タルコット・パーソンズの市民社会像
パーソンズ理論における「社会共同体」概念と近代
佐 藤 成 基
1 「近代」の社会理論家としてのパーソンズ (高城1988;高城1992;Gerhardt 1996;Gerhardt パーソンズを「機能主義」や「システム理論」 1999;Nielsen 1991)。もう一つが歴史的・経験 などの抽象的一般理論の社会学者としてのみとら 的研究家としてのパーソンズである。医療専門職 える見方は,現在大きく変更を迫られつつある。 の経験的調査,ナチズム分析,アメリカにおける パーソンズの死後,とりわけ1980年代中頃から一 家族,民主主義体制,大学,宗教など,様々な具 部のパーソンズ研究家によって深められてきたパー 体的素材をパーソンズは分析の狙上にのせた
ソンズ再評価の業績が,これまでのパーソンズの (Buxton 1985;高城1986;高城1991;Gerhardt イメージを大きく変えてきた1。その中で確立し 1991;Gerhardt 1993等)。こうした「発見」は つつある一つの見方は,パーソンズが「近代社会」 「重度の理論病患者」 (これはパーソンズ自身が の社会理論家,すなわち「近代」という歴史的問 自己を椰楡して使った言葉であるが)というパー 題を理解するための社会理論を展開した理論家で ソンズのイメージとは大きく異なったものであっ
あるというものである。この見方はローランド・ た。
ロバートソンとブライアン・ターナーが編集した 本稿は,こうした最近20年ほどのパーソンズ研
『近代性の理論』において強力に主張されている 究の成果を踏まえながら,パーソンズの「理論家」
が(Robertson and Turner 1991=1995),すで としての側面に視点を引き戻してみたい。それは にそれ以前にもバックストン(Buxton 1985), 最近の研究が,パーソンズの歴史的・経験的社会 高城(1986),ホルトンとター一ナー(Holton and 学者としての側面の「発見」に力を注ぐあまり,
Turner 1986)らの一連研究によって明らかにさ パーソンズの一般化可能な「社会理論」の内容の れてきたことであった2。 解明が相対的に軽視されているという傾向が見ら
「近代社会」の理論家としてパーソンズを理解 れるからである。パーソンズが,その豊富な歴史 する研究からは,二つの従来無視されてきたパー 的・経験的素材を通じて発展させ,利用してきた
ソンズの姿が明らかにされている。一つは政治的 理論的枠組やモデルはいったどのようなものであ 実践家としてのパーソンズである。第二次大戦中 り,どのような分析的効力をもつものなのか。本 の反ファシズムの活動,戦後の占領政策への関与, 稿ではパーソンズが創出した多くの理論的概念の マッカーシズムへの批判的立場からの行動などに 中から「社会共同体societal community」とい おける「中道より左」に位置するパーソンズの政 う概念を選び,それに限定してパーソンズの理論 治的活動が,最近の研究で明らかになっている 的有効性の一面を明らかにしてみたい。
1 1980年代からのパーソンズ再評価については,拙稿(佐藤1998b)においてオーヴァービューを行っている。
2 抽象性の高い一般理論のレベルでパーソンズ理論が論じられてきたわが国においても(とりわけ「機能分析」をめぐ る議論が盛んに行われた),こうした新たなパーソンズ解釈かなり広まってきている。例えば千石好郎の著作(1998)
や1998年に行われた社会学史学会におけるシンポジウムでの諸報告がある(油井1999;進藤1999;徳安1999)。
こうしたパーソンズの壮大な理論体系を構成す 後で詳述するように「社会共同体」概念はパーソ る一概念に注目するパーソンズ理論の理解のしか ンズ理論全体の中で核となる概念である。それは たは,従来の「パーソンズ理論」に対するアプロー 初期の『社会的行為の理論』以来一貫しているパー チとはやや異なるものである。というのは,従来 ソンズの「功利主義」批判の成果であり,また経 のパーソンズ理論へのアプローチは,「行為理論」 済,政治,文化とは区別された社会学固有の問題
「システム理論」 「AGIL図式」といった一般理 領域を開拓しようというパーソンズの理論的野已、
論としての包括的な特質に関心を寄せてきたから の表明であると考えられる。にもかかわらず,こ である。確かに包括的一般理論の構築は,パーソ の概念はこれまで意外にも軽視されてきているの ンズが生涯を通じて追求したものであったことは である3。パーソンズの理論体系の中に「社会共 確かである。しかしパーソンズ理論の発展を詳細 同体」概念それ自体が現れるのは1960年代以後の
に検討していくと,その理論体系が決して抽象的・ いわゆる「後期」に属する時期だが,本稿ではこ 一般的レベルでのみ発展していったのではなく, の概念を初期以来のパーソンズの理論的営為全体 様々な経験的素材の分析を通じて理論概念を構築 のなかに位置づけて解釈していく。そのようにし し,さらにその理論概念をその他の経験的素材の て,「社会共同体」を分析概念として再構成して 分析に用いるために変化させるという,いわば いく可能性をさぐりたい。
「理論」と「経験的データ」との問のジグザク過 「社会共同体」に着目する第二の理由は外在的 程を経て発展してきているということがわかる。 なものであり,いわゆる「市民社会civil society」
よって彼の壮大な理論体系は時代と共に変容し, の概念化に有効であると思われるからである。
それを構成する個々の理論的概念は,パーソンズ 「市民社会」はヘーゲル,マルクスに連なる思想 の事後的な努力にもかかわらず,かならずしも論 的伝統をもった概念であり,1980年代以後の社会 理整合的に接合されているわけではない。そのよ 主義体制の動揺と崩壊の中で再び社会科学者や社 うなパーソンズ理論の全貌を理解するには,まず 会思想家の注目を浴びるようになっている。それ パーソンズ理論を構成する個別の概念に着目した は国家と市場から区別された,しかし「近代」に ほうが,パーソンズ理論のもつアクチュアルな洞 固有の社会統合の形態を指す概念として理解する 察力と構想力がより明らかになると思われるので ことができる。パーソンズは「市民社会」の語を ある。本稿は決してパーソンズ理論のもつ包括性 用いてはいないが,「社会共同体」概念はこれと への志向を否定しようというのではない。じっさ 多くの共通性を持っている。マルクス主義的問題 い「社会共同体」概念も,次節で明らかにするよ 意識から出発したコーエンとアラートが,『市民 うに,パーソンズ理論体系の中に位置づけて理解 社会と政治理論』の中で,パーソンズの「社会共 するのが最も適当なのである。だがここでは,個々 同体」をヘーゲルの「市民社会」概念を発展させ の概念を抽象的一般理論からはじめて「演繹的」 たものと位置づけたり(Cohen and Arato[1992]
