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伊藤 哲 司

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Academic year: 2021

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(1)

伊藤 哲 司

本論文の概要

コミュニケーションは,人と人との間に生きている人間にとって,基本的な 営みである。人間は,コミュニケーションをする存在であると言っても過言で

はない。本論文では,このコミュニケーションにおける行動の現象と機能に注 目し,それをどのように記述してモデル化することができるかについて考察す

る。

筆者はすでに,コミュニケーションにおける場の共有という点を考慮したモ デル(以下,旧モデル)を提出している(伊藤,1994)が,それにはいくつか の問題点が指摘できる。そのため,それらを改善したモデル(以下,新モデル)

も提出した(伊藤i,1995)が,それにもなお不十分な点があると言わざるを得 ない。そこで今回は,さらに改善を加えた新しいモデル(以下,新々モデル)

の提出を試みる。

また,ここで提示するモデルにはモノとモノとの「間」を考慮する発想がそ の下敷きとしてあることを指摘し,コミュニケーションや人間関係などを捉え るときの「間」の発想の重要性と発展性についても論じる。

旧モデルの成り立ち

筆者が提出した旧モデルを,図1に示す。このモデルを提示するのにあたっ ては,次の点を指摘しておいた(伊藤,1994)。

まず,コミュニケーションに用いられる行動をバーバル行動とノンバーバル 行動に分けて捉えることに対する懐疑である。多くのコミュニケーション研究 では,例えば対面でのコミュニケーションならば,バーバル行動である発話と ノンバーバル行動である身振りなどに分けて捉えられる。この分類は一見明白 なことであるように思える。しかしながら, 「でも一……,その一……,それ は……こういうことにしましょう」などという発話があった場合に,声の調子

(2)

言 語 的 明示的・餓的・中心的・酵的理曲

〈符号のやりとり〉 個別的・S−R的・非メタ的・デジタル的

振り 準,

o 口語 姿

接空

振の

触麗

s行

o

勲動

非言語 的 暗示的・無意識的・周辺的・間接的・ 感情的

〈場 の 共 有〉  関係的・非S−R的・メタ的・アナログ的

図1  旧モデル(伊藤,1994) コミュニケーションにおける 言語的一非言語的の軸と各チャンネルの位置付け

(3)

や話し方(これらは準言語と呼ばれる)がノンバーバル行動に分類されるのが 普通であることを考慮すると,どこまでがバーバル行動でどこまでがノンバー バル行動であるかを定めることは難しい。また身振りの中にも,手話の例を持 ち出すまでもなく,バーバル行動と言っても差し支えないように思えるものも ある。そうならば,バーバル行動とノンバーバル行動というように行動を二分

してしまわない方が適当ではないかと考えることができる。

次に指摘したのは,メッセージの意味内容を表す符号が複数の人の間でやり とりされることによってコミュニケーションは成立すると捉えられることが多 いが,それではコミュニケーションの十分な捉え方にはならないという点であ る。この 発信者一符号一受信者 という枠組みだけでコミュニケーションを 捉えるのは,あまりにも言語中心的な機械論的伝達モデルである(北村,1983)。

人間のコミュニケーションは,このような符号がやりとりされるという側面だ けでなく,コミュニケーションをしている人同士がひとつの場を共有するとい う側面がある。ここでいう場の共有とは,行動と行動の関係性から生み出され るものであり,符号のやりとりということには還元できないコミュニケーショ ンの一面である。

これらの点を考慮して,コミュニケーションで用いられる行動の各チャンネ ルが,言語的一非言語的という軸上のどこかに,ある程度の幅をもって位置付 けられるとしたのが,図1に示した旧モデルである。そこでは,バーバル行動 とノンバーバル行動と呼ばれていたものを,行動を分類する枠と考えるのでは なく,言語的・非言語的というように,行動の性質を表すものと考えた。つま り,行動の各チャンネルがバーバル行動・ノンバーバル行動のいずれかに分類 されると考える類型論ではなく,どのくらい言語的かあるいは非言語的かとい う程度を考える特性論を採用したわけである。このことによって,バーバル行 動とノンバーバル行動の二分法を排しても差し支えないということが示された

と言える。

従来からのコミュニケーション研究で考慮されてきたのは,主にここで言う 言語的な側面である。それらの研究には,符号のやりとりということだけで基 本的にコミュニケーションが成立するという考えがある。いわゆるノンバーバ ル行動の研究でも,それが符号としてやりとりされるという側面から考察され ることが多かった。しかし,コミュニケーションに用いられる行動には言語的 な側面とは異なる非言語的な側面があり,それがすなわち場の共有ということ  、

(4)

であると考えられる。その側面を考慮することによって,コミュニケーション で見落とされがちだった一面を拾い上げることができる。

場の共有というのは,複数の行動が時間的あるいは空間的に関連しあうこと によって立ち現れる。例えば,コミュニケーションをしている個人は行動のリ ズムと呼べるものを維持しているが,そのリズムが相手のそれとどのくらい噛 み合っているのかが,俗に「馬が合う/馬が合わない」と言われることと密接 に関連しあっていると推測できる。一方の人の行動がかなり早いテンポ(テン ポはリズムの一側面である)で生起しているときに,もう一方の人のテンポが 遅ければ,コミュニケーションはぎくしゃくとしたものになるだろう。相手と

より心地よいコミュニケーションをするためには,互いのリズムが似たもので ある方が好ましい。また相手のリズムにどのくらい合わせているかは,社会的 技能の一面であることも,データによって示唆されている(Ito,1994)。

