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マレー人の離婚 : 統計的分析の試み [Divorce among the Malays : A Statistical Analysis]

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全文

(1)

ー 人

の 離

- 統 計 的 分 析 の 試 み

-坪

良 博

Divorce among the Malays - A StatisticalAnalysi

s-by

Y

oshihiroTsUBOUCHI

1

は じ め に

1) 2) 3)

マ レー人 の高 い離婚 傾 向 につ い て は,Judith Djamour,ShirleCordon,Rosemary Firth,

4) 5)

M.G.Swiftな どが指摘 して お り, マ レー半 島 に近接 す る ジ ャワにつ いて も,Hildred Geertz

の記述 な どが あ る。 口羽 益 生 と筆 者 も1964年 7月 ∼翌 1月 ,お よび1965年 6月∼10月 にわ た るマ ラヤ北 西 部 , Kedah 州 の- 稲 作農 村 の調 査 にお いて , 離 婚 が非 常 に多 い こ とを見 出 し, この現 象 を もた ら 6) す要 因 と して ,下 記 の よ うな マ レ-人社 会 の構造 的 な特質 を指 摘 した。 第 1は , マ レ-人 の 『いえ』 や 家族 につ いて の考 え方 で あ る。個 人 を 中心 と して放 射 状 に拡 大 す る双 系制 の親 族 組 織 を その本 質 とす るマ レー人 の家族 にお いて は , 系譜 関係 に基 い た排 他 性 の強 い集 団 が存在 しな い。 先 祖代 々の墓 や家 族 の名 (姓 ) もな く, 日本 にお いて み られ るよ うな屋 号 も存在せ ず ,従 って ,離 婚 が家族 の体 面 を傷 つ け る とい う考 え が な い。婚 姻 後 の居 住 地 につ いて も,夫 妻 いずれ の側 に住 んで もよ い とされ ,双 方 の主 張 の不 一 致 は離 婚 を招 き易 い。 家族 の形 態 は夫 婦 と未 婚 の子 か らな る核 家 族 が 多 いが ,拡 大 家 族 を形 成 す る場合 ,成 員 の資格

1) Djamour,J.:MalayKl-nshiPandMarriageinSingapore.London,1959.

2) Cordon,S.:Marriage/Divorcein theEleven StatesofMalayaand Singap3re,INT/SAIU,

Vol.II,No.2.Singapore,N.D.

3J Firth,Rosemaryl.Housekeei)ingamongMalayPeasants.2nded.London,1966.

4) Swi ft,M.G.:A NoteontheDurabilityofMalayMarriages,Man,Vol.58No.208.1958. id.:MenandWomen in MalaySociety,inB.E.Warded.:WomentntheNeu)Asia.1963. l'd.:MalayPeasantSocietyi-nJelebu.London,1965.

5) Geertz,H.:TheJavaneseFamily.New York,1961.

6) rj羽益生 ・坪内艮 博 「マラヤ北西部の稲作農村- 婚姻 ・離婚 ・家族の特質について- 」 『東南 ア ジア研 究 』第4巻 第1号,1966.pp.23-28.

(2)

東 南 ア ジ ア軒 究 窮 4巻 窮 3号 の決定 に関 す る単 系 的 な きま りが な く,家 族 の壁 を強 め る社会 的 な要素 が少 な いので ,拡 大 家 族 の 内部 にお け る些 細 な緊 張 か ら も離 婚 が 容 易 にお こる。 第 2に,財 産 の所 有方 法 が 考 え られ る。財 産 は相 続 を うけ た個 人 に属 す る もの と して ,名義 上 で も,意 識上 で も峻別 され て お り,結 婚 後夫妻 が共 同で得 た財 産 (主 に土 地) は離 婚 に際 し て 等分 され る。 妻 が 自力 で得 た現 金 収入 は ,首 飾 りや 腕 輪 な ど換 金 性 の高 い金 の装 身 具 な どを 購 入 して 自分 で 貯 え る。 この よ うに財 産 に 関 して も,家族 単位 に よ る共 同性 が 稀薄 で あ り,離 婚 を阻 止 す る力 とはな らな い。 第

3

に,子 供 の処 理 の問題 につ いて は ,離 婚 した夫 妻 の子 は いず れ か の側 に ひ き と られ ,再 婚 の場合 には連 れ子 とな って親 に従 うか ,ま た は祖父 母 に ひ き と られ る。離 婚 が比 較 的少 な く, 病 理 的現 象 とみ な され る社 会 で は , この よ うな ことは子 供 に と って不 幸 で あ る とされ るが , こ こで は実 子 と継子 や 養子 とを差別 す る観 念 が 弱 く,余 り大 き な問題 とは な らな い。 第4に,離婚 後 の再婚 が容 易 な ことが挙 げ られ る。 以 上 の社 会 構 造 に基 づ く諸 要 因 と重 複 して ,離婚 に対 して比 較 的寛 容 な価 値 観 を有 し, ま た 7) そ の届 出 に関 す る慣 行 を規 定 して い る イ ス ラムの影 響 な どを考 え る必 要 が あ ろ う。

4

項 目にわ た って指摘 した社 会 構 造 の側 か らの説 明 は , コ ミュニ テ ィ ・ス タデ ィに基 い た も ので あ り, そ の視 野 の狭 さゆ え に ,部 分 的要 因 に よ っ て す べ て を 理解 した と考 え る危 険 が あ る。 ま た ,調 査 上 の手 落 ちが ,広 域 的 な統 計 の検 討 に よ って発 見 され るか も知 れ ない。 他方 , われ われ の調 査 地 を マ ラヤ にお いて位 置づ け し, こ こか ら得 られ た結 論 が どの程 度 まで一般 化 で き るか とい う判 断 の基 準 とす るた め に も広 域 的 な観 察 は有 用 で あ る0 本 論 の 目的 は , マ ラヤ にお け る離 婚 の動 向 を 明 らか にす る と同 時 に , エ クステ ンシ ィヴ な統 計 資 料 とイ ンテ ンシ ィヴな コ ミュニ テ ィ ・スタデ ィの接 続 点 を見 出す ことで あ る。

2

DjamoⅦr と Gordomの 資 料 本 論 にお け る観察 の主 な対 象 とな る地 域 は ,マ レー シア連 邦 に属 す るマ レー半 島 の11州 ,す な 7) マラヤにおけるイスラム法で認められている離婚の方法は次の 4つである。第 1の最 も一般的な方法 は,夫が talak(talc-q) という言葉を用いて一方的に宜言す る離婚で,夫は イスラム法廷の kathi に自分で申告する。 この場合 2人の証人を要す る。kedah 州では,kathiが各郡 (daerah)に 1人 しかいないので,村のモスクの imam (導師)がその権限を代行する。 1度めと 2度めの talakは, 離婚 された妻の待婚期問 (eddah,`idda)が過ぎる前に取 り消すこと (rojok)が可能であるが,3度

めの talak の場合は,妻が他の男 と正式に結婚 し離婚せぬ限 り,元の妻 と再婚す ることができない。 第 2の方法は cberaita'alik とよばれ,夫が妻の生計を一定期間みなか ったり,あるいは一定期間 留守をした場合に,妻の側から kathiに請求 される。第 3は,khula (または kholo,khult) とよ ばれ,妻の申し出に対 し夫が同意することによって行なわれるが, この手続 きは kathiに申し出る 必要がある。第 4の fasah(faskh)は,法廷の判決による婚姻の解消である. 2から4の中,最 も 多いのは khulaであるが,その talak に対す る比率はきわめて低い。なお,離婚手続 きに関す る詳 細は,Abd.Ibrahim :ZsZaml'cLou)inMalaya.Singarx)re,1965.梅 田輝世 「マラヤの女性

