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(1)

[報 告]

第2回

JICA短 期 ボ ラ ン テ ィ ア に

参加 して

〜 ペル ー 野 球 派 遣 で 学ん だ こ と〜

近畿大学産業理工学部 硬式野球部

近畿大学産業理工学部硬式野球部

陰山厚樹手銭勇輔上杉恭平

恵良貴大金田将大郎住田流星

高瀬裕司西山貴人福元達也

松中一輝

2014.

訪問先

1はじめに 210〜3.9

(リ)

現在︑南米のペルーでは子どもたちに十

7Fノフオ窪フFりそ麺)を,一(迂尊!鴫︑㌔ーしーア門﹁︑二(﹁,し↓ヲ

行に走る子どもが増加している︒その子ど

していく活動が進められている︒そんな中︑縁あって我々10名は独立行政法人国

(JICA・qo808oo2JICA)

の事業のひとつである海外短期ボランティアに野球隊員として参加する機会を得

21039JICA

アでの活動を通じて得た経験と派遣国ペルーの実情について述べる︒

2.

. JlCAl1

̀1!σr5

(JOCV・山O︿ω$ω08ooω)

は︑前述の協力隊発足の経緯のとおり︑1965年(昭和40年)4月にわが国政

府の事業として発足した︒事業の実施は当時の海外技術協力事業団に委託され︑"事業団の中に日本青年海外協力隊事務局が設置された︒

その後︑1974年(昭和49年)8月にわが国政府が行なう国際協力の実施機

(JICA・噛808αq92(現

国際協力機構))が発足し︑その重要な事業のひとつとして受け継がれ︑名称も青

年海外協力隊となり︑今日に至っている︒ h∠2JICA

JICAボランティア事業は︑日本政府のODA(政府開発援助)予算により︑

独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業である︒開発途上国から

の要請に基づき︑それに見合った技術・知識・経験を持ち︑﹁開発途上国の人々の

ために生かしたい﹂と望む方を募集し︑選考︑訓練を経て派遣を行う︒

JICA

で話し︑相互理解を図りながら︑彼らの自助努力を促進するように活動する︒貧

困︑医療︑教育問題など︑その国が抱える問題に取り組み︑経済や社会の発展に

貢献することを目指した草の根レベルのボランティアである︒

UJICAとペルー野球ボランティア

ペルーに青年海外協力隊野球隊員が初めて派遣されたのは1984年のことで︑

初代隊員は大森雅人さんである︒その後︑2代目野球隊員として櫻井国弘さんが

派遣され活躍をされた︒

1991JICA3

より殺害される事件が発生︒青年海外協力隊派遣事業はペルー共和国からの撤退

を余儀なくされた︒

ペルーに野球隊員が派遣されないまま4年の月日が流れたが︑1995年に櫻

井さんの高校時代の恩師である佐藤道輔先生を中心に﹁ペルー野球を支援する会﹂

を結成︒道具の支援や︑佐藤先生の自費で野球隊員を派遣するなどの活動により

現在︑青年海外協力隊ペルー野球隊員として20年ぶりに若松剛さんが派遣され

ている︒また︑昨年短期ボランティアとしてペルーで活動を行った立塚さん(4

年生休学中)は日系社会青年ボランティア・アルゼンチン野球隊員として活動し

今回︑短期ボランティアとして派遣された手銭勇輔さんは9月にペルーへ︑上

杉恭平さんは7月にブラジルへと長期ボランティアとして派遣される予定である︒

3.

3. 近畿大学学生の派遣に至るまでの動き

1選考

選考は︑1次選考と2次選考がある︒1次選考は︑書類による技術審査と健康

(2)

