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地域歴史遺産の保存 佐 々木 達 夫

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地域歴史遺産の保存

佐 々木

PresepationofhealHistoricalHeritage

TatsuoSASAJQ

l.歴史遺農耕轟の 目的

金沢大学大学教育開放セ ンター公開講座の一つとして、九谷焼 を中心 とした地域の歴史遺産を 2年にわた り取 り上げた。講義名称は2004年が 「九谷焼一伝統 と創造」、2005年が 「文化遺 産 ・九谷窯跡の保存 と環境一地域が求める伝統産業の整備活用、そ して未来へー」である。

九谷焼一伝統 と創造‑」の講義 目的は次のようである。身近な伝統 を生か した地域文化の創 造 とはどういうものか。地域社会の伝統産業 ・工芸 ・文化 としての九谷焼の歴史を振 り返 り、現 代 に息づ く伝統技術 とその継承、伝統か ら生まれる新たな文化創造 を考える。九谷焼は北陸地域 の伝統産業の一つであ り、九谷焼 という伝統文化か ら地域文化の継承 と創造、伝統を生か した現 代社会のあ り方を考える。講義担当者 とテーマは次のようである。佐 々木達夫 「九谷焼の歴史 と 考古学調査」 (金沢大学)。久世健二 「九谷の伝統か ら生まれた現代陶芸」 (金沢美術工芸大学)。

中村卓夫 「九谷の美の創造過程(陶芸家)。徳田八十吉 「九谷の伝統 と現代(陶芸家)。上口昌 徳 「九谷古窯跡の保存 と活用」(古九谷修古祭実行委員長)。それぞれの講義は、九谷焼の歴史を 知る、九谷焼を芸術的に評価する、伝統 を現代芸術創造の手段 とする、九谷古窯跡の保存 と活用、

文化遺産 としての九谷古窯跡を保存 ・顕彰する意義を考える、 という題材を取 り上げた。

文化遺産 ・九谷窯跡の保存 と環境一地域が求める伝統産業の整備活用、そ して未来へー」の 講義 目的は次 のよ うである。文化財や歴 史遺産 を環境や景観 を重視 して保存 し活用す るため、

2005年春 に文化財保肯法が改正 され る。 九谷焼発祥 の地 に発見 された九谷色絵窯跡な どが 2005年春に国指定史跡に追加 され、九谷焼の発展を具体的に示す山代の窯跡は新たに国指定史 跡になる。地域の歴史遺産、 とくに伝統産業としての九谷焼の整備活用が地域内の話題 となって いる。こうした状況で地域に密着 した文化財の保存や文化財の利用 とは どういうものかを考える。

住みよい文化的環境を整えることと歴史遺産保存は深い関連があり、地域住民の立場か ら文化や 環境を考えることが重要である。講義担当者とテーマは次のようである。佐々木達夫 (金沢大学)

文化財の史跡整備 と活用」。垣内光次郎 (石川県埋蔵文化財セ ンター) 「石川県の史跡整備 と九 谷」。 田嶋正和 (加賀市窯跡展示館) 「国指定史跡 ・山代再興九谷窯跡の整備 と公開」。樫 田誠 (小松市教育委員会) 「八幡登窯 と小松市錦窯展示館の整備 と公開」。元谷信也 (山中町教育委員 会) 「国指定史跡 ・九谷磁器窯跡整備の現状」。徳田八十吉 (陶芸家) 「伝統 を生か した九谷焼の 未来への継承」。それぞれの講義は、九谷の史跡整備 と活用の必要性、石川県の九谷焼文化財行 政の経緯 と実情、地域文化財保護の整備活用の実態、伝統産業九谷焼の未来への継承 と創造、 と いう題材を取 り上げた。いずれの講義 も発表者 と参加者による質疑応答の時間をとり、参加者全 員で地域文化財 ・歴史遺産の未来を話 し合った。

筆者 :文学部教授

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受理 :平成17827日

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ll.九谷焼一伝統 と創進一 の訴義 内容 1.佐 々木達夫 .

九谷焼は江戸時代 の九谷 に築かれた古窯跡か ら始 まる。そ の生産技術や作 られた陶磁器 の実態 は発掘調査か ら知 られ、その後 の九谷焼 の様相は再興九谷'の古窯跡の発掘 と出土 した陶磁器が語 る。伝世 した色絵陶磁器は九谷焼 を代表す ると考 え られ、その美 しさや産地、年代が語 られてき たが、出土 した陶磁器は伝世九谷焼 の年代や産地 を修正 して いる・ .考古学か ら明 らか とな った九 谷焼 の歴史 を紹介 した。

2.久世健二

焼 きものは実生活 に必要な もの と心 の拠 り所 に分け られ る。欧米では古陶磁器 の写 しは再現で あ り作品ではない。 日本では写 しが技術 として評価 され、作品 と言われ る。写 さないでオ リジナ ル を作 る人も出て くる。過去 と別れ現代 の もの、置物やオブ ジェを作 る人である。焼 きものか ら 造形へ という展開で、 中村錦平や久世健二は ここに分類 され る。 九谷 の技術や装飾 を、その まま ではな く、現代的 に表現す る。古典の写 しは作品 として評価 されな い。伝統 を写す ことは芸術で はない。新たな ものを作 る ことが芸術である。

焼 きもの というと、一般 に器 を思 う。日常生活か らスペースシャ トル まで広 い範囲で使われ る。

道具 として の焼 き物は2種類 に分 け られ る。実生活 に必要な もの (物理的認識)。心 の拠 り所 と しての もの (精神的認識)。心 の拠 り所は、縄文土器 の文様 ・造形、茶碗 の文様、質感 な どが例 に挙げ られ る。造形 しな いほ うが シンプルで機能的だが、縄文時代は 自然への畏敬や不安な どか ら逃れ るため、心 の拠 り所 を必要 とした。現在は芸術、工芸の分野 と言われ る。実生活 の もの と して作 られた ものが現在は美術館 に保管 され る。工芸は美術 のなかで も低 く見 られが ちで、這 い 上がろ うとす る芸術家たちが いる。古典様式 を規範 とした表現 を した人。宋代の青磁 ・白磁写 し。

諏訪蘇 山は青磁 を写 した。 加賀藩士の子供で、1900年 にパ リ万博 に行 き、影響 を受 ける。板谷 波 山は東洋陶磁 を写 し、 ヨー ロッパのアール ヌーボーの影響がある。富本意吉はバーナー ドリー チ との出会 いがあ り、楽焼か ら中国 白磁写 しまで した。