『東 南アジア研究』第3巻第5号,pp.126-130.口羽 ・坪 内:oi,.cit.pp.24126など参照。

(3)

0-坪 内 : マ レ ー 人 の 離 婚

わ ち 旧 マ ラヤ連 邦 の各 州 で あ る。 マ レー シ ア に お い て は ,今 まで の と ころ ,政 府 機 関 に よ って 公

表 され た全 国 的 な離 婚 統 計 は存 在 しな い。 比 較 的 ま と ま った統 計 資 料 と して は ,Djamourが ,

Kedah,Malacca,NegriSembilan,Penang,Perak,Perlis,Selangorの7州 に つ い て 集 め た

8) 9) もの と,Gordonが11州 す べ て にわ た って 集 め た もの とが あ る。 これ らは , マ ラヤ の イ ス ラム 表 1 イスラム教徒の婚姻数 と離婚数 Malacca 離 婚 Dj. G. 三∴ _ =;:: ::vf_ -Selangor 婚 姻 Dj. G. 離 婚 LDj. G. 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 4 4 4 4 4 5 5 5 5 5 5 5 5 9 1 ;1・936 :1,859 1,1859 1,481 1,767 1,767 1 1,467 :2,235 2,235 1,369! 1,871 1,332 1,945 1,412 2,099 1,440 1,797 5 1 7 2 0 3 4 0 3 2 1 7 7 ′b 7 8 6 ′b ′D ′b ′0 5 9 3 0ノ 1 0 9 5 3 8 0ノ 9 5 1 7 2 0 3 4 ′0 0ノ 7 7 ′0 7 8 ′0 6 一l 一 9 1 0 9 5 3 8 2,396 3,147 3,147 3,040 3,040 3,378 3,378 2,783 2,783 2,906 2,906 2,658 2,801 2,781 2,829 989 1,080 1,086 1,068 1,168 1,066 1,066 1,063 1,063 1,023 1,023 1,103 1,018 939 967 8) Djamour,J.:oP.cit.p.136. 9) Cordon,S.:oP.cit.pp.27-32. - 71- 469

(4)

東 南 ア ジ ア 研 廃 酸 4巻 第3婁 1,220 1,241 1,201 1,178 760 1,040 7,724 7,724 7,222 7,222 8,945 8,945 9,621 9,621 7,266 7,266 6,778 5,789 5,814 4,836 6,940 5,032 5,032 4,645 4,645 5,170 5,170 4,977 4,977 4,8014,801 4,285 3,968 3,634 3,173 3,924 5 8 7 1 ′0 0 8 ′O L7 8 4 1 4 5 3 5 3 7 1 1 ′0 7 8 8 ′b ′0 5 8 9 ′0 5 5 3 5 1 ′0 1 4 3 4 5 3 ′0 6 7 8 8 ′0

Dj.:Djamour.Malay KinshibandMarriage in SingaZ)ore,1959.

p.136による数値。

G.:Cordon. Marriage/ DivorceintheEleven StatesofMalaya and Singapore.INTISAIU,

ⅠⅠ-2.pp.27- 32による 数値。 教 徒 に関 す る数 値 で あ るが ,多民 族 国家 で あ るマ レー シア に お いて , マ レー人 の殆 どすべ て が イ ス ラム教 を ,中国 人 が仏 教 と道 教 の混 合 , イ ン ド人 が主 と して ヒ ンズ ー教 を信 ず るが故 に , イ ス ラム教 徒 の離 婚 は殆 どマ レ-人 に よ る もの とみ なす こ とが で き る。彼 等 に したが って ,各 州 の結婚 と離 婚 の数 を示 す と表 1の よ うに な る。

上 記7州 につ いて は ,Djamour と Gordon の 統 計 が重 複 す る年 次 が あ る。 この うち Ma-1acca,Penang,Kedah の3州 で は重 複 部分 の数 値 が合 致 す るが ,Selangor,Perak,Negri Sembilan,Perlis の4州 につ いて は くい違 いが存 在 す る。 これ らの くい違 い の 中 に は , ミス 10) ・プ リン トと思 われ る もの もあ るが ,大 部 分 は ,統 計 記 録 の し っか り して い な い州 に お いて , 調 査 者 が原 資 料 を数 え る際 , あ るい は州 内 にお け る小 地 域別 ,月別 統 計 な どを集 計 す る際 にお 10) 例えば, 1950年 Perlis婚姻における1,246と1,146, 1950年 Selangor離婚 における1,068と1,1680 470 - 7

(5)

2-こ った と思 われ る もので あ る。

こ こで NegriSembilanの数 値 を検 討 す る と,Djamourに お いて は各 年 次 の数 値 の 隔 差 が 比 較 的小 さい の に対 して ,Gordonに お い て は,1950年 か ら52年 にか けて ,数 値 が きわ め て 少 な く,53年 に Djamourとは ゞ同 じ くらい に な って い る。 す なわ ち,Gordonの資 料 の は じめ の3カ年 に異 常 が 認 め られ るが ,筆 者 は これ を原 資 料 の散 逸 に よ る もの と推 定 す る。 も し,散 逸 が主 な原 因で あ る な らば ,先 に資 料 を収 集 した Djamourの方 が信 頼 性 が 高 い と 思 われ るの で ,本 論 に お いて は ,重 複 部 分 に くい違 いが あ る場 合 に は,原 則 と して彼 女 の数 値 ll) に従 う ことに す る。 Djamourの数 値 と Gordonの それ と に くい違 いが あ る場 合 , いず れ か 一 方 を採 用 しつ ゝ両 者 を連 続 させ る ことは , くい違 いが 甚 だ しい場合 に は や ゝ危 険で あ る。 重 複 す る最 後 の年 次 の数 値 を検 討 す る と,Selangor,NegriSembilan,Perlisに 閥 して は くい違 い は小 さいが ,Perakに お い て はか な り大 き く, こ こに若 干 聞題 が 残 る。 以 上 の よ うに , マ ラヤ 諸州 の マ レー人 の離 婚 に関 して は ,不十 分 なが らそ の統 計 資 料 を得 る こ とがで き る。 しか し,Gordonは ,単 な る資 料 の提 示 に と どま って お り,Djamourも7州 につ い て ,詳 しい分 析 を加 え る こ と な し に簡 単 な論述 を して い る に過 ぎ ない。 今 まで の と こ ろ ,他 の 研究 者 に よ る統 計資 料 の 分 析 もみ られ な い。 以 下 ,筆 者 は主 と して上 述 の数 値 を分 析 しなが ら論 議 を進 め る こ とに す る。

3

地 域 的 にみ た離 婚 傾 向 と その分 析 1 州 別 離 婚 率 いず れ の 州 に お いて も統 計 資 料 が得 られ , しか も比 較 的最 近 で あ る1953-57年 の年 平 均 離 婚 率 を 算 出 した。 率 計 算 の基 礎 と な っ た 数 値 ,お よ び 率 は表 2に示 す通 りで あ る。 今 後 の論 議 12) は ,原 則 と して ,人 口1,000に対 す る離婚 率 を 利 用 して進 め る ことに す る。 各 州 の離 婚 率 を地 図上 に 示 す と 図 1の よ う に な る。 半 島北 部 の Kelantan,Trengganu,

