「支援」としての日本語教師派遣の意義─
著者
平畑 奈美
著者別名
Nami Hirahata
雑誌名
国際文化コミュニケーション研究
巻
3
ページ
127-147
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.34428/00012162
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja中央アジア・ウズベキスタンにおける
日本語教育
─「支援」としての日本語教師派遣の意義─
平 畑 奈 美 1 .はじめに ウズベキスタン共和国は、かつてソビエト連邦に属していた中央アジア のイスラム教国である。親日国家として知られ、日本政府はソ連崩壊直後 から、積極的支援を行ってきた。その支援の一環として、多くの日本語教 師がこの地に送られてきたこともあり、今日ウズベキスタンは、中央アジ アにおける日本語教育の中心地となっている。 本稿では、まずこのウズベキスタンという国、およびウズベキスタンに おける日本語教育について概覧し、次に当地で活動する日本語教師たちへ のインタビューの内容を紹介する。その上で、日本がウズベキスタンへの 教師派遣を行う今日的意義について、考察を行いたい。 なお、筆者は、1998年から1999年まで、日本語教育専門家として当地に 派遣され、現地の大学での日本語教育に携わり、その後は研究者という立 場で、当地との縁をつないできた。本稿で扱った情報には、現地生活の中 で直接見聞したものも含まれ、その部分には、筆者の視点が混入している 可能性があるということについて、予め申し添えておく。 2 .ウズベキスタン共和国について 2.1.概況 ウズベキスタンは、世界に二つしかない「二重内陸国」、つまり内陸国 に囲まれた内陸国である。国土の大部分が高原地帯あるいは砂漠地帯にあ るため、年間を通して乾燥してはいるが、アムダリア・シルダリアの大河論文
の恵みを受けたオアシスも点在する。現在ウズベキスタンの首都であるタ シケントは、天山山脈の西端がキジルクム砂漠と接する、その境界、標高 約450mの地にある。「石の町」という意味の名を持つタシケントは、その 名に反して緑豊かで、「公園の都」とも呼ばれている。 ウズベキスタンの国土面積は日本の約1.2倍1で、東西に長い。タシケン トの緯度は函館とほぼ同じであるが、 1 月の気温はマイナス 3 度からプラ ス 6 度とされ、それほど寒くはない。一方、夏は高温となり、40度を超え ることも少なくない。ただ湿気が少ないため、比較的しのぎやすい。 ウズベキスタンの人口は、2019年調査では3,303万人2、マジョリティで あるウズベク人がその 8 割以上を占め、彼らの言語であるウズベク語が現 在、国の公用語となっている1。ウズベク人は、テュルク系民族であり、 ウズベク語もテュルク諸語3の一つである。ただしソ連時代に教育を受け たウズベク人は、今も日常的にロシア語を併用する。国内には、独立後も ウズベキスタンに留まったロシア人やユダヤ系の人々のほか、ペルシャ系 のタジク人、アルメニア人、またスターリンによって移住させられた朝鮮 人もおり、これらの人々の言語や文化も、国内で一定の存在感を示してい る。古来、シルクロードの要衝にあったウズベキスタンの人々は、現在も、 多言語・多民族・多文化の混淆の中で生きている。 2.2.歴史 紀元前、ペルシャ系遊牧民が中央アジアに建設したオアシスの町々は、 時を経て都市国家へと発展していった。その代表的な都市が、ソグド人の 都サマルカンドである。アレクサンダー大王の攻勢にも抵抗したと伝えら れる強大なサマルカンドも、13世紀にはモンゴルにより破壊されたが、チ ンギス・ハーンの後継者を自称するアミール・ティムールが、サマルカン ドを復興させる。ティムールは、サマルカンドを拠点として、現在のトル コからインド、ロシアに至る地域までを支配する広大なティムール帝国を
築き、当時の世界最高水準の文化が16世紀までこの地に栄えた。首都サマ ルカンドには青いタイルで飾られた壮麗なモスクが立ち並び、「青の都」 と呼ばれた。現在サマルカンドは国内の他の都市遺跡(ブハラ、ヒヴァ、シャ フリサーブス)とともに、世界遺産に指定されている。 ティムール帝国崩壊後、中央アジアはさまざまな支配者の統治を経験し た。19世紀には、南下政策をとるロシア帝国に直轄領として組み込まれ、 ロシア革命後は、ソビエト連邦を構成する一共和国となった。ソ連は、ウ ズベキスタンに中央アジアで唯一の地下鉄を走らせ、産業を育成し、医療 や福祉、教育を無償化し、民族と男女の平等を(少なくとも制度としては) 確立したが、同時に多くの苦しみと災厄ももたらした。特に、主要農産品 である綿花の増産のため行った、アラル海周辺での強引な灌漑は、世界で も稀にみる深刻な環境破壊を引き起こした。 ソ連崩壊後、1991年にウズベキスタン共和国は独立を宣言、周辺国とと もに独立国家共同体(CISあるいはNIS)を形成した。 2.3.今日の社会状況 日本の外務省の分類では、ウズベキスタンは「東欧」地域の中に配置さ れている1。国境南部でアフガニスタンに接するウズベキスタンが「欧州」 に含まれるというのは、一般の感覚からすると違和感があろうが、国家成 立の経緯を考えれば確かに、ウズベキスタンを含めた中央アジアは、ソ連 に内包された「東側の欧州」であり、その名残は現在も散見する。 ウズベク人の信仰する主な宗教は、スンニ派イスラム教である1。ただ、 ソ連の統治を経て、この地のイスラム色は非常に薄められた。女性たちは スカートから膝を出し長い髪をなびかせて歩く。飲酒も自由で、酒類は国 内で製造販売されている。豚肉を扱う店は少ないが、入手できないわけで はない。このように都市部では自由で近代的な生活が営まれており、女性 の就業率も日本以上に高いが、農村部の様相は異なり、女性の自由もより
