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歌川広重『名所江戸百景』における遍在する視点

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Academic year: 2021

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博 士 ( 国 際 広 報 メ デイ ア )堀    じゅ ん 子

学 位 論 文 題 名

歌川広重『名所江戸百景』における遍在する視点

―メデイア・近代・ジャポニスム一

学位論文内容の要旨

  本論文は、江戸末期、歌川広重(1797‑1858)による浮世絵風景 版画『名所江戸百景』に見られる く遍 在す る視 点 >と 、こ うした視点が現れた時代的社会的背景をとりあげる ことによって、江戸 末 期 に お け る 視 覚 性 の 変 容 と 、 情 報 化 、 近 代 化 の 問 題 に っ い て 考 察 し た も の で あ る 。   『 名所 江戸 百 景』 は、 浮世絵風景画すなわち「名所絵」として、1856(安政3)年から出版され 始め 、1858(安 政5) 年の 広重の急逝によって終わるシリーズであり、広重の 没後に加えられた目 録と 、二 代広 重 によ る作 品1点を 含む 全120図か らな る。 本揃 物は 、日 本 の開 国への過程と時を 同じ くし て描 か れた 、江 戸末期浮世絵の代表的作品であると同時に、近代化 による変貌を目前に し た 当 時 世 界 最 大 規 模 の 都 市 の ー つ 、 江 戸 の 姿 を 多 角 的 に 捉 え た 作 品 群 で も あ る 。   本 揃物 を構 成 する 個々 の版 画に 顕著 に見 られ る特 徴は 、今 日のB4版 ほ どに すぎない縦長の紙 の上 にダ イナ ミ ック に風 景を展開する、広重の自由闊達な視点にある。広重 の眼差しは、鑑賞者 の目に成り代わり、百万都市江戸を 疑似体験させる。ときには鑑賞者自らが風景の中に入り込み、

その 視野 によ っ て捉 えた 光景を再現したかのようにさえ見えるこれらの作品 は、西欧に由来する 透視 遠近 法を 駆 使し なが らも、ルネサンス以降の西欧近代絵画における一点 に固定された視点に よる 客観 性と は 異な る、 新たな視覚を実現させてゆく。本稿では、『名所江 戸百景』における、

風景 空間 のあ ら ゆる 位置 に設定され、鑑賞者すべての目に成り代わるこうし た視点を、「遍在す る視点」と呼ぶ。

  「遍在」という言葉は英語では ubiquitf に置き換えられるが、今日用いられるユビキタスと いう 語は 、本 来 「キ リス トの恩寵の遍在」を含意する。しかし我々はこの語 をその背景まで理解 して 用い てい る わけ では ない。同様に江戸の浮世絵師たちは、西欧近代の透 視遠近法が含意して いた 象徴 形式 と は無 関係 に、この遠近法を用いつつ、新たな空間表象様式を 生み出していった。

  揃 物と して の 『名 所江 戸百景』は、『東海道五拾三次』と比較して、必ず しも広重の傑作とは されてこなかった。しかし本論文で は、『名所江戸百景』におけるこの「遍在する視点」こそが、

ジャ ポニ スム を 通し て西 欧の絵画芸術のみならず、19世紀後半というメディ ア技術の飛躍的な進 歩の 時代 に、 ポ スタ ー美 術、写真など、当時のニュー・メディアに取り入れ られ、その後今日の 動画 映像 に至 る まで 、メ ディアの表現手法の動かしがたい一角をなしていっ たことを明らかにす る。

  こ の『 名所 江 戸百 景』 の際立った特徴としては、かねてから以下のような 問題が指摘されてき た。 それ は@ 良 く知 られ た名所の見どころが、しばしば敢えて画角からはず されている。◎江戸

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名所とは言えないような街角や江戸周縁部の風景が多数取り上げられている。そして◎揃物前半 では鳥瞰の構図が多く見られ、これに対して後半では誇張された遠近表現、すなわち「近像型構 図」が多用されることである。しかし作品の変化を構図ではなく視点という側面に注目してみる と、◎視点の高さは、鳥瞰から、人の目線、地面すれすれの高さへと自在に変化してゆく。また、

◎画面上を走査する鑑賞者の視線を、巧みに画中空間へと誘う心理的な仕掛けが工夫されてゆく。

◎さらに、近像型構図における近景のオブジェクトの大胆な断裁は、動画映像を思わせる動態の 表現に繋がってゆく。しかしながら、揃物の発刊中に起きたこれらの視覚表現上の変化とその要 因について、詳細に追究した論考はこれまでなかった。

