分けられ︑具体的危険犯を狭義の具体的危険犯と準具体的危険犯に︑
抽象的危険犯を狭義の抽象的危険犯と準抽象的危険犯に類型化することを展開︑提案された︵﹃危険犯の研究﹄(‑九八二︶
二六一頁以下︶︒町野朔﹃刑法総論︹講義案︺ー﹄(‑九九二︶一三八頁︑大谷︷貰﹃刑法講義総論﹄︵第四版・一九九四︶一
二七頁は︑この狭義の抽象的危険犯と準抽象的危険犯の類型化に従っている︒
(3)﹁抽象的危険犯という概念は︑立法者が法益の侵害も危殆も構成要件メルクマールにしなかったというおよそ消極的なこ
とのみを言い表している﹂
(E ck ha rd Ho rn
, SK
Vo r§ 30 6 R dn .
15)︒
(4
)
わが国においては︑例えば︑岡本﹁﹃抽象的危殆犯﹂の問題性﹂前掲注
(1
)
一頁以下︑同﹁﹁危険犯﹂をめぐる諸問題l│
'
危険犯の諸類型の各論的検討﹂前掲注
(l
)三六以下頁︑佐伯千例﹁公安条例と抽象的危険犯115﹂法律時報四九巻三
1‑
0号(‑九七七︶︑山口﹃危険犯の研究﹄前掲注
(2
)︑松生建﹁抽象的危険犯と行為無価値論﹂横山晃一郎ほか編﹃現代に
おける刑事法学の課題井上祐司先生退官記念論集ーーー﹄(‑九八九︶六九頁以下︑同﹁危険犯における危険概念﹂刑法
雑誌三三巻二号(‑九九三︶︱二八頁以下︑同﹁抽象的危険犯における危険﹂﹃海上犯罪の理論と実務1大國仁先生退官記念論集~』(-九九三)五七頁以下、荻原滋「実体的デュー・プロセスの理論と法益保護の原則(三)(四・完)」(一九八
﹁抽象的危険犯﹂における可罰性の制限について(‑)
︵︱
‑九
︶
七︶警察研究五七巻九号四二頁以下︱二号四八頁以下︑増田豊﹁刑事手続における法律上の推定と表見証明1特に責任
推定と危険推定の問題性をめぐってー﹂法律論叢六五巻四
1 1五号五三頁以下︑金尚均﹁抽象的危険犯の現代的展開とその
問題性(‑)﹂立命館法学二三九号(‑九九五︶二八頁以下など︒
(5
)
それに対し︑遺棄罪を具体的危険犯とする者に︑例えば︑宮内裕﹃刑法各論講義﹄(‑九五六︶四九頁︑吉川経夫﹃刑法
各論J(一九八二︶四六頁︑団藤重光﹃刑法綱要各論﹄︵第三版・一九九
0)
四五二頁︑川端博﹃刑法各論概要﹄(‑九九
0)
五二頁等︒放火罪を具体的危険犯とする者に︑武田誠﹁抽象的公共危険1
放火 罪に つい ての 一考 察ー ー'
﹂関 法四 三巻
︱‑
︳号
︵一 九九 四︶ 四六 頁以 下︒
(6
)
一般的危険︵性︶説︑抽象的危険︵推定・擬制︶説と呼ばれる︑いわゆる﹁形式説﹂である︒この学説の内︑法規の抽象
的危険犯を一括して行為の一般的危険性で説明している見解もあれば︑抽象的危険犯である遺棄罪においては︑遺棄概念に
よる文言制限を行う見解もあることが興味深い︒しかし︑後者の見解は︑﹁遺棄﹂概念に抽象的危険を包含させることによ
り︑実質説と同様の結論を導くことになるが︑その意味では︑この形式説は全く違う︑少なくとも二つの抽象的危険概念
ー形式的危険︵性︶と実質的危険ーー︐を使用していることになる︒それにもかかわらず︑なぜ︑遺棄罪を一般的危険性で
説明しないのであろうか︒また︑このことは推定説にも当てはまる︒
(7
)
例えば︑山口﹃危険犯の研究﹄前掲注
(2
)二
四0頁︑振津隆行﹁放火罪と危険概念﹂法学セミナー三四六号(‑九八三︶
五O