行動のリズムは,行動間の時間的関連性の側面に注目した行動の捉え方であ る。一方,相手とどのくらいの距離をとるのか,あるいは相手に身体的な接触 をするのかといった空間行動・接触行動などは,行動問の空間的関連性の側面 である。場の共有に関っているのは,時間的関連性と空間的関連性の両方であ り,それらがポジティブあるいはネガティブな情動をどのように共有するかを 左右している。つまりコミュニケーションにおける場の共有というのは,この

ように情動的なことの共有というコミュニケーションの 土台 を形成してい ると考えられる。

この旧モデルは,対面でのコミュニケーションを想定して構築したものであ るが,これは対面以外でのコミュニケーションにも適用して考えることが可能 である。例えば,電話や手紙やパソコン通信など,何らかのメディアを介して のコミュニケーションでは,場の共有の面が希薄になり,符号のやりとりの面 が強いものになる。一方,共通して理解のできる言語を持っていない人同士の 対面でのコミュニケーションなどは,符号のやりとりの面が希薄になり,場の 共有の面が強くなる。また,痴呆老人と健常者とのコミュニケーションでは,

普通の会話はしにくくなるため,符号のやりとりは困難になるが,場の共有は 可能であるということがある。さらに,コミュニケーションの発達というのは,

非言語的な場の共有ということが先行し,徐々に言語的な符号のやりとりが可 能になっていく過程であると捉えることができる。

(5)

旧モデルの問題点

このように旧モデルは,従来のコミュニケーション研究が見落として(ある いは軽視して)きた場の共有という側面を明らかに取り上げた点で,相応の意 義はあった。しかしながら,いくつかの問題点が指摘できる。

まず,バーバル行動・ノンバーバル行動という二分法を排しながら,言語的・

非言語的という用語を用いているという紛らわしさである。これはこの旧モデ ルの本質的な欠陥ではないと思うが,言語か非言語かということをとりたてて 問題にしないのであれば,その用語を用いない方が適切であろう。

また,符号のやりとりと場の共有という用語を対置させているが,前者が行 動の現象を記述した用語になっているのに対して,後者は行動の機能に言及し た用語になっている。現象と機能はもちろん区別するべきであり,対置するの であれば,用語のレベルを揃える必要がある。

さらに,旧モデルでは,言葉などの行動のチャンネルが言語的一非言語的の 軸のあるところに幅をもって位置付けられているが,そのあたり以外に位置付 けられることはないのかという問題もある。例えば,言葉は最も言語的な側に 位置付けられているが,場の共有に役割を果たさないかといえば,そうではあ るまい。主な位置付けとするならば構わないが,そこでしか機能しないという のは,実際のコミュニケーションに照らし合わせたときに,やや無理があると 言える。

その外にも,言語的な側面の性質として「S−R的」「非メタ的」「デジタル 的」(その逆として「非S−R的」「メタ的」「アナログ的」)などを挙げている が,必ずしも適合しているとは感じられないものもある。チャンネルの呼称

(言葉など)や分類も,もう少し整理をする必要がありそうである。

こういった問題点を考慮して,新モデル(伊藤,1995)を提出した。次にそ れについて言及する。

新モデルの成り立ち

新モデル(伊藤,1995)は,ひとつの軸に行動の各チャンネルが位置付けら れるとする旧モデルの枠組みはそのままとしながら,いくつかの改良と付加を 試みたものである(図2)1)。

1)伊藤(1955)では,旧モデルに言及をせず,ここで言う新モデルを提出している。

しかしそれは,旧モデルを下敷きにして作成したものである。

(6)

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(7)

新モデルでは,言語的・非言語的という軸の両極の呼称は,上記の理由から        、 pいないことにした。また符号のやりとりと場の共有の用語のレベルが違って いたという問題点を解決するべきであると考えた。符号のやりとりという現象 の機能は情報の伝達,場の共有という機能の現象は関連性の出現と記述するこ とができると考えた。そこで行動の各チャンネルを位置付ける軸の両端を,

「符号のやりとり(現象)・情報の伝達(機能)」 「関連性の出現(現象)・

場の共有(機能)」と命名した。ただし,これらの両側面が対立するものとい うよりは,一方が強くなれば一方が弱くなるという性質のものであると考え,

その軸は,旧モデルのように両矢印で示すのではなく,2つの矢印を相補うよ うに組み合わせて表現した。

行動の各チャンネルは,この軸の上に位置付けられるのであるが,どこか特 定の部分だけに位置付けられるというのではなく,原理的にはどの部分でも担 いうるので,どこにでも位置付けることができる。ただし,重点的に担うと考 えられる部分はあるため,その部分を濃い網掛けで示した。それとともに,チャ ンネルを表現する用語にも,手を加えた。例えば,旧モデルで言葉と準言語と 呼んでいたものを発話としてまとめ,身振り・手振りとしていたものを,両者

を含めて身振りとした。また表情と言っていたものをより明確にするために顔 の表情とした。さらに,2人の行動が関連性をもって連続して生起する共調動 作と,相手とどのように向き合うのかという身体配置の2つを,新たに付け加

えることにした。

軸の両端の性質を表す言葉として,旧モデルで挙げていたもので明確でない と思われたものを削除し,符号のやりとりの側の性質を「個別的・中心的・直 接的・明示的・意識的」とし,関連性の出現の側の性質を「関連的・周辺的・

