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[資料紹介]宮野裕光氏執筆鋸関連資料

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1. はじめに 宮 みや 野の裕ひろ光みつ氏(1923〜93)は兵庫県三木市の鋸鍛冶、 二代目宮野鉄之助(本名遠えんどう藤政まさ一いちろう郎 1901〜96)の長 男として生まれ、初代宮野鉄之助(1879〜1938)の養 子となって宮野姓を継承した方である。二代目宮野鉄 之助は玉鋼を使って鋸を製作できるほぼ最後の鋸鍛冶 であった。裕光氏も初代鉄之助の下で修行を積み、初 代没後は二代目の下で修行を続けて伝統的な鋸の製法 を習得し、鋸鍛冶として活躍した。一方で1961年から は神戸市六甲道で「宮みや野の鋸のこ製せい作さく所しょ」として大工道具店 を営み、大工道具全般についても幅広い知見をお持ち であった。 そのため竹中大工道具館では、設立に際して裕光氏 に多大な御協力を頂いた。まず復元品の製作を行って 頂いており、出土品や伝世品などの歴史的な大工道具 の復元品を多数製作して頂き、それらは現在も当館の 常設展示で展示されている。更に収蔵した大工道具の 鑑定と当時の学芸員の教育も担って頂き、それは裕光 氏が亡くなる平成5年(1993)まで続けられた。 現在当館には、裕光氏が当時の学芸員のために執筆 した内部資料が多数残されている。それらは戦前から 伝統的な鋸鍛冶の下で修業し、更に戦後の経済成長期 に本格的な堂宮大工、数寄屋大工を相手に大工道具店 を営んだ方がその蘊奥を披瀝したもので、他に見られ ない情報も多数盛り込まれている。また文書だけでな く挿図が添えられており、この点でも非常に資料的価 値が高い。故人が書かれた草稿なので発表の可否を本 人にお伺いすることはできないのだが、内容の重要性 にかんがみて、今回御遺族の了承を得てその翻刻を御 紹介することとした。 裕光氏の原稿の内容は鋸にとどまらず、鑿や鉋、砥 石など多岐に及ぶ。しかしまずは氏の本職でもあった 鋸に関する原稿類を紹介することとする。本稿で紹介 するのは下記の8点である。 • 鋸変遷分化の過程 1986年11月 • 鋸(手挽用) 執筆年代不明 • 手挽鋸 概略 1988年11月 • 大工用手挽鋸の製作工程内容の補説 1985年8月21日 • 大工鋸鍛冶(玉鍛冶)道具 1988年10月 • 主として和鋼鍛冶にとって是非必要な道具類 1989年9月7日 • 前挽について 1986年3月12日 • 愚意愚説 鋸のはなし 1986年12月 翻刻に際しては一部の漢字をひらがなに開き(迄→ まで、など)、送り仮名を追加し、句読点を補った。文中 のフリガナ、()内の記述は原文ママであり、引用者 (安田)の注は脚注とした。 (以上、安田徹也記) 概 要 本稿は宮みや野の裕ひろ光みつ氏が書き残した鋸に関する資料を翻刻したものである。 1.  宮野裕光氏(1923〜93)は二代目宮野鉄之助(1901〜96)の長男として生まれ、その下で 修業を積んで鋸鍛冶として活躍した。また1961年から神戸市六甲道で大工道具店を営み、 大工道具全般についても幅広い知見を持っていた。 2.  宮野氏の書き残した文章および挿図には、他には見ることのできない鋸、および鍛冶技術 に関する情報が多数含まれている。 キーワード 宮野鉄之助、玉鋼、鋸鍛冶、三木

[資料紹介]宮野裕光氏執筆鋸関連資料

安田徹也* * 公益財団法人竹中大工道具館・学芸員 博士(工学)

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3.  鋸(手挽用) 執筆年代不明 分類 現在製造市販されている鋸の種類は非常に多く、こ れを形の上で片刃鋸、両刃鋸、それと弦(掛)鋸に大別 し、それぞれに横挽、縦挽、筋違いまたは円形に挽くよ う目立てを施したものに分類できるが、通常市販の道 具分類としては下記のようになる。 ただし厳密な使用分類でなく、一般的なもので、各 分野で使用されるもの、個人的に各種使用されるもの など例外があるのは当然で、製造する鋸鍛冶の側で山 物鍛冶、大工物鍛冶、小物鍛冶のように分業化され、そ れぞれ技術的に差が大きいので、市販する側もそれに 応じて分類されている。もちろん特定の鍛冶屋などで は山物大工物を問わず製造する場合はある。 山林用 伐採用、胴切用、枝切用、炭切用など原木の伐り出し や荒切りに使用される横挽と、これらを製材する縦挽 が含まれる(ただし製材はほとんど機械)。 • 両手、雁頭(角型、丸型)、天王寺、手曲り、腰ノ コ、枝切り、炭挽などは前者(北海(窓鋸)は比 較的新しい)。 大鋸、前挽、木挽引割、両手縦挽などは後者。 大工用 一般的な鋸のほとんどがこの大工用に含まれるが、 小さく分類すれば各職種によって同じ型の鋸でも多少 の差異が必要であり、これによって区別する。 家や大工用……堂宮大工、数寄屋大工、町家大工などを 含み、建具屋、家具屋は特に区別されないが、両刃の 八寸、九寸、胴付鋸などに多少製作上の差がある。し かし現状は店頭で好みのものを需めるのが通常であ る。 • 両刃、片刃横挽(キリ)、片刃縦挽(ガンガリ)、 穴挽、ナル挽、胴付、畦挽、挽廻し、ランマ挽、鴨 居挽など 舟大工用……両刃や穴挽も使用されるが、舟大工特定 のものとしては、 • 挽割(舟手)、笹刃(スリ鋸)、穴抜など その他………下駄屋、桶屋、底廻し、車屋輪型、植木屋、 枝挽、剪定、竹屋、竹挽、ツル掛など 産地別に分類するのはそれぞれの伝承の系譜の問題 になるが、かなりはっきりした特徴があったのであ る。しかし機械化と情報交換の激しい社会情勢の中 で、現在の一般品を無銘で区別するのは難しくなって きている。 例えば鋸銘の問題にしても、関東、越後などでは刻 印銘を安物として疎んじ、鏨切銘を重宝するが、関西、 特に三木では大工用に関しては銘切は安物であり、高 級品は刻印なのである。 産地として大別されるのは播州、越後、信州、土佐、 豊後、房州などが挙げられる。 また最近では機械化の普及と共に、手剝すき(手仕上) と機械仕上、本職用と日曜大工用に店頭で区別されて いるが、一般品ではあまり意味のないことと思う。 寸法 鋸の寸法は通常長さの方向を指定するので、前挽の ように横巾もあわせて指定するのは稀である。現在、 日本工業規格(JIS)では、刃渡り寸法(cm)をそのま ま各種の手挽鋸の呼称とするようになっている。しか し現状では、呼称は九寸両刃とか尺三寸刃手曲りとい うように、従来の呼称が固有名詞のごとく生きて使用 されているので規矩の改正による混乱はさけられない 状態であり、その上、もっとややこしいのは呼称と実 際の刃渡り寸法が一致しないので、益々混雑して来る ようだ。両刃鋸などでは通常一寸短い呼称であり、尺 三寸以上の鋸では二寸短い呼称が慣例であるが、鋸に よって実寸刃渡の呼称が用いられているので、本職の 鍛冶屋や大工以外の人にはわけの分らないものに見え るのだが、道具を作る側と使う側は特定されておるの で、生業ともなればそこに混乱はないので呼称は従来 の実情を尊重するのが良識であると思う。ただ、なぜ 実寸と呼称が違ったのかはっきりしたことは分らな い。 鋸の鋼の部分(首の中程から中なか心ごのマチぎわ位迄) という説や、実際の切れ巾の長さという説などいろい ろあるが、決定的な確証はない。玉鋼製では、板鋼にす るまでのアラ地の原寸で両刃は一寸位、尺三以上の鋸 では二寸位首地が必要なので、案外そんな所に根拠が あるのかも知れぬ。

