博 士 ( 法 学 ) 中 村 敏 子
学 位 論 文 題 名
福沢諭 吉に おける文明と家族
学 位論 文内容の要旨
福 沢 諭 吉 は 、 彼 の 著 作 に お け る 唯 一 の 原 理 論 と も い え る 「 文 明 論 之 概 略Jに お い て 、文 明 史 と ぃ う 観 点 に 基 づ き 、 文 明 の あ る べ き 発 展 過 程 を 示し た 。 そ れ は、 人 間 が 「 万物 の 霊 」 と し て 、 自 ら の 「 智 」 と 「 徳 」 を 発 展 さ せ て い く 過 程 で あ っ た 。
し か し 彼 は 、 文 明 発 展 の 本 来 の 道 筋 を 明 ら かに し な が ら 、当 時 の 日 本 にお い て は 、 国家 の 独 立 が 最 大 の 課 題 で あ る と 考 え 、 そ の 最 終 章 に お い て、 「 国の 独 立 は 目 的 なり 。 国 民 の 文 明 は こ の 目 的 に 連 す る の 術 な り 。 」 と 言 い 切 っ た 。 こ こ で 彼 は 、 本 来 あ る べ き 文 明 史 の 過 程 を 前 提 と し な が ら 、 日 本 の 国 家 的 独 立 を 達 成 す る とぃ う 課 題 を 国民 の 前 に 明 らか に し 、 自 身 も 学 者 と し て そ れ を 追 求 す る こ と を 決 意 し た と い っ て よ い で あ ろ う 。 彼 は 、 当 時 の 日 本 の 独 立 を 達 成 す る た め に 、西 洋 文 明 に 倣う べ き だ と 考え た 。 文 明 化と は 人 間 の 「 智 徳 」 の 発 達 で あ る と い うr文 明 論 之 概 略 」 に お い て 論 じ ら れ た 定 義 に基 づ き 、 当 時 の 日 本 の 文 明 段 階 を は か る と き 、 福 沢 は 、 西 洋 文 明 に 追 い 付 く た め に 日 本 に 必 要 な の は 、 人 間 が 自 分 自 身 お よ び 外 界 を 合 理 的 に 理 解 す る 精 神 と 、 そ れ に 基 づ き 外 界 に 働 き か け 進 歩 を 促 す と い うr智 」 の 発 達 で あ る と 考 え た 。 そ の よ う な 人 聞 の 合 理 性 を 促 す た め の 基 礎 と し て 必 要 な 「 私 徳 」 は 、 自 ら の 内 か ら 発 し た も の で は な か っ た に せ よ 、 そ れ に 替 り 得 る も の が 日 本 人 の な か に は 存 在 し て い る と 、 福 沢 は 考 え た の で あ っ た 。 し か し 、 こ の よ う に 文 明 史 の 原 理 に 基 づ き たて ら れ た 日 本の 西 洋 文 明 化の 戦 略 は 、 実現 不 可 能 で あ る こ と が 次 第 に 明 ら か に な っ て い く 。 な ぜ な ら ば 、 福 沢 が 立 て た 西 洋 文 明 化 の 戦 略 に お い て 最 も 重 要 で あ っ た 「 文 明 の 精 神 」 を 担 っ て い く 主 体 皓 、 人 民 の 中 だ け で は な く 、 彼 が 期 待 し た 指 導 者 の な か に も 見 い だ せ な か っ た か ら で あ る 。 そ れ と こ ろ か 、 彼 が 当 然 存 在 す る も の と し て 前 提 し て い た 「 私 徳 」 に つ い て も 、 指 導 者 層 に 至 る ま で 、 そ の 乱 れ は 目 に 余 る 状 態 で あ っ た 。 そ し て 、 そ う し た 不 品 行 を 縛 る た め に 、 儒 教 主 義 が 導 入 さ れ よ う と し た の で あ る 。