間接的・暗示的・無意識的」とした。行動の関連性が出現し場の共有がなされ たときの は,相手との間にぼんやりと感じられるものであるから,それ を無意識的とするにはやや難があるかもしれないが,明確に意識をしているわ けではないという意味で解釈しておけば,大きな問題とはならないだろう。

新モデルでは,旧モデルにはなかった情報もいくつか付け加えた。そのひと つが,軸の端の方に位置付けられるものの最小単位が何かということである。

情報の伝達として機能する符号のやりとりでは,発話を例に考えてみれば,発 せられたひとつひとつの言葉がその最小単位である2)。つまり,個々の行動が 符号となりうるというわけである。したがって,符号のやりとりの側の単位は

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個々の「行動」と考えることができる。一方,場の共有として機能する関連性 の出現では,2つ以上の行動が関連するということなのであるから,最小単位 を個々の行動とすることはできない。少なくとも2つの行動がまとまることが 必要である。このような,時間的あるいは空間的な関連性のある複数の行動を,

筆者は「ユニット」と呼んでいる(伊藤i,1991a;伊藤,1991b)。関連性の出 現の側の単位は,このユニットであり,それは個々の行動には分解不可能であ ると考える。

また新モデルでは,筆者が別に提出したコミュニケーション場面での行動の 基本的な表出次元であるコンタクトー非コンタクト次元,リラックスー緊張次 元,接近一回避次元(伊藤,1991a)の位置付けも試みた。また,コミュニケー ション場面での行動の機能として,情報の伝達と場の共有のいずれでもない

「相互作用の調節」というものもあると考えられるため,その位置付けも行っ た。(ただしこれらについては,モデルの改良という点では大きな問題とはな らないため,以下では言及しない。)

この新モデルは,旧モデルに関しても述べたように,対面以外でのコミュニ ケーションの説明に用いることもできる。電話・手紙・パソコン通信などでの コミュニケーションは,情報の伝達をする符号のやりとりの側面が強くなり,

共通理解言語のない外国人や痴呆老人とのコミュニケーションなどでは逆に,

場の共有をする関連性の出現の側面が強くなるといった具合である。また,コ ミュニケーションの発達(個体発生)ということで言えば,図2に描かれた下 の部分,すなわち関連性の出現が先行して,徐々に情報の伝達ということが可 能になっていくと見ることができよう。このことは,コミュニケーションの系 統発生,すなわち人間が進化の過程の中でどのようにコミュニケーションの手 段を獲得してきたのかという点でも,同様のことが言えるだろう。

新モデルの問題点

旧モデルに比べると新モデルは,上で述べたようにいくつかの改良を加える ことができたが,それでもなおいくつかの問題点を指摘することができる。

まず,符号のやりとりの符号という用語であるが,これは何らかの意味内容

2)発話の場合,最小単位として考えられるが,言葉なのか,ひとつの文なのか,ひ とまとまりの発言なのかは,議論が分かれるところであろう。ただしいずれであっ ても,符号のやりとりの最小単位は個々の「行動」であると言える。

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を一義的に表現したものというニュアンスを感じさせるものである。これまで 述べたモデルで符号と言っているのは,主として発話(あるいは言葉)である が,それが「何らかの意味内容を一義的に表現」しているとは限らない。例え ば,信号機の赤・青・黄という色は,「止まれ」 「進んでよい」 「注意」とい うことを一義的に表現しているから,符号と呼んでも差し支えない。しかし発 話(言葉)は,比喩表現を考えてみれば分かるように,いつも辞書に書かれて いるような意味を担うものとして使われるとは限らない。それは符号というよ

りは,より創造的な営みが認められるという意味を込めて記号と呼んだ方が適 切である(池上,1984)。

そのような記号について論じる分野を記号論という。その記号を豊かに用い ているのが人間のコミュニケーションの特徴であると言える。記号を用いて情 報が伝達される過程は,図3に示すようなものである。つまり,発信者によっ て伝達の内容がコードを参照しながら記号化され記号の連続体であるメッセー ジとなり,それが受信者に伝わって,受信者もコードを参照しながらメッセー ジが解読され,伝達内容が受信者のものともなるというわけである。ここで言 うコードとは,記号の意味(辞書)と記号どうしの結合の仕方についてのルー ル(文法)を含んでいる。この過程が繰り返されることによって,コンテクス

トが形成されていくのである。

ただし図3に示すようなコミュニケーション過程の一面は,この図式通りに

コード

.__一_.一一_一m・二ζ∠一.山こ』.〜___一一_一一_

堰k発信者〕//ゲ  ・\般〔受信者〕i

伝達内容 メッセージ メッセージ 伝達内容

       〔経路〕

k一一一謄一一一一一鱒鱒一一 kコンテクスト〕一一一一一一一一一一一一一」

図3 コミュニケーションにおける記号を用いた情報の伝達(池上,1984)

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いつもすんなりと進行するわけではない。記号化と解読が全く同じコードに則っ て行われるとすれば,理論的には,受信者が伝える内容と受信者が受け取る内 容は同一になるはずである。しかし例えば発信者は,ナンセンスな詩などに見

られるように,コードに沿わないメッセージを作成してしまうこともできる。

またメッセージを受け取った受信者は,そのようなメッセージであっても,あ えて無理にでも解釈しようと試みるのが普通である。そのような場合に受信者 は,持っているコードが有効に使えないのであるから,コードよりもコンテク ストを参照するしかない。発話(言葉)の内容がとくに小説や詩である場合に は,このようなことは頻繁に起こっており,対面でのコミュニケーションでも 同様のことが,程度の差はあれ起きているのだと考えねばならない。

