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『宗教研究』141号

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(1)

――目次――

1,

ハルトマンの反基督教論, 飯野紀元, Hartmann’s atheism, Norimoto IINO, pp.1-20.

2,

ヨハネ伝におけるロゴスについて:その宗教史的背景との関係, 宇野光雄, On the Logos of the Fourth

Gospel, Mitsuo UNO, pp.20-43.

(2)

如く、聖書には全能 ルトマ ソ の 反 基音数 瞼 258

飯野紀元

い う 。これらの 理 論 である。 にしょう。

を 通して道徳的価

ゴ 0% 臣 Ⅰ 曲 ︶目ら曲の ゴ 曲軸 0

0 ︶ 0 的 げぎ Ⅰ ぬ の的のロロ す ③Ⅰ 0 二ロ︵︵︶笘の ゴ由幅 ・︵ し 田田オ・ べか 0. Ⅱ か円 ︶

批判

する者は、その 一

ないであろう。かか

概念をもつ故に宗教

教は善 なる神を信 ず

の 悲惨な死を止め え

ハルトマンの

基督教論

(3)

in Ⅰ 肝臣 Ⅰ 由ゴ ののⅠ e の ガ

ト ⅡⅠ 轄 @k 卜 b Ⅰ m 抹 ツ @ の・ 何 Ⅰ

Pp の誤訳 て、原

キ 0 目 、かつ け ③ 臼 0 ㎎ せ

ある。故に決定的性

自由は神の 力 を制限

は 謙虚にこれを認め

ついて用いることは

も事実全体の物語る

を 定めるべぎであ

。基督教に関する 誤 度は正しくない。

しするか或は

トマンはい う 。︵Ⅰ ヴ日 :Ⅱ坤の・㍉ か 0 ︶

批判

越する神に根ぎす

糾援 Ⅱ ぃ ㏄ 甘 田島曲 ? 卜け

するならば、神が 道 一 わ

(4)

なく動機並びに性格までが っ の条件を有するのみ。㈲ 己 すること。㈲この標準に従 う をも尊重し 、よ り宏大な領 い 罪もまたより深いのである

信ずる者の罪の意識はます ある。

由を有する。 達成のプロセスはその第一

げる。第二段階は、この 日

達成に必要なる手段をもと

故にこの第二の段階は 、時 ハルトマ ソ の 反 基督教論 普遍的なる神の意志に反する時 罪 が生れ れが認める善の標準に達しえないこと。 能力を有すること。 域 において価値の実現をはかるべ き こと 。歴史の悲劇の深刻さとそれに対する 神 ます強くならざるをえない。ハルトマン 段階において、主体は時間の経過をとび 的のかかげられた未来の一点から、時間 め 、かくて、次から次へと手段を決定し 間の流れにさからりて進み、目的によ つ 一 "" 徳律 に反する命令を下すおそれは る 解釈をあたえんと念願するもの 彼は救済のアンティノミー を 犯した時にはそれを回避しては 神の恩寵とみなされ、両者の間に

批判

ょ、

のならは ア ( 色い であ る 力し であろ 。 レミ ぎ ないの ンティ ぅ 。我等は刻々増加しつ -0 ヨげ Ⅰ 印 Ⅱ 由 0% 肩レを に、宗教的には罪を恕さ ノミ 一 が存する。︵ ぎ呂 : つ あ る

ち の 類

@, し

が 貴 意 最 佳 美 も を 且 重 重 つ 要 ん 妥 な じ 当 る 罪 な 2 ㏄

(5)

張 する。第二一の段階

ャて れは普通の意味に Hp ぃ甲 Ⅰ ハ Ⅰ 叶 ︵︵︶ 害ヲづ ・Ⅱこ す円 Ⅰ ごト ベ肝 J 卍 ⅡⅡ︶ つて進む、とハル

間の流れに反して 運 に 必要な期待並びに 口 ハロ コ e きの e 由 oq 繍 さの ぅる 価値実現的決定 見出し、それが宇宙 ヨこ pH ︶であると力説する。︵宇田: H き 山田︶