  本論文では、広重自身によって描かれた118点全ての作品を改印の順に並べ、描かれた風景主 題と視覚表現上の変化を時系列的に、一点一点、綿密に検証してゆく。そこでまず注目されるの は、発刊の前年(安政2年10月)に江戸を襲った安政の大地震からの復興期における、祝賀的、

発展的印象の作品群から、揃物後期、欧米列強による開国への圧カが強まる頃顕著になってゆく、

不安定でドラマチックな画面への劇的変化である。視点に関して言えば、まず揃物初期には膨張 する江戸の繁栄によって遠隔地へと広がった江戸名所を鳥瞰の視点によって広範囲に捉えた作品 が多く見られ、これに対して後半部では、開国交渉という一触即発の危機的状況の中で、視点は 地上に降下し、情報統制下、幕閣の動向を、様々な角度から覗き見ようとする庶民の眼差しを反 映した作品も目にっくようになる。同時に絵師は、鑑賞者を描かれた風景の中に巻き込みつつ、

都市底辺に生きる人や生き物の日常を接写するようになる。これまで注目されてこなかった、揃 物の半ばで現れる人の目線よりも低い視点もまた、本揃物における重要な転機をなしているので ある。

  これらの変化を明らかにすべく、全作品の分析は以下の方法で行なわれた。@描かれた場所に 関わる当時の出来事を、安政大地震関連の幕府・民間資料、江戸庶民の日記や手記、及び江戸の 歳時等に関わる調査結果と対照。◎安政期の切絵図と今日の地図を照合し、当時の移動速度と距 離感を実感するため、徒歩と自転車による現地調査を実施。@広重の視覚性の形成過程と当時の 視覚文化(見世物、視覚玩具、挿絵本などの出版物)との関連を調査、検証。◎それらを総合し、

作品の特徴を、造形学、視覚心理学、メディア論的見地から詳細に分析。一一以上の方法によっ て調査・分析・検討した結果、この『名所江戸百景』における斬新な視覚効果が、2年半という 発行期間の中で、広重による積極的、段階的な試みによって形成されていった過程が明らかにな った。

  個々の作品の制作を通して広重は、一歩ずつ近未来のメディア表現に向かう視覚の実験を繰り 返している。そしてその変化は、視点と主観に関する日本と西洋の相違という極めて重要な問題 を内包する。っまりこの「遍在する視点」には大きく三つの意味が含まれていた。まずーつ目に は、本揃物では従来の名所絵としての企画意図のほか、時事的情報や告知という機能が期待され たため、今日で言うジャーナリズムや広報の視点が追究されていっていたこと。二つ目には、こ の遍在する視点が、広重個人の発明に帰するものではなく、浮世絵風景画において、日本の絵巻 や洛中洛外図などに見られる俯瞰の眼差し、中国山水画の空間表現、西欧の透視遠近法という、

空間言語の多元的な混淆に由来するものであったこと。そして三つ目には、この視点の基層には、

透視遠近法の根本原理としての絶対者の視点とは異なって、山川草木に神仏の霊が宿ると考えら れ て い た 日 本 に お け る 、 多 神 教 的 世 界 観 に よ る 多 視 点 性 が あ っ た こ と で あ る 。   各章の骨子は以下の通りである。第1章でまず、広重の視覚性の形成に関わる絵師としての成

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長過程が時代背景とともに概観され、第2章では、『名所江戸百景』の描かれた時代、社会、文 化的背景が広重の作品を変化させていった過程が、全作品の改印順に綿密に分析、検討される。

そして第3章では、その結果を造形的、文化的観点から考察しつつ、『名所江戸百景』における 遍在する視点の生成とその意義について考究し、『名所江戸百景』における広重という絵師の眼 差しのあり方を通して、情報化、近代化、国際化に向かう江戸末期における、自己と他者、環境 との関わりのあり方の、今日との相違と親縁性が、論じられる。

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学位論文審査の要旨

学 位 論 文 題 名

歌川広重『名所江戸百景』における遍在する視点

―メ デ イ ア・ 近 代・ ジ ャ ポニス ム―

本 論文 は 、 西洋 近 代絵画に 対する浮 世絵の影 響の考察 に専ら軸 足をおい てきたこれ まで の ジャ ポ ニ スム 研 究の枠組 みを大き く越え、 江戸末期 の浮世絵 の傑作『 名所江戸百 景』

を 生み 出 し てい る 歌川広重 独自の「 遍在する 視点」に ついて、 その内的 構造を歴史 的文 化的背 景との関 連で全作 品(118点) にわたっ て実証的 に綿密に分 析すると ともに、あわ せ て、 西 洋 近代 の 遠近図法 と日本の 視覚表現 との文明 論的な比 較考究、 さらには江 戸時 代 にお け る 「眼 」 と現代の メディア ・テクノ ロジーの 表現との 連関性に っいてのメ ディ ア 文化 論 的 な論 究 を通じ、 歌川広重 の『名所 江戸百景 』に特徴 的なこの 眼差しを、 近代 に おけ る 西 洋と 東 洋の文化 往還茄よ びそこで 展開した 視覚の変 容という 世界大の構 図に おいて 考察した 注目すべ き論考で ある。