五一頁︑内藤謙﹃刑法講義総論︵上︶﹄︵一九八三︶ニ︱頁︑松生﹁危険犯における危険概念﹂前掲注I0
(4
) 一三 八頁
以下、増田豊「刑事手続における法律上の推定と表見証明ー~特に責任推定と危険推定の問題性をめぐってー」前掲注(4)-―二頁以下、武田「抽象的公共危険1放火罪についての一考察~」前掲注(5)四六頁以下他多数。違法論での制
限に基づいて︑岡本﹁﹃抽象的危殆犯﹄の問題性﹂前掲注
(1
)
︱二五頁以下︑同﹁﹁危険犯﹂をめぐる諸問題ー危険犯の諸
類型の各論的検討﹂前掲注
(1
)四六頁以下︑内藤謙
11
西原春夫編﹃刑法を学ぶ﹄︹内田文昭︺︵一九七三︶二八八頁︑同﹃刑
法I︹総論︺﹄︵改訂版・一九八六︶一〇八頁注
(3
)︑同﹃刑法各論﹄︵第二版・一九八四︶四四二頁以下︑曽根威彦﹃刑法
総論J
(一 九八 七︶ 一 0
0頁︑同﹃刑法各論﹄︵新版・一九九五︶二0
七頁
︒
(8
)
例えば︑平野龍一﹃刑法総論I﹄︵一九七二︶︱ニ︱頁︑同﹃刑法概説﹄(‑九七七︶一六三︑一六五頁︑生田勝義
1 1上 田
寛
11 名和鉄郎
11
内田博文著﹃刑法各論講義﹄(‑九八七︶四五頁︑小暮得雄
11
内田文昭
11
阿部純二
11
板倉宏
大谷実編﹃刑1 1
関 法 第 四 六 巻 第 一 号
︱ 二
0
(︱
二
0)
法講義各論﹂︹町野朔︺︵一九八八︶六五頁以下︑大谷﹃刑法講義各論﹄︵第四版補訂版・一九九五︶六八頁以下は法益を生 命のみと捉え︑危険を実質的に把握し︑この結論に至る︒さらに︑井上正治﹁法益の侵害﹂﹃犯罪と刑罰︵上︶
I佐伯千保
博士還暦祝賀﹄(‑九六八︶二五七頁︑団藤重光編﹃注釈刑法固﹄︹大塚仁︺︵一九六八︶二0九頁︑植松正﹃再訂刑法
概説
1 1 各論﹄(‑九七五︶二八八ーニ八九頁︑中義勝﹃刑法各論﹄(‑九七五︶六ニー六三頁︑大沼邦弘﹁遺棄罪は具体的危
険犯か抽象的危険犯か﹂﹃刑法の争点﹄(‑九七七︶一九四頁︑山口﹃危険犯の研究﹄前掲注
(2
)二五三頁︑山中敬一﹁遺棄
罪と危険概念﹂(‑九八三︶法学セミナー三四六号五四ー五五頁︑中山研一﹁刑法各論﹄(‑九八四︶八五頁︑同﹃概説刑法 1 1 ﹄︵一九九一︶五一頁︑野村稔﹃未遂犯の研究﹄(‑九八四︶︱‑六七頁以下︑岡野光雄﹃刑法概説各論﹄︵第二版・一九八 九︶︱‑七ーニ八頁︑佐久間修﹃刑法講義︹各論︺﹄︵一九九
0)
二四頁︑中森喜彦﹃刑法各論﹄(‑九九一︶四0頁︑増田豊
﹁刑事手続における法律上の推定と表見証明特に責任推定と危険推定の問題性をめぐって﹂前掲注
(4
)
︱︱ 一頁 以下
︑
前田雅英﹃刑法各論講義﹄︵第二版・一九九五︶七一ー七二頁︵しかし︑抽象的危険と具体的危険を区別することは︑意味
のあることではないという︶等︒違法論での制限に基づいて︑岡本﹁﹃抽象的危殆犯﹄の問題性﹂前掲注
(1
)
︱二九ー一三0頁︑同﹁﹁危険犯﹂をめぐる諸問題1危険犯の諸類型の各論的検討﹂前掲注(l)四五頁︑内田文昭﹃刑法各論﹄前掲注
(7
)九一︑九四頁︑曽根﹃刑法各論﹄前掲注
(7
)三九頁︑同﹁遺棄罪﹂法学セミナー四五一号(‑九九二︶八八頁以下等︒
(9
)
Gi in te r J ak ob s, Kr im in al is ie ru ng m i Vo rf el d e in er R ec ht sg ut ve rl et zu ng ,
N StW
97 , S .