Perlisに高 い離 婚 傾 向 が み られ ,西

岸 の Perakか ら南 下 して ,Selangor,Malacca

,J

ohore にか けて は低 率 が見 出 され る。 以 下 ,若 干 の指標 を用 い て ,離 婚 率 の高 い地 域 と低 い地 域 の特 ll) 数え違いあるいは ミス ・プ リン トによるくい違いの場合にも,いずれが 正 しい か は 無視 して,一応 Djamourに従 ってお くことにす る。 12) この離婚率は,マレー人 とイ ンドネシア人 とが,マ ラヤのイスラム教徒をほ ゞ完全に代表するという 前提のもとに算出されている。 この方法による率計算は,各州人口の年令的構成に著 しい差がある場 合や,特定の州に早婚が多 く,婚姻状態 にあるものの割合が増加 している場合などには,相互比較の ための信頼度が低下す る。以上の二つの問題を無視して論議 しうる有配偶人 口に対する離婚率 (非イ スラムの原住民の有配偶者を も合むが故にここでは参考として付す るにとどめているJと,一般人 口 に対す る離婚率 との相関を調べ ると,r-+.'997 とい う高い正相関がみ られ る。 これは,この問題を とりたてて考慮す る必要がないことを示唆 している。婚姻に対する離婚の割合に関 しては,ある年次 の離婚が必 らず Lもその隼次の婚姻か ら生 じたとは言い得ず,両者の因果関係を諭ず ることなしにこ れを用いることはや ゝ危険である。 - 7 3 - 471

(6)

東 南 ア ジ ア 併 究 幼 4巻 第 3号 表2 1953年∼57年における州別マレ-人離婚率 マレー人 人 口1) (1957) マレー人 有 配 偶 人 口2) (1957) 婚 姻 数 (1953- 57) 離 婚 数 (1953- 57) 口 に る 均 率 ∞ す 平 婚 0 人 ; 対 年 離 偶 口 に る 均 率 配 ∞ す 平 婚 0 有 人 1 .対 年 離 oo る の 合 削 肘 婚 婚 に 離 割 Johore Malacca Selangor Perak Penang NegriSembilan Pahang Kedah Perlis Trengganu Kelantan Malaya 443,289 157,524 142,872 48,536 287,374 104,531 471,422 182,021 165,082 61,183 149,094 56,953 163,012 73,910 475,473 196,903 71,214 31,083 256,147 110,833 459,123 202,738 23,651 6,978 9,655 3,019 13,975 5,050 24,831 11,216 10,733 4,218 10,325 4,804 9,742 5,420 30,157 18,984 5,291 3,617 26,949 20,442 54,175 36,579 3,084,102 1,226,215 219,484 119,327 3.15 8.9 4.23 12.4 3.51 9.7 4.76 12.3 5.日 13.8 6.44 16.9 6.65 14.7 7.98 19.3 10.16 23.3 15.96 36.9 15.93 36.1 7.74 19.5 1) インドネシア人を含み,原住民を除 く。 2) インドネシア人 ・原住民を含む。 婚姻 ・離婚数は表1より算出。人 口は, 1957年センサス ReprtNo.3- 13によるO 図 1 マレー人1,000に対す る離婚率 国人 の 占め る割合 との相 関 は と くに著 しい。 472 - 74 -5 3 1 2 3 5 6 0 4 9 5 4 9 1 ノ0 5 9 ′0 5 3 8 5 」7 4 2 3 3 4 3 4 5 ′b ′0 7 6 5 性 を 明 らか にす る ことに しよ う。 2 他民 族 との接 触 と離婚 率 マ レー シア は , マ レー人 ,中国 人 , イ ン ド人 を主 体 と した複 数 社 会 (pluralsociety)で あ る。各 民 族 の 占め る割 合 は州 に よ って異 な り (表 3参照),マ レー人 の他民 族 に対 す る接 触 とい う点で ,各 州 は異 な った環 境 を もつ。各 州 に お け るマ レー人 以 外 の民 族 の割 合 と 離 婚 率 との相 関 を計 算 す る と表 4 の よ うに な る。 いずれ の民 族 が 占 め る割合 に対 して も相 関 は負 とな り,他民 族 の存在 が離 婚 率 の低 さ と結 びつ いて い る ことが分 る。 中

(7)

坪 内 : マ レ ー 人 の 離 解 表3 マラヤ各州の民族的構成 (1957年) マレ-シアン1) マレー人 まJ7犬 原住民 Johore Malacca Selangor Perak Penang NegriSembilan Pahang Kedah Perlis Trengganu Kelantan 35.60/O 12.20/0 47.3 1.7 19.2 9.2 34.5 4.1 28.4 0.5 39.0 1.9 50.7 1.4 67.0 0.7 78.2 0.1 91.8 0.2 90.7 0.1 中国人 インド人 英国人 その他 0.1C/O 42.40/O 7.70/O 0.60/0 1.40/0 0.1 41.5 8.1 0.2 1.1 0.4 48.2 20.1 0.9 2.0 1.1 44.2 14.9 0.5 0.7 0.0 57.2 12.2 0.6 1.1 0.6 41.2 15.1 0.6 1.6 5.1 34.6 7.0 0.3 0.9 0.0 20.5 9.7 0.1 2.0 0.1 17.4 1.8 0.0 2.4 計 1) 1957年センサスの分類によるマレー人,インドネシア人,原住民を含むカテゴ

リ-1957PopulationCensusof the Federationof Malaya,ReportNo.14,Table3 により 算出。 表4 州別離婚率 と他民族の占める 割合 との相関 民 族 名 相 関 値 中 国 人 rニ ー .915* イ ン ド 人 rニー .755* 英 国 人 rニー .702* イ ン ド ネ シ ア 人 rニー .599 *は95C/Oレベル以上で統計的に有意なことを 示 す。 表 2および表 3より算出。 こ こで , イ ン ド人 ,英 国人 , イ ン ドネ シア人 の 割合 と離 婚 率 との相 関 が見 せ か けの もので あ り, 中国人 との並 存 を蝶介 と して現 われ たので はな い か とい う疑 問 が生 ず るO上記3民 族 につ いて , 中 国 人 の割合 の影 響 を除去 した偏 相 関係 数 を求 め る と ,イ ン ド人 の場合 +.207,英 国 人 の場合 +.153 とな って ,相 関 は負 か ら正 へ とか わ り,離 婚 率 -の直 接 的影響 が な い ことを示 唆 す る。 イ ン ドネ シ ア人 の場合 に は , 偏相 関 は , -.449とな って , な お離 婚 率 の低 さ との結 びつ きを示 すO結 局 ,直 接 影 響 を及 ぼ して い る他民 族 は ,中国 人 とイ ン ドネ シア人 で あ る ことが推 察 され ,両 民 族 を合せ た割 合 と州別 離 婚 率 との相 関 は,r--.933 まで 上昇 す る。 中国人 の存 在 が な にゆえ低 い離 婚 率 と結 びつ くか を説 明す る ことは容 易で はな く,ま た推 測 の域 を 出な い。 マ レー人 や西 洋人 に比 して ,中国 人 の結 婚 は安 定 して い る といわれ ,例 えば シ ンガ ポール の 13) 14) 中国人 につ いて は Freedmanが ,北 部 マ ラヤの潮 州 系 中国人農 民 につ いて は Newellが これ を指摘 して い る。 マ ラヤ にお け るマ レー人 (イ ン ドネ シア人 ・原 住 民 を含 む), 中国人 , イ ン ド

13) Freedman,M.:ChineseFamilyandMarriagetnSingapore.London,1957.p.176. 14) Newell,W.H.:TreacherousRiver.KualaLumpur,1962.p.61.

(8)

東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号

表5 マレー人1),中国人, インド人の婚姻状態

(1957・15才以上の者 について)

1) インドネシア人 ・原住民を含む。

1957Population Censusof theFederationofMaZaya,ReprtNo.14,pp.73-75による.