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4. 手挽鋸 概略 1988年11月 大工用鋸 名称 形式 用途 呼称 No. 註 摘要 挽切 片刃 横挽 (一寸刻ミ) 八寸切〜 〜尺三切 1 ㋑挽切ヤスリ ㋺呼ビ寸法 通称「切」と言われ、江戸末頃まで一尺以上を切鋸 (大、中、小)、一尺以下八寸、九寸を挽切とし区別 した。目細きもの造器工用とある。呼び寸法(呼 称)は刃渡りより1寸〜2寸長く、大工物に限って これが通称となっている(畦挽、鴨居挽など例 外)。 鑼(ガガリ) 片刃 縦挽 八寸ガガリ〜 (一寸刻ミ) 〜尺三ガガリ 2 ㋩目の形 棟(背)の形、目の形以外は挽切と同じである。茎 (ナカゴ)―コミ―は柄の装着法の違いで、半ばあ たりから切断する大工がある。 挽割1 片刃 縦挽 (一寸刻ミ) 尺三挽割〜 〜尺六挽割 3 ㋥切と割 挽割には3種(木挽用挽割、舟手挽割、大工用挽 割)があり、それぞれ形が異なる。ブッキリという こと(人)もあるが「切」とは横挽を表現する語彙 で、何時頃か混乱したものであろう。 挽割2 片刃 縦挽 尺二寸挽割〜 (一寸刻ミ) 〜尺四寸挽割 4 舟手(舟大工)用挽割のことで、鯛型、舟手鯛型、舟 手、などと呼ばれる。造営大工が使用し始めたの はそう古いことではない。挽割1にとってかわっ たものである。 笹刃 片刃 縦挽 (一寸刻ミ) 七寸笹刃〜 〜尺二寸笹刃 5 ㋩笹刃目 舟大工用摺鋸で、地域、作者により先切のもの、先 尖りのもの、また背の元の方に背金をつけたもの などいろいろある。所謂笹刃目という独特のガガ リに目立てをする。 穴挽 片刃 横挽 尺三寸穴挽〜 (一寸刻ミ) 〜尺六寸穴挽 6 ㋭木の葉型直 系 ㋩細目 ㋩中目 「鼻丸鋸」と関東で最近までいわれた横挽で、利用 範囲が広く各種大工や素人、また山林用に使用さ れ、木ノ葉型鋸の直系(山挽鋸)と考えられる。形 も関東、中部、関西、四国(高知)など多少異なり、 現穴挽は関西型といってもよい。それぞれ鼻丸、 尖り、穴挽、だん切、雁頭などまちまちに呼ばれた が今は穴挽が普遍的である。目もイバラ目、江戸 目、細目、中目、荒目と多い。 胴付 片刃 横挽 (一寸刻ミ) 八寸胴付〜 〜尺胴付 7 ㋩鋸厚と目数 背金のついた横挽、薄手の鋸と規定される。昭和 初期から昭和30年頃が最も薄手のものが作られ た。厚みによって目数が左右される典型的な鋸で ある。通常九寸で30枚前後(一寸に付)、八寸で33 枚〜34枚がよいとする。 両刃 両刃 縦横兼用 (一寸刻ミ) 八寸両刃〜 〜尺一寸両刃 8 ㋬両刃と油焼 三木では明治末年頃まで両刃とは九寸のみで、建 具屋専門であった。大工用の八寸、尺が参加して くるのはその後である。尺一寸両刃は大正12年 の関東大震災以後となる。両刃が普及するのは油 焼が普及してからである。 穴挽両刃 両刃 縦横兼用 尺穴挽両刃〜 (一寸刻ミ) 〜尺三寸穴挽両刃 9 戦後急増した建売建築大工が主に使用し始めた 新しい両刃鋸。尺一両刃の出現と軌を一にする。 タイコ鋸ともいう。 畦挽1 両刃 縦横兼用 二寸畦挽〜 (五分毎) 〜四寸畦挽 10 蝶の形に似ているので蝶々という人もある。鴨居 挽と畦挽(片刃)が合体したもの。最初の両刃とし て明治初頃デビューしたと考えられている。 畦挽2 片刃 横挽 一寸五分片刃畦挽〜 (五分毎) 〜三寸片刃畦挽 11 畦挽といえば今は100%両刃の畦挽を指す。需要 が少ないためか別注生産しかお見えできない。こ れら畦挽は刃渡り実寸を呼称する。 鴨居挽 片刃 縦挽 四寸鴨居挽〜 (一寸毎) 〜五寸鴨居挽 12 大きさに比べて厚く目も荒いのが普通。両刃畦挽 の出現で激減した。大型六寸、七寸のものは心挽、 あるいは胴割ともいわれる。刃渡り実寸を呼称す る。 押挽 片刃 横挽 五寸押挽〜六寸押挽 13 ほとんどがイバラ目。今は鉋台屋専用に近い。オサヒキと通称する。

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挽廻シ 片刃 横挽 六寸挽廻シ〜 (一寸毎) 〜尺挽廻シ 14 廻し挽の仲間。イバラ目でも特殊目に見えるほど 刃部は厚く、背は薄くなる。板の厚みの直径丸が 挽けるのを上とする(5分板ならば5分径の円)。 刃渡り実寸を呼称、一寸伸しの呼称など一定しな い。背区までの寸法呼称が多い。 突廻シ 片刃 横挽 二寸突廻シ〜 (一寸毎) 〜四寸突廻シ 15 廻し挽の仲間。目は通常の逆向イバラ目。作りよ うは挽廻シと同一である。 ランマ挽 片刃 横挽 三寸ランマ挽〜 (一寸毎) 〜五寸ランマ挽 16 挽廻シの極小型で、目も細かいイバラ目。刃渡り 実寸を呼称。 穴抜 片刃 横挽 〜尺三寸穴抜尺二寸穴抜 17 挽廻シの大型であるが、舟大工専用。呼び寸法は約二寸長い。地域によって胴廻シ鋸という。 輪型挽 片刃 横挽 〜尺一寸輪型挽尺輪型挽 18 廻し挽の仲間。車大工専用。刃渡り実寸を呼称する。イバラ目(箱屋目に近く荒い)。 底廻シ 片刃 横挽 七寸底廻シ〜 (一寸毎) 〜九寸底廻シ 19 廻し挽の仲間であるが、桶屋専用とされる。しか し小鋸として便利なため類型品も多く、一般用と いうべき鋸である。呼び寸法は一寸長い。 枘挽 片刃 縦挽 八寸枘挽〜尺枘挽 20 巾広の縦挽。薄い作りで通常背金をつける。呼び寸法は一寸長い。 下駄屋 片刃 横挽 〜一尺二寸下駄屋 21九寸下駄屋 ㋩下駄屋目 薄口の片刃横挽で、所謂下駄屋目(鐘目)に作る。呼び寸法は大工物として一寸〜一寸五分長い。極 薄口のものには背金をつける。 イトコ挽 片刃 (組) 大小 22 下駄屋用特殊鋸として組になっている。通常は五本組ならば一本は横挽、一本は縦挽、三丁は角(カ ド)挽が組になる。 ナル挽 片刃 横挽 〜尺五寸ナル挽尺三寸ナル挽 23 炭坑用穴挽ともいうべく、やや巾がせまく作られる。呼び寸法は二寸違い。 山林用鋸 名称 形式 用途 呼称 No. 註 摘要 手曲リ 片刃 横挽 尺二寸刃〜 (一寸毎) 〜二尺八寸刃 24 ㋣土佐型と  天王寺型 土佐型鋸の総称であるが、腰鋸は細巾になるので 区別する。山物(やまもん)―山林用―の呼称寸法 はすべて実寸で表示する。「手曲り」の総称は文化 文政頃と考えられ、既に「手曲広口」として天王寺 型を思わせる記録がある。 腰鋸 片刃 横挽 (一寸毎) 一尺刃〜 〜一尺六寸刃 25 土佐型手曲りの小さい部類であるが、使用目的が 枝伐りや炭挽が主となるので、巾も狭く目もやや 細かい。 天王寺 片刃 横挽 〜二尺五寸刃尺五寸刃 26 手曲横挽鋸で巾広が主流。東北、北海道に需要が 多かった。幕末の手曲広口というのがこれに当た ると推定される。1748年頃会津に招聘された天 王寺(大阪)門前の中屋重内に関係ありとされる。 改良刃 (窓鋸) 片刃 横挽 〜二尺五寸刃尺五寸刃 27 ㋠窓鋸 目型を改良して所謂改良刃にした手曲り鋸。山形 では明治末年、秋田では大正末年、あるいは土佐、 と改良刃元祖を掲げる所は各地に多いが、普遍化 したのは戦後間もなくである。 雁頭 片刃 横挽 尺六寸雁頭 〜二尺雁頭 28 丸雁頭、角雁頭、と頭の形で分けるが、同一品の地 方異品である。呼び寸法は大工物と同じく実寸よ り二寸長い。文化年代「山挽雁頭」の名称があっ て、手曲とほぼ同時期に分化し、高知では穴挽を 雁頭という大工もいた。雁頭は伏見、三木が主流。

