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学位論文内容の要旨

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Academic year: 2021

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博 士 ( 文 学 ) 保 岡 啓 子

学 位 論 文 題 名

     「もう一度のいのち」

〜脳死・臓器移植とその当事者の生命観に関する医療人類学的研究〜

学位論文内容の要旨

  序章 では、本論文が明らかにする問題を社会的背景と関連付けながら述べ、さらに本論 文の理論的および社会的意義を説明する。

  第1章では、脳死移植に関する医 学・生命倫理学・法学および文化人類学における先行 研究の概観と批判的検討を行う。

  第2章では、本論文の理論枠組み である生命論の概観を行う。文化人類学だけにとどま らず医 学、生命倫理学、宗教学、法学など関連諸分野における生命論の系譜を整理し、批 判 的検 討を 試 みる 。そ して 人類 学的 に生 命を 論じ るた めの理論的視座を明確化する。

  第3章は調査の方法と対象を説明 する。主要な調査方法はナラティプ・インタビュー、

半構造 化インタビューと参与観察である。対象となったのは、日本に在住する移植医療を 専 門と する 医 師10名、 レシ ピェ ント7名 、 ドナ ー家 族6名の計23名である。彼ら/彼女 らを対 象に行なわれたインタビューの音声記録は、逐語的に文字変換された。こうして得 られた 文字データの分析は、グラウンデッド・セオリー・アプローチにおけるコーディン グの技 法に依拠しながら進めた。分析の目標は、インタビュー対象者の移植医療に関わる 経験を再構成することである。

  第4章では移植医療者に焦点を当てる。調査した医療者の脳死移植への態度は、「起死回 生の医療」と賞賛する一方で、「残酷な医療」とも表現するなど、アンビバレンスすなわち 両面価 値的感情が特徴的である。この両面価値的感情と、移植医療の現場での経験とがど のよう に関連しているのか、またそれはドナーとレシピェントそれぞれに対する関わり方 においてどう表れるのかを、データに基づきながら説明する。

  第.6章では、臓器移植を受けた側のレシピェントの経験を、彼らの語りから再構成する。

レシピェントたちは、一方で脳死移植を「ありがたい医療Jと感謝しながら、他方では「(他 人の) 死を待つ医療」によって自分が救われたことへの負い目を感じる傾向にある。彼ら

/彼女らはドナーからの臓器移植によって得られた人生を、「もう一度の人生」と表現する。

こ こ で は 彼 ら に と っ て の 「 も う 一 度 の 人 生 」 の 意 味 内 容 を 詳 し く 探 求 す る 。 第6章では、肉親の臓器提供を経験 したドナー家族の経験世界を明らかにする。彼らがど のよう な経緯で脳死状態に陥った肉親の臓器提供を決断するに至ったのか、またその結果 どのよ うな内面あるいは生活上の変化を経験していったのかをナラティプ・データに基づ     ―1―

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きながら述べる。そして肉親であるドナーの「いのち」に関する、彼ら/彼女らの解釈に ついて分析を加える。

  第7章の主 題は、これまでの三っの章で別々に取り上げてきた脳死移植の当事者たちの 交流である。体験談のスピーク・アウト、サンクス・レター、移植者スポーツ大会などの 機会を通して、当事者たちがそれぞれの立場の違いの中で、どのように出会い、葛藤し、

また相互理解に至っているのかを明らかにする。

  第8章では 、第4から7章まで で具体 的に述べ てきた 脳死移植 当事者の経験に対する理 論的考察を加える。分析の第ーの軸は、「死の人称」である。ドナーの家族の側にジャンケ レヴ ィッチの 言う「第1人称態の死」の側面が伺えるような、死者と一体化した死生観が 観察されることなどを指摘する。第二の分析軸としてモースとサーリンズに代表される互 酬性論を援用しながら、レシピェントとドナー家族の間で贈る側と受ける側が反転する、

特殊な生命論的互酬性が見られると結論づける。最後に波平恵美子の「生命/いのち」の 二分法と調査結果とを比較対照させて論じる。ドナー家族の側の「もう一度のいのち」と いう語りに着目し、そこではドナーの生命が、個体的生命として有限でありながら、他者 の身体に移植されることで更新可能なものとして表象されていることを指摘する。この生 命観は、「生命/いのち」の二分法には収まらないものと考えられ、これを統合し得るよう な新しい理論枠組みについての考察を展開する。