に迫っていくよりも,まず個々の概念を起点に置 1995),「ポスト・パーソンズ」の側からも,アレ きながらパーソンズ理論に迫ったほうが生産的で クサンダーらが「市民社会」の社会理論を構築し あると言う立場をとる。 ようとしたりしている(Alexander 1998)のも,
ではなぜ「社会共同体」概念に注目するのか。 決して不思議ではない。またパーソンズ研究の第 ここではとりあえず次の二つの理由をあげておこ 一人者である高城は,「パーソンズは,人類史を,
う。一つはパーソンズ理論内在的な理由である。 人間の自由と平等拡大過程として,したがって 一
R 数少ない「社会共同体」に関する議論としてコーエンとアラート(Cohen and Arato[1992]1995)と油井(2000)
のものがある。
佐藤:タルコット・パーソンズの市民社会像 57
「市民社会」実現への長期的な努力の過程として, 会的紐帯・「共同性」の維持・形成の諸過程のこ 総括する」(高城1991:94)と述べている。本稿 とが意味されている。「社会共同体」という概念 ではパーソンズの「社会共同体」概念がアメリカ は,「社会」がすでに「共同性」を含意している 社会を通じて「市民社会」を概念化したものとと ことを考えると,一見同語反復的な印象も否めな
らえ,ここから「市民社会」と概念化されている い。しかしパーソンズは,この概念で社会システ ● o ● ● ● ・
現象を再考察する一つの手がかりを引き出してみ ムの中でもとりわけ固有に社会的な局面をこの概 たい。 念で表現しようとした。それは集団形成や組織形 成の基礎となる人間相互の社会的紐帯に関する領 2 パーソンズ理論体系における「社会共同体」 域であり,社会が社会として統合するために不可
概念 欠な役割をはたす諸活動の領域である。経済・政
(1)AGIL図式と「社会共同体」 治・文化と区別してこの固有に社会的な領域を設 AGIL図式とは人間にまつわるあらゆる現象が 定したところに,パーソンズ独自の視点を確認で A=適応,G=目的達成,1=統合, L=パターン きるであろう。パーソンズがしばしば参照するよ 維持の四つの「機能」をもっているとする壮大な うに,デュルケームのもちいた「連帯solidarity モデルであり,パーソンズー般理論の代名詞のよ (solidarite)」の概念が「社会共同体」概念の着
うに言われてきたものである。AGIL図式は入れ 想の起源となっている。パーソンズはこのデュル 子型の構造をもち,「一般行為システム」レベル ケームの「連帯」概念を,AGIL図式という一般 のAGIL各機能がそれぞれまたAGIL四機能を 的枠組みの中に位置づけただけでなく,それを独
もっている。「社会システム」は「一般行為シス 自に発展させた。そのことについては,これから テム」の1=統合機能を分担するものであり,そ 詳しく論じていくことになる。ここで確認してお れ自身四つの機能を持っている。さらに「一般行 くべき重要な点は,「社会共同体」と「社会シス 為システム」もより上位の「人間の条件」レベル テム」は別のものであるということである。「社 の1機能に相当する。このようにAGIL四機能は, 会システム」は「社会共同体」の上位に位置づけ 上位また下位に際限なく連なっていくものと思わ られた領域であって,そこには固有に社会的な領 れる。 域である「社会共同体」に加えて,経済的,政治 このようなAGIL図式そのものの当否に関し 的,文化的領域をも含むものとされているのであ ては触れない。ここではただ,この四機能図式を, る。
人間行為一般や社会現象一般の全体を相互に相対 よく知られているように,初期の著作『社会的 的に独立した四つの諸活動・諸過程の「局面」に 行為の構造』([1937]1968=1974−1996)はホッ 区別してとらえる大まかな見取り図のというよう ブスに始まる「啓蒙」の社会思想家,古典派経済 に理解しておきたい。社会システムレベルにおい 学,さらにはマルクスにもつながる「功利主義」
て見ると,A機能が「経済」であり,人間の物質 的社会理論の批判であり,マーシャル,パレート,
的生産活動や,その生産物の交換や配分が意味さ デュルケーム,ウェーバーの理論的「収轍」を学 れる。G機能は「政治polity」とされ,何らかの 史的に検討しながら,功利主義的理論には欠落し
目的にむけての集団の人材や資源の動員をめぐる ていた「規範」や「究極的価値」といった要因を 政治的権力や支配の関係が意味されている。L機 理論体系の中に組み込み,「主意主義的行為理論」
能は文化的価値や理念,宗教的世界観を実現し維 と呼ばれる総合的な行為理論の枠組みを構築しよ 持していく文化的諸活動のことが意味されている。 うとしたものであった。そこではとくにデュルケー
そして1機能を,すなわち「統合」機能を分担し ムの「連帯」概念や「集合表象」概念,ウェーバー ているのが「社会共同体」であり,人間どうし社 の宗教社会学や「支配の正統1生」論と言った社会
学の「古典」の意義が見出されたのであった。 トメントを前提として可能になるというベクトル
「社会共同体」概念が,「経済」や「政治」の局面 がパーソンズ理論の中には強くある。しかしまた から分析的に区別された次元の概念として設定さ 四つの各機能は相互に「浸透」しながらも相対的 れているのは,こうした初期以来の主意主義的行 に自律し,それぞれが固有の論理で展開するもの 為理論の連続線上にある一つの成果と見なすこと である。1=統合機能を分担する「社会共同体」
ができる。 も,様々な集団形成,組織形成の場であり,「諸 しかしそれに加えて注意しておかなければなら 集合体とこれらの集合体に対する忠誠心が,相互 ないのは,「社会共同体」がL機能を分担する文 に浸透し合う複雑なネットワーク」とされている 化的諸活動の局面からも区別されていることであ (Parsons 1971:13=1977:20)。各集合体や組織
る。『社会的行為の構造』の段階では,文化的価 は,その置かれた状況やそれ自身の機能に応じて 値と社会的「連帯」の領域は必ずしも明確に区別 様々な規範を制度化し,「連帯」を形成し,相互 されてはいなかった。この区別はその後の理論的 に交錯しながら時として相互に対立し合い,共通 発展の中で明確にされていったものである。しか 価値から逸脱した活動へと発展することさえある。