751
f f ,
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5
f f . , B er
‑ l in 19 87 .; W ol fg an g Be ck , Un re ch ts be gr ii nd un g un d Vo rf le dk ri mi na ri si er un g, 19 92 ,
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{ 近 ド イ ツ で は
︑ 危 険 社 会
(R is ik og es el ls ch fa t) . . ¥ . J
い︑
つ血
虹今
心た
Jキー概念とし︑現代の刑法展開を批判的に検討する二つのモノグラフィーがある︒
Vg l. Er ic Hilgen
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≫R is ik og es le ls ch af t
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Co rn el iu s P ri tt wi tz , St ra fr ec ht un d R is ik ,o Fr an kf ur t am
Ma in 1 99 3.
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Lo th ar Ku hl en , N um St ra fr ec ht de r Risikogesellschaft,
G A 19 94 , S .
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f f .
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201
f f .
わが国においては︑新谷一幸﹁法益保護の早期化傾向について1ヤコプスの所説に関してー﹂修道法学︱一巻一号
︵一九八九︶七三頁以下︑山中﹁ドイツ環境刑法における解釈論上の諸問題﹂刑法雑誌三三巻二号(‑九九二︶三九頁以下︑
﹁抽象的危険犯﹂における可罰性の制限について(‑)
ロ
① 区 別 基 準 の 問 題
田 具 体 的 危 険 犯 と 抽 象 的 危 険 犯 の 形 式 的 区 別
抽 象 的 危 険 犯 の 問 題 性
~
~
同﹃刑事法入門﹄(‑九九四︶七一以下︑七八頁︑ドイツにおける議論の詳細な紹介を行う金﹁現代刑法における法益保護
の早期化について近年のドイツの議論をもとにして(‑)︵ニ・完︶﹂立命館法学二三三号(‑九九四︶四一頁以下︑
二三五号(‑九九四︶八三頁以下等参照︒
( 1 0 )
Ho rs t Sc hr od er , A bs tr ak t
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● ,
JZ 19 67 ,
522
f f .