こ こ に 至っ て 福 沢 は 、 「 私 徳 」を 存 在 す る も のと し て 予 定 しな が ら 、 「 智 」 の 発 達を 促 すと い う 、 「 戯 略 」 に おい て 立 て た 文明 化 の 戦 略 を見 直 す 必 要 に追 ら れ た 。 そ して 、 「私 徳 」 の 叢 鱠 に ま で 退 却 し た う え で 、 信 教 主 義 と 弼 う こ と に な っ た 。 し か し 、 文 明 史 の 原 理 に 基 づ く 西 洋 文 明 化 が 不 可 能 に な っ た と し て も 、 日 本 の 独 立 を 確 保 す る た め に は 、 形 だ け の 西 洋 文 明 化 だ け で も 推 進 し な け れ ば な ら な い 。 そ こ で 、 こ れ 以 後 の 福 沢 の 議 論 は 、 一 方 で 、 「 私 徳 」 を 守 る と いう 点 に ま で 後退 し た に せ よ 、文 明 史 に お け る 人 間 の 「 智 徳 」 の 発 達 と ぃ う 原 理 に 依 拠 し た 議 論 と 、 他 方 、 国 家 の 独 立 と い う 必 要 か ら 要 請 さ れ る 外 形 上 の 西 洋 文 明 化 の 主 張 ・ と に わ か れ 、 二 重 の 構 造 を 持 つ こ と に な っ た 。 福 沢 の 文 明 史 論 が 上 の よ う な 変 遷 を 違 げ た 後 、 明 治18年 ご ろ に 集 中 し て 男 女 関 係 論 が 論 じ ら れ る こ と に な る の は 、 具 体 的 に は 、 当 時 西 洋 文 明 化 の 実 現 が 問 題 と さ れ た か ら で あ っ た 。 そ こ で の 基 本 的 な 議 論 は 、 西 洋 文 明 化 の 実 現 の た め に は 、 男 女 関 係 に お い て も 、 西 洋 の 如 く 対 等 な 一 夫 一 婦 制 を 確 立 し な け れ ぱ な ら な い と ぃ う 点 に あ っ た 。 し か し 、 こ の よ う な 対 等 な 男 女 関 係 を 作 ろ う と す る と き 問 題 だ っ た の は 、 一 身 の 「 私 徳 」 に 関 し て 不 品 行 を ほ し い ま ま に し て い る 男 性 の 状 況 だ っ た の で あ る 。
は 不 品行 を 隠 し な が ら、
し よ うと し た 。 し か し、
りか、 「私徳」をおきざ こ で 福沢 は 、 こ う し た風
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そ の 状 況 を改 善 し 、 他 方 で、 女 福 沢 の 努 カに も か か わ ら ず、 状 り にして 、 「 公徳」 の重要 性が 湖 に対抗 する ために 、 「日 本男 て
革 かそ し改 ぱ 関 を たた に 況 っつ 性 状 かい 男 る なて ゝ い れつ ず て さな え れ 善に あ ら 改う り め によ と し 向る は 阜 一れ 彼 が はば 性 況 叫
子論Jにおいて、再びすべての人間関係の基礎としての「私徳」について鱠じることにな った。
このように福沢の男女関係論は、元来西洋文明化という国家目的に触発されたものであ った。しかし、それは対等な人間関係をめざしたがゆえに、モの前提として、独立した人 間のあるべき姿の基礎を成す、 「私徳」の議論を含まざるをえなかったのである。福沢の 文明史論が、原理論と現状との乖離により持たざるをえなかった二重性は、人間の「私徳」
を俸める という 点に閲し て、男 女関係論において、再び接点を持つことになった。
彼は、自己に関する智徳を修め独立した人間が、最初に作り上げる人間関係としての夫 婦を抑圧する機能を果たしている、 「世教」の教えと家制度を批判した。家族は、独立し た個人を抑圧する機能を体現するものとして、西洋文明化の観点から、変革の対象とされ たのであった。
しかし、二重の文明論の一方である文明史の原理から見た場合、福沢は、家族の中にこ そ、文明の究極状態における人間関係を暗示するような関係が成立していると考えたので ある。彼は、当時の家族のなかに存在する親密ば愛情にもとづく人間関係を、人間の智徳 の発達が最高段階に連したときに達成される、全ての人間関係の理想型としてとらえてい た。 福沢の文明史の議論において、家族はこのように、当面必要な西洋文明化から見た場合 には変革の対象として鱠じられ、文明史の原理に基づく議論においては、究極の人間関係 の雛型を示すものであるととらえられた。彼は、家族が実際には望ましい人間関係の芽を 持ちながら、実際には、抑圧の組織となっている点を批判した。こうして家族は、二重の 構造 を 持 つこ と に なっ た 福 沢 の文 明 諭 のふ っ か りあ う 領 域と なった のであ る。