記号論では,他に様々な興味深い議論が展開されている。それに深く立ち入 ることはここの目的ではないが,旧モデルや新モデルで符号と呼んでいたもの は,本来は記号と呼ぶべきものであることは確かである。そこでこれからは,

符号のやりとりという言い方をやめて,記号のやりとりと呼ぶことにする。

新モデルでそのほかに解りにくいのは,行動のチャンネルがすべて排他的に はなっていない点である。共調動作というのは,2人の間で行動が連続的に関 連性をもって生起することを指すが,この行動のそれぞれは身振りにも含まれ

るものである。またコミュニケーション場面で個人が持っているリズムという のも,個人の中での行動の連続生起を捉えたものであるから,それらは例えば 発話であり視線でありうなずきなのである。チャンネルとして示すカテゴリー は,その内容が重複のないようにしておくべきであろう。

符号を記号と言い替えること,チャンネルのカテゴリーを再整理すること,

この2点は重要な問題ではあるが,それらを改善しても新モデルの大枠は変わ らない。それ以上に大きな問題が,新モデルにはありそうである。以下では符 号のやりとりを記号のやりとりと言い替えることにするが,下で述べるように,

記号のやりとりと関連性の出現ということをひとつの軸の両極と考えることが 適当かどうかという疑問が実はある。そこで次に記号のやりとりと関連性の出 現ということの中身を検討して,新々モデルへの展望を拓くことにする。

記号のやりとりということ

記号のやりとりの側へ傾くということは,記号として機能する度合いが強く なるということを意味する。発話の多くは記号としての機能を果たし,発話以

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外にも例えば一部の身振りは,かなり明確に記号として機能することになる。

手話はその極端な例であるが,例えばピースサインを示すことが「勝利」や

「幸運」の意味を表すこともその例である。それに対して,例えば頭を掻くと いう行動が,あるときは「照れている」という意味の明確な記号になることも あり,またあるときには単に頭がかゆくて掻いただけで,コミュニケーション においての記号としてはほとんど機能しないこともある。記号として機能する 度合いを記号性と呼ぶならば,コミュニケーションで観察される各行動には,

記号性の高さのランク付けをすることができる。「単に頭がかゆくて掻いただ け」という行動は記号性が低いが,それを見た相手は「この人は夕べお風呂に 入らなかったのかもしれない」というメッセージを受け取るかもしれず,この 場合でも記号性はゼロとは言えない。しかし,会話中に手が少し動くなどとい

うような記号性がかなり低い行動というものもある。

新モデルでの軸を成している2つの矢印のうち,上向きの矢印は上へ行くほ ど太く描かれているが,これが上述の記号性の高さを表していると考えること ができる。

ただし発話などの行動が記号として適切に機能するためには,どの記号をよ うな順序で並べればよいかというコードに則っている必要がある。ここでは

「記号のやりとり」と表現しているが,どの記号がどのような順序で用いられ るかも問題になる。記号論に統辞論(syntactics)と呼ばれる分野があるのは,

このような記号と記号の結合についての問題を扱うためである。また記号論に は他に,記号とその意味内容との関係について考える意味論(semantics)と,

さらに記号とそれを使う人との関係について考える実用論(progmatics)と 呼ばれる分野がある。そのためここで記号のやりとりと言っている中身には,

それらを含んでいなければならない。コミュニケーションをしている人がどの ような人で(実用論),伝達したい意味内容をどのような記号を用いて(意味 論),それらをどのような順序で配列するか(統辞論)が,コミュニケーショ

ンにおける記号のやりとりには重要な点になるのである。

ただしここで記号性と言うのは,コミュニケーションにおける個々の行動が どのくらい記号として機能するかを表しているのであって,統辞論・意味論・

実用論的な観点から言ってどの程度適切にそれらが用いられているのかは別間 題である。つまり,適切な記号のやりとりもあれば,不適切な記号のやりとり

もあり,後者の場合は情報の伝達がうまくいかないということになる。この適

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切・不適切という点と記号性の高さという点とは,関連しあってはいるが,分 けて考えておくことが必要である。

関連性の出現ということ

一方の,関連性の出現ということをどう考えておいたらよいだろうか。先に,

関連性の出現の機能である場の共有に関っているのは,時間的関連性と空間的 関連性の両方であると述べた。また,関連性の出現の側の単位は,2つ以上の 行動の組み合わせであるユニットであって,それは個々の行動には分解して考 えることはできないとも述べた。それらは,ここまで論考を進めてきても有効 な考えであると言える。つまり関連性が出現し場を共有するということは,そ れが例えば適切な関連性ということであれば,コミュニケーションをする人同 士が互いに適切な空間的距離と姿勢と身体配置(身体の向き)を保ち,同じよ うな行動のリズムを保って,ともに同じ様に 揺れている ということである。

それは,少なくとも2つの行動を組み合わして考えることができるものである ために,新モデルではその側の単位をユニットであると指摘したのである。

筆者は,個人内で連続的に生起する2つの行動であっても,個人間のそれで あっても,両者を用語の上で区別することなく「ユニット」と呼んだ(伊藤,

1991b)。コミュニケーションをしている人が2人であると仮定すると,その 2人は個別の人間であることには間違いないが,第三者の視点からすれば2人 はコミュニケーションをしている一つの有機体であると見ることもできる。そ のように捉えたときに,ユニットが個人内のものであろうと個人間のものであ ろうと,区別する必要は必ずしもない。ただし,個人内のユニットが場の共有 として機能するためには,それぞれの個人内のユニットが個人間で類似してい るということが条件である。これは,リズムが個人間でどのくらい噛み合って いるかということが問題であったことと同じである。