しながらまた,パーソンズはすでに『社会的行為 パーソンズ理論には,このように,各機能の相対 の構造』の段階から,文化的価値が社会や個人の 的自立性を認め,相互の問の連関,さらに社会の あり方までも決定すると言うような「流出論」を 多元化や対立・緊張を包含するという視点も見ら 批判していたことも忘れてはならない。パーソン れるのである。
ズの理論は,これまでしばしば共通価値決定論の
傾向があるかのように批判されてきた。確かにパー (2)相互行為としての「連帯」
ソンズは,社会秩序成立の条件として共通価値の 「社会共同体」概念は,1966年に発表された 存在をあげ,四機能の中ではLの価値体系の領域 『諸社会一進化と比較』(Parsons 1966=1971)
を相対的に優位的な地位に置いている(サイバネ においてAGIL図式の中に位置付けられた4。しか ティック・ハイアラーキーの図式♪。しかし同時 し社会システムの「統合」メカニズムの問題とし にパーソンズがあくまで1の「社会共同体」機能 て見ると,「社会共同体」の実質的議論は,すで をLの価値パターン維持機能から独立した領域 に初期の段階から始まっていたと考えることもで として設定していることは,銘記しておくべきで きる。その出発点は前述のようにデュルケームの ある。それは,アメリカの道徳的価値を「市民宗 「連帯」概念にあり,パーソンズはそれを,フロ 教」と呼んで強調するロバート・ベラーとパーソ イトの精神分析学の摂取,専門職研究における医 ンズを分ける点でもある。パーソンズはベラーの 者と患者関係のモデルなどを通じて独自に発展さ
『破られたコヴェナント』での議論を「道徳的絶 せた。1950年代に打ち出される「社会システム」
対主義」として批判している(Parsons 1978)。 論(Parsons 1951=1974)は,デュルケームの パーソンズの枠組みに従えば,AGILの各機能 「連帯」概念をよりミクロな視座をもった相互行 は「サイバネティック・ハイアラーキー」に従っ 為論として展開したものであった。そこで「連帯」
て配列されている。それによればL機能の価値 は,行為者間の相互コミットメントとして把握さ 体系は1機能の「社会共同体」を「情報」面でコ れ,行為者相互の関係性が詳細に分析されている。
ントロールしていることになっている。そのため, その相互行為は,互いに他者の「期待」に応えよ 確かに社会の「統合」が共通価値への暗黙のコミッ うという「期待の相補性」を構成している。ここ
@ 一
4 パーソンズがこの概念をはじめて用いたのは黒人の「市民権」とアメリカ国民社会について論じたParson([1965]
1969=1973)においてであった。
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で重要なのは,他者へのコミットメントが共通価 展開するであろう。パーソンズがここで明らかに 値へのコミットメントとは区別されていることで しているのは,「連帯」『が成立しうる固有に社会
● ●
ある。ここにL機能を分担する局面と1機能を分 的な領域の存在である。そこでは行為者が互いに 担する局面との分析的区別の発生が見られる。共 「期待」を通じて関係しあい,行為者は他者から 通価値へのコミットメントが「信念belief」を意 の信頼や承認を得たいという「欲求」をもち,他 味するとすれば,他者へのコミットメントは「信 者の「態度」によってその「欲求」が満たされう 頼trust」として表現される。そしてパーソンズ る。その領域における関係性は,必ずしも常に は社会システムの統合のメカニズムを,相互的 「統合」や「連帯」を帰結するとは限らない。し
「信頼」関係のネットワークの場と見たのである。 かし「連帯」が可能となるのはこの領域において 行為者間の相互コミットメントを維持している なのである。
のは,行為者間の相互的サンクションの関係であ パーソンズは「社会共同体」を二つの側面から る。他者の期待に応えることで他者からの信頼を とらえているように思われる。一つはシンボリッ 得ることになり,その信頼の獲得が他者の期待に クな相互行為と期待の相補性からなるミクロな側 応えることの動機づけになる,という関係である。 面である。もう一つが,役割期待を規定する規範 ここでパーソンズは,他者の期待に応えることで が制度化されているというマクロな側面である。
得られる他者からのサンクションを「関係的報酬」 この二つの側面が連動しあうときに社会の「統合」
と呼んでいる(Parsons 1951=1974:136−140, が達成される。しかしそれがつねに達成されるわ 409−421)。「是認」「尊重」「愛情」などからなる けではない。相互行為が規範から大幅に逸脱する
これらの「関係的報酬」は,他者の「態度」によっ 可能性もある。
て表明される「シンボリック」なものである。た
だしここでパーソンズが明らかにしようとしてい (3)社会進化と「社会共同体」
る「シンボリック」な相互行為は,ブルーマーら 「社会共同体」概念がはじめに明示的に設定さ の「シンボリック相互行為論」が明らかにしてい れたのは1960年代に展開された社会進化論の枠組 るような状況の意味の解釈過程ではない。シンポ みの中でであったが(Parsons 1966=1971),パー リックな態度が行為者の欲求充足にいかに貢献す ソンズは「社会共同体」にも独自の進化の図式を るのかという視点からパーソンズはシンボリック 想定している。ここでもパーソンズの議論の出発 な相互行為にアプローチしている。しかしその 点はデュルケームの「機械的連帯」から「有機的
「欲求」も,物質的な欲求と区別されたシンボリッ 連帯」へという進化図式にある。デュルケームの クでかつ社会的なもので,他者の「期待」を内面 「有機的連帯」とは機能分化が進んだ近代社会に 化したリフレクシブなものであり,他者の「態度」 おける「差異」に基づく社会的紐帯のことであっ によって(モノによってではなく)充足される欲 た。ところがパーソンズの近代社会における「社 求なのである。 会共同体」の「進化」とらえかたはデュルケーム
もちろんこうした意味でのシンボリックな相互 のもとのとはかなり異なっている。
行為が,必ずしも「連帯」や「統合」に結びつく 「社会共同体」の進化は,二つの相互に連関し わけではない。パーソンズが述べるようにその過 た過程から構成されている。一つは「社会共同体」
程は「二重にコンティンジェント」なものであり, の他の社会システムの下位システム(経済,政治,
相互行為状況にある双方において,相手の期待に 文化的価値領域)からの「分化」であり,もう一 応えないという選択肢が開かれている。交換理論 つは「社会共同体」の組織原理の「特殊主義」か や社会的ネットワーク論であれば,そのような相 ら「普遍主義」への変容である(Parsons 1971=