批判

い 解釈ではない。 ている。学問の成就 と

をもつこととは違 う

れを考えることによ こえて未来のある 時

く 現在の意識のうち

化せしめることは 事 261

(6)

には不可能で

えられている

いて実現さる

ある。しかし

要 がある。 例

よ う 。そ う考

日 十枚だ け書

される。これ

の 出発点から

る 段階のどこ

も 、かかる あ

ハルトマ ソ の 反 基督教 稔

五 、かくして 準 備 ができたと よ いか、その て 現実の世界 がある。 マンの主張す する。しか し 意識 ある。 のま 、 べ き目 それと えゴ、 えるこ くとす はハル 目的へ にいつ らゆる 前日に る よ う 備が全 にお け L Ⅰ う 262

(7)

"""" /" Ⅹ

るもの 示 Ⅰしはない。地目

ことは正しくない。

ある思想家、例え

せの 臣侍偉品の 0 片 ⅠⅠ 0 曲の・

観的 観察並びに思惟

補説第二一、四九1人

であろう。

0 Ⅱ 由ゴ片 レ ︵ ︶ 仔 0 由 曲目Ⅰ せ 出口

0

すげ寺

0 さ す すお・ コ 。

Ⅰトムの ノ Ⅱ いロ ヲ卜の⋮:安目

ヰの Ⅱのの ヰ 0 Ⅱののす㌣ コ由 。

が コネ 圧ゴ e Ⅰ年のの 0 片の 0 Ⅰ・ べ Ⅱ @ ㍉の︶

の 根源であるとみ

の 0 づゴぜ 0 片戸四曲 性 0 コ、

て ぎた。宇宙的 めレベ ・

るものではない。 S.

なければならない。

ト ・Ⅰ づ ・ か ︶ 263

(8)

ることが

る 必要は

叩るレ Ⅰ ナし ルトマ ソ の 反 基督教 苗

は 当然であ

、宗教の真 の 歴史をその を 見出すから 七

してそこに妥当な

ぃ幅 レ op 、のす 笘づ ・ べ ︶。

を 有するに心づくと

の 妥当性如何をここ

に 意識的な活動の遍

要請を禁じえたいの である。

関性 ︵尻口口 0 す仔ァ

関を有する無限にし

ち 神の概念を うれ 。

コロ二の コカ 屯田︶の意味

しないとハルトマン は 結論する。︵Ⅰ ヴぃ隼 : いに ・はⅠ㏄︶

批判

264

(9)

265

氏 /

らの

となすべ

きて

域を超越して、

pO

ゴ ののの的

0 ヴ

0 戸すの

念を不当に普遍化し

色白

曲 のも

ガ田幅ぃ岸

隼 0

内曲

Eh &p

の巾のⅠの

0 ダ

臣 0

ロ ㏄︵・︵Ⅰ

Ⅰ・・は

ド の︶

批判

、もしハルトマ

るならば、如何なる

から始まる以外に道

まで押しすすめ、

がおの目印

0 口

0

のの曲Ⅱ

さ|

(10)

九 ハルトマ ソ の 反 基音数論 逆転しえたい︵ ヒョ| P 目のⅠ コがト ㏄の ゴ もくの 0 ゴ 0 Ⅰ

︵Ⅱ トゴ ⅡのⅡ めり ロロ拍の田の コ

% 相は質料にすぎな

師法則を逆転するの

の 曲 0 ぺ ㌧ ゴぴ臣 0 づ ︵ 0 コ 0 ︶。 中 に浮 き 上った人格

0@ ゅ N. ウトゅ 一之 げ黛主 、八章︶

批判

づ毛 0 ︶ コヘ 0 毘 ・ 礎 とし、生命は自

トマンが指摘する 家例えば ド ウルフは 、

のあらゆる人類経験

︵ ト ・イ円がⅡ 0 ロ Ⅰしの | ㏄・ い い の ︶

批判

(11)