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,
ZStW 8
1 (1 96 9) . S 18 f f . ; Sc hi in ke S/ ch ri id er , 1 3. Au fl . 19 67 , V ro be m. 14
8 Vor§1
( 1 1 )
拙稿﹁遺棄罪における法益と危険犯的性格││'遺棄概念と危険の関係ー﹂法学ジャーナル六四号(‑九九五︶一頁以下︒
そこで︑遺棄罪の法益を﹁生命﹂のみに限定する﹁生命﹂危険説の問題点を指摘し︑﹁生命・身体﹂危険説が妥当であるこ
と︑およびその﹁危険﹂を二重の危険概念の︱つである事後考察である﹁結果としての危険﹂で展開すべきことを略述的に
説い
た︒
(12)従来も、抽象的危険犯を「抽象的危険ー結果犯」と解する「抽象的危険—結果説」が主張されてこなかったわけではない。
しかし︑﹁抽象的危険ー結果説﹂の主張方向は︑法の文言﹁遺棄﹂や﹁焼損﹂ーに危険結果を含める見解と書かれざる
要素としての危険結果を要求する見解という二方向しか存在しないにもかかわらず︑前者は︑具体的危険犯と抽象的危険犯
の区別において大きな問題に直面し︑また︑後者の見解は︑書かれざる要素としての危険結果の承認の点に問題を残してい
る︒従って︑﹁抽象的危険ー結果説﹂の生存はどちらかの問題点の克服に懸かっている︒
具 体 的 危 険 犯 と 抽 象 的 危 険 犯 の 区 別 は
︑ 刑 法 で い う な ら ば 総 論 の 問 題 で あ る が
︑ 個 々 の 構 成 要 件 メ ル ク マ ー ル の 解 釈 に 依 存 し て い る と い う 意 味 で は
︑ 各 犯 罪 の 問 題 で あ り
︑ 各 論 の 問 題 で あ る
︒ 各 論 で は
︑ 具 体 的 危 険 犯 で あ る の か
︑
関 法 第 四 六 巻 第 一 号
ない場合が抽象的危険犯︵例えば︑第一0
八条
︑
論を導くことになるのであろうか︒ 抽象的危険犯であるのかが争われている条文がある︒しかし︑行為︑行為客体︑法益客体︑法益︑文言解釈が明確に規定されるならば︑区別基準は明瞭な基準として機能するであろうし︑機能するはずである︒正当な機能を果たしているとするなら︑なぜ︑具体的危険犯と抽象的危険犯の区別が︑困難な問題として︑さらに論者によって異なった結
( 1 3 )
一般的に︑抽象的危険犯と具体的危険犯の区別基準は︑﹁危険の発生が構成要件要素﹂になっているかどうか︑﹁危
( 1 4 )
険の明示﹂があるかどうかに求められ︑危険の発生が構成要件要素になっている場合︑危険の明示がある場合が︑具
体的危険犯︵例えば︑第一︱0
条の
放火
罪︶
であり︑危険の発生が構成要件要素になっていない場合︑危険の明示が
10
九条第一項︶である︒しかし︑この区別基準に従うならば︑遺
( 1 5 )
棄罪︑公務執行妨害罪も︑抽象的危険犯︵あるいは準抽象的危険犯︶であって︑具体的危険犯ではないことになる︒
しかしながら︑これら遺棄罪︑公務執行妨害罪の解釈をめぐって︑抽象的危険犯ではなく︑具体的危険犯であるとい
( 1 6 )
う見解も一部で主張されている︒その意味では︑この見解によれば︑危険の発生が構成要件要素になっていない︑危
険の明示がないのに具体的危険犯であるということは︑外見上︑すでに一般的に承認されている上述の基準の放棄を
意味することになる︒どのような基準︑考慮に基づいてこのようなことが主張されているのであろうか︒
例えば︑遺棄罪において︑具体的危険を必要とする具体的危険犯説は︑たとえば︑養護施設の門前に幼児を棄てた