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名称 一般名マタハ関西デノ呼ビ名ヲ基準トシタ 呼称 特定スルトキノ呼ビ名デ、例エバ八寸切、九寸胴付、ノヨウニ呼ブ。 No. 別図表ノNo. 註 主要ナ語句説明。後記。 摘要 主トシテ供給サイドカラノ概要。 種類トシテ昭和30年頃使用、製作、販売サレタモノヲ基準トシタ。 木挽用 名称 形式 用途 呼称 No. 註 摘要 前挽 片刃 縦挽 尺八寸 ×巾尺四寸〜 (五分〜一寸毎)  〜尺六寸 尺九寸〜二尺 ×巾尺五寸〜尺八寸 29 必ず刃渡り寸法と(棟〜刃)の広い巾寸法で表示 される。三木では大戦前まで生産された。専門前 挽鍛冶が生産を完全にストップしたのは広島県 の三神氏の昭和60年が全国の最後であろう。前 挽鍛冶は鋸鍛冶の中でも別格であった。 木挽用挽割 片刃 縦挽 巾七寸〜巾一尺 30 前挽より小柄で、巾を呼称基準とする。茎は曲がらないで大工用挽割のように伸びているのが普 通。厚みも薄く、全面スキがかかり、目も細かい。 その他の製材鋸 名称 形式 用途 呼称 No. 註 摘要 両手 片刃 横挽 三尺五寸 ×巾六寸五分〜 五尺五寸 ×巾八寸 31 台切(大切)と同種で把手に特徴と変遷がある。戦前〜戦後にかけ三木がその主生産地で、主として 三軒の鍛冶工場が国鉄の枕木切断に納品した。 サーフル 片刃 縦横兼用 6吋〜(2吋毎)〜30吋 32 刀鋸ともいう。Servreが語源。枠または弦をつけて使用するのが普通。 その他 ㋷小物 名称 形式 用途 呼称 No. 註 摘要 下地挽 片刃 横挽 四寸〜五寸 33 左官用、壁下地専用。背金付もある。 竹挽 片刃 横挽 八寸〜九寸 34 枝挽 片刃 横挽 八寸〜尺 35 呼称法は実寸より一寸大。 曲刃剪定 片刃 横挽 八寸〜尺 36 弦掛 片刃 横挽 八寸〜尺二寸 37 竹挽、炭挽、金切、など数種。 差切 片刃 横挽 尺二〜尺三寸 38 北海道向。 氷挽 片刃 横挽 尺二寸〜尺八寸 39 戦後ほとんどがステンレス製となる。 折込鋸 片刃 横挽 五寸〜九寸 40 花用、植木用。 ハンドソー 片刃 横挽 10吋〜30吋 41 洋鋸。鉛管、牛骨用。 使い捨鋸 42 最近多用各種。新建材に対応する鋸。

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㋑挽切ヤスリ  目立用ヤスリの一種で、大、中、小、ケシ目、相刃、と五種が普通。ケシ目は主として胴付用。戦後 スリ込ヤスリの普及で需要は減った。挽切鋸を摺るためのヤスリと考えて差支えない。 ㋺呼び寸法  大工用鋸に関して呼び寸法と刃渡り実寸とは小型で約一寸、大型鋸で一寸五分〜二寸差があ る。色々の説があるが確証はない。ただ、木ノ葉型鋸実体の出土で刀を基準とする寸法取りによ り、江戸期の鋸の形の変遷を考えれば、首、アゴの変化による実寸の縮小と呼び寸法の伸びの原因 が判然とする。 ㋩目の形  笹刃目  細目、中目、荒目  鋸厚と目数  下駄屋目  目の種類は横挽と縦挽の二種であるが、材質、使用目的によって形を変えるのは目立の常識で ある。基本的に横目としてはイバラ目、江戸目があり、縦目としてガガリ目がある。横目は元から 先まで同一なもの(切、両刃、胴付、押挽など)、元が細かくだんだん先に荒くなるもの(山林用鋸、 穴挽など)があり、縦挽は枘挽以外はほとんどが元は細かく先が荒い。縦挽の中で笹刃目は特に深 く細かくし、鼠歯という人もある。穴挽ではその使用目的に応じ、基本的なものを中目、板挽用に 細かくしたものを細(コマ)目、松材などを挽くために荒くしたものを荒目とし、好みに応じて作 る。切、両刃の横目でも基準目数よりやや細かくすることがある。これも細目であり、細目の九寸 というようにする。この場合、鋸板の厚みと目数は微妙なバランスをもっているので細目になる ほど薄くスキ上げる。目の形で特殊なものとして改良刃、剣刃(箱目)、鐘目などがある。桐材の下 駄屋目はこの鐘目にする。イトコ挽の角挽は箱目とする。嘉永頃には江戸目が江戸刃として出現 する。 ㋥切と割  切るとは横に切ること、割るとは材を縦に割ることで、江戸末期までの切鋸、挽切鋸、鴨居切(胴 付の前身)など総て横挽、引割鋸(ガガリ)、根隅鈎(鴨居挽の前身)など縦挽である。大工用引割を ブッキリというのは誤用であろう。 ㋭木ノ葉型鋸直系  江戸末期までの切鋸(土居原鋸)、引切(挽切)は木ノ葉型鋸そのもので、造営、造器工用で、横目 (イバラ目)である。当時の摺鋸(舟大工用笹刃)は木ノ葉型とは棟線が異なる。宝暦頃にはこれの 先を切り落としたものが鋒切として(頭方なるもの)が出現し、山林用では大型の木ノ葉型鋸が山 挽用として残ると共に寛政頃は先切(鋒切)山挽が出現する。尖りの穴挽、鼻丸の穴挽、そして先切 型の関西型穴挽と現在につながっていく。(鋸の変遷分化図、1986.11)参照。 ㋬両刃と油焼  両刃の出現時を特定するのはむつかしいが、製作技術の向上変化(油焼)と利便さの追求の結果 であることは間違いない。油焼以前の泥焼は刃部のみを焼入するもので、鋸のように全鋼の薄板 を全身焼入することは不可能に近い(非常に硬く焼が入る)。刃部のみでも歪が極めて多く、焼境 の歪差などで損傷亀裂は極めて多い。したがって炭素量の低い鋼(あまい刃金)を使用する。洋鋼 の導入は和鋼のように鋼を作る(鍛える)手間を省略したが、あまい硬いの判断をそれぞれに行う 必要がある。刃部のみ焼入の泥焼が油焼になって初めて徐冷された焼入が可能になったのであ る。鋸身全身が一度に焼入できて初めて両刃の焼入が可能になったわけである。三木では明治中 期以降のことである。 ㋣土佐型と天王寺型  土佐片地村誌は尾立団次なる人が明和4年(1771)安芸田野村の長左衛門から鋸製法を習って 土佐黒打を始めたという。一方会津では、家老田中玄宰が天王寺門前の名工中屋重内を招聘して 鋸を作らせたとある。玄宰は寛延元年(1748)生というから多分天明(1781〜88)頃の話ではなか ろうか。1744年延享の頃は土居原鋸は既に有名になっている。三木で寛政(1789〜1800)頃、山挽 雁頭が量産され、文化、文政(1804〜29)頃には手曲、手曲広の量産が記録されている。そして三木 で土佐型手曲の角頭を祇園型という。みんな同根ではなかろうか。三木で土佐型とか天王寺型と かいわれたのはそう古い話ではなく、総じて手曲と称され、巾の比較的狭いのを土佐型、広いのを 天王寺型と区別し始めたのは土佐の黒打、秋田、山形、会津の天王寺型などが明治以後の国内博覧 会などによりその名声が一般化したためであろう。 ㋠窓鋸  改良刃という呼び方が一応全国的に定着している。改良刃というのは在来の横目に縦目をつけ 改良した目との謂である。どこにも窓はないのである。しかし外来の目型であることは、この窓鋸 の名が体を表している。米国産の伐木両手鋸は立派な窓がたくさんあるのである。この窓鋸目の 窓を取り去ったので改良刃ともいえる。考案者はどこの誰か分らない。三木では昭和初年(10年 頃)普及し、厖大な量を満州へ送っている。台湾で使ったとか、北海道で使用したとか、いずれも開 拓に関連する鋸である。そして営林局とか軍とかが深く係わっているのが各地の説話である。 ㋷小物  前挽鍛冶、荒物モ ン (山林用)鍛冶、大工物モ ン 鍛冶(胴付鍛冶)、それ以外を小物モ ノ 鍛冶といい、ほとんど各 種目別の専門鍛冶が三木では大半を占めた。しかしまともな鍛冶になれなかった者がする仕事と して敬遠された時代もあった。 註 解説