互行為がもたらす結果についてより詳細な分析を 1977)。
「社会共同体」は「政治」からの分化によって, 出そうとした。それが人間どうしの連帯,あるい 君主制での「社会共同体」が特定の君主への従属 は社会的紐帯それ自体の変化であり,さらに言う によって形成される「臣民」の共同体から「市民」 と人間相互の信頼関係の結ばれ方の変化である。
の共同体へと変換し,文化的価値領域からの分化 社会進化とともに,信頼関係が身分や人種,出身 によって特定の宗教的信仰による「共同体」の形 地などの生得的要因に拘束された「特殊主義的」
成から解放される。「民主革命」と「教育革命」 関係から解放され,また特定の宗教への帰属や特 がそれらの分化を促進するとされる。 定の支配者への従属という条件からも解放され,
また,前近代における「社会共同体」は血縁や メンバーの自発的意志にしたがって「普遍主義的」
地縁などによって特定の状況の中での人間のあい な広がりをもって形成されるようになるというこ だにのみ成立可能な「特殊主義」的な関係であっ と。パーソンズは「社会共同体」の進化という観 たのに対し,近代においては不特定多数の人間の 点から,こうしたことを示そうとしたのである・。
間に「普遍主義的」に成立可能な関係である。そ パーソンズはこうした「普遍主義的」な相互信 れは「社会共同体」の成立が人種や身分,出身地 頼による「社会共同体」の組織のされかたを「ア などの「生得的ascriptive」な拘束から解放され, ソシエーションassociat三〇n」という言葉で表現 ますます個人の「自発的」意志に依存する部分が している(Parsons 1971:24−26=1977:37−41)。
強くなってくることを意味している。また「社会 彼は,近代社会が「アソシエーショナル」な組織 共同体」内の関係において,「生得的」な格差が や集団の領域がますます拡大していく時代である 減少し,基本的には「平等な個人」の間の結合へ と考えた。「近代社会のもっている非常に重要な と変化していくことも意味している。 運営・活動上の諸機能は,ほとんど全面的にアソ 以上の二つの過程が,パーソンズによる「社会 シエーショナルな構成をとって遂行されている」
共同体」の進化図式を構成している。しかしなが というのである(Parsons 1971:25=1977139)。
ら,このような「社会共同体」の進化図式は,メー パーソンズは,近代社会を資本主義市場原理が支 ンの「身分から契約へ」やテンニースの「ゲマイ 配する時代であるとするマルクス主義的歴史観に ンシャフトからゲゼルシャフトへ」という古典的 も,また官僚制や国家統制が拡大する時代である な進化図式とは同じでない。パーソンズによれば, とするウェーバー的(あるいはオゥーエル的)な
「契約」とは利己的個人の利害の一致によって成 歴史観にも否定的であった。確かに資本主義も,
立する功利主義的関係である。それに対し「社会 官僚制も,近代社会の組織原理であることには違 共同体」は,前項で述べたように相互的信頼によっ いない。しかしパーソンズは,それとともに「ア て成立する「連帯」の関係である。また「社会共 ソシエーショナル」な組織の拡大のもつ意味が忘 同体」の進化は,ウェーバーが鋭く問題にした れられてはならないと主張した。彼の近代社会観
「官僚制」の拡大とも異なっている。それは「官 は,市場,官僚制,そして「アソシエーション」
僚制」が意味するような支配服従の関係のことで が相互に連関し,「相互浸透」しつつ遂行される はない。またテンニースが論じたような「ゲゼル というものである。その中でも特に「アソシエー シャフト」の拡大とも違う。パーソンズは「社会 ション」という概念に,パーソンズは自らの近代 共同体」の進化のなかに,「ゲマインシャフト的 社会論の戦略的意義を見出している。
要素」が存続しつづけながら変化していく様を見
5 しかし「社会共同体」は,相互信頼や連帯の領域であるとするならば,「ゲゼルシャフト」化した近代社会における
「ゲマインシャフト」的側面であると見ることができる。また「社会共同体societal community」はドイッ語の gesellschaftliche Gemeinschaft(ゲゼルシャフト的ゲマインシャフト) の英訳にそっくり対応する。
佐藤:タルコット・パーソンズの市民社会像 61
3 「社会共同体」と近代の諸制度 「自発的」の帰属の意志を基礎にした社会(そう
「社会共同体」という概念は,ともすると何ら あることが「期待」された社会)とされる。アメ かの具体的集団や組織と同一視されやすい。しか リカ国民社会の成立を可能にしたアメリカ合衆国
しながら,AGIL図式のどの「機能」もがそうで の独立は,「社会共同体」の進化の上での一つの あるように,1機能を分担する「社会共同体」も 画期と位置づけられている。「アソシエーショナ 具体的な集団や組織を意味するものではない。そ ル」な「社会共同体」は,プロテスタントの出現,
れはあくまで,具体的集団や社会組織・制度から イギリスの市民革命を通じて,確かにヨーロッパ 分析的に抽出することのできる作用や過程のこと で準備されてきた。しかしそれがはじめて全面的 を意味している。別の言い方をすると,AGILの に展開されたのはアメリカにおいてであった。ア どの「機能」もが,あらゆる集団・組織・制度か メリカ社会をパーソンズは,リプセットにならっ ら分析的に抽出することのできるものである。そ て「最初の新しいネーションthe first new れは「社会共同体」に関してもそうである。「社 nation」と呼んでいる。そしてその意義をパーソ 会共同体」とは,あらゆる集団・組織・制度に見 ンズは次のように述べている。
られる相互信頼と社会的紐帯の形成・維持の作用
のことである。それぞれの種類の組織・集団・制 基本的には平等な人間から構成される社会共同 度に応じて異なった内容の「役割期待」が制度化 体[アメリカ国民社会]は,宗教……,エスニッ
され,それに基づいて「社会共同体」が作用して クな帰属,地域,社会階層における世襲的地位 いる・。 といった,古い,特殊主義的で生得的な基礎の
パーソンズはいくつかの具体的な集団や組織 上のたって社会のメンバーシップを定めること 制度をとりあげ,そこでの「社会共同体」の作用 の正統性を突き崩す長い過程の「最終地点」で を経験的に考察している。この節で検討するのは, あった。この平等に関する基本的テーマは,そ パーソンズが特に注目した国民社会とエスニック れに先立つ長い過程があるものの,啓蒙主義時 集団,専門職,そして民主主義的選挙制度である。 代の「自然権」の概念においてまず最初に結晶