診断審査で︑語学については︑ TOE1C330点以上の語学力を証明するスニ

アの提出が必要になる︒ 2次選考は技術面接人物面接必要に応じた追加の健

康診断がある︒

しかし︑我々の場合は︑短期派遣であり団体派遣ということや昨年の継続的な

活動であるということもあって︑語学力については考慮された︒我々は無事にー

次︑ 2次と選考に合格し︑短期派遣のボランティア隊員としてペルーへ行くこと

となつた︒

2次選考合格後︑我々N名は黒田先生にょるスペイン語講座を数回受けた︒そ

こでペルーで野球ボランティアをしていくための最低限のスペイン語(挨拶︑野

球用語)を学んだ︒黒田先生もよく言われていたが︑一言葉は覚えることよりも

使っていくことが重要である︒遊び半分ながら︑学生同士で挨拶をスペイン雫

交わしたりするなど︑生活の中にスペイン語を溶け込ませる習慣をつけた︒現地

でもこのように日本で学んだスペイン語を活用することができ︑ペルー人とコ

ミユニケーションをとつていくことに役立てた︒

その他にも昨年短期ボランティアとして派遣された先輩方の体験談を聞ミそ

れを参考にスペイン語の学習を行い︑活動に対しての想像を膨らませた︒

3. 2 派遣一剛訓練

研修は︑出発前に行われた青年海外協力隊とシニア海外ボランティアの合同研

修と︑到着後に現地のほうで活動を行っていく我々N名の隊員と長期の隊員そし

てJ1CAの職員の方々との研修があり計2回研修が行われた︒

合同研修では︑青年海外協力隊とシ一一ア海外ボランティア︑短期派遣と長期派

遣釡盟子免除者)などと様々な形でボランティアをする105名の人達が集り︑

J1CAボランティアとして必要な要素を身につけるために研修を通じ︑研修期

間中に相互に良い意味での刺激を受け︑また活動をしていく中で身の安全を守る

ための講義も設けてもらい︑ボランティア活動を円滑に進めていくための知識を

この研修を通して学ぶことができた︒さらに研修では︑ 1班U名のグループディ

スカッションがあり︑私以外の人達がボランティアを通じてどのようなことをや

りたいかなど色々な思いや夢を聞くことができ︑私自身がどのような活動をした

いかなどを改めて考えることができた︒

現地での研修では︑ J1CAの事業内容︑現地での安全対策の講義とーケ月問 の研修内容についての話し合いを行っていった︒講義ではJ1CAの組織につ

てと︒ヘルーで実際にあった犯罪を中心とした講義があり︑話し合いでは︑今回の

活動のチーム全体の目標を具体的に長期の方も加え全隊員で話し合った︒

私はこの2回の研修を通して他国でボランティアをしていくために必要な知識

と{女全対策を学ぶことができた︒また︑たくさんの方々とコミユニケーシヨンを

とる機会を頂いて︑私たちのボランティアに対する意欲を見つめなおすことがで

〒゛多であった︒なにょり禾厶たちは今︑回の

活動を円滑に進めることができたのは︑研修

があったから最善の準備をすることができ︑

現地で安全にボランティア活動をすることが

できたのだと思う︒

4.ペルー

任国事情4 1

ペルー共和国は︑南アメリカの太平洋側に

位置し﹁ナスカの地上絵﹂︑﹁マチユピチユ﹂' 一一一

1

一九 都首マ ノ︑.

近畿大学産業理工学部かやのもり 20(2014)

16刀

1.面積

約129万平方キロメートル細本の約3.4倍) 2.人口

約3081万人(2014年1月推定値、ペルー統計情報帳)

3.

4.民族

先住民45%,混血37%,欧州系15%,その他3%

5. 言語

スペイン語(他にケチュア語,アイマラ語等) 6.宗教

国民の大多数はカトリック教 フ.略史

1821年 年月

1968年 1980年 1980年 1985年 1985年 1990年 1990年 1995年 1995年 2000年

スペインから独立 軍事政権

2000年 2001年

ベラウンデ政権

2001年 2006年

略史

ガルシア第一期政権

2006年 2011年

フジモリ第一期政権

2011年

フジモリ第二期政権

フジモリ第三期政権,同政権退 陣,パニアグア暫定政権

トレド政権

ガルシア第二期政権 ウマラ政権

゛ミ,"

図1 ペルーでの研修の様子

(3)

などの歴史的遺産が多い国としてょく知られている︒

また︑日系人の数も約9万人と非常に多く︑これは世界第3位である︒特に︑

私たちが活動を行った首都りマでは︑日系人と関わりがある人のみが使用できる

スポーツ施設などもあり︑私たちも日系人の方と交流することも多くあった︒

その他にも︑南米諸国にょり行われるオリンピックである︑パンアメリカン.