行動がユニットとして機能する程度は,関連性がどの程度強いかということ に左右される。関連性の強さというのは,行動間(それが個人内であれ個人間 であれ)の生起の時間間隔がどの程度近接しているかということのほか,行動 する身体の部位がどことどこか,その行動の内容がどのくらい類似しているか などということによって決まる。実際のコミュニケーション場面を観察すると,

どこで行動の関連性が出現しているかは,比較的容易に特定することができる。

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とくに,その場面を録画したビデオテープを早回しで再生すれば,2人が一緒 に 揺れている 様子がよく分かる。それこそが,従来のコミュニケーション 研究の多くが見過ごしてきた側面である。ただし,関連性の強さを形式的な基 準で決めることは難しい。筆者は,コミュニケーションにおける行動生起のオ

ンセットの時間間隔が3秒程度までにピークが認められることをデータで示し,

ユニットはそのあたりまでで出現するとしたことがある(伊藤,1991b)が,

それはユニットを捉えるときの十分な基準には必ずしもならない(伊藤,1995)。

もちろんすべての行動がこのように関連性を保っているというわけではなく,

記号性の高さに程度があったように,関連性の高さにも程度があると考えられ る。それを表しているのが,図2の新モデルに示されている下向きの矢印であ る。ただし,関連性がどの程度高いかということと,それがどのくらい適切で あるかということとは区別しておかねばならない。記号性が高いということと,

それが記号として適切に用いられているかどうかということとは別だというの と同じことである。例えばコミュニケーションをする2人の行動のリズムが大 きく違っていれば,関連性の出現ということではあっても,場の共有は適切に は成されない(lto,1994)。適切な関連性の出現もあれば,不適切な関連性の 出現ということもある。後者の場合は,「馬が合わない」ということにつなが るのだと考えられる。

記号性と関連性の関係

記号性と関連性についてそれぞれ言及してきたが,次に考えるべきは,この 両者がどういう関係にあるのかということである。図2の新モデルでは,記号 性と関連性の高さを表す2つの矢印は相補うように描かれており,一方が強く

なれば…方は弱くなるという関係にあるように思わせるものになっている。

実は新モデルで紛らわしいのは,符号のやりとりと関連性の出現を両端とす る軸上に,各行動ではなく行動の各チャンネルが位置付けられるとしている点 である。そしてその位置付けは,どこか特定の部分だけに限定されるというの ではなく,原理的にはどの部分でもありうる。ただし,重点的に担うと考えら れる部分はあるというわけである。例えば,最も記号のやりとりの側に位置付 けられている発話でも,関連性の出現としても働きうるということを考慮した のである。しかし,例えば相手の発話した言葉と同じものをすぐに繰り返して 発話した場合,その発話行動は,もちろん記号として機能する一方でユニット

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も形成している。そうするとそれは,記号性も高く関連性も高いということに なり,ひとつの軸のどこかには位置付けることができなくなってしまう。

新モデルでは,行動の各チャンネルを位置付けたのであり,それが符号のや りとりの側で情報の伝達として機能すると考えたのであるから,上述の問題は 取り上げなくてもよいのかもしれない。しかしながら新モデルような表し方で は,あるチャンネルの行動がどの範囲に位置付けられるかということを主張し ているように受け取られかねないと思われる。そうだとすれば,行動の各チャ ンネルを位置付けるよりは,各行動をチャンネル別に位置付けるという方が,

モデルとしては直感的に解りやすいものになるだろう。

その方針で新々モデルを考えるときに,軸がひとつの1次元モデルでよいか ということが問題になる。上述の記号性も関連性も高い発話行動の例を考える と,記号性と関連性は必ずしも相互補完的な関係,つまり一方が高ければ一方 が低いという関係にあるのではないと言える。ならば,1次元の軸でモデルを 作るは適当ではないということになる。記号性の程度と関連性の程度は別々に 決まるとする2次元モデルを求めなければならない。

新々モデルの提出

以上の論考を踏まえて,本論文で初めて提出する新々モデルについて考える。

上で述べたように,記号性の軸と関係性の軸を分離することがまず必要であ る。そのためのもっとも単純なやりかたは,2つの軸が独立であると仮定し,

それを直交させて配置することである(図4)。そして,その2つの軸によっ て枠付けされる2次元平面の中に,行動の各チャンネルではなく,各行動を位 置付ける。対面コミュニケーションにおける各行動は,図4の平面上のどこか 一点に位置付けることができると考える。ただし各行動をすべて位置付けて点

を付けていったのでは,平面のほとんどは点で埋められてしまうだろう。そこ で,各チャンネルごとに,それぞれのチャンネルの行動がどの範囲に位置付け られるかを示すことにした。

ここで位置付ける行動のチャンネルは,発話・視線・顔の表情・うなずき・

身振り・姿勢・空間行動・接触行動・身体配置とした。新モデル(図2)では,

それらに加えて共調動作・リズムも取り上げているが,例えば共調動作は身振 りが組み合わされてユニットとなったものであり,リズムも発話・視線・うな ずきなどの行動が組み合わされて出現するものであるから,新々モデルでは取

(15)

伊藤:コミュニケーションを捉えるモデル       55

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(16)

