市場経済において株式会社は なぜ必要とされるか?
藤 本 三 喜 男
目 次 はじめに
1.コミュニケーション手段とルールの意義 1-1 社会を成立させるコミュニケーション手段 1-2 規律の集団ルール
1-3 ナッシュ均衡とルールの遵守 1-4 ルールの存在意義
2.市場経済とは何か
2-1 私的(プライベートな)空間 2-2 市場経済の空間
2-3 現物取引と先物取引 2-4 市場経済の三つの特質 3.公共空間
3-1 統治機構の編成原理
3-2 政府の関与する分野(公共部門)
3-3 市場の失敗と政府の役割 4.市場経済の中の会社
4-1 問題意識 4-2 企業と企業形態
4-3 共同企業の問題を円滑に処理する仕組み 5.株式会社とは何か
5-1 株式会社の外部関係の問題(法人格と有限責任)
5-2 株式会社の内部関係の問題(株式制度)
5-3 コーポレート・ガバナンスの仕組み(所有と経営の分離)
5-4 出資者が経営に不満な場合はどう対応すべきか(株式の譲 渡自由性と株式取引所)
おわりに
は じ め に
人と人との関係と三つの空間(私的空間・市場空間・公共空間)
人は,社会の中に生まれ,育ち,成長する。「人はひとりでは生きられな い。…顔の見えるつながり…逆に顔の見えないつながりもある。私たちは他 の人と関わりあいながら生きているのである。現代社会では,私たちは市場 を通じて世界中の人とつながっている。…顔の見える関係から顔の見えない 関係まで,様々なつながりを読み解く学問こそ,経済学だ。私たちの多くは,
つながりを意識しないまま,日常生活を送っている。しかし,そうしたつな がりへの理解なくして,社会への十全な参加はあり得ない。」1)
確かに人は,一人では決して生きてはいけない。社会の中で,さまざまな
「人と人との関係」を形成し,そうした中で私たちは平穏な毎日を過ごした いと願っている。われわれは,人と人との関係という観点からみると,社会 生活においてさまざまな顔を持って日々生活している。
家族の一員としての顔,久しぶりに
A
君と会ったときの友人としての顔,コンビニでジュースを買う消費者としての顔,企業に努める従業員としての 顔,地域社会における住民としての顔,そして国民の一人としての顔である。
われわれは,さまざまな人間関係に関わりながらそれぞれ場面場面で頭を切 り替え,それぞれに応じた振る舞い方を身につけ日々を過ごしている。
ここでは,さまざまな「人と人との関係」を,それぞれの特質にしたがっ て,大きく3つに分類すると,ちょっと強引だが次のようになる。1.私的
(プライベート)空間,2.市場経済の空間,3.国家によって包摂された 社会空間である公共空間(政治空間)という性質の異なる部分空間がそれで ある。そしてこれらの三つの社会空間における「人と人との関係」が重層構
1) 松井彰彦(2011),18 頁
造を形作っている。すなわち,社会を分析的にみれば,私的(プライベート)
空間,市場経済の空間,公共空間(国民として)の三つの空間が重層構造を なして社会を構成しているということである2)。
社会をどのように分析対象にすべきか? 社会をどういう切り口からアプ ローチしたらよいだろうか。社会科学は,社会における「人と人の関係」に 焦点をあてて,理論的かつ実証的に研究する学問である,と考えている。そ れではこの人間社会を根底から支え,人と人を繋いでいるものは,何である のか。まず,若干,私の抱くそのイメージの概略についてスケッチ風に描写 したいと思う。それは,歴史的に形成・蓄積・継承されたわれわれみんなが 共有している言語空間と集団ルールのことである。
1.コミュニケーション手段とルールの意義
1-1 社会を成立させるコミュニケーション手段
人は,人との交流の中でコミュニケーション手段(言語が中心)を学ぶも のである。
われわれは,自分の意志とは関係なくこの世に生を受ける。どのような環 境の下に生まれようと社会の中で人としての生活をスタートさせる。そして,
さまざまな人と交流する中で多様な方法で意思疎通をはかり,コミュニケー ション手段(言語が中心)を覚え,その意味や表現の仕方を学んでいく。
2) さらに,人と人との関係という観点からいうと,第4のグローバルな空間を考え ることができる。経済の発展段階,政治体制のあり方,伝統・文化,地理,人口規 模などを背景とした,異なる価値観や考え方をもった人たちとの関係である。ヒト,
モノ,サービス,資金,情報などグローバル化の波は休むことなく(一部,反グロー バル化の動きもみられるが),ますます身近な存在となりつつある(もちろん国境と いう壁によって人々の往来は,パスポート・コントロールを通じて厳格に規制され ているが)。海外の国々,人々とどのような関係を構築すべきか,という非常に大き な研究分野が残っている。
個人のもつそれぞれの個性は固有のものであり,人によって感じ方,意味 づけは異なる。個人の内的な精神活動(心の働き)は,外からは誰にもわか らない(本人にもはっきりとはわからないかもしれない)。各個人の個性は,
人それぞれで百人百様であると思う。したがって,どんな事柄に対しても人 によって感じ方,意味づけが異なる,死後の世界を覗いた人が存在しないよ うに,他人の内面を覗いた人はだれもいないだろう。
1-2 規律の集団ルール
人の「内面」は人それぞれであるのに対して,「コミュニケーション手段と 集団の(規律)ルール」は,外的なもので長い歴史の中で社会(人の集団)
の中に形成・蓄積・継承されたものである。
そして,まずそれらは,最初は各個人にとっては外から与えられた所与の ものである。
コミュニケーション手段は,人と人とを関係づける連結手段であると思う。
その中で,言語は,お互いの意志を伝達する手段として,人と人との「きめ 細やかな関係」を成立させる中心的な役割を果たしてきた。人の内面の精神 作用は複雑で他人からは本当のところは了解不能だとの認識があるとしても,
少なくとも言語は,人の感情,意思や思考の表現を標準化するのに役立つ手 段である。ここで「標準化」という言葉を使う理由は,言葉の真の意味につ いて,例えば,ある人が怒っていると伝えたとしても,怒りの質や程度は人 それぞれで,その怒りの内実は言葉を発した本人にしかわからない。しかし,