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5.  大工用手挽鋸の製作工程内容の補説(主として炭 素鋼両刃鋸) 1985年8月21日 ① 刃金を作る仕事(玉鍛冶だけの作業) 概要:切り返し鍛錬、おろし鋼など。所要の硬さの刃金 を脱炭(または滲炭)、木炭(松炭)を燃料にして鍛造 していく。 備考:和鋼(玉鋼)製だけに限定される作業で、一般洋 鋼の使用にはこの作業は必要でなく、また鍛える事も できないし、玉鍛冶(刀鍛冶も含む)以外にはその技 術はない。 ② 厚みと大きさを作る仕事(平鋼、スタル(角)、板鋼 などいずれもここから作業が始まった) 概要:荒打。あらく大まかに打ち展して大きさや厚み も適当と思われる程度に鍛造する。(鉋、鑿ではツケの 作業がこれに当る(鋼と鉄をつける)。鉋ではできるだ け柔かい鉄(地金)を使うが、鑿は比較的に硬い鉄で も良い。) 備考:昭和20年頃(終戦直後)まで各々鍛冶屋が向う 槌(前手という)を2人〜3人をうけて鋼を展ばした。 スプリングハンマーやエアハンマーの機械を導入して いる鍛冶もあった。これらは昭和の初期に導入されて いる(三木)。戦後向う槌を打つ者や徒弟がなくなり、 充分に槌を打てる者はほとんどいない。同時に荒打屋 といわれる専門業者がハンマー(機械)を使って需要 を満たしていたが、現今は圧延された製品(半製品) を使用している業者が大半である。 ③ 形を作る仕事 火造り:一枚づつの厚みを整え歪みを直しながら加工 を繰り返す。(鉋、鑿では製造作業の大部分がここに集 中される。形、厚みなどが決定されるとともに鍛冶の 技倆の差も大半はこの作業で決まる。ツケの作業と連 続して行う。) 首接ぎと茎ナカゴのばしなど:茎(地金鉄)を鋸身と首の部 分で鍛接する。 備考:一般的に火造り作業は戦後(一部では戦前)か ら行われなくなり、省略して次の作業を行うのが普通 になった。ロール圧延された半製品を使用するところ は全く不要として行わない。 茎は鉄(地金ともいう)板を細く切って鋸身と鍛接 するが、この鍛接には接合剤を用いる。接合剤は普通 に硼砂、硼酸、ヤスリ粉などを適当に混ぜて各自に作 るが、今は硅酸、塩なども用いた市販品が出回ってい る。これらは皆鍛接される鉄と鋼の面を清浄にしかつ 表面の熔融温度を下げて接着を促す作用をする。和鋼 (玉鋼)の切り返し鍛接にはこれを必要としない。昭和 30年頃からは電気熔接(スポット)で首接ぎを二段三 段に接ぐことが流行しだし、現在は多くの業者が利用 して自分で首接ぎをする業者は少なく、首接ぎ屋と称 する専門職もできた。従って今では首の鍛接を満足に

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できる鋸鍛冶は少なくなっている。 ちなみに柄付と称する鋸は素人用に多いが、ほとん どは茎のないものである。 昔通りに鍛接したものを本接ぎという。 4 形を整える作業 概要:所定の正確な寸法(長さ、幅、厚み)にヤスリ、 セン、グラインダーなどの切削用工具を使って整形す る。切断(截タチマチ区)、生準し、区マチ打、擦スり廻し、生目立など がこの作業に一括りされる。生目立は仕上目立も含め て鍛冶が行わず、目立屋に外注するのが普通である。 この場合目立屋にもランクのようなものがあって上物 専門、並物専門というように自然に区別されている。 備考:火造りと共に鑿や鉋においても仕上る形がこの 段階で決まり、各々の鍛冶職の特徴が出る作業で、姿、 形の美醜、好みなどがよく表れるのがこの段階であ る。 大正〜昭和の頃、並鍛冶といわれた鋸鍛冶の両刃は 無刃(目立なし)無銘のまま問屋に出荷され、問屋が 目立屋に仕上目を注文した(三木)。従って同一職人の 作で異名の鋸がたくさんできたが、形から誰が作った か分った。現在は鍛冶自体で問屋の注文する異名同品 を多く作るようになった。これらは上物ではできな い。目立用砥石、機械の改良が昭和30年頃から進み、今 では無刃で仕上の目立を行う上物鍛冶も増えた。 ⑤ △焼入れと焼戻し 概要:約800℃に赤熱して油の中に入れて急冷し、鋼に 硬さを与える作業を焼入れ、これをまた適温に熱して 鋼にねばさを与える作業を焼戻しという。(鉋、鑿など の刃物は750℃位で水冷する。鉋、鑿などの製造手順は 一応この段階で終わる。あとは研ぎ屋(裏押屋とい う)、台屋、柄屋を回る。) 備考:加熱する炉は従来火窪といわれる木炭炉。鍛造、 火造りもすべて同一の炉で熱処理が行われる。加熱炉 の形式も燃料も現今ではいろいろなものが使用されて いる。例えば重油炉、電気炉、ガス炉、また焼入れだけ のために鉛浴炉を使用するところも多い。冷却する液 は鋸では古い種油。鉋、鑿などは通常水、時に油を用い る。刀剣の場合は湯(秘伝ありという)。 焼戻しはテンパー色即ち温度により約一定の呈色を 示す鋼の色を肉眼で判定しながら鋼の硬さ(C量)と 用途に応じて決定して加熱する。現在はソルトバス1 使用し、焼入れ、焼戻しを同時に行うところも多い。 6 厚みを作り出す仕事 概要:スキ、歪。焼入れで歪んだ鋸を準らしながら、研 磨する作業。 備考:鋸職人にとってスキの仕事はその腕の真価を問 われる作業で、鋸製作の大部分の手間がこの作業に費 やされる。スキと歪とは表裏一体の作業で、スキの上 手な人は歪も正確で、歪の上手な人はスキもよい。そ して熱処理と共に鋸の切味を左右する大きな要素がス キと歪取にあるので、スキ、歪の良否をぬきにして鋸 の切味を語ることはできない。 今は昭和30年頃より普及し始めたサーフェイスグ ラインダー(油圧による平面研磨機)によって労力と 時間が短縮され、表面処理もそれほど区分しなくなっ た。鏟を使って仕上スキをしたものを手スキ、グライ ンダーのみによるものを機械スキ、グラインダーのみ の仕上を機械仕上という。昔の物はその仕上方法に よって地域差がはっきりしていたので途中で手が加 わっていなければおおよその産地が判別できた。 7 仕上げの仕事 表面の処理:ペーパー、ヤスリ、砥石、羽布、磨き、など 地域、各銘、各鍛冶の作風毎に仕上法は異なる。 仕上目立:略 銘入れ:作者の名前、或はその品物固有の銘を入れる。 鏨で入れるものは截り銘、判を入れるものは刻印。刻 印は仕上げの刻印と黒刻印があり、伐採用(山物)に は黒刻印が多用される。 備考:戦前までは関東では刻印銘は下級品とし、截り 銘を上級品としたが、関西では全く正反対で刻印を上 品とした。黒刻印は主として荒物といわれる山物に打 込まれるもので、首を熱して4の段階で行うので、字が 黒く残り、大工物(三木)では歓迎しない方法である。 熱処理の仕事 上記各番号の〇印は熱間加工を表し、無印は冷間加 工を表す。△印は特に硬さに関係の強い作業で、塑性 加工を伴わない熱間加工を普通熱処理と呼び、主な作 業として次のような作業を行う。 1 塩化ナトリウムや塩化バリウムなどを数種類混合して加熱すると融解してソルト液となる。このソルト液(塩浴剤)で満たされた熱処 理槽(ソルトバス)に品物を入れる熱処理法。

