ガンダーラの浮彫にみられる
「榔象」図と仏伝文献
上 枝 い づ み
はじめに
釈迦の太子時代の競試武主:の一幕として,太子の従兄弟デーヴァダッタが 撲り殺し,ナンダ(もしくはスンダラナンダ)が牽いてみせた巨象を.太子 はいともたやすく放り投げたという説話が知られる。いわゆる「捕象」の主 題である。 この主題は.一世紀から三世紀にかけてガンダーラで制作された仏伝図浮 彫において初めて造形化されている。興味深いことに,この主題はその後の インドの仏伝図には見いだされず,ガンダーラ以降はむしろ中央アジアや中 凶に伝播した。このようにみると「榔象JI
ヌl
とは,インドではガンダーラに 独特の図像といえる。そして.この「榔象」説話を伝えている現存の文献も. 後述するようにサンスクリット;
¥
[
f
および拠訳のいわゆる「仏伝文献」に限ら れている。こうしたえfンダーラに独自となる図像を考察し文献の伝承との 関わりを探る試みは,この時代のガンダーラにおける仏伝流布の状況を知る 上でも重要であると考えられる。しかしながら.Foucher1905-51における 主題の比定以来 r榔象J凶について本俗的に被った研究はみられない。そ こで本稿では‘ガンダーラ独特の「郷象」闘をとりあげて.仏伝図全体にお ける位置づけや図像的特徴を明確化し.さらに関係する文献群の記述と比較 する。これにより r榔象」伝承の様相1を探るとともに‘ガンダーラにおけ る仏伝伝象のー形態を示してみたL、
-103-庁ンダーラのi芋彫にみられる rl
・
"'JI岨と仏伝文献1
.
r
榔象』図と仏伝表現系統
まず.仏伝表現のなかでの「榔象」岡の位置づけについて確認しておこう。 ガンダーラにおいて仏伝を表した浮彫は,寺院内の仏搭の方形基壇,円筒形 の胴部(以降は円胴部と呼ぶ).破風形装飾,平頭,そして階段蹴込などの 建築部材に設置されていた。このうち,仏併の破風形装飾や平頭には四大事 といった主要な仏伝主題が組み介わされる傾向にあるのに対し.仏塔円胴部 の周囲を織っては.おそらく布織の流れに治って仏伝の場而が連続していた とみられており,その配列には次のようなこ系統が認められる。すなわち, (1)釈迦の教化説法,神変の場而を迎統させる系統と.(
2
)
釈迦の生涯の 事踊について年代順に並べ,一代記的に表現する系統である。このうち後者 の一代記的表現系統では.r燃燈仏授記」あるいは「託胎霊夢」を起点とし て,釈迦の誕生前後の場面,『出城」にいたるまでの太子時代のエピソード を詳細に場面化し,続いて二,三の教化場耐を配列した後はr
i
里繋」のエピ ソードに直結させるという展開カf確認される。このような仏伝表現はインド 内部には認められず.ガンダーラで独自に発達したものである。 現在,ガンダーラからは『榔象』を表した浮彫が25例ほど確認される。い ずれも湾曲した形状をもっ小型の浮彫である。このような形状をみる限札 「榔象」図は,仏塔円胴部の周凶において,そして釈迦の太子時代の事蹟に 多くの区画が用いられる上述 (2)の一代記的仏伝表現を構成する一場面で あったとみられる。この点は仏伝の先遣とえfンダーラという地域を考える上 では興味深い。それというのも,前述したように. r榔象」の図像表現とは, えfンダーラを初現とし.インド内部では.同時代のマトゥラーにも確認され ず.南インドの各遺跡の作例にもみられない。太子時代を詳しく描くアジャ ンター第16窟壁画(五世紀頃}においても.競試武芸は「弓技」の様子が表 (5) されるのみである。一方,中央アジア,中国にはその表現を認めることが出 来るが.これらの地に伝わる「榔象」凶も,釈迦の「一代記的仏伝表現」に- 1
0
4
ーガンダーラの浮彫にみ与れる
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象J1:刈と仏{丘文献 関わっている。まず"'11<1において, 北貌時代五世紀末 六1
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:
紀初 回の造営と みられる__E母山+
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町(現在の一片蔚省在、)11県)内,中心柱ーi'"}'円控i
fJiのA
寵外の 仏伝図の一場1mとして,凶壁 ~t 隅に 「榔象」が選択されている。 さらに,敦 健英高間第290術 開頃の仏伝図のなかにもみることが山米る。そして,七 世 紀にくだる西城のキジルイi
術館110窟(階段窟)内部位而にj血統して表現さ れた仏伝闘に,r j郷象」がイ77まれることがイi佐認できる。 葉市街節 290r.百, キジルイ ix.~i第110窟の仏伝図の村\:J>><:については, 釈迦の生 涯を時系列にそって配するJ
I
て¥ガンダーラにおける一代記的仏伝表現の系 統を汲むものと考えられる。二E
母宮石窟のイl
、伝図の配ダIJと一代li己的仏伝表現 との│民J:
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1
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:
は今後の検討謀j辺となるが,八つの仏伝区間のうち競試武芸 の 場 面が連続しており,釈迦の太チl時代を中心とした構1>><:であったことはうかが える。 このように,1ヌ│似の展1Jf.Jをみる限り, 「榔象」とは,釈迦の成道以前を詳 しく描く一代記 (I~)仏伝表呪と強い結びつきを示す主題といえる。 図1rナンダの51'.:みJか サ イ ド ゥ ・ シャリフ[=
ヒ
tfi!l'.1'.26X22X3cm 同立ローマボiL財f.ifiui',:!i2
.
ガ ン ダ ー ラ に お け る 「 揃 象 」 図 2-1 三通りの構 図と主要 な 図 像 さて,rj邸象」 の i=.J凶が1<)Jめて図 案 化されたガンダーラにおいては,どの ような図像的特 徴 がみられるであろう か。「榔象Jに│対する拙も,Iiい 図 像 表 現は,ガンダーラ北部スワート地ブiサ イドゥ ・ シャリフIdt院.l:H~の門胴部 j古l
聞を飾った浮彫の一つ (1$<1
1
:匡│立 ローマ東洋美術自ij'\}ì'r~) で, 一世紀中葉 の制作とみられている。断片・であるが, 倒れた象とM州"
J
が(i'(rii辺、でき,当該地域 r D A Uガンダーラの汗:彫にみられる fl甥耳(JtilJと仏{ム文Ml. 凶
2
r.t~部:U{J 三場ltii シクリ出土 h.20cm (全心j)ラホール博物館蔵 ではー111:紀中東という早い段階 に,仏{ぷ'1'の「榔象」の主題が 成立していたことを示している。 このサイ ドゥ・シャリフI主 路一 川111,・){1IIの刊i(fl]は技念ながら図像 の一計1Iを伐すのみであるが,そ の後のyゲンダーラにおける作例 をみると,これらには以 下の三 つの桝│文l
がみられる。 ① .ili枕する三つの区画にそれ ぞ れ一場I(IIをあてるー図一景(
1
ヌ1
2
)
② 一つのI~同にH与問の呉なる 二つの場l耐を配置する一図ご は〔閃 3) ③ 一つの│丘Idliに全ての場面を まとめるー岡三景〔図4)。 iJ'・ンダーラの仏伝凶j平!彰は非 'I~;; に多くの作例数で?~Iられながら,各主題の柿凶はほぼ一定している。しか しr
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郎X
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をぷすj別協では,これらの三つの椛凶が,i
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められるのは,この説 話が必本(1りにこつの辿R~'é した場面から成り立つものによると忠われる。 以 下,① ③ の柿 凶 を 確 認 す る に あ た り , それ ぞ れ の 場而 を 桝 成 す る (a) -(c)の│ヌ│似に才f目する。 まず,一以1.
