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龍谷大学佛教学研究室年報 第20号(2016) 003杉本 瑞帆「Anavatapta-gathaにみられる仏弟子の偈頌と「是第一の弟子」の仏弟子伝承」

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全文

(1)

Anavatapta-gāthā にみられる仏弟子の

偈頌と「是第一弟子」の仏弟子伝承

杉本 瑞 帆

0.

は じ め に

Anavatapta -gāthā(

以 下 、 AG と 略 す

) は ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 に お い

て 、 釈 尊 と そ の 弟 子 の 上 首 た ち (

29 ま た は 36 人

) が 、 各 々 の 過 去 世

を 想 起 し 告 白 す る 偈 頌 の 集 成 で あ る 。 そ の 中 で 弟 子 た ち の う た う 偈

頌(

弟 子 の 章

)の 一 部 に は 、彼 ら 個 別 の 特 出 し た 能 力 が 釈 尊 に よ っ て

各 々 認 め ら れ て い る 。そ し て 、そ れ ら は Aṅguttara-nikāya(

以 下 、AN

の Etadaggavagga に 説 か れ る「 是 第 一 の 弟 子 」

( etadagga)と 一 致 す る

こ と が 指 摘 さ れ て い る

1

。Salomon[2008]に よ る ガ ン ダ ー ラ 語 写 本 研 究

を 参 考 に 、「 是 第 一 」で あ る と 確 認 で き る 4 人 の 弟 子 の AG テ キ ス ト

を 復 元 ・ 考 察 を す る こ と に よ っ て 、 仏 伝 文 学 中 に み ら れ る 仏 弟 子 の

説 話 の 重 要 性 を 再 考 す る こ と を 本 論 の 目 的 と す る 。

1.

AG に つ い て

AG は 、雪 山 の ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖(

Pā. Anotatta, Skt. Anavatapta, Chi.

無 焚 、 無 熱 悩 、 阿 耨 達

) で 仏 陀 と そ の 弟 子 の 上 首 た ち が 、 自 ら の 過 去

世 の 因 業 と 、 そ れ に よ る 現 世 で の 果 報 を 詠 う 偈 頌 の 集 成 で あ る 。 彼

ら の 過 去 世 の 行 い は 善 行 だ け で は な く 、 殺 人 や 誹 謗 等 の 悪 行 も 説 か

れ る 特 徴 が あ る 。 仏 陀 や 仏 弟 子 ら 阿 羅 漢 果 を 得 た 人 物 で も 、 現 在 世

(2)

で の 苦 果 の 因 か ら は 逃 れ ら れ な い と い う 摂 理 と 、 つ い に 釈 尊 と お 会

い で き て 涅 槃 を 得 た 彼 ら の 現 在 世 は 最 後 生 で あ る 、 と い う 二 つ の 主

題 が 説 か れ て い る 。

1.1. AG 研 究 史

Salomon[2008]に よ る 包 括 的 な 研 究 か ら 、AG の 研 究 史 は 次 の よ う に

述 べ ら れ て い る 。

1947 年 、 Dutt に よ っ て Gilgit Manuscript の Mūlasar vāstivāda-

vinaya(

以 下 、 MSV

)Bhaiṣajya-vastu が 刊 行 さ れ た 。 AG テ キ ス ト は

こ の 律 中 に 仏 伝 の 一 話 と し て 結 合 し て い る 。

pp. 162-218

)た だ し こ こ

で は 23 の フ ォ リ オ が 確 認 さ れ て い る が 、 そ の 7 つ は 失 わ れ て い る 。

MSV の AG が 最 大 36 人 の 弟 子 の 章 と 釈 尊 の 章 で 構 成 さ れ て い た と す

る と 、 現 存 す る も の は 弟 子 の 1-22 人 目 と 、 26-32 人 目 、 そ し て 最 後

の 釈 尊 の 章 で あ る 。そ の 後 1954 年 に 、Hofinger が チ ベ ッ ト 訳(

Narthang, Peking

)を 基 礎 と す る AG の 研 究 を 出 版 し た 。こ の 当 時 は ま だ AG と

呼 称 さ れ て お ら ず 、

Sthavirāvadāna と い う 副 題 が 与 え ら れ て い た 。

1982 年 に 第 1 巻 の 二 版 が 再 版 さ れ 、 1990 年 に 第 2 巻 が Légends du

Bouddha (

Budhāvadāna)

と い う 副 題 で 刊 行 さ れ た 。

1961 年 、Bechert は Gilgit Manuscript に 含 ま れ る AG テ キ ス ト だ け

で な く 、 中 央 ア ジ ア 出 土 断 片 (

ト ル フ ァ ン 出 土 断 片

) に も 着 目 し 、 考

察 を 加 え た 。彼 に よ っ て MSV の チ ベ ッ ト 訳 ma dros pa’ i tshigs sub cad

pa か ら Anavatapta-gāthā の 題 名 が 与 え ら れ た

2

2 AG-Tur( 464d)も a[n]…と テ キ ス ト 名 の 最 初 の 音 節 で あ る a が 明 瞭 で あ る 。ま た 漢 訳 文 献 に も そ の 名 前 を 追 う こ と が で き る 。 ① 佛 陀 跋 陀 羅 、法 顯『 摩 訶 僧 祇 律 』巻 十 三「 明 單 提 九 十 二 事 之 二 」359-429 年 [T22. No.1425, 336c-337a]「 若 比 丘 受 共 行 弟 子 依 止 弟 子 八 群 經 、 波 羅 耶 那 經 、 論 難 經 、 阿 耨 達 池 經 、 縁 覺 經 、 如 是 等 種 種 經 」 ② 竺 佛 念 『 鼻 奈 耶 』 巻 七 「 波 逸 提 法 之 一 」365-381 年 [T24. No.1464, 884a-b]で は 長 者 シ ュ リ ー グ プ タ の 説

(3)

序 文 を 含 む 冒 頭 部 に つ い て は 、 松 村 [1989]に よ っ て デ リ ー コ レ ク シ

ョ ン の No.1/3 が ロ ー マ ナ イ ズ さ れ 、そ の 後 Wille [1990]に よ っ て さ ら

に 先 の 部 分 も 含 め て 刊 行 が な さ れ て い る 。 ま た 、 律 の 『 薬 事 』 に つ

い て は 八 尾 [2013]に よ る 和 訳 が 出 さ れ た 。

1.2. AG の テ キ ス ト

Salomon[2008]に よ る 分 類 で は 、 以 下 の と お り で あ る 。

〈 独 立 の テ キ ス ト 〉

① The British Library Manuscript

3

大 英 図 書 館 本 断 片 (

以 下 、AG-BL

② Senior Manusucript

4

シ ニ ア・コ レ ク シ ョ ン 本 断 片(

以 下 、AG-S

③ The Turfan Fragments

5

新 疆 出 土 ト ル フ ァ ン 断 片 (

以 下 、 AG-Tur

④ 竺 法 護 『 五 百 弟 子 自 説 本 起 経 』

6

T4. No. 199, 190a -202a

) 303 年 訳

話 に 続 い て「 時 毘 舍 佉 無 夷 羅 母 聞 佛 及 五 百 阿 羅 漢 受 失 梨 崛 請 、詣 阿 耨 達 食 廣 説 阿 耨 達 經 」 ま た 、 ③ AG-S の 二 つ の 「 目 次 の 巻 」 で は

aṇoḏatie/aṇuḏatie/aṇoḏatae と い う 語 が 確 認 で き る 。 Salomon[2008]pp.

9-11.

3 確 認 で き る 弟 子 の 偈 頌 は 以 下 の 通 り 、Nanda, Śroṇa, Yaśas, Bharadvāja,

Vāgīśa, Nandika, Kusuma(Sumanas).

4 Mahākāśyapa の 偈 頌 の み

5 No. 463( = no.48 SHT I.33) キ ジ ル 、 紅 穹 窿 に て 発 見 Śobhita,

Jaṅghākāśyapa. No.464( = no. 49 SHT I. 33 / SHT IV. 225 -35) 同 上 Svāti, Cūḍapanthaka, Nanda, Bhadrika, Lava ṇabhadrika, Madhuvāsi ṣṭha, Kauṇḍinya, Revata, Dravya Mallaputra, Tathāgata. No.466(=no.50 SHT I.34) 同 上 Śāriputra, Pradhākara. No.1072(=no.662 SHT I.303)キ ジ ル 、 発 見 場 所 不 明 Sumanas, Koṭīviṃśa.

6 MSV の 37 人 分 の 章 の う ち 30 人 の 章 を 含 む 。Dravya Mallaputra, Upasena,

Hetu, Kauṇḍin ya, Upāli, Prabhākara, Revata が 含 ま れ て い な い 。 MSV よ り も 古 い 形 態 を 保 持 し て い る 事 と 、最 後 の 釈 尊 の 偈 頌 が 唐 突 に 有 る 事 か ら 、 本 来 は さ ら に 多 く の 弟 子 に つ い て 述 べ る と こ ろ を 、何 ら か の 理 由 で 急 遽 終 わ ら せ る 事 と な っ た の だ ろ う と 指 摘 さ れ て い る 。干 潟 [1954]p.125. 一 方 Salomon は 、Dhr は 弟 子 の 7 名 が 欠 落 し た の で は な く 、原 型 は 29 名 の 弟 子 と 釈 尊 の 章 で な る 30 章 で 完 成 し た 形 で あ っ た可 能 性 が あ り、AG に は 長 い も の と 短 い も の の 二 つ の 流 れ が あ っ た と 考 察 す る 。 Salomon. ibid. pp. 25-26. MSV と Dhr の 弟 子 た ち の 順 番 が ほ ぼ 同 一 で あ る こ と と 、そ れ に 対 し て「 是 第 一 」の 記 述 の 説 話 部 分 の 一 致 が や や 少 な い 点 か ら 、Dhr は 古 い 形 態 を 保 存 し て い る が 、 流 れ と し て は MSV の 伝 え る 説 話 と は や

(4)

出 (

以 下 、 Dhr

〈 律 に 結 合 さ れ た テ キ ス ト 〉

⑤ Sanskrit (

Gilgit

) Text →Mūlasarvāstivāda-vinaya,

Bhaiṣajya-vastu

7

Tibetan Text →Sman -gyi-gzhi

8

Chinese Text →義 浄『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 藥 事 』巻 十 六 、十 七 、

十 八

9( T24. No.1448, 76a-97a

) 703 年 訳 出

〈 引 用 ・ 抽 出 な ど 〉

Apadāna 弟 子 の 名 前 は 多 く 確 認 で き る が 、 以 下 3 点 を 除 き 内 容

が 一 致 し な い 。

i. Ap. 386. Koṭīviṃśa の 偈 頌

ii. Ap. 387. Pubbakammapiloti (

釈 尊 の 章

iii. Ap. 333. Prabh ākara の 偈 頌

1 0

Theragāthā

1 1

⑩ Nettippakaraṇa

1 2

⑪ Kaṭhināvadāna

1 3 は り 分 岐 し て い た と 考 え ら れ る 。 7 7 つ の 章 が 失 わ れ て い る う え 、 他 の 全 て も 不 完 全 で あ る 。 Piṇḍola Bharadvāja と Svāgata の 断 片 的 な 記 述 を 含 ん だ断 片 が 有 る 。

