日常語としての
papañca-坂 英 世
0.はじめに
パーリ及びジャイナの古層経典より用例が確認される1)男性名詞 papañca-(Amg.
pavañca-, etc., BHS, Cl. prapañca-)は,当時の自由思想家たちの間で術語の一つとし て使用され始めたものと見られる.ニカーヤに見られるこの術語としての papañca-が教義的問題意識の下で扱われてきた一方2),教義的文脈を離れ,広範に papañca-の基本的語義を検討したものは見当たらない.本稿では,一旦術語としての用法 を脇に置き,パーリ註釈文献3)に見られる papañca- の日常的用法を手がかりとし て,語義及び用法の検討から papañca- に新たな視点を与えたい.
1.papañca- の日常的用法
lokiyā pana “amhākaṃ tumhehi saddhiṃ kathentānaṃ papañco hotī”ti ādīni vadantā kālassa cirabhāvaṃ “papañco”ti vadanti. (Sadd 529, 1) 他方,世間の人々は「君たちと話している
と,私たちには時間の無駄だ」などと言っているので,時間が長いことを「papañca だ」 と言うのである. 以上に言及されるような用法は(時間的意味に限らず)実際に註釈文献以降確認 される.ここでは,註釈文献における術語としての papañca- に対する註釈部分と それに準じた用例を除き,註釈の著者たち自身の言葉として,あるいは説話等の 登場人物たちに語らせる言葉として用いられる例を日常的用法と見做す.派生動 詞や複合語を含め,この種の用例を検索すると 130 例程が得られる.
2.日常語としての papañca- の語義と用法
2.1. 用例調査の結果,日常的用法の範囲において,papañca-は「余計な物事・さ ま」を基本的語義とすると見られる.denom. papañceti/papañcayati,その言い換え papañcaṃ karoti4)についても,「余計なことをする,余計なものを加える」を基本 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 (229) 言:「我欲拾弊衣.」 若守墓人教取,取已示我,当取示之.若取死女人衣時,女身未壊 者,応往頭辺而取.若身已壊,得随意取;若死男子衣亦随意取.若死人衣有宝者,応 足躡却宝,持衣而去.若不覚有宝,持衣還乃知有宝者,応付浄人持作湯薬.若守墓者 語比丘言:「聴汝取不好衣,好者勿取.」 是比丘到塚間,不見弊者,多有好衣,即持還 語守墓人言:「正有是好衣耳.」 守墓人聴取便取,若言:「是好,不聴汝取.」 比丘応還, 更求余者.」 5)『弥沙塞部和醯五分律』T22, 134b18–20:「復有一比丘至塚間,従足至頭観新死女人, 生欲心,便行不浄.以是白仏,仏言:「不応先従足観.」」 6)『十誦律』T23, 429b7–17:「憍薩羅国近死人処,有諸天祠舎,守祠舎人浣衣絞捩,曬 已不收撿,風吹堕死人処.有一比丘死人処住,観死屍見是衣,四顧不見人便持去,守 祠人見語言:「長老! 莫奪我衣去.」 比丘言:「我死人処得,何預汝事?」」 〈参考文献〉Schopen, Gregory. 2007. “Cross-Dressing with the Dead: Asceticism, Ambivalence, and Institutional Values in an Indian Monastic Code.” In The Buddhist Dead: Practices,
Discourses, Representations, ed. Bryan J. Cuevas and Jacqueline Stone, 60–104. Honolulu:
University of Hawai’i Press.
〈キーワード〉 vinaya,苦行,塚間(śmaśāna),糞掃衣(pāṃśukūlika),不浄観(aśubha-bhāvanā) (東京大学東洋文化研究所特別研究員) 堀内俊郎 著
世親の阿含経解釈 『釈軌論』第 2 章訳註
(インド学仏教学叢書 18)
B5 版・260 頁・本体価格 5,500 円 山喜房佛書林・2016 年 5 月 新刊紹介 (228) 律文献の人類学的分析による頭陀行の再検討(ウイットコスキ) ─ 296 ─しばらく間を置く(Ud-a 115, 21, etc.),長く留まる;+ instr. ~に気を取られる
(Dhp-a I 198, 21),~により時間を浪費する(Pj II 53, 26, etc.);+ loc. ~に長居をす る(Cp-a 137, 11, etc.);trans.(only papañceti)+ acc. ~を述べ立てる(It-a I 32, 23), ~を欺く
2.2. 日常的用法に特徴的な構文は以下の通り.