強く制限されている4。 伝統的農耕・遊牧が行われていたウズベキスタンを、ソ連は近代化し、 共産主義を押し広めた。だが極度に中央集権を進めていたソ連が崩壊した 時、指示系統を失ったウズベキスタンは他のCIS諸国と同様、自立不可能 な状態に陥った。国営組織は停止し、無料で提供されていたインフラや教 育も維持困難となり、市民生活は壊滅的な打撃を受けた。 1991年、ウズベキスタンの初代大統領に就任した故イスラム・カリモフ は、強権を発動して混乱していた国内政治を掌握した。南方から侵入する タリバーン等イスラム過激派を徹底弾圧し、独裁者と誹られながらも西側 の支援を集め、毎年 8 %を超える経済成長をウズベキスタンにもたらし(九 門2019)、2016年の死去まで終身大統領として国政に君臨した。 2019年のIMF調査2では、ウズベキスタンの国民 1 人あたりGDPは1,831 ドルで、国民の半数近くは未だ貧困層にある。一方で世界的に有名な綿花、 豊かな地下資源と天然ガス、そして中央アジア屈指の観光資源等によって 経済は確実な成長を見せており、GDPも独立直後と比較して 5 倍になって いる。カリモフ大統領の死後、2016年に就任したミルズィヤエフ新大統領 のもとで政治改革も進み、2019年、ウズベキスタンはその目覚ましい変化 が評価され、英エコノミスト誌の「今年の国」に選ばれた5。現在のウズ ベキスタンは、全国民の実に41%が25歳未満6という若者の国であり、さ らなる発展の余地と大きな可能性を有している。 2.4.日本との関係 ソ連から独立して「ロシアの軛」から脱したウズベキスタンが、新たな 支援者として恃んだのは、西のトルコ、東の日本であった。 1991年の同国の独立直後に、日本はウズベキスタンを国家として承認し た。当時日本は世界一のODA大国でもあり、突如発生した中央アジアの 力の空白地帯に向け、「シルクロード外交」を合言葉に積極的な支援を開
始した。当時は、ウズベキスタンに対する世界の援助額の半分近くを日本 が占めるほどであった。現在も日本は、ウズベキスタンにとって最大の支 援国であり、韓国、ドイツ、米国などの他の支援国を上回る経済支援を行っ ている7 もともとウズベキスタンには、親日的傾向があったと言われる。首都タ シケントには、第二次大戦後、ソ連が抑留した日本兵を動員して建設させ た「ナボイ劇場」があり、町のシンボルにもなっている。ナボイ劇場建設 時に発揮された、日本兵の高い技術と、逆境にあっても失われない礼儀正 しさはタシケント市民の敬愛を集め、そこに親日の土壌が育まれていった。 だがソ連時代、ウズベキスタンの人々には日本のような西側諸国との交 流はむろんのこと、外国語の学習すら、クレムリンの許可なく行うことは 許されていなかった。ゆえに、閉ざされていた鉄のカーテンが開かれた時、 人々の、外国、特に西側先進国の文化への興味、関心は、一気に高まった。 外国の魅力的な文化を知るために、また、新しい知識や技術を吸収するた めに、ウズベキスタンの人々は外国語学習に邁進しはじめた。そしてウズ ベキスタンの人々がぜひとも学びたいと熱望する外国語の中に、日本語は 当然含まれていた。ただ国内最初の日本語講座は、実はソ連崩壊の前年に タシケント東洋学大学東洋学部に開設されている(菅野2012)。開設の翌年、 1991年にタシケント東洋学大学の日本語講座は日本から日本人の教師7を 迎え、本格的に動き出し、1994年には日本政府による日本語教師派遣も始 まった。 3 .ウズベキスタンの日本語教育 3.1.日本の広報文化外交の一環としての日本語教育 海外で行われる日本語教育には、さまざまな形がある。語学学校が営利 目的で実施するものもあれば、篤志家が行うプライベートクラスもある。 どのような形であろうと、一般に教育活動というものは、その土地にいる
人が、その土地の人のために行う。しかし大国はしばしば自国外で、公費 を使い、自国の利益を視野に入れて自国語教育を行う。日本もそうである。 外務省のHP、「広報文化外交」のページ9には、2019年 9 月19日付で、以 下のように記されている。 海外における日本語教育は、日本との交流の担い手を育て、海外に おける日本理解と認識を深めることを通じて、諸外国との友好関係の 基盤を作るために重要です。外務省は、国際交流基金と連携して、日 本語専門家の海外派遣、海外の日本語教師及び学習者の訪日研修、日 本語教材の開発等を行って(中略)海外における日本語の普及に努め ています。 日本の広報文化外交の文脈で日本語教師を派遣する機関の代表的なもの としては、上記の(独)国際交流基金と、(独)国際協力機構(JICA)が あり、前者は主として日本語専門家(旧名称日本語教育専門家)、後者は JICAボランティア(主として青年海外協力隊の日本語教師隊員)を世界 各地に派遣している。