ゲーム2019の開催国がペルーのりマに決定したことやそれに伴う経済の成長

など︑今南米諸国の中でも目の籬せない国のひとつとして注目をされている︒

4.近畿大学学生︑ペルー到着

日本から見てほぽ地球の反対側に位置するペルーは私たちが想像していた以上

に遠く︑大変なものであった︒

日本からアトランタを経由しペルーに着くまで約1日を飛行機の中で過こした︒

ペルーに到着してすぐは皆長旅の疲れのせいか︑表情は暗かった︒しかし︑バス

でホテルへと向かうときには初めてのペルーの街並みに目を輝かせていた︒その

様子からは︑このーか月の活動に対する期待と意気込みを感じた︒

4. 3 現地の人々との触れ合い

今回︑︒ヘルーに来て色々な方々にお世話になり︑

野口英世学校の保護者の方々に旧市街︑新市街︑ 二0

れて行っていただいた︒サン・クリストバル

の丘では︑りマを一望でき︑とても眺めが良

かった︒しかし︑よく見てみると地域で貧困

の差を感じ︑印象深かった︒ AELUのソフ

トボール連盟の方々にも何度も食事会を開い

ていただいて︑あらゆる場面でお世話になっ

た︒また︑ヒロシマというAELUのチーム

の保護者の方々にも食事会に招待してくださ

リ︑帰り際にはプレゼントもいただいた︒大

使:わせ.ていただきたい︒私達はペル︑ーに

来て︑たくさんの方々にお世話になり︑わざ

わざ球場に足を運んでくださつて試合を応援 してくださり︑様々な場面でとても助けられたと感じる︒また来年ペルーに来て︑1年後の成長した近畿大学硬式野球部の姿を見てもらい︑成長したと思われるぐらい日本に帰国してからの生活をしつかり送っていきたい︒本当にペルーの方々は良い人ばかりでつよく印象に残った︒

西山貴△

5.近畿大学学生の活動の様子

我々が︒ヘルーで行う野球活動は︑ U1U (軟式野球)︑ U1巧(硬式野球)の少

年たちへの指導︑そしてペルー・セレクシヨンチームとの試貪 AELUを中心

に活動しているクラブチームとのトーナメント戦である︒それぞれの様子を派遣

隊員に述ベてもらつた︒

本当に感謝している︒

サン・クリストバルの丘に連 指導の様子(球場別)51

AELU (アエル)

今回私たちは主に宿泊︑私生活においてAELUという場所でお世話になった︒

AELUは︑日系人の方を中心とした総合運動施設であり︑野球場を始め︑サッ

カー場テニスコート︑ゲートボール場プールなど様々なスポーツ施設がある︒

食事においても︑レストランが︑四店舗あるなど︑ AELUという施設内で︑す

べての物や施設が揃っている︑︒ヘルーでも有数な総合運動施設である︒私たち近

畿大学硬式野球部の活動において AELUの方々がAELUリーグ戦に招待し

て頂きAELU所属の5チームと対戦をさせていただいた︒結果はりーグ戦 4

勝1敗上位となり4チームの中のーチームとして決勝トーナメントに進出し︑

トーナメントで近畿大学産業理工学部が優勝することができた︒

AELUは︑ペルーでも有数な施設ではあるが︑日本と比ベると︑グラウンド

は凸凹で大きな石が落ちていた︒また︑選手の身につけている野球道具を見ると︑

新品できれいなグローブを使用している選手はおらず︑バットも個人で所有して

いる人はほとんどおらず︑数名のチームで共有し使用していた︒しかし︑私たち

と重なる部分もあった︑それは野球が大好きで一生懸命やっているということで

あるトーナメント準決勝でTA1Y0と対戦して︑延長戦を制し私たちが勝利を

した時に涙を流す選手がいた︒私たちは︑この光景を見て改めて野球の素晴らし

さを感じるとともにペルーの野球はこれから必ず発展していくであろうと感じた︒

少年野球指導においては︑ AELUの子供たちを指導し︑子供たちはまっすぐな 鳶叉即︑J,︑=︑一

1

4

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図2 サンクリストバルからの景色

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168)

阿、,',

(4)