公 開 口 頭 試 問 ( 平 成21年1月27日 実 施 ) で は 、 審 査 委 員 会 か ら 、 本 論 文 の 独 創性 お よび学 術的価値 にっいて 、以下の ような高い 評価がな された。

  .『名 所江戸百 景』全体 の作品分 析にっいては、これまでいくっかの先行研究例がある が 、著 者 が 現役の デザイナ ーであり 、実作者 という立 場から、 広重の制作 プロセス が内 的 な構 造 の 面から 高い論証 性のもと で新たに 捉え直さ れ、とり わけ、時系 列にした がい 綿 密な 現 地 調査と 実証的な 時代考証 のもとで 作品全体 を分析す ることによ って、広 重の   「 遍 在 す る 視 点 」 の 生 成 過 程 が 説 得 カ を も っ て 明 ら か に さ れ た 。   .『名 所江戸百 景』が従 来の風景 絵図のような横絵ではなく、全作品が「竪絵」によっ て 描か れ て いると いう一大 特性が、 広重の「 遍在する 視点」の 生成プロセ スおよび それ に 基づ く 独 自の 空 間表 現 の あり よ うと 緻 密 に関 連 づけ ら れ 、見 事 に 検証 されてい る。

  ・そし てそれを 単に歌川 広重ある いは浮世絵だけの表現として論じるのではなく、その 独 自の 「 遍 在する 視点」を 西洋絵画 の遠近図 法と比較 対応させ て論じるこ とによっ て、

広 重の 視 覚 表現を 、近代に 茄ける視 覚の構造 的変容と いう世界 的パースペ クティヴ の中 に位置 づけるこ とに成功 している 。

彦 代

具 益

平 田

大 常

授 授

教 教

査 査

主 副

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・また、そうした「遍在する視点」がしばしぱカメラの眼あるいは映画の視空間と対比 されるように、広重のヴィジュアリティーの特性を、単にその時代だけにとどめず、後 に世界的に展開する近代的な視覚メディアさらには現代のコンピューター視覚表現に おけ るメ ディア ・テクノロジーとの時間的っながりの中で説得的に論じている。

ただ、上記の評価を踏まえっっも、一方では、下記のような問題点の指摘もあった。

・確かに、広重の「遍在する視点」も、その西洋絵画への影響も、作品分析を通して縦 横に論じられているが、それはどちらかと言えば事象的に記述されがちであり、そうし た特質がどのように成り立っていったかをもう少し構造的なレベルからも論じたなら ば、なお説得度が増したのではないか。

・それゆえ、後半部ではその「遍在する視点」が「生身の眼」というようなやや平板な 表現に転化してしまっており、広重独自の視点をせっかくギブソンの生態学的視点と関 連づけながらも、その点にっいては充分に深められてはいない。今後の研究に期待した い。

.『名所江戸百景』においては、青(藍色、ブルー)によって描かれる「水」が主役で あると思われるが、この点にっいては論文の中でもいろいろ触れられてはいるものの、

それが当時の安政の大地震と大火から立ち直ってゆく江戸庶民の鎮魂と関連している のであれば、江戸の民の魂のありようとこの青色との結びっきにっいて、もっと述べて もよかったのではないか。

・西洋遠近法表現とカメラの眼との関連にっいて、説明がやや不足していないか。(こ れにっいては、著者より、カメラの眼は、西洋遠近法を完成させつつ、そこには収まり 切 ら な い 「 外 部 」 を も 照 ら し 出 す も の で あ る と の 補 足 説 明 がな さ れ た 。 )

   以上のように、より深く展開されるべき点についていくっかの指摘はあったものの、

それらは本論文の欠点というよりも、むしろ今後のさらなる研鑽への期待感の表明であ ると言ってよい。全体的に見るならば、すでに述べたように、歌川広重の『名所江戸百 景』の全作品を綿密に分析することによって、広重独自の「遍在する視点」を19 世紀後 半における世界大の文化構造と視覚表現の中に位置づけ、かっそれを今日に韜けるメデ イア表現技術およぴメディア文化のありようと関連づけた本論文の価値は非常に高く、

こ れ ま で の ジ ャ ポ ニ ス ム 研 究 に 新 た な 地 平 を 開 く も の で あ る 。

   よって著者は、北海道大学博士(国際広報メディア)の学位を授与される資格がある

ものと認める。

参照

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