• 検索結果がありません。

植民地時代と現在 : アボリジナルと白人の法

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "植民地時代と現在 : アボリジナルと白人の法"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

植民地時代と現在 : アボリジナルと白人の法

著者 藤川 隆男

雑誌名 国立民族学博物館研究報告別冊

巻 021

ページ 175‑195

発行年 2000‑03‑21

その他のタイトル Colonial Days and the Present : Aboriginal People and White Law: Historical Background of Aboriginal Deaths in Custody

URL http://doi.org/10.15021/00003511

(2)

藤 川 ア ボ リジ ナル と 白人 の 法

ア ボ リジ ナ ル と 白 人 の 法

藤 川 隆 男*

は じめ に 1  全 体 の総 括

Ⅱ   死者 の プ ロフ ィ ール

  過 大 な ア ボ リジナ ル の 囚人 ・逮 捕 者

Ⅳ  歴 史 の 遺 産1 V  歴 史 の遺 産2 お わ りに

は じ め に

  1987年10月16日,拘 留 中 の アボ リジ ナル1)の 死 に つ い て の王 立調 査 委 員会 が 設 置 さ れ た 。 王 立調 査 委 員 会 の設 立 を 求 め る運 動 は,ア ボ リジナ ル の コ ミュ ニテ ィに よって 指 導 され て い た。当 時,ア ボ リジナ ル の多 くは,拘 留 中の ア ボ リジ ナ ル の死 の原 因 を, 警 察 官 や 看 守 に よる意 図的 な 殺 害 で あ る とみ な して お り,こ の よ うな 考 え 方 がか れ ら の運 動 の 原動 力 に な って いた 。 しか しなが ら,ア ボ リジナ ル だけ が,王 立 調査 委 員 会 の設 置 を 要 求 した の で は ない 。 ア ボ リジ ナ ル以 外 の 人 々 も,監 獄 にお い て ア ボ リジ ナ ルが 非 人 間 的 な 取 り扱 い を受 け てい るの で は な いか とい う強 い疑 念 を 抱 い て お り,王 立 調 査 委 員 会 が 隠 され た不 正 を暴 くこ とを期 待 した 。この よ うな疑 い が生 じたの に は, 正 当 な理 由が あ った 。拘 留 中 の ア ボ リジナ ル の死 亡 率 は,ア ボ リジ ナ ルで な い 人 々の 死 亡 率 よ りもは るか に 高 く,そ の うえ,死 亡 原 因 につ いて の 調査 や説 明が 十 分 に 行わ れ て い る とは 言 えな い 状態 で あ った 。

  この王 立 調 査 委 員 会 は,ア ボ リジ ナル や トレス諸 島民 に関 す る調 査 の 中 では,最 も 重 要 で,し か も最 も広範 囲 に及 ぶ調 査 を 実 施 した。 調 査 委 員 会 の報 告 書 は,連 邦 及 び 各 州 の 政 府(総 督)に 提 出 され,そ の339項 目に 及 ぶ 膨 大 な 勧 告 の 大 部 分 は,各 政 府 に 受 け 入れ られ た ので あ る。 さ らに,こ の勧 告 の実 施 状 況 を,オ ース トラ リア先 住 民 の代 表 機 関 で あ る ア ボ リジナ ル 及 び トレス 諸 島民 委 員 会(ATSIC‑1989年 設 立)が 監

*大 阪大学大学院文学研究科

Key Words : Aboriginal, custody, history, Australia, Queensland

キ ー ワ ー ド:ア ボ リ ジ ナ ル,監 獄,歴 史,オ ー ス ト ラ リ ア,ク ィ ー ソ ズ ラ ソ ド

(3)

      国立民族学博物館研究報告別冊  21号 視 す る こ と に な っ た 孔

  王 立 調 査 委 員 会 が 調 査 対 象 と した の は,1980年1月1日 か ら1989年5月31日 ま で に 監 獄,留 置 所,少 年 院 な どで 死 亡 した99人 の ア ボ リ ジ ナ ル と トレ ス 諸 島 民 で あ る。 委 員 会 は,ど の よ うに し て そ の 人 物 が 死 亡 した か を 理 解 す る だ け で は な く,何 故 そ の よ

うな 死 が 起 こ っ た の か と い う理 由 を 知 る こ と も そ の 任 務 と した の で,死 の 背 景 と な っ た 様 々 な 問 題,社 会 的,文 化 的,法 的 な 要 因 に 関 し て も 調 査 を 行 っ た 。 こ の 調 査 に は, 多 く の 人 類 学 者,歴 史 家,社 会 学 者,ア ボ リジ ナ ル の 代 表 な どが 加 わ り,そ の 報 告 書 は,ア ボ リ ジ ナ ル の 現 在 と 歴 史 を 知 る た め の 貴 重 な 資 料 で あ る 。

  委 員 会 の 生 み 出 し た 報 告 書 や 記 録 は 膨 大 な 量 に な る が,そ れ を 最 終 的 に ま と め た も の が,エ リ オ ッ ト ・ジ ョ ソ ス トン に よ っ て1991年 に 提 出 され た,5巻 か ら な る ナ シ ョ ナ ル ・レ ポ ー トで あ る 。 ま た,1988年 に は,当 時 ナ シ ョナ ル ・ コ ミ ッ シ ョナ ー で あ っ たJ.H。 ミ ュ ア ヘ ッ ドに よ っ て,中 間 報 告 書 が ま と め られ て い る 。 さ ら に ク ィ ー ソ ズ ラ ソ ド,ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ー ル ズ な ど の 南 東 オ ー ス トラ リア,西 オ ー ス ト ラ リ ア,ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー な ど に つ い て の 地 域 レポ ー ト,調 査 対 象 に な った99人 に つ い て の 各 個 人 ご と に ま と め られ た 個 人 レポ ー トも刊 行 さ れ て お り,各 個 人 に つ い て 調 査 委 員 会 が 開 い た 審 理 や 討 論 会 の 議 事 録 も 出 版 され て い る 。 そ の 他,委 員 会 が 専 門 家 な ど に 依 頼 し た 報 告 書 も 多 数 存 在 す る。

  私 は,こ れ ら の 報 告 書 の 内 容 の 一 部 を,報 告 書 以 降 の 新 た な 統 計 と と も に 要 約 す る こ と で,現 在 の ア ボ リ ジ ナ ル 社 会 と オ ー ス トラ リ ア 国 家 の 法 との 軋 礫 を 示 し た い 。 さ ら に,こ の 問 題 の 歴 史 的 背 景 を さ ぐ りた い と 思 う。

1  全体 の総括

  報 告 書 の結 論 は,意 図 的 な殺 人 が曝 か れ る こ とを予 想 して い た 人 々の期 待 に反 す る も の であ った。 コ ミッシ ョナ ー た ち は,警 察 や看 守 の意 図 的 な暴 力 が これ らの死 を 引 き起 こ した証 拠 を 見 つ け る こ とは で きな か った。 しか し,コ ミッシ ョナ ー は,囚 人 や 逮 捕 ・保護 され た 人 々に た いす る,監 視 や監 督,保 護 の義 務 が,多 くの場 合 十 分 に 果 た され て い なか った り,あ る い は全 く考慮 され て お らず,時 に は,こ の よ うな義 務 の 無 視 が 死 を 引 き起 こす 原 因 とな っ た場 合 もあ る との,結 論 に 達 して い る。 こ の よ うな 結 論 は,一 部 の 家 族 や そ の支 持 者 の批判 を招 いた が,ア ボ リジナ ル の代 表 を 含 む 多 く の 人 々に よ って,公 正 な判 断 で あ る と して受 け入 れ られ て い る(Workers  1994:9)。

  監 獄 や 留置 所 に い るア ボ リジ ナ ルは,監 獄 や留 置 所 に い るア ボ リジ ナ ル以 外 の 人 々

(4)

藤 川    ア ボ リジ ナル と 白人 の 法

よ りも そ こ で 死 亡 す る 確 率 が 高 い わ け で は な い 。 監 獄 や 留 置 所 に お け る ア ボ リジ ナ ル の 死 者 の 割 合 が,総 人 口比 で 他 の 人 々 よ りも 高 い の は,は る か に 多 く の ア ボ リ ジ ナ ル が 監 獄 や 留 置 所 に 収 容 さ れ て い る か ら で あ る 。 例 え ば,1988年8月 の 留 置 所 に 収 容 さ れ て い る 人 間 の 調 査 で は,ア ボ リ ジ ナ ル は,ア ボ リ ジ ナ ル 以 外 の 人 々 に 比 し て29倍 も の 割 合 で 留 置 所 に 収 容 さ れ て い る 。 そ の 結 果,ア ボ リ ジ ナ ル が 留 置 所 で 死 ぬ 割 合 も高

く な る の で あ る 。

  総 人 口 の2パ ー セ ン トに 満 た な い ア ボ リジ ナ ル が,刑 務 所 や 留 置 所 の 収 容 者 の20 パ ー セ ン ト以 上 を 占 め る と い う状 況 こ そ が 改 善 す べ き 最 も重 要 な 課 題 で あ り,そ の解 決 の た め に は,ア ボ リジ ナ ル が 現 在 の オ ー ス トラ リア 社 会 で 置 か れ て い る社 会 的 ・経 済 的 ・文 化 的 に 不 平 等 な 地 位 を 改 善 し な け れ ば な ら な い 。 ま た,ア ボ リ ジ ナ ル 個 人 や

コ ミ ュ ニ テ ィ と 警 察 及 び 一 般 の 法 シ ス テ ム と の 関 係 も 改 善 す る 必 要 が あ る。

  以 上 が,王 立 調 査 委 員 会 の 報 告 の 要 旨 で あ る が,そ の 内 容 は 極 め て 妥 当 な も の で あ る と思 わ れ る(Johnston  1991a:1‑34;Johnston  1991c:1‑7;Muirhead  1988:1‑7)。