こうした公的派遣日本語教師がとりわけ求められる のは、自前での日本語教師育成が難しく、といって有資格の日本語母語話 者教師を雇用する余力もない途上国の教育機関である。 タシケント東洋学大学の日本語講座も、開設から相当の期間、「ウズベ キスタン人の日本語教師が不足し、日本からのボランティア教師と、それ に日本政府派遣の日本語教師が中心」(菅野2012)という状況であった。 河野(2018)によれば、中央アジア諸国の教育機関は総じて、教員の給料 が安く、現在でも副業をしなければ生計が立てられない状況にある。ウズ ベキスタンでも、「主に待遇への不満からか教師の定着が悪い」10(国際交 流基金日本語国際センター 2002)とされ、しかも「年々外国人の管理が 厳しくなり、外国人が個人として教師の仕事を得ることやボランティア活
動をすることが現在ほとんど不可能になっている」(近藤2018)という報 告もあがっている。そのためか、2017年にウズベキスタンを視察した参議 院調査団も、「大学側は、JICAボランティアや日本人教員を高く評価」し、 さらなる公的支援を要望したと記録している7。 ウズベキスタンのような場所に派遣すべき教師は、ただ知識を持った母 語話者であればいいというわけでもなく、数が多ければいいというわけで もない。澤野(2012)は、「中央アジア諸国の教育に関する英文の研究論 文や報告書には、「「危機」「悪化」「失敗」「腐敗」「不安定」といったキー ワードが散見される」と述べている。教育機関が未だ完全に民主的には運 営されていないのに加え、現場には、教師が一方的に知識を披露するソ連 型の教育を承認する風土があり、「間違いなくウズベキスタンの教師の典 型は、権威主義的な人物」(マフカモワ2012)であるという指摘もある。 ここで語学教育を効果的に推進していくためには、学習者と対話しながら 授業を進められる技量を持ち、かつ、教育業務に専念できるだけの待遇を 与えられた教師が必要である。ウズベキスタンの日本語教育においては、 その役割は日本からの派遣教師が果たさなければならないことが多いよう だ。 3.2.ウズベキスタンの日本語教育の現状 国際交流基金は、1993年度から数年おきに、ウズベキスタンの日本語教 育状況を調査している。最新の調査である2015年度のデータによれば、ウ ズベキスタンには1,505人の日本語学習者と61人の日本語教師、14の日本 語教育機関が存在する(表 1 )。1,505人の日本語学習者数は、同年の中央 アジアで最多であり、第 2 位のキルギス(924人)を大きく引き離している。 同年日本語教育が行われていることが確認された、世界137カ国・地域の 中でも、46位と、どちらかといえば上位に位置する。とはいえ、ウズベキ スタンの日本語学習者数は2006年度以降減少している。ただ、数を減らし
ているのは初中等教育機関で、高等教育機関はほぼ横ばい、学校以外の「そ の他の教育機関」の学習者は増えている(図 1 )。 全世界の日本語学習者の過半数は、初中等教育機関に所属しており、高 等教育機関の学習者は全体の 4 分の 1 に止まる11。初中等教育機関の生徒 たちには、通常、学習外国語選択の完全な自由は与えられていない。学校 の方針に従って日本語を学ぶ人たちが世界の大勢である中で、ウズベキス タンでは、自ら日本語を選択した大学生や成人学習者が多く、しかもそれ が増加を続けているということは、特別なことだと言ってよい。もう一つ 特筆すべきことがある。現在ウズベキスタンの義務教育は12年間、17歳ま でであるが、そこから大学に進学できるのは 1 割のみである(河野2018)。 この人たちが日本語学習者のマジョリティであるということは、つまり、 表 1 2015年度ウズベキスタン日本語教育機関調査結果(国際交流基金) 学習者数 教師数 機関数 1,505人 中等教育 126人 (8.4%) 61人 14 高等教育 813人(54.0%) その他教育機関 566人(37.6%) 図 1 ウズベキスタンの日本語学習者数推移
ウズベキスタンでは、日本語はエリート層が好む言語だということだ。 3.3.ウズベキスタン在留邦人の内訳 ここで、ウズベキスタン在留邦人の統計を確認し、全世界の在留邦人統 計 と の 比 較 を し て み た い。2018年10月 1 日 時 点 で 在 留 邦 人 総 数 は、 1,351,970人12、その約 3 分の 1 強が「永住者」で、人数比第 2 位のカテゴリー が「民間企業関係者」、次点が「留学生・研究者・教師」である。在留邦 人数が最も多い地域は北米で、約52万人、次がアジアで、約40万人である。 なお、中央アジアは、アジアには含まれず、欧州の中の「東欧(旧ソ連)」 に分類されている。「東欧(旧ソ連)の同年の在留邦人は481人で、うちウ ズベキスタンに132人がいる。ウズベキスタンの在留邦人の過半数、73人 が「政府関係職員」である。「永住者」はわずか 1 名、「民間企業関係者」 は23名で「政府関係職員」の 1 / 3 しかいない。ウズベキスタンの日本人 とは、大多数が公的派者なのである。全世界の傾向とはかけ離れた、在留 邦人の分布パターンである。 2019年 6 月時点で、ウズベキスタンには24人の青年海外協力隊員、 7 人 のJICAシニアボランティアが派遣されている13。国際交流基金からは、 1 名の日本語専門家が派遣されている14。併せて、ウズベキスタンの邦人の 4分の 1 程度を占めることになる。このうち何人が日本語教師であるのか についての資料はないが、筆者が2017年に、現地公的機関に質問したとこ ろ、その時点でウズベキスタンには少なくとも12人の邦人日本語教師がお り、うち 7 人が公的派遣日本語教師だということだった。ちなみに当時の ウズベキスタン全体の日本語教師は61人で、その多くが非常勤である。こ れらの数値を勘案して、ウズベキスタンにおける日本の支援活動と日本語 教育、そのいずれにおいても、日本の公的組織からの派遣者と派遣教師が、 非常に多くを担ってきたことは間違いないと見てよいだろう。