.~;t. の桃図について,シクリ 出土ラホール|呼物館蔵 (No. 2038)の作例をとりあげてみてみたい〔図2)。本浮彫は三段の情 状区 画 が 認められ,その'M:Iイ段には柱に区切られたー│メ:lllilごとに三つの場而が看取さ れる。〔凶2)はその三つの区画を上から}I聞に示したものである。 -106ーガンダーラの浮彫にみられるつ甥紘J1刈と仏伝文献 1:;<13 r}郷象」 二場而 おそらくスワーピ将来 11.2x 31x 4cm 11 "f吋I~I 人政 物却の始まりとなる最右の│三阿'1(凶2-'二段〕では, Irfi而i;(iに城野の様子が ぶされ, IllillUirl'央にぶされた城門から象が半身を釆り1"1'1している。Illill(li左に は,リ)官1: が象の牙あるいは品をk手で摘み,象に対して治すを l~':j<振り上 げ て い る (a )。そして,続く場iuiとなるrl-I央のlヌー凶j
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ヌI
2
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j
没〕では,倒 れ た~~の出をイi乎で輩〈男性 (b)が表されている。そして,以後の場而であ るたのメ│:plil(
1
ヌ1
2
下段〕では,城壁の奥で,右手で象を持ち上げている太子 ( c )をぷ-している。 一凶ぺ対の作fYJl(図3:おそらくスワービ将米, n 本イI~I 人l滋〕では. @I面 右で半身をみせる象に対して,そのうヂを左手で禍み,右手を振り卜.げる男性 ( a )をぷし.iill1面左では,今度は~{を日に担ぎ上げる. ~Si光をつけた大チ(
c
)がぶ・されている。 そして, ー岡三景の作例 (1支14 : 1."'-1こ地不 flfl. ぺシャーワル t~'l物飴蔵 No. 31) をみると, 一版画のなかに,これまでに雌認した (a) - (c) の三つ の場1(liをぷす凶像全てが組み合わされているのがわかる。すなわち, 1曲面右 1-.には城I
"
J
に採がる象の牙を左手に摘み, 布手ーを振りヒげるり〕性 (a ),そ - 107-ガンダーラのf宇彫にみられる rli:.¥象」闘と仏伝文献 図4
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郷象」 三iVi而1
1
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,上地等不Ilflぺシャーワル俳物館必 して l雨前下の中央からlï:にかけて,倒れた~~とその尾を右手で制んで*~<
男
性 (b),画面中央には, -{î手て'~'I.を持ち卜.げている頭光をつけた太子(c
)
がー版画に示されている。 以ヒから,ガンダーラでは連続する仏伝場而の灰闘の多少に│失l
わらず, q郁~J 説話が基本的にこれらの(a
)ー(c
)の三つの.t~ÎI(liの述統によっ て物 訴られていたと考えられる。例えば最後の (c )の場而のみで 「榔~~J をぷす作例はいまのところ当該地域からは兄つかっていない。そのl
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提とな る(a)
や (b)
の場而が必ず組み込まれている。そこで本杭では,r
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哲1
1
象J1
:
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1
に│民l
わるこの三つの図像をそれぞれ似丘的に, ( a) rデーヴァダッタの撲象」図 ( b) rナンダの来象」岡 ( c) r太チの郷象」阿 とH予んでおく。 次にこれら (a
) ー (c
)の図像について特徴をまとめてお-
1
0
8
-ガンダーラの浮彫にみられるr婦象』闘と仏伝文献 」フ。 (a) rデーヴアダッタの撲象」図 まず,説話のはじまりにおかれる「デーヴァダッタの捜象」闘は,男性像 が城門に塞がる象の牙あるいは鼻を左手で牽き,右・手を
i
*
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<掘りl
二げて象に 打ちおろそうとする幌1111を表現したものである。画面右から左に向う象と, その進路を塞ぐような位置で,右向きに男性が立つ場合が多い。象に右手を 振り上げている男性の服装をみると,腰布一枚を纏い上半身を露わにしてい る。そして,とりわけ〔岡3)
や〔図4)
の作例に明らかであるように.耳 環や首飾.腕釧などの装身具を身につける場合が多<.身分のある王族の若 者としての表現がなされている。 (b) rナンダの彰象」図 次の場面となる「ナンダの輩象」図には.二通りの凶悌がみられる。これ までに確認した〔凶 21
'
1段〕や〔凶 4) の作例をみると,込を折りうずくま る象が右向きに去されている。そして男性がその尾を右手に摘み,左手をlr. 腿にあてて.象を家〈様子が背而観で表されている。特に(15<14
)の作例で は,体の左側に重心を移す男性像の表現から,重たい象を牽く様子が伝わる。 これに対しベルリン匝│立アジア美術館蔵(
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.
I
-
1
8
3
)
の作例〔図5
:出 土地不明〕では.今度は頗を下げる象は左向きで表され.その厄を牽〈男性 は正面観となっている。ただしその姿勢はやはり象の尾を右手で摘み.左手 を左腿にあてて重心をかけるものである。 このように「ナンダの牽象」図には,中心となる象の尾を家〈男性像の表 現に正副観と?~凶i脱の二通りの図像が認められる。この二泊りの L'J(I 像の聞に 出土地域や年代による差異は認めがたく,現存作例でもI1l,jす?の存IJ介はほぼ等 しい。ただし,最も市い作例であるサイドゥ・シャリフI U
笹川胴部の浮彫 〔図1)は.足を折りうずくまる象が左向きに表されているため,当初はこ の布側に正面観で象を事< (図5) に認められるような男性像が表されてい-
109-ガンダーラのf'1.彫にみられる rlli'i象Jti<lと仏f云文献 医
1
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榔象」 一場│而 出土地不1l}
1
3
2
.
5
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2
1
.