Ⅱ   死 者 の プ ロ フ ィ ー ル

  1991年 の セ ソ サ ス に よ る と,ノ ー ザ ソ テ リ ト リ ー で は,ア ボ リジ ナ ル が 人 口 の22.7 パ ー セ ン ト強 を し め る が,そ の 他 の 地 域 で は3パ ー セ ン トに 満 た な い 。 オ ース トラ リ ア の 全 人 口 に 占 め る ア ボ リ ジ ナ ル の 割 合 は 約1.6パ ー セ ソ トで,総 数 で 約26万5,000人 で あ る 。1986年 の セ ン サ ス に よ る と,ア ボ リ ジ ナ ル は,ア ボ リジ ナ ル 以 外 の 人 々 に 較 べ て,人 口10万 人 以 上 の 主 要 都 市 に 住 む 割 合 は 低 い 。 総 人 口 の 約63パ ー セ ン トが 主 要 都 市 に 住 む の に 対 し て,ア ボ リ ジ ナ ル は 約24パ ー セ ソ トし か 主 要 都 市 に は 住 ん で い な い 。 ア ボ リ ジ ナ ル の 約42パ ー セ ソ トは 人 口10万 人 未 満1,000人 以 上 の 地 方 都 市 に 住 ん で い る 。 地 方 都 市 へ の 人 口 の 集 中 は ア ボ リ ジ ナ ル 人 口 分 布 の 一 つ の 特 徴 と言 え る だ ろ

う。 残 る 約34パ ー セ ソ トの ア ボ リ ジ ナ ル は,農 牧 地 域 に 住 ん で い る 。

  99人 の 死 者 の 平 均 年 齢 は32歳,メ ヂ ア ソ(中 央 値)は29歳 で あ る 。 ま た 死 者 の 圧 倒 的 多 数88人 を 男 性 が 占 め て い る 。 これ は,監 獄 や 留 置 所 に 収 容 さ れ る 男 性 の 数 が 女 性 よ り もは る か に 多 い こ と に 対 応 して い る 。 表1は,出 生 し た 州 と死 亡 した 州 を 相 関 さ せ た もの で あ る 。 大 部 分 の ア ボ リ ジ ナ ル が,州 を 越 え る よ う な 大 き な 移 動 を し て い な い こ とを 示 唆 して い る 。99例 の うち 死 亡 した 州 と 出 生 した 州 が 異 な っ て い る の は13例 に す ぎ な い 。 ア ボ リ ジ ナ ル は,非 ア ボ リジ ナ ル よ り も 頻 繁 に 移 住 す る 集 団 で あ る が, ア ボ リジ ナ ル を 歴 史 的 に 管 轄 した,州 の 領 域 を 越 え た 移 動 を す る こ とは 比 較 的 少 な い

(5)

国立民 族学博物館研究報告別冊  21号 表1  監 獄 等 で 死亡 した99人 の生 まれ た 州 と死 亡 した 州*

State of death State of birth

NSW Vic Qld WA SA Tas NT

Tota1

NSw  vic  Qld  wA  SA  Tas  NT 11      2      3

1     1

1          24      1                   2        30

1                 1    12 1                              1        7 15     3    27     32     12     1     9

Total

10206041う畠7'1  2塗﹂‑

99

*出 所:Johnston  1991a:41

と 言 え よ う。

  保 護iあ る い は 逮 捕 さ れ る 直 前 の 雇 用 状 況 を 見 る と,99人 中 の83人 は 失 業 中 で,フ ル タ イ ム の 仕 事 を 持 つ も の は8人 しか い な か っ た 。 死 者 が 生 前 普 通 つ い て い た 職 業 を 見 て も,失 業 して い た 者 が27人 で,最 大 の カ テ ゴ リ ー を な して い る 。 ま た 単 な る 労 働 者, す な わ ち 非 熟 練 労 働 者 が24人,年 金 生 活 者 が8人 と,た と え 失 業 を し て い な く て も, そ の 収 入 が 不 安 定 で あ っ た と推 定 で き る 人 々 も全 体 の 約3分 の1に 達 す る 。 一 般 の ア ボ リ ジ ナ ル の 状 況 も こ れ と大 差 は な い 。 失 業 率 は30パ ー セ ン トを 越 え,し か も就 業 者 中 の35パ ー セ ソ ト以 上 が 事 実 上 の 失 業 対 策 事 業 に よ っ て 雇 用 さ れ て い る。

  死 亡 し た ア ボ リ ジ ナ ル が 住 ん で い た コ ミ ュ ニ テ ィ を 見 る と,24人 が 大 都 市 に,35人 が 地 方 都 市 に 居 住 して お り,そ の 多 くは 都 市 コ ミ ュ ニ テ ィ の 住 人 で あ っ た 。 一 方,政 府 に よ っ て 公 認 さ れ た ア ボ リジ ナ ル の コ ミ ュ ニ テ ィ に 住 ん で い た の は21人 で,そ の 過

半 数 は ク ィ ー ン ズ ラ ン ドに お り,フ リ ン ジ ・キ ャ ン プ の5人 は,西 オ ー ス ト ラ リア と 南 オ ー ス ト ラ リア の 住 人 で あ る 。 ま た,99人 中 の 少 な く と も43人(5人 は 不 明)が, 子 供 時 代 に 公 権 力 に よ っ て 実 の 親 か ら 引 き 離 さ れ て い る 。

  最 後 に,死 亡 した 人 間 が 死 亡 時 に 政 府 の ど の 機 関 の 管 理 下 に あ っ た か を 見 る と,そ の 内 訳 は,警 察 に 保 護 あ る い は 逮 捕 さ れ て い た 者 が63人,刑 務 所 で 服 役 して い た 者 が 33人,少 年 施 設 に い た 者 が3人 で あ っ た 。 そ の 死 亡 原 因 は,病 死 が37例 で 最 多 を しめ て い る が,そ の 他 の 原 因 で は 首 吊 り自 殺 の30例 が 最 も多 い3)(Johnston  l991a:37‑53;

Castles  1993:2‑18)o

(6)

藤 川    ア ボ リジナ ル と白 人 の法

Ⅲ  過 大 な アボ リジナ ル の囚 人 ・逮 捕 者

  1988年8月,警 察 に 逮 捕 され 留 置 所 に 拘 留 され た 人 間 に つ い て の 全 国 調 査 が,王 立 調 査 委 員 会 の 研 究 班 に よ っ て 行 わ れ た 。 調 査 期 間 中 の べ2万8,566人 の 逮 捕 者 が あ り, こ れ を1年 間 に 換 算 す る と34万2,792人,王 立 調 査 委 員 会 の 調 査 期 間 に 当 て は め れ ば, 320万 人 以 上 の 逮 捕 者 が あ っ た こ と に な る 。 ま た 調 査 対 象 者 の 約28.6パ ー セ ソ トが ア ボ リ ジ ナ ル で あ っ た 。

  こ の 調 査 に よ る と,ア ボ リジ ナ ル の 逮 捕 者,ア ボ リジ ナ ル 以 外 の 逮 捕 者 の 間 に,年 齢 構 成 上 の 差 は あ ま りな い 。15歳 か ら34歳 の 年 齢 集 団 に 逮 捕 者 は 集 中 し て い る 。 逮 捕 さ れ た 者 の 男 女 比 を 見 る と,ア ボ リ ジ ナ ル は79:21,そ の 他 の オ ー ス トラ リ ア 人 は 92:8と,ア ボ リ ジ ナ ル に 女 性 の 逮 捕 者 が 目 立 っ て い る。 特 に 西 オ ー ス ト ラ リ ア や

ク ィ ー ソ ズ ラ ン ドで は 女 性 の 割 合 が4分 の1に 達 す る 。

  表2は,1989年6月30日 に 刑 務 所 に 収 容 され て い た 囚 人 の 内 訳 を 示 した も の で あ る 。 全 オ ー ス トラ リア の 囚 人 の14.3パ ー セ ン トが ア ボ リ ジ ナ ル で あ り,ノ ー ザ ン テ リ ト

リ ー で は ア ボ リジ ナ ル の 囚 人 が 全 囚 人 の3分 の2以 上 を 占 め て い る。 また,西 オ ー ス トラ リア で は,そ の 割 合 が3分 の1以 上 に 達 し て い る。 年 齢 構 成 は,一 般 の 囚 人 に 較 べ る と,ア ボ リジ ナ ル の 囚 人 は 年 齢 が 低 く,特 に10代 か ら20代 前 半 の 囚 人 が 全 体 の 約 半 分 を 占 め る4も 囚 人 の 女 性 の 割 合 は,ア ボ リ ジ ナ ル で6パ ー セ ン ト,ア ボ リ ジ ナ ル 以 外 の 人 で5パ ー セ ソ トと ほ と ん ど差 は な い 。

  逮 捕 理 由 に は,ア ボ リ ジ ナ ル と ア ボ リジ ナ ル 以 外 の 人 々 の 間 に 大 き な 違 い が あ る 。 飲 酒 と 公 共 の 秩 序 を 乱 した(主 に 飲 酒 に 関 係)と い う理 由 が,ア ボ リ ジ ナ ル 逮 捕 の 理

表2  1989年6月30日 に 監 獄 に 収 容 され て いた 人 々*

地 域

ア ボ リジナ ル   非 ア ボ リジナ ル   不 明 =十 ア ボ リジ ナ ル の割 合(%)

NSW

Vic Qld WA SA Tas NT Aust

415   86 412 558   102   9

243 1,825

4,861 2,156 1,855 1,010 761 215 109 10,967

  7 14 122

 8 21

172

5,283 2,256 2,386 1,568 871 245 352 12,964

7.9 3.8 18.2 35.6 11.8 4.0 69.0 14.3

*出 所:Johnston  1991a:197

(7)

      国立民族学博物 館研究報告別冊  21号 由 の63.7パ ー セ ン トを 占 め て お り,他 の 項 目 を 圧 倒 し て い る 。 ア ボ リ ジ ナ ル 以 外 の 人 々 で は,こ の 項 目の 合 計 は32.4パ ー セ ン トで,ア ボ リ ジ ナ ル の 場 合 の 約 半 分 に しか な ら な い 。 ア ボ リ ジ ナ ル と非 ア ボ リジ ナ ル が 刑 務 所 に 収 容 さ れ た 主 な 理 由 を 見 る と,注 目す べ き は,ア ボ リ ジ ナ ル の 囚 人 の 実 に39.5パ ー セ ソ トが,罰 金 の 支 払 い の 不 履 行 を 主 な 理 由 と して 刑 務 所 に 収 容 さ れ た と い う点 で あ る 。 これ に 対 し,非 ア ボ リ ジ ナ ル の 場 合 は19.7パ ー セ ン トに しか な ら な い 。 も う一 つ の 重 要 な ポ イ ン トは,ア ボ リジ ナ ル は 刑 務 所 に 収 容 さ れ て い る 人 口 の13〜15パ ー セ ソ トを 占 め る だ け で あ る の に 対 し,刑 務 所 に 送 ら れ た 人 間 の 約20パ ー セ ン トを 占 め る と い う点 で あ る 。 こ れ は 罰 金 支 払 い の