どれもアメリカ社会を例にとったものである。そ 化され,アメリカ合衆国憲法の「権利章典」
れそれについて簡単な検討を行い,「社会共同体」 [憲法の修正条項の最初の十か条]において表 のメカニズムがどのように把握されていたのかを 現されたことはとりわけ重要な意味をもってい 見てみる。 る。(Parsons 1971:118−119=1977:180)
(1)アメリカ国民社会とエスニック集団 周知のように,アメリカ合衆国はいわゆるWA パーソンズが「アソシエーション化」した「社 SPの社会として形成され,その支配は根強く続 会共同体」として言及するものの一つがアメリカ いている。しかしまたアメリカ国民社会は,WA 国民社会である。それはアメリカ国民社会が,身 SPのカテゴリーに入らないイタリア系,アイル 分,人種・エスニシティといった生得的要因や宗 ランド系などのカソリック教徒を受け入れ,スラ 教的信仰に拘束されない,メンバーたる個人の ブ系の人びとやユダヤ人を受け入れてきた。さら
6 高城はこの語を「国民共同態」と訳し,「社会共同体」を国民社会のレベルに限定してとらえている(高城1986)。確
● ● ■ ● ● ・
ゥにパーソンズが実際において「社会共同体」概念を国民社会の意味で用いていることは多いし,彼自身にとっての
「社会共同体」のリアリティはしばしば国民社会の中にあったことは確かである。しかしこの語が社会システムのサブ
● ● o o ・
システムと位置づけられている限り,少なくとも理論的には特定の具体的組織と同一視してはならないものと思われる。
o o o
謔チて本稿では,「社会共同体」概念が様々な具体的制度に適用されうる分析的概念であると解釈する。
に1960年代の公民権運動以後には,それまで対等 動の中で劇的に前進した。黒人たちによる差別の な国民社会のメンバーとは言えなかった黒人達の 告発は,「正当」なる権利として認められた。人 包摂も進み,さらにその後にはアジア系移民も包 種差別は明らかに「不当」なものとして人びとの 摂しようとしている。その結果アメリカ社会は多 公けの道徳的非難を浴びるようになった。そのよ 数の宗教や人種・エスニシティに属する人々対し うな過程において,連邦裁判所や法律家の法解釈 て平等な権利を認めることで,「多元主義的」な と試みは,人びとの道徳的な「相互期待」に大き 国民社会を形成してきた。そこに「社会共同体」 な影響を与えている8。このような発展を,パー の進化上の意義をパーソンズは見出すのである。 ソンズはT。H.マーシャルにしたがって「市民権 では,このような多元主義的な国民社会を「統合」 citizenship」の実現過程としてとらえる。
しているものは何だろうか。パーソンズによれば, このようにして発展してきた「社会共同体」は,
それは「自由」「平等」「権利」などの概念を規 宗教的信仰や身分,人種,血統等の具体的で実質 定した憲法的枠組みであり,それと深く関連した 的な基盤に依拠して形成されているのではなく,
合衆国建国の歴史的記憶である。さらにそこには 法的の原則や建国の歴史的記憶と結びついた抽象 世俗化し普遍主義化したプロテスタント的価値観 的でシンボリックな原理へのコミットメントを前 が反映し,制度化されている7。ただし憲法に規 提にしており,その意味でどのような背景をもつ 定された普遍主義的な自由・平等・権利といった 人間に対しても「開かれ」ている。アメリカ国民 原則は,最初から現実のものとしてあったわけで 社会が「アソシエーショナル」な社会であるとい はない。しかしそれは合衆国の憲法的枠組みとし うのは,その意味においてである9。
て,メンバーの行動の一般的な規範となり,それ さらにパーソンズは,国民社会のみならずエス に適合した行動をメンバー相互が「期待」しあう ニック集団をも「アソシエーショナル」な「社会 関係を形成した。すなわちそのメンバーは,相互 共同体」としてとらえる。これは,近代的な国民 に等しくその「自由」や「権利」を尊重し合うべ 社会と対比してエスニック集団を「原初的」なも く期待されており,その期待に従うことで相互信 のととらえるシルズやギアーッらの理解と大きく 頼のネットワークが形成されるわけである。合衆 異なる点である(Shils 1957;Geertz[1963]
国の法的枠組みは,そうしたメンバーの期待の相 1973=1987)。パーソンズがエスニック集団を 互作用を通じて進化してきたと考えられる。この 「原初的」な集団ではなく「アソシエーショナル」
アメリカ社会の「進化」は,1960年代の公民権運 なものととらえる理由は,エスニック集団が,現
7 例えば,次のような記述を見よ。
アメリカ社会のように根本的に宗教やエスニシティの同質性を無用としてきた安定した社会共同体にとっては,高度 に発展した法律制度の存在は中核的である。ピューリタン的伝統と啓蒙主義は,コヴィナントと社会契約の理念が反 響する成文憲法に対する強い志向を育て上げた。(Parsons 1971:93=1977:142)
8 そこでは,合衆国社会のメンバーたちの相互期待の水準が高まった。例えばパーソンズは次のような観察をしている。
「今日の合衆国において,貧窮と人種問題がかしましくとりあげられているが,この事実は生得的な「下層」階級とい う考えが現代社会にまきおこす深い道徳的嫌悪感によって支えられているのである」(1971=1977:181)。今まで許容 できた不平等が,「自由」「平等」「権利」といった憲法的枠組みでの規範と抵触するように感じられてきたのである。
このような道徳的嫌悪感は,例えば連邦裁判所のような法的制度の判断が示されたとき,法的な非難にも発展していく。
9 このようなパーソンズの国民社会論は,国家権力と「ネーション」とのつながりに注目し,ネーションを「政治共同 体politische Gemeinschaft」ととらえたウェーバーとは対照的である。ウェーバーのネーション論については拙稿
(佐藤1998a)を参照。
佐藤:タルコット・パーソンズの市民社会像 63
実には血統という「実物」的基盤に依拠するので 社会やエスニック集団が,憲法の原則やエスニッ はなく,そのメンバーがそれと認める文化的シン クな文化等によって「シンボリック」に統合され ボルの共有に依拠するものであり,しばしばその ることが適合的であるとパーソンズは考える。そ 文化的シンボルへのコミットメントの「自発的」 れは「実物」的基礎によらず,「脱社会化」され,
選択がエスニック集団の帰属を決定することがあ ある意味では「空虚な」統合のされかたである。
りうるという点である。黒人と白人,白人内部の その「空虚さ」は同時に,人種やエスニシティ,