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焼鈍(やきなまし) 加工(熱間、冷間)によって歪硬化した仕掛品の塑 性歪を除くために材質加工度に応じた温度に加熱し、 鋼の組織を細密なものに再結晶させながら極めて徐冷 を行う(石灰、木灰、炉中などで行う)。 いわば鈍ナマの鋼に鈍すことで軟化して伸延展性をとり もどすことである(常温)。組織検査には是非必要な作 業であり、熱間加工から冷間加工に移行するときに主 として行う。 焼準(やきならし) 磁気変態点といわれる温度720℃〜768℃付近やや 高めの温度に加熱し空冷するもので、一応の組織調整 が行われる。鈍しよりも短時間で済むので加工中にし ばしば行うことがある。鋼の硬さ(C含有量)や合金の 種類によっては焼鈍によらねばならないときもある (炭素鋼では稀)。 焼入(やきいれ) 所謂焼を入れること。つまり鋼を強靭なものにする ことであるが、常に加熱と急冷が行われる。これは鋼 の硬い組織(高温における)を急冷によって常温で保 持しようとする作業である。正に鋼の鈍ナマったものに命 を吹き込む作業というに等しい。鉋や鑿など刃物の命 はこの瞬間に決定される。 加熱と急冷が作業の中心となるので、その方法は 様々に工夫されて来た。鋸の加熱は通常荒打ちや火造 りをする火窪(松炭を燃料とする木炭炉)で加熱し、 使用した古い種油の中に入れて冷却する。 古くは砂や泥が冷却液の役目をしたが、明治中頃に 油を使用することが三木でも一般化した(鉋や鑿にう すく塗る泥や、刀剣の土取りとは全然別の意味)。 焼戻し(やきもどし) 一旦焼入れして硬くもろくなった鋼を、その使用目 的に応じ使用した鋼の硬さ(一般的に炭素Cの含有量) に適する温度まで加熱して軟化させ、靭性を与える作 業をいう。 戦後、昭和30〜40年頃から加熱の炉、冷却の液2がい ろいろに改良工夫され始めた。これは鋸だけでなく、 鉋鑿など一般の鍛冶も同様で、他の工程の機械化と並 行して行われている。 加熱炉 燃料 冷却液 焼戻液 火窪 (火床) 木炭 (松炭) 泥 又は砂 明治初年〜中頃ま で三木方面に行わ れた 火窪 (火床) 木炭 (松炭) 種油 現在も使用されて いるところあり 重油炉 重油 種油 戦後使用され始めた 鉛浴炉 主として コークス 又は電気 種油 ソルトバス 戦後使用され始めた 鉛浴炉 主として コークス 又は電気 ソルト バス ソルト バス 戦後使用され 始めた 加熱温度3はおよそ800℃近辺。 冷却温度3は常温。ただしソルトバス使用の冷却は焼 き戻し温度。 焼戻し温度はC含有量と品物の形、使用目的によっ て多少異なるが、250℃〜400℃位。ソルトバスはこの 焼戻し温度を正確均一に行うための装置で、亜硝酸 ソーダや亜硝酸加里など塩類を使用し、温度と対象物 によってそれぞれ工夫されている。 鉋、鑿の冷却はほとんどが水で、時に油も使われる が、昔と変わらない。加熱炉は上記鋸と同様に変化し、 焼戻しは油を使用する人が多い。 一般に焼入れによって硬さを保持し、焼き戻しでね ばくするので切味はこれに左右されるのは当然である が、鋸の場合切味のごく一部の要素と考える方が良い。 焼入れを行わない鋸に土佐の黒打ちがあり、冷間加 工の歪硬化を期待したもので、山用伐採のような仕事 にはかえって焼入れしない方が良い場合もある。 2 この「冷却の液」は焼入れの際の冷却に使用する液体を指す。 3 この「加熱温度」「冷却温度」は焼入れの際の加熱温度、冷却温度を指す。

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部門 No. 名称 材料 数 サイズ 内容 横 座 仕 事 1 (あま)天 木(丸太) 1 約3.0尺×4.5尺×天井 煙突というより空気抜き。鋸鍛冶のみ、他はない。作り様口伝。 2 (ほくぼ)火窪 土 1 約7寸×1.5尺×1.2尺 火床(ほど)ともいうが、タタラと混同しやすい。古くはほくぼ。築(つ)き様口伝。 3 鞴 杉板 1 1.2尺×4.5尺×2.1尺 他の鍛冶(前挽は別)より大。井上幸左衛門は名人。 4 主(おも)床 鋼 1 40貫〜60貫 金床で最大。大きいほど仕事が楽。 5 (とつぼ)砥壺 木 1 約1尺×1尺×1.2尺 水桶である。大きさはまちまち。 6 油箱 ブリキ木、 1 約7寸×3尺×7寸 焼入用種油の油槽。大きさはまちまち。 7 藁座 ワラ 1 約8寸丸 藁の丸座。この場所を横座という。 8 ヤカン 銅 1 薬罐。大小まちまち。湯を沸かしたり物を茹でたりする。道具ではない) (直接 9 大鎚1 鋼 3〜4 1.2貫〜1.4貫 長柄(約4尺)の向う槌。通常向う槌は3名。(前挽は7名) 10 割鎚 鋼 1 1.2貫〜1.4貫 同上。鋼材料を巾出しに用う。玉鋼、スタル鋼には是非必要。 11 大鎚2 鋼 1〜2 1貫前後 火造りなど、横座と前(サキ)手1人で主に使用。 12 横座鎚1 鋼 1〜2 500〆前後 横座荒仕事用。主として前手1人を受けたときに使用。 13 横座鎚2 鋼 2〜3 150〜250〆 横座の仕上火造仕事など細かい仕事に使用。 14 炭掻1 鉄 1 3尺以上 荒掻で炭(火窪内)を大よせする。 15 炭掻2 鉄 1 3尺位 炭を小寄せしたり、微妙な炭の移動に用う。 16 掘(ほり) 鉄 1〜2 2尺位 火窪の底や鋼の熱加減などに操作する梃子。玉鍛冶に是非必要。 17 板箸 鉄 5〜6 1.5尺位 荒打の際、鋸を挟む。金箸の大きいもの。 18 小箸 鉄 3〜4 1.2尺位 火造など細かい仕事の金箸。 19 首接(つぎ) 鉄 1 1.7尺位 鋸の首接合に用う。 20 玉箸 鉄 1〜2 1.4尺位 玉鋼の皿わかし以前、玉圧(へ)しに用う。 21 鏨 鋼 2〜3 いろいろ 竹または粘い木を割って挟む。鉄、鋼、切断用。 22 当て圧し 鋼 1 約1.5寸×1.5寸×2.5寸 玉鋼、スタルなど材料で火造り中首を打ち出す金槌。角型。 23 箸輪 鉄 8〜10 大小いろいろ 箸で挟んだものを固定するために箸の柄の方に噛ます。 24 戻し座金 鉄 1 4寸×9寸〜尺 両刃鋸の焼戻しに使用。 25 ヨキ(斧) 鋼 1〜2 100匁〜130匁 鉈でもよい。炭(松炭)を小割するに用う。炭割ができたら一人前という。 26 炭取 木 1 割った炭などを入れて運ぶ。 27 篩(とおし) 金網 3〜4 いろいろ 荒、中、小、にフルイ分け、それぞれの用途に分類する。 28 泥桶と杓 木、竹 各1 玉鋼鍛錬に藁灰と共に泥漿を用いる。必須の泥を入れる器と杓。 29 水箒 藁 1 1.2尺位 砥壺(水桶)の水をうって鉄、鋼の被膜をとばす熱間加工に使用。 30 ベト箒 藁 1〜2 1尺位 玉鋼鍛錬の際、表面の酸化被膜(ベト)や不純物を払い落とす。 31 敷金 鋼(玉) 2〜3 1.8尺位 玉鋼を鍛錬するための敷梃子。この先に鋼をのせて鍛える。 6. 大工鋸鍛冶(玉鍛冶)道具 1988年10月

