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年代日本の労働運動における 文化活動と職場闘争

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(1)

年代日本の労働運動における 文化活動と職場闘争

―― 人権争議後の近江絹糸紡績労働組合の事例 ――

島 西 智 輝 下久保 恵 子 谷 合 佳代子 梅 崎 修 南 雲 智 映

は じ め に

周知のように,日本の労働運動史において, 年代は様々な画期となる 時期であった。 年の総評結成にはじまり,産業別統一闘争(春闘)や職 場闘争の開始,全労の結成,そして日本生産性本部の設立などがすべてこの時 期に集中しているからである。これらのうち,職場闘争は,産業別統一闘争と ともに総評を中心とした労働運動が成長・発展していく原動力となり,一時は 総評の「組織綱領草案」において労働組合活動の基調と位置づけられつつも,

年の三井三池争議の労組側の敗北を契機に挫折した

!

。その意味では,争 議手法という面では,職場闘争がもっとも 年代の労働運動を特徴づけて いたといえよう。

職場闘争については,主として炭鉱労働運動史において実証的な研究が蓄積

* 本稿は, 〜 年度科学研究費補助金基盤研究(B) (代表:梅崎修)の 研究成果の一部である。梅崎,島西,南雲は本稿の資料のひとつであるインタビュー調査

(オーラルヒストリー作成)を,下久保,谷合は文書資料の整理を担当した。本稿の執筆 は,これらの資料の検討と著者全員の議論に基づいて,島西と下久保が担当した。

( ) 兵藤釗『労働の戦後史(上)』東京大学出版会, 年, 〜 頁。

(2)

されている。三池争議の歴史を詳細に分析した平井陽一は,三池争議の背景と して職場闘争の進展を指摘し,職場単位での大衆の要求に基づいた団体交渉や メモ化闘争によって三池労組が職場を把握していった過程を詳細に明らかにし ている

!

。これに対して,島西智輝は,三池労組とともに三井鉱山労組の中核で あった砂川労組の 年の福利厚生闘争が大衆闘争として取り組まれたこと を明らかにし,幹部闘争から大衆闘争,そして職場闘争へと至る経路が三池労 組以外にも存在した可能性を指摘している

"

しかし,炭鉱以外の職場闘争については,三井鉱山労組と同時期に行われた 北陸鉄道労組の取り組みが職場闘争の嚆矢としてよく知られているし

#

,全自日 産分会の機関紙を用いて職場闘争を分析した上井喜彦の研究もあるものの

$

,一 次資料に基づいた十分な研究蓄積があるとはいえない。しかも,上述の炭鉱労 働運動史研究を含めた従来の職場闘争研究は, 年代の日本の労働運動に おける重要な現象を分析に組み込むことができていない。サークル運動に象徴 される労働者の文化活動

%

の活発化が,それである。

近年,社会学や文学研究において, 年代の労働者の文化活動について の研究が活発に行われている

&

。職場闘争と文化活動との関係を強く意識した研 究として,竹内真一・碓井正久と水溜真由美の研究があげられる。竹内・碓井 は,敗戦から 年代半ばまでのサークル運動の歴史を整理し,職場闘争を はじめとした労働運動が活発だった北陸鉄道,国鉄,そして炭鉱の労組におい

( ) 平井陽一『三池争議−戦後労働運動の分水嶺』ミネルヴァ書房, 年。

( ) 島西智輝「炭鉱労働組合運動における大衆闘争の形成に関する考察−戦後復興期の三 井鉱山砂川炭鉱労働組合の事例を中心に」『三田商学研究』第 巻第 号( 年 月), 〜 頁。

( ) 兵藤『労働の戦後史(上)』, 〜 頁。

( ) 上井喜彦「全自日産分会の職場闘争」『社会科学論集』第 号( 年 月), 〜 頁;上井喜彦『労働組合の職場規制』東京大学出版会, 年。

( ) 本稿は,労働者による職場内外での文芸,音楽,演劇などの表現活動,学習活動,お よびレクリエーション活動を文化活動と呼ぶ。

( ) 研究は多数にわたるが,さしあたり,以下で検討する研究以外の近年の成果として,

広川禎秀・山田敬男『戦後社会運動史論− 年代を中心に』大月書店, 年;『現

代思想(総特集戦後民衆精神史)』青土社, 年;鳥羽耕史『 年代−「記録」の

時代』河出書房新社, 年,があげられる。

(3)

て職場サークルの育成が積極的に行われるとともに,サークルの自主性が尊重 されている一方で,労働運動が成果をあげていない労組では労組とサークルが 対立関係にある場合が多かったことを指摘している

!

。水溜は,職場闘争の企業 内闘争としての弱点を指摘したうえで,炭鉱労働運動におけるサークル運動を 分析し,サークル運動を労働者の横断的な連帯を実現する可能性をもった運動 であったと評価している

"

これらの先行研究にしたがえば,サークル運動と職場闘争は,職場闘争が活 発な労組では前者が後者の弱点を補完する関係にあり,不活発な労組では両者 が対立的な関係にあったことになる。しかし,先行研究はいずれもサークル運 動以外の文化活動には目を配っておらず,サークル運動以外の文化活動と職場 闘争との関係については,依然として未解明である。こうした先行研究の限界 を克服するためには,先行研究が明らかにしたサークル運動と職場闘争との関 係を踏まえつつ,サークル運動以外の文化活動と職場闘争との関係を検討する 必要があろう。

以上の問題意識に基づいて,本稿は, 年代半ばの近江絹糸労組におけ る文化活動と職場闘争を事例として,両者の関係を検討する。とくに注目する 文化活動は,近江絹糸労組彦根支部におけるサークル運動と「らくがき運動」

である。労働者による「らくがき」形式の表現活動は, 年代初頭から様々 な産業で非公然で行われていたが,これを 年に労組の正式な文化活動に 位置づけた嚆矢が,近江絹糸労組であった

#

。近江絹糸労組の文化活動について は,近江絹糸人権争議を分析した上野輝将の研究がある

$

。上野は,近江絹糸の 労働者が人権争議を契機に活発な文化活動を展開していたことを明らかにした

( ) 竹内真一・碓井正久「わが国における労働者サークルの歴史的発展過程」『東京大学 教育学部紀要』第 号( 年 月), 〜 頁。

( ) 水溜真由美『『サークル村』と森崎和江−交流と連帯のヴィジョン−』ナカニシヤ出 版, 年。とくに序章と第Ⅰ部,第Ⅱ部を参照。

( ) 日本機関紙協会大阪出版委員会『労働者の文章作法』新興出版社, 年, 〜 頁。

( ) 上野輝将『近江絹糸人権争議の研究−戦後民主主義と社会運動』部落問題研究所,

年。

(4)

うえで,「らくがき」を含めた文化活動が「会社に対しても組合に対しても物 を言う労働者を育てた」

!