り上げなかった。つまりここでは,チャンネルの中身が重複しないようにした。

発話は,コミュニケーションで用いられる行動の中でもっとも記号性が高い ものであるということには異論がなかろう。ここでいう発話とは,音声として 発せられた言葉だけを意味するのではなく,例えば手紙でのコミュニケーショ ンでの,文字を書いてそれが伝わるということも含む。この発話に関して,一 方の軸である関連性についてはどうかと考えてみると,単独で眩かれる独り言 に近いもののように,関連性が低い発話というものがある一方で,相手の発話 した言葉と同じものを繰り返すというように,関連性がきわめて高いものもあ る。したがって発話は,記号性はどれでもおおむね高く,関連性は低いものか ら高いものまであると言える。そこで新々モデルでの発話は,記号性の高い部 分にほぼ長方形に分布するように描いた。

視線と顔の表情は,記号性という点では発話よりも若干低いと考えられるが,

それでもやや高めの場合が多いと考えられる。例えば,視線を相手に向けるこ とが,相手への注意を表したり,親愛の情を表したり,敵意を表したりする記 号になる。また,視線を相手に向けないことが,差恥の気持ちを表したり,失 望したことを表したり,相手への無関心を表したりする記号になる。その記号 性は,発話よりもときに高く, 雄弁 である場合も考えられる。視線がどの ような記号として機能するかは,どのような目つきをするか,どのくらいの時 間どのくらいの頻度で相手を見るか(あるいは見ないか)によって巧みに変化 するし,それはまたコンテクストにも左右される。顔の表情も同様であり,様々 な記号となりうることは,容易に理解ができる。首から上の部位によるもので ある顔の表情は,対面コミュニケーションではとくに,相手から注意が向けら れやすいことは疑いえない。視線と顔の表情について関連性はどうであるかと いうことを考えると,相手への一方的な視線や単独での表情の変化など,関連 性の低い単独での行動のものもあれば,互いに視線を交じり合わせて笑い合う というときのように,関連性がそれなりに高いものもある。ただし,次に述べ るうなずきのように,ほとんど常に相手の発話や自らの発話に伴って生起する というほどではないから,関連性がきわめて高くなるとまでは考えなくてよい のだろう。そこで新々モデルでは,視線と顔の表情は,記号1生は中位より高い 側に,関連性は低いところからやや高めのところまでの範囲に位置付けること

にした。

うなずきは,記号性の高さという点では,視線や顔の表情とほぼ同じと考え

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てよいだろう。つまり,発話ほどには高くはないことが多いが,中位よりは上 であろうということである。首を縦に振れば通常は肯定の意を表すわけだが,

同じ肯定でも首の振り方の時間や頻度によって,どのような記号になるかが変 わってくる。すばやく何度も首を振れば,相手の発話の内容を好意的に受け入 れるということを表しているのかもしれないし,ちょっといぶかしげにゆっく り首を振れば,相手が話したことが十分伝わっていないことを表しているかも しれない。また,首を通常は振るところで振らないということがあれば,それ は相手に対する無関心や敵意などを表しているのかもしれない。いずれにして もうなずきは,関連性という点ではかなり高いと考えるのが適当だろう。コミュ ニケーションがいきなりうなずきから始まるというのは,ちょっと考えにくい。

相手もしくは自分の何らかの行動(それには発話が多い)があってこそ生起す る行動である。そこでそれらを考慮してうなずきは,記号性も関連性も高めの

ところに位置付けることにした。

姿勢については,どうだろうか。まず記号性という点では,発話・視線・顔 の表情・うなずきなどに比べれば,高いとは言えないだろう。もちろん,背筋 を伸ばした姿勢が,相手に対する誠意を表したり,だらしのない姿勢が精神的 な疲労を表したりする記号になりうる。しかし,その記号としての働きは,意 味内容をさほど明確には表さないことが多く,あまり強いとは言えない。また,

姿勢は変化するものであるが,その変化が起きる頻度は,発話や視線などに比 べれば低い。つまり,ひとつの姿勢をとったらしばらくはそれが持続されるの が普通であり,そのことは記号として機能することにはむしろマイナスに働く のだろう。姿勢が,主に首から下の身体の部位によっているということから,

コミュニケーションにおいては注意が向けられにくく,その点でも記号として 機能するにはあまり向いていない。関連性という点ではどうかということを考 えてみると,もちろん相手の姿勢とはまったく無関係の姿勢というものもない わけではないが,普通は程度の差はあれ相手の姿勢と空間的に関連しあってい ると言える。その典型が,姿勢反響と呼ばれる姿勢で,相手の姿勢とほとんど 同じような姿勢をとるという行動が,コミュニケーションではしばしば観察さ れる。以上のことから,姿勢の記号性はあまり高くなく中位よりもむしろ下で あり,姿勢の関連性は中位から高いところに位置付けられると考える。

空間行動・接触行動・身体配置では,その記号性はますます低くなる。もち うんまったく記号にはならないかと言えばそうではなく,例えば相手との距離

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のとりかたが小さければ相手への関心が高いことを表し,逆に大きすぎれば遠 慮や疎遠な気持ちを表す記号として働きうる。接触行動や身体配置についても,

同様である。しかしながら,記号性があまり高くない姿勢と比べて考えてみて も,空間行動・接触行動・身体配置の記号性はなお低いと言えるだろう。一方,

関連性についてはどうかと考えてみると,これらの行動はいずれもおおむね高 いと考えることができる。とくに空間行動は,相手との距離との関係でとられ る行動であるから,関連性が強いのは当然である。そこでこれらの行動は,記 号性は低く,関連性はかなり高いというあたりに位置付けた。