8 36 人 の 弟 子 MahāKāśyapa, Śāriputra, Mahāmaudgalyā yana, Śobhita,

Sumanas, Koṭ īvi ṃśa, Vāgīśa, Piṇḍola Bharadvāja, Svāgata, Nandika, Yaśas( I), Śaivala, Bakkula, Sthavira, Uruvilvā-Nadī-Gaya-Kāśyapāḥ, Yaśas(II), Jotiṣka, Rāṣṭhrapāla, Svāti, Jaṅghākāśyapa, Cūḍapanthaka, Bahuśruta, Aniruddha, Mṛgadharakālaputra, Rāhurla, Nanda, Dravya Mallaputra, Upasena, Bhadrika, Lavaṇabhadrika, Madhuvāsi ṣṭha, Hetu, Kauṇḍin ya, Upāli, Prabhākara, Revata,

最 後 にTathāgata と 続 く 、 最 も 登 場 す る 人 物 の数 が 多 い 。 9 Tib, Skt と 全 て 対 応 す る 。い く つ か 詩 句 が 不 足 す る が 、概 要 は 一 致 す る 。 10 上 記 2 点 に 比 べ る と MSV と は か な り 内 容 的 に 異 な る 。 11 Aniruddha . (v. 910-19.)AG チ ベ ッ ト 訳 、漢 訳 に 残 る 。サ ン ス ク リ ッ ト 、ガ ン ダ ー ラ 語 の も の は 失 わ れ て い る 。 Salomon.ibid. p. 29-30. 12 Mahākāśyapa. 13 ア ナ ヴ ァ タ プ タ の 説 明 、 シ ャ ー リ プ ト ラ と マ ハ ー マ ウ ド ガ リ ヤ ー ヤ ナ の 神 通 比 べ と 前 世 譚 及 び 釈 尊 の 過 去 世 の 物 語 (10 の う ち 3 つ)。

(5)

⑫ 釈 尊 の 章 の み

i. Avadānakalpalatā (

Bodhisatvāvadānakalpalatā

)

1 4

ii. 康 孟 詳 『 佛 説 興 起 行 経 』 (

T4. No.197, 163c-174b

)

1 5

以 下 、『 興 起 行 経 』

iii. 龍 樹 造 『 大 智 度 論 』 (

T25. No.1509, 121c8 -15

)

1 6

⑬ そ の 他

i. Karmavibhaṅga

1 7

ii. Mahāvastu

( III, 174. 20

)

1 8

1.3. AG の 構 成

AG は 断 片 で あ る AG-BL、 AG-SM、 AGTur の 写 本 を 除 く と 、 全 体

が よ く 保 存 さ れ て い る Dhr と MSV か ら 物 語 構 成 が 次 の 四 部 に 大 別 で

き る 。

A. 序 章 (

ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 の へ の 出 発 と そ の 理 由

Degener[1990]に よ る 翻 訳 が な さ れ た ネ パ ー ル 写 本 が あ る 。ア ナ ヴ ァ タ プ タ で の 弟 子 と 釈 尊 の 集 会 を 用 い て 、サ ン ガ へ の 布 施 と 美 術 品 の 利 益 を 説 く 。 14 A. D. 11C。 シ ャ ー リ プ ト ラ と マ ハ ー マ ウ ド ガ リ ヤ ー ヤ ナ の 神 通 比 べ と 前 世 譚 。 釈 尊 の 過 去 世 の 物 語 ( 10 の う ち 3 つ)。 15 MSV と『 五 百 弟 子 自 説 本 起 経 』の 最 終 章 。釈 尊 の 過 去 世 の 物 語 の み 。と く に Tib に 合 う が こ ち ら は 韻 文 と 散 文 で 構 成 さ れる 。訳 出 年 代 は 『 仏 書 解 説 大 辞 典 』 小 野 玄 妙 [1990]3. p. 384 は 康 猛 詳 訳 で 194-199 年 と す る 。 干 潟 [1954]は 訳 者 が 異 な る 可 能 性 を 指 摘 し 、 文 体が 『 中 本 起 経 』 に 近 い 点 か ら 2 世 紀 末 ~3 世 紀 初 頭 の 訳 出 とす る 。干 潟 上 掲 書 pp. 124-125. 岡 野 [2006]は 経 録 に 名 前 が 登 場 す る 5 世 紀 ご ろ と する 。

16 釈 尊 過 去 世 の 9 の 物 語 の み 。 Kaṭ hināvadāna 、 Avadānakalpalatā と 部 分 的

に 一 致 す る 。

17 Nanda の み 。 た だ し 、 出 家 物 語 を 含 む 。 Tib, Chi, Tocharian, Sogdian,

Khotanese に 翻 訳 。

(6)

舎 衛 城 (

Pā. Sāvatthī, Skt. Śrāvastī

) に い た 一 行 が 宿 命 通 を 現 す

た め に 、神 足 通 を 用 い て 四 大 河 の 湧 出 す る 秘 境(

ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖

) へ と 至 る 、 導 入 の 物 語 。

B. シ ャ ー リ プ ト ラ(

Pā. Sāriputta, Skt. Śāriputra

)と マ ハ ー マ ウ ド ガ リ

ヤ ー ヤ ナ (

Pā. Mahāmoggallāna, Skt. Mahāmaudgal yāyana

) の 神 通 比

べ と 前 世 譚 。

MSVの み

1 9

に み ら れ る エ ピ ソ ー ド 。 不 在 の シ ャ ー リ プ ト ラ を

神 通 第 一 の マ ハ ー マ ウ ド ガ リ ヤ ー ヤ ナ が 呼 び に 行 き 、 湖 に 連 れ

て 戻 る ま で に 二 人 が 神 通 力 を 競 う 物 語 。 そ し て 、 そ の 勝 負 の 因

縁 と な っ た 三 つ の 前 世 譚 が 語 ら れ る 。

C. 弟 子 た ち の 過 去 世 の 告 白 (

29人 も し く は 36人

)「 弟 子 の 章 」

Dhrは 29人 、MSVは 36人 の 弟 子 の 章 が 存 在 す る 。

注 8参 照

)弟

子 た ち の 順 番 に 多 少 の 移 動 は あ る が 、1人 目 は 必 ず マ ハ ー カ ー シ

ャ パ (

Pā. Mahākassapa, Skt. Mahākāśyapa

) で あ る 。 過 去 世 の 善 悪

行 を 告 白 し 、 自 ら は そ の 因 果 に 縛 ら れ て い た が 、 今 生 で 釈 尊 と

お 会 い し た こ と で 涅 槃 を 得 て 、 清 涼 と な り 最 後 生 と な っ た 、 と

説 く 。 何 人 か は そ の 最 後 生 で 、 釈 尊 に 「 こ の 因 縁 か ら 是 第 一 で

あ る 」 と 認 め ら れ た と 告 げ て 結 ば れ る 。

19 B は 釈 尊 が 比 丘 ら と と も に ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 に 安 座 し て か ら 、 マ ハ ー マ ウ ド ガ リ ヤ ー ヤ ナ に 不 在 の シ ャ ー リ プ ト ラ を 連 れ て く る よ う に 言 う 。 二 人 は 神 通 力 の 強 さ を 競 い 、最 後 は シ ャ ー リ プ ト ラ が 優 勢 と な る 。そ の 後 な ぜ 彼 が 勝 っ た の か と い う 問 い か ら 、二 人 に ま つ わ る 前 世 譚 が 語 ら れ る 。 こ れ は MSV の み に みら れ る エ ピ ソ ー ド で あ る こ と と 、 B の 直 後 に マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 偈 頌 が 来 た の ち 、再 び こ の 二 人 の 過 去 世 の 因 業 が 語 ら れ る 点 か ら 、 後 世 に 増 広 さ れ た も の と 思 わ れ る 。 な お 、『 薬 事 』 に 含 ま れ る AG は 、直 前 の シ ュ ラ ー ヴ ァ ス テ ィ ー と 題 す る ウ ッ ダ ー ナ 中 に 説 か れ る プ ラ セ ー ナ ジ ッ ト 王 の 行 動 を 引 き 継 い で い る 。プ ラ セ ー ナ ジ ッ ト 王 の 行 動 は 、 布 施―彼 の 前 世 譚―い く つ か の ジ ャ ー タ カ 物 語 ―過 去 仏 へ の 供 養 に 関 し て の 質 問 で あ る 。 八 尾 [2013]に よ る 章 立 て を 参 照 し た 。

(7)

D. 釈 尊 の 過 去 世 の 悪 業(

9話 ~ 12話

)偈 頌 ま た は 、散 文 と 偈 頌 「 釈

尊 の 章 」

釈 尊 が 今 生 で 誹 謗 や 襲 撃 、 負 傷 な ど の 苦 し み を 受 け る 理 由 に

つ い て 、 因 と な っ た 過 去 世 に お い て 悪 事 を な し た 事 件 を 複 数 話

説 く 。 物 語 は ほ ぼ 同 一 で あ る が 、 そ れ ら の 順 番 は 各 経 で ば ら つ

き が あ り 、 規 則 性 は あ ま り 見 ら れ な い 。 特 色 と し て 釈 尊 で も 過

去 の 業 か ら は 逃 れ ら れ な い と い う 、 小 乗 的 な 仏 陀 観 が 現 れ て い

る 。

Dhrは Bが な く 、内 容 が MSVよ り も AG-BL、AG-S、AG-Tur に よ く 一

致 し て お り 、 古 い 物 語 の か た ち を 保 持 し て い る と 思 わ れ る 。 し か し 、

Dの 冒 頭 に も 再 度 導 入 と な る 場 所 の 説 明 等 が 示 さ れ て い る 点 は 注 意

す べ き で あ る 。 こ の 二 つ 目 の 導 入 は 釈 尊 の 章 を 抽 出 し た

Pubbakammapiloti

2 0

と『 興 起 行 経 』

2 1

で は 、Aが D冒 頭 に 付 加 さ れ る か

た ち を と っ て お り 、釈 尊 の 章 と 弟 子 の 章 が そ れ ぞ れ 独 立 し て う た わ れ

て い た 可 能 性 も 示 唆 で き る 。ま た 、MSVは A―B―C―Dと 物 語 の 時 系

列 が 整 合 性 を 持 っ た 構 造 を し て い る が 、律 全 体 か ら み る と 、い く つ か

の ジ ャ ー タ カ と 辟 支 仏 の エ ピ ソ ー ド を 経 て AGへ と 結 合 さ れ て い る

2 2

こ の 点 か ら 、 MSVに 含 ま れ る 物 語 は 発 達 し た か た ち で あ る と 考 え ら

れ る 。

20 A+ D の シ ン プ ル な 形 で あ る が 、 こ れ が 含 ま れ る Apadāna 自 体 は 、 [ 釈 尊 の 譬 喩―辟 支 仏 の 譬 喩―弟 子 た ち の 譬 喩 (1)―A+ D―弟 子 た ち の 譬 喩 ( 2) ―弟 子た ち ( 比 丘 尼 ) の 譬 喩 ]と い う 構 成 を 持 つ 。 こ の 弟 子 た ち の 譬 喩 ( 1) は 、Pubbakammapiloti と( 2) に 先 行 し て 成 立 し て い る と 思 わ れ る 。 Bunchird[2007]

21 Pubbakammapiloti と 同 じ 主 題 を 扱 う [A( 散 文 ) ―A’+ D の 主 題 エ ッ セ ン

ス( 偈 頌 )―A’’( 散 文 )―D( 偈 頌 を 挟 む 散 文 )]と 、や や 煩 雑 な 構 成 に な っ て い る 。

22 よ り ス ム ー ズ な 導 入 を 目 的 と し て か 、D に 含 ま れ る「 チ ン チ ャ ー( Pā/Skt.