瞳で私たちの指導を聞いて試してくれていた︒

野球の技術レベルだけでみると︑まだまだレ

ベルが低かった︒しかし︑とれからも純粋な

気持ちで続ければ今後のペルー野球は発展し

ていくと確信した︒私たち︑近畿大学産業理

工学部野球部計1︒名は︑このAELUで活動

を始めAELUで活動をおえることができ子

供たちやりーグの選手たちとも交流を深める

ことができた︒ AELUという施設で様々な

体験をすることができたことを︑誇りに想う

と共に︑この1力月支えていただいたAE工

Uの関係者の方々に感謝の気持ちでいっぱい

である︒(松中一輝)

CALLA0 (カヤオ)

今回︑私たちは国際協力機構J1CA青年海外協力対短期ボランティアでぺ

ルーに派遣された︒主に野球の指導と道具の寄付を中心に活動した︒

活動場所はりマを中心に行い中でもCALLA0という地域で活動をした︒ C

ALLA0の歴史を調ベるとカヤオは︑ 1537年に設立した︒ 1535年にり

マが設立したちょうど2年後であった︒カヤオはすぐさまスペインの太平洋にお

ける主要な貿易港となった︒名前の由来は分かっていないが︑インディオの言葉

かス︒ヘイン邑由来すると考えられている︒ 1550年までに︑町はカヤオの名

前で知られていた︒副総督領の最盛期︑ペルー︑ボリビア︑アルゼンチンで生産

されたほとんどすべての製品が︑ラバに乗せられアンデスを越えて︑カヤオに運

ばれた後︑パナマに船で輸送され︑地峡を渡り︑再び船でキユーバを経由してス

ペインに運ばれた︒

AELUの地域同様にCALLA0の地域の中にもスポーツ施設があり︑その

施設の中に野球のグラウンドやサッカーのグラウンド︑テニスのコートやバス

ケットのコートなどいろいろあり︑食事がとれるととろまでも確保している︒ C

ALLA0はAELUみたいに日系人中心の施設ではなく︑日系人以外にもいろ

いろな人がいる︒私たちはそこで野球の指導と大会の運営をやらせていただいた

一二"︑ のだが︑野球のグラウンドは芝も生えておりとてもきれいなのだが︑内野を見てみるとグラウンドには整備道具が不足しているため内野は常に荒れておりプレー中いつけがをしてもおかしくない状況だった︒野球道具の寄付も大事だが︑それ以前に野球がしやすい環境を作るのも私たちの仕事だと感じ整備道具の寄付もしていかないといけないと強く感じた︒ CALLA0の周りは海が見えきれいなのだが︑他の活動地域の︑ AELU, V1DENヘに比ベると治安が悪いといわれている︒施設の周りには屋台やレストランなどいろいろあり治安は悪そうに見えないのだが︑少し籬れた場所に行くと雰囲気は一気に変わり少し危ない空気が漂っていた︒

CALLA0での活動を通じて︑ CALL

A0の子供たちはとても元気で野球を心から

楽しくプレーしていたので逆に私たちが元気

をもらい野球とぅいスポーツを原点から見つ

めなおすことができた︒︒ヘルーの子供たちや︑

指導者の人たちには本当に感謝している︒

(金田将大郎)

SUN LU1S (サンルイス)

私たちはたくさんの地域で子供たちに野球を教えることができた︒その地域は

野球をする環境が整っている場所もあれば整っていない場所︑様々な環境のグラ

ウンド設備があった︒サンルイスのV1DENA球場を最初に見た印象はグラウ

ンドが非常に綺麗で野球をする環境は素晴らしく整っており︑何一っ不自由ない

グラウンド状況である印象であった︒しかし球場周辺に目を配るとペツトボトル

やお菓子の袋などが散乱しておりグラウンドが汚くなるのも時間の問題かと私は

思った︒子供たちはゴミを見てもあまり拾おうとしないので私たち隊員が気付け

ば拾うように心がけていた︒その姿を見て子供たちにも何か感じてほしいと思う

と同時に私もグラウンドの大切さを改めて実感することができた︒そして私が改

善して欲しいと感じたのはトイレの設備である︒その理由としてトイレの便座や

トイレットペーパーがなく隊員全員トイレには毎日困っていたので私はグラウン

近畿大学産業理工学部かやのもり 20(2014)

(69)

"Ξ」

図3 AELUの様子

J和

図4 CALLA0の様子

(5)