人 の婚 姻 状 態 を

,1

9

5

7

年 セ ンサ ス に従 って観 察 す る と,離 別 者 の 占め る割 合 は ,男 女 と も, マ レー人 に お いて最 も多 く,次 いで , イ ン ド人 , 中国 人 とな って い る。 (表5参照) 中国 人 との直 接 的 な接 触 を通 して ,婚 姻 に対 す る考 え方 を見 習 い , 中国 人 側 か らの 批 判 を う け入 れ て マ レー人 の離 婚 傾 向 が低 下 した と考 え る こと も勿 論 可 能 で あ る。 しか し, マ レー人 と 中国 人 は ,生 活 の大 部 分 の領 域 に お いて分 離 され て い るの で ,直 接 的 な模 倣 ・批 判 が 果 して ど の程 度 有 効 で あ るか ば疑 問で あ る。 マ レー人 の離 婚 に際 して調 停 の役 割 を も果 す イ ス ラム法 廷 の kathiや ,他 の指 導 的 な 役 割 を演 ず る人 々の問 に , 中 国 人 との接 触 を通 して 知 的 に形 成 さ れ た価 値 観 - これ は西 欧 文 化 の影 響 を うけ た もので もあ り う る- が ,一般 マ レー人 に影 響 15) を与 え る とい う筋 道 な ど も考 え る必 要 が あ る。 いず れ にせ よ ,離 婚 を 阻 止 しよ うとす る考 え方 は , マ レー人 の価 値 観 に内在 して い た とい うよ り も,他 民 族 との 接 触 を通 して 発 達 して きた も の と考 え るべ きで あ ろ う。 イ ン ドネ シ ア人 の影 響 の意 味 づ け は , 中 国 人 の 場合 以 上 に 困難 で あ る。 後 述 す る よ うに ,全 体 と して み た場 合 , イ ン ドネ シア人 の離 婚 傾 向 は マ レー人 と同 様 に高 く, ま た , マ ラヤ- 渡 っ た イ ン ドネ シ ア人 は , ジ ャ ワ ・ス マ トラ ・セ レベ ス等 , 出地 ・文 化 的背 景 を異 に し, 決 して 一 様 に は扱 え な いか らで あ る。 こ こで 指 摘 で き るの は ,宗 教 ・言 語 とい うマ レー人 と近 似 した要 素 を もつ イ ン ドネ シ ア人 の マ レー人 社 会 - の融 合 は , 中 国人 よ り もず っと容 易 で あ り, いず れ の形 にせ よ ,直 接 的影 響 が現 われ 易 い とい う ことだ けで あ る。 15) Djamourは, シンガポールのイスラム法廷における調停機能の増大 について言及 しているが,シン ガポールにおいてはマレー人が少数民族であることは周知の事実である。

cf.Djamour

,J:

TheMuslim MatrimonialCourtin Singa♪ore・London,1966・p・143・

(9)

-坪 内 : マ レ ー 人 の 離 解

3

都 都 ・産 業構 成 と離 婚 率 都 市 あ るい は村 落 に お け る居 住 が , マ レー人 の離 婚 傾 向 と どの よ うな 闇係 を もつ か を検 討 す る

。1

9

5

7

年 セ ンサ スに よ る各 州 の マ レー人 (イ ン ドネ シア人 お よび原住 民 を含 む) の都 郡 別居 住 状 態 は,表6の通 りで あ る。 こ れ らと州別 離 婚 率 との相 関 は ,人 口10,000以 上 の地 域 居 住 者 の 占め る割 合 につ いてrニ

ー.

2

2

8

,1,000 -16) 10,000に つ いて r

-+

.664*,1,000 未満 につ いて はrニー.061とな る。 人 口規 模 の大 きい地 域 ,お よび小 さい地 域 につ いて は,離 婚 との 関 係 が殆 ど認 め られ な い。 中規 模 の 地 域 につ いて統計 的 に有 意 な正 相 関が認 め られ るが , これ は, マ レ ー人 が総 人 口の9割 以上 を 占め , 行政 ・経 済 活 動 に も活 発 なKel an-tan,Trengganu の 2州 の 数 値 に ひ きず られ て現 われ た値 で あ る た め ,意 味 を過 大 に評 価 す る こ と は危 険 で あ る。 経 済 活 動 を行 な って い るマ レー 人 男子 の うち第一 次 産 業 に従 事 す る もの の割合 ,お よび分 類 基 準 は 異 な るが ,専 門 ・行 政職 に従 事 す る もの の割 合 を州別 にみ る と,義 7の通 りで あ る。 これ らの割 合 と 離 婚 率 との相 関係数 を算 出す る と それ ぞれ ,

+

.

7

1

2

*

,

-.

7

7

4

*

とな る。 第 一 次産 業従 事 者 の 多 い州で は離 婚 傾 向が高 く,専 門 ・行 政職 従 事者 の 多 い 州で は低 い。 しか し 表 6 マレー人1)の都郡別居住状態 (1957) 上 千の 域 1 万 口 1 人 ∼ 弛 方 の 域 人口 1千 未 満 の 地 域 Malacca 6.5 2.3 Selangor 21・14 ; 8・8 Penang 24.9 L 5.5 1 69.8 L

I

ce.0 1 82.6 1 100.0 1 69.6 ! 1

(

刀.0 86.0 : 1

.0 l Trengganu . 15・8 ≡ 1318 i 70・4 1∝).0 100.0 1CX).0 1α).0 1) インドネシア人 ・原住民を含む。

1957PopulationCensusofFederationofMalaya,ReF)rt No.14.p.10,Table2・8,2・9による。

表7 第1次産業従業者および専門 ・行政職従事 者 の占める割合 (1957・マレー人男子1)) 専門 ・行政職従事 者 の占める割合 Johore Malacca Selangor Perak Penang N.Sembilan Pahang Kedah Perlis Trengganu Kelantan 3.50/0 4.0 4.1 3.3 4.2 3.7 3.4 2.6 2.3 2.4 2.7 1) インドネシア人 ・原住民を含む。

1957PopulationCensusoftheFederationofMalaya,

ReprtNo.3-No.13.Table 15により算出。

16) *は95%レベル以上で統計的に有意なことを示す。以下の記述においても同様である。

(10)

東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 なが ら,第一次産 業従 事率 の高 い州で は,中国人 および イ ン ドネ シア人 が少 な く,専 門 ・行政 職従事者 の多 い州で はその逆 とい う事実 に注 目 して ,中国人 ・イ ン ドネ シア人 の 占め る割合 の 影響 を除去 した偏 相 関を求 め ると,第一次産業従 事率 に関 して は,- .127,専 門 ・行政職従 事 率 に関 して は,

+

.365とい う低 いけれ ど も,逆方 向の偏相 関値 が現 われ る。 4 教育 の普及 と離婚 率 教育 は,理想 とされ る価値体 系 ,あ るいは新 しい価値 体 系 の浸透 に と って大 きな役割 を果 す 表8 マレー人1)・学校教育をうけたことがない ものの割合 (1957) 男 女 1) インドネシア人 ・原住民を含む。

1957PopulationCensusoftheFede71ationofMalaya, ReprtNo.3-No.13.TablelOA により算出.