5cm
ベルリン固なアジア美術館蔵 たと考えられる。そして〔図5)をみると,1$-tを掌く男性像にもやはり腕釧 などの装身具が認められる。さらに, (I~I 4 )の作例ではターパン冠飾がみ られ,1
1
主も正放のお:.('j.と して表現された説括性の高いものであることがわか る。 ( c) r太子の側~J 図 最後の場而を桃j比する「太子の榔象JI
ヌ│についてはまず, (lヌI
3
)や〔図 4 )にみられるように,象を担ぐ男性像にD
I
i
光がとりつけられることで,象 を投げるという役WJIは太子にあることがlリl示されているといえる。 太子の表引にも正而観と背而観の二j迫りがある。〔図2下段〕にみるよう に,正面観で表される場合は,右目に象を./11ぎ,まさに象を投榔しようとす る姿勢で表現されている。この他,(灰I
4 )のように,正I
信組で両│l
掠の姿勢 をとりながら,象をイT手の上に峰々と来せている表現も僅かながら認められ n Uガンダーラの浮彫にみられる
r
_
*
J
凶と仏伝文献 る。次に 1~i而観での表現は. (図3)のように‘右肩に象を担いだ姿勢で背 中をみせ. J " .IEを後ろに引いて投榔する太子の様子を表したものである。た だし,この背l白i
観の作例は.作例総数からみても〔図3)の作例を合むニ例 のみで,「ナンダの牽象」図と速い.t
E
l(Ii観の回l
f
象が主流である。また,太 子像も│際平l
.iを櫨い,装身具を身につけて表されている。 きて.王母宮石窟,敦健英高窟第2
9
0
続.キジル石窟第1
1
0
窟にみられる表 現i
基本的にこのガンダーラにおける表現が踏襲されている。ただし王 母宮石軍事の例をみると. (a) rデーヴァダッタの撲象」図には,男性が象の 第を両手で摘んでねじっているような必引が認められ, (b) r牽象」聞は. 象の尾を型~:くのではなく,男性が象を JJ旬の jjij で抱えている表現へ変容してい る。王l
引:
i
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簡では三者の凶像が級事JIしているが.敦健莫高官第2
9
0
紺の 「榔象J[:;<1は,城門下の象と(c) r太-(.の榔象」図のみでこの説話を表現 している。また,王母官石結.英政i
筒第2
9
0
慌の人物表現は,衣を細い,い ずれも正耐観で形式的な表現となっている。ガンダーラの図像のように腰布 一枚を纏った表現ではなく.まさに象を投郷しようとしている騒動感はみら れない。 ~1J. キジル石窟第 110窟の作例は,(
b
)
rナンダの牽象J. (c) r太子の 榔象J])<1で構成するー図二景の構lヌlである。両者ともガンダーラの作例にみ られるように腰布一枚を櫨い.写実的な{糾l
温表現をみせ.装身具も確認でき る。(b) rナンダの牽象」図においても.象の尾を牽く表現が認められる。 しかし,仰向けになった象の尾を.腰をかがめて両手で牽く男性像の表現で ある点.ガンダーラと異なる独自の表現といえる。2
-
2
.
城門に塞がる象の表現 以上,「榔象」図を構成する三つの場j(IIと主要な凶像を確認した。ミれら にかかわる象の表現について.まず特徴的であるのは,「デーヴァダッタの 撲象J~I では,城門から象が半身を現して事がっている様子が表現されてい るものが大半を占めるということである。さらに. rデーヴァダッタの伐象」ガンダーラの浮彫にみられる rl!li象』図と仏伝文献 図から. r太子の榔象」図まで,主人公の腕力の大きさが増すにつれ.構図 のなかでの象の大きさは小さくなってゆく点も興味深い。 象の表現は非常に制かく写実的なもので, (図5)のように.背中の剛毛 を示すような突起を連続させていることも多い。また.象の体表に斑点を表 す場合もみられる。:l1~初期の作例であるサイドゥ・シャリフ I 主格円胴部浮 彫〔図 1)にも,象の体表に細かな斑点がみられる。 (1ヌ13)の作例では, 右側の象の体表にやや大きい斑点が刻まれている。象の体去にこのような斑 点を刻む表現は.ガンダーラの仏伝図浮彫では他にー教化の場面の一つであ る r酔象調伏」図〔例:出土地不明,ギメ美術館蔵(柴田2003,
f
i
g
.
433) ) や,また, r太子を迎える父王」の場面と推測されている浮彫〔例:出土地 不明,ペシャーワル博物館蔵(栗田2003,f
i
g
.
103))にもみることができる。 この斑点の意味としては象の装飾を示している可能性も考えられるが,仏伝 図以外に目を転じると,r
トリトーン」図の尾や,
ri~正猷ケートス」図の体表 にも同様の斑点がみられる。ガンダーラにおける動物の斑点の表現には.力 強さや畏怖の対象を示す怠図が関連していると思われる。2
-
3
.
城壁の表現 城門の真下に耳障がる象の表現に関連して, r郷象J~)には.l
f
也の競試武芸 の主題にはない減壁が去されている。フーシェはこの城壁の表現から.この 出来事が城門の外で行われたと想定する (Foucherl905-51,tome1
.
330-2) が,以下この城壁の表現について詳しくみてみたい。 〔図 5) に示したベルリン回立アジア美術館j畿の作例でも背景に城壁が確 認される。そして Illil而右には,城壁の手前にせりだした形の,末広がりの基 礎部分をもっ建造物が表呪されている。この建造物はガンダーラの浮彫には しばしばみられる。ガンダーラの浮彫にみられる城婚や城壁'の表現について 詳細な観察を行・ったF.ティッゾの研究では, (図5)にみるような末広がり の基礎をもっ建造物については城壁に連なった務と考えられている。なお, ティッソはこの基岨の張り出した部分はガンダーラの仏伝図制作当時の実際 q Lガンダーラのj字彫にみら iLるq婿1lt11:4と仏 伝
x
,W¥ 図6 r合平11の入城J 1.1',仁地不明 15.24X23.81cm ラホールt~ì-物館政 の併の控Jlt11の峨f
ーを:写したもので,表而に刻まれた三1
'
1
)[ヲや矢印のくぼみは 矢狭間をぷし,張り出した三角形の突起は此のついた窓のぷ呪であるとする。 例えば「分合利の帰城」をぶした浮彫(1ヌ1
6
:
I
.