と ハルトマンはとな える。︵︵ ヴぃ & : いい の、 Se %. 判 に 反してハルトマ あると同じ意味に ︵ 由 めの 桂 コト セ 0 Ⅱの曲 40 ︶

で、

ゴ ぎゴの︵の毛の二︶は神によってのみ実現され ぅ ると主張する。 これ 一 O ルトマンの 範嗜め 人間以外の有機体や

的は 、ある程度まで 人の理想が冒険的に

示す よ りはるかに 広 は、 人の意識を通し

ンは 、より低いもの

ている機械の部分品 かかる原理を知りえ 理 ではなかろうか。

q On 隼 コロコ 幅 ︶に よ 267

(12)

有する。

えば、現世は本質的 の さコ臣グ 名曲のむ ず の︵絡の

故に彼は宗教と道徳 と Ⅱ ぴ ㏄︶。

批判

勒 するものであるなら

浴し感激にみちたる 新 る 。仏陀やキリストに 従 ハルトマ ソ の 反 基督教 譲 価値をもたず、 ゴの Ⅱ曲目㏄この コま 。 ユ の間にアンティ は 、来世のみで 生活に入り ぅ る って彼らの理想 なく現世も亦本質的価値をも ことは、他の如何なる体験に の証人となり、自己実現に 、 一一 ㏄ 2 , 現世を超えて ・彼の倫理学 ノミーをみる 来世に向 ぅ 傾向 にょ れば現世を ︵Ⅱ︵ ゴデ ・㍉の ぺ ・

トマンは正しい。

鮫 すればその道徳的 標準はより低いのである。

らも次の批判をも

して包括せられるな

を 取除く。㈲宇宙に

、 偽りとなりこの 経 いであろう。

(13)

験の正しい理解に基づくものではない。

Ⅱが コけい の 再年 e 臣い e ︶ 臣 観 性と大統性をもつ

が 宇宙大の恵みをあ

かる考察に鑑みて ハ

のような神の存在 認識せられえたい、 ︵ま田: ぎ 9 、と彼は力説する。

批判

価値の創造と保存

源 として、歴史を貫く人類の認識作用と思惟 能力の宇宙的喚起者

な 働をみる。更に自

ぃ由 : 0 ゴ曲づ p 目 目 、目 い 、

支持激励なくしては

る 。

︵のりのけ 0 ヴ ︶ 0 のの e Ⅱ : 一 6&

教 批判は人類宗教 体

(14)

・ ト のの︶ % 利 があることを認め 宗教は人生の神秘を

歩神秘をみる。神に は 慎重に考慮さる べ ある。 のロ の守ガ コ鰻コ Ⅰのの 優先的に考えること mN は ︶年のⅡ お 内臣 0 ︶ と と人のみに目的をみ マンは 弘 而二Ⅰ る 。︵Ⅰ ヴ田 : 吋お ・Ⅱ 8 ︶

批判

この点においてル一テル、バルト、 キ ヱル クゴ |ル 、プル ン、 ネル 超越的主権︵ 田 ︵ミ千 Aol ゅ丹め ︶これらの 思 、文明全体を根底か 活 が如何に罪深いか ルトマ ソ の 反 基督教論 一一一一 2 ア 0

(15)

一四

知る。第二に 、 人が

遠の相において宇宙

る 。換言すれば、 ょ

越性 とを痛感せしめ る 。ル一テルならずとも

の毛

0 幅 0 ・の で由 0 す田 監 ㍉田田の 目 なる詩篇の句を思わずにはいられない。

集中的に関心をも

果 をも神学や哲学と

見した数学的な首尾

より大なる感激をも

べ,あ ︶宇宙全体を高

日曲口 コミ。 土 ・の せ日,

Oh H& のりの・ HS 曲 ・︶

㌧ ゴ臣 0 の 0 づゴげ凹づゴ の |

鑑みて、一層感嘆 す 宇宙てある。 ガ玉

(16)