中国 ・朝鮮 の陶磁 器 の写 し。 浜 田庄 司は益子で健康 な もの作 り、 ア クシ ョンペイ ンテ ィング (なぞ るのではな く、そ の場で行 う、 民窯では行 われて いた) を行 い、 各地 の陶磁器 を励 ま し取 り入れた。河井寛次郎は青磁 な ど、民窯 の技法 を取 り入れ、 ドベ (同 じ粘土 を手で塗 る、泥で塗 る)や型物 に粕 を振 りか けた (アクシ ョンペイ ンテ ィング)。 清水卯 ‑は貫 入の青磁。石黒宗麿 は宋代の陶磁器、褐粕、黒粕、磁JJll写 し。 田村耕一は朝鮮時代 の写 し、余 白の美、変形晶。 染付 を写 した近藤悠三は、写 しか らオ リジナルへ変わ り、 一本の筆で大胆 に描 蕃 (骨描 き したダ ミで はな い)、染付 に金彩 した。 色絵 の写 し。 北出塔次 郎は古 九谷 と再興 九谷 のア レンジと強 い線。

富本意吉は九谷色絵 の写 し、文様か ら文様 は作 らず (写 しを しな い、オ リジナル)。北大路路 山 人は九谷色絵 も写す。清水六兵衛は上絵 で金彩。加藤土師萌、藤本能道は前衛派か ら伝統へ、 九 谷 も写 した。河本五郎は瀬戸 の作家、加藤卓男は ラスター彩 を復活。 日本の古窯の写 し。北大路 路山人。 荒川豊三 は志野。加藤唐 九郎は桃 山の瀬戸美濃の写 し、志野、織部。 金重陶陽は備前の 写 し、火樺。

陶彫 ・造形、過去 と別れ現代の もの。置物、オブジェ。諏訪蘇山は置物 としての ドクロを作 り、

単なる写 しではな くオ リジナル を求めた。沼田‑雅はセーブルで学び、 アール ヌーボーの影響が

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ある。藤平伸は装飾が中まで食い込んだような作品。野 口いさむは路山人の窯で古代の造形の写 しやオブジェを焼 いた。藤本能道はオブジェ。抽象表現主義陶芸の芽生え (ClayWork,焼きも のか ら造形へ)。第1世代。走泥社の活動 と展開。八木一夫、古い技法を使 って も表現は新 しい、

黒陶。鈴木治。荒木和子、シル クスクリーンで上絵転写。中村錦平。第2世代の活動 と展開〜現 在。松田ゆ りこ、前衛的、人体の一部 に赤絵 ・五彩を描 く。松本佐平。久世健二。九谷の技術や 装飾を、そのままではな く、現代的に表現する。古九谷 も生まれた頃は前衛だった。古典の写 し、

本物に対する偽物あるいはコピー、その作品 としての評価は高 くない。伝統 を写す ことは芸術で はない。新たなものを作ることが芸術である。陶芸家 というと茶碗作 りをイメージするか ら、陶 芸家ではな く造形家 と呼ばれたい。

3.中村卓夫

今、 ものを作るために、伝統 をどう解釈するか。伝統は創造であるという岡本太郎の言葉に共 感する。九谷の技法よ り青九谷 を作 った発想を知 りたい。 自分の作品 と造形の背景を説明する。

九谷焼写 しから、オ リジナルへ移る。器 ともオブジェとも言えるものを作る。器が器であるのは、

作る側ではなく使 う側が決めることである。平面か ら空間の創造へ移 る。 見えない壁 を作 ると空 間が見える。象徴的な粘土造形 と空間の創造。伝統は芸術的創作 に関わる作家のための発想の素 材で、歴史的な事実は作家にとって重要でない。

自分の作品を解説 し、造形の背景 となったコンセプ トを年代的 に説明す る。a.器を器 として写 していた ころの作品。石膏の型に土を貼 り付けて形を作 る。金彩 (九谷 らしい)C象眼色絵。鉄 絵の中を抜いて窓内に染付な どで絵 を描 く技法。 こうした点は九谷 らしい。b.個展の機会があっ た。初めてのデパー トにおける個展では、九谷風ではないものをという注文がついた。技法を含 めてオ リジナルであるべきだ と考えた。梅山は作っているが壊 していない。土の塊を削 り、貼 り、

叩き、ぶつける。始めにお もしろい形を探す。それに穴 を開けると水指 となる。蓋を付け、首を 付けると使える器 となる。花瓶、香炉、水指。形ができた ら、それか ら後 に象眼、色 を考える。

伝統的な文様を取 り入れる、吸坂手の白く抜けた器が衝撃的だったので取 り入れ、中国の把手注 口付瓶の首のみを箱に付ける。焼 くとき割れないように、中を荒 くり抜 く、ついで外側が乾燥 してか ら内部の濡れた部分をさらに削る。白土 と赤土は収縮率が違 う、赤土を先に作 り乾燥させ、

数 ミリ削 り、その後 に白土を貼 り付けて、収縮後の大きさを合わせる。C.ぎ りぎ り器。オブジェ と器の境 目を求める、 どち らとも言えるような もの。垂木、柱を見た とき器になると感 じた。器 が器であるのは、作る側ではな く、使 う側が決める。粘土の板状塊 を針金で削 り取 り、底の一部 を削ると土の重さで表面が沈み、そ こが皿になる。5個の組の皿があるが、それが1つになった ときの形を考え、同 じ粘土板 を5つ重ね る。たた ら作 りの板状粘土 を針金で切 り取 り、中を 抜き、針金で削った薄い板を重ねて載せると、移動 した板は伸びて波打つ。たた ら、針金で削 り、

重ね る。九谷の色絵 を象眼する。低 い温度で焼 いた ものを象眼する。d.一人歩 きの器。 いつも横 向きで粘土を削るので、生の土を立ててみる。 2つ合わせ、 3つ合わせ。お もしろい形ができる。

皿を付けると燭台になる。立ててみると、平面か ら空間に変わる。e. 日本の伝統 には壁がな いという人がいた。見えない壁がある、神社の鳥居は壁 といえるか。結界、お茶の世界、実際の 壁ではないものを壁 と見なす考えがある。L形を2つ並べると、間に空間が見える。蝋燭 を灯す。

見えない空間を切 り取ると空間が見える。器 と空間。f.西洋料理で皿 を2枚重ねてだ し、上の皿 は取 り替え、下の皿は位置を示す。四角の皿を重ねて、実際に料理 を載せて使 う。ギ ャラリーの

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大きさの関係で4つのテーブル、4人のみ食事ができるという展覧会。g.茶壷。新年の茶会の口 切 り、新茶。壷を床の間に置 く代わ りに、茶壷の口を切った象徴 として組紐で飾る発想をし、粘 土板を立てて表す。h.す り抜ける器。多 くの粘土板を並べて立て、空間を作る。

最近、伝統工芸 と表現派、2つの物を並べて展示 した。伝統工芸品 と呼ばれない産業工芸品も 百年も続 くと伝統だろう。粘土板を並べると、土の重 さで自然に変形 していく面白さ。積み木の ように並べると、皿にも箱にも変化 し、使 う人と共に器を作ることにな り、それが創造である。