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-
I
二地不│リ1
,ラホール↑!?物館 雌〕 をみてみると, この場TtIi
にも,城1
"
)
の),'.ギlに末jよがりの基礎をもっJ
.TJIヲ の建造物が認められる。 〔閃6)の作例では,方JI去の建造物の械にi
l
ご而-WLで得人が表現されている ことからも,これが城外から城内を眺める州}I'Xで表引されている場前i
である ことがわかる。そして,このような城壁の表現をみると,ガンダーラの仏伝 阿浮彫において,城壁に述なるI
苔に三1
'
1
あるいは方形の突起でJte窓が刀之され ている場合, やはりその的対は城門の外であるという叫}.',(を観名-に提供する ものと忠われる。 先に兄た (1ヌ15 )の作(9J
I
のほか, (阿2)のシクリ出仁ラホール t~lf物館威 の作 例でら,名場面に城壁が去されている。 最 初の「デーヴァダッタの撲 象J図(
1
区1
2
上段〕では城1
"
)
と城壁に連なる併がみえる。ここでは方形では なく同形の燃が表現されているが,そのJ去l避はやはり氷山がりに阪り,'1',した ηJガンダーラの浮彫にみられる
.
r
IIlJ闘と仏伝文献 造りである。庇窓を示すとされる突起はみえないが,城壁部分には三角形の 矢狭聞が確認できる。続く「ナンダの停:象」図〔図2中段〕では,象を牽〈 男性の背後にやはり円塔を連ねた矢狭1
1
0
のある械壁が示され,城壁の外に象 を筆いた様子が表されている。しかし,最後の場面となる『太子の榔象」図 〔図2
下段〕では.城壁の内側から太子が象を投捕する表現となっている。 〔図4)のペシャーワル博物館蔵の作例では,象が塞がっている城門はイ ンドのトーラナ風のアーチのある表現がとられている。そして背景となる城 壁は笠石を乗せた様子で表現されている.ここではー図三景の構岡からか. rデーヴァダッタの撲象」における象は城郭の中から現れ,城壁の外側の男 性.が象を撲る形である。その他「ナンダの牽象」図も,「太子の榔象」図も 城壁の外側で表されている。 ガンダーラの作例では最初の場面である「デーヴァダッタの撲象」凶にお いて.象が城外から中に向かう様子とも.また〔図4) のように域内から外 に向かう様子ともうけとれるものもみられる。そして,「ナンダの牽象」図 は城壁の外であることが共通する.しかしながら,先述の〔図2
下段〕の例 のように.その後に続く r太子の欄象」の場繭では,太子が城壁の内側に表 される例がみられる点が注目される。「榔象」を物語る上では,太f
が城壁 のIIIJこうi
l
l
l
1
に象を投榔したという要議が必要であったと推測される.2
-
4
.
蹟院武芸図における「郷象」の位置 以上,ガンダーラの「郷象』図の11<1
像的特徴を確認してきた。なお.r郷 象」闘を表した25例のなかには.その前後の場面が確認できる作例が7例ほ ど認められる。そこでここでは.以下に示すその7例をもとに.競試武芸図 全体における「榔象」の位置づけについて確認しておきたい。 〈続試武去の最後に『捕象」をおく作例〉 (j)r太子の揃象」→「問門出遊(?) (もしくは「出城J)J : 〔スワート地方プトカラ1
1
1
出土.ぺシャーワル大学博物館蔵-
114-ガンダーラの浮彫にみられる r編集』闘と仏伝 J(献
(RahmanI990
, p6
l
.
)
)
(ii)q
鄭象」→「結鮒式(?
)
J : 〔タレリ出土(水野・樋口編1
9
7
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.p
l
.
1
3
8
-
5
)
)
(iii) rレスリング」→「剣技」→「榔象J : 〔出土地不明.!4t京国立博物館蔵No.TC-653-3
(現地展示))(
i
v
)
r
剣技」→「レスリング」→「郷象J : 〔出土地不lリ1
.
日本個人蔵(栗山2
0
0
3
.p
l
.
9
1) ) 〈競試武芸の最後もしくは1
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に「榔象」をおく作例1
1
>
(v) r弓技」→「榔象J : 〔スワート地方グンパト出土.ヴィクトリア&アルパート美術館 蔵I
n
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.
1
.
M. 7
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9(Ackermann 1
9
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,p
.
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)
)
(vi)rレスリング」→「榔象J : 〔チャトパトm
土,ディール博物館雌No.116(
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a
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9
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-
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b
,p
l
.
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.
5
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b
)
)
〈競試武芸の最初に「榔象」をおく作例〉 (vii) r蝿象」→『弓技」→「レスリングJ : 〔ジャマールガリーI
'
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土,ペシャーワル博ー物館蔵I
n
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)
)
このうち.二区画が残る(j)プトカラ III出土の浮彫は後続の場面に「四 門出遊J(もしくは r1
1
'
1
減J) と忠われる場面が連続し. (ii)タレリ出土の 浮彫ではおそらく『結婚式」の場商が後続している。このこ例を除いては, r榔象」は競試武芸のi
:
腿のいずれかと連続している。ただし.先の二例に ついても.「結婚式」および r四門出遊J(rm峨」でも)は,太子の腕試武 去に後続する場面であるから, (j)や(jj)の浮彫では.「榔象」が競試武芸 に閲する最後の場面として去されていたと考えられる。p a
ガンダー予の浮彫にみら仇る rJl象」図と仏伝文iIIt 同じくこ区画lのみの (v)のグンパト出土,ヴィクトリア&アルパート美 術館臓の作例では,馬上でけを射る場面の後に,「榔象」が配されているc この作例も競試武芸の最後におかれた可能性が高いと忠われる。 三│ま幽の場両を残すj手彫をみると.まず, (iii)の東京│玉
l
立博物館蔵の浮 彫では, r レスリング」→ I・ ~J技」→「榔象」の順で配列されている。(iv) の日本個人蔵の作例でも,右から「剣l
技』→「レスリングJ→「榔象」が配 置されている。これらの作例からは,「榔象」は競試武去の最後として配置 されていたことがわかる。 ニの-H
で, (vii)のジャマールガリー出土,ベシャーワル博物館蔵の作 例では,右から「繍l象」→ ri:'.l技」→「レスリング」の順で配置されている。 つまり,この浮彫が仏塔に配置された状況では,一転して腕試武芸は「榔 象」から物語られていたことになる. ニのように三区画を残す浮彫では,r
t
鄭象」を競試武芸のw
頭に置く{倒l
も, 最後に置く例もみられる。えfンダーラでは,競試武芸図における「榔象」の 位院は一定していない。ただし,前後の場面が確認できる作例の割合からみ ると.ガンダーラの仏伝図浮彫では腕試武芸の最後に「榔象」が置かれてい る例が多いことがうかがえる。 「榔象」岡の配列状況について他地域の例を比較すれば,王母古石窟では 順序が決定しがたいが,敦飽真市i
腐第290窟では,競試武芸のt
l
碩に「榔象」 がおかれ.その後「レスリング」→「弓技』→ r勝利運宮」→「納妃Jと場 耐が連続している。キジル石商第110窟の仏伝図でも「官,"の歓楽」に続き 「掬6
象」→「レスリング」→「弓技」→「剣技」→「結婚」と易面が展開し ている。いずれも競試武芸の ¥I
蹴に「榔象」が置かれている。敦健莫高窟第 290筒およびキジル石窟第110衡の仏伝壁l司はー館内での制作であり,特定の 文献を『典拠」として制作された可能性も指摘されている.これに対しこ れらの一代記的仏伝表現の源流といえるガンダーラでは,「榔象」の位置づ けをみても一定せず競試武芸に様々な伝承が混在していた状況がうかがえる。 -116-t1ンダーラの浮彫にみられる
.