nom. + papañco(あるいは逆順)「~(行為,事物)は papañca である」 gen. + papañco [atthi/hoti]「~(人物)にとって papañca がある」
gen. absol. + papañco [atthi/hoti]「~をしていると,〔その人物にとって〕papañca である」※ [ ] 内は省略される場合もある.
papañcaṃ akatvā + khippaṃ/sīghaṃ/lahuṃ/ajj’ eva「もたもたせず,すぐに,etc.」 mā papañcaṃ karohi, etc.「もたもたするな」
3.結び
以上,日常語としての papañca- の語義と用法を整理した.この語が術語として 一貫して否定的なものであるように5),日常的用法もその価値観を引き継ぎなが ら独自の展開を示している.特に時間にまつわる語義はパーリ以外には見られな い.他方,本稿で提示した「余計」に類する語義に注目するなら,Cl. prapañca-の一部の語義との間には否定的価値観を伴うか否かの相違や,共通する意味合い も見出される6). 遡って初期文献における papañca-/pavañca- に本稿で提示した語義を適用できる かどうか現時点では定かでないが,日常語の範囲で papañca- であると言われるも のは身口意の行為・事物・人物の全てが該当する.この語が元来抽象的な概念で あるならば,これらの具体例の中から初期文献の文脈と共通のものを探ることは 一つの糸口になるであろう. また papañca- の語源についても検討の余地があるが7),本稿の調査からも確か なことは,名詞 papañca- が先にあり,denom. papañceti が作られているという点 である.したがって,papañceti/prapañcayati を語根 pañc から解釈する土着の説は まず退けられることになる.この点については,パーリ以外の文献も含め,総合 的に考えていく必要があろう8).1)パーリ:Sn 8 papañca-, 530 papañca-nāmarūpa-, 874, 916 papañca-saṅkhā-, etc. ジャイ ナ:Āyār 16, 22 logāloga-pavañca-; Sūy I 7, 30 pavañca-; Isibh 31, 22 ṇiruddha-pavanca-.
日常語としての papañca-(坂) (231)
に考え得る.時間的に用いられるまでには,「余計な物事・状況がある>それに追 われる,あるいは夢中になる>徒に時間が過ぎる」のような意味展開が想定され る.以下に例を挙げる.
“iminā samaṇena sadiso añño samaṇo nāma natthi, ayaṃ hi appicchatāya vatthaṃ na [Ee omits
na] nivāseti, ‘esa papañco’ ti maññamāno bhikkhābhājanaṃ na pariharati [Ee pariharanti]. . .
(Sv III 819, 32) 「この沙門と同じような他の沙門というのはいない.というのも,この人 は欲が少ないので衣服を身に着けない.『これは余計だ』と考えているので,乞食用の鉢 を持ち回らない…」
“ahaṃ āvuso dubbalo, mayā saddhiṃ gacchantassa tava papañco bhavissatī”ti. (Dhp-a I 14, 16) 「友よ,私は病んでいる.私と共に行くなら,君には邪魔になろう」
“ajja tāva papañco atthi, sve vā punadivase vā karissāmī [Ee jātissāmī]”ti cittaṃ anuppādetvā “ajj’ ajj’ eva karissāmī”ti evaṃ vīriyaṃ kātabban ti dasseti. (Ps V 2, 16) 「今はまだ面倒事(支 障)がある.明日か次の日かにやろう」という気持ちを起こすことなく,「今日今すぐに やろう」と,このように精進がなされるべきであると教える〔のだから〕.
ayam ettha sāro [Ee saro]. ke ci pan’ ācariyā bahū papañce bhaṇanti, te imasmiṃ atthe na yujjanti. (Ps I 63, 19) これがここでは要点である.だがある学匠たちは多くの見当違いの
ことを論じる.それらはこの意味内容には関係ない.
yathā hi puriso “veṇuyaṭṭhiṃ gaṇhissāmī”ti mahājaṭaṃ veṇuṃ disvā “jaṭaṃ chindantassa papa-ñco bhavissatī”ti. . . (Ps IV 86, 21) 例えば,人が「竹の竿をつかもう」と〔思って〕大きな
もつれがある竹を見て,「もつれを切っていると時間の無駄になるだろう」と〔思って〕… “Sāriputta yaṃ tayā ‘iminā kāraṇena vedanāsu taṇhā na upaṭṭhāsī’ti byākataṃ taṃ subyākataṃ. ‘tisso vedanā’ti vibhajantena pana te atippapañco kato, taṃ ‘dukkhasmin’ti byākarontena pi hi te
byākatam eva bhaveyya. . . (Spk II 63, 21) 「Sāriputta よ,君が『この理由によって諸々の感
受に渇愛は留まらなかった』と解説したところのことは,よく解説されている.しかし 『3 つの感受』と分類しているので,君は甚だ余計なことをしている.というのも,それ を〔単に〕『苦しみである』と解説していても,君はまさしく解説したことになり得るか らである…」
paṭhamaṃ āsīvisehi anubaddho ito c’ ito ca te papañcento [v.l. vañcento] palāyi. (Spk III 10,
9) 最初に蛇たちに付きまとわれた〔彼〕は,あっちへこっちへとそいつらを欺きつつ逃 げ切った.