不 履 行 で 刑 務 所 に 送 られ る ア ボ リ ジ ナ ル が 多 い こ と と お そ ら く関 連 が あ る 。 一 般 的 に 罰 金 支 払 い の 不 履 行 は 刑 期 が 短 い か ら で あ る(Johnston  l991a:191‑229)。

  現 在 の オ ー ス トラ リア の 法 シ ス テ ム,す な わ ち 白 人 入 植 者 の 作 り上 げ た 法 制 度 の も と で,ア ボ リ ジ ナ ル と い う グ ル ー プ は ま さ し く犯 罪 者 の 集 団 で あ る 。 平 均 す る と ア ボ リジ ナ ル は,2年 に1回 警 察 に 逮 捕 さ れ,そ の 割 合 は 非 ア ボ リ ジ ナ ル の20倍 に 達 す る 。 しか し,王 立 調 査 委 員 会 は,そ の 原 因 を ア ボ リジ ナ ル で は な く,現 在 の 白 人 の 法 制 度 の 欠 陥 と,こ れ も また 白 人 が 生 み 出 し た ア ボ リ ジ ナ ル の 極 め て 不 利 な 社 会 的 状 況 に 求 め た の で あ る。 ア ボ リジ ナ ル を 犯 罪 者 集 団 に して い る,そ の 構 造 的 な 原 因 を 追 及 し た の が ナ シ ョ ナ ル ・レ ポ ー トの 第2巻 で あ る 。 次 に,第2巻 の な か の 「歴 史 の 遺 産 」 の 章 を 中 心 に,歴 史 的 ・構 造 的 な 問 題 を 論 じた い 。

Ⅳ 歴史の遺産1

  「オ ー ス トラ リア 史 の 遺 産 を 理 解 す る こ と は 重 要 で あ る 。 とい うの は,そ れ が ア ボ リジ ナ ル た ち が 感 じ て い る 不 正 を 受 け た と い う深 い 意 識,今 日の 不 利 な 地 位,ア ボ リ ジ ナ ル の 非 ア ボ リジ ナ ル や 社 会 に 対 す る 現 在 の 態 度 を 説 明 す る の に 役 立 つ か ら で あ る 。」 と い う言 葉 で 始 ま る歴 史 の 章 は,ア ン ・マ ク グ ラ ス5)の 見 解 に 沿 い な が ら,ア ボ リ ジ ナ ル と ヨ ー ロ ッパ 人 入 植 者 と の 関 係 を 概 観 し て い る 。

  (a)イ ギ リス 人 の 侵 入 以 前 の ア ボ リ ジ ナ ル 社 会

現 在 オ ー ス ト ラ リ ア と 呼 ば れ て い る 地 域 に お け る ア ボ リ ジ ナ ル の 歴 史 は,5万 年 か ら10万 年 前 に さか の ぼ る こ と が で き る 。 ア ボ リジ ナ ル が,こ れ ほ ど長 期 に わ た っ て, オ ー ス トラ リア に 住 ん で い た と い う事 実 は,ア ボ リジ ナ ル を 単 な る マ イ ノ リ テ ィ集 団 の 一 つ と し て 分 類 す る こ と が 全 く見 当 外 れ で あ る こ とを 示 して い る 。 ほ と ん ど 理 解 す る こ と が で き な い よ う な 昔 に 仮 定 上 起 こ っ た と さ れ る 移 民 と,1788年 に よ うや く始

(8)

藤川  アボリジナルと白人の法

ま った 移 民 を 比較 す る こ とは 馬鹿 げた こ とで あ る。移 民 は ア ボ リジ ナル 以外 の人 々 の 中心 的 な 歴 史 的経 験 で あ るの に対 して,移 民 は アボ リジナ ル の歴 史 あ るい は意 識 の重 要 な部 分 で は な い。

  か つ て ア ボ リジナ ル は,砂 漠 地 帯 だけ では な く,現 在 都市 の あ る と ころ に も居 住 し て いた 。1788年 の ア ボ リジ ナル 人 口は75万 人 と推 計 され て お り6),ニューサ ウス ウ ェー ル ズや ヴ ィ ク トリア の海 岸 地 帯 や 河川 流 域 に多 くが 集 中 して い た。 そ の 生 活様 式 の多 様 性 は あ ま り知 られ て い な い が,例 え ば,ヴ ィ ク トリア西部 の ア ボ リジナ ル は 毛皮 を 身 に つけ,石 造 の 家 が あ る村 にほ ぼ 定住 して いた 。 も っ と暖 か い地 域 で は,1ヵ 所 に 留 ま るのは 数 ヵ月 だ け で あ っ た よ うで あ る。 ア ボ リジ ナ ルは,・ ミラ ソスの とれ た食 生 活 を送 り,多 くの 伝 染病 か ら も海 の壁 で守 られ て いた(Johnston  1991b:3‑7)。

  (b)ア ボ リジ ナル の 土地 の強 奪

  アボ リジ ナ ルの 土 地 の 強 奪 の歴 史 は,現 在 の ア ボ リジ ナル と非 ア ボ リジ ナル の 関 係 を理 解 す る の には 欠 か せ な い 問題 であ る。 オ ース トラ リアの 領 有 は,そ の 土 地 が 無 人 の 大 地 で あ る とい う認 識 に 基 づ い て,一 方 的 に宣 言 され た。そ の根拠 は,ジ ェー ム ズ ・

ク ックや ジ ョゼ フ ・バ ン クス の海 岸 部 に は ほ とん ど先 住 民 が いな い とい う観 察 に 基 づ いて い た が,こ の よ うな 見 解 は す ぐに不 正 確 で あ る こ とが分 か った 。初 期 の総 督 た ち は,ア ボ リジナ ルが 内 陸 部 に お り,特 別 な 領 域 を 有 し,土 地 と精 神 的 あ る いは 相 続 に よ る関 係 を 持 って い る こ とを 発 見 した。 そ れ 以 後,ア ボ リジ ナル の 土地 所 有 権 の問 題 は 論 争 の 的 で あ ったが,1991年 の マ ボ判 決 に よ り,コ モ ソ ・ローに 基 づ く土 地 の所 有 権 が 再 発 見 され た窺 しか しな が ら,マ ボ 判 決 まで は,ア ボ リジ ナル の 土 地 の 所 有 権

は考 慮 され る こ とは あ って も,権 利 と して正 式 に 確 認 され た こ とは な か った。

  初 代 総 督 ア ーサ ー ・フ ィ リップに対 す る命 令 は,ア ボ リジナ ル の土 地 の 占有 に不 必 要 に干 渉 す る こ とを禁 じて いた が,そ の解 釈 は入 植 に都 合 の 良 い よ うに 行 われ た。 初 期 の イ ギ リス の レ トリ ックは ア ボ リジナ ル に 関心 を示 してい るか の よ うで あ る が,ア ボ リジ ナ ル の土 地 を奪 い取 る政 策 を 事 実上 行 った。 イ ギ リス は,「 最初 の発 見 と入 植 」 とい う理 論 的 な原 理 に 基 づ い て土 地 を 獲 得 した けれ ど も,ア ボ リジナル の 武 力 に基 づ

く抵 抗 は続 き,入 植 者 は征 服 者 の メ ン タ リテ ィを持 つ よ うに な った。 ア ボ リジ ナ ル の 抵 抗 を 排 除 す る ため に 総督 た ち は しぼ しぼ軍 事 力 を用 い た。

  1830年 代 に おけ るイ ギ リス の人 道 主 義 の 高 揚 に よ って,ア ボ リジナ ルは 公 式 に イ ギ

リスの 臣 民 で あ る とみ な され る よ うにな り,ア ボ リジナ ル の保 護 官 な ど も任 命 され た

が,実 際 の 効果 は あ ま りな か った。 フ ロ ンテ ィアに お け る戦 いは 入植 と と もに 広 が っ

た。 入 植 者 や 警 察 が フ ロソ テ ィアで実 行 した 政 策 は,武 力 に よる鎮圧,静 か な,半 ぽ

(9)

                                    国立民族学博物館研究報告別冊  21号 秘 密 の,断 続 的 な戦 争 で あ った。 入 植 が ゆ っ く りで あ った 地 域 や武 力抵 抗 が 終 わ った 所 では,ア ボ リジ ナ ル と非 ア ボ リジナ ル の共 存 が見 られ た 。 牧 畜 業 や農 業 な どに お い て ア ボ リジナ ル の労 働 力 は評 価 され,ア ボ リジナ ル は 労働 者 と して働 きなが ら,あ る 程 度 伝 統 的 な土 地 と のつ な が りを維 持 す る こ とが で き た(Johnston  1991b:9‑16)。

  (c)フ ロ ンテ ィアの 時 代:伝 染病 と暴 力

  過 去 の 経験 は,何 世 代 に もわ た って継 承 され るに つ れ て,民 衆 の記 憶 あ る いは 歴 史 意 識 と呼 ば れ る よ うな もの を 生 み 出す 。 ア ボ リジナ ル が,警 察 や 看 守 が獄 中 の ア ボ リ ジ ナ ルを 殺 した に違 いな い と思 った の は,オ ース トラ リア の植 民 地 主義 的 な過 去 に 対 す る告 発 で あ り,現 在 の 社 会 が,過 去 は 終 わ った とい う確 証 を い まだ に示 す こ とが で き な い証 拠 で もあ る。