Ciñcā) に よ る 誹 謗 」 の 説 話 が 、 現在 世 へ の 応 報 の 部 分 を 切 除 し た 形 で 序 章 の 直 前 に も 入 れ ら れ て い る 。 Matsumura [1988]

(8)

2.

AG 弟 子 の 章

2.1. AG に お け る 弟 子 の 章 の 重 要 性

AG は そ の 説 話 に 関 す る 先 行 研 究 の 多 く が 釈 尊 の 章 を 中 心 に な さ

れ て き た

2 3

。し か し AG 全 体 を 見 る と 、導 入 と し て 偈 頌 を 歌 う 場 所 に

つ い て の 説 明 的 な 表 現 が な さ れ て い る 。 そ し て 、 そ の 地 で 過 去 世 を

物 語 る と い う 神 通 力 の 顕 現 に は 、 場 所 の 特 殊 性 が 関 係 し て い る こ と

を 明 示 し て い る 。 特 に Dhr で は そ の 地 理 的 特 徴 が 詳 述 さ れ て お り 、

人 々 の 生 活 す る 町 や 都 城 か ら は 隔 離 さ れ た 秘 境 で あ る こ と が 指 定 さ

れ て い る 。

物 語 の 起 点 を 描 き 出 す 序 章 で あ る が 、 Dhr を み る と こ れ に 該 当 す

る 表 現 が 三 か 所 存 在 し て い る こ と に 気 が 付 か さ れ る 。

ま ず 、 一 つ 目 は Dhr 冒 頭 散 文 で あ る 。 [T4. No.199. 190a6-13]

蓋 、 阿 耨 達 龍 王 者 、 晋 名 無 焚 。 佛 在 世 時 受 別 菩 薩 也 。 有 神 猛 之 徳 、 據 于 崑 崙 之 墟 。 斯 龍 所 居 宮 館 寶 殿 。 五 河 之 源 則 典 覽 焉 。 有 八 味 水 池 、 華 殖 七 色 。 服 此 水 者 即 識 宿 命 。 於 時 、 龍 王 請 佛 世 尊 及 五 百 上 首 弟 子 。 進 膳 畢 訖 坐 蓮 華 上 。 追 講 本 起 所 造 罪 福 。 皆 由 纖 微 轉 受 報 應 。 彌 劫 歴 紀 莫 能 自 濟 。 僥 値 正 覺 乃 得 度 世 。 各 自 撰 歌 而 達 頌 曰 。 崑 崙 ( 雪 山 ) の 五 河 の 源 を 持 ち 、 宿 命 を 知 る 水 を 湛 え た 池 の あ る 無 焚 龍 王24の 宮 殿 で 、 各 弟 子 た ち が 各 々 過 去 世 の 物 語 を う た っ た と あ る 。

次 に そ の 直 後 の 弟 子 の 章 一 人 目 、 マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 章 冒 頭 で あ

る 。 [T4. 190a15-28]

佛 人 中 上 、爲 法 御 。斷 除 結 獄 、遊 舍 衞 。 諸 根 爲 寂 、徳 巍 巍 。如 來 自 告 23 Walters[1990]、 岡 野 [2006][2010]、 並 川 [2001]、 平 岡 [1993]、 Matsumura [1988] 24 MSV で は こ の 役 割 が ナ ン ダ ( Nanda) と ウ パ ナ ン ダ ( Upananda ) の 二 龍 王 と な っ て お り 、 釈 尊 の た め に 蓮 華 を 化 作 す る 場 面 が 描 か れ る 。

(9)

其 比 丘 。 有 諸 鬼 神 所 娯 樂 。 種 種 衆 華 無 央 數 。 四 涜 涌 出 向 四 方 。 彼 諸 流 河 歸 江 海 。 私 頭 、那 提 、伯 師 子 。人 不 能 至 神 足 到 。飛 行 疾 矣 乃 越 耳 。 疾 共 詣 彼 淵 流 池 。 比 丘 曰 、 善 唯 從 命 。 大 通 安 住 上 弟 子 。 聞 尊 教 勅 乘 神 足 。 譬 如 鴈 王 導 衆 鴈 。 行 詣 進 遊 于 江 河 。 悦 觀 輩 類 相 娯 樂 。 佛 天 中 天 亦 如 是 。與 弟 子 倶 而 飛 騰 。佛 至 告 諸 弟 子 曰 。寧 、識 前 世 所 更 歴 。 爲 我 各 説 誰 行 歩 。 而 獲 其 福 不 可 量 。 彼 迦 葉 仁 佛 弟 子 。 譬 如 師 子 歴 深 山 。 設 有 所 歴 無 敢 當 。 則 、 説 前 世 所 作 行 。

こ れ は AG-S、 Kaṭhināvadāna[

Degener. pp. 22-27.

] に も 確 認 で き る 。

シ ュ ラ ー ヴ ァ ス テ ィ ー で 釈 尊 が 宿 命 通 を 示 す こ と を 告 げ 、 一 行 は 四

大 河 の 源 を 擁 し 、 花 々 の 咲 く 、 ヤ ク シ ャ の 遊 ぶ 秘 境 へ と 神 足 で 飛 来

す る 。 そ し て こ こ か ら 、 マ ハ ー カ ー シ ャ パ を は じ め と し て 各 弟 子 た

ち の 前 世 想 起 が 語 ら れ 始 め る 。

三 つ 目 は 釈 尊 の 章 冒 頭 で あ る 。 釈 尊 賛 嘆 の 偈 頌 に 続 い て 、 次 の よ

う に う た う 。 [T4. 201b8-14]

時 遊 在 龍 王 、 阿 耨 達 大 池 。 一 切 所 作 辦 、 踊 在 虚 空 中 。 弟 子 衆 圍 繞 、 寂 然 有 五 百 。愍 傷 有 極 哀 、 慈 護 一 切 人。觀 察 比 丘 衆、便 自 説 是 言。 明 聽 我 所 語 、 前 世 之 所 造 。 身 始 有 所 作 、 今 所 獲 餘 殃 。

賛 嘆 の 偈 頌 は マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 章 冒 頭 2 偈 と 同 内 容 を 示 し て お

り 、 対 し て 上 記 の 情 景 表 現 は 「 龍 王 の 遊 ぶ ア ナ ヴ ァ タ プ タ 池 」 の み

で あ る 。 し か し 、 前 世 想 起 の 場 所 の 説 明 が な さ れ て い る こ と は 明 白

で あ る 。

こ れ ら の 、 導 入 と な っ て い る 前 世 想 起 す る 場 所 の 描 写 を 比 較 す る

と 、 マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 章 冒 頭 で は 移 動 の 動 機 、 移 動 の 手 段 、 場 所

の 特 徴 が 明 確 に 示 さ れ て お り 、 物 語 と し て 聞 き 手 が イ メ ー ジ す る に

充 分 な 条 件 が そ ろ っ て い る 。 一 方 で 、 Dhr 冒 頭 散 文 は 場 所 の 特 徴 は

示 さ れ て い る が 、 移 動 の 動 機 、 手 段 は 言 及 さ れ て い な い 。 釈 尊 の 章

(10)

冒 頭 も 同 じ く そ の 二 点 に 言 及 が な く 、 場 所 の 特 徴 は 簡 潔 に 2 偈 で 終

わ っ て い る 。 さ ら に 、 場 所 の 特 色 も 「 ア ナ ヴ ァ タ プ タ 」(

無 熱

) と い

う 名 前 は マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 章 に は な く 、 序 章 と 釈 尊 の 章 で 確 認 で

き る 。 こ れ ら 三 つ の 記 述 を 比 較 す る と 、 序 章 と 釈 尊 の 章 は 、 前 世 想

起 の 特 殊 な 場 所 に 言 及 す る マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 章 を 知 っ た う え で 、

作 成 さ れ た 可 能 性 が 指 摘 で き る の で は な い だ ろ う か 。

『 五 百 弟 子 自 説 本 起 経 』 と い う タ イ ト ル に 確 認 で き る よ う に AG

の 主 役 は 弟 子 達 で あ り 、 彼 ら の 偈 頌 の 内 容 に こ そ 、 よ り 着 目 さ れ る

べ き で あ る 。 で は 、 そ の 弟 子 た ち の 過 去 世 因 縁 譚 が い か に し て 現 在

世 と 結 び つ く の か 、次 項 で は「 是 第 一 」と 認 め ら れ た 弟 子 の 記 述 に 、

AG 本 来 の テ ー マ が 含 ま れ て い る 可 能 性 を 考 察 し て い く 。

2.2. マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 章

Salomon の 校 訂 を 基 に 、AG-S を 最 も オ リ ジ ナ ル に 近 い も の と 仮 定

し 、欠 落 部 分 に つ い て は 前 後 が 一 致 す る 場 合 は Dhr、Wille で 補 い( )

内 に 記 す 。 た だ し Dhr と ガ ン ダ ー ラ 語 写 本 は 数 カ 所 異 な る 部 分 が あ

る た め 、 そ こ は *印 を 付 し 、 注 記 し て い る 。

仏 陀 は 人 の 中 で も 優 れ た お 方 で 、 法 を 制 御 さ れ て お ら れ ま す 。

)(

煩 悩 の 束 縛 を 断 た れ 、

) 舎 衛 国 に (

遊 行 し て お ら れ ま し た 。

)(

諸 根 は

寂 静 と(

さ れ て お り 、 徳 が そ び え て お ら れ ま し た 。

如 来 は 自 ら そ の 比 丘 に お っ し ゃ い ま し た 。

2 5

「 暴 虐 な ヤ ク シ ャ が 遊 ぶ (

さ ま ざ ま な 花 々 が 咲 く と こ ろ 。

)(

四 河 が 四 方 に 流 出 し

)(

四 方 の 海 へ

) そ の 水 が 至 る と こ ろ に 。(

ガ ン ガ ー 、 25 本 文 2.2. マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 章 冒 頭 箇 所 [T4. No. 199. 190a6 -13]参 照 。