その他許容できると思われる訳語は例えば以下の通り.
papañca- 余計,蛇足,無駄,不要(Sp II 467, 27, etc.);邪魔,面倒,しがらみ, 煩瑣,雑事(Mp V 28, 17, etc.),小用(Sv III 728, 28);見当違い,錯誤,詭弁;手 間,徒労,時間の無駄;adv. -ato 余計に(Vism 351, 9)
papañceti or papañcaṃ karoti intrans. 余計なことをする,口出しをする(Ja IV 406, 29**),多弁を弄する(Pj II 136, 1, etc.),うろうろする(Mp I 370, 13),手間取 る,もたもたする(Mp I 436, 3, etc.),ためらう,時間を潰す(Spk II 56, 12, etc.),
(230) 日常語としての papañca-(坂)
しばらく間を置く(Ud-a 115, 21, etc.),長く留まる;+ instr. ~に気を取られる
(Dhp-a I 198, 21),~により時間を浪費する(Pj II 53, 26, etc.);+ loc. ~に長居をす る(Cp-a 137, 11, etc.);trans.(only papañceti)+ acc. ~を述べ立てる(It-a I 32, 23), ~を欺く
2.2. 日常的用法に特徴的な構文は以下の通り.
nom. + papañco(あるいは逆順)「~(行為,事物)は papañca である」 gen. + papañco [atthi/hoti]「~(人物)にとって papañca がある」
gen. absol. + papañco [atthi/hoti]「~をしていると,〔その人物にとって〕papañca である」※ [ ] 内は省略される場合もある.
papañcaṃ akatvā + khippaṃ/sīghaṃ/lahuṃ/ajj’ eva「もたもたせず,すぐに,etc.」 mā papañcaṃ karohi, etc.「もたもたするな」
3.結び
以上,日常語としての papañca- の語義と用法を整理した.この語が術語として 一貫して否定的なものであるように5),日常的用法もその価値観を引き継ぎなが ら独自の展開を示している.特に時間にまつわる語義はパーリ以外には見られな い.他方,本稿で提示した「余計」に類する語義に注目するなら,Cl. prapañca-の一部の語義との間には否定的価値観を伴うか否かの相違や,共通する意味合い も見出される6). 遡って初期文献における papañca-/pavañca- に本稿で提示した語義を適用できる かどうか現時点では定かでないが,日常語の範囲で papañca- であると言われるも のは身口意の行為・事物・人物の全てが該当する.この語が元来抽象的な概念で あるならば,これらの具体例の中から初期文献の文脈と共通のものを探ることは 一つの糸口になるであろう. また papañca- の語源についても検討の余地があるが7),本稿の調査からも確か なことは,名詞 papañca- が先にあり,denom. papañceti が作られているという点 である.したがって,papañceti/prapañcayati を語根 pañc から解釈する土着の説は まず退けられることになる.この点については,パーリ以外の文献も含め,総合 的に考えていく必要があろう8).1)パーリ:Sn 8 papañca-, 530 papañca-nāmarūpa-, 874, 916 papañca-saṅkhā-, etc. ジャイ ナ:Āyār 16, 22 logāloga-pavañca-; Sūy I 7, 30 pavañca-; Isibh 31, 22 ṇiruddha-pavanca-.
日常語としての papañca-(坂) (231)
に考え得る.時間的に用いられるまでには,「余計な物事・状況がある>それに追 われる,あるいは夢中になる>徒に時間が過ぎる」のような意味展開が想定され る.以下に例を挙げる.
“iminā samaṇena sadiso añño samaṇo nāma natthi, ayaṃ hi appicchatāya vatthaṃ na [Ee omits
na] nivāseti, ‘esa papañco’ ti maññamāno bhikkhābhājanaṃ na pariharati [Ee pariharanti]. . .
