’35 を示すかを,環填的に種々果つた人口10万以上の大 都市と,‘それ以外の市郡とに分けて,明治銀年より 昭和13年に到る戦前の得らるΣ限りの資料により年 次的に観察した. 死産をアカ月未満と7カ月以上の2期に分けるとプ 7カ月波罫の死産性比は常に都市に高く,その懸隔も 大である。アカ月以上の死産性比は都鄙相接近し,所 々錆卜してみられるが,大部分は都市に高い。両期共 死産率の下降と逆に僅かに上昇している6上昇の度は 都より鄙に幾分大で麦,る。 現児死亡率性比を1カ月以内,1∼6カ月・6∼12カ 月の3期に分けて観察する1こ,1カ月及6・一12カ月 の死亡性比は,その時期の乳児死亡率とは,都鄙栢反: する関係で,率の下降とは逆に上昇している。エー一6力 馴こ於ては,この様な関係はみられず,死亡率の下降 や都鄙の交叉に開わりなく,ほ黛同じ高さで都鄙相鑓 嚇している。 以上のことe’± Lanz及その後の学者のいわゆる環境 と素質の関係よりほ穿説明出来るが,こstこ注目され ることは,死産率性比殊に7カ月:未満の死産率性比と 新生児死亡率性比を比べてみると,両方共都市を上に1 した平行線を示していることである。新生児死亡率は 終始都が鄙より低いのに反し,死産率ぱ早くよD,こ の関係は逆転しているので,この性比の関係ほ恰亀 Lenzの説と惇る様にみうけられる。しかし,胎児死 ’亡の性比は,直接外的社会的雲境の影響をうける乳児 死亡の場合とは,当然異るべきで,Lenz等の説明で は解釈できず,更に検討を要する問題と考える。
23.本邦都鄙保健状態の分析
第3報死産
(衛生)諸岡妙子
先報の「出生」及び「死亡」にひきつ蜷,今回は 「死産」’ノ関し,都鄙の特徴を歴史的地理的に關無し た。 普通死産率(出産1CO対死産)の絶頂は全国的には 明治39年,入口死産率(人口1.000対死産)のそれ は明治34年。明治道導には両死産率共,郡部が市部 を凌駕していたが,その後市郡共下降し,下降の程度 は郡部が強いため,普通死産率は大正7…9年に,入 口死産率は昭騨10年に市層相交叉する。下降の趨勢 ヒを直線方程式でみるに,平均死産率は,普通死産率で は市部が大,下降率は郡部が市部よりはるかに大き い6人口死産率では平均は郡部が大,下降率亦郡部が 市部よりはるかに大でk.、糺普通死産率は大IE・7’一9 年より,人口死産率は昭和10年より,市部が郡部よ り高位となり,市郡の懸隔は近年次第に拡る勢譲、 る。 肩県別には,両死産率共統計初期には較差甚しかっ たが,一体に高率だつた地方は下降度つよく,低率だ つた地方は下降度弱いため,近年は地域差が非常に小 となった6 死産性比(男子死産100対女子死産)は,全国的に. 上昇の一途を辿り,最近では120前後を示す。全年度 に亘って,市部は郡部を凌駕しつ鰯市郡共上昇線を 辿るe’ 2弔有配偶女子の死七に関する研究(第1報)(厚生省入口問題研究所)良田圭子
妊娠及び分娩申の異常による死亡を以て母性死亡と する研究報告を多数に見るが,之は狭義の母性死亡に して・妊娠,分娩と共に,育児期聞を含めた20・一SO 才迄の有配偶女子の死亡こそ広義あ母性死亡と解し, 之が一般女子死亡並に男子死亡と比較検討することは 意i義あること瓦思う。私は晦年度本研究所二で行こった田 事歴の調査の際に,再婚者に関する調査より得た資料 を以て,初婚時の婚姻期聞,浮女数,配偶者の死亡原 因,離別原因等について調査したので,第1報として 栃木県及び群馬県の分を報告した。 有配偶女子の死亡144名申,年齢分布から見れば21 ・才より50才にわたり,三三旧聞別に見れば3年以内 の死亡最も多ぐ,しかも結核による死亡率18%を占 め,次いで,狭義の母性死亡即ち妊娠分娩申の異常に よる死亡10%を占めている。そして母親の死亡によ って衝こ論れた子女数は平均2名で麦,る。25.クロロマイセチン耐性腸チフス菌