大まかなところでは本人の心の状態・心の向く方向については他者にも把握 できるからである。
長い歴史の中で形成されてきた人の思考・行動のパターンを学ぶことで,
お互いが,相手は何を考えているのか,相手のとる行動の意味がなんとか
「了解」できるようになる。もちろん言語の意味を了解できる人がいるかぎ
り,その交流の輪はいくらでも拡大できるが,この社会の言語空間を離れて は,言語は意思疎通手段として使えない。例えば,日本語しか喋れない日本 人が英語圏で困った状況を考えれば当然納得のいくことである。
人間の内面がどう形成されていくかわからないが,幼少期のドロドロ?,
サラサラ?の感情の塊から,人は成長すると,やがて言語によってきめ細や かな感情を表現できるようになり,思考し,自らの力で意思決定を下すこと ができるようになる。いわゆる外の世界に向かって心のうちを自己表現でき るようになる。また人の心を読もうとしたりもする。
歴史を共有する集団は,コミュニケーション手段を獲得し,規律のルール を形成・蓄積・継承してきた。「人に迷惑をかけるような人間(大人)になっ てはダメよ」(「人との約束は必ず守りなさい」「人を傷つけてはいけない」な どを含む)というのは,親のしつけ
No1
として教えられたと思う。集団の中では,お互いが安心して人と人の関係を築くうえで必要なさまざ まな知恵(マナー・エチケット等々を含む)を学び,さまざまなレベルの集 団のルールを,意識的に,あるいは無意識のうちに身につけてきた。そして 社会は,それらの遵守・尊重すべきルール(規範,慣習)を長い歴史の中で 形成し世代を越えて継承してきたと思う。これらのルールの中には,様々な
「作法」,つまり人と人の関係をスムースに,心地よく過ごすために必要な人 との接し方のマナーなど,さらになすべきこと,すべきでないことなどの行 為の善悪を判断する基準となる「道徳」「倫理観」も含まれよう3)。
3) このようにa. 人の行動パターン・思考パターンの意味について相互理解できる
(認識を共有できる)人たちが,b. 集団の秩序などを維持するために,法,規範,
慣習などのルールを形成した集団をさしあたり「民族」(共同体,ゲマインシャフ ト)と呼びたいと思う。
1-3 ナッシュ均衡とルールの遵守
しかし,ルールは外的で所与だとしても,その存在は誰の目にも見えない。
心の中にルールを作り,みんながルールを守る行動をとることでルールは支 えられている。そうでないと,ルールは守られない。ルールは,社会に安定 を与えることができるが,社会を構成する人たちによって守られないと実効 性をもたないのである。
「制定法や規制はそれら自体,遵守されなければ制度になりえない。たと えば,政府が制定法によってある財の輸入を禁止したとしても,もし人々が 税関吏に対して賄賂を行い,法の抜け穴を巧みにくぐり抜けることが有効だ と考え,それが一般的な慣行として蔓延するような事態が生ずるならば,
実効性をもたない法より,むしろそうした慣行を制度と見なすことが適切で ある」4)
みんながルールを尊重する原理はどのように形成されるのか。つまりルー ルを順守することが最善の方策だとみんなが内発的に考える論理的根拠は何 かについて青木昌彦氏は,興味深い分析を試みている5)。
社会のルールは,ゲーム理論における「ナッシュ均衡」6)において成立す るという。
社会生活のさまざまな局面において,自分では最適な行動と思っても,そ の結果は他者がいかなる行動をとるかによって,その「組合わせ」如何に よって予期したものと異なる結果になることが多々ある。したがって,人は 自分のとる行動が他者のとる行動との合成された結果となるので,自己の行 動の選択にあたって,他者の行動を予想したうえで最善の行動(利得が高
4) 青木昌彦(瀧澤弘和,谷口和弘訳)(2003),17 頁
5) 青木昌彦(瀧澤弘和,谷口和弘訳)(2003),14 頁− 19 頁,また青木昌彦(2008)
(第8章)も参照。
6) ゲーム理論におけるナッシュ均衡については,さしあたり岡田章(2014)(第4 章),神取道宏(2014)(第6章),伊藤秀史(2012),44 − 52 頁が参考になる。
い)を選択する。「相手が,自分の行動にどう反応するかを読みながら反応す る」7)のが通常の行動パターンである。この点は他者も同じ立場に立つ。
従って他者の行動を予想して選択したこちらの行動と,同時にこちらの行動 を予想して選択した他者の行動の組合せの中で,自分と他者にとって最も有 利な行動の「組合せ」となっているのは,お互いの読みが当たっている場合 である。これをゲーム理論を支えるキィ概念であるナッシュ均衡という。
ゲームに参加する人たちが二人でなく,多数の場合も,ゲームは複雑になる が,そのエッセンスは同じで,参加者が選択するさまざまな組み合わせ(こ れをゲーム理論特有の用語で「行動プロファイル
action profile」という)の
うち,参加者全員にとって最も利得の高い行動の組み合わせが,最善の行動 の組み合わせというわけで,これがナッシュ均衡である。したがって,その 安定状態から逸脱した行動をとれば,損をする(利得が減少する)ので,そ の状態が安定的に維持されるというわけである。こうしてナッシュ均衡にお いては,安定的な行動パターンが生まれる。ルールは,社会を構成する人々 の共有予想となり,そしてこうした行為は,人々が繰り返し,そして何度も 確認されることで目に見ないルールの存在も認知され確かなものになってい くのである。「制度が成り立っているのは,何よりも,お互いの(人々の)行 動についての期待や(行動について起こるべきことが起きたという)承認が 人々の間に確固として抱かれているからに他ならない」8)1-4 ルールの存在意義
将来は不確実性に満ちている。この不確実性の性質は,さしあたり二つに 分類できる。1.自然の不確実性,2.人と人の間の不確実性である(戦略 的不確実性)9)である。
7)青木昌彦(2014),39 頁 8)坂本多加雄(2001),59 頁