蓑 9 学校教育をうけたことがないものの 割合 (1957)と離婚率 (1953-57年 平均)との相関 学 校 教 育 相 関 値 マ レー人 全 年 令 ・男子 r-+.845* 〝 女子 r-+.758* マレー人15-24才 ・男子 r-+.861* 〝 女子 r-+.701* *は95C/Oレベル以上で統計的に有意なことを 示す。 表2および表8か ら算出。 ので ,その普及 と離婚 率 との関係 を調 べ る ことは興 味深 い。 各 州の マ レー人 (イ ン ドネ シア 人 ・原住民 を含 む) の中,学校 教 育 を全 く受 けなか った者 の 占め る 割合 は,1957年 セ ンサ スによ ると 表

8

の通 りで あ る。 ここで は全年 17) 令 と15-24才 の年 令 階級 に関す る 数値 を男女別 に示 した。 これ らと 州別離婚率 との相 関 は表

9

の よ う にな る。 いずれ の場合 に も統計 的 に有 意な正 相 関がみ られ ,男子 に お け る相 関 値 は 女 子 に 比 して高 く,最 も高 い値 は,15-24才男子 にお け る r

-+

.861*で あ る。 教育 の普 及 を示 す他 の指標 は,識字率で あ る。 表10は,1957年 セ ンサ スに従 って,15才以 上 の マ レー人 (イ ン ドネ シア人 ・原住民 を含む) の ,何 らか の言語 ・マ レー語 ・英語 に関す る識字率 を州 別 に示 す。 これ らの識字 率 と離 婚率 との相 関 は表 11に示 す如 くとな り,いずれ にお いて も統計 的 に 有 意 な負相 関がみ られ ,識字率 の高 い地域で は離 婚 率 が低 い ことを物語 る。 最 も高 い相 関を示 すの は,男子 の何 らか の言語 に関 す る識 字率 で , rニ ー.883*で あ る。 17) 後述するように,マレー人の離婚は,結婚後間もなく生ず るものが多いと考えられるので,結婚通令 にあたるこの年令層に特に注目する必要がある。 476 -

(11)

78-坪 内 = マ レ ー 人 の 離 婚

蓑1

0 15才以上 のマ レ

人1)の識字率 (1957) 誓言

ト レー ft 三三 :三 61 ! 61 ! 5 58 1 58 33 【 33 32 r 32 女

裏書歪下 司 夷 吉 相 形 2 1 3 2 3 2 1 1 1 0 0

1

) イ ン ドネシア人

原住 民を含む。

1

95

7P

o

p

ulationCe

n

s

u

softheFederationof Malaya,RefX)rtNo.3-No.13.TablellA

によ る 。 義ll411別離婚率 (1953-57年平 均 ) とマ レー人識字率 (1957)との相関 男 女 計 男 女 何らか の 三五 ロ P亡二1 - .878* - .883* マ レー語 - .874* 英 誌rIF1 - .740* ・775* 巨 ・776*仁 ・765* *は95%レベル以上で統計的に有意なことを 示 す 。 表2および表10か ら算 出。 産 業構 成 の場合 と同様 , 教 育 の 普 及 した地 域 は ,同時 に 中国人 な どの 多 い地 域 で もあ る。 中国 人 ・イ ン ドネ シア人 の影響 を除 去 した偏 相 関係数 を算 出す る と,15-24才男子 ・学 校教 育 を うけぬ 者 の割合 の場合 ,+.256,男子 の何 らか の言語 に関 す る識 字 率 の場合 ,-.375とな り,値 は小 さ くな るが ,相 関 の方 向 は変 らな い。 教育 が , 中国人 ・ イ ン ドネ シア人 の影響 とは独 立 した立 場 か ら離婚 率 を低 下 させ るよ うな働 きか けを して い る ことが 推 測 で き る。 5 早 婚 と離 婚 率

Rosemary Firth は, Kelantan にお け るマ レー人 漁村 の調 査 に基 いて ,父親 が娘 の純 潔 を 守 るた め に ,娘 のた め に選 ん だ 青年 と非 常 に若 い年 令 で結 婚 させ , その結 婚 が失敗 す る と,娘 18) は夫 と別 れ て ,今 度 は 自分 で も次 の配 偶者 を探 す ことがで き る と報 告 して い る。 Perlis州 にお いて も,1964年 ,Kangarの ア ラビ ック ・ス ク-ルで の公 開討 論会 で ,ザ カ-ト ・フ ィ カ-トラ委 員会 の Hussain bin AbdulRahman は,父母 が孫 の顔 みた さに息子 や娘 を 19) はや く結 婚 させ , これ が離 婚 の原 因 とな って い る と述 べ て い る。

18′) Firth,Rosemary:HousekeepingamongMalayPeasants,2nded.London,1966.pp.40-45 19) TheStrat'tTimes,July29,1964.の記事によるo

(12)

東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 この よ うな親 の意志 に基 く早婚 が離婚 に影響 を 与 え るな らば ,早婚 傾 向の高 い地方 ほ ど離婚 率 が 高 い ことが予 想 され る。 婚 姻適令 は各地方 の慣 習 に従 って変化 し,成熟 度 の認定 はマ ラヤ全土 にわ た って一 様 で あ るとは言 え な いか ら,一定 の年 令 を基準 と して早婚 を論ず る ことには多少 の無 理 が あ るが , ここで は早婚 の一 つ の指標 と して

,1

9

5

7

年 セ ンサ スに基 いて

,1

5

-1

9

才 の者 の うち,結婚 20) 経験者 の 占め る割合 を用 い る ことにす る (表12参 照)。 これ らの割合 と州別 離婚 率 との相 関を調 べ ると,男子 の場合

r-+

.

8

8

9

*

,女子 の場合

r-+

.

91

0

*

とな る。 よ り高 い相 関を示 す女子 の場合 に つ いて ,中国人 ・イ ン ドネ シア人 の 占め る割合 の影 響 を除去 した離 婚率 との偏相 関係 数 を算 出す る と 表12 15-19才のマレー人1)申結婚経験者 の占める割合 (1957) 男 I 女 1) インドネシア人 ・原住民を含む。

1957PopulationCensusof theFederation ofMalaya,ReportNo.3-No.13.Table8A

より算出。

+

.

5

3

7

,また ,教育 普 及 の代表 的 な指標 と して の男子 の何 らか の言語 に関す る識 字率 の影 響 を除 21) 去 した偏相 関 は +.524とな って ,早 婚地域 と高 い離婚 率 との結 びつ きを認 め る ことがで き る。 6 高離婚 率地域 の特色 すで に述 べて来 た若 干 の指標 に基 く観察 は もちろん十分 で はな いが ,一 応 これ らの総合 を試 み る ことにす る。 これ まで に知 り得 た高離婚率 地域 の特色 は

a.

農 業 的色 彩 が 強 く,専 門 ・行政職 従 事者 が少 な い こと。 も. 中国人 ・イ ン ドネ シア人 ・イ ン ド人 ・英 国人 な どの他民族 が少 な い こと,換 言 すれ ば , 純 粋 な マ レー人 的特色 を保 って い る こと。 C.教育 が普及 して いな い こと。 d.早婚 の傾 向が あ る こと。 な どで あ る。 この うち,離婚率 の高 さに直 接 関係 す る と考 え られ たの は,① 中国人 ・イ ン ドネ シア人 の存 荏 ,⑨ 教育 の普 及 ,③ 早婚 で あ る。 いま,① に関 して は中国人 ・イ ン ドネ シア人 の 占め る割 合 ,㊥ に関 して は男子 の何 らか の言語 に関す る識 字率 ,③ に関 して は

1

5-1

9

才女子 中結 婚経験 20) センサスの分類における,有配偶 ・死別 ・離別のカテゴリーに属する者を結婚経験者 として扱 った。 この年令階級の結婚経験者の割合を,全マラヤのマレー人 (インドネシア人 ・原住民を含む)につい てみると,男子7.90%,女子54.10/Oとなる。男子については年令の上限を少 し上げ,女子については下 げる方が適 当であるが,センサスには,5才間隔の数値しか記載されていないので,やむを得ず この 年令階級を使用する。 21) この場合,早婚それ自体は,自らの作用をもつと同時に,親による配偶者決定などの婚姻に関する諸 慣習を背後にもつことに注意する必要がある。 478 - 80

(13)

-坪 内 ; マ レ 一 人 の 世 婿 者 の 占め る割合 を,離 婚率 との相 関の高 さゆえ に, それ ぞれ の代表 的 な指標 とみなす ことにす る。 各 指標 につ いて ,他 の2者 の影響 を除去 した離婚 率 との偏 相 関 を求 め る と,中国人 ・イ ン ドネ シア人 の場合

-.