  フ ロ ンテ ィア の時 代 は,ア ボ リジナル に 対 して課 され た 「 法 と秩序 」 の タ イ プを示 して い る。 しか も これ が 後 の時 代 の 色調 を 決 め る こ とに な った。 オ ース トラ リア のほ とん どの地 域 で,暴 力 あ るい は 暴 力 を用 い る とい う脅 しが,イ ギ リス の法 と秩 序 を確 立 す る主 な 手段 とな った 。 フ ロン テ ィアの 時 代 に 殺 され た ア ボ リジナ ル の数 は2万 人 を越 え る8)。ア ボ リジ ナ ル は 土 地 と伝 統 的 な生 活 手 段 を 奪 わ れ,飢 え や 非 ア ボ リジ ナ ル社 会 の周 縁部 や リザ ー ヴへ の 移 動 が不 可 避 に な った 。暴 力 に対 す る恐怖 の遺 産 は, 入 植 者 のね らい どお りに,先 住 民 に対 して支 配 権 を確 保す るた め の最 も有 効 な戦 略 と な る。 ア ボ リジナ ル が い った ん この恐 怖 の影 響 下 に 入 る と,彼 らは単 に イ ギ リス の法 律 に従 順 に な る だけ で な く,す べ て の イ ギ リス人 が 与 え る いか な る命 令 に対 して も従 順 に な る傾 向 が あ った 。

  多 くの入 植者 は,自 ら法 の執 行 者 とな った 。 彼 らは,自 らの手 で征 服 を行 う権 力を 与 え られ てい る と感 じて いた 。 実 際,公 権 力 は ほ とん ど介 入す る こ とは な く,こ の よ

うな行 動 に 暗黙 の了 解 を 与 えて い た 。 暴 力 と鎮 圧 の ス タ イル に は様 々 な ものが あ った 。 武 力 の誇 示 や誘 拐,1838年 に マイ オ ール ・ク リー クで 起 こった よ うな 虐殺,1835年 に 西 オ ー ス トラ リア の総 督 ス タ ー リン グに よっ て行 わ れ た,ピン ジ ャラの虐 殺 の よ うな 懲 罰 的 遠 征 な どは そ の例 であ る。 ク ィー ンズ ラン ドで は,先 住 民 の警 察 を利 用 す る こ とで,さ らに厳 しい弾 圧 が1890年 代 まで続 いた 。 こ こで は,1万 人 以 上 の ア ボ リジナ ル と1,000人 以上 の 入植 者 が,フ ロ ンテ ィア に お け る衝 突 で命 を 落 と した 。 最 後 の フ ロン テ ィアで あ る ノ ーザ ン テ リ トリーや 西 オ ース トラ リア北 部 で,入 植 者 に よる秩 序 が確 立 され た の は1930年 代 であ り,そ れ ま では 露 骨 な 暴 力 に よ る弾圧 が続 い た。

  ア ボ リジナ ル に対 す る暴 力 が 公 的 な記 録 には 残 らず,ア ボ リジ ナル が虐 殺 な どの極

端 な排 斥 を あ ま り経 験 して い な い よ うに見 え る地 域 が あ る。 ア ボ リジ ナル に対 す る暴

(10)

藤川  アボ リジナル と白人の法

力 は 公 に 黙 認 さ れ て い た け れ ど も,法 律 を 文 字 ど お りに 解 釈 す れ ぽ,そ れ は 明 ら か に 違 法 な 行 為 で あ る 。 ア ボ リジ ナ ル を 虐 殺 し た 人 々 は,そ れ ゆ え,そ れ を 文 字 に して 記 録 す る場 合 に は 極 め て 慎 重 で あ っ た 。 彼 ら は,次 の よ う な 碗 曲 な 表 現 を 用 い る こ と で 訴 追 を 免 れ て い た 。̀dispersing',̀breaking  up',̀shaking  up',̀giving  a fight',̀teaching them  a lesson'こ れ ら の 表 現 は す べ て,ア ボ リ ジ ナ ル を 銃 撃 し,そ の 多 く を 殺 す こ と

を 意 味 し て い た 。 も ち ろ ん ア ボ リ ジ ナ ル た ち も,攻 撃 を うけ て い た ぼ か りで は な く, 入 植 者 た ち に 反 撃 し,少 な く と も3000人 以 上 の ヨ ー ロ ッパ 人 を 殺 し,3000人 以 上 を 傷 つ け た 。 しか し,こ の よ う な 抵 抗 は 決 し て 大 規 模 な,組 織 的 反 抗 に 発 展 す る こ と は な

か っ た 。

  ヨ ー ロ ッパ 人 が も た ら した 天 然 痘 や マ ラ リア は,ア ボ リ ジ ナ ル 人 口 に 破 壊 的 な 影 響 を 及 ぼ し た 。 人 口 は 半 減 し,多 く の 地 域 で 事 実 上 消 滅 した 。 こ の よ うな 人 口の 減 少 は 侵 略 者 に 対 抗 す る 能 力 を 極 度 に 低 下 さ せ た と考 え られ る 。 伝 染 病 は 人 口減 少 の 最 大 の 要 因 で あ っ た が,土 地 の 収 奪 や 社 会 の 破 壊 が,伝 染 病 が 極 め て 広 が りや す い 状 況 を 生 み 出 し た 側 面 も見 逃 して は な ら な い 。 入 植 が 急 速 に 進 ん だ オ ー ス トラ リア 南 東 部 の 人 口 減 少 が 著 し い の は,こ れ を 裏 付 け て い る(Johnston  1991b:17‑21)。

  (d)警 察

  ア ボ リ ジ ナ ル の 生 活 に 対 す る 警 察 の 介 入 は,様 々 な 理 由 か ら認 め ら れ て きた 。 囚 人 植 民 地 の 初 期 の 時 代 を 除 い て,警 察 が ア ボ リ ジ ナ ル と ヨ ー ロ ッパ 人 の 対 立 の 媒 介 した 。

こ の 点 に つ い て は,軍 隊 が 大 き な 役 割 を 果 た した 北 ア メ リ カ と対 照 的 で あ る。 オ ー ス ト ラ リ ア の 警 察 は コ ミ ュ ニ テ ィ の 管 理 よ り もむ し ろ,軍 隊 の 代 替 物 の よ うな 様 相 を 示 した 。 そ れ は,警 察 を̀troopers',̀corps',̀police  forces'と 表 現 す る よ うな 用 語 を 生 ん だ 。

  ア ボ リ ジ ナ ル の 抵 抗 は,オ ー ス ト ラ リア の 農 牧 地 帯 の 警 察 設 立 の 契 機 に し ぼ し ぼ な っ た 。 例 え ぽ,ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ー ル ズ 植 民 地 の 国 境 警 察 が 創 設 さ れ た の は,マ イ オ ー ル ・ク リー クの 虐 殺 の 直 後 で あ る 。 ア ボ リ ジ ナ ル が 自 ら の 土 地 や コ ミ ュ ニ テ ィを 守 ろ う と す る行 動 は,非 ア ボ リ ジ ナ ル 社 会 に よ っ て 犯 罪 で あ る と定 義 さ れ た 。 入 植 者 が 直 接 手 を 下 さ な い 場 合 に は,警 察 が 導 入 さ れ,ア ボ リ ジ ナ ル を 処 罰 した の で あ る 。 警 察 は,公 式 に は,ア ボ リジ ナ ル に 対 す る 入 植 者 の 私 的 な 暴 力 を 取 り締 ま る 役 割 も担 っ て い た が,つ ね に 入 植 者 の 安 全 が 第 一 に 考 慮 され て お り,現 実 に は,警 察 は フ ロ ン テ ィ ア 平 定 の た め の 国 家 の 道 具 に な っ た 。

  20世 紀 に な り州 及 び 連 邦 に 権 限 が 集 中 さ れ と,警 察 が ア ボ リ ジ ナ ル の 「保 護 」 法 を 執 行 す る 役 割 を 果 た す こ と に な る 。 ア ボ リ ジ ナ ル の キ ャ ン プ は,非 ア ボ リ ジ ナ ル の 要

(11)

国立民族学博物館研究報告別冊  21号

求 に よって 移 動 させ られ,お もな 都市 は ア ボ リジ ナル の 立 ち入 りを 禁 止 した。 また ア ボ リジ ナル は,そ の他 様 々 な行 動 の制 限 を受 け る よ うに な る。

  1930年 代 まで の ノー ザ ンテ リ トリーで は,警 察 は 保 護 官 と して,3ヵ 月 毎 に ア ボ リ ジナ ル の労 働 条 件 を 点検 し,病 気 の 者 の 治療 や 輸 送 を 行 った。 また 彼 らは,混 血 児 を 親 か ら強 制 的 に 引 き離 した。 ア ボ リジナ ルた ちは,子 供 や病 人 を 警 官 に よ る 「 保 護 」 か ら守 るた め に,し ぼ しば警 察 の 巡視 か ら逃 れ よ うと努 め た。 彼 らは,保 護 官 た ちに 出 来 る限 り情 報 を 与 え な い よ うに努 め た の で あ る。 警 察 は,労 働 力 や 売 春 婦 を 確 保す るた め に,ア ボ リジ ナ ルを 狩 り出す こ とが あ った 。部 族 法 に基 づ ぐ殺 人 に 関与 した 者, 都 市 の禁 止 地 域 に 入 った者,牛 を 盗 ん だ者 な ども逮 捕 した 。

  ニ ューサ ウス ウ ェ ール ズ で は,警 察 は 「 援 助 を 受 け るに 値 す る」 ア ボ リジナ ル に, アボ リジ ナル 保 護委 員会 の命 令 で食料 を配 給 した 。 保 護 委 員会 は ア ボ リジ ナル の 移 住 や子 供 の就 学 を 強 制す る た め に,食 料 の配 給 を停 止 す る こ とが で きた 。 委 員会 は また 管理 者 の い な い リザ ー ヴな ど を監督 す る権 限 を持 ち,ト ラ ブル メイ カ ーを追 放 した り,

リザ ー ヴの土 地 を 処分 した り,子 供 を 肉親 か ら引 き離 し 「 訓練 施 設 」 へ 送 った りした の で あ る。 これ らの保 護 委 員 会 の仕事 を実 際 に行 って い た の は警 察 で あ った 。 警 察 は ミッ シ ョンや 政 府 の リザ ー ヴの係 官 に協 力 して,反 抗 す るア ボ リジ ナ ルを 遠 い リザ ー ヴや刑 務 所 に送 った 。