相手の行動について将来予想が白紙状態のままで,起こりうる事態が全く 予想もできない状態においては,人は行動を起こす(人との関係を結ぶ)こ とはおそらくないであろう。ルールは,このルールを無視した行動は通常あ りえない行動として選択のオプションから消去できるという意味で,人々の 行動範囲を画してくれる。ルールの存在は,人間の情報処理能力の限界を補 い,他人の行動パターンを予測するのを助けてくれるので「情報の節約」に 資するという意味で,社会の安定に役に立つ。身近な例であるが,交通ルー ルでは,わが国は左側通行(イギリス,オーストラリア,ニユージーランド なども)である。だれでも周知徹底しているはずである。卑近な例として,
たとえば山道の絶壁で前方がみえない場合の急カーブも快適にドライブをす ること(世の中にはいろんな人がいるので,もちろん最悪のケースを避ける ために少しブレーキを踏んで速度を落とすが)ができる。交通ルールとして,
そして日本国内では,車は左側通行という知識が共有されているという信頼 があるので,安心して,また余計な事を考えないでドライブを楽しめるわけ である。ルールの共有は,人と人との間の不確実性を減らし,ここは大丈夫 かなとかいわゆる「情報の雑音」を消し去ってくれるので,心安らかに景色 に集中したドライブができるという役割を果たしている。
2.市場経済とは何か
2-1 私的(プライベートな)空間
まず,私的(プライベートな)空間の話からはじめたい。
この空間では,家族,友人関係,恋愛関係,地域社会,など血縁,友情・
愛情,地縁などをベースに顔の見える,直接的な「人と人の関係」がつくら 9) 伊藤秀史(2012),45 頁
れる。こうした顔の見える関係の場合は,どうしても狭い範囲の人間関係に 限られるが,他方,狭い範囲の人との関係に限られるがゆえに,長期的関係 を形成する中で,その人の嗜好,感情の在り方,考え方,思考・行動パター ンなどいわゆる互いの個性までより深く知れるようになる。長期的関係を通 じて人情の機微まで容易に推測できるような関係が生まれてくることも多い。
ここでのキーワードは「情愛,助け合い,思いやり,怒り・憎しみ,嫉妬」
などで,人間的感情が最も発露する局面であると思う。これを充実させるに はどうすればいいのか,人生における重要なテーマである。昔から小説や映 画・舞台などで繰り返し飽きることなく描かれてきたテーマで,さまざまな 人の人生の一場面を見事に切り取り,生き生きと表現してみせ大きな感動を われわれに与えてくれた。こうした作品は,いろんな想像を掻き立ててくれ る素材を提供してくれるので興味が尽きない。
2-2 市場経済の空間
第1図は民法の規律する人と人の関係の概念図を示している。民法は,
1.所有権の絶対性(第1図における②の関係),2.契約自由の原則(第1 図における①の関係),3.過失責任主義(第1図における③の関係)の三つ の基本原理の下に,主に私人の間に生起する諸問題の法律関係を規律して いる。
第1図において,契約の主体である
A,B
という人(権利能力を持つ主 体;自然人あるいは法人)がいて,それぞれがα,βという自分の財産を所 有している。まず①の関係について。例えば,Aと
B
は,交渉の末,合意に達し,売買 契約をした。このA
とB
の関係(①の関係)を民法では,契約関係といい,契約の成立によって
A,B
間に債権・債務関係が発生する。契約関係には,売買契約以外にも,マンションの賃貸借契約,会社との雇用契約,ローン契
約等があり,社会生活を営むうえで欠かせないものである。
次に②の関係について。A,Bとその所有物α,βとの関係が所有関係
(人のモノに対する権利である物権,その中心となるのが所有権)である。
私的所有とは,所有物の使用,収益および処分の自由が法的に保証される権 利である(民法 206 条)。市場経済では,財・サービスの私的所有権が排他的 に設定されていないと,市場は円滑に機能できない。所有権者は,所有物を どのようにに使おうが自由,それを使って利益を得たり(他人に貸してレン タル料を稼ぐことも,担保に入れて金を借りたりすることもできる),そして 売ってしまうことも,まったく自由である。ここで,例えば消費者
A
と百貨 店B
との間で,売買という契約を結べば,Aが買い手で,Bが売り手となる。契約内容に従って
A
は所有財産のα(貨幣)で代金を支払い,Bは所有財産 のβ(商品)の引渡しをすれば,AとB
の契約は相互に履行されたことにな り,これで売買取引は完了する。第1図 民法の想定する私人間の社会関係を規律するモデル
出典:内田貴「民法Ⅰ,(第4版)」17頁,347頁
②
①
③
A B
α β
②
C ③
③
そして③の関係について。
不法行為による損害賠償
「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害 した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」(民法第 709 条)
「他人の身体,自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を 侵害した場合のいずれであるかを問わず,前条の規定により損害賠償 の責任を負う者は,財産以外の損害に対しても,その賠償をしなけれ ばならない。」(民法第 710 条)
③の関係は
C
がA
に対して,あるいはC
がB
に対して,例えば不法行為 を行った場合,AとB
には,Cに対する損害賠償請求権が発生する。他人か ら損害を受けた場合,一定の要件の下にたとえ契約関係がなくても,金銭の 賠償を請求できる債権が発生する。被害者のこれらの権利を救済する制度が「不法行為の制度」であり,侵害 した者(ここでは
C)に対して損害について賠償請求を可能にする制度で
ある。前述の私的空間と市場経済の空間は,国家による介入を受けることなく,
自由に私人間の社会関係を形成することを認められた空間であるが,この空 間で形成される人と人の関係は,国家権力という強制力のバックアップに よって支えられている。
安心して暮らせる社会生活を確保するためには,外に対する安全保障と,
内にあっての治安維持が不可欠である。国家が果たすべき最低限の役割が,