これまでの福沢研究においては、彼の家族論が、彼の思想全体のなかで持つ重要性は、
全く認謹されてこなかった。しかし、彼の関心は、合理的な政治制度及び資本主義的経済 機構を成立させるだけではなく、そうした文明にふさわしい智徳を備えた人間を、創出す ることであった。それは、絶えず現実の人間の状態との鬪いのなかで諭じられたが、最も まとまっ た形で 鑰じられ たのが 、男女関係に閲する議論においてだったのである。
本鱠文は、 第一部及び第二部において年代順に福沢の著作を考察し、福沢の家族論が 常に文明の発展過程に関する缶論のなかに位置付けられていたことを示す。それに対し、
第三部は、そのような福沢の竃諭を、文明と家族及び個人との関係という観点から分析し、
その意味を探ろうとする試みである。そのために、イングランドにおける資本主義文明と 家族の関係を説明するモデルを分析枠組として使用し、西洋文明化という議論の文脈にお いて主張された福沢の家族論が、いかにその本質をとらえていたかを明らかにする。その うえで彼の議論の特色を解明し、彼が常におい続けた、あるべき人間の姿とそのような人 間が作り上げる社会関係について考察する。最後に、福沢の諭じた家族論を含む社会構成 原 理 の 持 つ 意 味 を 、 家 族 国 家 観 及 び 社 会 契 約 論 と の 対 比 に よ り 分 析 す る 。
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学位論文審査の要旨 主査
副査 副査
教 授 松 澤 弘 陽 教 授 荒 木 俊 夫 助教授 川崎 修
I 福沢諭吉は、明 治啓蒙の最大の思想家である。その櫑沢の日本の将来構想を理解すること1ま、日本における 国民国家の形 成と近代化を めぐるさまざま な構想の対抗 とその帰結を 理解する鍵となるであろう。それにもかか わらず、福沢 の思想の重要 な分野特に女性 綸・家族諭に は見るべき研 究が乏しい。それは、これまでの研究の多 くが、福沢に っいて、限ら れた視野のもと で、あるいは 不適切な視点 からの、特定の資料のみにっいて検討をも ってこと足れ りとして来た からに他ならな い。
こ れ に対 して 本 論文 は 、1.福 沢が 公けに した言説を包 括的かっ徹底的 に検討した。2.本研究はま た、英国 の学界におけ る、近代資本 主義と家族にっ いての歴史人 類学の最新の 研究および女性の復権の視点から、近代の 社会契約綸の ラジカルな再 検討を行った政治思想史研究の成果を活用し、福沢の女性論・家族言侖の、比較史と政 治理論のレベ ルにおける分析を試みた。3.本言侖文はさらに、このよう′よ新しい独自の方法と視点によって、福 沢の思想の全 体榊造を明快 にとらえ、その 枠組の中に、 彼の女性論・ 家族論を位置づけ、それらの、これまで誤 解されあるい は見逃されて 来た、本来の意 味を明らかに することを企 てた。
II本 論 文は 、第1部 ・ 日本 の 独立 化 と文 明化 の 道、 第2部 ・文明のなか の女性と男性 、第3部・むす び一文明 における個人 と家族の3部か らなり、その 全体が堅固に構成されている。すなわち、第1、2部は福沢の女性言侖・
家族論の形成 と展開を、福 沢の思想の全体 構造の中に位 置づけ、通時 的に分析する 。第3部は、これをうけて、
福沢の女性論 ・家族論を、 彼がそれを展開 するにあたりっねに弓1照した、英国社会における女性と家族の実態お よびモれにっ いての社会契 約という理論構 成と対比しっ つ、共畤的な 分析を行い、近代の日本と西欧とを通じる 視野のもとで 、かつ人類史 における家族の将来を見通して、福沢の家族論・女性論の独自の意味を明らかにする。
本論文は、 福沢の思想全 体の構造の骨格 を、文明史お よび文明化の 長期的戦略と当面する国民国家の独立の戦 略との分化と 交錯としてと らえる。すなわち、あらゆることがらを、人類の完成に向う進歩の相のもとにとらえ、