事例や路上に病人をおいて物陰から他人の救助が期待されるのを待っていて︑他人が救助しなければ自分が救助する
つもりで付近にかくれているような事例等については︑抽象的危険犯説と異なり︑遺棄罪の成立が否定されるべきだ
( 1 7 )
という︒その意味では︑具体的危険犯説の主張は︑形式的な危険で足りるという意味での﹁従来の抽象的危険犯説﹂
﹁抽
象的
危険
犯﹂
にお
ける
可罰
性の
制限
につ
いて
︵一
︶
三
(︱
二三
︶
( 1 8 )
に対する批判となって登場しているといえよう︒従って︑危険の発生が構成要件要素になっているかどうか︑危険の
一見するならば︑ここでは﹁抽象的危険犯説に対する批判﹂の背後に退いている︒
さらに︑公務執行妨害罪においても︑具体的危険犯説は︑従来の抽象的危険犯説が暴行自体の程度として︑
妨害危険性を要求しうるとしても︑必ずしもその程度による限定が十分に機能しない傾向にあることを批判し︑これ
が法益保護の大原則を逸脱し︑公務執行妨害罪が個別的・具体的公務執行を保護するものである以上︑本罪にいう暴
行・脅迫も︑それらの向けられた公務執行の性質︑態様との関係で︑それが公務の執行にいかなる影響を及ぽす可能
( 1 9 )
性を有するかを具体的に判断すべきであろうと主張する︒この主張も︑また︑﹁従来の抽象的危険犯﹂の理解に対す
る批判が︑危険の明示なき条文を具体的危険犯と捉える根拠となっているといえる︒
︵ニ
一四
︶
以上の遺棄罪︑公務執行妨害罪の︑具体的危険犯としての主張は︑﹁危険が構成要件要素になっているかいなか﹂︑
﹁危険の明示があるかいなか﹂という基準を︑﹁従来の抽象的危険犯﹂の理解に対する批判によって排斥している︒
しかし︑従来ならこのことはそれなりの意義││抽象的危険犯の処罰根拠としての﹁行為の一般的危険性﹂︑﹁推定されたない
( 2 0 )
しは擬制された危険・危険性﹂の広汎な処罰の抑制︑法益保護原則の貫徹ーは存在したが︑近年の抽象的危険犯の制限志向の前
では︑あまり意味を持たないと考えることもできる︒さらに︑抽象的危険犯と具体的危険犯の区別基準を不明確で︑
恣意的・空虚な道具にし︑区別基準をたてることすら困難にしていると批判することも可能である︒この見解による
ときは︑危険の明示なき構成要件ーーすなわち抽象的危険犯や形式犯ーは︑すべて具体的危険犯だということになるおそれ
( 2 1 )
がある︒従って︑具体的危険犯とする見解の根本思想は取り入れて﹁従来の抽象的危険犯﹂の理解は反省されるべき
だとしても︑具体的危険犯と抽象的危険犯の区別基準としての﹁危険の発生が構成要件要素になっている︵条文に記 明示の有無という基準は︑
関 法 第 四 六 巻 第 一 号
︱二 四
一定
の
危険犯は具体的危険犯と抽象的危険犯に区別されるのが普通であるが︑シュレーダーはこのことに疑問を投げかけ
﹁抽
象的
危険
犯﹂
にお
ける
可罰
性の
制限
につ
いて
︵一
︶
②抽象的ー具体的危険犯概念 において生じる可能性がある︒ここでは︑条文上︑危険という表現は存在しないが︑﹁遺棄した﹂という文言を﹁危 次のことに注意しなければ︑自己矛盾に陥るか︑事態を適切に把握できないことになる︒まず︑自己矛盾は︑遺棄罪
( 2 2 )
険な遺棄行為﹂と解し︑被遺棄者の生命︵さらに身体︶の安全が害されていない場合に︑条文の﹁遺棄した﹂に当た
らないとするのであれば︑遺棄罪においては︑危険の発生は構成要件要素にまでたかめられていることを意味する︒
( 2 3 )
また︑未遂犯は具体的危険犯であるといわれる︒しかし︑未遂犯処罰の規定は何も危険の明示はなく︑﹁実行の着
( 2 7 ) ( 24 )
手﹂という要件が記述されているに留まる︒時には︑暴行罪︑信用毀損罪︑電子計算機業務妨害罪︑騒乱罪︑往来妨