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部門 No. 名称 材料 数 サイズ 内容 整 形 仕 事 32 ゼチメン 鉄、鋼 1〜2 刃渡り8寸〜1尺 鋸板や鉄板を裁断する押し切り。大きな木台に取り付ける。 33 切り箸 鉄、鋼 1 同上 昭和初期までほとんどこれを使用した。ゼチメンが普及して姿を消した。 34 指し金 真鍮 1〜2 3尺 先に掛りのついた物差し。 35 型 鋼 20〜30 各寸 鋸の各種、各サイズの原型。各家の特色がこの原型にある。 36 摺り廻し台 鉄、木台 1 コの字形の鉄を木台にとりつけたもの。鋸などの周囲のヤスリ掛に使用。 37 ヤスリ 鋼 5〜6 各種 摺り廻し用の鉄工用ヤスリ。平、半丸、丸、など。 38 刳り区台 鋼、鉄 各1 5寸位 刳り区を打ち抜く(雄)ポンチと雌型。 39 準し鎚 鋼 3〜4 400匁〜850匁 生準し用の丸口金鎚、および歪準し用の丸口金鎚など。 40 捻じ鎚 鋼 1〜2 400匁〜500匁 鋸板の捻じれを直す準し歪み鎚。 41 ホテリ鎚 鋼 1〜2 同上 鋸板の凹凸を縦横共に直す準し歪み鎚。 42 準し床 鋼 2〜3 20貫〜30貫 2/3位は土中(床)に埋め、準し仕事専用に用う。 43 バイス 鋼 1 通常は立バイスを使い土中に固定した木柱にとりつける。 剥 (す) き ・ 歪 ・ 仕 上 仕 事 44 鏟 各種 鋼、鉄 8〜10 各種 ㋑荒鏟 ㋺中鏟、仕上鏟 ㋩鏟目下 ㋥鏟目 ㋭磨きヤスリ 磨きヤスリはヤスリではなく磨き棒で、刀剣研磨を応用した もので宮野仕上げとも称す。表面仕上げで最高のもの。ペー パーをかけると台無しになる。 45 鏟板と附属 樫、鉄 3〜4枚1人に 巾5寸×厚3寸× 長4.5〜5尺 ㋑樫の上目(柾)の材を選び、鉋で鏡の如く削る。枠金を木台に 固定し、木台は床に固定する。これに樫の鏟板を差入れ、木駒 で固定する。 ㋺止栓は鋸を固定するもの。大正中頃より使用された。 ㋩鋸の一方を固定するコの字型の金具。カマシという。 46 木床 樫 1〜2 樫の木口を削って平にした床。歪取りに不可欠の床。 47 仕上床 鋼 1〜2 12貫〜25貫 仕上歪用の金床。剥き途中の歪取(打合せ)にも使用することあり。表面は鏡の如くする。 48 歪鎚 鋼 4〜6 いろいろ ㋑ヌケ入鎚(三木独特)といい歪の良否を決定するヌケ、引張 りを調整。 ㋺丸口(真口)小槌 ㋩捻じ小鎚 ㋥ホテリ鎚 いずれも微細 な歪を直す鎚。 49 砥(石)桶と砥石 木製 各人 または 2人に1 個 砥石は各種 鏟研ぎ用で荒砥または中砥を使用する。 目 立 仕 事 50 挟ミ板 欅、桜など 3〜5 約6.5寸×1.2尺 鋸を挟んで目を摺る。 51 目立ヤスリ 鋼 10〜20 各種 挽切ヤスリ各種、吋ヤスリ各種、鎬ヤスリなど、鋸種によって分ける。 52 アサリ鎚 鋼 5〜10 各種 アサリを打つ鎚。大工用鋸では現在目別ケは使用しない。 53 アサリ床 鋼 1〜2 10貫位 アサリを打つ金床。角(カド)の仕様口伝あり。 54 目落し機 1 エキセンと称した。回転運動で目を落して目を作る機械。 55 その他 ㋑油入れ ㋺秤り ㋩大工用鉋 などその他

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4 この絵では⑧ヤカンが吊られているように描かれているが、実際に三木市福井の二代目宮野鉄之助の工房にあった①天(あま)には中に 自在鉤があったそうである。二代目宮野鉄之助の御令孫の前田久乃氏の御教示による。前田氏は天の中を見上げて自在鉤を御覧になっ たとのこと。

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8.  前挽について 1986年3月12日 名称について 前挽大鋸が正確な呼び名であるが、前挽という由来 ははっきりしない。 定義 一人挽の巾の広い製材用縦挽鋸。小型のガガリとは 区別する。 種類 普通型の前挽(A)の他に芯割、胴割、芯挽(B)など といわれる首の長いもの、また製材されたものを更に 小挽する木挽用引割鋸(C)などがあり、前挽の仲間に 入れても差し支えはないと思う。 ガガリの仲間のブッキリ鋸という縦挽鋸は引割の巾 をせばめた型で大工物に属し、舟大工用の引割鋸(鯛 型)も木挽用とは区別する。 (A)所謂前挽そのもの 古型ほど角型で巾が狭く、背が丸く巾が広いほ ど新しいとみてよい(除例外)。 (B) 二人向い合って同時に挽く(合挽)ような巨木 の芯部を挽き割るための鋸で、Aに比べ数は極 端に少なく、往々にして材の大きさ(太さ)に 応じて首の長さを決めて鍛接したものが多い。 (C) 舟手用挽割の大型で、柄は撞木につけるために 茎は先が切ってある。 大工も使ったであろうと思われるが、古い物はな く、鋸板の平ヒラも平滑に仕上げる。大割りした材を小割 りする時に用いる。 註:大凡縦に挽くものを割るといい(挽割)、横に挽く ものを切るという(挽切) 寸法 山物といわれる山林用と同じく実寸(刃渡り寸法) を呼ぶが(大工用鋸は実寸と呼び名が異なる)、Aは刃 渡り×巾寸法、Bは刃渡り寸法、Cは巾寸法を呼称す る。 (上記表は昭和初年(20年頃まで)使用された新品前 挽寸法の普通サイズ値) 製法 明治の中頃、鋸製造に洋鋼(平、角、板)が普及し始 まるまではやはり玉鋼が使用された。洋鋼になってか らも前挽地という特殊な厚みと巾の鋼が使用され、平 鋼や角鋼は使用されない。 玉鋼の場合は背の方は鉄に近い質のよくない鋼また は鉄、刃の方はかなり炭素量の多い鋼と区分して鍛え、 これらを鍛接(わかしづけ)をしながら拡げていく、向 う槌は普通七人、細工場(仕事場)の火床前、中央の広 い所に50貫以上の金床を埋め込み、これを取り囲むよ うにして「トッテン、トッテン、トッテン、カン」とい う拍子で七人が四尺柄の大槌をふるう。金床は大きい ほど槌の効きがよく、早く鋼が伸びて向う槌が楽なの で80貫以上のものも使われた5。30貫や40貫の大工用鋸 の主床では軽すぎて仕事にならないのである。 夏はもちろん手拭の鉢巻か頬かむりと袴下(褌)一 枚で、汗も乾いて塩が吹くほどになるので中には丸裸 で打つ人もいた。腕自慢の職人も多く、昭和の初め頃 までも大槌一挺で向う槌を職とする「荒打屋」といわ れる人もいた。 井筒という前挽鍛冶にいた新六さんという職人は力 も強く上手であったので重宝がられたが、かなり我儘 も押し通したらしく、時々昼の休みに玉鋼の包み(15 貫)を片手でぶら下げて厚子の内側、股下に隠して持 ちだして小遣いにするのを皆見て見ぬふりをしていた という。15貫を片手でヒョイとぶら下げるのも大変だ が、いくら明治時代とはいえ玉鋼の値段も大変だった ろうと思う。 A 刃渡り  巾 尺八寸 × 尺四寸  〃 尺四寸五分  〃 尺五寸  〃 尺六寸 尺九寸 × 尺五寸  〃 尺六寸 二尺  × 尺六寸  〃 尺八寸 5 1貫=3.75kgなので、50貫は187.5kg、80貫は300kg。15貫は56kg。 B 巾 七寸 八寸 九寸 尺