(11)

シ ン ド ゥ 、 ヴ ァ ク シ ュ 、 シ ー タ ー2 6が あ り

) 普 通 の 人 で は い け な い 、

神 足 で 行 け る と こ ろ に 。

飛 行 し て 渡 り 超 え る の み で す 。

)さ あ 、と

も に ま い り ま し ょ う (

か の 水 の 流 れ 出 る 池 へ 。

)」

比 丘 は い い ま し た 。「 お っ し ゃ る と お り に い た し ま し ょ う 」

偉 大 な る 賢 者 、 比 類 な き 仏 陀 (

の 上 首 の 弟 子 は

)(

尊 者 の お 言 葉 を 聞 く と 直 ち に 神 足 を と ば し

た と え ば 雁 の 王 が 雁 た ち を 率 い る よ う に

行 き 到 っ て 河 に 遊 び 、仲 間 た ち が 互 い に 楽 し む 姿 を 見 て よ ろ こ ん だ 。

天 の 最 上 で あ ら せ ら れ る 仏 陀 も ま た そ の よ う に

弟 子 た ち を 引 き 連 れ て 飛 翔 さ れ ま し た 。

2 7

彼 は そ こ に 到 着 す る と(

弟 子 た ち に お っ し ゃ い ま し た 。

「 む し ろ 前 世 の 行 い の 歴 史 を 知 り 、 私 の た め に そ の 行 程 を 説 い て く だ さ い 。

)(

そ れ で 得 ら れ る 福 徳 は 量 り 知 れ ま せ ん 」

)(

ま る で 獅 子 が 山 中 を め ぐ る よ う に

寄 り 道 を す る こ と な く ま っ す ぐ に

)彼 の た ぐ い ま れ な る 弟 子 、

カ ー シ ャ パ は 彼 の 前 世 に つ い て (

語 り 始 め ま し た 。

か つ て 、 野 原 で 燕 麦 を 取 っ た 私 は

2 8

そ の わ ず か を

)辟 支 仏 に 布

26 Gilgit は Gaṅgā, Sindhu, Vakṣu, Sītā .薬 事 は「 強 弶 伽 河 、新 度 河 、縛 叉 河 、

□( 口 へ ん に、四 )多 河」。Tib は gang-ga, sin-du, pag-shu, sī-tī. Dhr は「 私 頭 那 提 伯 師 子 」。 シ ン ド ゥ 、 ナ デ ィ 、 ヴ ァ ク シ ュ 、 シ ー タ ー か 。

Kaṭ hināvadāna は Gaṅgā, Sindhu, Nadi, Vak ṣu, Sītā. Dhr 序 文 も 「 五 河 」 の 表 記 あ り 。 27 Dhr 「 聞 尊 教 勅 乘 神 足 、 譬 如 鴈 王 導 衆 鴈 。 行 詣 進 遊 于 江 河 、 悦 觀 輩 類 相 娯 樂 。 佛 天 中 天 亦 如 是 、 與 弟 子 倶 而 飛 騰 」 [T4.190a22-24]の 一 文 は MSV に は な く 、 AG-S も こ の 部 分 が 欠 損 して い る 。 し か し 類 似 す る 表 現 は 定 方 [1999]に よ る Gilgit-Bami yan 文 献 資 料 の 中 で 、 シ ュ ラ ー ヴ ァ ス テ ィ ー か ら ア ナ ヴ ァ タ プ タ へ の 仏 陀 と 五 百 人 の 弟 子 た ち と の 飛 翔 場 面 で 説 か

れ て い る 。Bhagavān sādhaṃ imebhiḥ paṃcadhir bhikṣuśatebhir da …

jetavanād aṃtarhita uttarapure [dvīpe] … [sārdhaṃ bhikṣu] saṃghena anavatapte mahāsare … pratye /// (ll.3-5.)異 な る の は 王 妃 mahāhaṃsarāṇī

(l. 6.) と い う 表 現 で あ る 。 Salomon. ibid. p. 364.

28 Dhr「 採 取 于 野 燕 麥 耳 、 少 所 施 與 辟 支 佛 」 [T4. 190a29]『 薬 事 』「 我 昔 、 曾

(12)

施 を 致 し ま し た 。 辟 支 仏 に (

2 9

心 は 有 漏 な く 解 脱 し た よ う で し た 。

)(

空 行 を 奉 げ て 、 心 は ひ っ そ り と し て い ま し た 。

) そ の 時 、 私

は こ の 願 い が 心 に あ り ま し た 。

「 最 上 の 法 を 信 じ(

こ の よ う な 方 に ま た お 会 い で き ま す よ う に 」 と 。

そ の 因 縁 の 福 徳 に よ っ て 、 さ ら に 千 度 ウ ッ タ ラ ク ル に 生 ま れ て 、 そ の 後

…長 命 の (

世 界 に 生 ま れ

3 0

そ の 中 で も 最 も 優 れ た も の と し て 、並 ぶ も の が あ り ま せ ん で し た 。

)私 は そ の 福 徳 に よ っ て さ ら に 千

度 三 十 三 天 に 生 ま れ 、 さ ま ざ ま な 香 や 装 飾 品 を 身 に つ け て い て 、

美 し い 容 姿 を 持 っ て い ま し た

。) こ れ と 同 じ 業 の 福 徳 の 因 縁 に よ

っ て(

裕 福 な バ ラ モ ン の 家 に 生 ま れ

)無 数 の 財 産 が あ り ま し た 。し

か し (

私 は

) 五 欲 の 中 に あ っ て も 平 静 で あ り ま し た 。

*(

私 は 教 師 に 出 会 う こ と が な く

…私 は ず っ と (

声 聞 に 出 会 う こ と な く

) そ の 時 、 私 は 勝 者 の 弟 子 の 衣 を 見 ま し た 。〔 彼 ら に 〕 礼 拝

し (

出 家 し

) ま し た 。 私 が そ の よ う に 出 家 し た 時…勝 者 を 見 て …

そ の 足 に

)礼 拝 し て 、

「 尊 者 よ 、あ な た は 私 の 師 で あ り ま す 」

と 、 い い ま し た 。

) そ の 時 仏 陀 は お っ し ゃ い ま し た 。「

( 私 は あ な た の 師 で あ り 、あ な た は 私 の 弟 子 で あ る 。

)も し(

苦 難 か ら 解 放 さ れ る こ と を

望 む な ら

…甘 美 な る 法 を お 聞 き な さ い 」 *

3 1

29 Wille, MSV, Dhr い ず れ で も 確 認 で き な い 単 語 。Salomon は Nettippakara ṇa,

Gilgit の 続 き が lokative で あ る こ と か ら prat yekabuddhe で は な い か と 考 察 す る 。

30 AG-S は driga[a.a. kh. ]+++?+?+の み 確 認 で き る 。 Gilgit は 上 段 が 確 認 で き

な い が (*sahasra)kṛtvaḫ kuruṣūpapanna[vāṃ] dīrghāyuṣkeṣv

ama[m] e(* ṣu)+++viś ṣagāmiṣv anihīnav ṛtti ṣu. Tib は las de gcig pu nyd kyi ‘bras buy is lus can bdag gir ‘dzin med tshe ring ba khya d par ‘gro zhin spyod pa mi dman pa sgra mi snyan du lan stong skyes par gyur . Dhr 「 用 彼

因 縁 福 所 致 、 更 歴 千 反 鬱 單 曰 。 然 後 生 于 勝 命 天 、 於 中 最 特 無 有 雙 」 [T4. 190b4-5]『 薬 事 』「 由 是 因 縁 獲 果 報 、 千 度 生 於 北 欝 單 。 其 國 長 壽 無 彼 我 、 漸 獲 尊 貴 無 闕 少 」 [T24.78b3-4]Nettippakaraṇa に も 同 文 が 確 認 さ れ て い る 。 Salomon. ibid. p.377.

(13)

**…七 日 間 、私 は 修 行 す る 身 で し た 。そ の 間 ず っ と …そ の 同 じ 業

が 熟 し 、釈 迦 牟 尼 に 、人 中 の 天 に 、出 会 い ま し た「…」と 、彼 は

願 い ま し た 。 **

3 2

***世 尊 は 比 類 な く 、 慈 悲 を 持 つ 方 で 、 私 に 法 を お 説 き に な ら れ

た 。 四 禅 、 十 力 、 六 根 、 八 聖 道 を 。 私 は そ れ を 獲 得 し ま し た

3 3

私 は こ の 法 を 獲 得 し ま し た 。

) そ の 同 じ 業 が つ い に 熟 し 、 つ ま り

煩 悩 は 尽 き 、心 は 解 放 さ れ 、

い ま 最 後 の 生 を

)聖 者 た ち と と も に

集 ま っ て 、 心 の 不 快 か ら 脱 し ま し た 。 *** ****心 の 不 快 か ら 脱

し た 仏 陀 に よ っ て 、善 く 説 か れ ま し た 。こ の よ う に 世 尊 、如 来

…。

過 去 世 に お い て 素 晴 ら し い 行 業 が な さ れ ま し た 。 ****

3 4

如 来 で あ る

) 仏 陀 は 正 し い こ と を (

お 説 き に な ら れ た 。

) 戒 を 保 持 す る も

の の 願 い は 叶 う で し ょ う 。私 の 心 に 願 っ た こ と は す べ て 叶 い 、

私 の 最 後 の 生 涯 は 終 わ り ま す 。

3 5

私 の 今 生 の 生 は 尽 き 、 束 縛 か ら 抜 き 出 て 、 私 は 諸 々 の 輪 廻 の 束 縛 を 断 ち 切 り ま し た 。 即 ち 、 私 は 仏 法 の 王 の 子 で あ り ま す 。 諸 々 の 煩 悩 の 集 合 が 滅 尽 し て し ま っ た ゆ え に 私 は 涅 槃 に 入 る で し ょ う 。

3 6

私 は 頭 32 **~ **AG-S の み に 確 認 で き る 。 マ ハ ー カ ー シ ャ パ が 今 生 で 仏 陀 と 出 会 っ て の ち の 修 行 生 活 を 述 べ て い る と 思 わ れ る 。 先 行 す る 文 章 か ら 、「 與 如 是 人 俱 合 會 」 と 彼 は 願 っ た 、 と 推 察 す る 。 33 ***~ ***Dhr の み 注 31 で 指 摘 す る 部 分 の 前 に 挿 入 さ れ て い る 。「 其 於 是 佛 無 等 倫 。 大 哀 所 可 講 説 法 。 諸 力 一 心 定 衆 根 、 七 覚 之 意 、 八 道 行 。 以 為 獲 致 於 此 法 」『 薬 事 』 は 「 四 禅 、 十 力 、 六 根 、 八 聖 道 」 Wille(p.78. r4.)は こ ち ら に 近 い 。 後 に 続 く 師 ( 仏 陀 ) と の 出 会 い 、 礼 拝 、 マ ハ ー カ ー シ ャ パ の 修 行 時 は 述 べ ら れ て お ら ず 、「 戒 を 保 持 す る も の の…」 の 一 文 へ つ な が っ て い る 。 34 ****~ ****AG-S の み に あ る 文 章 。

35 AG-S は こ の 19verse ま で が 部 分 的 に 残 存 。 Salomon は Tib、 Gilgit 、 漢 訳

で は 後 ろ に 数 偈 が 続 く こ と を 指 摘 し つ つ も 、 AG-S は こ こ で 終 わ っ て い る 可 能 性 も あ る と 述 べ る 。 Salomon. ibid. p. 403.