3.4.ウズベキスタンにおける日本語教育の展開と「日本語教育熱」 1990年に始まったウズベキスタンにおける日本語教育は、その後どのよ うに展開してきたのだろうか。 国際交流基金15によれば、タシケント東洋学大学に、1994年から日本語 教育専門家が派遣されるようになったのち、タシケントの他大学や中等教 育機関にも日本語教育が拡大、やがてサマルカンド、フェルガナ、ブハラ 等の地方都市でも日本語が学ばれ始めた。2000年からはJICAの青年海外 協力隊員やシニアボランティアが派遣されるようになり、2001年にはウズ ベキスタン日本センター(UJC)16が開設され、ここで一般向けの日本語コー スが開かれた。後にブハラにもUJC分室が開設され、市民に日本語学習の 場を提供している。またフェルガナには「NORIKO学級」17とよばれる民間 の日本語教室が作られ、1999年から有志によって運営されている。この確 実な日本語教育の拡大の原動力は、関係者の献身もあろうが、やはり同調 査の言うところの、現地の「高い日本語学習熱」であろう。 1991年に入国して以来、ウズベキスタンの日本語教育を支え続けてきた、 タシケント東洋大学の菅野怜子准教授(現職)は、その功績により、2011 年に日本の外務大臣賞、2017年には瑞宝双光章を授与された。その栄誉を 称える日本大使館の記事18には、菅野准教授の「ウズベキスタンにやって きたときには、辞書も教科書も何もなかったが、学生には学びたい意欲が みなぎっていた」というコメントが掲載されている。 2016年11月 2 日付朝日新聞19は、「ウズベキスタン 日本語教育熱なぜ」 という見出しの記事を、菅野准教授へのインタビューとともに掲載した。 ウズベキスタンの日本語学習者が極めて勉強熱心であることは、ウズベキ スタンを訪れた研究者、政治家、ジャーナリストらが、口を揃えて各所20 で報告しており、枚挙に暇がないほどである。 一方、そうした報告の多くが、ウズベキスタンでは日本語を使用できる 場を見つけることが難しく、まして日本語能力を生かした就職を果たすこ
とは非常に困難であることに言及している。それでも日本語が意欲的に学 ばれる理由としては、ナボイ劇場が育んだ日本への親しみや、「漢字の形 態や富士山、桜など」7古典的な日本の表象への嗜好があげられることが多 い。上述の朝日新聞記事は、日本とウズベキスタンの貿易額が、中国の20 分の 1 以下、韓国の10分の 1 にあたる 2 億ドルしかないことを記した上で、 「日本人の勤勉さや年長者を敬う風潮、優れた工業製品やポップカルチャー への憧れ」等が、「ウズベキスタンの日本語教育熱」を生んだと結論づけ ている。 川村・福島(2007)は、多言語社会ウズベキスタンで、「言語選択は社 会的地位と利益に直接に関わって」いることに注目している。特に国体の 激変を経験したウズベキスタンの成人エリート層は、子どもに威信の高い 外国語を学ばせることで、その将来を保証しようとする傾向が強い。そし て日本語は、そうした威信の高い外国語の一つなのだと分析している。 これらの推測は、どれも間違ってはいないだろう。ただ、ウズベキスタ ンの「日本語教育熱」の根底にあるのは、この地の人々の、学ぶこと、そ れ自体への純粋な愛情なのではないか。澤野(2012)は、中央アジアの教 育現場全体にあふれる情熱に触れ、「多くの問題を抱えながらも、意欲的 に教え学ぶ教員や子ども・青少年の姿がそこにはあった」と結んでいる。 筆者自身、90年代にウズベキスタンで日本語教師として過ごし、若者たち の驚くほど強い学習意欲と高い吸収力に感銘を受けたことは、鮮烈な記憶 として心に刻まれている。 4 .ウズベキスタンの日本語教師たちの< 物ライフストーリー語 > 「日本語学習熱」の高いウズベキスタンで、日本語教師たちは、どのよ うな問題に向き合い、何に喜びを感じ、ウズベキスタンの日本語教育を支 えてきた日本に対し、どのような思いを抱いているのだろうか。筆者は、 2005年から、ウズベキスタンで日本語教育に携わる、あるいは携わった、