  警 察 は,20世 紀 の前 半,ア ボ リジナ ル を取 り締 ま るだ け で は な く,困 窮 者 に 食 料 な どを配 給 した り,ア ボ リジ ナル の信 託 財 産(ア ボ リジ ナ ル の給 料 は 大 部 分 が信 託 され, そ の手 元 に 戻 る こ とは なか った)の 管 理 を行 った りした 。 警 察 は,こ の よ うに して,

アボ リジ ナ ルが 白人社 会 と接 触 す る接 点 とな り,白人社 会 の法 を 直 接 学 ぶ 場 に な った。

警 察 は,ア ボ リジナ ル の私 的 な生 活 の あ らゆ る面,住 居,食 事,病 気,労 働,教 育, 育 児 な どに 介 入 した。1940年 代 か らは,福 祉 関 係 の 役 人 が 多 くの面 を担 当す る よ うに な った が,強 制 移 住 や子 供 の 引 き離 しな ど,暴 力 が 潜 在 的 に 必要 な場 面 に は介 在 した の で あ る(Johnston  1991b:28‑33)。

  (e)ア ボ リジナ ル と法

  オ ース トラ リアの裁 判 所 は,ア ボ リジ ナル に も非 ア ボ リジナ ル の も同 じ法 が 適 用 さ

れ る とい う見 解 を と って き た。 しか しな が ら,実 際 の法 の 適 用 で は ア ボ リジ ナル は 極

め て不 利 な立 場 に お かれ て いた ので あ る。 治 安 判 事 が 担 当 す る裁 判 で は,治 安 判 事 自

身 が一 般 的 に アボ リジ ナ ル の雇 用 者 や利 害 の対 立 す る人 々で あ り,ア ボ リジナ ル に 有

利 な判 決 が 下 る よ うな こ とは ほ とん どな か った 。19世 紀 に は ア ボ リジ ナ ル の証 言 は証

拠 とみ な され ず,そ の証 言 が 認 め られ る よ うに な った 後 も,あ ま り信 用 され な か った 。

(12)

藤川  アボ リジナルと白人の法

陪 審 裁 判 で は,陪 審 員 は ほ と ん ど の 場 合 ア ボ リジ ナ ル に 敵 対 的 で,ア ボ リジ ナ ル に 有 利 な 判 決 の 下 る 可 能 性 は な か った 。1884年 か ら1911年 に か け て 殺 人 で 起 訴 さ れ た す べ て の ア ボ リジ ナ ル は 有 罪 で あ った が,ア ボ リジ ナ ル を 殺 し た 白人 は ほ と ん ど 有 罪 に な る こ とは な か っ た 。1913年 に 裁 判 官 ビ ー ヴ ァ ン は 次 の よ うに 述 べ て い る 。

  「陪 審 員 た ち は,白 人 を 黒 人 に対 す る罪 で 有 罪 に し よ う とは しな い。 証 言 が 黒 人 の も の であ れ ば 確 実 に 無 罪 で あ る。 これ に 対 し,黒 人 の 証 言 に 基 づ い て 黒 人 に対 す る有 罪 判 決 を 得 る の には 問 題 は な い。 陪 審 制 度 は,一 つ の 人 種 か らな る社 会 で は うま く機 能 して きた か も しれ ない が,人 種 的 反 感 の 導 入 は,陪 審 に よ る裁 判 の 原則 さえ も突 き崩 す ほ どに進 ん で い る。」

  ア ボ リジ ナル が逮 捕 され る割 合 が 急速 に増 えた の は1950年 代 に な ってか らで あ る。

19世 紀 に は,ア ボ リジ ナ ル に対 す る制 裁 は フ ロ ンテ ィアの住 民 に よ る私的 な制 裁 を と る こ とが多 く,20世 紀 の前 半 は,ミ ッシ ョナ リーや リザ ー ヴの監 督 官 が処 罰 を行 って いた 。 ア ボ リジ ナル は,一 般 の人 の 目に触 れ な い とこ ろで,極 め て不 当 で 恣意 的 な処 罰 を 受 け て いた ので あ る。 ア ボ リジ ナル に対 す る飲 酒 の許 可 が犯 罪 の増 加 を招 い た と い う主張 が あ るが,ア ボ リジ ナ ル の犯 罪 の増 加 は飲 酒 の 公 認 以前 にす で に起 こ って い た よ うで あ る。 刑 務 所 や 監獄 に おけ る ア ボ リジナ ル収 容 者 の増 加 は,リ ザ ー ヴな どア ボ リジ ナル を分 離 収 容 す る他 の施 設 の減 少 に対 応 した現 象 で あ った よ うに 思 わ れ る。

  ア ボ リジナ ル の囚 人 数 の 歴 史 的変 化 を見 る と,興 味 深 い こ とが 分 か る。 ク ィー ンズ ラン ドの ア ボ リジ ナ ル の 囚 人 の 割 合 は,1901年 に は6.7パ ー セン トで あ った が,1931 年 に は1.4パ ー セン トに 低 下 した 。 現 在 と比 較 す れ ば 信 じ られ な い ほ ど低 い数 値 で あ る。 これ は,ア ボ リジ ナ ルに 対 して厳 しい統 制 を 行 った政 府 の政 策 と,リ ザ ー ヴを 刑 務 所 の 代 替 物 と し て 用 い た 結 果 で あ る(Johnston  l991b:21‑27;McGrath  1995a:

180‑200)。

  (f)ア ボ リジ ナル の労 働

  オ ース トラ リアの 内 陸部 や 北 部 で は,他 の労 働 力を 獲 得す る こ とが 困 難 で あ った の

で9),ア ボ リジ ナ ル労 働 が 広 く用 い られ た 。1960年 代 に な る ま で,ア ボ リジ ナ ルは 食

料 の 配給 と作 業 着 の 支 給 だ け で働 か され る こ とが多 か った 。 ク ィ ー ンズ ラ ン ドで は,

賃 金 の 支払 い が義 務 化 され た が,そ の多 くが 保護 官 に信 託 財 産 と して預 け られ た 。保

護 官 た ち は,信 託 され た 財産 の利 用 を 全 く恣 意 的 な判 断 に基 づ き厳 し く制 限 した の で

あ る。保護 官 た ちは,ク リス マ スの た め の ア メ を買 うお 金 を 引 き出す こ とは認 め たが,

(13)

                                    国立民族学博物館研究報告別冊   21号 独 立 した 生 活 を送 るた め に 中古 の 自動 車 を買 うこ とは認 め な か った 。そ の結 果,ク ィー

ソズ ラ ン ドで は ア ボ リジ ナル の 信 託財 産 が30万 ポ ン ド近 くに達 す るの で あ る。 これ は 結 局,ア ボ リジナ ル の手 に 渡 る事 は な く,一 般 の歳 入 に 組 み 入れ られ た 。 ア ボ リジ ナ ル は,正 当 な 賃 金 を支 払 わ れ ず,稼 い だわ ず か な賃 金 も 自 由に使 えず,労 働 災 害 や 医 療 補 償 も受 け る こ とが で き なか った 。家 族 賃 金 の保 証 は 適 用 され ず,老 齢 年 金 や失 業 保 険 か ら除 外 され,普 通 教 育 も受 け る こ とは で き なか った 。 アボ リジ ナル の キ ャ ン プ

に は,水 道 や 下 水,電 気 な どの設 備 は 最 近 ま で ほ とん ど なか った の で あ る。

  同 化政 策 のた め に 両親 か ら引 き離 され た ア ボ リジ ナル の子 供 は,社 会 で労 働 秩 序 の 最 下層 に位 置 す る よ うな仕 事 につ くよ うな 訓練 を受 け た 。 女 子 は 家 内奉 公 人 と して 働 く訓練 を受 け,男 子 は 農村 の下 働 きを す る よ うな教 育 を 受 け る。 肉親 か ら引 き離 され た ア ボ リジ ナ ル の少 年 や 少 女 は,非 ア ボ リジナ ル の家 庭 で,他 の オ ース トラ リア人 が 嫌 悪 した この種 の仕 事 に つ い た の で あ る。 同 化理 論 に基 づ い て,こ の よ うな政 策 は, 若 い アボ リジ ナ ルが 非 ア ボ リジ ナ ル社 会 の 価 値観 を 吸収 す る のを 可 能 にす る とい う理 由 で正 当化 され た が,明 らか に 労働 市 場 の 需 要 に 応 え る政 策 で も あ った 。 ア ボ リジ ナ ルは,最 も賃 金 が安 く 「ス テ イ タス の低 い 」 仕 事 を,自 分 自身 が 選 ん だ の では な い雇 い主 の下 で 行 わね ば な らな か った 。若 者 た ちが 仕 事 を離 れれ ぽ,処 罰 され るか,リ ザ ー

ヴに送 られ た。 一 方,低 賃 金 労 働 に よる搾 取 は,「 文 明 化 」 であ る と して正 当 化 され た の であ る。

  ア ボ リジ ナル の多 くは,隔 離 され た施 設 で一 種 の 拘 留 状 態 に あ った 。 ア ボ リジナ ル の混 血 児 や そ の 他 の子 供 の収 容 施 設 は,質 の悪 い刑 務 所 とほ とん ど区別 が つ か な か っ た 。混 血 の ア ボ リジナ ル の児 童 に対 す る監 視 は特 に厳 し く,あ る 人物 は それ を 次 の よ

うに批 判 して い る。

  「混 血 の 者 は 保 護 官 が 命 じた 場 所 に 住 み,保 護 官 が 承 認 し た 場 所 で 働 か な け れ ば な ら ず, 自分 自 身 の 生 活 に 関 す る 発 言 権 が 全 く な か っ た 。 混 血 の 女 性 の 生 活 に 関 す る 限 り,彼 女 は 完 全 に 保 護 官 の 支 配 下 に あ っ た 。 保 護 官 は,彼 女 の た め に 彼 女 の 生 活 を 律 し,彼 女 に は 抵 抗 の 機 会 さ え な か っ た 」(Johnston  1991b:36‑38,41;McGrath  l995b:1‑129,158‑170, 188‑216;May  1994:41‑135;Saunders  l992:20‑57)。

Ⅴ 歴史 の遺産2

前 節 で は,植 民 地 法 や警 察 との関 係 を 中 心 に,ア ボ リジ ナル の 歴 史 を概 観 して きた

(14)