  結論 では、第8章で取り上げた「もう一度のいのち」という表現が示唆する生命観、死 生観が、現代社会においてもつ独自性および展望を述べる。

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学位論文審査の要旨 主査   助教授   小田博志 副 査    教 授    宮武公夫 副 査    教 授    坂井昭宏

     学位論文題名

     「う一度のいのち」

〜脳死・臓器移植とその当事者の生命観に関する医療人類学的研究〜

  上記の 審査担 当者から 構成さ れる審査 委員会 は、平成18年4月 と5月に合わせて5回の 会合を開いて本論文の審査に当たった。

  本論文の目的は、脳死・臓器移植に直接関係した人々(本論文中では「当事者」と称さ れる人々)、すなわちレシピェン卜、ドナー家族、移植医療者とのインタビュー調査を通し て彼ら/彼女らの経験を再構築すると共に、その経験を人類学的生命論の観点から分析す ることである。脳死・臓器移植は日本においていまだに社会的コンセンサスの得られてい ない医 療問題 である。 長年の 議論の末 、平成9年(1997年)に日本での臓器移植法が制定 さ れ、 脳死体 からの 臓器移植 が可能 となった 。しか し平成18年(2006年 )3月21日の時 点で、42例しか実際の脳死・臓器移植(以下、脳死移植)は実施されていない。本論文は この問題に、文化人類学的にアプローチしようとするものである。っまり脳死移植の現場、

ないしそれを実際に体験している当事者に焦点を当て、フイールドワークやインタビュー 調査の 技法に よって脳 死移植 当事者の 経験世界を内側から理解しようとすることを目指 す。

  脳死移植は一般に医療の問題として論じられる。しかし本論文の理論的な目論見はそこ にあるのではなく、脳死移植当事者に関する実質的データに基づきながら、従来の生命論 を問い直し、新しい理論モデルを発展させようとする点にある。「生命」ないし「いのち」

という概念は脳死・臓器移植との関連で頻繁に使用される。しかしそれがどのような意味 内容を持って使用され、またどのような生命観の表明となっているのかに関する本格的な 人類学的研究はまだ存在していない。文化人類学ないし医療人類学の分野一般においても、

生命観そのものに焦点を当てた実証的研究はほとんどない。本論文はこの研究上の空白を 埋 め て 、 い わ ぱ 「 生 命 の 人 類 学 」 を 発 展 さ せ る 試 み と し て 位 置 づ け ら れ る 。   本論文の成果として顕著な点は、貴重な実証的資料を提示したことと、理論的考察の独 創性である。

  日本における脳死移植件数はまだ非常に少なく、そのため、その当事者の数も少なぃの     ー3−

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が現状である。またプライバシー保護の原則が厳しい医療の世界で、臓器移植に関わった 人々、ことにドナーの家族にアクセスすることはきわめて困難と言える。申請者はこの難 関をねぱり強く潜り抜けて、合計23名のナラティブ。データを獲得し、その分析結果を詳 しく 本論文中 で提示 している 。それ が行なわれた第4章から7章までの部分は、それ自体 が脳死移植を考察する上でのきわめて貴重な資料と言えるものになっている。脳死移植に 関しては、現場や当事者の実態に基づかない抽象論・感情論がいまだに多い中で、この調 査 結 果 は 別 の 方 向 を 指 し 示 す 人 類 学 か ら の 貢 献 と し て 高 く 評 価 で き る 。   理論的には人類学的な生命観分析の実例を示した点が独創的である。文化人類学および 医療人類学の分野では、例えぱ「生命/いのち」という図式を用いて、近代医療に代表さ れる個体主義的・定量的生命観と、伝統的社会における個体を超える非限定的生命観とを 分J析するといった試みがなされてきた。しかし申請者がインタビュー調査によって明らか にしたのは、従来の「生命/いのち」の二分法に収まらない生命観、すなわち有限な個体 の生命を前提としながらも、それを人格的でありかっ更新可能なものとする捉え方である。

この点の指摘は、人類学的生命研究への特筆すべき理論的貢献である。しかし本論文が先 駆的 試みであ るがゆえの不十分さはいくっか見られる。特に第2章で示されたビオス/ゾ ーエ ー論と、 第8章ならびに結論で述べられている「もう一度のいのち」という生命観と の比較考察は不徹底である。しかしここでナラティブ・データから導き出されている生命 観は、そうした限界を補って余りある示唆深いものである。

  本審査委員会は、以上の審査結果を踏まえて、全員一致で本申請論文が博士(文学)の 学位を授与されるにふさわしいものであるとの結論に達した。

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