国民の安全保障と治安維持である。
契約は,当事者の間の自由意思に基づく「合意」によって成立する。合意 とはたしかに約束のことであるが,契約は法律上の制度で,契約の一方の当 事者が債務を履行しない場合は,国家権力(法的手段)を通じて債務の履行
を強制できるし,生じた損害について損害賠償を請求できる。こうした法的 強制力を行使できるところに法律上の制度としての契約の重みがある。
さらに司法制度が広く認識されると,予防効果が働き,契約は確実に守ら れるという信頼感が醸成され,この安心感のもとに現代の経済社会は効率的 に運営されるのである。いちいち裁判所の手を借なければならないとすれば 余分な時間と費用がかかってしまう。国民のコンプライアンス(法令遵守)
の精神が定着していることが市場経済の発展にとっても重要なのである。社 会における「法と秩序
Law & Order」の支配は,社会秩序が安定的に維持さ
れ,市場経済が大きく発展していくためには不可欠な条件である。国家権力 に裏付けられた法律などのルールによって,他人の侵害を罰し,また契約の 履行を確保する制度を作ることが,社会秩序の維持,ひいては市場経済の発 展の基盤となる。このように国家には,市場経済発展の基盤となる法制度を構築するという 重要な役割がある。国家の質が市場の質を決める主な要因であるといっても 過言ではない。
民間(私人間の関係)レベルにおける,狭い商圏で行われる長期的・継続 的取引の場合では,「評判
reputation」のメカニズムが働き,一時的利益を狙っ
た詐取的(機会主義的な)行動は,長期的な利益を損なうという合理的思考 により自制されるであろう。しかし,法制度によるルールが大きな影響力を 発揮できるのは,ひとえに法制度のバックに控える国家権力のなせる業なの である。市場経済の空間では,「私的所有」に基づく「等価物の交換」10)を通じて,
つまりモノ・サービスを介して間接的で対等な「人と人との関係(市場的人 10) 「等価物の交換」とは,お互いが等しい価値を持つと信じる「モノ・サービス・
財産権」の交換を行うことを意味する。ここで言う「モノ・サービス・財産権」と は,財に加えてサービス・情報・権利など目に見えないものも含まれる広い概念と して使っている。
間関係)」がつくられる。基本的に市場を介した顔の見えない人と人の関係 が,この空間における大きな特質である。商品の売買を通して日々間接的に 顔の見えない人間関係が作られている。グローバル化の時代,この関係は,
えっあーそうなのと思うほど世界の全然知らない人々との関係にまで広がっ ているといってよいだろう。たとえば商品売買という経済取引を考えると,
モノ・サービスとお金を介して人と人が間接的に関係づけられる。売り手と 買い手は対等な関係で,お互いが品質・価格などの売買条件に納得すれば売 買契約が結ばれる。お互いの意思決定の合致である「合意」をベースに作ら れる対等な関係である。取引を強制することは無論できないし,お互い少し でも気にくわなければ取引しなくてもよい。「またね」といって別の売り手 を探せばよい。市場経済の空間におけるキーワードは,契約自由の原則であ り,自由と対等である。そのためには社会が独占企業を許容せず,企業間の 競争状態を維持しておく必要がある。
市場においては取引という行為は,当事者の自発的な自由意思に基づいて 行われる。それだけではない。お互いが,契約を確実に履行するだろうと取 引相手を信用している必要がある。
普段コンビニやドラッグストアで買い物をする場合,我々はほとんど意識 しないが,商品を手に取って,自分の欲しい商品か,その品質や値段は適切 かをチェックして,レジで現金かカードで精算し,後は帰宅して買った財を 消費して終わりである。このような取引を「現物売買」というが,先物取引 のように契約と履行が時間的に分離している場合は,皆が安心して市場に参 加できるためには,契約履行への信頼を確保する一定の工夫が必要となる。
2-3 現物取引と先物取引
さて売買取引の二つの形態である現物取引と先物取引とは,どういう取引か。
売買取引は,何を,どれだけ,いくらで売買するかという契約が,今直ち
に履行される取引と,その履行が将来の特定日に繰り延べられる取引との二 つに大別される。前者を現物取引,直物取引,スポット取引などと呼ばれ,
後者を(広義の)先物取引と呼ばれる。先物取引は,契約の時点と契約履行 の時点が時間的に分離されている取引である。なお,先物取引は,それが店 頭市場か取引所市場かによって,先渡取引(forwards)と(狭義の)先物取引
(futures)の二つに分類されている。
先物取引は,株式,債券,為替など相場変動の大きい市場における価格リ スクを回避するヘッジング目的で利用されたりする。
例えば,価格変動が激しい性質をもつ金(ゴールド)を商売上どうしても 3ヶ月先に買わなければならないとする。何の手も打たなければ,当然,
3ヶ月たって判明するその時点の現物価格で買うことになる。安く買えて
「よかった」と思う場合もあれば,高値で買わざるを得ず「しまった」と思 うかもしれない。先物取引を活用すれば,このような不確実な価格で取引す るリスクを回避するために,今売りたいものを持っていなくても売ることが できるし,今買うお金を持っていなくても買うことができる。価格の変動が 激しい商品を扱う企業は,将来の売買価格を今決めておけるので,リスク回 避手段としてこの先物取引が役に立つわけである。このように先物取引には,
将来の取引価格をいま固定できるというメリットがある。
こうした先物取引が行われる具体的市場として,先渡市場(forwards)と先 物市場(futures)という二つのタイプの市場が併存している。
店頭市場(Over the Counter Market)で行われる先渡取引(forwards)は,相 対取引という点に大きな特徴があり,ニーズに応じて柔軟に取引条件,すな わち品質,数量などを相対交渉によって決めることができるいわゆるオー ダー・メイド契約であるが,しかしその反面,予期せぬ方向に価格が激しく 動いた場合でも,個々の取引条件の個別性が強いため,フューチャーズと違っ て途中で反対売買でポジションを手仕舞うことが困難という硬直的な面があ