できない。世俗的

大慈悲が分裂して 個

︶、と主張する仏教

激的 体験を語るキリ

重 なる善にしても、

存する。神の召し

今日の世界情勢が最

、 召しの意義の個人

期することも不必要

源 に神の触発と イ由

レ ・Ⅱ・円のせ ロ 0 プづゴ の か ︶ことも可能であ

口 できない。

る 。しかしかかる

義 、秩序、自由の二 一

社会の秩序と正義は

よって乱されがちで

高い水準へ引 き あげ 一五 ハルトマンの 反 基督教論 牡 2

(17)

一 Ⅰ / 、

: p コ Ⅰ , 日の

の ぃ Du

なぎところにおいて

ような暴君に変化す

者ではなく国民全体

保証するような憲法

有力者に、最も深刻

経済、社会生活に正

数曲信仰の下自己批

まちを除くべぎであ

してはならない。 神

、 日々に内的な意味

時代における経済

解や対立の愚かしさ

もって、その宗教 そ の 宗派を評価する尺度とすべぎである。

に と も 実業家、政

よ う 、宗教は世界に

"

(18)

平和を う ちたてる 第

なう み、共産主義の

ような協力の欠如に

ら 宗教八一同の怠慢

げつつあるのではないか。

イデオロギー的 汚

仏 、海印三昧等の叡

を 防ぎ 、 高 い 理想 達

の相 佐相待的関係を

除されえない神の くであろう。

ぎ 姿はあらわれは じめる。

は 不適当なものが る 神の存在を否定しえない。

のを否定すること にはならない。 ハルトマンの 反 基音数論 一七 274

(19)

︶ととのうちに、共に大なる神秘をみる。

る 。

沖ブ 甲

不滅

亦 、人の不死性を示唆丁る

とめることを要望する。

咀る 。

う な ろ う 。

白勺

ので

明し

る神 め てもない。し ことはないであ の認識が深くな はないか。 宙 全体の時空を えたいものはな の目的を乱す 歴 る 。 観察せられた字 性を物語る, 経 保存と増加につ 歴史はこの道徳 八 汐 5

(20)

はたしてぎた役割 を 指摘しなければならない。

もっ ぎ ものてある

る 覇気を失うことな

確信と更に高ぎを ぎ

、皮肉な批判的な 、

二のル一テルが生れ 牡ゲ

教 の 功 ・積である。

たことがある。これ らんと努力しなけれ

る 芸術を うな 原動力 ある。

ればならない, 秋

にその例をみる。 あ 物語ったのをここに引用したい。 ルトマンの 反 基督教論 一九 を 痛感せずにはいられない。 ガ 6

(21)

ハルトマン紹介

㏄大学で教え、

て 教えた。著書

ぽ ・い の ㏄ 申 @ の ピつ H ら 一

己妻。 蛋 。 オガ 0 ぃ ︵・ レゅお 一之 e 目の旧の港 年 のぺ 0 コ ︵ opo 四 e. ︶のか 0 、その他。

ぐまれ、毛皮下

い 関心をみせなが

思われる。

ほ ついて論じた

とはない忙しさ。

たぅ 。刻々に 変

が 終りに近くねっ

めになる訓話がな

し、 聞く者の胸は 男主 田 し旦 9 き る 、であり ぅ るであろう。

の水泳、朝食後大 二 ① 打

により、大陸の堆

(22)

ヨハネ伝福音書の構成は廃ガ

グ ︵

@

︶には

ている。

点にあったと考えられる。

そして、この神学的色彩を鮮かに有する

ヨハネ伝に於けるロゴスについて

278 て ス あ 論 て か 福 展 ト

閲読

し が 蚤 の

ィの

の ゴ で、 ス

会 れ ら 、 5 色 る キ

成るれ信に彩

5 。 リ 止 め る 仰 、 を ス 論 。

て、 あ

@ な し ら し は こ そ の 著 響 ま 者

は 及 し の れ で る ぼ く

書た

も で め円、 し か は の 一 あ の た か 、 で つ ろ

か ス 、 に と て 仰 ア ら こ " し " 書 レ 成 キ ラ キ て 著 と キ 立 し り 見 者 見 サ し

11

の宗教史的背景との関聯

宇野光雄

ヨ / Ⅰ ネ 在

丁 壺

る ロ コ

スにづ

(23)