身振りについては,どうだろうか。ここで身振りと呼んでいるものは,主に 手と腕による動きを指している。これには,手で物の形を示したり,ピースサ インのように何らかの抽象的な意味を表したりする記号性の極めて高い行動も あれば,手を少し動かしただけというような,記号としてはほとんど機能しな い行動も含まれる。関連性という点で考えてみると,相手の動作と類似の動作 をわずかな時間差で行ったり,あるいはほとんど同時に2人が動作を起こすと いった動作(共調動作)があるから,関連性の極めて高い行動がある。一方で,

すべての身振りがそのような関連性を保っているわけではなく,単発で生起す る身振りもあり,関連性の低いものも認められる。そのため身振りという行動 は,新々モデルの2次元平面上の全体にわたって分布すると考えられる。ただ し,図4に表したように,記号性も関連性もともにゼロに近いという手や腕の 動きは,コミュニケーションの行動としてはほとんど認められないのではない かと考える。コミュニケーション場面で観察される行動は,記号をやりとりす るという点でも関連性を出現させるという点でも機能しないというものはなく,

すべて何からの役割を果たしていると予想できる。

身振りに関して最後に述べたことは,他の行動に関しても当てはまる。新々 モデルでは記号性と関連性の直交軸で2次元平面を設定したが,その中で左下 の部分,すなわち記号性も関連性もゼロに近い部分に位置付けられる 意味の ない 行動はないだろうということである。進化論の考え方になぞらえて考え れば,そのような 意味のない 行動が立ち現れることがあっても,コミュニ ケーション場面ではそれは淘汰されてしまうと考えてよいだろう。

以上で,各チャンネルの行動をそれぞれ位置付けた。記号性も関連性もゼロ に近い行動はないとすれば,記号性の軸と関連性の軸が直交するとする直交モ デルではなく,鈍角を保って斜交するとする斜交モデル方が適切のようにも思

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./ 幽…… …… ………・・….鞠

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関 連 性      関 連 性

図5 直交モデルと斜交モデル

える(図5)。そうすれば㌧斜交軸によって形成されるひし形の2次元平面上 のすべてが隙間なく埋まるからである。ただしこのように考えると,記号性と 関連性が負の相関関係にあるということになる。関連性の高い発話やうなずき などの行動を考えみると,そのような行動は実際にかなり多く観察されるもの であるから,記号性と関連性が負の相関があるかどうかは疑わしい。

もとよりこのモデルでの行動の位置付けは,厳密に数量化されたデータに基 ついて行われているわけではなし,今後そのようなことを目指しているわけで

もない。記号性と呼んでいるもの,あるいは関連性と呼んでいるものを数量化 しようとすれば㌧何からの物差しが必要となるが,物理的・形式的な基準で物 差しを作るのは不可能である。コミュニケーション場面を訓練した観察者に見 せて,個々の行動を記号性と関連性のそれぞれについて評定させるということ なら可能かもしれない。それをすれば直交モデルと斜交モデルのいずれが妥 当かという検討が可能になるだろうが,ここではそもそも記号性と関連性の2 軸でコミュニケーションを位置付けることができるということが主眼である。

そこでここではより単純な直交モデルを提出して差し支えないと考える。

関連性という点について少し補足しておきたい。上述の論考では,関連性が 同じチャンネルの行動どうしだけで認められるかのような記述をしたが,しか し実際には必ずしもそうではない。個人内の行動の関連性である行動のリズム

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というのは,例えば発話・視線・うなずきによって主に形成されていると仮定 することができるし(Ito,1994),個人間の行動の関連性であっても,別の チャンネルの行動どうしである場合もある。また新々モデルの2次元平面上に 位置付けられるのは各行動であるが,関連性の出現(場の共有)の単位はユニッ トであった。ユニットを形成している2つの行動は,それぞれ個別に位置付け られることになるが,それぞれの記号性のレベルは異なっても,関連性のレベ ルは同じであると考える。

様々なコミュニケーションへの適用可能性

ここで提示しているモデルは,対面でのコミュニケーションを第一に想定し てのものである。コミュニケーションには,メディア(電話・手紙・パソコン 通信など)を介してのものもあるが,対面コミュニケーションを問題にするの は,それが様々なコミュニケーションの形態の中で基本であると考えられるか らである(伊藤,1995)。メディアを介してのコミュニケーションは,対面コ ミュニケーションから派生したものであると考えることができる。

旧モデルや新モデルでは,すでに先に述べたように,対面以外でのコミュニ ケーションなどへの適用可能性を考えた。旧モデルと新モデルは,その大枠で は変化はなかったが,新々モデルでは2次元モデルへの変更を図った。対面以 外などでのコミュニケーションに適用できるのかどうかという点で,新々モデ ルはどうなのだろうか。図6に,様々なコミュニケーションに新々モデルを当 てはめたものを示す。

まず,対面コミュニケーションに比較的近いテレビ電話というメディアを介 したコミュニケーションを考えてみる。テレビ電話でのコミュニケーションで は,まず接触行動はできなくなるし,身体配置や空間行動もほとんど使えなく なる。また,相手の上半身は見えるとしても,姿勢がどのようであるかはあま り伝わらないだろう。そのため,残りのチャンネルが使えるコミュニケーショ ンということになり,記号性の高い部分がやや強められたコミュニケーション になるだろう。

電話でのコミュニケーションでは,もう少し制約が大きくなる。発話とうな ずき(「ウンウン」といったうなずきを表す発声)という行動だけが利用可能 になる。すると記号性の高い行動ばかりが使われることになる。ただし,関連 性については,それが高いものもあれば低いものもある。したがって,場の共

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対面でのコミュニケーシヨン       テレビ電話でのコミュニケーシヨン

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関 連 性 関 連 性

電話でのコミュニケーシヨン     手紙・パソコン通信でのコミュニケーシヨン

記号性

     発話

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     発話     !:.