ドの設備よりもペルーの人たち全員が共有する場をもう少し改善するべきだと感

じた︒

サンルイスの子供たちは人見知りの子供が多く︑最初は話しかけても答えてく

れる子は少なかったのだが時間や回数を重ねることにょって子供たちの方から歩

み寄ってきてくれることが多くなった︒子供たちの保護者も私たち隊員を暖かく

向かい入れてくれた︒昼食等の手配や飲料水の差し入れなどもいただいて私の︒ヘ

ルーで活動する原動力となった︒子供たちは私たちが組んだ練習メニユーを年齢

に関係なく積極的に楽しんでくれた︒その中でもいちばんに盛り上がったメ

ニユーは子供たち同士の試合である︒点が入れば大喜び︑点を入れられたらグ

ローブを地面に叩きつけて怒りを表す子供もいた︒それは一見いい姿には見えな

いのだがそれだけ子ども達は野球に真剣に取り組んでいる証であると私は思う︑

と同時に子供たちに初心の気持ちや何か大事なものを教わった気がした︒サンル

イス球場最後の日には私たちが日本から持っ

てきた野球道具を寄付した︒その盛り上がり

は予想以上で名前を呼ばれた子供は走って道

具を取りに来てくれた︒一番人気があったの

はランニングシユーズでもアンダーシャツで

もなく軟式用のボールだった︒私は意外で僕

たちの道具に対する価値観とサンルイスの子

供たちはまた違ったものを持っているのだと

感じた︒最終日に子供たちの喜ぶ顔を見るこ

とができ私達も嬉しい気持ちになった︒

(住田流星) 二二

ていて︑とても野球を練習する環境にまでは至っていなかった︒その中で野球を

しにグラウンドに足を運んでくれる子供達は卯名を超えていた︒最初はそのグラ

ウンドの状況に驚いていて︑とても指導を行うことに集中することができなかっ

たが︑子供達の無邪気にボールを追いかける姿に心を打たれ︑徐々に子供達と一

緒になって野球をすることができた︒日本ではグラウンドの整備がしつかり行わ

れていて︑その中で野球をするということが当たり前という感覚だが︑ペルーで

はグラウンドがどのような状況であってもボールとバットさえあれば野球をする

という咸覺︒全く別の盛見で野球をしていて︑野球というスポーツはどこの国で

もしていることがとても嬉しかった︒私達のテーマであった子供達に野球の楽し

さを教えるということがどんなグラウンド状況であっても子供達と一緒に野球を

H1DEYO NOGUCH1 (ヒデヨノグチ)

私たちは6力所の地域に野球を教えに行った︒その中で私はh・1d e yo n

Oeuchiという地域の事について書こうと思う︒まずそのグラウンドまでは

リマの中心から30分くらいかけてバスで行った︒流れる景色の中で︑とても貧

富の差というものを感じた︒道路はどんどん整備ができていないガタガタ道に

なっていき︑時にはバスが横転しそうなくらいひどい場所もあった︒ hid o y

O h0 宮Uchiのグラウンドには雑草が全体に生えていて︑大きな石も落ち Y

P し︑果たすことができたと思う︒反対に子g達の方から私達が野球を始めるきっかげとなった野球の楽しさという部分を教えてもらつたような気がした︒グラウンド状況がどんなに悪くても野球の道具がどんなにボロボ口でも野球が好きだから︑野球をする︒そう

つた所を見て︑もう一度私は野球の原点に

戻ることができたのではないかと思っている︒

この肌で感じた貴重な体験を今後の私の人生

に大きく生かすことができると自信を持って

いる︒

f

5. 2 大会運営の様子

①軟式の部

今回︑私は昨年に引き続き2度目のボランティア活動参加となった︒昨年出

会った子どもたちと︑ 1年の時を経て再会し︑昨年よりも体も大きくなり︑たく

ましく感じられた︒子どもたちの成長を自分の目で確かめられたことは非常に嬉

しいことであった︒訟歳以下の大会はCALLA0のグラウンドで行われた︒出

場していたチームは︑日系人のチーム及び地域のチームが出場していた︒前回の

活動で出会った子どもたちが一生懸命︑そして楽しそうに野球をしている姿が印 (福元達色 ゛イ

図5 SUN LU ISの様子

HIDEYO NOGUCH1の様子

F'