279

。単なる﹁言葉﹂に

が 出来るであろう。

ば 、一切のものを

結局主人公は、この

論 をもつて安んじ

ウストの如く

先ず

一一一一 ス ・キリスト論の 薦 めに,この福音書のロゴス・キリスト論と、 その宗教史的背景と の 関聯を明らかにしょうと思 う 。

(24)

ぎ なのか。然しそ う

﹂何故ならば、 ョハ

一話、又は一文章を

を 正当に言い当てて

り 、ますます問題の

になるのではないで

帰ってテキスト・自身

であろう﹂ 察することから出発しょうと思 う 。

㈲の

0 の手 R 局 pE 降 ・ 口 ︵母の︵ づ臼 , 目 08 よ の

ハネ 伝 五章十七節

身も労働者であ

照 。

いる文章形態上の 二種類の箇所から。 成

であり、第二の形態 は 、散文的な且 つ 論争的なそれである。

子が全く変り 、第 一一一一一 ヨハネ伝に於けるロゴスについて 280

(25)

二四

形態になり、 文 十五

てくる。

あるが、更に今 第

である よう に思われ

十六節の㍉そのみち と 考えられるのである。

出すことが出来る

、第六節から第八節

更に、この福音書 の

のを借用して、それ

- 何故ならば、先ず

を 読者に説明を要し

|テの ファウストの

いては、著者の予想

の ,久章をどこからか

であろうか。

は 独自のキリスト

れに類似するものが 恭 1

(26)

ちに旧約聖書創世

八年 対ち * 勒 V と訳さ

プハ で。︵ け ・ 卸 ・ ロ ︵・ め p. ⋮⋮ し ョ ハヱ仏に於けるロゴスについて 二五 282 一 一

を 使用、 猶こ 、ではテキスト批評は省略する。

のむ︵︵∼ コ ㏄の コド の如の・の・ N

トマ ソ の上掲青二 頁 以下参照。

はせ ・ P ㏄ せ ・

. く ・︶ ダせ ・ H 汗せ

.H 空である。

笘ヨ Ⅰ・ ロの Ⅰ 目 コト ゆつ の・の・ののの,の・ かのひ ・ ぃ援 ・Ⅱ・ 毛 0 の神 00 再 づオ のの 0 留 ︶曲ト c | 8% 住 Ⅰ臣位 圧 0 の ヴ目 0 ダ巨 ・Ⅰのめ ム ・ づ ・ め

、新約聖善解題、 新教出版社、昭和二八年・二八一 | 二九二頁参照。 p 一グ との関聯を考 察しなくてはならないてあろう。 鼻 をなしている 当 の福 土日書から︵ 田 ︶・ 笘 弘布されていたので はないかと考えられるのである。

(27)

な れ 在 の で、 そ 鉾 で 主 悶 え こ い て す Ⅱ こ あ さ れ ま 、 宰 旧 聯 る の

しり が び

門口内

ロ くづ 宙の

は あ そ の で 妹 人 神 人 次 な っ 口

個 の い 0 二

M@

%

し Ⅱ 。 ゴ 方へ ・ 、 -

@ は

神曲

の ム ダ 9

日「

0

1 の 約

寺 の り 、 。 円 コ が め 有 吉

三ヨ す 葉 る - ・

」 る 人 一 味 指 と し て し 詞 あ す

口 の 一 一 る ぃ 神 あ J ""'" @ 山 / Ⅰ と は と ろ グ は 考 私 共 ぅ

ぇ 号 に か

る と は 。 貝 D 臣 か 又 こ し じ フ 。 コ 。 と

と て め 臣 ス の づ は 使 か ロ p@-@ "" 一 一 せ き 山 月 ら l と 応 ぜこ の 来 さ 存 ク

げ 0 者 283

(28)
(29)

しての歴史の把握 て

﹂実現の思想である。

ストに敵対する悪魔

る 外形上の関聯から

を 得ない。然らば 両

察する時、次の如 き

ということである。 エ ルに関係するとい

︶ 0.