る。またカウンターパーティ・リスク〈取引の相手方(カウンターパーティ)
が経営破綻などの原因で債務不履行となったときに損失を被るリスクを指 す〉が大きいので,そのため取引参加者がどうしても狭い範囲に限定されて しまう。
これに対して先物取引(futures)は,取引所によって取引条件が規格化さ れているという不便な面があるとしても,いわゆるレディーメイド契約であ るため,不特定多数の参加が可能な集団取引である。そのため先渡取引と 違って,先物ポジション(買い建てる,売り建てる)の決済は,最終決済日 までに反対売買(売り戻す,買い戻す)で先物ポジションを相殺し,当初の 契約価格と反対売買による仕切り価格の差額のみを清算できる「差金決済」
が可能である。フューチャーズの場合,契約内容が規格化されていることも あり,ほとんどの決済は反対売買の差金決済によって行われている。反対売 買によって先物取引を終了させることを「手じまう」という。ポジションと は,まだ履行されていない未決済残高のことであるが(long position買いポジ ション,short position売りポジションに分けられる),限月(最終決済月)に はすべての売買ポジションが清算される。そして,取引参加者の売りと買い の間に先物取引所を介在させ,取引所と取引参加者の間の売買という形に変 換することで,カウンターパーティ・リスクを減じるという仕組みがとられ ている。しかし反面こうした方法をとれば,一方の取引参加者の債務不履行 によるカウンターパーティ・リスクを他方の取引相手に及ぶのを防ぐことが できるが,そのリスクは取引所に集中してしまう。そこで取引所の破綻を事 前に防ぐための何らかの仕組みを工夫することが必要になる。
こうして取引相手となる取引所自身が破綻し,債務不履行を起こさないた めの制度として,1.証拠金制度,2.値洗い(mark to market);毎日の価格 変動によって生じる計算上の損益を証拠金の増減で毎日小刻みに清算する措 置が取られている。
ポジションを時価評価し,価格変動によって生じた計算上の損益を毎日小 刻みに清算する(毎日値洗い
mark to market)ことにより取引の安全性が確保
される。証拠金は,市場参加者の値動きによる損失の最大額をカバーできるような 金額〈当初証拠金(通常,取引額の3%)という〉を事前に預託させ,証拠 金がある水準(維持証拠金という)を下回ると補充するために「追い証」と いう証拠金の追加預託が請求される。それに応じないときは反対売買によっ てポジションの処分が強制されてしまう。相場の変動がいかに激しくても,
ポジションが毎日時価評価され,約定値段と時価との差額が小刻みに清算さ れるので,取引所における先物取引の安全が確保されているのである。
このように契約と履行が時間的に分離される先物市場において将来の履行 への信頼が確保されていることが,不特定多数の人たちの取引への参加を許 容し,市場が発展していける条件となっている。
2-4 市場経済の三つの特質
特質1.市場経済は「商品による商品の生産」によって支えられている いかなる経済も「何を」,「どのように」「誰のために」生産すべきかを決定 しなければならない。
われわれが安心して生きていけるためには,生活に必要とするモノ,サー ビスは,「必ず買える,どこかで売っている」ということを保障するような
「社会システム」が確立されていなければならない。市場経済における社会 的分業(職業の分化)は,商品生産 ― 流通の仕組みによって担われている。
歴史の教科書によると,古い時代から労働生産物を交換あるいは売買する マーケットは,少なくとも存在していた。しかしそこでは自給自足の経済が 支配的で,部分的に生産物の交換が行われていたにすぎない。しかし,図1 のような市場経済と呼ばれるようになり,自律的な社会システムとしての
「商品による商品の生産」へ大きく飛躍する契機となったのは,労働力と土 地の「商品化」が行われるようになってからである。自然に働きかけて作ら れる生産物ではない労働力と土地が,(本源的)生産要素の市場において商品 として取引されるようになると,企業が「生産の場」に,家計が「消費(生 活)の場」へと社会的に分離することになる。生産・消費という社会を維 持・再生産するのに必要な二つの機能を担う場が分離していくのである。
第2図 市場経済における商品と貨幣の循環図
(備考)
※「生産要素」とは,企業部門が,財・サービス(最終消費財,生産財など)を生産する ために必要とする労働力,資金,土地などの経済資源のことを指す。
※生産財(中間財など)は,企業部門内の企業間取引を通じて生産・消費される。
企業部門
(企業間取引)
家計部門
生産要素市場 財・サービス(消費財)市場
貨幣
・財・サービス(消費財)
生産要素
貨幣
生産要素
・財・サービス(消費財)
・消費財(輸入) 海外部門
・原材料・エネルギー・
生産財など(輸入)
貨幣 貨幣
・自動車など加工財(輸出)
この点について,神野直彦氏は簡潔に述べられている。「ものをつくる ために必要な土地や労働を取引するようになったことは,自給自足の経済が 終わったことを意味しています。つまり,生産する場と生活する場,あるい は生産する場と消費する場が分かれることを意味します。…家計と企業が分 離するということです。それまで家計つまり家庭は自給自足で生産する場で もあったのですが,その生産をする場が分離されて企業という場になり,家 計は企業が生産したものを購入し,企業は家計から土地を借りたり,労働を 買ったりという取引がおこなわれたということを意味します。こうして,企 業は生産する場であり,家計は消費する場,あるいは生活する場というよう に,役割が分かれたということです。」11)「私たちの社会は,生活をする「場」
と生産する「場」が離れています。これは市場社会の特色で,生活は家庭,
生産は企業と,機能をになう場が分かれてしまったのです。」12)
現代社会の経済的基盤である市場経済は,どういう仕組みの下に運営され,