Pの

図6

(6)

象的だった︒ N歳以下の大会はV1DENAのグラウンドで行われた︒出場して

いたチームは藷歳以下の大会同様日系人のチーム及び地域のチームが出場して

いた︒このW歳以下の大会は同チームの指導者がピツチャーとしてマウンドに上

がり︑相手チームの子どもたちを守らせ︑同チームの子どもたちを打たせるとい

う形で試合を進めていった︒共通して感じられた部分は︑純粋に野球を楽しんで

いた姿である︒ヒットを打って喜ぶ姿点を取って喜ぶ姿逆にミスをして悔し

がる姿点を取られて悔しがる姿が目に焼きついた︒この姿勢は︑野球人にとつ

て決して忘れてはならない姿勢である︒如歳以下︑ U歳以下の子どもたちの大会

で野球の原点を見ることができた︒子どもたちには︑いつまでも野球を好きであ

り続け︑少しでも野球を長く続けてほしいと願っている︒(陰山厚樹)

②硬式の部

硬式少年野球の大会運営に2月14日S3月5日まで携わった︒主に球審を短

期隊員で順繰り務めた︒球場はCALLA0の球場を使用した︒出場していた

チームは︑日系人のチーム(K1UYO︑ TA1Y0など)の他にCALLAO

やV1DENA地域のチームも参加していた︒硬式野球は玲歳S巧歳の子どもた

ちということもあり︑私たち短期隊員よりも背の高い選手もいた︒全体的に見れ

ば︑体格などは日本の同年代である中学生と変わりがないように思えた︒

技術的なレベルであるが︑やはり日系人のチームは頭一つ抜けている︒優勝

準優勝 3位まで日系人のチームが独占していた︒セツトポジシヨン時の静止時

間︑バントの技術など細かい点に目を腹れば︑野球の基本である投げる︑打つな

どはある程度のレベルにあると考えられる︒しかし︑括抗したレベルのチームが

少ないため︑緻密な戦略野球をする必要がなく︑大味な野球で勝負ができてし

まっている︒この状態からレベルを上げていくには︑現在のペルー野球の状態か

ら考えても︑国際試合を重ねて︑さまざまな戦略を経験するのが手っ取り早いだ

ろう︒また︑試A口中にグローブを投げて︑ふてくされてしまう選手もいた︒負け

ず嫌いな性格が見えて良いと言ってしまえばそれまでだが︑日本と違うと感じた

のは︑注意する大人がいないということだ︒監督やコーチも言葉では怒っている

呼び出して叱っている場面は見られなかった︒そこが日本人との違いだろう゛)

か︒むしろ︑ワンプレーに子供より感情を出して︑喜んだり︑怒ったりしている

監督もいた︒ しかし︑逆に感心する場面もあった︒試合終了後に必ずミーティングをするこ

とである︒去年は子供達の試合に携わることができなかったため気づかなかった

練習は終われば終わりつぱなしのイメージが強かったため︑試合後の反省゛)︑

ミーティングを取り入れていることがとても印象に残った︒

野球の試合を盛り上げていたのは子どもたちばかりでない︒彼らには熱狂的な

ファンがいる︒アウト︑セーフの声で歓声︑悲鳴をあげる保護者だ︒日本のよう

な応援歌を歌ったりする習慣はないが︑一生懸命に声を張り上げて︑自分の息子

のチームを応援する姿はどこの国も同じようだった︒子銭勇輔)

ψ

' 5. 2 試合の様子

今回私たちN名は青年海外協力隊としての

活動の中で︑野球の普及︑指導とは別にぺ

ルーでの国際試合を行った︒国際試合は︒ヘ

ルーのりーグ戦に参加と︒ヘルー代表玲歳以下

との試合を行った︒この︒ヘルーのりーグ戦は

今回私たち近畿大学野球部の派遣が決まって

からできたりーグ戦であって︑ペルーの受け

入れは非常に良かった︒結果は︑近畿大学の

優勝となり日本の野球のプレースタイルや素

晴らしさを伝える事ができたとともに︑ペ

ルー野球が普及する可能性を私たちが身を

もって感じることができた︒

また︑ペルーは親日であり︑日本との関わ

りの強い国だと感じた︒なんの関わりもない

私たちの応援をしてくれる人や︑水などの差

し入れをくれる人など︑本当にあたたか

人々ぱかりであった︒ペルーの選手たちは全

員全力で試合に取り組んでいて試合を通し

て負けたペルーのチームの中で涙を流す選手

も見られて野球に熱血さを感じることができ

て嬉しかった︒試合においても︑今回の試合

二Ξ ︑︑

近畿大学産業理工学部かやのもり 20(2014)