ト ︶

、一切

づけ

0 田は光である。

住居をイスラ

口コ

ま甲

おさ

n

oF

日の︵智慧︶

あるということ、

二八 285 る 永遠なる存在で

(30)

され、

至ったのであるが、 ョハヱ 仏に於けるロゴスについて で、 は ﹁ロゴス﹂は、神話的形姿を 二九 286 他の伝承を求めて 行かれ は ならないわ 0 対象から除外して レイトスに始まると

湘鑓

要旨Ⅰ

0 グい

0 幅

om

田圃・

仁 0

の蕗の︵

0 コ︵・

&.

口がコロ・︶のも

N.

の・

P ㏄

Ⅰ Ⅱ 目 ト 。

Q.

ポハ

@ Ⅰ 生 - nm

ち @ p.

山ト ・

0.

の・

H Ⅱト

ド半

㈲㈹

由幸日当

p.p.o.

の・の・

ぎョ織季品

の ・

0 ㌣ⅠⅠⅡ

い のむ

N.

づ ・︶の

ることが出来るであろう。 ㈲ Ⅰの ゴ o ガ a5 1円 オ 0 ︵ 帥

神話に起源を有して

、両者がその起源

如く

ぎかえて

ぅ 信仰 というような思想 を 旧約

にその起源を求めることは出来ない。

(31)

二頁、一五一頁、一五二頁。

コト

の 臣由の

・ つ

む ヴソコ的

e コ

・ 目ゆ

㎝ 円 ・の・

の の ぃ

㈲の

蚕 ︵︵の︶ "p.p.O. の L 簗 ・参照。

者 と見られた。

に 至ったのでな く 、ロゴスは依然として概念なのである。

三ひ

肝 '

@ )

一 '" 一

法則性であり、

甚だしい相違のある

いる。一方は調和の

を意味している。

﹁内在Ⅱ日日い下の

コぃ

。コス﹂は概念である

、ギリシャ

哲学的

スヒ

との関聯を考察する必要はないであろう。

(32)

その宗教史的背景との関聯を求めて、旧約、 ユダヤ教、並びに

つた。従って更にか

ことが便宜てある よう に思われる。 特徴を概観しておく

しくとった地盤

キリスト教は次第

ほ想 教養信仰に接触

たのである。このへ

のが、いわゆる八のせ コオ no ヰ雀 づ 岸の V に外なら ない。元来古代ギリ

て 自己のうちに摂取

イ オニュ ソス の宗教

け入れ、之を在来の

v の崇拝、 挨汲め

V 及び 八 卜の三の宮 0 のⅤ

し く 、東洋の密儀 宗

つた。このように、 一一一一 ヨハネ伝に於けるロゴスについて 288

(33)

グ に 現 で に ト 二 わ る 的 東 7 回 の 一 あ り " 形 で、 ユミ " て " " O 頁 l 日 に 参 、 ン 由 の @ Ⅱ 又 照 。 ヌ、 @ @4 よ の に 入 伸 も れ 話 取 ら な り れ マ 収 入 て の り れ %

入ら

れれ、

り 七二 ' 。 。 "

た シ は 学 の 形

従 態

こノ ス オ は ょ 俺 、 有 っ の そ 河 ト リ 臭 う 想 な 宗 ン い 叩

289

(34)