様々なエスニック集団などの問で婚姻関係が多く 宗教を一元的に実体視し,それへの帰属感情を基 存在しており,現実に血統のみが一つの集団を構 盤とした排他的集団主義へと向かう傾向をも内在 成するのは不可能に近い。集団間の婚姻が進む中 させている。「エスニックな連帯の激化と,エス で,エスニシティは次第に「脱社会化desocializ ニックな利益であると認識されたものの防衛と防 e」され,「空虚なシンボル」となっていく。その 衛のための戦闘的トーンが高まる傾向が見られた」
ためエスニック集団の存在を可能にしているもの (Parsons[1975]1977:392)とパーソンズは述 は,そのエスニック・アイデンティティの指標に べているが,エスニシティはそのような集団主義 なる文化的シンボルや伝統へのコミットメントの の帰属の基盤の一つである。こうした現象をパー 共有である。メンバーはその文化的伝統にしたがっ ソンズは「脱分化」とよぶ。この問題に関しては て行動するように相互に「期待」されるようにな あとで詳しく検討したい。
る。エスニック集団の「連帯」は,そのような相
互期待の関係によって維持されうるのである (2)専門職と大学
(Parsons[1975]1977:389−392)。 専門職は,初期以来パーソンズの重要な社会学 このように,パーソンズは国民社会とエスニッ 的関心の中心的テーマであり,彼の経験的研究の ク集団を同一の平面でとらえ,共存可能なものと 柱となっているものである。専門職(医師や法律 考えている。両者の関係をゼロ・サム的にとらえ, 家など)は市場経済のメカニズムによっても説明 国民社会の実現と共に「原初的」なエスニック・ することが可能である。資本主義社会の「ビジネ アイデンティティが減退していくというロジック ス」の一つでもあるからである。しかしパーソン を彼はとらない。そのためパーソンズは,アメリ ズはこうした経済学的な説明を否定した。それは 力社会が様々なエスニック集団を一つの「アメリ 『社会的行為の構造』以来の「功利主義」批判と 力人」へと転換させていくとする同化主義の立場 いう理論的テーマと密接に関連した問題である には立たず,あくまでもアメリカ国民社会におけ (Parsons 1964)。また今日の「ポスト構造主義」
る様々なエスニック集団や宗教の「多元主義的」 的社会理論の枠組みを用いるなら,専門職を「知 共存の状況を,アメリカ社会の「アソシエーショ 識による支配」という一種の権力関係として理解 ナル化」としてとらえていた。 することも可能であろう。しかしパーソンズの説 ナショナリティもエスニシティも,職業,階級 明はそれとも大きく異なっている。パーソンズの などの他のカテゴリーと比べて何ら排他的優越性 説明は,ここでも専門職の活動の中に「社会共同 をもつものではない。多元化した社会では,一人 体」の論理を見出そうというものである。専門職 の人間が多くの社会的カテゴリーに同じに参加し は国家にも市場にもどちらにも帰属することのな ている。ナショナリティ,エスニシティ,職業, い,独自の活動の論理をもっているというのであ 階級ジェンダーなどの社会的カテゴリーは相互 る。
に交差しあっている。人々はその状況に応じて, パーソンズが注目するのは専門家とクライアン どの社会的カテゴリーに重点を置くかを選択する。 トとの相互信頼の関係である。専門家とクライア このような多元化した社会構造においては,国民 ントとのあいだには一種の交換関係が存在してい
る。ただしそれは経済的財の交換ではなく,シン が用いられる。しかしそこでもやはり,専門家と ボリックな報酬の交換関係である。専門家は訓練 クライアントとの関係とパラレルな教員と学生と によって獲得した専門的知識と能力を,クライア の問の関係に視点が注がれている。大学の教員は,
ントのために「公平無私」な態度で活用するよう 「合理的」知識の生産と伝達,その知識を利用で 期待されている。もちろん専門家はクライアント きるための能力の開発などを行なっているわけだ との間の圧倒的な知識と能力のギャップを利用し が,医師や法律家とは違いクライアント(=学生)
てクライアントをごまかし,不当な搾取を行うこ の直接的ニーズに応えているわけでは必ずしもな とが可能である。(もし専門家が経済的にのみ い。そのため教員と学生との問の知識の格差は,
「合理的」であったらそうするであろうとパーソ 専門家とクライアント以上に両者の間の緊張関係 ンズは考える。)しかしそのような行動は,信頼 の源泉になっている。そのような両者の間の緊張・
関係の維持という観点から見るとマイナスである。 対立関係を架橋しているのはここでも「信頼」で そのような行動をとれば,専門家からの信頼を失 ある。教員は,「認識合理性」という近代的価値 いかねない。逆に専門家が,専門家として期待さ に訴え,学問的知識の意義と,それを学ぶことが れている行動倫理にそって「公平無私」な態度で 「よいこと」であるという観念を学生に「説得」
仕事にあたれば,クライアントから評価され, し理解させることによって,大学および教員役割
「是認」や「尊敬」といったシンボリックな報酬 の意義を是認させる必要がある。企業と違って を得ることができ,クライアントとの信頼関係を 「利潤」の要請に直接的に従うわけではない大学 獲得できる。それはそのクライアントとの間の作 は,知識の生産と伝達という活動によって,「認 業(例えば治療)をよりスムーズに展開させるば 識合理性」という価値に貢献することによって,
かりでなく,その専門家の社会的「威信」や「名 その「威信」や「名声」もつくられる。その意味 声」をも高め,結果的に職業的成功につながるの で大学は,「認識合理性」という価値への貢献を である(Parsons 1964=1985;Parsons[1969] 「信託」された制度なのである(Parsons 1973:
1978)。パーソンズはこのように,専門家とクラ 321)。
イアントとの間のシンボリックな報酬の交換と相 このようなパーソンズの大学理解が,著しく規 互信頼の維持をめるぐ関係性に注目した。特に彼 範主義的志向をもっていることは確かであろう。
は,医者と患者との問のフィールド調査に基づい だがパーソンズのアプローチは,アメリカにおけ た分析を行っている。 る高等教育(とりわけ大学)の発展を説明しよう
上述のように「社会共同体」概念が確立された とする際に重要な視点を提供していることも確か のは1960年代のことであって,専門職研究,特に である。アメリカにおける大学の発展は,ヨーロッ 医療専門職研究が集中的に行われた1940年代には パ大陸諸国や日本とは異なり,国家に主導され,