としている。しかし,上野の研究では,文化活動がそ のような効果をあげた具体的過程は明らかではなく,職場闘争との関係も検討 されていない。

そこで本稿は,上野が使用した資料,および筆者らが整理した新資料(辻コ レクション

"

),さらには筆者らが実施した近江絹糸人権争議当時の労働者のオ ーラルヒストリー

#

を利用して,上記の課題に接近したい。なお,先行研究は総 評系の職場闘争の分析が中心であり,総同盟や全労系のそれについては管見の 限り研究が蓄積されていない。近江絹糸労組彦根支部に限定された事例ではあ るが,本稿は,こうした先行研究の空白を埋める意義ももっている。

本稿の構成は以下のとおりである。第 節では,「らくがき運動」が勃興,

拡大していく過程を検討する。第 節では,「らくがき運動」を基礎とした独 自の職場闘争が確立していく一方で,サークル運動が縮小,再編されていった ことを明らかにする。第 節では,独自の職場闘争の実態を明らかにするとと もに,闘争が抱えていた問題とその要因を考察する。最後に,本稿の検討結果 をまとめる。

.「らくがき運動」の勃興

⑴ 「らくがき運動」の開始

年 〜 月の人権争議を契機に,近江絹糸には つの大きな変化が起 こった。第 は,職制の権力が縮小し,労働者による職場秩序の支配が実現し

( ) 上野『近江絹糸人権争議の研究』, 頁。

( ) 辻コレクションは,辻保治氏(元・近江絹糸労組彦根支部)が収集・保存していた近 江絹糸人権争議前後の資料コレクションである。詳細については,島西智輝,梅崎修,

下久保恵子,谷合佳代子,南雲智映「エル・ライブラリー所蔵の近江絹糸人権争議資料」

『大原社会問題研究所雑誌』第 号( 年 月), 〜 頁を参照。本稿で【 】で 記しているのは,コレクションの整理番号である。また,発行年が明記されていない資 料のうち,内容から発行年を推定したものは発行年を[ ]で示した。なお,コレクショ ンの目録も後日公開する予定である。

( ) 梅崎修,南雲智映,島西智輝編『近江絹糸人権争議のオーラルヒストリー⑴』科研費

報告書, 年。

(5)

たことである。たとえば,晒練職場では,工務部長の権限であった腐化槽作業 の管理を,労働者自身の判断で実施するようになった

!

。また,職場ごとに職場 会が結成された

"

。そして第 が,サークル運動の勃興である。争議以前の近江 絹糸労働者の文化活動は会社公認のものであり,労働者自身によるサークル運 動が勃興したのは争議が終結する頃からであった。サークルは合唱,詩など多 岐にわたったが,なかでも詩サークル「噴煙」のように,「繊維労働者のあい だでもなうての詩サークル」に短期間で拡大したサークルもあった

#

こうした文化サークルの成果を含む文芸作品を人権争議記念文集にまとめる ことが計画され,掲載作品が募集されたが,創作,評論等一部のかぎられた人 の作品しか集まらなかったため, 年 月 日に各支部の教文部長が集っ た会議で善後策が話し合われた。ここで活動スタイルを変えることが確認さ れ,日記や「なんでも思っていることをかく落書,よせがき」を含む原稿を広 く募ること,それらを共同編集するための編集委員会を作ることが決定され た

$

日後の 月 日に第 回編集委員会が開かれた。各支部が情報交換す る過程で,労働者が「悩みをうちあけるだけのカンキョウが作られてない」こ とが浮き彫りとなった。それを受けて,労組外部から参加していた日本機関紙 協会の小森孝児

%

が,工場便所の「落書は機関紙の役目をはたしているもので落 書にもみんなの書きたい気持があらわれている」と,悩みを表現する手段とし ての「らくがき」の重要性を指摘した。その結果,「組合や幹部の胸にある苦 しみや,悩み,要求をはだかになって話し合い書いてもちより,これを組織し て,大衆に返すのが文集である」という認識のもと,文集発行を第一目的とす

( )『近江絹糸人権争議のオーラルヒストリー( )』, 〜 頁。

( ) 飯野大作『トランペット的な工場(紡績)詩論−湖東の繊維工場における詩運動の歴 史と教訓』私家版, 年【C 】, 頁;『労働者の文章作法』, 頁。なお,飯野 大作は,後掲資料の著者である「余子敏」と同様,辻保治氏の筆名である。

( ) 以上は,飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 〜 頁。引用は 頁。

( ) 近江絹糸紡績労働組合教文部『第一回教文部長会議のまとめ』, 年【B 】。

( ) 小森氏は日本機関紙協会大阪支部職員であったが,どのような経緯で近江絹糸労組の

活動に参加したのかは不明である。

(6)

る方針を改め,組合員の表現の場,組合の一体化を進める方策として「書く運 動」を展開することになった。運動の宣伝については「情報,壁新聞,マイク,

らくがき帳,回覧ノート」と例示がなされただけで各支部にまかされ,組合幹 部や教文部に対しては,「よい相談相手」となり「はだかになって話しあおう」

と呼びかけた

!

以上の経緯を経て開始された「書く運動」で各支部が選択した表現手段は

「らくがき」であった

"

。その背景として,上述したように編集委員会で「らく がき」の表現手段としての重要性が認識されていたことにくわえて,職制から 規制されずに職場や寮で「らくがき」を自由に書けるという状況そのものが,

人権争議を経て労働者達が勝ち取った「表現の自由」だったことがあげられ る

#

原稿用紙の配布や職場・寮・便所などへのらくがき帳の設置が各工場(労組 支部)単位で実施された。また,アンケートの実施や座談会の開催なども行わ れた。 月中に行われた第 回運動では 分の 以上の人が「らくがき」を 書き,運動は盛り上がった。一方で組合員同志や職制への中傷が書かれ,らく がき帳が破かれたり内容が消されたりという問題も起きた。とりわけ,労組幹 部を批判した記述が多く,幹部からも運動への疑問・批判が出された。さらに,

今までタブーとされていた異性間や性の問題も書かれ,婦人病・婦人衛生の実 態など女性組合員の抱える問題も顕在化した。同年 月から翌年 月に取り 組まれた第 回・第 回の運動では,各支部の寮でらくがき帳がまわされた。

編集委員による説得や職場討議を経て,個人中傷,幹部批判が減る一方で,自 分と同じ意見に丸印をつけたり,反対意見を追記したりするなど,紙上討論が 活発となり,巡回誌の役割を果たしはじめた。

( ) 以上は,近江絹糸紡績労働組合『第一回編集委員会のまとめ』, 年【B 】によ る。

( ) 以下,記念文集発刊までの経過は,『第二回編集委員会のまとめ』, 年【B 】;

近江絹糸紡績労働組合『 らくがき帳運動 について:その経過と成果および今後の問 題点:組織の強化と教宣活動の前進のために』, 年【B 】;近江絹糸紡績労働組 合『近絹教宣内報』No. , 年【B 】;『労働者の文章作法』, 〜 頁による。

( )『近江絹糸人権争議のオーラルヒストリー⑴』, 〜 頁。

(7)

年 月から翌年 月下旬までの約 ヶ月にわたって運動が展開された 結果, 冊(全支部合計)の記入済みらくがき帳,投稿作品 篇,アンケ ート 人分が得られたため, 年 月にそれらをまとめた記念文集『らく がき』(全 頁)【 B 】が発刊された。争議後の 年 月に全繊同盟と 近江絹糸労組の共編で出版された文集が 千字を超える原稿が多い本格的な文 集であるのとは異なり

!