藤 川   ア ボ リジナ ル と白人 の法

が,こ こ で は,王 立 調 査 委 員 会 の 調 査 対 象 と な っ た 個 人 の 具 体 的 な 例 を と りあ げ て, も う少 し詳 し い 歴 史 的 経 緯 を 見 て み た い 。そ の 例 と は,ク ィ ー ソ ズ ラ ソ ドの チ ャ ー バ ー グ ・コ ミ ュ ニ テ ィ とそ れ に 係 わ った 人 々 で あ る。

  ク ィ ー ン ズ ラ ン ド州 の 報 告 書 に よ る と,王 立 調 査 委 員 会 が 検 討 し た 州 の ア ボ リ ジ ナ ル の 死 者 は27人,そ の 中 の25人 が ク ィ ー ソ ズ ラ ソ ド生 ま れ で あ っ た 。 こ の25人 中22人 は,チ ャ ーバ ー グ の よ うな 旧 リザ ー ヴ あ る い は ミ ッ シ ョソ(現 ア ボ リジ ナ ル ・ コ ミ ュ

ニ テ ィ)の 生 ま れ か,旧 リザ ー ヴ と深 い 関 係 を 持 つ 人 々 で あ っ た 。以 上 の事 実 は,ク ィ ー ソ ズ ラ ン ドに お け る 同 化 政 策 の 中 心 的 存 在 で あ っ た リザ ー ヴや ミ ッ シ ョ ン が,ア ボ リ ジ ナ ル と=オー ス ト ラ リ ア 法 と の 軋 礫 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ し て い る こ と を 物 語 っ て い る 。 チ ャ ーバ ー グ の ア ボ リ ジ ナ ル の 歴 史 は,現 在 の ア ボ リ ジ ナ ル に と っ て の 歴 史 の 重 さ を 示 す 極 め て 有 効 な 事 例 で あ る(wyvill  1991:39‑41)。

  (a)チ ャ ー バ ー グ

  チ ャ ー パ ー グ は,ア ボ リ ジ ナ ル 保 護 協 会 に よ っ て 設 立 さ れ た バ ラ ム バ ・ ミ ッ シ ョ ン と し て 始 ま った が,1904年 に 州 政 府 の 管 轄 の リザ ー ヴ と して 再 ス タ ー ト した 。 最 初 は こ の 地 域 に 住 む,ワ カ ワ カ や カ ビ カ ビ の 人 々 が 集 め られ た が,政 府 の 強 制 移 住 政 策 に よ る ク ィ ー ン ズ ラ ン ド各 地 の ア ボ リジ ナ ル の 収 容 場 所 と な る 。1905年,チ ャ ー ・ミー グ は 感 化 院 に 指 定 さ れ る 。 こ れ に よ っ て,各 地 か ら 多 数 の ア ボ リ ジ ナ ル の 子 供 が 送 り込 ま れ た 。 さ ら に,ア ボ リ ジ ナ ル の 病 人 や 老 人,貧 民 や 白 人 の 規 範 に 抵 抗 す る 者 な ど を 収 容 す る 施 設 と な る 。 そ の 結 果,1934年 の チ ャ ー バ ー グ は28の 異 な っ た 部 族 に よ っ て 構 成 さ れ る よ う に な っ た 。 人 口 も1904年 に は 約140人 で あ っ た が,1950年 代 中 葉 に は

1000人 を 越 え た 。

  リザ ー ヴ は,「 死 に 行 く人 種 」 で あ る 「純 潔 」 の ア ボ リ ジ ナ ル を 保 護 ・隔 離 し,混 血 の ア ボ リ ジ ナ ル を 同 化 す る た め の 場 所 で あ る と 位 置 づ け られ た 。 収 容 され た ア ボ リ

ジ ナ ル に 対 し て は 文 明 化 ・同 化 政 策 が 強 制 さ れ,と りわ け 子 供 に 対 して は,両 親 か ら 引 き 離 し,寮 で 生 活 さ せ る こ と で,ア ボ リジ ナ ル 文 化 か ら の 遮 断 が 図 ら れ た 。 と こ ろ が,名 ば か りの 同 化 政 策 に よ る 教 育 は 極 め て 不 十 分 で あ り,リ ザ ー ヴ 出 身 の ア ボ リジ ナ ル た ち は,女 性 は 家 事 奉 公 人 と して,男 性 は 肉 体 労 働 者 と し て,白 人 社 会 の 最 下 層 の 低 賃 金 労 働 力 を 提 供 す る の で あ る 。 リザ ー ヴ で の 生 活 は あ らゆ る 面 が,白 人 の 監 督 官 や マ ト ロ ソ に よ っ て 統 制 さ れ て お り,ア ボ リジ ナ ル が イ ニ シ ア チ ヴを と れ る 機 会 は ほ と ん ど な か っ た 。1984年 に ア ボ リ ジ ナ ル に よ る 自 治 が 導 入 さ れ る ま で,こ の よ う な 状 況 に 大 き な 変 化 は な か った 。

  1934年 の チ ャ ー ・ミー グ で は,婚 姻 の 習 慣 や 社 会 組 織 や 言 語 な ど,伝 統 的 な 文 化 が 多

(15)

      国立民族学博物館研究報告別冊  21号 く存 在 し て い た 。 しか し,同 化 政 策 の 実 施 と多 く の 部 族 が 混 在 した 結 果,1976年 ま で に は,言 語 や 伝 統 的 な 生 活 に 関 す る 知 識 は ほ と ん ど失 わ れ て し ま う。 実 際,1985年 に は 住 民 の ほ ぼ 全 員 が キ リス ト教 の 信 者 と な っ た と言 わ れ て い る。 一 方,こ の 頃 に な る と,チ ャ ー バ ー グ の ア ボ リジ ナ ル と して の 新 た な 伝 統 の 創 造 が 行 わ れ,チ ャ ー バ ー グ の ア ボ リジ ナ ル は,チ ャ ーバ ー グ と い う コ ミ ュ ニ テ ィ の 一 員 と し て ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 感 じ る よ う に な っ た(Guthrie  1975:16‑22;0'Sullivan  1985:10‑16;0'Sullivan 1986:3‑11;Wyvil11990b:4‑6;Wyvill  1991:240‑249)。

  調 査 対 象 と な っ た99人 の ア ボ リジ ナ ル の な か で,チ ャ ー バ ー グ と深 い 関 係 を も つ 者 が4人 い る 。 以 下 で は,か れ ら の 家 族 史 を た ど る こ と で,政 府 の 政 策 が ア ボ リ ジ ナ ル に 及 ぼ し た 影 響 の 大 き さ を 示 した い 。

  (b)ダ ニ エ ル ・ア ル フ レ ド ・ レ イ シ ー

  ダ ニ エ ル の 母 の パ ー ル は,チ ャ ー バ ー グ 地 域 で 成 長 し,1940年 代 中 頃 に は ウ ォ リ ッ ク や ロ マ な ど で 家 事 奉 公 人 と し て 働 い た 。 父 の ラ イ オ ネ ル は,チ ャ ー バ ー グ の リザ ー ヴ で 成 長 し,リ ザ ー ヴ や 周 辺 の 農 場 で 一 般 労 働 に 従 事 した 。1947年1月,ダ ニ エ ル が ラ イ オ ネ ル と パ ー ル の 間 に 生 ま れ る が,両 者 は ま だ 正 式 に 結 婚 し て は い な い 。 そ れ ゆ え,ダ ニ エ ル は す ぐに 祖 父 母 の も と に 預 け ら れ,以 後 両 親 と 住 む こ と は な か っ た 。 同 年9月,チ ャ ー バ ー グ の 監 督 官 は,パ ー ル を チ ャ ー バ ー グ か ら1200キ ロ離 れ た 牧 場 に 送 る 。 し か し,パ ー ル は これ に 抗 議 し,同 年 チ ャ ー バ ー グ へ の 帰 還 を 認 め ら れ た 。 第 二 子 の 誕 生 の 後,二 人 は1948年 に 結 婚 の 許 可 を 受 け た 。1952年,ラ イ オ ネ ル は 別 の リ ザ ー ヴ,ウ ー ラ ビ ン ダ に 強 制 移 動 さ せ ら れ る。 パ ー ル と子 供 の シ ャ ー リー も ラ イ オ ネ ル と と も に 移 動 した 。1954年,ラ イ オ ネ ル は,警 察 官 を 襲 っ た た め に,タ ウ ソ ズ ヴ ィ ル 刑 務 所 に 収 容 さ れ,さ ら に 別 の リザ ー ヴ,「 監 獄 島 」 と 呼 ぼ れ た パ ー ム ア イ ラ ソ ド に 送 ら れ る 。 パ ー ル と子 供 は,そ の 数 ヵ 月 後 ラ イ オ ネ ル に 合 流 す る許 可 を 得 た 。1957 年 の 中 頃,家 族 は ウ ー ラ ビ ソ ダ に 戻 る 。 け れ ど も,す ぐ に パ ー ル は 単 身 ウ ー ラ ビ ソ ダ か ら 逃 亡 し,子 供 た ち は ウ ー ラ ビ ソ ダ の 寮 に 収 容 さ れ た 。1959年,祖 父 母 は ダ ニ エ ル に 続 き,こ の 子 供 た ち も チ ャ ー バ ー グ に 引 き 取 る 。そ の 後 ラ イ オ ネ ル と パ ー ル は チ ャ ー バ ー グ に 戻 る が,子 供 た ち と の 関 係 を 回 復 す る こ と は で き な い 。 パ ール は,1964年 チ ャ ー バ ー グか ら 逃 亡 し,そ の 後 ブ リス ベ ン,ハ ー ヴ ィ ー ベ イ,シ ドニ ー に 住 ん だ 。 ラ イ オ ネ ル は,チ ャ ーバ ー グ と ブ リス ベ ン に 交 互 に 住 ん だ 後 に,1979年 に チ ャ ー タ}

ズ タ ウ ア ー に 移 動 し,1982年,そ こ の精 神 病 院 で 死 亡 す る 。

  ダ ニ エ ル の 祖 母 は,ミ ッ シ ョナ リー の 影 響 を 受 け た 厳 格 な バ プ テ ィ ス トで あ り,ダ ニ エ ル を 厳 し く教 育 し た が,思 春 期 に な る と コ ソ ト ロ ー ル で き な く な った 。1961年,