20人近い日本語教師に対し、長期的に聞き取り調査を行ってきた。本節で は、ウズベキスタンの日本語教師のカテゴリーとしてあげられてきた、「日 本からの公的派遣教師」「日本人ボランティア教師」「ウズベク人日本語教 師」の中から、一人ずつの語り手について、その<物語>をひもとき、考 えてみたい。(文中、重要と思われる発言にアンダーラインを付した。) A教師:青年海外協力隊日本語教師隊員(30代女性) 世界各地での日本語教育経験を積んだのち、「海辺の生活」に憧れ青年 海外協力隊に応募。未知の内陸国、ウズベキスタンの大学に派遣されると 知った時は驚いたが、行ってみたウズベキスタンはすばらしいところだっ た。「もう、ほんと、よかったですよ。桃源郷です。学生はかわいいし、教 えたことを全部 じゃなくて、 教えたこと以上のこと をマスターしてく れるような感じで21。自分が できる教師 なんじゃないかと錯覚させてく れるような学習者で」。 そう思えたのは、自分が「日本語教師」だったからだと分析する。他の 職種、例えば医療技術隊員であれば、ウズベキスタンの専門家や独自の手 法というものがあり、日本人の支援など特に歓迎されないが、ネイティブ の日本語教師は、現地に代わる存在がいないため、「みんなが待っている」。 現地の日本語学習者が熱心な理由としては、「外国人が珍しいんじゃな いでしょうか」、「ほかの授業と比べて、日本人が関わっている授業は工夫 がされていて面白いと感じるんじゃないでしょうか」と推測する。さらに、 「学生の言葉の端々から判断するに、日本語を選択することというのは、で きる学生の証 みたいな…土壌があった気がします。 私は日本語選択の学 生よ 、 大学で日本語勉強してました って、言えることは、優越感…み たいなものになっていたのかもしれません。よく学生が、 日本語を勉強 する学生は、ほかのどの言語を勉強する学生と比べても、一番まじめで一 生懸命なんですよ って言ってましたし。ほかの大学の講義には出なくて
も日本語だけは出る、そういう学生もたくさんいました」とまとめる。 しかし、優秀で勉強熱心な学習者が、身につけた日本語を生かす場に恵 まれないということに、A教師は次第に悩みはじめる。ここに日本語教師 が送られるのも、日本の国際支援の実績作りではないかいう疑問も持つよ うになる。日本のODAがどれほど現地の役に立ったのか可視化すべしと いう組織の指示に、「日本語が実利に直接的に結びつかなくても…日本語 がきっかけで人生の選択肢が増えるとか、そういう…曖昧で数字に出ない ことは、どうでもいいと思っているんじゃないかな」と、失望を隠さない。 そんな折、自らの存在意義を実感したのは、同僚との関係の変化におい てである。「最初、その先生は…いわゆる古いウズベクふうの、学生と同 じステージには立たないというような先生でした。それで、私が授業をやっ ていると、学生がどうしても、 そちらより日本人の先生のほうが って、 こちらに来る。彼女はそれを見ていて… 1 年ぐらいして…態度が変わって きて、 私もA先生みたいにしたいんだ って言ってくれました。そうした ら学生たちも、その先生のことも慕うようになりました。日本のやり方が すべていいというわけではなくても、日本のこういう教え方というのも、 悪くはない、と思ってくれたのかと。ここの人たちが、日本のやり方、ウ ズベキスタンのやり方、両方見て、どちらかいい方を選べるようになって くれて…それで、ここでの教育の…質みたいなものが、多少なりとも上が れば…それは、日本語習って収入がどうこういうことよりも、現地にメリッ トがあるんじゃないかなと思いました」。 そうした中で、自分の存在意義についての悩みが、消えていったと語る。 「私たちって、 日本の国際協力として行くんだから、支援しないと って、 強く意識に刷り込まれると思うんです。でも、 役に立たないことはやら なくてもいい なんて思うことは、相手にとって失礼なことなんじゃない かと、思ったんです。それが自分なりに探した答えの中の一つだと。あれ が私の転機かもしれません」。
そのような気持ちで過ごす中で、「海外、海外って、目が向いていたけ れど、そういう気持ちも、あまり持たなくなりました。日本が好きになり ました」と語る。任期を終え帰国し、現在も日本語教師を続けている。 B教師:日本人ボランティア教師(元JICAボランティア)(50代女性) 日本の地方都市で生まれ育ち、その土地の小規模な観光サービス系の企 業で、正社員として約20年働く。仕事に行き詰まりを感じていた時、JICA ボランティア制度を知り、短期の観光サービス支援職に応募して合格。た めらわず辞職。「会社辞めることになって、うきうきでした」と言う。 1 年足らずの任期で「何もできなかった」が、非常に楽しかったと言う。帰 国後は失業保険で生活しながら、「私、履歴書に書けることが何もない。 何かしよう」、「ウズベキスタンで、日本語話せる人をたくさん見たから。 日本語話す人としか、私は交流を持てないし」と、日本語教師養成講座に 通う。資格取得後、ウズベキスタンで世話になった人の役に立ちたいと考 え、個人として現地機関と直接契約し、再びウズベキスタンへ渡る。日本 語教師として十分ではない自分を実感し、「教師として何かできるように なるまで」と、契約を更新しながら数年を過ごす。大学からの給与だけで は生活できず、アルバイトもする生活の傍ら、ウズベキスタンの旅行業に 貢献したいと、観光ウェブサイトも開設を、自分にできることを模索する。 「お金にはならないです。趣味です。でもこれで、現地の人には少しはお 金になっているでしょう。生活を助けてくれている人たちの役に立つし、 日本語の勉強している人の役にも立つし、ちょっとでもここに貢献できる かなって」。 離日して10年近く経過し、日本に残している親族が気がかりではあるが、 帰国の予定はない。社会主義的な風潮の残る現地の組織のあり方や、仕事 に対する責任感の薄い人の存在に不満も感じる。 「それでも今は気楽です。日本では本当に、会社に滅私奉公して。それ