この語はパーソンズの理論体系には存在しなかっ 支援されることで可能になったのではなく,むし た。しかしすでに述べたように,「社会共同体」 ろ非国家レベルにおける民間の経済的支援によっ の実質的議論は,初期以来連続的に展開されてい て可能になったという面が強い。学生の両親のみ る。1940年代のパーソンズはミクロな相互行為論 ならず地域社会,同窓会,企業といった民間レベ 的視点から「社会システム」論を発展させようと ルの様々な団体・個人からの資金援助(寄付)が,
していたが,専門職におけるシンボリックな相互 その財政を支えてきた。政府の援助もその一部と 行為に関する分析は,この「社会システム」論の してあったが,決して中心的ではなかった。これ 枠組みを用いたものと言える。 らの資金援助は,決して何らかの経済的見かえり
パーソンズが1960年代から積極的に展開した大 を期待してのものではなく,大学の学問活動への 学分析になると,明示的に「社会共同体」の概念 貢献を期待しての,またそれによって獲得された
佐藤:タルコット・パーソンズの市民社会像 65
「威信」や「名声」を信頼しての「善意good している。パーソンズによれば,政治的権力は脅 wil1」によるものなのである。中央政府の援助に 迫や詐術を用いて相手を屈服させるという「ホッ 拠らず,このような非政府レベルからの援助で, ブス的」作用ではなく,フォロアーのリーダーに これまで大規模な高等教育がアメリカにおいて発 対する支持と合意に基づいて行使されるものであ 展したのは「驚異的phenomena1」である,とパー る。そこにはリーダーとフォロアーとの問の相互 ソンズは述べるのである(Parsons 1973:357)。 信頼の関係が成立している。その場合,権力とは ここで作用しているのは,パーソンズが言うとこ 単に相手を自分の権力欲のために服従させるもの ろの「社会共同体」のメカニズムである。「社会 ではなく,集団のメンバーと資源を集合的目標に 共同体」から大学への道徳的支持が,大学の発展 向けて動員する能力のことであるとされる(Parsons
を可能にしたのである。 [1963a]1969=1974)。
大学教員を含めた専門職における信頼関係を制 彼の政治的権力の分析は,1959年代後半ころか 度化した組織の形態として,パーソンズは「職能 ら,マッカーシズムやライト・ミルズの『パワー・
型アソシエーションcollegial association」をあ エリート』の出版などを受けて集中的に行われる げる(Parsons 1971:97−98=1977:148−149; ようになる。ここでパーソンズは,単なるアメリ Parsons 1973:143−148)1°。この組織においては 力民主社会の分析にとどまらず,「シンボリック・
専門的知識によって地位が決定される。それは完 メディア」という独自の理論的概念の構築に向かっ 全に平等主義的な組織なのではなく,職業的知識 た。「権力」は,社会システムのG=目標達成機能 や能力に応じて階層化がなされた組織である。こ を分担する「政治」の局面(集団的動員の作用)
のような階層化は「威信」によって維持され,そ に位置づけられたシンボリック・メディアである。
れが専門職とクライアントの問の信頼関係を促進 それが「シンボリック」であるという理由は,物 する。すなわち専門職とクライアントとの関係が 理的暴力に依存せず権力保持者が言葉と態度によっ 密接なものでなかったとしても,その組織自体が て相手の行動を左右するということである。物理 信頼関係の成立を可能にするのである。職能型ア 的暴力に頼らず相手を動かすには,権力保持者に ソシエーションはまた,同階層に属する人々の間 対する信頼と合意が前提になければならないとい での平等主義的な関係を制度化する。そこでは専 うのがパーソンズの見方であった。そこで「社会 門家が相互の専門的知識を尊重しあった平等な討 共同体」のメカニズムが意味を持ってくる。権力 議が可能になっている。 行使は,「政治」に属するシンボリック・メディ
このように職能型アソシエーションは,タテと アである権力と「社会共同体」に帰属するシンポ ヨコの二つの信頼関係によって構成されている。 リック・メディアである「影響力influence」の パーソンズはこの職能型アソシエーションが,高 相互交換として論じられるのである。
等教育の進展と共にますますその重要性を増大さ 「影響力」とは人びとの間の信頼関係と連帯を せていくであろうと論じている。 創出し,維持する能力であるとされる。権力は影
響力による信頼と連帯の創出を前提として円滑に
(3)民主社会の政治的リーダーシップ 行使される。「権力」が「もし〜しなかったら〜
パーソンズは民主的手続きを通じた政治的権力 となるだろう」という否定的サンクションとして の形成に関しても,やはり信頼関係のメカニズム 行使されるとすると,「影響力」は「説得」によっ
(すなわち「社会共同体」のメカニズム)を適用 て相手の意図に肯定的に訴えることで行使される。
10 この語はこれまで「合議制アソシエーション」と訳されてきたが,これでは職業的能力・知識による階層化の側面が 表現されていないものと思われる。
影響力とは「説得の手段であり……積極的な理由 を選択できるような一般性のあるものでなければ で,そうすることが彼にとって『よいこと』であ ならない。複雑に分化し,しかも組織が大規模化 ると思われるので一定の仕方で行為しようという した近代社会ではそのような「影響力」が社会の 意思決定をもたらすのである」(Parsons[1963b] 「アソシエーショナル」な統合を可能にする。逆 1969=1974:153)。それは,メンバーが属する集 にその作用が欠けると,「より広い忠誠への疑問 合的利益への貢献,既存の威信や名声,共有され をつのらせ,狭い内集団への固執を高めることに ているや道徳的理念や価値観に訴えることによっ よって,名声や信託的責任に対する信用の基盤を てなされる。民主的社会の政治リーダーは,フォ 掘り崩していくのである」 (Parsons[1963b]
ロアーに対して自らの政策コミットメントが正し 1969=1974二172)。その結果政治の世界は不信と いものであると考えてもらい,選挙に際して自分 秘密主義が横行し,強制と脅迫,さらに物理的暴 に投票してもらうように「説得」を行わなければ 力の行使すら行われるようになるわけである。
ならない。そうして得られた支持と合意によって,
民主社会の政治リーダーの権力はより強固なもの (4)その他の制度
になるとされるのである。やや長くなるが,パー 「アソシエーション化」された「社会共同体」
ソンズの文章を引用しよう。 の作用は,これまで検討したものだけに限られた ものではない。パーソンズが断片的に論じている 影響力の一つの焦点は,職務の地位にあるもの その他の「アソシエーショナル」な制度について