その働きはいかなる特質をもつのか。
いかなる社会においても,人々の経済生活は,物・サービスの生産・分配・
消費によって支えられている。狭い範囲の共同体をベースにした「自給自 足」経済は,自分たちの生産したモノ・サービスを仲間内だけで消費する,
「生産と消費」の一致という特色をもつ経済社会である。これに対して,交 換の仕組みが発達した市場経済においては,このような「生産と消費」の一 致という制約から解放され,「生産と消費」のつながりが分離されることはす でに指摘した。そこでは,市場の発展を通じて「交換の利益」,すなわち,
(1)生産における専門化の利益(=自分の得意な生産分野に特化できる),
(2)消費における多様化の利益(交換を通じて様々な財・サービスを消費でき る)を期待できることになる。市場という交換システムの発達は,「社会的分
11) 神野直彦(2007),10 頁 12) 神野直彦(2007),193 頁
業」の発展を促し,労働生産性を高め,人々の生活水準の向上に貢献してき たことは間違いない。
ところで物とサービスの交換という場合,よく知られているように,二つ の形式がある。①貨幣のない物々交換(直接交換),②貨幣に媒介された間 接交換がそれである。貨幣がこの世に存在しない物々交換の世界は,大変不 便な世界で,物・サービスの交換に大変な労力と時間を費やさなければなら ない。なによりも交換に多大の時間を費やすことになる。歴史の教科書によ ると,大昔から人間社会はなんらかの貨幣を利用していた。交換の利益を生 む市場の発展には貨幣の生成が不可欠なのである。物々交換が非常に非効率 な理由は,交換相手を探すさいの「欲求の二重の一致」(double coincidence of
wants)の制約,つまり「自分が持っているモノを相手が欲しており,自分が
欲しているモノを相手が持っている」という限られた場合にのみ交換ができ るという厳しい制約が伴うためである。しかし,社会の誰もが交換に受け取ってくれる「貨幣と呼ばれるある特定 のモノ」が使われるようになると,この物々交換の困難は一気に解決される。
つまり,自分の持っているモノをまず貨幣と交換し,その貨幣で自分の欲し いと思っているものと交換する「間接交換」となれば,「欲求の二重の一致」
問題は解消されてしまうからである。貨幣自身は何も生み出さないが,交換 に費やされる時間と労力は大いに節約するため,効率性の高い間接交換は,
「生産における専門化」と社会的分業による「消費の多様化」の一層の展開 を支えることができるようになる。
交換過程が貨幣によって媒介されるようになると,第3図「商品流通と 貨幣流通の概念図」のように,市場においては,商品(C)を貨幣(M)に換 える「売る」(供給する),貨幣を商品に換える「買う」(需要する)というプ ロセス(C1→
M
→C
2という形態)を通じてモノとモノが交換される。この図において注意すべきポイントは,三つある
1.C1−
M
−C
2;まず売り,ついで買いのプロセスを経て,財・サービスの 交換が行なわれる。商品は市場を去って,買い手の下で(企業の生産手 段として,あるいは個人の消費財として)消費される。売り手がまず商 品を供給して,それを需要するかどうかの決定権はお金を持っている買 い手の側に選択権が与えられる,つまりそれは「ノー(NO)」と言える 仕組みである。商品経済では,お金を持っている側が強いのである。2.売りと買いがペアー(表裏一体)で,一方の買いは必ず他方に売りがあ るから成立する。
3.商品は次々と交換され,市場を離れ,財・サービスとして消費されてい く。他方,貨幣は市場内を転々と流通する。
この図の重要なメッセージは,市場経済において貨幣を手に入れる方法は,
一つしかないということである,すなわち「社会が必要とする何かを売らな ければならない」ということである。
この図では,って考えると,最初に必ず,買いの人が存在しているはず であるが,しかし,買いからはじめてもいつかは必ず売る行為が行われない
第3図 商品流通と貨幣流通
M
M C3(消費される)
M M
C C1(消費される)
C1 C2(消費される)
C2
C3 C
A:
B:
C:
D:
と,最初の貨幣は失われて戻ってこない。
もちろん借金して誰かから貨幣を調達する方法はある。しかし,必ず将来 返済する必要があり,返済するための資金は,何かを売った得たお金によっ てである。預金は,いつでも額面で日銀マネーを引き出すことができますよ,
という信頼に基づいて発行されている。銀行は,預金という決済手段を「通 貨」として貸し出すが,借り手は,「何かを売って手に入れた貨幣」で返済し なければ,借入債務(=貸付債権)はなくならない。(後述する)株式の場合,
返済する必要のない資金であるとしても,投資家は将来の見返りを期待して 投資するわけであるから,見返りの原資は,やはり「何かを売って手に入れ た貨幣」の問題に帰着する。また,この世にすでにあるもの(ストック)の 再分配(市場価格で売る)によって貨幣は入手できるが,これによっては,
社会の富を増やすことができない。ストックを売った人の貨幣は増えたとし ても,ストックを買った人の貨幣は同額だけ減少するゼロサムゲームだから である。「何かを売って手に入れた貨幣」が,社会の富の創造に結びついて いるのは,新たに生産した商品を売った場合のみである。社会の富を創造で きるのは,「商品(インプット)による商品(アウトプット)の生産」を行う 企業活動によってのみである。
また中央銀行の特権として日本銀行のみが返済の必要のない日銀マネー
(日本銀行預金,銀行券の形で)を発行できるが,日銀も市場原理に基づい て運営され,返済を前提にして(一時的に)貨幣を供給する,というのが大 原則である。もちろん中央銀行は,戦前のようにいつでも市場原理を逸脱し て暴走する危険性を秘めてはいるとしても。国家の力をバックに強制的に徴 収できるのは,政府の税金のみである。
特質2.市場経済は経済主体の分権的意思決定によって機能している 私企業は何を最大化するのか
私企業という組織は,「市場」への
output
の売上と「市場」からのinput