(Sv III 819, 32) 「この沙門と同じような他の沙門というのはいない.というのも,この人 は欲が少ないので衣服を身に着けない.『これは余計だ』と考えているので,乞食用の鉢 を持ち回らない…」
“ahaṃ āvuso dubbalo, mayā saddhiṃ gacchantassa tava papañco bhavissatī”ti. (Dhp-a I 14, 16) 「友よ,私は病んでいる.私と共に行くなら,君には邪魔になろう」
“ajja tāva papañco atthi, sve vā punadivase vā karissāmī [Ee jātissāmī]”ti cittaṃ anuppādetvā “ajj’ ajj’ eva karissāmī”ti evaṃ vīriyaṃ kātabban ti dasseti. (Ps V 2, 16) 「今はまだ面倒事(支 障)がある.明日か次の日かにやろう」という気持ちを起こすことなく,「今日今すぐに やろう」と,このように精進がなされるべきであると教える〔のだから〕.
ayam ettha sāro [Ee saro]. ke ci pan’ ācariyā bahū papañce bhaṇanti, te imasmiṃ atthe na yujjanti. (Ps I 63, 19) これがここでは要点である.だがある学匠たちは多くの見当違いの
ことを論じる.それらはこの意味内容には関係ない.
yathā hi puriso “veṇuyaṭṭhiṃ gaṇhissāmī”ti mahājaṭaṃ veṇuṃ disvā “jaṭaṃ chindantassa papa-ñco bhavissatī”ti. . . (Ps IV 86, 21) 例えば,人が「竹の竿をつかもう」と〔思って〕大きな
もつれがある竹を見て,「もつれを切っていると時間の無駄になるだろう」と〔思って〕… “Sāriputta yaṃ tayā ‘iminā kāraṇena vedanāsu taṇhā na upaṭṭhāsī’ti byākataṃ taṃ subyākataṃ. ‘tisso vedanā’ti vibhajantena pana te atippapañco kato, taṃ ‘dukkhasmin’ti byākarontena pi hi te
byākatam eva bhaveyya. . . (Spk II 63, 21) 「Sāriputta よ,君が『この理由によって諸々の感
受に渇愛は留まらなかった』と解説したところのことは,よく解説されている.しかし 『3 つの感受』と分類しているので,君は甚だ余計なことをしている.というのも,それ を〔単に〕『苦しみである』と解説していても,君はまさしく解説したことになり得るか らである…」
paṭhamaṃ āsīvisehi anubaddho ito c’ ito ca te papañcento [v.l. vañcento] palāyi. (Spk III 10,
9) 最初に蛇たちに付きまとわれた〔彼〕は,あっちへこっちへとそいつらを欺きつつ逃 げ切った.
その他許容できると思われる訳語は例えば以下の通り.
papañca- 余計,蛇足,無駄,不要(Sp II 467, 27, etc.);邪魔,面倒,しがらみ, 煩瑣,雑事(Mp V 28, 17, etc.),小用(Sv III 728, 28);見当違い,錯誤,詭弁;手 間,徒労,時間の無駄;adv. -ato 余計に(Vism 351, 9)
papañceti or papañcaṃ karoti intrans. 余計なことをする,口出しをする(Ja IV 406, 29**),多弁を弄する(Pj II 136, 1, etc.),うろうろする(Mp I 370, 13),手間取 る,もたもたする(Mp I 436, 3, etc.),ためらう,時間を潰す(Spk II 56, 12, etc.),
(230) 日常語としての papañca-(坂)
初期経典における縁起説の行滅について
唐 井 隆 徳
1.はじめに 初期経典における縁起説の展開は,支分の少ないものから多いも
のへと順次,支分が付加されたと考えるのが一般的であると言えよう.特に,十 二支縁起説の成立に関しては,武内 1956 の研究によって,無明と行の二支分は還 滅分を説くためにのみ必要であり,無明と行が流転分にも付け加えられたのは体 裁を整えるためであったと指摘されてから,武内説に基づいて研究がなされてい ると言える.十支縁起説から十二支縁起説への展開の契機は,識の原因として行 (saṅkhāra)を見出したことであると考えるのが妥当であろう.ただし,還滅分を説 くために二支分が付加されたという武内説に従うため,識の滅の原因として行の 滅を見出したと述べる方がより厳密である.換言すれば,十二支縁起説への展開 過程において,意味があるのは行1)ではなく行の滅であり,本稿では散文資料を 中心に行の滅が意味するところを考察し,十二支縁起説の成立に関する私見を述 べたい.行(saṅkhāra)は,sam-√kṛ よりなる名詞であり,「形成する」を基本的な 訳語として用いる.2.行滅の用例
はじめに,寿命と行滅の関係をブッダの入滅に関する資料であ る「涅槃経」を用いて考察する.DN. 16(vol. II, pp. 106, 21–107, 6)そこで,世尊はチャーパーラ塔廟で自覚し(sato),心