日本における 智の進歩をは かる長期的戦略 と、当面する 国家目標のた めに文明化をその手段をして従属させる戦 略とが葛譲す る。第1部では 、明冶10年代 半ばまでにっいて、このよう′よディレンマを孕んだ思想構造が自覚化 される経過を たどり、日本 にっいて、文明 化の戦略也し ての、国民特 に指導層の徳と智の開発、政治的戦略とし ての「外形的 西洋化」とい う分化が生じた ことを明らか にする。
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第2部 は 、 こ の よ う な 背 景 の もと で 、1882( 明冶15) 年 か ら89( 明 治32) 年 に か けて 、 福 沢 の 女 性 論 ・ 家 族 論 が 前 面 に 現 わ れ 展 開す る 経 過 を 明 ら か に す る 。す な わ ち 、 条 約 改 正 を 中 心 とし た 、 国 際 社 会 へ の 参 人 とい う 国 家
目 的 の た め の 「 外 形的 西 洋 文 明 化 」 戦 略 か ら して 、 日 本 社 会 の 最 も 弱 い 部 分と し て の 女 性 の 地 位 の 劣 悪と 男 女 関 係 の 顛 廃 の 改 革 が 要請 さ れ 、 女 性 の 解 放 と 向 上は さ ら に 男 性 の 「 品 行 」 へ の間 いを 、男性 の「 品行 」への 問い は、
そ の 「 外 形 」 へ の 対処 か ら 「 品 行 」 の 源 泉 と なる 徳 の 内 面 性 に っ い て の 思 索を み ち び い た 。 こ う し て 、女 性 に 対
す る 徳 が あ ら ゆ る 徳の 根 基 か っ 「 人 権 」 意 識 の根 源 と な り 、 夫 と 安 の 間 の 道徳 が 政 治 社 会 形 成 の 端 緒 とし て と ら え ら れ る に い た っ た。
第3部 は、 こ の よ う な 通 時 的 ナ ょ 解明 を う け て 、 福 沢 の 家 族 諭 を、 一 方 、 イ ン グ ラ ン ド を 中心 とす る西 欧の 近代
社 会 ・ 国 家 形 成 に おけ る 家 族 に っ い て の 理 論 と実 態 と 、 他 方 、 同 時 代 の 明 治国 家 に お け る 家 族 国 家 イ デオ ロ ギ ー と 、 対 比 し つ つ 、分 析 す る 。 蘊 沢 の 家 族 書 侖は 、 彼 が 対決 した家 族国 家諭 と、 引照し た西 欧の 近代家 族と の間 にあ
って 独 自 の も の で あ り 、 日 本 の家 族 国 家 言 侖 の み ならず 、西 欧の 近代 家族の 弱点 をも こえる 、文 明史 的な 意味を も
って い た と い う の が 本 論 文 の 結諭 で あ る 。
本 論 文 は 、 福 沢諭 吉 の 女 性 論 ・ 家 族 論 に っい て 、 新 し い | さ ま ざ ま な 関心 を 触 発 す る 結 諭 を導き 、こ の分 野に
お け る 従 来 の 研究 が ぷ っ か っ て い た 壁 を こ える こ と に 成 功 し た 。 そ し てこ の よ う な 成 果 を 可能に した のは 、本 稿 冒 頭 に の べ た 、 筆 者 独 自 の 新 し い 視 点 と 方 法 お よ び 、 そ れ と 結 び っ い た 資 料 の包 括 的 か っ 深 い 検 討 で あ る 。
本 論 文は 、 対 象 領 域 に お け る 新 し い知 見 の 獲 得 と い う 成 果 に おい て の み な ら ず 、 西 欧 の 学 界に おい て近 年め ざ ま し い 発 展 を とげ た に も か か わ ら ず わ が 国 にお い て は ま だ か え り み ら れる こ と か 少 な い 、 歴 史 人類 学や政 治理 論 の新 し い 達 成 を 導 人 す る と いう 接 近 方 法 に お い て も 、 福 沢研 究 と い う 領 域 を こ え て 、わ が 国 の 政治 思想史 研究 に
大き な 寄 与 を な し て い る 。
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