から解放されたって。この解放感は日本にはないって思います」、「最初は 現実逃避だったと思うんですが、10年もいたら、日本とウズベキスタンの、 どちらが現実かわからない」と言う。現金収入は少ないが、現地は物価が 安く、食べるものには困らない。ウズベキスタン人は親切でよく助けてく れ、また、日本人コミュニティのつながりも強いため、孤独を感じること もない。今ここでまったく問題がないと感じている。 「ここにいると、いろんな方に出会えます。昨日も、日本からのプロスポー ツ選手と一緒にご飯を食べたんです。大学の研究者も来ます。日本にいた ら、そんな人と知り合うきっかけもない。ここにいたら、いろいろなとこ ろから来た、普通じゃ知り合えないような人たちと、いっぱい知り合いに なれて…新たな世界、新たな出会い。刺激があって、楽しいです」。 将来については不安もあるという。「でも、死んだらお金も、もうかか らないから、いいかって」という割り切りがある。人生で初めて、「何者か」 になり、社会に貢献できた喜びが大きく、自分の選択に後悔はないと断言 している。 C教師:ウズベク人教師(20代女性)22 入学した大学に日本語講座があり、日本語学習を始めた。日本語しか使 わない日本人教師の授業が、もっとも厳しく、それがゆえに最もモチベー ションが上がったという。「日本語だけの授業というのは、ちょっとつら いんですが、つらい中でも、教師は、どれだけ楽しい授業をやれるのか、 学生が教室を出る時にどれだけのことができるようになっていないといけ ないのか、いつも考えていないといけないと思います」。常に自分に高い ものを要求しつづける姿勢を見せる。 優れた成績を収め、奨学金を得て日本に留学もした。日本の支援を受け て学んだことに対する責任を果たすため、日本語教師になった。自分が教 師になってみると、日本からやってくる日本語教師たちに、かなりの能力
差や、意識の違いがあることが見えてきた。 通常であれば教壇に立てないような、教師として無資格の人間が、ウズ ベキスタンでは教えられるということに言及し、「日本から、あまり経験 のない若い先生がよく来てるじゃないですか。そういう先生は、私たちの ところを自分の実習の場所として考えているんじゃないですか。 ここな らそんなにがんばらなくてもいいわ って。私たちをマテリアルみたいに 扱っている」、一部の日本人教師が「授業にほとんど準備をしないで来た りするのも何回も見ました」と言い、憤る。そして日本人の教師には、た だ教科書に書いてあることを教えるのではなく、ただ褒めるのでもなく、 日本に行った時、どういう場面でウズベク人は問題に直面するのかを具体 的に示し、解決できる力を学生につけさせてほしいと言う。 「日本人の教師は和食の話題ばかり」選ぶことにも問題を感じている。 ウズベキスタンの学生の多くは、日本に行く機会がない。食べることもで きない和食や、見たこともない自動販売機のことを教わるよりも、「日本 人の人間性を知りたい」、日本がどのように発展したのか、その教師は、 なぜ日本のことを伝えたいと思うのか、ウズベキスタンと日本は、これか らどのような交流ができるのかを、学生に教えてほしいと考えている。 「日本語教師が日本にプライドもっていないと、授業が無関心な感じに なります。先生が、日本にプライドを持っていると、学習者は、そんなす ばらしい国に行ってみたいなって思うし、そんな国と協力して何かやりた いなとか、落ちこぼれたくないとか、思うんじゃないでしょうか」。 日本人教師にプライドを期待する一方で、日本人教師、あるいは日本が、 ウズベキスタンに対して「支援者」という態度をとることにも抵抗がある。 そのような状況を作り出したのは、ウズベキスタン側の「ハイハイって受 けている」だけの姿勢でもあると分析しつつ、日本人教師の現地に対する 態度にも問題があると指摘する。ウズベキスタン人は日本語を学ぶのに、 日本人はウズベク語を学ばない。「私たちはそういう意味で、すごく、い
つも、差別されている感じがする」と言い、日本人との対等なパートナー シップへの希望を語る。 ウズベキスタンでの日本語教育の今後について不安も感じている。「今 は、 日本はすばらしい国だから日本語勉強しましょう っていうブーム があります。でも、日本の援助がなくなったらどうなるのか疑問です」と 懸念し、日本から来る「あまり経験のない若い日本語の先生」には難しい のではないかと前置きしつつも、「日本人の先生には、日本語を学ぶことは、 ウズベキスタン人にとってどんな意味があるのかってことも含めて教えて ほしい」と望む。「日本語学習熱」を超えて、ウズベキスタンでの日本語 教育が続いていくことを願っている。 5 .結び 独立後の苦難の30年を乗り越え、ウズベキスタンは大きく変化し、飛躍 的な成長を遂げている。一方、その同じ時間続いてきた、日本とウズベキ スタンの蜜月は、逆方向への変化の局面を迎えている。大規模な箱もの支 援では、日本は他の東アジア諸国にもはや敵わない。英語、中国語といっ た大言語を教える教室が市内では年々数を増している。C教師がいみじく も予言したように、大がかりな支援を継続できる経済的基盤を日本が失っ て、日本語教育の様相も変わった。日本語学習者数と教師数の伸びは鈍化、 予算削減により、ベテラン教師の派遣も困難になっている。親日国ウズベ キスタンであっても、日本と日本語教育のプレゼンスは薄れつつあるのだ。 だが本稿でとりあげた、ウズベキスタンの日本語教師たちの物語を聞く 限り、日本の「支援」という形のプレゼンスが減少することは、ウズベキ スタンの日本語教育にとって必ずしも負の方向に作用することばかりでは ないように思われる。ウズベキスタンには、実利につながらない日本語で あっても、それを選び学ぼうとしてくれる、中核的な親日層がなお存在す る。そのような人達のもとに、日本の若い日本語教師たちを、「支援」の