6

4

8

,教育 の場合

-.

0

2

2

,婚 姻年令 の場合 +

.

41

5

とい う値 が得 られ る。 教育 の離婚 に対 す る関係 は,方 向 こそ変 らな いが ,非 常 に低 く評価 され る。◎ と③ との問 に 高 い逆相 関 (r

ニー.

9

2

4

*

)

が認 め られ るか ら,教 育 が婚 姻年令 を高 め る作 用 を もち,離婚 に対 す る教 育 の影響 の大 きな部分 は, この方 向を通 して現 われ る と考 え る ことが妥 当で あ ろ う。 諸要 因が, それ ぞれ あ る程度 の独 立性 を も ち な が ら も,規定 ・被規定 の複雑 な メ カニズ ムを通 し て ,一 つ のか た ま りとな って離婚 の発生 に作用 して い る ことに注 意 す る必 要 が あ る。 以上 の諸指標 につ いてみれ ば , その値 は年 々変化 しつ ゝあ る。例 えば マ ラヤにお け る

1

5

-1

9

才 の マ レー人女子 中結 婚経験者 の割 合 は

,1

9

4

7

年 の

5

9.

1

%

か ら

5

7

年 の

5

4.

1

%

へ と減少 して い る 2

2

)

,1

5

才以上 の マ レー人 男子 の何 らか の言語 に関す る識 字率 は

,1

9

4

7

年 の

4

9%

か ら

5

7

年 の

6

1

%

23⊃ - と上 昇 して い る。 中国人 の割合 に関 して は

,1

9

4

7

年 の

3

8.

4

%か ら

5

7

年 の

3

7.

2

%へ とわ ずか な 24) 減少 が み られ るが ,近代 化 の進 展 と共 に,接触 は質 的 に密 にな って来 る と推 測 され る。 この よ うな変化 を前 提 と して, マ レー人 の離婚 は減少 の傾 向を た どる ことが期待 され る。 次 に, その年 次 的 な変化 につ いて観 察 を進 め る ことに しよ う。

4

稚 婚傾 向の年 次 的推移 1 婚 姻数 と離婚 数 との関係 マ ラヤ各州 にお け る婚 姻 と離婚 を ,既 に示 した表 1に従 って観 察 す る と,同一年 次 の婚 姻数 と離婚数 との問 に,か な りの程度 の対 応 が あ る ことに気 がつ く。 この傾 向 は次項 に示 す指数 の グ ラフか ら も明 らかで あ る。 (図 2参照 )。対応 の程度 を示 す一 つ の指標 と して ,同年 次 の婚 姻 数 と離婚 数 との相 関 ,お よび 「前 年 の婚 姻数 」 と離婚数 との相 関係 数 を算 出す ると表

1

3

の よ う にな るっ 同年 次 の婚 姻数 と離婚 数 に関 して は, いずれ の州 において も正 の相 関が認 め られ , こ の うち,

J

o

ho

r

e

,

Mal

a

c

c

a,Ke

da

h,Ke

l

a

nt

a

n

につ いて は,相 関 は統計 的 に有 意で あ る。 前 年

の婚姻数 との相 関 にお いて も,

Pa

h

ang

,

Pe

r

l

i

s

を除 けば正 の相 関がみ られ る。 しか し,相 関 の程 度 は,

Pe

r

a

k

,

Pe

na

ng

を除 けば ,同一年 次 の婚 姻 との相 関 よ り も低 い。 以上 の観察 は,結 婚 が行 なわれ てか ら 1

, 2

年 以 内, と くに

1

年以 内 に離 婚 が発生 し易 い こ

2

5) とを示 唆 して い る。

2

2

) 1

9

4

7

,5

7

年共にインドネシア人,原住民を含む

。1

9

4

7

および

1

9

5

7

年センサス結果から算出。

2

3

)

インドネシア人 ・原住民を含む数値

。1

9

5

7

年センサス

,Re

pr

tNo

.1

4

,Ta

b

l

e9

A

(1)から引用。

2

4

) 1

9

5

7

年センサス

,Re

r

x

)

r

tNo

.1

4

,Ta

b

l

e

l

5

から引用。

2

5

)

この因果関係を更に精密に分析するためには,月単位あるいは数 力月単位の統計を基礎として,時系 列の相関を調べることが望ましいが,現在のところか ゝる数値は入手できない。

(14)

東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 表13 離婚数と同年次および前年次の婚姻数 との相関 このよ うに,離 婚 の数 は,先 行 州 *は95%レベル以上で統計的に有意なことを示す。 表1から算出。 表14 す う勢直線による婚姻 と離婚の 年平均増減率 州

婚 姻 l離 婚 Johore Malacca Selangor Perak Penang N.Sembilan Pahang Kedah Perlis Trengganu Kelantan す る婚姻数 に よ ってか な りの影響 を うけ るが ,筆 者 が ここで 目的 と す るの は, これ らの微視 的 な変化 とは関係 な く,底 流 と して存在 す る離 婚 の増 加 あ るいは減少 - の傾 向で あ る。 2 婚姻数 と離 婚数 の年 次 的 な 推 移 各 州 の結婚数 と離 婚数 の年 次 的 な推移 を おの おの最 初 の年 を

1

0

0

と し た 指 数 で グ ラ フに示 す と, 図

2(1

)∼ 図

2(

l

l

)

の よ う に な る。 それ ぞれ の変化 に関 して ,最小 自乗法 に よ る す う勢 直 線 を ひ くと,細線 (婚姻),お よび一点 鎖 線 (離 婚) で示 す よ うにな り,概 して ,婚 姻 に比 して離婚 はよ り強 い減少傾 向をみせ る。 -3.1 す う勢 直 線 の勾配 を平 均値 で割 る ことによ って -5.2 -6.0 -6.2 -5.0 +0.9 十1.2 -7.5 表 1より算出。 年平 均増 減率 を算 出す ると,表14の通 りにな る。 Trengganu にお いて は, 離 婚数 の増加 率 が婚 姻 数 の増加 率 を上 まわ るが ,他 の すべ て の州 におい て ,結婚 に対 す る離婚 の相 対 的な減少 が見 出 され る。 すなわ ち,Johore,Perak,Penang,Pahang

で は婚 姻 の増加 あ るい は横 ば いに もか ゝわ らず離 姫 の減少 が み られ ,Malacca,Selangor,NegriSembilan,Kedah,Kelantan にお いて は婚 姻 も減少 の傾 向を示 すが ,離 婚 の減少 の はげ しさは それ を上 廻 り,Perlisにおいて は両 者 と もに 増加 の傾 向を示 す が ,離婚 の増加 は婚 姻 よ り もゆ るやかで あ る。 以上 によ って , マ ラヤにお け る離婚 が ,減少 傾 向を示 して い る ことが 明 らか とな ったo 次 に,マ ラヤ に近接 し,民 族 的 ・宗 教 的 に きわ めて類 似 した条件 を もつ , シ ンガ ポール お よ び イ ン ドネ シア に 目を移 して ,離婚 率 の高 さ とその傾 向 につ いて比較 を行 な う ことにす る。