の 費用を差し引いた差額を最大化するという目的を持つ。売上マイナス費用を最大化するのが企業活動の目的と言われる。問題は,
この最大化の目標である差額が,付加価値か損益計算書上の最終利益なのか,
ということである。その答えは,費用をどう見るかによって異なる。
一般に,経済学者のように投下資金に対してどれだけの利益をプラスして 回収できるかを主な問題にすると,すなわち資本市場の視点からみると,企 業は利益獲得のための単なる手段に過ぎず,企業の内部組織のあり方は所与 のものとして扱わざるを得ない。このため原材料,エネルギー,機械設備の 減価償却,人件費,金利,税金等はすべて「事前」の費用に含められ,売上 からこれらの費用を差し引いた利益(リスクとリターン)が問題になる。こ うした計算が可能なのは,これらの費用はすべて市場における競争の中で決 められる,と仮定するからである。
他方,経営学者のように既に存在する企業組織のミクロの視点からみると,
まずアウトプットの売り上げからインプット(原材料,エネルギー,機械設 備の減価償却分など)の費用を控除した付加価値が問題になる。そして,付 加価値から人件費や利子,税金を引いた残余としての最終利益を計算する。
どちらの視点においても結果として,残余の利益が同じになったとしたら,
どこが違うのか? 企業組織の視点だと,人件費,利子,利益を含む付加価 値が,利害関係者の交渉力・パワーの状態で分配の仕方が変わってしまうた め,この場合には利害関係者である株主,債権者,経営者・従業員への付加 価値の分配が「事後的」に決められることになる。
さて私企業は,市場経済の中で,他企業との厳しい競争状況の中で,一連 の行為(購買 → 生産 → 販売)を繰り返し行うことでその存続・成長・発展
を図っている。大きな付加価値を生むような,顧客が望む「商品」を生産で きない企業は,市場の競争に負けて退出を余儀なくされる。たえず企業に革 新を追及する動機を与えるのが,この厳しい企業間競争である。
他方,消費主体である個人(家計)は従業員として企業に雇用され,支払 われた賃金で市場から消費財を買うことで生活を営むことになる。
市場経済は,生産,分配,消費が基本的に市場を中心に行われ,そこでの 需要と供給が,基本的に価格の変動によって調整される仕組みをもつ社会で ある。市場経済においては,厳しい競争状態におかれる企業は,価格をシグ ナルとして財・サービスの「何」を「どのように」「どれだけ」生産すべきか を決定している。また家計も価格をみながら「何を」「どれだけ」消費すべ きかを決定している。このように市場経済は生産・分配・消費などの経済活 動の意思決定が,基本的に自分たちの経済的な利益を追求している個々の経 済主体によって「分権的」になされている社会である。
商品生産の特質
「商品による商品の生産」が行き渡った市場経済になると,モノ・サービ スの「生産の性格」が,大きく変化している。自分で消費するための生産で はなくなり,市場において欲しい物を手に入れるための「交換手段」として の「商品」を生産することになる。例えば,同じ自動車会社の車でも,個人 がマイカーとして所有している場合と,自動車会社の販売店が所有している 場合とで同じ車であっても,一方は消費財であるが,他方は,商品なので ある。
モノ・サービスが,「商品」として生産されると,「商品」として次の二つ の特質をもつことになる。
すなわち,市場経済においては,
1.「商品」としてのモノ・サービスは,自分にとって使用価値(効用)を持 たないとしても,他人にとって使用価値(効用)を持つものでなければ ならない。つまり,他人が欲してくれなければ「自分が所有するモノ」
は無価値に等しい。
2.「自分が所有するモノ」は,自分が欲する「他人が所有するモノ」を手に 入れるための交換手段になるということである。
特質3.市場経済は価格という情報処理手段に導かれて機能している 高度な市場経済を発展させた先進国においては,消費財・生産財はもとよ り通貨,労働サービスや土地など大部分のモノ・サービスが,市場における 取引の対象となっていて,それらが取引される場を,生産物市場,労働市場,
土地市場,金融市場,外国為替市場などと呼ぶ。
これらのさまざまな市場における需要と供給が,さまざまな制約を受ける とはいえ基本的に価格の変動によって調整される。
市場メカニズム(価格メカニズム)は,「取引内容」(特に商品の品質と価 格条件)に関して,売り手と買い手の間の情報の非対称性が小さいほど,よ り効率的に機能する。情報格差のない市場では,「誰」と取引するかはそれ ほど重要とはならない。商品の「品質」に対して「価格」がシグナルとなり,
より良い取引条件を提示する相手を探し出すための仕組みとして優れている。
価格メカニズムは,値段が高く,品質の劣る商品を市場から駆逐し,より安 く,より良い品質の商品のみを選別し生き残るようにするメカニズムとして 作用する。これが,価格メカニズムに備わっている最大の利点である。
しかし,市場に向かない,あるいは市場がうまく機能しない領域について は,公共分野が市場をバック・アップし,あるいは代替・補完することに なる。
3.公共空間
この空間は,国民に対して合法的に強制する権限である国家権力を背景に,
いわゆる「政治」が支配する空間を指し,国民生活のあらゆる側面で法の支 配が浸透し,その遵守が強制される。公共空間を,人と人との関係という視 点から見ると,「立憲民主主義の原理」が支配する国家の下においては,「統 治されるものが統治する」という関係が形成されている。
国家とは何か。一般に次のように定義される。一定の領土,そこに住む 人々,そして人々への統治権力の三つが国家の構成要素と言われる。そして 強制力をもつ統治機構に組み込まれた(覆われた)社会を国家という13)。
社会の一員は,国家の構成員として「国民」という新たな顔をもつことに なる。国家は社会とは異なる概念であることを強調するために,「私人の共 同体」を「市民社会」という用語を使って国家と対比させることがある。
憲法の果たす役割は,統治機構としての国家のあり方の基本構造(骨格)
を決めることにある。大浜啓吉氏によると,「憲法が国をつくるのであって,