36 Dhr 「 最 後 我 身 以 具 滿 。 爲 盡 生 死 拔 根 株 。 我 皆 絶 除 諸 愛 結 。 則 爲 是 佛 法

王 子 」 [T4.190b17-18]『 薬 事』「 我 所 發 願 今 得 隨 、更 不 受 生 最 後 。我 生 及 貪 今 已 盡 、 斷 諸 有 結 更 不 縛 。 我 於 法 中 爲 長 子 、 由 法 王 力 離 衆 苦 」 [T24. 78b21-23]Wille. r6. kṣī ṇā ca me jātir athāpibtṛṣ[ṇ] ā +++/ tābandhanam eva

(14)

陀 行 第 一 で あ る 。 と い う よ う に 、 す べ て を ご 覧 に な る 方 が お 説 き に な り ま し た 。 私 は 入 り 込 ん だ 煩 悩 も 滅 尽 し ま し た し 、 心 は 清 浄 で あ り ま す 。 意 志 は 例 え る な ら 大 き な 山 が 動 か な い よ う に 、 不 動 の 境 地 に 到 達 い た し ま し た 。

3 7

こ の よ う に マ ハ ー カ ー シ ャ パ は 、 比 丘 た ち の 僧 団 と と も に ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 に お い て 、 過 去 世 の 福 徳 の 因 縁 を 説 き ま し た 。

3 8

2.3. ナ ン ダ の 章 (

Pā / Skt. Nanda

本 項 で は ナ ン ダ (

Dhr. No. 26

)に 該 当 す る 章 を あ げ る

39

。AG-BL を 主

軸 に 訳 し 、欠 落 部 分 に つ い て は 前 後 が 合 致 す る も の は Dhr、Bechert、

AG-Tur を 用 い て ( ) で 補 っ て い る 。

か つ て ヴ ィ パ シ ン 仏 の お ら れ た 時 、 私 は 浴 室 を 設 け て 、 比 丘 の 一 団 を 洗 浴 し ま し た 。そ の 時 、私 は 決 心 し て こ う 願 い ま し た 。

4 0

「(

私 は

こ の よ う な よ き 仲 間 た ち と (

尊 者 と 、 願 わ く は 来 世 に お い て も お 会 い で き ま す よ う に 。

) ま た 、 清 涼 と な り 、 悪 行 を 離 れ ま す よ う に 」

cchinnaṃ / putri ‘hamasmy oraso dharmmarājño nirvāsyāmi kle ○śagaṇakṣayāc ca /

37 Dhr 「 第 一 止 足 常 思 道 。 心 空 清 淨 無 所 著 。 其 志 堅 固 無 能 轉 。 譬 如 大 山 不

可 動 」 [T4. 190b19-20] 『 薬 事』「 佛 已 記 我 爲 第 一 、 於 杜 多 中 最 爲 上 。 已 見 實 諦 證 眞 法 、 我 今 惑 盡 獲 不 動 」 [T24. 78b24-25] Wille. dhutavāsānām

aham agro nirdiṣṭ as sarvadarśinā kṣīṇāsravo vāntadoṣa[ḥpr] (āpto) ++++ )pa)[d] (a)[m*]

38 Dhr「 如 是 迦 葉 尊 、在 諸 比 丘 僧 、阿 耨 達 大 池 、自 説 本 福 縁 」[T4.190b21-2 2 ]

『 薬 事 』「 對 聖 尊 前 説 本 業 、 在 於 阿 耨 大 池 中 。 大 聖 慈 尊 加 被 我 、 安 坐 蓮 花 説 斯 事 」 [T24.78b26-27] Wille. r7. [e] va[ṃ] hi Kaśyapas sthaviro

bhikṣusaṃgha āgratasthitaḥ [v] (yākaroti) / svaka ṅ karma Anavatapte mahāharade // // Kāśyapavargaḫ prathamaḥ // //

39 Dhr は No. 10 の 「 難 陀 品 」、 と No. 26 の 「 難 提 品 」 二 人 の 同 名 異 人 が 記

さ れ る 。「 難 陀 品 」 は MSA の Nandika( 有 喜 ) の 章 に 該 当 す る 。

40 AG-BL, AG-Tur は 欠 損 。 Gilgit は 最 後 の 一 文 の み 残 存 し て い る た め 、

Salomon に よ る Tib か ら の 翻 訳 と 薬 事 、 Dhr を 参 照 し た 。 Tib. rnam par

gzigs kyi gsung rab labdag gis lan cig khrus byas te dge slong dge ’dun khrus byas nas de tshe smon lam btab pa ni . 『 薬 事 』「 毘 鉢 尸 住 世 、諸 佛 及 僧 伽 、 施 諸 療 病 藥 、 來 者 求 皆 與 」 [T24.82c11-12]。Dhr「 昔 惟 衞 佛 世 、我 施 煖 浴 室 」 [T4.199b13]。 Salomon. ibid. p.187.

(15)

私 は こ う 願 い ま し た 。「(

私 は

) 端 正 で 黄 金 の (

花 の よ う な

) 顔 を

持 ち ま す よ う に 。 そ し て さ ら に 、 私 は 魅 力 的 で 、 愛 嬌 が あ っ て 、

よ い 顔 色 で 、 美 し く あ り ま す よ う に 」

そ の 寿 命 が 尽 き て の ち 、天 上 世 界 に 生 ま れ 、

4 1

そ の 善 根 に よ っ て 、

私 は と て も す ば ら し い 天 上 の 世 界 に 生 ま れ 、 私 は (

天 上 の 人 間 の な か で も 良 い 顔 色 で 端 正 で し た 。

そ の 寿 命 が 尽 き て の ち 、ま た 人 間 の 世 界 に 生 ま れ ま し た 。

4 2

〔 そ の

と き 〕私 は 辟 支 仏 の(

仏 塔 を 白 泥 で き れ い に 整 え て 、鮮 や か な 装 飾 を 施 し 、 石 黄 を 重 ね て 黄 色 で 塗 り つ く し ま し た 。

4 3

…私 は こ の よ う に

お 願 い 申 し 上 げ ま し た 。

「〔 来 世 も 〕ど う か 黄 金 の 顔 色 を 持 ち 、

比 類 な く 端 正 で 、

) 罪 か ら 解 き 放 た れ 、 悪 行 が あ り ま せ ん よ う に 」

4 4

そ の 善 根 に よ っ て 、私 は バ ー ラ ナ シ ー 市 で 、カ ー シ ー の 王(

ク リ キ ン4 5

)の 中 間(

第 二

)子 と し て 生 ま れ ま し た

4 6

子 ど も と し て 害 意 な ど は 受 け ま せ ん で し た 。

) カ ー シ ャ パ (

) の 仏 塔 を み て 、 心

が 清 ら か に な り 、 そ の と き 〔 私 は 〕 仏 塔 に 傘 蓋

4 7

を 懸 け ま し た 。

浴 室 で 衆 僧 を 洗 浴 し た こ と 、塔 を 黄 色 に 塗 り あ げ た こ と 、塔 に 傘

蓋 を 建 て た こ と (

に よ っ て 、 私 は 多 く の 喜 び を 得 ま し た 。

41 AG-BL は 美 し い 容 姿 に つ い て の 記 述 の み で 終 わ っ て い る 。 AG-Tur は 後 半 が 欠 損 し て い る 。こ の 2 点 以 外 は 寿 命 が 終 わ り 、天 界 へ 生 ま れ た こ と に 言 及 す る 。『 薬 事 』「 其 時 命 既 過 、得 生 於 天 上 」 [T24.87c3]。Dhr「 於 彼 壽 終 後 、 便 得 生 天 上 」 [T4.199b18] 42 Dhr の み に 確 認 で き る 一 文 。「 於 彼 壽 終 後 、 来 還 生 人 間 」 43 Gilgit に の み 確 認 で き ず 。 44 Gilgit に の み 確 認 で き ず 。

45 AG-BL は [kri]+++++++++++? [tro]aho. Tib kri -kri. 『 薬 事 』「 迦 陀 国 王 」。

Dhr は 「 脂 惟 尼 」 と す る 。

46 前 述 さ れ る シ ャ イ ヴ ァ ラ (Skt. Śaivala ) (MSV. X II)(Dhr. No. 12) が ク リ キ ン

王 の 長 子 と し て 生 ま れ 、 ラ ー シ ュ ト ラ パ ー ラ(Skt. Rāṣṭhrapāla ) (MSV.