物を作るには同時代性 も重要で、淋派は古九谷 と同時代だか ら関心があ り、同時に縄文土器でも 作る発想のためには同列に扱 う。物を作る側にとって、鑑定ではな く批評が大事。伝統は創造で ある。淋派の留守絵、人がいない場面の花、抽象化、象徴化、 日本の美の表現方法、同じ時代の 古九谷にも同 じ発想がある。作品を選ばれることを望む、価格設定は作る側がすることによ り、

客 を選ぶ。魯山人でさえ思想のない器は しょうがない、生活感 をもて と言った。技法でな く、置 かれる空間や使 う人の生活の仕方を考えてものを作る。作ったものを買った人の生活 に合うよう に配置 したことがある。

4.徳田八十吉

自分の周 りにあった伝統や見た り聞いた りしたものを組み合わせて、新たなものを作ることが 創造である。創造が継続 していくのが伝統である。徳田の創作である耀彩は新たな九谷の伝統 と なる。初代は古九谷が好きで古九谷再現技術は優れていたが、古九谷の再現のみに集中しこだわ り、創作ができなかった。二代は九谷焼に戻れ と言い、それに反発 したが、 しだいに抽象絵画か ら伝統工芸や九谷焼に移った。九谷の五彩にこだわると色が制約されたが、色は無限にあること に気づいて九谷か ら解放 された。今の仕事は無限のグラデーションをもつ色を表現することであ る。伝統 と創造、伝承 と技術。創世、神の摂理、創造 ・伝承、個 々の集積、個の表現。創造 と継 承が伝統であ り、伝統 とは継続である。不連続の連続。若い頃は見えるもの等に対 して疑問があ り、 自分のなかには何 もないと考えた。 しか し、初めか ら自分の中にいろいろなものがあったと 思 うようになる。見た り聞いた りしたもの、すでにあったものを、組み合わせることが創造であ り、それを創世と呼ぶ。 自分が作ったと思ったが、 自然にあったものを組み合わせたに過ぎない と思 うようになった。 いろいろな ものを含む個人は過去未来を含めてその人は 1人しかいない。

世界に 1人しかいない人が作るものは創造である。

昭和27年に大学生にな り、共産主義に没頭 したこともある。古九谷は絵 を描 くことだ と思っ た。現代美術の勉強をした。表現主義、キュービズム、抽象絵画、絵ばか りでな く焼きものは造 形だか ら形にも興味をもつ。 当時の世界、取 り巻 く環境が作るものに影響 している。絵は退色す るが陶磁器は退色 しないめで、絵描きが初代八十吉をよく訪ねて来た。その人たちにアーチス ト になるつもりか と尋ね られ、アーチス トは法律や社会等を否定 しなければな らないと言われた。

新 しいものを、頭の中にあるものを、創造 したいと思 っていたが、芸術家ではな く陶工になるの が良いと思った。具象は古 いと錯覚 していた。既製のものに反発 していた。絵を描 くことと、粘 土で造形することは別のものであ り、 日展では落選 し続け、17年 目に入選 した。二代八十吉は 九谷焼に戻れ と常に言い、それに反発 したが、しだいに抽象絵画か ら伝統工芸や九谷焼に移った。

伝統工芸、文化財、その技術 をもっている人を指定 して保茸する重要無形文化財 (人間国宝)に なることが50歳まで良いことと考えていた。 しか し法律の改正があ り、1.芸術上の、2. 芸上の、3.地方を代表する、顕著な人を重要無形文化財にすることにな り、芸術上の良い作品

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を作るのを目的 とする。 九谷が重荷 になっていた。九谷の五彩 にこだわると、色は制約 された。

しか し、色は無限にあることに気づき、九谷か ら解放 された。今の仕事は無限のグラデーション をもつ色の表現である。高村は工芸家の仕事は一本の線を見つけることだ と言った。

自分に合う線は一本 しかない。展覧会のため、受賞のために作るのではな く、物を作る為に作 る。受賞などを意識 して作るのはだめだ。二代八十吉は 日展が終わると、残 り364日と言って仕 事の始 まりとした。徳田は3年で3つ と考えて物 を作 り、その うち展覧会のためということを忘 れることができた。初代は古九谷にこだわったが、徳田は古 九谷ばか りでな く、九谷全体 を見た。

集積 されたものを、集めて組み合わせて作るのが創造である。創造が継続 していくのが伝統で ある。作ることはすべて を出 し尽 くす ので、新たに組み合わせ る ものを見つける ことになる。

個々に集積 したものを組み合わせて創造する。新たな作品は創造であるが、すべて新たなもので はない。 自分というものは他に無いので、個々人の作 るものは個性 となる。 九谷や抽象芸術にこ だわる。個人が新たに作った ものはないが、今 まで個人のなかに集積 されたものを集めると、個 人は一人しかいないので,それが個性のある創造 となる。徳田の家に生まれた こと、周囲に九谷 焼があった こと、 これは幸運な ことであ り、人よ りも優位な立場 にあった。九谷というものがあ るので、それを生か していく。富本か ら言われた、技術 に優れた人よ りも、作品のなかに人がい るものを作 る。完壁なものを作るのではな く、隙のある花瓶 を作 って花 を生ける。32歳で 日展 審査員 となった。スライ ドで古九谷、虎の皿、キジの皿、育手な どを紹介。清朝の写 しの和風の 絵柄は、それまでの九谷 と違 い、九谷に新風 を入れた。九谷は様式の変化 と色絵が主である。表 現方法は違 い、古九谷や九谷等がある。断続 して伝わる、それが伝統。九谷庄三は九谷ではない と言われた。小松ではな く寺井であ り、金ぴかであったか ら。 しか し、それ も九谷焼である。徳 田が作 った耀彩 も九谷焼の 1つの様式であ り、その写 しで産業が興れば良いことだ。作る人を育 てると同時に、使 う人を育てることが大事だ。使 う人が多ければ、職人は大勢いることができる。

重要無形文化財は使 う人がいな くて も、作る人を保証する制度。作家 と職人は違 う。

5.上 口昌徳

温泉旅館 を経営 している。昭和51年は、220人宿 を10人宿 に変えた年で、後藤歳次郎320 年祭に因んで第1回古九谷修古祭を始めた。九谷ダムで九谷が沈む ことに反対であった。 フリア 美術館ポープが発掘を打診 してきて、費用は美術館が負担 し出土品の半分 を欲 しいと言 う。他の 人が九谷の重要性 を説くのに、なぜ地元で大事にしないのか と思 った。古九谷修古祭を旅館 衆の拠金で始め、一流の人を呼び、九谷焼の大事さや歴史的重要性 を地元 に訴えた。 先祖の後藤 歳次郎の法要か ら始めて 29回 となる。祭 りが観光収入になっていない。 九谷窯跡の出土品は地 元に置 くのがいい。 しか し、保存管理する組織や建物が地元にな く、山中に九谷を生業 とする人 がいない。谷川徹三が伝統工芸の大事 さと家業を継 ぐ決断を与えて くれた。家業を継いで、大事 な古九谷を世界に宣伝することの重要性 を知った。白洲昌子の店で帯などを土産に買い、 自分の 美意識、感性でものを選ぶ ことを知った。本物偽物ではな く感性で選ぶ。器は自分の手のなかで 選ぶ。食 と器の組み合わせを追求する。