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関 連 性 関 連 性

共通理解言語のない人同士のコミュニケーション   痴呆老人とのコミュニケーション

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コミュニケーションの発達

図6 様々なコミュニケーションとコミュニケーションの発達への 新々モデルの当てはめ

(22)

有という機能がなくなるわけではない。実際に恋人同士の長電話などでは,話 している内容よりも,話をして互いに 揺れている  (場を共有している)こ との方が重要である場合がある。

これがパソコン通信というメディアになると,発話だけが使えるというよう になり,電話の場合と比べてさらにうなずきが使えなくなるという制約が加わ る。またそこで使われる発話は,関連性の高いものはやや少なくなるだろう。

パソコン通信では,相手のレスポンスが返ってくるまでには,手紙よりは早く なることが多くても,最低でも1日はかかることが多い。ただし,相手が書い た言葉と同じものを用いて返すということもあるし,素早いレスポンスという

ものもありうるから,関連性がないわけではない。それでも関連性はやや低め になるだろうから,場を共有するということが難しくなる。パソコン通信では しばしばケンカが発生することがあるが,それは行動の関連性が低くなりがち であるということと関係があるのだろう。

手紙というメディアでは,発話だけが使えるという点でパソコン通信と同じ であり,関連性という点でさらに制約を受けることになる。しかし,手紙でケ ンカが発生するということは少ない。それは,不特定の人あるいは知人でない 人をも対象にするパソコン通信とは違って,手紙の場合は自分の知人に向けて 宛てられることが多いわけであるから当然である。パソコン通信の場合でも,

知人宛に送られる電子メールの場合は,手紙とほとんど同じであると考えられ

る。

共通して理解のできる言語を共有していない人同士の対面でのコミュニケー ションでは,発話を用いても,それが記号として使えないことになっていく。

そこで,発話以外のチャンネルを駆使してコミュニケーションを試みることに なることが多く,その場合とくに身振りが多用されることになるだろう。身振 りは新々モデルの2次元平面上全体にわたって分布するものと考えたが,その ときに使われる身振りは,関連性も記号性も高いものが多くなるのではないか。

それで何とか場の共有を図ってつながりを保ち,また何とか記号のやりとりを 図ろうとすることになる。ただし,記号としての身振りは文化的な要因で左右 されるものであるから,記号のやりとりがうまくいくとは限らない。身振りだ けでなく,うなずき・視線・顔の表情なども多用されることになるだろうが,

それも常に有効に使えるわけではなかろう。ただしコミュニケーションが心地 好いものになるかどうかは,基本的には関連性が高いことと関係があるのであ

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ろうから,情報の伝達がうまくいかなくても,それでコミュニケーションが成 立しないわけではない。言葉が通じない方が,かえって気楽なコミュニケーショ

ンになることもある。

痴呆老人と健常者とのコミュニケーションでは,場の共有はできるとしても 情報の伝達は難しくなるということを,先にも述べた。それは,空間行動や接 触行動などの関連性は高く記号性は低い行動を使ってのコミュニケーションに なりがちであるからだと推測できる。いちおうすべてのチャンネルが使えるが,

その記号性は全体的に低くなるだろう。それらさえも使えなくなると,コミュ ニケーションはもはや成立しなくなる。そこに立ち現れてくる行動は,記号性 も関連性もともにゼロに近いものである。

図6に示したように,共通理解言語のない人同士のコミュニケーションと痴 呆老人とのコミュニケーションでは,行動の位置付けが全体的に記号性の低い 方へと圧縮されると考えることができる。その圧縮度は一般に,痴呆老人との コミュニケーションの方が高いだろう。このように新々モデルでの行動の位置 付けは,場合によってこのように変化すると考えた方がよさそうである。

以上で述べてきたように,対面以外でのコミュニケーションなどにも,新々 モデルは適用して考えることができる。以前のモデルではコミュニケーション の発達という点も考えてみたが,それについては新々モデルではどうだろうか。

生まれたばかりの新生児と母親との関係は,母子一体とも言える密着関係で ある。母親の話しかけに対して子どもは声や身振りで応え,その子どもの声や 身振りに母親はまた応える。新生児が母親の表情や舌出し行動の模倣をする共 鳴動作はよく知られている。これらのことから,発達初期のコミュニケーショ

ン行動は,関連性の高いものであると言える。ただしそれらの行動の記号性は 低い。何らかのメッセージ(「お腹が空いた」 「眠たい」など)を伝える泣き 声などはかなり初期から認められるから,記号性がすべてゼロであるというわ けではないが,明確に記号であると判別できるものにはなっていない。新生児 の行動は,関連性が高く記号性の低いもので,新々モデルの中では右下のあた りに位置付けられるものである(図6)。そのうちに指差しで何かを指し示し たりする行動が見られるようになる頃には,行動がより高い記号性を獲得して いくことになる。一語文・二語文を話すようになり,発話で文章が組み立てら れるようになると,コミュニケーション行動は新々モデルの全体に渡るように なり,基本的には大人のコミュニケーションと変わらないことになる。あとは

参照

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