(16)

藤 川  ア ボ リジナ ル と白 人 の法

ダ ニ エ ル は,14歳 で ウ ェス トブ ル ッ ク の 少 年 院 に 送 ら れ る。1962年,チ ャ ーバ ー グへ 戻 さ れ る が,す ぐに 少 年 院 に 再 び 収 容 され た 。1964年 ウ ー ラ ビ ン ダ に 戻 さ れ る が,2 週 間 後 に 逃 亡 す る。 ダ ニ エ ル は,北 ・中 部 ク ィ ー ソ ズ ラ ン ドを 転 々 と した 後,1967年

以 降 ブ リス ベ ン に 住 む よ うに な る 。 こ の 時 か ら1987年 の 死 ま で,ダ ニ エ ル は そ の 大 部 分 の 時 間 を 刑 務 所 で 過 ご し,刑 務 所 外 に い る 時 は,主 に 南 ブ リス ベ ソ の ア ボ リ ジ ナ ル ・

ゲ ッ トー に 住 ん だ 。 ダ ニ エ ル は,刑 務 所 内 で は 恐 れ られ て お り,多 く の ア ボ リ ジ ナ ル 受 刑 者 の 保 護 者 の 役 割 を 果 た した 。1987年,ブ リス ベ ソ刑 務 所 の 受 刑 者 た ち が,ア ボ リ ジ ナ ル と し て の ア イ デ ソ テ ィ テ ィを 確 認 す る た め に,顎 髭 を は や す キ ャ ソペ ー ソ を 始 め た と き に は,次 の よ うな 手 紙 を 所 長 に 対 して 送 っ て い る 。

  「私 は 生 涯 を 通 じて ア ボ リジナ ル の部 族 に 属 して きた 。 そ して,私 は,自 分 を ア ボ リジ ナ ル で あ る とみ な す 人 生 の 段 階 に 到 達 した と感 じる。 そ れ ゆ え,私 は,ア ボ リジ ナル 文 化 に お け る私 の ス テ イ ・タスの シ ン ボ ル と して,顎 髭 を のぼ して い る。 いか な る者 も,国 で あ れ 人 間 で あ れ,私 に対 して 私 の文 化,信 念 の遺 産 を否 定 す る権 利 は な い,と い うのが 私 の 信 念 で あ る 」(WyvilU990a:1‑14)。

  (C)エ ド ワ ー ド ・ス タ ソ リー ・ ウ ェ ス ト

  エ デ ィ(エ ド ワ ー ド)の 家 族 は,少 な く と も3代 に わ た る リザ ー ヴ の 住 人 で あ る 。 彼 の 母 方 の 祖 母 シ シ ー は,ミ ッ チ ェ ル で 生 ま れ,お そ ら く チ ャ ー バ ー グへ 強 制 移 動 さ せ ら れ た 。 そ の 夫 は,態 度 が 悪 く生 意 気 で,監 督 官 を 殴 ろ う と した と い う理 由 で, 1933年 に チ ン チ ラ の 施 設 か ら チ ャ ー バ ー グ に 強 制 移 動 させ られ て い る。エ デ ィの 母 は,

こ の チ ャ ー ・ミー グ で 生 ま れ,エ デ ィ の 父 の ア ソ ソ ニ ー と後 に 結 婚 した 。1962年 ア ソ ソ ニ ー は,リ ザ ー ヴ の 監 督 官 の 庭 を 荒 ら し た 後,「 不 満 足 な 行 動 」 を 理 由 に 監 督 官 が 十 分 と 考 え る期 間 パ ー ム ア イ ラ ソ ドに 送 られ る 。 チ ャ ー バ ー グへ の 帰 還 を 許 さ れ た の は そ の1年 後 で あ っ た 。

  エ デ ィは,1969年 に チ ャ ー バ ー グ で こ の 二 人 の 間 に 生 ま れ た 。 母 は 病 院 で 働 くが, 父 は 収 入 の 大 部 分 を 飲 酒 に つ ぎ 込 ん だ 。 ま た 父 は 日常 的 に 暴 力 を ふ る っ た 。 母 は21歳 の 誕 生 日 ま で 酒 に 手 を つ け な か っ た が,そ の 日 以 後 酒 に 溺 れ る よ うに な る 。1972年 に 母 親 が 子 供 を 捨 て て チ ャ ー パ ー グを 去 る と,エ デ ィ は 祖 母 に 引 き 取 られ た 。 しか し, チ ャ ー パ ー グ に は,少 年 の た め の 娯 楽 施 設 が な く,ま た 教 育 環 境 も 劣 悪 で,エ デ ィは 少 し大 き く な る と非 行 グ ル ー プ に 加 わ る 。 チ ャ ー ・ミー グ に は 約40人 の 少 年 か ら成 る 複 数 の 非 行 グ ル ー プ が あ り,エ デ ィ は そ の よ う な グ ル ー プ の 一 つ の 一 員 と な っ た 。 そ の

(17)

      国立民族学博物館 研究報告別冊  21号 後 エ デ ィは,飲 酒 や シ ソ ナ ー の 吸 引 を 行 い,窃 盗 を 重 ね,1981年 か らは 政 府 の 施 設 な ど で 暮 らす 。 一 時 期 チ ャ ー バ ー グ に 戻 る が,問 題 を た び た び 起 こ し(4歳 の 子 供 に 対 す る レイ プ や 窃 盗 な ど),繰 り返 し逮 捕 さ れ た り,保 護 処 分 を 受 け た り し た 。   エ デ ィ は,11歳 頃 か ら飲 酒 を 始 め,16歳 ま で に は 多 量 の 酒 を 飲 む よ う に な る 。 っ い に,エ デ ィ の 問 題 行 動 に 我 慢 が で き な くな っ た チ ャ ー バ ー グ の ア ボ リジ ナ ル ・コ ミ ュ ニ テ ィは,エ デ ィ の チ ャ ーバ ー グか ら 追 放 を 求 め,エ デ ィは 少 年 院 に 送 られ る 。18歳 に な り,エ デ ィ は 政 府 の 保 護 か ら解 放 さ れ る が,そ の5ヵ 月 後 に 自殺 し た 。 エ デ ィに 関 して は,そ の 精 神 的 な 病 気 に た い す る 治 療 の 必 要 が 認 識 さ れ て い た が(ま た エ デ ィ も そ れ を 求 め た),そ れ は 実 現 しな か っ た(wyvill  l990b:5‑22)。

  (d)グ レ ゴ リー ・マ イ ケ ル ・ダ ソ ロ ビ ン

  グ レ ゴ リ ー は,1954年 に 生 ま れ30歳 で 自殺 す る ま で,人 生 の 大 部 分 を チ ャ ーバ ー グ で 過 ご した 。彼 の 母 は,ク ィ ー ソ ズ ラ ソ ド中 西 部 の 地 方 都 市 ク レル モ ソ トに 生 ま れ る 。 彼 女 は そ の 後,チ ャ ー バ ー グ に 強 制 移 動 させ られ た と 思 わ れ る 。 義 理 の 父 ダ ン ・ダ ソ

ロ ビ ソ は1920年 に ク レル モ ソ トで 生 ま れ た 。 彼 の 姓 は,ク レル モ ソ トの 西 に あ る牧 場 の 名 に 由 来 し て い る。 そ の 牧 場 は 彼 の 家 族 の 先 祖 伝 来 の 土 地 に あ っ た 。1925年,ダ ン は,彼 の 母 リ ジ ー と姉 と と も に,チ ャ ー バ ー グ に 政 府 の 手 で 強 制 移 住 さ せ られ て い る 。 そ の 原 因 は,先 住 民 問 題 担 当 局 の 官 僚 が,リ ジ ー が ア ヘ ソ を 喫 煙 し,姉 に そ れ を 与 え て い る と思 っ た か ら で あ る 。1963年 に 母 が 死 ぬ と,グ レ ゴ リ ー と二 人 の 兄 弟 は そ の 伯 母 に 引 き取 られ た 。15歳 の 時 に,グ レ ゴ リ ー は 開 墾 作 業 の 職 に つ き,約2ヵ 月 の 仕 事 の 後,約1週 間 チ ャ ー バ ー グ へ 戻 る とい う よ うな 生 活 を 送 る よ うに な る。 彼 は 優 れ た 労 働 者 で あ り,ま た ロデ オ で も有 名 で あ っ た 。 し か し,仕 事 を 始 め た 時 か ら酒 を 飲 み 始 め,後 に は き わ め て 大 量 の 酒 を 飲 む よ うに な っ た 。18歳 に な っ て か ら後 は,彼 は 毎 年 少 な く と も一 度 飲 酒 に 関 係 す る犯 罪 で 逮 捕 さ れ た 。 死 ぬ ま で に 逮 捕 さ れ た 回 数 は 少

な く と も33回 あ る 。

  彼 は ア ル コ ー ル 依 存 症 で あ り,死 亡 した 日 も,多 量 の 飲 酒 の 後 で 病 院 に 治 療 を 受 け に 行 くが,入 院 治 療 を 拒 否 さ れ る 。 彼 は,い つ も の よ う な 治 療 を 要 求 す る が,警 察 を 呼 ぶ と 言 わ れ て,病 院 を 去 っ た 。 し か し,す で に 警 察 へ の 連 絡 は な さ れ て お り,道 路 で ふ ら つ い て い る と こ ろ を,警 察 に 逮 捕 さ れ 留 置 所 に 拘 留 さ れ た 。 彼 は,留 置 所 で は 十 分 な 監 視 も な く放 置 さ れ,自 分 の ベ ル トを 用 い て 自殺 した の で あ る 。 検 死 官 は,彼

の 死 に 対 し て 刑 法 上 の 罪 を 負 う 者 は い な い と し た 。 し か し,「 ダ ソ ロ ピ ソ の 生 活 状 況 に 関 す る 徹 底 的 な 調 査 は,ダ ン ロ ビ ソ の 死 に 関 す る道 徳 的 な 責 任 は,単 に 彼 が ア ボ リ ジ ナ ル だ と い う理 由 だ け で,彼 の 生 活 の あ ら ゆ る 側 面 を 統 制 し よ う と した 非 ア ボ リジ

(18)