古九谷の産地論争。古九谷は荒々しく様式化 しないので、古九谷 として残 った。加賀は美の追 究音として続き、質や志の高さを追求 して欲 しい。九谷の美の心は今 に残 っている。貧農の池田 さんでさえ美しい五彩の皿を使 っていた。九谷の人たちが持っていた陶磁器は良い物が多 く、そ れ を選ぶ 目を持っていた。明治44年の元九谷銘がある焼 きものを紹介す る。石川県南端の九谷

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を蘇 らす ことは、石川県 を盛 り立てることである。山中で窯跡 を保存 ・活用することの意義 を感 じている。地元作家の作 ?た陶磁器を修古祭で販売 し、収益金が1900万円あ り、保存 に活用 し たい。九谷焼は九谷か ら始 ま り、小松や寺井な どに広がった。それ をつな ぐ古九谷歴史街道 を作 り、周辺 に住む作家 も顕在化 させたい。文化 としての観光 を進めることを周辺の商工会議所で検 討 している。

全体の繁栄があって個 の繁栄 となる。全体の邪魔 になってはいけない。 このままでは東京 に食 い尽 くされる。今は街並みの美 しい山中町 とな り、文化で飯 を食 う意味がわかった と町の人は言 うが、生活そのものが文化なので、文化で飯 を食 うというのは良 くない。今生きることの大事 さ と同時に、未来 を作ることの重要 さ。7月にカナダに木地師 を連れて行 く、職人に同 じような職 人の環境 を見せて、職人に地元 を考 えさせる。歴史を大事にする ことが これか らを生き抜 くこと だ。東京 を反面教師 とす る。石川県 には 自然 と歴史があ り、一番廃れ ると言われている珠洲が生 き残るだろう。小 さな町や村 を生き残 らせるのは、物作 りであ り、職人だ。山中塗 りは以前の半 分の売 り上げだが、韓国か ら持 ってきて売るので、職人が激減 した。職人とその製品を大事 にす べきだ。職人が貧 しく、問屋が金持ちなのは、間違 いだ。物作 り職人による町の活性化。

川. 文化遺産 ・九谷窯跡の保存 と環境

一地域が求める伝統産業の整備活用、そ して未来へ‑ の講義内容 1.佐 々木達夫

平成17年に文化財保護法が改正 された。改正の主眼は、文化財や歴史遺産 を環境や景観を重 視 して保存 し活用することにある。以前は保存することが主 目的だったが、保存のみでな く、活 用することまで話題 になる。文化財 に対す る考え方や扱 いも変化がみ られる。文化財は地域社会 のなかで保存するのが好 ましい。文化財が伝わる地域の人々が とくに関心 をもち、 ときどき訪れ る場所であると活用の仕方 も検討 しやす い。地域社会の人々の文化財への関心は、伝統産業を顕 彰するイベン トな どで高 まる こともある。地域の魅力というものは、そ こで豊かに住むために必 要な ことであ り、外か ら訪れる人を呼び寄せる文化的魅力にもなる。

地域活性化のなかに文化財 を取 り入れると良い面がある。 しか し、文化財は儲かるものではな い。金儲 けをする材料 と考える人もいるが、観光 に利用 した として も、金儲けができる遺跡はき わめて少数である。 しか し、温泉の宿泊者が地域の文化や伝統にふれる機会 を提供す ることがで きる。 日本人ばか りでな く外国人も文化財や文化遺産 に関心 をもつには、 どのよ うな方法で情報 を公開 していくかを検討す る。伝統 と文化 に包 まれた質の高い地域社会は、暮 らし安 い社会であ り、地域社会の文化力 とな り、文化財や文化遺産を保存する基礎的な力となる。

文化遺産 としての九谷焼 を話題 にする。 九谷焼の発祥の地及びその発展 を具体的に示す九谷 と 山代の窯跡が、平成172月に国指定史跡及び追加指定 となった。地域 の歴史遺産 とも言 うべ き伝統産業の基礎 となった九谷焼の整備活用が緊急の課題 となっている。伝統 に支え られて現在 の九谷焼 きが作 られているが、歴 史遺産 を生かす ことは現在 と将来の九谷焼 きを考えることにも なる。地域 に密着 した文化財 の保存 と利用を、話題の中心 にお く。住みよい文化的環境を整える ことと、歴史遺産の保存は密接な関係がある。地域住民の立場か ら文化や環境 を考える ことは、

自らが暮 らし安 い生活の場 を作 ることになる。美術館 には九谷焼 きが展示 され、石川県 には焼 き 物の愛好者 も大勢いる。 九谷焼 きに関連する文化財の史跡整備 と活用の現状 と実態を点検 し、 こ

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れか らどうするか という夢 を語 りた い。 文化遺産の保存や整備が、未来の九谷焼 に生か される こ とは大切な ことである。伝統産業九谷焼 の未来への継承 と、創造 の世界 も話題 とする。

2.垣内光次郎

国の史跡指定は保存 し利用す るため。石川県 には国指定史跡は20件 あ り、記念物全体41の半 分 を占める。石川県 で も75件 の史跡指定がある。 国の史跡は重要文化財 にあた り、特別史跡は 国宝 にあたる。福井県の一乗谷朝倉氏遺跡は特別史跡である。

保存するには、現状 を保 ち、活用のために整備す る費用 は国がだす。整備 には民有地では問題 が あるので公有地化が望 ま しい。七尾城跡、鳥越城跡は整備が進んで いる。 九谷窯跡は九谷ダム 関連で遺跡内に道路ができ、整備は これか らの問題である。 史跡 九谷磁器窯跡 に戦国時代か ら続 く屋敷や工房跡が今年追加指定 された。併せて山代の吉田屋窯跡 も九谷吉 田屋 と関連す るので史 跡 とな った。そのため、江戸時代前期、後期、明治初の九谷焼 の窯跡が史跡 と して保存 される こ ととな り、九谷焼 の歴 史を知 る うえで重要な出来事 となった。徳 田錦窯跡で錦窯が保存 され、八 幡登窯跡展示館で5室 の登窯跡が保存 されている。焼 きものを作 った場所 と構造 は、現代 に残 る 登窯、錦窯 を見 ることで理解で き、江戸時代の史跡の理解 にたいへん重要な役割 を果た している。

史跡整備は平面的であ り立体性 に欠けるか ら、少 し前の残 っている窯は、保存 して残すべ きであ る。九谷窯跡の整備 と公開方法は、 これか らの課題である。