XVIII)(Dhr. No. 8)が 王 の 末 子 に 生 ま れ た 、 と 過 去 世 想 起 し て お り 、 共 通 性 を 持 た せ た 可 能 性 が あ る 。

(16)

こ れ は (

私 の

) 最 後 生 で あ り ま す 。

こ れ ら の 奉 仕 に よ っ て 福 徳 が あ り 、

)私 は 人 間 と し て 誕 生 し 、仏 陀

の 弟 と し て シ ャ カ 族 の 王 族 に 生 ま れ ま し た 。私 の 身 体 に は(

生 ま れ つ い て

) 三 十 の 大 人 相 が あ り 、 完 璧 で 、 過 不 足 が あ り ま せ ん で

し た 。 私 は 「 皆 の 中 で 端 正 さ に お い て 第 一 で あ る 」 と (

仏 陀 に

称 さ れ ま し た

4 8

。私 の 愛 着 は 追 い 出 さ れ 、

私 は

)無 上 の 喜 び に 達

し ま し た 。こ の よ う に 、か く の ご と き 仏 陀 の 兄 弟 で あ る 長 老 ナ ン

ダ は 、ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 に お い て(

比 丘 僧 団 の な か で

)、自 ら 自

身 の 因 業 を 説 き ま し た 。

2.4. シ ュ ロ ー ナ ・ コ ー テ ィ ヴ ィ ン シ ャ の 章 (

Pā. Soṇakolivīsa, Skt. Śronaviṃśatikoṭi, Śronakoṭiviṃśa

AG-BL を 主 軸 に 訳 し 、 欠 落 部 分 を 前 後 が 合 致 す る も の は Dhr 、

Bech ert、 Apadāna、 AG-Tur を 用 い て ( ) で 補 っ て い る 。

ヴ ィ パ シ ン(

)の お ら れ た 時 、私 は 首 都 バ ン ド ゥ マ テ ィ ー 市 の

四 方 僧 伽 の た め に 楼 閣 を 建 立 し ま し た 。(

さ ら に そ の 寺 院 内

)す べ

て の 床 を 布 地 で 覆 い

4 9

布 施 し

) ま し た 。 そ の 時 私 は 清 浄 な 心 と

歓 喜 す る 心 を も っ て 決 心 し 、 次 の よ う に 願 い ま し た 。「 私 は 仏 陀

の 忠 勤 を 勝 ち 取 り 、 ま た (

彼 か ら

) 授 戒 を 得 て 、 そ し て 、 涅 槃 を

48 AG-BL. Rconstruction. prasadiaṇaho agh(*ro) (*ṇidiṭ hu) sarvadarś𝑖ṇ𝑎<*º>

sarvo vatu mama ragho prat(*u mi ayalu su)ho º Gilgit. (*prāsādikānām agryo ‘smi nirdiṣṭaḥ sarvadarśinā kṣīṇāsravo vāntadoṣaḥ prāpto ‘haṃ padaṃ uttamam) Tib. Thams cad gzigs pas mdzes pa yi rnams kyi mchog tub dag bstan to nyes bsal zag pa zad nas ni go ‘phang dam pa thob par byur . Dhr「 佛

普 見 説 我 、端 正 最 第 一 。 已 除 盡 諸 漏 、逮 得 甘 露 句 」[T4.199c8-9]『 薬 事 』 「 蒙 佛 記 於 我 、 端 嚴 甚 可 樂 。 我 生 皆 已 盡 、 至 於 無 上 處 」

[T24.87c22-23]AG-Tur. 最 下 段 の み +++(*pada)m uttamam. Salomon. ibid. pp. 203-4.

(17)

得 て 清 涼 と な り ま す よ う に 」私 は こ の 福 徳 の 因 縁 に よ っ て 、人 間

と 天 の 世 界 に 九 十 劫 の あ い だ 生 ま れ 、と て も 楽 し く 善 行 を お こ な

っ て い ま し た

5 0

九 十 劫

5 1

が (

過 ぎ て 、

) さ ら に ま た 一 劫 。 私 は (

裸 足 で 大 地 を

) 踏

み し め る と い う こ と (

を 思 い 起 こ す こ と

) が あ り ま せ ん で し た 。

そ の 福 徳 の 因 縁 か ら 、今 最 後 の

)生 に お い て 、人 間 の 世 界 に 到 り 、

チ ャ ン パ ー の 長 者 の 家 の 一 人 息 子 と し て 生 ま れ (

兄 弟 は い ま せ ん で し

)た 。私 が 誕 生 し た 時 、父 は 生 ま れ た わ が 子 の た め に こ う 考

え ま し た 。

「 実 に 、私 は こ の 子 に 20 億 金

5 2

を 与 え よ う 」そ し て(

)足 の 裏 に は 長 さ 四 寸 の 柔 ら か な 毛 が 生 え て い ま し た 。

汚 れ か ら

)離 れ 、私 は と て も 幸 福 で 、最 高 の 財 産 に 達 し ま し た 。

体 は 柔 軟 で 健 康 で あ り 、平 穏 で 障 害 は あ り ま せ ん で し た 。

)私 は(

仏 陀 に

「 皆

の 中 で 精 進 に お い て 第 一 で あ る 」 と 示 さ れ ま し た

5 3

。 私 の 愛 着 は

50 Dhr は こ こ に 長 者 の 子 息 と し て 生 ま れ た エ ピ ソ ー ド が 入 っ て い る 。 AG-BL に 合 わ せ て 並 び 替 え る と 、 1-2-3-4-8-5-6-7-10-11 と な り 、 Dhr の 輪 論 品 ( シ ュ ロ ー ナ ) 第 9 偈 「 於 今 最 後 生 、 已 還 得 人 身 。 成 就 無 所 著 、 清 涼 為 滅 度 」の み が 対 応 し な い 。物 語 の 流 れ か ら「 足 の 裏 に 異 毛 が 生 え て い た た め に 、地 面 を 踏 む と い う 意 識 が な か っ た 」と す る Dhr の ほ う が AG-BL よ り も 自 然 な 流 れ で あ る 。

51 AG-BL は ++++p[a] sasari を (*ṇavadi ka)pa と 解 読 さ れ る 。 MSV も navadi

で あ る が 、Dhr は「 是 因 功 徳 本 、九 十 一 劫 安 。 既 得 自 然 見 、在 天 上 世 間 」

[T4. 192a1-2]Mahāpadāna -sutta(DN II, 11. 11 -12)『 七 佛 経 』『 増 一 阿 含 』『 佛

名 経 』『 七 佛 父 母 姓 字 経 』 等 に よ る と ヴ ィ パ ッ シ ー 仏 が こ の 世 に 現 れ た の は 九 十 一 劫 前 と し て い る 。 Salomon. ibid. p. 209.

52 MSV は 20=vi ṃśa 千 万 =koṭi 後 述 の シ ュ ロ ー ナ の 名 前 の 由 来 と さ れ て い

る 。

53 AG-BL. Reconstruction viriv(*ata) ṇa aho aghro ṇidi ṭhu sarvadarśiṇa º sarvo

vatu mama r(*a)gh(*o) p(*ra)tu mi ayalu suho º Gilgit. agryo ‘smy ārabdhavīryāṇāṃ nirdiṣṭas sarvadarśinā kṣīṇāsravo vāntadoṣaḥ

prā𝑝𝑡𝑜 ℎ′ 𝑎𝑚 𝑎[𝑐𝑎](∗ 𝑙𝑎ṃ)˘ + Tib. tham cad gzigs pas brtson ‘grus can rnams

kyi mchog tub dag bstan to zag med nyes pa spangs pa yis go ‘phang ma g. yo bdag gist hob. Dhr「 佛 普 見 説 我 、精 進 尊 第 一 。解 脱 盡 無 漏 、已 得 不 動 句 」

[T4. 192a13-14]『 薬 事 』「 世 尊 已 記 我 、精 進 中 第 一 。諸 漏 並 已 盡 、而 獲 無

垢 處 」 [T24. 80a23-24] Salomon. ibid. p.216. Apadāna. で は シ ュ ロ ー ナ は No. 42, No. 386. の 二 か 所 に 登 場 し 、内 容 も こ の 一 文 に 一 致 す る 。Salomon

(18)

追 い 出 さ れ 、 私 は 永 久 の 寂 静 に 達 し ま し た 。 *そ れ 故 に 、 実 に 真

実 の 法 は (

偉 大 な こ と の

) 達 成 を 望 む 彼 、 そ し て 自 身 の た め に よ

く 望 む そ の 人 に よ っ て 崇 め ら れ た の で す 。そ の 時 、仏 陀 の 教 え を

忘 れ て は い け ま せ ん

5 4

。*こ の よ う に 、か く の ご と き チ ャ ン パ ー の

シ ュ ロ ー ナ は 、 ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 に お い て 比 丘 僧 団 の な か で 、

自 ら 自 身 の 因 業 を 説 き ま し た 。

2.5. ヴ ァ ン ギ ー サ の 章 (

Pā / Skt. Vaṅgīsa

AG-BL を 主 軸 に 訳 し 、欠 落 部 分 を 前 後 が 合 致 す る も の は Dhr、Wille

を 用 い て ( ) で 補 っ て い る 。 Dhr と 内 容 の 差 異 は 少 な い が 、 偈 頌 の

順 番 が 異 な っ て い る

5 5

九 十 一 劫

5 6

の 間 、私 は 悪 し き 生 に 召 さ れ る こ と な く 、仏 塔 へ の 奉

仕 に よ っ て 善 い 生 の み に あ り 、 そ し て ま た 天 界 の 人 で あ り ま し

た 。(

私 は

) そ の 福 徳 が 得 ら れ る こ と を 知 ら ず 、 た だ ヴ ィ パ シ ン

) の 仏 塔 を 見 て そ こ に 行 き 、 そ れ を 供 養 し ま し た 。 喜 び に

満 ち て 、私 は 3 カ ー キ ニ ー(

)の 香 を 、軟 膏 を 、花 環 を 施 し 、

仏 塔 に お き ま し た 。

そ の 果 報 と し て

)私 は 悪 し き 生 に 生 ま れ る こ

と は な く な っ た の で す 。

に よ る と No. 386 中 に 一 致 す る 一 文 が 確 認 さ れ て い る 。 Aggo

āraddhavīriyānaṃ, niddiṭṭho sabbadassinā;Khīṇāsavomhi arahā, chaḷ abhiñño mahiddhiko. [PTS. p. 298. ]

54 *~ *こ の 一 文 は Dhr、 MSV、 Apadāna に は な い 。

55 Dhr の 偈 頌 を AG-BL に 合 わ せ て 並 び 替 え る と 、 3-1-2-(Sumana 9)5 -6-7-8.

と な る 。 し か し 突 如 と し て 始 め の 偈 頌 に thubu puyae が 現 れ て お り 、 文 脈 か ら は Dhr の 方 が 自 然 であ る よ う に 受 け 取 れ る 。

56 注 51 参 照 。AG-BL. Reconstruction. idi akaṇavadime k(*a)pe. Dhr も「 過 九

十 一 劫 」 [T4. 192a23]と し て い る が 、MSV は navaty atītāḫ kalpā me. Tib.

‘das pa’I bskal pa dgu bcur hi.『 薬 事』「 我 先 種 善 業 、 經 於 九 十 劫 」 [T24.

(19)

悟 ら れ た 如 来 と そ の 仏 弟 子 た ち に 清 ら か な 心 で 布 施 し た も の は 、

そ の 福 徳 が 少 な く な る こ と は あ り ま せ ん

5 7

。も し 、私 が 如 来 の お

持 ち に な る 仏 徳 を 知 っ て 仏 塔 に 敬 意 を は ら っ て い た な ら 、 よ り

い っ そ う よ い こ と を な し て い た で し ょ う

5 8

。そ れ 故 に 、師 の 多 く

の 美 徳 を 知 る も の に よ っ て 仏 塔 に 供 養 を な す こ と 。 そ れ に よ っ

て 、悪 し き 生 か ら は 脱 す る で し ょ う 。(

そ の 福 徳 は 尽 き る こ と を 知 り ま せ ん 。

) 私 は (

仏 陀 に

)「 皆 の 中 で 、 詩 の 作 曲 、 習 得 、 演 説 の

多 様 さ 、賢 さ 、感 動 さ せ る こ と に お い て(

弁 才

)第 一 で あ る 」と

示 さ れ ま し た

5 9

。そ れ 故 に 、実 に 真 実 の 法 は 、偉 大 な こ と の 達 成

を 望 み 、 そ し て 自 身 の た め に よ く 望 む そ の 人 に よ っ て 崇 め ら れ

た の で す 。 そ の 時 、 仏 陀 の 教 え を 忘 れ て は い け ま せ ん 。 こ の よ

う に 、 か く の ご と き ヴ ァ ン ギ ー サ は 、 ア ナ ヴ ァ タ プ タ 大 湖 に お

い て 師 と 比 丘 僧 団 の な か で 、 自 ら 自 身 の 因 業 を 説 き ま し た 。

3.