.
r
J闘と仏伝文献 それでは r郷象」に関連する文献の伝水ではどのような状況がみられる であろうか。ガンダーラで流布していた伝水を探る上でも,次にガンダーラ の「榔象J望[l
の凶{象的特徴がどのような文献資料に呪れるか整理し.IヌIf~観的 特徴と文献での記述を比較したい。まず.文献の記述においても競試武去に おける「榔象」の位置づけを確認したあとで,ガンダーラの凶{象的特徴とし て2
-
2
で取りあげた「城門に塞がる象J・および.2
-
1
にまとめた (a) rデー ヴァダッタの撲象J・(b)rナンダの事象J・(c) r太子の榔象」図の登場人 物とその動作.2
-
3
で確認した滅壁の去呪と登場人物の移動について.文献 の記述にはどのように現れているのかを探ってみたい。3
.
文 献 資 料 に 記 さ れ た 「 榔 象 」 図 の 図 像 的 特 徴3
-
1
.
r榔象」について記す文献資料 『郷象」の事蹟は.以下に示すいわゆる「仏伝文献」のうち,サンスクリ ット語と漢釈のものに限って詳細に記されている。パーリ語文献では.釈迦 太子時代の続試武芸を記す仏伝文献 rニダーナカターJ(Nidanakatlui)で あっても「榔象」には触れていない。そして.太子時代の競試武去について 詳細に物踊る傾向にあるこれらの仏伝文献でも,幼年期の力比べであったと する伝水と. ~己礎得をかけた競技大会とするこつの伝承系統が認められる。 そこで.このニ系統に大別して「郷象」を記す文献群を列挙すると次の虫11く である。 幼年期系統(幼年期における力比べ) 1.q
根本説一切有部昆奈耶)破{幹事J(Sah
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以下SBV)
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D'太子端応本起経』巻上(呉/文謙訓:T3
,4
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4
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以下 r瑞 応J)3
.
r過去現在凶呆経』巻二(劉米/求JJ1$蹴陀縦訳:T3
,6
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以ド『過去J)4
.
r雌~説一切布部見奈耶破僧事』巻三(唐/義 i争訳:T24
,1l1
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以 ド- 1
1
7
一
埼fンダーラのIf.彫にみらItるr掃象』図と仏伝文献 『破僧事J) 5. r衆許康調帝経』巻三(北宋/法賢訳:T3,942ab以下『衆許J) 結婚系統(青年
W
J
における妃獲得をかけた競技大会での一連の競試武芸) 6. rラリタヴィスタラJ{Lalilavislara}12章 {Lv..564-6以ドLv.}7
.
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マハーヴアストウJI{Mah御 前tu}{
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以下M
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。 圃 8. r修行本起経』巻上(後漢/竺大力・康孟詳訳:T3,645c以下 r修行J) 9. r普曜経』巻三(西普/竺法護訳:T3.501a以下『普附J)1
0
.
r仏本行集経』巻十三(陪/間部嘱多訳:T3,712ab以下 F集経J)1
1
.
r方広大荘厳経』巻四(蔚/地婆詞羅訳:T3,562bc以ド r方広J) このうち.SBV
とその漢訳『破借事J.r衆許』については.相互に密接 な関連があることから,以降,この三文献をまとめる場介に便宜的にSBV
グループと総称しておしまた Lv.とその漢訳とされるr
~ì'1[-1I1~.ø .r
方広』に ついても同様に,この三文献を便宜的にLvグループと呼ぶ。ここでは, Lv.の原初の形態の成立は,早くとも二世紀中葉頃の西北インドである可能 性が指摘されていることに留意しておきたい。 以上に列挙した仏伝文献群は,それぞれ長短はあるが r燃燈仏授記」あ るいは「託胎箪夢」などにはじまり,誕生や競試武芸.結婚など釈迦の「出 城」以前について詳細に説き明かし,「成道」以後は長くてもその後の「帰 郷説法」までで終わっているという共通点がある。これらに対して,クシャ ーン朝期の附北インドにその成立が関係づけられており.また,釈迦の「誕 生」から rm~襲」までを扱うことではえf ンダーラの一代記的仏伝表現と同様 の傾向にあるといえる,アシュヴアゴーシャ {Asvagho明)撰述『プッダ チャリタJJ(Buddhacarita)およびその漢訳文献や,サンガラクシャ (SaII -gharak号a)撰述とされる『僧伽羅華IJ所集経J{脊秦/僧伽蹴澄等訳)には, ω 「榔象」が記述されていない。-
118-ガンダーラのi'f.・彫にみられる『縛象J図と仏伝文献
3
-
2
.
仏伝文献にみる「榔象Jの時系列 きて,文献の記述の比岐検iト1
・においてはまず,これらの文献群においても, 腕試武去のなかで「榔象」はどのような順番で物語られているのかという時 系列を確認しておきたい。 幼年期系統のうち,r
瑞応、』は.競試武芸について「弓技』→『レスリン グ」→「榔象」の順に記し「阿1
"
1
出遊」へと展開する。次に r過去』では. 太子の r弓技」の腕前を述べた後.競技大会の冒頭に『榔象」をおしその 後, rj麓項」および「樹下忠1,1-怯」に続く。そしてSBV
グループでは.「弓 技」に関わる場面の後, r榔象」→「食JI技」→「弓扶」とあt
き, r結婚」に展 開している。 一;払競試武去が「納妃Jを巡る腕投大会で行われたとする結婚系統の文 献i
砕をみると,L
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.
.
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修行』においては,r
榔 象Jは競技大 会に出かける際の官頭に物語られている。ただし結婚系統の伝唱えのうち r集経』にのみ,競技大会の後に「榔象」が起こったという記述が認められ る。 以上.ガンダーラの仏伝位i
l
乎彫では「櫛象」の配置が様々であったように. 「榔象」を記す文献の時系列においても同様の状況が確認できる。 敦娘莫高館第2
9
0
窟やキジルイi
箆第1
1
0
窟の仏伝岡では.どちらも「櫛象」 が競試武芸の冒頭におかれ. f結婚」に後続する構成であるから.制作の背 景には以上の十一文献のなかでも.L
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.