ヨハネ伝に於けるロゴスについて 一一一一一一 。 " 0 グノーシスの地位につ

げればならない。 種々多様である。然し 元論勺

一フま、巨ヰ

白 モチ ︵Ⅱ共通せる思想であるから、 4 我々は 、 先ずこの際、 グノ を 進めて行こ うと 思 う 。 乃至火花である。音大 ﹂れらの光の片が悪霊 共

のである。 かぅ して 造

たら、彼等の世界はも

間の内に閉ぢ込められ ぅ とする。然し人間のあ いて、概観したのであるが、更に 、グノ| いずれにしても、その背後を流れている 二 一 シスの二元論的体系を明らかにする 為、 上 のこの光の原人が南の国の悪霊共の手中 にとって丁度 磁 尺の引力のような役をし られた世界は天上の元の世界の模造であっ との混沌へ顛落するであろう。そこで彼等 た 火花 | これが人間の自己である1 % 集中 るものは眠り込むが、あるものは、眼を醒 五

め ・の・いの

力 ・ 巾三

︵ ヨの

ココロがの

C

おゴ

︵巨の

コ 日ヨ・

ダトロ

一八一頁。

の ・ ゆ

いの﹁

0 年三・ミ

リ のののⅠⅩⅩ

せ Ⅰ︵ H,

Ⅱ・ ゆ

(35)

によって秩序づげられている統一体であり、

。ギリシャのクノー

闇が自分だけで

散々になった

てもとの原人の光

かる法則性こそが

寸兵

人間の死

り、伺う にかして、そこから 遁 めに、 己 れの子である天上の光 を 身にまとい、姿を変えて地上 に 故郷を思い出させ、帰り途を 捜 する。 数 に 人 れ え 下 を ょ る る 地 ぅ 。 上 と 三四 2%1 する。光の王である最高の に っ かわす。神の子は悪霊 神の子は光の片 共 1人間の そして宇宙の悪霊共の関所

(36)

ヨハネ伝に於けるロゴスについて 三五

ない。此の世から

は神から遣わされた ㈹ される。

口 ︵月日・ p H のめ 参 照 。 一一八頁による。 ㈲ブルトマ ソ 上掲 書 一八四頁。 は、 此の世を肯定 し、か、る 人問 たと考えられる。 六頁、一八六頁、一八八頁。 ぅ 思想は存在し得ない。 の 創造 観 を除いて

乱 さ e ﹂との 会

の 自己が本来神約 領 ㈹ 牢獄であるからである。

(37)

打 ・の・のの 目 ︵・参照。 人は悪魔の子︵ 9 色じであり、蜀の奴隷︵ ダ 毬ム と てあり、 元 よりむ しろ闇を好む︵が︶の ハ ︶存在である。 ㈲ 力 ・ いヒ 年日 がココ @H リが の C Ⅰの オコ ㏄ ヰのコ侍仁ヨ ・の・㏄ め目 ある。 、円

の子 こ イェスの姿

を目 あぎにするもの し 、御子の任務は 、

ば て、 自 已の下に集

此の世から昇り、 彼 御子は神が此の世の 論の図式と、 グノ|

いように思われる。 おいて、プロローグ

への受肉が説かれ、

一一一

よ、ノ

3

関しては、あとで

明に表わしているの

(38)

いることになるであ

ぅか

。既述の如く

理解、乃至は解釈

見ることが出来るで

の v

の結果、その

如く、ペルシ

大王のぺ

シヤ帝国

ノ ノ 。

、神的なる存在

るものを

C

、この

ある。

ヨハネ伝に於けるロゴスについて

三七

鴉 4

(39)

しても、その二元 である。 的 諸文献、並びに 名前で表現されて ㏄ V, 八あ 丈もち 巳 月白 切 V のである。 ㏄・ ネ のの 0 コ 円仁 の ・ 性ト ・︶ 笘 の で がⅡ 曲 ︵・ めせ が | 固 づ ㏄・ ついナト ㏄︶

信ずるものを解放 ㈲ せんとした 三八 295 が 天使,相続 天 た ⋮⋮。 と, 臣ゴス から 忘世 造り、そこに住ん 王 たらしめんとし

(40)