,この『らくがき』は生活記録,独り言めいたもの,ま んがを描きなぐったようなもの,工場の壁の落書写真,詩,肉筆の寄せ書き,

カットなど,まさに混沌とした一人一人の声が反映された文集である。仕事の 辛さ,職場への不満,家族への思い,恋愛や日常の暮らしなど様々な内容が盛 り込まれ,職制や組合幹部への批判も割愛されることなく掲載された

"

ただし,「らくがき運動」に労働者すべてが積極的とはいえなかった点にも 注意せねばならない。彦根支部のアンケートによれば「らくがき運動」に反対 した者は 名中 名であったが

#

,表 にまとめた大垣支部のアンケート調査 によれば,らくがき帳を書いたことがある人は回答者の約半数であった。ま た,「らくがき」をこれからも続けるべきか,という問いに対しては,「続ける」

という積極的意見が約半数を占める一方で,「やめる」「どうでもよい」という 消極的意見も約 %を占めていた。こうした支部間や労働者間の温度差をは らみつつ,次に見るように「らくがき運動」は新たな展開を見せていく。

( ) 全繊同盟教宣部『解放の歌よ高らかに:近江絹糸人権闘争の手記』全繊同盟教宣部,

年。

( ) 記念文集発行後,近江絹糸の「らくがき運動」は全国的に評価され,この運動に取り 組む組合もあらわれた。たとえば,近江絹糸紡績労働組合『近絹教宣内報』No. , 年【B 】には,機関紙協会総会で近江絹糸労組がおこなった報告を受けてこの運動 に取り組んだ住友金属小倉製鉄労働組合の寄稿記事が掲載されている。

( )『 らくがき帳運動 について』。

(8)

⑵ 「らくがき」から職場新聞へ

「らくがき運動」の成果は記念文集にまとめられただけではなく,支部単位,

職場単位での表現活動・文化活動へと還元されていった。大垣支部では大衆的 な「つぼみ文学サークル」が発足し,津支部・長浜支部は「話し合う運動」に 取り組んだ。各支部で職場新聞が発行され,『らくがき』が発行された時点で,

中津川支部の『ほほえみ』『ひとみ』『チーズの友』,彦根支部の『ほのお』『蛹 粉の中で』,大垣支部の『ぼこぼこ』などの職場新聞が生まれた

!

。本稿では,

このうちとくに「らくがき運動」が活発であった彦根支部の製綿(製排綿)職

( )『 らくがき帳運動 について』。

質問項目 回答項目 回答数 比率(%)

らくがき帳をどう思いますか

イ)なかなか良いと思います .

ロ)別に悪くないと思います .

ハ)悪いと思います .

ニ)何とも思いません .

らくがき帳に書いたことがあり ますか

イ)ある .

ロ)ない .

らくがき帳や,第 集のまとめ を読みましたか

イ)読んだ .

ロ)読まなかった .

これからのらくがきについて

イ)やめる .

ロ)続ける .

ハ)どうでもよい .

配付数(枚)

回収数(枚)

回収率(%) . 近江絹糸労組大垣支部の「らくがき」アンケート( 年 月,抜粋)

(単位)表中に記載

資料)日本機関紙協会大阪出版委員会『労働者の文章作法』新興出版, 年, 〜 頁より作成。原資料は近江絹糸労組大垣支部『教宣ニュース』第 号, 年。

注)比率は回収数に対する各回答数の比率である。

(9)

場の新聞である『蛹粉の中で』を事例として,「らくがき」から職場新聞が生 まれる過程と記事の特徴を明らかにしたい

!

製綿職場は,人権争議後も労働環境は劣悪であった。また,職場会でも支部 報告や連絡事項がなされるだけで,経験年数の多い「お姉さん」の組長に対し て経験年数の浅い者が何もいえないなど,職場内での意思疎通も不十分であっ た。こうした職場での諸問題について職場で発言し,解決していくために,経 験年数の浅い者たちが中心となって提案したのが「らくがき」であった。

年 月,前年秋から開始された「らくがき運動」で回収されたらくが き帳の「どのページにも仕事のつらさ,怒り,憎しみが,ぶっつけるようにし て横や縦になぐり書きがしてあった」

"

ことから,製綿職場会でそれらをまとめ た職場新聞を作成することが決定され,同職場の ABC 番

#

名のなかから編 集委員 名が選出された。編集委員は,らくがき帳に書かれたことをすべて 原稿用紙に筆写し,それらの紙面への配置からガリ切り,配付までを担当した。

編集委員会の費用は彦根支部教文部が負担した

$

。以下に示すように,職場新聞 の記事は,散文だけでなく韻文形式のものもあった。

「欠勤のガン 円型,切綿のボロ台 ボロ台は新調してくれ!

◆新調

私はこんな夢をみたんです。ホラまたあのボコボコ台なのよ。切綿をキ レイにまいてあげたい。でも,ボコボコなのでまけないでしょう。切綿 台付の人みんなで話し合って台の前にすわりこみをしてたら,輪違さん

[工場長:引用者]がきて泣きながら,あのオンボロ台についてんの。

私たち笑って見てた…。そうだ,私達はみんなで話合ってボコボコ台を

( ) 以下の記述は,とくに断りのない限り,吉田チエ「蛹粉の中から らくがき帳→職場 新聞→討議→職場要求→職場闘争→らくがき帳→職場新聞→討議→」(『労働者の文章作 法』, 〜 頁,所収)による。なお,飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』,

〜 頁にも同じ記事が掲載されている。

( ) 吉田「蛹粉の中から」, 頁。

( ) 三交替制の配番のこと。

( ) 飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 頁。

(10)

新調してくれって会社にいおうね。」

!

「私のあれた手

風呂のなかでそーっとのばしたら/ピリッピリッとして/なんだか自分の 手でないようだ/あれた手はかさかさしている/水につける時/ちぢけあ がる程水がしみる

棒をつかむたびに/親指の間から血がにじみでても/いやなことも/すれ ることも/なんにも思わず/ただ夢中で粕取っている/がさがさして,お ろし貝のように/あれた私の手

明日もまた粕取るんだから/風呂の中で/そーっとのばしてみた」

"

らくがき帳には頁全面に「バカ!」と書いたものもあったようであるが,製 綿職場会は,「 ラクガキ は職制の悪口を集めるものではない。みんなの要求 や悩みを書いて,どうしたら解決できるか話し合うための資料」

#

とすることに 決定した

$

。それでは,労働者は「らくがき」から職場新聞へと集約された要求 や悩みをどのように解決したのであろうか。次節以降で検討しよう。

.「らくがき」を基礎とした職場闘争体制の確立

⑴ 職場要求の解決方法の模索

「らくがき運動」以前の彦根支部では,支部執行部が主体となり,団体交渉 によって職場要求の解決に取り組んでいた

%

。 年 月 日の第 回大会報 告によれば,寄宿舎と職場からの要求が了承された 項目のうち,職場関係

( ) 彦根支部製排綿職場会『蛹粉の中で』創刊号, 年【B 】。適宜句読点を付した。

( ) 彦根製排綿『蛹粉の中で』第 号, 年【B 】。適宜区切り記号を付した。

( )『労働者の文章作法』, 頁。

( ) ただし,彦根支部全体では, 年の時点で「仕事のくるしみや不満のたまっている 職場ではらくがきが活発におこなわれ,職場討論と結びついて職場が固まった。しかし そうでない職場でらくがきはあるところまできたのではないか,というのは書くことが なくなったのか個人攻撃が多くなってきた」という(近江絹糸紡績労働組合『一九五六 年度第一回教文部長會議のまとめ』, 年【B 】)。