.
r
修行』に共通する. 回 結婚系統の伝承との関連性が推測される。 しかしながらガンダーラでは. i芋彫制作の背景には以十.の幼年期系統と. 結締系統の伝放が温存ーしていた可能性が考えられる。つまり.前項2-4で確 認した r郷象」前後の場而が伐る浮彫には司「捕象」→「凹門出遊」という 連続性が認められる作例 (2-4(j):スワート地方プトカラ聞出土.ペシャ ーワル大学博物館蔵)もあり.これは幼年期系統のr
瑞!必』が記している場l
向i
属1
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と類似する。また,「捌i
象」→「結婚式(?).Jが連続する例(
2
-4 (ii):タレリ出土)も存'1'Eしている。 Q dガンダーラの浮彫にみられる
r
.
.
.
.
J聞と仏伝文書院 た だ し 前 項2
-
4
で指摘したガンダーラでは競試武芸図の最後として 「榔象」を配置する作例が多いという傾向に関して物語の配列順序をみると. 幼年期系統のなかでは『瑞応』のみ,そして結純系統の伝承のなかでは後代 の訳出となる『集経』のみが競試武去の故後に r~鄭象J が行われる伝承を記 していることになる。 以上の卜一文献群の「郷象」説話において共通しているのは,太子の従兄 弟デーヴァダッタ.ナンダ(もしくはスンダラナンダトそして太子が主な 登場人物となることそして最終的に太子が象を滅外に投榔するという点の みである。 ζれらの点を物語の核として,デーヴァダッタが象を撲り.その 象をナンダが来き,太子は投榔するという主な流れがみられる。象が現れる 理由や,デーヴァダッタが象を撲る理山,太子が象を投榔する理由は.文献 によって様々で I)~ きが大きい。初期のi英訳である『瑞応』では,象が死んだ とは伝えず, r過去J. r修行』では太子の投榔によって象は蘇生した,と伝 えている。 以下では,ガンダーラにおける「榔象」の伝承を探るために.ガンダーラ の図像的特徴と関連する文献の記述を比較検討したい。3
-
3
.
城門に塞がる象 まず, 1ザ・彫図像の検討(
2
-
2
)
でみた「峨門に塞がる象」の表現について 文献の記述をみていきたい。文献資料でも,その大半は物語の発端として, 象がカピラヴァストゥの城門付近に至ったと述べている。そして様々な現1
1
]
から,そζで「デーヴァダッタの撲象」につながる。ただし幼年期系統の r瑞応』のみは rレスリング」に続〈力比べとして,以下のように短〈記 している。 難陀,前牽鼻象,製之至庭。調達力枇.挽而撲之。太子合笑,徐前按象. 事榔蜘外,使無死傷。(
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ナンダは,進みでて象の鼻を牽き,これを臨まで牽いてきた。デーヴア- 1
2
0
ー庁ンダーラのf宇彫にみられる r郷象』図と仏f孟文献 ダッタの力も壮んで.ひきょせるとこれを撲った。太子は微笑むと,お もむろに近づいて象に触れるや.描壁の外lこ放リ
J
止げたが,象を死傷さ せることはなかった。 十一文献のうち.以上の r瑞応』の記述にのみ, r城I
"
I
J
に該当する言葉 が見られない。しかも,ナンダが象を庭まで牽いてデーヴァダッタが撲ると いい.ガンダーラの浮彫の順序とは異なる内容である。とはいえ,最後に太 子が象を騎壁の外に投榔するという記述は.「榔象JI
ヌl
の城壁の表現を想起 させよう。 同じく幼年期系統のr
過去』では.太子の弓の力を披露しようと父王が勇 力のある者を集めて大会を設けることに端を発する。デーヴァダッタは春属 を連れていち早〈滅郭から出たが,城門で大きな象がとどまったために.諸 軍衆は進もうとはしなかった(提婆達多輿六高容層,品先I
H
域。T
時有一大 象.72
域門住。此諸市衆,千f
1
不敢前o T3,628bc)。そこでデーヴアダッタは 象のD
1
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を撲って倒L
.
門をj泊ったとする。このように,『過去』では,「城門 に象がとどまって通行できなかった」場面が記述されている。 一方.幼年期系統のなかでもSBV
グループでは,太子の評判を聞いたヴ ァイシャーリーの人々が形貌具足する象を荘厳し.カピラヴァストゥに贈っ たことが物語の発端となっている。人々が王宮の門に象をとどめていたとき, 偶然乱暴者のデーヴァダッタが現れてその飾られた象をH
にするが(
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(後略)SBV.
1,59),太子への贈り物ときくと肱妬し象を撲って殺してしまう。続いて. ナンダが城門で倒れている象を日にするという。象が城門に塞がったとは記 されていないものの.SBV
グループでも.説話の発端では城門と象が関連 する。 以上の幼年期系統の伝承に統き,次に結婚系統の伝71'<についても城門と象 のl
刻わりについてみておこう。まず.Lv
グループの伝JI'<について,同系統ガンダーラのif.彫iニみられる
.
r
ItJ闘と仏伝文献 であるこれら三文献のなかで, r榔象」についての記述には差異がみられる. 例えば.Lv.の初期の漢訳 r普曜」では,競技大会に出発する釈迦族が皆城 門を出たところに,デーヴアダッタが象を牽いて「減門」にやってきて(皆 出城門.於赴凋逮,手執牽象,来入城円。 T3,501a),集まった釈迦族に1'1 分の力をみせつけようと象を撲り殺したという。 Lv.の記述では,競技大会に出かけようと,シャーキャ族の王子たちのな かでも先陣をきって都城から出発したデーヴァダッタの前に,太子のために 牽来された大きな臼象が現れたことをきっかけとする(
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。デーヴ アダッタが!'I分のJ
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への慢心,太子への嫉妨i
により白象を撲り殺した後に. ス ン ダ ラ ナ ン ダ は 峨 門 に お い て 殺 害 さ れ て い る 象 を み る こ と に な る(
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『方広』でも Lv.同様の内容であるが.デーヴァダッタがまず「繊門」に やってきて荘厳された素晴らしい象をみたという(提婆達多先至城門,見此 勝象荘厳第一oT3,562b)or方広』では,デーヴァダッタが r城門Jに至る としているのに対し,L
v
.
ではスンダラナンダの登場まで「城門」という脅 葉が見いだされない。さらに,このように r_~~~111J と Lv.,r
方広』の聞では 説話としてのきっかけも異なる点は興味深い。 続いて.L
v
.
同様に「榔象」を競技大会にm
かける際の出来事として記述 するMv.ではどのような記述が認められるであろうか。 Mv.では,王子速 がカピラヴァストゥを出発したとき,都械のまえでうろついていた象がカピ ラヴァストゥに入り,デーヴァダッタに突進したとする。そして以下のよう に記されている。t
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- 122-ガンダーラの浮彫にみられる『綱:SitJ闘と仏伝文献 hatva nirdhavito tarp dvararp (Mv.. 11. 74) かのデーヴアダッタは怒り,その齢六
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の象を手のひらで一撃して.そ の同じ都城のI'l
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の所で殺してしまった。彼はその象を殺すと.その門を 出て行った。 その後スンダラナンダは死んだ象が域門を塞いでいるのをみて,象を門か ら七歩分引き離した (Mv..II. 75),とL、う。 初期に漢訳された「修行』ではー競技大会に出かける際に.域門において 力のあるものを決しようと象が置かれていた(哲出城門.安置ー象。嘗其城 門,決有力者。T
3
.