藤 川   ア ボ リジ ナ ル と白 人 の 法

ナ ル の 政 治 家 や 役 人 に あ る こ とを 示 し て い る」。

  1897年 制 定 の 法 律 に よ っ て,「 保 護 官 は ア ボ リ ジ ナ ル を リザ ー ヴ や そ の 他 ど こ に で も 好 き な よ うに 移 動 さ せ る こ とが で き た 。 ま た,ア ボ リジ ナ ル の 雇 用 は 保 護 官 の 裁 量 に 任 せ られ て い た 。ア ボ リ ジ ナ ル の 女 性 が ア ボ リ ジ ナ ル で な い 人 と結 婚 す る場 合 に は, 保 護 官 の 許 可 が 必 要 で あ っ た 。 ア ボ リ ジ ナ ル の 遺 書 は 保 護 官 の 承 認 が な い 限 り無 効 で あ っ た 。」 「「在 院 者 」 と彼 ら は 呼 ぼ れ て い た が,リ ザ ー ヴ で は,監 督 官 の あ ら ゆ る 指 示 に 従 う必 要 が あ り,1週 間 に 少 な く と も24時 間 無 給 で 働 か な け れ ぽ な ら な か っ た 。 在 院 者 は,犯 罪,重 大 な 非 行,義 務 の 不 履 行,重 大 な 不 服 従 ・規 則 違 反 を 行 え ば,即 決 で14日 ま で の 監 禁 の 処 罰 を 受 け る こ と が あ り え た 。 同 種 の 違 反 を 行 っ た16歳 以 下 の 者 に 対 して は,体 罰 が 認 め ら れ た い た 。」 「保 護 官 は ア ボ リ ジ ナ ル を リザ ー ヴ に 移 動 さ せ る 決 定 を す る に あ た り,法 律 に よ っ て そ の 理 由 を 述 べ る 必 要 は な か った 。」 しか し, 記 録 に よ れ ぽ,「 怠 惰,浮 浪,ア ヘ ンの 取 引,老 齢,不 道 徳 な 生 活,部 族 的 な 争 い が,

多 く の 人 々 の ア ボ リジ ナ ル ・ リザ ー ヴ へ の 移 動 の 理 由 で あ っ た 」。 基 本 的 に は,ヨ ー ロ ッパ 人 の 道 徳 規 範 や 行 動 規 範 に あ わ な い ア ボ リジ ナ ル が,リ ザ ー ヴ に 送 り込 ま れ た の で あ る(wyvill  1990c:1‑9)。

  (e)ジ ョ ソ ・ レイ モ ソ ド ・パ イ ロ ッ ト

  パ イ ロ ッ トの 祖 先 は,ク ィ ー ソ ズ ラ ソ ド西 南 部,キ ル ピ ー の 南 西 の パ ソ タ マ ラ 族 の 出 身 で あ る 。 パ ン タ マ ラ 族 は,19世 紀 後 半 か ら 白 人 の 入 植 の 影 響 を 受 け,多 くは 大 牧 場 に 暮 ら す よ うに な る 。 ま た,20世 紀 の 初 頭 か ら は,一 部 は 政 府 の リザ ー ヴへ 送 られ た 。 牧 場 に 住 む 人 々 は,牧 場 の 仕 事 に 従 事 し な が ら も 伝 統 的 な 文 化 を 保 持 す る が,大 恐 慌 の 到 来 に よ っ て 大 牧 場 が 分 割 され る と,パ ン タ マ ラ 族 は 近 隣 の エ ロ マ ソ ガ や キ ル

ピ ー な どに 移 動 し,一 部 は チ ャ ー パ ー グ へ 送 られ た 。 こ の こ ろ ま で に,部 族 的 な 伝 統 に 基 づ く生 活 様 式 は 大 部 分 消 滅 す る。

  パ イ ロ ッ トは,1953年 に 生 ま れ,コ ン ジ ー 牧 場 で 生 活 す る。 と こ ろ が,1955年3月, 父 と も う一 人 の ア ボ リジ ナ ル の 牧 童 が 労 働 契 約 へ の サ イ ンを 拒 否 し た 。 ア ボ リ ジ ナ ル

の 保 護 官,す な わ ち エ ロマ ソ ガ の 警 官 は,パ イ ロ ッ トの 父 が チ ャ ー バ ー グ に 送 ら れ る こ と を 望 ん で い な か っ た に も か か わ ら ず,家 族 と と も に チ ャ ー バ ー グ に 送 り,そ こ で 新 た な 職 場 を 見 つ け る こ と を 先 住 民 監 督 局 に 提 案 し た 。 これ に 対 し,監 督 局 は,近 隣 で 新 た な 雇 用 を 見 つ け る こ と を 勧 め た 。 そ し て,次 の よ うな 警 告 を 添 付 した 。 も し一 家 が チ ャ ー バ ー グ に 送 ら れ た な ら ぽ,「 定 住 地 に お け る 深 刻 な 住 居 の 不 足 の た め に,

ポ ン テ ィ ウ ス ・パ イ ロ ッ ト とそ の 家 族 に 家 が 与 え ら れ る と い う保 証 は な い 。 満 足 な 準 備 が 整 う ま で,家 族 は バ ラバ ラ に な り,子 供 は 寮 に 収 容 さ れ る か も しれ な い と,彼 ら

(19)

                                        国立民族学博物館研究報告別冊  21号 に は っ き りと言 って お く必 要 が あ る。 」1955年8月,一 家 は1050キ ロ離 れ た チ ャーバ ー

グに送 られ た 。 数 週 間後 に父 は,故 郷 の牧 場 に仕 事 を 得 て戻 るが,家 族 は チ ャーバ ー グに留 ま る。1961年,パ イ ロ ッ トの 母 は 死 亡す る。父 は リザ ー ヴの外 で の労 働 を 続 け, パ イ ロ ッ トは,3な い し4年 間 他 の家 族 に預 け られ た 後,寮 に収 容 され る。

  パ イ ロ ッ トの 少 年 時 代,リ ザ ー ヴ の ア ボ リジ ナ ル は,1939年 と1945年 の法 律10)に よっ て厳 しい統 制 下 に置 か れ て いた 。 アボ リジ ナ ルは 監督 官 の命 令 に は必 ず 従 わ なけ れ ぽ な らず,移 動 や 移住 の 自 由は 全 くな か った。 手 紙 を 書 い た り,踊 った り,伝 統 的 な行 事 をす るに も許 可 が必 要 で,監 督 官 は ア ボ リジ ナル の手 紙 を 開封 す る こ と もで き た。結 婚 や 労働 に も許 可 が 必要 で,最 高 週32時 間 ま で無 給 労働 を命 じられ る こ と もあ っ た。 ま た 自分 の財 産 を 自由 に処 分 す る こ と もで きなか った。

  成 人 後 のパ イ ロ ッ トは,長 くて も6ヵ 月 間仕 事 を続 け た だ け で,人 生 の 大部 分 を無 職 で過 ごす 。 北 部 ク ィー ンズ ラ ン ドな どを転 々 と した 後 に,70年 代 末 に ブ リス ベ ンに 定 着 す るが,女 性 と同棲 した数 年 を除 き,死 ぬ ま で宿 無 しの ア ル コー ル 中毒 患者 で あ っ た。1987年 の死 の直 前 の 数 週 間 で,飲 酒 に よ る逮捕 の数 は13回 に及 ぶ 。 特 に 最 後 の1 週 間 に は5度 も逮 捕 され て い る。

  こ こに あげ た4人 の家 族 史 は,決 して特 殊 な もので は な く,あ る程 度 家 族 の歴 史 が た どれ る ア ボ リジ ナル に とっ ては,普 遍 的 な物 語 りであ る と言 って よ い。 白人 の政 治 権 力 に よる干 渉 は,歴 史 的 に深 く,し か も広 範 囲 にわ た って い た の で あ る。

お わ り に

  オ ー ス トラ リアの 法 シス テ ムは,先 住 民 ア ボ リジ ナル との 関 係 に お いて 大 きな 矛盾 を かか え てい る。1788年 の入 植 以 来,法 は 入植 者 に よ るア ボ リジ ナ ル の土 地 略 奪 とア ボ リジ ナ ルの 差 別 を 正 当化 す る機 能 を果 た して きた 。 現 在 の ア ボ リジ ナル に と って, 法 規 範 が何 ら の道 徳 的 な拘 束 力 を 持 た な い と して も不 思 議 で は な い。 法 を犯 す こ とを, 支 配 へ の抵 抗 で あ り,道 徳 的 に 善 で あ る,と 考 え る者 も少 な か らず 存 在 す る。

  20世 紀 第3四 半 期 まで の オ ー ス トラ リア で は,侵 略 者 で あ る 白人 の規範 か らの ア ボ

リジ ナ ル の逸 脱 を,監 獄 の代 用 と しての リザ ー ヴ と ミッシ ョンを核 とす る統 制 の シス

テ ム に よって 処 理 して きた 。 ア ボ リジナ ル は,法 的 な 権 利 を行 使 す る前 に,保 護 とい

う名 目で,事 実 上 の刑 罰 や 監 禁 を 受 け て い た の で あ る。 しか し,1970年 代 以 降 ア ボ リ

ジ ナ ル の権 利 の 拡 大 と と もに,リ ザ ー ヴを核 とす る この シス テ ム は機 能 しな くな り,

白人 に対 す る の と同 じ法 シス テ ムが アボ リジ ナ ル の逸 脱 行為 を処 理 せ ざ るを え な くな

参照

関連したドキュメント

現地法人または支店の設立の手続きとして、下記の図のとおり通常、最初にオーストラリア証

Based on anthropological fieldwork among the Traditionalist and Christian Lahu in northern Thailand, this paper examines the changes in order and discipline of Christian Lahu as

⑧ Ministry of Statistics and Programme Implementation National Sample Survey Office Government of India, Report No.554 Employment and Unemployment Situation in India NSS 68th ROUND,

[r]

「患者の治療そのものに対する期待が急速にしぼん でゆく」 (76 ページ)。そのうえで第 3

出稼ぎ生活は長期化している︒それ

松岡義正氏︑強制執行法要論上︑ 中︑下巻︵大正 ご一丁⊥四年︶

British Library, The National Archives (UK), Science Museum Library (London), Museum of Science and Industry, Victoria and Albert Museum, The National Portrait Gallery,