( ) 以下は,近江絹糸紡績労働組合彦根支部『第一回支部年次大会報告並びに議案書』,

年【B 】による。

(11)

は「必要職場の絶対数だけ前掛及び作業衣を支給する」「深夜番の牛乳に砂糖 を入れる」の 項目にすぎず,残り 項目は寄宿舎や食堂など,主として福 利厚生に関係する項目であった。職場要求は支部労働運動の主要課題になって いなかったことがわかる。

「らくがき運動」が開始されると,「らくがき」を集約した職場新聞が発行さ れるようになったが,その職場要求の解決方法はやはり支部執行部が主体とな る団体交渉であった

!

。 年 月の職場代議員会で各職場からの要求が支部で 集約され,要求が提出された後,団体交渉が行われた。表 は 項目の要求 項目から職場関係の項目を抜粋したものであるが,「らくがき運動」開始前よ り職場要求が増加していることがわかる。しかし,同表から明らかなように,

交渉結果は芳しいものではなかった。それゆえ,彦根支部は「職場が暗く,そ れらが労働意慾に迄反映し,出勤率の低下をまねき会社に対しては良い攻撃の 材料を与え,会社の延引策をみすみす認めなければならないと云う悪循環」に 陥ってしまった。

年 月の第 回大会で支部執行部は,これまでの職場要求の解決方法が

( ) 以下は,近江絹糸紡績労働組合彦根支部『第二回支部年次大会報告書』, 年【B

】による。

職 場 要 求 内 容 結 果

職場休憩所(食堂含む)設置の件 ベンチ 個設置

支部全体 雨漏り箇所修理の件 未解決

通勤者に対し木炭貸与の件(冬季対策) 解決

梳毛 工場便所の件 確認済,未実施

晒練 暖房冷房装置完備の件 未解決

製綿 ブレッド場改善の件(暖房設備) 未解決

絹紡 特殊作業場作業服支給の件 解決

晒練・製綿・ガス焼 作業服支給 解決

職場要求事項解決一覧( 年 月現在)

資料)近江絹糸紡績労働組合彦根支部『第二回支部年次大会報告書』, 年【B 】より

作成。

(12)

執行部や代議員任せの幹部闘争であり,しかも職場の実態を反映していなかっ たことを自己批判し,「組合員一人一人が必ず職場の要求を完全にかちとるの だと云う一人一要求獲得の決意」を表明し,職場要求を行ったことを報告し た。要求項目をまとめた表 を見ると,表 よりもいっそう職場要求が具体的

職 場 要 求 内 容

支部全体

前掛け,ズック靴,三角布,作業帽子の全職場支給 冷房装置完備

湯茶設置

各職場洗面所に花瓶・鏡等設置 晒練・製綿・ガス焼・ボイラー

等の特殊職場 下着支給

晒練・ガス焼 シャツ支給 人仕・晒練・ガス焼・前紡・製

綿・食堂等 早急に冷暖房装置完備

絹紡・人繊前紡 照明を蛍光灯に切り替え(特に絹紡)

梳毛 工場便所・各科保全室の設置,工場裏荒地に休憩所・水 泳所整備

晒練 防臭剤配布,栄養剤支給,カッ水期の洗場の増水,掃除 場の屋根設置

ガス焼 梳毛側窓設置,手拭支給

絹紡 雨もり修繕

ボイラー 貯炭場の打ち直し,屋根増設,手袋支給 自動車 部員に前掛け支給

事務所 男女別更衣室の設置 深夜作業職場 深夜番食事改善 人仕撚糸・連粗B・混打梳綿・

売店・食堂・フトン場 不足人員の整備 キャリャー室・人仕括束場 社内電話設置

人仕 床板修理,出口に木管置場設置,便所改善 人繊 綿払い用スポンジ支給

事務所・宿直室 電話を卓上電話に取替

第 回支部大会時点での職場要求一覧( 年 月申し入れ)

資料)表 に同じ。

(13)

になっていることがわかる。これらの要求が集約された過程,および解決状況 は不明だが,項目内容の具体性,そして「らくがき」が文集にまとめられてい た時期と同時期であったことから見て,集約にあたっては「らくがき」が利用 されたと考えるのが妥当であろう。

⑵ 職場要求に基づいた職場闘争へ

上述したように,支部執行部が主体となった職場要求の団体交渉の結果は芳 しくなかった。それゆえ,彦根支部の教文部と組織部は「連帯性を強化してこ れらの職場に『闘う力』を積み重ねる仕事」

!

を開始した。その具体的成果が,

職場要求に基づいた職場闘争の展開であった。この過程は,教文部の中心的存 在であった辻保治氏が執筆したと思われる

"

『ラクガキ運動のために』(ラクガ キ班編集,彦根支部教文部, 年 月【B 】)に詳しい。以下では,同 資料を用いて職場闘争の展開過程を明らかにしよう

#

同資料では,運動の具体的な方策が「収集の方法について」「アッピールに ついて」「新しい組織の誕生」「『声』の大衆討議」「職場闘争との結合」「再び アッピールについて」の順に述べられている。なかでも,職場単位で組織を作 ること,「らくがき」から要求をすくい出すだけでなく,職場の討論の中から その要求を深めていくことが強調されている。そして,上述した『蛹粉の中で』

を発行した製綿職場の労働者が討議を経て「らくがき」を職場要求へと高めた 成功事例として紹介されている

$

製綿職場では,労働者が新聞記事に基づいて休憩時間に討議を行い, 円 の特殊勤務手当の増額闘争,「ボロ台」の保全,防塵装置などを職場要求とす る声が高まった。そして,職場会で特殊勤務手当の増額要求( 円→ 円)が

( )『労働者の文章作法』, 〜 頁。

( )「はじめに」に教文部長辻保治の署名がある。

( ) 以下は,とくに断りのない限り同資料による。

( ) ラクガキ班編『ラクガキ運動のために』, 年, 〜 頁【B 】。これらの経過

については,製排綿職場会『蛹粉の中で』No. 〜 , 年【B 〜 】;『[蛹粉の

中で]アンケート』,[ 年]【B 】も参照。

(14)

職場代議員から正式提案され,職場要求として正式決定された

!