ためにではなく、日本語学習/教育を通した「交流」のために、送る機会 を増やせるようになるならば、それはむしろ両国の関係に質的な成熟をも たらし、対等な関係へと近づけていく上で好ましい展開となりえるのでは ないか。 もちろん、若い日本語教師を送って行う、牧歌的な「国際交流」の実施 が、常に満足のいく成果をあげられるはずはないことは、C教師が指摘し た通りである。日本語教育についての一定の素養と熱意を備え、現地語を 学び、母語話者であることに安住せず成長しつづけられる教師をどう育て るのかは、大きな課題である。 ただ、ウズベキスタンは、日本の外交政策的文脈においてそうであるだ けではなく、一人の日本語教師にとっても、魅力と可能性に満ちた国であ る。乾いた砂が水を吸うように学び、教師への惜しみない感謝と愛情を全 身で示してくれる学習者を前にして、若い日本語教師は、教師として与え、 教師として与えられる場に立てるということが、どれほどの僥倖であるの かを知るだろう。日本で目標を見失っていた人、孤独であった人も、ウズ ベキスタンでは、人のためにできることを見つけ、「何者か」になり、自 らの存在の重さを知ることができる。このような経験をした若者たちは、 ウズベキスタンの日本語教育に貢献できるだけでなく、日本の国際化にも 貢献できる人材となるだろう。 グローバル化を標榜する日本は、実際には未だに脱亜入欧のエトスから 自由になっていない。日本に憧れ、日本語を学び、渡航費を工面してやっ てきたウズベキスタンの若者を、少なからぬ日本人が、「なんとかスタン の人」などと呼び、その国は危険なところではないかと、彼らの前で無配 慮に口に出す場面も目にする。東京オリンピックを目前に控えた日本の、 これが現実であり、限界でもある。そして、日本の若者は、縮小社会日本 を支える重圧の中で、自国の未来に希望をわずかしか持っていない。力あ る大国に学びこれを追うことだけが救いになると教えられて育ち、国際化
というものを極度に限定された意味に捉え、強迫的に受け止め消耗してい る。しかし遠い中央アジアでの日本語教育を通して、日本の若者たちは、 日本という国が、あるいは自分たちが、海の向こうで無条件に愛されてい ること、自分がそこで人のためにできることがあるということを、体感で きるだろう。シルクロードの彼方から人々が見ている日本は、過度に美し く現実離れした日本であるかもしれない。そうであったとしても、他者の 目の中の美しい祖国を、日本の若者に見せていく機会を確保することは、 ウズベキスタンにとってというよりも、日本の未来にとって、より大きな 「支援」となり、希望となるのではないだろうか。 引用文献 河野明日香(2018)「教育と国家建設─独立後の教育にみる人材育成」宇山智彦・ 樋渡雅人編著『現代中央アジア 政治・経済・社会』日本評論社、231-256 川村秋子・福島青史(2007)「ウズベキスタンの「帰国子女コース」実践報告─「移 動する子ども」のために「海外の日本語教育」は何ができるか─」『国際交 流基金日本語教育紀要』 3 、63-79 九門康之(2019)「ウズベキスタン経済の現状と課題」『(公)国際通貨研究所ニュー ズレター』No.4 国際交流基金日本語国際センター(2002)『ロシア・NIS諸国日本語事情』国際 交流基金 近藤正憲(2018)「ウズベキスタンの日本語教育─熱意あふれる日本語学習者た ち」帯谷知可編著『ウズベキスタンを知るための60章』明石書店、338-341 澤野由紀子(2012) 「世界の「多極化」と中央アジアの国際協力」嶺井晶子・川野 辺敏編『中央アジアの教育とグローバリズム』東信堂、200-210 菅野怜子(2012) 「日本語教育の20年」嶺井晶子・川野辺敏編『中央アジアの教育 とグローバリズム』東信堂、159-160 平畑奈美(2014)『「ネイティブ」とよばれる日本語教師 海外で教える母語話者 日本語教師の資質を問う』春風社
マフカモワ・サイーダ(2012)「教育にみられる民族的特性─ウズベキスタン」『中 央アジアの教育とグローバリズム』東信堂、82-93 注 URLはいずれも2019年11月26日参照 1外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uzbekistan/data.html 2 IMF https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2019/02/weodata/weoselco.aspx?g=240 0&sg=All+countries+%2f+Emerging+market+and+developing+economies+%2f+Midd le+East+and+Central+Asia 3テュルク語はアルタイ語に属する。日本語との文法的類似性も高い。 4 JETRO(小野好樹・アリフホジャエワ・ディルフーザ「「あるべき女性像」と 闘う女性たち(ウズベキスタン)2018年10月29日」) https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2018/0301/fb05dbd933cb6bd9.html