3.田嶋正和

山代 に窯跡があった ことは知 られて いたが、平成2年 に吉 田屋特有 のねず み素地が発見 されて 確認 された。個人の住宅があったが加賀市が負 い上げ、平成7年の発掘で窯跡 も発見 された。吉 田屋で始めて レンガ を使用す るが、外側面で も焼 けた部分があった。 九谷吉田屋窯跡の レンガが 山代吉 田屋窯跡で使用 された。 永楽の印のある染付 もある。京都か ら来た永楽和善ではな く、そ の後 の人が作 った ものが多 い。 最近 まで永楽 の印 を押 して いる。 「2538年 (明治8年) ・・

加賀江沼郡 ・・塚谷 ・」。窯跡、水猿 の場、文献、製品が残 るのは全国的 に も珍 しい。文政9 年、10年の文書の紹介。窯跡隣に寿楽窯がある。展示館 として公 開 している。展示建物 は 目立 たない。遺跡 と建物 の どち らが主役か。窯跡は保存のため樹脂加工で強化 して いる。 昭和15 建設の窯小屋 と登窯跡があ り、加賀市では もっとも古 い窯である。 天井部分のみ残 らな い。展示 公開されたので、山代温泉 の活性化 につなが って いる。 小松や寺井の産業 九谷、江沼は一点 もの

という、地域的特徴があ り、両方が必要である。

4.樫 田誠

小松市 には八幡登窯展示館 と錦窯展 示館が ある。登窯 は昭和40年頃 まで使用 されて いたが、

昭和48年 に小松市 の指定 とな り、その後 、小松市 に寄贈 された。 整備 して展示 して いる。計画 変更があ り、予算 も決 まっていたので、樫 田が個 人的に粘土 を積 むな どを した。八幡 は今 も陶彫 が盛んで、通路 に型 を並べ る。サヤ を室内に置 く。展示室 に焼 きものの歴史 (須恵器か ら若杉 ま で)、及び型作 りや絵筆、絵 の具な どの道具 を展示 ・解 説す る。 管理運営 は教育委員会が行 い、

八幡町内会 と八陶会が共同で解説を している。 自主企画 の展示 もある。錦窯展示館は古 い趣のあ る道路 に面 しているが、駐車場がない。徳田八十吉の旧住居 と錦窯 を残 し、その間に蔵 を利用 し た展示室 を作 る。昭和7年 に壊れ、昭和 8年 に錦窯 を築 いた ときの写真を紹介。昭和 36、47年

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にも修復 している。旧住宅の雰囲気を残 した展示室の紹介。小松市立博物館の分館のようにして 小松市立錦窯展示館 として平成11年か ら管理運営 している。錦会 (陶芸家 ・美術商 ・町内会) が企画 ・立案の助言 ・支援 をしている。素地生産 と絵付けの両方の窯跡が保存された。小松市に は須恵器窯跡が数百ある。地域の手工業伝統や地盤のうえに九谷焼 も位置づけられ、そのような 特色をもつ博物館を作 りたい。

5.元谷信也

九谷窯跡は九谷ダムで沈む可能性があった。昭和34年、山中町が調査 し、町指定史跡 となる。

加賀古窯跡研究会 (寺前為‑)の働きかけがあ り、昭和45年に石川県が調査 を開始 した。窯跡 と出土品は昭和47年に石川県指定史跡、昭和54年には九谷磁器窯跡 として国指定史跡 となる。

百年に一度の大雨で九谷部落が沈む可能性があるので、買い上げ となる。砂子へ行 く道路 を山際 に付け替える計画があ り、発掘調査が行われた。屋敷が発見 され、 トイ レ跡、山中塗 りのルーツ となる遺跡 も尭見された。 九谷坊の推定地はテラヤシキ、 ビクニヤシキであろう。広 い範囲の追 跡調査や整備が必要である。 九谷遺跡 と窯跡 も関連があ り、平成17年に国追加指定 された。町 単独の調査 も行 い、専門員がいないので、平成15年は調査団方式をとり、平成16‑17年は加 賀市職員の派遣 となった。・基本計画を作成 し、昭和56年に用地公有化 したが、1人分のみ民有 地が残る。最近、会計検査員か ら、金をかけたのに何 もしていないと指摘された。現状は人が住 んでいない、雪が深い、等の難 しい面がある。

遺跡保存のみでな く復元 しレプ リカを作る積極的な活用を計る案 と、ひっそ りとたたずむ九谷 の古里案がある。指定地内には建物が造れない。指定地外に建物を造 るには用地買収か ら始まる。

人がいない場所で管理ができるか という問題。追加指定に必要な部分の測量や試掘 を平成17 に行 う。平成15‑17年の調査報告の刊行。追加指定地の公有地化。一部の民有地の公有地化。

今後は旧県道部分の整備のための発掘調査が必要か。保存管理、保存整備計画。整備は平成19 年度か らとなるか。保存はできるが、活用する計画が問題 となる。温泉 と九谷焼 と結びつけるの が良いか。山中、山代な どの温泉、寺井などの産地 とも結びつける五彩 ロー ド、親水公園な どの 案がある。整備には10億円が必要だが、財政難だか ら整備費をだすのは難 しい。保存整備活用 10月合併予定の加賀市計画のなかで検討される。

6.徳田八十吉

作家は伝世品か ら知識 を得る。国宝の焼 きものは6点 しかない。昭和 20年、小学 6年の敗戦 は大きな変化だった。あな窯 とガス窯を使 う2人がいた。誰 もがガス窯の製品が良いと言ってい たが、あな窯のほ うが人間国宝 となった。40歳頃に日展か ら伝統工芸展に変わった。その頃か ら伝統を考えた。社会のなかで伝統 と創造が交錯 して変化 していく。物が生まれ、流行 し、廃れ、

新たに創造 される。常 に変化 している。古九谷を写す と、継承であ り、流行である。1点 もの、

大量生産 という数の問題ではない。伝承は古典の模写、過去 にあった ものを技術的に継承するこ と。伝統は新たに創造す ること。絵画で も考えが変わると、様式が変わる。 目に映ったものを描 くことか ら、 自分の頭のなかで組み立てる様式に変わる。心のなかだけを見て描 く。絵画は変化 し、その最先端にいる人が創造である。徳田は海外で8回、展覧会をした。九谷庄三 と百年後の 徳田をパ リの展示で並べた。パ リ万博、明治11年頃、九谷は輸出の一位であった。その頃は 日 本の絵が描かれている。現代の作品は一人一人違 う作品である。

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文化財には有形 と無形がある。昭和24年に文化財法を変更する。無形文化財 を作 る。昭和24 年に法隆寺が焼けた。 当時の 日本には文化財 を守る能力がないとGHQが考 え、伝統芸能、伝統 工芸な どを保存するため、法律を拒る。初代徳田は古典の模写を したか ら無形文化財 になる。昭 29年に文化財法の改正があ り、滅びつつある伝統工芸を保背す るため、 3つの要素が挙げ ら れた。芸術上の価値ある人、工芸上の価値ある人、あるいは芸術上 ・工芸上で地域の価値がある 人に、無形文化財が与えられる。古九谷写 しをしていたが、模倣では無形文化財になれない。芸 術上の価値が問われる。そのため古九谷を写す ことは止めた。伝統 と伝承 とは峻別されるべきで ある。 しか し日本にはその区別がない。美 しいものが芸術 ・美術である。模写は美しければ 日本 では芸術であるが、外国では美 しくとも模写は芸術ではない。日本では美 しさが年齢で変化する。