しかし,当時の彦根支部は綿糸,人繊糸(スフ),絹糸,梳毛の 紡績部門 を擁していただけでなく,絹糸紡績ひとつとっても生産工程が異なると悩みも 要求もまったく異なるのが実態であった

"

。なかでも,晒練と製綿は入荷された 屑繭を腐らせ真綿にする工程であったため,臭いがひどく,労働者の中でも忌 避される職場だった

#

。それにもかかわらず,労働者はある職場にいったん配置 されると,工場内で職場を変わることが少なく

$

,他職場の状況を把握すること が困難であった。それゆえ,製綿職場からの特殊勤務手当の増額要求が妥当な ことを他職場の労働者に理解させ,支持を得るためには,職場新聞をはじめ 様々な方法での「アッピール」が不可欠であった。

製綿職場の手当増額要求は, 年 月の支部代議員会に提出されたものの,

研究事項にとどまった。そこで製綿職場会は討議を行い,「アッピール」とし て,職場新聞を増刷して他職場にも配付するとともに, 月 日の支部サー クル発表会で職場の実態を訴える構成詩

%

を発表した。続いて, 月には製綿職 場会が支部に働きかけて下着の着用・交換状況など作業環境にかんする職場ア

( )『労働者の文章作法』, 頁。

( ) 桧山邦祐『幾山河七十年 オーミケンシの歩み』オーミケンシ株式会社, 年,

頁。絹糸紡績の生産工程については,同書 頁の解説が詳しい。戦後の繊維産業の歴 史を研究した最近の成果として,渡辺純子『産業発展・衰退の経済史−「 大紡」の形 成と産業調整』(有斐閣, 年)があるが,近江絹糸のような 大紡以下の規模の企 業は取り上げられていない。また,絹糸紡績の研究として,濱崎實『絹糸紡績業の経済 分析』(明文書房, 年)があげられるが,主として生産分析が行われており,労働 への関心は強くない。

( )『近江絹糸人権争議のオーラルヒストリー⑴』, 頁。

( )『近江絹糸人権争議のオーラルヒストリー⑴』, 頁。ただし,部門によっては部門内 の異動があったようである(『蛹粉の中で』No. )。

( ) 構成詩『団結のために』,[ 年]【B 】がこの発表の台本である。コーラスと詩 朗読によって構成される発表形式は「シュプレヒコール」と呼ばれ,職場要求を他職場 へ訴えていく際に使われた。「今日もみた/鼻をつまんでとおる仲間を/さなぎ粉と/

ほこりをかぶって働いている私のそばを/くさいと言うしぐさをしてゆく/仲間たち/

それでいて/明細書の日がくれば/ぐちをこぼす仲間たち/私が十五円多いと……(後

略)」という詩「仲間達よ」が載せられ,赤裸々な実態が訴えられている。この詩が構

成詩と呼ばれたのは, 名から 編の作品を集め,再構成したからである(飯野『ト

ランペット的な工場(紡績)詩論』, 頁)。

(15)

ンケートを全職場に配布し,集約した

!

。これらの「アッピール」の結果, 月 の支部代議員会で手当増額が正式に支部要求事項となった。

「らくがき」とそれをまとめた職場新聞の増加に対して機関として処理する ために,彦根支部は職場要求処理小委員会( 年 月)と支部職場新聞編集 委員合同会議(同年 月)を設置した。小委員会設置は要求を集約,処理する ためであったが,実際には職場要求を整理することに追われ,要求を処理でき なかった。また,この形態は結局のところ「執行部まかせの根強い感情」

"

を克 服できず,職場組織の強化にはつながらなかった。それゆえ,同年 月に合 同会議は,小委員会の発展的解消,職場闘争委員会の全職場での確立,そして 団体交渉権と妥結権の職場への委譲,の 点を教文部が支部執行委員会に要請 することを決議した。要請を受けて, 月の執行委員会は職場闘争委員会体 制の採用を決定するとともに,団体交渉権と妥結権を職場に委譲した

#

以上の動きと相前後して, 月には支部らくがき運動運営委員会が各職場か ら 名ずつ選出されて設立された。さらに,「らくがき運動は……教文部独自 で行うことは,全分野の教文のうけおいになって,あやまりである」という認 識のもと,職場新聞編集委員,組織部,情宣部から成る「らくがき運動事務局」

が 月に設置された

$

。こうして,「らくがき」を基礎とした職場闘争を職場単 位で組織化し,推進していく体制が確立したのである。

他方,このことは,支部方針とは異なる職場新聞の発行や職場要求の集約が 排除されることを意味していた。たとえば, 年 月頃に梳毛職場の有志が 発行を開始した『オール梳毛』は,支部とは独立した財政で運営されただけで なく,らくがき帳を基礎としなかったため,支部職場新聞編集委員合同会議に

( ) アンケート結果は『近絹教宣内報』No. , 頁に掲載されている。

( ) 近江絹糸紡績労働組合彦根支部『第三回支部大会報告書及議案書』, 年【B 】。

引用は同資料 頁。

( ) 以上は,飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 頁;『労働者の文章作法』,

〜 頁による。なお,別資料には職場新聞編集委員会合同会議,合同職場編集委員会 などの表現がみられるが,職場新聞編集委員合同会議と同組織と思われる(飯野『トラ ンペット的な工場(紡績)試論』, 頁;『第三回支部大会報告書及議案書』)。

( ) 飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 頁。

(16)

よって批判された。その要点は,①らくがき帳を基本とすること,②下部大衆 のものとすること,③上記の方法をとらなければ,職場新聞は失敗すること,

の 点であった。この批判に対する『オール梳毛』発行有志の対応は不明であ るが,同年 月に『オール梳毛』は廃刊となった。そして,同年 月に梳毛 合同職場会が『梳毛』の,翌年 月に梳毛・精紡職場会が『らくがき』の発行 を開始した。両紙はいずれも,らくがき帳を編集したものであった

!

。労働者の 自由な「らくがき」を基礎とした職場闘争体制の確立は,「らくがき」以外の 労働者の自由な表現の場を狭める側面ももっていたのである。

⑶ サークルの停滞と文芸活動の再編

「らくがき運動」が職場闘争へと展開していくなか,争議後に勃興したサー クル運動はどのように展開したのだろうか

"

。表 は彦根支部の「噴煙」サーク ル機関誌である『噴煙』の投稿数の推移をまとめたものである。サークル会員 以外の詩が増加する一方で,会員の投稿が減少していることが明らかである。

噴煙編集部は危機感を覚え,「もっと詩の勉強せんとあかん」「投稿者に学べ」

と誌面で提起したが,投稿数は回復しなかった

#

。事情はコーラス・サークルで も同様であった。彦根支部でコーラス・サークルと緑の会

$

に属していた小林忠 男氏は,以下のように証言している。

「うまくなろうという意欲はあるんですよ。それぞれね。指導者はなるべ

( ) 以上は,飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 頁;『梳毛』創刊号,

年【B 】;『らくがき』創刊号, 年【B 】による。『らくがき』は後掲する表 の『ラクガキ』と同一紙と思われる。なお,『トランペット的な工場(紡績)詩論』に は『らくがき』編集にあたっては職場全員が編集委員となったことを示す表があるが,

『らくがき』創刊号には有志が発行したと記されている。

( ) 近江絹糸労組の各工場のサークル数や種類については,島西ほか「エル・ライブラリ ー所蔵の近江絹糸人権争議資料」を参照。

( ) 飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 頁。

( ) 緑の会(若葉会)は『人生手帖』読者サークルとして全国各地につくられた。「緑の

会」については,天野正子『「つきあい」の戦後史』(吉川弘文館, 年)および寺島

文夫「日本の文化運動における緑の会と「人生手帖」の意義について」緑の会編『サー

クル運動−その理論と運営の実際』(文理書院, 年)を参照。

(17)

くうまくまとめようと,きれいに歌えるようにしようという努力をいつも 繰り返してはくれてるんですがね。でも一定のところまで行くと,「何だ い」という感じですね。「これだけのことかい」というね。そんなことが あるんだと思うんですよ。」

!