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寛政の頃から三木では前挽鍛冶は三軒で、いっとき 四軒になったこともあるが、すぐもとの三軒のまま明 治の頃まで続くが、明治以降も井筒、小川、原の三軒 で、一時小川が二軒に分れた話も聞くが、大工鋸鍛冶 のように増えなかったのは仲間の統制もさることなが ら、資本と労力の確保、それに技術的にも難しい面が あったと思う。 荒打された鋸は、目型を切り、背打ちをして鉋(前挽 用)で鋸身の半分位刃の部分に向って削られる。木製 の台を斜めに向うを下げ鋸を固定して鉋は押して削 る。縦、横、斜めと押しながら平滑にするが、背打ちし た部分は槌痕が残る。古い玉鋼の鋸はこの背打ちと削 りは見当たらないが、荒打ちの作業を除けば洋鋼も玉 鋼も以下の工程は同じである。 焼入は目を一枚ずつ箸を熱して挟み、水で冷やす。 油になったのはずっと新しいのである。 焼入れされた目は適当に焼戻し、目立てをして仕上 げる。新品の目にはほとんど行わないが、木挽さんが 自分で切れ止んだ目を目立てする時によりよく引っ掛 かるように目の裏の切っ先の部分を鑢のカドや丸鑢を 使って小さく窪ませて目をすることが多い。これを所 によって「チョンガケ」といい、鋸目のかかりが良く なる。特に軟らかい杉のような木材を割る時は効果が あろう。 終戦直後、灘の酒屋にはまだいろいろな職人がたく さん常職に入り込んでいた。桶屋、ブリキ屋、木挽など など。灘新在家の富久娘にもこれらの人がいつも仕事 をしていたが、酒があれば何も要らぬというような人 も多かったに違いない。その中の木挽さんが前挽で大 きな材を挽き割っていたが、その目も「チョンガケ」 をしていた。一枚でも多く杢目に沿った良い板を取る のだという。 前挽鋸の巾が広いのは切れ味に大いに関係する。切 れ味というのは他の刃物もそうだが、鋼の性質、熱処 理、加工技術などに大きく左右されるが、一般に硬度 とか組織とかのみが強調され、形やバランスも大きな 要素を占めることが欠落されている。紀州の舟大工さ んは引割(鯛型)鋸に尺四寸(刃渡り尺二寸)と、淡路 の舟大工さんより一回り大きい縦挽鋸を使ったが(淡 路は尺三寸(刃渡り尺一寸))、目一枚巾が減るともう 新しいのと取り替える人があった。縦挽は特に巾が狭 まると切れ味が落ちるのである。巾の広いのは真直に 下りやすいし目方からも下りやすいのである。しかも 厚みが薄いと下りやすいので、その分は巾が広くでき て効果は相乗されることになる。薄くて巾の広い鋸を 作るのは技術的に難しいが、洋鋼、特に板鋼はこれを 援けてくれるので新しい前挽ほど巾が広くなったと考 えられる。 今でも前挽を使っている人はあると聞くが、作る人 はもういない。三木でも原さんが昭和初年まで作られ たが既に転業し、井筒の細工場も昭和30年頃まで倉庫 として使われたが今はあとかたもない。前挽がなく なったのは製材が機械にとって代わられた、それだけ である。先にも触れたように材料の玉鋼が高く、それ に代わる板鋼はその何十分の一の値段になって、玉鋼 打ちの値段との差は極めて大きいが、使われないとい うのは製造業者にとって致命的である。前挽鍛冶が統 制を強め、三木でも三軒そこそこの独占体制を維持し たのは、前にもいった資本、技術の面だけでなく、その 製品価格が極めて高価であったことが独占を維持しよ うとした要因の一つである。そして三木でも前挽鍛冶 は有数の資力を誇った家であった。 参考に黒田家文書6による前挽値段、及び昭和初年の 玉鋼値段の表を記す。 黒田家文書(寛政から文化文政の頃の一例) 鉋   寸八  銀 17匁 鋸山物 尺九寸 〃 9.2匁 大工鋸 尺二寸 〃 5.1匁 前挽      〃 375匁 実に大工鋸の約75倍、山鋸の40倍。いずれも玉鋼。 昭和初年(大正末)の玉鋼値段 松浦製鋼(安来) より直送値段 大阪ト庫での バラ売 A級 10貫につき 30円〜35円 1貫につき 4円〜4円50銭 B級 25円〜28円10貫につき 3円50銭〜4円1貫につき 上記は大工道具用で、前挽用はこれ以下のクラスを 多く使用する。 6 三木金物仲買問屋の「作清」こと黒田清右衛門家に伝わる史料。仲買問屋「道善」井上善七家文書、三木市宝蔵文書、三木市立図書館所 蔵文書とあわせて永島1978として刊行されている。

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鋸一枚の玉鋼使用量 前挽 尺八寸×尺五寸の玉鋼打(明治時代)平均的 な目方は1貫〆〜1貫200〆位と考えられる。 玉鋼を鍛えて製品になるまでの歩留りは鍛錬の上手 下手に左右されるが、原鋼の5割内外と考えられる。 前挽出現の時期 一般に言われる十六世紀、室町の頃が妥当と思う。 材料(和鋼)を大量に使用する大きい道具はそれに見 合う材料の供給が容易でなければできない。和鋼が玉 鋼として一般市販されるようになった時期が前挽出現 に加担していると見ても支障はないと思う。 9. 愚意愚説 鋸のはなし 1986年12月 9.1 語彙について 黒打ち:黒打ちと打ち放し(黒肌)とは意味が違うこと 黒打とは、表面仕上げ方法の一種で、鋸の表面仕上 げ方法としては、この黒打ち、砥石(研磨)、ペーパー (羽布)、ヤスリ、磨き(別名、宮野仕上げ)などに、色付 として、中色、総色などが行われているが、仕上方法の 中では一番古典的で、打ち放しの打ち肌のままとは一 見同じであるが、表面処理の面だけでなく、内部の歪 硬化(叩きしめると言う)を狙うことが主目的とされ るので、鉈や斧などの打ち肌とは区別する。 なおこれらの表面仕上げの行われた鋸が少し錆びる とペーパーで錆び落としを行う人が多いが、黒打ち仕 上げと磨き仕上げの場合は一旦ペーパーで傷が付くと 元に戻らないので厳禁とされる。 剣歯: 箱屋目(二等辺三角形の横挽目)とは区別する 必要があるかもしれないこと イバラ目の少し深いものを箱屋目という地方もある が、米国の両手鋸の窓鋸の目を見ると、まさしく剣歯 で窓目というにふさわしい形をしている(下図)。目の 種類と分類が必要な時に、これらの呼び方の整理が必 要になるだろう。 日本の窓鋸と称される目は、改良刃と称し、剣目、窓 目をアレンジしたものと思われる。 歯道:鋸道、鋸の歯(刃)道と混同しやすいこと 鍛冶の神、天目一命は片目で打ち物(刃物)の通り を見る。これは今でも鍛冶だけでなく多くの職人がた えず通りを「すがし眺めつ」製品を仕上げる。この「通 り」は表通りでなく品物の通りである。「鋸の挽道」歯 道に引き込むという使用法が妥当で、歯(刃)の通り、 すなわち歯(刃)道を使用するのが正確であろう。 カシメ:頭を潰さぬように叩いて締めること カシメ接ぎは熔接、ネジ留め、ビス(釘)留め、楔留 めなどいろいろな接ぎ留めの中で古くから普遍的な接 ぎ留め方法で、緊縛する場合と弛縛する場合とある。 後者は鋏、金箸などに用いられるが、いずれも頭を潰 さないように叩き締めるのがコツである。大きいもの は熱して緊縛(鋲など)するが、法隆寺鋸の柄の目釘 位では常温で充分にできる。 わかしづけ:熔接と鍛接とわかしづけとは区別あること 熔接とは融接も含めて金属片を加熱接着することと あって、鍛接もわかしづけも広義ではその範疇に入る のであろうが、鋼鉄の接合を大きな仕事の要素にもつ 鍛冶作業では、はっきりとこれらを区別しないと作業 の理解はできない。 刃物道具鍛冶では下記のごとく区別する。 熔接:ガス熔接、電気(スポット)熔接、アーク熔接、 テルミット熔接など、鉄熔融温度に近い温度で融接す るか、または臘(熔接棒)などを融かして接着するも の。電気スポット熔接、臘付け熔接などによる疵接や 首接ぎなど。 鍛接:一番普遍的に、鉋、鑿、斧、包丁などの鋼(刃金) と鉄(地金)の接合に行われる方法で、接合剤(硼砂、 硼酸、その他)を用いて比較的低い温度で打撃圧着を する。鋸の場合は首接ぎに多く用いられ、近年行われ る熔接ものとは区別して「本接ぎ」という。 ワカシヅケ:これは玉鋼にしか利用できず、また古来 よりこの方法しか接着方法はなかったといってよい (鉄以外は別)。鞴と火窪を使用する限り、和鋼以外の 鋼はワカシヅケは不可能である。玉鋼を鍛えてわかし づけをする刀匠の中でも時々接合剤を用いるのを見か けるが、便宜的に行う場合か、未熟か、どちらかであ る。 以上のようにはっきりと区別されているが、鋸のよ うに薄板物を接合する場合は、いずれの方法を用いる にしても高度な技術を要し、熟練を要する。