としての,あるいは明示的または暗黙的な候補 簡単に触れておこう。どの議論もアメリカ社会を 者としての,リーダーシップの地位なり名声な 素材にしている。
りの確立であり,したがってリーダーに追従す その一つが訴訟制度procedural institutionで るフォロアーにとっては直接的に権力を行使し ある。これは法律の条文を実際に解釈し,運用し たり,特定の情報を与えたりする以上に,また ていく一連の手続きである。そこで対立する当事 誘引を握ったりインフォーマルな脅迫を加えた 者が「原告」と「被告」としてそれぞれの立場を りなどする以上に信頼の基盤があることになろ 表明し,裁判官や陪審員が両者の争いに判断を下 う。私の考えでは,リーダーは,ここで論じたシ す。一見対立の場であるような訴訟制度において,
ンボリックな意味で,「選挙区」信頼をえる基 パーソンズは対立しあう当事者たちが共通の手続 盤を確立しようと努め,したがって彼が「議員 きを踏んで参加する制度として,両当事者間の の地位についた」あかつきには,彼に「つき従 「協力的cooperative」な面を見出すのである。訴 い⊥時にはそれぞれの能力と役割に応じて積極 訟は利害の対立しあう当事者が「正当」に対立し 的にはたらいてくれるフォロアーを頼みにする 合える場であり,そこでの判断に従うことで両当 ことができるのでなければならない。(Parsons 事者の関係を維持する。パーソンズその点に,利
[1963b]1969=1974:159) 害が複雑に分化した社会での「アソシエーショナ ル」な性質を見てとるのである(Parsons 1978)。
このように,民主社会の権力形成には,「影響力」 また「信託委員会fiduciary board」と呼ばれ の行使という「社会共同体」のメカニズムが不可 る組織がある。これは企業における取締役会,非 欠なものであることをパーソンズは主張するので 営利的法人組織における理事会,政府内,議会内 ある。「影響力」は特定の地域や集団にのみ通用 にできる委員会などを指している。これらの「信 するような「特殊主義」的なものでは十分でなく, 託委員会」は企業や法人組織の経営管理,議会内 広汎な不特定多数へのアピールがあるような,そ の特定業務の執行(法務委員会であれば法律上の
して広汎な人びとが「自発的」にコミットメント 諸問題)など,組織や社会全体の公的利益に貢献
佐藤:タルコット・パーソンズの市民社会像 67
する責任を「信託」されている組織である(Parsons そしてその「ゲマインシャフトへの郷愁」は,あ 1971:25−26=1977:39−40)。その他にパーソンズ る特定の基盤のみを絶対視するファンダメンタリ は美術館・博物館,音楽団体など,大学以外の文 ズムへと発展する。それは絶対に「裏切られる」
化組織にも言及している(Parsons[1975]1977: ことがない安全な集団帰属だけを排他的に信頼し,
388)。大学が「認識合理性」という学問的・科学 それ以外の社会的カテゴリーを全て二次的なもの 的価値を維持・発展するように「信託」された組 ととらえる。このような運動は多元化した社会を 織であるのと同じように,これらの文化組織も美 一元的な原理へと還元して理解し,他のカテゴリー 術や歴史,音楽における特定の価値や伝統を維持 に所属するものとの間の排他的対立を激化させる。
し発展させるべく「信託」された組織である。ま パーソンズはこのような「社会共同体」の「ゲマ た大学同様,こうした「信託」は,一般市民の インシャフト」的基盤への回帰の運動を「脱分化
「善意」による財政援助を可能にしている。さら de−differentiation」と呼ぶ(Parsons[1975]
にパーソンズは宗教組織(教会)にも触れている。 1977:394)11。それは,生得的条件に拘束された こうした「信託的」なアソシエーションに関して, 前近代的「社会共同体」が「分化」し「アソシエー パーソンズの議論は断片的なままにとどまってい ショナル」な形態へと進化したことへの「一つの
るものの,様々な適用の可能性が残されていると 反応」であもある(1971b:436)。その例として,
も言える。 人種的あるいはエスニックな過激派の運動(ナチ ズムや白人至上主義,またブラック・パンサーや 4 「社会共同体」と「脱分化」 ブラック・ムスリム等)や宗教的ファンダメンタ
これまで論じてきたような「社会共同体」の リズムなど挙げられるだろう。
「アソシエーショナル」な結合は,どれも不特定 さらにパーソンズはフランス革命のジャコバン 多数の人間を対象にした広汎でシンボリックな相 運動,共産主義ニュー・レフトなどの「左翼」
互期待のネットワークに依拠していることがわか 運動にも「脱分化」の一面を見ている。例えばジャ る。それは複雑に分化した社会関係が多元的に交 コバン派にはルソーの「一般意思」の観念に依拠 錯した近代社会に適合的な社会統合の形態である した民主主義的共同体概念を主張し,共産主義
と考えられている。しかしそのような相互期待の (コミュニズム)は,「労働者」による自由な共同 関係性としての「社会共同体」は,「実体」とし 体の構築を目的としている。どちらにも「ゲマイ ての基礎から遊離した,ある意味で「空虚」な共 ンシャフトへの郷愁」が見受けられるというので 同体であり,決して安定した「システム」を形成 ある。さらにスチューデント・ラディカルズたち しているわけではない。相互期待の関係は極めて のカウンター・カルチャー運動もやはり,近代社 不安定なものであり,常に期待に対する失望のリ 会の「疎外」された人間関係から脱却し自生的な スクをはらんでいる。失望が重なれば他者に対す 「愛のコミューン」を目指しているという点で,
る期待が回収され,連鎖的に相互期待の関係性自 やはり「ゲマインシャフトへの郷愁」を表現する 体の統合がゆらいでくる。このような「社会共同 ものなのである。どれも多元的で多層的な近代社 体」の不安定性は,しばしば実体的と信じられて 会の組織原理を否定し,単一の実体化された原理 いる社会的基盤(例えば人種や宗教など)への によって(例えば「人民」「労働者階級」「愛」)
「特殊主義的」で「感情的」な結合を求めようと 社会を捉えなおそうとするファンダメンタリズム する「ゲマインシャフトへの郷愁」を発生させる。 の志向を共有している(Parsons[1974]1978)。
11パーソンズは「脱分化」にいたる社会心理学的ダイナミズムをフロイト精神分析学に基づいた諸概念を用いて説明し ている。しかし本稿ではスペースの関係上この議論についてふれることができない。