「 是 第 一 の 弟 子 」 に つ い て

3.1. AG の 主 題 に 関 す る 問 題

AG で は 弟 子 の 章 に お い て 、ど の よ う な 主 題 を 有 し て い た の で あ ろ

う か 。Salomon は AG 一 部 の 構 造 を 、善 行 の 過 去 世 と 悪 行 の 過 去 世 が

両 者 を 対 比 さ せ る よ う に 描 か れ た と 考 察 す る 。 ま ず 、 ナ ン ダ の 章 を

57 Sumana の Dhr 第 9 偈 、 お よ び MSV 該 当 箇 所 と 同 文 と な っ て い る 。 Dhr の ヴ ァ ン ギ ー サ 第 4 偈「 作 少 功 徳 已 、獲 安 甚 衆 多 。已 得 無 所 著 、滅 度 清 且 涼 」 [T4.192a24-25]の み が 対 応 し な い 。

58 Salomon は AG-BL を without a superior(?). と 訳 し て い る 。 ibid. pp. 290 -2. 59 AG-BL. Reconstruction. ghasagharaṇaho aghro ṇidiṭ hu sarvadarśiṇa<*º>

bahorśodu citraghasu paḍibhaṇavu º Gilgit. agro ‘smi gāthākārāṇāṃ nirdi ṣṭas sarvadarśinā ba[hu] (*śrutaś ca vāgī)[śa] ḫ

kalyāṇaptatibhānavā(*n) Tib. Thams cad czigs pas mang thos dang sna tshogs

gtam dang dge ba yis spobs ldan tshigs bcad b yed pa ni rnams kyi mchog tu bdag bstan to. Dhr「 佛 普 見 説 我 、經 樂 爲 第 一 。多 聞 若 干 種 、辯 才 徳 至 眞 」 [T4. 192b1-2]『 薬 事 』「 世 尊 受 我 記 、 於 彼 伽 陀 中 。 廣 宣 妙 辯 才 、 多 聞 中 第 一 」 [T24. 80b13-14]

(20)

あ げ て そ の 内 容 が ス ヴ ァ ー ガ タ (

Pā. Sāgata, Skt. Svāgata

) と 対 照 的 で

あ る と 指 摘 す る 。 物 語 で は 過 去 世 で 醜 い 沙 門 の 姿 を 馬 鹿 に し た ス ヴ

ァ ー ガ タ は 一 度 地 獄 に 落 ち た 。 こ れ に 対 し て ナ ン ダ は 過 去 世 の 敬 虔

な 行 動 に よ る 果 報 か ら 美 し い 容 姿 で 現 在 世 に 生 ま れ 、

「 端 正 第 一 」と

称 え ら れ て い る 。 次 に 、 マ ハ ー マ ウ ド ガ リ ヤ ー ヤ ナ は 過 去 世 に 親 を

殴 り た い と 考 え た た め 地 獄 に 落 ち 、 今 生 も そ の 業 の 残 余 か ら 異 教 徒

に 打 ち 殺 さ れ る だ ろ う 、 と う た う 。 こ れ に 対 し て シ ョ ー ビ タ (

Pā. Sobhita, Skt. Śobhita

) は 僧 院 の 中 庭 を 掃 き 清 め た こ と で 、 つ ね に 美 麗

な 容 姿 に 生 ま れ た と す る 。

こ の よ う な 二 極 性 を 持 っ た ペ ア か ら AG-BL を 次 の よ う に 復 元 し た 。

()内 の ロ ー マ 数 字 は MSV に お け る 章 の 順 番 で あ る 。 Mahākāśyapa(

I

),

Śāriputra(

II

),

Mahāmaudgalyāyana(

III

),

Śobhita(

IV

),

Svāgata(

IX

),

Nanda(

XXV I

),

Koṭīviṃśa(

V I

),

Yaśas(1)(

XI

),

Bharadvāja(

VIII

),

Vāgīśa(

V II

), Nandika(

X

), Kusuma(

V

) 氏 の 考 察 は こ こ で 終 わ っ て い る 。

し か し 、 こ の よ う な 善 行 と 悪 行 の ペ ア は 同 数 で は な く 、 一 部 に 意 識

的 配 置 が な さ れ て は い た が 、 そ れ が 全 体 の 構 成 に は 当 て は め ら れ な

い よ う に 思 え る 。

こ の よ う な 説 話 内 容 に よ っ て AG 成 立 の 背 景 を 考 察 す る う え で 、

ど の 部 分 を 主 題 と と ら え る か は 問 題 で あ る 。 筆 者 は 仏 弟 子 た ち が う

た っ た 主 題 と は 過 去 の 善 悪 行 の 対 比 だ け で は な く 、 む し ろ 、 彼 ら の

様 々 な 個 性 を 描 き 出 し て い た こ と に 着 目 す べ き で あ る と 考 え る 。

3.2. 「 是 第 一 の 弟 子 」 の 思 想 背 景

で は 、2 項 の 4 人 の 物 語 の 棒 下 線 部 を 見 て み よ う 。AG の 特 徴 の 一

つ と し て 、 い く つ か の 弟 子 の 章 で は 「 私 は こ の こ と か ら ○ ○ 第 一 と

称 さ れ た 」 と い う 記 述 が み ら れ る 。 こ れ は 弟 子 一 人 一 人 の 持 つ 特 性

(21)

を 示 し て お り 、 こ の よ う な 言 い 回 し は AN の Etadaggavagga「 是 第 一

品 」[AN. I, 14. 1-7.]

6 0

、Apadāna の Therāpadāna「 長 老 の 譬 喩 」 [Ap. I,

III. 1-Vagga LV. 547. ]

6 1

『 増 一 阿 含 』

「 弟 子 品 」

6 2

以 下 、『 増 一 』

)、

『 阿

羅 漢 具 徳 経 』

6 3

以 下 、『 具 徳 経 』

) に 見 い だ せ る 。 た だ し 、 こ れ 等 に

は そ の 由 来 と な る 過 去 物 語 が な く 、

「 誰 々 は ○ ○ 第 一 で あ る 」と 簡 潔

な 記 述 で あ る 。 こ れ は 既 に Bunchird に よ っ て 指 摘 が さ れ て お り 、 氏

の 研 究 に よ る と 、 Etadaggavagga で 述 べ ら れ る 41 人 の 名 前 と 特 質 は

Bāhiya-ārucīriya と Sāgata の 2 名 を 除 い て 、Theragāthā 中 に 39 名 確 認

で き て お り 、そ の う ち の 16 名 は 、物 語 の 話 者 が 本 人 や 対 話 者 、第 三

者 で あ る と い う ば ら つ き が あ る が 、 彼 ら の 特 性 が 長 老 在 世 の 出 来 事

と し て 描 か れ て い る 。

で は マ ハ ー カ ー シ ャ パ に 関 す る 記 述 を 比 較 し て み よ う 。 ナ ン ダ 、

60 Bunchird に よ る と 、 Etadaggavagga に は Kammasutta[SN. II, pp. 155 -156. ]

と の 密 接 な 関 係 が 見 出 せ る 。こ こ で は「 比 丘 ら よ 、 君 ら は 誰 々( 弟 子 の 名 ) が 多 く の 比 丘 た ち と 経 行 し て い る の が 見 え る か 」「 じ つ に 、 そ の 比 丘 た ち は み な○○( 特 性 )の あ る 比 丘 た ち だ 」と 比 丘 の グ ル ー プ( Sāriiputta, Mahāmoggalāna, Mahākassapa, Anuruddha, Pu ṇṇa-Mantāniputta, Upāli, Ānanda, Devadatta) の 特 質 につ い て 述 べ て い る 。 氏 は Etadaggavagga の 作 者 は こ の 経 の 言 い 回 し を 採 用 し て 、さ ら に 当 時 流 布 し て い た 伝 承 か ら 、 是 第 一 の 弟 子 た ち の リ ス ト を 作 成 し た の だ ろ う と 考 察 す る 。

61 547 人 の 弟 子 た ち の ア パ ダ ー ナ で あ る 。 Apadāna は Buddhaāpadāna,

Paccekabuddhāadāna, Therāpadāna, Therīapadāna の 順 に 構 成 さ れ る が 、 釈 尊 の 章 に あ た る No. 387. Pubbakammapiroti (宿 命 の 織 布 ) と 題 さ れ る 偈

頌 はTherāpadāna の 中 に 含 まれ て い る 。 直 前 の No. 386.[ Apadāna. I. p.

298]シ ュ ロ ー ナ・コ ー テ ィ ヴ ィ ン シ ャ の み が AG-B L と よ く 一 致 す る 点 か ら 、Salomon が 指 摘 す る よ う に Apadāna が 北 伝 の AG の 一 部 を 取 り 入 れ 、 そ の と き AG に 説 か れ る 弟 子 の 章の 最 後 が 彼 で あ り 、結 び の 釈 尊 の 章 へ と 続 く ひ と つ づ り が 抜 き 出 さ れ た の で あ ろ う 。ま た 、Bunchird は 架 空 の よ う な 名 前 、多 く の 重 複 し た 名 前 が 確 認 で き る 事 、そ し て 原 始 経 典 に 見 ら れ る 名 前 が 全 体 の う ち の 60 人 あ ま り に と ど ま る事 、さ ら に「 是 第 一 」 に つ い て 述 べ ら れ た 弟 子 は 26 人 も おり 、AG の 倍 に あ た る 事 を 指 摘 す る。 こ れ ら の 点 か ら も AG よ り も 後 代 に 作 ら れ た と 見 て よ い で あ ろ う 。 62 [T2. 557a -560c] 伝 僧 伽 提 婆 訳 、 2-3 世 紀 頃 の 成 立 。 研 究 者 に よ る と 384-385 年 に 曇 摩 難 提 訳 、道 安 に よ る 補 正 あ り と の 見 解 が な さ れ て い る 。 63 [T2. 831a -834b] 法 賢 訳 、 1001 年

(22)

シ ュ ロ ー ナ ・ コ ー テ ィ ヴ ィ ン シ ャ 、 ヴ ァ ン ギ ー サ に 関 し て は 次 項 に

譲 る 。

Yāvatā buddhakhettamhi, ṭhapayitvā mahāmuni ṃ Dhutaguṇe visiṭṭhohaṃ, sadiso me na vijjati. [Theragāthā. v.1090.]