評価が定まるには時間がかかる。現代の作品は評価がまだ定まっていない。今 と将来の評価は違 う。評価 と価値は違 う。

lV.歴史遺産講義で取 り上げた地域社会 との関わ り 1. 関連講義の開催

私たちの歴史や文化 を伝 える地域の文化財が どのよ うな状態にあるかを話題 に取 り上げて き た。文化 とは身近な社会の伝統 を愛 し伝統 を継承することであるが、伝統 を否定 して創造するこ とで新たな伝統 を作 り出す役割 を果たす 人もいる。そ うした積み重ねが地域 の歴史である。20 世紀は、伝統を否定する面 と、江戸や大正時代への復古的 ・回顧的な動きの面 と両方があった。

これか らの文化財の保存と継承 ・活用そ して伝統か ら生まれる創造は どうあるべきか。社会情勢 の変化や私たちの生き方 と意識や価値観の変化 も、文化財の保護 ・活用に影響を与えている。

金沢大学文学部考古学研究室は歴史遺産の現状 ・保存 ・活用について、大学教育開放セ ンター 公開講義の内容に関連する4回の公開講座 「文化財 を考 える (14)を開いた。第1回研究 (19991113日)。橋本澄夫 「北陸の埋蔵文化財行政の変遷」 (石川県考古学研究会)。 田 嶋明人 「出土品の取 り扱い等、諸基準をめぐって(石川県教育委員会)。宮下幸夫 「行政 と研究 者の狭間で(小松市教育委員会)。増山仁 「金沢城下町の発掘調査(金沢市教育委員会)。第2 回研究会(2000219日)。谷内尾晋司 (石川県埋蔵文化財セ ンター) 「石川県の埋蔵文化財 保護行政の現状 と課題」。折戸靖幸 (高松町教育委員会) 「高松町の史跡整備」。宮田進一 (富山 県埋蔵文化財セ ンター) 「富山県の遺跡保護の一例」。田嶋明人 (石川県教育委員会) 「発掘調査 の基準」。第3回研究会(2OO0415日)。田嶋明人 (石川県教育委員会)

r

文化財保埠法改正 に伴 う諸問題 ・石川県の場合」。安念幹倫(富山県教育委員会)「文化財保護法改正に伴 う諸問題 一 富山県 の場合‑」。宮本哲郎(金沢市教育委員会)「埋蔵文化財保護 と踏査」。第4回研究会(2004 116日)。田嶋明人 (石川県教育委員会) 「石川県の文化財」。栃木英道 (石川県教育委員会)

石川県の埋蔵文化財保護行政」。折戸靖幸 (かは く市教育委員会) 「市町村合併 と文化財保護」。

庄田知充 (金沢市教育委員会) 「金沢市の近世遺跡 と文化財保護」。

こうした公開講座を通 して地域の歴史遺産のあ り方を市民と考えてきた。そ うした成果 を背景 に、大学教育開放セ ンターの公開講義では、歴 史遺産のなかでも伝統産業 としての九谷焼 に焦点 を当て、現状の課題 を論 じた。

2.歴史遺産保護の考え方

地域の歴史や文化を伝える文化財 ・歴史遺産は社会資本整備に関連 して話題 になる。文化財の

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豊かさを楽 しむのではな く、急激な社会変化 に伴 う歴史遺産の破壊が主な原因である。生活環境 を良くするため道路や公共施設 ・自然公園の建設は重要であるが、社会資本が整備 されるにつれ 文化的豊かさも同時に求め られる。生活の豊かさには物 と心の両面があるが、建設 と経済効率を 重点化 し競争原理を取 り入れた面のみが 目立ち、同 じく大事にすべき心の豊かさが疎かにされた。

20世紀後半は 日本全土で追跡破壊が広が り、政策担 当者や民間経営者の教養や文化的知性が問 われ、文化を研究 し教育する大学の文化的低 さも問題 となった。過去の文化を地下に残す埋蔵文 化財は、遺跡の新発見 として新聞を華 々 しく飾る反面、建琴工事の邪魔 と遺跡 を憎む人 もいた。

遺跡の周知が進んだ今、遺跡のある土地 を購入開発する業者は減少 した。文化をどのように考え 対応するかは、社会の現状 と我々の意識を反映 して変化 し続けている。

社会文化には身近な地域社会の伝統 を愛 し、 くつろげ る心豊かな社会に生きることが含 まれ、

そ うした文化の積み重ねが地域文化の歴史である。豊かな地域内の歴史文化を基礎 として、現代 にそ して未来に適合する伝統のなかか ら継承 と創造が同時進行す る社会を今作 り出す。過去の文 化財を今使い切 り消滅させるのではな く、未来への遺産 として残 し伝えることも、過去 と未来を 結ぶ現在にいる私たちの果たす役割である。私たちとは文化財の専門家や歴 史家、政治家 ・行政 担当者 も含むが、現在に忙 しく生きる さまざまな職業に携わるすべての人をさす。文化を享受 し て生きることに個人や立場の違 いはない。 自分の職業を追求することで社会に貢献するという立 場よ り、 自分の専門的活動の合間に少 しでも社会に役に立つ行動 もとるほうが良い。地域文化は 行政担当者や研究者な ど専門家の専任事項ではな く、地域に住む人のものである。大学内で市民

と学ぶ公開講座で文化遺産を話題にするのは このためである。

多 くの文化財 ・歴史遺産が快適な社会建設を求める土木工事によって破壊 され変貌する今、文 化財の扱いや保存はどうあるべきか。何を残 し、何 を壊すか。世界遺産 と国指定史跡 ・県市町村 史跡 との違いは何か。史跡指定 されていない文化財の価値をどのように評価するか。文化財の教 育 と研究はどの方向へ向かい、大学教育のなかで どこに位置づけるか。社会の豊かさは物 と心の 豊かさだ と言 うべきか。文化財は現在の社会でもまだ不要な ものか。文化財は一部の人たちのも のか。世界遺産に登録 された文化財は国際的観光地 として経済的に利用 されるが、その陰で地域 に密着 した多数の文化財が消えていることをどう評価するか。身近な地域社会で どのように文化 財が保護、活用されているか。遺跡 とは壊れた ものをいうが、遺跡すなわち死に擬 した病人に鞭 打って働かせる経済効率優先の文化財利用は地域興 Lとして好 ましいのか。 どのような問題 に各 地域の人々は悩んでいるのか。地域に共通する文化財問題の実体 を探 り、消えつつある文化財 と