このようにサークル運動がマンネリに陥るなか,サークルにさらなる衝撃を 与えたのが,上述した構成詩が発表された彦根支部サークル発表会であった。

会では詩,緑の会,コーラス,音楽サークルの成果が発表された。発表は成功 裡に終わったが,その後に発表された製綿職場労働者による構成詩はサークル の発表とは比較にならないほど労働者の共感を得,「会場をうめた娘らは,横 にいる友人に,うしろ向きに腰を上げて職場の仲間に,たしかなうなずきをや り,拍手を続けた」

"

こうしたサークルの状況について,当時のサークル活動家であった宮本良子 氏は,以下のように証言している。

「サークルでいくら話しあっても,それが職場の力にはならなかったのよ。

そこへらくがき運動でたくさんの文章がでたでしょう。この文のなかにこ

( )『近江絹糸人権争議のオーラルヒストリー⑴』, 頁。

( ) 以上は,飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 〜 頁による。引用は 頁。

巻号,発行年,総頁数 会員の詩 投 稿 詩 合 計 第 号, 年 月, 頁

第 号, 年 月, 頁 第 , 合併号, 年 月, 頁 第 号, 年 月, 頁 第 号, 年 月, 頁

『噴煙』掲載詩の推移 (単位)編

資料)飯野大作『トランペット的な工場(紡績)詩論−湖東の繊維工場における詩運動の歴 史と教訓』私家版, 年, 頁より作成。

注)投稿詩がサークル会員以外の詩の数を示す。

(18)

そわたしらの活動領土がある。それには,サークル会員が,らくがき文を かいた人々とその職場からはなれた場所で勉強するんではなしに,職場の 人たちと一緒に食べ,一緒にうたい,一緒に書くことが大事なんや。職場 での文学活動,職場でのうたごえ運動,職場での学習会が大事や,って話 しあったのよ。」

!

「らくがき運動」の盛り上がりを背景として,同好の士が集うサークルより も,職場のほうが文化活動の場としてふさわしいという認識がサークル活動家 の間で強まったことがうかがえる。結局,サークルの大半は活動の意義を見出 せなくなり,解散,休会,活動の縮小を迫られた。

しかし,文化活動が消滅したわけではなかった。彦根支部教文部は,

年に「サークルは文化戦線の主流である」という「サークル重点主義」が誤り であったことを指摘し,「サークルを職場に解消し,職場の独特の文化的文学 的活動をまき起せ!」という運動方針を提起した

"

。この方針にしたがって,同 年末に教文部は文芸班を設置し, 年 月に文芸新聞『ほしざお』を創刊し た。同紙には,詩とその評論にくわえて,日記,生活記録,小説なども掲載さ れた。文芸班は各職場の文芸グループの組織化も進め, 年 月までに つ の職場文芸グループが誕生した。新たな文芸活動の担い手は,これまでのサー クル活動家にくわえて,「らくがき運動」を契機として職場新聞で詩を発表し 始めた労働者たちであった

#

。なお,詳細は不明だが, 年初頭の時点では,

部員 名と少数ながら演劇部も活動を継続していた

$

以上見てきたように,労働者による文化活動は消滅したのではなく,文芸活 動を中心として,より職場に根ざした形で再編された。「らくがき」以外にも 労働者が表現する場は残されたのである。しかし,それはやはり教文部によっ て組織化されたものであり,労働者の自由な活動ではなかった。文化活動の再

( )『労働者の文章作法』, 頁。

( ) 近江絹糸紡績労働組合彦根支部『専門部活動方針』,[ 年]【B 】。

( ) 以上は,飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 頁による。

( ) 井上八重子(辻保治発行)『ほしざお』創刊号, 年【B 】。

(19)

編もまた,職場闘争体制の確立と密接にかかわっていたのである

!

.職場闘争の実態

⑴ 職場闘争の展開

上述したように 年 月に団体交渉権が職場に委譲されたため,晒練職 場が 年 月 日に要求を提出したのを皮切りに, 月 日までの約 ヶ 月間に 職場が合計 回の職場要求の申入れと団体交渉を行った。各職場の 要求・交渉項目は合計で 項目であり,そのうち職場関係が 項目

"

,寮関係 が 項目,その他が 項目であった

#

表 は,職場関係の要求・交渉項目の一覧と,それらが 年 月以降の職 場新聞

$

に掲載された回数をまとめたものである。職場要求を紙面で取り上げて いる職場もあるが,職場要求をしているにもかかわらず紙面に記事が見られな い職場も多い。また,表 で示した項目のほかに職場新聞で取り上げられてい た個別職場の課題として,「晒練男子切替えの斗い」( 紙 回),「絹紡手当」

( 紙 回),「人仕ドラム数変更の件」( 紙 回),「人繊,精紡,仕上,連粗 持台数増加の件」( 紙 回)が,全職場共通の課題として,「賃金体系確立の 斗い」( 紙 回),「期末一時金要求について」( 紙 回)

%

,「生理休暇の取 り扱いについて」( 紙 回),「深夜廃止斗争について」( 紙 回),「人よこ せの斗いについて」( 紙 回)があげられる

&

このように職場新聞の内容と要求・交渉項目との間で乖離が生じた要因とし

( ) 辻氏は,「らくがき」が職場新聞へと発展し,さらに職場闘争委員会と文芸誌・うた ごえ等サークルの要求・結成へと 方向へと分岐していく図を描いていた(ラクガキ班

『ラクガキ運動のために』, 頁)。

( ) 職場要求数は「職場要求,福利施設改善未解決事項」に列挙された項目数に各職場か らの申入れ項目数を加え,重複分を差し引いたものである。

( ) 以上は,『第三回支部大会報告書及議案書』による。

( ) 辻コレクション所収資料で確認すると,第 回大会当時, タイトルのみ発刊されて いた職場新聞は,第 回大会には約 タイトルに増加している。

( ) 賃金体系と一時金にかんする記事数には,昇給と一時金にかんする査定についての記 事も含んでいる。

( ) 同一号の職場新聞に同一テーマの複数の記事がある場合は 回と数えた。

(20)

製品 区分

職場

区分 申入れ日 新聞名

食堂休憩 室完備

脱衣場 設置

タオル,

石けん支給 下着支給 栄養剤 支給 冷房装置 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載

絹紡糸

晒練科 / ,/ 晒練職場新聞 ○△ ○ ○ ○△ ○

製綿科 / 蛹粉の中で △ ○ ○

排綿科 独自申入無 ハイメン △ 前紡科 独自申入無 針の音 △

精紡科 / 絹精新聞 △ ○

仕上科 / きぬいと,ほのお △ ○ ○

人繊糸

(スフ)