5

シ ンガポ ール におけ るイス ラム教 徒 の離鰭 ジ ョホール水 道 を隔 てて マ レ-半 島 に面 す る シ ン ガ ポ - ル は,基 本 的 に は中国人 の町で あ 480 -

(15)

82-坪 内 : マ レ ー 人 の 離 婚 194849 50 51 52 53 54 55 56 57

年次

図2(1) 194849 50 51 52 53 54 55 56 57年 ;欠 図 2(3) - 8 3-194546 47 48 49 5O 51 52 53 54 55 56 57牛次 図2(2) 1945 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57年 次 図 2(4) 481

(16)

東 南 ア ジ ア 新 鹿 翁 4巻 妨 3号 194546 47 48 4() 5O 51 52 53 54 55 56 57年次 図2(5) 194546 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57年 次 図2(6) 195253 54 55 56 57年 次 194849 50 51 52 53 54 55 56 57年 次 194849 50 51 52 53 54 55 56 57 58年 次 図2(7) 182 図2(8)

- 8

4

-図2(○)

(17)

坪 内 : マ レ ー 人 の 離 婚 19484950515253 54 555657 1古人 図 2 (10) 1948495051525354 555657年 次 図2 (ll) 図2 マラヤ各州におけるイスラム教徒の婚姻 と離姻の変動 る。1963年 推 計 人 口約 180万 人 の 中 , 中 国 人 が75%, マ レー人 が14%, イ ン ド人 が8%を 占 め て い る。 マ レー人 は殆 ど例 外 な しに イ ス ラム教 徒 で あ り, イ ン ド人 は約20%が イ ス ラム教 徒 で 26) あ る と推 定 され て い る。 27) Djamourの示 す 数 値 に従 って,1961お よび62年 に お け る イ ス ラム教 徒 の婚 姻 中 , マ レー人 間 の そ れ の 占 め る割 合 を計 算 す る と, それ ぞ れ,80.5% (1,560件 中1,256件 ),81.7% (1,483 件 中 1,211件 ) とな り, シ ンガ ポ ール の イ ス ラム教 徒 の婚 姻 ・離 婚 は ,大 部 分マ レー人 の それ で あ る と推 測 され る。 シ ンガ ポ ール の イ ス ラム教 徒 の婚 姻 と離 婚 の統 計 は ,次 の著 書 に紹 介 され て い る。

1921-49年 oDjamour,J.:MalayKinshipandMarriageinSingapore,1959.p.117. 1947-57年 。Cordon,S∴ Marriage/Divorce in the Eleven States of Malaya and

Singapore,(NTISAIU,Vol.ⅠⅠ,No.2.p.32.

1947-64年。Djamour,J.:TheMuslim MatrimonialCourtinSing

a

pore,1966.p.129, p.183.

28)

Djamourと Gordonの 問 に は ,わず か な くい 違 い が あ るが ,Djamourに 従 って婚 姻 と離 26) Djamour,J.:TheMuslim MatrimonialCourtinSingapore.London,1966.p.81

27) Djamour,J.:ibid.

28) DjamourとGordonの数値の くい違いを示す と,1949年婚姻+ll,52年婚姻 +1,53年婚姻-2,57 年離婚+9である。(十は,Djamourの方が多いことを意味す る。)

(18)

東 南 ア ジ ア 研 尭 始 4巻 約 3号

蓑 15 Singapreにおける婚姻 と離婚

次 l婚 姻 極 婚 Fl年 次 L婚 姻 l離 婚

Djamour,J.:MalayKinshipandMarriageinSingapore,

1959.p.117およびid.:TheMuslim MatrimonialCourt inSingapore,1966.p.129,p.183による。 姫 の数 を示 す と 表15の 如 く とな る。 マ レー半 島諸 州 の離婚傾 向 と比 較 す るた め, 1953- 57年 にお け る 婚姻 100に対 す る離婚 の割合 を算 29) 出す ると, 52.1とな る。 マ ラヤ11 州 にお け る第

5

位 の

Pah

a

ng

よ り 低 く,第

6

位 の

Ne

gr

iSe

mbi

l

a

n

よ り も高 い。 中国人 の割合 が高 い シ ンガ ポールで は, マ ラヤの どの 州 よ り も低 い離婚傾 向が期待 され そ うで あ るが , それ だ けで は説 明 され な い要 因が存在 す るよ うで あ る。 しか し, 1960年代 には離婚 の 減少 が著 し く,表15にお け る最 終 年 次 の1964年 には,婚 姻100に対 して19.1にまで下 る。 1921年 を100と して ,変 動 を指 数 グ ラフに示 す と図3の よ うにな る。 す う勢 直 線 の下 降率 は,婚姻 - 0.03% ,離 婚-0.11% とな り, 離 婚 の方 がわず か に強 い減少傾 向をみせ るが ,(91921- 40年 ,⑨ 41- 53年 ,③54- 64年 の3時 期 に分 けて グ ラフを観 察 す る と,特徴 が よ り明 らか にな る。 すなわ ち,(丑において は,婚姻 .離 婚 と もには ゞ横 ば いの状況 が ,伝)にお いて は,両者 の均 衡 が保 たれ た状態 で の大 きな変動 が , (9において は,婚 姻 ・離婚 と もに減少 す るなかで , と くに後者 の はげ しい減少 が み られ る。 1959年以 降 にみ られ ると くに激 しい離婚 の減少 の理 由 と して ,Djamourは次 の5つ を挙 げて 30) い る。 (1) イ ス ラム法 廷 にお け る調 停- の努 力 の増 大。

(

2

)

夫妻相互 の同意 のな い離 婚 が認 め られ に く くな った こと。 (3) 寡 婦 や離別 した女 に と って ,配 偶者 の あ る男 を離 婚 させ た上で , 自分 と結 婚 させ る こと 29) イスラム教徒の人口が確定 していないので,人口に対する率計算が困難となり,このために婚姻に対 する比を用いた0

30) Djamour,J.:TheMuslim MatrimonialCourtinSingapore.1966.pp.143-144.

(19)

-坪 内 : -t レ ー 人 の 離 婚 i - - - - -- -- 二ニ ー=: --- 1一 一 二 二 ± 1 二二 Il 1921 30 40 50 60 64 年次 図3 Singaporeにおけるイスラム教徒の婚姻と離婚の変動 が 困難 にな った ので ,主 な努 力 を ,拘 束 され て いな い男 にむ け るよ うにな った こと。 (4) 以前 は, シ ンガ ポール の

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が ,女性 か らの離婚 の訴 えを容 易 に認 め る傾 向が あ った ので ,離婚証 明を得 るため に, マ ラヤか ら女達 がや って来 た といわれ る こと。 (5) 以 前 にお いて は,夫 が貧乏 にな った り,失業 した場合 ,妻 の離婚請 求 が お こ り易か った が ,現 在 で は社 会 扶助 の制度 が発達 して き た の で , こ の よ うなケ ー スが少 な くな った こ と。 この うち特 に重 要 なの は

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で あ るが , これ らは

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条 第 3項 にお け る離婚 に際 す る夫 妻 の同意 の確認 の規定 ,お よび

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年 にお け るその強化 の方 向へ の同項 の改正 とを背景 に して い る。 しか し,減少 は

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年 に先 行 す る

5

5

年 頃か ら既 に 目 立 ちは じめて い る ことに も注 意 す る必 要 が あ る。 いずれ にせ よ,離 婚 の減少 傾 向が著 し くな った の は余 り古 い ことで はな い。 この ことは半 島 につ いて も言 い うるで あ ろ う。 マ ラヤ にお いて観察 し た の は, シ ンガ ポール と 同 じ く減少期 に入 る頃 の数 値 と思 われ る。 それ な らば ,最 近 マ ラヤ に お い て も シ ンガ ポ ール と同様 に激 し い減少 がみ られ るか とい うとそ うで もな い。例 えば

1

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州 に お け る 婚 姻 と離婚 31) の数 は ,それ ぞれ

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で あ り,婚姻

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に対 す る離 婚 は

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で あ る。 これ は

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年平 均 にお け る

6

3.