{71}

試合時の円陣を組む学生

図8 大会に出場した選手と 図7

(7)

はペルー野球を盛り上げることができたと手応えを感じた︒

6.まとめ

現在世界は﹁日本化﹂の危機に怯えているという︒リーマンシ"ツク後の経

済状況が︑日本のバブル崩壊後の経済状況の低迷と同じような状況になるととを

恐れてのことである︒﹁日本化﹂とは政治が指導力を発揮できていないことを表す

一言葉である︒東日本大震災後の復興が遅れていることも︑リーダーシップの欠如

がその背景としてあるのではないかと言われている︒

このようなととから︑以前の日本では内向的な考えの人々が多かった︒しかし︑

現在では学生のうちから海外ヘと進出して︑日本にはない海外の文化や風習に触

れるという考えも増えている︒その背景としては︑海外留学情報サイトが増えた

ことや︑多くの大学で留学カリキ三フムも組まれている︒ J1CAを通じた活動

もそのーつと言える︒また︑保護者の意識も国際感覚や語学力の重要性も理解し

ているため︑留学を勧める傾向が強くなっている︒

私たち自身︑ーか月という短い間であったが︑海外の文化に触れることの重要

性を理解することができた︒

フ.終わり

昨年のペルー派遣に続き今回の派遣に協力︑支援していただいた近畿大学の関

係者の方々に感謝を述ベたい︒学部長をはじめとする大学関係者の方々には︑昨

年同様野球道具の寄付や︑私たちの派遣のために動いていただいた︒また︑青年

海外協力隊OBであり︑経営ビジネス学科スポーツマネジメント研究室の黒田次

郎先生には︑多くの助言や指導をしていただいたことや活動の機会をいただいた︒

そして︑私たちが所属している硬式野球部の肘井利一監督には︑不安のある中私

たちの活動に協力していただいた︒多くの人々に支えられ充実した活動ができた

ことに︑感謝をしたい︒

また︑今回のボランティア活動では多くのことを学ぶことができた︒その中で

も1番に感じたことは︑今までいかに恵まれた環境の中で生活できていたかとい

うこと︒普段当たり前のように行っていることのひとつひとつが他の国では︑考

えられないようなことであったりもする︒日本という恵まれた環境で生活できる

ことをあたりまえと思わず︑感謝の気持ちを忘れてはならないということをあら (上杉恭平) 二四

ためて感じることができた︒そして︑私たちが活動を行ったこのーか月間を近畿

大学や硬式野球部のプラスとなるように還元してゅく︒

参考文献

1)ペルーを支援tる会(2004)﹃グラシアス︒ヘルー S海を越えたキャッチ

ボールS﹄ペルーを支援する会 11S19頁︑ 255頁

2)もろしのぶ(1999)﹃青年海外協力隊になるには﹄︒へりかん社︑ 44,56頁

3)内海成治(2012)﹃はじめての国際協力﹄昭和堂 26頁S33頁︑ 31

8頁

4)細谷広美(2012)﹃︒ヘルーを知るための66章[第2版]﹄明石書店 3

S5頁

5)吉田寿(2012)﹃世界で闘うためのグローバル人材マネジメント入門﹄日本実業出版社︑第1章

6)森和明(2012)﹃日本人はなぜ海外で通用しないのか﹄日経BPマーケティ

ング︑序章

参考ウエブサイト

1) J1CA ホーム︒ヘージ J1CAボランティアの歩み

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日検索時点)Ξ旦1冒0す.如9ぢ\ヨ0貫爲昌円尺3 ペルー共和国勉強って楽しいんだ

拝旦1.昆詩0鴎旨.旨\旦0イ\乏R一今ゆき.=巨(2 0 14年4月27日検索時

点)

4)宮旦曹.壽昔ゆ色N.又1亘禽ω器誤爲禽

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参照

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