くに歴史遺産を保護する立場か ら問題 を考える。

遺跡は地域の歴史と文化を伝える人類共通の歴史的遺産である。身近な遺跡は所在する土地所 有者のものであると同時に、歴史遺産 として人類全体のものである。一度失われると遺跡 ・遺構 の復元は不可能 とな り、その保存を策定することは重要である。残すだけでも意義はあるが、そ の価値 をよ り引き出すために活用等の方策 も重要 となる。地域やわが国を正 しく理解する上で、

歴史教育は欠かせない。子供たちの歴史体験の大切な教材にもなる。本物を体験 し触れる感激は 大事である。身近な地域でも、他の国々について も同様のことが言える。ただ し、保存方法や活 用の仕方は多 くの例 と考え方があ り、個別に検討することが必要である。一般的に保存、活用は 遅れ気味である。

遺跡 とは壊れた もの、壊れる途中のものをいう。完全に壊れると痕跡 も消えて遺跡ではな くな る。学問的に重要な意味をもつ地下に埋もれたものが埋蔵文化財で、 とくに時代は限定 しない。地

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上に残る建造物も文化財、伝統的建造物、歴史遺産等 と呼ばれ、遺跡 として埋蔵文化財 と同じ歴史 遺産である。石作 り建物等は表面的によく残るように見えて も、材質的に痛んでお り、劣化に関 し て埋もれたものと地上に残るものは同 じ問題を抱える。文化財は歴 史 ・文化を具体的に示 し、それ 自体が重要で、保存や活用の価値がある。そのまま保存する価値以外に、別の価値を求める動きも ある。..博物館展示による活用は以前か ら行われ、学校教育、社会教育における資源 としても活用さ れている。しか し、本来壊れやすい文化財を野外展示で活用することは、破壊 を早めることになる。

保存と活用の調和は科学技術の進展によって変化 しつつあるが難 しい問題である。

文化財を地域開発 と地域の活性化に用いる意見は多い。文化財利用の一つの面である。しか し、

それができない遺跡は価値がないと言 うのは、文化財に対す る理解が欠けている。観光 という目 的 に役立つためだけに遺跡保存するのではな く、遺跡それ 自体の価値で保存す る。 しか し、地元 民に見放 され観光客 も見に来ない文化財は社会的価値が低 い。観光資源 として利用す ることは望 ま しいが、観光 によって破壊が進行す ることが多い。遺跡内及び遺跡周辺 に居住する住民の対応 は問題である。地域教育の面か ら、観光客の立場か ら考えることも重要である。私たちが遺跡に 行 くとき、珍 しいか ら、有名だか ら、地域の伝統 を知るのに適 しているか ら、古代のロマ ンがあ るか ら、研究のため、等 といろいろな動機や 目的がある。観光客は地元に金を落 とすために遺跡 を訪ね るのではない。住民は金儲けに遺跡を利用するのではな く、観光客 の心地よい、便利な遺 跡見学のために何ができるかを考える。その結果 として多 くの観光客が遺跡を訪れ、地元 に金 を 落 とせば地域も潤 う。

観光客 として遺跡を訪れる場合、遺跡の情報が得やす く、遺跡への交通 も便利で、遺跡内に案 内板があ り、安全 に気持ちよ く見学できると良い。遺跡の場所がわか らず、行 くのが大変で、草 が生い茂 り、 トイ レもな く、土産物売 り場が 目障 りだ という場所 もある。遺跡 と周辺環境の調和、

周辺環境の整備 と積極的利用が必要で、そのバ ランスは時代 と地域 によって異なる。地域の状況 によ り、集中的な遺跡観光スポ ッ トとするか、広域の点在的遺跡観光 ネッ トワー クとするかも変 わる。遺跡地点が都市内か山間かによっても整備の方法が変わる。社会の変化 によ り人々が求め るものが変化するが、 これに対応 して遺跡観光整備 も変化する。都市内の場合は博物館や展示施 設 を中心に遺跡整備が容易で、保存 と活用 もしやす い。山間の場合は 自然利用や遠隔地施設との 有機的連携が望 まれ、周辺の温泉やキ ャンプ地 と連携するのもよい。 山間部 に施設を作 る場合は その後 の運営コス トや管理 ・活用法が問題 となる。住民は遺跡の保護管理 を手伝 い、観光客のた めに利便 を図る。遺跡保存の策定やその後の運営 に住民は参加す る。 しか し、住民の地域エゴや 偏狭な地域主義、経済効率優先主義あるいは無知な どが問題 となる。遺跡の近 くに住む住民の協 力は保護活用に欠かせない条件 となる。

遺跡は我々の歴史を語る文化である。文化財 として保存すること自体が目的 となる。それをどの ように利用するかは、次の間題である。短期的、長期的、学問的、経済的な様 々な利用の仕方があ る。一つの基準、 とくに短期的経済的な基準の判断は、その他の多 くの利用法を失う。文化を理解 しない人の存在は文化財保存活用に影響を与え、そ うした人々の理解 と協力を得る努力が文化財関 係者に必要である。人類の遺産 として地域や自国の顕著で普遍的な価値がある文化財の保存を行い、

危機に顔 している文化財の保存修復に技術的 ・学術的 ・財政的に協力する。 この考えは国際的であ れ国内 ・地域であれ、いずれの文化財にも当てはまる。歴史遺産は価値判断によるランク付けに適 していない。一人一人の存在価値をランク付けるようなもので、好 ましくない。それぞれが独自の 価値をもつが、現実には一部を選択するためにランク付けが必要となる。選択 されなかった文化財

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は破壊されることが多い。史跡指定されると破壊の危機か ら免れ保存できる可能性が高 くなる。史 跡指定 した場合としない場合はどのような違いが生 じるか。指定された遺跡が近 くにある場合、周 辺の無指定の遺跡にどのような影響があるか。指定された追跡は本当に保存されているのか。指定 されたことで観光客が訪れ、観光整備のために破壊が進む場合はないか。指定に至るまでにどの程 度の調査や研究が必要か。何を研究すると指定条件を整えることになるのか。復元された状態が史 実か ら離れた場合は、観光のためのテーマパークと同 じで、指定には不向きである。2004年に世 界遺産になったイランのバムは観光地 として整備されていたが地震で破壊されたために登録された と噂されている。指定されると金銭的な優遇が得 られるか。経済的な理由で地域興 Lとして利用す る指定は好 ましくないのか。道路工事等による遺跡発掘の結果、地域に重要な文化財が発見された 場合、文化財保護団体等の研究者が要望書を提出 し、それを受けて行政内での検討が行われる。そ の結果、破壊予定であった遺跡が公有地化などによ り保存され、その後に史跡指定されることにな る。国史跡指定は教育委員会か ら文化庁へ申請され文化財審議会で審査されるが、教育委員会が申 請をするかどうかを決める段階の事情は不明朗である。