混打綿科 / ラップ △ ○

梳綿科 / 梳綿,りゅうめん ○△ ○

練粗科 / 湖 △ ○ ○

精紡科 / ボコボコ △ △ ○△

梳毛糸 合同 独自申入無 梳毛合同 △ 精紡 独自申入無 ラクガキ,梳精職場新聞 △

外部食堂科 / △

職場 区分

前掛・

運転袋支給 掲示板

設置 糖茶・

茶配布 腰掛 脱衣箱 蛍光燈 作業ヅック

廉価販売 人員補充 手洗所鏡 ブレンダー 除塵装置 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載

晒練科 △ △ △

製綿科 ○△ △ △ ○

排綿科 △ △ △

前紡科 △ △ △

精紡科 △ △ △ △

仕上科 △ △ △ ○

混打綿科 △ ○△ △ ○ ○ ○

梳綿科 △ ○△ △ ○ ○

練粗科 ○△ ○△ ○△ ○ ○ ○ ○

精紡科 ○△ ○△ ○△

合同 △ △ △

精紡 △ △ △

外部食堂科 △ △ △ ○

第 回支部大会の職場要求と職場新聞掲載回数( 年)

(21)

て,第 に団体交渉まで至らずに現場で要求項目を解決した職場が存在したこ とがあげられる

!

。たとえば,製綿職場では台での作業(台作業)を一日離れる

「台ばなれ」の制度化を求める要求が初期の職場新聞に掲載されていた

"

。交渉

( ) 以下の事例については,入江砂江氏からご教示を受けた( 年 月 日, 月 日実施,聞き取り者:下久保恵子)。記して感謝申し上げる。

( ) 製排綿職場会『蛹粉の中で』No. 。

職場 区分

ガス焼天井払い 作業手当支給

仕上噴霧器

改修位置変更 風呂場 扇風機 取付

作業服 支給

雨漏り 修理

床板 張り替え

防臭剤 支給

絹ローラ 床板取つけ 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載 要求 掲載

晒練科 ○△ △

製綿科 排綿科 前紡科 精紡科

仕上科 ○ ○

混打綿科

梳綿科 ○ ○ ○

練粗科 精紡科 合同 精紡

外部食堂科 ○ ○

資料)近江絹糸紡績労働組合彦根支部『第三回支部大会報告書及議案書』, 年【B 】 より作成。

注)

① ○印は職場別申入れ項目,△印は全体要求項目である。個別申入れがなく,新聞記事 に上記要求がない職場については表示していない。

② 数字は,記事掲載回数を示す。同一号の職場新聞に複数の該当記事がある場合は 回とした。記事内容が不明な場合は数えなかった。

③ 要求結果記事もあるため,当該大会の活動報告対象期間( 年 月まで)の職場新聞 の記事のみでなく,その後の記事も集計した。ただし,入手した新聞には欠号があるた め,回数表記は完全ではない。

④ 食堂休憩室完備は全体要求であり,各職場要求は休憩室のみの要求である。

⑤ 絹紡晒練の申入れのうち,脱衣場設置は初回のみ,風呂場設置は 回目のみの要求。

下着は「女子下着」である。

⑥ 蛍光燈切替要求は,絹人繊糸の精紡職場か絹紡糸の精紡職場か明記されていないが,

職場新聞の記述などから前者は蛍光燈が設置されていたと判断できることから,絹紡糸 の精紡職場の要求と判断した。

⑦ 絹ローラ床板取付を要求した職場は不明である。

(22)

の詳細は不明であるが,職制との職場交渉を経て, 年 月頃には台作業中 に主任や班長などの役付労働者が台作業を交替する「台交替」が制度化され,

分程度のトイレ休憩ができるようになっていた

!

。さらに,遅くとも 年 月頃には,この「台交替」により, ヶ月に数回,一日中台作業を離れて綿掛 けや清掃などの作業に従事する一日単位の「台ばなれ」も実現していたという

"

。 製綿職場では,職場交渉と団体交渉の両方を利用して,職場要求の解決に積極 的に取り組んでいたのである。

第 に,すべての職場が製綿職場のように職場闘争を展開できたわけではな かったことがあげられる。第 回大会報告によれば,職場闘争を「団体交渉を 行わなければ解決出来ないような職場又伝票によって要求が解決する職場もあ り,又,もう一つ全然斗争態勢のとゝのわない職場もあり,非常に足並みのそ ろわない状態」

#

であった。大会での教文部報告でも,「永い間,書かれたこと が討議されず,討議されても,動かなかった」ために「沢山の職場で私たちは

マ マ

この運動[らくがき運動:引用者]を失しなった」ことが指摘された。すなわ ち,「らくがき運動」を経て職場闘争体制が確立したにもかかわらず,職場要 求すら集約できず,他職場と同様の要求をまとめて団体交渉を行うにとどまっ た職場も存在していたのである。

「らくがき運動」を主導した辻氏は,「進んだ職場と遅れた職場」の格差を苦 労して縮小させた結果,「やがては労務課長,工務課長,工場長クラスは毎日 どこかで職場交渉されている」状態になったと回想しているが

$

,実際には「進 んだ職場と遅れた職場」の格差は解消されないまま職場闘争が展開されたので ある。

( ) 製綿職場会『蛹粉の中で』No. , 年【B 】。

( ) 製綿職場会『蛹粉の中で』No. , 年【B 】。「台ばなれ」の制度化後は,「台 ばなれ」している労働者が,トイレ休憩時の「台交替」の要員にくわわった。

( )『第三回支部大会報告書及議案書』。同資料には「小さな職場要求は伝票によって解決」

するのが目標であると記されていることから,「伝票」による要求解決とは,職場交渉 などによる職場レベルでの要求解決を指すと考えられる。

( ) 入江砂江,辻保治「近江絹糸の思い出」 『大阪労働運動史研究』第 号( 年 月),

頁。

(23)

⑵ 職場内分業と職場闘争

職場間で格差はあったものの,「らくがき」を基礎とした職場闘争が,職場 の悩みや要求をすくい上げ,それらを解決に導いた結果,労働条件の向上をも たらしたことは確かである。しかし,職場闘争によっても解決困難な要求も存 在していた。そしてそれは,近江絹糸労組による職場闘争の限界を示すもので あった。製綿と同様に過酷な労働環境にあった晒練職場の事例に基づいて検討 しよう

!