について(第王報) (細菌) 小 林 千 鶴 腸チフス菌相原株をクロロマイセチン耐性とし,そ の50倍醗牲11代のものにおいて原株との聞に次の 如き差を認めた。 耐性株は恥辱に比して一体がや鬼膨隆し,両端のや X濃染するものが多く,運動牲は著しく弱まり,且殆 どすべての菌に於て鞭毛が認められなかうた。糖分解 試験に於てtj )ソルビットを分解せず,グリセリンのk35一
36 分解も遅れた。又免疫学的には凝集反応及び交叉凝集 試験では著明な差を認めなかったが吸牧試験によりH 航源の減少を認めた。爾 Dihydro Streptomycin
に対する感性は原盤のlmg/ccに対しτ耐性株は
0.加9/ccであり,マウスに対する毒性も寮属より引 引せる様に思われた。26.頸・管胎盤め1例
(婦入科)枝松美枝
頸管胎盤は前置胎盤の程度が最も強測こ現れたもの で,胎盤の州都又は大部が子宮頸管に附着せるものを 称す。極めて稀で予後不良且診断も困難な点より興暁 ある疾愚とされているが,その本態並に発生機転に旧 しては異論が多い様である。本症例は39才の4回経 産婦に発現せる頸管胎盤の1例である。 既往として,既往磁5回の中1回が妊娠2’ 阜獅ノ τ自然流産を経過.している。 汗症;無月経となって.1カ月鼠に4H程子宮田血あ り。2カ月及3カ月目にも少量の出血を犀た。「つは り」は中等平なるも全身倦怠感強く,妊娠月数に比し腹壁大き過ぎる様は押れたので某産科ゆ診esを
受けたところ子宮筋腫に妊娠の合併せるものと云わ れ・手術を希望し一{当教室を訪オやヒ。 入院時所見として,子宮底陛下2横指,児心音蕪取出 来ず,胎児部分は不明である。内診せるに子宮頸部綜 ノ」、児頭大の腫瘤状に膨隆し,i箸.しくi柔1歓にしてi柔い腫 瘍の発生せる観があった。子宮体も児頭大や筑軟で柔 軟な頸部の上に更に腫瘍の如き存在で麦・つた・以上に 依り筋腫との臨床診断はつきかねたが,子宮頸部個体 部の状態よ曝常妊vaEr宮である事を認め・診断不明 の言、、開腹手術を行った。子宮全体は砂時計状を呈し, 子宮体は児頭大にして,子宮風こ鋼旨頭大の筋腫結節 工個認めた。頸部は著しく腫大し且柔軟な・」・児頭大と なって血管の強度に怒張せる肩骨聾腔を浮していた。 子宮体下部及頸部の前面に縦切開を置くと,胎盤の殆 ど総てが頸管内に附着し子下体にある胎児の謄帯は深 く頸管内に入り,命索出時に瞬帯は約5cエnに切断され 胎懸課膜に包まれたま鍼膜児の如き状態で呼出された。次期盤の用臨画試みるに胎盤は頸灘肉
Nと強く癒着し,剥離困難こして強いて除去するに小 断片となった。頸部の牧縮悪く出血甚だしきため極力 迅速に単純性子宮全摩糠術を行ったが,経過は良好で ある。 2ア.自儘による妊娠診断法 (ラォールス氏妊娠診断法の品部追試)(婦人科)(演)神戸キミ
吉tt田 茂 子・満田阿義子
妊娠早期診断法としてツォソデヅクーアッシュハイ ム法,ブリPドマン法,マイニP二法等の生物学的診 断法は従来大なる成績が拳げられ優れた反応である が,勲等には動物の飼育,煩雑なる手技,特殊なる資 材設備の必要等の欠点があり,最近行われているプロ スチグミソ反応,エス1・ローゲソ反応9S;tk,簡単では あるが既往月経の整調である事,最近ホルモ契療法を 受けていない事等の制約がある。訟と比べ1941年ア メリカのフォt・一ルス氏等は,操作簡便にして短時間で 結果の判明する,初乳皮内注射による妊娠診断法を発 表した。彼の実験によると妊婦に98%非妊婦に96% の適申率を報告しその後各方面での十二こ於てag・ 之に近い適中率を発表しているが,何れの報告に於て も妊娠後半期とは殆ど陽性を示す事を述べている。当 教室に起て殊に妊娠前半期のもめに之を追試した結果 を報告した。 実験威績及考察障娠週・ 劇伊野㈲舜率
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