4
6
5
c)と述べている。デーヴァダッタが先陣をきって出 てきて,象が門に2
障がっているのをみると.一撃で倒した(調達先出,見象3
E
門,技之ー拳, JJ~持UIJ死。 T3.465c) とする。 結婚系統の文献の大部分が.競技大会に出かける際の出米事と記している のに対して,先述したように唯一,『集経』では.競試武芸の最後に「榔象」 を置く伝承が記されている。ここでは,妃獲得のための続投大会で披露され た太子の力に感動した父王が,太子のために荘厳した白象を用意することが 物語の発端となる。 飾られた白象が太子のために城内から城門を出たところに,デーヴァダッ タが域外から入ってきて象をみたという(彼大白象,挺太子弟.従峨門出。 是時提婆達多童子城外而入.見此白象。T
3
.
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。そして白らの力に奪り, また太子への嫉鈎i
によりデーヴァダッタは象の鼻を摘むと一気に地に倒して 殺したという。 以上みてきたように. r榔象」を物語るl
'
一文献のなかでも内脊には様々 な異同がある。ただし「榔象」説話とは最初に述べた r瑞応』の記述を除 いては.通行の邪魔というものやアクシデント.腕力の誇示や嫉妬.慢心と いったいずれのJljt
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1によっても,デーヴァダッタが「城門」にて象を撲るこ とをきっかけとする。J2(1像表現では「デーヴァダッタの撲象J1ヌ│には必ず城 q 喝 U 9 “ガンダーラのI事彫にみられる r郷象』図とf!.伝文献 門が去されている理由としても,やはり現在これらの文献に記述される伝承 が背景にあったものと考えられる。
3
-
4
.
登場人物の姿勢 減門と象の様子についてはr
郷象」を記す文献のほぽ全てに共通する要 素であったといえるが.続いて.ガンダーラのr
撲象J・
r
濠象J.r
榔象」図 にかかわる登場人物の様子についてはどのように記されているであろうか。 幼年期系統の文献群のうち.先に示したように,『瑞応』では,話の順序 として,ナンダが象の鼻をもって'来いてきて,「デーヴアダッタの撲象J, r太了・の榔象」につながるため,まず.ガンダーラの浮彫が示している説話 の順序とは異ーなる上,ナンダは象の鼻を牽くと述べている。また,『瑞応』 に比べると『過去』には城門と象の記述もあり,『デーヴアダッタの撲象」 にはじまる伝承が伝えられている。しかし「ナンダの牽象」の場面ではナ ンダが足の指だけで象を路傍に蹴ったと述べ,この点は,象の尾を掴むえfン ダーラのr
*
象」図とは異なっている。 幼年期系統の伝承のなかでは,SBV
の記述は,登場人物の姿勢について も以下のように詳しく伝えている.t
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[デーヴァダッタは]手のひらで一撃して象を殺した。ナンダはその場 所に行く聞に,それを見た。(中略) [ナンダは象の]庖を摘んで,置か れた[象が]悪臭を発さぬように,片隅に置いた。釈迦牟尼菩躍が出てω
きた時,彼はそれを見た。(中略) [釈迦牟尼菩薩は象の]尾をつかんで, 靖墜の上に投げた。一1
2
4-ガンダーラの浮彫にみられる
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_
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J凶と仏伝文献 以上の記述にみられるように物語の順序や『撲象」の場而‘そして「ナ ンダの牽象」の場而に関しでも.ガンダーラの浮彫の表現と煩似した内容を 伝えているι
ただし .r太子の榔象」の場面では,太子が象の尾を掴んで放 り投げたとする}~~,ガンダーラの図像的特徴であった象を担ぎ上げるような 太子の表現とは異なる。 さて,結婚系統の文献群の記述をみると,物語は共通して「デーヴァダッ タの撲象J. rナンダの牽象J. r太子の榔象」の順に展開する。また,登場人 物の動作も図像と類似したものである。ただし登場人物の姿勢や動作に関 する伝承を探ると.これを非常に詳しく描いているLv
グループおよびr
集 経』の記述が注日される。Lv
グループでは登場人物の動作についても『普I
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方広』の三 文献の聞に伝水の差異がみられる。例えば.L
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彼(=デーヴァダッタ)は,左手でその象の鼻を摘んで.右手の掌打に よるー準だけで.殺害した。(中略)彼(=スンダラナンダ)は,その 象に対して尾を掴んで.都城の門から放り捨てた。(中略)それから. 王子は.車上に坐したままで.片方の足を地面に伸ばし.かの象に対し て足の税指で尾を掴むと.七重の城壁とじi1l:の椀を越えて,城の外, クローシャのところへ投げた。- 1
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ーガンダー予のI事彫にみられる
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象』図と仏伝文献 この記述をみると.ガンダーラにみられる,男性が左手に象の鼻あるいは 牙を掴み,右手を象に向かつて振り上げる「撲象Jt
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J,象の尾を牽< r輩 象」図と非常に近しい記述といえる。しかし「太子の榔象」の場面では. 足の線指の力だけで象を投げたという点,ガンダーラの「榔象」図とは隔た りが大きい。 r方広』の記述も概ねLv.に沿う(爾時菩睡坐於賓特.以左足 指持彼白象,徐郷虚空越七:ift:滅。T
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。 し か し Lv.グループのうち 『普曜』では,以下のように記されており,伝承の推移を知る上で興味深い。 於是調達(中略)日1
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以布手牽象頭,左手持鼻撲4
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殺と。1
二時難陀典諸等 類共Il'.城門。(中略)悲移著子路側。於時菩薩尋山城門, (中略)即右手 緩榔置城外,去堕極遣。(
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デーヴァダッタが(中略)右手で象の頭を牽きょせ,左手で象の鼻を持 って殴ってこれを殺した。そこにナンダが家米たちと共に城門を出てき た。(中略) (ナンダは象を〕牽いて路の端にょせた。そこに菩薩が城門 から出てきて, (中間各)治手で〔象を〕受けて城外に欣り投げ,明から ずっと速くまでとばした。 Lv.や『方広』の記述とは反対に,「デーヴアダッタの撲象」場面に関し ては図像とやや隔たりが生じているが.r太子の榔象」については右手で象 を受けて放り投げたと記されており,えfンダーラの特徴に類似した表現であ る。1I":l'1fl
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.!lの記述の存在から,現行のLv.とr
方広』が記す,太子は親指 で象を投げたという伝永は後代の改変と考えられる。これらのLvグループ 内での差異は.r榔象」について太子が手に象を受けて投榔したという伝承 から.太子が足の指のみで投榔したという伝承に移り変わる経緯とも読み取 れる。 次に競技後の出来事とするr
集経』における登場人物の動作をみてみたい。 i時提婆逮多 (r抑制使以ん:手,執於象鼻,右手築制。ー下倒池,宛輯三-
126-ガンダーラの浮彫にみられる『師事象』図と仏伝文献
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匝.進即命終。白象臥地, (中目的於後又復有章子至.名l