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に比 べ る とか な りの 減少 で は あ るが , シ ンガ ポ ール ほ ど甚 だ し くはな

い。

以 上か ら, シ ンガ ポール が ,マ ラヤ の各 州 に先立 って ,激 し く離 婚 の減少 を示 す に至 った こ とが 明 らか とな る。 31) 梅田輝世 「マラヤの女性

『東南 アジア研究』第3巻第

5

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- 87- 485

(20)

東 南 プ ジ ア 研 乗 算 4巻 第3号

6

イ ン ドネシア における イス ラム教 徒 の雑婚 人種 的 に も言 語 的 に もマ レー半 島のマ レー人 に 近 似 し,宗教 につ いて も90%が イス ラム教徒 とい われ るイ ン ドネ シア に 目をそ ゝぐことに しよ う。 こ こで問題 とな るの は文化 的 な統 一性 で あ る。 イ ン ドネ シア は3,000有 余 の島 々か らな り,それ ぞれ の歴史 的経験 も異 な り,生活様 式や利害 関心 に著 しい地域 差がみ られ る。 イ ス ラム教 につ いて も, 32) 浸透 の度合 が地域 によ ってか な り異 な る。 このよ うな条件下 にあ るイ ン ドネ シアの イス ラ ム教徒 を一 つ の全体像 と して扱 うことに は危 険 が あ る ことを認 めつ ゝも, イ ン ドネ シアの統 計 を検 討 してみ よ う。 イ ン ドネ シア の宗教局 によ って発 表 され た イス ラム教徒 の婚姻 と離婚 の数 は表16の 如 くで あ る。 1953年 か ら57年 に至 る 5カ年 の婚 姻 100に対 す る離 婚 の比 は,53.6とな り,同時期 の シ ンガ ポ ール よ りや ゝ高 い値 を示 す。 1950年 を 100と して変 動 を グ ラフ に示 す と図

4

のよ うにな り,婚 姻 ・ 離婚共 に減少 の傾 向が あ るが,平 均 変 動率 はそれぞ れ -1.3%, -1.6% で ,離 婚 の 減 少 傾 向 の方 がや ゝ強

い。

以 上 において ,マ ラヤ ・シ ンガ ポ -ル ・イ ン ドネ シアを通 じて高 い離 婚 率 の存在 (あ るい は存在 した こと) が認 め られ , また,原 則 と してそれ らが減少 の傾 向を示 してい る ことが 分 った。 これ らの地域 はいず れ もイ 表16 インドネシアにおける婚姻と離婚 (単位 1,000件) 年 次 l婚 姻 1離 婚

StatisticalPocketBookof Indonesia. Djakarta,1957-62.か ら引用。

lt)5051525354 55 56 5758 596 0 61年次

図4 Indonesiaにおける イスラム教徒の 婚姻と離婚の変動

ス ラム圏 に属 し,高 い離婚 率 は,本質 的 に イス ラム教 に結 びつ いてい るので はないか とい う問

32) Cf.Wertheim,W .F.:IndonesianSociet.yin Transition・TheHague,1959・pp・1-38・etc・

(21)

88-坪 内 : マ レ ー 人 の 離 婚 題 が生ず る。 次 に,十 分 とは言 えないが , イス ラム圏 の離婚傾 向を示 して これ を検討 してみ よ う 。

7

ア ラ ビア の イス ラム教 圏 におけ る雑 婚 ア ラビアを 中心 とす るイス ラム教圏 の離婚 に関 す る統計 は,不 十 分 で はあ るが ,W illiam J. 33) Goode によ って示 され てい る。1957年 (あ るい は これ に近接 す る年 次) にお け る数 値 を 引用 す る と表17の如 くとな る。Algeria に関 して は イス ラム教徒 の離婚 と註 され てい る。 他 の国 にお いて は率 算 出の基礎 が は っき り しない が ,宗教 のモザ イ クといわれ る Lebanon を除 けば, ほ とん ど イス ラム教徒 よ りな る国 と考 え られ る。 完全 な結論 を与 え るた めには, イス ラム教 にお ける宗派 の違 い な どを考慮 して綿密 な分析 を行 な う必要 が あ るが ,一般 的 に言 えば, これ らの国 々 の離婚傾 向 は ,既 にみて来 たマ ラヤ ・シ ンガ ポー ル ・イ ン ドネ シア よ りも低 い。 表17におい て最 も高 い 率 を示 す Egypt と A1 -geria とにつ いて,Goodeは,それ ぞれ ,1 935-34) 35) 57年 ,1897- 1955年 の統計 を示 してい る。 Egypt にお け る最 高 値 は,1945年 の32.3,Algeria にお いて は1905年 の41.0で あ り, な おマ ラヤ ・イ ン ド ネ シアおよびかつ て の シ ンガ ポール に及 ば ない。

8

む す 蓑17 アラビアを中心とす るイスラム 教国における婚姻100に対する 離婚の割合 国 名 l 年 婚姻対する離婚100に Goode,W.J.World Revolution and Fa miZyPatterns,1963pp.159-160によるO ぴ 以 上 に示 して きたよ うに, マ レ-半 島の マ レー人 において は きわ めて 高 い 離 婚 傾 向 がみ ら れ , この傾 向 は イ ン ドネ シアを もお ゝって い るよ うに患 われ る。 それ はア ラビア の イス ラム教 圏 の発生率 よ りも高 く, イ ス ラムの性格 だ けか らは説 明で きない。 ここで ,最 初 に述べ た社会構 造 の特色 が クローズ ・ア ップ され , イス ラム教 は, 自 らも部 分 的 な構造 的要 因を有 しっ ゝ (例 えば財 産 の個人 的所有 な ど),根底 にあ る この 社 会 構 造 に組 み 合 わ さって離婚 の制 度化 を助 け,高 い率 を発現 させ て きた もの と考 え られ る。 このよ うな社 会構 造 の論議 は,精密 な コ ミュニ テ ィ ・スタデ ィに基 いて行 なわれ る必要 が あ る。 われ われ は Kedah 州 にお ける農 村調 査 において これ を扱 ったが ,更 に深 くは,各地域 の

従来 の社会 人類学 的調 査 の比 較 検討 ,お よび ,離婚傾 向 の特 に高 い Kelantan,Trengganu州

33) Goode,W.J.:WorldRevolutionand FamilyPatterns.London,1963.pp.159-160.

34) 1935,40,45,50,57の各年に関する数値。

35) 1897,1900,5,10,20,30,40,48,49,50,51,55の各年に関する数値。

(22)

東 南 ア ジ ア 研 究 第 4巷 第3号

における綿密 な調査 を必要 とす る。 さ らに離婚傾 向の低下 につ いて も,結婚および家族 に関す

る価値観 の変化 とい う面か ら,各地域 ・各 階層 ・各年令層のマ レー人 の意識調査がなされ るこ とが望 ま しい。

参 考 文 献 Ahmadlbrahim.IslamicLaw inMalaya,Singapre,1965.

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表 5 マレー人1 ) ,中国人, インド人の婚姻状態
表 7 第 1 次産業従業者および専門 ・行政職従事 者 の占める割合 ( 1 957 ・マレー人男子1 ) ) 専門 ・行政職従事者 の占める割合 J ohor e Mal acc a Sel angor Per ak Penang N

参照

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