して(sampajāno)寿命を形成する作用(āyu-saṃkhāra)を捨てた.…そこで,世尊はこ の意味を知って,その時この感嘆の言葉を発した. 沈黙の聖者は,同じようにも異なったようにも生じる,生存を形成する作用(bhava-saṃkhāra)を捨てた.内に楽しみ(ajjhattarato),落ち着き(samāhito),鎧を〔破る〕よ うに,自己から生じる〔形成作用〕を破った. 以上の用例に見られる行は,寿命や生命を維持するために,それを形成する作 用を指していると言えよう.また,下線部に注目すると,この形成作用を捨てる のは禅定に入った状態でなされていることが分かる.すなわち,ここでの形成作 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 (233) 2)Cf. Ñāṇananda 1971,桜部 1991,榎本 2015.これらには既存の翻訳の検討も含まれ
る.Ñāṇananda は papañca- を多く“conceptual proliferation 概念的増殖”とし,桜部は「〔虚 妄に〕区別立てする心の動き」とする.
3)ここでは Buddhagosa 等の著者による Aṭṭhakathā 階層の文献を註釈文献と称する.こ れには Visuddhimagga を含める.
4)Cf. appapañcaṃ papañcetī ti nappapañcetabbaṭṭhāne papañcaṃ karoti. (Mp III 151, 1 ad AN II 161, 29). papañcaṃ karoti に類する表現は註釈文献以降に初めて現れる. 5)Cf. 桜部 1991: 22.
6)Cf. pw, s.v. prapañca “eine grössere oder geringere Anzahl, ある大なり小なりの数, Mannichfaltigkeit 多様性,Ausführlichkeit, 詳細さ,Anhängsel aller Art あらゆる種の付属 物”,s.v. niṣprapañca “rein,lauter, 純粋な,混じりけがない”. 7)Cf. 榎本 2015. 8)日本印度学仏教学会第 67 回学術大会口頭発表ではこの点にも詳しく言及したが,本 稿では紙幅の都合もあり簡単に触れるのみに留めた. パーリテキストは Ee を底本とし,適宜 Be,Se を用いた.異読を採用した場合のみテキ スト上に差異を記した. 〈略号及び一次文献〉
Amg. = Ardha-Māgadhī. Āyār = Ācāraṅga-Sūtra: Erster Śrutaskandha, Text Analyse und
Glossar. Ed. Walther Schubring. Abhandlungen für die Kunde des Morgenlandes, vol. 12, no. 4.
Leipzig: Deutsche Morgenländische Gesellschaft, 1966, First published 1910. Be = Burmese edition: Desktop Software Chaṭṭha Saṅgāyana Tipiṭaka 4.0. Vipassana Research Institute. BHS = Buddhist Hybrid Sanskrit. Cl. = Classical Sanskrit. Ee = European edition: Pāli Text Society 版. Isibh = Isibhāsiyāiṃ. Ed. Walther Schubring. Alt- und neu-indische Studien 14. Humburg: de Gruyter, 1969. Se = Siamese edition: CD-ROM, Mahidol University Computing Center. Sūy = Sūyagaḍaṃ: The Second Book of the Sacred Canon of the Jains for the First Time Critically
Edited with the Text of Niryukti, Various Readings Notes and Appendices. Ed. P. L. Vaidya. [s.l.]:
[s.n.], 1928. 〈二次文献〉
Ñāṇananda Bhikkhu. 1971. Concept and Reality in Early Buddhist Thought: An Essay on
Papañca and Papañca-Saññā-Sankhā. Kandy: Buddhist Publication Society. Reprint, 1997.
榎本文雄 2015「初期仏教文献における prapañca(/papañca)」日本印度学仏教学会第 66 回学 術大会パネル「煩悩の根源をめぐって――vikalpa(分別)と prapañca(戯論)――」資料. 桜部建 1991「papañca 考」『パーリ学仏教文化学』4: 17–25. 〈キーワード〉 papañca,prapañca,戯論,Aṭṭhakathā (東北大学大学院) (232) 日常語としての papañca-(坂) ─ 293 ─