的 存在であり、 従

的 機能、救済論的機 、救済の為めに 此

、ここに 拾 いて、プロローグの口コ ゴス しが、 仝述べた、種々なる

していると考えるこ

ことが出来るのであ る 。

盤 に求める事は出 来ない。

偉ガ v 神話にその

デイズム・オフ ノ ア 頁 参照︶

臣ンの ロゴス教義の

ウロ の書翰にも ︵㌧ 日 p. N. の 1 い トぃト 口 - ハ : 0@ ㎡ 舌 Ⅰ めロ : h 立ゴ qE コぬ 三九 ヨハネ伝に於けるロゴスについて 刃 6

(41)

いていたよさであ

が 出来るであろう。 り P 口 偉 ︶︵︵ コリ 3 コ。口お 目 qn ゴ 九の︵の︵︶ か ヒヨ・の・ NNo ㈲ 0. 臣 ︶ e は 宵宵 " ヂヂ 0, の ㌔㏄ ㈲㈲ ブ フライデラ 一 上掲吾一 0 一頁以下参照。

目 Ⅰ・︶㏄ 自

の ・ ト 。 ユ ・ ノ ・Ⅹ

なくては、なら へ

たのであるが、 こ なって現われるに至ったのであⅠ。・Ⅱ

︶ロゴス﹂は多くの

い 。・・ 顕簿絃串由 09 %0 |

0 のである。要する のである。︵の 色 ・旨 い抽コ ・㏄︶

ろ う 。プロ p ー グ 口 O 囲

な 同一を述べている

(42)

プロローグに中上 ち ヨハネ伝に於けるロゴスについて 四一 298 この な神性 且つ教 の人間 んでい に過ぎ ノーシ か 、トーの︶

多くの神秘的

脅威であり、

スに払

いて

ロゴス﹂と

︵︶・︶

0 甘コ

からも

覗、フ

ことが出来るであろう。

曲の由の

,い

・めの,

兄人間としであら

では、イェスの名に

いて地上の人間として、

あらわれた乞目㏄

は敵

, 化

笑いって

る 。

は 、歴史的人格と

ス とは別の姿をと っ ぇば

(43)

ヰ しの ぺ 目口・︶の斥の ぴ ・㏄の㏄

上場孝一 0 九頁参照。

つで、このことを考察して見ようと思

にあらわしていること

てあることではな

Ⅴという

語か

証明して

c 。ロゴス﹂の

先在

、此の世

てめ 。

必要ばなかった

、神話を語。

﹂とになって了ったてあろう。

八を借用

し、

而も神話か

あり、真の仲保者︵ロゴス︶

説かず、人間が伸

創造に

まても人間世界を注視して

-

で、

@. 一の福士日豊口は

、グノ

撃し、

且つキリスト教の教

したのも、その一つは

既に述へた通りてある﹂︵不文二七頁︶

。てして

-

このことをⅡ四節の八ぎ &

ト ∼めてⅤ

固 研

,何故なら。語り手の主体が、神話に

創造に関する叙述は

全く 烏辮 的なもの 反省からではなく、おくまても、神の唯一

、三苗

ぅ ことが出来る

あろう。従って

あろう,生月 し、そミ

ノ 二リ

れば、プロ 口一グ ら 脱却して、

イェス

こそ、神の唯一の

神の独子として、説 き 得たと息われる。

るにもかかわら す 、本来的に悪に属する 得た体験と、神に対する信仰から出発して

シスの神話の図式によりながら、それと 義 上の危機を守り得たと思われる。

同時 かる点にあったてあろう。 四二

(44)

ョ ハヱ仏石於けるロゴスについて 300 ㈲ ブ フラノ・デラ一円 拐 淳一 0 一頁 け 小参照。 ㈲ プ フライデラ l% 拐苦 四六二頁。 の ・ ト ギソ テル上掲 菩二 二四頁。 得たよ う に思われる﹂

かて﹂既に朗唱

、福音書にあらわ

もののうちで朗唱 いか、彼は神の絶

の 教団から去って

ゴ リコ 申 e の・の・の奉詔︶

多 / 、の 問題か 残キ 。 い - づ

本号執筆者紹介

紀元国際基督教大学教授

宇野光雄北海道大学文学部助手

参照

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