彦根支部の晒練職場は,人権争議直後の 年 月から晒練洗場労働の女 子から男子への切替要求に取り組んでいた。洗場労働は,悪臭がひどいことに くわえて水を扱うことで女性の身体に悪影響をおよぼすことが問題となってい たからである。 年 月には「晒練の悪臭と肉体労働の苦しさに,他の職場 からは敬遠され勝ちであった事や悩みを少しでもみんなから理解してもらおう と云う怒りから」職場新聞である『晒練職場新聞』を創刊した。同紙は,

年 月発行の第 号に至るまで,ほぼ毎号この洗場男子切替問題を取り上げ た。また,晒練職場の労働者は,替え歌集の作成や

"

,シュプレヒコールの朗読 をとおして他職場への「アッピール」を行った。

しかし,職場要求を受けて 年秋に支部執行部が配置転換案を作成したも のの,晒練と他職場との合同座談会には人が集まらず,他職場の男子労働者の なかには「晒練に転科されるなら手当を五十円つけよ‼ 作業服年三回支給せ

ママ

よ‼ 栄養済の支給」のような実現困難な条件を要求する者もいた。さらに,

同紙第 号( 年 月)の紙上討論では,「女子のよろこびは男子の苦しみ」

という見出しがつけられ,「……男子はつらいで,もしかしたら一生この晒練

マ マ

に居なければならないのに。洗濯夫とは,何と情ないことだろう」という男子

( ) 以下は,とくに断らない限り,「職場新聞を通じてのあゆみ」(晒練職場新聞編集委員 会『せいれん文集』, 年【B 】,所収)による。

( ) この替歌集は『晒練替歌集 若人のつどい』,発行年不明【B 】と思われる。同資

料所収の「洗濯エレジー」には「ねえ,高橋さん,洗濯場切替えてよ よわい乙女にゃ

無理なんだ,エッ出来る? 冗談でしょ」という台詞がある。なお,資料の注記によれ

ば,「高橋さん」とは彦根工場長を指す。

(24)

の発言が掲載された

!

。他職場の労働者はおろか,同一職場の男子でさえ配置転 換には大きな抵抗感をもっていたことがわかる。結局, 年の第 回支部大 会では,「三年余にわたる斗いでありました晒練男子切替えの斗いも深夜番廃 止という好条件の中でありながら,切替えの行われなかった状態を見る時,反 省しなければならない点がある」と報告された

"

この洗場切替をめぐる闘争が最終的にどのような決着を見たのかは,資料の 制約上明らかにできないが,闘争が長引いた要因として,以下の点が指摘でき る。まず,洗場作業そのものにかかわる問題である。具体的には,晒練職場は 悪臭がひどく,他職場の労働者が忌避していたこと,そして「洗濯夫とは,何

マ マ

と情ないことだろう」という表現に象徴されるように,男子労働者が洗濯を女 子の作業として蔑視する感情が存在していたことがあげられる。労働環境がひ どく,しかも女子の作業はやりたくないという男子労働者の理解を得ること は,約 年という期間を使っても困難だったのである。

以上は晒綿職場特有の問題であるが,より根本的な問題として,彦根工場内 の分業構造があげられる。近江絹糸では,工場内でいったん配属された職場か ら異動することは少なかった(第 節)。また,機械化が進展しない一方で職 場内は作業ごとに分業が進展していたため,各作業は労働集約的であり,かつ 労働者は単能工的性格が強かった。たとえば,晒練職場では大量の屑繭を人力 で腐化槽から出し入れする作業のみに従事する労働者がいたし,混打綿職場で は数十 kg の綿の梱を複数運び,ほぐし,混ぜ合わせる作業(解綿,混綿)の みに従事する労働者もいた

#

。それゆえ,各労働者にとっては,たとえ「アッピ ール」によって他職場や他作業の実態を理解したとしても,自らが蓄積してき た単能工的熟練を白紙に戻すことになる配置転換に自発的に同意することは困 難であった

$

。職場内分業が進展した状況下で,近江絹糸労組は既存の職場や作 業の再編をともなうような職場闘争については短期間で成果をおさめられな

( ) 近江絹糸彦根工場絹紡晒練職場会『晒練職場新聞』第 号, 年【B 】。

( )『第三回支部大会報告書及議案書』。なお,同資料では,切替が行われなかった一因と して,加古川工場の配転等の問題をあげている。

( )『近江絹糸人権争議のオーラルヒストリー⑴』, 頁。

(25)

かったのである。

年頃から表面化した近江絹糸の経営合理化・再建をめぐって,近江絹 糸労組は「主流派」(全繊同盟,大手銀行側)と「反主流派」(夏川側)に分裂 した。 年 月に労組は再統一されたが,労組の主導権は「主流派」が握っ た。それと相前後して職場闘争は消滅し,職場新聞のほとんども廃刊となっ た。「反主流派」には,辻氏をはじめ「らくがき運動」と職場闘争に積極的に 取り組んでいた者が多く,彼ら・彼女らが退職を迫られたり,職場で差別的な 待遇を受けたりしたためであった

!

。近江絹糸労組の「らくがき運動」と職場闘 争は,闘争そのものが抱える問題を労組が解決する前に終焉を迎えてしまった

のである

"

お わ り に

本稿の検討結果は以下のようにまとめられる。

第 に,近江絹糸労組の職場闘争は,先行研究で知られている事例とは異な る経路で形成された。すなわち,労働者の自由な表現である「らくがき」を「ら くがき運動」という労働者の文化活動として組織化したうえで,「らくがき」を 職場要求にまとめて職場レベルで解決をはかる,という闘争体制が確立され た。また,他職場や支部全体で職場闘争を展開していく際にも,構成詩や替え 歌などの形で文化活動が活用された。近江絹糸労組では,「らくがき運動」と いう文化活動が職場闘争の基礎となっていたのである。

第 に,人権争議後の近江絹糸では職場の垣根を越えたサークル運動が盛ん

( ) 上述した晒練職場の男子労働者の「もしかしたら一生この晒練に居なければならない」

という発言からうかがえるように,結婚などで退職する可能性のある女子労働者よりも 男子労働者のほうがこうした傾向は強かったと思われる。

( ) 以上は,飯野『トランペット的な工場(紡績)詩論』, 〜 頁;『近江絹糸人権争議 のオーラルヒストリー⑴』, 〜 頁による。

( )『労働者の文章作法』, 〜 頁。なお,同書は「らくがき文は一企業の鉄筋塀のな かだけで巡航するにとどまり,産業別統一要求に高める努力はきわめて淡かった」(

頁)と述べているが,本稿の検討から明らかなように,職場闘争は「一企業の鉄筋塀」

どころか,職場間の壁すら越えるのは困難だったのである。

(26)

になったが,「らくがき運動」を経て職場闘争体制が確立していく過程でサー クル運動は縮小し,職場単位の文芸活動に再編された。上野はサークル運動の 延長上に「らくがき運動」を位置づけていると思われるが

!

,実際には後者が前 者を縮小,再編していったのである。そしてこの点もまた,先行研究が指摘し ているサークル運動と職場闘争との関係とは異なるものであった。

第 に,このような職場に根ざした体制に基づいて職場闘争が展開された結 果,職場闘争は一定の成果をおさめた。しかし,その広がりには限界があった。

積極的に闘争に取り組んだ職場とそうでない職場が混在していたし,職場内分 業が進展していたために各職場,各作業の再編をともなうような職場要求は支 持を得られなかったためであった。職場の作業内容の特徴が闘争の展開を阻害 する事例もあった。他企業とは異なる独自の形成過程をたどった近江絹糸労組 の職場闘争であったが,他企業以上の成果をあげるには至らなかったのであ る。

本稿の検討結果を踏まえると, 年代における労働者の文化活動や労働 運動は,先行研究が明らかにしている以上に多様であったといえる。これまで 研究が蓄積されてきた総評系の労組だけでなく,本稿が取り上げたような総同 盟・全労系の労組を含めた資料収集と事例研究を積み重ねることで,多様性の なかに存在する共通の特徴を追究していくことが,今後の課題である。

( ) 上野『近江絹糸人権争議の研究』, 〜 頁。

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