3.調査 ・研究の考え方

遺跡は地域開発な ど経済や政治、社会的発展 と関連 して問題 になる。地域社会のなかで学術的 価値を考え、行政 と研究機関が合同調査研究することは望ましい。遺跡の周辺を含め、現状を知 る、分布調査や現状調査が基礎 となる。遺跡の価値は金銭的に評価することに向いていないが、

遺跡の価値判断や調査するか どうかを協議する。保存のために雨、風、気温、土地利用、周辺環 境な どの基礎データを収集 し、正確な地形図や遺構実測図の作成 とデータ公表 を行 う。地元民、

公共団体、学会等が協議 し,誰 と誰が何 をどこまで行 うかを決めることも必要である。発掘調査 は研究のためか、保存修理のためか、破壊するので記録するためか。 目的によ り、発掘調査の方 法や期間、成果が異なる。学術調査でも発掘 したために遺跡が破壊 されることが通常である。緊 急性があ り、今何 をやるべきか、先延ば しできるものはどれか。基本的な学術的要請 と緊急性 を 討議する。壊 される遺跡の調査は緊急性が高い。壊れかかった建造物の保存 と修理 ・修復は一刻 を争 う緊急の事業である。それを誰が どういう場で判断するか。行政の判断が市民に公開される ことは例外的である。

調査研究体制について。誰が調査するか。誰のために調査するか。学術 目的か、個人的興味か、

営利 目的か。記録するためか。誰が費用を負担するか。緊急調査では土地開発で利益 を得る団体 の原因者負担か。調査体制や組織はどう組むか。教育委員会、県立や財団法人の埋蔵文化財セン ター、民間企業、大学、個人な どが調査者 となるが、 どの体制が望 ましいかを誰が判断するか。

どういう体制が望 ましいか。調査員の研修問題は誰をどこへ派遣 し、長期 とするか短期 とするか。

事業の現地作業員の確保方法 と他地域 との協同も必要である。人々の肌を接 した、長期間の関係 が大事である。住民の教育、啓蒙を行 う。科学的データを蓄積する。遺跡発掘調査の方法を事前 に明確化 し、発掘後に報告書 を作成する。 コンピュータ利用のデータ蓄積は望ましいが、公表 と 利用に関する取 り決めも事前に整備する。

建造物保存は修理過程や復元修理後の報告を義務付ける。 どのように修理 したか、 もう一度破 壊 しないとわか らないのは問題である。報告をどこに提出するか、データは何に使 うか、 どこで 誰が どのようにデータ利用できるか。データ蓄積は学術が 目的か行政処理のためか。地上建造物 の保存は崩壊寸前の危険建物 を優先するか。壊れかかった建物を残すのは危険がある。 どう対処

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(13)

するか。城の石垣は安全のため石を新品に代えるか。現状保存 と修復活用は意見が対立す る。見 た目が同 じになる材料を使 うべきか。残す対象の選択 も問題である。各時代 を代表す る建物を選 ぶか。地域 を特徴つける建物群 を選ぶか。埋蔵文化財 の保存は、地下 に痕跡 を残すのみでは見栄 えしないが、埋めて保存す るのが簡単で確実である。残す ことは最重要である。見栄 え しないと 一般には理解 と協力が得 られず、活用で問題があ り、復元 を加える。保存する場合の決定方法 と 情報公開、及び研究 に裏付 け られた価値の説明が必要である。保存 を決定す る権利は誰 にあるの か。所有者か、議会か、教育委員会か、審議会か、法人か、任意団体か、あるいは個 人か。壊す 権利は誰にあるか。行政の情 報公開 と説明は欠かせない。

出土品の洗浄、記録、分類、収納、実測、報告、保管、展示、管理 の方法について。倉庫内に 積み上げ られることが多い。利用されないばか りか、未整理 ・未記録 の場合が多い。継続的な予 算措置 と活用する人員を配置する。 コンピュータ検索できるシステム を導入す る。保管場所は遺 跡近 くか、大きな博物館か、積み上げ るだけの倉庫か。調査研究 と活用は研究方法の多様化 と複 雑化に対応 し、総合的研究方法が採 られ、学術的関心の変化 もある。 どのように調査研究の成果 を生かすか。遺跡の発掘成果の公開。開発の邪魔 になると、発掘現場の公開を嫌がる行政 もある。

遺跡見学会 を行 う行政 もあるが、その情報の発信方法の改善が求め られる。 見学会の情報は地元 大学研究機関にも送 られない。調査データの公開。財政的状況か ら報告書刊行数を減 らし、大学 等の研究機関に送付 しない動きがある。行政単位で報告書を配布 し、外部 に出さない場合、文化 財は誰のもので誰のための調査か。 いかに公開 し、情報 を活用す るか。

4.保存事業推進の考え方

事業 として調査か ら保存管理運営 まで一連の過程 に関するマスタープランを策定す る。行政の 組織的対応法および行政 トップの方向性が基本案に影響 を与える。何 をどこまで、誰が、 どうい う方法でやるか。保存する対象や期間、財政的問題、対応する組織 を検討する。行政は委員会 を 作 り、行政の進めたい方向に決定 させ ると言われる。あるいは業者 に基本案 を作成依頼 し、委員 会を追認機関とする場合もある。委員会に地域住民を加えるか。審議内容 を県民や市民に説明す る機会 をもつか。市民の意見 を聞 くシンポジウムな どを開催す るか。保存策定案を作成 した後、

基本案 を具体化する細部にわたる実施案 を作る。最終案を決定す るのは誰か。

マネージメン ト。基本案 を運営実施する方法はさまざまな分野の知識が必要である。法律、行 政、研究、技術な どの各分野の専門家が必要で、それぞれの分野 を統括する全体総括 を担 当する 人材がいる。調査の方法や成果 を理解でき、地域社会のなかで生きた歴史遺産 を理解する能力を もち、現代の政治や経済のなかで歴史遺産を保護活用する調整能力をもち、保存を達成する意欲 をもつ人材の養成が大学教育に求め られる。そ うした人材 を雇用 し生かす職場 を行政や研究機関 の中に増や し、行政 も大学院 レベル能力の専門家 を採用す る。保存基本案 を策定す る専門家が、

目的達成する運営 を専門的に行 う部署が必要である。県 レベルで も文化財課、文化課、文化遺産 課 (和歌山県)等の名称を用 いるが、名称が与える影響は大きい。

法律 と住民意識。豊かな歴 史環境のなかで、充実 した文化生活 を楽 しむため、地域 に密着 した 行政単位の法令整備によって歴史や環境を配慮 した文化遺産 を保背す る。保護は住民の豊かな文 化生活 と合致するが、住民の生活 を制約する面 も併せ もつ。 一人一人の私有権 の尊重は公共事業 の進展 に足かせとなる場合 もある。周知の遺跡については教育委員会が把握 しているので、工事 関係者が こっそ り破壊できない。保存決定についての委員会等は市町村 ごとの文化財関連委員会

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参照

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