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陀。(中 略),以1
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以右手.執{皮象尾,牽l
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可七歩許。其難陀後次太子来。(
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1略)左手事象,以布子瓜従於空lド,榔置城外。 (T3,712ab) そのときデーヴァダッタは(中略)左手で象の鼻を捌み,右手で摘をつ いた。〔象は〕すぐに地に倒れ,三度幽ると,息絶えた。臼象は地に伏 すと, (中略)その後また若者が現れ.名をナンダという。(中略}すぐ に右手で象の尾を掴み.引っ凝って門から離すこと.七歩ほどであった。 そのナンダの後に太子が現れた。(中目的左手に象を持ちあげ.右手で それを受けると,空中に放ち,城外に放り投げた。 『集経』で述べられる登場人物の姿勢はガンダーラにおける「デーヴァダ ヅタの撲象J. rナンダの牽象J,r太子の榔象」の各図像とほぽ対応している。 競試武芸の最後に「捕象」をおく伝承を伝え.えfンダーラの浮彫に確認した 場面配列の考察結果とも関連していることに加え.このような閃像的特散の 一致もみられることは注目に値する。3
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城壁の記述と登場人物の移動 さて,以上にみてきた文献の記述においても.「櫛象」説話には城門や城 壁が関わることは既に認められたが,ここでは城壁にまつわる記述から読み 取ることのできる登場人物の移動の様子についてみておきたい。 繊門について記す文献では.「ナンダの牽象」の場面においてはナンダが 倒れた象を城門から引き離したことが共通して記述されている。ガンダーラ の「ナンダの牽象」図が共通して減刊をの外で表される点と一致する伝承とい える。そして,先述のように卜一文献において唯一共通している内容が,太 子は象を域外に投榔したというf
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である点は,「太子の榔象JIJ<I
における 城壁の表現と関連しているように思われる。この伝承には.単純に象を峨外 に投げたという記述の他.前項3
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の記述にみたように.太子は七重 の城壁と嘱を超えて象を投げ飛ばしたという記述までみられる。この r七 n t 9 uガンダーラの狩彫にみられる
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象』凶と仏伝文献 重の城壁を越えたJという伝承は,初J
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の漢訳には見当たらず.SBV
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方広」に記されている。Lv
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には記 述されていないものである。伝承の発展につれて,太子の投榔した象の飛距 離も「七iRの城壁」を超えるほどに大きくなったことが予想される。 これらの文献の記述をふまえてガンダーラの作例をみれば,ナンダが械外 で象を宣伝〈場面の後に,太子が再び織内に示される作例〔図2
中段から下 段〕についても,そのような矛盾は単なる技巧的な問題ではなく.意閏的な ものと解釈しうる。つまり,文献では説話の核となる内容である太子が象を 「城外へ」投捕したことが強調されている.或いは,一部の文献が記すよう に,太子は七重の城壁を超えてさらに速くへ象を投げ飛ばしている様子を表 したものとも受け取れる。 「郷象」に語られる城壁と城門は,競試武芸説話における登場人物の移動 にも関わっているが,先にみたように.r
集経』では,主人公たちは腕技大 会からの帰路という,域外からカピラヴァストゥ城内に向かう際に,象が域 内からI
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こ現れるという。その他の文献では,主人公たちが城内から外に向 かい.象は城外から中に向かつて現れる伝承を伝えている。 ガンダーラの作例においても.象が城外から中に向かう様子のものと,ま た. 1ftが減内から外に向かう様子のものがあるように,文献の記述でも双方 に分かれており.やはり伝承の混在した状況を示すと忠われる。ただし.前 項2
-
4
で検討したようにガンダーラの現存作例には,競試武芸の最後に「榔 象Jを置く作例が多いという状況からみると,『集経』に記述される.競技 大会からの帰路に象が域内から現れたという伝象が想定されるように忠われ る。4
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大 唐 西 域 記 」 の 伝 え る 「 榔 象 」 説 話 と 象 坑 以上.仏伝として「郷象」を物語る文献とえfンダーラの図像の諸特徴を比 較してきた。最後に, r榔象」説話は.以上の十一文献に加えて.玄提撰- 1
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-ガシダーラの浮彫にみられる rJl;象』闘と仏伝文献 『大!者同域記』巻六 (T51.901ab)にも記されていることに触れておきたL
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凶域記』では.カピラヴァストゥ│到の条で城の南門にはストゥーパ が建立されており,これが太子の r1(1)J摘11象」の地とされていると伝えてい る。ここで簡潔に記述されているr
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説話は,父王が競技大会にて腕力 を披露した太子に喜ぶ様子,管が城外から城内に帰った際の出来事として述 べる点.太子のために用意された象と 1111いてデーヴァダッタがその象を殴る 点,その後の主人公達の動作の様子など,先述の十一文献のなかでも『集 経』の伝える説話と極めて類似している。 そして,「象が墜ちたところは大きな坑となり,現地の言い伝えで象噌坑 といっている(其象堕地儲大深M:.j二f待相If噂鵠象堕院也。 T51.901b)Jとい う。ミの象F郎元については,ガンダーラの浮彫に示されるものではないが. 「榔象Jを物語る十一文献のなかでは.SBVグループ.Lv..l'方広.8.r
集 経』のみに伝えられている。また.Lvグループの三文献の記述の問には. これまで指摘してきた内容に加えて.この『象墜坑」についても伝示の差異 がみられる。「象墜坑」に関する内容について.Lv.とr方広』がそれぞれ 記しているのに対し, F普臨』は記していないのである。初期の漢訳にもみ られないことから. r象墜坑』についても.説話が広まるにつれて付加され た内容である可能性が示され,伝承│付符の発達を示唆するものである。 これまでの考察から. r欄象」の表現はガンダーラを初現として'
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,地では 愛好されたことがうかがえる。そしてその伝承はこれまでに挙げた文献に伝 わっているものの.インド内部の仏伝聞には確認できない。しかしながら. 七世紀にはカピラヴァストゥで実際に「象峻坑」と呼ばれる大穴が「郷象」 説話と閑迎して伝えられ. r角)J榔象」を記念して仏塔が祭られていたので あれば興味深い説話の伝播状況といえる.仏伝岡の表現ではガンダーラにの み見出されることで,当地方の独向性の強い『欄l
象」の説話が,七1
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紀まで にはガンダーラからインド内部に伝摘したという方向性が考えられる。 - 129ーガンダーラのf芋彫にみられる