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ナゲシ角:測り方に2通りあってまぎらわしいこと A 鋸身と直角に交わる線と目の裏刃のなす角 B 鋸身と平行な線と目の裏刃のなす角 A、Bは正と負の関係で、目立て用の機械の目盛など はAを使用するものが多く、刃物の刃先角度を表現し たり、ガガリをカネ(90度)に摺るというごとくBは習 慣的な測り方である。 9.2 縁起(歴史)と内容について 挽切:挽割(ガガリ)と対応すること 横引は切る、縦引は割る、すなわち挽切とは横引そ のものを表現した言葉である。目立て用のヤスリは従 来挽切ヤスリと鎬(両手)ヤスリであった。挽切ヤス リは大工物など小さい目(歯)、鎬ヤスリは山物など大 きい歯に用いられ、戦後、スリ込み用の吋ヤスリが普 及して大半の目立て屋がこれを使うようになった。し かし上物の目立てにはいまだ挽切ヤスリが必要であ る。挽切ヤスリには大、中、小、ケシメ、とあり、同じ刃 ヤスリの大きいものに相中、本中、大刃、などがある。 つまり、挽切ヤスリは挽切鋸用のヤスリであった。 和漢三才図会や船用集で、木の葉型切鋸の小さい八 寸、九寸を引切、それの歯の細かいものを鴨居切(鴨居 引ではなく、これは横引切)…船用集…と見える。そし て頭を切った先切が生まれ、大型の切鋸は山引(寛政 の頃)となり、先切山挽から雁頭、手曲、穴引と種類が 増して、片刃大工鋸は「切」に落ち着いて、縦引の「ガ ガリ」と対応する。 穴挽:定説のないこと (1)端(鼻)引の転化説。鼻丸ノコは形態からの説 (2) 穴ぐら(地下やトンネルなど)大工が多く用い たという説 上記二説が根拠のないままに流布されている主なも のである。鋸変遷の過程から考えて、名称はともかく、 形態としては案外早いと思われ、明治の初期のこの名 は案外気の利いた命名であった。 変遷の過程としては、 切鋸→山挽→大工山挽→鼻丸(尖り)→穴引 ↘先切→先切山挽→(大工用先切山挽)↗ という図が考えられ、黒田家文書によれば寛政の頃に 既に山挽(山林用大型切鋸)から大工用山挽の名が見 えるので、用途としてはこの頃に穴引の前身があった と見るべきだろう。 ここで一つ注意しておきたいのは、分業化された三 木鋸業界で大工物鍛冶と山物鍛冶が共に製作しうるの がこの「穴引」であって、山挽、大工山挽という分類が そのまま今の鍛冶に残っていると思える。後述「刳区」 の項で再述する。 江戸目:イバラ目とは兄弟であるが鼠歯とは遠戚以上 であること 目分け(目あけ、ではない)は芽はじけなど、古くよ り鋸歯のことを目と呼んでいるが、通常は歯が用いら れたようで、文化の頃に江戸歯と表現されている。江 戸を中心に流行したこのイバラ目を深くスリ込んで上 目をつけた形は、より横引の効率がよい。鼠歯はイバ ラ目の深い形をしているが、縦引目で主として摺鋸 (舟大工用笹刃)に用いられ、根隅ガガリは鴨居引の前 身で、この歯も普通のガガリより深めにする。鼠の歯 のように細く長く尖り目なので、根隅ガガリと鼠歯 (ガガリ)とが混同されたきらいがある。 両刃鋸:両刃鋸出現は油焼入れと切り離せぬこと 両刃鋸はいつ誰が発明したか、全く不明であるが、 両刃を多産している三木、越後、信州にしぼっても間 違いなさそうである。 はっきりと分っているのは、三木で両刃が普及した のは大正半ば、板鋼(東郷鋼)を中心とした板鍛冶か ら始まる。板鍛冶については後述。 最初は九寸両刃(建具屋用)であった――建具用と 大工用は作り方が少し違う――。これに八寸と尺の両 刃が加わる。「大工も両刃を使うようになったか」と鍛 冶達は戸惑ったという(現存古老説)。しかも、板すな わち中級品とされ、目立てなしの無刃で問屋が仕上げ 目立てに回すというやり方で量産され、あっという間 に普及した。尺一寸両刃は大正12年の関東大震災後、 野帳場の大工から普及して、通常の町家大工は荒仕事 用としてさげすんだ。

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九寸両刃の出現はこれらよりさかのぼるが、確定は できない。しかし、下記の理由から、明治中頃以前には さかのぼれないはずである。 三木で糸引の使用が目立つようになるのは日清戦争 後というから、スタルの輸入から普及までは15〜16年 位かかったことになる。油焼を三木で最初に行ったの は前田の某(明治11年)という説もあるが7、前挽の項 (後述)でのべる井筒の板鋼と同じく、信用できない。 明治2年生れの祖父遠藤光治(故)の話では、職人(明 治22〜26年)の頃、泥焼が普通であって、後、初代宮野 平次郎の職人のとき初めて油焼を知ったというから、 普及し始めたのはスタルの普及と歩調をそろえている ようである。油焼が普及するのはやはり何年か経過し てからだろう。 泥や砂を用いる油焼以前の焼入は、不完全でブチ (三木では白焼という)が入るというのは品質の悪い 玉鋼、鍛えの不良な玉鋼についていえるが、鋸のよう に薄い鋼板では良質の玉鋼鋸や現在のハイカーボンの 鋼では、時に水よりも強い焼が入って、ほとんど瑕物 ばかりになる可能性が高く、良質の鋼の両刃を泥焼す ることは不可能であろう。洋鋼=妖鋼といわれる所謂 である。 板鍛冶ということ:板鍛冶とは 三木で東郷鋼を主として使用した板鋼使用鍛冶とい う意味で、明治末期から出回った洋板鋼を使用する。 ①玉鍛冶、②スタル鍛冶、③板鍛冶、というように発生 順にランク付けされた8。昭和初期頃からサーフル鍛冶 という巻鋼を主原料としたより薄い鋼板、更に帯鋸の 廃材を使用する者も含めて、板鍛冶の仲間に入ろうと するが、薄い鋼すなわち楽な仕事、という意味で、板鍛 冶の次に位置するが、首接ぎなどの難しさから板鍛冶 の上位にランク付けした時もある。板鍛冶は更にその 中で極ゴクカタ硬、硬カタ、中チュウカタ硬、並上、並、極並、とランクされて値 段もおさえられ、太平洋戦争中の統制はこれらにマー クを標示することを強制され、上位から天(玉鍛冶)、 菊(スタル鍛冶)、桐(極硬)、松、竹、梅、etc.というよ うに戦時制約があった(これは三木鋸統制組合の自主 規制)。 板、サーフルといえどももちろん荒打はする。荒打 屋という職人が大槌一丁を職道具として稼いだが、戦 後、機械化によって消滅した。 前挽鋸と板鋼:板鋼使用開始年代は不明であること 三木で板鋼を使用して鋸を造るのが一般に普及する のは前述の明治終りから大正にかけてであるが、それ 以前に板鋼使用が行われていたかどうかは不明の点が 多い。しかし前挽鋸について言えば、明治33年に丹波 井串の脇田定助が京都で購入した九左門鋸(道具館 蔵9)が板鋼を使用しており、東郷鋼以前の洋鋼板鋼が 鋸製造業界でもかなり普及しており、前挽鍛冶だけで なく大工用、山林用、の鋸鍛冶も輸入板鋼を使用して いたことは確かで、一分厚、幅一寸六分〜四寸位、丈タケ (長さ)十尺〜十二尺(提灯印……大阪、兵庫で主とし て貝ボタン製造時の錐材に使用された)の良質の板鋼 が大工用鋸の板鍛冶に、また八厘厚、幅一尺八寸の前 挽地なるものが前挽鍛冶に使用されていたが、東郷鋼 の良好な材質と、多種類の用途に応じたサイズに圧倒 されて、大正に入ると姿を消すことになった。 前挽の製造作業は七人の向う槌で「ト1ッテン 2 ト3ッテン ト4 5ッテン カ6 7ン」という拍子で、夏は皆ふ んどし一つ、中には丸裸で槌を打った話(玉鋼荒打屋 であった故田中辰蔵氏……前田)などがあるほど重労 働で、板鋼使用への渇望はこうした前挽鍛冶の方が強 かったと思われる。荒打整形された前挽鋸は、木台(削 り台)の上で鉋(台鉋)で縦、横、斜と突削りされて、 主として刃(歯)の部分の大きなムラを取り除かれ、 目一枚ずつ鏝箸で赤めて(温度を高くする)茶瓶を 持った前サキ手テが水をかけて焼入を行い、あとで焼戻しを する(後年油焼に改良した家もある)。 前挽鋸の板鋼使用については、前述脇田定助鋸のよ うに明治33年既に板鋼が使用されているので東郷鋼 7 小西1928の118頁では明治11年(1878)頃に三木町前田の井 上由松の舎弟が鋸の油焼入れを発明したとしている。 8 小西1928の116頁も次のように述べている。「明治十三四年頃 に至りて我が国へ始めて洋鉄、洋鋼が輸入せられ、三木地方へ も入はいつて来ましたので、鋸の製造業者と云はず他の刃物製造 業者は之を一見しますと、誠に都合よく出来て居ります。品質 は純じゆんであるから玉鋼のやうに不ご純分子を抜く必要がなく、又み け 形に於ても平、角丸に区別されて居て直すぐ用途に適し、且つ値 段も安いので之を用ゐ始めたのであります。此の間板鋼と角 鋼とを原料として鋸を造る区別が生じまして、自然二派とな り又板鋼派は別に並鋸製造の一派を生じて結けつきよく局三派となつた のであります。即ち鋼板を用ゐる派は板鋸、並鋸の製造に転てんじ 角鋼を用ゐる派はスタル鋸の製造に移つたのであります。」本 書刊行時点で板鋸の組合に属する製造業者が220戸、並鋸の組 合が30戸、スタル鋸の組合は45〜46戸で「又原料和鋼を以て 製造する五百蔵安兵衛、宮野平次郎の二氏も便宜上此のスタ ル鋸製造の組合に加入して居るのであります」とのこと。 9 A220028。1980年12月15日に宮野裕光氏から納入し、現在当 館地下2階で常設展示している。

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