5 The Economist
https://www.economist.com/leaders/2019/12/21/which-nation-improved-the-most-in-2019 6 CIA 2018 年データ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ uz.html 7参議院 第 3 回参議院政府開発援助(ODA)調査派遣報告書平成18年 https://www.sangiin.go.jp/japanese/kokusai_kankei/oda_chousa/h18/pdf/3-2.pdf 第13回参議院政府開発援助(ODA)調査派遣報告書平成29年 6 月 https://www.sangiin.go.jp/japanese/kokusai_kankei/oda_chousa/h28/pdf なお、2016年実績で、日本の支援額は19510万ドル、 2 位の韓国が3072万ドル である(注 1 外務省データ参照)。 8 後述の菅野怜子准教授である。筆者が菅野先生ご本人から伺ったところでは、 当初は長期滞在する予定はなく、知り合いのつてで一時的に手伝いを頼まれて ウズベキスタンに入ったところ、ソ連が崩壊してしまい、帰国できなくなった ので、そのまま残った、ということであった。 9外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/koryu/edu/index.html 10 木之下(2012)は、引用文献に示した『中央アジアの教育とグローバリズム』 において、タシケントの大学関係者が「新任大学教員の給料は約200ドル、中
堅教員が約300ドル」だと語ったと述べている。 11国際交流基金 https://www.jpf.go.jp/j/about/press/2019/dl/2019-029.pdf 12外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/page22_000043.html 13 JICA https://www.jica.go.jp/volunteer/outline/publication/results/jocv20.html 14 国 際 交 流 基 金 https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/teach/dispatch/voice/voice/ touou/index_2019.html 15 国際交流基金「日本語教育 国・地域別情報「ウズベキスタン」https://www. jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2017/uzbekistan.html 16 UJCは、ウズベキスタン共和国対外経済関係・投資貿易省(当時)と国際協力 機構(JICA)の共同プロジェクトとして、JICAの資本により設立された(https:// www.uz.emb-japan.go.jp/itpr_ja/presstour2018.html) 17 毎日新聞2019年 5 月16日京都版によれば、「NORIKO学級」とは、「小松製作所 に勤務していた大崎重勝さん、典子さん夫妻が「子どもたちの未来のために 学びの場を作ってあげたい」との思いから設立した無償で学べる日本語学校」 である。現在は大崎夫婦と親交のあったウズベク人校長のもとで、約60人の 子どもたちが学び、日本人ボランティアが日本語教育をサポートしている。 18 在ウズベキスタン日本大使館 https://www.uz.emb-japan.go.jp/itpr_ja/sugano_ceremony.html 19東京版26ページ 20 注 7 の参議院報告書のほか、近藤(2018)、(独)国際協力機構青年海外協力 隊事務局(2004)「中国・ウズベキスタン・キルギス日本語教育分野巡回指導 調査報告書」(http://open_jicareport.jica.go.jp/pdf/11774924.pdf)、辻篤子(2017)「サ マルカンドで遭遇した日本語熱」『名大ウォッチ』(http://www.meidaiwatch.iech. provost.nagoya-u.ac.jp/2017/06/post-7.html)、加藤文彦(2017)(http://www.nmcnmc. jp/wp/ wpcontent/uploads/2017/08/geturei1707.pdf)等。 21 テュルク諸語のひとつであるウズベク語の構造には、日本語に類似したもの がある。また、多民族国家ウズベクキスタンでは、多くの人は幼少時より多 言語使用になれている。これらのことからウズベク人は、しばしば日本語学 習者において非常に優れた成果を収める。 22このC教師のインタビューデータは平畑(2014)でも扱っている。