国が憲法をつくるのではありません。日本国憲法のつくった国を「日本国」,
大日本帝国憲法のつくった国を「大日本帝国」といいます。…日本国は,国 民主権を採用した近代立憲主義の国ですが,大日本帝国は天皇主権を採用し た立憲君主制の国です。両者は別の国であり,国家の基本原理が根本的に異 なります。」14)
戦前の明治憲法下においては,統治の主体(天皇)と客体(国民)とが分 離されていて,国家は天皇統治の目的で作られ,臣民を統治する手段とし て機能していた15)。
13) 部信喜(高橋和之補訂)(2002),3頁を参照
14) 大浜啓吉(2016),3頁 15) 大浜啓吉(2016),173 − 174 頁
戦前の国家体制が,戦後の立憲民主主義を基軸とする国家体制に構造的に 大転換したことの意義は大きい。なぜならば,国家に与えられる目的と役割 が,根本的に変化したことを意味するからである。
戦後の民主主義社会における国家の目的が人権保障となり,「国家は社会 に奉仕する存在」へと転換した16)。
では社会の一員である個人の尊厳と人権を守る立憲民主主義国家とはどの ような考え方に基づいて作られているのか。
戦後日本の立憲民主主義国家とは,国民の権利・自由の保護のために,国 家諸機関が法ルールによってコントロールされるべきであるという「立憲主 義の原理(法の支配と権力分立)」と国民の意思によって政治的意思決定がな されるべきであるとする「民主主義の原理」という二つの原理に基づいて構 築された国家である。
3-1 統治機構の編成原理
立憲主義(法の支配,権力分立)の原理
立憲主義の一つの柱となる「法の支配(rule of law)」という考え方のエッ センスは,権力は法によって与えられ,法に基づいて行使されなければなら ない,ということである17)。
法の支配の原理とは,「権力を法によって拘束することによって,国民の 権利・自由を擁護することを目的とする原理である。」18)人の支配(rule of
men)に対立する原理であり,「権力をもつ者が自己利益のために力づくで
人々を服従させ支配するという濫用の危険性」を防ぎ,「人々の権利を抑圧 することのないように国家権力の制限を基本目的とするもの」である。憲法16) 大浜啓吉(2016),16 頁,116 頁 17) 高橋ら「憲法Ⅰ」25 頁,「憲法Ⅱ」,4頁
18) 部信喜(高橋和之補訂)(2002),13 − 14 頁
の存在意義はまさに,法によって「権力に縛りをかける」ためにある19)。 立憲主義のもう一方の柱は,権力分立である。なぜ権力を分立させる必要 があるのか,その根拠については,次のような説明がなされるのが一般的で ある。
「権力分立は,国家権力が単一の国家機関に集中すると,権力が乱用され,
国民の権利・自由が侵されるおそれがあるので,国家の諸作用を性質に応じ て立法・行政・司法というように「区別」し,それを異なる機関に担当させ るよう「分離」し,相互に「抑制と均衡」を保たせる制度」であり,「そのね らいは,国民の権利・自由を守ることにある」20),と。
このように,国家の統治行為は,法ルールの制定(立法作用),集団的意思 の具体的執行(行政作用),ルール遵守の裁定(司法作用)の三つの分立した 権力を通じて,すなわち三つの権力の具体的な国家機関である議会,内閣−
行政組織,裁判所等を通じて実現することを意図したものである。
したがって,「特定の個人の行為を,国家の行為として考えるという約束 事」が,憲法に定められた法ルールとして人々に共有されているので,「国家 は,抽象的な存在であり,目に見えないし,手で触ることもできない」にも かかわらず,国家の名において行われる統治行為(警察官,国会議員,裁判 官,税務職員などの仕事)は,国家の許される権力の行使と見なされるので ある21)。すなわち国家権力が正統(公認された権力)とみなされるのは,そ れが憲法によって授けられたものだからである。例えば,殺人犯逮捕のさい の警察官の抑圧的行為は,法ルールに則った国家権力の行使として許されて いる。権力とは,人々に対して服従を強制しうる力を意味する。力の行使と 言っても,人を威嚇して脅したり,傷つけたりする単なる暴力と法ルールに
19) 浦部法穂(2006),11 頁− 12 頁。
20) 部信喜(高橋和之補訂)(2002),261 頁
21) 長谷部恭男(2004),4−5頁
則った国家の権力行使とは質的に違うものである22)。
もちろん国家権力に裏付けられた法ルールによって築かれる社会秩序で あったとしても,外からの強制にのみ頼っていては,強靭な持続性を保てな い。内からの遵守精神がともなっていないと,効率的な統治作用は可能で ない。
民主主義の原理
一般に,民主主義は,国民の意思に基づいて政治的意思決定がなされるべ きであるとする考え方である。国民が政治のあり方を最終的に決める決定権 を持っている。
国民の権利と自由(人権)を守ることに憲法の目的がある。憲法に定めら れた統治機構は,その目的を実現させるための手段であり,それを「国民主 権が存する国民」のコントロールの支配下におくというのが民主主義の基本 的な考え方である。こうして「国民の権利と自由」の確保に資することを目 的とする二つの手段である「法の支配・権力分立の原理」(立憲主義)と「民 主主義の原理」(「統治されるものが統治する」という国民主権)が統合して,
立憲民主主義という統治機構を支える二つの基本原理となっている23)。 しかし国民が統治機構の主人であるといっても,直接に権力の行使に関わ るわけではなく,自らの代表者を選出し,集団の意思決定とその実現を代表 者に信任せざるえない24)。「代表制が機能するためには,とりあえずであれ 何であれ,代表者が人民なり国民なりを,代表していると「みなす」ことが 不可欠です。これがあって初めて,代表者は決定を下し,物事の処理をする ことができます。「みなす」ことをしないとそもそも代表制が動かないから
22) 坂本多加雄(2001),82 頁
23) 部信喜(高橋和之補訂)(2002),17 頁,36 − 37 頁,261 頁,366 − 367 頁を参
照
24) 新藤宗幸(2008),11 頁