仏 陀 の 国 土 に 関 す る 限 り 、 偉 大 な 聖 者 を の ぞ く と 、 わ た し は 頭

陀 の 徳 に お い て 優 れ て お り 、 私 に 等 し い も の は お り ま せ ん 。

Dhutavādānaṃ yadidaṃ mahākassapo. [AN. I, 14. 1. 194.]

頭 陀 を 説 く 者 の 第 一 は マ ハ ー カ ッ サ パ で あ り ま す 。

十 二 頭 陀 難 得 之 行 。 所 謂 大 迦 葉 比 丘 是 。

『 増 一 阿 含 』 [T2. 557b8-9]

復 有 聲 聞 少 貪 、 常 喜 持 頭 陀 行 。 大 迦 葉 苾 芻 是 。

『 阿 羅 漢 具 徳 経 』 [T2. 831a15-16]

こ の よ う に い た っ て 簡 潔 で あ り 、

「 頭 陀 行 で 最 も 優 れ て い る の は マ

ハ ー カ ー シ ャ パ で あ る 」 と 述 べ る に と ど ま る 。 異 な る の は AN、『 増

一 』、『 具 徳 経 』 は 世 尊 が 比 丘 ら に 告 げ る 形 を と る が 、Theragāthā は

マ ハ ー カ ー シ ャ パ 自 身 の 言 葉 で 一 人 称 と な っ て い る 点 で あ る 。 仏 弟

子 の 個 性 と な る 描 写 を 含 む

Theragāthā の よ う な 伝 承 を 素 材 と し て 、

仏 弟 子 た ち が リ ス ト 化 し て 列 挙 さ れ る よ う に な り 、 や が て も っ と も

優 れ て い る 特 性 の 由 来 に 正 統 性 を 持 た せ る た め 、 過 去 世 の 物 語 が 付

加 さ れ て い き 、AG の よ う な 形 と な っ た の で は な い だ ろ う か 。こ の よ

(23)

う に 仮 定 し て 、

「 是 第 一 の 弟 子 」が 弟 子 の 章 に ど の よ う に 関 連 付 け ら

れ る の か を 追 う こ と で AG の 原 初 に 近 い 形 を 想 定 で き る の で は な い

だ ろ う か 。

3.3. 「 弟 子 の 章 」 の 発 達

で は 、最 も 多 く の 弟 子 に つ い て 述 べ る MSV と 、ガ ン ダ ー ラ 語 写 本

に よ り 近 い 一 致 を み る Dhr を 、仏 弟 子 の リ ス ト で あ る Etadaggavagga

と 比 較 し て み る と ど う で あ ろ う か 。 全 弟 子 の 最 大 数 36 人 の う ち

Etadaggavagga に は 23 人 の 名 前 が 確 認 で き る 。そ の う ち 12 人 が「 是

第 一 」 と 記 さ れ て い る 。

本 論 で は Bunchird の 研 究 表 を 参 考 に 再 考 察 を 試 み た 。 以 下 ( ) 内

ロ ー マ 数 字 は MSV の 弟 子 の 順 番 を 示 す 。( ) 内 ア ラ ビ ア 数 字 は Dhr

で の 順 番 で あ る 。そ の 後 ろ の 印 は Etadaggavagga と 比 較 し て 、○ は 内

容 と 「 是 第 一 」 の 記 述 が 合 致 。 △ は 「 是 第 一 」 の 記 述 あ り 、 特 性 は

一 致 せ ず 。

▲は「 是 第 一 」の 記 述 な し 、特 性 は 一 致 。×は 一 致 せ ず 。

と し て 付 す 。次 に

Theragāthā( 以 下 、Th)で の 特 性 に つ い て 示 し た 。

さ ら に そ の 下 に 付 し た 資 料 は 上 か ら AN、

『 増 一 』、

『 具 徳 経 』で あ る 。

カ タ カ ナ の 名 前 表 記 は

Pāli に 従 っ て い る 。

1.

ア ン ニ ャ ・ コ ン ダ ン ニ ャ (

Pā. Añña-Kondañña, Skt. Ajña -Kaundin ya

(MSV.

XXX III

) △ ( Dhr.

な し

) -

Th. v. 673-688.

6 4

64 ど の よ う な 梵 行 を し て い た か 記 述 す る 。 該 当 箇 所 v. 683-686.

Kālapabbaṅgasaṅkāso, kiso dhamanisanthato;Mattaññū annapānasmi ṃ, adīnamanaso naro. Phuṭṭho ḍaṃsehi makasehi, araññasmi ṃ brahāvane. Nāgo saṅgāmasīseva, sato tatrādhivāsaye. Nābhinandāmi mara ṇaṃ…pe… nibbisaṃ bhatako yathā. Nābhinandāmi maraṇaṃ…pe… sampajānāe patissato.

ヴ ァ ン ギ ー サ の 偈 頌 v. 1246 で も 特 性 が 示 さ れ る 。 Mahānubhāvo tevijjo,

(24)

Etad agga ṃ … rattaññūna ṃ yadidaṃ aññāsikoṇḍañño. [AN. p.23. l.17] 出 家 し て 久 し い も の の 第 一 。 所 謂 阿 若 拘 隣 比 丘 是 。 初 受 法 味 思 惟 四 諦 。 亦 是 阿 若 拘 隣 比 丘 、 善 能 勸 導 福 度 人 民 。 [T2. 557a20-21] 棄 捨 王 位 久 爲 出 家 。 最 初 悟 道 梵 行 第 一 。 [T2. 831a13-14]

2.

サ ー リ プ ッ タ (

Pā. Sāriputta, Skt. Śāriputra

(MSV.

II

) ○ ( Dhr.

2

) ○

Th. v. 981-1017.

6 5

Etad agga ṃ … mahāpaññāna ṃ yadidaṃ sāriputto. [AN. p. 23. l. 18] 大 い な る 智 慧 の あ る も の の 第 一 。 智 慧 無 窮 決 了 諸 疑 。 所 謂 舍 利 弗 比 丘 是 。 [T2. 557b6] 復 有 聲 聞 、 具 大 辯 才 智 慧 第 一 。 舍 利 弗 苾 芻 是 。 [T2. 831a17-18]

3.

マ ハ ー モ ッ ガ ラ ー ナ

(MSV.

III

) ○ ( Dhr.

3

) ▲

Th. v. 1146-1208.

6 6

Etad agga ṃ … iddhimantāna ṃ yadidaṃ mahāmoggallāno. [AN. p.23. l. 19] 神 通 あ る も の の 第 一 。

神 足 輕 擧 飛 到 十 方 。 所 謂 大 目 揵 連 比 丘 是 。 [T2. 557b6-7] 復 有 聲 聞 、 修 持 精 進 具 大 神 通 。 目 乾 連 苾 芻 是 。 [T2. 831a19-20]

4. マ ハ ー カ ッ サ パ

Nagassa passe āsīnaṃ, muni ṃ dukkhassa pāragu ṃ. sāvakā payirupāsanti, tevijjā maccuhāyino.

65 v. 1014. Cakkānuvattako thero mahāñāṇī samāhito pathavāpaggi samāno na

rajjati na dussati. マ ハ ー モ ッ ガ ラ ー ナ の 偈 頌 v. 1182 で も 特 性 が 示 さ れ

る 。Sāriputto va paññāya sīlena upasamena ca, yo pi pāra ṃgato bhikkhu etāvaparamo siyā.

66 該 当 箇 所 v. 1183-4. Ahaṃ vikubbanāsu kusalo vasībhūto 'mhi iddhiyā.

Samādhivijjāvasi pāramīgato Moggallānagotto asitassa sāsane dhīro samucchindi samāhitindriyo nāgo yathā pūtilataṃ va bandhanaṃ.ヴ ァ ン ギ

ー サ の 偈 頌 v.1250 で も 特 性 が 示 さ れ る 。 Cetasā anupariyeti Moggallāno

(25)

(MSV.

I

) ○ ( Dhr.

1

) ○ ( AG-S 欠 落 ) -

Th. v. 1051-1090.

6 7

Etad agga ṃ … dhutavādāna ṃyadidaṃ mahākassapo. [AN . p.23. l. 20] 頭 陀 行 を 説 く も の の 第 一 。 復 有 聲 聞 、 少 貪 常 喜 持 頭 陀 行 。 大 迦 葉 苾 芻 是 。 [T2. 831a15-16] 十 二 頭 陀 難 得 之 行 。 所 謂 大 迦 葉 比 丘 是 。 [T2. 557b8-9]

5. ア ヌ ル ッ ダ (

Pā. Anuruddha, Skt. Aniruddha

(MSV.

XXIII

) △ ( Dhr.

23

) ×

68

Th. v. 892-919.

6 9

Etad agga ṃ … dibbacakkhukāna ṃ yadidaṃ anuruddho. [AN. p. 23. l.21] 天 眼 あ る も の の 第 一 。

天 眼 第 一 、 見 十 方 域 所 謂 阿 那 律 比 丘 是 。 [T2. 557b9-10]

復 有 聲 聞 、 有 所 觀 矚 得 大 天 眼 。 阿 儞 嚕 駄 苾 芻 是 。 [T2. 831a21-22]

6. バ ッ デ ィ ヤ ・ カ ー リ ー ゴ ダ ー プ ッ タ

Pā. Bhaddi ya-Kāḷīgodhāputta, Skt. Bhadrika-Kāligodjāptrika

(MSV.

XXIX

) ▲ ( Dhr.

27

)×

Th. v. 842-865. 特 性 に つ い て 記 述 な し 。

Etad agga ṃ … uccākulikāna ṃ yadidaṃ bhaddi yo kāḷigodhāyaputto. [AN. p.23. l.22] 高 貴 な 系 族 の も の の 第 一 。 我 聲 聞 中 第 一 比 丘 。豪 族 富 貴 天 性 柔 和 。所 謂 釋 王 比 丘 是 。[T2. 558a20-21] 復 有 聲 聞 、 捨 於 上 族 而 樂 出 家 。 賢 苾 芻 是 。 [T2. 831b20]

7.

ラ ク ン タ カ ・ バ ッ デ ィ ヤ (

Pā. Lakuṇṭaka-Bhaddi ya, Skt. 67 3. 2. 参 照 。 68 Dhr、 MSV は 三 達 智( 三 明 ) を 得 た と い う 点 が 一 致 。 MSV は「 天 眼 」 に 言 及 す る が 「 福 徳 あ る も の の 最 上 」 と 結 ぶ 。

69 該 当 箇 所 v. 909. Yassa muhutte sahassadā loko saṃvidito, sa Brahmakappo

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