( 2 9 )
害罪︑内乱罪等が︑危険の明示がなくとも具体的危険犯と解されている︒これら二つの事態を適切に︑矛盾なく説明
﹁危険の発生﹂を﹁結果としての危険﹂︑ するには次のように考えねばならないであろう︒
つまり﹁危険結果の発生﹂と解し︑
﹁危険﹂という文言は︑具体的危険犯に常に必要だというわけではない︑
ということを承認しなければならない︒つまり︑具体的危険犯と抽象的危険犯の区別基準は︑法益に対する危険﹁結
( 3 0 )
果﹂の発生が法律構成要件︵条文︶において要求されているか否かである︒しかし︑危険犯が具体的危険犯と抽象的
( 31 )
危険犯とに区別されうるかどうかも争われている︒ しかし︑﹁危険﹂の発生が構成要件要素になっている 述されている︶かどうか﹂という基準は︑放棄されるべきではないと考える︒
︱二
五
︵条文に記述されている︶かどうかという基準を用いる者も︑
︵︱
二五
︶
︵危険な傷害罪︶においても︑
る︒シュレーダーによれば︑具体的危険犯と抽象的危険犯との中間形態・混合形態である抽象的ー具体的危険犯
(a bs tr ak t‑ ko nk re te Gefahrdungsdelikte)~”P土3スレJい、つ。
その形態であることが疑わしい条文として︑刑法第二二九条︵毒害罪︶︑第二二三条a
( 3 2 )
条後段︵放火罪︶︑食品法
(L eb en sm it te lg es et z)
第三条を挙げる︒
︵危
険な
傷害
罪︶
︑第
三
0八
まず︑刑法ニニ九条に関して︑判例は︑被害者の健康に対する危険が存在したかどうかの決定の際に︑投与された
物質の質と量︑その使用方法並びに被害者の身体の状態が︑考慮されなければならないとする︒この原理は︑他の物
質に適用されるのみならず︑毒物にも関連する︒それ故︑シュレーダーによれば︑﹁ニ︱一九条は個々のすべての事情
( 3 3 )
が危険性に関する裁判官の判断において考慮されなければならないという意味での具体的危険犯である﹂︒
二二三条a
この見解は︑行為の危険性に関する相当性説の基準に従って︑一般的に判断し︑従って︑個々の事例のすべての非定
( 3 4 )
型的な事情を考慮してはいない︒ここでも︑抽象的要素と具体的要素が結合されていることになる︒そのことは危険
な道具による傷害罪︵二ニ三条a後段︶にも妥当する︒時には︑具体的な使用方法以外に道具の一般的な適性も考慮
されなければならないという見解が主張されている︒従って︑
なものではないことになる︒しかし︑シュレーダーは︑﹁ここでは特定の態度が一般的に誰かある者にとって危険と
思われるかどうかが問われるのではなく︑特定の態度は︑まさにこの被害者に対する行為のありうる効果に関連され
( 3 5 )
ねばならない﹂という︒従って︑シュレーダーは二二三条aにおいて︑抽象的ー具体的危険犯を認めず︑具体的危険
( 3 6 )
犯と
する
︒ 関法第四六巻第一号
一部の者は︑処置が生命を危険にするに適していたことで十分とする︒
ストッキングや紐は﹁危険な道具﹂概念にとって十分
︱二
六
(︱
二六
それらとは異なっているのが︑
︱二
七
三0八条後段である︒ここでは︑具体的危険性に放火客体の性質と位置のみを考慮
しうるか︑あるいは︑具体的危険性に影響するすべての事情︑例えば︑風や天気も考慮されるかどうかが問題である
とする︒判例は︑放火客体の性質と位置のみを考慮した︒従って︑シュレーダーによれば︑判例の見解は︑具体的事
例の性質と位置のみを考慮し︑それに対して︑具体的危険にとって重要なその他の要素は無視しなければならないこ
( 37 )
とに
より
︑一
︱ 1 0
八条は﹁ある種の抽象的危険要素と具体的危険要素の混合﹂を含んでいることを意味することになる︒
一般化を意図しているが︑位置という概念は︑放火される客体と放火によって危険にさらさ
れる客体との関連を意味しており︑性質という概念においても︑火が広がるかもしれないという問題が中心になって
いるのであるから︑この問題に関する判断は両客体を取り入れてなされなければならない︒このような理由から︑確
( 38 )
かに放火客体の位置と性質の諸要因に際しては︑すべての事情が考慮されなければならないとシュレーダーはいう︒
例えば︑放火客体の近くにある建物が︑火が燃え移らないコンクリートの防空壕であるという事実は考慮される︒し
( 39 )
かし︑風や天気は考慮されない︑と︒
抽象的危険要素と具体的危険要素の真正な結合は︑食品法︱︱一条において生じる︒食品法三条が﹁その摂取が人の健
康を害するに適している﹂ような食品の製造を禁止しているなら︑この諸要件は確かに立法者によって個々の事例に
おいて確定されなければならないが︑専ら一般的基準にあてがわれなければならないであろう︒ここでは︑なぜなら︑
具体的な使用方法並びに害のある食品が用いられる人々は︑製造の時点においてまったく不確実であり︑それ故︑こ
の食品の摂取が人の健康の実害に導きうるという場合がおよそ考えられうるかどうかがたんに問われうる︒この危険
犯形態は抽象的危険犯と同様の疑問にさらされる︒従って︑抽象的危険犯と同様︑行為は具体的に危険でなかったと
抽﹁
象的
危険
犯﹂
にお
ける
可罰
性の
制限
につ
いて
(‑
)
Jこでは立法者自体が︑
︵ 一 ︱ 一
七 ︶
ビンディングは︑一般的危険性の理論を次のように記述した︒つまり︑
① (2)
従来の︵いわゆる︶形式説の内容と問題点
第 四 六 巻 第 一 号 ( 4 0 )
いう反証が許容されるとシュレーダーはいう︒
︵︱
二八
︶
以上のシュレーダーの提案する抽象的危険犯と具体的危険犯の中間・混合形態である﹁抽象的ー具体的危険犯﹂は︑
︱ ︱ 1 0
八条後段︑食品法三条において提出されている︒ただし︑﹁抽象的ー具体的危険犯﹂は︑わが刑法においては存
在しないといってよいように思える︒しかし︑従来の通説のように﹁推定・擬制された危険﹂や﹁一般的危険﹂を抽
象的危険犯の処罰根拠とみるとき︑事態は異なっているようにも思える︒例えば︑遺棄罪の行為客体︵法益客体︶
の
制限列挙や放火罪の﹁現在性﹂要件は事後的に確定される要素であり︑﹁生命・身体﹂の具体的危険︑﹁公共の危険﹂
認定の一要素と考えられる︒ここに推定・擬制された危険や一般的危険といった形式的危険と実質的・具体的危険要
素の結合を認めることはできる︒しかし︑通説的見解の区別基準及び上述の区別基準︵二の①︶からみれば︑やはり︑
抽象的危険犯か具体的危険犯かの二者択一的選択であり︑その中間形態は存在しない︒ただ︑山口教授のように︑抽
( 4 1 )
象的危険犯を上位概念として︑抽象的危険犯を細分化して︑下位概念を設定することは充分可能であるように思える︒
一般的危険性説︵危険・危険性動機説︶
一般的危険性説は︑抽象的危険犯の本質を説明する場合︑危険ー.結果にではなく︑むしろ行為の危険性の問題に注
意をむける︒その際︑この説は個々の場合における具体的行為にではなく︑その行為の種類に重点をおくのである︒
﹁危険性は︑個々の行為の属性
( At t
r ib u
t )
ではないが︑大量観察
(M
as
se
nb
eo
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ch
tu
ng
)
に基づいて危険性は行 関法
︱二
八